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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100405
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[近代史3] 韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった 中川隆
6. 中川隆[-13320] koaQ7Jey 2020年3月25日 16:49:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1584]

戦前の日本は台湾・朝鮮の近代化に国家予算のかなりをつぎ込んでいた

当時の朝鮮は欧米資本に経済支配されて搾取されていたんだけど、欧米の悪事まで日本の責任にされたのです。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。


詳細は


じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91


▲△▽▼


“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る危険性がある。

しかし同時に、あくまでも冷静に、普通の目線で当時の朝鮮における“日常”を見つめることで、新たな発見をすることが必要でもあるのだ。


たとえば、過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、読者の皆さんはどのように答えるだろうか。


「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。

「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。


満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。

すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。


確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html

▲△▽▼


96:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:01:24 ID:CJqAHY/N0

李氏朝鮮は1895年清国冊封体制から離脱により、迎恩門での土下座の礼拝は終焉した。

その後、列強各国は利権を求め李氏朝鮮に殺到した。


1900年頃の李氏朝鮮が奪われた利権


ロシア (金鉱採掘権、石炭採掘権、森林伐採件、海関管理権、捕鯨権)

アメリカ(ソウルー仁川鉄道施設権、金鉱採掘権、電車、電燈、水道経営権)

イギリス(海関管理権、金鉱採掘権)

ドイツ (金鉱採掘権)

日本  (ソウルー釜山鉄道施設権、金鉱採掘権、漁業権) 


当時独立は風前の灯火、史実は日本による併合(植民地ではない)

列強に対して独立を保つ事は現実不可能と思える状況なんだが

いったい李氏朝鮮はどこに支配されたかったんだ。
http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


李朝末期には森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に奪われてしまい, 財政が破綻し破産状態でした:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


▲△▽▼


儒教が朝鮮人をダメにした。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。

____


儒教の最大の欠点は「士太夫」は(肉体的に)働かない。むしろ働いてはいけないという価値観を造ってしまったところにある。

だから儒教の優等生である中国・朝鮮人は「働かなくても喰っていける」のが理想だと考えている。

かつては、ことさらに爪を伸ばして「食事(という労働)すら自分ではしない(出来ない)」という境遇を自慢したりもした。

今でもその傾向はある。
だから成功した老後は働かないのが当たり前で、はやく働かなくても良くなるように(今は我慢して)働いているだけなのだ。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/859.html#c5  


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/639.html#c6

[近代史4] 韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった

韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/639.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/646.html
[近代史4] 韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった 中川隆
1. 中川隆[-13319] koaQ7Jey 2020年3月25日 16:51:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1585]

戦前の日本は台湾・朝鮮の近代化に国家予算のかなりをつぎ込んでいた

当時の朝鮮は欧米資本に経済支配されて搾取されていたんだけど、欧米の悪事まで日本の責任にされたのです。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。


詳細は


じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91


▲△▽▼


“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る危険性がある。

しかし同時に、あくまでも冷静に、普通の目線で当時の朝鮮における“日常”を見つめることで、新たな発見をすることが必要でもあるのだ。


たとえば、過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、読者の皆さんはどのように答えるだろうか。


「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。

「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。


満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。

すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。


確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html


▲△▽▼


96:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:01:24 ID:CJqAHY/N0

李氏朝鮮は1895年清国冊封体制から離脱により、迎恩門での土下座の礼拝は終焉した。

その後、列強各国は利権を求め李氏朝鮮に殺到した。


1900年頃の李氏朝鮮が奪われた利権


ロシア (金鉱採掘権、石炭採掘権、森林伐採件、海関管理権、捕鯨権)

アメリカ(ソウルー仁川鉄道施設権、金鉱採掘権、電車、電燈、水道経営権)

イギリス(海関管理権、金鉱採掘権)

ドイツ (金鉱採掘権)

日本  (ソウルー釜山鉄道施設権、金鉱採掘権、漁業権) 


当時独立は風前の灯火、史実は日本による併合(植民地ではない)

列強に対して独立を保つ事は現実不可能と思える状況なんだが

いったい李氏朝鮮はどこに支配されたかったんだ。
http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


李朝末期には森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に奪われてしまい, 財政が破綻し破産状態でした:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


▲△▽▼


儒教が朝鮮人をダメにした。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。

____


儒教の最大の欠点は「士太夫」は(肉体的に)働かない。むしろ働いてはいけないという価値観を造ってしまったところにある。

だから儒教の優等生である中国・朝鮮人は「働かなくても喰っていける」のが理想だと考えている。

かつては、ことさらに爪を伸ばして「食事(という労働)すら自分ではしない(出来ない)」という境遇を自慢したりもした。

今でもその傾向はある。
だから成功した老後は働かないのが当たり前で、はやく働かなくても良くなるように(今は我慢して)働いているだけなのだ。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/859.html#c5  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/646.html#c1

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
16. 中川隆[-13318] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:15:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1586]
1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c16

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
2. 中川隆[-13317] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:17:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1587]

1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。
 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c2

[近代史3] 内田樹 嫌韓の構造 中川隆
4. 中川隆[-13316] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:26:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1588]


「朝鮮新報」のインタビュー - 内田樹の研究室 2020-03-25
http://blog.tatsuru.com/2020/03/25_0749.html


「朝鮮新報」の3月1618日合併号に日韓問題についてのインタビューが掲載された。

 総連系のメディアに取材されたのはこれがはじめてのような気がする。
 紙面では字数が足りなかったので、これはロングヴァージョン。

「厄介な隣人にサヨウナラ」「韓国人という病理」――昨年、雑誌「週刊ポスト」は、記事の中でそのような言葉を並べヘイトスピーチを行った。同胞に対する異常な差別が日本社会にまん延する中、『週刊ポスト』版元の小学館に対し執筆拒否を宣言した思想家の内田樹さんが今、日本社会に対して思うことは。

―在日朝鮮人を取り巻く日本社会の状況に感じることはありますか?

 以前に比べ在日コリアンへの非寛容、差別が公然化してきたという印象があります。第一の原因は安倍政権にあると思います。安倍政権になってからの7年間で「嫌コリア」の機運が政治的に醸成されてきました。

 日本社会の在日コリアンへの差別的感情は戦前から一貫して存在しますが、それが公然化するかどうかはある種の「空気感」で決まります。「差別的なことは口に出してはいけない」という抑制の空気があれば、心で思っていても口にはしない。その抑制が安倍政権下で弱まった。「嫌コリア」言説が目に付くようになってきたのはそのせいです。

 極論やデマゴギーを語る人はいつの時代にもいますが、今の政権下では、そのような「マイナーな極論」を語る人たちがNHKの経営委員になったり、総理と一緒に食事をしたり、あたかも「権威のある人間」のようにメディアに頻繁に登場するようになりました。本来ならば市民的常識によって抑制されるべき非常識な発言が、政権への恐怖や忖度によってまかり通ってしまっている。それが日本社会全体の倫理の劣化をもたらした。

 ただ、これはあくまで潜在的な差別意識が可視化されたというだけのことで、在日コリアンに対する差別感情は見えないかたちで日本社会の中につねに潜在していた。だから、安倍政権が終わったら今ほどは目立たなくはなるでしょうけれど、それでなくなるわけではないと思います。

―様々な問題の中、安倍政権が長期にわたり続いている理由は何でしょうか?


政権のコアな支持層には「権力者は不正を働いても構わない」という道徳的なニヒリズムに侵されている人がいます。彼らは政権が資料を改竄・隠蔽しても、総理大臣が嘘をついても、支持者を税金で供応しても、「それのどこが悪いんだ」と口を尖らせます。不正をしても処罰されない、法の支配に服さないで済むのが権力者の特権ではないか、そういう特権的な立場になるためにこれまで努力してきて、その地位を得たのだから、それに文句を言うのは筋違いだと考えているのです。

 僕の友人がネット上で麻生太郎の批判をしたら「そういうことは自分が財務大臣になってから言え」というリプライが書き込まれました。僕が国政批判をしても「それなら自分が国会議員になれ」というような絡み方をする人がいます。それができないのなら黙っていろと言う。社会的に「成功」している人に対する批判はそれと同じだけ「成功」した人だけに行う資格がある。それが「リアリズム」だと思っている。でも、それは「現状に不満なら、まず現状を受け入れろ」と言っているに等しい。要するに絶対的な現状肯定ということです。

 彼らが安倍総理を支持するのは、「彼が総理大臣だから」です。単なるトートロジーなのですが、それに気がついていない。

―なぜそのような考え方が生まれるのでしょうか?

 気分がいいからじゃないですか。「市民社会をもっと成熟したものにしよう」とか「雇用関係を改善しよう」という願いを実現するには多大な時間と労力が必要です。でも、目の前でそれを語っている人間に「きれいごとを言うな」と罵倒を浴びせ、切って捨てるような批判をすれば、刹那的な快感、全能感が得られる。おのれの社会的上昇に希望が持てない人たちにとって、その一瞬の爽快感が心地よいのなのでしょう。だから、ネット上では、自分よりも知識を持っている人たちや専門家の発言を定型句一つで全否定できると思っている人たちが溢れ返っている。

 大声でセクシズム、レイシズムを叫ぶ人たちも求めているものは同じだと思います。「女なんて」「朝鮮人なんて」というような「言ってはいけないこと」を平気で言える自分は「スゴイ」と思っている。「反道徳的で反社会的であることができる自分」にささやかな権力の手応えを覚えている。

 本来ならば、そのような差別的な言葉は市民たちの規範力によって抑制され、収まってゆくものです。法律で罰するという以前に、「そんな非常識なことを口にするな」という規制が働く。そのためには、市民の一定数が「まっとうな大人」であることが必要です。しかし、今の日本社会には、そのような非常識な言動に対して「いいかげんにしろ!」と一喝できるような大人が少なくなってしまった。

―そのような中で在日朝鮮人も息苦しさを感じているようです。

 日本では、職業や年収な能力で「身の程」が決定され、「その枠から出るな」という禁圧が働いています。「自分が権力者になってから権力を批判しろ」というのは要するに「自分の身のほどを知れ、分際をわきまえろ、身の丈に合わないことをするな」ということです。

 少し前にアメリカの雑誌が日本の大学生にインタビューを行った記事がありましたが、学生たちは今の日本の大学に対する印象をほとんど同じ言葉で答えていました。それは「狭いところに閉じ込められている」「息ができない」「釘付けにされている」という身体的な印象を語る形容詞でした。息苦しさを日本の若者たちは共通に感じている。けれども、そう嘆いている学生たち自身はその生きづらさが「身の程を知れ」という無言の禁圧の結果だということに気づいていない。それどころか、学生たちもまたお互いに「配役されたキャラを演じ続けろ」「らしくないことをするな」というしかたで相互規制を行い、お互いの首を締めている。

 在日コリアンの場合も「在日コリアン」というタグが貼られて、その「役」を演じることを強いられています。そして、どんどん狭いところに押し込められる。「日本に文句があるなら国に帰れ」というのは「財務大臣に文句があるなら財務大臣になれ」というのはまったく同じ論理です。「与えられた社会的枠組みから出るな。嫌なら枠組みを作っている社会そのものから出ていけ」ということです。
 
―この空気を換えるためにはどうすれば良いとお考えですか?

 かつて60年安保闘争で国論が二分したあと、岸信介の後を引き継いだ池田勇人は「所得倍増」と「寛容と忍耐」をスローガンに掲げました。「所得倍増」は政治的意見の違いにかかわらずすべての日本人にとって望ましいことでした。「寛容と忍耐」は同じ社会を構成している中には、共感も理解もしがたい隣人たちも含まれているけれど、それに耐えようと。不愉快な隣人とも"気まずく"共生しよう、と呼びかけた。

 僕はこのスローガンの選択は適切だったと思います。実際に、この路線に従って日本は歴史的な高度成長を遂げたのですから。今の日本は60年安保闘争以後最も深く国民が分断されています。ですから、必要なのはもう一度「寛容と忍耐」を掲げることだと思います。

―昨年、記事中で「韓国なんていらない」などとヘイトスピーチを行った『週刊ポスト』の版元の小学館に対し、執筆拒否を宣言されました。

 小学館のような大きな出版社には、国民の間のコミュニケーションのプラットフォームを形成する社会的な責務があります。小さな出版社でしたら、政治的に偏向した言説を流布することも許されるでしょうけれど、小学館のような規模の出版社は国民間の対話の場を設定することがその社会的責務です。さまざまな論に対話の場を提供することが仕事であって、国民間にあえて分断を持ち込み、国民の一部を排除し迫害するような行為は許されません。小学館にはその社会的責任の自覚がありませんでした。メディアの劣化がここまで進んだことに僕は愕然としています。

―表現の自由についてのお考えは?

 何のための表現の自由なのか? それを考えることが大切だと思います。言論の自由というのは「誰でも好きなことを言っていい。それが虚偽でも、人を傷つけるものでも、人がたいせつにしているものを汚すものでも、何でも表現する権利がある」というような底の抜けた話ではありません。言論の自由が存在する社会は、それが存在しない社会よりも市民が成熟するチャンスが多いから言論の自由は守られなければならないというのが僕の考えです。

 何らかの公的機関や誰か見識にすぐれた「判定者」がいて、その機関なり個人なりが専一的に「表現して良いものと悪いもの」を判定識別するということになったら、市民たちは自分の判断力を高める必要がなくなる。でも、ものごとの良否の判断を他人に委ねてしまった人間はもう決して成熟することができません。

 僕が言論の自由を守ろうとするのは、市民たちの知性的・感性的な成熟を阻害して、幼児のままにとどめおこうとする人たちに抗うためです。市民が全員、おのれの判断を放棄し、上位者にものごとの正否理非の判断を委ねても気にしない幼児であれば、管理はしやすいかもしれませんが、そんな集団は遠からず滅亡します。

 表現の自由というのは単なる原理原則ではなく、具体的な成果をめざす遂行的な装置です。それによって市民たちの成熟を支援し、集団をより強くより豊かなものにするための仕組みです。ですから、何のための表現の自由なのかということを考えもせずに、ただそのつど自分に都合のよいスローガンとして「表現の自由」を引き合いに出す人間も、「お上」に表現の適否の判断を任せろという人間も、僕はひとしく信用しません。

―今後、友好的な関係を築いていくためには何が必要でしょうか?

 日本人の多くが近現代の歴史をほとんど学んでいないということが問題だと思います。朝鮮半島の植民地化とその支配の歴史的事実について多くの日本人は何も知りません。少なくとも江華島条約からあと日韓の150年の歴史に関しては最低限の事実を知る必要があると思います。

 徴用工問題や慰安婦問題などで議論が行われていますが、政治家もメディアも65年の日韓基本条約が議論の起点になっていると言うだけで、それより以前には遡らない。

 でも、はるか以前から解決できなかった問題が65年時点でも解決できずに「棚上げ」されたものがまた蒸し返されたということです。解決できなかった同じ難問だからこそ、間歇的に甦ってくる。それを「解決済みだ」と言い切って終わりというのは単なる歴史についての無知に過ぎません。解決の難しい難問は難問として受け入れて、長い時間をかけて、両国の衆知を集めて議論し続けるしかない。解きがたい問題については、「どうしてこんなに解きがたいのか」というところまで時間を遡るしかありません。

 日韓の歴史的な関わりに関する知識では、平均的には韓国の人のほうがはるかに詳しいと思います。特に最近の韓国映画は光州事件や植民地時代の親日派に関する映画など、自国史の「暗部」を映像化し、物語として国民的に共有しようとしています。

 残念ながら日本ではこのような努力はほとんど見られません。この点では韓国に大きな知的アドバンテージがあります。このまま日本人が自国史の「暗部」から目を背け続けていれば、いずれ日韓の国力には大きな隔たりができることでしょう。国力とは突き詰めて言えば、不都合なことも含めてどれくらい自国の歴史と現実を受け入れることができるか、その器量の大きさのことだからです。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/25_0749.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html#c4

[近代史3] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
3. 中川隆[-13315] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:27:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1589]

「朝鮮新報」のインタビュー - 内田樹の研究室 2020-03-25
http://blog.tatsuru.com/2020/03/25_0749.html


「朝鮮新報」の3月1618日合併号に日韓問題についてのインタビューが掲載された。

 総連系のメディアに取材されたのはこれがはじめてのような気がする。
 紙面では字数が足りなかったので、これはロングヴァージョン。

「厄介な隣人にサヨウナラ」「韓国人という病理」――昨年、雑誌「週刊ポスト」は、記事の中でそのような言葉を並べヘイトスピーチを行った。同胞に対する異常な差別が日本社会にまん延する中、『週刊ポスト』版元の小学館に対し執筆拒否を宣言した思想家の内田樹さんが今、日本社会に対して思うことは。

―在日朝鮮人を取り巻く日本社会の状況に感じることはありますか?

 以前に比べ在日コリアンへの非寛容、差別が公然化してきたという印象があります。第一の原因は安倍政権にあると思います。安倍政権になってからの7年間で「嫌コリア」の機運が政治的に醸成されてきました。

 日本社会の在日コリアンへの差別的感情は戦前から一貫して存在しますが、それが公然化するかどうかはある種の「空気感」で決まります。「差別的なことは口に出してはいけない」という抑制の空気があれば、心で思っていても口にはしない。その抑制が安倍政権下で弱まった。「嫌コリア」言説が目に付くようになってきたのはそのせいです。

 極論やデマゴギーを語る人はいつの時代にもいますが、今の政権下では、そのような「マイナーな極論」を語る人たちがNHKの経営委員になったり、総理と一緒に食事をしたり、あたかも「権威のある人間」のようにメディアに頻繁に登場するようになりました。本来ならば市民的常識によって抑制されるべき非常識な発言が、政権への恐怖や忖度によってまかり通ってしまっている。それが日本社会全体の倫理の劣化をもたらした。

 ただ、これはあくまで潜在的な差別意識が可視化されたというだけのことで、在日コリアンに対する差別感情は見えないかたちで日本社会の中につねに潜在していた。だから、安倍政権が終わったら今ほどは目立たなくはなるでしょうけれど、それでなくなるわけではないと思います。

―様々な問題の中、安倍政権が長期にわたり続いている理由は何でしょうか?


政権のコアな支持層には「権力者は不正を働いても構わない」という道徳的なニヒリズムに侵されている人がいます。彼らは政権が資料を改竄・隠蔽しても、総理大臣が嘘をついても、支持者を税金で供応しても、「それのどこが悪いんだ」と口を尖らせます。不正をしても処罰されない、法の支配に服さないで済むのが権力者の特権ではないか、そういう特権的な立場になるためにこれまで努力してきて、その地位を得たのだから、それに文句を言うのは筋違いだと考えているのです。

 僕の友人がネット上で麻生太郎の批判をしたら「そういうことは自分が財務大臣になってから言え」というリプライが書き込まれました。僕が国政批判をしても「それなら自分が国会議員になれ」というような絡み方をする人がいます。それができないのなら黙っていろと言う。社会的に「成功」している人に対する批判はそれと同じだけ「成功」した人だけに行う資格がある。それが「リアリズム」だと思っている。でも、それは「現状に不満なら、まず現状を受け入れろ」と言っているに等しい。要するに絶対的な現状肯定ということです。

 彼らが安倍総理を支持するのは、「彼が総理大臣だから」です。単なるトートロジーなのですが、それに気がついていない。

―なぜそのような考え方が生まれるのでしょうか?

 気分がいいからじゃないですか。「市民社会をもっと成熟したものにしよう」とか「雇用関係を改善しよう」という願いを実現するには多大な時間と労力が必要です。でも、目の前でそれを語っている人間に「きれいごとを言うな」と罵倒を浴びせ、切って捨てるような批判をすれば、刹那的な快感、全能感が得られる。おのれの社会的上昇に希望が持てない人たちにとって、その一瞬の爽快感が心地よいのなのでしょう。だから、ネット上では、自分よりも知識を持っている人たちや専門家の発言を定型句一つで全否定できると思っている人たちが溢れ返っている。

 大声でセクシズム、レイシズムを叫ぶ人たちも求めているものは同じだと思います。「女なんて」「朝鮮人なんて」というような「言ってはいけないこと」を平気で言える自分は「スゴイ」と思っている。「反道徳的で反社会的であることができる自分」にささやかな権力の手応えを覚えている。

 本来ならば、そのような差別的な言葉は市民たちの規範力によって抑制され、収まってゆくものです。法律で罰するという以前に、「そんな非常識なことを口にするな」という規制が働く。そのためには、市民の一定数が「まっとうな大人」であることが必要です。しかし、今の日本社会には、そのような非常識な言動に対して「いいかげんにしろ!」と一喝できるような大人が少なくなってしまった。

―そのような中で在日朝鮮人も息苦しさを感じているようです。

 日本では、職業や年収な能力で「身の程」が決定され、「その枠から出るな」という禁圧が働いています。「自分が権力者になってから権力を批判しろ」というのは要するに「自分の身のほどを知れ、分際をわきまえろ、身の丈に合わないことをするな」ということです。

 少し前にアメリカの雑誌が日本の大学生にインタビューを行った記事がありましたが、学生たちは今の日本の大学に対する印象をほとんど同じ言葉で答えていました。それは「狭いところに閉じ込められている」「息ができない」「釘付けにされている」という身体的な印象を語る形容詞でした。息苦しさを日本の若者たちは共通に感じている。けれども、そう嘆いている学生たち自身はその生きづらさが「身の程を知れ」という無言の禁圧の結果だということに気づいていない。それどころか、学生たちもまたお互いに「配役されたキャラを演じ続けろ」「らしくないことをするな」というしかたで相互規制を行い、お互いの首を締めている。

 在日コリアンの場合も「在日コリアン」というタグが貼られて、その「役」を演じることを強いられています。そして、どんどん狭いところに押し込められる。「日本に文句があるなら国に帰れ」というのは「財務大臣に文句があるなら財務大臣になれ」というのはまったく同じ論理です。「与えられた社会的枠組みから出るな。嫌なら枠組みを作っている社会そのものから出ていけ」ということです。
 
―この空気を換えるためにはどうすれば良いとお考えですか?

 かつて60年安保闘争で国論が二分したあと、岸信介の後を引き継いだ池田勇人は「所得倍増」と「寛容と忍耐」をスローガンに掲げました。「所得倍増」は政治的意見の違いにかかわらずすべての日本人にとって望ましいことでした。「寛容と忍耐」は同じ社会を構成している中には、共感も理解もしがたい隣人たちも含まれているけれど、それに耐えようと。不愉快な隣人とも"気まずく"共生しよう、と呼びかけた。

 僕はこのスローガンの選択は適切だったと思います。実際に、この路線に従って日本は歴史的な高度成長を遂げたのですから。今の日本は60年安保闘争以後最も深く国民が分断されています。ですから、必要なのはもう一度「寛容と忍耐」を掲げることだと思います。

―昨年、記事中で「韓国なんていらない」などとヘイトスピーチを行った『週刊ポスト』の版元の小学館に対し、執筆拒否を宣言されました。

 小学館のような大きな出版社には、国民の間のコミュニケーションのプラットフォームを形成する社会的な責務があります。小さな出版社でしたら、政治的に偏向した言説を流布することも許されるでしょうけれど、小学館のような規模の出版社は国民間の対話の場を設定することがその社会的責務です。さまざまな論に対話の場を提供することが仕事であって、国民間にあえて分断を持ち込み、国民の一部を排除し迫害するような行為は許されません。小学館にはその社会的責任の自覚がありませんでした。メディアの劣化がここまで進んだことに僕は愕然としています。

―表現の自由についてのお考えは?

 何のための表現の自由なのか? それを考えることが大切だと思います。言論の自由というのは「誰でも好きなことを言っていい。それが虚偽でも、人を傷つけるものでも、人がたいせつにしているものを汚すものでも、何でも表現する権利がある」というような底の抜けた話ではありません。言論の自由が存在する社会は、それが存在しない社会よりも市民が成熟するチャンスが多いから言論の自由は守られなければならないというのが僕の考えです。

 何らかの公的機関や誰か見識にすぐれた「判定者」がいて、その機関なり個人なりが専一的に「表現して良いものと悪いもの」を判定識別するということになったら、市民たちは自分の判断力を高める必要がなくなる。でも、ものごとの良否の判断を他人に委ねてしまった人間はもう決して成熟することができません。

 僕が言論の自由を守ろうとするのは、市民たちの知性的・感性的な成熟を阻害して、幼児のままにとどめおこうとする人たちに抗うためです。市民が全員、おのれの判断を放棄し、上位者にものごとの正否理非の判断を委ねても気にしない幼児であれば、管理はしやすいかもしれませんが、そんな集団は遠からず滅亡します。

 表現の自由というのは単なる原理原則ではなく、具体的な成果をめざす遂行的な装置です。それによって市民たちの成熟を支援し、集団をより強くより豊かなものにするための仕組みです。ですから、何のための表現の自由なのかということを考えもせずに、ただそのつど自分に都合のよいスローガンとして「表現の自由」を引き合いに出す人間も、「お上」に表現の適否の判断を任せろという人間も、僕はひとしく信用しません。

―今後、友好的な関係を築いていくためには何が必要でしょうか?

 日本人の多くが近現代の歴史をほとんど学んでいないということが問題だと思います。朝鮮半島の植民地化とその支配の歴史的事実について多くの日本人は何も知りません。少なくとも江華島条約からあと日韓の150年の歴史に関しては最低限の事実を知る必要があると思います。

 徴用工問題や慰安婦問題などで議論が行われていますが、政治家もメディアも65年の日韓基本条約が議論の起点になっていると言うだけで、それより以前には遡らない。

 でも、はるか以前から解決できなかった問題が65年時点でも解決できずに「棚上げ」されたものがまた蒸し返されたということです。解決できなかった同じ難問だからこそ、間歇的に甦ってくる。それを「解決済みだ」と言い切って終わりというのは単なる歴史についての無知に過ぎません。解決の難しい難問は難問として受け入れて、長い時間をかけて、両国の衆知を集めて議論し続けるしかない。解きがたい問題については、「どうしてこんなに解きがたいのか」というところまで時間を遡るしかありません。

 日韓の歴史的な関わりに関する知識では、平均的には韓国の人のほうがはるかに詳しいと思います。特に最近の韓国映画は光州事件や植民地時代の親日派に関する映画など、自国史の「暗部」を映像化し、物語として国民的に共有しようとしています。

 残念ながら日本ではこのような努力はほとんど見られません。この点では韓国に大きな知的アドバンテージがあります。このまま日本人が自国史の「暗部」から目を背け続けていれば、いずれ日韓の国力には大きな隔たりができることでしょう。国力とは突き詰めて言えば、不都合なことも含めてどれくらい自国の歴史と現実を受け入れることができるか、その器量の大きさのことだからです。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/25_0749.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/937.html#c3

[近代史4] 内田樹 生きづらさについて考える

内田樹 生きづらさについて考える
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/937.html

比較敗戦論のために - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/301.html

内田樹 嫌韓の構造
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/647.html

[近代史4] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
1. 中川隆[-13314] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:32:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1590]

内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/398.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/647.html#c1
[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
48. 中川隆[-13313] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:23:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1591]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c48

[近代史3] 日本の右翼のバイブル _ モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい 中川隆
51. 中川隆[-13312] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:24:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1592]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html#c51

[近代史3] ディープステートとは何か 中川隆
11. 中川隆[-13311] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:24:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1593]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html#c11

[近代史3] これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」 中川隆
5. 中川隆[-13310] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:25:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1594]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html#c5

[近代史4] ディープステートとかいう馬渕睦夫のアホ陰謀論 中川隆
5. 中川隆[-13309] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:26:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1595]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/623.html#c5

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
8. 中川隆[-13308] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:31:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1596]

騰落レシオ

日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(25日) 騰落レシオ(6日)
2020-03-25 19,546.63 +1,454.28 62.73 258.39
2020-03-24 18,092.35 +1,204.57 54.43 179.26
2020-03-23 16,887.78 +334.95 49.85 103.97
2020-03-19 16,552.83 -173.72 46.88 63.05
2020-03-18 16,726.55 -284.98 45.58 49.10
2020-03-17 17,011.53 +9.49 44.65 64.69
2020-03-16 17,002.04 -429.01 40.12 32.98
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c8

[近代史4] ニーチェ系の狂気が一段と進む西尾幹二


ニーチェ系の狂気が一段と進む西尾幹二 ──“新皇后テロルの狂書”を未だ焚書しない西尾幹二とワック社
筑波大学名誉教授   中川八洋
http://nakagawayatsuhiro.com/?p=813

 本稿は、タイトルは若干変更したが、2017年1月25日に「掲示板」にupしたブログ「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(35)」の再掲。再掲の理由を、以下に簡略に触れる。

 去る5月1日、新天皇陛下が践祚され、同時に、新皇后陛下も立后され、洵に慶賀に堪えず、私は余りの嬉しさに一日中、神棚に「二礼二拍一礼」を何度も繰り返していた。作業室の近辺に著名な神社があればそこに参拝したかったが、あいにくと心当たりが無く、結局、このような一日となった。一ヶ月ほど経って、「やはり5月1日の午後、新幹線に飛び乗り、5月2日早朝に伊勢神宮、その午後に熱田神宮に参詣し、新天皇・皇后両陛下に《神の特段のご加護》を祈るべきだった」と、悔やんだ。

 この5月1日から丸三ヶ月、今日の7月30日まで私はある動きを待っていた。が、未だにそれがない。よって、本稿を再掲することに決めた。何を待っていたか。ワック社が西尾幹二著『皇太子さまへの御忠言』を絶版にし、また古本屋や市中在庫から徹底的に残部を回収し焚書(裁断を含む)して、その後、ワック社が責任をとって閉店する措置(動き)のこと。

 なぜ、ワック社とその社長・鈴木隆一の動きを待ち、西尾幹二の動きには期待しなかったか。それは、このブログ論考を一読すれば氷解する。西尾幹二は、ニーチェと同じ精神分裂病の最終段階で、良心がカラカラに乾き空洞と化し、善悪の区別も混然・朦朧とできなくなり、新皇后陛下の立后に合わせ『皇太子さまへの御忠言』を絶版し、その後に自裁する判断力を既に持ち合わせていない。

 当然、日本史上、空前絶後の“不敬の狂書”『皇太子さまへの御忠言』の出版の責任は、ワック社社長の鈴木隆一がとるしかない。ついては本ブログ読者諸兄へのお願い。本稿を読破された後、ワック社社長・鈴木隆一に対し、@西尾幹二著『皇太子さまへの御忠言』を直ちに絶版にせよ、A古本屋や市中在庫から徹底的にその残部を回収し焚書(裁断を含む)せよ、とfaxして頂ければ、幸甚至極に存じ上げます。

(2019年7月30日記)

【以下は、2017年1月のblog論文】

 日本人が、断然トップで「世界一」を誇るようになったものがある。残念ながら、自慢する性格のものではなく、その逆。実に憂慮堪えない恥ずべき状態での「世界一」。それは、世界標準において“国民の非国民度”を示すバロメーターに基づく日本人の順位。

 今や日本には、「あるべき理想の国民」が評価基準なら、それとは最もかけ離れた「一億総“国賊”の日本人」「一億総“非国民”の日本人」しかいない。つまり、日本人とは一億総“国賊”/一億総“非国民”だから、二位を大きく引き離して、人類史上“最低・最悪の国民(民族)”に成り果てたのである。そのような国民からなる国家は、究極の腐敗がフル・スピードで進むから、春の残雪のごとくに、遠からず、日本という国家は不可避に地球上から溶けて消えてなくなる。

第一節 精神病院に入院した“末期ニーチェ”に酷似してきた西尾幹二

ルソー/マルクス/ニーチェ──日本国存続の生命源を腐蝕的に根絶する三大“悪魔の思想”

 具体的には、正常な国家なら断じて排除する、国家を溶解的に自壊させていく最強の疫病力をもつ“悪魔の思想”を最高の「知」として崇める、“思想における異常国家”は、世界190ヶ国のうち日本だけである。日本ほど自国損傷/破壊に狂騒乱舞する国家は、世界に他に例を見ない。

 この自国の溶解・崩壊を促す最凶イデオロギーと言えば、世界中、誰しもがルソーを挙げる。日本でも、拙著『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』二冊によってやっと、世界標準の常識である、諸悪の根源ルソーについて理解が広がった。そして、「ルソー→マルクス→レーニン/スターリン」という基幹“悪魔思想の系譜”についても、ようやく常識となった。

 特に、バークやアクトン卿のみならず、ベルジャーエフ/ミーゼス/ハイエク/レプケ/ポパー等を読む、私に刺激されて日本でやっと萌芽した保守主義の傾向を持つごく少数者が、ルソーとマルクスを“悪魔の思想”の元祖だと、(日本国の救済にはむろん余りに遅きに失し、また微力であり過ぎるが)この排除を考えるようになったことは、大正時代にルソーやデューイなどが猖獗して、その後は極左思想のみが支配する日本を正常化するメルクマールとなった。

 だが、ルソー/マルクスに次ぐ、“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家は誰か、と問われて即座に「ニーチェ」だと回答できる者は、僅少しかいない保守主義の日本人のうちでも、まだ限りなくゼロに近い。「“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家」については、『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』に続く、その三部作として出版した『福田和也と〈魔の思想〉』(注1)で、私は間接的にすでに指摘していた。

 『福田和也と〈魔の思想〉』は、フーコー/ドゥルーズ/デリダ/リオタール等のポスト・モダンを、ドゥルーズ系の福田和也に焦点を当てて外科解剖的に批判的批評をしたものだが、フーコー/ドゥルーズ/デリダ/リオタール等のポスト・モダンの主源流である「ニーチェ思想の解剖」の附章については、纏める時間がなく収録できなかった。いいわけになるが、上掲の拙著では、従的な「ヘルダーリン→ハイデカー→フーコー等のポスト・モダン思想」の系譜を研究し言及したが、それに時間を食ってしまい、主的な「ニーチェ→フーコー等のポスト・モダン思想」(注2)の附章の方を割愛した。ともあれ、「ルソー/マルクスに次ぐ、“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家“とはニーチェ」という常識が日本で共有されていない現況は、日本国の存続にとって由々しい事態といえる。

 なぜなら、日本人がもつべき正常な人間性を破壊し、日本という国家を溶解的に破滅させる、エイズ・ウィルスより猛毒のニーチェ思想の危険性を日本人が知らない無知は、日本国から未来を確実に剥奪するからである。なお、質問「マルクスとニーチェの思想は、何れが強い極左度を持つか」への学的回答は、「ニーチェの方が、マルクスより十倍は左の“スーパー極左思想”」となろう。

ニーチェ精神分裂病の「中度→重度→超重度」への進行こそ、ニーチェ哲学の精髄

 国籍を持たなかったニーチェの精神分裂病について、日本の共産革命家や北朝鮮人アナーキスト達は、ニーチェを美化するために、精神病院に入院した1889年1月(46歳)をもって発症したとする。だが、素人の目でも『ツァアラトゥストラはかく語りき』(1884年、40歳)の作品が正常でない(=狂気)のは明白にわかる。いや、それ以前の作品群の、「神は死んだ」で悪名高い『悦ばしき知識』(1882年)も、さらにその前の『曙光』(1881年)も、充分に正気でないのは明白。

 よって、ニーチェの分裂病の完全発症は『曙光』の執筆時から、と断定できる。だが、それ以前のニーチェが正常であったかといえば、そうではない。『人間的な、余りに人間的な』(1878年、増補1880年)なども、精神分裂病者でない限り書けない著作。とすれば、1881年の年頭に上梓した『曙光』以降は「重度の精神分裂病」で、それ以前が「中度の精神分裂病」だったと見做すほかない。1889年1月から死没(1900年8月)までの十一年間余は、無執筆の精神病院暮らしで“生きた屍”だったから、「超重度」ということ。

 これを、ニーチェと同じ重度の精神分裂病哲学者だったミシェル・フーコーと比較しておく。フーコーの場合は、青年期からエイズで死亡(1984年)するまで、一貫して「重度」で安定していて進行も変化もなかった。ニーチェの方は、「中度→重度→超重度」と進行・悪化し続けた。

36歳で完全発狂のニーチェ精神分裂病は、フーコー級から一気にヘルダーリン級へ

 ニーチェは、著作のほとんどを重度の精神分裂病者の状態で執筆している。万人がニーチェを狂人と見做すに至った1888年末〜1889年年頭に当たる、1889年1月3日付けヴァーグナーの「第二の妻」コージマ宛て手紙(A)と同種の、自分を神だと幻覚する妄想(次のBは、ほんの一例)は、それよりほぼ十年昔からずっと常態だったからだ。

A コージマ・ヴァーグナー宛て手紙(1889年1月、44歳)


「私が人間であるというのは、一つの偏見です(=私は神もしくは準・神です)。・・・私は、インド人の間では仏陀で、ギリシャでは(酒神の)ディオニソスでした。アレクサンダーとシーザーは私の化身・・・。最後にはなお私は(無神論の巨魁)ヴォルテールであったし、ナポレオンであった・・・。・・・私はまた(キリストと同じくor新しいキリストだから)十字架にかかってしまった」(注3、丸カッコ内中川)。

B 『悦ばしき知識』(1882年脱稿、37歳)  


「おれたちが神を殺したのだ・・・おれたちはみな神の殺害者だ。・・・神を埋葬する墓掘人たちのざわめきがまだ何も聞こえてこないか・・・神の腐る臭いがまだ何もしてこないか。…神は死んだ!神は死んだままだ!おれたちが神を殺したのだ!・・・(神を殺害する資格があるとされるために)おれたち自身(=ニーチェ自身)が神々にならなければならない・・・」(注4、丸カッコ内中川)。  

 ニーチェの主著『ツァラトゥストラはかく語りき』(1883年執筆、39歳)とは、ニーチェが自分自身をゾロアスター教の開祖ツァラトゥストラ(ザラスシュトラ)に擬え、準・神として人間たちに語りかける形式の書である。つまり、『ツァラトゥストラはかく語りき』は、ゾロアスター教の根本経典『アヴェスター』に対応させている。このような形式の書は、ニーチェが自分を神だと考えていない限り発想されないから、『ツァラトゥストラはかく語りき』それこそが、ニーチェが重度の精神分裂病者であることの証左となっている。本稿では論及を割愛するが、『ツァラトゥストラはかく語りき』を細部にわたって分析すると、分裂病の幻覚と妄想ばかりで満載の“狂気の書”なのが明確に明白。ニーチェ自身が、『ツァラトゥストラはかく語りき』を、ニーチェ自身を神とする新しい宗教の聖典だと妄想しているのは、『この人を見よ』において、次のように書いているから、異論はあるまい。


「私は『ツァラトゥストラはかく語りき』で、(キリスト教の聖書やイスラム教のコーランを越える)これまで人類に贈られた最大の贈り物をした。(人類の新しい宗教の教典となって、これから)何千年の未来へ響く声を持つこの書は、およそこの世にある最高の書…であるばかりでなく、真理のもっとも内奥の豊かさから生まれた最深の書であり、つるべを降ろせば必ず黄金と善意とがいっぱいに汲みあげられてくる無尽蔵の泉である」(注5、丸カッコ内中川)。

「梅毒による進行性麻痺」と「遺伝性分裂病」の、“ダブル精神分裂病”だったニーチェ

 ニーチェの精神障害に関して、少し古い書籍だが、宮城音弥『天才』は、こう分析している。ニーチェの精神障害は、外因性の「梅毒による進行性麻痺」とともに、(精神分裂病とは言えない)遺伝性(内因性)の「分裂質を土台とした偏執質」がある(注6)。後者の「分裂質を土台とした偏執質」については、他の専門医の多くは、「分裂質」ではなく「分裂病質」としており、そう訂正されるべきだろう。ニーチェは、精神分裂病Schizophreniaの妄想型paranoid type だからである。

 序なので、ニーチェが交友関係をもっていた、同時代のもう一人の重度の精神分裂病で有名な、スウェーデンの作家ストリンドベリ(備考)について、宮城音弥は被害妄想型の精神分裂病だとしている(注6)。ニーチェのストリンドベリ宛て手紙の一部を、以下に紹介する。ニーチェが、被害妄想と誇大妄想の精神分裂病の二症状を炸裂させているのがはっきりわかる。

(備考) アウグスト・ストリンドベリ(1849〜1912年)の文學作品には、『父』『令嬢ジュリー』『死の舞踏会』などの戯曲や小説『痴人の告白』『チャンダラ』『ゴシックの朝』『黒い旗』など多数。


「私の著作『この人を見よ』は、世界を支配する者の言葉が語られています(=神である私の福音の書です)。この本はドイツを全滅に至らしめるほどの反ドイツ的です。・・・(ドイツがこの書を差し押さえることから)わが身を守るために、私は最初の数冊を、発行以前に、宣戦布告の書面を添えてビスマルク侯と幼帝に送ることでしょう。・・・私は人類の歴史を二分してしまうほども十分に強力なものですから(=私ニーチェを境に、人類は、「キリストを神とする過去の人類史」から「ニーチェを神とする未来の人類史」に転換される)」(1888年12月8日付け、注7)。

 余談だが、本稿を書くに当り、ニーチェのストリンドベリへの手紙を久しぶりに読み直した時、西尾幹二の『正論』連載「戦争史観の転換」をふと思い出した。杜撰と嘘八百と間違いだらけの、西尾幹二の荒唐無稽な“妄想”歴史評論「戦争史観の転換」の実態は、法螺話・つくり話のお粗末雑文に過ぎないものだが、西尾幹二が自らを“「神」級の世界的歴史家”だと自認する狂気がない限り書けないものでもある。すなわち、「戦争史観の転換」は、西尾幹二がニーチェ同様な誇大妄想の精神分裂病を発病している証拠だと鑑定できる。

 もっと正確に言えば、西尾幹二は、十歳の少年期より誇大妄想の精神分裂病を発症していたから、同類のニーチェの作品に共振し、その翻訳家になった。ニーチェがストリンドベリに親近感を懐いたように、精神分裂病は同病者同士が群れることもその顕著な症状の一つ。

保守主義思想と極左思想の対決は、医学的に正常な哲人と精神分裂病者の対決

 ニーチェに関して、日本は異常と非常識の国である。英国でも米国でも、ニーチェをまともな哲学者とはせず、または害虫思想家としてニーチェを排斥するのが一般的。この事実は、ハイエクが、ニーチェを批判の対象にすら値しないとすることで端的に明らか。

 たとえば、保守主義者チェスタトンは、ニーチェの精神分裂病とその作品を次のように評している。これが英米での常識。これとは逆に、極左思想しかない日本では、ニーチェをさも一流哲学者であるかに持て囃す。日本ではニーチェに関して、度の過ぎた非常識が罷り通っている。まず、チェスタトンのニーチェ精神分裂病については、次のごとし。


「ニーチェには生まれながらの嘲笑の才能があったらしい。哄笑することはできなくても、冷笑することはできたのだ。ニーチェは晩年 脳軟化症に憑りつかれた・・・孤立した傲慢な思考は白痴(=精神分裂病のこと)に終わる。柔らかい心を持とうとはせぬ者は、ついには柔らかい脳(=脳梅毒の症状)を持つことに到りつく」(注8、カッコ内中川)。

(備考) 精神分裂病は、昔は「早発性痴呆」が医学界の公式病名。チェスタトンの時代、現在では精神薄弱児などを指す語彙「白痴」には、「精神分裂病患者」の意味もあった。

 次は、チェスタトンのニーチェ思想批評。これが英米における、ごく普通のニーチェ評。


「ニーチェは、(怖れを知らぬアリストテレスやカルヴィンやマルクスとは対極的で)自分の主張の意味するところを比喩の衣をはぎ取った素裸の言葉で定着し直視することができない。いつでも物理的な比喩に頼って問題を避けて通る…この点では気楽な二流詩人と同じことである。…ニーチェは明確な観念を恐ろしくて用いることができず、代わりに『上の人間』『超えた人間』などという。軽業師が登山家から借りてきた物理的な比喩である。ニーチェの実際は極めて臆病な思想家」(注8)。

 英米系保守主義が断固として排斥・排撃するルソー/フランス革命/マルクス/レーニン/ヒトラーにおいて、このヒトラーと同類のニーチェが排斥・排撃されるのは自明だが、実態は、排斥排撃以前のレベルで、無視されるのが通常だった。

 広義の英米系保守主義とは、バークやハイエクをはじめとして、人間の設計主義的な理性を排徐して人間行為の自然的な積み重ねで形成発展してきた「自生的秩序」を政治経済社会の根幹に据えるイデオロギーである。が、英米系保守主義者の間では、マイナーだが、ある特性が共通している。「精神分裂病の思想家/哲学者を徹底排除する」のを無意識の暗黙指針としている特性のこと。

 確かに、バークやハミルトンなど保守主義者には、一人として医学的に分裂質/分裂病質の者がいない。一方、デカルト/ホッブス/ルソーに始まる、彼らを含めマルクス/レーニンなどの全体主義者の多くは分裂病罹患者。ニーチェやヒトラーなど廃墟主義アナーキストは全員がそうだ。保守主義者がなす極左思想家批判は、医学的正常者が精神分裂病の思想家を排撃する構図になっている。

 この事実は、バークの『フランス革命の省察』やハイエクの『自由の条件』『法と立法と自由』を読むだけで、一目瞭然に確認できる。本ブログの読者には、以上の医学的視点において、もう一度『フランス革命の省察』『法と立法と自由』を読んでみたらどうだろう。

第二節 ニーチェ「反・歴史/反・真理(真実)」宗教の狂信徒・西尾幹二

 ところで、日本では、ニーチェ翻訳家でドイツ語屋の西尾幹二について、「ニーチェの専門家」だとの先入観的な誤解が一般的である。西尾幹二の主著『ニーチェ』を読んでみるがいい。どこにもニーチェ哲学やその思想について語っていない。IQが度外れに低い“唯の売文専業評論家”西尾幹二が、哲学を論じることは、どだい無理な話。西尾の大著『ニーチェ』は、『評伝ニーチェ』と改題すべき“ニーチェ伝記”になり下がっている。

“歴史偽造の天才”フーコーも、“矮小な歴史偽造屋”西尾幹二も、ニーチェ教徒

 ニーチェ哲学について論文一つ書けない西尾幹二だが、ニーチェから絶大に影響を受けている。それ以上に西尾幹二は、ニーチェの狂気に深く共振している。「西尾幹二は、ニーチェ崇拝者だ」と見做してよかろう。そのニーチェ崇拝者ぶりは、嘘と歪曲と改竄ばかりの、西尾幹二のトンデモ歴史評論において顕著に表れている。

 ニーチェは“歴史をもたない人間”“真理・真実が一掃され不在となった国家社会”を夢想・妄想した狂人だったし、西尾幹二も同様で、『GHQ焚書図書開封』『戦争史観の転換』(『正論』連載中)ではニーチェ流に、意図的に歴史改竄を旨として執筆している。『国民の歴史』も、この範疇に入る。これらの作品群では、核心部分“歴史の真実”が欠如している。というより、それを剥奪・破壊している。

 歴史改竄を是認し奨励した哲学的思想家はルソーが嚆矢だが、歴史と真理・真実を徹底排撃したニーチェの作品群が、この歴史偽造や反・真実をドグマ化して、後世に決定的な影響を与えた。

 本ブログの読者もそろそろニーチェの言説引用には飽きてきた頃だろうから、具体的な引用はここでやめる。代わりに、「歴史と真理・真実を徹底排撃した」ニーチェ作品群──『善悪の彼岸』『道徳の系譜』『偶像の黄昏』『権力への意思』の四著──を是非とも読んでほしい。このニーチェ四著に刺激されて、歴史学における“歴史”とは真逆と言える、歴史の真実を排除するに効果覿面の猥雑な歴史事実ばかりを矢鱈目鱈に集めて、近代以降の科学的知と学問一般を、爆撃機から投下する大量の焼夷弾の猛爆撃で焼き尽くしたのがフーコー。

 フーコーの『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』『監獄の誕生』『性の歴史』は、歴史の真実の追求など、一切していない。むしろ、歴史の真実を遠ざけ隠蔽すべく、末梢的で信憑性ゼロの、史実とは言えない「歴史事実」を大量に蒐集して、核心をなす最重要な歴史真実を徹底的に排除し破壊する目的あらわに執筆したもの。“歴史を持たない人間”“真実を喪失した人間”“正常な知を剥奪された人間”(=非人間)に、人類を改造して、人類もろとも人類が構築してきた文明社会を消滅or廃滅するのが、人間死滅教/文明国家廃滅教の開祖ニーチェの嫡弟子フーコーが目指したものであった。フーコーの著作に代表される“新型の極左カルト宗教”思想を、一般に、「ポスト・モダン(反・近代)」思想という。

 ミシェル・フーコーに比すれば、歴史偽造においては同種の犯罪的著作を垂れ流す西尾幹二の作品の、何と哀れに矮小で貧弱すぎることか。ここでいう西尾作品とは、『GHQ焚書図書開封』『戦争史観の転換』『国民の歴史』のこと。ニーチェ哲学を自家薬籠中の物にしたIQ抜群の分裂病狂人フーコーと比較されては、感性でニーチェ思想に洗脳され共振するだけの“醜悪な猿レベルIQ”の分裂病狂人・西尾幹二だから、当然か。

 ところで今、歴史偽造における西尾幹二の精神分裂病を論じるに、紙幅が足りないことに気が付いた。恐縮だが本稿の方針を変更させて頂き、西尾幹二の最近の雑文を俎上に載せることにする。

脳から日本が消えたニーチェ的“無国家”西尾幹二は、地球放浪型?空中浮遊型?  

 そう思って探したら、近頃はめっきり寡作になった西尾幹二の雑文は、『月刊Hanada』に掲載された意味不明エセー「世界の《韓国化》とトランプの逆襲」(注9)と、『産経新聞』紙上の「世界に渦巻く《恨》の不気味さ」(注10)しかなかった。一読して、西尾幹二の脳内がいつの間にか干乾びて、ぼろぼろと崩れるスポンジになっていたのには、心底から驚愕した。 

(備考) 『産経新聞』紙上の短いエセーは、『月刊Hanada』論稿の要約版だから、ここでは敢えて論及しない。

 西尾の奇々怪々な詭言「世界は《韓国化》している」と聞いて、意味不明と感じたなら正常だが、「そうなのか」と思った者は、無学・無知・無慮ぶりにおける朝鮮人化していると猛省されたい。「ルサンチマン(怨恨)」は、18世紀後半以降に世界に広く拡散・蔓延した(ルソー/フランス革命発祥の)“新奇な創造イデオロギー”の土台となった「感情」のこととするのが思想史である。「朝鮮文化から伝播した」など、摩り替えのこじつけ。

 なぜなら、「ルサンチマン 怨恨」と「ジェラシー 嫉妬」は、ルソー『人間不平等起源論』とそれに基づくフランス革命が、それまで人類は“道徳に悖る”としてきた、そんな恥ずべき非道徳の感情を暴発しても「人間の権利」だと正当化し解放し、さらに、ナポレオンの欧州制覇戦争を通じて世界に伝播した。朝鮮文化から伝播したのではない。また、これら卑しい非道徳感情の、道徳律では否定されることからの解放は、十八世紀後半に起きたから、従軍慰安婦問題が日韓の棘となった「1992年以降」より二百年以上も昔のもの。

 要は、時間の経過や地理空間が認識できない精神分裂病が重い西尾幹二には、「1755〜1815年」が「1992〜2016年」となる。「フランス→ヨーロッパ→世界」が「韓国→世界」に置き換わる。

 序に、ルソー/フランス革命で「人間の権利」となった「王侯貴族に対する庶民のルサンチマン」を、マルクスは「ブルジョアジーに対するプロレタリアートのルサンチマン」に改変した。このマルクス主義の爆発的蔓延で、二十世紀の地球は労働運動や共産革命が席巻する血塗られたものとなった。

 河上肇の弟子で教条的コミュニスト近衛文麿がおっぱじめた大東亜戦争とは、マルクス主義を吸引した日本が、「持てる富裕の英米に対する、持たざる貧しき日本のルサンチマン」の暴発行動であった。西尾幹二とは、このアジア共産革命を目指した大東亜戦争の狂信的な崇拝者だから、対英米ルサンチマンを体現することに人生を賭けた“ルサンチマンのお化け”の何者でもない。

 そればかりか、“醜悪な猿め!”と、二年間の青年期ドイツ滞在中に罵られた復讐なのか、西尾幹二は強度な“白人へのルサンチマン”に生きる人種差別主義者である。“21世紀初頭日本におけるルサンチマン暴発常習の巨頭”西尾幹二が、ルサンチマンを批判するとは笑止も甚だしい。

 体全部がルサンチマンで出来上がっている西尾幹二のルサンチマン批判は、重症の麻薬中毒患者の麻薬批判のようなものだし、他者と自己の間に境界がなく自己が他者に憑りついて同一化する精神分裂病者特有の思考でもある。なお、ルサンチマン狂の西尾幹二が、朝日新聞を指して「ルサンチマンの塊」(60頁)とは、「眼糞、鼻糞を嗤う」の類で、呆れて物が言えない。

対英米ルサンチマンが日本の対外政策であるべきと、歴史を改竄しまくる西尾幹二

 上記の西尾幹二の雑誌論稿は、「ルサンチマン」をキーワードにして、韓国批判と米国批判とドイツ国批判をしている。だが、異様なことに、どこにも日本国への言及が一文字もない。日本擁護のリットン調査団を逆さに罵倒し“日英同盟の代替”国際連盟から脱退した1932〜33年以降、「ルサンチマン」で反英・反米闘争にのみ明け暮れた過去八十五年間にも及ぶ、日本人の対英米ルサンチマンを批判しないどころか言及すらしないのは、西尾幹二に、日本国が存在しないからである。

 西尾幹二の視点も思考も、日本国から浮遊して地球を放浪している。国籍がなかったニーチェの思考ではドイツ国が不在だったし、本人も自認しているように、ニーチェは過激な「反ドイツ」で自国憎悪主義が渦巻いていた。ニーチェは、生まれた祖国をヘイトする、地球放浪/空中遊泳型のアナーキストだった。西尾幹二もまた、ニーチェの忠実な信徒だから、日本をヘイトし、日本国がその脳裏に存在しないのである。  

 西尾幹二は、1960年の日本の安保騒動を思い出させてくれた、韓国の朴槿恵大統領を弾劾するソウルのデモを、次の様に「紅蓮の炎に包んだ」などと大仰しく酷評する。だが、首相の岸信介を退陣に追い込んだ1960年の日本のデモと比較をすれば、韓国の今般の2016年末デモは「大規模」とは程遠い。おとなしく可愛い感じが濃い「小〜中規模」デモだった。蝋燭の灯はあったが、紅蓮の炎などどこにもなかった。   


「朴槿恵を巡る国家と国民を紅蓮の炎に包んだ、2016年末の凄まじい政変は、この国の国民ひとりびとりがルサンチマンの虜になり、しかも韓国と言う国家も、国際世界の中でルサンチマンの自家中毒的情念を持て余し、それに振り回されている半近代国家である」

「自分の力で独立国家をかち得ていない韓国」(60〜1頁、ゴチックは誇大表現以上の事実捏造)。

 そもそも、朴大統領の金銭不正や国政情報の民間人への漏洩は、法治国家なら退陣が責任の取り方としては正しい。盗聴のウォーターゲート事件でニクソン米国大統領は辞任した。退陣しないから、それ相当のデモが起きただけ。法治主義の退陣要求が、どうして「ルサンチマン」なのか。「ルサンチマン」とは全く無関係な話。

 学問的知見が貧困と言うより限りなくゼロである西尾幹二は、朝鮮民族文化の「恨」を呉善花から聞き、翻訳で覚えたニーチェのキーワードの一つ「ルサンチマン」に短絡的に結び付け、さも何か高邁な学的化粧をした積りでいる。従軍慰安婦「少女像」問題には「ルサンチマン」が関係しているが、朴大統領退陣要求デモは、法的正義や政治家の道義的責任問題の追及が基幹になっており、「ルサンチマン」のふわふわ概念で論じてはならない。

朝鮮人以下に劣化した日本人、韓国以下の無能国家に成り下がった日本

 それ以上に西尾幹二には、病的な思考の空洞化(脳内スポンジ化)が進んでいる。自国である日本の外交能力が韓国の百分の一以下の小学生レベルとなった由々しい問題について、僅かにも脳裏をかすめないからだ。西尾幹二の分裂病と不可分の自国不在病は重篤になってきている。

 退陣を迫られる最低大統領・朴槿恵に比してすら、無能を極める日本国の首相・安倍晋三は外交交渉で全く歯が立たず完敗したほど、日本は“世界最低の国家”というより、ニーチェの言葉を借用すれば、“国家もどきの烏合の畜群”になっている。なのに、“無国籍人”だからだろう、西尾の思考には、自国のこの深刻な問題が全く存在しない。

 2015年12月28日、岸田文雄・外務大臣を通じ、安倍晋三が朴大統領に同意した「従軍慰安婦問題」の最終合意談話は、河野洋平・官房長官談話(1993年夏)をそのまま踏襲する、「反日」もここまでひどいものは滅多にない、真赤な嘘歴史(偽造歴史)を世界広くに頒布宣伝するものだった。しかも、A嘘歴史に加え、さらに韓国に、B無実の日本国に賠償させる冤罪捏造および、C現実遊離の妄想というボーナスまで差し出していた(注11)。

 “スーパーお馬鹿”の安倍晋三は、逆効果いちじるしい、韓国に少女像を世界中に建立してよい口実を与える、屈辱的な対韓全面降伏の“嘘歴史+10億円”を提供した。安倍晋三はIQが欠如するから、そうすれば「韓国のヒステリックな日本非難が消え、大使館前の少女像が撤去され、自分の政治家としての名声が残る」と考えたのである。これほど安倍晋三の知的能力は低く、「小学校三年レベル」が実態である。

 だが日本では、従軍慰安婦「嘘歴史」問題で逆走外交を行い日本国の名誉を永遠に毀損した安倍晋三に対する退陣要求のデモは起きていない。朴槿恵に対して退陣要求デモが起きる法治主義が活発な韓国と、安倍晋三に対して退陣要求運動すら起きない、法治主義も正義も逼塞した日本と、何れが健全な国家と言えるのか。

 日本人の質的劣化はひどく、朝鮮人より人材がはるかに劣等化し、世界に冠たる馬鹿民族に成り下がった。当然、そのような民族からなる日本国が、韓国以下の劣等国家になるのは必然。外交で、日本は韓国にすら太刀打ちできないのは、当然なこと。そんな日本だから、吉本興業の滑舌芸人レベルの“スーパーお馬鹿”が、四年以上も総理の座に居続けられる。日本人の頭がアヒルや豚並みの畜群になったから、安倍晋三の“スーパーお馬鹿”が気にならないし気付かない。  

 西尾幹二は、「自分の力で独立国家をかち得ていない韓国」(60〜1頁)と述べ、韓国に対し、もう一つの中傷誹謗をなしている。国防に関し米国に大きく依存する実態では、韓国より日本の方がはるかに度外れにひどい。韓国の対北朝鮮の軍事力と、日本の対ロシアの軍事力とを比較すれば、この事実は一目瞭然。西尾幹二は、他国や他人に罵詈讒謗を加えることの常習性で、ニーチェの生まれ代わり。自国不在や「自国がどうなろうと俺の知った事か」の、自国をヘイトする感情においても、西尾幹二はニーチェのクローンに他ならない。

西尾幹二を刑法・名誉棄損罪で懲役三年に処す法治主義を捨てた“腐敗国家”日本

 稿「“不敬の罪人”西尾幹二と加地伸行は《正論》メンバー」でも指摘したが、ニーチェ系アナーキスト西尾幹二は、クロポトキン系アナーキスト幸徳秋水と同じ天皇制廃止主義者で、北朝鮮人アナーキスト花田紀凱とともに現代日本の急先鋒の一人。彼の著書『皇太子さまへのご忠言』は、その他のエセーを含め、刑法の名誉毀損罪を犯したことは明らか。しかし安倍晋三を始め、日本の首相は西尾幹二を刑事告訴しない。日本は、法治主義の放棄において、韓国にも劣る低級国家である。韓国は、朴槿恵大統領の金権腐敗を、法律に従い粛々と裁いているからだ。

 また、不敬の狂書『皇太子さまへのご忠言』を放置する安倍晋三を糾弾する声がない現実もまた、日本国が国家として末期症状を呈していることの証左だろう。

北朝鮮人が編集長の、“日本憎悪”を日の丸で包み隠す北朝鮮系『月刊Hanada』

 日本人の質は、1972年に田中角栄が首相になった頃から、一気に劣化し始めた。この劣化はそれ以降、留まるところを知らない。日本人劣化は、極左支配のマスメディアと教育界の洗脳による制度悪化の成果だが、誤解しないでほしいことがある。前者の「極左支配のマスメディア」に、朝日新聞やNHK/TBSとともに、産経新聞や『月刊Hanada』が含まれているのであって、朝日新聞やNHK/TBSと対決的に存在する反・左翼の保守系メディア媒体などと誤解すべきではない。

 産経新聞や『月刊Hanada』は、共産党やコミュニストが編集に少ないことで、朝日新聞やNHKなどと多少の色違いをみせる。だが、つぶさに精査すると、後者の「真赤」に比して前者は「赤黒 アナボル」であるだけで、差異はほとんど存在しない。後者は日の丸を嫌悪するが、前者は日の丸を擬装に悪用する。だが、双方とも日の丸を冒涜することで一致している。

 前者は日本の国防力の強化や実体経済の発展の政策については決して報道しないよう/語らないよう自己検閲して、日本国の存続を憎悪し衰退させようとする。結果から見れば、国防反対を声高に叫ぶ後者と全く同一となる。

 なぜこうなるのか。理由は簡単。産経新聞も『月刊Hanada』も、その編集は、北朝鮮人が中核を成しているからだ。例えば、『月刊Hanada』は、表1から明白なように、北朝鮮人アナーキストが編集の全権を握っている。

表1;アナーキストの三類型(血統が北朝鮮人はゴチック)

備考;ヘルダーリン/ニーチェ/ヒトラー系を「プレ・ポストモダン・アナ―キスト」に、1968年以降のフーコー/ドゥルーズ/デリダ/リオタール/ボードリアール/ラカン系を「ポストモダン・アナーキスト」に分類する場合がある。 なお、「在日」北朝鮮人のほとんどは、アナーキストではなく、北朝鮮労働党(共産党)に所属するコミュニスト。その一部を注12に掲載。

 話を戻せば、産経新聞が民族系論客を活用・利用するのは、彼らを表向きラベルにしておけば、実際には『週刊金曜日』や朝鮮総連と通じ合っている、本当の産経新聞の正体がバレにくくなるからだ。産経新聞が民族系論客を擬装用の上着に活用しても決して保守主義者を利用しない理由は、二つ。

 第一は、保守主義者は、志操堅固な上に圧倒的に教養が高く、イデオロギー擬装を直ちに見破るからである。第二は、保守主義者は祖国日本の真正の愛国者だから、決して“「在日」北朝鮮人の走狗”にはならないからである。具体的な事例でいえば西尾幹二のように、北朝鮮人アナーキスト花田紀凱に媚びへつらう“準・北朝鮮人”になるようなことを、保守主義者は断固として拒絶するからである。 紙幅が限界。この問題、別の機会にじっくり論及することにしたい。  

(2017年1月25日記)

1、中川八洋『福田和也と魔の思想』、清流出版。

2、ポスト・モダン思想がニーチェを主源流とすることについては多くの論文がある。差し当たり、フーコー著「ニーチェ、フロイト、マルクス」「ニーチェ、系譜学、歴史」『第二次エピステーメー創刊0号』(朝日出版社、1984年)、ドゥルーズ『ニーチェと哲学』(河出文庫)などを読んでみるとよい。  

3、『ニーチェ書簡集U』(ニーチェ全集 別巻2)、ちくま学芸文庫、282〜3頁。

4、『悦ばしき知識』(ニーチェ全集8)、ちくま学芸文庫、219〜221頁。  

5、ニーチェ『この人を見よ』、岩波文庫、11頁。  

6、宮城音弥『天才』、岩波新書、135〜8頁、146〜52頁。

7、上掲『ニーチェ書簡集U』、249〜50頁。  

8、『G.K.チェスタトン著作集』第一巻、春秋社、66頁、188頁。  

9、『月刊Hanada』2017年2月号(2016年11月26日発売)。引用頁は、本文に記載。

10、『産経新聞』2016年12月19日付け。  

11、 A嘘歴史;「慰安婦問題は当時の軍の関与の下に、多数の(コリアン)女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」、

B無実の日本国に賠償させる冤罪捏造;「かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」「安倍内閣総理大臣は、慰安婦として幾多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負わされたすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを表明する」、

C現実遊離の妄想;「今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」。

http://nakagawayatsuhiro.com/?p=813
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/648.html

[近代史4] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/649.html
[近代史4] 慰安婦問題の討論・秦郁彦vs吉見義明、秦郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう

慰安婦問題の討論・秦郁彦vs吉見義明、秦郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう
https://dj19.hatenadiary.org/entry/20130703/p1

秦郁彦 VS 吉見義明
https://www.nicovideo.jp/watch/sm24444064

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

従軍慰安婦は売春婦として認可されない 13才、14才から働き始めているので売春婦では有り得ない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/137.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/650.html

[近代史4] チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html

従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html

自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

従軍慰安婦は売春婦として認可されない 13才、14才から働き始めているので売春婦では有り得ない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/137.html

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

朝鮮や中国からの徴用工が日本の職場でバタバタと死んでいった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/134.html

「朝鮮は植民地ではなかった」は悪質な嘘
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/614.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/651.html

[近代史4] チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口 中川隆
1. 中川隆[-13307] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:54:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1597]

徴用工問題で日本の元外務官僚が「韓国に100%の理、日本に100%の非」「日韓対立は安倍政権に全責任」と断言する理由
https://lite-ra.com/2019/12/post-5127.html


2019.12.05 横田 一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」65 徴用工問題で日本の元外務官僚が「韓国に100%の理、日本に100%の非」 リテラ
    

 安倍首相が15日からのインド・中国歴訪で、約1年3カ月ぶりに日韓首脳会談を行う方向で調整していることが明らかになった。今度こそ、トップ同士がきちんと話し合いをして、関係を改善してもらいたいが、しかし、和解を求める韓国とは対照的に、安倍首相が「徴用工判決」問題を棚上げして、輸出規制を解除する公算は極めて低いと言わざるを得ない。

 韓国がGSOMIA破棄を中止にした際も、日本は米国の圧力で話し合いのテーブルにはついたものの、結局、安倍首相が「一切の妥協はしない」という姿勢を変えず、表向き「韓国側がWTOへの提訴中止し、日本側が担当省庁局長級対話の再開に応じる」という合意だけで終わった。

 この背景には、先の戦争を正当化することを何よりも優先する安倍首相の強固な歴史修正主義がある。安倍首相はもともと「徴用工」を戦争犯罪とは捉えておらず、だからこそ「徴用工問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みであり、韓国最高裁判決は国際法違反」という主張を繰り返しているのだ。

 しかも、問題なの日本のメディアや世論がこの安倍首相の姿勢を追従していることだ。安倍政権が対韓強硬外交に踏み切って以降、日本製品の不買運動拡大や訪日韓国人観光客激減で経済的損失を招く事態に陥っている。

 普通なら「国益毀損の経済音痴」「国賊紛いのダメ首相」といった批判が噴出しても不思議ではないが、まったくそんな声は聞こえてこない。「国際法違反状態の韓国に毅然とした姿勢を貫く安倍政権」という官邸発信のフェイクニュース(大本営発表)を大メディアが受け売り、大半の国民が鵜呑みにする状態が罷り通っている。

 しかし、そんな情報統制状態の中、「韓国には100%の理があり、日本には100%の非がある」「日韓関係悪化の全責任は安倍政権にある」と批判をしている元外務官僚がいる。外務省条約局国際協定課長、アジア局中国課長、イギリス国際戦略研究所研究員などを歴任した浅井基文氏だ。

 浅井氏は「日韓関係を破壊する安倍政権」と銘打った9月10日の緊急講演会(主催は重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京、村山談話を継承し発展させる会)で、いまだにテレビや大新聞がほとんど報じない「国際人権規約」(日本は1979年に批准)の存在を紹介、安倍首相の詐欺的手口をこう暴露した。

「(韓国を国際法違反状態と見なす)安倍政権の最大の論拠は『過去の個人の請求権、過去の朝鮮の人たちの日本に対する請求権は1965年の日韓請求権交渉で全て解決済み』というところにある。その主張が正しいのかどうかをまずはっきり踏まえないといけない。

 私も外務省で25年間飯を食ったこともあり、アジア局や条約局勤務が合計で9年間あったので、『過去の請求権問題は1965年の請求権協定で全て解決済』としてきた日本政府の主張は理解している。

 しかし国際人権法が確立することによって崩れたことを申し上げたい。もっと具体的に国際人権規約Bがあります。ここに加盟(署名)したのが1978年なのだが、私は1978年に条約局の国際協定課長という立場で、国際人権規約の国会承認を事務方の先頭に立っていたものだから、非常に愛着もあるが、今回の日韓問題を議論する時に誰もこの国際人権規約のことを言わない。これが私は非常におかしいと思う。国際人権規約は条約であり、憲法上も『条約は国内法に優先する』というふうになっている」

■日韓請求権協定から14年後の国際人権規約批准で「解決済み」の結論は崩れている
    
    講演する浅井基文氏(撮影・横田 一)

 その詐欺的手口を見破るカギは、安倍首相が戸黄門の印籠のように突きつける「1965年の日韓請求権協定」締結から14年後の1979年、国際人権規約が国会承認(批准)された歴史的事実に注目することだ。安倍首相は1978年以前なら通用したカビの生えた主張を、国際人権規約批准で崩れ去ったのにもかかわらず、正論であるかのように訴えて続けているということだ。

 このことを浅井氏はレジュメを使って説明していった。まず国際人権B規約の第2条3項には「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」を義務づけるとあると指摘、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者」の「権利」や「自由」こそ、徴用工や従軍慰安婦に該当するとも指摘した。

 たしかに第7条には「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と書いてあり、また第8条には「何人も、奴隷の状態に置かれない。あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、禁止する」(1項)、「何人も、隷属状態に置かれない」(2項)、「何人も、強制労働に服することを要求されない」(3項a)とあり、従軍慰安婦や徴用工に当たることが分かる。浅井氏はこう結論づけた。

「元従軍慰安婦の方々、徴用工の方々は日本国によって『効果的な救済措置』を講じるように要求する権利があることが明確にいえるのです」「まさに国際人権規約をはじめとする国際人権法ができてから、各国は過去の国が行った行為について謝罪し、補償をするということが行われるようになった。そういうことを考えると、やはり日本も従軍慰安婦や徴用工の皆さんに対して謝罪し、補償しなければいけないということが当然のこととして言えるのです」

 しかも外務省は、1991年8月27日の参議院予算委員会で「個人の請求権自体は消滅することはない」と答弁していた。その内容は、国が放棄したのは「国家の外交保護権」であり、「国と国との間でやりとりをする権利については放棄した」ということであって、「個人の請求権自体はそういう協定によっても消滅することはない」と結論づけるものだった。浅井氏は当時を「私が外務省にいた頃は(個人請求権が消滅しないことは)外務省の中で議論されてもいないことだった」と振り返った上で、今回の元徴用工裁判における韓国大法院(最高裁判所)判決を次のように全面的に支持した。

「それ(韓国大法院判決)は1991年の外務省の国会答弁から言っても、非常に正しいこと、抗弁できないことであって、認めなければいけないとことなのです」
 続いて浅井氏は、安倍政権(首相)が1991年の政府(外務省)答弁がまるでなかったかのように振る舞うことのおかしさも指摘した。

「非常におかしいことは、1991年に政府答弁をしているにもかかわらず、今回の問題が起きてからは、安倍政権はすっかりとだんまりを決め込んでいることが私は最も不誠実であり、許されないことだと思う。この点をしっかりと認識をすれば、韓国大法院の決定に対して日本政府が『1965年の日韓請求権協定で解決済だからおかしい』というのが、そもそもおかしいことになる」「国際人権規約の関連条項が、(それ以前の)『国が個人に代わって請求権を放棄できる』という伝統的な考え方をひっくり返したことが大きなポイントなのです。それなのに国際人権規約がどこかに行ってしまった。みんな『人権が大事だ』と言いながら国際人権規約があること自体をすっかり忘れていることは非常に遺憾なことだと思う」

 そして浅井氏は安倍政権の対韓強硬外交をこう一刀両断にした。

「韓国に対して居丈高に振る舞うことはいかなる理由でも許されない。『韓国には100%の理があり、日本には100%の非がある』ということを申し上げておきたい」

■外務省OBが語った、安倍首相の暴走を外務省が止められない理由

 講演後の質疑応答では、「国際人権規約の紹介は非常に重要な指摘だ」と切り出した報道関係者から、こうした対韓強行外交をめぐる外務省の対応について、以下のような質問があった。

「浅井さんは外務省のOBでいらっしゃいますよね? 同じ(外務省)条約局とか、このことについて職務として関わった公務員がいるはずですよね? 一番先にそういうことを言わないといけない人間(外務官僚)が沈黙している状況は、どうお考えになっているのか? つまり浅井さんたちの考えが後輩たちに引継がれなかったのか? 今の外務省の役人たちがなぜ政権の為政者たちに対して諌めたり、『こういうことだ』と(言わないのか)。知識もあるはずなのになぜできないのかと思うか?」
 この質問に対して、浅井氏は二つの要因をあげた。

「一つは、私が外務省にいた頃までの条約局長は今の天皇の奥さん(雅子妃)のお父さん、小和田(恆・ひさし・外務事務次官)さんまでは、いわゆる戦前世代なのです。戦争体験をはっきり意識した人たちだが、それ以降の『ポスト小和田』で非常に変わった。小和田さんまでの条約局と、それ以降ではガラッと質的に転換したことが事実としてあると思う。

 もう一つが外務省だけではなくて中央官庁すべてに共通することだが、要するに民主党政権の時に高級官僚の人事権を官邸に集中することをやった。それが見事に安倍政権によって利用されている。要するに高級官僚で『俺は出世したい』『上に立って仕事をしてみたい』という人は官邸の顔色をうかがわざるを得ない。官邸に楯突いた人は見事に外されている」

 続いて、浅井氏はメデイアの“大本営化”も、国際人権規約の存在を無視する安倍首相の世論操作(情報統制)を許す要因としてあげた。

「今、情報入手源は多様化している。しかし結局はマスメディアがこぞって政府の情報を垂れ流せば、ネット情報で逆のことを言う人がいるかも知れないが、やはりコンセンサスとしてはマスメディアが流す情報に集約されていく。これらも大きな問題だ」

 たしかに「アナクロニズム(時代遅れ)の歴史修正主義者」と呼ぶのがぴったりの安倍首相が「国益毀損の対韓強硬外交」「反日」などと批判されないのは、マスメデイアが安倍政権にとって不都合な真実である「国際人権規約」を過去の外務省答弁と共に報道しないからだ。

 これ以上、日韓関係の悪化や経済停滞を長引かせてはならない。日韓首脳会談を前に、マスコミは自らの報道姿勢を見直す必要があるのではないか。
(横田 一)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/651.html#c1

[近代史4] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
1. 中川隆[-13306] koaQ7Jey 2020年3月25日 20:14:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1598]

【永久保存版】南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言
https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k&bpctr=1583040171







〔虐殺否定の書き込みの前に、まずこちらの解説文に目をお通し下さい。誤解の大半が解けると思います。解説を読まずに否定論デマを書かれた場合、荒しとして対応します〕

【右派も左派も必見の動画】

南京大虐殺に関する動画は、戦後中国政府が作ったプロパガンダ映像が混じっていることが多いが、これは「1938年」(虐殺直後)に公開された当時のもの。

日本と同盟していたドイツ高官が「総統閣下にも見て欲しい」と公式に送った第一級の資料映像。

しかも生存者の証言が細部まで一致している。女性や子どもも無差別に殺害しており、便衣兵云々の言い訳は通用しない。

また「日本軍がやった」と外国人医師を含め誰もが詳細に語っており、「国民党軍の成りすまし」論がどれほど被害者を馬鹿にしたものか分かる。

番組前半の映像はショッキングだが、それ以上に番組後半の、家族を失った証言者の話「今は日本人と友だちになりたいと思っている」が心に残る。この言葉に対して謙虚でありたい。

※MBSナウ・スペシャル『フィルムは見ていた 検証・南京大虐殺』より(1991年10月放送)※ギャラクシー賞・選奨を受賞

★他の第一級資料動画

●CGで再現した南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8

●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●当時の一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』(2015) http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) http://urx3.nu/ouPU (7分)

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南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、­すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよと­いう厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分­(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した­捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくあ­る質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→­ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・便衣兵(ゲリラ)だから処刑していい。→略式でも裁判は必要だし、そもそも南京城内に便衣兵はいなかった(後述)。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京­戦に投入された部隊(歩兵第66連隊等)は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江­の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「な­かった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であ­り説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録­されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

・捕虜の暴動が起きたので仕方なく殺した→この話は戦後に現場指揮官の1人が戦犯指定を逃れるためにでっち上げたものと2018年に判明。暴動説はデマが確定。

〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処­理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生­し幕府山事件が起きた)。本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判­決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰­の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用­しない。

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〔補足・通州事件〕
拡散希望【通州事件…ネット右翼が知らない3つの事実】

(1)通州事件は、日本人104名と朝鮮人108名、計212人が殺害された。朝鮮人の死者の方が多いが、当時の朝鮮は日韓併合下にあったため「邦人200人以上」としている。

(2)通州事件は日本軍の誤爆事件が先にあった。襲ってきた中国人部隊は元々親日派で、日本軍が育てた子飼いの部隊。誤爆事件で飼い犬に手を咬まれた。

(3)日本軍は通州からヘロインなど大量の麻薬を大陸に流していた(毒化政策)。その悪行が中国人から反発を買った。

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〔補足2・便衣兵のせいというデマ〕

第一次上海戦では便衣兵(ゲリラ)の攻撃を受けたが、第二次上海戦では便衣兵からの攻撃はないに等しかった。特に南京城内では報告皆無。南京戦では「国際法を違反した便衣兵」は存在せず、虐殺を正当化する理由にはならない。仮に便衣兵がいたとして、日本が他国を武装して占領するから装備に劣る相手側が「祖国を守るため」にゲリラ戦を選んだのであり、加害者がそれを虐殺の理由にするのは酷い話。侵略していなければそもそも便衣兵になる必要もなかった(ここは非常に重要な部分)。

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〔補足3・人口のデマ〕
否定派は「南京の人口が占領前に30万人で占領後40万人増えているのがいい証拠」という。これは簡単に説明できる。南京一帯で戦闘が行われているわけで、南京市の国際安全区になだれ込んでいる。

参考までに以下のやり取りも紹介。

KAZUYA氏「人口20万人の南京で、30万人殺したという。ファンタジー的だ」

記者「20万人というのは南京市の特定地域(国際安全区)の人口の推計で、市全体のものではない」

KAZUYA氏「知っています。耳を引くためにオーバーな言い方をしています」

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〔補足4・犠牲者30万人に根拠はあるか〕

1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は市内の常住人口について統計資料を保存している。1935年に100万人の大台を突破し、虐殺9カ月前の1937年3月の調査では101万9667人で、戸数は20万810戸(南京の首都警察庁調べ)。この3月時点の100万人は、虐殺肯定派、否定派とも見解が一致している。その後、日本軍の連日の空襲で人口が減り始め、11月20日に国民政府が重慶への首都遷都を宣布、さらに日本軍の接近が伝えられたことで住民が激減、11月23日に南京市政府(馬超俊市長)は「現時点で人口は約50万」「ただし今後20万人の周辺難民の流入を予測」と国民政府軍事委員会に報告している。実際、膨大な数の農民が難民となって城内に避難した。南京守備部隊、常住人口、流動人口の合計が約60万人、そして虐殺後の人口が30万人強であることから、中国側が主張する犠牲者30万人は、「最大値としては」あり得る数字だ。

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〔補足5・消えた遺体について〕

南京守備隊(5万人以上)の処刑は揚子江の河岸で行われ、遺体は大河に流されたことが日本軍の記録で明らかになっている。いったい何万人が揚子江に投げ込まれたのか不明ではあるが、墓がない大きな理由のひとつ。次が重要な点。日本側が考える南京事件は、期間が「1937年12月13日の南京陥落から17日の入城式まで」、場所は「南京城内で行われた掃討戦」としているケースが多いのに対し、中国側は期間が「南京戦から3カ月」、場所は「南京周辺の農村を含んだ広大な地域」であり、この時点で両者が主張する数字が合致するはずがない。中国が嘘をついているのではなく、単に期間と場所が異なるだけ。それゆえ、一般市民の墓は点在しており、ここを掘れば数万人の遺体があるといった場所がない。ちなみに埋葬隊記録では155,000体。これは焼き棄てられた死体や、揚子江に投げこまれた死体を計算に「入れていない」。

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〔補足6・パール判事について〕

「パール判事が日本の戦争行為に理解を示した」というのは保守派のデマ。パール判事は日本軍の残虐行為に激怒している。東京裁判は、新しく作った法律で過去の行為を処罰できないという法学者の信念から「無罪」としたのであって、「日本は悪くない」とは言ってない。南京大虐殺では「宣伝と誇張を出来る限り考慮しても、なお残虐行為は日本軍が占領したある地域の一般民衆、また、戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」と虐殺を認め断罪している。パール判事の息子は、東條英機の伝記映画『プライド』が東條を美化するため自分の父を利用していると憤慨し、田中正明(勝手に松井石根大将の文章を改変し、日本に「南京事件はなかった」と嘘をまき散らした張本人)に抗議している。

パール判事の激しい批判:

・張作霖爆殺事件は「無謀でまた卑劣である」「殺人と言う卑怯な行為」
・満州事変を「非難すべきもの」
・満州国建設を「手の込んだ政治的狂言」
・南京虐殺やフィリピンでの虐殺を事実と認定し「鬼畜行為」と批判。南京大虐殺について20箇所以上の残虐行為を指摘したうえで「鬼畜の性格を持っている」と断じ、戦争指導者は無罪であっても、殺人・強姦など通例の戦争犯罪の実行者に対する処罰は(新法で後から処罰することですら)「正当である」と述べている。

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この問題を語るとき、もう少し相手の立場になって考えてみませんか。終戦時に中国にいた日本軍は105万5700人です。そして日本軍には補給がまともになく、基本は現地調達です。農村から命綱の牛馬鶏を奪い、穀物を奪いながらの行軍、占領です。そして少なくない部隊で強姦が起きています。抵抗すれば殺害。
この歴然たる事実を正面から見つめ、どうかネットにデマを広めないよう、同じ日本人として心からお願いします。


★その他、南京大虐殺否定派の疑問は以下の3つのリンク先で100%解決されると思います。

「南京事件FAQ」 https://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/
「南京事件資料集」 http://kk-nanking.main.jp/index.html
「南京事件ー日中戦争 小さな資料集」http://yu77799.g1.xrea.com/

「人口20万の都市で30万は殺せない」デマにはくれぐれも注意を。20万人は南京特別市の一部である南京城の中のさらに一部である安全区の人口に過ぎず、犠牲者30万人が発生したという地域は南京城の外、南京特別市の広い範囲を対象にしたもの。混同厳禁です。

https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k&bpctr=1583040171

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/649.html#c1
[近代史4] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
2. 中川隆[-13305] koaQ7Jey 2020年3月25日 20:16:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1599]

日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=20HWTlXY-Wc






★関連:南京で婦女子など大虐殺 https://youtu.be/uyVeMusrS-k

★関連:CG再現南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8

南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよという厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくある質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・難民の中に逃げ込んだ兵士は便衣兵ゲリラであり公式の捕虜ではなく『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→そもそも、ハーグ条約に「便衣兵は捕虜資格がないため殺しても良い」という条項は存在しない。“捕虜”でないのなら単なる非武装の「民間人」の殺害であり、これも戦犯以前に殺人罪。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京戦に投入された歩兵第66連隊は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「なかった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であり説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

・米軍だって日本兵捕虜を殺害しており、どっちもどっち。→南京大虐殺と米軍による日本兵捕虜虐殺を並べるのは非論理的。中国人にとって無関係。また、米兵による捕虜殺害がある一方で、今日ガダルカナル、ペリリュー島、サイパン、テニアン、硫黄島などの激戦地で生き残った人たちが証言できるのは、捕虜として手厚く扱われたから。


〔まとめ〕
南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生し幕府山事件が起きた)。しかし、本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用しない。



〔他の第一級映像資料〕

●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008年) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』 http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●「南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言」 http://youtu.be/uyVeMusrS-k (32分)


https://www.youtube.com/watch?v=20HWTlXY-Wc

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/649.html#c2
[近代史4] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
3. 中川隆[-13304] koaQ7Jey 2020年3月25日 20:18:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1600]

南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm


▲△▽▼


南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/751.html

君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html

戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html

南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html

戦争犯罪の証拠になる公文書を米軍の占領前にすべて焼却させた元法相 奥野誠亮
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/413.html

超A級戦犯 昭和天皇の戦争責任 公開処刑
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg

天皇ギロチンは必要
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/224.html


▲△▽▼


アホに広田弘毅が、長州憲法(明治憲法)が元凶と言った意味を教えてやるよ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/278.html

日本の恥 _ 詐欺師 TORA を放置するな _ 南京大虐殺は昭和天皇が直直に命令して実行させた
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/519.html

百人斬り 『南京大虐殺のまぼろし』の嘘
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/518.html

「南京事件の真実を検証する会」の公開質問状に中国側は答えていない
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/607.html

事実無根の南京大虐殺(何事も楽しく、過ごしたい。)
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/517.html


▲△▽▼


731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html

愛国者篠塚良夫は14歳で731部隊入隊
http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/442.html

ニューギニアで旧日本兵が行った残虐
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/799.html
 
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/649.html#c3

[近代史4] 20世紀初めにはヴァイオリンも今とは比較にならない上品、甘美、哀切な音色で鳴っていた
20世紀初めにはヴァイオリンも今とは比較にならない上品、甘美、哀切な音色で鳴っていた



これが 20世紀初めのヴァイオリンの音


Capet Quartet - Beethoven : String Quartet No.15 op.132 - 1st & 2nd mvt (1928) 再復刻




Lucien Capet (1873 - 18 December 1928 )
recorded October 8 - 10, 1928
transferred from Jpn Columbia 78s /J-7562 / 3 (LX-543/4 -549/50)


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Klingler Quartet | Beethoven: Op.130, "Alla danza tedesca" (Historical Recording, 1912)



The Klingler Quartet plays the fourth movement, 'Alla danza tedesca' of Beethoven's Op.130. Never before published on YouTube.


Karl Klingler, 1st violin
Josef Rywkind, 2nd violin
Fridolin Klingler, viola
Arthur Williams, cello


Historical Recording: 1912


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BEETHOVEN String Quartet No.12 Op.127 | Klingler Quartet | 1935



Das Klingler-Quartett:
Karl Klingler, 1st violin
Richard Heber, 2nd violin
Fridolin Klingler, viola
Ernst Silberstein, cello
(rec: Berlin, 1935)



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Kreisler & Zimbalist - Bach : Concerto for 2 Violins (1915)





recorded 1/4, 1915
England HMV 78s / 2-07920(76028)
on HMV-163 gramophone


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Fritz Kreisler - Bach Son. #1 - Adagio



the Adagio from Bach's Violin Sonata No. 1 for Victor (HMV) in 1926.


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Fritz Kreisler - Mendelssohn : Violin Concerto e-moll Op.64 (1926) - 再復刻



Berlin State Opera Orch./ cond. by Leo Blech
transfer from Jpn Victor 78s - 8080 / 3
recorded 9-10 December 1926, Singakademie, Berlin


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BACH : Violin Concerto in A minor, BWV 1041 (rec1944)



Violin : Wolfgang Scheiderhahn
orch : Wiener Philharmoniker
cond : Hans Knappertsbusch


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J.S. Bach: St. Matthew Passion, BWV 244 - Part Two - No.39 Aria (Alto) : "Erbarme dich"



J.S. Bach: St. Matthew Passion, BWV 244 - Part Two - No.39 Aria (Alto) : "Erbarme dich"
Ilona Durigo
Royal Concertgebouw Orchestra
Willem Mengelberg

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/652.html

[近代史02] サルはなぜサルか 2 _ タイ人が微笑む理由 中川隆
19. 中川隆[-13303] koaQ7Jey 2020年3月26日 06:41:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1601]

タイでクーデターが起きた日、私は「タクシンが暗殺された」というデマを信じた
2020.03.26
https://blackasia.net/?p=17691

「タクシン首相は殺された」という情報がやってきた。私のまわりの女性たちはみんな「タクシンが殺された、死んだ」と言っていたし、彼女たちは確信を持って私にそう断言した。彼女たちも噂を聞いてそれを信じていたのだが、その噂を現場で聞かされたら「いや、死体が映し出されていないのだから、それはデマかもしれない」と考えられるだろうか。私はできなかった。(鈴木傾城)

2006年9月19日、タイではクーデターが発生した

2006年9月19日。私はタイの歓楽地「ナナ・プラザ・エンターテーメント」のオープン・バーで女たちと下らない冗談を言い合いながら時間を潰していた。雨が降ったりやんだりする天気で、やや蒸していた夜だった。

すると突然、バーのテレビが王宮広場に結集する戦車や兵士たちの姿を映し出し、アナウンサーがタイ語で何かを報じ始めた。タイの女性たち、そしてバーで働いていたタイ人たちがみんなテレビに釘付けになって蒼白な顔になった。

「何が起きてるの?」

私がそのように尋ねると、女性たちは「クーデターが起きた。クーデターが起きている。兵士がタクシン(首相)を殺しに行っている!」と叫んだ。そうしているうちに、今度はテレビ放映が唐突に打ち切られた。すべての番組がつながらなくなった。

そして、しばらくすると国王を称えるコマーシャルだけが延々と流れて、今この瞬間に何が起きているのかまったく分からなくなった。

この当時、タイのタクシン首相と国王派の軍は激しく対立しており、国民もタクシン派と国王派に分断されていたのだが、バーの女性たちはどちらかと言うと地方でばらまき政治を行っているタクシン首相を支持していたので、不安にまみれている女性も多かった。

そして、急にあちこちで人々がこのように言い始めた。

“Thaksin was dead.”(タクシンは死んだ)

タクシンは暗殺されたものだと、その日は思い込んでいた

後でそれがデマであることを私は知った。しかし、その渦中ではそれが真実なのかどうか分かるわけがなかった。

クーデターが起きてテレビが国王の美談のコマーシャルしか流さなくなり、タイ人がパニックになり、「タクシンが暗殺された」と言っている。私は、てっきりタクシンは暗殺されたものだと、その日はずっと思い込んでいた。

クーデターが起きたのは間違いない。だから、危機意識の強い一部の欧米人(ファラン)や観光客、そしてタイ人の女性たちが一斉に逃げ始めていった。

私はどうだったのか。この衝撃的な瞬間の中でも、私はぼんやりしていただけだった。目の前で銃撃戦が始まっているわけではないので、現実感がなかったのが正直なところだ。

女性たちは「私には関係ない」という人もいれば「戦争が起こるかもしれない」と言っていた人もいた。

タイでは軍が市民を大量殺戮した事件が過去にあったことから、もしかしたら市街戦のようなことが起こるかもと言って、指でピストルの形を作って「バンバン」と撃つ真似をする女性もいた。

クーデターはどうなっているのか。バンコクは戒厳令(マーシャル・ロー)が発令されるのか。市街戦は始まるのか。これから何が起こるのか……。私にはまったく分からなかった。

タクシンは外国に外遊していてバンコクにすらいなかったと知ったのは翌日のことだが、面白いことに私も一緒にいた女性も「タクシンが生きていた」というニュースの方がデマだと思ってしまった。

それほど最初の「タクシンが暗殺された」というデマは真に迫っていたのだった。そして私は思い知った。現場で「何か」が起きたとき、情報をファクトチェックする手段はないということを……。

つまり、混乱の最中ではデマが真実として受け止められるのだ。

日本人の私は、クーデターに危機意識が持てなかった

私たち日本人は「クーデターが起きた」と現場で見聞きしても、具体的に何が起こるのかというのは、あまり「リアル」に想像できない人の方が多いのではないだろうか。

なぜなら、日本国内では近年においてクーデターが起きた経験はないからだ。確かに二・二六事件などはあったが、もうすっかり歴史の話になっている。自衛隊が政権を転覆させるという想像を多くの日本人はリアリティとして持てない。

しかし国外では逆だ。

多くの国がクーデターで政権が転覆するような事件を経験している。たとえば、南米ではベネズエラでもチリでもボリビアでも次々とクーデターが起きている。

アフリカはさらにひどくて、スーダン・ニジェール・ジンバブエ・ガボン・スーダン等々、とにかくクーデターだらけだ。彼らにとってクーデターは、リアルに暴力を感じる出来事なのだ。

私が2006年9月19日のタイのクーデターの最中にバンコクにいながら、まったく現実感がなくて「身を守ろう」とも「逃げよう」とも思わなかったのは、私自身がクーデターという「事件」にそれほど危機意識が持てなかったからでもある。

しかし、一部の欧米人、そしてアラブ人、中国人は私とはまったく違った意識でタイのクーデターを捉えた。

雨の中、私が自分のホテルに戻ると、エントランスでは多くのアラブ人と中国人が泡を食って大きな旅行カバンを持って逃げ出そうとしている姿を見かけた。雨に打たれながら必死でタクシーを捕まえようとしている中国人の姿も覚えている。

彼らは必死だった。場合によってはクーデターによって市街戦が始まり、命の危険が発生するかもしれないと直感した彼らは一目散に逃げようとしていたのだ。

結果的にこのクーデターは「無血クーデター」として終わって、翌日もそんなに混乱はなかった。しかし、それは「たまたま」そうなっただけで、もしかしたら必死で空港に向かってタイから逃れようとした彼らの方が正しかったかもしれない。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

デマが広がっても、それを受け入れざるを得ないという教訓

私が今でもこのタイのクーデターを思い浮かべるのは、「現場にいたら正確な情報が把握できるわけではなく、デマが広がってもそれを受け入れざるを得ない」ことになるという教訓になったからだ。

タクシン首相(当時)と国王派が激しく対立しているという事実は私も知っていた。そして、クーデターが起きた映像は私はテレビで確かに見た。タイ人が「兵士がタクシンを攻撃(アタック)している」と叫んでいた。ここまではすべて事実だ。

そして、「タクシン首相は殺された」という情報が次にやってきた。私のまわりの女性たちはみんな「タクシンが殺された、死んだ」と言っていたし、彼女たちは確信を持って私にそう断言した。

彼女たちも噂を聞いてそれを信じていたのだが、その噂を現場で聞かされたら「いや、死体が映し出されていないのだから、それはデマかもしれない」と考えられるだろうか。私はできなかった。

「本当なのか?」と一抹の疑問はあったのだが、そもそも私の中では「今この瞬間にクーデターが起きた」ということ自体から現実離れした出来事だった。

だから「そうか、クーデターが起こったのか。そうか、タクシンが殺されたのか」と、すっとそのデマを受け入れた。クーデターという異常事態が起きたのであれば、タクシンが殺されるくらいのことが起きてもおかしくないと思ったのだ。

デマは渦中にいたら絶対に見抜けない。正しい情報と誤った情報が渾然一体となって押し寄せているので、どれが本当でどれが嘘なのか判別もできない。

なぜ、私はこんなことを今になって思い出しているのか。

今、全世界が新型コロナウイルスによって大きな混乱の最中(さなか)にある。これから実体経済の悪化もまた押し寄せてくる。そして思うのだ。私たちは、きっと「何らかのデマ」に巻き込まれる時がくるのだろうと……。

その時、私は再び何かのデマを信じてしまうに違いない。判断できないから。私だけではない。誰もがデマに巻き込まれるはずだ。

『王室と不敬罪 プミポン国王とタイの混迷(岩佐 淳士)』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4166611801/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4166611801&linkId=72d057cfb11d47982dba7b60193bfea2

https://blackasia.net/?p=17691
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/398.html#c19

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
138. 中川隆[-13302] koaQ7Jey 2020年3月26日 06:46:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1602]

20世紀初めにはヴァイオリンも今とは比較にならない上品、甘美、哀切な音色で鳴っていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/652.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c138
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
139. 中川隆[-13301] koaQ7Jey 2020年3月26日 06:47:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1603]
20世紀初めはこういう時代だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c139

[近代史4] デヴィ夫人は女性の鑑

デヴィ夫人は女性の鑑
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/545.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/653.html
[近代史4] 世界を変えた映画 『エマニエル夫人』


世界を変えた映画『エマニエル夫人』
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/249.html

フランシス・レイ 『続エマニエル夫人』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/538.html



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/655.html

[近代史4] 世界を変えた映画 『エマニエル夫人』 中川隆
1. 中川隆[-13300] koaQ7Jey 2020年3月26日 07:24:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1604]



Emmanuelle(エマニエル夫人)− Pierre Bachelet




Emmanuelle − Pierre Bachelet
http://www.xvideos.com/video20154645/emanuela_1974


Francis Lai & Sylvia Kristel 映画「続エマニエル夫人」 Emmanuelle II L'Anti Vierge




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/655.html#c1
[近代史4] 20世紀初めにはヴァイオリンも今とは比較にならない上品、甘美、哀切な音色で鳴っていた 中川隆
1. 中川隆[-13299] koaQ7Jey 2020年3月26日 07:31:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1605]

19世紀はノン・ヴィブラートのポルタメント奏法の時代

演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがある。

現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。

この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。

アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。 ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。 フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。

また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。 これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。 ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。 ワーグナーは近代演奏史の大きな分岐点である。

第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。

ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。

おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。 シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。

本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。

しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。

つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか?
 
今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/weingartner.html


カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。

カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。

そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団― レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。

しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。 ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。 ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。

クライスラーの奥義は3点ある。第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。 云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。


第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。

第3に、フレーズの変わり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。 この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。

このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。

これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html

19世紀後半から20世紀前半の名ヴァイオリニストと言われた人達の語録を辿ると、「ヴィブラートは必要不可欠なものだ」的な発言が急に増えているように思われます。その人々の多くは現在復刻盤で聴くことができます。

例:クライスラー、ティボー、イザイ、フーベルマン、ジンバリスト、サラサーテ、ヨアヒム、フレッシュ(順不同)

上記の人は、全て僕の聴いたことのある人ですが、皆、大きなヴィブラートとポルタメントを多用しています。

※なお、ポルタメントは専ら上昇音形に用いられるのが普通でした。下降音形に用いるのは“下品”とされていたようです。ここがパールマンとは違うところ。
そして、彼らの多くは音程も揺れ動くようなヴィブラートです

「ああいうヴィブラートはクライスラーが始めたことで、ロゼーのような人は用いていなかった。クライスラーが若い頃にウィーン国立歌劇場管のオーディションに落ちたのは、そのためである。云々」という文章を読んだことがあります。
http://pseudo-poseidonios.net/okuzashiki/15_review_7.htm


ビブラートは、1830年代の特徴からは遙かに隔たったもので、それは欧米のオーケストラでは1930年代までは一般的ではなかったのです。

しかし驚くべきことに、演奏者も聴衆も、それ以前の偉大な作曲家たちが誰一人として期待も想像もしなかったオーケストラの音に、全面的に慣れ親しんでしまったようです。

ベルリオーズやシューマン、ブラームスやワーグナー、ブルックナーやマーラー、シェーンベルクやベルクがその傑作を書いた時、オーケストラの音は ただ一種類だけが存在していました:暖かく、表現力豊かで、ピュアな音色。 私たちが慣れてしまったグラマーなビブラートのない音。

20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。 フリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、グラマーなビブラートを始めたように思われます。

1900年以降、偉大なソリストとオーケストラが、最初は前の世紀からのピュアな音色で演奏しており、そして今日私たちが知っているものに徐々に変化していくのを聴くことができます。 しかし、ごく徐々になのです。高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。

ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、
ウィーン・フィルは1940年までありません。

ですから、20世紀前半のバイオリン協奏曲の録音を聴くと、ソリストはビブラートを使っていますが、ドイツの最高のオーケストラはピュアな音色で演奏しています。当時はそれが普通だったのだと思われます。
http://www.kanzaki.com/norrington/roger-nyt200302.html

メンゲルベルクの演奏を語る上で、よく取り上げられるのが弦楽器のポルタメント奏法 ( 音をずり上げ・下げする奏法 ) である。メンゲルベルクの演奏を「時代遅れ」呼ばわりする人々の多くが真っ先に問題にするのが、このポルタメント奏法であるが、実は今世紀半ば頃までは、この奏法は弦楽器奏者にとっては全く自然で、当り前のものだった。それが今世紀の中頃から、次第に新古典主義的・即物主義的音楽感が演奏スタイルの主流を占めるようになり、ポルタメント奏法は「時代おくれ」の烙印を押され、次第に姿を消して行くこととなる。

しかしながら、後期ロマン派の音楽を語る上で、このポルタメント奏法は決して無視することは出来ないのである。たとえば後期ロマン派の偉大なシンフォニスト、グスタフ・マーラー ( 1860〜1911 ) の交響曲のフル・スコアには、このポルタメント奏法をわざわざ指定してあるところが何箇所もある。

メンゲルベルクによるマーラーの交響曲の録音は、第四番のライブ録音 (1939年11月9日 ) と、第五番の有名なアダージェット (1926年5月 ) のみであるが、特に後者など、むせび泣くようなポルタメントが、この音楽の本質を語るうえに、いかに欠かせないものであるか、ということを実感させる貴重な証拠である。

今日、特にバロック音楽の世界ではオリジナル楽器で演奏される事が当り前のようになり、楽曲が作曲された当時の演奏スタイルについて、実に様々な研究がなされている。しかし反面、今まで取り上げてきたマーラーやグリークなど後期ロマン派時代の音楽については、それが今日でも広い人気を持ち数多く演奏されているにも拘わらず、ポルタメント奏法をはじめとする作曲当時の演奏スタイルが、現在まったくと言ってよいほど顧みられていないのは、私にはとても不思議な気がするし、また残念である。なぜならば、マーラーもグリークも彼等が生きていた頃のオーケストラの音〜 例えばメンゲルベルク指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団のような響き 〜を念頭において作曲していたはずなのだから。
http://www.medias.ne.jp/~pas/mengelberg.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/652.html#c1

[近代史4] 女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」_ 女の子に合う香り、加齢臭のオバサンに合う香り

女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」_ 女の子に合う香り、加齢臭のオバサンに合う香り


女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/829.html

女の停年は35歳
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html

女の子に合う香り、加齢臭のオバサンに合う香り
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/449.html

「女の子のニオイ」を再現する方法
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/247.html

我々は「自分の老い」に向き合ってきたか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/446.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/656.html

[近代史4] インド人プログラマーに仕事を任せると会社が潰れる

インド人プログラマーに仕事を任せると会社が潰れる

2020年03月26日
インド人プログラマーに外注したボーイングは米政府の支援なければ倒産も


行き場を失ったボーイング737MAX

画像引用:https://www.thehindubusinessline.com/economy/logistics/9k45yx/article28707836.ece/ALTERNATES/LANDSCAPE_1200/BOEING-DELIVERIES

ボーイング社が経営破綻危機

米航空機産業の王者だったボーイングが経営破綻の危機に瀕し、政府の支援がなければ破綻確実だといわれている。


ボーイングから直接シェアを奪ったのは欧州のエアバスで、今年は航空機業界の覇者となる予定だった。

ボーイングの場合はコロナと関係なく2019年末に経営危機に陥り、政府の支援が必要になっていました。


原因は新型機の開発製造失敗で、社運をかけて成功したかに見えた737MAXは史上最悪の欠陥機という評価を受けた。

737MAXはこれまで2機が墜落しているが原因はプログラムの入力ミスで、デビュー前から自社の技術者が再三欠点を指摘していた。

ボーイングは会ったこともないインド人アルバイトにプログラミングを外注し、評価試験もアルバイトにやらせていました。

ボーイングの信じられないミス

最近はやりのソーシャルワーキングで世界で最も人件費が安いプログラマーに発注し、評価試験も同じ方法で外注に出した。

ボーイング社所属のプログラマーは人件費を削減するため殆どを解雇していたため、墜落まで欠陥を知らなかった。

もっとも数少ないボーイング社の技術者たちはインド人アルバイト達の仕事ぶりは「杜撰で危険だ」と何度も警告していた。


ボーイング社は2013年に787でも多くの部品を外注してバッテリー発火事故を起こし大損失を被っていた。

ボーイング社は金融機関の融資枠を全額使い切り、支払いに使えるキャッシュが底をつきつつある。

3月17日にボーイング社は政府に6兆円弱の財政支援を要請し、受けられなければ経営破綻すと示唆している。


トランプ大統領はコロナ支援に乗じてボーイングを支援する構えだが、野党民主党は「選挙目当ての買収だ」と反対している。
http://www.thutmosev.com/archives/82527169.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/657.html

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
17. 中川隆[-13298] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:08:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1606]

私的権力が国を凌駕する力を持つ政体がファシズム


私的権力が世界を直接統治する体制を築こうとする動き


 アメリカは基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている帝国だが、その命運は尽きかけている。本ブログで繰り返し書いてことだが、2030年までその支配システムは持たないだろうと推測する人もいる。アメリカの支配層はドル体制を維持しようしているが、限界があることを認識しているはずだ。

 ドル体制を維持するため、1970年代からアメリカの支配層はドルを実社会から吸い上げる仕組みを作ってきた。そのひとつが産油国にドルを回収させるペトラダラーであり、もうひとつが流通するドルを吸い上げる投機市場の育成だ。

 同じ頃から彼らは公的な仕組みを破壊し、私有化を推進している。富と情報をごくわずかな人びとに集中させ、国を上回る力を持つ私的な権力を作り上げてきたのだ。これは一種のアナーキズムだが、圧倒的な力の差がある状態で「個人の自由」に基づくシステムを作れば、弱肉強食の非情な世界ができあがる。それが新自由主義にほかならない。

 そうした弱肉強食の世界における少数の強者は大多数の弱者を支配するために社会を収容所化する。監視システムを強化し、警察の軍事化を進め、洗脳や宣伝の仕組みを充実させているのはそのためだ。世界のパレスチナ化とも言えるだろう。西側の私的権力は自分たちが世界を直接統治する体制を築こうとしている。

 その強者は私的権力にすぎない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと呼んだ。強大な私的権力が民主的国家そのものより強くなることを許すなら、民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのである。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると見通している。

 1944年には大統領選挙があったが、民主党の幹部たちはウォーレスを副大統領候補からはずし、ルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマンを新たな候補者に据えた。1945年4月にルーズベルトは急死、このトルーマンが大統領に昇格しているが、もしウォーレスが大統領になったなら、ウォール街の大物たちはファシストとの関係が追及されていたことだろう。

 戦後、西側世界はウィンストン・チャーチルが主導する形で冷戦に突入し、ウォーレス政権でファシストを追及したであろう人びとはジョセフ・マッカーシーを中心とするグループに攻撃された。マッカーシズムである。

 マッカーシーの背後にJ・エドガー・フーバーFBI長官がいたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンは密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと親しく、ジョン・ゴッチなど犯罪組織の大物の法律顧問でもあった。後にコーンはドナルド・トランプの顧問にもなる。

 この人脈がジェフリー・エプスタインにつながることも繰り返し書いてきた。未成年の女性などを有力者に提供、その行為を映像などで記録して恫喝に使っていた人脈で、それはイスラエルの情報機関の仕事だった。

 また、トルーマンのスポンサーはリンドン・ジョンソンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はフランスの富豪、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発にカネを出している。

 こうした富豪を含む私的な権力は新自由主義化によって強力になり、彼らに呑み込まれた国は少なくない。現在、独立していると言えそうな国はロシア、中国、イランなど多くはない。そうした国々と西側の私的権力の熾烈な戦いが繰り広げられている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250001/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c17

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
18. 中川隆[-13297] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:11:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1607]


私的権力が国を凌駕する力を持つ政体がファシズム


私的権力が世界を直接統治する体制を築こうとする動き


 アメリカは基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている帝国だが、その命運は尽きかけている。本ブログで繰り返し書いてことだが、2030年までその支配システムは持たないだろうと推測する人もいる。アメリカの支配層はドル体制を維持しようしているが、限界があることを認識しているはずだ。

 ドル体制を維持するため、1970年代からアメリカの支配層はドルを実社会から吸い上げる仕組みを作ってきた。そのひとつが産油国にドルを回収させるペトラダラーであり、もうひとつが流通するドルを吸い上げる投機市場の育成だ。

 同じ頃から彼らは公的な仕組みを破壊し、私有化を推進している。富と情報をごくわずかな人びとに集中させ、国を上回る力を持つ私的な権力を作り上げてきたのだ。これは一種のアナーキズムだが、圧倒的な力の差がある状態で「個人の自由」に基づくシステムを作れば、弱肉強食の非情な世界ができあがる。それが新自由主義にほかならない。

 そうした弱肉強食の世界における少数の強者は大多数の弱者を支配するために社会を収容所化する。監視システムを強化し、警察の軍事化を進め、洗脳や宣伝の仕組みを充実させているのはそのためだ。世界のパレスチナ化とも言えるだろう。西側の私的権力は自分たちが世界を直接統治する体制を築こうとしている。

 その強者は私的権力にすぎない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと呼んだ。強大な私的権力が民主的国家そのものより強くなることを許すなら、民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのである。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると見通している。

 1944年には大統領選挙があったが、民主党の幹部たちはウォーレスを副大統領候補からはずし、ルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマンを新たな候補者に据えた。1945年4月にルーズベルトは急死、このトルーマンが大統領に昇格しているが、もしウォーレスが大統領になったなら、ウォール街の大物たちはファシストとの関係が追及されていたことだろう。

 戦後、西側世界はウィンストン・チャーチルが主導する形で冷戦に突入し、ウォーレス政権でファシストを追及したであろう人びとはジョセフ・マッカーシーを中心とするグループに攻撃された。マッカーシズムである。

 マッカーシーの背後にJ・エドガー・フーバーFBI長官がいたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンは密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと親しく、ジョン・ゴッチなど犯罪組織の大物の法律顧問でもあった。後にコーンはドナルド・トランプの顧問にもなる。

 この人脈がジェフリー・エプスタインにつながることも繰り返し書いてきた。未成年の女性などを有力者に提供、その行為を映像などで記録して恫喝に使っていた人脈で、それはイスラエルの情報機関の仕事だった。

 また、トルーマンのスポンサーはリンドン・ジョンソンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はフランスの富豪、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発にカネを出している。

 こうした富豪を含む私的な権力は新自由主義化によって強力になり、彼らに呑み込まれた国は少なくない。現在、独立していると言えそうな国はロシア、中国、イランなど多くはない。そうした国々と西側の私的権力の熾烈な戦いが繰り広げられている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250001/


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。

核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。
ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c18

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
3. 中川隆[-13296] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:15:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1608]
私的権力が国を凌駕する力を持つ政体がファシズム

私的権力が世界を直接統治する体制を築こうとする動き

 アメリカは基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている帝国だが、その命運は尽きかけている。本ブログで繰り返し書いてことだが、2030年までその支配システムは持たないだろうと推測する人もいる。アメリカの支配層はドル体制を維持しようしているが、限界があることを認識しているはずだ。

 ドル体制を維持するため、1970年代からアメリカの支配層はドルを実社会から吸い上げる仕組みを作ってきた。そのひとつが産油国にドルを回収させるペトラダラーであり、もうひとつが流通するドルを吸い上げる投機市場の育成だ。

 同じ頃から彼らは公的な仕組みを破壊し、私有化を推進している。富と情報をごくわずかな人びとに集中させ、国を上回る力を持つ私的な権力を作り上げてきたのだ。これは一種のアナーキズムだが、圧倒的な力の差がある状態で「個人の自由」に基づくシステムを作れば、弱肉強食の非情な世界ができあがる。それが新自由主義にほかならない。

 そうした弱肉強食の世界における少数の強者は大多数の弱者を支配するために社会を収容所化する。監視システムを強化し、警察の軍事化を進め、洗脳や宣伝の仕組みを充実させているのはそのためだ。世界のパレスチナ化とも言えるだろう。西側の私的権力は自分たちが世界を直接統治する体制を築こうとしている。

 その強者は私的権力にすぎない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと呼んだ。強大な私的権力が民主的国家そのものより強くなることを許すなら、民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのである。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると見通している。

 1944年には大統領選挙があったが、民主党の幹部たちはウォーレスを副大統領候補からはずし、ルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマンを新たな候補者に据えた。1945年4月にルーズベルトは急死、このトルーマンが大統領に昇格しているが、もしウォーレスが大統領になったなら、ウォール街の大物たちはファシストとの関係が追及されていたことだろう。

 戦後、西側世界はウィンストン・チャーチルが主導する形で冷戦に突入し、ウォーレス政権でファシストを追及したであろう人びとはジョセフ・マッカーシーを中心とするグループに攻撃された。マッカーシズムである。

 マッカーシーの背後にJ・エドガー・フーバーFBI長官がいたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンは密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと親しく、ジョン・ゴッチなど犯罪組織の大物の法律顧問でもあった。後にコーンはドナルド・トランプの顧問にもなる。

 この人脈がジェフリー・エプスタインにつながることも繰り返し書いてきた。未成年の女性などを有力者に提供、その行為を映像などで記録して恫喝に使っていた人脈で、それはイスラエルの情報機関の仕事だった。

 また、トルーマンのスポンサーはリンドン・ジョンソンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はフランスの富豪、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発にカネを出している。

 こうした富豪を含む私的な権力は新自由主義化によって強力になり、彼らに呑み込まれた国は少なくない。現在、独立していると言えそうな国はロシア、中国、イランなど多くはない。そうした国々と西側の私的権力の熾烈な戦いが繰り広げられている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250001/


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。

核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。
 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c3

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
18. 中川隆[-13295] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:19:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1609]


東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、ケネディ大統領暗殺、勲一等旭日大綬章


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。

 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。

 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。この軍人は原爆を投下する都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。

 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。

 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。

 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。

 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。

 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。

 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。

 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。

 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下された。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003100000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c18

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
19. 中川隆[-13294] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:20:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1610]


東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、ケネディ大統領暗殺、勲一等旭日大綬章


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。

 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。

 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。この軍人は原爆を投下する都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。

 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。

 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。

 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。

 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。

 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。

 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。

 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。

 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下された。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。

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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c19

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
4. 中川隆[-13293] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:21:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1611]


東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、ケネディ大統領暗殺、勲一等旭日大綬章


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。

 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。

 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。この軍人は原爆を投下する都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。

 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。

 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。

 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。

 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。

 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。

 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。

 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。

 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下された。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。

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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c4

[近代史4] ディープステートとかいう馬渕睦夫のアホ陰謀論 中川隆
6. 中川隆[-13292] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:22:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1612]


東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、ケネディ大統領暗殺、勲一等旭日大綬章


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。

 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。

 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。この軍人は原爆を投下する都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。

 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。

 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。

 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。

 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。

 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。

 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。

 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。

 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下された。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003100000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/623.html#c6

[近代史4] ディープステートとかいう馬渕睦夫のアホ陰謀論 中川隆
7. 中川隆[-13291] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:24:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1613]

私的権力が国を凌駕する力を持つ政体がファシズム
私的権力が世界を直接統治する体制を築こうとする動き

 アメリカは基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている帝国だが、その命運は尽きかけている。本ブログで繰り返し書いてことだが、2030年までその支配システムは持たないだろうと推測する人もいる。アメリカの支配層はドル体制を維持しようしているが、限界があることを認識しているはずだ。

 ドル体制を維持するため、1970年代からアメリカの支配層はドルを実社会から吸い上げる仕組みを作ってきた。そのひとつが産油国にドルを回収させるペトラダラーであり、もうひとつが流通するドルを吸い上げる投機市場の育成だ。

 同じ頃から彼らは公的な仕組みを破壊し、私有化を推進している。富と情報をごくわずかな人びとに集中させ、国を上回る力を持つ私的な権力を作り上げてきたのだ。これは一種のアナーキズムだが、圧倒的な力の差がある状態で「個人の自由」に基づくシステムを作れば、弱肉強食の非情な世界ができあがる。それが新自由主義にほかならない。

 そうした弱肉強食の世界における少数の強者は大多数の弱者を支配するために社会を収容所化する。監視システムを強化し、警察の軍事化を進め、洗脳や宣伝の仕組みを充実させているのはそのためだ。世界のパレスチナ化とも言えるだろう。西側の私的権力は自分たちが世界を直接統治する体制を築こうとしている。

 その強者は私的権力にすぎない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと呼んだ。強大な私的権力が民主的国家そのものより強くなることを許すなら、民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのである。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると見通している。

 1944年には大統領選挙があったが、民主党の幹部たちはウォーレスを副大統領候補からはずし、ルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマンを新たな候補者に据えた。1945年4月にルーズベルトは急死、このトルーマンが大統領に昇格しているが、もしウォーレスが大統領になったなら、ウォール街の大物たちはファシストとの関係が追及されていたことだろう。

 戦後、西側世界はウィンストン・チャーチルが主導する形で冷戦に突入し、ウォーレス政権でファシストを追及したであろう人びとはジョセフ・マッカーシーを中心とするグループに攻撃された。マッカーシズムである。

 マッカーシーの背後にJ・エドガー・フーバーFBI長官がいたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンは密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと親しく、ジョン・ゴッチなど犯罪組織の大物の法律顧問でもあった。後にコーンはドナルド・トランプの顧問にもなる。

 この人脈がジェフリー・エプスタインにつながることも繰り返し書いてきた。未成年の女性などを有力者に提供、その行為を映像などで記録して恫喝に使っていた人脈で、それはイスラエルの情報機関の仕事だった。

 また、トルーマンのスポンサーはリンドン・ジョンソンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はフランスの富豪、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発にカネを出している。

 こうした富豪を含む私的な権力は新自由主義化によって強力になり、彼らに呑み込まれた国は少なくない。現在、独立していると言えそうな国はロシア、中国、イランなど多くはない。そうした国々と西側の私的権力の熾烈な戦いが繰り広げられている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250001/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/623.html#c7

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
23. 中川隆[-13290] koaQ7Jey 2020年3月26日 10:58:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1614]

2020-03-24
天性の嘘つき安倍晋三
https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/24/164242


それにしてもこれには呆れた。安倍晋三がよりによって、国会で「悪夢の民主党政権」と発言したことはない、などと言い出したのだ。


 立憲民主などの会派の芳賀道也氏(無所属)が「都合が悪くなると、首相は『悪夢の民主党』と言って一切答えない。子供の教育に悪い」と皮肉ったことに反論した。首相は「自民党大会などで『悪夢のような民主党政権』と、経済政策において申し上げている」と認める一方、「国会答弁で答えたことはない。正確な質疑をしたほうがいい」と語った。

 実際は、首相は2019年2月の衆院予算委員会などで「民主党政権は悪夢だった。間違いなく」と述べている。首相の答弁を受けた芳賀氏は「全く情けない」とあきれてみせた。【小山由宇、古川宗】

事実として、安倍晋三はこれだけ繰り返し言っている。
衆院予算委員会 2019年2月12日
◯安倍内閣総理大臣 (略)
 皆さん、悪夢でなかった、それを否定しろとおっしゃるんですが、では、なぜ民主党という名前を変えたんですか。私はそれが非常に不思議だ。
(略)

◯安倍内閣総理大臣 これもよく聞いていただきました。
 このベースアップ、ありますね、これは一四年から。この前どうなっていたと思いますか。実は民主党政権時代、私は悪夢と呼びましたが、連合は、ベースアップ、集計すらできなかったんです。していないの。なぜかというと、ベースアップの要求をしていないからですよ。とてもそういう状況じゃなかったんですよ。
(略)

 また、正規雇用だって、我々が政権をとる前の政権、民主党政権、悪夢と呼びましたが、あれは五十万人、正規雇用が減っているんですよ。我々は七十六万か八万、恐らく六年間を見ればもっとふえていると思いますよ。正規雇用をふやしたんですよ。これはもう明らかにファクトですから。

衆院予算委員会 2019年2月18日
◯安倍内閣総理大臣 (略)
 私は、二〇〇九年の我が党が野党に転落したときのことを悪夢と言っているのではないんです。悪夢はその後の民主党政権です。正直に言って、それは申し上げたいと思います。

 今よりも三割も中小企業、小規模事業者、倒産件数は多いんですよ。あのときの就職率、どうだったんですか。今よりも半分しか有効求人倍率、低かったわけですから、当然それは、それで就職できなかった人たちにとっては悪夢じゃないですか。(略)それは間違いなく、私は、そういう人々にとっては、皆さん、悪夢だったと思いますよ。
(略) 

衆院予算委員会 2019年2月20日
◯安倍内閣総理大臣
(略)
 私が、話の中身としては、いわば参議院選挙で大敗をし、そして政治が安定を失った、あれは私の責任だったということを述べ、そして、その後に、悪夢のような民主党政権が誕生した、決められない政治の中において経済は失速をし、そして、若い皆さんがいろいろ頑張ってもなかなか就職できなかった時代があった、そして、今よりも三割も倒産件数が多かった、かつ、その中で連鎖倒産という言葉が日本じゅうを覆っていた、これは事実でありまして、それを述べた。
(略)

衆院予算委員会 2019年2月25日
◯安倍内閣総理大臣 (略)
 要するに、失業者の方々は賃金をもらっていませんから、この平均賃金の中に入っていないんですよ。これをゼロで数えていただければ、相当低くなると思いますよ。民主党政権時代は、まさにこれは悪夢だったんですよ、間違いなく。
 そこで、これもファクトですから……(発言する者あり)

自己の発言に最大限の責任を負わなければならない首相という職にありながら、一瞬でバレる嘘を平然とつく。しかも、どれだけ嘘がバレても恥じることもない。
この男はおそらく、物心ついた頃から嘘を繰り返し、都合の悪いことはすべて口先だけのごまかしでやり過ごしてきたのだろう。なにもかもがおのれの損得のみ。倫理感も責任感もゼロなのだ。

こんな男が7年以上もの間首相の座にのさばっていることこそが、最大の悪夢だ。

https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/24/164242
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c23

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
24. 中川隆[-13289] koaQ7Jey 2020年3月26日 11:01:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1615]

2020-03-26
【コロナ】とにかく徹底的に仲間内の利権になることしかやらない。それが自民党であり、それが安倍政権。
https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/26/082934


■ 諸外国は次々に生活破綻防止策を発表

新型コロナウイルス問題で失業したり収入が激減する人々を救済するため、諸外国はそれぞれ現金給付など、さまざまな支援策を打ち出している。
アメリカは4人家族で3,000ドル(約33万円)の現金をとりあえず4月と5月の2回給付。


フランスは営業停止を強いられる観光業の従事者に政府が時給の7割を補償、イギリスも同様に、月額32万円を上限として休業社員の給与を補償。


こうした対策はいずれも、外出制限等による経済活動の停滞で人々の生活が破綻するのを防ぐためのものだ。

■ 一方日本は「商品券」?
では日本政府はどんな対策を用意しているのかと思えば、これである。
まずは、「外食や旅行代金の一部を国が助成」。

これだけでも呆れたが、次は「和牛の商品券」と来た。

コロナ禍で収入を失う中小零細事業者やその従業員が必要としているのは、何よりも現金だ。収入があろうがなかろうが、家賃や税金、公共料金の支払いは待ってはくれないのだ。

■ 利権のないことには指一本動かさないのが自民党であり安倍政権
どうしてこれほど馬鹿げた「対策」になるのか?
単に安倍政権が無能だからではない。消費税停止や現金給付などの対策には、いくら有効でも「旨み」がないからだ。
例えば、なぜ旅行代金の助成かといえば、二階(自民党幹事長)が全国旅行業協会の会長だという、分かりやすい理由がある。

和牛などの商品券も同じことだ。特定業界に限った商品券を政府が提供するというのは、税金でその業界を直接支援することに等しい。その裏には、族議員の選挙を業界あげて支援するなど、さまざまな見返りがあるわけだ。
とにかく徹底的に仲間内の利権になることしかやらない。それが自民党であり、それが安倍政権なのだ。こいつらに権力を握らせ続けている限り、この国に未来はない。

https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/26/082934
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c24

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している


れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している


「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
希望とワクワクを配るツアー@2019/7/7大阪




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
1. 中川隆[-13288] koaQ7Jey 2020年3月26日 12:29:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1616]

大西 つねき - YouTube 動画
https://www.youtube.com/channel/UCkhZRVnDFiGF9A9s5zYiwxw


大西つねきの公式サイト
https://www.tsune0024.jp/


・Twitter
@tsune0024
https://twitter.com/tsune0024

・Facebook
https://www.facebook.com/tsune0024/

参議院選挙中に取材してくれた長周新聞さんの記事が人気です。
選挙後もよく読まれている記事の一位にランクされ、関心の高さが伺われます。多くの人が財政金融の嘘に気づき始めているんですね。記事はこちら。


【大西つねき氏(れいわ新選組)の演説を文字で読む 現代社会が抱える金融システムの不条理】
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12166

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c1

[近代史4] アドルフ・ブッシュ (独奏曲)
アドルフ・ブッシュ (独奏曲)


Adolf Busch plays Bach's Chaconne



Bach, Partita para violín solo Nº 2, BWV 1004. Adolf Busch




[00,01] 1. Allemande
[02,38] 2. Courante
[04,08] 3. Sarabande
[07,53] 4. Gigue
[09,50] 5. Chaconne


Adolf Busch, violín
Grabación: 1929 - 1933
Nº 3 Studio Abbey Road, London





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/659.html

[近代史4] レナー弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団


ブラームス:クラリネット5重奏曲
チャールズ・ドレーパー, レナー弦楽四重奏団


brahms Clarinet Quintet in bm-Op115-Lener Quartet & Charles Draper




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/660.html

[近代史4] レナー弦楽四重奏団 中川隆
1. 中川隆[-13287] koaQ7Jey 2020年3月26日 13:21:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1617]

Lener Quartet & Charles Draper - Brahms : Clarinet Quintet Op.115 -1st & 2nd Mvt (1928年)









Charles Draper (1869-1952), British famous clarinetist.
recorded 10 November 1928
transferred from Jpn Columbia 78s /J-7600/02(AX-4258/60, 4289/91) 再復刻


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/660.html#c1
[リバイバル3] 水道料金「月額2万円」時代へ? 値上げと地域格差拡大の背景 中川隆
26. 中川隆[-13286] koaQ7Jey 2020年3月26日 17:50:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1618]
『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』 著・岸本聡子
書評・テレビ評2020年3月26日


 日本では改定水道法の成立によって水道の民営化が可能になったが、世界に目を向けると、水道の民営化がおこなわれていた国々で水道を再公営化する波が広がっている。しかもその速度が2010年以降加速しているという。2017年時点で世界33カ国・267自治体が再公営化を決めており、水道以外の電力、地域交通、ゴミ収集、教育、健康・福祉サービス、自治体サービスの再公営化の動きも顕著で、水道とあわせて世界で1600以上の市町村が再公営化を果たしている。

 「公的セクターは効率が悪いから、公共サービスを民間企業に任せて経費を節約すればよい」という「新自由主義の神話」のウソが広く暴露され、民間企業によるもうけのための事業をやめさせて、公共サービスを市民の手にとり戻そうとする運動が活発になっている。アムステルダムに本拠を置くNGOトランスナショナル研究所研究員の著者が、本書でいきいきとそのことを報告している。

フランス・パリでは水道料金265%も値上がり

 最初の例は、ヴェオリア社とスエズ社が本社を置く水メジャーのお膝元、フランスのパリだ。パリで近代的な上下水道が整備されたのは19世紀半ば、ナポレオン3世の時代で、以来パリ市が水道事業を運営してきた。1985年、のちに大統領となるシラクがパリ市長のとき、ヴェオリア・スエズ両社と25年間のコンセッション契約を結び、水道を民営化した。

 するとパリの水道料金は、2009年までに265%値上がりした。また両社が提出する財務報告も不透明なもので、市が両社の経営を監督するという条項は機能しなかった。そのなかで水道の再公営化を求める市民運動が起こり、それを公約に掲げた市長が当選して2010年、水道事業の再公営化を決めた。

 公営化の担い手となった水道公社「オー・ド・パリ」は、初年度から3500万ユーロ(約42億円)もの経費を節約し、それを原資に水道料金を8%値下げした。経費節約が可能になったのは、株主配当や役員報酬の支払いが不要になったことと、収益を親会社に還元する必要がなくなったことによる。また、運営するなかで、両社が長年7%と説明してきた利益率が、実は15%近くあったことが判明した。値上げなどまったく必要なかったことになる。いかに多くの利益が株主や水メジャーに吸いとられていたかである。

 「オー・ド・パリ」の理事会は、市議、労働者代表、市民組織代表で構成され、その市民組織の一つが、パリ市民なら誰でも参加できる「パリ水オブザバトリー」で、財務・技術・水道政策など開示される情報に随時意見をのべている。再公営化の後は自治体にお任せ、というのではいつ民営化路線に戻るかもしれないので、パリでは市民の恒常的な関与を重視しているようだ。

 「オー・ド・パリ」はまた、長期にわたる水源保全活動をおこなっており、その一環として、水質維持のために水源地と周辺の農家に補助金を出して有機農業を推奨している。再公営化が地域の農漁業振興ともつながっているわけだ。それができるのも、再公営化で利益の大半を再投資に回せるようになったからだ。

イギリスでは若者を中心とした市民運動

 次の例は、新自由主義とPFIの総本山、イギリスである。イギリスでは1980年代に保守党のサッチャーが、それまで国有だった電気、石油、ガス、鉄道、航空、郵便を民営化し、総仕上げとして水道事業を1989年に完全民営化(運営権だけでなく、水道施設所有権も含めすべてを民間企業に売却)した。続く労働党政権時代には、公共事業のPFI化がピークになった。

 それが今、「水道民営化は組織的な詐欺」といわれるまでに世論の転換が起こっているという。民営化から28年たった2018年、10の民間水道会社は合計510億ポンド(約7兆1400億円)もの債務を抱えるに至ったからだ。なぜか?民間水道会社は株主に巨額の配当金(年平均で18億1200万ポンド<約2537億円)を支払うために借金をくり返し、借金と膨らむ利子の返済に水道使用料金を使い続けたからだ。ある民間水道会社がタックス・ヘイブンを利用して、過去一〇年まったく税金を払っていなかったことも暴露された。そのほか、経営陣への高額報酬、インフラの更新や整備に金を使わないことも問題にされた。上下水道料金の高騰で、水道料金の支払いができない世帯が1割をこえた。

 こうして公共サービスを自分たちの手にとり戻したいという市民の願いが高まり、若者が中心となって生まれた草の根の政治運動「モメンタム」をはじめ、各地で草の根の市民運動や研究者たちの活動が活発化した。そのなかで今年1月、保守党は分割・民営化されていた鉄道の北部地域網の再国有化を決定した。

 そのほか反新自由主義、反緊縮の運動の高まりのなかでポデモスを誕生させたスペインでは、それぞれの地域にポデモスと緩やかに連携する地域組織が生まれている。その一つが水の運動のなかから生まれた「バルセロナ・イン・コモン」で、2015年の地方選挙では水道再公営化や住宅問題の解決を掲げ、定数41議席中11議席を獲得して第一党になった。著者はこの運動について、議会のなかから政治や政策を変えていく人と、議会の外で草の根の立場から政治を監視し市民運動を広げる人たちとの間に、健全な緊張関係を保っていると指摘している。

 もちろん再公営化は、グローバル企業やそれを支える国家、EUとのたたかいであり、困難がともなうのは当然だ。しかし、水道再公営化の運動が、市民の手に真の民主主義をとり戻す運動に発展していることは注目に値する。欧州を叩き出された水メジャーが次なるターゲットを日本に絞っているなかで、多くのヒントを与えてくれる本だ。
 (集英社新書、216ページ、定価820円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/16267
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/908.html#c26

[近代史4] カペー弦楽四重奏団
カペー弦楽四重奏団


Franck - Piano Quintet in F minor (M.7) - Marcel Ciampi and Capet Quartet








The Capet String Quartet was a French musical ensemble founded in 1893, which remained in existence until 1928 or later. It made a number of recordings and was considered one of the leading string quartets of its time.


The personnel of the Capet Quartet (other than the leader, Lucien Capet) changed fairly often, and are reported differently in variant sources. The original line-up appears to have included a player named Giron, and during the first decade Henri Casadesus and Marcel Casadesus, uncles of the celebrated pianist Robert Casadesus, played viola and cello within the group, which often rehearsed at the Casadesus household.



In 1903, it had become:



1st violin: Lucien Capet


2nd violin: André Touret


viola: Louis Bailly


violoncello: Louis Hasselmans



By 1910 the team was established which survived into the 1920s to make the well-known recordings:



1st violin: Lucien Capet


2nd violin: Maurice Hewitt


viola: Henri Benoît


violoncello: Camille Delobelle

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/661.html

[近代史4] クリングラー弦楽四重奏団
クリングラー弦楽四重奏団


Klingler Quartet, Beethoven, Op.18 No.5 (Historical Recording, 1911)



The Klingler Quartet plays two movements ('Menuetto' and 'Andante Cantabile') from Beethoven's Op.18 No.5. Rec. 1911, never before published on YouTube.


[0:00] Menuetto
[3:41] Andante Cantabile


Karl Klingler, 1st violin
Josef Rywkind, 2nd violin
Fridolin Klingler, viola
Arthur Williams, cello


Rec. 1911
ODEON 7267 - xxB 5547, xxB 5548, xxB 5549


▲△▽▼


Klingler Quartet | Beethoven: Op.130, "Alla danza tedesca" (Historical Recording, 1912)



The Klingler Quartet plays the fourth movement, 'Alla danza tedesca' of Beethoven's Op.130. Never before published on YouTube.


Karl Klingler, 1st violin
Josef Rywkind, 2nd violin
Fridolin Klingler, viola
Arthur Williams, cello


Historical Recording: 1912


▲△▽▼


Klingler Quartet plays Mozart K428 Menuetto



Recorded for Odeon, 1912/13.


▲△▽▼


BEETHOVEN String Quartet No.12 Op.127 | Klingler Quartet | 1935



0:00 / I. Maestoso – Allegro
7:20 / II. Adagio, ma non troppo e molto cantabile – Andante con moto – Adagio molto espressivo – Tempo I
23:52 / III. Scherzando vivace
31:09 / IV. Allegro


Das Klingler-Quartett:


Karl Klingler, 1st violin
Richard Heber, 2nd violin
Fridolin Klingler, viola
Ernst Silberstein, cello
(rec: Berlin, 1935)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/662.html

[近代史4] ロゼ弦楽四重奏団
ロゼ弦楽四重奏団


Rosé String Quartet - Beethoven #14 in C# minor, Op. 131







Recorded in 1927.
Pretty good composition for a deaf geezer.


From an out-of-print Biddulph Records 2 CD set, Arnold Rosé and the Rosé String Quartet - works by Back and Beethoven. You can buy it used through Amazon from $92.50 - $182.41 or listen to it on my channel for free. Gosh, I hate to undercut those sellers.


1. Adagio ma non troppo e molto espressivo
2. Allegro molto vivace


Arnold Rosé, Paul Fischer, violins, Anton Ruzicka, viola; Friederich Buxbaum, cello


Arnold Josef Rosé (born Rosenblum, 24 October 1863, Iaşi -- 25 August 1946, London) was a Romanian-born Austrian Jewish violinist. He was leader of the Vienna Philharmonic Orchestra for over half a century. He worked closely with Brahms. Gustav Mahler was his brother-in-law. Although not known internationally as a soloist he was a great orchestral leader (concertmaster) and player of chamber music, leading the famous Rosé Quartet for several decades.


For more than half a century Rosé was at the center of musical life in Vienna - and even then, it took Hitler's Anschluss of 1938 to displace him. Rosé's destiny was intimately bound up with the two most controversial figures in Viennese music at the turn of the century, Gustav Mahler and Arnold Schoenber; and he represented the final glory of the 19th-century Viennese string style.


In 1881 he was made leader of the Vienna Court Opera. This orchestra, in unique Viennese tradition, played both in the orchestra pit and on the concert platform, and were the parent of the Vienna Philharmonic orchestra. He remained leader of these two venerable institutions until the 1930s. His reputation as an orchestral leader became legendary. For Sir Adrian Boult he was quite simply "Europe's greatest orchestral leader of his time".


Two years later founded his quartet which was considered - not least by Brahms - superior to Hellmesberger's, in other words, the best of it's time. Rosé, who wed Mahler's sister Justine in 1902 (his cellist brother Eduard was already married to the composer's youngest sister Emma), played Goldmark and other contemporary composers as well as the Classics. From 1888 to 1896 he led the Bayreuth Festival Orchestra and when his own organization appeared in concert as the Vienna Philharmonic.


The Rosé family lived in comfortable circumstances, but life was never to be easy for Jews anywhere in Europe. Emperor Franz Josef had guaranteed "freedom of religion and conscience" in 1867, but the reality was often different. They had two children: Alfred (1902-1975), who became a pianist and conductor, and Alma (1906-1944) who was a very successful violinist, but whose career took a highly tragic turn as she ended up directing an orchestra of prisoners in the concentration camp of Auschwitz-Birkenau. She eventually died in the camp.


Justine Rosé died on 22 August 1938. Arnold was devastated by her death. Unable to continue living under Nazi occupation, he left Vienna four weeks later and travelled via Holland to England where he spent the last six years of his life. He continued to play chamber music with Buxbaum and other colleagues. His last appearances were in 1945; thus his career stretched over 65 years. After he learned the terrible news of Alma's death at Birkenau, he found it difficult to continue with his work, and died soon afterward. He published editions of the violin sonatas of Bach and Beethoven and of Beethoven's Quartets op 18.



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/663.html

[近代史4] ブッシュ弦楽四重奏団
ブッシュ弦楽四重奏団


Busch Quartet - Beethoven : String Quartet No.11 f-moll op.95 (1932) 再復刻





Ludwig van Beethoven
String quartet n°11 op.95 "Quartetto serioso"


I. Allegro con brio 0:00
II. Allegretto ma non troppo 4:08
III. Allegro assai vivace ma serioso 10:26
IV. Larghetto espressivo - Allegretto agitato - Allegro 14:16


Busch String Quartet
(Adolf Busch - Gösta Andreasson - Karl Doktor - Hermann Busch)


Studio recording, London, 19 & 20.IX.1932



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/664.html

[近代史4] カザルス・トリオ (コルトー・カザルス・チボー)
カザルス・トリオ (コルトー・カザルス・チボー)


Cortot, Casals, Thibaud Trio - Mendelssoh







Mendelssohn D Minor Trio, Op.49


Casals formed a trio with Thibaud and Cortot in the teens.
This was recorded on June, 20 - 21, 1927, Large Queen's Hall, London.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/665.html

[近代史4] フーベルマン
フーベルマン


Bronislaw Huberman - Tchaikovsky : Violin Concerto op.35 (1928)






ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35


ヴァイオリン:ブロニスラフ・フーベルマン
指揮:ウィリアム・スタインバーグ
シュターツカペレ・ベルリン


録音:1929年8月16日

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/666.html

[近代史4] クライスラー
クライスラー


Fritz Kreisler - Brahms : Violin Concerto Op.77 (1927)





cond. by Leo Blech / Berlin State Opera Orch.


Recorded in November 1927, Singakademie, Berlin


transferred from Jpn Victor 78s /JD-538/540(46864-8)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/667.html

[近代史4] エルマン
エルマン


Mischa Elman plays Massenet - Meditation de Thais





Mischa Elman (violin) Percy B. Kahn (piano)
Recorded: 1913



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/668.html

[近代史4] シゲティ
シゲティ


Joseph Szigeti _Beethoven : Violin Concerto in D op.61




ヨゼフ・シゲティ(Vn), British Symphony Orch.
conducted by Bruno Walter, recorded 4/18, 1932
78rpm / Columbia, J-8005/9(CAX-6388/97)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/669.html

[近代史4] エネスク
ジョルジェ・エネスク(George Enescu, 1881年8月19日 - 1955年5月4日)


Violin Partita No. 2 in D Minor, BWV 1004: V. Ciaccona · George Enescu



Bach: Violin Sonatas and Partitas Nos. 1-3 (Enesco) (1940)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/670.html

[近代史4] ハイフェッツ
ヤッシャ・ハイフェッツ (Iosif (Yasha) Ruvimovich Heifetz、1901年2月2日 - 1987年12月10日)


HEIFETZ/BAY play Saint-Saëns "The Swan



From the Carnival of Animals by Camille Saint-Saëns (1835-1921) for cello. Arrangement by Jascha Heifetz. Emanuel Bay - piano


録音 3/5/1946



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/671.html

[近代史4] イザイ


ウジェーヌ=オーギュスト・イザイ(Eugène-Auguste Ysaÿe, 1858年7月16日 - 1931年5月12日)


Eugène Ysaÿe plays Schubert Ave Maria



Eugène Ysaÿe recorded this with pianist Camille DeCreus on 3/9/1914. It is an arrangement by Joachim. I love the depth and imagination in his sound. Enjoy!

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/672.html

[近代史4] サラサーテ
パブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス(Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz, 1844年3月10日 - 1908年9月20日)


 
ツィゴイネルワイゼン(サラサーテ)自作自演 1904




タランテラ(サラサーテ)自作自演 1904




バスク奇想曲(サラサーテ)自作自演 1904




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/673.html

[近代史4] ヨーゼフ・ヨアヒム
ヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim), 1831年6月28日 - 1907年8月15日)


Joseph Joachim plays Brahms Hungarian Dance #1




For those of you who have not heard of Joseph Joachim, he was one of the most famous and influential violinists in the 19th century. He is also considered to be one of the first violinist to have recorded (1903).



Joseph Joachim - Brahms' Hungarian Dance No.2 (1903) (RARE!)





Joachim - Bach: Agagio in g (Good Sound)



Recorded in 1903. From J. S. Bach’s Unaccompanied Sonata No. 1 in g minor, BWV 1001



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/674.html

[近代史4] ティボー
ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, 1880年9月27日 - 1953年9月1日)


Thibaud/Cortot - Franck: Violin Sonata in A, 1923 (entire)




The first of two recordings Jacques Thibaud and Alfred Cortot made of the Franck, the second in 1929.


I like this version better (I think) despite the recording quality which doesn't affect the violin sound very much but diminishes the quality of sound from the piano when Cortot is playing large chords. These two friends have a special affinity for this work, one of Franck's greatest compositions.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/675.html

[近代史4] カザルス
パブロ・カザルス(Pablo Casals、1876年12月29日 - 1973年10月22日)


Beethoven Cello Sonata No.4 in C major Op.102-1
(Pablo Casals - Mieczyslaw Horszowski 1936)



Oct. 1936



Beethoven Cello Sonata No.5 in D major Op.102-2(Pablo Casals - Mieczyslaw Horszowski 1939)



June 1939

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/676.html

[近代史4] アドルフ・ブッシュ (室内楽)
アドルフ・ブッシュ (室内楽)


Busch, Brain, Serkin - Brahms : Horn Trio Es-dur Op.40 (1932)






Adolf Busch (Vn), Aubrey Brain(Horn), Rudolf Serkin(Pf)
transfer from U.K.HMV-D.B.7610/3(32-4217/8)
recorded 13 November 1932, London

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/677.html

[近代史3] 韓国の大卒失業者 新卒で正社員就職は1割だけ 中川隆
6. 中川隆[-13285] koaQ7Jey 2020年3月26日 20:48:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1619]
2020年03月26日
韓国経済破綻カウントダウンか 日米の通貨スワップだけが頼り

アメリカは通貨スワップで韓国を助けたが、後で後悔するだろう

画像引用:通貨スワップ「ドルの補給路」…KOSPIと為替レートの安定を図る : 経済 : hankyoreh japanhttps://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2020/0322/158486754137_20200322.jpg

韓国の破産を助けるのは誰か

韓国の新規感染者数は一時減少していたが3月24日に100人となり再び3ケタ台に増加した。

24日までの感染者数は9137人でなくなったのは127人、このままだと感染者1万人に達するのが時間の問題になった。

韓国はウォン下落で通貨危機に陥っていたがアメリカと600憶ドルの通貨スワップを合意し一息ついている。


米韓通貨スワップで得る600億ドルでウォンを購入すればある程度通貨下落を抑えられるが、通貨市場ではもっと巨額の金が動いている。

投機筋のウォン売り浴びせが600億ドルを超えたら資金切れになり、際限なくウォンは下落する。

それを見越して韓国政府は日本と通貨スワップ締結を呼びかけているが、日本側にはデメリットしかない。


2008年に麻生総理が日韓通貨スワップ10兆円で韓国を助けたが、韓国はすぐに謝罪要求をし慰安婦竹島騒動を起こした。

韓国側からすれば日本が韓国に屈服し服従して「お金を差し出した」のであり、日本は韓国の属国に落ちた。

麻生総理はこうした外交上の常識を何も知らず、「良い事をしたから韓国と仲良くなれる」などと言っていた。


少しは学習したのであれば日韓通貨スワップなどあり得ないが、同じ間違いを絶対に繰り返さないとは限らない。

米ゴールドマンサックスやモルガンスタンレーは米国のGDPがコロナ危機で24%から30%マイナスになると予想している。

これが意味するのは欧米諸国の輸入需要が半減し輸出国が壊滅するという事で、輸出依存度の高い韓国は危ない。

前途多難で希望がない韓国

2020年2月の韓国輸出は医療関連の半導体輸出などで意外にも好調だったが、3月以降は急減速が予想されています。

韓国経済はコロナウイルス発生前の2019年から不振で、ソウルの20代失業率は非正規を含む実質で50%に達していた。

韓国の就職はかなり特殊で大学卒業時に就職内定しているのは3大エリート校でも10%未満でした。


学生は大学を卒業してから就職予備校に通うが、男子の場合は兵役もあるので就職まで5年から10年もかかる。

企業は兵役を終えていない学生を雇わないので、多くの学生は兵役を終えてから就職予備校に通い英語などの資格を取得する。

サムスングループの平均採用年齢は30歳というから新入社員が30代、退社するのは40代が多い。


大学で習った知識や予備校の資格も20年たてば古くなるので、サムスンは若い社員と入れ替えて解雇する。

大企業を解雇されると中企業に移るが、そこもやがて解雇され小企業から零細企業、最後はチキン屋台かゴミ拾いに転落する。

これが韓国の平均的サラリーマンなのでエリートと言えども将来の保証はなにもない。


韓国は表向き男女平等だが実際は女性が出世するのは困難なので、高収入な男性と結婚するのが目標になる。

だが不景気で平均的な20代男性は無職かフリーターなので、婚姻率が激減し出生率は0.9以下に低下している。

韓国の人口は速ければ2020年に減少が予想されていたが、コロナで出生率や婚姻率がさらに下がれば、急激な人口減少が予想されます。


韓国は輸出依存度が高く欧米中日が不況になると需要が減少するので、サムスンと言えども倒産する可能性がある。

http://www.thutmosev.com/archives/82535470.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/491.html#c6

[近代史4] 韓国の大卒失業者 新卒で正社員就職は1割だけ

韓国の大卒失業者 新卒で正社員就職は1割だけ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/491.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/678.html
[近代史4] ブッシュ室内管弦楽団
ブッシュ室内管弦楽団


Busch Chamber Players - Bach : Brandenburg Concerto No.6






recorded in 1935
transfer from Columbia 78s / B-12/14(CAX-7630/5)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/679.html

[近代史4] アドルフ・ブッシュ (協奏曲)
アドルフ・ブッシュ (協奏曲)


Brahms "Violin Concerto" Adolf Busch



Violin Concerto in D minor op 77
by Johannes Brahms


1. Allegro non troppo
2. Adagio
3. Allegro Giocoso, Ma Non Troppo Vivace - Poco Pìu Presto


Adolf Busch, violin
Orchester Der Stadt Basel
Hans Münch, Conductor
1951

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/680.html

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
79. 中川隆[-13284] koaQ7Jey 2020年3月26日 22:01:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1620]
ピアノの歴史

ピアノが誕生して約300年になリます。

3世紀に渡って発展を遂げてきたかのように思えますが、実は20世紀になってからは、ほとんど変化がみられません。

ピアノは19世紀未に完成の域に達してしまったのか、それとも音楽そのものがピアノにそれ以上のものを求めなかったのか、はてまた・・・

そのあたりの謎を、歴史をひもときながら考察してみましょう。


最初のピアノフォルテ

現在のピアノの原型をつくったのは、イタリアのクリストフォリ(1655〜1731)であった。

チェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思い、爪で弦をはじいて鳴らす代りにハンマー仕掛けで弦を打って鳴らすという、現在のピアノ・ メカニズムを発明したのが、1709年。 彼はこのメカニズムを備えた楽器を“クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ”(弱音も強音も出せるチェンバロ)と名付けた。 この名称を短くつめて、現在“ピアノ”と呼ばれているわけである。

このクリストフォリの仕事は、イタリアでは後継者がなく、ドイツのオルガン製作家ジルバーマンに受け継がれた。彼はクリストフォリの発明に改良を重ねて 新しいピアノをつくった。 J.S.バッハは、フリードリッヒ大王に献呈されたジルバーマンのピアノを、王の御前で演奏している。(1747年)


ピアノフォルテの改良

ドイツのピアノ工業に最も大きな貢献をしたのは、ヨハン・アンドレス・シュタイン(1728〜1792)であった。

彼はジルバーマンのピアノのメカニズに新たな改良を加え、ドイツ式もしくはウィーン式と呼ばれるアクションを完成させた。このアクションは長年にわたって評判をとった。シュタインのピアノは軽快なタッチと音が特長で、モーツァルトはこのピアノの明るく平均された音色を愛し、多くのピアノ曲を書いた。

一方イギリスではヨハネス・ツンペが、クラヴィコードの流れを継承して、クラヴィコードにハンマーアクションを装置したスクウェアピアノ を制作した。ピアノを初めてソロ楽器として公開演奏したのは、J.C.バッハ(J.S.バッハの息子)であったが(1768年)、そのとき使われたのがこのスクウェアピアノであった。

そしてこのツンぺの発明したイギリス式アクションに改良を加え、弦の張力を増し、フレームも強いものにしたのが、イギリスのジョン・ブロード・ウッドである。彼のイギリス式アクション(1780年頃)は、抵抗感のあるタッチと力強い音を生み出した。現代のピアノの先駆ともいえるであろう。晩年のベートーヴェンは、このブロードウッド製のピアノで数々の傑作を書いた。



ホールでの演奏に耐える音量と音域を追求

初期のピアノフォルテは、1台1台が手作りであったから、決まったモデルを量産したのではない。 従って同じメーカーでも、つくるたびに新しいアイデアを加えて、形も多少変えていった。その音域も18世紀の終り頃までは5オクターブが標準であったが、1800年の境を過ぎると、年を追って音域を増してくる。

フランス革命(1789年)以後、それまで貴族のものであったピアノ音楽も 一般大衆化し、ピアノ工業も大きく発達したのである。1000〜2000人の人達に聴かせるためのホールもでき(18世紀末)、ピアノも音域の広がりとともに、ホールで聴くに耐える音量や音の伸びが要求されるようになった。弦はより高い張力で張られ、それを支えるフレームにも、頑丈な鉄骨が使われ始めた(1799年)。

手作りで1台のピアノを完成させることは不可能な時代に入ったのである。


現代グランド・アクションの完成

音量を増大するのみならず、ピアノ奏法の発達にともない、タッチの面でもピアノに対する要求は大きくなっていった。 素早い連打やトリルなどの装飾音、早い連続したパッセージの多用(ロマン派音楽)が作曲面であらわれるに従って、ピアノのアクションにも、より敏感なものが要求されるようになった。
この要求に応えてアクション機構も一層精密さを増し、アフタータッチがよりクリアーに感じられ、素早い連打を可能にする画期的な現代グランドアクションが、フランスのピエール・エラールにより1821年に発明された。


様々な部分に加えられた改良

1820年を過ぎる頃から、ピアノの製造方法に各国で多くの改良や発明が行われた。ミュージックワイヤーを使うようになったのもそのひとつで、それによってピアノフォルテ時代の細い真鍮線に比べて、音量が著しく増大した。

1826年には、ドイツ系のフランス人ハープが、フェルト製のハンマーを発明した。低音の音量を豊かにするために、太い銅の巻線を使うようになったのも大きな発明である(1820年)。 また、スペース的な実用性を高めるために張弦を交叉にした「交叉弦」も、やはり19世紀前半に考案された。音域もショパン、リスト時代は82鍵にまで増大した。

ショパンは、20歳でワルシャワからパリへ渡ってからは、生涯を終えるまでプレイエル製のピアノを愛用した。リストは、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーなどのピアノを使っている。拡大されたピアノの音域と、増大された音量を縦横無尽に駆使した最初の作曲家は、リストであった。


質的向上をめざした19世紀以降のピアノ工業  〜現代のピアノの完成〜

19世紀の半ば、ショパン、リスト時代を持ってピアノのメカニズムの原理と工法は、一応の完成の域に達した。メーカーのその後の努力目標は、もっぱら質の向上に向けられていった。 ピアノの弦はさらに太い巻線になり、また全体の張力も増大したため、それを支えるために鋳物の鉄骨を組むようになった(1840年)。 そのうえに華やかな明るい音を求めるとなると、弦の張り方も限度まで張力を高めることになる。現代ピアノの張力のトータルは、20トンにも及んでいる。

ヨーロッパピアノメーカーの特色と変遷

パリのエラール社は現代の20世紀まで、フランスを代表するピアノ名門会社であった。創業者セバスティアン・エラール(1752〜1831)は、 フランスでピアノフォルテをつくった最初の人である。19世紀末から20世紀初めにかけて、エラールの品質は世界的な評判をとり、演奏会ホールや各国の王宮にもエラール・ピアノが備えられた。

ドイツのブラウンシュヴァイクのグロトリアン・シュタインヴェークは、今日のスタインウェイの前身会社で、今なお堅実な製品を出している。この一族の一人であるハインリヒ・エンゲルハルト・シュタイヴェーグはアメリカに渡り、ニューヨークに工場を開き、名前を英語読みにかえてスタインウェイをつくりはじめた(1853年)。これがニューヨークのスタインウェイである。後にまたこの一族の一人がドイツに戻って製造を始めたのが、今日のハンブルグスタインウェイである。かくしてこの会社は二種の製品を出すことになった。

ベヒシュタインの元祖フリードリヒ・ウィルヘルム・ベヒシュタインは、19世紀半ば過ぎに、ロンドンのピアノ工場で徒弟として修行を積み、バリではハープに弟子入りをして1853年にベルリンで小さな工場を開いたが、数十年で一流メーカーに進出。リストやビューローもこのピアノを愛した。

ライプチヒのブリュートナーも、1853年にユリウス・ブリュトナーが3人の仲間とともに工場を開き、創業はじめから品質の良い、音量の充実したピアノとして評判をとった。モシュレス、ライネッカ、リストなどが愛用し、1867年のパリ万国博では一等の金賞を得て一躍有名になった。

ウィーンには名門ピアノ、ベーゼンドルファーがある。イグナツ・ベーゼンドルファーによる1828年の創業で、音楽の都ウィーンを象徴する歌うような伸びのある音質が長所で高い評価を得た。

総じて19世紀半ば以後のピアノは、大会場にふさわしい音量が要求されるので、一昔前に比べて鍵盤も長く、沈みも深い。協奏曲などでオーケストラに負けてはならないので、ピアノの設計にもその対応が必要になってくるのである。また一方で作曲家もオーケストラに挑戦するような作品を書くのは、リスト時代から始まっていた。音域の面でも第一次世界大戦後は、88鍵が標準になった。

このようにして、音の質、タッチ、音域、音量、そして総合的に現代の要求に応えるピアノが完成したのである。

https://www.miyajimusic.com/piano/known/known1_1.php
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c79

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
80. 中川隆[-13283] koaQ7Jey 2020年3月26日 22:03:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1621]
No.12"エラール"
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html

解説:伊藤 綾子

エラール社(1780--1959)は1780年にセバスチャン・エラールによって創業された、19世紀フランスを代表するピアノ・メーカー。

歴史的な作曲家(ハイドン、ベートーヴェン、リスト、ショパン、メンデルスゾーン、ヴェルディ、ワーグナー、シャブリエ、フォーレ、ラヴェル)がエラールを所有していただけでなく、18世紀には顧客にマリー・アントワネット王妃もいた王宮の楽器職人であった。

パリ音楽院の業者であったこともあり、19世紀後半のパリ音楽院でのレッスンはエラールのピアノで行われ、音楽家、ピアニスト、作曲家達が、その響きによって育成されている。

そして、時代の先端を行くピアニスト(若きリスト、ルービンシュタイン、パデレフスキー)が広告塔となってエラールを演奏会で使用し、その発展を促した。
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c80

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
81. 中川隆[-13282] koaQ7Jey 2020年3月26日 22:04:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1622]
エラール
https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html

製作者:フランス、エラール社 
製作年:1899年
サイズ:全長=257p、幅=151p、高さ=106.5p
音域:A₂〜a⁴、85鍵

「ピアノの貴婦人」と称され、外装はホワイトクリーム色で側板や脚に見事な彫刻が施されています。全体的に、ヴェルサイユ宮殿を建てたルイ14世の時代の様式を持っている豪華なグランド・ピアノです。


ベートーヴェンとエラール

ベートーヴェンのピアノ作品のなかで1803〜1816頃はフランスのエラール製(F₁〜c⁴、68鍵)のピアノを使用して作曲していたと言われています。

ベートーヴェンはこのピアノの音域の広さをピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」に反映しています。低音の反復音で始まり、突然最高音域に跳躍して旋律が奏でられます。

第23番の「熱情」の終楽章では、このピアノの最高音c⁴がふんだんに使われています。

https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c81

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
82. 中川隆[-13281] koaQ7Jey 2020年3月26日 22:10:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1623]
2017.06.14
【ショパンが愛したピアノ】なにが違う? ピアノメーカーの特徴を紹介2


こんにちは! ピアニストのRiLuMi(リルミ)です。

ピアノは持ち運びができない楽器なので、演奏の仕事では各会場にあるピアノを弾くことになります。ピアニストにとってはどこのメーカーのピアノが置いてあるのかなということも楽しみのひとつなのですが、ピアノに馴染みのない方の中にはあまりメーカーの違いに関心を寄せたことがないという方も多いようです。

そこで、ピアノの種類やメーカーについて紹介してみようと思い立ちました。前回はビギナー向けということでYAMAHAのCシリーズとSteinway & Sonsのコンサートグランドを取り上げました。


今日はフランスのピアノメーカー、PLEYEL(プレイエル)とErard(エラール)を紹介します。

どちらもピアノ好きの方以外には聞きなれない名前かもしれませんが、プレイエルは世界最古のピアノメーカーであり、かのショパンが愛用していたことでも知られています。エラールも様々な作曲家が所持し、顧客にマリー・アントワネットがいたりと、どちらも歴史的人物に関わりのあるメーカーです。

そんなロマンある2社のピアノですが、現在演奏会などで聴くことはなかなか難しいので、音源をご紹介します。

ショパンが愛した音、プレイエル
早速プレイエルの音から聴いてみましょう。




創始者のイグナッツ・プレイエルは作曲も演奏もこなす多才な人物でしたが、様々な要因とフランス革命によって市民に糾弾され、音楽家として生きていくのが難しくなります。そこでまず楽譜の出版業を起こし、その 2 年後からピアノ製造をはじめました。

息子カミーユ・プレイエルは父イグナッツから会社を譲り受け、作曲家の支援をしたり演奏会用ホールを作り事業を拡大したりします。そういった中で出会ったひとりがショパンでした。

こちらはプレイエルショールームの紹介動画です。





上記のショールーム動画内でも説明がありますが、ショパンの曲にはプレイエルがピッタリ。ピアニストのコルトーは、プレイエルのピアノを使ってショパンの録音を残しています。

もとは家具職人! 才能ありすぎのエラール

エラールの創始者であるセバスチャン・エラールは建築をはじめ機械や機構にも鋭い感性があり、家具職人からチェンバロメーカーへと移ります。

技術力のあった彼はあっという間に師匠の能力を超えてしまうと、それが理由でクビになってしまいました。次の職場も才能ゆえにうまくいかず、自分の工房を持ったのちに初のピアノを発表するも、周囲のやっかみで職人のグループから外されてしまいます。

しかし彼はピアノ作りを続けるために、時の王妃マリー・アントワネットに取り入り、多くのピアノを贈ったとされています。

そんな波乱万丈なエラールのピアノはどんな音がするのでしょう?





こちらはスタインウェイとエラールの比較動画です。音の違いがハッキリわかると思います。





動画からもわかるように、現在のピアノより鍵盤も少なく、聴きなれない音がしますよね。チェンバロからピアノへの過渡期には、様々なピアノが発明され作られてきました。プレイエルもエラールもその流れがあったことが伝わると思います。

そしてこの二社はフランス革命・世界恐慌・第二次世界大戦と大きな時代の波を受け、最終的にひとつの会社となりますが、すでに生産を終えています。

新たにピアノが作られることがないと思うと寂しくもありますが、今ある楽器は長く大切にされていくでしょう。

今後もし見かけたり、演奏する機会があるとしたら、それはとても幸運なことだと思います。

https://cosmusica.net/?p=4203

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c82
[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
13. 中川隆[-13280] koaQ7Jey 2020年3月26日 23:18:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1624]
アメリカ軍は自国の敵を強大に見せかけるほど予算を増やしてもらえるという利害関係があるので、なるべく敵を強く見せようとします。

冷戦時代「ソ連には4000発の核ミサイルがあり、米国は叶わない」と主張したが、実際には数発しか発射可能な核ミサイルを持っていなかった。


ソ連やロシア戦闘機を強く見せかけるのも恒例で、そうする事で新型戦闘機の開発予算を獲得しました。

中国製兵器についても大体は「アメリカ製に匹敵する」と書かれているが、大概にしろという感じです。

例えば中国の原子力潜水艦は、現実に外洋にでて稼動しているものが1隻もなく、従って米国にミサイルを撃ち込めないとされている。


アメリカ軍人や軍関係機関の言い分を真に受けていると、今にも中国やロシアが米本土に上陸するように思えてくる。
http://www.thutmosev.com/archives/66172033.html#more
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c13

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
49. 中川隆[-13279] koaQ7Jey 2020年3月26日 23:24:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1625]
アメリカ軍は自国の敵を強大に見せかけるほど予算を増やしてもらえるという利害関係があるので、なるべく敵を強く見せようとします。

冷戦時代「ソ連には4000発の核ミサイルがあり、米国は叶わない」と主張したが、実際には数発しか発射可能な核ミサイルを持っていなかった。


ソ連やロシア戦闘機を強く見せかけるのも恒例で、そうする事で新型戦闘機の開発予算を獲得しました。

中国製兵器についても大体は「アメリカ製に匹敵する」と書かれているが、大概にしろという感じです。

例えば中国の原子力潜水艦は、現実に外洋にでて稼動しているものが1隻もなく、従って米国にミサイルを撃ち込めないとされている。


アメリカ軍人や軍関係機関の言い分を真に受けていると、今にも中国やロシアが米本土に上陸するように思えてくる。
http://www.thutmosev.com/archives/66172033.html#more
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c49

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
60. 中川隆[-13278] koaQ7Jey 2020年3月26日 23:26:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1626]
アメリカ軍は自国の敵を強大に見せかけるほど予算を増やしてもらえるという利害関係があるので、なるべく敵を強く見せようとします。

冷戦時代「ソ連には4000発の核ミサイルがあり、米国は叶わない」と主張したが、実際には数発しか発射可能な核ミサイルを持っていなかった。


ソ連やロシア戦闘機を強く見せかけるのも恒例で、そうする事で新型戦闘機の開発予算を獲得しました。

中国製兵器についても大体は「アメリカ製に匹敵する」と書かれているが、大概にしろという感じです。

例えば中国の原子力潜水艦は、現実に外洋にでて稼動しているものが1隻もなく、従って米国にミサイルを撃ち込めないとされている。


アメリカ軍人や軍関係機関の言い分を真に受けていると、今にも中国やロシアが米本土に上陸するように思えてくる。
http://www.thutmosev.com/archives/66172033.html#more
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c60

[近代史4] アメリカ軍は敵を強大に見せかけるほど予算を貰えるので、なるべく敵を強く見せようとする

アメリカ軍は敵を強大に見せかけるほど予算を貰えるので、なるべく敵を強く見せようとする


アメリカ軍は自国の敵を強大に見せかけるほど予算を増やしてもらえるという利害関係があるので、なるべく敵を強く見せようとします。

冷戦時代「ソ連には4000発の核ミサイルがあり、米国は叶わない」と主張したが、実際には数発しか発射可能な核ミサイルを持っていなかった。


ソ連やロシア戦闘機を強く見せかけるのも恒例で、そうする事で新型戦闘機の開発予算を獲得しました。

中国製兵器についても大体は「アメリカ製に匹敵する」と書かれているが、大概にしろという感じです。

例えば中国の原子力潜水艦は、現実に外洋にでて稼動しているものが1隻もなく、従って米国にミサイルを撃ち込めないとされている。


アメリカ軍人や軍関係機関の言い分を真に受けていると、今にも中国やロシアが米本土に上陸するように思えてくる。
http://www.thutmosev.com/archives/66172033.html#more
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/681.html

[近代史4] 東京大空襲や原爆を投下したのはアメリカ国防省の官僚が出世するためだった

東京大空襲や原爆を投下したのはアメリカ国防省の官僚が出世するためだった

2020年03月24日
1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが、誰もその事は言わない。

引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500.jpeg


1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました。

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた。

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた。

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした。

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった。

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた。


国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった。

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた。

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた。


1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった。

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて、外務省も同調していた。

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった。


降伏を拒否したアメリカ軍

海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている。

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる。

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている。


4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました。

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった。

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した。


だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し、8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました。

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました。

もう一つの米国との交渉ルートは、中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった。


大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた。

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた。

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した。


戦後の始まり

原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた。

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した。

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる。


米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた。

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません。

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した。


それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした。

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました。

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に、解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました。


その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました。

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました。
http://www.thutmosev.com/archives/65832220.html


2020年02月11日
原爆は「日本が降伏した後で」投下された 日本の降伏を拒否したアメリカ軍

アメリカ軍は勝利を自らの手柄にするため終戦を遅らせ、2発の原爆を使用した。

引用:http://blog-imgs-82.fc2.com/h/i/s/history365days/10616593_828729970491689_8779173433003972912_n.jpg


広島・長崎の原子爆弾は、日本が降伏しなかったから投下したとされています。

だが少しずつ公開された資料からは、日本が降伏し、アメリカが拒否して原爆を投下した事実が示されている。


日米和平交渉

1945年、日本と米国の終戦交渉が秘密裏に行われていました。

日本側は1942年のミッドウェー海戦から敗戦を続けていて、戦争を終わらせる必要がありました。

一方のアメリカは強敵のドイツ軍をやっつけて、太平洋方面に主力を移動させようとしていて、余力充分でした。

日本側では特に海軍と外務省、昭和天皇が早期終戦を望んでいて、陸軍は徹底抗戦を望んでいました。

アメリカ側はやる気充分だったが、特に軍は積極的で、日本を廃墟にするまで戦う気でした。

だが既にソ連軍の拡大は懸念材料になっていて、国務省など外交筋は早期終戦を望んでいた。


日本本土を戦場にして戦えば、ソ連が日本の半分を占領する事になり、ソ連を利する事になるからだった。

1945年7月にはまだソ連と日本は戦っていないが、既にルーズベルト大統領はヤルタ会談などでソ連参戦を要請していた。

ソ連は日本と戦う見返りとして日本の東半分、つまり名古屋から右側を要求していたとされている。


日本軍はソ連対日参戦の日を8月もしくは9月と予想し、それまでに対米戦を終了しなければならないと認識していた。

なぜなら米国だけに降伏すれば、国土は分割されず、いつかは再び独立できるが、ソ連と分割されれば永遠に復活出来ないからだった。

日本側は国土を分割しない事と憲法護持、天皇制を維持する事を条件として、米国に接触を試みました。


成功するかに見えた和平交渉

1945年4月、日本政府は最早敗戦は決定的であるとして、米国との終戦交渉に着手するのを決定しました。

このとき大本営の数人だけで極秘の決定がなされたが、ソ連に仲介を依頼する事になっていました。

同時に別案として、スイスやバチカンなど中立国で、米国と直接交渉をする事も決められました。


日本は欧州の中立国スイスに公使館を持っていて、米国など連合国側の大使と接触が可能でした。

真珠湾攻撃以降、連合国側との接触は途絶えていたが、一応こちらの方法も実施されました。

5月から7月に掛けて日本側から働きかけが行われ、応じたのがドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスでした。


7月には仲介者を通じて、日本側とアレンダレスの最初の交渉が行われ、ダレスは日本が提案した条件を呑んだとされている。


条件と言っても日本側が絶対に譲らないとしたのは、天皇制護持だけで、国土と憲法の方は譲歩の余地がかなりあった。

この時既に沖縄は米軍に占領されていたので、最悪沖縄が米国領になっても仕方が無い事だった。


日本側の出席者は政府や軍ではなく、表向き民間人の横浜正金銀行の銀行マンだったとされている。

仲介者は国際決済銀行(BIS)のペール・ヤコブソンで、これはヤコブソンの膨大なメモや資料で裏づけられています。

アレンダレスは7月15日に初めてヤコブソンと会談し、そこで日本の条件を受諾する姿勢を示したとされている。

この時日本側は8月の第一週から第二週、つまり直ぐにでも停戦したい旨を提案したとされています。


日本の降伏を無視したアメリカ軍

だがダレス1人が納得しても、アメリカ政府や大統領、外交筋や軍が了承するかは別で、特に軍は徹底的に日本を叩く気でした。

7月23日には、ダレスとヤコブソンの会談で、このルートで和平交渉を進めることを確認したが、8月に入ると事態が大きく動いた。

8月6日に広島原爆投下、8月8日にソ連が対日宣戦布告、8月9日にシベリアで日本軍とソ連軍が激突、同8月9日に長崎原爆が投下されました。


これには裏があり、米軍はダレスの交渉が成功しそうだと知っており、勝手に合意する前に総攻撃を掛けたのだった。

もし米軍が最後のとどめを刺さないまま戦争が終われば、戦争の最大の功労者は外交官だった事になる。

だがドイツを占領したように日本を壊滅させ、占領する事で戦争が終われば、手柄は軍のものになります。


ダレスの終戦交渉が頓挫したのは、米軍上層部が1945年12月まで戦争を続けるとして、日本の降伏を突っぱねたからとされている。

この時米軍は日本に10発の原子爆弾を投下する予定で、生産した爆弾や爆撃機を「消費」しなければならなくなっていた。

おかしな話だが、兵器というものも一度生産したらどこかで消費しないと余ってしまい、誰かが責任を取らされる。


1945年12月まで時間があれば、予定していた10発の原爆のかなりを使用できると考えた。

ダレスは戦略事務局(CIA)職員としてイタリア軍、ドイツ軍を降伏させ、日本との交渉もしていたから、日本が降伏を申し出たのは本国に伝わっていた。

昭和天皇は4月と5月の東京大空襲の時に、既に降伏の意思を固めていたのが、周囲の人々によって記されていました。


原爆投下後の8月14日に御前会議でポツダム宣言受諾を決定し、玉音放送を録音し、8月15日に放送した。

本来は総理大臣などが発表するべきだが、陸軍が本土決戦を主張した為、末端の兵士にまで直接伝える必要が生じた。

同時に全世界にラジオ放送することで、アメリカ軍が「降伏など受けていない」と絶対に言えないようにしたのでした。


米軍は8月13日には停戦の連絡を受け、日本軍は14日に戦闘をやめているが、15日の夜になっても爆撃を続けている。

このようにアメリカ政府とアメリカ軍は、1945年7月末には日本の降伏申し出を知っていて、なおかつ原爆を使用したのでした。
http://www.thutmosev.com/archives/58195625.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/682.html

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない
19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない


2017.06.14
【ショパンが愛したピアノ】なにが違う? ピアノメーカーの特徴を紹介2


こんにちは! ピアニストのRiLuMi(リルミ)です。


ピアノは持ち運びができない楽器なので、演奏の仕事では各会場にあるピアノを弾くことになります。ピアニストにとってはどこのメーカーのピアノが置いてあるのかなということも楽しみのひとつなのですが、ピアノに馴染みのない方の中にはあまりメーカーの違いに関心を寄せたことがないという方も多いようです。


そこで、ピアノの種類やメーカーについて紹介してみようと思い立ちました。前回はビギナー向けということで YAMAHA の Cシリーズと Steinway & Sons のコンサートグランドを取り上げました。


今日はフランスのピアノメーカー、PLEYEL(プレイエル)とErard(エラール)を紹介します。


どちらもピアノ好きの方以外には聞きなれない名前かもしれませんが、プレイエルは世界最古のピアノメーカーであり、かのショパンが愛用していたことでも知られています。エラールも様々な作曲家が所持し、顧客にマリー・アントワネットがいたりと、どちらも歴史的人物に関わりのあるメーカーです。


そんなロマンある2社のピアノですが、現在演奏会などで聴くことはなかなか難しいので、音源をご紹介します。


ショパンが愛した音、プレイエル
早速プレイエルの音から聴いてみましょう。


1830年頃 ピアノ I.J.プレイエル 概要



プレイエル社は1807年パリ設立のピアノ・メーカー。創業者であるイグナツ・プレイエルは、ハイドンに学んだ優れた音楽家でもある。


動画内使用音源:
浜松市楽器博物館 コレクションシリーズ35
「ショパン ピアノ協奏曲第2番 室内楽版 〜プレイエル・ピアノと弦楽五重奏による〜」より
「バラード 第3番 変イ長調 作品47」(F.ショパン)
(演奏:小倉貴久子)



創始者のイグナッツ・プレイエルは作曲も演奏もこなす多才な人物でしたが、様々な要因とフランス革命によって市民に糾弾され、音楽家として生きていくのが難しくなります。そこでまず楽譜の出版業を起こし、その 2 年後からピアノ製造をはじめました。


息子カミーユ・プレイエルは父イグナッツから会社を譲り受け、作曲家の支援をしたり演奏会用ホールを作り事業を拡大したりします。そういった中で出会ったひとりがショパンでした。


こちらはプレイエルショールームの紹介動画です。


世界最古のピアノメーカーPleyel、夢のショールーム!




19世紀初頭に誕生し、名作曲家でありピアノの名手でもあったフレデリック・ショパンに愛されたフランス発、世界最古のピアノ製造ブランド『プレイエル』。


その本拠地でフランスを代表するコンサートホールとしても名高いサル・プレイエルに併設しオープンしたのが、このショールーム・プレイエル。


独特のタッチと響きを持つ伝説の楽器、世界にたった一つのデザイン・ピアノにも出会える夢のスペースを発見!



上記のショールーム動画内でも説明がありますが、ショパンの曲にはプレイエルがピッタリ。ピアニストのコルトーは、プレイエルのピアノを使ってショパンの録音を残しています。


もとは家具職人! 才能ありすぎのエラール


エラールの創始者であるセバスチャン・エラールは建築をはじめ機械や機構にも鋭い感性があり、家具職人からチェンバロメーカーへと移ります。


技術力のあった彼はあっという間に師匠の能力を超えてしまうと、それが理由でクビになってしまいました。次の職場も才能ゆえにうまくいかず、自分の工房を持ったのちに初のピアノを発表するも、周囲のやっかみで職人のグループから外されてしまいます。


しかし彼はピアノ作りを続けるために、時の王妃マリー・アントワネットに取り入り、多くのピアノを贈ったとされています。


そんな波乱万丈なエラールのピアノはどんな音がするのでしょう?


アヴデーエワ、1837年パリ製エラールを弾く



ユリアンナ・アヴデーエワ[ヒストリカル・ピアノ]
1837年パリ製エラール
(2013年4月3日 すみだトリフォニーホール)



こちらはスタインウェイとエラールの比較動画です。音の違いがハッキリわかると思います。



エラール(平均律)のリハーサル



サントリーホールが所有するエラール(平均律)を弾かせて頂きました。この翌日に、2,000人の前で、このエラールを『純正律432Hz』に調律してもらい、演奏しました。


エラールの音は、『優雅さ』や『おごそかさ』が無い所が好きです。でも、『華やかさ』がはんぱないです。
パーンってはじける感じ。


この動画は、平均律ですが、平均律でも十分にその素晴らしさがかいま見えます。
さわれて、光栄でした。


動画からもわかるように、現在のピアノより鍵盤も少なく、聴きなれない音がしますよね。チェンバロからピアノへの過渡期には、様々なピアノが発明され作られてきました。プレイエルもエラールもその流れがあったことが伝わると思います。


そしてこの二社はフランス革命・世界恐慌・第二次世界大戦と大きな時代の波を受け、最終的にひとつの会社となりますが、すでに生産を終えています。


新たにピアノが作られることがないと思うと寂しくもありますが、今ある楽器は長く大切にされていくでしょう。


今後もし見かけたり、演奏する機会があるとしたら、それはとても幸運なことだと思います。


https://cosmusica.net/?p=4203



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
1. 中川隆[-13277] koaQ7Jey 2020年3月27日 00:45:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1627]

ピアノの歴史

ピアノが誕生して約300年になリます。

3世紀に渡って発展を遂げてきたかのように思えますが、実は20世紀になってからは、ほとんど変化がみられません。

ピアノは19世紀未に完成の域に達してしまったのか、それとも音楽そのものがピアノにそれ以上のものを求めなかったのか、はてまた・・・

そのあたりの謎を、歴史をひもときながら考察してみましょう。


最初のピアノフォルテ

現在のピアノの原型をつくったのは、イタリアのクリストフォリ(1655〜1731)であった。

チェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思い、爪で弦をはじいて鳴らす代りにハンマー仕掛けで弦を打って鳴らすという、現在のピアノ・ メカニズムを発明したのが、1709年。 彼はこのメカニズムを備えた楽器を“クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ”(弱音も強音も出せるチェンバロ)と名付けた。 この名称を短くつめて、現在“ピアノ”と呼ばれているわけである。

このクリストフォリの仕事は、イタリアでは後継者がなく、ドイツのオルガン製作家ジルバーマンに受け継がれた。彼はクリストフォリの発明に改良を重ねて 新しいピアノをつくった。 J.S.バッハは、フリードリッヒ大王に献呈されたジルバーマンのピアノを、王の御前で演奏している。(1747年)


ピアノフォルテの改良

ドイツのピアノ工業に最も大きな貢献をしたのは、ヨハン・アンドレス・シュタイン(1728〜1792)であった。

彼はジルバーマンのピアノのメカニズに新たな改良を加え、ドイツ式もしくはウィーン式と呼ばれるアクションを完成させた。このアクションは長年にわたって評判をとった。シュタインのピアノは軽快なタッチと音が特長で、モーツァルトはこのピアノの明るく平均された音色を愛し、多くのピアノ曲を書いた。

一方イギリスではヨハネス・ツンペが、クラヴィコードの流れを継承して、クラヴィコードにハンマーアクションを装置したスクウェアピアノ を制作した。ピアノを初めてソロ楽器として公開演奏したのは、J.C.バッハ(J.S.バッハの息子)であったが(1768年)、そのとき使われたのがこのスクウェアピアノであった。

そしてこのツンぺの発明したイギリス式アクションに改良を加え、弦の張力を増し、フレームも強いものにしたのが、イギリスのジョン・ブロード・ウッドである。彼のイギリス式アクション(1780年頃)は、抵抗感のあるタッチと力強い音を生み出した。現代のピアノの先駆ともいえるであろう。晩年のベートーヴェンは、このブロードウッド製のピアノで数々の傑作を書いた。

ホールでの演奏に耐える音量と音域を追求

初期のピアノフォルテは、1台1台が手作りであったから、決まったモデルを量産したのではない。 従って同じメーカーでも、つくるたびに新しいアイデアを加えて、形も多少変えていった。その音域も18世紀の終り頃までは5オクターブが標準であったが、1800年の境を過ぎると、年を追って音域を増してくる。

フランス革命(1789年)以後、それまで貴族のものであったピアノ音楽も 一般大衆化し、ピアノ工業も大きく発達したのである。1000〜2000人の人達に聴かせるためのホールもでき(18世紀末)、ピアノも音域の広がりとともに、ホールで聴くに耐える音量や音の伸びが要求されるようになった。弦はより高い張力で張られ、それを支えるフレームにも、頑丈な鉄骨が使われ始めた(1799年)。

手作りで1台のピアノを完成させることは不可能な時代に入ったのである。


現代グランド・アクションの完成

音量を増大するのみならず、ピアノ奏法の発達にともない、タッチの面でもピアノに対する要求は大きくなっていった。 素早い連打やトリルなどの装飾音、早い連続したパッセージの多用(ロマン派音楽)が作曲面であらわれるに従って、ピアノのアクションにも、より敏感なものが要求されるようになった。
この要求に応えてアクション機構も一層精密さを増し、アフタータッチがよりクリアーに感じられ、素早い連打を可能にする画期的な現代グランドアクションが、フランスのピエール・エラールにより1821年に発明された。


様々な部分に加えられた改良

1820年を過ぎる頃から、ピアノの製造方法に各国で多くの改良や発明が行われた。ミュージックワイヤーを使うようになったのもそのひとつで、それによってピアノフォルテ時代の細い真鍮線に比べて、音量が著しく増大した。

1826年には、ドイツ系のフランス人ハープが、フェルト製のハンマーを発明した。低音の音量を豊かにするために、太い銅の巻線を使うようになったのも大きな発明である(1820年)。 また、スペース的な実用性を高めるために張弦を交叉にした「交叉弦」も、やはり19世紀前半に考案された。音域もショパン、リスト時代は82鍵にまで増大した。

ショパンは、20歳でワルシャワからパリへ渡ってからは、生涯を終えるまでプレイエル製のピアノを愛用した。リストは、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーなどのピアノを使っている。拡大されたピアノの音域と、増大された音量を縦横無尽に駆使した最初の作曲家は、リストであった。


質的向上をめざした19世紀以降のピアノ工業  〜現代のピアノの完成〜

19世紀の半ば、ショパン、リスト時代を持ってピアノのメカニズムの原理と工法は、一応の完成の域に達した。メーカーのその後の努力目標は、もっぱら質の向上に向けられていった。 ピアノの弦はさらに太い巻線になり、また全体の張力も増大したため、それを支えるために鋳物の鉄骨を組むようになった(1840年)。 そのうえに華やかな明るい音を求めるとなると、弦の張り方も限度まで張力を高めることになる。現代ピアノの張力のトータルは、20トンにも及んでいる。


ヨーロッパピアノメーカーの特色と変遷

パリのエラール社は現代の20世紀まで、フランスを代表するピアノ名門会社であった。創業者セバスティアン・エラール(1752〜1831)は、 フランスでピアノフォルテをつくった最初の人である。19世紀末から20世紀初めにかけて、エラールの品質は世界的な評判をとり、演奏会ホールや各国の王宮にもエラール・ピアノが備えられた。

ドイツのブラウンシュヴァイクのグロトリアン・シュタインヴェークは、今日のスタインウェイの前身会社で、今なお堅実な製品を出している。この一族の一人であるハインリヒ・エンゲルハルト・シュタイヴェーグはアメリカに渡り、ニューヨークに工場を開き、名前を英語読みにかえてスタインウェイをつくりはじめた(1853年)。これがニューヨークのスタインウェイである。後にまたこの一族の一人がドイツに戻って製造を始めたのが、今日のハンブルグスタインウェイである。かくしてこの会社は二種の製品を出すことになった。

ベヒシュタインの元祖フリードリヒ・ウィルヘルム・ベヒシュタインは、19世紀半ば過ぎに、ロンドンのピアノ工場で徒弟として修行を積み、バリではハープに弟子入りをして1853年にベルリンで小さな工場を開いたが、数十年で一流メーカーに進出。リストやビューローもこのピアノを愛した。

ライプチヒのブリュートナーも、1853年にユリウス・ブリュトナーが3人の仲間とともに工場を開き、創業はじめから品質の良い、音量の充実したピアノとして評判をとった。モシュレス、ライネッカ、リストなどが愛用し、1867年のパリ万国博では一等の金賞を得て一躍有名になった。

ウィーンには名門ピアノ、ベーゼンドルファーがある。イグナツ・ベーゼンドルファーによる1828年の創業で、音楽の都ウィーンを象徴する歌うような伸びのある音質が長所で高い評価を得た。

総じて19世紀半ば以後のピアノは、大会場にふさわしい音量が要求されるので、一昔前に比べて鍵盤も長く、沈みも深い。協奏曲などでオーケストラに負けてはならないので、ピアノの設計にもその対応が必要になってくるのである。また一方で作曲家もオーケストラに挑戦するような作品を書くのは、リスト時代から始まっていた。音域の面でも第一次世界大戦後は、88鍵が標準になった。

このようにして、音の質、タッチ、音域、音量、そして総合的に現代の要求に応えるピアノが完成したのである。

https://www.miyajimusic.com/piano/known/known1_1.php



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No.12"エラール"
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html
解説:伊藤 綾子

エラール社(1780--1959)は1780年にセバスチャン・エラールによって創業された、19世紀フランスを代表するピアノ・メーカー。

歴史的な作曲家(ハイドン、ベートーヴェン、リスト、ショパン、メンデルスゾーン、ヴェルディ、ワーグナー、シャブリエ、フォーレ、ラヴェル)がエラールを所有していただけでなく、18世紀には顧客にマリー・アントワネット王妃もいた王宮の楽器職人であった。

パリ音楽院の業者であったこともあり、19世紀後半のパリ音楽院でのレッスンはエラールのピアノで行われ、音楽家、ピアニスト、作曲家達が、その響きによって育成されている。

そして、時代の先端を行くピアニスト(若きリスト、ルービンシュタイン、パデレフスキー)が広告塔となってエラールを演奏会で使用し、その発展を促した。
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html


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エラール
https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html

製作者:フランス、エラール社 
製作年:1899年
サイズ:全長=257p、幅=151p、高さ=106.5p
音域:A₂〜a⁴、85鍵

「ピアノの貴婦人」と称され、外装はホワイトクリーム色で側板や脚に見事な彫刻が施されています。全体的に、ヴェルサイユ宮殿を建てたルイ14世の時代の様式を持っている豪華なグランド・ピアノです。


ベートーヴェンとエラール

ベートーヴェンのピアノ作品のなかで1803〜1816頃はフランスのエラール製(F₁〜c⁴、68鍵)のピアノを使用して作曲していたと言われています。

ベートーヴェンはこのピアノの音域の広さをピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」に反映しています。低音の反復音で始まり、突然最高音域に跳躍して旋律が奏でられます。

第23番の「熱情」の終楽章では、このピアノの最高音c⁴がふんだんに使われています。

https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c1

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
2. 中川隆[-13276] koaQ7Jey 2020年3月27日 00:54:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1628]

ヤマハやカワイを弾いている音大の学生には音楽は絶対にわからない



久元 祐子・エラールによる『革命』




オリジナルのエラールのよる、ショパンのエチュード『革命』です。
Chopin:Etude "Revolutionary" ;Erard 1868(original) played by Yuko Hisamoto


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久元祐子・プレイエルとエラールによるショパン。




オリジナルのプレイエルとエラールによるショパンの演奏をお聴きください。
Pleyel(1843);Erard(1868):Chopin by Yuko Hisamoto


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Satie (1866-1925) - Gnossienne No.1 played on a Pleyel Pianino (upright piano, 85keys, 1858)




プレイエル1858年製ピアニーノ(85鍵、鉄骨無し)で弾いたサティです。非常に優秀な修復のおかげで楽器からさまざまな雰囲気が生み出されるようになっており、少々時代が下りますが雰囲気が極めて独特なサティのグノシエンヌを試してみました。

このピアニーノはショパンが自宅に持っていたピアニーノと構造的にはほとんど変化がありません。ピアニーノはアップライト型でありながらこの時代のグランドピアノと使っている材料も変わらず、プレイエルの楽器作りに対する矜持が伺える気がします。

プレイエル:ピアニーノ
(1858年製造/高さ117cm/横幅131cm/奥行61.5cm/85鍵)

修復:ピアノ バルロン・ジャパン
http://francepiano.jp/home.htmlhttp://francepiano.blogspot.com/
   
さいたまピアノ工房(http://saitama-piano.main.jp/

古典鍵盤楽器奏者/筒井一貴 つれづれ草紙:
http://bergheil.air-nifty.com/blog/




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c2
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
3. 中川隆[-13275] koaQ7Jey 2020年3月27日 01:09:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1629]

フランス人だけがヤマハから美しい音色が出せる理由


ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109 ハイドシェック




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Eric Heidsieck plays Chopin, Faure, Liszt, Bach, Beethoven, Debussy - live 1985






A magnificent recital by Eric Heidsieck, live in 1985. He might have played the pieces in a different order than this. The photo shows Eric sitting on a stump playing a silent keyboard in Brittany, 1964. Timing below:

00:00 - Chopin Barcarolle, op. 60
08:46 - Faure Nocturne no. 7, op. 74
16:36 - Faure Nocturne no. 8, op. 84 no. 8
18:13 - Liszt Reminiscences de Norma
37:41 - Bach Partita no. 1, BWV 825
55:15 - Beethoven Piano Sonata no. 23, op. 57, Appassionata
01:16:47 - Debussy Prelude, Book 2 no. 2, Feuilles mortes




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Handel - Complete Keyboard Suites / New Mastering + Presentation (Century’s record.: Eric Heidsieck)





Georg Friedrich Haendel (1685-1759) - Complete (16) Keyboard Suites.
Click to activate the English subtitles for the presentation (00:00-02:05)
Suite No.1
I.Prélude (00:00) II.Allemande (02:22)
III.Courante (05:18) IV.Gigue (07:59)

Suite No.2
I.Prélude (10:52) II.Toccata (14:03)
III.Sarabande (15:27) IV.Fugue (17:23)

Suite No.3
I.Prélude (19:34) II.Fugue (20:47)
III.Allemande (22:46) IV.Courante (25:54) V.Air (27:33)
VI.Variation 1 (32:23) VII.Variation 2 (33:13)
VIII.Variation 3 (34:06) IX.Variation 4 (34:57)
X.Variation 5 (35:47) XI.Presto (36:26)

Suite No.4
I.Fugue ‘’la grande’’ (39:09) II.Allemande (42:50)
III.Courante (45:01) IV.Sarabande (47:02) V.Gigue (51:54)

Suite No.5 ‘’L’harmonieux Forgeron’’
I.Prélude (53:32) II.Allemande (55:47)
III.Courante (59:21) IV.Air (1:00:45)

Suite No.6
I.Prélude (1:05:19) II.Fugue (1:09:51) III.Gigue (1:13:05)

Suite No.7
I.Ouverture (1:15:47) II.Allemande (1:21:41)
III.Courante (1:24:27) IV.Sarabande (1:25:29)
V.Gigue (1:27:35) VI.Passacaille (1:28:54)

Suite No.8
I.Prélude (1:33:31) II.Fugue (1:35:40)
III.Allemande (1:39:23) IV.Courante (1:41:19)
V.Gigue (1:42:52)

Suite No.9
I.Allemande (1:44:50) II.Courante (1:47:21)
III.Gigue (1:50:58)

Suite No.10
I.Allemande (1:55:35) II.Courante (1:57:54)
III.Air (1:59:27) IV.Gigue (2:02:31) V.Menuet (2:03:55)

Suite No.11
I.Allemande (2:09:05) II.Courante (2:11:25)
III.Sarabande ‘’La Grande’’ (2:12:51)
IV.Variations 1 à 6 (2:13:31) V.Strette (2:16:46)
VI.Gigue (2:17:14)

Suite No.12
I.Allemande (2:17:59 II.Courante (2:21:13)
III.Gigue (2:23:04)

Suite No.13
I.Allemande (2:25:56) II.Courante (2:27:56)
III.Sarabande (2:29:33) IV.Gigue ‘’La Grande’’ (2:33:07)

Suite No.14
I.Allemande (2:34:44) II.Allegro (2:36:25)
III.Courante (2:37:27) IV.Air (2:40:08)
V.Menuet (2:40:45) VI.Gavotte (2:42:42)
VII.Gigue (2:45:45)

Suite No.15
I.Allemande (2:47:42) II.Courante (2:49:39)
III.Sarabande (2:51:36) IV.Gigue (2:54:24)

Suite No.16
I.Allemande (2:55:40) II.Courante (2:57:00)
III.Sarabande (2:59:21) IV.Gigue (3:02:02)

Piano : Eric Heidsieck


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ハイドシェックの音色の秘密はここにあり。。。
エラール製のピアノと共に。
http://monchemin.exblog.jp/11777098/




フランスの好み


 どういうわけか…というのもちょっと変かもしれないが、このところフランスではピアノといえば──コンサートや録音の現場では──ヤマハを好む一派が主流をなしているようで、この国でのヤマハの支持のされ方は我々日本人から見るとちょっと意外でもあり、驚きでもある。



 この現象、いつごろからとははっきりわからないけれども、気がつくと現役のフランス人有名ピアニストの大半が、申し合わせたようにみんなヤマハを弾いているのにはどうしたわけかと不思議に思うところであるし、同時に、これは非常に興味をそそられる点でもある。



 フランス人は、横並び大好きの日本人とは正反対のメンタリティを持った人達で、ことさら人と違うもの、自分独自のものでなくては気がおさまらないところがあるから、世界的なスタインウェイ偏重の流れに一定の抵抗心と実践力があるのだとすれば、それはフランスならあり得ることのような気がする。しかし同時に、個人レヴェルで見た場合、多くがヤマハという同一メーカーばかりを談合したように弾くのは、これはこれで一種の横並びじゃないかと解釈できないこともないところではあるが。

 とはいえ、何事においても独自性を重んじ、あくまでも自分達の感性や眼力で選び抜いたものを、独特の流儀で使いこなすというのはいかにもフランス人らしい点であろう。



 そしてそれが、自国のプレイエルではなく、他ならぬヤマハであるというところが正直言って驚かされるところだが、彼らのヤマハの使い方を見ていると、なるほどと思わせられる点もなくはない。



 まったくの想像だが、フランス人のヤマハ好みの火付け役は遠くはエリック・ハイドシェック、近くはジャン=マルク・ルイサダあたりではなかろうかとも思ってしまうがどうだろう。

 彼らはキャリアのはじめの頃はスタインウェイを使っていたし、ルイサダはさらにファブリーニ(イタリアの高名な調律家で、名匠タローネの弟子)のスタインウェイを弾くなどして録音をやっていた。マロニエ君の印象としては、ファブリーニのピアノはイタリア的な華やかさというよりは、非常にコントロールの行き届いたなめらかさがあり、同時に極めて精密で均一な鳴り方をするという印象がある。ハンブルクのスタインウェイをベースに、より精度を高めると共に、ところどころの音域間にある音色の段差などは極力抑えられてムラなく繋ぐなど、どちらかというと整然とした印象で、ファブリーニ氏の理想と個性に彩られたピアノになっていると感じられる。



 そのせいか、彼が手がけたプレイエルを2種類ほど録音で聴いたことがあるが、おそらく極上の調整がされているのだとは思うけれども、それがいささかやり過ぎなのか、ひどくつまらない、面白味のないピアノになっていたことは残念に感じたものだった。

 こういうことを言うと多くの技術者から叱られるかもしれないが、それでも敢えて言わせてもらえば、楽器というのは基本は素晴らしく調整されていなくてはいけないけれども、音造りの面にまで綿密を極めた仕事を行き届かせるあまり、生来の個性までもを押さえ込んでしまうことに繋がっていくやり方は感心できない。あくまで大局的見地に立って楽器が持って生まれたものを尊重しながらピアノに自由と健康を与え、最後のところでは良い意味でのアバウトさみたいなものさえも必要ではないだろうか。それが上手く作用することによって楽器が本来の声で開放的におおらかに鳴るものだと感じるし、こういう在り方のほうをマロニエ君は好む。



 そういう意味では、あまりに厳しく統制されたガチガチのピアノはまるで自由のない盲導犬のようで、どこか技術者の技術にしめつけられた窮屈さみたいなものを抱えていて好きにはなれない。それに、細緻を極めた調整をやりすぎると楽器の器までもが矮小化する場合があると感じるのはマロニエ君だけだろうか。機械的な調整はやりすぎるということはないけれど、そういう場合、往々にして調律師も相当の凝り性であろうし、彼らの中には楽器の個性を超越したところに理想の音というのがあって、それがどうしてもピアノに投影されすぎるような場合があるように感じる。

 楽器本来の持って生まれた音色や響きを絶対優先──場合によっては「理解」というべきかもしれない──させずに、優秀ではあっても調律師個人の主観と理想によって仕上げられたピアノというのは、一見とてもクリアーで素晴らしいように感じるが、不思議と深い感銘が得られない場合が少なくなく、結局はただ技術者の技ばかりを見せつけられるだけに終わってしまう。

 これはピアノ本来の特性や持ち味と、音造りの方向性や思想が、根本のところで噛み合っていないためだと思われる。



 ちなみに、横山幸雄氏が日本で現在進めている戦前のプレイエルを使ってのショパンの録音は、すでに3枚がリリースされたところだが、その調整の見事さには本当に舌を巻くし、日本人の技術というのはまさに世界の頂点だと言っても差し支えないと思う。よくぞここまで戦前のプレイエルを完璧といいたいまでに端正に仕上げたものだと思うが、ただひとつ残念というか心に添わない点は、では、これがこの楽器の本来の響きかどうかということになると、少なくともマロニエ君はどうしてもそうは思われないところがあるのである。



 フランスのヤマハに戻す。

 上記のファブリーニを弾いた後あたりから、ルイサダはヤマハを使うようになったとおぼろげに記憶しているが、もしかしたら間違っているかもしれない。ただ、ルイサダは現在彼が獲得しているピアニストとしての地位からすれば、指のメカニックは悲しいかな相応のものではないのは周知の事実だろう。彼の演奏するショパンの評価が高いのも、ひとつには彼が技巧的な劣勢をカバーするために追求され磨き込まれたところの成果ではなかろうかという推測がマロニエ君にはある。



 同じスタインウェイでも、技術者の手が存分に入ったピアノは、弾きやすさの点、音色の美しさという点では他の平均を大きく上回るものがあるが、当然ながら逆の場合もある。そういう機械的な確実性という観点から彼らがヤマハに辿り着いたのだとしたらじゅうぶん考えられることだろう。というのも、ヤマハは単なるアクションの問題だけでなく、その音色も含めた総合的な意味において、少なくともコンサートグランドの場合、とても弾きやすくピアニストに寛大なピアノであるということは言えるような気がする。



 ルイサダはコンサートはもちろん、録音なども現在はほとんど日本でやっているようだし、中堅のミシェル・ダルベルトや古典作品を得意とするアレクサンドル・タローもヤマハをヤマハを多用、いま最も期待される実力派フランス人ピアニストのひとりであるジャン=フレデリック・ヌーブルジェに至っては、年代や収録場所の異なるCDでもピアノはすべてと言っていいほど徹底してヤマハを弾いているようだ。

 逆にこの流れに入らないのはピエール=ロラン・エマールとエレーヌ・グリモーで、彼らは一貫して定番のスタインウェイを弾いているものの、フランス人ピアニストとしてはこちらのほうがちょっと異端な感じがするし、彼らの演奏はスケールこそ大きくはないものの、そのスタイルは国際規格であって、フランスという枠内にとどまってはいない。



 ひとついえることは、フランスで録音されたヤマハを聴いている限りにおいては、日本で聴くヤマハとはかなり違うという印象がなくもない。ひとくちに言うと、これがヤマハかと思うほど、とても繊細で音が柔らかく、やや小ぶりに上品にまとまっている。そしてピアノの個性があまり前面に出ることなく、演奏をあくまでも黒子的に支えているピアノという感じだ。

 これらの要素を考えていくと、もうおわかりかも知れないが戦前のエラールを連想させるタイプという気がしてくるわけで、ピアノは完全に脇にまわり、あくまで作品と演奏が主役となっている。



 ルイサダが日本でおこなった録音の中には、同じヤマハでも本当に美しい華やかな音色のピアノがあるかと思うと、いかにも日本的な味噌汁みたいなヤマハの音で思わず抵抗を覚えるものもあるが、その点、フランスでのヤマハには目のつまった上質な布地のようなしなやかさと上品さがあって、独特の節度ある美しさがはっきり聴き取れるのはマロニエ君も認めないわけにいかない。

 その代価というべきか、楽器としての大きさはないけれども、ベーゼンドルファーのような一種独特の臭味もなしに、弱音域の繊細さを表現できる垢抜けたピアノになっている点は大いに評価したい。

 ひょっとすると、はじめからフランス人たちは確信犯的に、ヤマハにスタインウェイ的なスケール感を見切った上で、ピアノにより華やかでセンシティヴな面だけを活かした音造りをやっているのかもしれないし、それに適った演奏によって洗練された音楽表現をしていることも考えられる。



 こういう成り立ちの演奏を聴いていると、なるほどスタインウェイのいかにもスケールの大きな華麗な音色は、フランス人ピアニストの好むデリケートなニュアンスには若干齟齬を生んでいたのかもしれないという気がしてくるし、それがしだいに理解できてくるところがおもしろい。

 楽器そのものが強靱かつブリリアントで、すでにスタインウェイという色の付いたピアノであること、またこのピアノの持ついかにも英雄的な性格が、彼らの軽妙で陰翳を必要とする感性にはやや合わないことは充分考えられる。



 さらにフランス人は、ピアノに対するイメージを、今日的なコンサートの基準であるホールよりも、ショパンの時代に見られるようなサロン的な規模のこまやかさのある楽器と捉えて、よりコンパクトでデリカシーに溢れた楽器であることを求めているようにも思われてくる。決して既存の基準に盲従することなく、そのようなイメージの問い直しができる点もフランスの文化の深さを感じさせられるところで思わず唸ってしまう。



 そういう意味では、フランス人のイメージにあるヤマハは、ヤマハ自身が本来目指しているものとは少々違ったニュアンスに落とし込まれている可能性もあるのかもしれない。つまり、フランス人はヤマハをあくまで自分達流にちょっと上手に使いこなしているように感じられるのだが、そういう実に巧みな、他では思いつかないような使い方を発見する彼らの独創性にはいまさらながら敬服する。要はヤマハを使っていても、それは決してヤマハに対する全的肯定ではないのだろう。



 かつて、ミシェル・ベロフやジャン=フィリップ・コラールが彗星のごとく世に出てきた70年代の録音などは、ピアノはスタインウェイだったが、その音はかなり通常のスタインウェイとは違うものだった。いかにもフランスピアノ的華やかさに溢れたもので、スタインウェイの持つ音の太さや荘重さを犠牲にしてでも、線は細いけれども贅肉をそぎ落としたようなシャープかつ華やかなピアノだった。とうてい他の国では受け容れられないピアノだったと思う。



 その他にもジャン・ドワイヤン、セシル・ウーセ、フランソワ=ルネ・デュシャーブルなどは一時期ベーゼンドルファーを使っていたが、ドワイヤン以外はこのウィーンの強いイントネーションに最終的に馴染めなかったのか、その後はスタインウェイを弾いたようだ。ベーゼンドルファーはもちろん素晴らしいピアノだが、ウィーン特有なある種の個性──野暮ったいことを逆手にとって崇高な美にまで高めたような──は、おそらくフランス的センスの前では、民族学的にも相容れないもののほうが大きいはずだ。

 名匠イーヴ・ナットはエラールとスタインウェイを引き分けていたようであるし、コルトーは大半をプレイエル、晩年にスタインウェイ、フランソワは多くをスタインウェイで弾いていたように思う。



 これほどフランス人ピアニストがスタインウェイを使いつつもそこに安住せず、さまざまなピアノの音色に試行錯誤してきたのは、自国のピアノが大戦を境に弱体化してしまい、同じDNAを持つピアノを失ってしまったためかもしれない。



 そして、このところ彼らが目をつけたのがヤマハということだろうか。少なくともフランスに於けるヤマハへの支持の高さは並々ならぬものがあるのは間違いないようで、この勢いなら少なくともパリでは、コンサート会場はもしかしたらヤマハのほうがスタンダードという可能性もあるだろう。



 そういえば、スタインウェイに鞍替えして、生産国の日本でさえもヤマハを弾かなかったショパンコンクールの覇者アヴデーエワは、パリでのリサイタルでは、あのオフィス着みたいな黒いパンツ姿からお姫様風ドレスに大変身して、再びヤマハを弾いているのにはまたまた驚いてしまった。

 まったく何がどうなっているやらこの業界のことはさっぱりわからないが、いずれにしてもフランスはやはり独自のものを失っていないということだろうか。



 面白いのは、これほどヤマハが異例の高い評価を受けながら、カワイは見向きもされず、その気配もないのはどうみるべきだろう?

 マロニエ君の想像では、カワイにはわずかながら伝統的ピアノの源流を思わせる色があるからだと思う。その色というのは、ドイツ的とまで明確には言い切れないけれども、強いていうなら中央ヨーロッパ的とてもいうべきで、少なくとも西ヨーロッパの明るくて軽い色彩と燦々たる光りのまぶしさはない。どちらかというと、わずかな陰鬱さと深いものを求める生真面目なピアノである点をフランス人は敏感にかぎ取って、自分達の求めるものとはやや異なる要素の存在を見逃していないのだろう。

 その点、ヤマハは明るめといえば語弊があるが、少なくとも現代的な音色でありながら、しかもこれという楽器が放つ主張がない。音だけを聞いているといったいどこのピアノかまるでわからないような匿名的かつ無国籍的な音だし、しかも古臭さのない音がするところを、フランス人は自分達の必要なところだけ上手く捉えて使っているように思われる。

 ヤマハの持つこれらの要素、さらにはピアノとしてのある種の寛大さ、楽器としての潜在力があまり大きくないことがフランス人の求める色合いにたまたま適合したのではないだろうか



 かつてのプレイエルのようにフランス人そのものから出てきたような個性ならば相性も抜群だろうが、そうではない場合は、却って特徴的な音色がないほうがいいことは、エラールのようなピアノが昔からプレイエルの陰でしっかりと同時並行的に支持されてきたフランスの土壌ならではと言えるかもしれない。



 現代のプレイエルはついにコンサートグランドをカタログに載せるに至り、その音色はたいそう柔らかなものではあったが、まだまだ完成の域には達しているとは言い難い印象だった。フランス人にはどんな評価を下しているのか聞いてみたいところである。

 ちなみに、プレイエルのコンサートグランドP280はバイロイトの老舗、シュタイングレーバーによって委託生産されているということを耳にしたので、日本のシュタイングレーバー輸入元であるS氏にその旨を聞いてみたところ、現在のプレイエルにはまだコンサートグランドを製造する力がないので、おそらくそういうことだろうという回答が返ってきた。



 それが事実だとするなら、やはりピアノは民族性が色濃く出てこその楽器なので、わけてもコンサートグランドともなればぜひとも自前で作って欲しいものだし、それができないのなら、他国の工房に委託してまで作る必要があるのかと思われる。ドイツで作られたプレイエルという構図は昔も一度あったことだが(シンメル)、それでは一体何のためのプレイエルかとも思うし、だいいちこれではドイツピアノなのかフランスピアノなのかも甚だわかりにくいものとなる。



 シュタイングレーバーはドイツピアノらしい規律と実直さの中に、柔らに薫るような肉感的な響きを併せ持ち、あたかもドイツの威厳と優雅と官能が共存しているといった印象があるが、あのプレイエルP280の柔らかな要素はシュタイングレーバーの潜在力を活かしつつ、フランス的に味付けを変えて出来上がったものというわけか。

 ただし、いまだ発展途上というべきで、フランス人ピアニストたちが歓迎しているようにもあまり感じない。


 そのうちこの新生プレイエルにフランス人が触手を伸ばすのかどうかは知らないが、ここ当分はヤマハを使い続けることになるような気もする。
http://music.geocities.jp/petroler/mrn70.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c3
[近代史4] フランツ・シャルク (1863 – 1931)
フランツ・シャルク (1863 – 1931)


Franz Schalk Beethoven Symphony 6 1928 VPO





Wiener Philharmoniker
Franz Schalk, Conductor
04.11.& 12.IV.1928

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/684.html

[近代史4] ワインガルトナー(1863年6月2日 - 1942年5月7日)
フェリックス・ワインガルトナー(Felix Weingartner, 1863年6月2日 - 1942年5月7日)



Beethoven - Symphony n°8 - Vienna / Weingartner



Wiener Philharmoniker
Felix Weingartner
Studio recording, Vienna, 25 & 26.II.1936

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/685.html

[近代史4] トスカニーニ(1867年3月25日 - 1957年1月16日)
アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867年3月25日 - 1957年1月16日)



TOSCANINI: 1954 Mendelssohn Sym 4 "Italian" in Restored Sound




Arturo Toscanini / NBC Symphony Orchestra
Recorded Feb 28 1954


This recording was issued after his "last concert" on Apr 4 1954, when he announced retirement.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/686.html

[近代史4] トスカニーニ(1867年3月25日 - 1957年1月16日) 中川隆
1. 中川隆[-13274] koaQ7Jey 2020年3月27日 07:14:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1630]

トスカニーニの名盤

ベートーヴェン 『交響曲第7番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/845.html

ベートーヴェン 『交響曲第5番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/841.html

ベートーヴェン 『交響曲第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/843.html

ベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/837.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/686.html#c1

[近代史4] メンゲルベルク(1871年3月28日 - 1951年3月22日)
ウィレム・メンゲルベルク(Joseph Willem Mengelberg, 1871年3月28日 - 1951年3月22日)


Willem Mengelberg - Tchaikovsky : Symphony No.6 "Pathetique" (1937)







Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
recorded 12/21, 1937
transfer from Jpn TELEFUNKEN 78s / 23681/2(022666/9)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/687.html

[近代史4] ニキシュ (1855年10月12日 - 1922年1月23日)
アルトゥル・ニキシュ(Arthur Nikisch, 1855年10月12日 - 1922年1月23日)


Beethoven - Symphony No 5 - Nikisch, BPO (1913)




Ludwig van Beethoven - Symphony No. 5 in C minor, Op. 67
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Arthur Nikisch
Recorded 10 November, 1913, Berlin

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/688.html

[近代史4] アーベントロート( 1883年1月19日 - 1956年5月29日)


ヘルマン・アーベントロート(Hermann Paul Maximilian Abendroth, 1883年1月19日 - 1956年5月29日)


Beethoven "Symphony No 9" Hermann Abendroth



Beethoven: Symphony No. 9
(perf. Leipzig, 1953)


Choir – Leipzig Radio Chorus
Vocals – Anna Schlemm,
Diana Eustrati, Gert Lutze, Karl Paul


Conductor – Hermann Abendroth
Orchestra – Leipzig Radio Symphony Orchestra

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html

[近代史4] シューリヒト(1880年7月3日 - 1967年1月7日)


カール・シューリヒト(Carl Adolph Schuricht, 1880年7月3日 - 1967年1月7日)


Bruckner - Symphony n°9 - Vienna / Schuricht




Anton Bruckner
Symphony n°9 (1894 ed. Nowak 1951)


I. Feierlich. Misterioso 0:00
II. Scherzo. Bewegt, lebhaft - Trio. Schnell 25:37
III. Adagio. Langsam, feierlich 36:05


Wiener Philharmoniker
Carl Schuricht
Studio recording, Vienna, 20-22.XI.1961

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/690.html

[近代史4] クレンペラー(1885年5月14日 - 1973年7月6日)
オットー・クレンペラー(Otto Klemperer, 1885年5月14日 - 1973年7月6日)


Mendelssohn: Symphony no. 3 "Scottish" - Klemperer & Philharmonia Orchestra



Philharmonia Orchestra
Otto Klemperer
Studio recording, London, 22, 25 & 27.I.1960


オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
EMI。1960年1月22,25,27,28日、アビー・ロード・スタジオでの録音。


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Mendelssohn: Symphony No. 3 "Scottish" ( Bayerischen-Rundfunks
& Otto Klemperer )


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Mendelssohn: Symphony No. 3 "Scottish" ( Bayerischen-Rundfunks
& Otto Klemperer )



Symphonie-orchester des Bayerischen-Rundfunks
Otto Klemperer


Herkulessaal, München, 23. V. 1969


オットー・クレンペラー指揮 バイエルン放送交響楽団


EMI。ART処理されての正規発売。1969年5月23日、ヘルクレスザールでのライヴ録音。


「レコ芸」7月号のタワーレコードの広告の紹介通り、「スコッチ」の最終楽章コーダが A-Durにならず、a-mollのまま終わっていく!
これがまた実に感動的である。



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/691.html

[近代史4] クレンペラー(1885年5月14日 - 1973年7月6日) 中川隆
1. 中川隆[-13273] koaQ7Jey 2020年3月27日 07:47:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1631]

詳細は

メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/691.html#c1

[近代史4] クレメンス・クラウス(1893年3月31日 - 1954年5月16日)
クレメンス・クラウス(Clemens Heinrich Krauss, 1893年3月31日 - 1954年5月16日)



Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas
Click to activate the English subtitles for the presentation (00:00-02:50)
Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/692.html

[近代史4] ピエール・モントゥー(1875年4月4日 - 1964年7月1日)
ピエール・モントゥー(Pierre Monteux, 1875年4月4日 - 1964年7月1日)


Tchaikovsky: Swan Lake (Highlights) (Monteux/London Synphony Orch. - 1962 Vinyl LP)



PETER ILYICH TCHAIKOVSKY (1840-1893)
Highlights from the "SWAN LAKE", Ballet op. 20


Act I
01. Introductory Scene (0:07)
02. Waltz (3:08)
03. Scene (Dusk falls) - Dance of the Goblets (8:32)


Act II
04. Scene of the Swans (13:40)
05. Dances of the Swans (16:40)
06. Pas d' action (Hugh Maguire, violin solo) (18:56)
07. Dances of the Swans (25:34)


Act III
08. Scene (Fanfares) & Waltz (27:11)
09. Spanish Dance: Bolero (31:53)
10. Hungarian Dance: Czardas (34:23)
11. Pas de deux (Hugh Maguire, violin solo) (37:09)


Act IV
12. Dance of the Cygnets (42:29)
13. Final Scene (47:19)


LONDON SYMPHONY ORCHESTRA
conducted by PIERRE MONTEUX


Vinyl LP released in 1962

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/693.html

[近代史4] ストコフスキー(1882年4月18日 - 1977年9月13日)
レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski, 1882年4月18日 - 1977年9月13日)


Bach: Passacaglia & Fugue in C minor - Stokowski in Germany



Leopold Stokowski
the Saarbrucken Radio Symphony Orchestra.
1969


_________


Bach-Stokowski: Passacaglia and Fugue in C minor



Stokowski
the International Festival Youth Orchestra
1969 (Cala Records CACD0551).


_____


Passacaglia and Fugue in C-Minor BWV582





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/694.html

[近代史4] ストコフスキー(1882年4月18日 - 1977年9月13日) 中川隆
1. 中川隆[-13272] koaQ7Jey 2020年3月27日 08:07:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1632]

詳細は

バッハ : ストコフスキー編曲集
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/925.html



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/694.html#c1

[近代史4] ドビュッシー 中川隆
1. 中川隆[-13271] koaQ7Jey 2020年3月27日 08:22:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1633]

ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/160.html#c1
[近代史4] アンゲルブレシュト(1880年9月17日 - 1965年2月14日)
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(Désiré-Émile Inghelbrecht, 1880年9月17日 - 1965年2月14日)


Inghelbrecht, Debussy Pelléas et Mélisande - Act.1



1962, live
Désiré-Émile Inghelbrecht
Orchestre National de la Radiodiffusion Française


PELLEAS Jacques JANSEN
MELISANDE Micheline GRANCHER
GENEVIEVE Solange MICHEL
YNIOLD François OGEAS
GOLAUD Michel ROUX
ARKEL André VESSIÈRES
LE MEDECIN Marcel VIGNERON


____


"Pelléas et Mélisande" - Paris, 1955 under the direction of Désiré-Émile Inghelbrecht


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/695.html

[近代史4] アンセルメ(1883年11月11日 - 1969年2月20日)
エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883年11月11日 - 1969年2月20日)


C.Debussy Orchestral-Works [ E.Ansermet Swiss-RO ] (1957~64)




1. "Il Mare" (0:00)
2. "Images pour Orchestre" (21:45)
3. "Notturni" (55:29)
4. "Petit Suite" (1:18:11)
5. "Preludio al Pomeriggio di un Fauno" (1:31:20)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/696.html

[近代史4] シャルル・ミュンシュ(1891年9月26日 - 1968年11月6日)
シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891年9月26日 - 1968年11月6日)


エクトル・ベルリオーズ
幻想交響曲 作品14「ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲」



(00:05) 1.「夢、情熱」
(13:55) 2.「舞踏会」
(20:11) 3.「野の風景」
(35:02) 4.「断頭台への行進」
(39:32) 5.「魔女の夜宴の夢」


指揮:シャルル・ミュンシュ
パリ管弦楽団


録音:1967年10月 サル・ワグラム (パリ)



シャルル・ミュンシュ指揮
パリ管弦楽団
EMI。1967年10月23-26日、サル・ワグラムでの録音。


パリ音楽院管弦楽団を発展的に解消し、フランスの国威をかけて創設されたパリ管が、フランス最高の指揮者を迎えての伝説的デビュー録音である。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/697.html

[近代史4] シャルル・ミュンシュ(1891年9月26日 - 1968年11月6日) 中川隆
1. 中川隆[-13270] koaQ7Jey 2020年3月27日 08:45:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1634]

詳細は

ベルリオーズ 『幻想交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/697.html#c1

[近代史4] アンゲルブレシュト(1880年9月17日 - 1965年2月14日) 中川隆
1. 中川隆[-13269] koaQ7Jey 2020年3月27日 08:46:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1635]

詳細は

ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/695.html#c1

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
300. 中川隆[-13268] koaQ7Jey 2020年3月27日 09:14:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1636]
平野憲一の株のお話 2020.03.27 ダウ弱気相場脱出?

 26日のNY株。
 ダウは1351.62ドル高の2万2552.17ドル、ナスダックも413.24ポイント高の7797.54ポイントと大幅反発。NYSE出来高は17億0647万株。

ダウは3連騰で直近安値から20%超上昇し、弱気相場を脱出しました。

(ダウ理論:引け値ベースで底値から12%上がると20%上がる確率が高く20%上がると30%まで上がる。

因みに20%上がると強気相場、20%下がると弱気相場に入ったと表現する。

ダウ3/23の引け1万8591ドル×1.2は2万2309ドル)

 米議会上院は25日夜、個人への現金給付や企業への資金支援などを盛り込んだ総額2兆ドル(約220兆円)規模の経済対策法案を可決し、下院も本日採決する見通しです。GDPの1割に相当する大規模な経済対策への期待から、幅広い銘柄に買いが入りました。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c300

[近代史3] アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの? 中川隆
16. 中川隆[-13267] koaQ7Jey 2020年3月27日 09:46:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1637]

シェーンベルク自作自演

Schoenberg conducts Verklärte Nacht (fragment) 1928



Schoenberg conducts Verklärte Nacht (fragment) recorded in Berlin 1928

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html#c16
[近代史4] シェーンベルク 自作自演
シェーンベルク自作自演


Schoenberg conducts Verklärte Nacht (fragment) 1928



Schoenberg conducts Verklärte Nacht (fragment) recorded in Berlin 1928

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/698.html

[近代史4] シェーンベルク 自作自演 中川隆
1. 中川隆[-13266] koaQ7Jey 2020年3月27日 09:49:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1638]

詳細は

アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/698.html#c1

[近代史4] マーラー ピアノロールで自作自演
マーラー ピアノロールで自作自演


グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)


Gustav Mahler, complete piano rolls recordings (1905)




Mahler plays Mahler (piano rolls, 1905) :
- Ich ging mit Lust durch einen grünen Wald
- Ging heut morgen überr's Feld
- Symphony No.4 (Das himmlische Leben)
- Symphony No.5 (Trauermarsch)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/699.html

[近代史4] 指揮者 リヒャルト・シュトラウス (1864年6月11日 - 1949年9月8日)_ 大作曲家が名指揮者だった時代
リヒャルト・シュトラウス _ 大作曲家が名指揮者だった時代



リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss、1864年6月11日 - 1949年9月8日)


Richard Strauss Conducts:Wagner/Gluck & Strauss-8 sides-78's-1928 recorded


Sides 1&2 {Wagner:Tristan Und Isolde-Prelude}
Side 3&4{Gluck:Iphigenie En Aulide-Overture}
Sides 5&6{Wagner:Der Fliegende Hollander-Overture-The Berlin Philharmonic Orchestra
Sides 7&8{Strauss:Salome-The Dance Of The Seven Veils}


The Berlin State Opera Orchestra.(All Recorded-1928)!



▲△▽▼


Strauss conducting himself.



This is a clip from the 1994 documentary "The Art of Conducting:


Great Conductors of the Past." Richard Strauss is conducting the Vienna Philharmonic in a performance of Till Eulenspiegel.


It's amusing that he could be conducting such great music while looking so extremely bored.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/700.html

[近代史4] マーラー ピアノロールで自作自演 中川隆
1. 中川隆[-13265] koaQ7Jey 2020年3月27日 10:20:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1639]

詳細は


グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/699.html#c1

[近代史4] 指揮者 リヒャルト・シュトラウス (1864年6月11日 - 1949年9月8日)_ 大作曲家が名指揮者だった時代 中川隆
1. 中川隆[-13264] koaQ7Jey 2020年3月27日 10:22:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1640]

詳細は

リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/700.html#c1

[近代史4] ストラヴィンスキー 自作自演
ストラヴィンスキー自作自演


イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882年6月17日 - 1971年4月6日)


Stravinsky Conducts The Firebird Suite, Japan 1959




Stravinsky, The Firebird Suite (1945 revised version)
NHK Symphony Orchestra
Igor Stravinsky, conductor
Osaka International Festival, May 1, 1959

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/701.html

[近代史4] ストラヴィンスキー 自作自演 中川隆
1. 中川隆[-13263] koaQ7Jey 2020年3月27日 10:33:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1641]

詳細は


20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html

ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/821.html

ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/822.html

ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/823.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/701.html#c1

[近代史4] リヒャルト・シュトラウス 中川隆
1. 中川隆[-13261] koaQ7Jey 2020年3月27日 10:35:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1643]

指揮者 リヒャルト・シュトラウス (1864年6月11日 - 1949年9月8日)_ 大作曲家が名指揮者だった時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/700.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/184.html#c1
[近代史4] 名指揮者 アントン・ウェーベルン、 ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」を指揮する
名指揮者 アントン・ウェーベルン、 ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」を指揮する



ベルク: ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」


アルバン・ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》は1935年8月11日に完成された。
おそらくベルクの最も有名な作品であり、なおかつ最も演奏回数に恵まれた作品である。


世界初演:1936年4月19日、国際現代音楽協会バルセロナ大会。ルイス・クラスナーの独奏。アントン・ウェーベルンが指揮の予定であったが、亡き友のことを思い出してしまったウェーベルンは、練習すらまともにできず、逐電してヘルマン・シェルヘンに事後を託した。


英国初演:1936年5月1日、ロンドン。招待者のみの非公開演奏。独奏者はやはりクラスナー。アントン・ヴェーベルン指揮、BBC交響楽団。アセテート盤に録音され、クラスナーにより保管されていた。後にCDに復刻された音源の出典でもある。



アルバン・ベルク(Alban Berg, 1885年2月9日 - 1935年12月24日)
アントン・ヴェーベルン(Anton Webern, 1883年12月3日 - 1945年9月15日)
ルイス・クラスナー(Louis Krasner, 1903年[1]6月21日 - 1995年5月4日)


Webern Conducts Berg's Violin Concerto (Louis Krasner, Violin)







Anton Webern conducts Alban Berg's Violin Concerto ("To the Memory of an Angel"), with Louis Krasner, who commissioned the concerto, as soloist.


Berg spoke highly of Webern's skills as a conductor, calling him "the greatest living conductor since Mahler." The violin concerto was premiered at the ISCM Festival in Barcelona shortly after Berg's death; Webern was to be the conductor there, but at the last moment he found himself unable to. Webern later wrote to Herman Scherchen, who had conducted the work in his stead:


"To think that absolutely nobody should have understood me then! How I felt right after Berg's passing, and that I was simply not up to the emotions aroused by the task of giving the first performance of his last work -- so soon after his death!


"Right up to the last moment I hoped to be able to stand it. But I was not to succeed."


This recording is from the English premier of the work, about two weeks after the Barcelona concert. Webern is leading the BBC Symphony Orchestra.


Louis Krasner, the soloist and commissioner of this work, recalls Berg's response when he first suggested a violin concerto:


"The Master's reaction was not unfriendly but he seemed surprised at the idea.


The conversation that followed was quite lively:


'You are a young violinist in the beginnings of a prominent concert career', he told me.


'What you require for your programs are brilliant compositions by Wieniawski and Vieuxtemps -- you know, that is not my kind of music!


' My response was not difficult to conceive: 'Meister - Beethoven and Mozart also wrote Violin Concertos.'


'Ah ya,' he said softly and smiled. I pursued my momentary vantage and spoke on: 'The attacking criticism of 12-tone music everywhere is that this music is only cerebral and without feeling or emotion.


If you undertake to write a Violin Concerto, it certainly will have to be a very serious, deliberate, and communicative work for the violin -- for the violin is a lyrical and songful instrument which I know you love.


Think of what it would mean for the whole Schoenberg Movement if a new Alban Berg Violin Concerto should succeed in demolishing the antagonism of the "cerebral, no emotion" cliché and argument."  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/702.html

[近代史4] 名指揮者 アントン・ウェーベルン、 ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」を指揮する 中川隆
1. 中川隆[-13258] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:01:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1646]

詳細は


ベルクのヴァイオリン協奏曲は何度聴いても理解不能なんだけど、本当にみんな感動してるの?(強い疑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/710.html  


ピエール・ブーレーズ 「シェーンベルクは死んだ。ウェーベルン万歳」 _ 100年も前の作曲家 ウェーベルンが何故今でも現代音楽なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/711.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/702.html#c1

[近代史4] ウェーベルン 中川隆
1. 中川隆[-13257] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:02:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1647]

名指揮者 アントン・ウェーベルン、 ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」を指揮する
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/702.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/155.html#c1
[近代史4] ラヴェル 自作自演
ラヴェル 自作自演


モーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)


Maurice Ravel conducts " BOLERO " (1930)



Maurice Ravel (1875 - 1937)
Orchestre des Concerts Lamoureux
conducted by Maurice Ravel, recorded in 1930
transfer from Jpn Polydor 78s / 60174-5

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/703.html

[近代史4] ラヴェル 自作自演 中川隆
1. 中川隆[-13256] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:27:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1648]

詳細は

モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/897.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/703.html#c1

[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
7. 中川隆[-13254] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:32:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1650]

ブラームス自作自演 幻のピアノ録音 ノイズを取り除き現代に蘇る ♪





ブラームスのピアノ演奏が蘇りました。
雑音だらけの蝋管録音を没後100年に最新技術を使ってノイズを取り除いたものです。

ハンガリー舞曲第1番、1989年12月録音

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c7
[近代史4] ブラームス 中川隆
1. 中川隆[-13253] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:33:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1651]


ブラームス自作自演 幻のピアノ録音 ノイズを取り除き現代に蘇る ♪





ブラームスのピアノ演奏が蘇りました。
雑音だらけの蝋管録音を没後100年に最新技術を使ってノイズを取り除いたものです。

ハンガリー舞曲第1番、1989年12月録音

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/164.html#c1
[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
33. 中川隆[-13252] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:04:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1652]

2020年03月27日
経済ショックなら1ドル60円台になる可能性

物価や経常黒字からはむしろ1ドル75円が適正だった可能性がある


画像引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20180214/14/nickey0305/37/64/j/o0640048014131441245.jpg

1ドルは60円が適正

ずっと「1ドルは60円になる」という予想をしているが今まで一度も当たったことがありませんでした。

そう考える根拠は円が不当に安すぎるからで、本来は今の1.5倍から2倍の価値はある通貨です。

ドル円は2012年に76円だったのが安倍首相就任であれよあれよと円安になり、2015年に125円をつけました。



これと同じ展開を何度か見たことがあり、1995年に79円だったのが98年に147円まで円安になっています。

2000年に101円になっているが2002年に135円、2004年に101円だが2007年に124円となっている。

円高は阪神大震災、東日本大震災、アジア通貨危機、米利上げなどで起こり、その後数年で円安になっている。


円高後に円安になるのはは日本政府が金融緩和やドル買い、金利変更などで円安に誘導したからで自然にそうなったのではないです。

前回の円高は2011年の1ドル75円で安倍首相就任前から円安が始まって、就任後は爆発的な円安が進行した。

安倍政権下で円安になったのだ日銀の金融緩和や政府のドル買いの結果で、かなり人為的な為替操作をした。


例えば年金の海外運用や郵貯の海外運用など、政府が指示できるドル買いは色々ある。

アメリカが目を光らせている「為替介入」は財務省が日銀に指示して、日銀が直接ドルを買うもので、間接的に買えば介入になりません。

日銀の金融緩和はお金の量を増やすことで、ドルの量が同じで円を2倍印刷したら理屈では2倍円安になります(実際は理屈通りにならない)

不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。

円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。

人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c33

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
19. 中川隆[-13251] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:11:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1653]
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c19

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
61. 中川隆[-13250] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:13:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1654]
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c61

[近代史3] 朝鮮戦争は八百長戦争だったのか? 中川隆
8. 中川隆[-13249] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:14:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1655]
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html#c8

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
25. 中川隆[-13248] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:15:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1656]
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c25

[近代史4] 1ドル 30円から40円が適正価格 中川隆
1. 中川隆[-13247] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:17:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1657]
2020年03月27日
経済ショックなら1ドル60円台になる可能性


物価や経常黒字からはむしろ1ドル75円が適正だった可能性がある

画像引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20180214/14/nickey0305/37/64/j/o0640048014131441245.jpg

1ドルは60円が適正

ずっと「1ドルは60円になる」という予想をしているが今まで一度も当たったことがありませんでした。

そう考える根拠は円が不当に安すぎるからで、本来は今の1.5倍から2倍の価値はある通貨です。

ドル円は2012年に76円だったのが安倍首相就任であれよあれよと円安になり、2015年に125円をつけました。


これと同じ展開を何度か見たことがあり、1995年に79円だったのが98年に147円まで円安になっています。

2000年に101円になっているが2002年に135円、2004年に101円だが2007年に124円となっている。

円高は阪神大震災、東日本大震災、アジア通貨危機、米利上げなどで起こり、その後数年で円安になっている。


円高後に円安になるのはは日本政府が金融緩和やドル買い、金利変更などで円安に誘導したからで自然にそうなったのではないです。

前回の円高は2011年の1ドル75円で安倍首相就任前から円安が始まって、就任後は爆発的な円安が進行した。

安倍政権下で円安になったのだ日銀の金融緩和や政府のドル買いの結果で、かなり人為的な為替操作をした。


例えば年金の海外運用や郵貯の海外運用など、政府が指示できるドル買いは色々ある。

アメリカが目を光らせている「為替介入」は財務省が日銀に指示して、日銀が直接ドルを買うもので、間接的に買えば介入になりません。

日銀の金融緩和はお金の量を増やすことで、ドルの量が同じで円を2倍印刷したら理屈では2倍円安になります(実際は理屈通りにならない)

不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。

円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。

人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/597.html#c1

[近代史3] 731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか? 中川隆
7. 中川隆[-13246] koaQ7Jey 2020年3月27日 13:10:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1658]
 アメリカがロシアや中国の国境線沿いに細菌兵器の研究施設を建設してきたことは本ブログでも指摘してきたが、その総本山はフォート・デトリック。

 2001年9月11日に世界貿易センターや国防総省本部庁舎が攻撃された直後、アメリカのトム・ダシュル上院議員やパトリック・リーヒー上院議員の下へ炭疽菌で汚染された手紙が送られた。その際、有力メディアは「イスラム過激派」の犯行であるように伝えていたが、その後の調査で菌の出所はフォート・デトリックだということが突き止められた。そこで働いていたブルース・アイビンスという細菌学者が実行したという話が流されたが、名前が公表された8日後にアイビンスは死亡、裁判で事実が検証されることはなかった。

 日中戦争がはじまる直前、日本は軍医学校、東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部などの下で病原体を兵器として使う研究が進められ、生体実験を行うための部隊が中国で編成された。加茂部隊、東郷部隊、そして第731部隊と名称は変化している。その資料や主要な研究員は戦後、フォート・デトリックへ運ばれた。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003270000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html#c7

[近代史4] 731部隊のその後

731部隊のその後


731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html

愛国者篠塚良夫は14歳で731部隊入隊
http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/442.html



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/704.html

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
4. 中川隆[-13245] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:11:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1659]



























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Claude Debussy plays Debussy | Clair de Lune | Préludes | Images | Estampes | Arabesques | Rêverie
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クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)


Claude Debussy plays Debussy | Complete recordings made by Claude Debussy:





The Composer as Pianist. Compilation from all Debussy recordings available "Claude Debussy Plays His Finest Works" (1904-1913).

I Claude Debussy plays Debussy (Piano Rolls, before 1913):
Préludes for piano, Book I, L. 125 (117)


00:00 1. No. 1 Danseuses de Delphes (Dancers of Delphi). Lent et grave [1907-10]
3:00 2. No. 3 Le vent dans la plaine (The wind on the plain). Animé
5:00 3. No.10 La cathedrale engloutie (The sunken cathedral). Profondément calme
10:39 4. No. 11 La danse de Puck (Dance of Puck). Capricieux et légere
13:04 5. No. 12 Minstrels. Modéré

14:50 Children's Corner (Le Coin des Enfants), suite for piano, L. 119 (113) [1906]
6. Docteur Gradus ad Parnassum. Modérément animé
7. Jumbo's Lullaby (Berceuse des éléphants). Assez modéré
8. Serenade for the Doll (Sérénade à la poupée). Allegretto ma non troppo
9. The Snow is Dancing (La Neige Danse). Modérément animé
10. The Little Shepherd (Le Petit Berger). Très modéré
11. Golliwogg's Cakewalk (La Marche de la poupée de chiffon). Allegro giusto)

27:22 12. D'un Cahier D'Esquisses (From A Sketchbook), for piano, L. 112 (99) [1903]
31:45 13. La Plus que Lente (A Slow Waltz), waltz for piano, L. 128 (121) [1910]
35:18 14. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 2 La Soirée dans Grenade (Evening in Granada). Mouvement de Habañera [1903]
40:23 15. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 3 Jardins sous la pluie. Net et vif (Gardens in the Rain) [1903]
43:52 16. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No. 8 La fille aux cheveux de lin (Girl with the flaxen hair). Très calme et doucement expressif
46:05 17. Préludes for piano, Book II, L. 131 (123), No. 3 La Puerta del Vino (The Gateway of the Alhambra Palace). Mouvement de habanera [1910-12]
49:54 18. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 1 in E major. Andantino con moto [1888]
53:59 19. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 2 in G major. Allegretto scherzando [1891]
56:51 20. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No.2 Voiles (Sails). Modéré
59:34 21. Clair de Lune, for piano (Mondglanz, Mondschein, Moonlight), Suite Bergamasque No. 3, L. 82/3 (75/3) [1890-1905]
1:03:17 22. Rêverie, for piano, L. 76 (68) [1890]
1:08:24 23. Images, for piano, Set II, L. 120 (111), No. 3 Poissons d'or (Goldfish). Animé [1907]
1:11:24 24. Images, for piano, Set I, L. 105 (110), No. 1 Reflets dans l'eau (Reflections in the Water). Andantino molto [1905]

II. Claude Debussy with Mary Garden, soprano:
Ariettes oubliées, song cycle for voice & piano, L. 63 (60) [1885-87]
1:17:25 25. No. 2 Il pleure dans mon coeur comme il pleut sur la ville
1:19:40 26. No. 3 L'ombre des arbes dans la rivière embrumée
1:22:06 27. No. 5 Green (Aquarelles 1)
Pelléas et Mélisande, Opera in 5 acts, L. 93 (88) [1893-1902]
1:23:48 28. Act III - Mes Longs cheveux [Mary Garden as Mélisande]
1:25:38 29. Interview with Mary Garden about Claude Debussy.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c4
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
8. 中川隆[-13244] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:12:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1660]


Claude Debussy plays Debussy | Clair de Lune | Préludes | Images | Estampes | Arabesques | Rêverie


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)


Claude Debussy plays Debussy | Complete recordings made by Claude Debussy:





The Composer as Pianist. Compilation from all Debussy recordings available "Claude Debussy Plays His Finest Works" (1904-1913).

I Claude Debussy plays Debussy (Piano Rolls, before 1913):
Préludes for piano, Book I, L. 125 (117)


00:00 1. No. 1 Danseuses de Delphes (Dancers of Delphi). Lent et grave [1907-10]
3:00 2. No. 3 Le vent dans la plaine (The wind on the plain). Animé
5:00 3. No.10 La cathedrale engloutie (The sunken cathedral). Profondément calme
10:39 4. No. 11 La danse de Puck (Dance of Puck). Capricieux et légere
13:04 5. No. 12 Minstrels. Modéré

14:50 Children's Corner (Le Coin des Enfants), suite for piano, L. 119 (113) [1906]
6. Docteur Gradus ad Parnassum. Modérément animé
7. Jumbo's Lullaby (Berceuse des éléphants). Assez modéré
8. Serenade for the Doll (Sérénade à la poupée). Allegretto ma non troppo
9. The Snow is Dancing (La Neige Danse). Modérément animé
10. The Little Shepherd (Le Petit Berger). Très modéré
11. Golliwogg's Cakewalk (La Marche de la poupée de chiffon). Allegro giusto)

27:22 12. D'un Cahier D'Esquisses (From A Sketchbook), for piano, L. 112 (99) [1903]
31:45 13. La Plus que Lente (A Slow Waltz), waltz for piano, L. 128 (121) [1910]
35:18 14. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 2 La Soirée dans Grenade (Evening in Granada). Mouvement de Habañera [1903]
40:23 15. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 3 Jardins sous la pluie. Net et vif (Gardens in the Rain) [1903]
43:52 16. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No. 8 La fille aux cheveux de lin (Girl with the flaxen hair). Très calme et doucement expressif
46:05 17. Préludes for piano, Book II, L. 131 (123), No. 3 La Puerta del Vino (The Gateway of the Alhambra Palace). Mouvement de habanera [1910-12]
49:54 18. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 1 in E major. Andantino con moto [1888]
53:59 19. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 2 in G major. Allegretto scherzando [1891]
56:51 20. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No.2 Voiles (Sails). Modéré
59:34 21. Clair de Lune, for piano (Mondglanz, Mondschein, Moonlight), Suite Bergamasque No. 3, L. 82/3 (75/3) [1890-1905]
1:03:17 22. Rêverie, for piano, L. 76 (68) [1890]
1:08:24 23. Images, for piano, Set II, L. 120 (111), No. 3 Poissons d'or (Goldfish). Animé [1907]
1:11:24 24. Images, for piano, Set I, L. 105 (110), No. 1 Reflets dans l'eau (Reflections in the Water). Andantino molto [1905]

II. Claude Debussy with Mary Garden, soprano:
Ariettes oubliées, song cycle for voice & piano, L. 63 (60) [1885-87]
1:17:25 25. No. 2 Il pleure dans mon coeur comme il pleut sur la ville
1:19:40 26. No. 3 L'ombre des arbes dans la rivière embrumée
1:22:06 27. No. 5 Green (Aquarelles 1)
Pelléas et Mélisande, Opera in 5 acts, L. 93 (88) [1893-1902]
1:23:48 28. Act III - Mes Longs cheveux [Mary Garden as Mélisande]
1:25:38 29. Interview with Mary Garden about Claude Debussy.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c8
[近代史4] ドビュッシー 中川隆
2. 中川隆[-13243] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:14:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1661]


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)


Claude Debussy plays Debussy | Complete recordings made by Claude Debussy:





The Composer as Pianist. Compilation from all Debussy recordings available "Claude Debussy Plays His Finest Works" (1904-1913).

I Claude Debussy plays Debussy (Piano Rolls, before 1913):
Préludes for piano, Book I, L. 125 (117)


00:00 1. No. 1 Danseuses de Delphes (Dancers of Delphi). Lent et grave [1907-10]
3:00 2. No. 3 Le vent dans la plaine (The wind on the plain). Animé
5:00 3. No.10 La cathedrale engloutie (The sunken cathedral). Profondément calme
10:39 4. No. 11 La danse de Puck (Dance of Puck). Capricieux et légere
13:04 5. No. 12 Minstrels. Modéré

14:50 Children's Corner (Le Coin des Enfants), suite for piano, L. 119 (113) [1906]
6. Docteur Gradus ad Parnassum. Modérément animé
7. Jumbo's Lullaby (Berceuse des éléphants). Assez modéré
8. Serenade for the Doll (Sérénade à la poupée). Allegretto ma non troppo
9. The Snow is Dancing (La Neige Danse). Modérément animé
10. The Little Shepherd (Le Petit Berger). Très modéré
11. Golliwogg's Cakewalk (La Marche de la poupée de chiffon). Allegro giusto)

27:22 12. D'un Cahier D'Esquisses (From A Sketchbook), for piano, L. 112 (99) [1903]
31:45 13. La Plus que Lente (A Slow Waltz), waltz for piano, L. 128 (121) [1910]
35:18 14. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 2 La Soirée dans Grenade (Evening in Granada). Mouvement de Habañera [1903]
40:23 15. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 3 Jardins sous la pluie. Net et vif (Gardens in the Rain) [1903]
43:52 16. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No. 8 La fille aux cheveux de lin (Girl with the flaxen hair). Très calme et doucement expressif
46:05 17. Préludes for piano, Book II, L. 131 (123), No. 3 La Puerta del Vino (The Gateway of the Alhambra Palace). Mouvement de habanera [1910-12]
49:54 18. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 1 in E major. Andantino con moto [1888]
53:59 19. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 2 in G major. Allegretto scherzando [1891]
56:51 20. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No.2 Voiles (Sails). Modéré
59:34 21. Clair de Lune, for piano (Mondglanz, Mondschein, Moonlight), Suite Bergamasque No. 3, L. 82/3 (75/3) [1890-1905]
1:03:17 22. Rêverie, for piano, L. 76 (68) [1890]
1:08:24 23. Images, for piano, Set II, L. 120 (111), No. 3 Poissons d'or (Goldfish). Animé [1907]
1:11:24 24. Images, for piano, Set I, L. 105 (110), No. 1 Reflets dans l'eau (Reflections in the Water). Andantino molto [1905]

II. Claude Debussy with Mary Garden, soprano:
Ariettes oubliées, song cycle for voice & piano, L. 63 (60) [1885-87]
1:17:25 25. No. 2 Il pleure dans mon coeur comme il pleut sur la ville
1:19:40 26. No. 3 L'ombre des arbes dans la rivière embrumée
1:22:06 27. No. 5 Green (Aquarelles 1)
Pelléas et Mélisande, Opera in 5 acts, L. 93 (88) [1893-1902]
1:23:48 28. Act III - Mes Longs cheveux [Mary Garden as Mélisande]
1:25:38 29. Interview with Mary Garden about Claude Debussy.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/160.html#c2
[近代史4] ドビュッシー 中川隆
3. 中川隆[-13242] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:17:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1662]

クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)

Piano Rolls Recordings from 1913 and Acoustic Recordings fom 1904 in Public Domain.






Recordings of Debussy playing the piano

It is not very well known that Debussy made recordings of himself playing the piano.


I The Piano Rolls
He recorded several of his own pieces on piano rolls, to be played on a mechanical Welte Mignon player piano. The Welte "reproducing system" could capture the performance of the pianist, and reproduce it more or less accurately, complete with dynamics and pedalling. The piano rolls are now in the Simonton collection at the University of Southern California. There would probably also exist some copies of the rolls elsewhere.
Roll no. 2738
- Préludes I: Danseuses de Delphes
- La cathédrale engloutie
- La Danse de Puck
Roll no. 2739
- Préludes I: Minstrels
- Le vent dans la plaine
Roll no. 2736
- La plus que lente
Roll no. 2735
- Estampes: La soirée dans Grenade
Roll no. 2733
- Childrens Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
- Jimbo's Lullaby
- Serenade for the Doll
- The Snow is Dancing
- The Little Shepherd
- Golliwog's Cake Walk
Roll no. 2734
- D'un cahier d'esquisses


II The Acoustic recordings
Acoustic recordings are of course more interesting when we want to get an impression of Debussy's playing, since piano rolls cannot be completely trusted to faithfully reproduce what the pianist played. Unfortunately there are not many acoustic recordings of Debussy. He did however make a recording accompanying the singer Mary Garden for the G & T (Gramophone and Typewriter Co.) in 1904.
The songs they recorded:
- W Mes longs cheveux (Pelléas et Mélisande)
- W Green (Ariettes Oubliées)
- W L'ombre des arbres (Ariettes Oubliées)
- W Il pleure dans mon coeur (Ariettes Oubliées)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/160.html#c3
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
9. 中川隆[-13241] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:18:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1663]

クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)

Piano Rolls Recordings from 1913 and Acoustic Recordings fom 1904 in Public Domain.






Recordings of Debussy playing the piano

It is not very well known that Debussy made recordings of himself playing the piano.


I The Piano Rolls

He recorded several of his own pieces on piano rolls, to be played on a mechanical Welte Mignon player piano. The Welte "reproducing system" could capture the performance of the pianist, and reproduce it more or less accurately, complete with dynamics and pedalling. The piano rolls are now in the Simonton collection at the University of Southern California. There would probably also exist some copies of the rolls elsewhere.
Roll no. 2738
- Préludes I: Danseuses de Delphes
- La cathédrale engloutie
- La Danse de Puck
Roll no. 2739
- Préludes I: Minstrels
- Le vent dans la plaine
Roll no. 2736
- La plus que lente
Roll no. 2735
- Estampes: La soirée dans Grenade
Roll no. 2733
- Childrens Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
- Jimbo's Lullaby
- Serenade for the Doll
- The Snow is Dancing
- The Little Shepherd
- Golliwog's Cake Walk
Roll no. 2734
- D'un cahier d'esquisses


II The Acoustic recordings

Acoustic recordings are of course more interesting when we want to get an impression of Debussy's playing, since piano rolls cannot be completely trusted to faithfully reproduce what the pianist played. Unfortunately there are not many acoustic recordings of Debussy. He did however make a recording accompanying the singer Mary Garden for the G & T (Gramophone and Typewriter Co.) in 1904.
The songs they recorded:
- W Mes longs cheveux (Pelléas et Mélisande)
- W Green (Ariettes Oubliées)
- W L'ombre des arbres (Ariettes Oubliées)
- W Il pleure dans mon coeur (Ariettes Oubliées)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c9
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
5. 中川隆[-13240] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:19:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1664]


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)

Piano Rolls Recordings from 1913 and Acoustic Recordings fom 1904 in Public Domain.






Recordings of Debussy playing the piano

It is not very well known that Debussy made recordings of himself playing the piano.


I The Piano Rolls

He recorded several of his own pieces on piano rolls, to be played on a mechanical Welte Mignon player piano. The Welte "reproducing system" could capture the performance of the pianist, and reproduce it more or less accurately, complete with dynamics and pedalling. The piano rolls are now in the Simonton collection at the University of Southern California. There would probably also exist some copies of the rolls elsewhere.
Roll no. 2738
- Préludes I: Danseuses de Delphes
- La cathédrale engloutie
- La Danse de Puck
Roll no. 2739
- Préludes I: Minstrels
- Le vent dans la plaine
Roll no. 2736
- La plus que lente
Roll no. 2735
- Estampes: La soirée dans Grenade
Roll no. 2733
- Childrens Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
- Jimbo's Lullaby
- Serenade for the Doll
- The Snow is Dancing
- The Little Shepherd
- Golliwog's Cake Walk
Roll no. 2734
- D'un cahier d'esquisses


II The Acoustic recordings

Acoustic recordings are of course more interesting when we want to get an impression of Debussy's playing, since piano rolls cannot be completely trusted to faithfully reproduce what the pianist played. Unfortunately there are not many acoustic recordings of Debussy. He did however make a recording accompanying the singer Mary Garden for the G & T (Gramophone and Typewriter Co.) in 1904.
The songs they recorded:
- W Mes longs cheveux (Pelléas et Mélisande)
- W Green (Ariettes Oubliées)
- W L'ombre des arbres (Ariettes Oubliées)
- W Il pleure dans mon coeur (Ariettes Oubliées)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c5
[近代史4] ラヴェル 自作自演 中川隆
2. 中川隆[-13239] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:30:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1665]

ラヴェル 自作自演


Miroirs, Oiseaux tristes (Sad Birds)



Piano roll, 1912

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/703.html#c2
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
6. 中川隆[-13238] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:31:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1666]

ラヴェル 自作自演

モーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)


Miroirs, Oiseaux tristes (Sad Birds)



Piano roll, 1912

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c6
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
7. 中川隆[-13237] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:35:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1667]

ラヴェル 自作自演

RAVEL PLAYS RAVEL CA. 1930. (Not a Piano Roll.)




Maurice Ravel in live performance as accompanist to soloist Madeleine Grey singing "Mejerke" from the composers "Trois Chants Hebraiques." 78 rpm Recording played on a 1926 Victor Orthophonic Credenza Phonograph.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c7
[近代史4] ラヴェル 自作自演 中川隆
3. 中川隆[-13236] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:35:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1668]


ラヴェル 自作自演

RAVEL PLAYS RAVEL CA. 1930. (Not a Piano Roll.)




Maurice Ravel in live performance as accompanist to soloist Madeleine Grey singing "Mejerke" from the composers "Trois Chants Hebraiques." 78 rpm Recording played on a 1926 Victor Orthophonic Credenza Phonograph.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/703.html#c3
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
8. 中川隆[-13235] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:39:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1669]

モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』


ラヴェル 自作自演 1922
Ravel "Pavane pour une infante défunte" 1922 piano roll




Ravel at the piano playing his composition "Pavane pour une infante défunte"/"Pavane for a Dead Princess" in 1922. It was imprinted onto a piano roll, and then long after his death it was played back and recorded, which is why the sound is so clear. The tempo and dynamics were not altered in this process. Of course we cannot know what happened on the day that he performed it, but for those suggesting that he did not play it, or that he played it differently, you would be wrong.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c8
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
9. 中川隆[-13234] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:44:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1670]

フォーレ自作自演


ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)


Fauré plays Fauré ~ Nocturne No.7 Op.74 ~ Roll recording C.1910





Faure plays Faure




Gabriel Faure plays Pavane, Op. 50, 1913 Welte Mignon recording.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c9
[近代史4] フォーレ 中川隆
1. 中川隆[-13233] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:45:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1671]


フォーレ自作自演


ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)


Fauré plays Fauré ~ Nocturne No.7 Op.74 ~ Roll recording C.1910





Faure plays Faure




Gabriel Faure plays Pavane, Op. 50, 1913 Welte Mignon recording.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/161.html#c1
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
10. 中川隆[-13232] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:34:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1672]

バルトーク自作自演

バルトーク・ベーラ(Bartók Béla, 1881年3月25日 - 1945年9月26日)


Béla Bartók at the piano Allegro Barbaro






Béla Bartók plays Bartók "For Children"




For Children, BB 53 (excerpts)

Vol. 1: No. 3. Quasi adagio – No. 4. Pillow Dance – No. 6. Study for the Left Hand – No. 10. Children’s Dance – No. 12. Allegro - No. 13. Ballade – No. 15. Allegro moderato – No. 18. Soldier’s Song – No. 19. Allegretto – No. 21. Allegro robusto
Vol. 2: No. 26. Moderato – No. 34. Allegretto – No. 35. Con moto – No. 31. Andante tranquillo – No. 30. Jeering Song

rec. 1945

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c10
[近代史4] バルトーク 中川隆
1. 中川隆[-13231] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:35:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1673]


バルトーク自作自演

バルトーク・ベーラ(Bartók Béla, 1881年3月25日 - 1945年9月26日)


Béla Bartók at the piano Allegro Barbaro






Béla Bartók plays Bartók "For Children"




For Children, BB 53 (excerpts)

Vol. 1: No. 3. Quasi adagio – No. 4. Pillow Dance – No. 6. Study for the Left Hand – No. 10. Children’s Dance – No. 12. Allegro - No. 13. Ballade – No. 15. Allegro moderato – No. 18. Soldier’s Song – No. 19. Allegretto – No. 21. Allegro robusto
Vol. 2: No. 26. Moderato – No. 34. Allegretto – No. 35. Con moto – No. 31. Andante tranquillo – No. 30. Jeering Song

rec. 1945

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/154.html#c1
[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
228. 中川隆[-13230] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:51:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1674]
2020年3月27日
カタカナ語氾濫の背後にあるもの
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
https://38news.jp/column/15584


「パンデミック」、「クラスター」。「オーバーシュート」「ロックダウン」。ほんと、新型コロナウイルスについての報道、わけのわからないカタカナ語が蔓延してますよね。「トリアージ」とかもときどき出てきて、「なんじゃこりゃ〜、わかいやすい日本語でいわんかい」と私も思っていました。

(ちなみに、「パンデミック」は「感染症の世界的大流行」、「クラスター」は「小規模の感染者集団」、「オーバーシュート」は「患者の爆発的増加」、「トリアージ」は「患者の治療の優先順位」だそうです)。

ですので、先日の河野太郎防衛大臣の3月24日の発言にはまったく同感です。産経の記事を引用します。

***

河野太郎防衛相は24日の記者会見で、新型コロナウイルスに関する政府の説明に片仮名用語が多いとして疑問を呈した。日本語で分かりやすく説明するよう、厚生労働省など関係省庁に求める考えだ。

河野氏は、ロックダウン(都市封鎖)、オーバーシュート(爆発的患者急増)、クラスター(小規模の感染者集団)を例に挙げ、「ご年配の方をはじめ『よくわからない』という声は聞く。日本語で言えばいいのではないか」と述べた。(略)

***

「ロックダウン、オーバーシュート…「日本語でいい」 河野防衛相」(『産経新聞』令和2年(2020年)3月25日付)
https://www.sankei.com/politics/news/200324/plt2003240022-n1.html

本当に、カタカナ語が氾濫していますね。企業などが宣伝文句でカッコつけるだけならまだましなのですが、近年は、公務員や政治家、あるいは公共放送のはずのNHKまで、わけのわからないカタカナ語を多用します。

私が以前、非常に疑問に思ったのは、2018年9月の北海道での大規模停電のことでした。このとき、NHKの報道番組まで大規模停電のことを「ブラックアウト、ブラックアウト」と連呼していたので強い違和感を持ちました。「ブラックアウト」などとカッコつけずに、

「大規模停電」「全域停電」「大停電」などといったほうがどんな人にもよくわかります。

(まあ、NHKは昔の「教育テレビ」ではなく、数年前から「Eテレ」に名称変更したことからも、日本語を大切する気があまりないのはわかってましたが…)
(´・ω・`)

ちなみに、こういうカタカナ語は、多くの場合、英語だとも言い難いものです。例えば、英語で「クラスター」(cluster)とは、「類似したモノや人の集まり」ぐらいの意味です。「クラスター」だけでは「感染者の集団」という意味は思い浮かびません。英語が良くできる人でも、「クラスター」と聞いただけでは「感染者集団」だとは普通、わからないのです。

カタカナ語を多用すると、専門家やその分野に精通している人以外、よくわかりません。初めて見聞きする言葉は、説明がないと理解できません。また、記憶にも残りがたいのです。

その点、日本の伝統的な外来語の取り入れ方である漢字熟語を用いて、外来語を置き換えていくやり方は優れています。

「クラスター」や「ロックダウン」では初見ではなんのことかわかりませんが、「小規模感染者集団」とか「都市封鎖」と書けば、普通の日本人はすぐわかります。また、記憶にも残ります。

(この点について、以前、言語学者の鈴木孝夫氏の議論に触れながら、当メルマガに書いたことがあります。こちらもぜひご覧ください)。

施 光恒「日本人の底力」(「『新』経世済民新聞」2013年10月18日)
https://38news.jp/archives/02491

私は、特に、役人や政治家、公共放送たるNHKなど、公けの物事に関わる人々や機関がわけのわからないカタカナ語を得意げに使う風潮は大いに問題だと思います。
公けの物事を報じたり論じたりするときに大切なのは、なによりもまず「わかりやすさ」です。「万人によくわかること」です。

よくわかれば、その後、「問題の深刻さはどの程度なのか」「その問題に対処するためにはまず何をすればいいのか」などを一人一人が考えることにつながりやすくなります。

例えば、「ブラックアウトが生じた」では何をすべきかよくわかりませんが、「大規模停電(全域停電)が生じた」であれば、「これはまずい」とすぐに感じ、「その地域の電力供給の仕組みのどこに問題があったのか」、「一人一人は予期せぬ事態にどう対処し、何に気を付けるべきなのか」という思考に進むこともできます。
(以前、カタカナ語の多用が問題をぼかしてしまい、物事をさらに深く認識し考えることを妨げているのではないかということについて、「ヘイトスピーチ」という言葉を例に書いたことがあります。こちらもご覧ください)。

施 光恒「『ヘイトスピーチ』 レッテル貼りの恐れは」(『産経新聞』(九州山口版)2015年1月22日付)
https://www.sankei.com/region/news/150122/rgn1501220036-n1.html

では、なんで、こういうわかりにくいカタカナ語が、公けの事柄を論じるときにも多用され、蔓延してしまうのでしょうか。

もちろん、「インテリぶりたい」「カッコつけたい」などという理由も大いにあるでしょう。それに加えて私は、政治や災害報道などの公けの領域にも、ビジネスの論理が広まってしまっていることに一つの原因があるのではないかと考えています。

「ちょっとわかりにくくても、目新しい感じがし、人目を引くことができる」「その言葉を使っている人や組織が、かしこそうで素敵に見える」ほうがいいというのは、ビジネスの場面では大切なことが多いでしょう。新商品のキャッチフレーズや企業のイメージ広告では、そういう印象が優先されるのが普通でしょう。

わかりにくいカタカナ語が政治や行政、報道などにまで蔓延しているのは、そういう領域にもビジネスの論理がどんどん越境して広がってしまっているからではないかと考えます。そして、役人や政治家や公共放送の職員らの少なからぬ人々が、公けの仕事の意義を忘れ、ビジネス偏重の風潮に染まってしまっているからではないかと思うのです。

たとえば、近頃の行政の現場では、コンサルタント会社などに多くの業務を委託しています。このこともカタカナ語の氾濫の一因ではないでしょうか。

コンサルタント会社の人々が、業務の受託を目指しプレゼンテーションをする際、自分たちの企画を良く見せようとカタカナ語を多用することが結構あります。また、彼らが作った企画書や報告書などを公務員や政治家が使うことも多いでしょう。

また、地方自治体や大学の業界でもそうですが、緊縮財政主義の流行のもと、各種の補助金は、競争的に獲得していくべきだということが言われるようになってきました。ビジネス以外の領域にも、ビジネスのような競争を持ち込んで「効率化」をはかろうというのです。

こういう補助金獲得競争では、コンサル会社の場合と同様、プレゼンテーションが重視されますし、プレゼンでは他者に勝つために「よくわからないけど、目新しく人目を引くこと」「かしこそう、頭よさそう、素敵そう」に見えることが優先されがちです。

このようなかたちで、ビジネスではない公けの領域にビジネスの理屈や空気が持ち込まれるようになったことが、そして役人や政治家や公共放送の職員などが「公共に奉仕する」という本務を忘れ、それに浸ってしまったことが、政治や報道の世界でもカタカナ語が得意げに多用されるようになったことの背景にあるのではないでしょうか。

そうだとすれば、これはやはり問題です。

政治や行政、あるいは今回のような感染症の報道などについては、「万人によくわかり、正確に伝わること」が何より大切です。ターゲットにしている一定の消費者層だけではなく、お年寄りも若者も、高学歴層にもそうでない層にも、その問題に興味がある人にもそうでない人にも、よくわかることが大切です。

そのためには、目新しさやカッコよさは二の次で、たとえ泥臭い言葉だと感じられたとしても、ともかくわかりやすい、日常的な言葉で語ることが必要です。

つまり、当たり前ですが、政治や行政、報道といった公けの事柄に、ビジネスの理屈が持ち込まれてしまってはまずいのです。政治や行政、報道が語り掛けるべき相手は、そういう多種多様な人々がいる国民全体ですし、国民全体のことを何よりも考えて行動すべきなのです。

言葉に関して言えば、政治や行政、報道では、変にカッコつけることなく、万人にわかりやすい日常の言葉で語りかけることが何よりも大切なのです。

追伸
政治や行政の領域に、ビジネスの理屈が持ち込まれ、そちらのほうが「かっこいい」「優先されるべきだ」とみなされがちな昨今の風潮への疑問について、少し前に次のような文章も書きました。こちらもご覧くだされば幸いです。

【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】「公務員らしさ」の大切さ(『産経新聞』(九州山口版)2020年3月2日)
https://www.sankei.com/region/news/200302/rgn2003020006-n1.html
https://38news.jp/column/15584


https://38news.jp/column/15584
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c228

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
180. 中川隆[-13229] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:52:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1675]

2020年3月27日
カタカナ語氾濫の背後にあるもの
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
https://38news.jp/column/15584


「パンデミック」、「クラスター」。「オーバーシュート」「ロックダウン」。ほんと、新型コロナウイルスについての報道、わけのわからないカタカナ語が蔓延してますよね。「トリアージ」とかもときどき出てきて、「なんじゃこりゃ〜、わかいやすい日本語でいわんかい」と私も思っていました。

(ちなみに、「パンデミック」は「感染症の世界的大流行」、「クラスター」は「小規模の感染者集団」、「オーバーシュート」は「患者の爆発的増加」、「トリアージ」は「患者の治療の優先順位」だそうです)。

ですので、先日の河野太郎防衛大臣の3月24日の発言にはまったく同感です。産経の記事を引用します。

***

河野太郎防衛相は24日の記者会見で、新型コロナウイルスに関する政府の説明に片仮名用語が多いとして疑問を呈した。日本語で分かりやすく説明するよう、厚生労働省など関係省庁に求める考えだ。

河野氏は、ロックダウン(都市封鎖)、オーバーシュート(爆発的患者急増)、クラスター(小規模の感染者集団)を例に挙げ、「ご年配の方をはじめ『よくわからない』という声は聞く。日本語で言えばいいのではないか」と述べた。(略)

***

「ロックダウン、オーバーシュート…「日本語でいい」 河野防衛相」(『産経新聞』令和2年(2020年)3月25日付)
https://www.sankei.com/politics/news/200324/plt2003240022-n1.html

本当に、カタカナ語が氾濫していますね。企業などが宣伝文句でカッコつけるだけならまだましなのですが、近年は、公務員や政治家、あるいは公共放送のはずのNHKまで、わけのわからないカタカナ語を多用します。

私が以前、非常に疑問に思ったのは、2018年9月の北海道での大規模停電のことでした。このとき、NHKの報道番組まで大規模停電のことを「ブラックアウト、ブラックアウト」と連呼していたので強い違和感を持ちました。「ブラックアウト」などとカッコつけずに、

「大規模停電」「全域停電」「大停電」などといったほうがどんな人にもよくわかります。

(まあ、NHKは昔の「教育テレビ」ではなく、数年前から「Eテレ」に名称変更したことからも、日本語を大切する気があまりないのはわかってましたが…)
(´・ω・`)

ちなみに、こういうカタカナ語は、多くの場合、英語だとも言い難いものです。例えば、英語で「クラスター」(cluster)とは、「類似したモノや人の集まり」ぐらいの意味です。「クラスター」だけでは「感染者の集団」という意味は思い浮かびません。英語が良くできる人でも、「クラスター」と聞いただけでは「感染者集団」だとは普通、わからないのです。

カタカナ語を多用すると、専門家やその分野に精通している人以外、よくわかりません。初めて見聞きする言葉は、説明がないと理解できません。また、記憶にも残りがたいのです。

その点、日本の伝統的な外来語の取り入れ方である漢字熟語を用いて、外来語を置き換えていくやり方は優れています。

「クラスター」や「ロックダウン」では初見ではなんのことかわかりませんが、「小規模感染者集団」とか「都市封鎖」と書けば、普通の日本人はすぐわかります。また、記憶にも残ります。

(この点について、以前、言語学者の鈴木孝夫氏の議論に触れながら、当メルマガに書いたことがあります。こちらもぜひご覧ください)。

施 光恒「日本人の底力」(「『新』経世済民新聞」2013年10月18日)
https://38news.jp/archives/02491

私は、特に、役人や政治家、公共放送たるNHKなど、公けの物事に関わる人々や機関がわけのわからないカタカナ語を得意げに使う風潮は大いに問題だと思います。
公けの物事を報じたり論じたりするときに大切なのは、なによりもまず「わかりやすさ」です。「万人によくわかること」です。

よくわかれば、その後、「問題の深刻さはどの程度なのか」「その問題に対処するためにはまず何をすればいいのか」などを一人一人が考えることにつながりやすくなります。

例えば、「ブラックアウトが生じた」では何をすべきかよくわかりませんが、「大規模停電(全域停電)が生じた」であれば、「これはまずい」とすぐに感じ、「その地域の電力供給の仕組みのどこに問題があったのか」、「一人一人は予期せぬ事態にどう対処し、何に気を付けるべきなのか」という思考に進むこともできます。
(以前、カタカナ語の多用が問題をぼかしてしまい、物事をさらに深く認識し考えることを妨げているのではないかということについて、「ヘイトスピーチ」という言葉を例に書いたことがあります。こちらもご覧ください)。

施 光恒「『ヘイトスピーチ』 レッテル貼りの恐れは」(『産経新聞』(九州山口版)2015年1月22日付)
https://www.sankei.com/region/news/150122/rgn1501220036-n1.html

では、なんで、こういうわかりにくいカタカナ語が、公けの事柄を論じるときにも多用され、蔓延してしまうのでしょうか。

もちろん、「インテリぶりたい」「カッコつけたい」などという理由も大いにあるでしょう。それに加えて私は、政治や災害報道などの公けの領域にも、ビジネスの論理が広まってしまっていることに一つの原因があるのではないかと考えています。

「ちょっとわかりにくくても、目新しい感じがし、人目を引くことができる」「その言葉を使っている人や組織が、かしこそうで素敵に見える」ほうがいいというのは、ビジネスの場面では大切なことが多いでしょう。新商品のキャッチフレーズや企業のイメージ広告では、そういう印象が優先されるのが普通でしょう。

わかりにくいカタカナ語が政治や行政、報道などにまで蔓延しているのは、そういう領域にもビジネスの論理がどんどん越境して広がってしまっているからではないかと考えます。そして、役人や政治家や公共放送の職員らの少なからぬ人々が、公けの仕事の意義を忘れ、ビジネス偏重の風潮に染まってしまっているからではないかと思うのです。

たとえば、近頃の行政の現場では、コンサルタント会社などに多くの業務を委託しています。このこともカタカナ語の氾濫の一因ではないでしょうか。

コンサルタント会社の人々が、業務の受託を目指しプレゼンテーションをする際、自分たちの企画を良く見せようとカタカナ語を多用することが結構あります。また、彼らが作った企画書や報告書などを公務員や政治家が使うことも多いでしょう。

また、地方自治体や大学の業界でもそうですが、緊縮財政主義の流行のもと、各種の補助金は、競争的に獲得していくべきだということが言われるようになってきました。ビジネス以外の領域にも、ビジネスのような競争を持ち込んで「効率化」をはかろうというのです。

こういう補助金獲得競争では、コンサル会社の場合と同様、プレゼンテーションが重視されますし、プレゼンでは他者に勝つために「よくわからないけど、目新しく人目を引くこと」「かしこそう、頭よさそう、素敵そう」に見えることが優先されがちです。

このようなかたちで、ビジネスではない公けの領域にビジネスの理屈や空気が持ち込まれるようになったことが、そして役人や政治家や公共放送の職員などが「公共に奉仕する」という本務を忘れ、それに浸ってしまったことが、政治や報道の世界でもカタカナ語が得意げに多用されるようになったことの背景にあるのではないでしょうか。

そうだとすれば、これはやはり問題です。

政治や行政、あるいは今回のような感染症の報道などについては、「万人によくわかり、正確に伝わること」が何より大切です。ターゲットにしている一定の消費者層だけではなく、お年寄りも若者も、高学歴層にもそうでない層にも、その問題に興味がある人にもそうでない人にも、よくわかることが大切です。

そのためには、目新しさやカッコよさは二の次で、たとえ泥臭い言葉だと感じられたとしても、ともかくわかりやすい、日常的な言葉で語ることが必要です。

つまり、当たり前ですが、政治や行政、報道といった公けの事柄に、ビジネスの理屈が持ち込まれてしまってはまずいのです。政治や行政、報道が語り掛けるべき相手は、そういう多種多様な人々がいる国民全体ですし、国民全体のことを何よりも考えて行動すべきなのです。

言葉に関して言えば、政治や行政、報道では、変にカッコつけることなく、万人にわかりやすい日常の言葉で語りかけることが何よりも大切なのです。

追伸
政治や行政の領域に、ビジネスの理屈が持ち込まれ、そちらのほうが「かっこいい」「優先されるべきだ」とみなされがちな昨今の風潮への疑問について、少し前に次のような文章も書きました。こちらもご覧くだされば幸いです。

【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】「公務員らしさ」の大切さ(『産経新聞』(九州山口版)2020年3月2日)
https://www.sankei.com/region/news/200302/rgn2003020006-n1.html
https://38news.jp/column/15584


https://38news.jp/column/15584
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c180

[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂いのヘイト
鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂いのヘイトだよ。

最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html

[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂い… 中川隆
1. 中川隆[-13228] koaQ7Jey 2020年3月27日 19:23:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1676]
鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂いのヘイトだよ。最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。自称投資家だけど、日本たばこが半値に暴落する直前に買い推奨していたアホ、信じたら豪い目に遭うよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html#c1
[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂い… 中川隆
2. 中川隆[-13227] koaQ7Jey 2020年3月27日 19:33:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1677]
鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂いのヘイトだよ。最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。
鈴木傾城は自称投資家だけど、日本たばこが半値に暴落する直前に買い推奨していたアホ、信じたら豪い目に遭うよ
鈴木傾城は民主党政権が中国を助ける為に意図的に超円高にしたとかデマ流してるけど、ドル円の適正価格はヨーロッパと日本の物価を比較すると1ドル 30円か、40円だよ。民主党時代の為替1ドル75円 は適正価格だった。 日本企業が輸出で稼いでいたのが間違いだったんだよ。
最近の異常な超円安はアベノミクスで円を大量発行して、日本の資金がすべてアメリカと中国に投資されたからだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html#c2
[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂い… 中川隆
3. 中川隆[-13226] koaQ7Jey 2020年3月27日 19:42:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1678]
鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている朝鮮・中国嫌い、左翼嫌いのヘイトだよ。最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。
鈴木傾城は自称投資家だけど、日本たばこが半値に暴落する直前に買い推奨していたアホ。 今はアメリカ株を買い推奨しているけど、これから超円高になったら大損するよ。
鈴木傾城は民主党政権が中国を助ける為に意図的に超円高にしたとかデマ流してるけど、ドル円の適正価格はヨーロッパと日本の物価を比較すると1ドル 30円か、40円だよ。民主党時代の為替1ドル75円 は適正価格だった。 日本企業が輸出で稼いでいたのが間違いだったんだよ。
最近の異常な超円安はアベノミクスで円を大量発行して、日本の資金がすべてアメリカと中国に投資されたからだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html#c3
[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂い… 中川隆
4. 中川隆[-13225] koaQ7Jey 2020年3月27日 19:45:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1679]
鈴木傾城さんは南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている朝鮮・中国嫌い、左翼嫌いのヘイトだよ。最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。
鈴木傾城さんは自称投資家だけど、日本たばこが半値に暴落する直前に買い推奨していたアホ。 今はアメリカ株を買い推奨しているけど、これから超円高になったら大損するよ。
鈴木傾城さんは民主党政権が中国を助ける為に意図的に超円高にしたとかデマ流してるけど、ドル円の適正価格はヨーロッパと日本の物価を比較すると1ドル 30円か、40円だよ。民主党時代の為替1ドル75円 は適正価格だった。 日本企業が輸出で稼いでいたのが間違いだったんだよ。
最近の異常な超円安はアベノミクスで円を大量発行して、日本の資金がデフレの日本国内ではなく、すべてアメリカと中国に投資されたからだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html#c4
[番外地7] 池田信夫は悪質なデマを撒き散らしている御用学者
池田信夫は

「燃やせば放射性物質は分解されて無害になる」

「従軍慰安婦」強制性は無かった

自由貿易の有益性はリカードの「比較優位の原理」で証明されている

とか、悪質なデマを撒き散らしている御用学者ですけどね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/558.html

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
301. 中川隆[-13224] koaQ7Jey 2020年3月27日 20:24:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1680]

新型コロナ株安で割安になった優良個別銘柄一覧2020年3月27日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9544

新型コロナウィルス肺炎の世界的流行で様々な資産クラスが急落したが、そのウィルスの流行にもピークが見え始めている。

•新型コロナ感染者数、アメリカで急改善 投資家は株を買い始めるべきか

買い始める時期だというのは書いた通りだが、今回の記事では具体的な銘柄について書いてゆきたい。

原油

まずは原油だろう。

原油相場については詳しく書いたのでそちらの記事を参考にしてほしいが、20ドルという原油価格はかなりの安値である。

•新型コロナで暴落した原油価格の推移予想

銘柄としては何よりシカゴの原油先物だが、米国株の原油ETF(NYSEARCA:USO)という選択肢もある。日本株のETFでも構わないが、どちらの場合も円建てで生活する日本の投資家がドル建て価格に賭けたい場合は同額のドル円を売って円高リスクをヘッジする必要がある。

また、新型ウィルスの流行がピークを迎えても原油の需要は少しずつの回復となると思われるため、株式ほどの急反発は見込めない可能性がある。そうしたリスクを考える投資家にはプット・オプションの売り(決めた価格以下に下がらなければ利益の出るトレード)を行うことも出来る。いわば価格下落の際に保険料を支払う保険の売りのようなもので、ボラティリティの高い今の相場では行使価格をかなり下げても保険料が十分に出る。現物の買いとどちらが良いかは相場観によるだろう。

産油企業

原油が安いということであれば産油企業の株も安いということになる。しかし産油コストが40ドル台であるアメリカのシェール企業は現在の20ドルという原油価格では今後も赤字を垂れ流し続けるだけである。以下の記事では簡単な財務分析もしている。

•新型コロナで暴落した原油価格の推移予想

よって買うべきなのは20ドル台でも何とか利益を出していける低い産油コストと半年程度売上が下がっても破綻しない強固な財政を備えた企業ということになり、それは世界でもサウジアラビアのSaudi AramcoとロシアのRosneftということになるだろう。個人的にはRosneftを推したい。どちらも上場企業である。Rosneftの株価チャートを掲載しておく。

原油そのものを買うのとどちらが良いかだが、原油の良いところは原油安がいくら長引いても原油は倒産しないということである。赤字を垂れ流す企業とは違い、腐りもしないので持っていてもそれだけで損はしない(正確には保管コストがかかる)。長引けば長引くほど産油企業が倒産して将来の供給が少なくなるので、反発した時の目標高値も大きくなる。

一方で相場が反発する時には株式である産油企業の方が反発が早い可能性がある。どちらにするかは好みだろう。

空港

新型コロナウィルスの流行で真っ先に影響を受けたのは航空会社であり、飛行機が飛ばなくなれば空港の収入もなくなる。どちらも暴落しているが、半年程度の売上減にも耐えられる財政の強固な企業は航空会社よりも空港に多そうである。

以下の記事にこう書いたが、これに一番相応しいのは欧州の空港だろう。

•日本の新型コロナ感染者数に急増の兆し、東京封鎖で日本株急落の可能性


日本は流行状況に関してはこれまで頑張っていたが、頑張っていたからこそ投資対象からは外れるのである。まだ最悪ではないということは、これから最悪になる可能性があるということである。逆に既に最悪であればこれ以上状況が悪くなることはない。

よってまずはフランクフルト国際空港を運営するFraportを紹介したい。

新型コロナ前の2019年の純資産は4,623百万ユーロ、人件費は1,223百万ユーロであり、最悪数年は耐えられそうである。1株当たり純利益は4.45ユーロ、現在の株価は39ユーロである。

また、もう1つ挙げるとすれば北京首都国際空港を運営する北京首都国際機場だろうか。

新型コロナ前の純資産は234億元、年間費用はすべて足しても80億元にも満たないのでバランスシートは鉄壁である。これまで売上高は毎年15%ほど伸びていた成長株でもある。コロナ前の1株当たり純利益は0.75香港ドル(香港上場)。しかし中国株全体が不調となる可能性は留意しておくべきだろう。

Alphabet

さて、最後は新型コロナの影響をあまり受けていないGoogleの親会社である。

アメリカのハイテク株は新型ウィルスの影響をそれほど受けていないにもかかわらず売られている。Alphabetの1株当たり純利益は49.16ドル、P/Eレシオ(株価収益率)は約23.6とそれだけ見れば割安ではないが、2019年の売上高成長率は18%であり、今後5年の平均成長率を12%と仮定すると1株当たり純利益は112ドルまで上がる。

また、本業の広告の成長率はそこそこだが、クラウドサーバなどを提供するGoogleクラウドの成長率は50%を超えており、個人的にはこちらに期待している。

新型コロナの影響はある程度はあるだろうが、株価が反発するとすれば上記の銘柄よりもAlphabetなど無関係の銘柄の方が先に上がる可能性が高く、両方を持っておきたいところである。先に上がった方を利益確定して上がっていない方に振り分けるなど、臨機応変なポートフォリオの組み方をしたい。

銘柄選択の重要さ

ざっとこんな感じである。一方で米国シェール企業やホテル業の一部、ジャンク債など破綻の匂いのする銘柄は大量に存在しており、銘柄選択が非常に重要な場面となっている。レイ・ダリオ氏のコメントをもう一度掲載したい。

•世界最大のヘッジファンド: 米国では次の数週間で感染者数が劇的に増加へ


わたしの予想では、一時的なショックに耐えられる銘柄と耐えられない銘柄を市場は上手く区別できず、売上への影響にばかり注意が行き、債務への影響は過小評価されるだろう。例えば一時的に大きい影響を受けるものの現金保有が豊富な企業への影響は誇張され、経済的影響は少ないものの大きな短期債務を負っている企業への影響は見落とされがちになる。

今の相場は玉石混交ということである。優良銘柄を厳選してポートフォリオに組み込みたいところである。また、日本株のリスクについては既に記事にしておいた。

•日本の新型コロナ感染者数に急増の兆し、東京封鎖で日本株急落の可能性

このまま何もなければ良いが、このシナリオが現実化する場合、東京で展開している飲食店などの銘柄は現在の反発を利用しての空売り対象となる。

今後数日の感染者数次第となるが、とりあえず売りのポジションを持っておいて感染者数が収まれば解除するというスタンスが悪くないというのが筆者の判断である。上記の買い銘柄と同時に売りを持つことでリスクヘッジにもなる。日本の流行状況についてもここで報じてゆく必要が出てきたということである。

結論

以上銘柄のチャートは載せたが、すべての銘柄が今買いのタイミングだということではない。どの銘柄についても株価がいくらならば買えるのかを各自考えて各自のタイミングで売買すべきだろう。記事はアナリストの代わりになってもトレーダーの代わりになることは出来ないからである。

参考になるのはやはり感染者数の推移であり、そちらは今後も報じてゆく。非常に面白い相場になってきた。

•新型コロナ感染者数、アメリカで急改善 投資家は株を買い始めるべきか


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9544
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c301

[近代史4] グリーグ 中川隆
2. 中川隆[-13223] koaQ7Jey 2020年3月27日 21:02:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1681]

グリーグ自作自演

エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)

Edvard Grieg plays Edvard Grieg





Recorded between 1903 and 1906

Butterfly, Op.43, no.1
To Spring, Op.43, no.6
Remembrances, Op.71, no.7
Finale, from Piano Sonata, Op.7
Gangar, Op.54, no.2
Alla Menuetto, from Piano Sonata, Op.7
Wedding Day at Troldhaugen, Op.65, no.6
Humoresque, Op.6, no.2
Bridal Procession, Op.19, no.2
Bridal Prosession, Op.19, no.2

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/458.html#c2
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
11. 中川隆[-13222] koaQ7Jey 2020年3月27日 21:03:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1682]


グリーグ自作自演

エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)

Edvard Grieg plays Edvard Grieg





Recorded between 1903 and 1906

Butterfly, Op.43, no.1
To Spring, Op.43, no.6
Remembrances, Op.71, no.7
Finale, from Piano Sonata, Op.7
Gangar, Op.54, no.2
Alla Menuetto, from Piano Sonata, Op.7
Wedding Day at Troldhaugen, Op.65, no.6
Humoresque, Op.6, no.2
Bridal Procession, Op.19, no.2
Bridal Prosession, Op.19, no.2

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c11
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
10. 中川隆[-13221] koaQ7Jey 2020年3月27日 22:03:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1683]
グリーグ自作自演

エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)

Edvard Grieg plays Edvard Grieg








Recorded between 1903 and 1906

Butterfly, Op.43, no.1
To Spring, Op.43, no.6
Remembrances, Op.71, no.7
Finale, from Piano Sonata, Op.7
Gangar, Op.54, no.2
Alla Menuetto, from Piano Sonata, Op.7
Wedding Day at Troldhaugen, Op.65, no.6
Humoresque, Op.6, no.2
Bridal Procession, Op.19, no.2
Bridal Prosession, Op.19, no.2

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c10
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
11. 中川隆[-13220] koaQ7Jey 2020年3月27日 22:06:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1684]
フォーレ自作自演


ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)


Fauré plays Fauré ~ Nocturne No.7 Op.74 ~ Roll recording C.1910





Faure plays Faure






Gabriel Faure plays Pavane, Op. 50, 1913 Welte Mignon recording.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c11
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
12. 中川隆[-13219] koaQ7Jey 2020年3月27日 22:10:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1685]
ラヴェル 自作自演

モーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)


Miroirs, Oiseaux tristes (Sad Birds)





Piano roll, 1912



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ラヴェル 自作自演

RAVEL PLAYS RAVEL CA. 1930. (Not a Piano Roll.)




Maurice Ravel in live performance as accompanist to soloist Madeleine Grey singing "Mejerke" from the composers "Trois Chants Hebraiques." 78 rpm Recording played on a 1926 Victor Orthophonic Credenza Phonograph.




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モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』


ラヴェル 自作自演 1922
Ravel "Pavane pour une infante défunte" 1922 piano roll






Ravel at the piano playing his composition "Pavane pour une infante défunte"/"Pavane for a Dead Princess" in 1922. It was imprinted onto a piano roll, and then long after his death it was played back and recorded, which is why the sound is so clear. The tempo and dynamics were not altered in this process. Of course we cannot know what happened on the day that he performed it, but for those suggesting that he did not play it, or that he played it differently, you would be wrong.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c12
[番外地7] 現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いから
現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いからだよ

そもそもロスチャイルドはロシア革命直後からずっと一貫して反共だったよ。ソ連共産党も一貫して共産党内のユダヤ人を敵視・迫害していた。
現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いからだよ。だから共産党に近いプーチンも反ユダヤなんだよ。
プーチンが反グローバリストなら、共産党勢力も反グローバリスト、反ユダヤになる。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/559.html

[近代史3] 民主主義をめざさない社会 - 内田樹の研究室

民主主義をめざさない社会 - 内田樹の研究室 2020-03-26
http://blog.tatsuru.com/2020/03/26_1503.html


「サンデー毎日」に不定期連載という欄を持っている。三月に一度くらい思い立ったことを書く。5000字ほど頂いているので、わりとややこしい話が書ける。今回3月29日号に寄稿したのは民主制論である。「存在すべきもの(ゾルレン)」が「存在するもの(ザイン)」を律するという、宗教や武道では当たり前の話は政治にも当てはまるよという話である。

 統治機構が崩れ始めている。公人たちが私利や保身のために「公共の福祉」を配慮することを止めたせいで、日本は次第に「国としての体」をなさなくなりつつある。
 誰かの怠慢や不注意の帰結ではない。過去30年ほどの間、日本国民一人一人の孜々たる努力の成果である。

 私はこの現象をこれまでさまざまな言葉で言い表そうとして来た。「反知性主義」、「ポピュリズム」、「株式会社化」、「単純主義」などなど。そして、最近になって、それらの徴候が「民主主義をめざさない社会」に固有の病態ではないかと思い至った。その話をしたい。

 過日、「表現の自由」について講演を頼まれた。頼まれてから、「表現の自由」とはそもそも何のために存在するルールなのか考えた。

 たしかに、私たちの民主主義的な憲法は「表現の自由」を保証し、「公共の福祉」に反しない限りその自由を抑制することはできないとしている。でも、「表現の自由」を保証することでどのような「善きもの」がもたらされるのか? 人を憤激させるような表現や、人が大切にしているものを踏みにじるような攻撃的な表現にも自由は保証されるべきなのか? 表現してよいものといけないものを公的機関が判定することは許されるか? こういう問いに即答するのはむずかしい。

 なぜ「表現の自由」は守るに値するものなのか? 

 残念ながら、その問いに対する答えは憲法本文には書かれていない。書かれていないのは、それが自明だからではない(自明なら「表現の自由」をめぐって論争が起きるはずがない)。書かれていないのは、その答えは国民が自分の頭で考え、自分の言葉で語らなければならないことだからである。

 表現の自由にしろ、公共の福祉にしろ、民主主義にしろ、それにいかなる価値があるのかを自分の言葉で語ることができなければ、「そんなものは守るに値しない」と言い切る人たち(それはすでにわが国民の相当数に達している)を説得して翻意させることはできない。

 憲法の定める「表現の自由」はいかなる「善きもの」をもたらすのか? 

 それを語らない限り、民主主義を語ったことにはならないと私は思う。
 というのは、「民主主義とは何を目指した制度なのか?」を愚直に思量し、条理を尽くして語る努力そのものが民主主義の土台をかたちづくると私は考えているからである。だから、「民主主義とは何のためのものか?」という問い手離した人々はもう民主制国家を維持することはできない。

 民主主義というのはどこかに出来合いのものがあって、それを「おい、民主主義一丁おくれ」と言えば誰かが持って来てくれるというものではない。それは私たちが今ここで手作りする以外にないものなのである。いま日本の民主主義が崩れつつあるのは、私たちがそのことを忘れたからである。

 第二次世界大戦が終わった後に、ウィンストン・チャーチルは下院の演説において民主主義についてこう述べたことがある。

「この罪と悲しみの世界では、これまでに多くの政治体制が試みられてきたし、これからも試みられてゆくであろう。民主主義が完全で全能のもの(perfect and all-wise)だという人はいない。事実、民主主義は最悪の統治制度(the worst form of Government)だとこれまで言われてきた。これまで試みられてきたすべての統治制度を除けばだが。」

 広く人口に膾炙したフレーズであるが、この言葉を引用する人たちは「民主主義は最悪の制度だ」という点を強調し過ぎるように私には思われる。民主主義は「ろくでもない制度」である。だが、それ以外の政治体制は「さらにろくでもない制度」である。それゆえ、われわれは民主主義をいやいや採用している。多くの人はそういうふうに論を運ぶ。なんだかシニカルで頭よさそうである。だが、私はその解釈を採らない。チャーチルはこの時に「民主主義は最も実現することが困難な政体である」ということを言いたかったのではないかと思うからである。

 民主主義はまだ存在しない。私はそう思っている。「まだ」というか、たぶん永遠に存在しない。民主主義は「それをこの世界に実現しようとする遂行的努力」というかたちで、つまりつねに未完のものとしてしか存在しない。
 それでいいのだと思う。

 高い目標をめざす努力というのはどれも「そういうもの」だからだ。こちらの目の黒いうちに民主主義を実現することがかなわなくても、それを目指して前のめりに息絶えたということなら私の方には特段文句はない。

 この世界には一神教徒が25億人ほどいる。彼らは世界の終わりの時にわれわれを救うために現れる救世主(メシア)の到来を信じている。だが、預言者がそう説いてからそろそろ3000年ほど経つのに救世主はまだ来ない。これまで一度も起きたことがない出来事は、帰納法的に推論すれば、これからも起きない。だが、一神教の信者たちは彼らが生涯ついに出会うことのなさそうな救世主の到来を勘定に入れて今ここでの彼らの生活を律している。

 ある概念の持つ指南力はそれが現実化する蓋然性とは関係がない。メシアが永遠に到来しなくてもメシアニズムは今ここで機能する。それと同じである。「完全で全能の民主主義」が永遠に到来しなくても、その概念が今ここにおける政治的指南力を持つことはあり得る。「民主主義」は一神教における「メシア」に比すべき超越的な概念なのだ。というのが私の仮説である。そんな変ちきなことを言う人は他にいないと思うが、そう考えると現代日本における民主主義の空洞化の説明がつく。

 民主主義あるいは民主制(democracy)とはどういう制度なのか? 

 定義はそれほど難しくない。これは主権者が誰であるかによる政体の分類だからである。民主制の他には、君主制(monarchy)、貴族制(aristocracy)、寡頭制(oligarchy)、無政府(anarchy)などいくつかの政体が同列に並ぶ。チャーチルが「これまで試みられたすべての統治制度」と呼んだものがそれだ。だから、「私は民主主義に反対である」と言う人は、これらのうちのどれかの政体を選択したと見なされる。

 では、「主権者」とはどういう人間のことか。私はこれを「自分の個人的運命と国の運命の間に相関がある(と思っている)人間」と定義したいと思う。これもまた個人的な定義であり、一般性を要求するわけではない。とにかくこの定義で話を進めさせてもらう。
 帝政や王政においては皇帝や国王が主権者である。だから、明君賢帝であれば国は治まり、暗君愚帝であれば国は乱れる。貴族政や寡頭制でも話は変わらない。主権者の賢愚や善悪がそのまま国運を決する。それなら民主制でも話は同じはずである。民主制は国民が主権者である政体、すなわち国民ひとりひとりが「自分の個人的運命と国の運命の間には相関がある(と思っている)」政体である。そして、実際に国民ひとりひとりの賢愚や善悪が国運の帰趨を決するのである。

 アンドレ・ブルトンがどこかで「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ」と書いていたが、私はこれはそのまま民主制国家の主権者の条件として使えると思う。つまり、「自分の生活を変えることと国を変えることが一つのものであると信じられること」それが民主制国家における主権者の条件である。

 自分のただ一言ただ一つの行為によって国がそのかたちを変わることがあり得るという信憑を手離さない者、それが民主主義国家における主権者である。だから、主権者は「自分が道徳的に高潔であることが祖国が道徳的に高潔であるためには必要である」「自分が十分に知的な人間でないと祖国もまたその知的評価を減ずる」と信じている。遠慮なく言えば、一種の関係妄想である。だが、このような妄想を深く内面化した「主権者」を一定数含まない限り、民主制国家は成り立たない。

 そのことは「主権者のいない民主制国家」というものを想像してみれば分かる。
 主権者のいない民主制国家では、国民は自分の個人的な生き方と国の運命の間には相関がないと思っている。自分が何をしようとしまいと、国のかたちに影響はないと思っている。公共的圏域はあたかも自然物のように自分の外に存在しており、自分が汚そうと傷つけようと蹴とばそうと盗もうと、いささかも揺らぐことはないと思っている。今の日本人はまさにそれである。

 主権者であることを止めた国民というのは「高速道路が渋滞しているときに、路肩を走るドライバー」に似ている。彼以外のすべてのドライバーが遵法的にふるまい、彼一人が違法的である時に彼の利益は最大化する。しかし、それを見た他のドライバーたちが彼を真似て路肩を走り出すと、彼のアドバンテージはゼロになる。これが民主制国家の抱える根本的なジレンマである。

 公共の秩序が整っているときにこそ私利私欲の徒は大きな利益を得る。だが、私利私欲の徒が増え過ぎると秩序は崩壊する。だから、私利私欲の徒を根絶することはできないが、その人口比は「受忍限度」を超えてはならない。どうやって「公共の福祉を配慮する人」と「自己利益だけを追求する人」の比率をコントロールするか? それが民主制国家の直面する最大の現実的問題である。

 一定数の主権者(あるいはもっと平たく「大人」と言ってもよい)、つまり「自分の利害と国の利害は結びついていると思っている人」を民主制は含んでいなければ立ち行かない。それは上に申し上げた通りである。だが、社会の民主化が進み、「大人」の数が増えるにつれて、公共の福祉を顧みず利己的にふるまう人間(すなわち「子ども」)が得る利益は増大する。社会が民主化されるほど非主権者的=非民主主義的にふるまう者はより大きなアドバンテージを享受できることになる。つまり、民主制とは、その構成員たちに絶えず「他の連中には法と倫理を守らせ、常識に従わせ、公共の福祉に配慮させておいて、自分ひとりは抜け駆けして利己的・違法的・非民主的にふるまう」ように誘いかけるシステムなのである。

 ややこしい仕組みである。「最悪の統治制度」だとチャーチルが言うのも当然である。
 しかし、それでも民主制はそれ以外の政体よりも「まし」だと私は思う。
 民主制国家においてはとりあえず一定数の国民が、自助努力がそのまま国力の増大、国運の上昇に結びつくと信じているからである。自分がまず大人にならなければならないと信じているからである。

 史書によれば、名君である尭が五十年王位にあった後、自分の統治がうまくいっているかどうかを知るために変装して街を歩いたことがあった。子どもたちは「万民が幸福なのは皇帝の徳治のおかげだ」という童謡を歌っていたが、一人の老人は腹鼓を打ちながら「帝力なんぞ我にあらんや」とうそぶいていた。皇帝の資質といまの自分の生活の間には相関があることを子どもは信じており、老人は信じていない。いずれが現実を正しく見ているかということは別にして、このあと「公共の福祉」のために汗をかく気があるのはどちらかかは誰にも分かる。

 帝政王政の国では統治者一人が賢明であれば善政は行われた。でもそれは君主以外のすべての民が何の判断力も持たない愚鈍な幼児であっても機能する制度、むしろそうである方がよりよく機能する制度であった。だから、それらの制度は廃棄されたのだと思う。
 私が民主制を支持するのは、それが「できるだけ多くの国民が適切な判断力を具えた大人であることの方がそうでないよりよく機能する制度」だからである。民主制国家は一定数の国民が大人であることを要求する。それが民主制の手柄である。

 私が表現の適否を公的機関が判断することに反対するのは、その機関がつねに誤った判断を下すと思っているからではない(多くの場合、その判断は正しいだろう)。それが国民の適切な判断力の涵養に資するところがないからである。国民の市民的成熟を目指さないからである。それは「未成年者のために大人が決定を代替する」仕組みである。そして、そのような仕組みが整備された社会では子どもが大人になる動機づけは傷つけられる。「あなたが判断しなさい」と権限を委ねない限り、人は自分の判断力を育てようとはしない。「あなたが決めるのです」と負託しない限り、人は主権者としての自己形成を始めようとしない。

 民主制はそのような「賭け」なのである。今の日本で民主制が衰微しているのは、私たちにその覚悟がなくなったからである。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/26_1503.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/971.html

[近代史4] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
2. 中川隆[-13218] koaQ7Jey 2020年3月28日 01:37:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1686]
民主主義をめざさない社会 - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/971.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/647.html#c2
[リバイバル3] 原油価格の底値は 30ドルから 40ドル前半 中川隆
4. 中川隆[-13217] koaQ7Jey 2020年3月28日 09:19:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1687]

ジャンク債反発と原油価格低迷は両立しない2020年3月27日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9588#more-9588


新型コロナ株安であらゆる資産クラスが激しい値動きをする中、株式などここ数日で反発している資産もある中、安いまま放置されている資産もある。このように荒れた相場では本来の価値から離れた動きを見せる銘柄もあり、投資家にはその乖離を取る機会が与えられる。

原油とジャンク債

さて、下がったままの銘柄筆頭は原油である。

米国シェール企業の損益分岐点は40ドル台であり、20ドル近辺という水準は産油コストの低いサウジアラビアやロシアでさえもそれほど利益の出ない水準である。しかし飛行機が飛ばない状況はあと数ヶ月は続くと見られるなか、この価格でもサウジアラビアは原油の買い手を見つけられないとの報道もあり、短期的には原油価格の頭が抑えられているのも合理的な動きである。

さて、その一方で株式以外に反発しているのが信用の低い企業の債券、いわゆるジャンク債である。ジャンク債を集めたジャンク債ETFのチャートは次のようになっている。

急降下の後の急反発である。ジャンク債についてある程度知っている読者ならばもうお分かりかと思うが、この原油とジャンク債の動きは両立しないのである。

ジャンク債の発行主体

そもそもジャンク債の主な発行主体はアメリカのシェール企業なのである。

シェール企業は従来の掘り方では採掘できなかった場所にある原油も掘れる代わりにサウジやロシアなどの掘り方よりも産油コストが高くなり、原油価格が50ドル以上という前提で借金をして採掘施設を作っているので、原油価格が20ドルではシェール企業の発行したジャンク債が返済される見込みは薄い。

よってジャンク債の反発と原油価格の低迷という動きは両立せず、原油価格が上がらないにもかかわらずジャンク債ETFがもし80ドルか82ドルを超えて反発するようであれば空売りを仕掛けていける可能性がある。同時に原油の買いを行えば効率の良いクロスポジションとなるだろう。

結論

こういう上下動の激しい(ボラティリティの高い)相場ではこういう矛盾が頻繁に起こる。数多くのチャートを毎日しっかり見てしっかり考えればそういう機会を見つけることができるはずである。今の相場は投資家にとって最高の書き入れ時である。チャンスを逃さないようにしてゆきたい。

•新型コロナ株安で割安になった優良個別銘柄一覧


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9588#more-9588
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1040.html#c4

[近代史4] ニューヨーク・スタインウェイを弾くホロヴィッツ
ニューヨーク・スタインウェイを弾くホロヴィッツ


ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Samoilovich Horowitz、1903年10月1日 – 1989年11月5日)


ホロヴィッツ 『ショパン バラード第1番』


Vladimir Horowitz - Chopin Ballade No. 1 (live 1946)



Live in Carnegie Hall, April 6, 1946.
Unreleased recording from the Yale Archive. Not available commercially in any format.


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Vladimir Horowitz - Chopin : Ballade No.1 g-moll op.23 (1947) 再復刻





recorded May 19, 1947、New York - Town Hall
Transferred from Jpn Victor 78s / SD-127(11-9844)


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スタインウェイ社はホロヴィッツの死後彼が愛用したピアノを世界中で公開した。日本でも、1983年の演奏で利用したスタインウェイCD75が2007年1月に公開された。
CD75の鍵盤の調整は、通常のニューヨーク・スタインウェイとは異なることも話題となった。


指を伸ばして演奏するホロヴィッツのスタイルは彼独特といわれる程多彩な音色を生み出すのに不可欠であり、これに加えて腕全体の使い方や体重のかけ方などを研究すると、他人には決して真似することができない奏法であるとはいえピアノを鳴らしきる目的に叶った奏法であることがうかがい知れる。また、打鍵が独特であるために、不必要にペダルを使用することなく音を明確に分けて響かせることができ、最弱音から最強音まで、無限に近いデュナーミクの幅を持たせつつ、決して和音が濁ることのない演奏が可能であった。


このような奏法により、粒立ちの揃った早いパッセージでの透明感や、圧倒的なスケールの轟音がもたらす緊張感などが生み出された。スカルラッティやショパン、シューマン、ラフマニノフ、スクリャービンらの作品の演奏は、一方では「ホロヴィッツの演奏は作品そのものではなくホロヴィッツを聴く演奏である」などと揶揄されることもあるが、やはり他には得がたい魅力を秘めており、高い評価に値する説得力がある。


ホロヴィッツは最初セルゲイ・タルノフスキーに、次にフェリックス・ブルーメンフェルトに師事した。指を伸ばして弾く奏法は、日本の音楽学校で長年指導されてきたドイツ系に影響される多数派のピアノ奏法とは大きく異なっているが、コルトー、ペルルミュテールらが同様の奏法で演奏し、指導も行ったことからわかるように、ショパンの奏法を継承したフランスとロシアのピアニスト達の中には、この様な指を伸ばして弾く演奏スタイルが存在する。


フランスにおける伝統的な奏法は、パリ音楽院のサン=サーンス、ルイ・ディエメ、マルグリット・ロンらに代表されるように、「曲げた指」を用いるのが主流である。


ただし、ホロヴィッツが実に多彩な打鍵方法を使い分けていたことも注目に値する。弱音では、鍵盤に手のひら全体が触れるほど指を伸ばし切った状態から指先を軽く曲げるだけの打鍵、手首を鍵盤より低い位置に置き指を折り曲げて鍵盤を引っ搔くような打鍵などが彼に特徴的な打鍵方法であった。逆に、強音では、指を立てて突き刺すような打鍵、手を高い位置から振り下ろす打鍵、手首を回転させ手刀打ちするような打鍵なども使っており、目的とする音色や音量に合わせてさまざまな打鍵を駆使していた。その中でも左右の小指はつねにバスとメロディーを明確に表現するなど、個々の指の音量の配分にも細かく配慮した演奏であった。


爆音を鳴らすピアニストのように言われることが少なくないが、実際には、最弱音が弱音でありながらホールの一番後ろでも美しく聴こえることにこそホロヴィッツの特徴がある。CDでは実際の演奏の魅力を伝えきれないと言われるゆえんである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/705.html

[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス
ベーゼンドルファーを弾くバックハウス


ヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus, 1884年3月26日 - 1969年7月5日)


ヴィルヘルム・バックハウス 最後の演奏会


Wilhelm Backhaus play Schumann "Des Abends" - "Warum?"



from Fantasiestucke Op. 12, No.1 and No. 3
Wilhelm Backhaus (March 26, 1884 -- July 5, 1969)


recorded Ossiach, 28 June 1969 (the last recital - encores)



Wilhelm Backhaus plays Schubert Impromptu in A flat Op. 142 No. 2



recorded Ossiach, 28 June 1969 (the last recital - last encore)


Wilhelm Backhaus´ last solo recitals from June 26/28, 1969




Wilhelm Backhaus - The Last Recital (Live Recording)


Stiftskirche - Ossiach (Carinthia, Austria) - June 28, 1969


Mozart, Beethoven, Schumann, Schubert


W. A. Mozart : Piano Sonata in A Major, K331
- 01. Tema. Andante Grazioso con Variazioni
- 02. Menuetto
- 03. Rondo alla Turca : Allegretto


Ludwig van Beethoven : Piano Sonata No. 21 in C major, Op. 53 “Waldstein”
- 04. Allegro con brio
- 05. Introduzione : Adagio molto
- 06. Rondo : Allegretto moderato - Prestissimo


Franz Schubert
- 07. Impromptu in A-flat major, Op. 142 No. 2 (Allegretto - Trio)


Ludwig van Beethoven : Piano Sonata No. 18 in E-flat, Op. 31 No. 3
- 08. Allegro
- 09. Scherzo (Allegretto vivace)
- 10. Menuetto : Trio (Moderato e Grazioso)


Robert Schumann
- 11. Fantasiestucke Op. 12 No. 1 (Des Abends sehr innig zu spielen …
- 12. Fantasiestucke Op. 12 No. 3 (Warum? Langsam und zart)


Franz Schubert
- 13. Impromptu in A-flat major, Op. 142 No. 2 (Allegretto - Trio)


▲△▽▼


ベーゼンドルファーのピアノはフランツ・リストの激しい演奏に耐え抜いたことで多くのピアニストや作曲家の支持を得、数々の歴史あるピアノブランドが衰退していく中、その人気を長らくスタインウェイと二分してきた。


音色は至福の音色と呼ばれる。 しかし、一部のピアニストからは「中低音の響きは豊かだが、高音とのバランスを考えて弾かなければならず、弾きこなすのが難しいピアノだ」と言われる。


ベーゼンドルファーのピアノは1年以上の月日をかけて全工程を手作業で作られている。代表的なモデルでは井形に組まれた強固な支柱の上にスプルース材のブロックを積み上げてインナーリムを製作し、それに比較的薄いスプルースからなるアウターリムを張り合わせることで、ピアノ全体がスプルース材を介して豊かな中低音を響かせる設計となっている。


現在までにベーゼンドルファーが生産したピアノは50,000台ほどで、およそヤマハの100分の1、スタインウェイの10分の1である。


ベーゼンドルファーのピアノを特に愛用したピアニストとしてはヴィルヘルム・バックハウスが有名。


ジャズ界においては、オスカー・ピーターソンが「ベーゼン弾き」としてよく知られている。


最近のピアニストではアンドラーシュ・シフ、パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デームス、フリードリヒ・グルダ、ギャリック・オールソン、ヴァレンティーナ・リシッツァもベーゼンドルファーのピアノを好んで用いている。
また、スヴャトスラフ・リヒテルも何枚かの録音を残している。


ベーゼンドルファーを使ったレコーディングの例


ヴィルヘルム・バックハウス/最後の演奏会
ゲルハルト・オピッツ/ブラームス : ソロ・ピアノ作品全集
フリードリヒ・グルダ/モーツァルト : ピアノ協奏曲第20番・21番、第25番・27番、ピアノソナタ集
アンドラーシュ・シフ/シューマン:アラベスク・交響的練習曲
パウル・バドゥラ=スコダ/モーツァルト : ピアノ協奏曲第17番・19番
ワルター・クリーン/モーツァルト:ピアノソナタ全集
ブラッドリー・ジョセフ
スヴャトスラフ・リヒテル/バッハ : 平均律クラヴィーア曲集全巻
ギャリック・オールソン/ショパン作品全集
ジャック・ルーシェ/プレイ・バッハ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html

[番外地7] 西岡力と秦郁彦が嘘を広めている


西岡力と秦郁彦が嘘を広めているんだろ:
櫻井よしこに続き西岡力も「捏造」を法廷で白状! 安倍応援団や右派の朝日・慰安婦報道叩きのデタラメが次々露呈
https://lite-ra.com/2018/10/post-4323.html

慰安婦問題の討論・秦郁彦vs吉見義明、秦郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう
https://dj19.hatenadiary.org/entry/20130703/p1

従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/560.html

[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
1. 中川隆[-13216] koaQ7Jey 2020年3月28日 12:51:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1688]
ベーゼンドルファーを弾くバックハウス

Wilhelm Backhaus in concert on the Bösendorfer concert grand




Wilhelm Backhaus is made the first recipient of the "Bösendorfer Ring", an award that is created to honor the world's greatest pianists.




Wilhelm Backhaus plays Beethoven, Piano Concerto No.4 - Karl Böhm, Wiener Symphoniker (1967)




LUDWIG VAN BEETHOVEN
Piano Concerto No.4 in G major, Op.58
00:00:02 I. Allegro moderato
00:17:53 II. Andante con moto
00:22:24 III. Rondo. Vivace

WILHELM BACKHAUS, piano
Wiener Symphoniker
KARL BÖHM, conductor

Recorded at Studio Rosenhügel, Vienna, 3-9 April 1967

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c1
[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
2. 中川隆[-13215] koaQ7Jey 2020年3月28日 13:21:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1689]
ベートーヴェン ピアノソナタ第15・18・21番 ベヒシュタインを弾くバックハウス 1969年ライブ
http://classic-cdreview.seesaa.net/article/434647284.html


タイトルを見て少し「えっ」と思った人は通です。今のピアニストは猫も杓子も使用ピアノのメーカーはスタンウェイです。誰が弾いてもそれなりに綺麗な音が鳴るという点と大ホールにも音が通るという点では確かに今の時代に合うピアノです。タイトルにあるベヒシュタインは、リストやドビュッシーなどに絶賛されたピアノメーカーです。今使用している人は少ない。


往年の名ピアニストは結構違うピアノを使用していました。晩年のグールドは改造したヤマハのピアノを使用していたのは有名な話。バックハウスはベーゼンドルファーのピアノを愛奏していました。ウィーン製の木にこだわったピアノで、ウィーンpoの響きと溶け合う。そのバックハウスが亡くなる3か月前のリサイタルで、珍しくベヒシュタインのピアノを使用した記録があります。

ベートーヴェン ピアノソナタ第15番「田園」・第18番
             ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」
             ピアノソナタ第30番

ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス
1969年 ベルリン・フィルハーモニーでのライブ
録音  4.10点  演奏  4.50点
※立派なステレオ放送音源です


プログラムはえっ3大ソナタないの?と思われる方もいるかもしれませんが、通好みのいいプログラム。「月光」よりも情緒豊かでスケールが少し大きい第15番、ソナチネながら小気味いい第18番、「熱情」程のドラマは無いが凝縮されて振幅の激しい「ワルトシュタイン」。ベートーヴェンの裏3大ピアノソナタです。そして晩年の30番。テンポの良さと構成力がしっかりしたプログラミングです。



ベートーヴェン ピアノソナタ第15番 バックハウス ベーゼンドルファー使用




ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス
録音:1961年11月 ヴィクトリア・ホール (ジュネーヴ)



これらの曲はDECCAでステレオ録音されていますので、ベーゼンドルファーを弾いた演奏と比較できます。最晩年のライブなのでテクニック的には綻びが目立ちますがそこには目をつむって、音の違いを少し。マニアックな内容です。フィルハーモニーという広い会場でのコンサートだったのでベヒシュタインを使用したのかもしれません。







解釈は大きく違いません。ただ印象はちょっと違い、スタジオ録音では少し物足りない18番はライブというかベヒシュタインが良く、15番と21番はスタジオ録音というよりベーゼンドルファーの方がいい。第30番は一長一短。


バックハウス。さて、ベーゼンドルファーかベヒシュタインか?


Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No. 18 in E flat Op. 31 No. 3



"The Hunt"


1. Allegro

2. Scherzo - Allegretto vivace (8:08)

3. Menuetto - Moderato e grazioso (13:08)

4. Presto con fuoco (16:57)

live, 1969


ピアノが違うと何が違うの?と思う方もいるでしょうが、使用している材質が違ったり音を出す仕組みがそれぞれ違います。詳細を書くと長くなるのでウィキペディアで調べてください(笑)個人的な感覚ですが、ベヒシュタインはあまり筐体が響かないようにし、低音から高音に至るまで倍音が少な目な印象。ベーゼンドルファーに比べ明晰ですが、響きと倍音が少な目な分ダイナミックレンジが少しだけ狭く感じる。

しかし、低音から高音まで音のむらが無く1音1音が明確に聴こえる。ドビュッシーが評価したのはそういう点です。このライブの演奏ではスタジオ録音ではごつごつと聴こえるバックハウスの左手の指捌きが聴こえやすい。音の分離が良く、第18番は響きすぎないため、こちらの方が曲の性格に合ってます。


ベーゼンドルファーのバックハウス入門に。LPの音はもっと高音域が伸びている。

一方ベーゼンドルファーは木製の筐体を響かせる。中低音は基音近くの倍音が多く少しこもり気味の音にも聞こえますが腹に響く中低音になる。逆に高音は音の芯が明確でありながらも澄み渡ってたなびいていくような倍音が印象に残る。下手な人が弾くとその響きをコントロールできずにぼわんぼわんの音になりますが、バックハウスはこの美点を上手く使いこなしていました。特に高音は弾んで転がるような音に仕上げています。バックハウスの美点はしっかりと左手を混濁しないように響かせたベースの上に、ピアノの音とは思えない突き抜けるけども決して刺さらない虹色の光彩を放つ高音域です。


アラウの「ワルトシュタイン」です。王道。ちなみに使用ピアノはスタンウェイ。

高低差の激しい曲の性格上、「田園」と「ワルトシュタイン」はベーゼンドルファーの方がいい。ライブの演奏では「あぁピアノを叩いているな」という感じがしますが、スタジオ録音ではピアノの存在を一瞬忘れるような響きがします。スタジオの特性と録音の差も多少あるでしょうが、何回聴いても違うなぁやっぱりバックハウスはベーゼンが似合うと思ってしまう。

このコンサートの演奏はベヒシュタインを使用しているが故にバックハウスのタッチ(ミスタッチさえも)が、スタジオ録音よりもしっかり聞き取れるのは嬉しい。やはり超一流のベートーヴェン弾きです。今日何度聴いても飽きませんでした。

今はモノラルですが、フランスの名ピアニスト イヴ・ナットのベートーヴェンを聴いています。これもまた一家言と一味ある演奏で・・・いずれまた。

http://classic-cdreview.seesaa.net/article/434647284.html




▲△▽▼


バックハウスの 1969年4月18日 ベヒシュタイン使用のベートーヴェン・リサイタル
ピアノ・ソナタ第15、18、21、30番 
https://www.hmv.co.jp/news/article/1005200041/


バックハウス[1884-1969]が世を去る 3か月ほど前におこなったリサイタルは、極め付きのオール・ベートーヴェン・プログラム、しかも完全初出のステレオ音源という最高の内容です。

【バックハウスによるレコーディング】
「ベートーヴェンのエキスパート」 にふさわしく、バックハウスはソナタの全曲を1950年から1954年にかけてモノラルでセッション録音したのちに、再録がかなわなかった『ハンマークラヴィア』をのぞいて、1959年から1969年にかけてステレオでふたたびセッション録音しています。

 このたびの2枚組のセットに収められた音源は、ベーゼンドルファーのピアノを好んで弾いたバックハウスがベヒシュタインを使用しているのも興味深いところで、すべてが完全初出の内容となります。

 ちなみに、第15番は1930年代のSP録音、1953年のDeccaへの第1回目のモノラル・セッション録音、1961年Deccaへの第2回目のステレオ・セッション録音、1969年6月のライヴ録音につづくもので、5種のうち4番目にあたります。

 第18番は1930年代のSP録音、1948年のセッション録音、1954年のDeccaへの第1回目のモノラル・セッション録音、1963年Deccaへの第2 回目のステレオ・セッション録音、さらに「バックハウス最後の演奏会」として知られる、1969年6月のオーストリア、オシアッハでのライヴ録音につづく録音となり、6種中5番目に相当します。

 第21番も1950年のDeccaへの第1回目のセッション録音、1959年のザルツブルクでのライヴ録音、1959年のDeccaへの第2回目のセッション録音、1959年ボンでライヴ録音(MM006)、そして1969年6月オーストリアでのライヴ録音につづいて、5番目で6種目にあたるもの。

 第30番は1950年モノラル、1961年ステレオと、いずれもジュネーヴでのDeccaによるセッション録音につづいて3種目になります。


【ドイチュラントラジオ・クルトゥーア・アーカイブのオリジナル・ステレオ・マスター使用】
このたびもまたベルリンRIAS収録によるドイチュラントラジオ・クルトゥーアの正規音源からの復刻となりますが、ここでステレオ音源によるリリースというのもうれしいかぎりです。2010年にauditeの社主でプロデューサー&エンジニア、ルトガー・ベッケンホーフ氏が万全の音づくりで最新リマスタリングを施しています。
 (キングインターナショナル)

【収録情報】
CD1 [68:15]
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第15番ニ長調Op.28『田園』
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調Op.31-3
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調Op.53『ワルトシュタイン』
CD2 [17:41]
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番ホ長調Op.109
 ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ:ベヒシュタインE)

 録音時期:1969年4月18日
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
 録音方式:ステレオ(ライヴ)
https://www.hmv.co.jp/news/article/1005200041/



聴而不聞 5つ星のうち4.0
最晩年、ベルリンでのオール・ベートーベン・ リサイタル・ ライブ
 バックハウスが85歳で亡くなる3ヶ月前のリサイタルのライブ録音が残っていました。ベルリンのフィルハーモニー・ホールでの演奏で、使用ピアノは常用して来たベーゼンドルファーではなくベヒシュタインであることが記載されています。聴いて見ますとバックハウスの聞き慣れた音とは少し違うのがわかります。ホールの響きを取り入れた綺麗な収録です。ワルトシュタインを始め、どの曲も85歳のライブ録音として大変立派な演奏だと感じました。二枚組のCDですが、CD2にはOp. 109の一曲だけが収録されています。
 このあと1969年6月26日および28日にバックハウスは演奏会を行い、6月28日のコンサートの後半、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番の第3楽章を弾いている途中で心筋梗塞と思われる症状を来たし、控室に戻りました。医師団から演奏会の中止を勧められましたが、後半のプログラムを一部変更してコンサートを終了しました。最後の曲はシューマンの幻想小曲集op.12から第1曲「夕べに」/第3曲「なぜに?」とシューベルトの即興曲 作品142-2でした。演奏終了後直ちに病院に搬送されましたが7日後の7月5日に死去しました。最後の演奏会の録音もThe Last RecitalとしてCD化されていますASIN: B0001FAC0CまたはASIN: B0000E3HKK。



KM 5つ星のうち5.0
やっぱり、星5つでしょう
このライブについての情報は、先行レビューアーさんのレビュー(2014年4月22日)が参考になる。

最近、Shigeru Kawai を購入した私は、バックハウスではなくて Kawai とベヒシュタインの音を聴き比べたくて、この CD を購入。この CD は音が良いので、ベヒシュタインの美音が快い。

このアルバムにおけるバックハウスは、必ずしも指の「動き」が、安定しているとは言えないかも知れないが、彼の2回目のベートーヴェン:ソナタ全集のおおらかさ、エレガントさに加えて、生き生きした演奏を聴かせる。このアルバムは単なる「記録」ではない…全曲が私の感覚をチクリと刺し、私の身体をピクッと反応させる。

ビワッシュ 5つ星のうち4.0
バックハウスらしさを考えるにも面白い盤
バックハウスの愛したベーゼンドルファーは、高音の華やかさ、という点では(比較するとだが)少々 ”くぐもった” 印象のある楽器だ。しかしそれはバックハウスほどのピアニストともなれば、輝かしくも感じられる高音を全体のバランスから見事に描き出してくる。(それでも他のピアノに比べると控えめな輝きの高音)

そんなバックハウスが、ここでは低音〜高音までしなやかに響かせることの出来るベヒシュタインを使用している。だから、いつものバックハウスになく華やかな音楽に聴こえる。だから、いつものバックハウスとはちょっと違う。否、かなり違う。いつものバックハウス以上に音楽が雄弁だ。
(……きっとおそらくバックハウスは常に ”自分が持つ感覚・感性を超えたところで楽器の特性に頼らない、音楽を必要以上に雄弁になんか響かせたくない” 人なのだ……だから、いままでベーゼンドルファーを愛用して来たに違いない)

正直、私もバックハウスには楽曲によって「詩味」が足りずぶっきらぼう過ぎて、例えばベートーヴェンの「7番」のソナタなども他の演奏者の方がイイな(例えば、エトヴィン・フィッシャーの演奏♪)といったものがあったりもして来た。しかしだ、しかしなのだ。そうした「詩味」溢れる演奏も聴き続けていると、ふとバックハウスの演り方が恋しくなり、奏者の勝手な思いを極力入れない表現に立ち戻ったりもするものなのだ。

やはりヴィルヘルム・バックハウスはワタシなんかの先ノ先ノ先を見、感じていた本当の芸術家、ピアニスト、なのだ(と強く感じます)。
https://www.amazon.co.jp/ベートーヴェン-ピアノ・ソナタ集-Beethoven-Sonatas-Backhaus/product-reviews/B003NEQAIQ/ref=cm_cr_dp_d_show_all_btm?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews


投稿日:2010/10/09
今年の9月に、バックハウスのモ−ツァルトとブラ−ムスのピアノ協奏曲のライブ録音を聴いて感動したが、このライブも極め付きだ。
ピアノがベ−ゼンドルファ−でないため、最初は少し違和感があったが、曲が進むにつれてそんなものはどこかへ消えてしまった。
いずれも彼が好んで弾くベ−ト−ヴェンのソナタであるし、どの曲も一見淡々と進んでいくように聞こえるが、これこそ彼が到達した境地であろう。

しかしながら、ブラ−ムスの協奏曲でも述べたように、これらの演奏は決して枯淡の域ではない。演奏そのものが若いし、彼自身3ヵ月後に人生の終末が来るなどとは、思ってもいなかっただろう。彼の最後の演奏会で、誰もが聴けなかった18番の第4楽章が、ここでは華やかに演奏されているし、15番は彼自身がこの曲を演奏して楽しんでいるようだ。細かいところで少しミスはあるにしても、豪放な演奏のワルトシュタイン、そして、いちばん気に入ったのは30番だ。まだ10代の頃、この曲を初めて聴いたのがバックハウスのモノ-ラルLPレコ−ドだったせいもあるが。 


投稿日:2016/04/
素晴らしいCDだ。ファンにとっては神の演奏が聴ける。
バックハウスの晩年の演奏はやはり年齢によりムラがあると思うが、亡くなる三ヶ月前のこのベルリン・ライブはよほど調子が良かったのではないか?
ミスタッチは「ワルトシュタイン」で散見(聞?)されるが、何よりあの重いタッチと音色が健在なことが何より嬉しい。

ベヒシュタインだからというのは皆さんのいわれる程気にならないが、演奏のせいもあって華やいだ気配を添えている感はある。それが素晴らしいステレオの音で聞けることに感謝したい。

『田園』は興が乗っていたのか、かなり動きの多い、というかライブならではのノリの良さが目立ち、老人はいつもより早足で田園を逍遙する。心の泡立ちを抑えられないかのようだ。渋くて動きの少ないスタジオ盤とは好き好きだろう。

Op.31-3でもそれは継続しており、如何にも嬉しそうに音楽が生起していく。老人の低回趣味はいささかも見られない。スケルツォの若やいだ心の弾み方はどうだ。最後のリサイタルで弾けないで終ってしまった終楽章もここでは闊達極まりない。天衣無縫といおうか。

「ワルトシュタイン」は、スタジオ録音が早い時期のために音質が今イチであったので、この録音の方がバックハウスの壮大なピアニズムを遥かに味わえる。フィナーレは少し疲れたかなぁという感もあるが、全体としては迫力満点で豪快そのもの。85歳時で死の少し前の人の演奏とは思えない。

Op.109(CD二枚目はこれだけ=17分)もライブらしい即興性が目立ち、主題のモチーフからして冒頭の十六分音符を短く切り上げ付点音符に引っ掛けるように弾く所がスタジオ盤と違い、アゴーギグも大きい。ここも好き好きかもしれない。でも最後の変奏曲はやはり感銘深い音楽だ。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%EF%BC%881770-1827%EF%BC%89_000000000034571/item_%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%95%E3%80%81%EF%BC%91%EF%BC%98%E3%80%81%EF%BC%92%EF%BC%91%E3%80%81%EF%BC%93%EF%BC%90%E7%95%AA-%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%96%EF%BC%99%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B4%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3838331

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c2
[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
3. 中川隆[-13214] koaQ7Jey 2020年3月28日 13:32:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1690]

バックハウスのリサイタル

1969年4月18日のベルリンのフィルハーモニー・ホールでのリサイタルと全く同じプログラムですが、

さて、ベーゼンドルファーかベヒシュタインか?


Beethoven Piano Sonata No.15 op.28 "Pastoral" - Backhaus (Firenze, 1969)




Beethoven Piano Sonata No.21 op.53 "Waldstein" - Backhaus (Firenze, 1969)




Beethoven Piano Sonata No.26 op.81a "Les adieux" - Backhaus (Firenze, 1969)




Beethoven Piano Sonata No.30 op.109 - Backhaus - (Firenze 1969)





Live recording, Teatro Comunale di Firenze (03.05.69)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c3
[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
4. 中川隆[-13213] koaQ7Jey 2020年3月28日 13:36:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1691]

ベヒシュタイン

1853年、カール・ベヒシュタインによってベルリンで創業。「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれるほどの名器で、最高のピアノの代名詞である。

ベヒシュタインについてフランツ・リストは「28年間貴社のピアノを弾き続けてきたが、ベヒシュタインはいつでも最高の楽器だった」、

クロード・ドビュッシーは「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」と言う言葉を残している。


響板が音色を作り出すという哲学のもと、頑丈な鉄骨フレーム、高いテンションの弦、総アグラフの採用などによって弦の振動をあまり鉄骨フレームに響かせずに透明度の高い音色を実現していた。

また音の立ち上がりが早いのもこのピアノの特色であり、音響効果の高いホールでの使用を念頭において設計されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%92%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c4

[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
5. 中川隆[-13212] koaQ7Jey 2020年3月28日 13:47:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1692]

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109
バックハウス 1961 ベーゼンドルファー使用





Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No. 30 in E major Op. 109
rec. 1950 ベーゼンドルファー使用



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c5
[近代史4] ヴィルヘルム・ケンプは本当にベヒシュタインを弾いていたのか?


ヴィルヘルム・ケンプは本当にベヒシュタインを弾いていたのか?



ケンプの戦前の録音、たとえば1940年のベートーヴェン「悲愴」の録音67682 A(当然SPレコードです)のレーベルには、「am Bechstein-Flügel」と書かれており、ベヒシュタイン使用は間違いないでしょう。


78rpm Wilhelm Kempff Beethoven "Pathetique 2nd movement" Version-5 1940
ベヒシュタイン使用



Wilhelm Kempff plays Beethoven Piano Sonata No.8 Op.13 "Pathetique".
This is electric recoording in 1940.
Taken from German original pressing.


▲△▽▼


Wilhelm Kempff - Beethoven : Piano Sonata c-moll "Pathetique" (1936)
スタインウェイ使用





▲△▽▼


Wilhelm Kempff "Pathetique" all 78rpm recordings medley edit 1924 to 1951



ケンプはベートーヴェンのピアノソナタ「悲壮」を
かなりの回数に渡って録音していますが
ここではSP盤の時代に録音された全てのテイクから
その第二楽章をメドレー形式でお届けします。
1924年のアコースティック録音から
1927年、初の電気録音盤(80回転!)へ
25センチ盤両面に渡りゆったりと演奏された1931年盤
さらに1936年、1940年盤を経て1951年盤、
78回転SP盤としては最終進化形態の
ヴァリアブル・グレード盤まで。


An medley edit of my previous posting videos of Kempff's "Pathetique".
1924 Acoustic 12"
1927 Electric 80rpm 12"
1931 Electric 10"
1936 Electric 12"
1940 Electric 12"
1951 Electric 12" Variable Grade


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ピアノブランド紹介 C.BECHSTEIN(ベヒシュタイン)


"ピアノのストラディバリウス"といわれる、世界最高水準の名器


創業者 カール・ベヒシュタイン
創業年 1853年


本社所在地・製造拠点
ベルリン(アメリカ)
ザイフェナースドルフ工場(ドイツ)
フラデツ・クラーロヴェー工場(チェコ)


特徴


・立ち上がりが早く、美しく透明度の高い響き。
一音一音の輪郭がはっきりした音色と、美しくみずみずしい音の透明感が素晴らしい響きを創り出し、旋律や対旋律、伴奏、ベースといった各パートをはっきりと分離させて演奏することのできるピアノです。


・音の輪郭ががはっきり聴き取れる、音色変化に富んだ多彩なサウンド。
クラシック音楽の文化とともに培われてき歴史や要求への集大である、音色変化に富んだ多彩で純度の高いピアノサウンドが得られ、ダイナミックさや繊細さが求められるクラシックから音色のバリエーションが求められるジャズやポピュラーまで、あらゆるジャンルに対応するオールマイティーなピアノサウンドです。


・繊細かつダイナミックな表現力
シルクに触れた時のような繊細なタッチ感から嵐を連想させるような壮大でダイナミックな表現力を持つピアノで、表現しやすいタッチとクセの無い音色は、ピアノが演奏を決めるのではなく演奏者の個性を最大限に演出してくれるピアノです。


歴史


1826年、ドイツ・ザクセン州で後のベヒシュタイン創業者、カール・ベヒシュタインが誕生しました。当時のピアノ造りの最先端メーカーであったプレイエル社(フランス)の工場で修業しピアノ造りのノウハウを学び、ロマン派の全盛期であった19世紀半ば(1853年)にベルリン(ドイツ)でベヒシュタイン社を設立しました。この年、偶然にも後のライバル社となるスタインウェイ&サンズ社(ニューヨーク)、ブリュートナー社(ライプツィヒ)も創業しています。


1857年、ハンス・フォン・ビューロ(フランツ・リストの弟子で後のベルリンフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者)がベヒシュタインのピアノを評価したことから一躍評価されるようになり、師匠のリストもベヒシュタインピアノを愛奏するようになりました。


1880年にはベルリンの工場を拡張し、1885年にはロンドン支店を設立。1900年頃には生産のピークを迎え、年間3,500台のピアノを生産しました。


また1892年にはベルリンに、1901年にはロンドンに「ベヒシュタイン・ホール」を設立し、クラシック音楽文化の発信地としての役割を担っていきました。


第二次世界大戦でドイツは敗戦国となり、ベヒシュタインの経営権は連合軍の手に渡った後、1963年にはボールドウィン社(アメリカ)がベヒシュタインを買収しましたが、1986年にドイツのピアノマイスター・実業家カール・シュルツがベヒシュタインをドイツ人の手に戻し、かつての価値を再び取り戻すことに成功しました。


1992年には「ザクセンピアノ製造会社」の経営権を引き継ぎ、1996年にはベヒシュタイン社は上場株式会社へと発展。ザクセン州ザイフェナースドルフ工場をグランドピアノとアップライトピアノの製造拠点とし、ベヒシュタイン=「ドイツ製」という明確なモットーの元にヨーロッパ最大のピアノメーカーとして伝統を受け継ぐことに成功しました。


現在では数少ない純然たるヨーロッパ製ピアノであり、ヨーロッパ諸国をはじめアメリカ、ロシアなど世界50カ国以上で愛奏されています。


主要演奏者


フランツ・リスト(ハンガリー)
ハンス・フォン・ビューロー(ドイツ)
クロード・ドビュッシー(フランス)
アルトゥール・シュナーベル(ポーランド)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(ドイツ)
ヴィルヘルム・ケンプ(ドイツ)
ヴィルヘルム・バックハウス(ドイツ)
ヴァルター・ギーゼキング(ドイツ)


https://www.grandg.com/brand/bechstein/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/707.html

[近代史4] ヴィルヘルム・ケンプは本当にベヒシュタインを弾いていたのか? 中川隆
1. 中川隆[-13211] koaQ7Jey 2020年3月28日 15:35:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1693]

2017年 03月 24日
ヴィルヘルム・ケンプは戦後の録音で果たしてベヒシュタインを弾いたか、の巻https://mitchhaga.exblog.jp/26526816/


オーディオ好きの間では、ピアノの録音で、どのメーカーのピアノを使ったか?、というのがよく話題になります。

以前も拙ブログで、イングリッド・ヘブラーはベーゼンドルファーを弾いたか?、という問題(笑)を扱いました。
http://mitchhaga.exblog.jp/25988419/

今回はですね、ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)は戦後の録音でベヒシュタインを使ったか?、という問題です。

ベヒシュタインBechsteinというのはドイツのピアノ・メーカーで、戦前は高く評価されておりました。ただ爆撃で工場が破壊され、またオーナーのヘレーネ・ベヒシュタインがヒットラーと親しかったこともあだになり、戦後は衰えます。


ケンプの戦前の録音、たとえば1940年のベートーヴェン「悲愴」の録音67682 A(当然SPレコードです)のレーベルには、「am Bechstein-Flügel」と書かれており、ベヒシュタイン使用は間違いないでしょう。


問題は、「戦後の録音にベヒシュタインは使われたか?」、です。

ケンプの戦後のベートーヴェン・ソナタの全集は2種あります。(ライブ盤は除く)

1951年〜1956年スタジオ録音(モノーラル)

1964年11月〜1965年1月ハノーファー、ベートーヴェンザール(ステレオ)


なお、ケンプが来日したときは、スタインウェイを弾いているのは間違いないです。問題は50年代のモノ全集(旧盤と呼びましょう)と60年代のステレオ全集(新盤と呼びましょう)での使用ピアノです。


実は国内外のネット上をあちこち検索して回ったのですが、決定的な記載は発見できませんでした。LPレコードやCDにはピアノのブランドに関するクレジット記載はなく、ネットの雰囲気(笑)では、おおむね旧盤はベヒシュタインではないか、新盤はスタインウェイらしい、というような伝聞(?どこから)的記載のみでした。


ベヒシュタインのホームページに行くと、ベヒシュタインを愛用したピアニストの一人として、ケンプの紹介があります。また同様にスタインウェイのホームページには、ケンプがスタインウェイを褒めたコメントが載っています。どちらも決め手にはなりません。(汗)


そこで、唯一手がかりらしいものを見つけたのがこれです。

「Steinway Legend Wilhelm Kempff」というDGGのCD2枚組アルバムです。
ヴィルヘルム・ケンプは戦後の録音で果たしてベヒシュタインを弾いたか、の巻

この収録曲を見てみましょう、録音年代順にソートしてあります。


ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13 「悲愴」[1936年]

リスト: 2つの伝説[1950年]

ショパン: 夜想曲 ロ長調 作品9-3[1958年]

ショパン: 即興曲 第3番 変ト長調 作品51[1958年]

ブラームス: スケルツォ 作品4[1958年]

モーツァルト: 幻想曲 ハ短調 K475[1962年]

ブラームス: ピアノのための小品 作品119[1963年]

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 作品26[1964年]

シューベルト: 3つのピアノ小品(即興曲) D946[1969年]

シューマン: 子供の情景 作品15[1971年]

J.S.バッハ: 3つのコラール (ケンプ編)[1975年]


このアルバムは、Steinway Legendシリーズの一環でして、他にも別のピアニストの盤がいろいろでています。ジャケットには大きくスタインウェイのロゴが入っており、まあ同社の宣伝半分なのかなぁ、という感じがいたします。

ただ、そこまで宣伝しているのですから、このSteinway Legendシリーズに収録された楽曲は、すべてスタインウェイ使用ではないかと考えられます。

そうだとすると、驚きなのは、1936年の「悲愴」です。戦前のケンプの録音はみなベヒシュタインかと思っておりました。

ネット上で1936年盤のレーベルを探して見てみますと、1940年盤にあったBechstein-Flügelのような記載はありませんでした。してみると、これはスタインウェイ使用なのか、にわかには信じがたいのですが、どうなんでしょう。


まあ、それはそれとして、60年代ステレオ盤全集(新盤)のピアノはスタインウェイで決まりのようですね。そして、旧盤の録音年代は、ここでのリストとショパンの間にくるのですが、どうでしょう、どうも「ケンプは戦後は全てスタインウェイで録音した」可能性が高いのではないでしょうか。


本件の検討はこれまで。何か有力な情報をお持ちの方はぜひ教えてください。

あっ、記事冒頭の画像は、ケンプとお弟子さんのイディル・ビレット、ベヒシュタイン・ピアノの前で撮影。ケンプが自宅にベヒシュタインを所有していたのは確かだと思われます。

https://mitchhaga.exblog.jp/26526816/

Wilhelm Kempff (1895 - 1991)
recorded in 1936.
transfer from Jpn Polydor 78s / 65024(630/1)



バックハウスの 1969年4月18日 ベヒシュタイン使用のベートーヴェン・リサイタル
ピアノ・ソナタ第15、18、21、30番 
https://www.hmv.co.jp/news/article/1005200041/


バックハウス[1884-1969]が世を去る 3か月ほど前におこなったリサイタルは、極め付きのオール・ベートーヴェン・プログラム、しかも完全初出のステレオ音源という最高の内容です。

【バックハウスによるレコーディング】
「ベートーヴェンのエキスパート」 にふさわしく、バックハウスはソナタの全曲を1950年から1954年にかけてモノラルでセッション録音したのちに、再録がかなわなかった『ハンマークラヴィア』をのぞいて、1959年から1969年にかけてステレオでふたたびセッション録音しています。

 このたびの2枚組のセットに収められた音源は、ベーゼンドルファーのピアノを好んで弾いたバックハウスがベヒシュタインを使用しているのも興味深いところで、すべてが完全初出の内容となります。

 ちなみに、第15番は1930年代のSP録音、1953年のDeccaへの第1回目のモノラル・セッション録音、1961年Deccaへの第2回目のステレオ・セッション録音、1969年6月のライヴ録音につづくもので、5種のうち4番目にあたります。

 第18番は1930年代のSP録音、1948年のセッション録音、1954年のDeccaへの第1回目のモノラル・セッション録音、1963年Deccaへの第2 回目のステレオ・セッション録音、さらに「バックハウス最後の演奏会」として知られる、1969年6月のオーストリア、オシアッハでのライヴ録音につづく録音となり、6種中5番目に相当します。

 第21番も1950年のDeccaへの第1回目のセッション録音、1959年のザルツブルクでのライヴ録音、1959年のDeccaへの第2回目のセッション録音、1959年ボンでライヴ録音(MM006)、そして1969年6月オーストリアでのライヴ録音につづいて、5番目で6種目にあたるもの。

 第30番は1950年モノラル、1961年ステレオと、いずれもジュネーヴでのDeccaによるセッション録音につづいて3種目になります。


【ドイチュラントラジオ・クルトゥーア・アーカイブのオリジナル・ステレオ・マスター使用】
このたびもまたベルリンRIAS収録によるドイチュラントラジオ・クルトゥーアの正規音源からの復刻となりますが、ここでステレオ音源によるリリースというのもうれしいかぎりです。2010年にauditeの社主でプロデューサー&エンジニア、ルトガー・ベッケンホーフ氏が万全の音づくりで最新リマスタリングを施しています。
 (キングインターナショナル)

【収録情報】
CD1 [68:15]
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第15番ニ長調Op.28『田園』
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調Op.31-3
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調Op.53『ワルトシュタイン』
CD2 [17:41]
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番ホ長調Op.109
 ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ:ベヒシュタインE)

 録音時期:1969年4月18日
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
 録音方式:ステレオ(ライヴ)
https://www.hmv.co.jp/news/article/1005200041/

聴而不聞 5つ星のうち4.0
最晩年、ベルリンでのオール・ベートーベン・ リサイタル・ ライブ
 バックハウスが85歳で亡くなる3ヶ月前のリサイタルのライブ録音が残っていました。ベルリンのフィルハーモニー・ホールでの演奏で、使用ピアノは常用して来たベーゼンドルファーではなくベヒシュタインであることが記載されています。聴いて見ますとバックハウスの聞き慣れた音とは少し違うのがわかります。ホールの響きを取り入れた綺麗な収録です。ワルトシュタインを始め、どの曲も85歳のライブ録音として大変立派な演奏だと感じました。二枚組のCDですが、CD2にはOp. 109の一曲だけが収録されています。
 このあと1969年6月26日および28日にバックハウスは演奏会を行い、6月28日のコンサートの後半、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番の第3楽章を弾いている途中で心筋梗塞と思われる症状を来たし、控室に戻りました。医師団から演奏会の中止を勧められましたが、後半のプログラムを一部変更してコンサートを終了しました。最後の曲はシューマンの幻想小曲集op.12から第1曲「夕べに」/第3曲「なぜに?」とシューベルトの即興曲 作品142-2でした。演奏終了後直ちに病院に搬送されましたが7日後の7月5日に死去しました。最後の演奏会の録音もThe Last RecitalとしてCD化されていますASIN: B0001FAC0CまたはASIN: B0000E3HKK。

KM 5つ星のうち5.0
やっぱり、星5つでしょう
このライブについての情報は、先行レビューアーさんのレビュー(2014年4月22日)が参考になる。

最近、Shigeru Kawai を購入した私は、バックハウスではなくて Kawai とベヒシュタインの音を聴き比べたくて、この CD を購入。この CD は音が良いので、ベヒシュタインの美音が快い。

このアルバムにおけるバックハウスは、必ずしも指の「動き」が、安定しているとは言えないかも知れないが、彼の2回目のベートーヴェン:ソナタ全集のおおらかさ、エレガントさに加えて、生き生きした演奏を聴かせる。このアルバムは単なる「記録」ではない…全曲が私の感覚をチクリと刺し、私の身体をピクッと反応させる。

ビワッシュ 5つ星のうち4.0
バックハウスらしさを考えるにも面白い盤
バックハウスの愛したベーゼンドルファーは、高音の華やかさ、という点では(比較するとだが)少々 ”くぐもった” 印象のある楽器だ。しかしそれはバックハウスほどのピアニストともなれば、輝かしくも感じられる高音を全体のバランスから見事に描き出してくる。(それでも他のピアノに比べると控えめな輝きの高音)

そんなバックハウスが、ここでは低音〜高音までしなやかに響かせることの出来るベヒシュタインを使用している。だから、いつものバックハウスになく華やかな音楽に聴こえる。だから、いつものバックハウスとはちょっと違う。否、かなり違う。いつものバックハウス以上に音楽が雄弁だ。
(……きっとおそらくバックハウスは常に ”自分が持つ感覚・感性を超えたところで楽器の特性に頼らない、音楽を必要以上に雄弁になんか響かせたくない” 人なのだ……だから、いままでベーゼンドルファーを愛用して来たに違いない)

正直、私もバックハウスには楽曲によって「詩味」が足りずぶっきらぼう過ぎて、例えばベートーヴェンの「7番」のソナタなども他の演奏者の方がイイな(例えば、エトヴィン・フィッシャーの演奏♪)といったものがあったりもして来た。しかしだ、しかしなのだ。そうした「詩味」溢れる演奏も聴き続けていると、ふとバックハウスの演り方が恋しくなり、奏者の勝手な思いを極力入れない表現に立ち戻ったりもするものなのだ。

やはりヴィルヘルム・バックハウスはワタシなんかの先ノ先ノ先を見、感じていた本当の芸術家、ピアニスト、なのだ(と強く感じます)。
https://www.amazon.co.jp/ベートーヴェン-ピアノ・ソナタ集-Beethoven-Sonatas-Backhaus/product-reviews/B003NEQAIQ/ref=cm_cr_dp_d_show_all_btm?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews


投稿日:2010/10/09
今年の9月に、バックハウスのモ−ツァルトとブラ−ムスのピアノ協奏曲のライブ録音を聴いて感動したが、このライブも極め付きだ。
ピアノがベ−ゼンドルファ−でないため、最初は少し違和感があったが、曲が進むにつれてそんなものはどこかへ消えてしまった。
いずれも彼が好んで弾くベ−ト−ヴェンのソナタであるし、どの曲も一見淡々と進んでいくように聞こえるが、これこそ彼が到達した境地であろう。

しかしながら、ブラ−ムスの協奏曲でも述べたように、これらの演奏は決して枯淡の域ではない。演奏そのものが若いし、彼自身3ヵ月後に人生の終末が来るなどとは、思ってもいなかっただろう。彼の最後の演奏会で、誰もが聴けなかった18番の第4楽章が、ここでは華やかに演奏されているし、15番は彼自身がこの曲を演奏して楽しんでいるようだ。細かいところで少しミスはあるにしても、豪放な演奏のワルトシュタイン、そして、いちばん気に入ったのは30番だ。まだ10代の頃、この曲を初めて聴いたのがバックハウスのモノ-ラルLPレコ−ドだったせいもあるが。 


投稿日:2016/04/
素晴らしいCDだ。ファンにとっては神の演奏が聴ける。
バックハウスの晩年の演奏はやはり年齢によりムラがあると思うが、亡くなる三ヶ月前のこのベルリン・ライブはよほど調子が良かったのではないか?
ミスタッチは「ワルトシュタイン」で散見(聞?)されるが、何よりあの重いタッチと音色が健在なことが何より嬉しい。

ベヒシュタインだからというのは皆さんのいわれる程気にならないが、演奏のせいもあって華やいだ気配を添えている感はある。それが素晴らしいステレオの音で聞けることに感謝したい。

『田園』は興が乗っていたのか、かなり動きの多い、というかライブならではのノリの良さが目立ち、老人はいつもより早足で田園を逍遙する。心の泡立ちを抑えられないかのようだ。渋くて動きの少ないスタジオ盤とは好き好きだろう。

Op.31-3でもそれは継続しており、如何にも嬉しそうに音楽が生起していく。老人の低回趣味はいささかも見られない。スケルツォの若やいだ心の弾み方はどうだ。最後のリサイタルで弾けないで終ってしまった終楽章もここでは闊達極まりない。天衣無縫といおうか。

「ワルトシュタイン」は、スタジオ録音が早い時期のために音質が今イチであったので、この録音の方がバックハウスの壮大なピアニズムを遥かに味わえる。フィナーレは少し疲れたかなぁという感もあるが、全体としては迫力満点で豪快そのもの。85歳時で死の少し前の人の演奏とは思えない。

Op.109(CD二枚目はこれだけ=17分)もライブらしい即興性が目立ち、主題のモチーフからして冒頭の十六分音符を短く切り上げ付点音符に引っ掛けるように弾く所がスタジオ盤と違い、アゴーギグも大きい。ここも好き好きかもしれない。でも最後の変奏曲はやはり感銘深い音楽だ。

https://mitchhaga.exblog.jp/26526816/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/707.html#c1

[近代史4] 北朝鮮の階級制は李氏朝鮮以前からの身分制度そのもの

北朝鮮の階級制は李氏朝鮮以前からの身分制度そのもの


北朝鮮では身分によって階級があるのは良く知られているが、階級が下がるとは具体的に何を意味するのだろうか。


ある脱北者のレポートでは、父親が若いころ反共活動をした疑いで、平壌の労働党役職つきから、成分不良者へと下げられた。

身分や成分は本人にも告げられることは無いが、はっきりと待遇が変わるので嫌でも思い知る事になります。

ある日保衛部(治安警察)が家にやってきて、平壌から山間部への移住を告げられ、都会の優雅な生活から山村の下層民に落とされた。


山村でもやっぱり階級があり、反革命運動をした一家は、建設現場の一番下の作業員になり、住居は掘っ立て小屋に変わった。

子供が学校に行っても身分別に作業が割り当てられ、身分が下の子供は他の生徒が勉強している間に、農作業や補修工事、薪拾いなどをする。

そして他の子供たちの前で教師は、その家族が犯した犯罪や、身分が低いことを攻め立て、クラス全員で虐めるように仕向ける。

脱北しても中国で捕まる人たち

それでも強制収容所に入れられるよりはましで、収容所に入ってもまだ身分や階級が細分化されているのだった。

階級を細分化する理由は同じ階級の人同士で集まって協力しないようにする為で、階級別に国民を争わせて反乱を防いでいる。

日本では士農工商とさらに低い階級があったが、階級分けが単純すぎて幕末に下級武士が結束して反乱を起こして幕府が倒れた。


このような制度は実は李氏朝鮮以前からの身分制度にそっくりで、互いに戦わせて憎みあうように仕向けることで、国の安定を図っていた。

北朝鮮で一度身分を落とされたものは努力しても一生上に上がれることは無く、よほどの幸運か良い親戚を持ったものだけでした。

たとえば金正恩の母親は在日だったが、おそらく日本からの仕送りや密貿易などで成果を挙げて、元在日という低い身分でありながら権力の中枢に接近した。


身分を落とされたとか不満があるとか様々な理由で人々は鴨緑江を渡って中国側に脱出して、自由や豊かさを求めて朝鮮族自治区へとたどり着きます。

北朝鮮からの脱北は中国では違法なので見つかると逮捕され、何が起きても訴えることはできない。

ここで登場するのが人さらいや人買いで、つかまった人はどこかへ連れて行かれて労働させられます。


韓国にたどり着いた脱北者は年間1000人規模だが、脱出した人は1万人とも数万人とも言われ、大半は中国の闇の中に消えていきます。

脱出しても希望通りに韓国や他の国にたどり着くのはごく僅かで、多くは中国で強制労働をしていると考えられる。

こうした脱北者とは別に、鴨緑江を渡って貿易や商売をする人もいて、中国製品を持ち帰って闇市場で販売しています。


越境して中国で泥棒や強盗を働く人も居て、農作物を荒らして持ち帰る人も多く、中国側の村では非常に警戒している。

中国の農民は農機具を武器にするほか、狩猟用の銃を持っている人も居るので、脱出者を見つけると襲って撃退する。

人知れず野山に埋めてしまうが、捕まって売られてしまう人が居て、特に女性は食い物にされます。

もっとうまくやっている人が居て、役人にコネがあったり賄賂を渡し、堂々と国境の橋を通って貿易をする。

http://www.thutmosev.com/archives/66793363.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/708.html

[近代史4] 女に選挙権を与えたのは失敗だった 中川隆
7. 中川隆[-13210] koaQ7Jey 2020年3月29日 08:56:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1694]
民主主義をめざさない社会 - 内田樹の研究室 2020-03-26
http://blog.tatsuru.com/2020/03/26_1503.html


「サンデー毎日」に不定期連載という欄を持っている。三月に一度くらい思い立ったことを書く。5000字ほど頂いているので、わりとややこしい話が書ける。今回3月29日号に寄稿したのは民主制論である。「存在すべきもの(ゾルレン)」が「存在するもの(ザイン)」を律するという、宗教や武道では当たり前の話は政治にも当てはまるよという話である。

 統治機構が崩れ始めている。公人たちが私利や保身のために「公共の福祉」を配慮することを止めたせいで、日本は次第に「国としての体」をなさなくなりつつある。
 誰かの怠慢や不注意の帰結ではない。過去30年ほどの間、日本国民一人一人の孜々たる努力の成果である。

 私はこの現象をこれまでさまざまな言葉で言い表そうとして来た。「反知性主義」、「ポピュリズム」、「株式会社化」、「単純主義」などなど。そして、最近になって、それらの徴候が「民主主義をめざさない社会」に固有の病態ではないかと思い至った。その話をしたい。

 過日、「表現の自由」について講演を頼まれた。頼まれてから、「表現の自由」とはそもそも何のために存在するルールなのか考えた。

 たしかに、私たちの民主主義的な憲法は「表現の自由」を保証し、「公共の福祉」に反しない限りその自由を抑制することはできないとしている。でも、「表現の自由」を保証することでどのような「善きもの」がもたらされるのか? 人を憤激させるような表現や、人が大切にしているものを踏みにじるような攻撃的な表現にも自由は保証されるべきなのか? 表現してよいものといけないものを公的機関が判定することは許されるか? こういう問いに即答するのはむずかしい。

 なぜ「表現の自由」は守るに値するものなのか? 

 残念ながら、その問いに対する答えは憲法本文には書かれていない。書かれていないのは、それが自明だからではない(自明なら「表現の自由」をめぐって論争が起きるはずがない)。書かれていないのは、その答えは国民が自分の頭で考え、自分の言葉で語らなければならないことだからである。

 表現の自由にしろ、公共の福祉にしろ、民主主義にしろ、それにいかなる価値があるのかを自分の言葉で語ることができなければ、「そんなものは守るに値しない」と言い切る人たち(それはすでにわが国民の相当数に達している)を説得して翻意させることはできない。

 憲法の定める「表現の自由」はいかなる「善きもの」をもたらすのか? 

 それを語らない限り、民主主義を語ったことにはならないと私は思う。
 というのは、「民主主義とは何を目指した制度なのか?」を愚直に思量し、条理を尽くして語る努力そのものが民主主義の土台をかたちづくると私は考えているからである。だから、「民主主義とは何のためのものか?」という問い手離した人々はもう民主制国家を維持することはできない。

 民主主義というのはどこかに出来合いのものがあって、それを「おい、民主主義一丁おくれ」と言えば誰かが持って来てくれるというものではない。それは私たちが今ここで手作りする以外にないものなのである。いま日本の民主主義が崩れつつあるのは、私たちがそのことを忘れたからである。

 第二次世界大戦が終わった後に、ウィンストン・チャーチルは下院の演説において民主主義についてこう述べたことがある。

「この罪と悲しみの世界では、これまでに多くの政治体制が試みられてきたし、これからも試みられてゆくであろう。民主主義が完全で全能のもの(perfect and all-wise)だという人はいない。事実、民主主義は最悪の統治制度(the worst form of Government)だとこれまで言われてきた。これまで試みられてきたすべての統治制度を除けばだが。」

 広く人口に膾炙したフレーズであるが、この言葉を引用する人たちは「民主主義は最悪の制度だ」という点を強調し過ぎるように私には思われる。民主主義は「ろくでもない制度」である。だが、それ以外の政治体制は「さらにろくでもない制度」である。それゆえ、われわれは民主主義をいやいや採用している。多くの人はそういうふうに論を運ぶ。なんだかシニカルで頭よさそうである。だが、私はその解釈を採らない。チャーチルはこの時に「民主主義は最も実現することが困難な政体である」ということを言いたかったのではないかと思うからである。

 民主主義はまだ存在しない。私はそう思っている。「まだ」というか、たぶん永遠に存在しない。民主主義は「それをこの世界に実現しようとする遂行的努力」というかたちで、つまりつねに未完のものとしてしか存在しない。
 それでいいのだと思う。

 高い目標をめざす努力というのはどれも「そういうもの」だからだ。こちらの目の黒いうちに民主主義を実現することがかなわなくても、それを目指して前のめりに息絶えたということなら私の方には特段文句はない。

 この世界には一神教徒が25億人ほどいる。彼らは世界の終わりの時にわれわれを救うために現れる救世主(メシア)の到来を信じている。だが、預言者がそう説いてからそろそろ3000年ほど経つのに救世主はまだ来ない。これまで一度も起きたことがない出来事は、帰納法的に推論すれば、これからも起きない。だが、一神教の信者たちは彼らが生涯ついに出会うことのなさそうな救世主の到来を勘定に入れて今ここでの彼らの生活を律している。

 ある概念の持つ指南力はそれが現実化する蓋然性とは関係がない。メシアが永遠に到来しなくてもメシアニズムは今ここで機能する。それと同じである。「完全で全能の民主主義」が永遠に到来しなくても、その概念が今ここにおける政治的指南力を持つことはあり得る。「民主主義」は一神教における「メシア」に比すべき超越的な概念なのだ。というのが私の仮説である。そんな変ちきなことを言う人は他にいないと思うが、そう考えると現代日本における民主主義の空洞化の説明がつく。

 民主主義あるいは民主制(democracy)とはどういう制度なのか? 

 定義はそれほど難しくない。これは主権者が誰であるかによる政体の分類だからである。民主制の他には、君主制(monarchy)、貴族制(aristocracy)、寡頭制(oligarchy)、無政府(anarchy)などいくつかの政体が同列に並ぶ。チャーチルが「これまで試みられたすべての統治制度」と呼んだものがそれだ。だから、「私は民主主義に反対である」と言う人は、これらのうちのどれかの政体を選択したと見なされる。

 では、「主権者」とはどういう人間のことか。私はこれを「自分の個人的運命と国の運命の間に相関がある(と思っている)人間」と定義したいと思う。これもまた個人的な定義であり、一般性を要求するわけではない。とにかくこの定義で話を進めさせてもらう。
 帝政や王政においては皇帝や国王が主権者である。だから、明君賢帝であれば国は治まり、暗君愚帝であれば国は乱れる。貴族政や寡頭制でも話は変わらない。主権者の賢愚や善悪がそのまま国運を決する。それなら民主制でも話は同じはずである。民主制は国民が主権者である政体、すなわち国民ひとりひとりが「自分の個人的運命と国の運命の間には相関がある(と思っている)」政体である。そして、実際に国民ひとりひとりの賢愚や善悪が国運の帰趨を決するのである。

 アンドレ・ブルトンがどこかで「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ」と書いていたが、私はこれはそのまま民主制国家の主権者の条件として使えると思う。つまり、「自分の生活を変えることと国を変えることが一つのものであると信じられること」それが民主制国家における主権者の条件である。

 自分のただ一言ただ一つの行為によって国がそのかたちを変わることがあり得るという信憑を手離さない者、それが民主主義国家における主権者である。だから、主権者は「自分が道徳的に高潔であることが祖国が道徳的に高潔であるためには必要である」「自分が十分に知的な人間でないと祖国もまたその知的評価を減ずる」と信じている。遠慮なく言えば、一種の関係妄想である。だが、このような妄想を深く内面化した「主権者」を一定数含まない限り、民主制国家は成り立たない。

 そのことは「主権者のいない民主制国家」というものを想像してみれば分かる。
 主権者のいない民主制国家では、国民は自分の個人的な生き方と国の運命の間には相関がないと思っている。自分が何をしようとしまいと、国のかたちに影響はないと思っている。公共的圏域はあたかも自然物のように自分の外に存在しており、自分が汚そうと傷つけようと蹴とばそうと盗もうと、いささかも揺らぐことはないと思っている。今の日本人はまさにそれである。

 主権者であることを止めた国民というのは「高速道路が渋滞しているときに、路肩を走るドライバー」に似ている。彼以外のすべてのドライバーが遵法的にふるまい、彼一人が違法的である時に彼の利益は最大化する。しかし、それを見た他のドライバーたちが彼を真似て路肩を走り出すと、彼のアドバンテージはゼロになる。これが民主制国家の抱える根本的なジレンマである。

 公共の秩序が整っているときにこそ私利私欲の徒は大きな利益を得る。だが、私利私欲の徒が増え過ぎると秩序は崩壊する。だから、私利私欲の徒を根絶することはできないが、その人口比は「受忍限度」を超えてはならない。どうやって「公共の福祉を配慮する人」と「自己利益だけを追求する人」の比率をコントロールするか? それが民主制国家の直面する最大の現実的問題である。

 一定数の主権者(あるいはもっと平たく「大人」と言ってもよい)、つまり「自分の利害と国の利害は結びついていると思っている人」を民主制は含んでいなければ立ち行かない。それは上に申し上げた通りである。だが、社会の民主化が進み、「大人」の数が増えるにつれて、公共の福祉を顧みず利己的にふるまう人間(すなわち「子ども」)が得る利益は増大する。社会が民主化されるほど非主権者的=非民主主義的にふるまう者はより大きなアドバンテージを享受できることになる。つまり、民主制とは、その構成員たちに絶えず「他の連中には法と倫理を守らせ、常識に従わせ、公共の福祉に配慮させておいて、自分ひとりは抜け駆けして利己的・違法的・非民主的にふるまう」ように誘いかけるシステムなのである。

 ややこしい仕組みである。「最悪の統治制度」だとチャーチルが言うのも当然である。
 しかし、それでも民主制はそれ以外の政体よりも「まし」だと私は思う。
 民主制国家においてはとりあえず一定数の国民が、自助努力がそのまま国力の増大、国運の上昇に結びつくと信じているからである。自分がまず大人にならなければならないと信じているからである。

 史書によれば、名君である尭が五十年王位にあった後、自分の統治がうまくいっているかどうかを知るために変装して街を歩いたことがあった。子どもたちは「万民が幸福なのは皇帝の徳治のおかげだ」という童謡を歌っていたが、一人の老人は腹鼓を打ちながら「帝力なんぞ我にあらんや」とうそぶいていた。皇帝の資質といまの自分の生活の間には相関があることを子どもは信じており、老人は信じていない。いずれが現実を正しく見ているかということは別にして、このあと「公共の福祉」のために汗をかく気があるのはどちらかかは誰にも分かる。

 帝政王政の国では統治者一人が賢明であれば善政は行われた。でもそれは君主以外のすべての民が何の判断力も持たない愚鈍な幼児であっても機能する制度、むしろそうである方がよりよく機能する制度であった。だから、それらの制度は廃棄されたのだと思う。
 私が民主制を支持するのは、それが「できるだけ多くの国民が適切な判断力を具えた大人であることの方がそうでないよりよく機能する制度」だからである。民主制国家は一定数の国民が大人であることを要求する。それが民主制の手柄である。

 私が表現の適否を公的機関が判断することに反対するのは、その機関がつねに誤った判断を下すと思っているからではない(多くの場合、その判断は正しいだろう)。それが国民の適切な判断力の涵養に資するところがないからである。国民の市民的成熟を目指さないからである。それは「未成年者のために大人が決定を代替する」仕組みである。そして、そのような仕組みが整備された社会では子どもが大人になる動機づけは傷つけられる。「あなたが判断しなさい」と権限を委ねない限り、人は自分の判断力を育てようとはしない。「あなたが決めるのです」と負託しない限り、人は主権者としての自己形成を始めようとしない。

 民主制はそのような「賭け」なのである。今の日本で民主制が衰微しているのは、私たちにその覚悟がなくなったからである。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/26_1503.html  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/626.html#c7

[番外地6] ピケティで明けました 中川隆
34. 中川隆[-13209] koaQ7Jey 2020年3月29日 09:45:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1695]

大西つねき
21世紀の資本 トマ・ピケティ(著) は当たり前の事を700ページも使って書いた下らない本だった:

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title


▲△▽▼


「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
国債発行は時代錯誤、資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title


資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは
貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが中央銀行の発行する 国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・土地は公有化する
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局等のインフラは公営化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/562.html#c34

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
25. 中川隆[-13208] koaQ7Jey 2020年3月29日 10:08:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1696]
安倍首相の「嫌われなくない症候群」2020年03月29日


安倍首相は東京五輪への風評被害を嫌って入国制限や行動制限をしなかったが、却って感染拡大を招いたと批判されている。

安倍首相の「嫌われなくない症候群」はかなり異常で、中国自身が都市を封鎖したのに日本だけ入国禁止にしていなかった。

日本国内のプロ野球やサッカーなどもすべて開幕延期になったが、大相撲春場所は無観客で実施された。


プロ野球のオープン戦も無観客の練習試合として行われているが、面白みに欠けるのは否めない。

CSやBSで中継しているが観客がいないと選手はだらけてしまい、真剣味に欠けるように見える。

格闘技のK1とプロレスは自粛要請に反して強行されたが、それなりに観客が集まっていた。

日本政府は何もしない

東京都は3月25日に外出やイベント、花見の自粛を都民に呼びかけたが、実は強制力は一切ない。

先日国会で成立した非常事態宣言法案はライブハウスやイベントの閉店を強制できるが、外出制限や禁止できない。

外出制限を強制するためには罰則が必要で、戒厳令を可能にするような非常事態法が必要になる。


野党と左翼は「戦前の復活だ」としてこの手の法律に反対したし、自民党議員も面倒ごとを避けている。

東京都は公有地の公園を立ち入り禁止にしたが、外出を禁止できる法律がない。

都民は「自粛を要請」されても無視して良く、実際一部のライブハウスは営業している。


東京封鎖も同じことで法律上の権限ではなく、通らないようにお願いするだけで罰則はない。

福島原発周辺のように立ち入り禁止区域にする法律を作ることはできるが、東京都には1000万人が住んでいるので適用できない。

結局日本では非常事態法や戒厳令法を新たに作らない限り、強制力のある行動制限はできません。

欧米ではあらゆる集会やスポーツが禁止

そんな日本と違って欧州では多くの国が戒厳令状態でイタリアやスペインは全土で外出禁止なので外を歩いたら逮捕される。

フランスやドイツやイギリスも都市での買い物や散歩以外の外出は禁止で、最低限必要な商店しか営業していない。

スポーツは全面的に禁止で有名なテニスやゴルフ大会などが次々に延期になっている。


F1やラリーやMOTOGPのような自動車レースも延期や中止され、欧州人が好きなサッカーやアメリカ人が好きなメジャーリーグも延期される。
http://www.thutmosev.com/archives/82559151.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c25

[近代史3] 浜崎洋介 _ 安倍「器」論 中川隆
16. 中川隆[-13207] koaQ7Jey 2020年3月29日 10:08:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1697]
安倍首相の「嫌われなくない症候群」2020年03月29日


安倍首相は東京五輪への風評被害を嫌って入国制限や行動制限をしなかったが、却って感染拡大を招いたと批判されている。

安倍首相の「嫌われなくない症候群」はかなり異常で、中国自身が都市を封鎖したのに日本だけ入国禁止にしていなかった。

日本国内のプロ野球やサッカーなどもすべて開幕延期になったが、大相撲春場所は無観客で実施された。


プロ野球のオープン戦も無観客の練習試合として行われているが、面白みに欠けるのは否めない。

CSやBSで中継しているが観客がいないと選手はだらけてしまい、真剣味に欠けるように見える。

格闘技のK1とプロレスは自粛要請に反して強行されたが、それなりに観客が集まっていた。

日本政府は何もしない

東京都は3月25日に外出やイベント、花見の自粛を都民に呼びかけたが、実は強制力は一切ない。

先日国会で成立した非常事態宣言法案はライブハウスやイベントの閉店を強制できるが、外出制限や禁止できない。

外出制限を強制するためには罰則が必要で、戒厳令を可能にするような非常事態法が必要になる。


野党と左翼は「戦前の復活だ」としてこの手の法律に反対したし、自民党議員も面倒ごとを避けている。

東京都は公有地の公園を立ち入り禁止にしたが、外出を禁止できる法律がない。

都民は「自粛を要請」されても無視して良く、実際一部のライブハウスは営業している。


東京封鎖も同じことで法律上の権限ではなく、通らないようにお願いするだけで罰則はない。

福島原発周辺のように立ち入り禁止区域にする法律を作ることはできるが、東京都には1000万人が住んでいるので適用できない。

結局日本では非常事態法や戒厳令法を新たに作らない限り、強制力のある行動制限はできません。

欧米ではあらゆる集会やスポーツが禁止

そんな日本と違って欧州では多くの国が戒厳令状態でイタリアやスペインは全土で外出禁止なので外を歩いたら逮捕される。

フランスやドイツやイギリスも都市での買い物や散歩以外の外出は禁止で、最低限必要な商店しか営業していない。

スポーツは全面的に禁止で有名なテニスやゴルフ大会などが次々に延期になっている。


F1やラリーやMOTOGPのような自動車レースも延期や中止され、欧州人が好きなサッカーやアメリカ人が好きなメジャーリーグも延期される。
http://www.thutmosev.com/archives/82559151.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html#c16

[近代史3] チャンネル桜関係者や保守・右翼は何故 知恵遅れの安倍晋三にそんなに簡単に騙されるのか? 中川隆
22. 中川隆[-13206] koaQ7Jey 2020年3月29日 10:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1698]
安倍首相の「嫌われなくない症候群」2020年03月29日


安倍首相は東京五輪への風評被害を嫌って入国制限や行動制限をしなかったが、却って感染拡大を招いたと批判されている。

安倍首相の「嫌われなくない症候群」はかなり異常で、中国自身が都市を封鎖したのに日本だけ入国禁止にしていなかった。

日本国内のプロ野球やサッカーなどもすべて開幕延期になったが、大相撲春場所は無観客で実施された。


プロ野球のオープン戦も無観客の練習試合として行われているが、面白みに欠けるのは否めない。

CSやBSで中継しているが観客がいないと選手はだらけてしまい、真剣味に欠けるように見える。

格闘技のK1とプロレスは自粛要請に反して強行されたが、それなりに観客が集まっていた。

日本政府は何もしない

東京都は3月25日に外出やイベント、花見の自粛を都民に呼びかけたが、実は強制力は一切ない。

先日国会で成立した非常事態宣言法案はライブハウスやイベントの閉店を強制できるが、外出制限や禁止できない。

外出制限を強制するためには罰則が必要で、戒厳令を可能にするような非常事態法が必要になる。


野党と左翼は「戦前の復活だ」としてこの手の法律に反対したし、自民党議員も面倒ごとを避けている。

東京都は公有地の公園を立ち入り禁止にしたが、外出を禁止できる法律がない。

都民は「自粛を要請」されても無視して良く、実際一部のライブハウスは営業している。


東京封鎖も同じことで法律上の権限ではなく、通らないようにお願いするだけで罰則はない。

福島原発周辺のように立ち入り禁止区域にする法律を作ることはできるが、東京都には1000万人が住んでいるので適用できない。

結局日本では非常事態法や戒厳令法を新たに作らない限り、強制力のある行動制限はできません。

欧米ではあらゆる集会やスポーツが禁止

そんな日本と違って欧州では多くの国が戒厳令状態でイタリアやスペインは全土で外出禁止なので外を歩いたら逮捕される。

フランスやドイツやイギリスも都市での買い物や散歩以外の外出は禁止で、最低限必要な商店しか営業していない。

スポーツは全面的に禁止で有名なテニスやゴルフ大会などが次々に延期になっている。


F1やラリーやMOTOGPのような自動車レースも延期や中止され、欧州人が好きなサッカーやアメリカ人が好きなメジャーリーグも延期される。
http://www.thutmosev.com/archives/82559151.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/511.html#c22

[近代史3] 新しいチンパンジー学 わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか? 中川隆
6. 中川隆[-13205] koaQ7Jey 2020年3月29日 10:55:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1699]
2020年03月29日
チンパンジーとボノボの分岐
https://sicambre.at.webry.info/202003/article_46.html


 チンパンジー(Pan troglodytes)とボノボ(Pan paniscus)の分岐について、2020年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Zihlman et al., 2020)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P 319)。チンパンジー属のチンパンジーとボノボは、250万〜80万年前頃に分岐した、と推定されています(関連記事)。両種の分岐に関しては、チンパンジーが母集団となってボノボが派生した、との見解が広く支持されています。これは、おもに社会性・道具使用・狩猟といった行動的証拠に基づいており、ボノボの解剖学的証拠は無視される傾向にあった、と本報告は指摘します。

 本報告は、チンパンジー属の成体18頭の解剖体骨と、20頭のボノボおよび2亜種25頭のチンパンジーの骨格データに由来する、骨格および軟組織両方の証拠に基づき、チンパンジーとボノボの分岐を検証しています。一部の頭蓋顔面および歯の特徴は、チンパンジーとボノボを統計的に区別しますが、体重および頭蓋容量では区別されませんでした。チンパンジー属の体組成(骨・筋肉・皮膚など)は、雌もしくは雄の間での種内変異をほとんど示しません。年齢と体重の一致したボノボとチンパンジーの雌の比較は、いくつかの統計的に有意な程度が体幹と四肢の比率における違いを反映している、と示します。同種の雄と比較した比較した雌は、ボノボでは骨格の程度で統計的な違いを示さないのに対して、チンパンジーの雄は雌から離れます。

 これら解剖学的比較の結果はチンパンジーの雄を外れ値として示し、ボノボではなくチンパンジーが分岐した種である、という仮説を支持します。これらの比較をゴリラとアウストラロピテクス属に拡張することで、分岐したチンパンジーの解剖学と行動に関する進化史と潜在的選択圧がより明確に見えてくる、と本報告は指摘します。チンパンジー属の化石はほとんど発見されていないので、チンパンジーとボノボの分岐に関する問題の解明には、現時点では現生種の形態とゲノムの比較が有効となりそうです。


参考文献:
Zihlman A.(2020): Pan paniscus or Pan troglodytes? The case for a divergent Pan troglodytes. The 89th Annual Meeting of the AAPA.


https://sicambre.at.webry.info/202003/article_46.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/635.html#c6

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
26. 中川隆[-13204] koaQ7Jey 2020年3月29日 11:01:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1700]
「今までにない発想」の弊害 2020年3月28日

 ここまでくると、本当にこの国のトップは危機管理能力のない連中揃いなんだろうか…と笑えないものがある。アカデミックな人々のなかで小綺麗に「反知性主義者」などと呼称する向きもあるけれど、街のみんなはもっとあからさまに、学校一斉休校あたりから「バカなんだろうか?」と率直な表現で政府対応への驚きを話題にしてきた。

 元から政治に権威も信頼も乏しい状態にあったが、各国がコロナパニックの事態収束に全力を挙げ、国民生活を落ち着かせるために検査を徹底し、移動や外出を抑制する意味も込めて現金給付に乗り出しているなかで、自民党政府がしていることといえば、まず第一に東京五輪が開催できるか否かの心配であった。そのためなのか検査数を抑制し、今になって感染源の分からぬ陽性患者が首都圏でも急増し、週末の外出自粛を叫び始めている。首都圏のスーパーでは小池都知事の仰々しい記者会見を受けて、直後から食料品の買い占めまで起きている。もっとも重要だった初期の封じ込めにあたって五輪開催の願望を優先し、失敗した挙げ句の感染拡大である。

 経済活動は自粛の嵐を受けて急速に冷え込み、各種業界、業種、国民生活への影響は甚大なものになっている。ところが日本政府としては現金給付は頑なに拒み、業界利権も込み込みの旅行への補助金給付(外出や移動を促進)とか、和牛商品券の配布とか、ついにはバランスをとってお魚券の発行も検討し始めたとかで、危機的な状態にある巷の切実感とかけ離れた頓珍漢な「政策」を決めあぐねている始末だ。今月の各種支払いをどう乗り切ろうか…という企業や国民の目前の危機に対して、迅速に社会の構成員全体が安心するような経済政策、すなわち「これまで巻き上げてきた日本銀行券を大胆に配る!」を拒み、「いや商品券だ」と族議員どもが業界利権をここぞとばかりに主張しているというから呆れて言葉がない。なぜコロナパニックのさなかに、国民生活への支援策が和牛なのか、お魚なのか、旅行なのか? 当たり前に考えても意味不明であるが、そのようなバカげた「経済対策」を真顔で論議し、時間を浪費しているのである。

 ドイツではベルリン市の全自営業者に170万円の配布が決まった。イギリスは仕事ができない労働者に賃金の80%を支給するという。アメリカも同様に国民への現金支給を打ち出している。こうして各国がやっているのは、当面のお金(生活費や企業の収入減)は国家が保障するから、そのかわりに外出や営業を自粛して家でおとなしくしておいてくれという政策であり、現金給付によってまずは安心しろというメッセージを放つものだ。不用意な外出によって感染拡大が国内に広がることを抑えるという意味でも、安心を担保する政策といえる。日本政府が検討している対策との明確な違いは、その目的だろう。

 現金給付ではなく「商品券を発行する」のは、業界の利権をここぞとばかりに潜り込ませる以外に目的がない。国民が求めているのは和牛商品券でもお魚券でもなければ、旅行の補助でもないのである。それは、コロナパニックや社会全体の経済的打撃を抑え込むという目的の最重要部分が端から吹っ飛んでいること、深刻な実態について把握しておらず、危機に対応する能力を喪失していることを物語っている。

 安倍晋三は確か「今までにない発想でコロナ対策に取り組む」と豪語していた。それが和牛商品券、お魚券、旅行への補助給付なのだとしたら、確かに「今までにない発想」であり、「誰も思いつかないような発想」ではある。ただ、今必要なのはそのような「今までにない発想」やどこの国も考えつかないような愚かな政策ではなく、まともな対策である。「今までの発想」すなわち常識的な対策ができる人間に指揮をとらせることが必要だ。   吉田充春
https://www.chosyu-journal.jp/column/16301

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c26

[近代史3] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
4. 中川隆[-13203] koaQ7Jey 2020年3月29日 11:05:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1701]
「サル化する日本人」が見抜けない危機の本質 「今」を考察する力はなぜ失われたのか
内田 樹 2020/03/29



© 東洋経済オンライン 現代人は再びサルに退化し始めている……? 思想家の内田樹氏が指摘する「サル化」とは何か、質問に回答してもらった(altmodern/iStock)

日本社会が“サル化”している――。新著『サル化する世界』でそう鋭く指摘するのは思想家の内田樹氏だ。内田氏が言う「サル化」とは何か。コロナ危機に際して考えるべきこととは。編集部からの質問に回答してもらった。

ーー「サル化する世界」という挑発的なタイトルに込めた思いを教えてください。
 「サル」というのは「朝三暮四」のサルのことです。サルが今の自分さえよければそれでよくて、未来の自分にツケを回しても気にならないのは、ある程度以上の時間の長さにわたっては、自己同一性を保持できないからです。

 過去・現在・未来にわたる広々とした時間流の中に自分を位置づけることができない人間には確率、蓋然性、矛盾律、因果といった概念がありません。

「文明史的危機」に際会している

 「矛盾」も「守株待兎」も「刻舟求剣」も「鼓腹撃壌」も、いずれも時間意識が痩せ細った愚者についての物語ですが、おそらく、春秋戦国時代には「そういう人」が身の回りに実際にいたのでしょう。だから、荘子や韓非ら賢者たちは「長いタイムスパンの中でものごとの適否を判断できること」を未開からのテイクオフの条件として人々に教えようとした。

 それから2000年ほど経って、気がついたら、現代人は再びサルに退化し始めていた。この「文明史的危機」に際会して、警鐘を乱打しようと思って、このような挑発的なタイトルを選びました。

 ーー過去と未来をふくんだ視点で「今」を考察する力は、なぜ急激に失われてしまったのでしょうか。

 最大の原因は基幹産業が農業から製造業、さらにはより高次の産業に遷移したことだと思います。農業の場合でしたら、人間は植物的な時間に準拠して暮らしていました。農夫は種子をまいている自分と、風水害や病虫害を防いで働いている自分と、収穫している自分が同一の自己であるという確信がないと日々の苦役には耐えられません。

 でも、いま、最下層の賃労働者は今月の給与をもらっている自分より先の自分には、同一性を持つことができません。だって、1カ月後に自分がどうなっているかさえ予測がつかないから。

 それは富裕層も同じです。株の取引はマイクロセコンド単位で行われている。それ以上タイムスパンを広げても意味がない。企業だってそうです。今から10年前にGoogleやAmazonが「こんなふう」になると予測した人はほとんどいなかった。10年後にどうなるかもわからない。長い時間の流れの中に自分を置いて、何が最善の選択なのかを熟慮するという習慣を現代人は失って久しい。

 ーー近年、日本社会のどんな面に特にサル化の兆候は表れていると思いますか。

 一番わかりやすいのは「うそをつくことについて罪の意識がなくなった」ということです。「Honesty pays in the long run」ということわざがありますけれど、「正直は長い目で見れば引き合う」というのは、「うそをつく方が短期的には引き合う」ということです。短期的な損得だけを考えれば、多くの場合、うそをつくほうが利益が大きい。

その場その場の自己利益を優先

 政治家や官僚たちがすぐばれるうそをつき、前後矛盾することを平気で言い、その矛盾を指摘されても別に困惑する様子もないのは、彼らが「矛盾」の武器商人と同じレベルにまで退化しているからです。

 その場その場において自己利益が最大化することを優先させて、おのれの言明をできるだけ長く維持することには特段の意味を感じない。「約束を守る、一言を重んじる」を英語では「keep one’s word」といいますが、keepする時間の幅がこれほど短縮されるとは、このことわざを考えた人も想像していなかったことでしょう。

 ーーいま一連のコロナ騒動を見ていると、後手後手に場当たり的な対応をする政府から、不足物資を買い占めに走る人々の狂騒まで、まさに“サル化”する日本です。そこにはなにか日本特有の構造的要因もあるのでしょうか。

 日本固有の現象ではないと思います。無能な政府であれば、どこでも対策は後手に回るでしょうし、トイレットペーパーの買い占めも世界のどこでも起きていますから。サル化しているのは日本人だけではないよと言われて安心されても困りますが。

 ーー危機管理に真に必要な知性とは何でしょうか。

 長いタイムスパンの中で、ものごとの理非や適否を判断する習慣のことだと思います。歴史的にものを見る習慣があれば、「危機だ」と騒がれる出来事の多くが「過去に何度も繰り返されていることの新版」であることがわかるはずです。それなら浮足立つ必要はない。どういう文脈で起きて、どう展開するか、だいたいわかるから。

 そうやって「よくある危機」をスクリーニングしておかないと、本当の前代未聞の危機に遭遇したときに、適切に驚くことができません。

 ーー失われた20年のあと、アベノミクスで株価こそ浮上したもの、一向に景況はよくなりません。日本人の労働生産性は、「1人当たり」「時間当たり」ともに先進7カ国中の最下位という状態が続いていますが、日本の組織を活性化するには何が必要だと思われますか。

 管理部門に過大な資源を配分しないことです。今の日本の組織は「価値あるものを創り出すセクター」よりも「人がちゃんと働いているかどうか監視するセクター」のほうに権限も情報も資源も集積しています。労働者よりも監督のほうが多い現場とか、兵士よりも督戦隊(前線から逃げて来た兵士を射殺する後方部隊)が多い戦場のようなものです。それでは生産性が上がるはずがない。

 「管理を最低限にする」「現場に自己裁量権を与える」「成果の短期的な査定をやめる」くらいで日本の組織は一気に活性化します。でも、管理部門の人たちはそう言われても「管理部門の肥大化を適正規模に抑制するための管理部門の増設」くらいしか思いつかないでしょうけど。

 ーー”サル化した人間”にとって代わってAIが社会の中枢を担う日はくると思いますか? AI時代に人が学ぶ意味とは何でしょうか。

 AI時代は「前代未聞」の事態ですから、「こうすれば何とかなる」という正解を知っている人はいません。「こうすれば救われる」と言い立てる人がいても、あまり信用しないほうがいいです。生き延び方は、各自で考えてください。
イエスマンだけで固められた組織

 ーー消費増税の影響もあり、新年度の「国民負担率」は44.6%と過去最高になる見通しです。国民は高い税負担を強いられながらも、人口減少、貧困問題をはじめ、医療・介護・年金といった分野が危機的状況にあるのはなぜだと思われますか。

 平たく言えば、政策を起案し、実施する人たちが「あまり頭がよくない」からです。

 この四半世紀ほど、日本のキャリアパスは「上位者に対する忠誠心」を「業務能力」よりも高く評価することで、円滑な組織マネジメントを実現してきました。お金が潤沢にあるときは、それでよかったのです。組織が「円滑に回る」ことをイノベーションやブレークスルーよりも優先させても、何とかなった。

 でも、こういうイエスマンだけで固められた組織には前例主義と事大主義と事なかれ主義が瀰漫(びまん)しますから、お金がなくなったり、前代未聞の事態に直面すると、「フリーズ」してしまう。

 医療、介護、年金さまざまな制度については「頭のいい人」が画期的な制度改革の提言をこれまでも繰り返ししてきていますけれど、日本の役所はまったく相手にしませんでした。上位者におもねらない人の意見は日本では採用されないんです。
 ーー人口減少社会において、国民的資源を守り、日本人が共同体として生き残るためには何が必要でしょうか。

 とにかく大人の頭数を増やすことですね。最低でも国民の15人に1人くらいが「他の人はどれほど利己的でも、自分1人くらいは公共に配慮しないと……」と思って暮らせば、ずいぶん世の中住みやすくなります。とりあえず道ばたに落ちてる空き缶を拾うとか、妊婦に席を譲ってあげるとかから始めたらいかがでしょうか。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%ef%bd%a2サル化する日本人%ef%bd%a3が見抜けない危機の本質-%ef%bd%a2今%ef%bd%a3を考察する力はなぜ失われたのか/ar-BB11QE5E?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/937.html#c4

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム?

カール・マルクスの家は敬虔なキリスト教徒だよ
レーニンはユダヤ人じゃない
スターリンは反ユダヤで有名
ロシア革命後、ユダヤ人の共産党員はトロツキーも含めて殆ど殺されているよ



>トロツキズムはグローバリズムだ

それが誤解なんだよ
国際化とグローバリズムとは全く違うものだよ
グローバリズムというのは企業が国際的に活動しやすい様に小さな政府にして、規制緩和する事、あくまでも資本主義だよ
トロツキズムは全世界の共産党員が団結しろという話だから唯の国際化だよ
戦後の東欧は単なる属国で自由な活動や貿易なんかできなかったから反グローバリズムだよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム? 中川隆
1. 中川隆[-13202] koaQ7Jey 2020年3月29日 11:59:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1702]
>トロツキズムはグローバリズムだ

それが誤解なんだよ
国際化とグローバリズムとは全く違うものだよ
グローバリズムというのは企業が国際的に活動しやすい様に小さな政府にして、規制緩和する事、
あくまでも資本主義、というか帝国主義・植民地主義の21世紀版だよ
人、物、金が国境を越えて自由に移動できるのがグローバリズムの基本

一方、トロツキズムは全世界の共産党員が団結しろという話だから唯の国際化だよ
戦後の東欧諸国はソ連が強権支配する属国で、自由な活動、人の移動や貿易なんかできなかったから反グローバリズムだよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html#c1

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
167. 中川隆[-13201] koaQ7Jey 2020年3月29日 12:16:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1703]

二転三転! - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年03月22日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0efd2da13e6988cc7052ae52b564fcd1

1か月近く「AXIOM80の2発入り」騒動が続いたが、ようやく一段落したところで何だか違う傾向の音が聴きたくなったのはオーディオ愛好家の性(さが)というものだろうか(笑)。

というわけで久しぶりにJBLサウンドの登場である。
世間では圧倒的にジャズ向きとされているが、うまく料理すればクラシックでも十分いけることをちゃんと知ってるよ〜(笑)。

JBLのコーン型ユニットをグッドマン用とされる「ARU」(背圧調整器)付きの箱に容れているが結構しっくりきますよ〜(笑)。

最初はおとなしくネットワーク(クロスオーバー1200ヘルツ)を使ってJBL「D123」(口径30センチ)と「175ドライバー」の2ウェイで聴いてみた。

極めて明快なサウンドで、もうこれで十分だと思ったがいつものように聴いているうちに段々と欲が出てきてしまった。最高音域の周波数がもっと欲しいなあ。

そこで、直し込んでいた「075ツィーター」の登場と相成った。

となると、ネットワーク方式では間に合わなくなったので3ウェイ「チャンデバ」の出番だ。いつものパターンで段々と込み入ってくるのが我が家のスタイル(笑)。

アンプ3台、SPケーブル3本とも丸ごとウェストミンスター(改)に使用中のものからそっくり移転した。社会では3月末が近くなると人事異動がつきものだが、我が家の異動では「内示」という面倒くさい手間を省いているのが特徴だ(笑)。

3つのSPユニットと組み合わせる3台のアンプの組み合わせは改めて次のとおり。

低音域:「D123ユニット=PX25アンプ」、中音域:「175ドライバー=71Aアンプ1号機、高音域:「075ツィーター=71Aアンプ2号機」

ときに「尖った音」を出すJBLのホーン型ドライバーを羽毛のように柔らかく鳴らす秘策(?)は、小出力で素直な「71系アンプ」を使うに限ると秘かに思っている。

左が71系アンプの1号機で右が2号機。真空管の構成を忘れないようにメモしておこう。

前者の前段管は「AC/HL」(英国マツダ)、出力管は「71A」(レイセオン)、整流管は「OK-X213」(メッシュプレート)。

後者の前段管は「A-411」(ヴァルボ:バリウム昇華型フィラメント)、出力管は「71A」(レイセオン)、整流管は「380」(カニンガム)と、けっして自慢するわけではないが(笑)、いずれも古典管の希少管ばかりで、両者ともインターステージトランスを内蔵している。

これらのアンプを使うとまるでJBLが借りてきた猫のように従順になり、柔らかな響きになってクラシックがすんなり聴けるようになるのだから不思議!

「AXIOM80よりもこっちの方が好みかもねえ」と、しばし陶酔のひと時を味わった。

肝心のチャンデバのクロスオーバーだが「1000ヘルツと8000ヘルツ」にしていたところ、半日ほど聴き耽ってからコーン型ユニットの「D123」を1000ヘルツまで持たせると、ちょっと間延びした音になりがちだなあとやや気になりだした。

そこでクロスオーバーを「700ヘルツ」にしてみようかな。

となると「175ドライバー」は危険な綱渡りになるので代わりのユニットとして浮上したのが、ナショナルのスコーカー専用ユニット「EAS−12PM10」。

口径12センチで200ヘルツから使える優れものだが「ネットワーク方式」のときはサッパリだったものの、チャンデバ方式で専用アンプ(71A・1号機)をあてがってやると水を得た魚のように豹変した。

チャンデバのクロスオーバーを改めて「700ヘルツと6000ヘルツ」に設定して耳を澄ますと、各ユニットとの繋がりもごく自然でこれは素晴らしい!

クラシック、ジャズを問わず、非の打ちどころがないサウンドというのはこういう音を指すのではあるまいか、と思えるほどの出来栄えで結果的には「二転三転」したけれどもう心の底から満足〜。
今のところは・・だが(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0efd2da13e6988cc7052ae52b564fcd1


「九死に一生!」、そして「怪我の功名」2020年03月28日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/430afb5c20ca67523d654d83e655c44f


「とても陽気な音ですね。見かけ以上によく低音が出ていて驚きました。いかにもアメリカン・サウンドで細かいことを言わずにおおらかに楽しみましょうや、という感じでしょうか。」と、オーディオ仲間のYさん。


我が家の「にわか仕立て」の「JBL3ウェイシステム」を聴いてもらったときの第一声がこれだった。

「日頃からイギリス系の音ばかり聴いていると、たまにはこういう屈託のない音もいいでしょう。075(ステンレス削り出しホーン付き)で聴くシンバルは格別のものがありますよ」と自分。

ただし、Yさんは基本的に「金属のダイヤフラム+ホーン」(以下「ホーン」)の音がお嫌いのご様子で20分ほど聴くと、「早くAXIOM80の音を聴かせてください」と催促された(笑)。

ホーンがお嫌いな原因は「音の勢いがあるのはいいとしても、弦楽器などの微妙な”ざわざわとさざめくような音”の再生に不向き、言い換えると音が消えていくときの微かな余韻に乏しい」とはっきり仰る。

これはジャズにはいいけれどクラシックには明らかに弱点となるが、何も音楽は弦楽器ばかりではないし、管楽器の出番も多いのだから若干割り切る必要がありそうだ。

「AXIOM80を聴く前にちょっとこれを聴いてみてくれませんか」と、中音域(700ヘルツ〜8000ヘルツ)を担当する「175ドライバー」を外してナショナルのコーン型スコーカーに入れ代えて聴いていただいたところ、「こちらの方が弦楽器の響きがきれいですね」。

JBLの3ウェイといっても、スコーカーを代えるだけで簡単に「クラシック向き」と「ジャズ向き」の二刀流が使えるので選択肢が広がるのはとてもありがたい。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/430afb5c20ca67523d654d83e655c44f

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c167

[近代史02] 世界を席巻した回転寿司 _ どんな屑ネタでも気付かずに食べさせる魔法の技術 中川隆
62. 中川隆[-13200] koaQ7Jey 2020年3月29日 12:29:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1704]

2020 MAR 27 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/03/27/世界で%ef%bc%92%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%90万人、日本は%ef%bc%94%ef%bc%92万人が死ぬ/#comments


(1)寿司屋という異界の空間について

16年の海外赴任から帰国して、ありがたいと思ったのはちゃんとした寿司が食べられる幸せが当たり前のようにあることだ。ちゃんとしたというのは、もちろん味の良し悪しのこともあるが、それ以前の問題がある。清潔感だ。

握り寿司というのは生魚と粘着性の米を素手で「成型」する食物だ。ネタと酢飯を別々に口に放り込んでも分子論的には同じ食べ物だが、あの程良い塩梅にぎゅっと固めあげた食感がないとサマにならない。だから素手で圧力を投じて握るのは、衛生上はリスクがあっても割愛できない、いわば寿司に命を吹き込む行為だろう。

非常に不思議なのだが暖簾をくぐってカウンターに座った瞬間、僕は寿司を握る親方が食品衛生管理者の資格を持っているんだろうかという心配はしていない。彼の手のひらに何がしか付着しているはずの雑菌やウイルスが病変を起こす限界個数を超えている確率は何%だろうかと考えることもない。

なぜなら寿司屋はお清めされた何やら特別な空間であってレストランではない。左様な疑念を許さぬ一種の様式美のもとに成り立っている、疑うなら来るな、来たら疑うなという無言のルールがある場だ。それが客のみならず親方をも支配し、握る側は徹底して清潔であるべきであるという掟を自らに課しているはずであるという揺るぎなき確信が客を安心させるという、世界に類のない相互信頼の食域なのである。

(2)日本人の分厚い信仰心の場こそ寿司屋である

それは相撲の土俵に通じるところがある。なぜ寿司を女性が握らないのかは、なぜ土俵に女性を上げないのかと同じだ。指摘されればジェンダー問題に至ることを免れないが、しかし、古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人には説明するしかない。仮にそれを大方の客が気にしないというなら、今どき銀座あたりに美貌の女将やAKBみたいな女の子が並んでかわいく握る寿司バーが現れそうなものだがそれはない。なぜなら、大方が気にするからであろう。

外国人の親方となるとさらに厳しい。香港時代に現地の人が作るラーメンやとんかつは平気だったが寿司屋に入る蛮勇は持ち合わせなかった。「特別な空間」の佇まいが不在などころかウナギや天丼まで供している店は相互信頼の食域とは別世界だ。そこで不格好に握られた物体を寿司と呼ぶならアナゴの正体がマムシだろうが深海の奇怪なウミヘビだろうが大きな問題ではなかろうし、数時間後に腹の調子が正常なら代金を払った価値ぐらいはあったと感謝すらすべきである。

本稿は寿司礼賛がテーマではない。そんな清冽な食文化を生んだ日本人には「お清め」「清潔」への分厚い信仰心があり、国民的にそれを共有していることへの相互の信頼感があり、それらは何百年もかけてDNAレベルで根づいて醸成されてきたものという主張だ。外国人がちょっとやそっとで真似ようともどうしようもないし、仮に技術的にはうまく握れていて清潔さが厚労省によって保証されていようとも、大変に申しわけないが、僕はそれを食べてみようとは絶対に思わないのである。清冽な食文化を共有する寿司屋は文字どおり「聖域」なのだ。

女性と外国人。奥深いテーマだが、なぜかどちらも聖域ではだめなのだ。おふくろの味という家庭で許され愛されるものがなぜ寿司屋でそうでないのか。感性のみ知覚する領域なので一般化する気はないが、個人的には他家のおふくろの味にまで寛容でないのかもしれないと思う。家族という、ひょっとして腸内フローラまで共有するような生理的関係はパブリック(公的)になり得ず、どうしても本能的に一線を画し、まして国境をまたいで交わりましょうというのは根本的に困難だということ。それが清潔不潔というリスク感覚に投影されて、寿司屋という特殊な場で先鋭化して知覚されるというのが僕の理解だ。

(3)「日本教」という宗教

このことを新型コロナのここまでの感染者、死亡者数の少なさに関連付けようとするのは牽強付会に思われるしれないが、聖域を作り上げる程に練り上げられた日本人の「お清め」「清潔」への分厚い信仰心は永遠不滅の高みに至っており、その結果として、16年住んでみた海外各国との比較感として日本はスーパークリーンな国であって、偏差値をイメージするなら70以上の超優等生であることは反論の余地もない。ウィルスの立場になってみれば繁殖に最も厄介な環境、国民性であろう。検査数の少なさも指摘されるが、仮に2倍としても感染者、死亡者数はまだぜんぜん少ない。仮説ではあるが、それだけでは説明しきれないものが背景にあるとしか考えられない。

寿司屋や土俵への「分厚い信仰心」はすべての和食系の板さんにも、甲子園の女人禁制を主張する高野連の精神にも共通する、日本人を問答無用に呪縛する行動規範である。ヒンズー教、イスラム教が左手を不浄としたり、キリスト教が離婚、中絶を禁じたりするのが宗教であるならば寿司屋や相撲や甲子園の暗黙の了解がそうでない理由などない。これは堂々たる宗教である。そうだろうか、その割には「いや自分はそんなものは気にしない」とアンチな行動する者を表だって咎(とが)める人はいないではないかという反論もあろうが、それは当たらない。なぜかというと咎めないのも教義の一部だからである。思っても言わない。目撃した傍から「その者は “信者” ではない」と心の中で冷ややかに見放しているのである。つまり、「古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人に説明するしかないもの」に行動も思索も従順であり大いに長いものに巻かれること、それが日本人であり、その心の働きはかつて山本七平がイザヤ・ベンダサン名で「日本教」と看破したものに近い。

現在、ニューヨーク、ロンドン、パリ等が都市閉鎖状態になるなど世界の様相が急速に緊迫する中、我が東京は同じ地球上と思えないほどのユルさである。ひところクルーズ船であえぐ日本を対岸の火事と見ていた欧米が今や延焼でパニックになり、今度は日本がそれを対岸で他人事のように眺めている。こうしてウィルスというエイリアンは人間を波状攻撃で追い詰め、食い殺していく。なぜこちらが一旦は踏みとどまったか?薬もワクチンもない、検査して陽性とわかってどうなるものでもなく、国家の行動制限強制力など世界最低レベルで圧倒的に弱いのだから、ひとえに、日本教のおかげと思う以外に何があるというのか?お清め、清潔好きで、手洗いどころかお尻の穴まで毎度毎度ていねいに洗浄する世界に類例のない日本教信者の国民性に起因していると考える以外に理由は見当たらないのである。海外が驚いて調査してるらしいが、わかるわけないね。

ただし日本教には弱みもある。人間中心主義で科学を軽視することだ。以下に書く日本人しかできない防御策の、最大のウィークポイントはこれである。人の和は大事だがそれは平時の話である。今は世界大戦に匹敵する有事であり、すべての判断に科学的データが優先すべきだ。ここを取り違えれば、政治が軟弱で無能である日本はあっけなくエイリアンに食われまくるであろう。戦争で懲りたため我が国はシビリアンコントロール、文官政治に振れた。それは結構だが文官だからといって学力に欠け、科学は「専門家」に丸投げで失敗したら人を替えればいいなどという無責任な政治まで国民は許容したわけではない。テレビも毎日手を変え品を変え科学の素人が井戸端会議をくりひろげているが、公共の電波をそんなくだらないものに浪費しないでほしい。科学者だけを出すべきである。

また、日本教信者はお花見のごとき国民的遊興に弱い。まあこのぐらいとタガが緩んでしまう。それは「3つの密」戦略の効果を致命的に減殺し、国民を危機に陥れてしまう自己中の愚行だ。次の危機はゴールデン・ウィークである。国は緊急事態宣言をしても強制力や罰則規定はない。小池氏は都知事として最高権力をふるいあらゆる愚行を封じ込める強硬策を執行すること必須である。ちなみに最新ニュースとして阪神タイガースの藤浪選手の陽性が発覚したが、重要なのはプロ野球の開幕がどうのではない。「37度5分の発熱が4日」の厚労省基準をあざ笑うようにウィルスはひっそりと彼を感染させており、しかも、感染者に見えていなかっただろう彼はひっそりと2人の同僚を感染させたという事実だ。これが僕が1月30日づけのブログで指摘しているこのウィルスの最大の危険性、つまり、誰もそう見えない不顕性感染者に感染力があることの証左である。皆さん、国が言ってることを信じていてもダメだ、自分で考えないと身を守れないのだ。著名人だからニュースになったが、かように20代の健康で若い人でも誰でもかかる。同じことがそこかしこで発生している、ほんの氷山の一角である。

(4)インペリアル・カレッジ・ロンドンの確率データ

ここまで、日本教は我々を曲がりなりにも助けてきた。くりかえすが、日々テレビはやれオリンピックが大変だ、小池都知事がどう言った、学校はいつから開けるのか、プロ野球はどうなるか、国民給付はお肉券はいかがだろうか等々かまびすしいが、そういうことは人類が直面している歴史的危機においてなんら重要な変数ではない。注視すべきは科学者(の内まともな者)の発表だけだ。例えば、英国のボリス・ジョンソン首相は当初「3つの密」のようなクラスター抑制戦略をとる他国とは一線を画し、感染者は症状の軽い若者だし、安全対策に協力しない無知な馬鹿者も存在する社会的コストもあるのだから、人口の60%が感染することによって発生する「集団免疫」によって弱者を保護すればいいだろうという対極的な施策を選択した。反ユーロのにおいもあったがそれはそれで、その時点では科学的知見に立ったものだった。

ところが、インペリアル・カレッジ・ロンドンの学者が、それをやると20万人の死者が出ると計算し、ジョンソンは施策を撤回した。国家の基本戦略を間違えましたというのは元首として誠にみっともないことだが、オックスフォード大学卒のジョンソンは科学の宣託をきっちり理解したのだろう、自らテレビで視聴者に目線を合わせて「You must stay at home(家にいろ)!」と自らの言葉で強く語りかけた。官僚のペーパーを読んで関係各位と緊密な連携を図ってまいりますなんてお経をくりかえす首相とは雲泥の差のインパクトだ。現在時点の世界の死者が2万人であり、1年後にその10倍の死者が英国だけで出るという指摘だから当然だが、では日本国首相官邸はその確率データをどう読んでいるのだろう?意味がわかっているのだろうか?それとも意に介さぬだけの反証データを持っているのだろうか(全くそうは思えないが)。

英国という6600万人が密閉された島で人々の行動を平常のまま放置すれば0.3%がウィルスに殺されるという確率を有意とするデータのサンプル数があるのか否か置くとして、少なくとも現在時点でのデータからウィルスの不可避的に強い感染力と薬・ワクチンなし状況下での人間殺傷力、防御する医療体制の限界点を加味して算出し得る最悪の人口比死亡率が0.3%としたのだろう。毎日ワイドショーでどうでもいいことをご宣託している先生方の「**と思います」など比較にもならぬ重要な数字で、我々が行動の規範と肝に銘じたほうが生存率を上げてくれる結論であることは信頼に足る(それが科学的態度である)。

とするとどうなるか?「3つの密」は感染者数曲線のピークを低くして医療崩壊を防ぐ戦略であるとしては意味があるが、曲線がなだらかになると横長になり終息は遅れる。しかしウィルスの感染力が一定なら曲線を積分した値は同じであり、結局は0.3%の人がすぐに死ぬか来年死ぬかの差である。であるから、世界の死者総数は2100万人、日本は42万人が死ぬ。ちなみに、人類の生存の危機と比べればたいして重大事でもないが、「3つの密」政策がうまくいけばいくほど終息は遅れるのだから1年後のオリンピックは吹っ飛ぶだろう。

(5)人類の安息への唯一の道

それは新型コロナに対抗できる薬、ワクチンが開発されることである。それ以外にない。ということは、来年の今ごろにさあオリンピックだと世界が意気揚々となっている可能性など極めて低い。カネの問題というなら1年延期の希望的観測のコストはもっと高い。どうして中止にしなかったのだろう。学者の意見は複数あるが、おおむね、最短で1年かかり、それを世界の患者に行きわたらせるには更に時間がかかり、5〜10年という人もいる。ということは、人類が存続するためには、5年ほどはエイリアンに殺られず生き延びていなくてはならない。その間の経済悪化による生存の危機も国家の方策によって乗り越えねばならない。したがって、我々が今できる努力はとにかく3つの密を避けて感染しないこと、そして運悪く感染してもそれを絶対にバラまかないことだ。体調が悪いのを軽く見て出歩くなど人類を破滅させる行為だと自覚することだ。イタリアの市長はパーティーをやった若者に対し「火炎放射器を持った警官隊を出動するぞ」と警告したが、そのぐらいのことである。

もし幸いにも生き延びることができたなら、そこには未知の世界が広がってるだろう。それはニュー・ノーマルと呼ぶべき新しい均衡点の上に出来上がる我々の知らない “平常” だ。人類史に確実に刻まれる未曾有の厄災に我々は見舞われているのであり、台風一過で元に戻るという単純なものではない。欧州の全人口の60%が死んだペストや第1,2次世界大戦がそれまでの世界を、つまり地球上のヘゲモニーも科学も生活も根底から覆してしまったように、新型コロナは人類のあらゆる均衡を変える可能性がある。しかしそれは恐れることではない。誰も知らないのだからそれはフロンティアでなくて何であろう?未知というものは常に活力を与えてくれるのであり、人類はそこを目指して、新たな光と希望を求めて戦っていくだろう。

(6)我々日本人はどうなるのか?

この問いこそ本稿の最も重要な帰結だ。もう一度書く。日本教の支配する我が国および日本民族というものは「ウィルスの立場になってみれば繁殖に最も厄介な環境、国民性であろう」ということだ。何という幸運なことだろう!我々は、政府があれほどヘマや後手後手をしたのにしぶとく踏みとどまっている。政治家の出来ることは3つの密を「強制執行」し、社会不安と治安に目を配り、カネをばらまくか減税することしかない。国民に必要なのは現金だ、お肉券や旅行券など馬鹿も休み休み言え、電気代や税金をお肉で受け取ってくれるのか?こんなものを真面目に議員が議論しているなど世界の失笑をかう国の赤恥だ。インフレなどなるはずもないのだから日銀引受のコロナ国債だろうが何だろうが、あらゆることを禁じ手無視でやるべきだ。我々国民はどうするか?オーバーシュートを全員の努力と協力で回避し、感染者数が医療崩壊を起こさないレベルで推移するようピークを先送りし、1,2年後には世界のどこかの科学者が開発してくれるであろう薬とワクチンを待てばいい。その忍耐が良い成果を挙げる可能性の最も高い国は日本であると僕は思う。

それには「3つの密」を避けるだけでなく次のことが効く。日本人しかできない秘策だ。西洋式を忘れ「日本教」という宗教に徹底的に帰ること、すなわち、「お清め」「清潔」への分厚い信仰を徹底して守り、不潔を忌み嫌い、古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人には説明するしかない日本人を問答無用に呪縛する行動規範には不合理であっても異を唱えず従い、日本人にしかないであろう「自己中でなく他人を思いやる気持ち」を大いに持ち、うがい・手洗い・鼻洗浄・マスクは自分のためだけでなく他人を感染させないためという意識を強く持つこと、そして、日本人が持つ最強の我慢強さ・忍耐力でそれらを成し遂げて社会に貢献し、世界に冠たる優秀な民族であることを見せてやろうぐらいの誇りを持つことだ。

このウィルスの性質は未知数で、だから薬もワクチンもないわけだが、少なくとも僕の仮説が正しければ以上のことを国民全員が励行すればその行為がウィルスが最も嫌がる防波堤になることはここまでの数字で証明されている。それを粛々と、気を緩めずに続ければよい。日本人の生存戦略は成功するだろう。それどころか、その成功がニュー・ノーマルになっていき、我々の子孫が最も適応してそこで有利なポジションにつき、日本に生まれて良かったと幸福をかみしめて栄えてくれるのではないか。まだ何が起きるか予断は許さないが、その事を願って筆をおく。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/03/27/世界で%ef%bc%92%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%90万人、日本は%ef%bc%94%ef%bc%92万人が死ぬ/#comments
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/370.html#c62

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム? 中川隆
2. 中川隆[-13199] koaQ7Jey 2020年3月29日 12:55:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1705]
>ドイツ革命をはじめドイツや東欧の共産化の運動も、そのほとんどにユダヤ人が関わっている。


当時のヨーロッパでは音楽家でも科学者でも企業経営者でも、過半数はユダヤ人だったんだよ。 革命家の大半がユダヤ人だったというのもそういうのと同じ類だよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html#c2

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム? 中川隆
3. 中川隆[-13198] koaQ7Jey 2020年3月29日 12:58:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1706]

77 7
@mogurazz
>スターリンは反ユダヤでは無い。後妻がユダヤ人で、腹心がその兄であることは有名な話。


スターリンの反ユダヤ感情

スターリンは、少年時代からユダヤ人に対する嫌悪感を薄らながらも抱いていたが、ヒトラーのような強迫観念とは異なり、帝政時代のロシアではごくありふれた偏見の域を出ないものであった。「額に汗して働かぬ人々」というのが、長年スターリンが持っていたユダヤ人観であった。指導者になってからも、党・政府の役職にラーザリ・カガノーヴィチやマクシム・リトヴィノフなどユダヤ人などを重用し、反ユダヤ主義は犯罪であるとして糾弾する[339] など、公式には自身の反ユダヤ感情に触れることを避けていた[340]が、私生活の場では、連日催されていた深夜の酒宴などにおいて、仲間たちとともにユダヤ人に対するエスニックジョークを話題にしては楽しんでいた。また、ロシアにおける反ユダヤ主義はスターリンの支配下で大幅に高まったことが指摘されている[339][341]。第二次世界大戦中には娘スヴェトラーナの最初の恋人、アレクセイ・カプレル (Aleksei Kapler) がユダヤ人であったことから、彼を逮捕してヴォログダ収容所での5年間の重労働刑を宣告している[342]。

スターリンは当初、ダヴィド・ベン=グリオンが社会主義者だったことやキブツとソ連の農業集団化政策の類似点から、国連でのパレスチナ分割決議への支持や米国に次いでのイスラエル国家承認、チェコスロバキアを通じた武器援助を行うなどイスラエルに対する支援を行ったが[343]、冷戦が進行するとともにイスラエルは西側陣営につき、ソ連は反シオニズムを掲げることになり、スターリンはユダヤ人(特にシオニスト)に対する強迫観念に取り付かれるようになり、ソビエト体制の転覆を企むシオニズムの手先・破壊分子としてソ連国内のユダヤ人を危険視するようになった[339][344]。その代表例が医師団陰謀事件である。なお、スターリンは最晩年の1953年、「ユダヤ人問題の最終的解決」と称してソ連国内のユダヤ人全員をシベリアおよびカザフスタンに強制収容する計画を実行する予定であったといわれるが、スターリンの死によってこの計画は中止となり、後継者のベリヤにより逮捕されていたユダヤ人も全員釈放されたことで実現はしなかった[339][344]。

カフカースには元々極端な反ユダヤ主義はなかった。昔から多くの民族が隣り合って住んでいた地域であり、ユダヤ人もその民族の一つに過ぎなかった。グルジアに住むユダヤ人は、その多くが仕立て屋、貸金業者、靴職人などであり、いずれも裕福であったためか、靴作りの技術が優れていたためか、スターリンの父親である靴職人ヴィッサリオンは彼らを憎悪(嫉妬から)し、幼い息子に対してユダヤ人に対する憎悪を教え込んだ[345]ことも、スターリンの反ユダヤ感情の一因である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3#反ユダヤ感情
一部を表示
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html#c3

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム? 中川隆
4. 中川隆[-13197] koaQ7Jey 2020年3月29日 13:06:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1707]
>ドイツ革命をはじめドイツや東欧の共産化の運動も、そのほとんどにユダヤ人が関わっている。
当時のヨーロッパでは音楽家でも科学者でも企業経営者でも、上の方の過半数はユダヤ人だったんだよ。 革命家の大半がユダヤ人だったというのもそういうのと同じ類だよ。
そもそもアシュケナージはDNA的にはヨーロッパ人と変わらないから、単に経済的な事情でユダヤ人になっていただけだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html#c4
[番外地7] 現在は純粋に近いアイヌが1万人、アイヌ系が10万人
アイヌ人は江戸時代には2万人

現在は純粋に近いアイヌが1万人、アイヌ系が10万人

別に血が薄まった訳じゃないよ
アイヌの血が日本人にも拡散しただけ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/562.html

[番外地7] 戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由

ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。

戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。

20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。

昔の学生やインテリは随分 IQ が低かったみたいですね。1970年代は科学的社会主義とかいうのが流行っていて、唯物弁証法とかマルクスやレーニンの理論が既に科学的に証明されたと思っていたアホ左翼が沢山いたのです。
赤軍派議長の塩見孝也なんか 2017年11月に死ぬまでずっと 世界同時革命とか叫んでましたからね。

当時の日本は一億総中流で、マルクス主義の前提になる階級自体が存在しなかったので、いくら社会不安を起こしても階級闘争や革命なんか起きる筈がなかったのですけどね。

まあ、今の学生やインテリが賢くなったというのでなく今だけ、金だけ、自分だけという価値観に変わっただけなのですが。
世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです
そしてそれは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。

日本共産党や労働組合を創設させたのも GHQ なのですね。平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのはすべて GHQ の共産化政策の結果なのです。20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。

因みに、現在の日本共産党は親米保守で反動極右勢力に変わっていますね。昔から民青の学生は事大主義で大学では左翼教官に おべっかを使って興味も無いのにマルクスとか読むふりするけど会社に入るとマルクス主義はもう古いと言って否定するので有名でした。

民青や共産党員にまともな人間は一人もいませんでした。つまり、20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのは
GHQ の教育方針が反映していただけで、自律的で自然な現象ではなかったのですね。 戦前に極右で米英鬼畜とか言ってた極右は終戦後に殆ど日本共産党員に転向しています。

反対に、全学連の闘士は年取ってから大半が極右になっています。つまり、極右=極左で、環境によって極右になったり、極左になったりするだけなのですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/563.html

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由
大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由

レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。
ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。
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革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない

香港警察はデモ隊がデモを始めた時には素早く登場し、催涙弾や棒で鎮圧している。デモを鎮圧する警察という図式は世界共通だが、中国と中国の植民地にしかない「ある現象」には注目せざるを得ない。
それは中国3000年の歴史の中で、市民や国民や農民の為に立ち上がり、皇帝や国家と戦った人は居ないという点です。
世界の多くの革命は市民の抵抗がきっかけだが、必ず軍や警察が国家を裏切り、市民側に就くことで政府が倒れている。フランス革命やロシア革命、ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊、東ドイツ崩壊、アメリカ独立など枚挙にいとまがない。
日本では1936年(昭和11年)に226事件が起きたが、放棄した青年将校の目的は貧困農民を救う事でした。中国の兵士は武士や騎士ではなかった兵士や警官が国家を裏切って、圧倒的に劣勢な市民側について戦うのは、かなり高度な教養をもった社会でないと起きない。アフリカの独裁国家や中南米では「市民を裏切ってマフィアや権力者に就く警官」は大勢居るが、逆は1人も居ない。同じように中国や中国の植民地だった国々では、軍や警察が市民を救うために国家と戦争をするなどという事は起きない。
北朝鮮は世界一の貧困国家で国民は常に飢えているが、一度も革命や大規模暴動が起きたことはありません。日本人から見ると不思議でしょうがないが、武士が槍一本で国家と戦うのは、日本や高度な先進社会にしかありません。
武士は兵士ではなく「士」であるから自らの志に基づいて行動し、自分で善悪を判断する。西洋の騎士も同じで単なる兵士ではなく貴族であり、自分で善悪を判断し自分の意志で行動する。
中国の兵士はこれとはまったく違い、最底辺の農民の息子がなるもので、決して皇帝につぐ位などにはならない。日本と中国朝鮮は過去に何度も戦ったが、一度たりとも大陸側が勝ったことはなく、引き分けがせいぜいでした。この理由は中国の将軍や兵士は、例え勝っても貴族になったりせず、略奪くらいしか楽しみがなかったからでした。
日本の武士団は郷土と一族の期待を一身に背負って出陣し、勝てば大名や将軍になり天下を取れた。
中国や朝鮮で軍人による革命は起きないのは、そもそも軍人や警官には意思が無く、社会的な使命もなかったからです。
清を倒した辛亥革命を起こしたのは革命家の孫文で、軍人は利害を計算して孫文に就いただけでした。
香港警察の警官が考えているのは、自分が出世したり利益を得る事だけで、武士や騎士ではないのです。もし香港警察の警官が「民主主義のために中国と戦おう」と言って戦車の前に立ちふさがったら驚くが、そういう事は起きないでしょう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
38. 中川隆[-13196] koaQ7Jey 2020年3月29日 17:17:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1708]
2020年03月29日
中国 4年間で地下鉄建設に15兆円 鉄道全体では毎年6,000km建設


鉄道省は事故と赤字で解体されたが、民営化されて隠し方がうまくなった

引用:http://garyu-machiai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/07/25/crh110723h.jpg

中国があらたな鉄道計画を発表

中国政府は2016年からの4年間で1兆元(約15兆円)を地下鉄建設に投じると発表していました。

中国には国会に当たる機能がなく全人代は御前会議のようなものなので、抵抗勢力はなく必ず承認される。

中国はこれまでの10年間に毎年5,000kmの鉄道を新規建設し、毎年50兆円の鉄道建設費を使ってきました。


ちょうど区切りが良いので計算してみると、1kmあたり100億円になり、線路だけでなく沿線の都市開発費も含んでいます。

日本の地下鉄はネット上の資料によると地下鉄が1km200億円、モノレールは百数十億円、都市部の在来線も100数十億円

新幹線は田舎を走るので1km80億円くらい、田舎の在来線はおそらくもっと安いでしょう。


こうして比較すると中国の鉄道建設費用が1km100億円は、周辺開発費を含んでもかなり高いのが分かる。

それに周辺開発費を含めている理由は、駅前開発して不動産を販売して儲ける為なので、むしろ建設費を下げているはずです。

中国の距離あたりの鉄道建設費は日本より安くはなく、むしろ高いというのが分かります。


さらに2015年に発表した新5ヵ年計画では30,000kmを5年で建設すると書いてあり、年間6000kmの建設ペースになります。

中国鉄道省が鉄道事業をしていたころは予算が公開されていたが、民営化して国営中国鉄路になって非公開になり、一部しか公開しなくなった。

民営化したのに国営なのがおかしいが、もっとおかしいのは経営実態で、営業距離11万kmのうち黒字は2割以下といわれている。

人類史上最大の浪費

中国版高速鉄道に至っては2万キロのうち黒字路線は1300kmだけで、しかも建設費は国が払っていて、列車運行費だけで赤字なのです。

2015年の発表で中国鉄路は68兆円の負債を抱えていて、くどいようだが建設費の負担なしでこの赤字です。

中国鉄路総公司(鉄道省)は2013年に解体されたが、売上約6000億元(12兆円)に対して、鉄道開発費は2.5兆元(50兆円)も使っていました。


現在の中国鉄路の鉄道建設費は表向き10兆円なのだが、鉄道省では年間50兆円で5,000km建設だったのに、現在は10兆円で6,000kmを建設している事になっている。

民営化したら急に建設コストが5分の1以下になったわけで、JRもびっくりの超効率化が図られた事になるが、むろん事実ではない。

年間50兆円の鉄道建設費は鉄道事業では1円も回収されずに残っているはずなので、10年間では500兆円の鉄道債務ということになり、少し値引きしても400兆円近くあるでしょう。


日本国鉄の鉄道債務は20兆円で半分は事実上国が負担し、もう半分はJRが返したらしいが、国鉄総裁ですら中国鉄路の隠し債務を見たら気絶するかも知れない。

そして日本の新聞やテレビは次々に建設される鉄道を見て「さすが中国は発展している」と褒め称えていて始末に負えない。

そこへ持ってきて5年間で15兆円の地下鉄建設なのだが、年間たった3兆円なので、鉄道全体にくらべれば安いという感覚になる。


共産主義なのだから国の借金は破いて捨てればいいかというと、そうは問屋が卸さず、国の借金は必ず誰かの資産です。

国債という国の借金は銀行や生保や個人が持っている資産なので、破り捨てたら彼らの資産が紙くずになります。

中国の浪費は鉄道だけでなく道路や都市建設、空港や港湾やあらゆるインフラ、ITや軍事や無人島まで及ぶ。


西側エコノミストは中国を「人類史上最大の浪費」と評したが、その結末はどうなるのでしょうか?

http://www.thutmosev.com/archives/66782735.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c38

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
2. 中川隆[-13195] koaQ7Jey 2020年3月29日 19:09:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1709]

「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
国債発行は時代錯誤、資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは
貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する 国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c2

[近代史4] 中国人は汚い
中国人は汚い


2020年03月29日
パンドラの国に生まれて / 害悪の根源となる支那人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68807056.html

近づきたくないチャイナタウン

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(左 : 支那人排斥の風刺画 / 右 : 支那人を処刑するイラスト)

  武漢ウイルスが世界中で蔓延し、まさしく「パンデミック」状態だ。前々から囁かれていた「東京五輪延期説」が現実のものとなり、オリンピック関連のイベントで儲けようと目論んでいた業者は“当て”が外れて、ガッカリどころか顔面蒼白である。しかも、大都市で発症者が増えたから、首都の封鎖論まで囁かれてきた。でも、こんなのは1月の時点で判っていたことじゃないか。別に疫病学の専門家じゃなくても、映画や小説で生物兵器の漏洩とか、エボラ・ウイルスの恐怖などが描かれていたから、一般人でも大体の事は想像できる。当ブログでも紹介した『カサンドラクロス』や『アウトブレイク』という映画があったし、日本でも小松左京の『復活の日』という映画があった。(この作品には筆者が好きな多岐川裕美さんが出ていたので、テレビ放送などで何度か観ている。) また、カナダのTVドラマ『リジェネシス』も日本で放送されたから、何割かの日本人は覚えているはずだ。このドラマでは、致死率の高いウイルスが、たった一人の患者から瞬く間に多くの人々へ感染する、というエピソードもあったから、とても勉強になった。視聴者は電車に乗った感染者が咳をして周りの乗客にウイルスを撒き散らしたり、くしゃみをして手すりやドアノブに鼻水を付着させる、といったシーンを観てゾッとしたものだ。

  日本では支那人観光客を止めなかったことで、国内にウイルスの蔓延を招いてしまったが、筆者はいずれヨーロッパやアメリカでも感染者数が増えると予想していた。なぜならば、北米や西歐諸国に多数の支那人が住んでいたり、支那に親戚・友人を持つ支那系国民がゴロゴロいることを知っていたからだ。米国ではいち早くニューヨークで感染者数が増えたけど、そんなのは当然である。ニューヨークは外国人の出入りが激しいし、百貨店の回転ドアや個人店のカウンターなどは黴菌の温床だ。さらに、クィーズやブルックリン、マンハッタンにある支那人街は、昔から不潔と分かっている。筆者もフラッシングやサンセット・パークをうろついた時、支那人の群れに吐き気を覚えたことがある。マンハッタンのチャイナタウンは日本人にも知れ渡っているけど、西歐系アメリカ人が時折見せる「エイリアンへのまなざし」が今でも忘れられない。

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(左 : アメリカの支那人街 / 右 : 支那人が経営する食材店)

  筆者が1990年代に米国にいた時のことだ。ニューヨークにある「ストランド・ブックストアー」(古書店)での買い物を済ませた後、グリニッジヴィレッジ方面に向かっていたのだが、街角でふと、高級ビジネス・スーツに身を包み、スラリとした美脚を持つ西歐系女性を目にしたので、「さすが、アメリカにはフッション・モデルのようなビジネスウーマンがいるもんだなぁ〜」と感心したことがある。すると、反対方向から支那人の二人組が近づいてきたので、筆者は「香港映画に出てくる下層労働者のような奴らだ」と思いつつ、さっきの白人女性に目を向けたら、彼女は冷たい視線で、この“みすぼらしい”アジア人を見ていた。まるで、違う種類の動物、つまり同じ哺乳類とは思えない「下等生物」を目にしているような、そんな眼差しであった。確かに、奇妙なアクセントでガチョウのように喋り、下品さを絵に描いたような支那人であったから、洗練されたアメリカ人の瞳には「外来生物」並の種族に映ったのだろう。当時の様子をうまく表現できないけど、ハリウッド映画の『誘う女(To Die For)』に出てくるニコール・キッドマンみたいな女性を思い浮かべてもらえば助かる。(日本でこの作品がヒットしたのかどうかは分からない。) とにかく、映画の中でスーザン・ストーン(キッドマンの役柄)は夫の殺害を計画するが、彼女が時折見せる冷酷な表情と睨みは凄かった。

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(左 : ニコール・キッドマン / 中央と右 : 『In Die For』に出演したキッドマン )

  話がちょっとずれたけど、ニューヨークなどでウイルスが蔓延したのは理解できる。何しろ、雑多な民族が蝟集する場所だから、「清潔さ」なんて期待できない。例えば、1990年代では携帯電話が普及していなかったから、用事があるアメリカ人はよく街中の公衆電話(pay phone)を使っていた。(ちなみに、「テレフォン・カード」は和製英語で、米国だと「コーリング・カードcalling card」と呼ばれている。) でも、筆者はなかなか使う気になれなかった。誰が触れたかも分からぬ受話器を耳に当てるなんて気持ち悪い。戦場での汚さならいいけど、日常生活での黴菌電話じゃ嫌だ。しかし、下層階級がウヨウヨいるアメリカだと、至る所に細菌やウイルスが付着しているので、感染しないようこまめに手を洗うか、免疫力をつけて健康になるしかない。

Mad about you 2(左 / ポール・レイザーとヘレン・ハント)
  日本でもDVDが発売されている思うが、1992年から放映されたTVドラマ『マッド・アバウト・ユー(Mad About You)』に、面白いシーンがあった。主人公のポール・バックマンがマンハッタンで公衆電話を掛けた時、彼は耳に不快感を覚えたので、手にした受話器を見たら、何かベタベタしたものが附いていた。ポールが厭な顔で「何だ、これ? スープか?」と呟くと、観客の笑い声が入る。ニューヨークではサンドウッチとかスープを売る「デリカテッセン」の店が多いから、カップスープを啜りながら歩く人がいても不思議じゃない。まぁ、さすがに鼻糞とか精子を受話器に附ける人はいないと思うけど、「非常識」が「常識」のアメリカだから「まさか!」と思うのは危険である。(ちなみに、主人公の「ポール」を演じたのは、ユダヤ人男優のポール・レイザー<Paul Reiser>。女房役の「ジャイミー」を演じたのは、イギリス系ユダヤ人のヘレン・ハント<Helen Hunt>であった。レイザー氏はプロデューサーを兼ねており、軽快なジョークをドラマに盛り込んでいたから、観ていて楽しかった。意外な事に、彼はアダム・サンドラーのような下郎ユダヤ人じゃない。筆者も毎週観ていたから、今ではとても懐かしいげと、ドラマの会話や冗談をどうやって和訳したのか、ちょっと首を傾げたくなる。翻訳者泣かせのドラマなんじゃないか。)

  現在、日本人は武漢ウイルスの脅威に曝され続けているが、どうも“深刻さ”が足りないように見受けられる。一般国民は感染しないように心掛けているが、心のどこかで「まぁ、大丈夫なんじゃないか?」という楽観的判断があるらしい。しかし、イタリアやフランス、ドイツ、ブリテンの様子を見れば、感染爆発の深刻さが分かると思う。何しろ、英国のチャールズ王太子やジョンソン首相までが陽性反応だったとは、本当に驚いた。また、あれだけ観光客で賑わっていたローマやミラノ、フィレンツェがゴーストタウンとなり、パリでも外出禁止令が出されるなど、去年までのヨーロッパなら全く想像できない事態だ。呑気に構えていたヨーロッパ人は「こんな事がありうるのか?」と肝を潰していたが、あれだけ支那人が住み着いていれば当然じゃないか。当ブログで紹介した通り、イタリアには大勢の支那人労働者が移住していたし、フランスやブリテンにもチャイナタウンがある。となれば、何割かの支那人が春節で帰郷し、あの大陸から疫病を持ち帰ることだって有り得るし、本人が無自覚のまま現地のイタリア人やフランス人に移すことだって予想できる。だいたい、支那人が日本や西歐に住み着いて、何か「良いこと」があったのか? 支那人が「移住してくる」ということは、害悪がいっぱい詰まった「パンドラの壺」が持ち込まれる、という災難に等しい。日本の厄病神も何らかの「禍(わざわい)」をもたらすが、支那人ほど兇暴じゃないので、多少マシである。

不潔な支那大陸

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(左 : 支那人を嫌悪するイラスト / 右 : 出稼ぎに来る支那人)

  大抵の日本人は学校で“記憶喪失者”に改造されている。と言えば「そんなぁぁ〜」と否定する人もいるけど、前々から分かっていることに気づかないんだから、歴史の授業が“杜撰”なんじゃないか。大東亜戦争前には、大勢の日本人が支那大陸に渡り、現地の匪賊や軍閥、あるいは国民党軍や八路軍と戦い、「支那人とは、どのような連中なのか」についての知識があった。一般人でも「支那浪人」というのがいたから、大学を出ていなくても「支那通」というが結構いたものである。明治や大正時代には、多くの軍人が支那大陸に渡っており、様々な書物を記していたので、今読み返してみると、「やっぱりなぁ〜」と頷けそうな“面白い”エピソードが満載だ。例えば、日本料理研究会の理事を務めた三宅孤軒(みやけ・こけん)は、支那人の不潔さに嫌気が差していた。彼はよく目にする支那人の下層労働者について書いているが、こんな連中と日本人が同じ「アジア人」と見られていることに我慢がならなかった。彼は次のように述べている。

  日本と同じ黄色人種に此劣等な支那人がゐる丈でも日本が世界各国から誤視される一因とも云へる。(三宅孤軒 『上海印象記』 料理新聞社、 大正12年, pp.26-27.)

  昔、中曾根康弘とツルんでいた伊藤憲一や新藤榮一は、支那人や朝鮮人と日本人を混ぜてしまう「東アジア共同体」を望んでいたが、普通の日本人なら「いくら黄色人種と呼ばれても、支那人や朝鮮人と一緒にされるのは御免だ !」と言いたくなるだろう。ヨーロッパ人が我々を「黄色人種」とか「アジア人」と分類するのは彼らの勝手である。日本人だって江戸時代には、西歐人を「南蛮人」とか「毛唐」と呼んでいたんだからお互い様。日本人はヨーロッパ人に従う義務は無いので、自分の皮膚を「黄色」じゃなく「肌色」と考えればいい。筆者が小学生のころ、水彩画の道具箱には「肌色」という絵の具があって、漫画を書くときはちゃんと使い分けていた。例えば、『宇宙の騎士 テッカマン』に出てくる黒人キャラの「アンドロー梅田」を描くときは、茶色の絵の具を薄めて用いたし、日本人キャラの「南城二」や「天地ひろみ」を描く時には「肌色」の絵の具を使っていた。(註 / 『宇宙騎士 テッカマン』は1975年にタツノコプロが制作したSFアニメである。興味のあるかたは、YouTubeにあるタツノコプロの公式チャンネルで観てね。) それに、「アジア人」なんて乱暴な呼称であり、トルコ人やアラブ人、ペルシア人、インド人、マレー人、支那人、朝鮮人を一括して「同じ奴ら」とするのは無茶である。正常な日本人だと、「俺達がトルクメニスタン人や契丹人と同類だって? なに言うてんねん ! アホか !」と怒鳴ってしまうだろう。

  話を戻す。支那大陸を旅行した三宅氏は、現地の労働者があまりにも汚いことに吐き気を催した。例えば、支那人車夫の不潔さには鳥肌が立つ。

   ボロボロのお菰(こ)のやうな服装で、ダン袋のやうなズボンの汗泥とに汚れた奴がめまぐるしい程澤山ゐる。(上掲書 p.27)

  日に焼けた皮膚に汗が煮染出してゐる處へ砂塵がまみれて人間色を失つた奴が、フウフウ息をはずませながら、不格好に揖棒を揚げて走る様はどうひいき目で見てもイヤになる。(上掲書 pp.27-28.)

支那人の“無神経さ”と言ったら日本人の想像を超えていた。三宅氏は続けて述べる。

  恥も外聞も眼中にないから取った虱はすぐ口中で死刑に處してゐる『虱を喰ふ』者としてこれを強て日本に求むれば乞食の群より他にあるまい、支那人の車夫は実際乞食のやうだ。(pp.28-29)

  当時の日本も貧しかったけど、支那の乞食と比べたら、日本の乞食はまだ“人間”らしい。支那に渡った日本人は実に多く、海軍中佐の桂頼三も支那人の不潔さに参っていた。支那では蚊や蠅の大群みならず、虱(シラミ)や南京虫の襲来も決して珍しくはない。例えば、桂中佐が川を船で渡っているとマラリアを伝播する蚊の大群に悩まされたという。また、陸地に近づくと蠅の大軍がやって来たというから、これじゃあ泣きっ面に「蜂」じゃなくて「蠅」である。現在の日本人はもう、天井から吊す蠅取り用の「粘着テープ」を知らないだろうが、昔は一般家庭にもあって、家に入ってきた蠅が引っかかっていた。でも、支那で遭遇する蠅は一段と凄い。この大陸に棲息する蠅は、銀色に光る不気味な生物で、天幕を張る鉄索や甲板の手摺などにズラリと集(たか)ってしまうそうだ。

  さらに、支那大陸で呑気に睡眠を取るのは危険である。単に布団を掛けて寝てしまうと、知らぬ間に南京虫や虱に噛まれ、目が覚めると脚は恐ろしく腫れ上がっている、というのだ。だから、畳二枚ほどの面積を持つ油布を日本から持参し、それを纏(まと)って眠るのが賢明であった。とにかく、アジア大陸には驚くような昆虫や爬虫類がいっぱいだ。坂本龍一みたいなエコ左翼は、「自然と共に生きる」とか「大自然に囲まれた静かな生活」なんてほざくが、文明人は自然と離れて暮らしているから安心できるのだ。支那やベトナム、タイ、ラオスに遠征すれば、目玉が飛び出るほどの兇暴な虫がタカってくるから、早く日本に帰りたくなる。桂中佐が体験した昆虫の群れは聞くだけでも恐ろしい。一般の日本人は「蜉蝣(かげろう)」と聞けば、何か優雅な情景を思い浮かべてしまうが、支那では恐ろしい飛行物体で、これが群がると辺りが暗くなるし、目も口も開けて居られないという。(桂頼三 『支那物語 長江三十年』 同文館、大正6年、 p.176.)

  桂中佐は支那の「大自然」ばかりでなく、支那人の「不潔さ」と「ゲテモノ喰い」にも驚いていた。噂で聞いた通り、支那人は刺身といった「ナマモノ」を食べず、もっぱら煮物や蒸した料理を食べるという。しかし、当時の支那人でも「生の物」を随分食べていた。例えば、桂中佐によると、彼らは活きた蝦(エビ)を手に取り、その皮を剝いて生のまま齧(かじ)りついていた。日本人ならゾッとしてしまうが、現在でも、無頓着な支那人は汚染された上海蟹を食べてしまうし、豚や猿の脳味噌、サソリ、ロバ、蝉(セミ)の幼虫、犬のペニスだって堪能する。他にも、支那人は驚異的な食材を口にする。例えば、鶏の雛(ひな)が孵化する前に茹でる「毛鶏蛋」は、鶏の形が判るから気持ち悪いし、大胆不敵な奴は、生で蛙(カエル)に噛みつき、そのままムシャムシャと食べてしまうそうだ。もっと凄いのは、子鼠の「踊り喰い」という料理で、赤ん坊のネズミを生きたまま、醤油かドレッシングに漬けて食べてしまうのだ。筆者はこれを食べる支那人の動画を見たけど、日本の女性には勧められない。たぶん、目を背けて悲鳴を上げてしまうし、食べられる子鼠が「チュー」と鳴くから、悪夢にうなされる。したがって、高校生以下の日本人は視聴禁止。

  とまぁ、こんな調子だから、普通の支那人がコウモリやタケネズミのバーベキューを食べたっておかしくはない。彼らは珍しい食材ほど精力がつくと思っている。現在、我々は支那から発生した武漢ウイルスに苦慮しているが、支那発の疫病なんて大昔からある。桂中佐も支那の惨状には理解を示していた。

  理由の如何は兎も角、支那人間には常に悪疫が流行して居て、増殖率も高いが、その死亡率は一層高いものであるけれども、統計もなく又防疫の手段も講ぜられず、大概の病人は医者にも見せぬのであるから、支那人間に現に悪疫が流行して居ても、外見上少しも判らぬのであつて、その存在せぬのでは決してない。だから、病気の潜伏して居るのが、果たして何(ど)の辺であるのかも随て知ることが出来ない。(上掲書 pp.173-174.)

  ホント、支那は今も昔も変わらない、ということだ。支配者は庶民が何人亡くなろうが「オレの知ったことではない」という態度だし、たとえ統計を取っても、治療や予防措置を講じる訳じゃない。支那人の医者は利益を優先するから、「医は仁術」なんていう概念は皆無。感染が怖いから患者に近づかないし、悪徳を専業とする医者なら偽薬を売って大儲けだろう。幕末の頃、高杉晋作が上海に渡航した時、コレラの流行で悲惨な目に遭ったそうだ。支那の河には犬豚羊の死骸が廃棄され、その上に土人(支那人)の死体が積まれていたというから、河の水が濁っていたのも当然だ。しかも、船からは糞尿が垂れ流され放題。だから、こんな所から引いた水を飲んだら大変である。訪問団一行が旅館でどんな「水」を飲んだのか判らないが、大村藩の碩太郎、傳次郎、紋藏の三人が病に罹り、酷暑ということもあって病死したそうだ。(納富介次郎『上海雑記』、小島晋治・監修、『幕末明治 中国見聞録集成』、第1巻、ゆまに書房、平成9年、p.8.)

  支那人は体も不潔だが、その精神も穢れている。習近平に正直とか誠実さを求めるのは、「鰐の恩返し」よりも非現実的だ。この赤い皇帝だけでなく、一般の支那人だって自分の利益となれば平気で嘘をつく。桂中佐も支那人の下劣さに辟易していた。

  虚言(うそ)をつくのは泥棒の初なりてふことが真実であるとすれば、支那人は一人として泥棒ではない。老幼貴賤の差別なく、虚言を吐くのを何とも思わぬ。全く平気の平左なのである。政事上の談判から、日常物品の売買に至る迄、信用し得べきものは一つもない。しかもその虚言たるや、後までもなく直にその場で露顕することでも、平気で言ふ。そしてその露顕に当りて詰問せられても、『だって、彼の場合、さう言ふ外に仕方がないではないか』と、露顕するのは覚悟の前であるに至っては、真に驚かざるを得ない。日本人でも虚言を吐く人物は決して少なくない。けれども、その虚言が露顕した場合には、少し位はきまり悪さうな顔をする。(上掲書 pp.181-182.)

  まさしく、支那人の性格は日本的尺度で測る事はできない。日本人の泥棒だって嘘をつくが、警官に尋問されれば「もはや、これまで」と観念するし、「出鱈目な事」を口にすれば、動揺して冷や汗が出てくるものだ。ところが、支那人は講談師よりも流暢に嘘を述べることができる。昔、古今亭志ん朝の落語で、旦那に嘘をつく丁稚(でっち)のエピソードがあったけど、日本人は嘘が下手である。確かに、仕事をサボった奉公人がスラスラと言い訳を述べるが、どこかに矛盾する話が出てきたり、嘘がバレないかと焦ったりするから、観客は思わず笑ってしまう。日本人は詐欺師を「特殊な例外」と見なしているが、支那人は「正直者」こそ「例外」と思っている。つまり、「腹を割って本音を吐露する奴」は珍獣の類いで、正直者は損ばかりする愚か者ということだ。

支那人に生まれた不幸

  日本のマスコミはPCR検査の拡大とか首都封鎖の話題ばかりに熱中するが、テレビ局に潜む反日社員は、「支那がコロナウイルスの発祥地」という点をボカしているから変だ。むしろ、この事実を隠蔽したいのか、わざと言及しないよう努めている。習近平は去年の時点でウイルスの発生を知っていたのに、緊急事態を公表せず、武漢の封鎖を遅らせていた。たぶん、武漢だけで被害を収めると「支那人だけの損害」になるから、全世界に拡散させて「みんなを不幸にすればよい」と考えたのかも知れない。何しろ、支那は米国の標的となり、経済的な包囲網の中にあったから、国家存亡の危機、すなわち共産党が崩壊しかねない状況にあった。だから、米国にウイルスで反撃し、ついでにヨーロッパと日本にも被害を与えれば、危機の打開策となる。もし、トランプ政権が北京政府を窮地に追い込むなら、米国も経済的に苦しみ、疫病不況で共に沈没すれば「痛み分け」だ。しかも、こうした世界的混乱は北京政府にとって絶好のチャンスだ。ウイルス騒動の“どさくさ”に乗じて尖閣諸島を占領すればいいし、支那国内を引き締めるために「台湾討伐戦争だ!」と嗾(けしか)ければ、習近平の反対派も従わざるを得ない。

  地上波テレビしか観ない日本人は、週末の娯楽が激減して愚痴をこぼしてばかり。「外出禁止なんて、つまらない !」とショボくれているが、支那に対する報復をどう考えているのか? 確かに、支那人の観光客をドンドン招き入れた安倍総理や二階俊博は赦し難いが、武漢ウイルスを全世界に広めた支那はもっと赦せない。ところが、テレビ朝日などは支那人女優の高陽子(こう・ようこ)を起用して、北京政府擁護に努めていた。支那人の工作員みたいな高は、支那がウイルスの封じ込めに成功し、その兆しは徐々に明らかとなっている、と言い出す始末。まったく、図々しいとしか言いようがない。まるで、日本がウイルス対策に後れを取ったから、「北京政府に見習え !」と言っているようじゃないか。そもそも、この新型ウイルスを世界に広めたのは誰なんだ ? 日本人は「お人好し」だから支那人を咎めないが、アメリカ人なら裁判沙汰して、巨額な賠償金をもぎ取るぞ。

Chinese in America 2Chinese 832

(左 : 米国籍を取得した支那人の子供 / 右 : 歐米にやって来る支那人労働者 )

  インターネットのサイトから“ヤバイ”情報を得ている日本人は、支那が発表する感染者数や死亡者数を疑っているから、イタリアよりも深刻とは思っていないだろう。なぜなら、絶滅収容所に隔離された支那人患者の数や、生きたまま焼き殺された死亡者数は不明だし、実際の感染者だって10倍どころか100倍ということも考えられるからだ。習近平が「終熄宣言」を口にすれば、支那の下っ端役人はつべこべ言わず、黙って皇帝に従う。たとえ、田舎で100名の感染者や死亡者が出ても、報告書には50名とか20名で、とんでもない奴だと「ゼロ」という場合だってある。例えば、自宅で亡くなった者を「自然死」としてカウントすれば「発症者」には含まれないし、感染を訴えた患者は病院から放逐し、「完治した者」と見なせばいい。焼却した遺体だって正直に報告するとは限らないから、幾らでも誤魔化せる。地方の役人は帳簿から感染者を“削除”し、「今月の死亡者は居ません !」と報告すればOK。日本のジャーナリストが支那の嘘を暴くことはないし、たとえ病院や遺体焼却所へ足を運んでも、「真実」を摑める訳じゃない。門前払いか投獄がオチである。支那では真相を暴くジャーナリストの「失踪」ということが度々あり、家族でさえ何処に“消えた”のか分からない。

  テレビや新聞は「支那が疫病の発生地」という事実を避け、専ら国内の話題や首都封鎖に言及し、一般視聴者を「政府批判」へ誘導しようと謀っている。だが、保守派国民はテレビ局の悪事を見抜いているから騙されない。支那人が入国したから、こんな事態になったことを分かっている。となると、在日支那人や帰化支那人は、困った立場になってしまう。なぜなら、マスコミが支那擁護に努めれば努めるほど、「支那人は特別」で「劣等民族」という点が強調されてしまうからだ。もし、日本で暮らす支那人が在日アメリカ人や帰化西歐人と「平等な外人」ならば、“特別な配慮”は必要無いだろう。なるほど、日本に長期滞在するアメリカ人やイギリス人にも不良や悪党がいて、犯罪に手を染める奴もいる。しかし、日本のマスコミは逮捕された容疑者をニックネーム(偽名)で報道しないし、素性や人相を隠すこともない。仮に、米軍の兵卒が強姦事件を起こせば、左翼の雑誌記者が根掘り葉掘り調べ上げて、徹底的に追求するだろう。ただし、黒人やヒスパニックの海兵隊員が逮捕されると、「人権」とか「人種的配慮」で顔写真を公表しないことがある。

  ところが、在日支那人か帰化鮮人になると、急に「サイレント・モード」か「隠蔽工作」になる。左翼知識人は支那人や朝鮮人の犯罪を詳しく報道すれば、一般国民が人種偏見に基づく“差別”を行い、無辜(むこ)の東北アジア人に対し“理不尽”な偏見を抱くに違いない、と思っているのだ。でも、どうして日本人は特定のアジア人に嫌悪感や警戒心を持つのか? それは、日本国民が本能的に悪質民族を嗅ぎ分ける能力があるからだ。日本人は中流階級のアメリカ白人が会社の金を横領したり、恋愛のもつれから殺人を犯しても、「まぁ、世の中にはそんな奴もいるだろう」と理解し、よくある社会事件と考える。しかし、支那人が強盗犯や殺人鬼として捕まれば、「一体どんな野郎なんだ?」と興味を示すし、「何でこんな奴が日本に住んでいるのか?」と疑問を抱く。なぜなら、日本には不正入国や不法滞在の支那人が多いし、そもそも我々は支那人を歓迎していないから、「あんな奴らと共存したくない!」と思う人がほとんど。

  地上波テレビの報道局員は、こうした日本人の本音を分かっているし、彼ら自身が誰よりも支那人を見下しているので、どうしても「支那人保護」の姿勢になってしまうのだ。もちろん、テレビ局の左翼分子は「俺達は支那人を差別しないぞ!」と反撥する。だが、支那人に対する“特別配慮”や“忖度報道”を指摘されれば、明確に反論できまい。左翼陣営は「一人の支那人が罪を犯したからといって、全部の支那人が犯罪者ではないぞ」と主張するが、心の底では「支那人だと悪人が多いから、一人でも犯罪者が出るとマズい !」と思っている。日本に存在する極少数の“まともな”帰化支那人や帰化鮮人は、「どうして主要マスコミは、支那人の殺人鬼や朝鮮人の強姦魔を報道する時、過度に気を遣い、遠慮がちになるのか?」と不機嫌になるはずだ。確かに、支那人や朝鮮人も人間で、大勢集まれば「不良分子」もいるから、兇悪事件を引き起こす奴がいても不思議じゃない。それなのに、支那人や朝鮮人だけを「特別扱い」にするなんて“おかしい”じゃないか。左翼知識人や文部官僚が、支那大陸と朝鮮半島の暗黒史を教えず、敗戦後にのさばった第三国人ちか、朝鮮総連や韓国民団の恐ろしい過去を歴史の授業から“削除”するというのも、おかしい。これじゃあ、「劣等民族の恥部を曝してはならない!」と禁じる通達と同じだ。

  一方、日本の学校教師は歐米人に対しては遠慮が無い。日教組の社会科教師は、「アメリカ白人はインディアンを虐殺し、黒人奴隷を搾取した!」とか、「西歐列強はアジアとアフリカを侵掠した」、「白人は植民地の民衆を家畜にして容赦なくこき使った !」と言いたい放題。在日アメリカ人やイギリス人の子供がどんなに傷つくか、なんて考えない。ドイツ人に対しても同様で、「ドイツ人はユダヤ人を迫害し虐殺した戦争犯罪者である !」とか、「ナチスの罪は千年経っても消えることはない !」と罵る。なら、「支那人はいつの時代でも極悪人」と述べてもいいじゃないか。授業の副読本として、子供達に黄文雄の『中国人の黒い舌』とか村松暎の『儒教の毒』を読ませれば、支那人に興味が湧くぞ。日本の子供が現実の支那人を知れば、宣伝工作に引っかかることが少なくなるだろう。

  日本の大手メディアは、余程「習近平様」と「支那人の旦那」が好きなのか、「武漢肺炎」とか「武漢ウイルス」という言葉を避けて、「新型コロナウイルス」という名称を用いている。しかも、今回のウイルスが「自然発生的なウイルス」なのか、「それとも人工的に改造されたウイルス」なのかという検証さえ無い。台湾出身の科学者で、毒素兵器の専門家である杜祖健(アンソニー・トゥ)博士が河添恵子のネット番組に出演し、「どうも人の手が加わったイウルスじゃないか?」との見解を述べていたけど、地上波では杜氏の出演は絶対に無理。岡田晴恵や久住英二といった「御用専門家」ばかり。筆者は決定的な証拠を持っていないが、おそらく「武漢ウイルス」は生物兵器の一種で、支那人が研究していた試作品なんだろう。

  とにかく、日本の一般人は1ヶ月もすれば過去の事件を忘れてしまうので、支那人が病毒研究所で何をしていたのかを追求しないだろう。また、既に習近平がウイルス研究の痕跡を消去したり、証拠となる施設を爆破しているので、歐米の科学者が支那の研究所を捜索しても、人工ウイルスの物的証拠を見つけるとは限らない。したがって、習近平が今回のウイルス騒動を「米国による陰謀だ !」と言い張る可能性は高いし、歐米諸国に根付いた支那人が様々な形で宣伝工作を行うので、事件の発端や真相は永遠に闇の中だ。日本のマスコミなんか自主的な支那人の走狗に成り下がっている。まるで、ウイルスの蔓延を「自然災害」の如く見なしているんだから呆れてしまう。有り得ないと思うけど、評論家の中には「経済的に疲弊した支那を援助しよう」と言い出す奴が出てくるんじゃないか。支那で工場を運営する企業から、こっそりと裏金を貰っている連中もいるから、本当に油断ならない。

  日本で生まれ育った支那人や朝鮮人の子供は、表面的に「日本人もどき」となるが、肉体的には「異民族」なので、二つの国家に挟まれ精神が歪んでしまうことが多い。高度な文明を誇る日本で教育され、日本人の友達と日常生活を送る支那人の子供は、支那に帰っても馴染めず、再び日本に舞い戻ってくる。でも、日本は彼らの「祖国」ではない。恥ずかしい同胞と忌まわしい歴史を引き摺る支那人は、日本人の仲間になれないから、親を恨む代わりに、日系人を恨むようになる。つまり、「支那人」と呼んで彼らを排斥する日系日本人や、支那人が隠したい同胞の恥部を暴く保守派知識人を嫌ってしまうのだ。さらに、在日支那人が厭になるのは、こうした日系人が「嘘」ではなく「事実」を述べていることである。捏造なら反論できるけど、真実では抵抗できない。ちょっと賢い支那青年だと、「なんで俺は支那人なんかに生まれたんだろう?」と嘆いてしまう。一般の日本人は書類形式を整えれば在日支那人が帰化して「日本国民」になれる、と思っている。しかし、何千何万人の支那人が帰化すれば、「支那系日本人」じゃなく、日本国籍を持つ只の「華僑」集団となってしまうだろう。「支那」というパンドラの壺から飛び出てきた支那人は、元の痰壺に戻すべき存在だ。残酷なように思えるけど、現実政治(real politics)では残酷が付き物である。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68807056.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/709.html

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
1. 中川隆[-13194] koaQ7Jey 2020年3月29日 22:26:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1710]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
国債発行は時代錯誤、資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは
貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する 国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c1

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
2. 中川隆[-13193] koaQ7Jey 2020年3月29日 22:51:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1711]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
国債発行は時代錯誤、資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは
貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する 国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c2

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
3. 中川隆[-13192] koaQ7Jey 2020年3月29日 23:24:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1712]

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

2016/10/02 に公開
国の借金が880兆円あると言われているけど、実は日本は世界一お金持ち。お金は国や政府が発行しているわけではない。お金の発行の仕組みとは?政府の借金を20年で完済する方法。…既存の経済理論を覆す新しい哲学で国家経営の本質を語る、フェア党代表の大西つねきさんの「目からウロコ」の経済学講座です。

「金融資本主義〜支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 1-2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

2018年5月16日の目黒講演の動画です。
資本主義とは何か?金融資本主義は何が違うのか?それがいかに人々を支配し、搾取する仕組みであるのかについて話しています。時間が足りなかったため、言い足りない部分も多々ありますが、基本的な構造は十分ご理解いただける内容です。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c3

[番外地7] スターリンは唯の独裁者で女狂い
>スターリンに反xユxダxヤの根拠があると言うだけ。後妻に向かえ、腹心にした根拠は?


スターリンはそもそも共産主義者でもマルクス主義者でもないんだよ。
唯の独裁者で女狂い。相手はユダヤ人でもロシア人でも誰でもいいんだよ:

ヨシフ・スターリン( 1878年12月18日 – 1953年3月5日)

配偶者
エカテリーナ・スワニーゼ (1906–1907)
ナジェージダ・アリルーエワ (1919–1932)子供
ヤーコフ・ジュガシヴィリ
ワシーリー・ジュガシヴィリ
スヴェトラーナ・アリルーエワ

宗教
無神論

政治思想
反ユダヤ、反マルクス主義


1919年の初期にモスクワへ戻ったスターリンは、長年の伴侶となるナジェージダ・アリルーエワと3月24日に結婚した。2人目の妻であるナジェージダ・アリルーエワとの間には、次男のワシーリー・スターリンと娘のスヴェトラーナが生まれた。ナジェージダは1932年に亡くなり、公式には「虫垂炎による病死」と発表された。彼女はスターリンとの口論の後に遺書を残して拳銃自殺を遂げた。娘のスヴェトラーナによれば、その遺書は「一部は個人的、一部は政治的」なものだったという[321]。テレビ局のA&Eによると、一部のロシア人はスターリン自身が夕食の席で起こった口論の後にナジェージダを殺害したと信じている。歴史家は、最終的に彼女の死が「スターリンの現実との繋がりを断ち切った」と主張している。


娘のスヴェトラーナは可愛がられたこともあり、スターリンの自宅で行われたチャーチルとの私的な会談にも同席した[323]。だが彼女にしても、最初の恋人を「イギリスのスパイ」とみなされてシベリアに追放されている。のちにほかの男性との間に子供をもうけた際には祝福の手紙を貰ったが、結局彼女はソ連を捨てて1967年にアメリカに亡命。彼女は亡命先のアメリカで回顧録を出版し、その中で「父はいたるところに敵をみた。孤独感と絶望感からくる弾圧マニアだった」と述べている。

スターリンは3人目の妻としてラーザリ・カガノーヴィチの姉妹であるローザ・カガノーヴィチと結婚したと見られている。

シベリアに追放されていた時期にスターリンは不倫関係にあった女性との間に非嫡出子のコンスタンティン・クザコフをもうけたとされる。

スターリンはほかに愛人も作ったが、彼女らがスターリンの女性関係の派手さや残忍さを見かねて批判すると、彼女らはいつの間にか姿を消したり、不審な死を遂げたという。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/565.html

[番外地7] ロシア正教を弾圧したのはレーニンだけ
ロシア正教を弾圧したのはレーニンだけだよ。 スターリンはロシア正教を守ろうとした:

「いかなる神[を信仰すること]も、思想的な死体愛好主義だ」とボリシェヴィキの指導者ウラジーミル・レーニンはマクシム・ゴーリキーに宛てた手紙に記している。1917年10月(新暦11月)、急進的なマルクス主義無神論政党ボリシェヴィキが政権を掌握した。宗教全般、とりわけ正教会を打ち砕くことが彼らの主要な政策の一つだった。  

 総主教ティーホンは政権に立ち向かった。1918年、彼は「神なきこと」を糾弾した。直接ソビエト政府には言及していないが、「権利と真理とを確立することを約束しながら、皆に対し、特に正教会に対し暴力をふるうばかりの権力」と記して批判している。

 1922年、レーニンは飢えに苦しむ人々の救済を名目にロシア全国の教会の財産を没収することを命じた。乱暴な没収は衝突につながった。歴史家のアレクセイ・ベグロフ氏によれば、教会を守ろうとした聖職者と支持者、合わせて約2千人が射殺された。ボリシェヴィキはティーホンを逮捕した。1925年に亡くなるまで、総主教はボリシェヴィキと対立し続けた。

大祖国戦争で正教会に対するヨシフ・スターリンの立場は変わった。1943年にスターリンが政権に忠実な府主教らと会合を開くと、政府は彼らが新しい総主教を選出することを支持し、財政的に補助すると表明した。さらに信者が復活祭やクリスマスなどの祝日を祝うことも認めた。

スターリンは正教会を再び合法化したのだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/566.html

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
302. 中川隆[-13191] koaQ7Jey 2020年3月30日 09:30:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1713]
2020年03月30日
コロナショックは10年に一度の投資チャンス


投資巧者は危機の最中ではポジションを閉じ、危機が去ってから投資をする

画像引用:中性投資家ブログ https://perfectdarkace.xyz/george-soros/

投資巧者と投資下手の違い

中国発新型コロナ騒動の影響で世界のあらゆる投資商品が乱高下し、多くは下落しています。

代表的なものは株で日本やアメリカを始めとして中国や新興国株も下落しています。

ところがこんな時でも投資巧者は慌てず利益を積み上げたり、将来利益になる投資対象を購入している。


経済危機は同じようにやってきたのに、10年前のリーマンショックでも大儲けした人と大損失を出した人に分かれました。

投資巧者と投資下手のいったい何が違うのかは研究する価値があると思います。

世界的に有名な投資会社が自社の顧客を分析したところ、勝者と敗者に特別な違いは見られなかった。


銘柄選びとかタイミングやテクニックなど、投資サイトや投資本で解説してあるような違いはなかった。

実際有名トレーダーとか大投資家が自分の予想を公表している事があるが、素人と同じ程度のように思います。

WバフェットにしてもJソロスにしてもJロジャースにしても、その辺の投資アナリストと予想は変わりません。


違うのは予想を当てる精度ではなく行動パターンで、彼らは天井買いして暴落時にナンピンしたりはしません。

普通の投資家はアベノミクスなどブームに乗って利益を積み重ね、相場が最も高くなった時に株などを買っています。

大投資家でもこれは同じだが、彼らは相場が失速すると見るやすぐ損切してポジションを手放します。

何もしないのが最良の投資

一般投資家は一度掴んだポジションをもったいなくて損切できず、ナンピン(買い増し)をします。

ナンピンをして相場が回復すれば儲かるが、そのまま下落が続けば100%破産します。

大暴落が始まった時、損切してマイナス10%くらいで抑えるのが大投資家、ナンピンして100%失うのが一般投資家です。


大投資家は相場の周期性を知っていて、10年に一度は大きな経済危機が起きると分かっている。

リーマンショックは2008年だったが1998年にアジア通貨危機、2002年にITバブル崩壊、1995年に阪神大震災とオウム事件が起きています。

2011年には東日本大震災、2001年にNY同時多発テロ、その後に対イラク対テロ戦争、1990年前後に日本のバブル崩壊、ソ連崩壊、東西ドイツ統一、天安門事件が発生している。


つまり世界的な大規模な経済危機は平均すると5年に1度以上は起きているので、そこで頑張ってもお金を失うだけです。

大投資家は経済危機が発生したら素早くポジションを閉じて損失を食い止め、経済危機が去るまでは何もしません。

一般投資家は危機の最中にナンピンしたりショート(空売り)するが、損失を拡大するだけで決して儲かりません。


危機の時に何もしないのが大投資家の特徴で、「獲物がいないのに狩りをしても仕方がない」のです。

そろそろ経済危機も終わりだなと思うと大投資家たちは以前の半額や4分の1で欲しい株や会社を手に入れます。

その後景気が回復すれば元手は何倍に増えるので、何もしなくても巨額の利益を手にします。


経済危機の最中では「あわてず騒がず何もしない」のが最良の投資です。

http://www.thutmosev.com/archives/82567482.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c302

[リバイバル3] バッド・ディールよりもノー・ディールの方がいい 中川隆
2. 中川隆[-13190] koaQ7Jey 2020年3月30日 09:34:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1714]
2020年03月30日
コロナショックは10年に一度の投資チャンス

投資巧者は危機の最中ではポジションを閉じ、危機が去ってから投資をする

画像引用:中性投資家ブログ https://perfectdarkace.xyz/george-soros/


投資巧者と投資下手の違い

中国発新型コロナ騒動の影響で世界のあらゆる投資商品が乱高下し、多くは下落しています。

代表的なものは株で日本やアメリカを始めとして中国や新興国株も下落しています。

ところがこんな時でも投資巧者は慌てず利益を積み上げたり、将来利益になる投資対象を購入している。

経済危機は同じようにやってきたのに、10年前のリーマンショックでも大儲けした人と大損失を出した人に分かれました。

投資巧者と投資下手のいったい何が違うのかは研究する価値があると思います。

世界的に有名な投資会社が自社の顧客を分析したところ、勝者と敗者に特別な違いは見られなかった。


銘柄選びとかタイミングやテクニックなど、投資サイトや投資本で解説してあるような違いはなかった。

実際有名トレーダーとか大投資家が自分の予想を公表している事があるが、素人と同じ程度のように思います。

WバフェットにしてもJソロスにしてもJロジャースにしても、その辺の投資アナリストと予想は変わりません。


違うのは予想を当てる精度ではなく行動パターンで、彼らは天井買いして暴落時にナンピンしたりはしません。

普通の投資家はアベノミクスなどブームに乗って利益を積み重ね、相場が最も高くなった時に株などを買っています。

大投資家でもこれは同じだが、彼らは相場が失速すると見るやすぐ損切してポジションを手放します。


何もしないのが最良の投資

一般投資家は一度掴んだポジションをもったいなくて損切できず、ナンピン(買い増し)をします。

ナンピンをして相場が回復すれば儲かるが、そのまま下落が続けば100%破産します。

大暴落が始まった時、損切してマイナス10%くらいで抑えるのが大投資家、ナンピンして100%失うのが一般投資家です。


大投資家は相場の周期性を知っていて、10年に一度は大きな経済危機が起きると分かっている。

リーマンショックは2008年だったが1998年にアジア通貨危機、2002年にITバブル崩壊、1995年に阪神大震災とオウム事件が起きています。

2011年には東日本大震災、2001年にNY同時多発テロ、その後に対イラク対テロ戦争、1990年前後に日本のバブル崩壊、ソ連崩壊、東西ドイツ統一、天安門事件が発生している。


つまり世界的な大規模な経済危機は平均すると5年に1度以上は起きているので、そこで頑張ってもお金を失うだけです。

大投資家は経済危機が発生したら素早くポジションを閉じて損失を食い止め、経済危機が去るまでは何もしません。

一般投資家は危機の最中にナンピンしたりショート(空売り)するが、損失を拡大するだけで決して儲かりません。


危機の時に何もしないのが大投資家の特徴で、「獲物がいないのに狩りをしても仕方がない」のです。

そろそろ経済危機も終わりだなと思うと大投資家たちは以前の半額や4分の1で欲しい株や会社を手に入れます。

その後景気が回復すれば元手は何倍に増えるので、何もしなくても巨額の利益を手にします。


経済危機の最中では「あわてず騒がず何もしない」のが最良の投資です。

http://www.thutmosev.com/archives/82567482.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/938.html#c2

[リバイバル3] チャンネル・デバイダ―は使ってはいけない 中川隆
3. 中川隆[-13189] koaQ7Jey 2020年3月30日 10:50:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1715]

Mr.トレイルのオーディオ回り道


マルチアンプ方式か?ネットワーク方式か? 2020年03月09日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2d65e08dd1e855d1b874814ddf097f53

JBL 3大ホーン(HL88・89・90)システム3セット共にマルチアンプ方式になりました。自宅システムは出来る限り簡便に使いたいと思って「ネットワーク方式」に拘って来ましたが、「7SPユニット駆動」では1台のアンプでドライブするには負担が大きすぎる・・・と結論しました。

「音質」を考えれば「マルチアンプ方式」ですね。但し、3ウェイだと3台のパワーアンプが必要になります。電源ケーブル・SPケーブル・ラインケーブルも増設しなければなりません。アンプやチャンデバを置くスペースも要ります。(ケーブル類のグレードを揃えなければなりません・・・結構な出費です)

3台のパワーアンプで駆動するメリットは、各アンプ当たりの再生帯域が少なくて済むので「音の密度」アップ(音数アップ)しやすい点ですね。当然アンプ自体の負荷も小さくなります・・・故障しにくくなる?

ネットワーク方式の良さは「使い勝手」だと思います。最小の機器数で構成できます。当然置き場所(スペース)も少なくて済みます。でも低域・中域・高域のバランスをそれぞれを細かく調整は出来ません。難しい処が有ります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2d65e08dd1e855d1b874814ddf097f53


マルチアンプ化して約2週間 サウンドが変わりだした 2020年03月12日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ac829031a3d2cb0db5be38a2efe1b89

自宅システムをマルチアンプ化したのは先月2月25日。それから毎日4〜5時間鳴らし続けて約2週間が経った。まだ左右のバランスが低域・中域・高域とバラバラである。特に低域の偏りが大きい。それでも「音の出方」が大きく変わって来た。オリンパスシステムと同じ様に「スピーカーの存在が消えて」来た。

自宅システムのサウンドは、オリンパスシステムより更に柔らかいサウンドで、威圧感が殆ど無い。ただまだ鳴らし込みの最中で「チャンデバの活性化度」は10%程度であろう。それでも3台のパワーアンプで鳴らす効果は十分に出て来た。

通常のステレオで有れば、ラインケーブルはプリアンプ以降なら1セットで済むが、3ウェイマルチアンプになると4セットになる。SPケーブルも3セットになる。(2セット追加)電源ケーブルも3セット追加になる。ケーブル類の増設とアンプの増設の相乗効果がマルチアンプになると出てくる。その分費用もかかる。

マルチアンプ化のメリットとデメリットを考えると、事「音質」についてはマルチアンプの方が絶対的に有利である。デメリットは費用とスペースとSW類やパラメーターの多さだろう。ただパラメーターはシンプルにセットできる。全く同じケーブルグレードで統一すると、Tr型だろうが管球式であろうが同じ傾向の「質感」に統一されてくる。主に電源ケーブルの影響が強いと認識している。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ac829031a3d2cb0db5be38a2efe1b89

自宅システムの「ふん詰まり」が少しヌケて来た 2020年03月26日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f9c4e3f468482d6c2b2c2cbb6b9e541d


2月25日にマルチアンプ化して約1ヶ月。3月24日も今までと同じ様にTV音声で鳴らし込みをやっていたら、突然「音量大」になって来た。「詰まって」いた所が一つヌケた様だ。左右のバランスが大きく改善されて来た。まだ少しRch寄りでは有るが・・・。低域・中域・高域のボリューム位置は全て フル(10レベル)から中間(5レベル)へ変更。

まだまだすべてがヌケた訳ではないので、音のバランスが団子になっている。これまでも毎日変化して来ていたが、これからもまだ当分は変化していくだろう。

今回の変化で大きく変わった所は「音数の増加」である。昨日とは雲泥の差がある。この様に大きな変化(活性化)がまだ来るだろう。特に高域はまだ顕著な変化を感じ取っていない。これから順次「ヌケて」来るだろう。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f9c4e3f468482d6c2b2c2cbb6b9e541d


サンスイSP-2005を3ウェイマルチアンプで鳴らし始めました 2020年03月29日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e19abb1af5c22b04f0ab1cca080792fc


昨日到着したサンスイSP-2005スピーカーとSONY TA-N86の慣らし運転中ですが、チャンデバのSONY TA-4300Fの音出し確認が出来ていませんので、さっそくマルチアンプにして見ました。

低域にM4、中域にTA-N86、高域にGE6550Sアンプを組み合わせました。最初接続を間違って、低域アンプに高域の信号を送り・・・・なんで低音が出ないのだろう???と戸惑いましたが、一度結線をすべて外してやり直しました。この時はショボイ一般のケーブルでしました。一応問題なく音は出てくるようになりました。

2時間ほどそのまま聴いていましたが、「マルチアンプ」にした効果を感じないサウンドで、聴くのが辛くなりました。仕方なくラインケーブルだけでも自作のケーブルに交換です。

プリからチャンデバIN、チャンデバLOWからM4間の2か所はNo1グレード、MIDとHIはNo3グレードのラインケーブルにしました。ようやくSPが鳴りだした様です。

SPケーブルは低域のみ自作のN04グレード、中・高域はベルデンのものです。低域で約70%のサウンドを出しますので、特に低域を重視したケーブル仕様にしました。これで馴染ませていきたいと思っています。(一応聴けるサウンドになった)

チャンデバはちょっと訳ありで、低域と高域のボリュームが効かない…と云う事でした。リアパネルのRCA端子の清掃をして使っていますが、特に問題なくコントロールできます。TA-4300Fも異常なく使えることが分かり一安心です。後は更に鳴らし込むだけです。

JBL#4425のウーハーは凄い能力を持っていた事を痛感しました。変えてみて初めて分かる性能の違い。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e19abb1af5c22b04f0ab1cca080792fc

マルチアンプ化したのは良いけれど・・・ 2020年03月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/00285337b72f0329e08ba911a9a71377


現在マルチアンプシステムを3セット作成している。1セット目の「オリンパスシステム」は既に組んでから8年ほど経過しているので非常に安定している。安心して使えるのは精神的に非常に大きい。

自宅システムは先月末(2月25日)にマルチアンプ化した。ようやく1ヶ月が経過した状態だが、チャンネルデバイダーの「ふん詰まり」で苦しんでいる。まだまともに音量設定や音のバランスが取れる状況にない。毎日変化している状況で落ち着かない。現在の不具合は、「低域」を絞ると「ノイズ」が出てくる。これはチャンデバの「LOW」ボリュームを触るとMAXとMINではノイズは出ないが、他の部分(2〜9レベル)ではノイズが出てくる。もう一つ、Rchの音量が低い。(低域のみ)・・・連日変化している状況なので「鳴らし込んで」安定させるしかない。

そして昨日マルチアンプ化したサブシステム。新規の機器がチャンデバ、中域用パワーアンプ、スピーカーの3種。この3台はまだ来たばかりで正常なのか分からない。特にチャンデバとスピーカーには切り替え接点が沢山あり、何処かが接触不良を起こしたり起こさなかったり(ルーズコンタクトモード)をしている様だ。昨日は正常にサウンドが出ていたが、今日はRchからの音が非常に小さく、いくらチャンデバのボリューム類を触っても改善しない。そこで「大音量」になる様にプリアンプのボリュームを一気に上げたら正常化して来た。

機器はシンプルな方が良いと思う。マルチアンプにすると、トラブルが出た時に「何処が?」と探すヶ所・原因系の調査範囲が大きくなる。たった1か所の接点の接触不良でもまともなサウンドにならない。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/00285337b72f0329e08ba911a9a71377
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1025.html#c3

[番外地7] 現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いから 中川隆
1. 中川隆[-13188] koaQ7Jey 2020年3月30日 11:28:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1716]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ
反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん

   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを

新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。

ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。

アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。

ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。

エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。

後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。

しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。

もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!

ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この

時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらい

いだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシ

アに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとる

でしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなこ

とは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに

反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改

革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西

側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業

は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼

るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハ

イパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92

年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5

%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持

つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者と

なった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど

無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政

権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、

国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/559.html#c1

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
3. 中川隆[-13187] koaQ7Jey 2020年3月30日 13:16:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1717]
「金融資本主義〜支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 1-2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c3
[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
4. 中川隆[-13186] koaQ7Jey 2020年3月30日 13:33:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1718]

「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c4

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
86. 中川隆[-13185] koaQ7Jey 2020年3月30日 14:01:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1719]
職員が逃げる秋篠宮家 “傘事件”でまたひとり…人手不足が慢性化
週刊新潮 2020年3月26日号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/03300801/?all=1


 秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんとのご結婚が「2年後に延期」と発表されたのは一昨年2月。だが“膠着状態”を打破する兆しはいまだ窺えない。それは取りも直さずご一家の混迷を物語っており、日々お支えする「皇嗣職」もまた、累卵の危うきにあるというのだ。
 
 ***

 全世界で猛威を振るうコロナウイルス禍は、むろん皇室にも影響を及ぼしている。宮内庁担当記者が言う。

「2月23日、令和になって初めての天皇誕生日では恒例の一般参賀が中止となりました。また、3月2日に佳子さまがお出ましになる予定だった婦人発明家協会の『なるほど展』も中止に。これ以外にも、皇居などで清掃を行う勤労奉仕団の受け入れを一定期間見合わせるなど、方々で影響が出ています」

 今月10日には東京・墨田区で、東京大空襲の戦没者と関東大震災の犠牲者を慰霊する法要が営まれた。例年、秋篠宮家の方々が参列され、今年もご夫妻が出席なさる予定だったのだが、こちらも規模縮小に伴いお出ましが見送られている。

「ご公務の取りやめもあり、ご自宅で過ごされる時間が増えた秋篠宮ご夫妻は、やはり勤務先の博物館が休館中の眞子さまと接せられる機会も多くなりました。が、まるで“懸案”解決のめどは立っていません」(同)

 その懸案とは、他ならぬ「小室問題」の帰趨である。一昨年2月の延期発表を受け、秋篠宮さまは昨年11月のお誕生日に際し、

〈2月で2年たつわけですね。(中略)何らかのことは発表する必要がある〉
 と述べられていた。

「注目の2月には結局、何も動きがありませんでした。“発表”は眞子さまと小室さんによる『お気持ち』が文書で綴られ、そこで“再延期”が示唆されるとみられます。現時点で眞子さまは、お気持ちをまとめる作業に取り掛かっておられず、実際の発表は4月19日に控える秋篠宮さまの『立皇嗣の礼』の後になるでしょう」(同)

 当の眞子さまは現在、もっぱら宮邸で過ごされているといい、秋篠宮家の事情を知る関係者は、

「依然として、得心のいかないご様子だと拝察いたします。何しろ、いったん上皇さまのご裁可を頂いた婚約が事実上、無期限延期を余儀なくされているのです。また、一時は手放しで賛成なさっていたご両親までが再考を促しておられるのだから“はしごを外された”といったご心境であられるのは想像に難くありません」

 ご一家は昨年2月10日、宮邸の増改築工事のため、約9億8千万円をかけて建てられた「御仮寓所(ごかぐうしょ)」へと引っ越された。現在、宮邸は工費約33億円をかけて改修中なのだが、

「お引っ越し当日、眞子さまは終始憮然とした面持ちでいらっしゃいました。そもそも一昨年11月に小室さんと結婚されていれば、御仮寓所に住まわれることはなかったはずで、それが延期となってご家族と同居される事態となった。急遽ご自身のお部屋が割り当てられ“なぜここに住まなければならないのか”といったご不満が窺えました」(同)

 現在、ご両親と向き合う時間が増えたものの、

「相変わらず“肝心のお話”は交わせない雰囲気で、重苦しさが漂っています」
 というのだ。

 平成の終盤、不測の“大難”に見舞われた秋篠宮家。それは令和の皇嗣家となられてもなお、変わらぬご心痛であり、実はお支えする皇嗣職もまた、大いに揺らいでいるという。

「昨年5月、およそ50人からなる皇嗣職が発足しましたが、ご一家特有の“事情”もあって職員、とりわけ屋台骨となる宮務官の出入りが激しく、宮内庁は人繰りに頭を痛めています」

 そう打ち明けるのは、さる宮内庁関係者である。

「新たな皇嗣家では、侍従職や旧東宮職のような『侍従』『女官』という呼び名をやめ、身の回りのお世話をする側近幹部はいずれも宮務官で統一されています。秋篠宮家では従来、両殿下やお子様方に関する仕事を、分け隔てなく職員が共有しており、その伝統が御代替わり後も継承されたわけです。これは言い換えれば、職務の垣根を越えてあらゆる作業が舞い込んでくるということでもあるのです」

 秋篠宮家といえば、宮内庁きっての「ご難場」とされ、その激務ぶりは広く知られるところである。

「ご家族が五方おられ、中でも皇位継承権を有する男性皇族がお二方おられるのだから、そのお世話は多岐にわたる。御代替わりとともに職員はおよそ2倍に増えたとはいえ、慢性の人手不足に悩まされている現状に変わりはありません」(同)

 加えて、紀子妃が職員にお求めになる仕事のレベルは高く、前出のご一家の事情を知る関係者が言うには、

「重責に耐えかねた職員が赴任早々、身体に失調をきたす、あるいは依願免職を申し出るケースがこれまでしばしば見受けられました」

発端は「ブータン旅行」

 宮務官の定員は本来10人のところ、

「直前で辞退者が出たこともあり、5月の発足時は定員以下の8人でスタートしています。その後も女性宮務官が体調を崩して休職したり、昨年暮れには都内の学校法人から出向していた別の女性宮務官が急に辞め、代わりに皇嗣職で事務の補佐を務めていた男性が充てられるなど、わずか半年ほどで顔ぶれは目まぐるしく入れ替わってきました」(同)

 その中には、こんな事例もあった。

「警察庁から出向していた30代の男性宮務官が、今年1月24日付で依願免職となっています。東大法学部出身の彼はキャリア官僚として嘱望され、昨年5月に送り込まれたのですが、夏を迎える頃、ブータン旅行の打ち合わせに際し、秋篠宮殿下のご不興を買ってしまったのです」(同)

 ご夫妻と悠仁さまは8月にブータンへ私的旅行をなさっているのだが、

「現地にはこの男性が随行する予定になっていました。ところが直前に殿下から『それには及ばない』と遠ざけられてしまい、実際に側近である宮務官は誰一人随行しませんでした。一方で、殿下と親しい人類学者が一行の“団長”として旅程を取りまとめるなど、前代未聞のご訪問となった。私的旅行とはいえ、例えば平成の時代の侍従職や旧東宮職において、侍従や女官が旅先に同行しないケースなどあり得なかったのです」(同)

 さらに、こう明かすのだ。

「10月22日、即位礼正殿の儀に先立ち、午前中に皇居内で『即位礼当日賢所大前の儀』が執り行われていました。雨の降る中、両陛下の拝礼が終わったのち、秋篠宮殿下をはじめ妃殿下や他の皇族方も続いて宮中三殿の賢所に入られたのですが、殿下はその際、差していた傘をたたまれ、脇に控えていたこの警察庁出身の宮務官らに、まるでボールを投げるかのように無造作にお渡しになったのです」

 虚を衝かれた宮務官らは傘を落としかけ、慌てて掴む場面が目撃されている。

「その間、殿下は一貫して険しい表情で、この男性と目を合わせようともなさりませんでした」(同)

 こうしたことで心労が祟ったのか、先述の通り彼は1月末、職を離れるに至った。まさに傷心の末の辞表提出だったのだ。そして、先の宮内庁関係者によれば、

「欠員を埋めるべく、すぐに同じ警察庁から男性が出向してきました。ですがキャリアの前任者とは異なり、後任は準キャリア(旧国家II種合格)の幹部。そもそも霞が関では、皇嗣職の仕事の厳しさはつとに知られており、どの省庁も手を挙げたがらない。事務職員などは現在、地方自治体から人をかき集めているのが現状です。警察庁は今回、有能なキャリアを失意のまま古巣へ戻されてしまった格好で、後任にキャリアを差し出さなかったのは“今後は考えさせてもらう”という通告であると、宮内庁内では受け止められています」

 警察庁に尋ねると、

「お尋ねの職員は本年1月から当庁暴力団対策課理事官として勤務しておりますが、個別人事異動の理由についてはお答えを差し控えさせて頂きます」(広報室)
 というのだが……。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c86

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
18. 中川隆[-13184] koaQ7Jey 2020年3月30日 14:41:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1720]
ピアノ曲だけ比較すると

バッハ、ヘンデル、ベートーヴェン>>ブラームス>>モーツァルト、シューべルト、ショパン、 シベリウス>>グリーグ>シューマン
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c18

[近代史3] 安倍首相は売国官僚と親中議員に支配された政治を変えようとした為に引き摺り降ろされようとしている 中川隆
13. 中川隆[-13183] koaQ7Jey 2020年3月30日 16:17:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1721]
ディープステートとかいう馬渕睦夫のアホ陰謀論

馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html

ディープステートとは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html

馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/558.html

チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html

日本の右翼のバイブル _ 偽ユダヤ人のモルデカイ・モーゼが書いた 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html

これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/191.html#c13

[近代史3] 安倍首相は売国官僚と親中議員に支配された政治を変えようとした為に引き摺り降ろされようとしている 中川隆
14. 中川隆[-13182] koaQ7Jey 2020年3月30日 16:22:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1722]

安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html

浜崎洋介 _ 安倍「器」論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html

チャンネル桜関係者や保守・右翼は何故 知恵遅れの安倍晋三にそんなに簡単に騙されるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/511.html

安倍首相が意図的にどんな質問にもまともに答えない、平然と嘘をつく理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/956.html

安倍政権下で自殺・不審死した人物
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/542.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/191.html#c14

[近代史4] 馬渕睦夫 : 安倍首相は売国官僚と親中議員に支配された政治を変えようとした為に引き摺り降ろされようとしている
馬渕睦夫 : 安倍首相は売国官僚と親中議員に支配された政治を変えようとした為に引き摺り降ろされようとしている

安倍首相は売国官僚と親中議員に支配された政治を変えようとした為に引き摺り降ろされようとしている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/191.html


安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html

浜崎洋介 _ 安倍「器」論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html

チャンネル桜関係者や保守・右翼は何故 知恵遅れの安倍晋三にそんなに簡単に騙されるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/511.html

安倍首相が意図的にどんな質問にもまともに答えない、平然と嘘をつく理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/956.html

安倍政権下で自殺・不審死した人物
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/542.html



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/710.html

[番外地7] スターリンは唯の独裁者で女狂い 中川隆
1. 中川隆[-13181] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:26:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1723]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ。スターリンはやった事も考え方もヒトラーに非常に近い。
反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。ユダヤ人だけでなく1917年革命に加わった共産主義者も全員粛清した。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん

   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを

新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。

ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。

アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。

ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。

エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。

後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。

しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。

もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!

ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/565.html#c1

[番外地7] 現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いから 中川隆
2. 中川隆[-13180] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:27:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1724]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ。スターリンはやった事も考え方もヒトラーに非常に近い。
反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。ユダヤ人だけでなく1917年革命に加わった共産主義者も全員粛清した。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん

   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを

新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。

ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。

アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。

ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。

エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。

後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。

しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。

もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!

ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/559.html#c2

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
12. 中川隆[-13179] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:48:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1725]

♯70.フランスの好み

スタインウェイのいかにもスケールの大きな華麗な音色は、フランス人ピアニストの好むデリケートなニュアンスには若干齟齬を生んでいた。

 楽器そのものが強靱かつブリリアントで、すでにスタインウェイという色の付いたピアノであること、またこのピアノの持ついかにも英雄的な性格が、彼らの軽妙で陰翳を必要とする感性にはやや合わない。

 さらにフランス人は、ピアノに対するイメージを、今日的なコンサートの基準であるホールよりも、ショパンの時代に見られるようなサロン的な規模のこまやかさのある楽器と捉えて、よりコンパクトでデリカシーに溢れた楽器であることを求めている。

かつて、ミシェル・ベロフやジャン=フィリップ・コラールが彗星のごとく世に出てきた70年代の録音などは、ピアノはスタインウェイだったが、その音はかなり通常のスタインウェイとは違うものだった。いかにもフランスピアノ的華やかさに溢れたもので、スタインウェイの持つ音の太さや荘重さを犠牲にしてでも、線は細いけれども贅肉をそぎ落としたようなシャープかつ華やかなピアノだった。とうてい他の国では受け容れられないピアノだったと思う。

 その他にもジャン・ドワイヤン、セシル・ウーセ、フランソワ=ルネ・デュシャーブルなどは一時期ベーゼンドルファーを使っていたが、ドワイヤン以外はこのウィーンの強いイントネーションに最終的に馴染めなかったのか、その後はスタインウェイを弾いたようだ。

ベーゼンドルファーはもちろん素晴らしいピアノだが、ウィーン特有なある種の個性──野暮ったいことを逆手にとって崇高な美にまで高めたような──は、おそらくフランス的センスの前では、民族学的にも相容れないもののほうが大きいはずだ。

かつてのプレイエルのようにフランス人そのものから出てきたような個性ならば相性も抜群だろうが、そうではない場合は、却って特徴的な音色がないほうがいいことは、エラールのようなピアノが昔からプレイエルの陰でしっかりと同時並行的に支持されてきたフランスの土壌ならではと言えるかもしれない。

 現代のプレイエルはついにコンサートグランドをカタログに載せるに至り、その音色はたいそう柔らかなものではあったが、まだまだ完成の域には達しているとは言い難い印象だった。フランス人にはどんな評価を下しているのか聞いてみたいところである。

 ちなみに、プレイエルのコンサートグランドP280はバイロイトの老舗、シュタイングレーバーによって委託生産されているということを耳にしたので、日本のシュタイングレーバー輸入元であるS氏にその旨を聞いてみたところ、現在のプレイエルにはまだコンサートグランドを製造する力がないので、おそらくそういうことだろうという回答が返ってきた。

 それが事実だとするなら、やはりピアノは民族性が色濃く出てこその楽器なので、わけてもコンサートグランドともなればぜひとも自前で作って欲しいものだし、それができないのなら、他国の工房に委託してまで作る必要があるのかと思われる。ドイツで作られたプレイエルという構図は昔も一度あったことだが(シンメル)、それでは一体何のためのプレイエルかとも思うし、だいいちこれではドイツピアノなのかフランスピアノなのかも甚だわかりにくいものとなる。

 シュタイングレーバーはドイツピアノらしい規律と実直さの中に、柔らに薫るような肉感的な響きを併せ持ち、あたかもドイツの威厳と優雅と官能が共存しているといった印象があるが、あのプレイエルP280の柔らかな要素はシュタイングレーバーの潜在力を活かしつつ、フランス的に味付けを変えて出来上がったものというわけか。

 ただし、いまだ発展途上というべきで、フランス人ピアニストたちが歓迎しているようにもあまり感じない。


 名匠イーヴ・ナットはエラールとスタインウェイを引き分けていたようであるし、コルトーは大半をプレイエル、晩年にスタインウェイ、フランソワは多くをスタインウェイで弾いていたように思う。

 これほどフランス人ピアニストがスタインウェイを使いつつもそこに安住せず、さまざまなピアノの音色に試行錯誤してきたのは、自国のピアノが大戦を境に弱体化してしまい、同じDNAを持つピアノを失ってしまったためかもしれない。
http://www.piano-pia.com/mrn70.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c12

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
14. 中川隆[-13178] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:59:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1727]

久元 祐子 (ひさもと ゆうこ) Pianist

Erard (1868)
1868年制作 (パリ) 製造番号39608
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/erard.htm

1868年製作のこのエラール・ピアノをよく弾いています。

パリのエラール社は、フランスを代表する歴史あるピアノ名門会社で、19世紀末から20世紀初めにかけて、世界的な評判をとり、コンサートホールや各国の王宮にエラール・ピアノが備えられました。

リストはこのピアノを愛し、よく弾きました。制作年代から見て、リスト自身がこのピアノを弾いた可能性も捨てきれません。

典雅な雰囲気と高貴な音色が、19世紀の香りを今に伝えてくれています。

エラール社の創立者は、セバスティアン・エラール(1752−1831)です。

ストラスブールに生まれ、パリに出て、チェンバロの制作を始め、弟とともに、会社を設立しますが、フランス革命が勃発すると、ロンドンに逃れ、ピアノ製作技術を学びました。

フランス革命が終わり、フランスが落ち着きを取り戻すと、パリに戻り、エラール社を再興します。セバスティアン・エラールがこの頃制作に熱中したのがハープでしたが、甥のピエール・エラール(1796?−1855)とともに、ピアノの制作に精力を注ぐようになり、1821年にダブル・エスケープメン・アクションを完成させます。このメカニズム上の改良により、連打が楽にできるようになり、ピアノ演奏法、ひいては、ピアノ作品の可能性を大きく広げることになりました。

1830年にパリで7月革命が起こり、翌年にセバスティアンは亡くなります。後を継いだピエール・エラールは、エラール・ピアノの生産に取り組みました。

エラール・ピアノを愛用したのが、フランツ・リストです。リストは早くも、1824年の6月29日のロンドン王立劇場でのコンサートで、エラールが開発した「ダブル・エスケープメント」機能を備えた新しいグランド・ピアノを弾いて大成功を収めました。

エラールのピアノはリストの演奏と作曲の可能性を広げるにあたって大きな役割を果たし、リストが長く愛用する楽器のひとつとなります。


このエラールを弾いた感じは、走りが軽快な車を運転している気分です。免許を持たない私が言うのも変なのですが、面白いようにスピードが出て、ちょっとしたアクセルの踏み具合ですぐに反応してくれるしなやかな感性を持ち、音色は華やかで宝石のような輝かしさを持っています。

プレイエルのようなくぐもった香りとは対称的です。

リストはプレイエルを弾かなかったそうですが、エラールで華麗な演奏をしたリストの姿は想像に難くありません。

ダンパーは弦の上にあるのではなく弦の下にあります。ですから、ダンパーペダルを踏んだとき、ダンパーが上がるのではなく、下に降りるという構造です。

最初に弾いたときは、ギョッとしたのですが、考えてみるとペダルを踏む(下げる)という方向性がダンパーが降りる(下がる)という方向性に合致していて、慣れてくると足に直結したペダルのように感じてきます。

プレイエルとエラール。私は体調に関係なく?!どちらも曲によって使い分けながら弾いています。
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/erard.htm


Pleyel (1828)
1843年制作 (パリ) 製造番号10717
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/pleyel.htm


ショパンが愛用した楽器として有名なプレイエル社のピアノで、ショパンが生きていた時代に制作された貴重な楽器です。

ショパンがこの楽器を弾いたかもしれません。

ショパンの生家(ワルシャワ)に1848年製の同型ピアノが、またフランス国立パリ高等学院の楽器博物館に1839年製の同型ピアノが 展示保存されています。

数年前、調律師協会主催コンサートで、プレイエル、エラール、ベーゼンドルファーと、3台のピアノを弾かせていただきました。そのときのパンフレットに記されていたショパンの言葉は、

「私は気分が優れないときはエラールを弾き、気分のいいときはプレイエルを弾く」

でした。

プレイエルは、音を出すのにエネルギーが必要で、エラールは、すぐに良い音が出る、タッチがたやすくて体調が悪いときは、エラールのほうが演奏が楽。

つまり、気分が優れインスピレーションの表出、自らの内なる声を音にしたいときには、プレイエルが最も自分の分身としてふさわしい、ということだったのではないか、と想像しています。

ショパンと友情で結ばれていたカミーユ・プレイエルは、プレイエル2代目です。 ショパンが祖国のポーランドを離れ、ウイーンを経由して1832年にパリにきたとき、この天才を見出して、世の中に紹介したのはカミーユでした。ショパンがパリで行なう公式のコンサートは全て、プレイエルサロンで行われています。ジョルジュ・サンドとマジョルカ島に出帆するときにもこのピアノの手配を忘れていません。


アクションを手前に引きますとドノゴエのサインがあり、胸がときめきました。
NHKのある番組では、ドノゴエを「ショパンの専属調律師」と言い切っていましたが、ドノゴエは、当時のプレイエル社のアクション部門の主任技術者でした。ドノゴエがアクションを担当し、その際、OKがでた楽器のみに、焼き印がつけられたとされています。

プレイエルには、時折出会いますが、このドノゴエのサインが入っているものは数が少なく、ショパン時代のオリジナルアクションであり、当時の響きを再現しているという証でもあります。

(写真)

この楽器は、頭の後ろから柔らかく発声しているようなフランス語の響きにも似た、独特の魅力を持っています。タッチは、しっとりしていて、エラールのように軽やかに動くことができるタッチとは違っていて、コントロールしずらい楽器です。

「気分の優れないときはエラールを選ぶ」

と言ったと言われるショパンの気持ちがわかるような気がします。

また、プレイエルの大きな特徴として「第2響板」の存在があります。とりはずして弾くことも可能なのですが、やはりこの響板をつけて弾いたほうが、中で蠢くような情念、底鳴りするような一種独特の魅力を醸し出してくれます。

人によって好みが分かれるかもしれませんが、長年弾いてきて、私は、この第2響板をつけて弾く方がプレイエルの良さがでるような気がしています。

革命のエチュードを弾くと、最後の左手バスの音は、この楽器の最低音になります。楽器の限界ギリギリまで使って自分の心情を表現しようとしたのだと思われます。

この楽器は大きな音が出ませんが、この楽器でフォルテッシモを弾くと、かえって悲痛な思いが楽器の中でうずまくような感じがします。現代のスポーツカー並みの性能を持ったフルコンサートピアノで、余裕のフォルテッシモを出すと力強さは出るのですが、なかなか悲痛な思いが伝わりません。その点、プレイエルは、楽器自身が語ってくれるように思います。

ペダル記号をはじめ、ショパンが楽譜に書き込んだ指示記号は、このプレイエルを使って書いたものです。ですから現代のピアノで演奏するときは、少し現代用語に翻訳するような感覚でコントロールしたり、音の濁りが起きないように細心の注意を払ったりしなくてはなりません。

その点、プレイエルでショパンの指示を守って弾くと、ショパンが考えていた響き、そしてアーティキュレーション、ディナーミクを感じることができます。

右手で弾く高音部の黒鍵は、少し角が丸くなっています。ショパンが好んだ独特の指使い、黒鍵から白鍵に指を滑らせるようなレガート奏法です。

そのようにしてこのピアノは、ショパン自身、ショパンの女弟子、同時代のピアニストたちの手によって弾かれているうちに、少しずつ角が丸くなっていったのかもしれません。

プレイエルは、同音反復のしずらさ、スピードや音量の面で、エラールにははるかに及びませんでした。そうしたことから、ヨーロッパを席巻し、各地の宮殿やサロンに広まっていったのは、エラールでした。

プレイエルは、個々の楽器が手づくりの試作品のようです。一台、一台、微妙にタッチも音色もサイズ、高さも異なります。

注文を受け、芸術家とつくり手の間に濃厚なコミュニケーションが存在していた当時のピアノ界のありようにも思いを馳せることができる楽器です。
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/pleyel.htm

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c14

[番外地7] スターリンは唯の独裁者で女狂い 中川隆
2. 中川隆[-13177] koaQ7Jey 2020年3月30日 19:47:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1728]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ。スターリンはやった事も考え方もヒトラーに非常に近い。(スターリンはマルクス主義者ではなくヒトラー的な国家社会主義者)
スターリンは反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。ユダヤ人だけでなく1917年革命に加わった共産主義者も全員粛清した。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん


   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを


新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。


ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。


アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。


ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。


エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。


後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。


しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。


もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!


ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。


 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。


 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。


 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。


 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/565.html#c2

[番外地7] 現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いから 中川隆
3. 中川隆[-13176] koaQ7Jey 2020年3月30日 19:48:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1729]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ。スターリンはやった事も考え方もヒトラーに非常に近い。(スターリンはマルクス主義者ではなくヒトラー的な国家社会主義者)
スターリンは反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。ユダヤ人だけでなく1917年革命に加わった共産主義者も全員粛清した。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん


   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを


新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。


ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。


アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。


ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。


エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。


後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。


しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。


もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!


ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。


 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。


 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。


 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。


 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/559.html#c3

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
144. 中川隆[-13175] koaQ7Jey 2020年3月30日 20:06:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1731]
チャート分析はこういう風にやるもの

2020 年 3 月 30 日 エリオット波動マーケット分析 宮田 直彦

日経平均は 2008 年以来の上昇第(1)波を 2018 年 10 月高値・24448 円で終え、その後の調整は第(2)波に相当するとみられる。

日経平均の第(2)波下値メドは、

15721 円(2008 年から 2020 年までの上昇に対する 50%押し)、14864 円(16/6/24 安値、

第(1)波のレッサーディグリー4 波ボトム)


日経平均の 3 月 19 日安値(16358 円)はレッサーディグリー4 波安値にはまだ距離があるが、TOPIX は第(1)波 のレッサー・ディグリー4 波ボトム(1192)付近まで下げており(3/17 安値は 1199)、底打ちの条件を満たしている。

今後も不安定な動きは続くだろうが、第(2)波底打ちの可能性は高まっている。

第(2)波完了後には、第(3)波の上昇トレンドが始まる。

第(3)波の上昇幅は小さくとも第(1)波と同等になるだろ う。値幅なら 17500 円程度、上昇率なら 250%、これらが第(3)波のスケール感となる。つまり、今年 2 月高 値は優に上回ることだろう。

これまでも世界的なカネ余りといわれていたのに、今回さらに各国中央銀行から大規模な流動性が供給され、 今後もされようとしているわけである。新型ウィルス問題の終息後には空前の過剰流動性相場が起きると想 定されるが、それは日本株の第(3)波の大強気相場にまさにふさわしい環境を提供することだろう。

(歴史的な安値圏から立ち上がる日本株、

当面は日経平均 2 万円回復を目指す)

日経平均の PBR は 3 月 16 日に 0.82 倍、TOPIX の PBR は 0.89 倍に、各々低下した。

日経平均の過去最小 PBR は 0.81 倍である。これはリーマンショック後の 2009 年 3 月 10 日と 11 日に記録したもので、当時の日経平均は 7000 円処であった。

空売り比率は過去最大の 52.1%へ跳ね上がり(3/6)、TOPIX 騰落レシオは過去最低の 40.11%へ急落した(3/16)。

日本株は「歴史的な安値圏」から立ち上がり始めた。3 月 25 日、日経平均は一時 19564 円まで上昇し、1 月 からの下げに対する 38.2%戻り(19321 円)を終値で上回った。

さらに、この日は日経平均がギャップを開けて上昇し、6 営業日分の日足群(3/13~24)が離島となる底入れパターン「アイランド・リバーサル」が形成された。



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c144

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
145. 中川隆[-13174] koaQ7Jey 2020年3月30日 20:09:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1732]

チャート分析はこういう風にやるもの 2

2020 年 3 月 30 日 エリオット波動マーケット分析 宮田 直彦

【ダウ工業株平均・S&P500】2020 年 3 月 30 日

(現在第(4)波の調整局面とみる)

長期的な米国株高は進行中であると判断される。S$P500 とダウ平均は、18 年からの上昇の内部構造が 3 波構 成となっている。3 波構成で終わる強気相場は存在しない。

ではなぜこれほど下げているのか。ダウ平均は足元で 2018 年 12 月安値をも下回っている。
筆者の見方はこうだ。

ダウ平均は 2018 年高値からの第(4)波が「拡大フラット(A-B-C)」であり(18 年から今年 までの上昇は B 波。だから 3 波構成)、足元は(4)-C 波の下落に位置づけられる。

S&P500 は 2018 年 12 月安値を下回ったが、他方でナスダック、SOX 指数などは、2018 年 12 月安値を維持し ている。引き続き、強気ダイヴァージェンス形成の可能性がある。それは全体底打ち接近を暗示するパターンだ。

この見方によれば、現行の下落終了後に第(5)波の上昇トレンド入りとなろう。それは最高値を大きく上回る ことになろう。


(ブラックマンデーとの類似)

今回の暴落はリーマンショック級(あるいはそれ以上)とされるが、これまでのところ、パターン的にはブラッ クマンデー(1987 年)前後の動きに酷似している。

1987 年、史上最高値(当時)からブラックマンデー安値までは 9 週間(両端入れ)で 35.9%下落した。

今回、S&P500 は史上最高値から直近安値(いずれもザラバベース)まで 6 週間で 35.4%下落した。

また両者に共通する点として、高値を付けるまでの 1 年、S&P500 が大きく上昇していたことを指摘できる。

ブラックマンデー当時を参考にすると、S&P500 は今後 1~2 ヵ月先(4 月下旬〜5 月)に二番底を付けることに なる。VIX 指数は依然高止まりしており (65.54 、 3/27) 、投資家の警戒モードは続いている 。S&P500 が短期リ バウンド後に再び下値を試す、という可能性はまだありそうだ。

S&P500 がブラックマンデー前の高値を上回ったのは、1987 年 10 月底から 1 年 9 カ月後の 1989 年 7 月だっ た。今回も同様なら、S&P500 は 2021 年後半から 2021 年前半に高値を更新するとみることができる。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c145

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
304. 中川隆[-13173] koaQ7Jey 2020年3月30日 20:10:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1733]

2020 年 3 月 30 日 エリオット波動マーケット分析 宮田 直彦

【ダウ工業株平均・S&P500】2020 年 3 月 30 日

(現在第(4)波の調整局面とみる)

長期的な米国株高は進行中であると判断される。S$P500 とダウ平均は、18 年からの上昇の内部構造が 3 波構 成となっている。3 波構成で終わる強気相場は存在しない。

ではなぜこれほど下げているのか。ダウ平均は足元で 2018 年 12 月安値をも下回っている。
筆者の見方はこうだ。

ダウ平均は 2018 年高値からの第(4)波が「拡大フラット(A-B-C)」であり(18 年から今年 までの上昇は B 波。だから 3 波構成)、足元は(4)-C 波の下落に位置づけられる。

S&P500 は 2018 年 12 月安値を下回ったが、他方でナスダック、SOX 指数などは、2018 年 12 月安値を維持し ている。引き続き、強気ダイヴァージェンス形成の可能性がある。それは全体底打ち接近を暗示するパターンだ。

この見方によれば、現行の下落終了後に第(5)波の上昇トレンド入りとなろう。それは最高値を大きく上回る ことになろう。


(ブラックマンデーとの類似)

今回の暴落はリーマンショック級(あるいはそれ以上)とされるが、これまでのところ、パターン的にはブラッ クマンデー(1987 年)前後の動きに酷似している。

1987 年、史上最高値(当時)からブラックマンデー安値までは 9 週間(両端入れ)で 35.9%下落した。

今回、S&P500 は史上最高値から直近安値(いずれもザラバベース)まで 6 週間で 35.4%下落した。

また両者に共通する点として、高値を付けるまでの 1 年、S&P500 が大きく上昇していたことを指摘できる。

ブラックマンデー当時を参考にすると、S&P500 は今後 1~2 ヵ月先(4 月下旬〜5 月)に二番底を付けることに なる。VIX 指数は依然高止まりしており (65.54 、 3/27) 、投資家の警戒モードは続いている 。S&P500 が短期リ バウンド後に再び下値を試す、という可能性はまだありそうだ。

S&P500 がブラックマンデー前の高値を上回ったのは、1987 年 10 月底から 1 年 9 カ月後の 1989 年 7 月だっ た。今回も同様なら、S&P500 は 2021 年後半から 2021 年前半に高値を更新するとみることができる。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c304

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
5. 中川隆[-13172] koaQ7Jey 2020年3月31日 09:22:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1734]

ヘリコプターマネーはインフレをもたらすか2020年3月31日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767

新型コロナウィルスの世界的流行によって各国政府は経済対策を考えているが、その中には国民に直接現金を配るいわゆるヘリコプターマネーが含まれている。米国では既に法案が議会を通りトランプ大統領によって署名され、1人あたり1,200ドル(所得制限あり)が配られることが決定している。

経済政策とデフレ

投資家として考えなければならないのはその経済的影響である。これまでどんな経済政策も先進国をデフレから脱却させることはできなかった。以下はアメリカの物価成長率である。

しかしその間中央銀行は紙幣を印刷し続けている。中央銀行が作り出した貨幣の合計、つまりマネタリーベースのチャートは次のようになっている。

マネタリーベースは1980年から25倍程度になっているが、中央銀行が作り出した貨幣の総量はそのまま銀行口座に入っているお金の総量ではない。市中の銀行もまた預金者の口座に入っているお金を別の人に貸すことによって同じお金を複数の人の口座に入れ、口座残高の合計を増やすことができるからである。

銀行の増やしたお金も含めた世の中にあるお金の総量をマネーストック(マネーサプライ)と呼ぶが、このマネーストックの伸びは次のようになっている。

こちらが口座残高の実態に近い数字であり、1980年から10倍程度というところである。

つまり、マネタリーベースを増やしてもマネーストックはそれほど増えていないということになる。中央銀行が刷ったお金が現金として銀行口座の中に入っていないということである。

では何処に行ったのかと言えば、それは株式市場や不動産市場、債券市場などに行ったのである。消費に使うための銀行口座にそのお金はなく、お金があっても使わないので投資に回されているということである。これがこれまで金融緩和がインフレをもたらさなかった理由である。

何故消費に回らないのか

世の中の多くの人々はこの現象に首を傾げるかもしれない。中央銀行がお金を刷ってくれているのに誰もお金を使わないのはどういうことか。中央銀行が好き勝手に紙幣を印刷してもハイパーインフレにならなかった理由がそこにある。それは貧富の差である。

政治家と中央銀行家は経済活性化のためと言いながら、実際には所得の移転装置に過ぎない量的緩和を長年行なってきた。中央銀行による資産買い入れは資産を持っていない人から持っている人に所得を移転する政策である。紙幣印刷はそれ自体では実体経済に影響を及ぼさず、単にその影響を受ける人の口座残高を増やすだけの政策なのだから、それは単に所得を移転する装置に過ぎないのである。

大変奇妙なのは、そういう政策が資産をほとんど持っていない人々に支持されたことである。それはさておき、それがハイパーインフレに繋がらなかったのは、ドラッケンミラー氏が指摘する理由を除けば資産を持っている層が資産を使わない人々だからである。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

富裕層の消費性向

富裕層は基本的にお金を使わない。金額で言えば中間層より大きい消費をしているかもしれないが、それでも彼らの資産総額のごく一部を使っているに過ぎない。そのほとんどは投資に回されており、消費には回されていないのである。

たまには絵画やヴァイオリンなどを買うかもしれないが、それも消費されるものではない。資産が別の資産に入れ替わるだけのことである。ところで彼らは何故ヴァイオリンを買うのだろう。わたしの知っているヴァイオリン保有者のほとんどはヴァイオリンを弾けない人々である。

ともかく彼らのお金のほとんどは投資に回され、消費に使われることがない。彼らは自分でも何故自分が口座残高を増やし続けているのかが分からないのだが、たまに絵画などを買ってみてもその不思議な問題に片がつくことはない。それはともかく、結果として中央銀行の印刷し続けた紙幣はインフレにそれほど影響を与えてこなかった。それは証券口座内の数字としてだけ立派に存在し、お金を儲ける能力はそこそこあった人々の自尊心をくすぐる程度の役にしか立っていなかったのである。

ヘリコプターマネーと物価上昇

しかしマネタリーベースの上昇がインフレの上昇に繋がらなかった理由がこうした貧富の差によるものであるならば、ヘリコプターマネーは別の話ということになる。何故ならば、それは貧困層や中間層に直接現金を渡すからである。

彼らは少なくとも富裕層よりはお金を消費に回しやすい人々である。そうなればいよいよ紙幣印刷はインフレをもたらすのだろうか? ガンドラック氏によれば、そうはならないということになる。

•ガンドラック氏、新型コロナでの企業救済とヘリコプターマネーを痛烈批判


理論上、借金漬けの消費者にヘリコプターマネーを行なっても借金返済に使うだけだ。

しかしこれはアメリカの話である。アメリカ人はクレジットカードの仕組みを理解するだけの頭がないので、彼らはクレジットカードの支払い額を全額支払える場合にも一部だけを支払って残りを来月に残してしまう。経済学的には意味が分からないが、筆者はこういうアメリカ人に多数出会ったことがある。金利の利払いが馬鹿にならないということが分からないのである。

ともかく、こうしてアメリカではクレジットカードの支払いというローンを抱えている人が多いのである。

では日本ではどうだろうか? 日本人はアメリカ人ほど借金をしていない。彼らは消費に使うだろうか? 貯蓄に回すかもしれない。しかしそれはヘリコプターマネーが1回きりであればの話である。

かつては非伝統的手段と呼ばれていた量的緩和もついに無制限ということになったように、ヘリコプターマネーも今後10年で無制限にならないとは言い切れないのである。

•米国、量的緩和の無制限化を発表も米国株は下落

正気の沙汰とは思えないが、正気の沙汰ではないからこそあらゆるシナリオを分け隔てなく検討してゆく必要がある。

今回の新型コロナウィルスによるヘリコプターマネーはその前哨戦として経済学的に興味深い実験となるだろう。インフレになるだろうか、デフレになるだろうか? 特に閉鎖措置の影響で工場が閉まるなど供給側に制限がかかっている状態で需要を無理矢理喚起するということを念頭に置かなければならない。それでもデフレになるのだろうか?

どちらに転んでも儲ける方法のある投資家だからこそ余裕でいられるが、ほとんどの国民にとっては自分の人生をサイコロにされているようなものなのだが、量的緩和でも気にしなかった人々がそれを気にすることはないのだろう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c5

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
255. 中川隆[-13171] koaQ7Jey 2020年3月31日 09:23:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1735]

ヘリコプターマネーはインフレをもたらすか2020年3月31日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767

新型コロナウィルスの世界的流行によって各国政府は経済対策を考えているが、その中には国民に直接現金を配るいわゆるヘリコプターマネーが含まれている。米国では既に法案が議会を通りトランプ大統領によって署名され、1人あたり1,200ドル(所得制限あり)が配られることが決定している。

経済政策とデフレ

投資家として考えなければならないのはその経済的影響である。これまでどんな経済政策も先進国をデフレから脱却させることはできなかった。以下はアメリカの物価成長率である。

しかしその間中央銀行は紙幣を印刷し続けている。中央銀行が作り出した貨幣の合計、つまりマネタリーベースのチャートは次のようになっている。

マネタリーベースは1980年から25倍程度になっているが、中央銀行が作り出した貨幣の総量はそのまま銀行口座に入っているお金の総量ではない。市中の銀行もまた預金者の口座に入っているお金を別の人に貸すことによって同じお金を複数の人の口座に入れ、口座残高の合計を増やすことができるからである。

銀行の増やしたお金も含めた世の中にあるお金の総量をマネーストック(マネーサプライ)と呼ぶが、このマネーストックの伸びは次のようになっている。

こちらが口座残高の実態に近い数字であり、1980年から10倍程度というところである。

つまり、マネタリーベースを増やしてもマネーストックはそれほど増えていないということになる。中央銀行が刷ったお金が現金として銀行口座の中に入っていないということである。

では何処に行ったのかと言えば、それは株式市場や不動産市場、債券市場などに行ったのである。消費に使うための銀行口座にそのお金はなく、お金があっても使わないので投資に回されているということである。これがこれまで金融緩和がインフレをもたらさなかった理由である。

何故消費に回らないのか

世の中の多くの人々はこの現象に首を傾げるかもしれない。中央銀行がお金を刷ってくれているのに誰もお金を使わないのはどういうことか。中央銀行が好き勝手に紙幣を印刷してもハイパーインフレにならなかった理由がそこにある。それは貧富の差である。

政治家と中央銀行家は経済活性化のためと言いながら、実際には所得の移転装置に過ぎない量的緩和を長年行なってきた。中央銀行による資産買い入れは資産を持っていない人から持っている人に所得を移転する政策である。紙幣印刷はそれ自体では実体経済に影響を及ぼさず、単にその影響を受ける人の口座残高を増やすだけの政策なのだから、それは単に所得を移転する装置に過ぎないのである。

大変奇妙なのは、そういう政策が資産をほとんど持っていない人々に支持されたことである。それはさておき、それがハイパーインフレに繋がらなかったのは、ドラッケンミラー氏が指摘する理由を除けば資産を持っている層が資産を使わない人々だからである。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

富裕層の消費性向

富裕層は基本的にお金を使わない。金額で言えば中間層より大きい消費をしているかもしれないが、それでも彼らの資産総額のごく一部を使っているに過ぎない。そのほとんどは投資に回されており、消費には回されていないのである。

たまには絵画やヴァイオリンなどを買うかもしれないが、それも消費されるものではない。資産が別の資産に入れ替わるだけのことである。ところで彼らは何故ヴァイオリンを買うのだろう。わたしの知っているヴァイオリン保有者のほとんどはヴァイオリンを弾けない人々である。

ともかく彼らのお金のほとんどは投資に回され、消費に使われることがない。彼らは自分でも何故自分が口座残高を増やし続けているのかが分からないのだが、たまに絵画などを買ってみてもその不思議な問題に片がつくことはない。それはともかく、結果として中央銀行の印刷し続けた紙幣はインフレにそれほど影響を与えてこなかった。それは証券口座内の数字としてだけ立派に存在し、お金を儲ける能力はそこそこあった人々の自尊心をくすぐる程度の役にしか立っていなかったのである。

ヘリコプターマネーと物価上昇

しかしマネタリーベースの上昇がインフレの上昇に繋がらなかった理由がこうした貧富の差によるものであるならば、ヘリコプターマネーは別の話ということになる。何故ならば、それは貧困層や中間層に直接現金を渡すからである。

彼らは少なくとも富裕層よりはお金を消費に回しやすい人々である。そうなればいよいよ紙幣印刷はインフレをもたらすのだろうか? ガンドラック氏によれば、そうはならないということになる。

•ガンドラック氏、新型コロナでの企業救済とヘリコプターマネーを痛烈批判


理論上、借金漬けの消費者にヘリコプターマネーを行なっても借金返済に使うだけだ。

しかしこれはアメリカの話である。アメリカ人はクレジットカードの仕組みを理解するだけの頭がないので、彼らはクレジットカードの支払い額を全額支払える場合にも一部だけを支払って残りを来月に残してしまう。経済学的には意味が分からないが、筆者はこういうアメリカ人に多数出会ったことがある。金利の利払いが馬鹿にならないということが分からないのである。

ともかく、こうしてアメリカではクレジットカードの支払いというローンを抱えている人が多いのである。

では日本ではどうだろうか? 日本人はアメリカ人ほど借金をしていない。彼らは消費に使うだろうか? 貯蓄に回すかもしれない。しかしそれはヘリコプターマネーが1回きりであればの話である。

かつては非伝統的手段と呼ばれていた量的緩和もついに無制限ということになったように、ヘリコプターマネーも今後10年で無制限にならないとは言い切れないのである。

•米国、量的緩和の無制限化を発表も米国株は下落

正気の沙汰とは思えないが、正気の沙汰ではないからこそあらゆるシナリオを分け隔てなく検討してゆく必要がある。

今回の新型コロナウィルスによるヘリコプターマネーはその前哨戦として経済学的に興味深い実験となるだろう。インフレになるだろうか、デフレになるだろうか? 特に閉鎖措置の影響で工場が閉まるなど供給側に制限がかかっている状態で需要を無理矢理喚起するということを念頭に置かなければならない。それでもデフレになるのだろうか?

どちらに転んでも儲ける方法のある投資家だからこそ余裕でいられるが、ほとんどの国民にとっては自分の人生をサイコロにされているようなものなのだが、量的緩和でも気にしなかった人々がそれを気にすることはないのだろう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c255

[近代史3] アメリカの医療費は何故常識では考えられない程高額なのか? 中川隆
9. 中川隆[-13170] koaQ7Jey 2020年3月31日 09:59:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1736]
米コロナ拡大の裏で取り残される医療弱者
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/19175


無保険者は2750万人

 感染者がついに10万人を超え、全米で20以上の州が外出禁止措置を取るなど、まさに国を挙げてのパニック状態に陥っている米国。特に被害が甚大なニューヨーク州では医療崩壊が始まりつつある。しかし、それでも病院で治療を受けられる人々は幸せで、国民の中には高い医療費を恐れて症状があるにもかかわらず自宅に籠もる人々が一定数いると推定されている。

 米国で医療保険を持たない人の数は2750万人。さらに不法移民が数百万人単位で存在する。これらの人々は、米国の医療制度から弾き出された存在だ。実際に筆者の身近にもガンを発病したが治療費が支払えず、治療をやめて亡くなった人もおり、こうした医療弱者の存在はかねてから米国が抱える大きな問題の一つだった。
 
しかもコロナウィルスの拡大による企業の雇い止めなどで職を失い、雇用主を通しての健康保険を失った人々もいる。カリフォルニア州だけで3月末現在失業保険の申請数は300万を超えているのだ。

 もちろん、病状があるにもかかわらずカウントされない人々が増えれば、そこから新たなクラスターが生じる可能性があるため、米医療従事者組合などでは「無保険だからといって病院が対応を変えることはない。同じ治療を受けられるので、症状がある人は検査を受け、受診してほしい」と呼びかけている。

 しかしそれは簡単なことではない。政府のガイドラインでは、疑わしい症状がある場合、まずかかりつけ医に相談し、そこから検査に該当するかどうかを判断する、としている。かかりつけ医というのは一般的に保険会社の契約に基づき、利用者が自宅や勤務先から近い、などの条件を満たす医師を保険会社のリストから選ぶシステムになっている。つまりどの保険会社と契約しているかによって選べる医師の数にも違いが出る。無保険者がこうしたかかりつけ医を持っている可能性は非常に低い。

 無保険の人々が重篤な怪我や病を発症した場合、最も多く使われるのがER、病院の救急診療部門だ。非常性からERでは無保険者を拒絶することは少なく、支払いに関しては後に病院のソーシャルワーカーと相談することが出来る。減額、ローンなどの措置が取られることも多いし、もし州が定める貧困層の所得の132%以下であれば政府が提供する貧困層向けの無料の医療保険に申請してもらえることもある。
 ただし今回のウィルスについては、感染拡大を防止するため、各医療機関のERはウィルス感染の疑いのある患者を受け入れていない。隔離病棟などのある専門病院での受診が必要となる。無保険者にとっては八方塞がりの状況だ。

 もちろん各自治体はホットラインを設け、自分がウィルス感染しているのではないか、と恐れる人々の相談に乗っているし、CDCをはじめスマホなどでセルフチェックできるウェブサイトを提供している企業も多い。しかし問題はそうした相談やチェックを行った上でウィルス感染が相当に疑わしい、と感じられる人々が、その先の助けをどこに求めるかということだ。

 この事態を受け、アフォーダブル・ケア・アクト(以前のオバマケア)では「今からでも、一時的にでも、健康保険への加入」を勧めている。しかしこれも結構曲者で、米国の場合は民間の保険会社が様々なプランを提供しているため、選択が非常に難しい。保険料が安いものは自己負担率が高い、コロナウィルスのような感染症は除外する、など細かい規定がある。しかしすべてをカバーするような保険となると、月々の保険料が2000ドルを超えるものも珍しくない。どちらを取っても低所得者にはハードルが高すぎる

無保険者が罹患すると費用はいくらかかるのか?

 では、無保険者がコロナウィルスに罹患した場合、一体どれくらいの費用がかかるのか。実際にマサチューセッツ州であったケースで、検査、入院、治療を経て無事に退院できた女性に突きつけられた請求書は3万4000ドル以上だったという。また保険を持っていても、色々な項目がカバーされない安い保険だった男性のケースでは2万ドルが請求された。

 治療は受けたが治療費は支払えない患者が増えると、今度は病院が財政破綻する危険性がある。米国ではすでに医療従事者40名が亡くなっており、現場は悲惨な状況だ。医師看護師が不足し、医療機器も不足している。そんな中で医療を継続させるためには、給与を上げるなどのモチベーションが必要となる。政府による抜本的な医療改革が起きない限り、米国の医療崩壊は防げないだろう。

 大統領選挙に立候補中のバーニー・サンダース氏は緊急の記者会見を開き、「コロナウィルスにかかる検査、入院治療のすべてを無償化する」「医療現場の危機を回避するために、政府が全力を尽くして医療機器の補充、人員の確保に務める」「企業の倒産阻止、便乗値上げなどを監視する上位機関の設立」などを訴えた。

 国民皆保険制度に懐疑的だった人々も、まさに想定外の今回の事態に直面し、その重要性を考慮する時期が来ている。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/254.html#c9

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
6. 中川隆[-13169] koaQ7Jey 2020年3月31日 12:02:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1737]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

「MMT(現代貨幣理論)」は最近話題ですが、根本的に物事を解決するわけではありません。今の金融システムの矛盾を維持したまま、それを続けるための詭弁です。


2019.4.29「MMT(現代貨幣理論)について」大西つねきの週刊動画コラムvol.76
https://www.youtube.com/watch?v=Q4v-i302ImQ

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c6

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
7. 中川隆[-13168] koaQ7Jey 2020年3月31日 12:26:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1738]

2019.5.13「MMT(現代貨幣理論)の前に理解すべきこと」大西つねきの週刊動画コラムvol.78
https://www.youtube.com/watch?v=3LgjRt8kEz4
https://www.youtube.com/watch?v=hdCXNW_YV7g


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c7

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
4. 中川隆[-13167] koaQ7Jey 2020年3月31日 12:26:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1739]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

「MMT(現代貨幣理論)」は最近話題ですが、根本的に物事を解決するわけではありません。今の金融システムの矛盾を維持したまま、それを続けるための詭弁です。

2019.4.29「MMT(現代貨幣理論)について」大西つねきの週刊動画コラムvol.76
https://www.youtube.com/watch?v=Q4v-i302ImQ

2019.5.13「MMT(現代貨幣理論)の前に理解すべきこと」大西つねきの週刊動画コラムvol.78
https://www.youtube.com/watch?v=3LgjRt8kEz4
https://www.youtube.com/watch?v=hdCXNW_YV7g

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c4

[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
26. 中川隆[-13166] koaQ7Jey 2020年3月31日 12:29:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

「MMT(現代貨幣理論)」は最近話題ですが、根本的に物事を解決するわけではありません。今の金融システムの矛盾を維持したまま、それを続けるための詭弁です。

2019.4.29「MMT(現代貨幣理論)について」大西つねきの週刊動画コラムvol.76
https://www.youtube.com/watch?v=Q4v-i302ImQ

2019.5.13「MMT(現代貨幣理論)の前に理解すべきこと」大西つねきの週刊動画コラムvol.78
https://www.youtube.com/watch?v=3LgjRt8kEz4
https://www.youtube.com/watch?v=hdCXNW_YV7g

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html#c26

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
305. 中川隆[-13165] koaQ7Jey 2020年3月31日 14:02:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]
2020年03月31日
コロナで戦後最悪の自動車不況、自動車メーカーの多くが倒産する


全ての自動車メーカーが危機に陥る可能性があり、安全な会社は1社もない

画像引用:米の有名メディアが報じた優秀な自動車メーカーランキング【1位はなんとあのメーカー!?】 | Car Talkhttp://cartalk.tokyo/archives/5003

戦後最悪の自動車不況の可能性

リーマンショックの時アメリカ経済は終わったとかドルは紙切れになると言われたが、今もアメリカは超大国の地位にある。

新型コロナウイルスが世界経済に大打撃を与えているのはアメリカが打撃を受けたからで、中国やイタリアがどうなっても世界経済は混乱しない。

そのアメリカで3月の米新車販売は専門誌が前年比37%減と予想し、4月は50%以上減少を予想している。


今後急激にコロナが終息しない限り4月以降の新車販売は半減するので、2020年通年でも半減に近い数字が予想されます。

2019年の新車販売は1705万台だったので2020年は1000万台確保がやっとになり、1000万台を割り込むかも知れません。

中国は2月の新車販売が89%減少で3月も同じ程度、4月以降回復しても通年ではやはり半減でしょう。


日本の2月新車販売は前年比10%減だがその後感染者が増えたので3月の減少幅は拡大しているでしょう。

欧州は20年のEU新車販売を最大17%と見込んでいるが、甘すぎる予想と言わざるを得ない。

既に欧州の全ての自動車工場は生産停止か事実上操業不能に陥っていて、欧州で自動車を生産していません。


このように見渡すと2020年の世界自動車販売は主要先進国と中国が半減し、新興国も景気減速で大幅縮小する。

今までの世界自動車販売は2017年頃の9700万台だったので、全世界の国で半減すれば最悪の場合5000万台まで減少する。

1年でこれほど自動車販売が減少した事は無く、リーマンショックの2009年でも米国新車販売は1000万台以上だった。

世界の自動車メーカーの多くが経営危機

トヨタは資金不足に対処するためさっそく銀行から1兆円を借りたが、ほかのメーカーはそんなに簡単に現金を用意できない。

深刻な危機に見舞われるのは日産で、欧州と中国とアメリカのほとんどの工場が停止になり長引けば売り上げも半減以下になる。

もともと深刻な経営危機だったので資金不足に陥り、最悪の場合は再び倒産危機に見舞われる。


親会社のルノーも深刻な経営危機に陥っていて、フランス政府の国有化か他社に身売りする事になる。

日産買収に名乗りを上げたと報道されたホンダも4輪部門が赤字で、自社の存続を図るのが手いっぱいになる。

確実に経営破綻すると思われるのが米ビッグ3で、利益の大半はアメリカ向けピックアップトラックが挙げていた。


ピックアップトラックが売れなくなったらGM、フォード、クライスラーはまた政府支援を仰ぐことになる。

この数年世界販売台数首位だったVWは中国での生産が30%も占め、残りの多くは欧州での販売だった。

主要市場すべてコロナで壊滅したので、コロナが長引くと1年後にVWは存在していないかも知れない。


排ガス騒動の時資金確保のためポルシェやドカティ売却が検討されたが、今度は恐らく本当になる。

リーマンショック以降の10年間で富裕層向けの「バブルカー」が売れまくったが幸福な時代は終わった。

フェラーリ、ロールス、ランボルギーニ、マクラーレンなどは今のうちに身売り先を探したほうが良い。


主要国の販売が半減になれば世界の自動車メーカーの半分が倒産や国有化、身売りや分割することになる。
http://www.thutmosev.com/archives/82580040.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c305

[リバイバル3] 小型車を制した物が覇者になる歴史 _ 高級大型車メーカーはやがて淘汰される 中川隆
3. 中川隆[-13164] koaQ7Jey 2020年3月31日 14:02:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]
2020年03月31日
コロナで戦後最悪の自動車不況、自動車メーカーの多くが倒産する


全ての自動車メーカーが危機に陥る可能性があり、安全な会社は1社もない

画像引用:米の有名メディアが報じた優秀な自動車メーカーランキング【1位はなんとあのメーカー!?】 | Car Talkhttp://cartalk.tokyo/archives/5003

戦後最悪の自動車不況の可能性

リーマンショックの時アメリカ経済は終わったとかドルは紙切れになると言われたが、今もアメリカは超大国の地位にある。

新型コロナウイルスが世界経済に大打撃を与えているのはアメリカが打撃を受けたからで、中国やイタリアがどうなっても世界経済は混乱しない。

そのアメリカで3月の米新車販売は専門誌が前年比37%減と予想し、4月は50%以上減少を予想している。


今後急激にコロナが終息しない限り4月以降の新車販売は半減するので、2020年通年でも半減に近い数字が予想されます。

2019年の新車販売は1705万台だったので2020年は1000万台確保がやっとになり、1000万台を割り込むかも知れません。

中国は2月の新車販売が89%減少で3月も同じ程度、4月以降回復しても通年ではやはり半減でしょう。


日本の2月新車販売は前年比10%減だがその後感染者が増えたので3月の減少幅は拡大しているでしょう。

欧州は20年のEU新車販売を最大17%と見込んでいるが、甘すぎる予想と言わざるを得ない。

既に欧州の全ての自動車工場は生産停止か事実上操業不能に陥っていて、欧州で自動車を生産していません。


このように見渡すと2020年の世界自動車販売は主要先進国と中国が半減し、新興国も景気減速で大幅縮小する。

今までの世界自動車販売は2017年頃の9700万台だったので、全世界の国で半減すれば最悪の場合5000万台まで減少する。

1年でこれほど自動車販売が減少した事は無く、リーマンショックの2009年でも米国新車販売は1000万台以上だった。

世界の自動車メーカーの多くが経営危機

トヨタは資金不足に対処するためさっそく銀行から1兆円を借りたが、ほかのメーカーはそんなに簡単に現金を用意できない。

深刻な危機に見舞われるのは日産で、欧州と中国とアメリカのほとんどの工場が停止になり長引けば売り上げも半減以下になる。

もともと深刻な経営危機だったので資金不足に陥り、最悪の場合は再び倒産危機に見舞われる。


親会社のルノーも深刻な経営危機に陥っていて、フランス政府の国有化か他社に身売りする事になる。

日産買収に名乗りを上げたと報道されたホンダも4輪部門が赤字で、自社の存続を図るのが手いっぱいになる。

確実に経営破綻すると思われるのが米ビッグ3で、利益の大半はアメリカ向けピックアップトラックが挙げていた。


ピックアップトラックが売れなくなったらGM、フォード、クライスラーはまた政府支援を仰ぐことになる。

この数年世界販売台数首位だったVWは中国での生産が30%も占め、残りの多くは欧州での販売だった。

主要市場すべてコロナで壊滅したので、コロナが長引くと1年後にVWは存在していないかも知れない。


排ガス騒動の時資金確保のためポルシェやドカティ売却が検討されたが、今度は恐らく本当になる。

リーマンショック以降の10年間で富裕層向けの「バブルカー」が売れまくったが幸福な時代は終わった。

フェラーリ、ロールス、ランボルギーニ、マクラーレンなどは今のうちに身売り先を探したほうが良い。


主要国の販売が半減になれば世界の自動車メーカーの半分が倒産や国有化、身売りや分割することになる。
http://www.thutmosev.com/archives/82580040.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1039.html#c3

[番外地7] 宮中では百済語で会話していた
奈良文化は日本人の文化じゃないよ

宮中では百済語で会話していた
万葉仮名は漢文を日本語に翻訳する為に作られたんだ


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/567.html

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
87. 中川隆[-13163] koaQ7Jey 2020年3月31日 16:28:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]
秋篠宮さまが遠ざける「旧東宮職」「外務省」職員 両陛下との比較をご懸念で
週刊新潮 2020年3月26日号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/03310801/?all=1

 昨年8月、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、ブータンへ私的旅行をされた。そこで露わになったのは、秋篠宮さまのこんな“ご姿勢”だった。

【写真】眞子さま、佳子さま 姉妹でオーケストラをご鑑賞

「ご訪問について、報道されるまで外務省には何も伝わっておらず、ひと騒動ありました。ちょうど同じ時期、インドのモディ首相もブータンを公式訪問しており、先方に“ダブルブッキング”の負担をかける形となってしまった。あらかじめ外務省を通せば、こうした不手際は未然に防げたはずで、図らずも秋篠宮さまと外務省との“距離”が露呈してしまったのです」(宮内庁関係者)

 何しろ、秋篠宮さまはこれまでも、

「日頃から『外務省出身の人を(皇嗣職に)配属してほしくない』と仰り、遠ざける姿勢を見せられてきた。それとともに、旧東宮職出身の職員も、頑なに受け入れを拒んでこられました。外務省は皇后陛下のご出身でもあり、東宮時代から幹部に出身者が多かった。また東宮職の経験者は、皇嗣家にとって貴重なノウハウを持ち合わせており、本来であれば大いに重用すべきなのですが、殿下はそれもなさりませんでした」(同)

 というのも、

「旧東宮職の職員を登用すれば、何かにつけご自身や妃殿下のお振る舞いが両陛下と比較されてしまう。さらには、そうしたご様子が先方に漏れてしまうのではないか。秋篠宮殿下はそうご懸念されているといいます。さらに外務省出身者に関しては、殿下にとって『両陛下のお身内』と映っている。彼らの前では、ご自身の一挙手一投足が“ガラス張り”にされるようなご心境だというのです」(同)

 あるいは旧東宮職や外務省の人間は「スパイ」に見えてしまうのか――。それでも先日、思わぬ動きがあった。皇嗣職発足以来、初めて宮務官に外務省職員が採用されたのである。

「1月14日付の辞令で、ナミビア大使館参事官の女性が出向となりました。実は、あまりに宮務官の入れ替わりが激しいため、御代替わり後しばらくして宮内庁側から外務省に『誰か捻出できないか』との打診をしていたのです」(同)

 散々疎んじてきた相手を巻き込まざるを得ないほど、お住まいは混迷を深めているというわけである。

「むろん、年明けに警察庁出身の宮務官が退任することも想定していました。背に腹は代えられず、屋台骨がこれ以上きしまないよう、宮内庁としても苦肉の策だったのです」(同)

 もっとも旧東宮職出身者だけは、いまだに幹部登用されていない。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。

「秋篠宮家は、成年皇族が多くご公務が集中している上に、将来のお世継ぎである悠仁さまもおられるのに、人手が足りず職員の出入りが激しいといいます。おのずと仕事量も増え“お仕えするなら他の家へ”と願う職員も少なくないと聞きますが、現在は立皇嗣の礼を前に多忙を極めており、この状況を改善できるよう、宮内庁が配慮していかなければなりません」

 皇位継承順位1位であると内外に宣明される儀式まで、およそ1カ月である。

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/03310801/?all=1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c87

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
5. 中川隆[-13162] koaQ7Jey 2020年3月31日 17:10:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

「MMT(現代貨幣理論)」は最近話題ですが、根本的に物事を解決するわけではありません。今の金融システムの矛盾を維持したまま、それを続けるための詭弁です。

2019.4.29「MMT(現代貨幣理論)について」大西つねきの週刊動画コラムvol.76
https://www.youtube.com/watch?v=Q4v-i302ImQ

2019.5.13「MMT(現代貨幣理論)の前に理解すべきこと」大西つねきの週刊動画コラムvol.78
https://www.youtube.com/watch?v=3LgjRt8kEz4
https://www.youtube.com/watch?v=hdCXNW_YV7g

なぜ今、MMT(現代貨幣理論)なのか? 白崎一裕×大西つねき緊急対談ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=zCROccYD64A

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c5

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
8. 中川隆[-13161] koaQ7Jey 2020年3月31日 17:17:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]

なぜ今、MMT(現代貨幣理論)なのか? 白崎一裕×大西つねき緊急対談ライブ





なぜ今、MMT(現代貨幣理論)なのか?
白崎一裕×大西つねき緊急対談ライブ

2019年6月22日 · 講演録

大西 じゃ、そろそろ始めますかね。無駄話をずーっと続けてもしょうがない、ずーっとこのままいっちゃうんで。
白崎 やりましょう。
大西 ということで、すっかり皆さんリラックスされたところで、皆さん、改めましてこんにちは。
白崎 こんにちは。
大西 ありがとうございます、日曜日にこんなに集まっていただきまして。しかもMMTという、そういう題材でね。僕は、でも、これはすごく明るい兆しだと思っていて、こういうMMTみたいな、普通の人、多分1年前だったら誰も見向きもしないような、そんなテーマにこんだけの人たちが興味を持って集まってくださるということは、本当に世の中変わりだしたなというふうに思ってます。今日は、MMTとは何なのかということ、それから、そもそもMMTを知る前に絶対に知らなければいけない今のお金の発行の仕組み、それももちろん説明して、今いわれてるMMTっていうのは必ずしも完全なものではないというか、そのまんまそれでいいという話ではないんですけど、そこに取っかかりがあると。そこから先に明るい未来が見えるということをちょっと受け取っていただいて、明るい気持ちになって、希望があるということを知って帰っていただけたらなというふうに思います。ということで、改めてご紹介したいと思います。白崎一裕さんです。
会場 (拍手)
大西 白崎さんは今年『負債の網』というエレン・ブラウンさんの、ここにある本ですね、これを翻訳出版されまして。これも結局、本当の意味でのまともな通貨議論には日本にはないし、そういう書籍も少ないということで、ものすごい大変だったと思うんですけど、
白崎 大変でした。(笑)。
大西 出版されたということで。前もやったことあるんですけど、白崎さんと2人の対談を。とにかく基本的にもうものすごくよくわかってらっしゃいますし、僕よりもはるかに勉強してらっしゃるので、
白崎 いえいえ。
大西 いろいろ僕も話を伺っていて学ぶことが多いと。僕なんかは結構、なるべく本当にわかりやすく話をしちゃうので、もっと深いところとか知りたい人には物足りない場合があるんで、今日は白崎さんに来ていただいて、今までの経緯とか、それから、『負債の網』にもあるような、今までの通貨の歴史的な経緯だったりとかっていうことも含めてお話をしながら、僕はどちらかというと聞き手に今日は回ろうかなと思って、
白崎 いや、そんなことない。
大西 来てます。
白崎 (笑)。そんなことない***。
大西 ということで、さっそく始めたいと、よろしいですか。
白崎 はい。
大西 僕の紹介いいですよね。大西つねきです。YouTuberです。
白崎 (笑)
大西 (笑)。最近。
会場 (拍手)
白崎 フェア党代表***。
大西 フェア党代表です、もちろん。フェア党代表のYouTuberです。ということで、さっそく始めますかね。
白崎 自己紹介、私、ほんじゃあ、いきます(?)。今ご紹介いただきました白崎と申します。日曜の午後にこれだけ集まっていただいて、ありがとうございます。私はベーシックインカム・実現を探る会っていうのを、十余年かな、やってますね。ちょうど「3.11」の前々の年ぐらいから始めて今日に至ってるわけですけれども。ちょっと宣伝、今日いっぱい宣伝して***。これ画像で逆だっていうクレームがきますから、人間がそっち、私がそっちのほうが本当はいい、(笑)、向き的にね。それだけ最初言っときます。余計なことを言って(笑)。ちょっと宣伝しますけど、入り口のところで、『ベーシックインカムは希望の原理か』ってフェミックスさんとこで出している私の書いた本、まあ共著なんですけど、が一つあります。それから、今「お金リテラシー入門」っていうのを、『We』っていうやっぱりフェミックスさんで出している雑誌、内容は何て言ったらいいのかな、フェミニズムなんですけど、ゆるフェミっていって、がちがちの戦う女だぜみたいな、そう言うと怒られるのか、(笑)、そういうのとちょっと違いますから。もうちょっといろんな多様性のある雑誌なんですけど、そこで「お金リテラシー入門」っていうやつ、これも4年ぐらい書いてるんです。偉そうにお金リテラシーなんて書いてますけど、入門するのは私が入門するんで。私の入門のために書いてるということで、それこそお金の発行の仕組みから、国の政治のあり方から、ありとあらゆることをエッセイにして書いて、いずれ本にするつもりですけども、それがありますので、ぜひ皆さんお買い求め、今日は3点セットで安くなってるらしいので、お買い求めください。あと、ベーシックインカムのは、これは自分で言うのも何ですけど、ここに出てくる山森さんとか小沢さんとか堅田さんっていうメンバーは日本でベーシックインカムを広げた立役者の学者さんたちで、これだけ一遍にインタビューっていう、それから対談もありますけども、そろっている本ってあんまりないと思うので、ぜひお買い求めいただけたらと思います。それがちょっと宣伝です。あと、お手元に資料で、今日何にもないと愛想ないと思ったんで、この『負債の網』を書いたエレン・ブラウンっていう人がMMTについて書いたエッセイが、訳者の早川くんに訳してもらってプリントアウトしてきました。これネットにもう一応上げてはありますけれども、文字化したものがあるので、今日の内容そのままですから、ちょっとご覧になっていただけたらと思います。ただし、ちょっとやっぱり難しいんですよね。ちょっと難しいので、その内容にも、できたら今日少しふれたらと思います。それで、若干自己紹介をすると、今日のこの2人の対談ってすごい意味があると思うんですね。どういう意味があるかっていうと、私はベーシックインカム、お金の問題をやり始めてから、地域通貨っていうのも栃木の県北で始めてから大体もう20年近くたつんですけれども、今まで商売というか自分のなりわいは7回転職してるんです、大学っていうとこを一応出てから。今度は出版社で、もうすぐ私60になりますけど、7度目の転職で。大体、会社って5000円でつぶれるってよくいうんですね、資金繰りって。そういう綱渡りで何とか今まで生き残ってきたのかな、まあ何とかやってきたっていう人間です。かたや大西さんは今日のこの肩書き見ると、JPモルガン元為替トレーダーで、僕が5000円でつぶれる会社をやってたとしたら、大西さんのやつよく聞くと、1本いくらでしたっけ?
大西 1本?為替市場で?
白崎 うん。
大西 1本100万ドルですね。
白崎 100万ドルっていくらでした?
大西 100万で1億数千万ですけど。
白崎 (笑)。ね?
大西 1本はポッキー1本ぐらいの感覚です。大体10本単位でやるんで、1000万ドル単位ですね。
白崎 だからそれがね、
大西 (笑)
白崎 いっつも大西さんの話聞くと胸が胸焼けするんですよ。私のやってる会社、今、出版社もそうですけど、例えばAmazonで売れるっていったって月10万とか20万の売り上げなんですね、せいぜい。樹木希林さんの本みたいなのは別ですよ。ああいうのは別だ。普通、大体そんなもんだよ、専門書ってね。だけど大西さんの今の話聞いてると、1本(笑)、
大西 (笑)
白崎 何億ってやつなんですよ。この両極にいる2人が、でもやっぱお金の仕組み何か変だよねっていうことをずーっと追求してきて、多分、大西さんと私っていうのは、そういう意味では重なるところは全くなかったと思うんですけど、このいわゆる通貨、お金の、これからお話しすることを巡って出会って、それで、ここで一緒に***偉そうにしゃべってるということになるっていう。これ、極めて今の日本の実情を実はよく表していると思います。もう一つ自己紹介しとくと、私は、だから、ベーシックインカムを市民運動としてやってきてるんですけれども、経済の専門家でも経済学者でも何でもないです。
大西 そこはおっきいですよね。
白崎 そう。そこはおっきい。
大西 逆に専門家この話しないんですよ、なぜか。
白崎 (笑)
大西 よく中小企業の方とか、そういう、やってる方がずーっとおかしいと思ってたっていう方が結構多いです。
白崎 だから中小企業の、私、今の地元、栃木県の大田原市という小さい街ですけど、商工会とかで行って、意外に資金繰りで苦労している街のおやじさん、おばさんのほうがぴんとくるものがありますね。で、
大西 僕も1枚1000円のピザ売ってましたけど、(笑)
白崎 (笑)
大西 自分で。
白崎 そうですよね、ピザ屋さんをやってましたよね。だから、その意味、お金って何だろうっていうことをいよいよ皆さんも考えだしたのかなあというところが今日の皮切りで、まさにその市民運動とか社会運動、あるいは大西さん的な(?)政治運動として考えたときに、この通貨、MMT、あるいは通貨改革って何だろう、僕たちにとって、私たちにとって何だろうっていうことを皆さんと今日共有できたらなというふうに思います。それが前置きで。
大西 じゃあ。
(00:25:06)【MMTが広がった背景 @通貨発行問題の政治化】
白崎 今日のメインのMMTというやつなんですけど、MMTって、今日、ご存じの方どれぐらいいらしゃる?手挙げていただいていいですか。
大西 かなり詳しく知ってるぞって方、どのぐらいいらっしゃいます?
白崎 (笑)
大西 多いです。(笑)。すごいです。
白崎 すごい、すごい。でも、かなり皆さんやっぱりご存じですよね。MMTって実は理論的にはもうそれこそ15年ぐらい前、20年ぐらい前からあるんですよね。だけど、いきなり出てきたっていうところで、その意味を、背景説明みたいなことを最初スライドを使ってやりたいと思います。MMTは、ここちょっと抜けちゃってますけど、何の略かっていうとModern Monetary Theory(モダンマネタリーセオリー)、英語の、それが元です。
大西 現代貨幣理論。
白崎 そのままですね。現代貨幣理論。直訳、そのままです。モダンマネタリーセオリー。これはいったい何なのかっていうことなんですけども、その話は今日の核心の一つになるんですが、これがいきなり広がった理由をちょっと背景説明しておきたいと思うんですけど、
大西 次いきます?
白崎 いやいや、ここでちょっと一つ。三つほど、まず最初に前振りだけしときますと、今、日本で反緊縮運動っていうのがちょっと広がっていて、さっきも大西さんと話してたんですけど、山本太郎さんのれいわ新選組っていう新しい***。あそこで言っていることは要するにもう反緊縮なんですね。反緊縮って何かっていうと、要するに政府が金を出し渋ってるんですね。渋り***。渋り***。
大西 だから、財源がないからできないっていう話ですね、要するにね。
白崎 っていうやつが、
大西 緊縮はね。
白崎 それがまず背景にあるんじゃないのかなっていうのが一つ。まだそれ結論じゃないですよ。まずそれが一つと、それから日本の場合は当然、皆さん、今度の選挙、参議院、衆議院同時選挙っていうのはなくなったっていってますけど、まだわかりませんけどね。(笑)。まあとにかく消費税の問題、今度10%になる。うちなんかすごい大きい問題ですよね。本の場合ですと大きくて、今日『負債の網』5000円ぽっきりで売るっていうことなんですけど(笑)、例えばあれが定価4800円なんですよ。あれ8%と10%全然違いますからね、雰囲気がね。そういうものがやっぱりもう頭の上に乗っかりつつあるこの緊迫感があるのかなというのが二つ目。なんですけど、今日お話ししたいこのMMTの背景にあるのは何かっていうと、実は、もう最初から結論言っちゃいますけど、通貨発行権が政治化しちゃって、今日のエレン・ブラウンの資料にあると思うんですけど、通貨発行権なるものが我々の政治的な課題にどーんと飛び出してきたということなんです。でも皆さん思いますよね、通貨発行権って何なの?って。あんまり聞かないですよね、通貨発行権って。
大西 だから、そういうことを言う政治家が1人でも出てきたっていうことは、その政治化なんですね、基本的にね。僕なんかが言ってても全然政治化にならないです。例えば山本太郎みたいな現職の国会議員が自分で旗を立ててそういうことを言いだすと、それが政治化するってことですね。
(00:28:48)【MMTが広がった背景 A『エンデの遺言』から地域通貨ブームへ】
白崎 じゃあ次いきましょう。結局その通貨発行権、実はお金の仕組みが政治化する前振りって、実は私はだいぶ前からあったと思います。それは一つは何かというと、私が始めた、私だけ始めたわけじゃないですけど(笑)、地域通貨ブームっていうのはちょうど2000年ぐらい、日本だとですよ。日本で2000年ぐらいにはやりだすんです、地域通貨。
大西 『エンデの遺言』***。
白崎 そう、『エンデの遺言』っていう本、NHKでやって、
大西 きっかけですね。
白崎 あれがきっかけなんですけど。あれはすごかったですよ。ちょうど私が地域通貨を、ナスタっていうのを栃木県のほうで始めたんですけど、その報告会をやりに、たまたまあのとき、さわやか福祉財団って皆さんご存じですか。堀田さんっていう検事さんがやってるさわやか福祉財団っていう財団法人***んですけど、そこでやっぱり地域通貨始めたんですよ。時間通貨っつったかな。みんなが介護した時間をお金に換算してやり取りする、簡単に言うとそういうことです。その集会を四谷の前の生協会館(現:主婦会館)の地下でやったんですけど、あそこに、あれワンフロア300人かな。で、アメリカからタイムダラーっていう、エドガー・カーンさんっていう学者さんを呼んで講演会を***ですけど、400人、500人、満杯ですよ、地域通貨のフォーラム。ものすごい熱気***。それ2004年か5年。
大西 一応、だから、背景説明、知らない方のために説明すると、『エンデの遺言』っていう有名なNHKのドキュメンタリーがあったんですよ。当時、エンデがNHKのドキュメンタリーのホストをやっていて。その取材のためにNHKのスタッフがミハエル・エンデのドイツの家に行ったときに、エンデが問わず語りに今のお金の発行の仕組みに関する問題に対してしゃべりだしたっていうことがあって、それをずーっとテープで撮ってて、そのミハエル・エンデはそのあとすぐ亡くなったときに、そのテープを元に『エンデの遺言』っていう有名なドキュメンタリーを作ったんです。今、もし興味があったらYouTubeでも見られると思いますので、見てみてください。それから、NHK出版から『エンデの遺言』っていう文庫本にもなってます。それは何を言ってるかっていうと、今のお金の仕組みの問題、お金はそもそも、ほかのものは時間とともに壊れたり腐ったりして減価していく、減っていくのにもかかわらず、お金だけ金利で増えてると。で、借金で発行されてる。それが結局大きな問題。彼の書いたエンデの『モモ』っていう童話がありますけれども、あれは結局今の金融システムを描いた、あれは童話でも何でもなくて、どっちかっていうと警告書なんですね。そのエンデだからこそ、そういう今のお金の仕組みに対する危機感があって、それをNHKスタッフに語ったとこからスタートしたのがその『エンデの遺言』。『エンデの遺言』の中ではいろいろ地域通貨の実例だったりとか、タイムダラーっていうのは時間とともにお金が減ってくとか、要するに逆の発想の地域通貨があるという、そういう実例がいろいろ書かれていて、それをきっかけに日本で地域通貨ブームが起きて、いろんな各地で、その地域でそういう地域通貨を作って、
白崎 すごい***ものを、
大西 そういうのをやっていた時代がちょうどその2000年ぐらい。
白崎 2000年から2005年か。うちが始めたのは2004年なんですけど、千葉の西千葉でピーナッツっていう地域通貨を始めてるわけです。そこで地域通貨サミット、全国サミット。これまた西千葉って行かれるとわかるんですけど、まあ何にもないとこですよ(笑)、総武線***ね。すーごい人集まって、もう一大イベントで、そのくらいブームになったんです。だから、実は今日のこの皆さんが集まった、皆さんのお顔を見ている真剣さと熱気に似たようなもの感じます。だから、やっぱり政治、もちろんいろんな課題があるんだけれども、何かおかしいよな、お金の問題っていう、その、
大西 根っこは一緒です。
白崎 はしりが出てきて。
大西 おかしいよっていうとこから、2000年ぐらいのときから地域通貨っていう方向性に向かった。
白崎 向かったんです。
大西 それで結局、でも地域通貨っていうのやっぱり難しいんです、いろんな意味でね。あえてそこはもう今日は説明しませんけども、それでひょろひょろっとなって。(笑)。
白崎 今でも地域通貨やってるとこありますけど、
大西 ありますけど。
白崎 うちの栃木県でも私がアドバイザーっていうか、ちょっとお手伝いして、益子市、益子町か、益子焼有名なとこですけど、益子でマシリン(?)だったかな、何か役所が主導して地域通貨始めました。(益子町の地域通貨「ましこスマイル通貨」)。おととしホームページすごい立派なのができてるんですけど、広がってるかどうかはちょっとね(笑)。
大西 まあそこら辺、もう地域通貨終わった話なんで、次のお話をいきましょ。(笑)。
(00:33:27)【MMTが広がった背景 Bリーマンショックからの流れ】
白崎 で、結局その背景があるということを押さえていただいて。連続でやっぱり起きてきてるんですけど、リーマンショックが。多分、そのリーマンショックというのは大西さんにとってみると大きな転機だったと思うんでけど、
大西 そうですね。もう完全に終わったと思いました、今の金融システム。
白崎 またその話はあとで出るかもしれませんけど、そのあとに、これも印象的なのが、Occupy Wall Streetっていう、ウォール街を占拠せよっていう、アメリカのニューヨークで起きた運動、これははやったんです。これは何がはやったかっていうと、スローガンが1%対99%***。これがすごいスローガンなんです。ここにグラフ書いてあるんですけど、これ、ネットから誰でも取れますけど、アメリカで1%の人間と99%の人間何が違うかっていうと、所得。ここに書いてあるの、平均家計所得1%バーサス99%平均家計所得ってことなんです。要するに、ものすごい格差が広がってるって、アメリカ、そういうことですよね。これに対して、私は面白いと思ったのは、単に格差が広がってるってデモをしたんじゃなくって、ウォール街っていう金融の、要するに、大西さんそこにいたんでしょうけど(笑)、中枢にデモを仕掛けた、占拠せよです。いうのは、やっぱり一つの私たちの意識の表れかなと思いました。これは日本でもやっぱ1%バーサス99%結構はやって、反貧困ネットワークっていうのはずーっと事業やってますけど、それの全国集会なんかしょっちゅうやってましたね。大はやり。で、次いきまひょか。(笑)。最近起きたやつ、これも象徴的なんですけど、フランスで、皆さんこれ報道でご存じだと思う。昨年11月ぐらいから、黄色いベスト運動。フランス人はデモが好きだってみんなよくいうんですけど、それにしてもすごい街。毎週末、毎週末。これ多分、写真は凱旋門が写ってますからシャンゼリゼ通りだと思うんですけど、の前に大勢の人が集まって黄色いベストを着て。表面的な運動の、その反対側いたマクロン政権、マクロン大統領の燃料税っていうガソリンに課税するという***ね。マクロンさんは要するに環境に優しい政治をするということになってますけど、そうなると何が問題かというと、フランスって要するにパリと地方の格差がすごい大きいんです。皆さん、映画でプロバンスの何とかって見たことあるかもしれないけど、きれいなああいうところばっかりだと思うかもしれませんけど、結構フランスの地方ってすさんでて、大変なんです。田舎行くとうちの栃木県と全く一緒で、車がないと暮らせない。公共交通機関がない。そうすると、おじいちゃんおばあちゃんも1台ずつ車持ってると。一家に4台とかね。そんなんなんですよ。それでみんな所得がなかなか伸びない中、そこにまた課税されちゃうと、金持ちはいいけど我々どうなるんだということで、いわゆるフランスのパリと地方の格差に重なって、貧困層と富裕層の格差も重なって、大きなデモは今でもやってるそうです。だんだん人数は減ってると言ってますけど、ずーっとやってます。この中で出たスローガンがポイントで、これ、フランス語読める方、誰か発音してください。(笑)。これ何て書いてあるかっていうと、そのままなんですけど、私たちは銀行に支配されてるって書いてます。これ、私すごい画期的なスローガンだと思いますよ。日本でさすがに、消費税反対のデモ行進ばんばんやったと思うんですけど、我々は銀行によって支配されてるっていうスローガン掲げてる個人の団体もないでしょうね?大西さん。(笑)。
大西 うん、ないですね。日本の銀行は今とんでもない、まあ過去もそうですよ、バブル期も日本の銀行がああいうわけのわかんない土地担保融資を散々やることによってバブルを作り出してる。バブルっていうのは不動産の話じゃなくて、何の実体的な裏づけのないお金を、ただ単に所得の移転である土地の売買に大量のお金を作ってるっていうのと、それと、今、アベノミクスで大量のお金を作ったあと、そのお金を日本で売って海外資産を買っていて、今、膨大な海外資産を持ってるという。あとでそれくず資産になるのでとんでもないことになりますけど、日本の銀行の愚かさっていうのは極まっていて、本当に何とかしないといけない状況なんですよね。
白崎 そうそう、そのとおり。
大西 支配されてるというの、もう本当にあの人たちのわかってなさがとんでもなく我々の生活に影響を与えてる。
白崎 わかってなさと同時にというか、まあそのとおりで、支配されて、よくこれ見せると、例えば(?)こっちの、言って(?)、知り合いの若い男の子なんかに***見せると、銀行に支配されてるって言うと、じゃあ白崎さん、それは足利銀行つぶせばいいの?って聞かれちゃうんです。三菱UFJって悪もんだよね?でも、それは確かにそういう面もあるけれども(笑)、
大西 中では善良な人たちがいっぱい働いてる。
白崎 今、そういうことではなくて、銀行っていう、
大西 仕組みですね。
白崎 仕組み、今日の話、これ肝ですよ。銀行っていうシステム、よく2人で話すとき、映画のキアヌ・リーブスが出るカンフーのやつね。
大西 いや、あれカンフー?『マトリックス』ね。(笑)。
白崎 『マトリックス』なんです。あの映画で、映画見た方は、いろいろいいシーンあるんですけど、僕がすごく印象的なのは、あそこで1人裏切り者が出てくるんです。裏切り者はコンピューターに操られてる中で、もうわかってるからステーキ食ってるんですよね。でもこれ、マトリックスの中で食ってんですよ。そうすると、食いながら、この味だって結局仮想現実なんだよな、えへへへとか***。これすごい印象的、えへへへって笑ってるの実は我々自身。今日皆さん電車乗ってここに来て、大西、白崎の話を聞いてる、これがリアルな現実空間だと思ってるでしょ。違うんです。
大西 違うかもしれない、確かに。
白崎 違うかもしれない。
大西 もしかしたらね。
白崎 銀行が作ったマトリックスで電車が動いてる。皆さんが着てる服も。お昼何食べました?今日。ね、全部。っていう意味の、銀行によって支配されてる。それが今日のMMTとも深くかかわりますし、MMTでいいのかどうかっていうことと深くかかわるということです。こればっかりしゃべってると長くなっちゃう。次***。
大西 ちなみに、服の話が出たんで、僕が今着てる服***、
白崎 ああ、ごめんなさい。(笑)。
大西 ちょっとしゃべっていいですか。
白崎 どうぞ。
大西 全然関係ない話ですいません。僕いっつも、同じシャツしか持ってなくて、白のTシャツと、もうこれ何枚持ってるんだってよく言われるんです。大体1週間ぶんぐらい持ってますね。ある名古屋の支援者の方が、名古屋のアーティストで寺尾晴美さんっていう方がいらっしゃるんです。こういう絵を描くアーティストの方で、つねきなんでキツネだろうって、キツネの絵を描いてくれました。これ、こないだいただいたんですけど、どこでどのタイミングで着ようかって散々考えたんですけど、これだけの方が集まっていただけるんで、そうだ、ここだと思って、今日はこのキツネの、もう世界で1枚しかない一点物のこのTシャツを着て、
白崎 すごい。
大西 お話ししてます。
白崎 (笑)
大西 もうすっかり忘れてました。ありがとうございます、寺尾晴美さん、それからコバヤシリョウジさん、いただきまして、ありがとうございます。
白崎 何でキツネかなと思った。つねき、キツネですね。
大西 最近のかかわってる高校生に、しばらくつねきつねきって呼ばれてたんですけど、最初フェア党って呼ばれてたんです、
白崎 (笑)
大西 (笑)、高校生に。つねきに昇格して、最近、キツネって呼びだす連中がいて、これは容認していいものかどうか、ちょっと今考えてる最中なんですけど、ついでにちょっと着ちゃいました。
(00:41:38)【MMTが広がった背景 Cオカシオコルテス現象】
大西 で、オカシオ=コルテスさん、
白崎 ちょっと脱線しましたが、(笑)、大事なところで。じゃあ、まさにその政治の話の中核いきましょう。このMMTが話題になったのも明らかにこの人です。略してAOCっていいます。アレクサンドリア・オカシオ=コルテスさんという、多分29歳かな。
大西 まだ20代。
白崎 若い女性のアメリカの下院議員の議員さんで、民主党***ですね、の、いわゆるレッテル貼りすると民主党左派といわれる人で、バーニー・サンダースっていう、この前のヒラリー・クリントンさんと最後まで争った民主党の左派の重鎮の、お弟子さんって言うと言葉が当たってないかもしれませんけれども、その、
大西 バーニーチルドレンみたいな。
白崎 の人ですよね。それで、ニューヨークのブロンクス出身で、貧しい、貧しいっていうか、要するに、ご本人は大学出てますが、いろんな苦労されて議員になって、それで本命を打ち破って彗星のごとく現れた***いうことで、ちょうど、要するにトランプさんってやっぱりアメリカの典型的なおやじっていう感じしますから、ちょうどいいんじゃないですかね、若くてね。それで、彼女が何を言って注目されたかっていうと、このグリーン・ニューディールっていう提案を発表したんですね。これは環境に優しいっていう政策プラスアルファ、アメリカの健康保険であったり雇用政策であったり、もっと充実させましょうということで10項目の提案をして、今日の私のエレン・ブラウンの資料の中にその話はちょっと出てきますけれども、その提案をしたときに、記者の人か何かが、いや、いいことだと思いますけど、じゃあ財源はどうするんですかって聞いたんです。そしたら、このAOCさん何て答えたかっていうと、これ今でもビデオで見れますけど、いえいえ、財源なんて全く心配ありません、私たちはMMT理論を支持します、財源なんて要らないんです、赤字のほうがいいんですって言った途端に、この人のTwitterがばーっと、要するにバズるっていいますよね、ものすごい勢いでリツイートされるようになって。それでオカシオ=コルテス現象といわれるように、ちょうどアメリカが大統領選挙11月にあるんで、トランプさん出るということですけれど、民主党が誰が出るのかという候補者選びも含めて、彼女が台風の目になったというときに、MMTという、財源なんて心配要りません。
大西 そもそもそれバズった段階で、MMTって何なの?ってバズったんだろうね。
白崎 そうですね。ものすごい***、
大西 財源が要らなくなるMMTって何なの?おいしいの?とか、どんなものなの?とか、何にも知らない状態で多分バズったんでしょうね、それは。
白崎 ですね。でもそれが広がったというので。で、悲しいかな、日本のマスコミっていうのはアメリカで何か話題になると拾ってくるっていう癖があるんですよ(笑)。
大西 (笑)
白崎 今日マスコミの方***、
大西 全く。
白崎 ごめんなさい。でもそうなんです。
大西 むしろ来てほしいですね、***。
白崎 アメリカでこれが広がったから、日本でもMMTって知ってる人は、もちろん学者さんなんかで、私も若干かじってますけど、知ってる人は知ってたんですよ。でも、このわーっと広がったの、やっぱ明らかにアメリカで話題になったこれという具合にきました。これがやっぱりすごく政治的な中心にこの問題が出た一つの表れで、背景をもっかいおさらいしとくと、実は、オカシオ=コルテスさんが言ったことが、それだけみんなの心に届く背景は、やっぱり地域通貨から始まったお金の問題、マネーの問題って僕たちの政治、社会に深くかかわってんじゃないの?っていう表れなんですね。で、MMTの説明これからするんですけど、まず、
大西 アダム・スミスからね。
白崎 これ、現代貨幣理論への系譜っていう、これ英語になってたやつ訳してくださる方は、やっぱり世の中にはちゃんとした人がいまして、これネットで見れます。そうすると、こんなの説明するとこれだけで2時間ぐらいたっちゃうんでやめますけど、皆さん、多分、知ってるのはケインズとかマルクスって***。そうすると、そのど真ん中にケインズさんっていうのいるんですよ。
大西 真ん中?
白崎 真ん中っちゅうか、その、
大西 (笑)
白崎 ところで、ちょっと左。それです。ケインズ。ケインズさんっていうのは何した人か。これも話せば長くなっちゃうんですけど、ケインズさんが言ってたことに関するMMTがらみで言うと、MMTっていうのは今の、例えば黒田総裁***とかね、日銀***、ああいう人たちからするとトンデモ理論、そんな財源がないなんていうのは、いいかげんなこと言うんじゃねえよ、そういう話になるんですけど、MMTの人たちからすると、いえいえ、あなたたたちも知ってる大ケインズ先生、つまり今の経済学の大本を作った代表的な学者さんの説を私たちは正当に受け継いでますよって言って、ケインズの理論の私たちは正当な後継者ですって言ってる。なぜか。ケインズの一般理論っていう、岩波文庫で、なかなか何回読んでもわかんない本なんですけど、あるんですけどね(笑)。その中に穴掘りの話っていうのがあるんですよ。つまりケインズはこう言ってるんです。世の中が金がなくなって失業者が増えた場合、どんどん政府が金を投入して失業者を減らさなきゃいけない。穴を掘ってその中に、そこがあった(?)***お札が入ってるとすると、それを埋めといて、また掘り起こしてっていう、そういう穴掘りの、何の意味もないでしょ、何の意味もない労働だけど、そういうものでもやらないよりはやったほうがいいよ、政府はそのため金出せよと言ってるわけです。だから、その政府が金出せよっていうところはMMTはばっちり受け継いでますよっていうのが、このMMTの人たちの大きな主張の柱***。MMTの人はどこにいるかっていうと、***ね。レッテル貼ると、これ、ポストケインズやん、要するにケインズの後釜ですと。代表的な人たち、モズラー、ミッチェル、レイ、フォステイター、ケルトンっているんですけど、来月、7月16日かな、この一番下に、ステファニー・ケルトンさんって女性の学者さんですけど日本に来て講演会を、多分、京都と東京と、2日でやると思います。学者さんたち***とか来てやると思いますけど、ステファニー・ケルトンさんが、さっきのバーニー・サンダースさんの経済***。来ますけど、今日主に私がネタにしているのは、そのケルトンさんと仲のよい前2人の、レイ***。これがレイさんっていうんですけど、ランダル・レイっていう方、学者さんです。この人の理論が一番よくまとまって、多分、翻訳が今年中に出ると思うんです。解説は立命館の松尾匡(まつおただす)さんっていう人が、今、赤薔薇運動、さっき山本太郎さん***けれども(?)、私も知ってますけど、彼の解説で出る予定になってます。だから、松尾さんの本が出ると盛り上がる可能性あるかわかりません(?)、何か話題になると思うんですけど、このランダル・レイさんの理屈をちょっと説明、今日しながら話を進めたいと思いますが、位置的に言うと、だから、ケインズの理論をいろいろ受け継いでいくんだけれども、私たちが正当な受け手ですよと言ってる人たち、一番末裔にいるわけです。で、どうしますかね。お金の発行の仕組みいく前にMMTの効用にいくか。
大西 多分、これ、飛ばすのはかなり難しいですね。
白崎 難しい。
大西 要するに、結局MMTを理解しようとしてもMMT単体では理解できないんです。何かっていうと、結局MMTが言ってんのは、要するに緊縮財政要らないと、政府が借金をしてお金を発行し続けて財政出動をすればいいって、ただそれだけのことなんです。何でそんな話になってるのか、その前のところを理解しないと、何でMMTみたいなものが出てきてるかって理解できなくて、結局MMTがいいか悪いかっていう、そういう出口の議論しかしてないんです、今。正しいか正しくないか。そこじゃなくて、根本的に何でこんな話になってるか、大本の、そもそも全部今のお金の発行の仕組みが原因で、それを解決するためにどうしたらいいか、そうやって考えていくとMMTがどういうものなのか理解できます。なんで、この話、白崎さんと、じゃあどうやって説明しようかっていろんな話をしたときに、MMTの話をずーっとしても多分わかんないまま終わるだろうな。それ以前に、一番肝心なお金の発行の仕組みから説明して、それを理解すると簡単にわかるからっていうことをやろうと思って、ここでも皆さんにお金の発行の仕組みを説明します。
(00:50:49)【MMTを理解するのに必要な「お金の発行の仕組み」】
大西 そもそもお金の発行って何なのか、それ以前にお金って何なのか。皆さんお金ってあると思ってるでしょ?お金存在するってほとんどの人が思ってるんですよ。でも実際どうかっていうと、お金って、じゃあ日本にどのくらいあるの?っていうふうに、それを全部数えると、皆さんが持ってると思ってる現金と預貯金、全部足すと今1000兆円以上になってます。だけど実際に現金であるのはどんくらいかっていうと、100兆もないです。10分の1もないんですね。お金ってあるの?みんなが自分のお金を下ろしに行ったら、ないです。存在しないです。みんながお金をあると思ってるんですよ。どうやってその1000兆円以上のお金をみんなが自分は持ってるというふうに認識するに至ったか、そこが実はポイントで。お金の発行の仕組みって何かっていうと、結局、みんなが自分のお金だと思ってる、預金も含めてお金ありますね。それがちょっとずつ増えて、日本全体で増えること、それがお金が増えるっていうことで、お金が増えるっていうのはお金の発行ですよね。ちょっとこれわかりにくいんで、実際、
白崎 これポイントですよね。
大西 そう。実際にどうやってそうなっちゃってんのかっていうの説明したほうが早いんです。講演会でも僕はこれ必ず説明してます。最近、講演会の前にこの説明をする前に、『マトリックス』の動画を見せて、赤い薬を飲むか青い薬を飲むか、選択させてから見せることにしてます。
白崎 (笑)
大西 (笑)。ちゃんと赤い薬飲むんだね?って。これ一回知っちゃったら後戻りできないんです、そもそも。
白崎 赤い薬飲むともうマトリックスに戻れないって、
大西 戻れない。
白崎 いうやつです。キアヌ・リーブスが飲む。
大西 裏切り者になんないと戻れないですよ、(笑)、ステーキ食うね。お金の発行の仕組みってどうやるかっていうと、例えば白崎さんが100万円をA銀行に預けに行きますよね。銀行はそれを預かったら金庫に入れて。で、銀行はもちろん金庫に入れっ放しにしてるんじゃなくて貸すって商売してます。今、預金準備制度って決まってるんですね。預金準備制度っていうのがあって、銀行は必ず預かった預金のうちの準備率ぶんは日銀に預けなきゃいけない仕組みになってます。その預金準備率が仮に1%だとします。実際は1%より低いんですよ、0.0何%。1%だったとすると、100万円を預かったらA銀行は1万円を日銀に預けて、預けなきゃいけないっていう仕組みです。それが今の預金準備制度っていう仕組みですね。でも1万円だけ預ければいいんで、ほかは別に貸してもいいです。僕が例えばA銀行に99万円を借りに行ったとすると、必ず僕はそこに口座を持つことになります。口座を持たせるんですね。じゃないと銀行貸せないんですよ。銀行は僕に99万円貸すときに何をするかっていうと、僕の口座に99万円って書くだけです。だから、口座がないと書けないんで、必ず持たせます。書いた瞬間に僕の預金口座99万円ありますよね。白崎さんの預金口座にも100万円ありますね。199万円に増えてます。僕自身はあんまり持ってる感じはしません、自分が借りてるのを知ってるんで。だけど、これをもしB銀行の誰かに送金してしまえば、これを受け取った人は、もうこれが僕の借金だったかどうかなんて知りませんね。知ったこっちゃない。純粋に自分の預金として認識するんで、99万円持ってると思います。で、白崎さんの100万円もあります。この瞬間にもう199万円になってるんですね。もちろん、この99万円を新たに預かったB銀行はそのうちの1%の9900円を日銀に預けて、残り98万100円を誰かに貸すことができる。貸すとまた同じことが起きます。この人がまたC銀行の誰かにこれを送金してしまえば、これを受け取った人は完全に、純粋に自分の預金と認識しますね。この段階で既に、この人は自分の98万100円を持っている、僕が送金した相手、99万円、この人動かしてないです。それから、もちろん最初の100万円の白崎さんの預金も動いてないんで、もう300万円に増えてます。もちろんC銀行は新たに預かった98万100円のうちの1%の9801円を日銀に預けて、残り97万299円を貸すことができる。貸すとまた同じことが起きる。結局、ぐるぐるぐるぐるやってるうちに貸せる金額はだんだん減ってきますけども、もともとの100万円の現預金から割ることの0.01、預金準備率ぶん、イコール1億円まで作り出せる、これが信用創造という現代のお金の発行の仕組みです。この結果、皆さんが自分のお金だと認識してる預金がいっぱいできて、1000兆円以上のお金が自分のお金と認識されてる。実際にあるかというと、別にないです。銀行は勝手に作って誰かに貸して、数字上貸して、それがぐるぐる回って、みんなが自分のお金と認識してるだけの話です。
白崎 そこはすごい重要ですよね。それがさっき言ったマトリックス銀行システム***。
大西 実際、だから存在してないものをみんなあると思ってるんです。これ、いくつか本当に必要なポイントがあって、お金を銀行が貸したときにお金が生まれる。逆に借金を返したときにお金が消えるってことですね。借金をするときにお金が作られる、返すときには消える。僕が99万円借りた瞬間に99万円作ってます。自分の預金99万円入ってるし、それを使う権利も持ってる。だけど、これもしかしたら返せないかもしれないなと思って、びびってすぐに返したとしますね、99万円を。そうすると、借りた瞬間99万円持ってんだけど、返した瞬間に99万円なくなります。借金もなくなります。相殺してなくなるんです。借りたときには99万円あるんだけど、返すとなくなる。だったら僕はそれを借りきって、誰かに送金して使っちゃったとしますね。そうすると99万円使っちゃったんで、僕んとこに残るのは99万円の借金だけです。何とかそれを、1年ローンで借りたとすると、1年後までにかき集めてこないと大変なことになりますね。1年後に世の中から99万円集めて返します。返すっていうことは、そのときにそのお金を消す、借金と相殺、消すことになります。つまり僕は世の中から99万円のお金を消しちゃうことになります。これ、すぐ返しても1年後に返しても一緒です。借金を返すっていうことイコールお金を消すっていうことです。借金をするってことイコールお金を作るっていうことです。だから、結局このシステムは何かっていうと、みんながこうやってお金を作ってるということは、借金は返しちゃいけない仕組みなんです。借金返しちゃうとお金が消えちゃう仕組みが今の金融システム。だけど銀行は返せ返せって言いますね。借りたら絶対返さざるを得ない。毎月返しますね。僕も返します。っていうことは、お金を借りた人はみんな返す、でも返すたんびにお金が消えていくっていうことは、そのぶん誰かまた別の人が借り続けてくれないと、この金融システム回らないんです。しかも僕は99万円だけ返せばいいんじゃないんです。利息が5%ついたとします。1年後には104万円返さなきゃいけない。世の中から104万円を一生懸命集めるわけです、消すわけです。みんなが自分の元本で作ったお金以上のお金を集めようとする。消しちゃうわけ。何が起きるか、お金足んなくなりますね。そのぶんお金発行されてないから。例えばここに100人いたとします。1人100万円ずつ借りてください、銀行に。そうすると、1人100万円ずつのお金を作ることになります。それぞれの預金通帳に100万円って書かれるんです。そうすると1億円の預金が生まれます。それでみんな経済回してください。肩たたきでも手もみでも何でもいいです。そうして経済ぐるぐるぐるぐる回して、1年後みんなが100万円返す。みんなが100万円1年後に返したらお金消えますね。で、もしこれが5%の利息の世界だったら、みんなが105万円集めようとします。要するに、100万円かける100人ぶんの1億円のお金しかない経済でみんなが105万円を集めようとすると、何が起きるかっていうと、これ巨大な椅子取りゲームです。誰かが必ず破綻します。必ず破綻する仕組みなんです。だけど、破綻しないためには、みんなが105万円ずつ返すためには500万足んないわけですね。500万誰かがやっぱり生み出してくれなきゃいけない。ここに100万円を借りる人がもう5人必要なんです。そのお金が500万行って、初めて皆さんは105万円ずつめでたく返すことができる。でも返しちゃったらお金なくなってますね。ここに500万円の借金だけ残ってます。これも返すためにまたさらに5人必要なんだけど、それにも利息がついて、またそこに穴だけ、借金だけ残るわけ。そもそもお金1億あったはずなのに1円もない状態ですよね。で、元の状態に戻すのにもう一部屋必要なんです。100人、それ以上。つまり何を言ってるかというと、常にお金と借金を増やし続けないと今の金融システム回らないんです。これが、例えば人口が増えて、順調に経済成長が、要するに部屋が毎年1個ずつ増えて、そういう本当に人口がどんどん増えていて、しかも増え続けるお金と対応したような実際の価値、どんどんどんどん作れば売れる時代はよかったんです。20世紀はそういう時代でした、高度経済成長です。とっくの昔に終わってるんです。とっくの昔に終わったのにこの仕組みが続くかっていうと、続くはずがないんです。小学生でもわかります。今の金融システム、お金と借金を無限に、永遠に増やし続けないと立ち行かない仕組みが続くはずがないんです。これはもう日本の場合はとっくの昔に実は終わっていて、もう続かなくなってんですね。考えてみりゃ当たり前なんですよ。1億3000万しかいないのに、その1億3000万しかいない人たちに借金とお金をとにかく増やし続ける。誰がそんな借りるんだって話、誰がそんな借りたいんだって話です。誰も借りたくないし、誰も借りられないし、銀行も貸せないんですから。だから、これはもう実際にとっくの昔に止まってんですね。
(01:01:20)【この30年間で実際に世の中のお金がどうなったか】
大西 それはデータを見ると明らかなんです。実際にこの30年間どうなってるか。これは本当にいつも必ず皆さんに見せます。このデータを見るとMMTも簡単に理解できます、今の金融システムの問題点を。これは1980年から2018年までのデータです。まず青い線を見てください。これは何かっていうと、マネーストックM2です。要するに、日本中の現金、預貯金全部合わせたらいくらになるの?日本でお金いくらあるの?っていうデータがこのマネーストックM2です。ちなみに、僕がこれから見せるデータは全部日銀から取ってます、日銀のホームページから。だから、誰でもこのデータ引っ張ってこれます。これを見ると、1980年にたった200兆だったお金は、今、1000兆円を超えてます。さっきも説明したとおり、もうお金と借金が増え続ける、そのとおり右肩上がりに真っすぐお金って増え続けてます。これ当たり前なんです。何でかっていうと、このお金を作るために作った借金が利息で膨れ続けるから、それを返し続けるためにもっと、常に多くのお金が必要だから必ずこうなるんです。じゃあこのお金どうやって作ったか。簡単です。この緑の線です。これは日本の銀行の民間に対する貸し出しの残高です。要するに日本の銀行が借金どんだけ貸してるっていう、ここを見ると一目瞭然なんですよね。この緑の線(銀行貸出残高)が青い線(マネーストックM2)を作ってるのわかります?一目瞭然。これ当たり前です。だって借金でお金を作るんだから、お金と借金、並行して伸びるに決まってるんです。ただ、いつの間にか大きく乖離を始めてるんです。追いつかなくなってるね。これは銀行が、バブルが崩壊してから不良債権処理をして、貸し渋りをして、貸しはがしをして、実は貸し出しを大きく減らしてる、100兆近く減らしてるんですよ。何でかっていうと、これ、そもそもGDPなんですけど、オレンジの線がね、GDPはほぼ横ばいなんで、経済成長がなくなったら銀行が貸し続けるったって、誰に貸しゃいいんだって話ですよ。誰がそんなに借りるんだって話です。もちろん経済成長は無限には絶対続きません。必ず止まるもんです。で、実際止まりました。これ世界中そうですよね。止まるんですよ。止まったら銀行貸せなくなります。そうするとお金増えなくなりますね。困っちゃうんですよ、お金増やさないと。実際お金増えました。真っすぐ右肩上がりに。誰かが借金をしたんです。今のお金の仕組みっていうのは誰かが借金をしないとお金が生まれない仕組みだから。じゃあ誰が借金をしたかっていうのは、答えがこの赤い線です。これ日本の政府の国債の残高です。要するに、日本の政府が借金をしてお金を発行し続けてきた。まさに緑の線(銀行貸出残高)が青い線(マネーストックM2)を支えきれなくなってから急に上がってますね、この赤い線(国債残高)が。今や、ここ見ると一目瞭然なんですよ。この赤い線(国債残高)が青い線(マネーストックM2)支えてんのわかります?作って、並行して伸びてますね。つまり政府が借金をしてお金を発行し続けたっていうその証拠です。データはうそをつきません。政府が借金でお金を発行し続けた。その結果、今やお金が1000兆円、で、政府の借金900兆円ですね。
(01:04:47)【政府の借金を税金で返す選択肢は存在しない】
大西 政府の借金が900兆で皆さんのお金が1000兆円ってことは、じゃあ政府の借金を返すためにはいくら税金が必要でしょう?900兆ですよね?政府の借金900兆なんだから。皆さんのお金が1000兆円しかないのに900兆円の税金取ったら何が起きるか。お金消えちゃいますよね。つまり、この赤い線(国債残高)がゼロまでいくってことは、青い線(マネーストックM2)も一緒になってゼロになるってことですね。借金でお金を作るっていうことイコール借金を返したらお金が消えるってことです。皆さんいまひとつぴんとこないのは、政府の借金でお金を発行するってどういうこと?ってちょっと思ったでしょ?政府が借金してどうやったら皆さんの預金が増えるの?もうちょっとわかりやすく財政で説明してみましょうか。日本の政府の一般会計予算の税収って、今、1年間、年間約50兆円です。僕が政府だとしますね。皆さんが国民だとします。そうすると、50兆円ぶんの税収、税金を集めるってことは何が起きるかっていうと、僕が50兆円取っちゃうわけですね、皆さんから。そして皆さんの現金、預貯金が50兆円減ります。減っちゃいますよね。もし僕が50兆円ぶんの予算を組んだとします。政府の予算っていうのは公務員の給料とか政府事業の支出とか、民間にいきますね、50兆円ぶんの予算。だから50兆円ぶんの予算を組めば、50兆円ぶんの税金を集めて50兆円ぶん使うんで、行って来いですね。同じ人とは限んないですよ、こっちからもらってこっちに回すかもしれない。こっちの人たちは怒るかもしれないね。だけど全体で見たら一つの経済でぐるぐる回るわけです、それでね。だから行って来いになるんですよ。でも、もし僕が70兆円の予算を組んだとしましょう。50兆円最初税金集めるとき皆さんのお金は50兆減ります。で、70兆円ぶんの予算を組むんだけど、20兆円足りませんね。どうするかというと、僕が、政府が借用書を書きます。これが国債です。それを銀行に買わせるんです。銀行それ買ってくれるんで20兆来ますけど、銀行はその20兆どっからお金を持ってきて買ってるかっていうと、皆さんの預金ですよね。だけど皆さんの預金減りませんよね、政府の国債を買うときに。政府の国債買うから君の預金いきなり半分になるって言われたら怒るでしょ、みんな。起きないんですよ。これは例えば、僕が最初99万円借りたのに白崎さんの100万円のお金は1円も減らないでしょ。それとおんなじなんです。銀行はお金を作って貸すんです、ないところから。だから、20兆円ぶんの政府の国債を銀行が買うときも、20兆円作ってるんです、銀行は。だから20兆円政府に来て、政府は70兆円使いますね。そうすると、皆さんの税金、税収、最初税金払うときに50兆円しか減ってないのに、今度20兆円ぶん足されて戻ってるんですよ。だから差し引き20兆円ぶん皆さんの預金が増えてるんですね。自分はもらってると思わないかもしれないけど、誰かがもらって、それがぐるぐる回ってきて、飲み屋のお姉さんとこに行くかもしれないし、どこに行くかわかんないけど回ってます。そうやって結局、政府の借金と皆さんの預金っていうのは平行して増えてくんです。借金ぶんお金を作って政府が使うから皆さんの預金が増えてる。その結果、こうやって平行して伸びてるんですね。逆をやったらまたお金が消えるのもわかります。税収70兆にしたとしますよね。で、予算50兆しか組まないです。そうすると皆さんの預金が70兆円最初に減るわけですね、税金を集めたときに。で、50兆円しか予算を組まないから50兆円しか戻ってこない。要するに、皆さんの預金は差し引き20兆円消えちゃうわけです。どこ行ってるか、僕の黒字になってます、政府の。それをもし返せば、そのお金と政府の借金20兆円、相殺して消えますね。皆さんのお金も20兆円減ります。これをずーっとやってると何が起きるかっていうと、900兆円の借金消せますよ。消すけど皆さんのお金も900兆円ぶん消しますよね。もちろん利息ぶん、もっと消します。多分お金なくなっちゃうんです。何を言ってるかというと、そんな選択肢は最初から全く存在しないってことです。政府の借金を税金で返すなんていう選択肢は全く存在しないし、それから、借金でお金を発行し続けた金融経済の上にお金をとにかく増やし続けなきゃいけないから、財務省が言ってるようにプライマリーバランスみたいな考え方ももう成り立たないんです。だからMMTが出てきたんです。要するに今の金融システムを維持するためには、この状態で、経済成長も止まって、民間の信用創造も止まって、あとは政府が借金をし続けてお金を発行し続けないと、今の金融経済そのものが崩壊するから、だからずーっと政府が借金をし続けたらいいという、そういう話になってるんです。僕から言わせると、当たり前でしょ。論理的な帰結なの、それは。そんなこととっくの昔からわかってるでしょ。だからといって政府が借金をし続ければいいって話にはならないよと。それだってもちろん弊害があるよっていう話なんです。この弊害についてはあとでまた話します。だから、皆さんに理解してほしいのは、そもそも今のお金の発行の仕組みを理解すれば、最終的に民間の信用創造は必ず止まります。何でかっていうと、経済成長は世界的に必ず止まるんです。地球1個しかねえんだから、経済成長無限に続くはずがないんで、それを前提にした金融システムは続かないんです。それが止まったときに何が起きるかっていうと、その金融システムを維持するために最後まで借りられる政府が借金をし続けてお金を発行し続けなきゃいけないってことです。これは政府じゃないとできないんですよ。考えてみてください。50年間日本の政府っていうのはもう税収の範囲内でやってないです。毎年赤字なんです。っていうことは、1円も50年間返してないってことですよ。(笑)。50年間1円も返してない人に銀行が貸しますか、貸さないですよね、絶対。政府だから貸すんです。でも全然返してないから、これそもそも借金って呼べるの?って話ですね。絶対返ってこないものを借金って呼べるの?って。
白崎 (笑)
大西 という、そもそものとこです。これを理解したときにMMTが理解できるんです。
白崎 で、MMTが言ってるスローガン的な内容で、今の大西さんの話をおさらいすると、政府の赤字は皆さんの黒字というのがもう一大スローガンです。
大西 それはそのとおりなんですよ。政府が借金して皆さんの預金を作ってる。だから、みんなのお金が1000兆しかないのに900兆政府に貸してしまったと、俺そんな貸した覚えないよってみんな思いますよね。貸してないです。そうじゃない。逆なんです。政府が借金をして皆さんの預金を作ってきたわけです。次。
(01:12:05)【借金一人当たり800万円のうそが生んだ悲劇】
白崎 で、いわゆる政府が借金をして作っているシステムなんだけれども、ずーっといわれていることは、さっき大西さんも言われたように、プライマリーバランス。要するに、限られた税収の中で政治、経済をやってください、赤字経済というのはあり得ないんですっていうことで、一生懸命、一生懸命、財務省、安倍さんも含めて税収を増やして、財政規律、要するに赤字をなくしますと、子々孫々にツケを回しませんというのがスローガンになってる。それが実は私は非常に深刻な問題を起こしてると思っていて、それは何かっていうのをちょっと説明させていただきます。MMTの効用です。MMTが広がることによって何が我々の頭の中から消え去るか。皆さんご存じのとおり、津久井やまゆり事件っていうのがあった。私、実はこの25年間は福祉の仕事をしてきまして、私やってたのは障がいのある脳性麻痺の子どもたちの福祉用具輸入販売なんで、要するに一番末端のお仕事をしてたんですけれども、それと関係があるのでこの例を出したいんですが。津久井やまゆり事件って、皆さんご存じのとおり、容疑者の若い人がやまゆり園の人たちを刺し殺した***。前代未聞です。これが刑事司法でこれからどうなっていくかっていうまた別の課題がありますけれども、この容疑者の人とずーっと、雑誌『創』(つくる)っていう、編集長の篠田さんって私すごい尊敬してる人ですけれども、篠田さんがずっと往復書簡をしていて、それが、今、これYahoo!ニュースで読んで、下、この『創』って雑誌が読めるんですけど、その中に、割に最近の容疑者さんの発言はちょっと私追ってませんけれど、ずーっと彼が一貫して言ってる、変えてないことがあるんです、逮捕されたあとでも。逮捕されてない中で何を彼が一貫して言ってるかっていうと、赤字にしましたけれど、彼の主張はこうです。日本人に1人800万円の借金がありますよね。さっき言った大西さんのあれですよね。要するに国が借金をして支えてるっていう***。そうすると、それは一人当たりに直すと800万円の借金です。よくマスコミの方もやるじゃないですか。日本人の借金は、
大西 国の借金ですね、一人頭。
白崎 そう。一世帯当たりに直すといくらありますよっていうやつですよね。家計にするわけです。家計にすると800万円借金があるから、これ大変だという、そんなの返せませんよねっていう話になって、この容疑者の人はどういう、
大西 ***のほうが大変なんですね。(笑)。
白崎 そう。容疑者の人はどういう発想になったかというと、そんな借金があるから福祉に金使ってる暇はない。で、彼の言う定義ですよ、これ、彼の言う定義なんだけど、心失者、つまり心を失った人っていう、つまりコミュニケーションを彼が取れないと思っている重度の障がい者はいてもしょうがないんで、不幸を生むだけだから、無駄だから死んでくださいっていうのが彼の理屈ですよ。これは、我々、障がい者問題やってる人たちの中からは、これは優生思想だと。つまり健常な人間のほうが優等で、障がいを持った人は劣っているから、その人たちはいなくなってもいいという、そういう思想をベースに生まれてきたから、けしからん。例えばナチスのようなやつですね。けしからんということで、いろんな集会が行われて、それは私は正しいと思います。私もそう思います。ただ、優生思想だけではどうしても弱いって。弱いというのは何かっていうと、これなんですよ。彼がだまされていたのは、実は我々とおんなじ、やっぱりマトリックスの住人なんです。一人当たり800万の借金が、つまり、財務省とか政府が言っていることそのまんま、皆さん、借金が増えて大変ですよ、子々孫々ツケが回りますよって言われてることを間に受けて、この犯罪を起こしてる。人間ってやっぱり思想的動物ですから、何らかの自分の考えによって動くわけです。それを擦り込まれたのは、実は我々がずーっと言われ続けて、さっき大西さん言ってましたよね、50年間借金返してない。(笑)。それをこういう負のかたちで彼が体現して、実はそれ我々にも通じてるわけです。それは福祉の仕事やるとよくわかります。福祉の現場行くと、この20年、30年ぐらいかな。橋本構造改革っていつありましたかね、1990年代前半からやってると思うんですけど、ずーっと節約節約ですよ。白崎さんの輸入して、うちアメリカから輸入して***、脳性麻痺の子の歩行器いいねって、でも国にも地方にもお金がないんですよっていう具合に、必ず役所の人も言うし、それから、私の機器の場合はドクターが意見書書いて、それから初めてお金が出てくるんですけど、お医者さんも言うんです。専門家みんな、白崎さんの言ってるのは理想ですよ、でも税金がないんですよ、だから私、意見書書きません。ドクターは医学的判定してくれればいいだけなのに(笑)、私は税金無駄遣いしたくありませんからって必ず言います。そういうのがたくあん石か漬物石みたいにずーっとずーっと20年以上のしかかってるんです。それですよ、これ。私、これ由々しき問題だと思うんですね。こういうたくあん石を突き飛ばしてくれるのが、さっき言ったあのAOCさん、オカシオ=コルテスさんじゃないけれども、財源なんて心配ないですよ、何が赤字で悪いんですかという話で、でも、何が赤字で悪いんですかという本当の意味は、今、大西さんがずっと説明してくれた我々のお金の仕組み、つまり、お財布の中だけにあるお金がお金じゃないよ、銀行が作ってますよというところが一番のポイントなわけ。で、ちょっと次***。
(01:18:08)【本当の問題「国債費」】
白崎 そうすると、津久井やまゆり園の容疑者さんに会ったら僕言おうと思ってるんですけど、あなた借金がありますって言うけど、これ、日本の歳出って、要するに出てくお金を、日本の会計って一般会計と特別会計って二つあるんでややこしいんですけど、今日その話はしませんけど、これ二つ合わせちゃって、まとめたんですよね。そうすると、あの円グラフちょっと暗くてわかりづらいんですけど、国債費38%、90.1兆円ってあるんです。つまり出てくお金の国債費って何かっていうと借金証書だから、借金を借り換えする利子と、元本を借り換えて、ずーっと日本、何十年、大西さんが言われたとおりにやってるんですけど、これが一番予算を食ってるわけですよ。赤字っていってます。ね?だから、国債費のこのぶんがぶーっとなくなると(笑)、あと社会保障費確か83兆円ありますけど、これ全然違うわけでしょ。だから問題はこの円グラフにある、この国債費なる38%、これ要するに、借金を一旦返してまた借金してっていうのをずっと続けてるわけですよね。自転車操業のこれこそが問題なんですよ。だから、津久井やまゆり園の容疑者さん、あなたが殺すべき相手は障がいのある人じゃなくて、これ。これを何とかしなきゃいけない。で、この国債費の38%をそのまま続けていけばいいですよって言ってるのがMMTです。何の問題もないと。容疑者くんよ、君がそんな不安になることはないんだ、MMTがあれば、そのまんまやってけばいいんだよっていうのがMMTです。ただ、僕と大西さんはこのまんまやってけばいいんだよっていう具合には思ってない。ここがMMTと違うとこです。
大西 そもそもこの90兆円っていうのは利息だけじゃなくて国債の借り換えも含んでるんですよ。つまり、これ何かっていうと、予算でそのぶんお金払わなきゃいけないけど、そのぶん国債で借り換えてるんで、行って来いで、何の意味もないんです、そういった意味で言うと、そもそもが。あと、利息はどのぐらいになってるかっつうと、年間9兆円ぐらいになってます。今、大体900兆円ぶんの元本に対して1%ぐらいの利息がかかっていて、9兆円の利息っていうのは、結局どこまでいっても利息なんで、どこに行くかっていうと、おおむねお金を持ってる人のとこに行く仕組みですよね。貸してる人のとこに9兆円行く仕組みなんですよ。やっぱり所得の移転なんですね、これ。そもそも、ミハエル・エンデとか、古くはイスラム教なんかも何で金利がおかしいって言ってるかというと、不労所得なんですよ。要するに何も作り出してない人がただお金を持ってるっていう、ただそれだけのためにお金をさらに得るっていう仕組みなんですね。思想的におかしいんですよ。で、それが年間9兆円、この30年間で300兆円以上の累計利息が発生してます。それが当然300兆円がこの30年間で所得の移転として、おおむね資産を持ってる人のところに行ってるんですね。日本の国債っていうのはほとんどは機関投資家が持ってます。銀行とか生命保険とか損害保険とか年金運用基金。そういうとこに資産がある人、それからそういう機関っていうのはもう今、結構な割合が外国人投資家に握られていて、株主がね、そういうところが企業としてもうけてるっていう。結局吸い取られてしまう、300兆。これ、巨大な格差拡大マシーンになってるんですよ、今の金融システム。
白崎 あとでまたその話ちょっとやるんですけど。まさに格差拡大システム。ちょっと時間も押してきたので。
(01:21:56)【MMTのポイントおさらい】
白崎 それで、じゃあMMTが言っていることのポイントをもう一度おさらいしたいと思います。基本は、この1番に赤く書いたところで、何度も言いますけれども、国家財政において、いわゆる税金が先にあるわけじゃないんだと。最初にあるのは財政支出、つまり使うほうが先にあるんじゃなくて、収入でみんな考えるんで。家計で言うと、要するに収入が入ってこなかったら使えないじゃんっていうんじゃなくって、家計とおんなじじゃありませんよと。まず最初に財政支出が先立つっていうのがMMTの大きな思想の柱と。これ英語で言うとスペンディングファーストといってるんですけど、要するに使うのが最初です。これがMMTの考えの大きな柱です。
大西 要するに、集めて使うんじゃなくて、先にお金をあげて集めるって発想ですね、どっちかというとね。
白崎 そうです。
大西 (笑)
白崎 だから、ちょうどこれがさっき大西さんが説明してくれた銀行の信用創造と似ていて、厳密に言うと、預金をそのまま貸し出すんじゃなく、銀行に、要するに預金通帳にばばばばって打ち出せば、それがもう預金で通貨なんです。だから、最初に金ありきじゃなくて、貸し出し最初にありき。銀行貸し出しが最初にあってお金が作られる。お金があって預金が生まれるんじゃなくて、預金があってお金が生まれる、この逆と同じなんです、MMTの発想。税収があって国家財政がまかなわれるっていう具合に普通の人みんな考えるし、そうやって洗脳されて津久井やまゆり園の事件も起きてるけど、そうじゃないよ、違いますよ。税金があって財政を支出するんじゃなくて、まずみんなの財政の支出のためのプログラムがあって、そっちが先ですよ、使うほうが先ですから。そっから税金があとで生まれる。何であとで税金が生まれるかっていうのはもっと先に説明しますけど、そういう順番なんです。だからひっくり返る。でも、ひっくり返ってるほうが正しいです。
大西 ちょっと歴史的に考えてみると、何でひっくり返るか。昔は、もう金融システムとかない、本当、江戸時代とか、多分、先に米作ったんです。米作って年貢米として集めてたのね。物(ぶつ)だから、ないと集めらんないし、集めないとないわけ、配れないでしょ。逆に金融経済になると、お金が人が動くきっかけになってる。お金がないと動けないってみんな思っちゃってるんで、そうなるとね。そうすると、そのシステムの中ではお金を先に誰かに渡して米を作ってもらうってかたちにしないと、米を持ってくるんじゃなくてね。そういう、多分、いつの間にかひっくり返っちゃったんです、考え方がね。
白崎 ひっくり返った大きな理由が、今、ヨーロッパが作り出した銀行経済システムって、その話は、ぜひ皆さん『負債の網』買ってもらえれば(笑)、『負債の網』に詳しく書いてあるんですけど、そこなんですよ。割に健全なのは、日本の江戸時代ですよ、今、大西さん言われてたように、お米を、お米の先物取引があったとか何とかって経済学者言うけれども、お米で回した。つまり実体経済ですよね、最初にあるのは。そこがちょっと病気になったヨーロッパと、そうじゃない国の差ですよ。それは話が脱線するんで、それはそこまでにしときますけど。1番のその赤いとこがポイントです。そのために何が必要か、2番の、さっき言った通貨発行権。国っていうのは自分でマネーを発行できる権利を持っているから、それをうまく使えば、つまり世の中に出回ってる実体経済っていうもの、ものとかサービスに合わせた通貨をきちんと発行すれば経済が運用できるんで、別に赤字だって関係ないですよっていうのが2番目。で、3番目。税金はどういう価値持ってるかっていうと、税金が価値を持つっていうのは、要するに、それが税として国に納める手段に使えるからっていうのがMMTの考えです。税金として皆さんが納めるから、お金としてありがたがってる。わかります?みんなのお金は税金として納められる日本円だから日本円なのっていうのがMMTの理屈です。これ私ちょっと疑問があるんですけど、その話長いんでしませんけど、一応MMTはそういってる。もう一つ、4番目に、そのMMTはじゃあ財政支出をする最終目標をどこに置いてるかっていうと、これはアメリカでAOC現象でも出てくるんですけど、みんなを完全雇用するってことです。失業ゼロの社会を作りましょうということで、よく日本銀行のことを、中央銀行のことを最後の貸し手、つまり、ずーっと借金してって、最後取りつけ騒ぎが起こんないように日銀は最後にとりでとなって守るっていうんですけど、それに同じように引っかけてるんですけど、MMTの場合、最後に国が何をやるかって、最後の雇い手。最後は雇用に責任を持ちますよっていうのがMMTの理屈で言うとこの国家の基本なんです。そのための財政支出。
大西 ここはそもそも古いよね。
白崎 古いんですよ。(笑)。
大西 何でかっていうと、完全雇用なんて別に必要ないわけ。要するに、みんなが完全に仕事なくなる状態がベストでしょ。(笑)。何を言ってるかというと、完全、さっき言ったような穴掘り事業の話なんですけど、穴を掘って埋める、お金を渡すために穴を掘らせるっていう無意味さに早く気づいたほうがいいね。(笑)。
白崎 そう。あと、
大西 どんどん効率化してAIとかで仕事が減るっていうときに、仕事をどうやって減らすかって話で、完全雇用なんて目指すべきではないよね。お金を渡すために働いてもらう必要がないんだから、
白崎 ない。
大西 働いてもらう必要がなくて。それこそみんなが働かなくて全自動ですべてのものが作られるようになったら、みんな働く必要はないわけ。そこに、だから働いてお金を渡すってその思想そのものがもう、多分、とっくの昔に時代遅れになってるのね。
白崎 そうです。
大西 そのまま。
白崎 MMTも結構古くさいですよ。
大西 そう、本当に。
白崎 これ、ニューディール政策って皆さん社会で習ったよね、前の大恐慌のときルーズベルトが公共事業やりましたとか、失業なくしました、あれの現代版なんですよ。
大西 だから、国家経営のやり方として、完全雇用が目的なんじゃなくて、要するに皆さんの時間と労力を使って何をするか。やることが本当に地球のためになるとか、未来の子どもたちのためになるとか、それであればみんなで分担してやるべきだって話ですね。
白崎 その辺がMMTは結構、国家観古いんです。だから、ランダル・レイさんは、この私が訳した、ベーシックインカムに反対なんです。わかりやすいでしょ。一人当たり10万なんて現金給付したら働かないからです。ランダル・レイさんは、
大西 すごい古いんだ、レイさん。
白崎 そう。
大西 (笑)
白崎 ベーシックインカムに反対です。ただ、MMT全体いろんな学者さんがいるので、ベーシックインカムに親和的な人もいますけど、ランダル・レイさんは反対です。ちょっと時間がない、先、飛びますけど、5番目。もう一つMMTのお金の観念の中で大事なのは、すべてのお金は借金だっていうのは彼らも認めてるんです。すべてのお金は借金です。だから、どうせ借金なんだから財政赤字したって問題ないじゃないか、借金は借金なんだからっつって、どんどん増やせよっていうのがMMTのもう一つの大きな柱です。6番目。じゃあ税金は最後何するか。皆さん納める税金は税収として財政規律に使うんじゃなくて、MMTがやっぱり心配してるのは、これはMMTを批判する人たちがよく言うのと同じなんですけど、そんなお金作るのいいよって、でもお金作りすぎたらインフレになっちゃうじゃん、ハイパーインフレになっちゃう、お金の価値がなくなっちゃうじゃんっていう批判が必ずくるんですよ。それに対してMMTが用意してる答えは、いいえ、皆さんが納める税金というのは、インフレを調整するために税金を納めればいいんです。つまり世の中に出回ったお金を回収するために税があるんです。っていうことで、ランダル・レイの言い方をすると、税が社会を動かすと言われてます、そういう意味じゃ。税が社会を駆動するという、国家を動かす。その意味は、余ったお金を集めてくる、回収するための道具だということで税金があるということです。それがMMTの一つの、一つのっていうか最後の柱です。
(01:30:38)【MMTの実際の金融財政システムはどうなるか】
白崎 一応3時に休憩にしたいので、あと10分だから、もうちょっといきます。MMTの実際の金融財政システム、どういうことかっていうのを私なりに図にしてみました。ただ、MMTの図解っていうのは詳しくやるとむちゃくちゃ大変なんですよ。貸借対照表ってあるでしょ、会計の、貸方、借方とかって(笑)、あれを使わないと本当はよくわからないところあるんですが、そんなのやってるとものすごいめんどくさくなるんで、もっとすごーい単純にして、これ白崎バージョンなんで、かなりはしょったやつです。はしょったやつですけど、何となく概念はわかっていただけると思うんですけど、まずMMTの基本は、一番左、中央銀行と政府は一体化したものとして考えますっていうのが一つの柱です。これが統合政府っていうやつで、これ、今、ネットで見るとMMTを、TwitterだかFacebookでもういろんな人がいろんなこと言ってますけど、この統合政府って一つの柱になってます。統合政府って要するに単純に言うと、日銀と日本政府一体化して考えちゃう。そうすると、片っぽ借金してて片っぽ借金が戻る図になるんで、だから相殺できちゃうわけです。プラマイゼロにできるっていう発想なんです。だから、中央銀行と政府は一体化して貸し借りなしにしちゃおうぜってやつです。これがまず一つの柱なんです。あとはどうするかっていうと、やっぱり国債を発行して、国が借金作ったら、それを中央銀行買って、それで現金を発行するっていうシステムは今までと全く同じなんです。この買い方は実はMMTの中でもいろいろあって、これは多分、休憩のあとの話になると思うんですけど、僕と大西さんが散々言っている政府通貨の発行と全く同じ仕組みを取っても構わないというぐらいに言ってます。だから、ここちょっとあとでまたお話ししますけど、政府通貨発行バージョン、国債買ってくる、つまり借金を増やすバージョン、三つぐらい用意してるんです、MMTは。それから、今、アベノミクスで量的緩和っていうのやってますよね。これをマスコミ的に言うと、日銀は1年間に80兆円の大量の国債を買い入れて、皆さんに放出してます、出費してます、よく言ってるじゃないですか。今80兆円ないですけども、今減ってるんですけど、言ってるじゃないですか。この量的緩和っていうお金がどこに行ってるかっていうと、これは全然別の話なんですけど、これとおんなじことをMMTもやるんです。そのお金はどこにたまるかっていうと、今、日銀のホームページ見ると、右側に、今日皆さん書いてあるの見て、日銀のホームページの右側に日銀当座預金残高って出てます。必ず見れます。多分、今、三百何十兆円でしたっけ。
大西 今は400。
白崎 400兆円かな。本当にそう、ものすごく膨らんでんです。このアベノミクスが始まる前っていうのは多分50兆円とか、そんなもんなんです。それがずーっと安倍さんになって増えて、増えてって400兆円ぐらいになって、金融用語でブタ積みっていいます。たまってるんです、これ。そこにあの丸が書いてあって、市中銀行の当座預金っていうところにたまってるんです。これはどういうことかっていうと、私の地元で言うと足利銀行が有名ですけど、足利銀行は必ず日銀の中に自分とこの口座を持ってる。銀行口座、銀行だけ持ってるんです。我々日銀口座持ってない(笑)。銀行が持ってるんです。そこに振り込まれるんですよ。
大西 多分、わかってない人がだいぶ、
白崎 だいぶ(笑)。
大西 置いてきちゃった感じがするので、まずちょっと基本的なことから説明しますね。まず中央政府、政府と中央銀行の一体化、結局、財政政策と金融政策、今まで分かれてたんですよ。金融政策っていうのはお金の量の調節です。どうやるかっていうと、中央銀行が金利を上げ下げして、何で上げ下げするとお金の量が調節できるかっていうと、お金の量ってもう皆さん理解したと思うけど、借金の量の調節なんですね。借金が増えるとお金が生まれるし、借金が減るとお金が消えるっていう仕組みです。だから、金融調節っていうのは基本的に借金の量の調節。中央銀行はどうやってやるかっていうと、基本的には金利の上げ下げでやってたんですね。だけど金利がもうゼロまでいってます、今、日本の場合は。で、そのあと量的緩和っていうのやってます。量的緩和って何かというと、日銀が市場にある国債を買っちゃう、銀行から。銀行から国債を買うと、要するに国債っていうのは今まで銀行がそれを持っていて、利息を取っていた、もうかっていたものなんですね。それを日銀が銀行から買っちゃうと現金に変わっちゃう、利息がつかないものになっちゃうね。そうすると、銀行もうかんなくなっちゃうでしょ。だからもうけるために何をするかって、それを誰かに貸しなさいと、貸さないと収益悪化するでしょって。で、皆さんマイナス金利って聞いたことある***けど、マイナス金利っていうのは市中にはないです。我々マイナス金利でお金借りられたためしはないですね。結局、日銀の中にある銀行の当座預金だけにかかるものなんですね。銀行が持ってる日銀の中の当座預金っていうのは一応3段階、松竹梅に分かれていて、一番下には金利がちょっとついて、金利がゼロで、一定以上お金積んじゃうとマイナス金利かけられちゃうね。そうすると、今まで国債を持っていて稼いでたお金にマイナス金利かけられちゃうから、これは大変だっていうことで、必死になって貸そうとするわけ。貸したらお金が増えるでしょっていうのが量的緩和なんです。実際どうなったかっていうとほとんど効いてないわけ、今まで。銀行はそれはやっぱ大して貸してないわけ。結局どうなってきたかというと、政府が、さっきも説明したみたいに、借金、政府の赤字でお金を作り続けてきた、この数十年。つまり、本来は金融調節、お金の増減っていうのは中央銀行の仕事だったものが、いつの間にか意図せず政府の仕事になってたわけ、知らない間に。多分、これ、意図してやったんじゃなくて、赤字財政を繰り返してるうちに、それがみんなのお金を増やしてきてしまった、結果的に。だから、これもう完全、実は今の政府がやることは、金融政策っていうのは、それをわかってないまま多分やっていて、多分、このMMTっていうのは政府がやることも認めて、要するに中央銀行と政府を、もうこれは一つのものとしてね。要するに、政府が借金をしてお金を使うなり、国債を発行することによってお金を作るという、もう意図的にやってしまった中央銀行の仕事も、もうちゃんとそれをもう政府の機能というふうに認めて、それを基本的にやりましょうという、
白崎 そうです。機能として認める。
大西 考えですね。
白崎 そういう意味では現状追認なんです、それは、全く。大西さん言われたように、実は市中銀行の預金口座っていう日銀にあるところから、一般銀行は貸し出ししないとお金が増えてかないんですけど、増えなかった。
大西 そう。
白崎 さっき、大西さんのグラフの緑のとこにあるように、銀行貸し出しは増えなかった。増えなかったから、さて困ったっていうことになって、量的緩和は、今、さてどうしましょうっていうことになってんですけど。MMTはそこで何を言うかっていうと、いや、だから、使えるように財政政策を重要視して、ランダル・レイ的に言えば完全雇用に近づくような政策をしたらいいじゃないですか。今、山本太郎さんなんかも言ってるMMTを基盤にして反緊縮やってる人たちはどういうこと言うかっていうと、いや、こんなにお金余ってんだから、これを皆さんに還元すればいいじゃない。例えば一部をベーシックインカムにしたらいいじゃないか、一部を福祉に回せばいいんじゃないか。つまり緊縮じゃなくて反緊縮でどんどんどんどんお金をみんなに配ればいいじゃないという具合に政策転換しなさいよということが今のMMTの延長に***。だから、ここにある市中銀行って、うちの地元、足利銀行も、その政府の金融政策と財政政策をただつなぐだけのものになるんです。ただし、ただしですよ、これ休憩のあとになると思いますけど、この銀行の信用創造のあり方はそのままです。借金でお金を貸す構造はMMTは変える必要がないって言ってます。ランダル・レイさんも含め、みんな。そこが大きなポイントです。借金でお金を貸す構造、大西さんがさっき説明した、我々のお金が増えていく構図自体はMMTは全く問題にしないです。ここで休憩したほうがいい?(笑)。
大西 どこまでいっても借金とお金を増やし続けるっていう、官民一体でという考え方ね、多分。もしかしたら、銀行が借金をしてお金を作る仕組みを変えたくないから、政府が借金をしてお金を作る仕組みも変えたくないんじゃないの?といううがった見方***。
白崎 私はそういう具合に見てますけど。だから逆に言うと、MMTが日本で今出た理由というのは、実はいいこともあるんだけれども、本当は本丸中の本丸を隠す。つまり大西さんや私が政府通貨発行しなきゃだめじゃん、つまり銀行貸し出しそのものを廃止しないとだめじゃんっていうのはあまりに過激で、それこそ救世主ネオでもできないことだから、そこは、
大西 やるよ、それ、俺。
白崎 そこは見ないようにしようっていうMMT独特のごまかしって言うとMMTやってる学者さんに怒られるかもしれないけど、私はそういう気がしています。ということで休憩したほうがいいですかね。
大西 でも、そこは功績のとこに入るじゃん。
白崎 そうですね。
大西 要するに、MMTが出てきたことによって、お金の発行の仕組みについて考える人が増えて、
白崎 増えれば。
大西 ***とてもいいことです。
白崎 いいことです。
大西 そこまで行き着いちゃうと、逆に逆戻りできないです。もうここまで理解してしまったら、違うでしょって、本当にやんなきゃいけないことは違うでしょってみんなが理解し始めれば、MMTを通過してここまでいけるんですよ。で、あと、2番目の白崎さん、これも今までの全部常識ですよね。
白崎 そうですね。だから、この国会で散々言ってるプライマリーバランス、プライマリーバランスって、もう私口が回んないです、プライマリーバランスって(笑)、これがいんちきなんですよ、こんなもん。
大西 おまえら今まで何の話をしてた?って話です。
白崎 でも国会でも、
大西 国会の予算委員会っていうのは、
白崎 無駄。
大西 あれは何なの?何なんでしょうね。茶番だか、能なんだか、日本の伝統芸能なのかよくわかんないですけど、完全に意味のない、
白崎 意味のない伝統芸能ですわ、国会という。
大西 あと、税の定義、再定義。ただ僕弱いと思うんです、税の再定義としてはね。これ、あくまでも財政とか金融的な側面しか見てなくて、税制の一番大事なとこって何かっていうと思想なんですよ。何に課税して何に課税しないか***。よく僕は軍事課税の話もするし、本当に課税しなきゃいけないとこには課税しなきゃいけないし、その一番大事な税制の思想に関しては残念ながらMMTは一切言ってない。再定義、まあちょっと、
白崎 言ってないっていうよりも、さっき言った税で回収するっていう、そこだけ言ってるんですよね。大西さんが言われるように、実は税の思想っていうのは経済学者はほとんどが考えてこなかったんですよ。
大西 経済学者だからかもね。
白崎 税金って歴史的に言うと、発生、例えば日本で言うと、次のスライド***、もう、
大西 もういっちゃうね?
白崎 うん。
大西 ここまでいっちゃおうか。
白崎 いっちゃう。これ、私の師匠の関曠野(せきひろの)さんから教わったことなんですけど、所得税って日清戦争で、相続税は日露戦争で、厳選所得税は大東亜戦争、括弧つき、大東亜戦争ね、アジア太平洋戦争なんで。要するに、何でも税金って戦争とくっついて出てきてんですよ。大量殺戮で。(笑)。大量消費、大量殺戮のために税金ってシステム化されて、これ世界的にそうです。で、そっから一歩も進んでないですよ、税金に対する思想。だから私、大西さんの本読んだときに、土地の公有化うんぬんかんぬんとか書いてあるじゃないですか。これ皆さん読まれたと思うんですけど、あれは、大西さんってものすごいな、別にここにいらっしゃるからおだてるわけじゃないですけど(笑)、すごいと思いましたよ。あそこまで考えるプロが、経済学のプロがほとんどいないんじゃないか。大西さん***プロ中のプロなんだけど、すばらしいと思ったんですけど、やっぱりそういうくらい、税って何か僕たちって単に日本国憲法で納税の義務って書いてあるだけで、取られる一方でそのままになっちゃってるっていう現状がよく出ているなと思いました。っていうところで、休憩しましょっか。
大西 そうですね。じゃあ、ここで一旦3時10分まで休憩を入れますので。皆さん、おトイレはそこ、真ん中のドアを出て、下、地下にあります。
白崎 あと、ぜひいろいろ本売ってます。買ってください。(笑)。
(01:44:05〜01:54:09 休憩)
(01:54:09)【MMTの前に考えておくべきこと】
大西 そろそろ後半いきます。で、次。
白崎 じゃあ休憩終わりということで、皆さんお戻りでしょうか。始めます。さっきの続きですけど、税金は何のためかわかんないままきちゃったので、経済学っていうのは見逃してきたっていうことも一つなんですけれども、その次にもうちょっといきたいんですけれども、今日の後半部分の話の肝です。MMTが考えていることの前に、私たちが考えておかなきゃいけないことは何かっていうことで、もうこの赤字そのままです。私たちの銀行マネーシステムは、何回も今日出てくるフレーズですけど、銀行マネーシステムだということがポイントなんです。借金でお金を、
大西 借金マネーシステム***ね。
白崎 これです。今ちょっと控え室で大西さんとしゃべってたんですけど、今、MMTを進めてる日本の学者さん何人かいますけど、例えばこの前、私はベーシックインカム学会っていうのを、ツアーやって、そのとき松尾匡さんに記念講演やってもらって、日本でMMTを進めてる松尾さんにちょっと話を個人的にしたんですけど、彼も最終的には政府通貨、つまり今日の後半出てきますけど、要するに借金マネーシステムをやめるしかないっていうのははっきり言ってます。論文にも書いてます。でも、経済学者の人たちがちゅうちょするの何かっていうと、そんなマトリックスを根底から覆すような破壊的なものを、破壊的***、ラディカルなことは皆さん本当にできるんですか。つまり政治の課題としてそれが本当に可能なのかどうかっていうところで経済学の人たちは一応、ちゅうちょするっていうか、びびるんですよ(笑)。これも言葉適切じゃなかったらごめんなさい、松尾さん。(笑)。びびるんですよ。一歩手前とどまる。だから、MMTのほうがやや軟弱でいいんじゃないかって***。
大西 我々が勇気を与えてあげましょ。
白崎 (笑)
大西 突き進む連中が増えてくれば、みんなついてきますんで、そこへ。
白崎 だから、経済のテクニカルな議論で言っても、MMTがそのまんまでいいとは、やっぱり良心的な経済学の人たち思ってないことがよくわかります。でも、僕たちがターゲットにしているのはこの銀行マネーシステム。さっき言ったように、お財布に入ってるお金だけがお金じゃないってことです。で、ちょっと先***。いいですか、大西さん。
大西 はい。
白崎 これはちょっと小さくて多分皆さん見にくいと思うんですけど、国債を誰が買ってるかって円グラフです。一番左の円グラフの緑の部分で薄緑が日銀が買って、これ平成27年のちょっと前のデータなので、まだ日銀の割合がそんなに多くないです。
大西 でも、だいぶ買ってますよ。
白崎 でも、これでも200兆円、
大西 そんなんじゃなかったです。
白崎 300兆円ぐらいか。
大西 銀行が持ってたぶんですけど。
白崎 あとは大部分の同じぐらいの割合を銀行が買ってるっていうやつですね、この国債を。それは生命保険会社が買ってます。要するに、さっき大西さんが言われた、国債を買っている利息まがいの、我々から、税金から搾り取られた***どこに行くかっていうと、やっぱ金融機関に行くんですよ、銀行とか生命保険とか。ここにたまってっちゃうんです。だから、国債のシステムって、我々の税金の、要するに金持ちシステムに移行するため、さっき大西さん何つったっけな、要するに移行システムの、
大西 格差拡大マシーン。
白崎 格差拡大マシーン。
大西 これ、まだ外国人に握られてないだけまだまし。
白崎 まだましか。
大西 少なくてもみんな日本人なんで。
白崎 少しいるんですよ、外国人投資家。
大西 もちろんそう、外国人投資家もいるし、
白崎 少しですけど。
大西 銀行とか大手の生命保険とかの株主もかなりの割合外国人投資家になってるっていうのはもちろん問題で、富は流出してますよ。
白崎 要するに、この富の拡大移転がなぜ起きてるかっていうと、国債の利払い部分は金融機関に行っているというかたちなんで、一応(?)、(笑)。
大西 そもそも、だから、お金って皆さんの生活に必要な、すべての生活の基盤になってるような、そこの発行システムでごく一部の人たちがもうける仕組みっておかしいでしょ。要らないでしょ、そんなの、そもそもね。という話ですよね。
白崎 よくベーシックインカムやったら働かなくなるとか働くとかっていう議論必ず出てくるんですけど、働く働かないっていったって、資産が、世界の人口の8人が何でしたっけ、36億人と同じ?
大西 そんなこと言ってますね。
白崎 そんなふうに言ってますけど、そんな労働ってあるんですか(笑)。時給いくらにしたらそんなにたくさんもうかるんですか***。つまり働いてないじゃん、***至上8人の人たちとかね。だから、働く働かないって議論っていうのはもう全くナンセンスだと思います。
大西 そもそも、我々こんな働かなくていいのに、
白崎 (笑)
大西 こんだけ技術発展がして、これだけ効率的にものをたくさん作れるようになって、全然我々の時間開放されてないのは、ごく一部の人たちがそれを持ってってるという、その成果をね。
白崎 次いきましょうか。これは歴史の話ですけど、これは『負債の網』にちょっと出てきますけど、この、いわゆる富の移転マシーンっていう国際体制っていうのは実はヨーロッパで作られている原型があって。16世紀のオランダに、これやっぱ戦争なんですよ。なぜかっていうと、当時、王様って、権力者ってやっぱ借金するんですよね、戦争って膨大な費用を使う。それを踏み倒す、力があるから。俺はおまえらに金払わねえぞって。こんな国のために戦ったんだから、もう俺は借金はおめえには返さないっていうので何回も踏み倒してた。そうすると、さすがに金融家たちは困るんです。で、王様に踏み倒されないためにはどうしたらいいか考えて、そのときに議会っていうのを作ったんですよ。みんなで決めたから、王様、もうしょうがないじゃないですか、議会で決議上げたんだからだめでしょっていう具合に、議会とくっついてこの国債の発行のシステムを作って、なおかつ、このときに中央銀行っていうの作ってもらうんですよ、王様にお墨つき与えてもらって。じゃあ、あなたたち銀行の代表もこれは国の代表機関と同じに扱いいますから、それで税金取って国民から集めてくればいいじゃないと、それで俺に返してくれよっていう、この王様と結託した、権力者と結託したシステムを16世紀のオランダに作り上げた。だから、税金で取るっていうことと国債で権力者が資金をまかなうっていうのがくっついていて、なおかつ議会制っていう、我々議会制っていうと民主主義でおめでとうっていうふうに思うでしょ。そうでもないんですよ。議員さん今日いらっしゃって、怒られるか、議員さんって怪しいんですよ。(笑)。これなんですよ、だから。だから、議会と借金マネーシステムは実は歴史的にくっついてるということだけ押さえとけばいいと思います、今日。怪しい***。次は、これもさっき言ったおさらいでそのまま読んでおきますね。政府の通貨システムの不備って、さっき言った、津久井やまゆり園事件の、
大西 これ、政府の通貨システムの不備っていうか、今の通貨システムの不備ってことですよね。
白崎 そうです。今の通貨システムの不備が財政難を引き起こしたということ。これはシステムの不備なんです。パソコンで言うとOSの不備ですよね。その不備は何かっていうと、やっぱりこれはもう大西さんがさっき何回も言ったように、この銀行通貨システムで、利子つき負債マネーシステムで、どんどんどんどん借金を膨らましていかないと成り立たない。実は資本主義ってそういうもんだっていう***ということです。ここは前半戦の実は結論で、お金を発行するところが、実はよくある通貨発行権っていうのは日銀、中央銀行と一般の銀行、二つあるっていわれてるんですけど、メインは、何回も言いますけど、一般の銀行、市中銀行は皆さんにお貸し出し、住宅ローンとか、あと、会社経営されてる人たちに貸すとか、そこで初めてお金が生まれるんですよ。だから、通貨発行権を持ってるのは民間銀行です。日銀は確かに通貨発行の発行権は持ってます。要するに日銀券であの1万円のあれを刷って持っとく権利は持ってる。けども、日銀って要するに銀行のパシリなんです。使いっぱ。中央銀行だけど、銀行システムを最後のとこで使いっぱで支えてるものだと考えてください。だから、通貨発行権は一般の銀行が貸し出すところにある。それを支えてるのが中央銀行。全体として銀行システムが成り立ってるということで考え***。これも繰り返しになりますけど、お金は預金の流れから生まれるわけじゃないんですよ。銀行貸し出しで、ただ皆さんが何とか銀行の帳簿に載るじゃないですか、パチパチパチパチ、デジタルの、あの数字がお金ですね。だから、預金が先立つんじゃなくて、銀行貸し出しが通貨を生み出す、銀行貸し出しが先立つというところが今日の大きな柱です。これはMMTを根底から理解するときもやっぱり必要な考えだと思います。
大西 よく、だから通貨発行権とか中央銀行の通貨発行権とかいうけど、中央銀行が通貨発行権を持ってるわけではなくて、中央銀行って何やってるかというと、民間銀行の貸し出しをコントロールしてるだけなのね。民間銀行がお金を貸すとか貸さないかっていうのを、要するに金利の調節で誘導してるだけで、実際この数字を、日銀っていうのは大したこと何にもやれてないんです。一生懸命金融緩和しようとしてるんだけど、金利は下げられないし、必死になって国債を買ってるんだ、これ買いオペっていうんですけど、買って、要するにその代金を各銀行の当座預金にお金を置くんだけど、それを貸してくださいねって言ってマイナス金利までかけるんだけど、銀行は貸せる相手を見つけらんないんです。何でかっていうと1億3000万しかいないから、貸し続けるったって無理なんです。だから何もできてないと、基本的にね。通貨発行も実際できてなくて、しょうがなく今まで何をやったかっていうと、じゃあ銀行は誰に貸せるの?って。唯一、今、貸せるようになってるのは、この数十年、日本の政府だけなんです。だから、日本の政府にお金を貸し付けて、日本の政府がお金を使って皆さんの預金を作ってきたっていう、そういう仕組みです。だから、通貨発行権うんぬんとか、日銀の株主が半分誰だかわかんないとか、どうでもいいです、それは。大した意味ないです。通貨発行権持ってるのは各銀行の融資担当者がみんな通貨発行権持ってます。
白崎 ***大事です。
大西 仕組みを理解するとシンプルな仕組みで、誰か融資担当者がお金を貸すって決めた瞬間にお金が生まれるんですね。そういった意味で考えると、どこに不備があるかっていうと、システムに不備があるんです。という話。
白崎 そのとおりです。全くそう。システムに不備があるっていうことで、本当はここが前半戦の***。
大西 僕、最後に***話そう***、これ、結局、今の金融経済こうやって考えると、何で我々はこんなお金を奪い合ってんのか。結局、我々、仕事って今何をしてるかっていうと、売れ売れ売れってみんな言われるでしょ。
白崎 全くそうです。
大西 要するにお金をもらえって言われてるんですよ。何でかっていうと、常にすべてのお金が借金で発行されていて、そこに利息がついてる状態だと、さっき言ったみたいに、100人、100万円お金借りてもらって、そこに5%の利息がつくと、巨大な椅子取りゲームになるんですよ。足んなくなるからね。で、これが例えば、毎年毎年5%ぶん借金を増やせるだけの人口増があって、それに対応するだけの財の生産があって、売れまくってっていう高度経済成長期はいいんだけど、必ずそれ止まります。止まったときにお金の伸びがなくなるわけですね、借金増えなくなるから。そうすると、お金が足んない状態でみんな一生懸命利息ぶんを集めようとするんですよ。そうすると、何をしだすかっていうと、どんどんどんどんとにかく自分たちのコストを削るようになります、買ってもらうために、お金が足んないんで。それがデフレに向かうんですね。それから、それをやり続けることによって結局何が起きるかというと、お金をもらうゲームになって、本来、経済っていうのは価値の生産と交換のためのものです。みんなに必要なものを作って提供するのが経済です。だけどお金をもらうほうが主になっちゃうと、何でもいいからとにかく売りつけて、お金をもらうための言い訳になってます、今の経済。とにかくもう何をやるかっていうと、例えば安かろう悪かろうを作って、例えば1万円で今まで作っていたものを5000円で作ると。5000円で作るんだけど、作ったものっていうのは、多分、1万円で作ったものの半分ももたないんですよ。そうすると、同じ期間の間に2回買ってもらえるね。それで買ってもらう機会をどんどんどんどん増やしてく。そうしないと今の経済回んないわけ。何が起きるかっていうと、とにかく買ってもらったら捨ててもらいたい、壊してもらいたい、また買ってもらいたいということをどんどんどんどん続けると何が起きるかっていうと、当然こうなりますよ。我々もう捨てるために作ってるんです。こんなものを今日買っちゃいましたけど、これ買ったんじゃないよな。もうペットボトルなんて捨てるために作ってるんです。(笑)。もう本当に何のために経済を回してるのかっていう、これ、金融の話じゃなくて、我々の頭ん中の話です。根本がおかしくなってんです。今の金融経済、狂気です、そういうこと言うと。お金をもらうための経済になっていて、本来の経済のかたちとはひっくり返ってしまっていて、そこを根本的に、今、考え直さなきゃいけない時期にきてる。
白崎 本当そうですね。
大西 それが前半の、本当は終わるとこだったんですけど、後半、(笑)、
白崎 ***ちょっと***。
大西 こっから***。
(02:08:48)【じゃあどうしたらいいか 具体的な政策】
大西 で、じゃあどうしたらいいかって話ですよ。何が問題なのかもう多分皆さんわかったと思います。誰かが借金をしないとお金が生まれない仕組みが全く無意味なんですよ。そんなことをやる意味が全然ないんです。多分、かつて、昔はそれをやってよかった時代があったのね。それは何かっていうと、借金っていうのはお金の発行なわけです。だから、要するにお金を作るっていうことは、お金っていうのはそれだけでは意味がなくて、それ以外の実体価値、対応する実体価値があって初めて意味があるんで。借金でお金を作った時点ではそれに対応する価値がない状態ですね、その状態では。だから、それ作ってもらわないとバランス崩れちゃうんです、お金だけ生まれちゃうと。だから、借金としてお金を発行して、それに利息をつけて、要するに、お金を借りた人はそれを使って生産活動しないと返せない状態に追い込むわけ。そうすると作りますね、何かをこの世に提供します。そうすると、その生まれたお金に対応する実体価値が生まれることになりますね。それでみんながたくさん作ることによって幸せになった時代があった、それができた時代。ただそれは無限には続かなくて、もうそれは時代遅れになってるという、そういう、今、状況です。今何をしなければいけないのかというと、こういう借金でお金を作る仕組みを根本的に変える。要するに誰の借金でもないお金を政府が責任を持って、過渡的にですよ、今はね、作るのが一番妥当な解決策。これはもう白崎さんもずーっと言ってる話です。政府通貨を発行するのは一番簡単で、一番シンプルで、一番それが自然なかたちだと***。お金を例えば発行したときに、今度逆に、それこそ今のMMT論者が言ってる中で、税金っていうのはそれを回収するための一つの手段、それは正しいです。僕は本に書いてます。そうやって政府通貨をばんばんばんばん発行して、ちょっとこれはお金を回収したほうがいいなっていうときには税金を上げるんです。消費税とかじゃなく、所得税をみんな一律上げる、不公平にならないようにね、というかたちでお金を回収すると。まずお金の発行の仕組みのところだけ説明する。まずそれが、そもそも、これみんな、まあここにいる人たちはほとんど知ってると思いますよ。一人頭、国民の、国の借金が850万みたいのがいかにうそか。さっきも言ったみたいに、もちろん日本の政府の国債を持ってるのはほとんど機関投資家とか、ほとんど日本人です。だから、国内で貸し借りチャラの話なんですね、政府の借金は。逆に国家として見れば日本は世界一のお金持ち国。それはこの主要国の対外純資産とうキーワードでネットで検索すると財務省のホームページが一番上に出てきます。これ最新のデータですね。それを見ると、一番上に日本、ぶっちぎりのトップですよ、常に。341兆円、世界一の対外純資産。対外純資産ってことは、日本が世界中に貸してる金額から日本が世界から借りてる金額を差し引いたNET金額です。それが世界一だっていうことは一番お金を貸してる国だってことですね。何でそんなことになったかというと、ずーっと日本が黒字を稼ぎ続けた結果ですね。実際、だから、341兆円なんですけど、基本的に黒字で稼いでるんで、すべて、これ、ほぼ外貨です。約3兆ドルの外貨で、外貨なんで、ほぼすべて海外に貸しっ放しです。だから、日本が世界一のお金持ち国であるって言われてもぴんとこないのは、ほとんど皆さんのためには使われてないんですよ。アメリカに、例えば投資してると、その国でドルは使われて、その国の人たちの給料を払って、それで買ったものは全部その国の人たちに提供されるんで、何にも入ってこないんです。例えて言うと、世界一のお金持ち家庭があったとして、うちは世界一のお金持ちだねっていうふうに子どもに言うんだけど、そのお金全く使わないで貯金しっ放しなんで、子どもは、うそだね、絶対貧乏だって言うわけですよ、何にも入ってこないから。皆さんその状態です。世界一のお金持ち国なのに何にも入ってこないから、使えてない。黒字を使わなきゃいけない、本当はね。どうやって使うか。例えばどうやって使うかというと、政府通貨を発行するんです。フェア党が政権取ったら1人100万円配ります。全員に、全部で130兆円です。何が起きるかというと、そうすると、多分、皆さん働くのやめますよね、少しね。4人家族で400万来たら、お母さんはちょっと働くのやめようと思うじゃないですか。今まで5日パートに出ていたお母さんが2日で済ませるね。お父さんもこの機会だからフリーランスになって週休3日にする。何が起きるかっていうと、生産が落ちますよ。生産が落ちるとおそらく輸出が減ります。余計に余暇の時間ができたから何をするかっていうと、休んだり遊んだりしますね、国内旅行でも何でも、そうすると消費が増えます。余計にドライブするようになると余計に原油の輸入が必要になって。要するに消費が増えると輸入が増えるんですね。輸入が増えて働くのやめるから輸出が減りますね。そうすると赤字になっちゃうかもしれませんね、日本がね。赤字にしなきゃいけないです。何でか、世界一の黒字国でしょ。黒字を使うためには赤字にする以外の方法ないじゃないですか。そうやって黒字を減らしてく。それが皆さんのために使うってことなんです、黒字を。皆さん本当はずっと昔に、もうこの膨大な黒字を稼ぐ以前に働くのをやめなきゃいけなかったんです。一旦やめなきゃいけなかったんだけどずーっと働き続けて、自分たちの身を削って。だから、本当に皆さんのために、黒字を使うために何をするかっていうと、お金を作って配る。簡単なんですよ、130兆。どうやってやるかっていうと、例えば130兆配る、一人100万円必要なので、政府が1兆円紙幣を130枚作ればいいです。それを日銀に預けます。日銀はそれを金庫に入れて、日銀はお金預かったんで、それを通帳に書きます、政府の通帳。政府預金口座に130兆、数字を書くだけですよ。これで終わりです。あとは民間に、皆さん一人一人に振り込みゃいいんですよ。そうすると、皆さんは自分の預金口座が50万円だったものが150万円に増えます。4人家族のお父さんだったら、もしかしたら450万、代表して受け取る、もらうかもしれないです。それを使うときには今までどおりの送金をするんで、引き出すときには今までどおりの1万円札で引き出すんで、政府通貨を発行したといって、それが今までの紙幣と混同するからいけないみたいな話は一切なりません。何でかっていうと、この1兆円紙幣130枚は日銀の金庫から出てこない。だから1兆円紙幣でいいんです。場所取らないでしょ、そのほうが。万が一流出しても使えない、1兆円紙幣だったら。お釣り誰が出せるんだって話ですよね。
会場 (笑)
大西 同じことを、例えば政府の借金を消すときにできる。900兆の政府の借金あるんだったら、900兆政府がお金作っちまえばいい。そもそも政府借りっ放しで返す気ないんでしょ。これ借りぱくなんだよね、そもそもね。だったら借りぱくですって言って消しちゃえばいいですよ。どうせ返さないんだから。政府が1兆円紙幣を900枚作ればいいです。それを日銀に預けますね。日銀はそれを金庫に入れて、政府預金口座に900兆って書くだけです。あとはこれを、お金を貸してくれる人たちに返せばいいんですけど、誰が貸してくれてるかというと、今まで従来はほとんど銀行なんです、日本の。銀行に900兆返す、銀行が国債山ほど持ってた***。で、900兆返せばいいんですけど、今、さっきもグラフで見たみたいに面白いことが起きていて、アベノミクスの異次元の金融緩和で山ほど日銀が国債を買ってるんです。もう半分以上買っちゃってます。400兆か500兆ぐらい買っちゃってるんです。だから国債がこう行ってるんですね、日銀に。何も起きてないでしょ、別に。金利も動いてないしインフレにもなってないし、別に生活的に何も変わってないですよね。あとは全部買っちゃえばいいですよ。全部買っちゃえばいいです、900兆ぶん。何が起きるかというと、このときに、そしたら、あれ?この日銀の金庫の中に900兆円ぶんの国債あるじゃん、これ政府に貸してる。900兆の政府の預金があるんで、政府から預かってる。日銀のバランスシートの左右に900兆両方あるんです。***消しちゃえばいいんです。多分、何の変化も皆さん感じないです。もうそれこそチョウがそこに羽ばたいたぐらいの変化も感じないです、全く。だけど、このバタフライ効果っていうのはものすごいあとででかくなります。何でかっていうと、年間9兆円の利息が消滅するわけですよ。誰かが受け取ってた9兆円の利息が消滅するわけ。この30年間の間に300兆移転していた利息が、累計利息が今後はゼロになる。多分、これ、巨大な格差拡大マシーンだったものが、その運転を止めるという。誰が一番困るかっていうと、銀行が一番困ります。今、死にそうになってます、半分買われた状態で。何でか、現金に換わっちゃってるからね、今まで利息を稼いでたのが。だから、これを一気にやれとは言わない。これを一気にやると銀行もっとおかしなことやるから。銀行、今、既にだいぶおかしなことをやっていて、無理やりでも貸さないと、要するに収益が悪化するんで、無理やり貸すわけですよ。だからスルガ銀行なっちゃうのね。
白崎 そう、スルガ銀行(笑)。
大西 (笑)。それから、銀行が無理やり貸そうとすると、大丈夫そうなとこに貸すんだけど、そうすると、不動産担保融資になるわけ。何でタワーマンションがぼんぼんぼんぼん建ってるんだと思います?貸しやすいんですよ、担保融資だと。これから人口が減るっていうのにそういう無駄なことをやるのは、お金がそっちに流れるから。このままもし銀行から国債を全部買っちまえば、銀行は多分ひどいことをやるんで、そういうことを含めて、ちゃんとしっかりと網をかけながらやんなきゃいけないんだけど、これでできちゃいますよって話。これがもう何をばかなことを?って思うでしょ。だけど、もう実は歴史的にやってんですよね。これ白崎さん***。
(02:19:12)【 『負債の網』に見る政府紙幣の実例】
白崎 歴史的にそれはもう実例があるっていうのが今日持ってきた『負債の網』の本の流れです。だから、あれ、経済の本じゃなくて、通貨の歴史の本、ないしは、もうちょっと深く言うと政治の本です。政治の歴史の本。著者のヘレン・ブラウンさんはアメリカ人なんで、彼女が理想としているタイプっていうのがあって、それは政府紙幣っていうのはもう実例があって、今、アメリカの建国時の共和国精神の中にちゃーんと埋め込まれてますよっていうふうに***ね。それがあの本にずーっと書かれてます。だから、あの本読むのが大変だっていう人は最初まず1、2章を読んで、あと、いっぱい世界史の実例が、それこそデリバティブからもう何からいっぱい出てくるんですけど、それは辞書的に読みたいところだけまず読んでいただければいいと思います。その最初の基本のアメリカの共和国精神に何が生まれたかっていうと、最初に出てくるんですけど、これ、3分の1の大陸紙幣っていうんです。これ政府通貨です。これはどういうところ作ったかっていうと、独立戦争って、皆さん、要するにアメリカがイギリスから独立するっていうときに、政治的なことを考えますけど、あのときに、ポイントは、やっぱりイギリスの経済的な支配から自分たちの独立、それこそ経済的に独立することだったんです。それは通貨を発行する権利をイギリスから奪うこと、つまり闘争で取ることだったんですね。そのときに作ったモデルが、あのときは13州っていう州に分かれてるわけですけど、その州ごとにいろいろ紙幣を作る。で、その一つの例はこれなんですけど、もう一つは次のスライド。ここにありますね。ペンシルバニア植民地政府紙幣ってあるんですよ。これ有名で、『負債の網』の中にも出てくるんですけれども、アダム・スミスって、さっきやった経済学者の系譜がありましたが、あの一番親玉の経済学作った人、アダム・スミスさん***ますけど、その人もこのペンシルバニアの植民地政府紙幣っていうのは非常にうまくいってる例として挙げてます。だから、やっぱりこれはイギリスの銀行支配から独立して、自分たちの政府のための通貨、人民のための通貨を作るってことをもう歴史的にアメリカはやったんですよ。そういう具体的な例です。で、
大西 イギリスの銀行からの、
白崎 そう、離脱ということですね。
大西 離脱ってことですよね。
白崎 で、これの伝統をずーっと『負債の網』ではいろんな歴史的例を挙げて書いてますけど、そのもう一つの大きな柱にしてるのが、ちょっと戻っていただいてよろしいでしょうか。皆さんご存じのアメリカあのリンカーン大統領のグリーンバック政府紙幣っていうのあるんですね。これはグリーンバックって何かっていうと、ドル紙幣ってあの緑っぽい色してるんですけど、それのことをいってるんで、これを民間は南北戦争のときに、自分のところの戦費の調達のために政府紙幣として発行して、これがうまくいった***。このグリーンバック紙幣っていうのは、単に北軍、南軍で北軍勝ったとかっていう話ではなくて、やっぱり南軍のもとにあった、要するにイギリスからの通貨的な監視を、植民地的な扱いに対して、やっぱりもう一度アメリカが独立精神を取り戻すということで、これを発行してるんですけれども、その精神に立ち戻るべきだというので、『負債の網』の中ではこのグリーンバックっていうのが何回も出てきます。これ、政府紙幣の代表なんですけど、実はこの成功例っていうのは世界史の中にいくつもあるんです。『負債の網』の中に、今回は個人名は出てきませんけど、高橋是清さんという、戦前、高橋財政、日銀直接引き受け、これいわゆる政府紙幣なんですけど、これ発行したりとか。あと、これは取り扱い注意ですけれど(笑)、ナチスのときにやっぱり政府紙幣発行して、シャハトという人が金融独裁でナチスの経済を作り上げる。もちろん彼はヒットラーと対立してあとで辞めちゃうんですが、そういうこととか、ゴットフリート・フェーダーって、フェーダー通貨って***も『負債の網』に出てくるんですけど、フェーダー通貨っていうのは実に危険思想的***。フェーダーさんっていうのはナチスの将校ですけど、彼が言ってたのは、利子つき負債じゃない、負債のない政府通貨を発行するのが一番のドイツ帝国の基本だって提案した人物です。これ、ナチスとくっついてるので、大体みんな取り扱い注意、ふれないんですよ。ふれないんだけれども、エレン・ブラウンはこれを、ナチスでやったことはひどいことだけれども、それをまず置いといて通貨政策として見たときに、やっぱりグリーンバック精神のある種の表れという具合に見言って、ナチスをちゃんと理解するためにもこの通貨の問題をきちんと勉強すべきだっていうのは言っています。というように、いくつもあるんですよ。大体これを攻撃する人たちの論点というのは、MMTに関してもそうですけれども、正統派の経済学者や政治家たちは必ず、政府通貨なんてインフレになって、ハイパーインフレになっちゃうからだめだよ、必ず言う。でも、それは歴史的にそうじゃないんだよっていう例を、このエレン・ブラウンのあの分厚い本で書いてますんで、今日ぜひ皆さん買っていただいて(笑)、よろしくお願いします。
大西 分厚い本ですけど、前のピケティの『資本論』よりはるかに中身がある。
白崎 ピケティのよりはいい。(笑)。
大西 ピケティの『資本論』は厚いだけで、表紙だけ読めばいい。「r(資本収益率)>g(経済成長率)」って、資本収益率が常に経済成長率よりも高いって当たり前じゃん。で、金利のことは一つも書いてないの、あれ。
白崎 ピケティのずるいところは、銀行信用創造の話はほとんどふれてないですよね。ちょっとふれてますけどね。
大西 もうあんな意味のない本は***。
白崎 何であんないんちきな本が10万部以上***。
大西 押し花作るの***。
白崎 (笑)。それに比べると、私のところで出した本は、皆さんに、
大西 いや、本当に面白いですよ。『オズの魔法使い』の話とかね。僕『オズの魔法使い』がお金の仕組みの話だとは知らなかったんですよ。
白崎 あれは要するに、
大西 改めて読んでみよう。
白崎 『マトリックス』と一緒ですね。現代版の『マトリックス』はお金の、通貨の比喩なんですけど、『オズの魔法使い』は要するに昔からということで、非常に対応してるということですね。時間がなくなってきました(笑)。それで、当然あのエレン・ブラウンのこの政府通貨の問題については、これからの具体例として、こうやったらうまくいきますよっていう具体例を出すんですけど、それの一つです。これ、本の中にも出てきますけど、ダグラスという人ね。これ、さっきお話しした関曠野さんに私も教わって、関さんもちょうど私がベーシックインカムの会を始めた10年前に、東京で講演会やったときに再評価のまとまった提案をしてくれたんですけど、その話が出てきます。ダグラスの話すると長くなっちゃうんで、簡単に言うと、三つ柱があって、ダグラスの政策は公共通貨、政府通貨発行と、国民配当、ベーシックインカムの、この二本立てです。適正価格っていうのジャストプライスっていうんですけど、これちょっと今日省略して。要するに政府通貨で国民配当、さっきの大西さんのやつで、政府通貨で何でした?黒字配当?
大西 そう、とりあえず100万配れ。
白崎 あれとおんなじです。ダグラスの目指していたのは、要するに、デフレ状態にある経済をどう克服するかってことなんです。経済学っていうのは、簡単に言っちゃうと、いけいけどんどんに対応した学問です。経済が成長してもうかって、インフレ状態に対しては何か対処法を経済学考えてきたけれども、デフレでものが売れない、みんながお金使ってくれないことに対して対応する策はほとんど何もないんですよ。デフレに対して弱点なのが経済学。それに対してダグラスは、いや、いや、デフレって要するに一人一人の、さっき大西さんが言った、使うお金、難しく言うと購買力がないからでしょ。だから、購買力皆さんにつけてもらうために、お金って、お金は別にものじゃないんだけれども、購買力を取ってくる印として、切符みたいなものです。皆さんにお配りしましょうっていうのがベーシックインカム。ダグラスはベーシックインカムって言葉使ってません。ナショナルディヴィデンド、国民配当、私こっちの言葉のほうがいいと思ってんですけど、これを提案した人です。これは今、実は翻訳を私が監修で引き受けて、いずれは、これ実は私の出版社じゃない別のところでダグラスの主要著作は翻訳予定で、解説を関さんに書いてもらうんですけど、なるべく早く出したいと思ってます。
大西 いずれにしても、こういう同じ考え方をした人が過去にもう何人もいたってことですね。
白崎 いてる。もう一つの例が、これは次のスライド。これが『キャピタリズム』という映画ありましたよね。マイケル・ムーアっていう監督の映画があったんですが、その中にもこれ出てくるんですが、アメリカで、銀行なんだけれども、唯一政府通貨をやってる、この非常に近い例をやってる公共銀行、英語で言うとパブリックバンキングっていうのをやってるところがありますよっていうやつで、ノースダコタ州にはノースダコタ銀行、これ州立の銀行なんですよ。州立の銀行だけど、東京都銀行と違いますよ。(笑)。これ農民が作って、簡単に言うと、政府通貨やるみたいに、お金を、もちろんドルは使うんだけれども、ドルを使うんだけれども、州の予算に全部貸し出したやつ、利息とか貸し出しは戻ってきて、それは州の公的な、なるべく事業に使います***分配するんです。農民のために作った銀行ですから、農業のためです。あと、農家の人が大学にいったり、専門学校にいったり、奨学金ですごく安い低利で貸すという事業をやってるやつで、アメリカではここはもう、リーマンショックのときにものすごく失業率が高かったんですけど、このノースダコタだけは失業率がものすごく低かったっていうのもそういう政策の表れだと思います。だから、このパブリック銀行というのも完全な政府通貨じゃないんだけれども、一つの成功事例としてエレン・ブラウンはやってみたらいいんじゃないかということで、すごくたくさん紹介してます。だから、今日渡した資料の中にも、タイトルが、最後、公共銀行***けど、それはそういうことです。これがノースダコタ銀行です。これもネットにいろいろ資料がありますから、皆さん一回見てみてください。ここで『負債の網』を一つの実例としてご紹介をさせていただきました。ではそれで、***(笑)、次いきましょうね。
(02:29:51)【資本主義から抜け出す六つのパターン】
白崎 結局、さっき大西さんが言った政府通貨、つまり借金じゃなくなるお金、借金じゃなくなるお金っていうことは、利息払いが一部の超大金持ちにだんだんだんだん偏っていく。要するにお金のヒエラルキーを生んでると思うんですけど、階層構造ができてくということとつながっていて、我々のやっぱ資本主義社会ってどうしてもこのピラミッド型になるんです。今、ピラミッドの上は、ものすごい先端はとがっていて、ホリエモンとかもそうかもしれないですよね。ホリエモン、いろいろネット上で税金がどうとかってもめてましたけど、ああいう人たちって保釈金何億円ってすぐ払えるわけでしょ。(笑)。全然想像つかないですよね。要するに、その人たちと、それから下は、今、『アンダークラス』って、早稲田大学の橋本さんっていう学者さんが最近本にしましたけど、要するに、年収が100万とか、ぎりぎりのところで生きてる人って大体1100万人ぐらいいるんですよ。それがどんどんどんどん増えていて、中間層がどんどんやせ細って、どんどんどんどん年収が下がる下がる下がるっていうのに入ってきて、そういうピラミッド構造になっちゃってるんです。これはまさに銀行信用経済を作った一つの負の遺産、ピラミッドですね。で、これを超えるヒントっていうのを、私、最近考えて、あの上に書いたんですけど、そのときに作った手描きの図なんですよね。要するに、資本主義から抜け出す六つのパターン。1が、
大西 これは全体っていう意味よりも1人、個人としてね。
白崎 そう、個人として何ができるか。
大西 あなたがどうやって資本主義から抜け出すかっていう話ね。
白崎 逃げられるか。資本主義から逃げられるために、まず何でみんな金持ちになりたいかっていうと、要するに、俺は一生遊んで暮らすって、金をもうけたらこのピラミッドからぽーんって抜けてっちゃう。今、超大金持ちって、例えば、税金逃れるためにタックスヘイブンってケイマン諸島に自分の資産を移して、税金も逃れて自由に動き回って。もちろん働く必要なんかないです。資本主義のまず構造の問題点っていうのは、労働市場に我々っていつでも縛りつけられてるわけです。だから、一種、賃金奴隷制なんです。稼がないと食ってけないって、当たり前なんですが。そうじゃない人たちがいるから、これを、私、ハイパー資本家戦略***。ハイパーなんですよ。資本家は飛び出ちゃってるんで。これが一つ。それから2番目は、生活保護ってありますよね。生活保護をとにかく積極的に受給して、とにかく最低のラインで生活保護だけで食っていこうぜと。これの例は障がい者運動で青い芝の会っていう***。青い芝の人で脳性麻痺の人たちがいるんですけど、労働できない。労働できないんだけど何が悪いの?生きてることだって労働なんだから、***生活保護ばんばんばんばんもらって、俺たちは最低でも人間の尊厳を守って生きていくぞ、そういうやつ。これを、だから私は生活保護戦略、これが二つ。それから三つ目が、これは割に常識的で、ピラミッドに踊り場作ってあるんです。要するに、福祉政策っていうのは階級制度の不安とか矛盾をちょっとは収めるかっていうことで、階段を作って、とにかく例えば年金だったりとか、年金の話、今日本当はやりたかったんですが、多分、できないと思うんですけど、そういう福祉制度で何とかごまかそうっていう、ごまかすって言うと言葉は過ぎますけど、そういうやつが福祉国家戦略、3。それから、私が意外に支持している最近のやつですけど、図の4がオルタナ生き方戦略というんです。これは若い人に多いんですよ。ミニマリストって聞いたことありますか。要するに、生活保護とか福祉とかもう頼らないけど、年収を100万ぐらいでとにかく生きてみよう。商売するんだけど、小商いっていって、たくさんもうかんないかもしれないけど、とにかく私がいる栃木県の田舎に行ってちょっとしたパン屋でもやろうとか、農業でもやろうとかっていうことで、お金で測れないもので生きていこうと。オルタナティブってもう一つの生き方ってことで、三角形から抜け出ちゃいます、これで。抜け出るというか、より自分の世界を作る。これがオルタナ戦略。それから、図の5が私と大西さんが一番推進するやつですけど、通貨改革とベーシックインカム戦略ってやつで、これは要するにピラミッドがたくさんできるんですよ。皆さんお一人お一人が黒字配当金もらって、皆さんお一人お一人が私有財産を持つんです。労働市場に縛られないで、休みたいときは労働市場から離れる。労働市場に戻りたいときには戻れる。そういう自由を得て、自分が本当にやりたいことをやるっていうことで、それで、ベースがあって、その上にみんなそれぞれ三角形作る。だから、もうけたい人はもうけてもいい、全然、そんなもん。っていう、いっぱい三角形がごつごつごつごつできるやつが図の5。最後、これよく若い人が説明しにくるんですけど、ベーシックインカムって言うと、それは共産主義でしょって必ずくるんですよ。共産主義って要するにどういうのかっていうと、一応、理屈としては私有財産はなくなるんですよ。どこに行くかっていうと、上におっきい四角あるでしょ。あれ、金正恩(キム・ジョンウン)さんです。
大西 髪型もね。
白崎 上が持ってっちゃう。権力のある人が私有財産を持ってっちゃう。四角に集めて、下にいっぱいひもがぶら下がってて、あのひもの下にいる黒い点が皆さんお一人お一人。その大きい権力に実は縛られてる。私有財産なくなるんだけど、それよりはるかに重い管理社会なんです。中華人民共和国はそうかどうかっていう議論があるところではありますけれども、私は近いんじゃないかと思うんですけど、そういうのが共産主義戦略。っていう六つパターンがあって、僕たちが目指すのはやっぱり図5の、っていうか僕たちがやってる役は、ここ15年やってるんですけど、やっぱり通貨改革とベーシックインカムをセットでやる。つまり、銀行負債マネーではないかたちで皆さんお一人お一人がお金を資産として持つという、そういう社会が望ましいのではないでしょうかという***。
(02:36:00)【通貨改革は生き方を根本的に変えるための一つのパーツにすぎない】
大西 ここ、もちろん資本主義の話になったんですけど、僕はもちろん政治家として、思想家としてずっと言ってるのは何を言ってるかというと、もちろんお金の発行の仕組みっておかしいよ、大事だよ、変えなきゃいけないよ、政府の財政の仕組みもおかしいよ。ただ、それはそこのところだけ切り取って言ってるんじゃなくて、そもそももっと何がおかしいかっていうと、我々の生き方だったりとか働き方が根本的におかしくなってると。それを大きくどうやったら変えるかという中での政府通貨だったり、今の金融システムの変更なんね。だから、例えば今のMMTで言うところの、今の仕組みのままずーっと財政金融、政府が借金を膨らませ続ければいいんだとか、そういう話じゃなくて、本当に皆さんの生き方とか働き方を根本的に変える、そういうおっきな思想の中での一つのパーツにすぎないと。そうやって考えると、本当におっきな変化が僕はきてると思っていて。それこそ白崎さんが言ったみたいに、今の資本主義っていう仕組みそのもの、もちろんMMTはそんなことは一言も言ってないわけ、今の資本主義がおかしいとか。でも今の資本主義はおかしいよね。はっきり言っちゃうと、狂った仕組みです。もう完全に時代遅れ。資本主義って何かって、簡単に言うと、資本家が労働者を安く使って、高く売りつけるっていう仕組みです。企業の利益ってこれやんないと出てこないんで、労働者を安く使って高く売りつけるっていうことを世界中の企業がやってるんです。そんなことやれば、当然、利益がどんどん上のとこに集まってきますね。資本家が全部利益を挙げる仕組みになってる。それを我々はずっと容認してやり続けてきてるから、世界で最も裕福な8人とか26人が世界で最も貧しい36億人と同じだけの資産を持ってるってことが起きてるわけ。常に10億人ぐらい近くの人たちが餓死寸前の状態に置かれてるわけ。そもそも我々の文明的な人間社会の仕組みとして完全に時代遅れなんですよ。これを根本的にそろそろ考え直さなきゃいけない時期にきていて、そんなことをやり続けると、どんどんどんどん、もちろん環境は破壊されるし、そもそも我々一人一人自由意志を持って生きてるのに、結局、今の資本主義の中でその自由意志を発揮できない。1日のうち長い時間を、資本家とか上司とか、そういう人たちの言うことを聞きながら生きなきゃいけない。何かがおかしいんですよ。もっと我々は本当は自由に生きていいわけ。資本家が偉いの?何で言うこと聞かなきゃいけないの?それをもっと本質的に考え直したほうがいい***、そういうおっきな流れの中での通貨改革。あともう一つ。今の金融システムっていうのは俯瞰で見るとどういう仕組みかというと、そもそもお金なんて意味ないですよ。お金だけあったって何の意味もないです。それ以外の実体価値があって初めて、それと交換できて初めてお金は意味をなすわけ。だから、実体価値とのバランスすごく大事で。実体価値っていうのは、だけど時間とともに必ず腐ったり壊れたりします。これ、まさに『エンデの遺言』で言ってることですね。それなのに、それを交換するためのお金が時間とともに増え続ける、これ矛盾なんです。その矛盾を我々は抱えながら何とかごまかしてきた。増え続けるお金と合わせるように無理やりたくさん作って売って消費してっていうことを続けた結果、地球がぼろぼろになってるんです。世界規模でこれをやって。続くはずがないです、こんなものが、そもそもが。あとも一つ、ほとんどの人がこっちの部分知らない、忘れてるっていうか知らないんです。誰かの借金でお金を発行するってことイコール、皆さんが持ってると思ってるお金とほぼ同額の借金が存在するってことです。今日グラフで見ましたよね。お金が1000兆あったら900兆の政府の借金があるんです。何でかっつうと、その政府の借金で皆さんのお金を作ってるから。ということは、その借金を返したらお金が消えますね。つまり左側、これ、無だってことです。『マトリックス』で言うところの、無だ、スプーンなんてないって言うシーンがあるんですけどね、『マトリックス』のシーンで。存在しないもんなんです、お金って。存在しないのに無理やりお金と借金をシステム上作ってるだけの話です。概念だけ作ってるんです。これ何かっていうと、左側、無なんで、ゼロサムゲームです。みんなで平等に仲よく分けるとみんながゼロになります。だから、みんなで決して仲よく分け合えない。必ずお金を奪い合って借金を押しつけ合うという、熾烈な競争社会ができあがります。これ日本だけじゃないです。世界的にそうです。そんな中で我々は生きていて、必ず一定割合の人たちは貧困に突き落とされる仕組みになってるんです。この仕組みそのものがおかしいんです。要するに、政府が借金し続けて経済が回るとか、そんな話じゃないんです。我々の生き方、死に方の問題。で、人間としてのあり方の問題です。そう考えると、この仕組み変えないという選択肢はないんです。とてもこのまま子どもたちには渡せない。そろそろ我々はそういう、本当の意味での我々の生きる社会の変革、日本だけじゃなくて世界を変えてく。僕、だからずっと言ってますよ、日本から世界変えようって。フェア党ってどんな政党って一言で言うと、もう国益とか日本の何とかとか、そんなことのために政治やってません。日本中のどうのこうのっていうんじゃなく、世界中のですよ、世界中の子どもたちの未来のためとか、あと、地球上のあらゆる命のために政治やってます。今、そのレベルで政治やんないとでっかい数なんか作れないんです。だから、そういうおそらく唯一の政党で、そろそろ僕は講演会、本当に最近いろいろ、あちこちに呼んでいただいて話す機会が増えてますけど、何を言ってるかというと、一緒にみんなで日本から世界変えにいこうぜって言ってます。そのためのチームビルディングのつもりで、僕、全国回って講演会してるんです。今日難しい話しましたよ、MMTとか金融システムとか。でもそんなことじゃないんですよ。それで世の中は変わんないです。逆にみんなが本気で世界をよくしようと思ったときに世界は変わります。そのためのチームビルディングを僕はやってます。なので、だいぶちょっと最後は話はずれましたけど、そろそろ、本当にそういう動きを、
白崎 そういう感じしますよね。
大西 やりたいなと思ってます。
白崎 さっき、金融が議会制度とくっついてる、言いましたけど、要するに今の選挙で何々党がどうとかってことではなくて、やっぱ大西さんもよく言ってますけど、今の国会とか議会の外に、本当に金融システムを抑える大きな世論のうねりという、何か僕たちが作っていかなきゃいけないと思うんですね。さっき、このことだけちょっと補足しますけど、価値を作るってことですけど、私、20代の半ばは東京で不登校の子たちの塾やってたんですけど、赤羽で警察ご厄介な10人ぐらいの、うち***来てたんですけど、彼らと話していてすごく思って、ショックだったのは、将来、君、何になりたいの?って言うと、てめえ、このやろう、将来のことなんか聞くんじゃねえよって僕に恫喝するんですよ、彼ら。(笑)。てめえ、おい、将来のことなんか関係ねえよ。でもこれって、将来のことなんか聞くんじゃねえよっていうことを若い人に言わせるシステム。つまり、価値を作って僕たち生きてかなきゃいけないのに、結局、今、若い人、例えば就活とか、コミュニケーション不足だから何とかしましょうとか、大学でコミュニケーション教育しましょうってみんなうそでしょ、あれ(笑)。この無であるところのお金を稼いでこいって言ってるわけで、それを僕の塾に来てた、中学だけでもう高校なんかいきたくねえよって子たちは、いわゆる偏差値っていったら、彼らもう本当に、いわゆる最低なんですよ。彼らは直感的におめえらが作ってきた世の中間違ってんじゃねえかってことを言ってるわけですよ。これは僕の塾だけじゃなくて、ほぼ同時、1975年ぐらい学校が荒れだしたときに、定時制の先生たちは研究会やってましたけど、ほぼ同時に、関東地区だと、てめえこのやろうって言いだした、1975年ぐらいなんですが、ちょうど日本の国債が2度目に大発行されたオイルショックのときからなんです。こんなもん社会科学的に誰も因果関係説明できないと思うんですけど、私はすごく印象的な、僕らの社会、資本主義社会の間違いを若い子どもたちが大人に言ってると今になっても深く思います。
大西 本当にそう思います。そろそろ大人が責任を持って、その変化の一歩を起こしていかないと、子どもたちに申し訳が立たない***。ということで、僕と白崎さんの話は大体これでね、MMT、最後のほうは結構こういう話になっちゃうんです、いつも。一番大事なとこは結局MMTとかいう、そういう技術論じゃないです。
白崎 と思います。
大西 どんな社会に生きたいのかとか、その価値とは何なのかっていう、そういうことですね。ということで、白崎さんの本が、
白崎 私の本じゃないですよ(笑)。
大西 白崎さんが出版されたエレン・ブラウンの本が出てます。今日、5000円で、何と、消費税入れて普段5400円ですよね。
白崎 いや、そんな、五千何百円。ちょうどきりがいいので、お釣りの問題も(笑)。
大西 今日は5000円ぽっきりでございます。
白崎 ぜひ***。
大西 お買い求めください。それから、もう一つ私が去年の12月に出した『私が総理大臣ならこうする』まさかここに来てる人でこれを読んだことがないという人はいないと思いますが、
白崎 (笑)
大西 (笑)
白崎 今日サイン入りでしょ?
大西 サイン入り、読んだことない人、これぜひ読んでください。何でかというと、僕、あくまでも動画でしゃべっても講演会でしゃべっても断片です。あの260ページぐらいある本を全部講演会でしゃべれるはずがなく、そこに基本的にはすべてパッケージで入っていて、それを全部読まないと、多分、大西つねきの思想とか哲学とか政策が理解できないと思います。大層なタイトルつけましたけども、だけど、少なくとも核野党の党首がこのぐらいの本を書いて出てこいって、僕は挑戦状をたたきつけてます。これを超える本が誰か書けるのか、多分書けません、誰も。断言します。だから、俺がやるっつってるんですよ。で、それを、おまえやれって言うのは皆さんです。だから、まず読んでいただかないと何やろうとしてるのか理解していただけないんで、まず読んでください。読む価値は保証します。多分、世の中、世界を変えるための本です、あれは。世界が変わる本ですね。なんで、今日は、僕がもしサインしていいんであればさせていただきますし、消費税をカットして1600円で販売してますので、
白崎 (笑)
大西 ぜひ買っていただければと思います。ということで、皆さん、長い間ありがとうございました。
白崎 ありがとうございます。
会場 (拍手)
大西 時間が4時半まで質疑応答。これ結構、質疑応答、今日はくるんじゃないかと***長めに用意しました。なので、質疑応答、
白崎 ***。
大西 すいません、マイクをもう1本ありましたよね?多分。なかった?
白崎 いや、僕、
大西 あれ?
白崎 これ回しときゃ***。
大西 3本***。すいません。ウエノさん。どなたか1人、多分、外から呼んでいただいて、***、質問ある方にマイクをお渡ししてください。もう1本あると思う***。
男性A 質問がある方***。
大西 はい、どうぞ。マイクお願いします。
(02:48:07)【政府通貨を作ってどう配分するか ますます権力者の好き勝手に使われるのではないか】
男性B 埼玉から来ましたイカリ(?)といいます。大西さん、この本、当然読みました。それから大西さんの動画は控えめに言っても大体6割か7割ぐらいは見てます。
大西 ありがとうございます。
男性B 今日質問したかったのは、政府が直接、今のお金っていうのは銀行をとおしてしか世の中に行きませんので、それをやめて政府が直接お金を民間に流すわけですよね?
大西 はい。
男性B そのときに、どこにどれだけ流すかという配分の基準、私、これ、石井紘基さんの『日本が自滅する日』っていうのあるんですけど、これ読むと、特に特別会計とか、ああいうものが闇の中で、要するに役人の皆さんが、まあ言ってみれば好き勝手に分けてるような感じになるので、政府紙幣を発行するというときの皆さんの反応は、ますます好き勝手に使うようになるんじゃないかという疑問がよく出されるんですね。それに対してどういうふうに説明すればわかってもらえるのか。それと、政府、予算の審議の、本当に明示的にできるようにしないといけないんじゃないかと思うんですけど、その辺についてちょっとお尋ねしたいと思ってます。
大西 それはまさにダグラスの言ってる社会信用論のとこですね。
白崎 どうします?大西さん答えられます?
大西 要するに、信用できる政府を作るしかないんですよ、本当に。まさに何に作ったお金を何に使うかって一番大事なところで、それをちゃんと、しっかりと思想に基づいた政府、みんなに信用される政府を作んなきゃいけないという、そこを、でもあきらめたら、
白崎 そうです。そこ、今すごくいいご質問で、多分そこは今日の話の隠れたテーマで、大きな柱です。つまり僕たちが通貨の、技術論的なことっていうのは、今、MMTでいろいろ議論してることとか、政府通貨で我々言いたいこととか、各種評論家の人が言ってることっていうのは、詰めていけば、大西さんが言ってるプランにほとんど収斂すると思うんです。だけど最大の難問は、おっしゃられたように、その通貨をどう分配するかということで、それのヒントっていうのは、すごくずばりってのはないと思うんですけど、言葉にすれば今大西さんの言うようことなんですが、一つアイデアとして言うと、民主主義っていうのは、ルソーとかモンテスキューとかが制度として考えたときに彼らがよく言っていたのは、民主主義は小さいサイズにおいてのみ成功するって言ってるわけですね。つまり大きいサイズになるとよくわからない。だから、私が今考えているのは、私住んでいる栃木県大田原市、人口7万ぐらいです。それで、合併する前の黒羽町って、これまた松尾芭蕉が一番逗留長かった有名な町で、俳句の町なんですけど、これが今、過疎の、私が住んでるとこで、ほぼ人口1万5000で、どんどん減ってます。サイズとしてはこの1万5000の元黒羽町ぐらいの予算をみんながどう考えるかっていう、小さな予算委員会を日本に作っていく。これを実は国連がブラジルでやったことがあって、市民参加予算っていうプランがあるんです。要するに、小さいサイズで、ブラジルだったらファヴェーラっていう貧困地区***、そこの住人たちに自分たちで水道料金いくらにするかとか、じゃあ学校に費用が要るんだったら学校どうするか、建物をどうするか、みんなで自治で決めてくっていうシステムを小さいサイズでまず作ってみるんです。これ大きいシステムで、例えば国の防衛費がどうとかってなってくると、もうなかなかわけわからないんで、自分たちが住んでいる、例えばここだったら渋谷区かな、渋谷区だったら渋谷区の何々地域でまずやってみるっていう、そういう予算配分の試みを民主主義の中で取り入れていく必要が僕はあると思っています。それが上にどんどんボトムアップで積み上がっていって、国の予算になってくるんですけれども、その国の予算をどう管轄してくかっていうのは我々の自治体のあり方。つまり、今、市区町村があって、県があって、国っていうレベルになってますけど、このヒエラルキーをどういう具合に転換していくかっていう、自治体の制度のあり方にまたつながると思うんですけれども、一番いいの、やっぱり地方の小さい自治体が連合体を組んで、予算協議会みたいのを作って、県予算を作って、県予算を国に上げるとか、そういうボトムアップの体制を作ってく必要が同時にあるってことです。それはすごく大仕事ですけど、そんなプランを考えます。少なくても今の銀行信用創造に任せておけば、バブル経済を見てもわかるように、銀行家たちは自分たちのもうけでしか動かない、そういう予算配分に当然なってしまうということだと思います。だけど、ポイントは民主主義、デモクラシーは小さいサイズで成り立つ、ここは一つヒントじゃないかなと僕は思っています。その実例はさっきのブラジルもあるし、日本だと埼玉県志木市とか、三重県の名張市とか、いくつか例はあるようです。そんなお答えになっちゃうんですけど。
大西 大丈夫ですか。いまひとつ?ちょいずれた?
男性B そういうことが果たしてできるのか***。
白崎 できるようになりますよね。
大西 要するに、だからそうです。最大の問題は、そもそもみんな政府のこと信用してない、政治家とかね。それは我々自身を信用してないってことですね。自分たちが選んでる政府、政治家を信用してないから、それ天につばつけるようなもんで、そこをあきらめちゃったらどうしようもないんですよね。少なくとも、今の仕組みは根本的に間違ってるんで、それを変えたときにそれをちゃんと運用できるかどうかっていうのも我々しだいになると。そこら辺は、できないって言う人は、君ができないって言うんだったらできないかもね。(笑)。でも、やれるよっていうふうにやっぱり変えてく、多分、必要があると思うんですけど、なかなかもう一言で説得するのは難しい***。
白崎 難しいですね。あと、やっぱり僕らの覚悟が問われるわけで、本当に民主主義って、投票して誰か代表者を選んで、それにお任せっていうのは絶対やめなきゃいけないと思います。
大西 そうですね、本当に。フェア党を選んでおきゃ大丈夫っていう、今、ならないです。
白崎 大西つねきにそのTシャツ着て頑張ってくれよって言うだけじゃだめなんです。
大西 そうなんですよ。やっぱりみんなに変わってもらわないと(?)。
白崎 そこはすごい大きなポイント。
男性B それが日本の官僚システムの、本当にどこまで使命感を持って国民のために働いてくれるかっていうところは、しっかりしないと、なかなか難しいよな。
白崎 官僚って一番身近で言うと市役所の職員さんだったりするわけでしょ?
男性B 財務省とかあの辺です。
白崎 それを使うのも実は我々な***。
大西 そうなんですよ。やつらは、官僚は、要するに上司の言うことは基本的に絶対なので、上司を代えちゃうってことです。つまり大臣を代えちゃう。大臣を俺たちで作るって話で。やっぱりそうすると、内閣を自分たちで作る、政治家をどうやって選ぶかって話になるんですね。だから、どこまでいっても我々なので、まあやりましょうよ、みんなで。ね。
白崎 だから、やっぱり今日の話の落ちなっちゃうかもしれませんけど、やっぱり政治運動をどう作っていくかっていうことだと思うんです。
大西 そうなんです。僕がこんなタイトルの本出したのは、これ、絶対政治家じゃないとできないんです、最終的には。学者がいくら話したところで何にもできないんで、おまえそれやれって言われたら、はい、やりますって言う人間が自分の頭から出して言わないと多分だめだと思ってるんで、こういうタイトルにしてます。ほか質問ある方***。
(02:56:14)【アメリカからの独立に対する大西さん覚悟をお聞かせください】
男性C 大西さんに本当に聞きたいことがあるんですよ。私は前に大西さんの通貨のお金の仕組みとか聞いて、まだ***、多分***、総理大臣になると、それもそうだけどそれだけじゃないなって。権力の***できないと。そこで聞きたいんですけど、権力を取るっていうことは、日本は今、安倍さんがああいうかたちでいろいろやっていただいて、丸見えになってきたとこいっぱいあるんですけど、実は、いろんな方たちが今発言し始めてますけども、アメリカの属国の***ってるわけ。これは皆さんご存じかどうか知りませんけども、今までの政権のときは「2+2(ツー・プラス・ツー)」で、米軍と日本の防衛省とか、そして外務省が月1回ぐらいは日米合同委員会ってあって、まあご存じだと思いますけど、そこで日本のいろんなこと決めてるわけですよね。それが最近毎日になってるらしいです。モーニングミーティングっていって、そこを***さした人がそれを国民の前で話し始めたんですけども、***抹殺されてる。とか、あるいは、天皇制が、今、議論されてますけれども、あれはアメリカが作った、平和憲法だといってますけど、例えば天皇っていうものがいなくなったら、日本は憲法を変えて何もできなくなってしまう。議会民主主義もへったくれもないっていうことを、最近、憲法学者的な方たちが言い始めてるわけですよね。憲法のこととか。そういったいろんなことが、アメリカの支配を脱却しないと、例えば大西さんがやりたいと思っても、アメリカが日本のおいしいとこを全部、今、牛耳ってますから、そこを反するようなことやるってなれば、大西さんは何もできないぐらいに(笑)、民主主義なんか、くそもあったりもしないというとこもあるっていうところを、多分、大西さんは知ってると思うんですよ。そういった対アメリカの親米独立、親米従属じゃなくて、親米は親米でもいいんですけども、親米独立するといったところの構想っていうのが、総理大臣ならこうするところに、そらまあ書くわけいかないから、ちらっとヒント的には書いてますけども、その辺を、ちょっと覚悟みたいのを(笑)、お聞かせ願え、これネットでやってるから、ちょっとしゃべれないこともあると思いますけど。
大西 具体的にどうするかっていうのは、今、僕、何の力もないので、できないです。基本的にどこまでいっても、我々みんなの覚悟じゃないですか、これ。我々が本気で独立国として、日本として独立するんだっていう覚悟を持つんですね。その覚悟の示し方の一丁目一番地は在日米軍みんな出てっていただくという、その覚悟をまずしないと。で、それを掲げた政治家を作る必要ありますね。まずは民意を反映するためにね、すくい上げるために。で、つぶされるのかつぶされないのかわかんないですけど、それが一定割合の本当に力を持つようになれば、あとはもう面と向かって言うのが一番いいと思うんです。もう在日米軍出てけと言ったら、多分、出て行かざるを得ないでしょ?アメリカも。面と向かって言ったら。誰も、多分、忖度して言わないんですよ、それ。そもそもみんながそれ本当に言えって言って政治家選んだら、それ言うでしょう?そういう政治家はさすがに言わざるを得ないじゃないですか。だから、僕はもちろん考え方として本にも書いてあるとおり、僕が本で前半部分で言ってることはすべて、9章ぐらいになると、アメリカから独立しないと何もできませんよって書いてあるんですよ、全部読むと。だから、それが一丁目一番地で、それをする覚悟はあるかどうかっていうのは、僕の覚悟じゃなくてみんなにあるかっていう、それを問わないといけないわけですね。だから、まずはそうなるまでに我々はそういう議論を進めてく必要がある。そういうことを誰かが言いだして、どうかなと、俺は嫌だなとか、俺は出てってほしいなとか、そういう、みんながまず考えることによって決断していくと。どこまでいっても最終的に一人一人の決断、それから一人一人の生き死にの問題になります。例えば、他国に攻め込まれたときに相手を殺しに行くのかどうか、自分だったら。それを自分がやれないんだったら誰かにやらせるのか。何で自分ができないのに誰かにやらせることができるのか。そういう一人一人の生き死にの問題からちゃんと発送して、ちゃんと態度を決めてく必要がある。その結果、多くの人たちがどういう結論を出すかっていう。多分、思想とか哲学とか生き方とか死に方とか、そういう議論のビルドアップから最初からしていかなくちゃいけなくて、僕のプランとしてはそれをまずひたすらやるところが、今、1歩目だと思ってます。政治活動しながら政治家としてそういう発言をすることによって、みんなが自分の身近な問題として、政治課題として考えるようになるっていう、それをやってかないと、そういう大事なことを言わないまんま、勝手に忖度して集団的自衛権行使容認とかやってるのが今の政権じゃないですか。みんなに考えさせないことをしてるわけ。僕はみんなに考えさせることをします。それ一番大事だと思ってるんで。その結果どうなるかっていうのは最終的にはわかんないですよね。僕がどっかの時点で死ぬのか、(笑)、排除されるのか、どんな目に遭うのかわかんないですけど、でも、それまではそういうスタンスでやるつもりでいます。ありがとうございます。どなたかほかにいらっしゃいます?こちら先でしたね。
(03:02:36)【ベーシックインカムを配当する根拠は何ですか】
男性D 今日の講演会、非常に楽しみに来て、非常にお二人の連携もよくて、よくわかって、大変有意義な時間でした。私、実は10年少し前ぐらいから大西さんのおっしゃるように何か変だなって思い始めたんですね。自分でいろいろ考えていく中で、話すと長いんですけども、結局、やっぱり通貨改革と、それから、個人の人生保障がないといけないというふうに、帰結としてそういう結論を自分で得たんですね。その中で、通貨改革についてはやはり政府通貨の発行、個人的には国民銀行の通貨権あたり。それを原資にして、国の国家運営、言葉を使うと歳出でいいのかな、歳出も全部政府紙幣で行って、それを起点にして経済を回す。先ほどおっしゃったのは、今の通貨改革は、通貨制度は借金が先にあって、あとからお金が回るというお話で、私もそれじゃおかしいと思うので、やっぱり起点は政府が作るべき。政府のやってるものに、国家経営について、例えば医療、教育、基本生活、あとでBI(ベーシックインカム)ってありますけども、基本生活、基礎研究、安全保障、BIでまかなえない部分の、BIは社会保障とは思ってないんですけども、まあ社会保障、その他、全部政府通貨でやって、もう国債と税の国家運営をやめると、これが一つですね。その中で、ちょっと話長くなっちゃうとまずいんで一つだけ絞るとすると、私、ベーシックインカム非常に必要だと思ってるんですけども、最初、白崎さんのホームページで田中康夫さんとの対談の動画あったんですけど、そっから初めて見て、やっぱり自分の考えてることはある程度正しいんだっていうこと確信得ました。そのあと大西さんの動画を見て、通貨改革は肝で、その中にBIがあるっていうふうには確認しました。で、今日話聞いて、お二人一致してるのが、やはり通貨改革とベーシックインカムっていうは絶対必要だっていうことおっしゃってたので、これで私のいろんな疑問点っていうのは全部払拭されて、今日はこのセミナーを通じて確信になりました。政府通貨発行の通貨改革、プラス、ベーシックインカム、これがもう肝だっていうのは確信しました。間違いない、130%確信した。その中で、白崎さんのおっしゃってる、ホームページありますよね、探る会の。そこのメニューの上のほうにもう政府通貨出てますよね、左。その中のBIですよね。BIをやるときに、政治としてやるときには必ず根拠が必要だと思うんですね。法律の根拠に基づいた政策ですよね。その根拠は何なのかっていう話は今日出てなかったんで、もしその根拠が今あるんであれば、教えてもらいたいなと思います。お願いします。
白崎 根拠というと、二つ、多分あると思うんですけれども、一つは法的な根拠だと思うんですけど、僕がよく言うのは、皆さん、例えば選挙権っていうのお持ちですよね。普通選挙権という具合にいいますけれども、普通選挙権とおんなじように、基本的人権の一つとして収入権というのがあって、お一人お一人が基本的な収入を得る権利が基本的人権として、僕はマネーは基本権だってよく言うんですけれども、憲法に普通収入権は万人が等しく持つという具合に書き込むぐらいの基本的人権の一つという具合にやったらいいというふうに思ってます。それからもう一つは、根拠として経済的な根拠なんですけど、経済的な根拠って、ダグラスがさっき国民配当って言ったのが一番典型なんですけど、配当ってした意味は、お金ってやっぱり大西さんが言ってるように、本当はないんですよ。ないんだけど、あるいは、我々のお金、財布に入ってる1万円だって、あれトイレットペーパーにもならない、何の役にも立たないんですけど、なぜあれが価値を持つかっていうと、それは社会や皆さんにある富を取ってくる請求権、要するに、まさに切符を入れて電車に乗るのとおんなじように、請求するための、一つ、印としてあるわけですよね。だから、具体的に皆さんのサービス、ものを生産する力を引き出してくる権利としてマネーがあるという具合に、経済的には根拠がいっぱいある(?)と思ってるので、その二つの面が大事だと。それで、政治的な権利と経済的権利が一体化する。つまり我々って今、選挙権がある、政治的な自由があるようなふりをさせられてますけど、本来はやっぱり国民配当があって、経済的な裏づけがないと、本当の政治的な権利も実体は持たないんですよね。だから、政治的権利と経済的権利が一体化することだというふうに思ってます。
男性D ありがとうございます。私も先ほどBI必要だっていうお話ししたと思うんですけども、やっぱり政治で政策にするためには法的根拠だって今私も言いました。自分が考える法律的な根拠は憲法の第25条、生存権の保障、これがてっぺんにきていいんじゃないかなというふうに思ってるんですが。
白崎 これも話すと長いんですけど、生存権って今の25条はすごい欠陥があると思っていて、「健康で文化的な最低限度の生活」ってなってるでしょ。よく言うんですけど、私も講演会で。健康や文化の最低限度って何ですかっていうことなんですよね。あれ、最低限度入れることによって、最低の限度を決めるのが厚生労働大臣というふうに、裁判上、判例でなって、結局、生活保護だとか私のやってた福祉機器だとかをみんな決めるのは行政裁量で決められて、私たちの権利に本当はなってないんですよね。だから、25条はもともとベアテ・シロタさんっていう人がGHQ憲法作るときにあの辺担当してたんですけど、最低限度じゃなくって、当時の国際法を参考にして、人間の尊厳ある生活をまかなうための給付っていう具合に彼女はプランを立てたんですけど、上司のホイットニーだったかな、何かにそんなのだめだってカットされちゃったんですよね。最低限度ってあとで出てくるんですけれども、最低限度っていうのはずして、人間尊厳のための***とか何とかっていう具合にすれば、おっしゃるように憲法の上位に持ってったらいいと思います。
男性D 私も、憲法に、今ある生存権の保障っていうのは非常に不備があって問題があると思って。じゃあどうしたらいいかって考えたときに、今、憲法改正論で、憲法9条のことばっかりやってるんですね。そうじゃなくて生存権の保障をまず一番最初にやって、今おっしゃったように必要最小限ではなくて、ベーシックインカムでもお金を配るときに生活の最小限の金額イコール5万円とか7万円とかやってるんですよね。じゃなくて私は、憲法でうたってしまえばいいところは、必要十分な金額というふうに変えて、じゃあ必要十分って何かっていうと、例えば我々が今生活してる中で収入を得なくて何やるっていうと衣食住ですよね。衣食住にいくらかかるのか。それから、文化的な生活するために白物家電をそろえますよね。
大西 質問じゃなくなってるんで、
男性D (笑)。すいません。
大西 ***。質問ほかにある方いらっしゃいますか。
男性D すいません。じゃあ私これで終わりにします。
白崎 でも議論はよくわかりますけどね。
(03:11:28)【資本家や官僚は通貨改革を止めたいのではないか】
男性E 今日はありがとうございました。大西さんの動画を何回か見ただけで、ちょっと、うち、まだ知識としてないので、憲法の話と学術的な話とか出てこないんですが。ざっくり聞きまして、例えば僕が銀行の資本家とか官僚でここに来てたとしたら、普通のサラリーマンで年収もまあぼちぼちなんですけど、***もう絶対止めたいなと思うはずなんですね、この流れを。
大西 とは限んないと思います。
男性E (笑)
大西 そこら辺、僕はみんなのことをある意味信頼してるというか、個人としてね。いろんな立場それぞれあるでしょう。だから、あんまりこの方向性は自分の立場的にプラスになんないなと思っても、個人としてそれに賛同していただければ、多分、その人も変わっていけると思うし、そういった意味で言うと、いろんな人がいて、いろんな反対意見があって、全然それで構わないと思うし、それぞれの感じ方でいいんだと思うんですよ。大事なのはそれぞれが一人一人の意見とか、それを尊重して、それでいいんだよと。基本的に、だからどんな人が来ても、それを止めたいと思う人が来ても、まあそれはそれだし、それでいいと思ってます。(笑)。
白崎 それちょっと、補足でいいですか。そのとおりなんですけど、銀行の話は面白い話があって。私、今、里山舎って会社作って全然お金がないんで、それこそ、不本意ながら、地元の足銀、融資を***(笑)。それで、どういう本出してんですかっつったら、これはあんたのとこのこと書いた本だよって、『負債の網』って見せたんですよ。若い銀行の融資担当者がぜひ読ませてくださいって(笑)、借りたんですよね。で、それ融資の参考にしますって、融資の参考にしたら金貸してくれねえんだろうなと思ってんですけど(笑)。ただ、彼が言いたいのは、若い行員さんが今、地方銀行の行員さんってすーごい大変なんですよ。なぜかっていうと、銀行はもうかんないから。さっき大西さん言った、国債をほとんど日銀が買い上げて、国債の利息も入んないし、貸し出しも増えないし、地方銀行って今、死に絶えそうな、これいっぱいあるんですよ。行員が、例えばうちの足銀***黒羽支店って行員さんの9割はパートさん、非正規、ほとんど女性です。正規の行員さんって3人とか、次長と支店長と若い子、3人ぐらいしかいないんです、田舎だと(笑)。その若い子が一生懸命融資担当とかっつって頑張って営業やって。でも彼の頭の中にあるのは、俺がこんな融資業務をずーっと続けてられんのかなってことだ思うんですよね。つまり、銀行貸し出しを仕事として自分は果たしてやれるんだろうかっていう疑問がわいたんで、この白崎っていう変なやつが作ってる本を読んでみようかなって思ってくれた***、僕はすごいある意味革命的なことだと思って、内心はいいことだ、これで金貸してくれなかったら嫌だなと思ってんですけど(笑)、いいことだと思います。だから、『負債の網』の序文のところにリード・シンプソンさんっていう銀行員が評を書いてんですよ。あれは、自分が銀行員だったときは全くこのマネーシステムのことは考えもしなかった、でもエレン・ブラウンの話を読んでみると、なるほど、僕たちはどういうところで働かされていたのかということをよくわかりましたって言ってるんですよね。だから、そういう銀行の中からの改革っていうのは、半沢直樹じゃないけれども、これから起きる可能性って私はゼロではないというふうに思ってはいます。そのぐらい苦しい状況に、今、地方銀行は置かれているので。
大西 どうぞ。順番的に、オオニシさんと、あと3名ぎりぎりですね。手短に、じゃあお願いします。短く、こっちもございますそ。じゃ、後ろのオオニシさん先で、次。
(03:11:28)【資本家や官僚は通貨改革を止めたいのではないか】
男性E 今日はありがとうございました。大西さんの動画を何回か見ただけで、ちょっと、うち、まだ知識としてないので、憲法の話と学術的な話とか出てこないんですが。ざっくり聞きまして、例えば僕が銀行の資本家とか官僚でここに来てたとしたら、普通のサラリーマンで年収もまあぼちぼちなんですけど、***もう絶対止めたいなと思うはずなんですね、この流れを。
大西 とは限んないと思います。
男性E (笑)
大西 そこら辺、僕はみんなのことをある意味信頼してるというか、個人としてね。いろんな立場それぞれあるでしょう。だから、あんまりこの方向性は自分の立場的にプラスになんないなと思っても、個人としてそれに賛同していただければ、多分、その人も変わっていけると思うし、そういった意味で言うと、いろんな人がいて、いろんな反対意見があって、全然それで構わないと思うし、それぞれの感じ方でいいんだと思うんですよ。大事なのはそれぞれが一人一人の意見とか、それを尊重して、それでいいんだよと。基本的に、だからどんな人が来ても、それを止めたいと思う人が来ても、まあそれはそれだし、それでいいと思ってます。(笑)。
白崎 それちょっと、補足でいいですか。そのとおりなんですけど、銀行の話は面白い話があって。私、今、里山舎って会社作って全然お金がないんで、それこそ、不本意ながら、地元の足銀、融資を***(笑)。それで、どういう本出してんですかっつったら、これはあんたのとこのこと書いた本だよって、『負債の網』って見せたんですよ。若い銀行の融資担当者がぜひ読ませてくださいって(笑)、借りたんですよね。で、それ融資の参考にしますって、融資の参考にしたら金貸してくれねえんだろうなと思ってんですけど(笑)。ただ、彼が言いたいのは、若い行員さんが今、地方銀行の行員さんってすーごい大変なんですよ。なぜかっていうと、銀行はもうかんないから。さっき大西さん言った、国債をほとんど日銀が買い上げて、国債の利息も入んないし、貸し出しも増えないし、地方銀行って今、死に絶えそうな、これいっぱいあるんですよ。行員が、例えばうちの足銀***黒羽支店って行員さんの9割はパートさん、非正規、ほとんど女性です。正規の行員さんって3人とか、次長と支店長と若い子、3人ぐらいしかいないんです、田舎だと(笑)。その若い子が一生懸命融資担当とかっつって頑張って営業やって。でも彼の頭の中にあるのは、俺がこんな融資業務をずーっと続けてられんのかなってことだ思うんですよね。つまり、銀行貸し出しを仕事として自分は果たしてやれるんだろうかっていう疑問がわいたんで、この白崎っていう変なやつが作ってる本を読んでみようかなって思ってくれた***、僕はすごいある意味革命的なことだと思って、内心はいいことだ、これで金貸してくれなかったら嫌だなと思ってんですけど(笑)、いいことだと思います。だから、『負債の網』の序文のところにリード・シンプソンさんっていう銀行員が評を書いてんですよ。あれは、自分が銀行員だったときは全くこのマネーシステムのことは考えもしなかった、でもエレン・ブラウンの話を読んでみると、なるほど、僕たちはどういうところで働かされていたのかということをよくわかりましたって言ってるんですよね。だから、そういう銀行の中からの改革っていうのは、半沢直樹じゃないけれども、これから起きる可能性って私はゼロではないというふうに思ってはいます。そのぐらい苦しい状況に、今、地方銀行は置かれているので。
大西 どうぞ。順番的に、オオニシさんと、あと3名ぎりぎりですね。手短に、じゃあお願いします。短く、こっちもございますそ。じゃ、後ろのオオニシさん先で、次。
(03:18:41)【政府通貨の会計上の仕訳はどうなりますか Facebookやアマゾン銀行についてどう思いますか】
男性G 手短に二個だけ質問させてください。一つはあえてさまつな話なんですが、政府紙幣を発行したときの会計上の仕訳がどうなるかっていう話と、仕訳の経理の仕方ですね。それからもう一つは今話題になってるFacebookやアマゾン銀行の話ですね、この動きについてどう思うか。借方、貸方の***。
大西 借方、貸方っていうのは、政府通貨ですよね?
男性G ええ。
大西 政府通貨の借方、貸方?
男性G 例えば政府が政府通貨を、政府にとって政府通貨を発行するってことは、政府にとっては負債なんでしょうか、それとも資産になるとか、その辺。
白崎 要するに、今の会計システムとは違うシステムになるかどうかっていうことです?
男性G ええ。もしくは、会計システムの中に落とし込んだら、単純にどういうふうに記載されるか、そこがちょっとわかんなかったです。
白崎 それはいろんな議論が多分あると思うんですけど、今の段階でも日銀券っていうのは負債の項目に挙がってるんですね。だけど、あれも僕はおかしいと思っていて、負債の項目に挙げる必要は本当は日銀券もないと思うんですよ。だから、それとおんなじように、政府通貨も負債項目に挙げる必要はなくて、純資産にしたほうがいいのか、ちょっとその辺は今すぐ答え出ませんけれど、会計項目は変えたほうがいいとは思います、まず。それから今の二つ目の質問が大事で、Facebook通貨、Libra(リブラ)でしたっけ?
男性G Libraと、アマゾン銀行とか。
白崎 仮想通貨に関して言うと、Libraもそうなんですけど、あれ、今読んでる情報からだけだと、今の現在の法定通貨で100%リンクするっていうのを書いてありますよね。だから、暗号通貨でブロックチェーンは使うけれども、結局、僕らが使ってる電子マネーとほとんど機能は変わらないんじゃないかということがまず一つと、ただし運用してったときに、やっぱり暗号通貨の最大の問題っていうのは、要するにマネーは公共のものなんですよね。パブリックなものじゃなきゃいけないのに、ああいう私的な大企業が、たとえマーケットが大きいといっても、運用することに政治的な正義性があるかっていうことを僕はすごい疑問を感じていて、そこでやっぱり破綻するんじゃないかなっていう、これあくまで予測ですけどね、気はします。だから、さっそく、どこだっけな、Libraに関しては中国だったかどこだったか、すぐちゃちゃ入れてました。アメリカも入れたと思うんです。
男性G みんな入れてます。
白崎 入れてますよね。
男性G 銀行業が逆に要らなくなっちゃいますから、既存の。
白崎 だから、いわゆる暗号通貨の持っている通貨発行の権利を銀行や国家から分散するというとこの発想はわからないでもないんですけれども、結局、それは通貨の価値をインフラから実は特権的なものにすり替えちゃうっていう***。
男性G 寡占的に巨大なIT企業が総取りしようっていう、
白崎 そうです。
男性G たくらみが***。
白崎 私はそういう具合に見てます。結局GAFA(ガーファ Google、Amazon.com、Facebook、Apple Inc.)の問題っていうのは、インターネット事業っていうのは要するに消費だけを分散したけれども、利益だけはものすごい一極集中で、銀行経済を最も極限にしたものです。やっぱりそれは僕たちの目指す社会ではあり得ないと思います。
男性G わかりました。ありがとうございます。
大西 次。これ最後になるかな、時間的に***。
(03:22:10)【MMT勢力と一緒になったほうがいいのではないか】
男性H まず考え方は間違いないかなっていうことで、いろいろあったですので(?)、大西さんの***続けて(?)***と思って(?)はます。それで、基本的には支持。ただ、今日はMMTとのかかわりで話をされて、これが経過措置的には意味があるけれども、その先についてはどうかわからないけど、この部分では走らせるなら走らせていいという部分があるということで、れいわなんかも悪評はしないっていうことで、意味が見えました。が、ちょっと思うのは、自民党の西田議員とか安藤議員とか、MMT勢力はかなり強いし、しかもMMTでやってる中野、
大西 中野剛志さん?
男性H ええ。あと、
大西 ***。
男性H ***はやっぱりすごいなあというふうに思うんで、一大勢力として、こういう勢力を何らかのかたちで、まあ相手は嫌がるかもしれないけれど、結集して大きな運動にしないと、選挙金かかりすぎるし、遠すぎるし、時間(?)がすごい大変だと。だから、努力ものすごくわかります。で、支持します。が、香港のああいう運動じゃないけれど、もう少しそういう***のものを入れないともたないんじゃないかっていうか、そういう***なんじゃないかって、***からMMTでもう少し***て***してって、まずそこは経過措置かもしれないけど、もう少し***絞れ(?)ないかなっていうのが僕の考えです。
大西 そもそもああいう、僕なんかは、西田さんとか、そもそも自民党の議員さんと何かができるかというと、もう全然相手にもされないので、(笑)、僕ができること多分全然ないと思うんですよ、そういった意味で言うと。僕にできるのは自分にできることをやるだけの話なんで。どこまでいっても、もう本当にさっきからずーっと言ってるんですけど、MMTとか財政金融とか、そういう話じゃないです、今起きてるのは。本当にこれから起きるのはもう世界変革です。断言します、これ、パラダイムのシフトがきてます。だから価値観の転換なんですよ。いくらテクニカルなMMTがどうのこうの、考えが似てるとか何とかっていうのも、全部似て非なるものです。何でかっていうと、そのおっきなビジョンがないんです、彼らには、どこまでいっても。その人たちといくら固まってやったところで、本気にでっかい数はできません。僕、本気で信じてるんですよ、世界変えるって。で、世界もう変わり始めてると思ってます。みんな、皆さん一人一人の心の中で変わってるんです。みんなわかってるんです。それを、本当、顕在化させるのは、実はこういう難しい講演会じゃないです、MMTとかでは。もっと本当に、一般の女性たちだったりとか、子どもたちの未来を心配してる、逆にお金の話とか何にもわかんないけど、本当に何かいいことのために(?)、いい未来を求めてる人たちが気持ちで動きだすってね。難しい頭でじゃなくて。その人たちを集めてでっかい固まりにしないと、僕は絶対政治は動かないと思うし、既に今までのあらゆる野党系の政治運動、全部失敗してきたのは頭でやってるからです。そういった意味で言うと、僕、実はこんな話をしながらやろうとしてることはそういう人たちとは全然違うんです。皆さんも、多分、僕に直接話を聞くまで理解できないと思うんですよ。今日もこういう話は僕あんまりしませんでした。基本的に今日はこういう趣旨の会なんで、MMTとか金融とか経済の話しますけど、実際に僕の講演会、3時間ドア締め切って散々聞かされると、こいつは全然違うんだなって理解できる。それは金融とか経済の人じゃないっていうことを理解する。僕はメッセンジャーです。メッセージ発信です。この地球にもう本当にそろそろおっきな変化を地球上に起こさないといけませんよって、そういうメッセージ発信をしている、もうはっきり言っておかしな人です。
会場 (笑)
大西 経済の専門とかそうじゃなくて、完全に頭のいかれたおかしなやつです。もう***。そうじゃないと、今、でっかい変化は起きないんです。それを本気でやろうとしてます。だから、そういう、今、考え方で言うと、れいわなのか、あと、オリーブの何とかとか、いろいろいわれてますけけど、そんな次元の話じゃないです。もう全然違う次元の話を僕はしてます。僕はメッセージを発してるのは、多分、こんな短い間でも何か伝わったと思います。その次元のメッセージを発してます。その次元で感じた人がじゃあ一緒にやろうってなるかどうかっていうことをやってます。っていうことで、今日の話を締めたい***。僕の3時間の講演ぜひ聞きに来てください。この話が3時間続きます。(笑)。
会場 (笑)
大西 まあそんなことはないですけど、お金の発行の仕組みもしますけど、でも本当にこの次元のメッセージを発して、それで、僕はでっかい数を作ろうと思ってます。っていうんで、とりあえず、でも、短い間でも、短いっていうか今日3時間ありましたけど、こういう、言葉だけじゃない、言葉を超えた何かを聞きに来てくださって、僕は本当に感謝してます。ありがとうございました。
会場 (拍手)
大西 白崎さん、ありがとうございました。白崎一裕さんでした。
会場 (拍手)
大西 このあと、僕、ホールに行きますんで、もし本買っていただいて何か一言書けっていう場合は書きますので、***ます。あと、白崎さんの本も売ってますんで、ぜひ今日買ってって読んでみてください。
白崎 ありがとうございました。

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