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[近代史3] 中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口 中川隆
31. 中川隆[-13673] koaQ7Jey 2020年2月21日 11:20:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-196]
【Front Japan 桜】ウイグルは屈せず〜中国の虐殺と弾圧の現状−ムカイダイス [桜R2/2/20]


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c31
[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
165. 中川隆[-13672] koaQ7Jey 2020年2月21日 11:24:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-195]

JBLユニットの追放劇 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月21日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0e0453d8e943fbb5666afb1ac09da6c0


タイトルにある「追放」という言葉はちょっと語感が強すぎる気がする。

これまでJBLユニットには散々お世話になっておきながら「その言い草は何だ、この薄情者め!」と謗られそうだが、いくら考えてみてもほかの言葉が思い浮かばない。どうせ相手は人間じゃないし、まあいっか(笑)。

さて、「AXIOM80」の2発体制にしてからおよそ1週間余りだが、性懲りもなく飽くなき探求が続いている。まだまだ「発展途上」の感は拭えない。

読者から「いい加減にしろ!」とお叱りを受けそうだが、実はオーディオの面白さは完成形にあるのではなくその過程にあるとは思いませんかね(笑)。

それでは、本題のJBL機器の一斉追放について記してみよう。

まず、
✰ JBL「D123」 → 「AXIOM150マークU」へ

「ウーファーとして使っているD123も悪くはないのですが、AXIOM80と同じグッドマンということで「AXIOM150マークU」(以下「マークU」)をぜひ聴いてみたいですね。」と、オーディオ仲間。

そこで「ああ、お安い御用ですよ」とご本人の面前で交換した。

バッフルへのネジ止め作業は不要で、木製の植木鉢の中のユニットをそっくり交換するだけだから実に簡単。10分ほどで左右両チャンネルの作業を終了し一緒に耳を澄まして聴いてみた。

担当する周波数帯域は「125ヘルツ」(−18db/oct)以下と、まさにギンギラギンの低音域である。

「D123のときと比べるとさすがにグッドマン同士だけのことはあります。音色が合ってますよ。こちらの方がより自然です。もう低音域用の「AXIOM80」(復刻版)は不要でいいかもしれないと思わせるほどです。」

そうですか・・・。

「喜ぶべきか、悲しむべきか」、まるで「to be、 or not to be」のハムレットみたいな心境になった(笑)。

選択肢の質が向上するのはいいことだが、その一方では重量級の大きなアルニコマグネット付きの「マークU」を、たったの「125ヘルツ以下」で使うのは何だか勿体ないというか申し訳ないというか。ま、出番があるだけいいかな・・。

と、心が千々に乱れる中で「D123」はあえなく追放処分となった。これまで、どうもありがとさん。

そして、次のターゲットはJBL「075」だ!
✰ JBL「075ツィーター」 → 「デッカのリボンツィーター」へ

「AXIOM80の音色からいくと、075よりもむしろデッカのリボンツィーターの方が合うように思いますけどねえ」と、大のデッカ好きの仲間がさらに追い打ちをかけてきた。

「それは分かってますけど、デッカは既にウェストミンスター(改)の方で活躍していますから・・」と、思わず逃げ腰に(笑)。

そう、どうしても二者択一になってしまう。「両雄並び立たず」とでも言おうか。

つまり「雄大なスケール感」が売り物の「ウェストミンスター」と「胸にキュンと来る切なさと色気」が売り物の「AXIOM80の2発体制」のどちらを我が家のエースにするかということに尽きてしまうのだ。

となると、やっぱり年甲斐もなく「色気」の方が大切なんですよねえ!(笑)

というわけで、涙を呑んで「075」を追放して「デッカ」を載せてみた。

もちろん駆動するアンプの方も「71A(レイセオン)シングル」から、「2A3シングル」へ交換。能率の低いデッカはパワー感のある真空管アンプじゃないとうまく鳴ってくれないのが難点。

ちなみに、リボンツィーターのいいところはどんなスコーカーに対してもごく自然に音が溶け込むところにある。音色が実に自然なのである。これは使ったことがある人じゃないと分からない。

今回も極めて個性的ともいえる「AXIOM80」にも、とても相性が良かった。

しかも、クロスオーバーを「8000ヘルツ」から「6000ヘルツ」にしてデッカの出番を増やしたところ、さらに艶と輝きが増したのだからたまらない。

「やっぱり思ったとおりでした。音色は同じイギリス勢で統一しないと・・」と、満足げな仲間。

しかし、可哀そうなのは大切なデッカを奪われたウェストミンスターである。仲間が辞去した後で、さっそくいろいろ試してみたところ「スーパー3」(ワーフェデール:赤帯マグネット付き)がとても良かった。
こちらも「オール・イングランド」である。


「むしろデッカよりもいい」と自分に言い聞かせたのは言うまでもない。

これで今晩は枕を高くして眠れそう(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0e0453d8e943fbb5666afb1ac09da6c0
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c165

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
14. 2020年2月21日 13:02:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-194]
みなさんの町にレストランとか商店があると思いますが、20年間外観や内装を改修しなかったら、相当古臭くなっていると思います。

もし新しいピカピカの店が近くにできたら、どんなに料理が美味しく、魅力的な商品を置いても、お客さんは綺麗な店に流れます。

その古臭くて汚い店が「昔の名曲喫茶」でピカピカの新しい店が「今の名曲喫茶」国です。
「昔の名曲喫茶」の店主が「うちの店はアンティーク・オーディオで音が良い」とか言ったって無駄で、客はオシャレで綺麗な方に行きます。

「Cafe新空間」 とか 音楽カフェ Blossom とか「今の名曲喫茶」は、内装や雰囲気とスピーカーに金を掛けていて、音そのものに手間を掛けていません。

それでも客はそういう店には行列を作ってでも行き、古くてダサい店には絶対に行きません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c14

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
25. 2020年2月21日 13:08:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-193]
2020年02月21日
中国でウイルス鎮静化?、現地情報途絶える、日本は首相の失策で感染拡大


桜、中国人観光客、習近平に比べれば日本人の人命はどうでも良いらしい

画像引用:https://johosokuhou.com/wordpress/wp-content/uploads/2020/02/ice_screenshot_20200214-221051.jpeg

武漢からの情報途絶え真相は不明

新型コロナウイルスの中国の感染者は2月19日に349人増加と前日のの1749人から急減少した。

だが中国国家衛生健康委員会は診断基準を変更し、X線診断による感染認定をしないと改めた。

検査は正式なウイルス検査のみになったが検査キットや医師が足りず、検査した人数しか感染者が発生しない事になる。


仮に感染者が1000万人居たとしても一日300人しか検査しなければ新たな感染者は300人しか発生しない。

このアホみたいな発表をWHOと世界のメディアはまるで本当の事のように報道したり発表している。

世界中のすべてのメディアが共産党機関紙になったかのようで、とても気持ちが悪い世界です。


我々は本当に知りたいのは湖北省や武漢で何人なくなったのか、何人火葬しそれは普段より何人多いのかです。

この1週間で中国では火葬場が核兵器並みの国家機密になり、本当の処理数を知ろうとしたものは公安に拘束されたり失踪している。

湖北省以外の中国の感染者は19日に45人だが、これも「45人しか検査しなかった」という意味でしかない。


なくなった人は中国全土で19日に108人増えて2029人となったが、一日の感染者数が349人でなくなったのが108人はおかしい。

これでは死亡率が3割以上になってしまい数字がめちゃくちゃなので、明日からは「つじつまの合う数字」に替えてくるのでしょう。

ユーチューブなど武漢からの情報発信はすべて途絶えてしまい、現地の人の直接の情報を知る手段はなくなった。

安倍政権の汚点

日本は結局中国からの入国を一度も規制せず、入国時のアンケートで「湖北省に滞在していた」と回答した人のみ入国拒否していた。

入国したい人は「湖北省に滞在していません」と答えるので、入国拒否された人はわずかしか居ませんでした。

感染した中国人が無制限に日本に入国し、今までに40人以上の日本人が日本国内で感染しました。


日本国内の感染者はチャーター機帰国者とクルーズ船を除いて19日現在で56人、2月13日以降はほとんどが日本国内での感染となっている。

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」は2月3日に横浜港に寄港したが、現在分かっているだけで542人、亡くなった人も2人出ている。

おそらく寄港した時点では10人から数十人の感染者だった筈で、明らかに日本政府と厚労省が感染者を増やした。


厚労省は「人から人への感染はしない」とか「空気感染はしない」など根拠のない妄想を繰り返し、対策を講じるのを禁止した。

例えば空気感染はしないと断言し、防護服着用を禁止したり、空調を遮断するなどの措置も不要だとして禁止した。

安倍首相の落ち度も明白で、国会でくだらない桜騒動に明け暮れて、まもとな指示を出しませんでした。


また安倍首相は日本人の人命より、中国人観光客と習近平訪日を優先し、絶対に入国規制しないという愚を犯した。

中国では1月23日に武漢を封鎖しており、日本はこの時点で中国から入国禁止するのが当たり前、クルーズ船や航空機への中国人乗船も禁止するべきでした。

そうすればダイヤモンドプリンセスでは1人も感染者が出なかったでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/82252455.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c25

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
15. 2020年2月21日 13:24:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-192]
タンノイのハイエンドのオートグラフ、ウェストミンスターやカンタベリーより
ハーベスの安物スピーカーの方が遥かに音がいいんだけど
それがわかる人間がいないんだな

そもそもバックローディングホーンは大広間用PA機で、別に高級機という訳じゃないんだけど
値段が高ければ音もいいだろうと勘違いしてるんだね
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c15

[近代史3] プーランク オーボエとピアノのためのソナタ FP185 中川隆
1. 中川隆[-13671] koaQ7Jey 2020年2月21日 14:34:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-191]

オーボエ ソナタ(プーランク) 


今日の曲なのだけど、聞いたことない人は、是非聞いて下さいね
私のお勧めの曲ですよ。
(珍しく、オーボエの曲なのですが・・・)

今日の音楽日記の曲は、フランスの作曲家プーランク
の作曲した『オーボエソナタ』です。

プーランクのピアノ協奏曲は、私、とっても好きで、
この音楽日記でも過去に書いている

⇒過去記事

ピアノ協奏曲(プーランク)
https://kfc-201.blog.ss-blog.jp/2006-01-16

2台のピアノの為の協奏曲(プーランク)
https://kfc-201.blog.ss-blog.jp/2006-04-19

プーランクという作曲家は、とても洒落た曲を書いているのだけど、
このオーボエソナタも、とっても、いい。
一歩間違えば、癒し系の音楽かもしれないけど、
立派なソナタでもあり、でも、とっても、洒落ていて面白い。

曲は、3つの楽章からなっています。

第1楽章(エレジー)
 冒頭の2小節のオーボエソロに続いて、ピアノ伴奏で
 オーボエが演奏する旋律。これ泣けます。
 とってもとっても、いい旋律です。
 これは、オーボエならではの旋律ですね
 もうひとつの リズムが特徴的な対照的な旋律も、
 プーランクの得意の旋律の形ですね
 この二つの組合せが この楽章をとっても面白くしています

第2楽章(スケルツォ)
 おおっと、この飛び跳ねるような旋律。楽しいです。
 展開もよくて、ついつい、この躍動する音楽に浸れます。
 中間部は お約束のゆっくりした音楽
 その後、また、躍動する音楽に戻るのだけど、
 短く終わる。あっさりしていて、いいです

第3楽章(悼み)
 この楽章は、深遠な音楽になります。
 ピアノが重厚な伴奏をつける中、延々とオーボエが
 悲しい旋律を弾くのだけど、
 一楽章や二楽章の旋律やその変形もでてくるみたいだけど、
 イメージが違っています。
 この楽章は、とても心に染みいる音楽です。

全部で、15分程度の短い曲だけど、
飽きさせない、とても、凝縮した音楽で、
いろいろとつまった プーランクらしい一曲です。

この曲は、ちょっとお勧めの曲ですよ。

オーボエの音色は、忙しい時には、
ちょっといい感じで響くので好きです。
https://kfc-201.blog.ss-blog.jp/2012-09-09


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/924.html#c1

[近代史3] プーランク オーボエとピアノのためのソナタ FP185 中川隆
2. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2020年2月21日 14:37:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-190]

クラシック音楽 一口感想メモ
フランシス・プーランク(Francis Poulenc, 1899-1963)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF

フランス六人組周辺のおしゃれな音楽の入門はこの人が良いと思う。
フランス流エスプリの利いた軽妙洒脱で粋な都会的音楽。
メロディーに溢れていて分かりやすく、まためまぐるしく雰囲気が変わるので飽きない。管楽器のソナタなどが素敵である。

管弦楽曲

•バレエ音楽『牝鹿』◦3.0点

組曲版で聴いた。スッキリとした軽やかなオーケストレーションと爽やかで瑞々しい詩情のある音楽である。しかし、メロディーの魅力がいま一歩と思うし、都会的な魅力もない。従って、それなりに良いのだが、あくまで若書き作品であり、もっと他に良い曲があると思って聴いてしまう。

•『フランス組曲』(管楽器、打楽器、チェンバロ、ハープ)◦3.5点

弦楽器が無くてチェンバロが入るという楽器編成が、古風な音の軽さを演出しており、非常に良い。ピアノ版と同様に楽しいし、管楽器の合奏の古風な楽しさはピアノ版には無いものである。


•シンフォニエッタ◦3.0点

メロディーに溢れていて軽妙であり、つまらなくはない。しかしニュアンスは平板で同じような雰囲気の上であれこれメロディーを流しているだけに感じられる。また、音楽が軽すぎて娯楽映画の音楽のようだし、管弦楽なので機敏さに欠ける。


協奏曲

•クラヴサンと管弦楽のための田園のコンセール(田園協奏曲)(1927-1928)◦3.0

近代のチェンバロ協奏曲という目新しい響きの音楽であることから、好奇心を満たしてくれる。やりたい放題と言いたくなるほど奔放な構成で、めまぐるしく変わる場面についていく楽しさはある。4分の1くらいの場面は確かに田園をイメージする。しかし、心に響くようないい音楽という感じは無い。あくまで好奇心のための音楽と思う。


•2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 ニ短調(1932)◦3.3点

2台のピアノの豊富な音数が産み出す華麗さ楽しさはなかなかのもの。プーランクらしいめまぐるしさも有効に機能して、聴き映えの良さを増している。

•ピアノ協奏曲 嬰ハ短調(1949)◦3.3点

軽快な聴く人を楽しませるピアノの使い方は流石で、プーランクのピアノ協奏曲への適性の高さを感じるのだが、逆に予想外の凄さがない。彼ならやりそうな事をそのままやっている。そのため、いい曲ではあるが物足りなさが残る。


•オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調(1938)◦3.0点

軽快さが売りのプーランクも、この曲はオルガンの音圧を活用した重たい音楽にしている。場面の転換は頻繁だが、変化の劇的さがあまり無い。でも作曲者らしいセンスの良さは感じる。この雰囲気は独特であるので、聴いてみて損は無い。


室内楽曲

•六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)◦3.3点

軽妙さやメランコリーをうまくミックスしたプーランクの良さが出ている曲。管楽器とピアノの扱いの上手さが、この曲でも目立つ。集大成的な作品としての作者の意気込みを感じる。しかしながら、音の厚さや楽器の多彩さが思ったほど効果を挙げていない気がする。


•ホルン、トランペット、トロンボーンのためのソナタ◦3.0点

珍しい構成であるが、音や音楽はそれほど意外性がない。アンニュイな雰囲気や金管らしい合奏を楽しめる。それ以上の良さはあまりない。

•ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲◦2.3点

おどけたりメランコリックになったり、フリーダムな曲。掛け合いも即興的。自由すぎて聴いていて落ち着かない。オーボエもファゴットもプーランクに合っており良さが生きているので、この編成ならばもっといい曲が書けたのではと残念に思う。


•ヴァイオリンソナタ◦2.5点

諧謔的な雰囲気が強い。ヴァイオリンが狭い範囲の使い方しかされていない印象があり、あまり楽器の良さを生かせてない。メロディーもいまいちで、プーランクの良さもあまり出ていない。とはいえ軽妙さなど、一定の特質を生かせてはいる。


•チェロソナタ◦2.5点

それなりに楽しめるのだが、チェロとしては軽快すぎる音使いで、高音の明朗さの不足がそのまま弱点になってしまっている。深々とした渋い響きを楽しめる他の作曲家のチェロソナタやプーランクの管楽器のソナタの素晴らしさと比較するとイマイチ。


•フルートソナタ◦3.5点

アンニュイな1楽章。寂寥感あるメロディーが捻った形で出てきて微妙なニュアンスを表現する2楽章。独特の捻りとメロディーの横溢によるニュアンスの変化が面白い3楽章。


•オーボエソナタ◦4.5点

夜の都会の洒落たセンスの中に人生の苦楽を潜ませた1楽章。
ドビュッシーのように始まりおどけた後、中間部は切なく叙情的ながらも都会的で美しい2楽章。
悲しく始まり、夢の中に溶けて現実に引き戻されて終わる3楽章。
ニュアンスに満ちていて強く引き込まれる最晩年の傑作。

•2本のクラリネットのためのソナタ◦3.0点

同質の楽器2つという限定された条件での面白いアンサンブルを楽しむ曲。アンニュイでまったりした雰囲気が面白い。

•クラリネットソナタ◦3.0点

憂鬱アンニュイとおどけた道化というクラリネットの2つの面を軸にした曲の作りで、得意の目まぐるしい雰囲気の変化がある。お洒落メランコリーの部分は曲の雰囲気に浸れてなかなか優秀。

•クラリネットとファゴットのためのソナタ◦3.5点

2つの管楽器という限定された条件だが、変化に富み和声も豊かで素晴らしい。ファゴットは主に伴奏だが非常にうまく活用されていると思った。


器楽曲

•ピアノ連弾または2台のピアノのためのソナタ◦3.0

もとは若い時の作品で、ドビュッシーやサティーの影響を感じるが、十分にプーランクの個性も発揮されており、音感やセンスの良さはさすが。短い曲だし楽しんで聴ける。


•2台のピアノのためのソナタ◦3.3点

2台用だが、静寂さを感じる場面が多い。アンニュイでメランコリックな繊細な精神を体験出来る場面が多いので、その楽しさで聴ける。

•3つのノヴェレッテ(ピアノ)◦3.5点

1曲目は穏やかな叙情性と中間の小気味良さが素晴らしい。2曲目は少し活発で小気味よい雰囲気と音使いが楽しい。3曲目は美しい夢と現実の狭間のようで感傷的。3曲ともコンパクトでいい曲。

•フランス組曲◦3.5点

ピアノ版を聴いた。冒頭からウキウキするような楽しい曲。どの曲も明るい中にエスプリが効いていて、親しみやすく誰でも楽しめるような作品。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/924.html#c2

[近代史3] プーランク オーボエとピアノのためのソナタ FP185 中川隆
3. 中川隆[-13669] koaQ7Jey 2020年2月21日 14:47:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-189]

フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(プランク)(Francis Jean Marcel Poulenc,1899年1月7日-1963年1月30日)は、フランスの作曲家。

フランス6人組の一人。
声楽、室内音楽、宗教的楽劇、オペラ、バレエ音楽、オーケストラ音楽を含むあらゆる主要な音楽ジャンルの楽曲を作曲している。

その作風から、1950年7月のパリのプレス紙において評論家のクロード・ロスタンから「ガキ大将と聖職者が同居している」と評された。

1899年にパリの裕福な家庭に生まれる。両親は敬虔なカトリック教徒であった(父エミールは、叔父のカミーユと共に製薬会社プーラン社の創設者)。

5歳の頃から母親からピアノの手ほどきを受け、1914年(15歳)からはスペイン出身の名ピアニスト、リカルド・ビニェス(ドビュッシーやラヴェルのピアノ曲の初演を数多く手がけた)にピアノを師事し、多大な影響を受ける。

バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)による『春の祭典』(1913年)、『パラード』(1917年、台本:ジャン・コクトー、音楽:エリック・サティ、美術:パブロ・ピカソ)の初演を見て感嘆する。

1917年頃ビニェスの紹介により、後のフランス6人組のメンバーであり同い年のジョルジュ・オーリックや、『パラード』の作曲者サティ、ポール・デュカス、モーリス・ラヴェル、声楽家のジャーヌ・バトリといった音楽家と出会う。

中でもバトリとの出会いは重要で、プーランクは当時バトリの自宅に毎週のように集まる音楽家の一員となった。彼はそこでアンドレ・カプレやアルテュール・オネゲルとも出会う。当時、バトリは渡米したヴィユ・コロンビエ劇場の支配人の代理として劇場の運営を任されており、1917年12月には同劇場でジェルメーヌ・タイユフェール、オーリック、ルイ・デュレ、オネゲル、ダリウス・ミヨーの作品とともに、プーランクの『黒人の狂詩曲』の初演が行われた。プーランクは後に「これがその後の6人組の出発点となった」と語っている[1]。

また、詩人ジャン・コクトーらのサロンに出入りするようになった。

当時18歳だったプーランクは作曲を本格的に学習したいと考えたが、実業家であった父の反対によりパリ音楽院には進学せず、3年間の兵役についた。この間、1920年に『コメディア』誌上に批評家のアンリ・コレが掲載した論文「ロシア5人組、フランス6人組、そしてエリック・サティ」によって「6人組」の名が広まった。

除隊後の1921年から1924年にかけて、ダリウス・ミヨーのすすめもありシャルル・ケクランについて本格的に作曲を学ぶ。

1922年にはミヨーなどと共にウィーンのアルマ・マーラー宅を訪れ、そこでアルノルト・シェーンベルク、アントン・ヴェーベルン、アルバン・ベルクと会う。この年にはパリを訪れたバルトーク・ベーラとも会う。

1923年にパリで行われたイーゴリ・ストラヴィンスキーの『結婚』初演の際の4人のピアニストの一人に予定されていたが、プーランクは病気となり初演には関われなかった(ストラヴィンスキーとは1916年のパリの楽譜店で出会って以来の友人であった)。

1923年、ミヨーとともにイタリア旅行中であった24歳のプーランクは、バレエ・リュスを主宰するセルゲイ・ディアギレフからの委嘱によってバレエ『牝鹿』を作曲し、翌1924年にモンテカルロにおいてバレエ・リュスによって初演された。

脚本はコクトー、舞台と衣装はマリー・ローランサン、振付・主演はブロニスラヴァ・ニジンスカによるという豪華なものだった。

以来、軽妙洒脱で親しみやすいその作風は大衆に喜んで受け入れられたが、作曲活動だけでなく、バリトン歌手ピエール・ベルナックとによる自作歌曲のピアノ伴奏をはじめとして積極的に演奏活動もし、録音も残されている。

初のオペラ作品『ティレジアスの乳房(英語版)』は1948年に初演され、第2作の『カルメル派修道女の対話』(1957年1月ミラノ・スカラ座で世界初演、6月パリ・オペラ座でフランス初演)は、「ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』、ベルクの『ヴォツェック』に続く作品」と絶賛された[2]。

晩年には様々な楽器とピアノのためのソナタに取り組む。

1962年にはクラリネット・ソナタ、オーボエ・ソナタを作曲したが、1963年1月30日に心臓麻痺のためパリで死去した。

フランス滞在時のロシアの作曲家プロコフィエフとは、ピアノやブリッジを通じて親交が篤かった。

唯一のピアノの弟子としてカンヌ生まれフランスのピアニスト、ガブリエル・タッキーノを教えた。


音楽観など

1953年に行われたスイス・ロマンド・ラジオ放送のインタビューで、プーランクは自己の来歴や音楽観について語っている。その中で、

若い頃に影響を受けた作曲家として、シャブリエ、サティ、ラヴェル、ストラヴィンスキーの4人を、

音楽家のベスト5(無人島に持っていきたい音楽)として、
モーツァルト、シューベルト、ショパン、ドビュッシー、ストラヴィンスキーを、

生理的に受け付けない作曲家としてフォーレ、ルーセルの名を挙げている[3]。

プーランクはインタビューの中で「音楽でモーツァルトに勝るものはない」[4]と言いきっているが、これは幼少時の彼にピアノを手ほどきした母親の影響である。

また、ストラヴィンスキーについては『春の祭典』ではなく、『プルチネルラ』、『妖精の接吻』、『カルタ遊び』などの「ヨーロッパ的」な作品に影響を受けたと語っている[5]。

プーランクの音楽体験はピアノから始まっているために作品にはピアノ曲が多いが、10歳の頃にシューベルトの歌曲に熱中したことがあり、このことが数多くの歌曲を生むきっかけとなった[6]。

ピアノ以外の楽器については、弦楽器よりも管楽器の音色を好んだ[7]ため、管弦楽曲では管楽器が重要な役割を演じることが多く、室内楽曲においても管楽器のための作品が多い。

なお、プーランクはさまざまな楽器の組み合わせで室内楽曲を作曲しているが、その中に同一の組み合わせのものはない。

プーランクは生粋のパリっ子であり都会人であった。
彼が作る曲は軽快、軽妙で趣味がよく[6]、ユーモアとアイロニーと知性があり「エスプリの作曲家」と言われる[7]が、敬虔なカトリック教徒であった両親の影響を受け、宗教曲や合唱曲も手掛けている。自身はこの分野について、

「わたし自身の最良の部分、何よりも本来の自分に属するものをそこに注ぎ込んだつもりです。(略)わたしが何か新しいものをもたらしたとするならば、それはまさにこの分野の仕事ではないかと思います」

と述べている[8]。

無調音楽が主流となった戦後も単純明快な作風の調性音楽を書き続けたプーランクであったが、一方でピエール・ブーレーズの主催する現代音楽アンサンブル「ドメーヌ・ミュジカル」の演奏会には常連として足繁く通うなど、前衛的な現代音楽にも理解を見せた。


作品の特徴

軽快で旋律に富むという面が、若き日の大家に見られた作風と共通するところから「モーツァルトの再来」と表現する者[誰?]もいた。

また、音楽の従来のあり方が多様化し旋律が崩壊した後の時代と比較され「メロディーを持つ20世紀最後の作曲家」と呼ばれたこともあった(その後、従来のような旋律の振る舞いを復活させる新しい動きが20世紀内にも起こったため、その表現は実際に正しくはなくなった)。

当時のストラヴィンスキーが好んだ大胆で鮮やかな複調の響きを彼も特に好んで取り込み、旋律同士や和音同士をその手法によって重ねることが多く見られる。


作品

詳細は「プーランクの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/プーランクの楽曲一覧


管楽器やピアノのための室内楽曲、宗教曲に優れた作品が多い。


オペラ

『ティレジアスの乳房(フランス語版)』
『カルメル派修道女の対話』
『人間の声』


管弦楽曲

バレエ音楽『エッフェル塔の花嫁花婿』(合作)
バレエ音楽『牝鹿』
バレエ音楽『模範的動物たち』
『フランス組曲』(管楽器、打楽器、チェンバロ、ハープ)
『2つの行進曲と間奏曲』(室内管弦楽)
シンフォニエッタ
マルグリット・ロンの名による変奏曲(合作)


協奏曲

クラヴサンと管弦楽のための田園のコンセール(田園協奏曲)
ピアノと18の楽器のための舞踊協奏曲「オーバード」
2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 ニ短調
オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲
ピアノ協奏曲 嬰ハ短調

室内楽曲

六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)
ホルン、トランペット、トロンボーンのためのソナタ
ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲
ヴァイオリンソナタ
チェロソナタ
フルートソナタ
オーボエソナタ
2本のクラリネットのためのソナタ
クラリネットソナタ
クラリネットとファゴットのためのソナタ
バガテル(ヴァイオリンとピアノ)
エレジー(悲歌)(ホルンとピアノ)
付随音楽「城館への招待」〜クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲

器楽曲

2台のピアノのためのソナタ

シテールへの船出(2台のピアノ)
主題と変奏


ピアノ連弾ソナタ

3つのノヴェレッテ(ピアノ)
ナゼールの夜会(ピアノ)
15の即興曲(ピアノ、第12曲『シューベルトを讃えて』・第15曲『エディット・ピアフを讃えて』)


合唱曲

Ave verum corpus アヴェ・ヴェルム・コルプス(1952)
Chanson à boire 酒の唄(1922)
Chansons Françaises フランスの歌(1945)
Exultate Deo エクサルティ・デオ(1941)
Figure humaine カンタータ「人間の顔」/P.エリュアール(1943)
Gloria グローリア(1959)
Laudes de Saint Antione de Padoue パドヴァの聖アントニオの讃歌(1959)
Litanies à la Vierge Noire(Notre-Dame de Rocamadour)ロカマドゥールの黒い聖母への連檮(1936)
Messe en Sol Majeur ミサ曲 ト長調(1937)
Petites Voix 小さな声(1936)
Quatre motets pour le temps de noël クリスマスのための4つのモテット(1952)
Quatre motets pour un temps de pénitence 悔悛のための4つのモテット(悔悟節のための…悔悟の時のための… という邦題もある)(1938/39)
Quatre petites prières de Saint François d'Assise アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り(1948)
Salve Regina サルヴェ・レジーナ(1941)
Sept Chansons 7つの歌(1936)
Sept Repons des Téneèbres テネブレの7つの応唱(1961)
Sécheresses カンタータ「枯渇」(1937)/E.ジェイムス
Stabat Mater スターバト・マーテル(1950)
Un soir de neige 小カンタータ「ある雪の夕暮れ」/P.エリュアール(1944)

歌曲(多数)

朗読とピアノ

小象ババールの物語(日本語にも翻訳されているジャン・ド・ブリュノフの絵本による音楽物語)

著書

『プーランクは語る――音楽家と詩人たち』 ステファヌ・オーデル編、千葉文夫訳、筑摩書房、1994年。ISBN 4-480-87244-2
Journal de mes Mélodies. Paris: Cicero, 1993.
Correspondance 1910-1963. éd. Myriam Chimènes, Paris: Fayard, 1994.

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランシス・プーランク
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/924.html#c3

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
37. 中川隆[-13668] koaQ7Jey 2020年2月21日 14:48:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-188]
プーランク オーボエとピアノのためのソナタ FP185
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/924.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c37
[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
16. 中川隆[-13667] koaQ7Jey 2020年2月21日 15:24:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-187]
763名無しの笛の踊り2020/02/21(金) 13:51:45.73ID:urxAZGnT
オーディオ誌のお宅訪問みたいな記事で
6畳間にタンノイのでかいやつ置いてるけど
ああいうのはアホなんですね。

あと、タンノイといえば五味康祐の本に
高城なんとか先生に勧められるまま
コンクリ製のバッグロードホーンだかなんだかを
設置してもらったら、あまりのクソ音質で
金槌で叩き壊したって書いてあったけど、
そういう彼はまたタンノイ使いだったような。
まあ、どっちも基地外なんでしょうかね?

764名無しの笛の踊り2020/02/21(金) 14:06:10.70ID:3rYm6IRF
ハーベスの安物スピーカーのオススメ教えて

765名無しの笛の踊り2020/02/21(金) 15:15:12.20ID:MkYzFdxG
最近のハーベスでいいのは初代 HLコンパクトだけ

ハ-べスはHLモニターが一番いい。
2代目より初代設計者のが一番色艶があった。
2代目も最初のころの製品は頑張ってるが、最近は魅力半減です。
設計者として、独り立ちできなかった。
ショウの作品とハーウッドのとを聞き比べればよくわかる。

昔のハーベスはフランスのAUDAXのユニットだった。
AUDAXがHarmanの傘下にはいって、Harbeth用のユニットを供給してくれなくなってから、ユニットの選択がかわった。

初代 HL-Compactが生産中止になったのは AUDAX のツィーターが生産中止になったため
作りたくても作れなくなったから、
後継機のCompact7ではあの魅力的な中高域が変わってしまっていた、
そのあたりからあの会社の名前は聞かなくなった

766名無しの笛の踊り2020/02/21(金) 15:17:12.85ID:MkYzFdxG
初代 HLコンパクトに近い音が聴きたければ

AUDAX|マロニエオーディオ
http://www.maronieaudio.com/item/spdrv/audax.html

保証期間 1年間(メーカー規定範囲のみ)

AUDAXウーハは種類は少ないのですがとても優秀なウーハー群です。
 
使ったことがないから使わない方が多いようですが、
とても音質も良く、音の正確さ、切れの良い低音、レンジも充分です。
 
とにかく価格が安いです。
 
鈍い低音が苦手な人には向いています。

能率が良いので、有名高価低能率ユニットとは違う面白さがあるウーハです。
こういうユニットはもっと評価されるべきです。
 
Tweeterも種類は少ないのですが価格も安く良い製品です。
 
どうしても高域が30KHzでないから・・とスペックで使わない方が多いのですが、音も良く優秀な製品です。
 
お勧めです。
AM21LB25ALBC 8インチ Paper Cone Full Range
http://www.audax.com/archives/AM21LB25ALBC.pdf

17LB25ALBC 6.5インチ Paper Cone Full Range
http://www.audax.com/archives/17LB25ALBC.pdf

767名無しの笛の踊り2020/02/21(金) 15:20:04.00ID:MkYzFdxG

AUDAX はキャラがあります。
年がら年中フルトヴェングラーとかワルターとかオールドジャズを聴いている人には至福じゃないか。
ハイ落ちなのでツィーターもコンデンサーのみでつながります。
ここまできたら真空管使うしかないという音です。

今時96dBでぶちのめす!!いいんじゃない的な(笑)。
割り切ってるところがすごい!!。
ハイ落ちでますます今風じゃないなんて!!
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c16

[近代史3] バッハ : ストコフスキー編曲集 中川隆
1. 中川隆[-13666] koaQ7Jey 2020年2月21日 16:47:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-186]

バッハ : ストコフスキー編曲集

Stokowski's Bach arrangements 1927-74 (6h48mins restored Megamix)
https://www.youtube.com/watch?v=yh2cBy5cVD4&list=RDyh2cBy5cVD4&index=1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/925.html#c1

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
38. 中川隆[-13664] koaQ7Jey 2020年2月21日 16:49:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-184]

バッハ : ストコフスキー編曲集
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/925.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c38
[近代史3] クープラン ; チェロとピアノのための演奏会用小品 中川隆
1. 中川隆[-13663] koaQ7Jey 2020年2月21日 18:57:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-183]


クープラン:新しいコンセール集


フランスの絶対主義時代に君臨した“太陽王”ルイ14世は大変な音楽好きでも知られた。
栄華を極めた絶頂期には、ヴェルサイユ宮殿で毎夜の大祝典に明け暮れたものだったが、その晩年は相次ぐ戦乱や不幸に苛まれ、傷心の王はプライヴェートで小規模な室内音楽会に心の慰めを見出すようになったという。

大作曲家フランソワ・クープラン(1668−1733)は、そうしたルイ14世の晩年に仕えて深い信頼を得ており、自由な室内編成による器楽合奏曲“コンセール”を王はことのほか好んだという。

本作は、王の没後、クープランが「より多くの人々に気に入られるならば」と考えて残した新たなコンセール集であり、長らく最高傑作のひとつとされながら、なかなか聴く機会をもつことのできなかったものである。

「国王の心に奉仕するために」書かれた音楽から、「後世の人々の心に奉仕するために」書かれた音楽へ。聴けば聴くほど、このコンセール集は、人の心に対して恭順な音楽だと言える。

静かで、思慮深く、大声で主張せず、楚々として聴き手のそばに控えていてくれる美しい花のようなものだ。
無視することもできるし、問いかければ、含蓄をもった誠意ある答えが返ってくる、側近のような音楽。政争に疲れた晩年のルイ14世の心の逸楽もこのようであったのだろうと想像するのは楽しい。
https://www.amazon.co.jp/クープラン-新しいコンセール集-ルセ-クリストフ/dp/B000060N5Z

▲△▽▼

F. Couperin: Concerts Royaux (Brandis, Holliger Nicolet)


[00:00] Concert No. 1 G-dur
[12:08] Concert No. 2 D-dur
[23:44] Concert No. 3 A-dur
[41:21] Concert No. 4 e-moll

 オーレル・ニコレ
 クリスティアーヌ・ニコレ(フルート)
 ハインツ・ホリガー(オーボエ)
 トーマス・ブランディス(ヴィアオリン)
 ヨーゼフ・ウルザーマー(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、
 クリスティアーヌ・ジャコテ(チェンバロ)
 録音:1975年

________

Francois Couperin: Nouveaux Concerts (CD1)


1-5. Concert No.5 F-Dur
6-10. Concert No.6 B-Dur
11-16. Concert No.7 g-moll
17-21. Concert No.8 G-Dur


Thomas Brandis & Chiara Banchini - violins
Heinz Holliger & Marie-Lise Schüpbach - oboes
Aurèle Nicolet & Christiane Nicolet - flutes
Josef Ulsamer & Laurenzius Strehl - viola da gambas
Manfred Sax - bassoon
Christiane Jaccottet - harpsichord

_________

Francois Couperin: Nouveaux Concerts (CD2)


1-8. Concert No.9 E-Dur
9-12. Concert No.10 a-moll
13-20. Concert No.11 c-moll
21-24. Concert No.12 A-Dur
25-28. Concert No.13 G-Dur
29-32. Concert No.14 d-moll


Thomas Brandis & Chiara Banchini - violins
Heinz Holliger & Marie-Lise Schüpbach - oboes
Aurèle Nicolet & Christiane Nicolet - flutes
Josef Ulsamer & Laurenzius Strehl - viola da gambas
Manfred Sax - bassoon
Christiane Jaccottet - harpsichord







http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/926.html#c1
[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
39. 中川隆[-13662] koaQ7Jey 2020年2月21日 18:58:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-182]

クープラン ; チェロとピアノのための演奏会用小品
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/926.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c39
[近代史4] バロック音楽 中川隆
1. 中川隆[-13661] koaQ7Jey 2020年2月21日 18:59:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-181]

クープラン ; チェロとピアノのための演奏会用小品
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/926.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/180.html#c1
[近代史3] クープラン ; チェロとピアノのための演奏会用小品 中川隆
2. 中川隆[-13660] koaQ7Jey 2020年2月21日 19:04:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-180]

フランソワ・クープラン(François Couperin 発音例, 1668年11月10日 パリ - 1733年9月11日 同地)は、バロック時代のフランスの作曲家。

多くの音楽家を輩出したクープラン家の中でも特に有名な人物であり、大クープラン (Couperin le Grand) として知られる[1]。

クープランの作品の中で主要な位置を占めるのは4巻のクラヴサン曲集であり、約220曲の小品が27のオルドル (ordre) と称する組曲を構成している。彼のクラヴサン曲はアルマンドやクーラントといった組曲の代表的舞曲よりはむしろ、人名、風俗、自然、感情といった類の優雅で象徴的な題名を持つ描写的な作品が多くを占めている[2]。

生涯

フランソワ・クープランの父親のシャルル・クープラン (1638-1679) はルイ・クープランの弟であり[3]、1661年からはルイの後任としてパリのサン・ジェルヴェ教会のオルガニストを務めていた。1662年2月20日にシャルルは理髪師の娘マリ・ゲランと結婚し、1668年11月10日にフランソワ・クープランが生まれた。

彼は当然父親から音楽教育を受けていたと考えられるが、1679年、彼が10才の時にシャルルは亡くなってしまう。サン・ジェルヴェ教会のオルガニストとなるにはクープランは未だ幼すぎたが、教会評議会は彼が18才の誕生日を迎えた時に父親の地位を引き継ぐことに同意し、それまではミシェル=リシャール・ドラランドが代理を務めることになった。クープランの教育はサン・ジャック・ド・ラ・ブシュリー教会のオルガニストで国王のオルガニスト (organiste du roi) でもあったジャック・トムラン (en:Jacques Thomelin) が引き受けた。クープランは約束の日が来る以前に実質的にサン・ジェルヴェ教会のオルガニストを務めるようになり、1685年11月1日に教会評議会はクープランに対する報酬の支払いを決定している。

1689年にクープランはマリ=アンヌ・アッソーと結婚、1690年には最初の出版作品である2つのオルガン・ミサからなるオルガン曲集を出版し、1693年にはルイ14世によってトムランの後任に選ばれた。国王のオルガニストとして宮廷との結びつきを強めたクープランは、教師として多くの王家の人々にクラヴサンを教え、王室楽団ではジャン・バティスト・アンリ・ダングルベール(ジャン=アンリ・ダングルベールの子)の代役として常任クラヴサン奏者を務めた[4]。さらに宮廷作曲家としても活動するようになり、室内楽だけでなく王室礼拝堂用の宗教音楽も手がけた。国王の命を受けた3組のヴァーセット集が1703年から1705年にかけて出版されている。手稿譜で伝わる多数のモテットは1690年代後半に書かれたものと考えられる。この頃からクープランはイタリア風のトリオ・ソナタの作曲に取り組みはじめており、最初のうちはそれらをイタリア風の偽名で発表していた。

1713年に出版された『クラヴサン曲集第1巻』に収録されている作品の内いくつかは、出版される以前から手稿譜で出回っていたことが確実である。バラールの『クラヴサン曲選集』 (Pièces choisies pour le clavecin, 1707) にはクープランの作品のいくつかが作者不明の曲として収録されている。『クラヴサン曲集第1巻』はそのような手持ちの作品をまとめた曲集であると考えられ、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグという組曲における舞曲の定型の配列を守る傾向があるものの、他に多数の描写的な表題を持つ作品が収録されている。クープランは序文で「これらの楽曲を作曲する際、私の頭のなかにはさまざまなおりに得た対象があった。私が何を考えたかを標題が示しているので、それ以上に説明をする必要はない。」[5]と記しているが、クープランのクラヴサン曲の標題は現在では意味のよくわからないものも多い。

1716年にはクラヴサン演奏論である『クラヴサン奏法』 (L'art de toucher le clavecin) を出版した。これはごく短い著作であるが、内容は雑然としており、演奏の際の姿勢、幼い生徒への教授法、運指法と装飾音の解説、練習用の音階、イタリア音楽とフランス音楽の違い、自身のクラヴサン曲集の演奏に関するアドバイス、演奏会で伴奏者が注目されないことについての愚痴、などが思いつくままに綴られている。またクラヴサンにふさわしい音楽について実例を示すためのアルマンド1曲と、自身のクラヴサン曲集で使用されている調によるプレリュード8曲が収録されている。運指法の記述からはクープランは音階を演奏する際に中指で人差し指または薬指をまたぐ古風な方法を用いていたことがわかる。一方で替え指を使ったり、重音の三度ではレガートな指使いを用いるなど新しい方法を支持してもいる。1717年には『クラヴサン奏法』の第2版が出版され、おそらく同じ年に『クラヴサン曲集第2巻』が出版された[6]。第2巻の組曲は(第8オルドルを例外として)組曲の定型はほとんど放棄されており、描写的な標題を持つ作品の比重が増している。クープランの重要な宗教声楽作品である『ルソン・ド・テネブレ』 (Leçons de ténèbres) もこの頃に出版されている。全部で9曲が作曲されたと考えられるが、現存するのは3曲のみである。

1722年に『クラヴサン曲集第3巻』が出版され、『王宮のコンセール』 (Concerts Royaux) がその第2部として出版された。さらに1724年には『王宮のコンセール』の続編として『趣味の融合、あるいは新しいコンセール』 (Les Goûts réunis ou Nouveaux Concerts) を出版 、1725年に『比類なきリュリ氏の不滅の思い出に捧げるアポテオーズと題されたコンセール』 (Concert en forme d'apothéose à la mémoire de l'incomparable M. de Lully)、1726年に『諸国の人々 - トリオによるソナードとサンフォニー組曲集』 (Les Nations - Sonades et suites de simphonies en trio)、1728年に『通奏低音付きヴィオラ・ダ・ガンバ曲集』 (Pieces de violes avec la basse chifrée) とこの時期クープランは続々と室内楽作品を出版している。

1730年の『クラヴサン曲集第4巻』の序文でクープランは健康状態が悪化していることを記している、「三年程前これらの作品は書き上げられた。しかし私の健康は日々弱るばかりなので友人たちは仕事を休むよう忠告してくれた。それでその後何も大きな仕事をしていない。諸賢が今日まで私の作品に喝采を送らんとせられたことに御礼申し上げる…」[7]。その3年後の1733年9月11日にクープランはその生涯を閉じた。

作品

クラヴサン曲

『クラヴサン曲集第1巻』 Pièces de clavecin ... premier livre (1713) - 第1から第5オルドル

第1オルドル(ト短調/ト長調)
アルマンド「尊厳」 Allemande L'Auguste
第1クーラント Première courante
第2クーラント Seconde courante
サラバンド「荘重」 Sarabande La majestueuse
ガヴォット Gavotte
英国貴族、ジーグ La Milordine, gigue
メヌエットとドゥーブル Menuet (et double)
シルヴァン Les silvains[8]
蜜蜂 Les abeilles
ナネット La Nanète
情感、サラバンド Les sentimens, sarabande
牧歌 La pastorelle
金髪と栗色の髪の修道女たち Les nonètes (Les blondes, Les brunes)
ブルボン家の人、ガヴォット La bourbonnoise, gavotte
マノン La Manon
魅惑 L'enchanteresse
フルーリ、あるいは優しいナネット La fleurie, ou La tendre Nanette
サンジェルマン・アン・レの楽しみ Les plaisirs de St Germain en Laÿe

第2オルドル(ニ短調/ニ長調)
アルマンド「勤勉」 Allemande La laborieuse
第1クーラント Premiere courante
第2クーラント Seconde courante
サラバンド「貞淑」 Sarabande La prude
アントニーヌ L'Antonine
ガヴォット Gavote
メヌエット Menuet
カナリーとドゥーブル Canaries (avec double)
パスピエ Passe-pied
リゴドン Rigaudon
シャロレーズ La Charoloise[9]
ディアーヌ La Diane
ディアーヌに続くファンファーレ Fanfare pour la suite de la Diane
テルプシコーレ La Terpsicore
フロランティーヌ La Florentine
ガルニエ La Garnier
バベ La Babet
幸福な思い Les idées heureuses
ミミ La Mimi
勤勉 La diligente
おべっか La flateuse
官能的 La voluptueuse
蝶々 Les papillons

第3オルドル(ハ短調/ハ長調)
暗闇、アルマンド La ténébreuse, allemande
第1クーラント Premiere courante
第2クーラント Seconde courante
陰鬱、サラバンド La lugubre, sarabande
ガヴォット Gavotte
メヌエット Menuet
巡礼者 Les pélerines
ロランティーヌ Les laurentines
エスパニョレッテ L'Espagnolète
悔恨 Les regrets
プロヴァンスの水夫 Les matelotes provençales
お気に入り、シャコンヌ La favorite, chaconne
リュタン La lutine[10]

第4オルドル(ヘ長調)
灰色の服を着た人々の行進 La marche des gris-vêtus[11]
バッカス祭 Les baccanales
パトリーヌ La pateline[12]
目覚まし時計 Le réveil-matin

第5オルドル(イ長調/イ短調)
ロジヴィエール、アルマンド La logiviére, allemande[13]
第1クーラント Premier courante
第2クーラント Seconde courante
危険、サラバンド La dangereuse, sarabande
ジーグ Gigue
優しいファンション La tendre Fanchon
ひょうきん者 La badine
バンドリーヌ La bandoline[14]
フローラ La Flore
アンジェリーク L'Angélique
ヴィレール La Villers
ぶどう摘み Les vendangeuses
装飾 Les agrémens
波 Les ondes

『クラヴサン奏法』 L'art de toucher le clavecin (1716) - ニ短調のアルマンド1曲と8曲のプレリュードを含む(第1番:ハ長調、第2番:ニ短調、第3番:ト短調、第4番:ヘ長調、第5番:イ長調、第6番:ロ短調、第7番:変ロ長調、第8番:ホ短調)

『クラヴサン曲集第2巻』 Second livre de pièces de clavecin (1716〜1717) - 第6オルドルから第12オルドル

第6オルドル(変ロ長調)
刈り入れをする人々 Les moissoneurs
優しい憂鬱 Les langueurs-tendres
さえずり Le gazoüillement
ベルサン La Bersan
神秘的な障壁 Les baricades mistérieuses
田園詩、ロンドー Les bergeries, rondeau
おしゃべり La commére
羽虫 Le moucheron

第7オルドル(ト長調)
メヌトゥ La Ménetou[15]
子供時代:ミューズの誕生、幼年期、思春期、逸楽 Les petits âges: La muse naissante, Lenfantine, L'adolescente, Les délices
バスク La Basque
シャゼ La Chazé
気晴らし Les amusemens

第8オルドル(ロ短調)
ラファエル La Raphaéle
アルマンド「オーゾニエーヌ」Allemande L'Ausoniéne
第1クーラント Premiere courante
第2クーラント Seconde courante
サラバンド「無比」Sarabande L'unique
ガヴォット Gavotte
ロンドー Rondeau
ジーグ Gigue
パッサカーユ Passacaille
モリネット La Morinéte

第9オルドル(イ長調/イ短調)
2台のクラヴサンのためのアルマンド Allemande à deux clavecins
清涼 La rafraîchissante
魅力 Les charmes
サンスの公女 La Princesse de Sens[16]
オリンピック L'olimpique
謙虚 L'insinüante
魅惑 La séduisante
ひるがえるリボン Le bavolet-flotant
略式喪服、あるいは3人の寡婦 Le petit-deüil, ou Les trois veuves
メヌエット Menuet

第10オルドル(ニ長調/ニ短調)
凱旋 La triomphante
メザンジェール La Mézangére
ガブリエル La Gabriéle
ノワンテル La Nointéle
颯爽 La fringante
アマゾン L'amazône
バガテル Les bagatelles

第11オルドル(ハ短調/ハ長調)
カストゥラーヌ La castelane
光輝、あるいはボンタン L'etincelante, ou La bontems
生まれながらの気品 Les graces-naturéles
ゼノビ La Zénobie
偉大にして古き吟遊詩人組合の年代記 Les fastes de la grande et ancienne Mxnxstrxndxsx[17] 第1幕 吟遊詩人組合の名士と組合員 Premier Acte. Les Notables, et Jurés - Mxnxstrxndxnrs.
第2幕 ヴィエル弾きと乞食 Second Acte. Les Viéleux, et les Gueux.
第3幕 熊と猿を連れた旅楽師と軽業師と大道芸人 Troisième Acte. Les Jongleurs, Sauteurset Saltimbanques: avec les Ours, et les Singes.
第4幕 傷痍軍人、または偉大な吟遊詩人組合に属するかたわ Quatrième Acte. Les Invalides: ou gens Estropiés au service de la grande Mxnxstrxndxsx.
第5幕 酔っ払いと猿と熊の引き起こした無秩序と潰走 Cinquième Acte. Désordre, et déroute de toute la troupe: causés par les Yvrognes, les Singes, et les Ours.


第12オルドル(ホ長調/ホ短調)
双子 Les juméles
親密、クーラントのテンポで L'intîme, mouvement de courante
ギャラント La galante
コリュバス La coribante
ヴォーヴレ La Vauvré
糸紡ぎ La fileuse
ブルノワーズ La boulonoise
アタランテ L'Atalante

『クラヴサン曲集第3巻』 Troisième livre de pièces de clavecin (1722) - 第13から第19オルドル

第13オルドル ロ短調
花開く百合 Les lis naissans
葦 Les rozeaux
胸飾りのリボン L'engageante[18]
フランスのフォリア、あるいはドミノ Les folies françoises, ou Les dominos 純潔、目に見えぬ色のドミノの下で La Virginité, sous le Domino couleur d'invisible.
羞恥、バラ色のドミノの下で La Pudeur, sous le Domino couleur le rose.
情熱、肉色のドミノの下で L'Ardeur, sous le Domino incarnat.
希望、緑色のドミノの下で L'Esperance, sous le Domino vert.
貞節、空色のドミノの下で La Fidélité, sous le Domino bleu.
忍耐、亜麻色のドミノの下で La Persévérance, sous le Domino gris de lin.
倦怠、紫色のドミノの下で La Langueur, sous le Domino violet.
コケトリー、色とりどりのドミノの下で La Coquéterie, sous diférens Dominos.
年老いた伊達男や宮廷人たち、緋色と枯草色のドミノの下で Les Vieux Galans et les trésorieres suranées, sous des Dominos pourpres et feuilles mortes.
お人よしのカッコウたち、黄色いドミノの下で Les Coucous bénévoles, sous des Dominos jaunes.
無言の嫉妬、モール風の濃鼠色のドミノの下で La Jalousie taciturne, sous le Domino gris de maure.
狂乱、または絶望、黒いドミノの下で La Frénésie, ou le Désespoir, sous le Domino noir.

煉獄の魂 L'âme-en peine

第14オルドル(ニ長調/ニ短調)
恋のサヨナキドリ Le rossignol-en-amour
サヨナキドリのドゥーブル Double du rossignol
怯えたヒワ La linote-éfarouchée
嘆きのムシクイたち Les fauvétes plaintives
勝ち誇るサヨナキドリ Le rossignol-vainqueur
ジュリエ La Julliet
キュテラ島の鐘 Le carillon de Cithére
些細なもの Le petit-rien

第15オルドル(イ短調/イ長調)
摂政、あるいはミネルヴァ La régente, ou La Minerve[19]
ねんね、あるいはゆりかごの愛し子 Le dodo, ou L'amour au berceau
軽はずみ L'evaporée
ショワジのミュゼット Muséte de Choisi
タヴェルニのミュゼット Muséte de Taverni
温和と辛辣 La douce et piquante
花咲く果樹園 Les vergers fleüris
シャブイユ公女、あるいはモナコのミューズ La Princesse de Chabeüil, ou La muse de Monaco

第16オルドル(ト長調/ト短調)
比類なき気品、あるいはコンティ Les graces incomparables, ou La Conti
結婚-愛 L'himen-amour
処女たち Les vestales
可愛いテレーズ L'aimable Thérèse
奇怪なやつ Le drôle de corps
粗忽者 La distraite
レティビル La Létiville

第17オルドル(ホ短調)
威厳あるいはフォルクレ La superbe, ou La Forqueray[20]
小さな風車 Les petits moulins à vent
小さな鐘 Les timbres
クーラント Courante
バニョレの小さな乳搾り Les petites chrémières de Bagnolet

第18オルドル(ヘ短調/ヘ長調)
アルマンド『ヴェルヌイユ』 Allemande La Verneüil
ヴェルヌイエット La Verneüilléte
修道女モニク Sœur Monique
騒々しい男 Le turbulent
感動 L'atendrissante
ティク・トク・ショク、あるいはマイヨタン Le tic-toc-choc, ou Les maillotins[21]
びっこのガイヤール Le gaillard-boiteux

第19オルドル(ニ短調/ニ長調)
カロタンとカロティーヌ、あるいは縁日劇場の芝居 Les Calotins et les Calotines, ou La piéce à tretous
カロティーヌ Les Calotines
生娘 L'ingénuë
芸術家 L'artiste
ドミニコ会修道士の転落 Les culbutes Ixcxbxnxs[22]
ミューズ・プランティーヌ La muse-Plantine
つけぼくろ L'enjouée

『クラヴサン曲集第4巻』 Quatrième livre de pièces de clavecin (1730) - 第20から第27オルドル

第20オルドル(ト長調/ト短調)
王妃マリー La Princesse Marie[23]
道化役者 La boufonne
ケルビム、あるいは可愛いラズール Les chérubins, ou L'aimable Lazure
クルイイ、あるいはクープリネット La Croûilli, ou La Couperinéte[24]
華奢なマドロン La fine Madelon
優しいジャヌトン La douce Janneton
セジル La Sezile
タンブラン Les tambourins

第21オルドル(ホ短調)
ハートの女王 La reine des cœurs
躍動 La bondissante
クープラン La Couperin
ハープ La harpée
澄ました皮肉屋 La petite pince-sans rire

第22オルドル(ニ長調/ニ短調)
戦利品 Le trophée
夜明け、アルマンド Le point du jour, allemande
鰻 L'anguille
足絡み Le croc-en-jambe
交差するメヌエット Menuets croisés
手品 Les tours de passe-passe

第23オルドル(ヘ長調)
大胆 L'audacieuse
編み物 Les tricoteuses
アルルカン L'arlequine
デーロス島のゴンドラ Les gondoles de Délos
山羊の脚をしたサテュロス Les satires, chevre-pieds

第24オルドル(イ短調/イ長調)
大殿様たち、荘重なサラバンド Les vieux seigneurs, sarabande grave
若殿様たち Les jeunes seigneurs
人殺しの矢 Les dars-homicides
花飾り Les guirlandes
がらくた Les brinborions
すてきなバビシュ、またはおどけた愛 La divine-Babiche, ou Les amours badins
美しいジャヴォット、かつての王女 La belle Javotte, autre fois l'infante
両生類、パッサカーユのテンポで L'amphibie, mouvement de passacaille

第25オルドル(変ホ長調/ハ長調/ハ短調)
幻影 La visionnaire
神秘 La misterieuse
モンフラベール La Monflambert
勝ち誇るミューズ La muse victorieuse
さまよう亡霊 Les ombres errantes

第26オルドル(嬰ヘ短調)
病み上がり La convalescente
ガヴォット Gavote
ソフィー La Sophie
刺々しさ L’epineuse[25]
パントマイム La pantomime

第27オルドル(ロ短調)
高雅、アルマンド L'exquise, allemande
罌粟 Les pavots
中国人 Les chinois
機知 Saillie

オルガン曲

『2つのミサ曲からなるオルガン曲集』 Pieces d'orgue consistantes en deux masses (1690)
小教区用ミサ曲 Messe à l'usage ordinaire des paroisses pour les fêtes solemnelles
修道院用ミサ曲 Messe propre pour les Convents de religieux et religieuses


室内楽曲

トリオ・ソナタ

ホ短調「少女」 La pucelle (ca. 1692)
変ロ長調「スタインケルク」 La Steinquerque (ca. 1692)
ト短調「アストレ」 L'Astrée (ca. 1693)
ハ短調「幻影」 La visionnaire (ca. 1693)
イ長調「威厳」 La Superbe (ca. 1695)

四重奏ソナタ ニ短調「スルタン」 La Sultane (ca. 1695)

『王宮のコンセール』 Concerts Royaux (1722)
コンセール第1番〜第4番

『趣味の融合、あるいは新しいコンセール』 Les Goûts réunis ou Nouveaux Concerts (1724)
コンセール第5番〜第14番
『パルナッソス山あるいはコレッリ賛』 Le Parnasse ou l'apothéose de Corelli

『比類なきリュリ氏の不滅の思い出に捧げるアポテオーズと題されたコンセール』 Concert en forme d'apothéose à la mémoire de l'incomparable M. de Lully (1725)

『諸国の人々 - トリオによるソナードとサンフォニー組曲集』 Les Nations - Sonades et suites de simphonies en trio (1726)
フランス人 La Française (トリオ・ソナタ「少女」にもとづく)
スペイン人 L'Espagnole (トリオ・ソナタ「幻影」にもとづく)
神聖ローマ帝国人 L'Impériale
ピエモンテ人 La Piémontaise (トリオ・ソナタ「アストレ」にもとづく)

『通奏低音付きヴィオラ・ダ・ガンバ曲集』 Pieces de violes avec la basse chifrée (1728)
組曲第1番ホ短調
組曲第2番イ短調


宗教声楽曲

王の命令により作曲されたモテットの4つのヴァーセット 4 versets d'un motet composé de l'ordre du Roy (1703)
王の命令により作曲されたモテットの7つのヴァーセット 7 versets d'un motet composé de l'ordre du Roy (1704)
王の命令により作曲されたモテットの7つのヴァーセット 7 versets d'un motet composé de l'ordre du Roy (1705)
ルソン・ド・テネブレ Leçons de ténèbres (1713〜1717) Première leçon de ténèbres
Seconde leçon de ténèbres
Troisième leçon de ténèbres

聞け、すべてのものよ、そして恐れよ Audite omnes et expanescite
神と人との対話 Dialogus inter Deum et hominem
主よ、王を健やかに渡らせたまえ Domine salvum fac regem
祝祭は喜びの(聖アンナの祝日用モテット) Festiva laetis
信徒たちの喜びの声は(聖アウグスティヌスの祝日用モテット) Jucunda vox eccesiae
天が喜ぶように(聖バルテルミの祝日用モテット) Laetentur coeli
主を賛美せよ、しもべたちよ Laudate pueri Dominum
シオンよ救い主を賛美せよ Lauda Sion salvatorem
マニフィカト Magnificat
おお愛よ、おお喜びよ O amor O gaudium
おお主よ、避けどころよ O Domine quia refugium
おお最も恵み深いイエスよ O Jesu amantissime
おお言葉に出来ない奇跡 O misterium ineffabile
祭壇に祈りを捧げよ Ornate aras
あなたにどうやって報いましょうか、主よ Quid retribuam tibi Domine
レジナ・チェリ Regina coeli laetare
オルガンが響くように(聖チェチリアの祝日用モテット) Resonent organa
わたしを顧みて下さいRespice in me
サルヴェ・レジナ Salve Regina
神よ、わたしを健やかに渡らせたまえ Salvum me fac Deus
タントゥム・エルゴTantum ergo sacramentum
いつまで、主よ Usquequo Domine
さあ来なさいキリストの花嫁よ(聖シュザンヌの祝日用モテット) Veni sponsa Christi
いざ主に向かって喜び歌え Venite exultemus Domine
勝利:復活されたキリストによって(復活祭用モテット) Victoria: Christo resurgenti


世俗声楽曲

カノン

助けて!すべてを失った! A moy! Tout est perdu!
2枚のシーツの間の女 La femme entre deux draps

歌曲

どうか私に言わないで Qu’on ne me dise, air sérieux
我が心の甘い絆 Doux liens de mon coeur, air sérieux
ブリュネット Brunette
ある怠け者の墓碑銘 Epitaphe d'un paresseux
牧歌 La pastorelle
巡礼の女たち Les pèlerines
隠者たち Les solitaires
ミュゼット Musette
ヴォードヴィル Vaudeville
3人の田舎娘と3人のならず者たち Trois vestales champetres et trois poliçons


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/926.html#c2

[近代史4] 国民楽派の音楽 中川隆
1. 中川隆[-13659] koaQ7Jey 2020年2月21日 20:05:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-179]
パブロ・カザルス カタルーニャ民謡 『鳥の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/927.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/162.html#c1
[番外地7] 自衛官はバカがやる仕事 中川隆
3. 中川隆[-13658] koaQ7Jey 2020年2月21日 20:59:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-178]
裁判官になる人は世の中が規則通りに動かないのが許せないみたいですからね。

価値観や物差しが一つしかないんですね。宮沢首相みたいに学校の成績が良い人が上だと思ってるとかね。
世界が無限に解釈可能だとか、社会的評価を無視する人がいるというのがわからないんですね。

自分の頭で考えるには、世の中には色々な価値観があると認めないとできないんです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/496.html#c3

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
17. 2020年2月21日 21:24:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-177]
音楽は音色がすべてだからね

モーツァルトの音でなければモーツァルトの音楽なんか聴けない
ドビュッシーの音でなければドビュッシーの音楽なんか聴けない

タンノイで聴くとみんなタンノイ劇場の鈍くて濁った音になってしまうんだ

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c17

[番外地7] 自衛官はバカがやる仕事 中川隆
4. 2020年2月21日 21:53:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-176]
そういう事を言ってるんじゃないよ。
アホ指揮者のカール・ベームは法学博士だけど、法学人間はこういう感じなんだよ:
カール・ベームの箱の隅を突付く様な厳格なリハーサルは世界的に有名で、しかもその口やかましいリハーサルを許されるという特権を与えられていた稀有の存在である。
リハーサルでは如何なる妥協も許さない。例えば、腕立て100回と決めたら、それは必ずこなさなければ成らない。
私も自分がオケのメンバーや歌手だったら、ベームのリハーサルには耐えられないと思う。


名誉職コレクター

ベームといえば、やたらと記念色の濃い実権のない名誉職やメダルを数多く授かっている。
その筆頭はオーストリア音楽総監督である。これは別にオーストリアの音楽行政を統括する様な権力は一切ない。しかし、この肩書きは海外においては功を奏し、人間国宝的価値、或いはオーストリアの親善大使みたいな役割をはたした。ベームが外来の指揮者としては初めて皇居を訪問する事が出来たのも、この飾り物の肩書きがものを言ったのである。

他ではウィーン・フィルの終身名誉指揮者に選ばれた事も忘れては成るまい。しかも、これは史上初めての快挙である。他にも名誉市民や記念メダル等折に触れてベームに多くの名誉が授けられている。


時計コレクター
ベームといえば時計コレクションも有名で、来日した折もセイコーの工場を見学している。
沢山ある時計の内、一つでも時間がずれると直ぐに調整し直したとか。
そうしたベームの趣味を知っていたから、カラヤンもベームの誕生日に時計をプレゼントしたのだろう。

今は昔
1981年の『ステレオ芸術』10月号に掲載されている指揮者の人気投票では、
@アバドAベームBカラヤンC小澤DC・クライバーEフルトヴェングラーFバーンスタインGショルティHワルターIマゼール

で2位に支持されていたベームだが、2009年の『レコード芸術』12月号で行われた「世界の名指揮者ベスト・ランキング」投票では、

@フルトヴェングラーAカラヤンBバーンスタインCトスカニーニDC・クライバーEワルターFクレンペラーGムラヴィンスキーHセルIクナッパーツブッシュJチェリビダッケKベーム

で、ベームは12位と大きく順位を下げてしまった。
ベームがメディアに登場する回数は減り、新規のファン開拓の裾野が拡がらず、少しずつ支持者が減って行くのは当然だ。フルトヴェングラー亡き後の欧州楽壇をカラヤンと二分し、1970年代にはバーンスタインを加えて”20世紀後半三大指揮者”を形成していた人なのに、何でこんな格下扱いに成るのだろう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/496.html#c4

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
133. 中川隆[-13657] koaQ7Jey 2020年2月21日 22:40:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-175]
アメリカ民謡 「シェナンドー」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/928.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c133
[番外地7] 自衛官はバカがやる仕事 中川隆
5. 中川隆[-13656] koaQ7Jey 2020年2月22日 07:03:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-174]
名張毒ぶどう酒事件の裁判官を見れば、法学者に まともな人間が一人も居ないのが良くわかるよ:
 56年前、三重県名張市で地域の懇親会に出されたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で、名古屋高裁(山口裕之裁判長、出口博章裁判官、大村陽一裁判官)が8日、第10次再審請求を棄却する決定を出した。三者協議もやらない裁判所の姿勢から、この結論は予想していたが、様々な証拠に照らして確定判決を検討することにも拒否的で、毒物鑑定の検証実験などを「無意味」と突き放すなど、「これ以上裁判所の手を煩わせるな」と言わんばかりの拒絶感に満ちた態度が決定要旨からあふれているのには、唖然とさせられた。

三者協議さえ開かず

 本事件で起訴された奥西勝さんは、一審の津地裁は無罪だったが、二審の名古屋高裁で逆転有罪で死刑を言い渡された(このため、再審請求は地裁ではなく、高裁に提出することになる)。奥西さんは、判決確定後も無実を訴え続け、裁判のやりなおしを求めてきた。第7次再審請求で、ようやく名古屋高裁刑事第1部(小出じゅん一裁判長、「じゅん」はカネヘンに「享」)が再審開始を決定したが、検察の即時抗告による異議審で取り消された。第9次請求の最中に、奥西さんは死亡。第10次請求は、実妹の岡美代子さんが請求人となった初めての再審請求である。

 弁護側は使われた毒物が確定判決で示されたニッカリンTとは別の農薬であるとする主張を補強するため、事件当時の鑑定方法を再現する実験を行う一方、ぶどう酒の瓶の封緘紙ののりの成分を分析。製造過程で使用されたのとは異なる、一般家庭などで使われているのりが付着していたとして、奥西さん以外の誰かが、事前に開栓して毒物を入れた後に、再び封緘紙を貼り直した可能性があると主張した。 

 弁護側は鑑定を行った科学者の話を直接聞く機会を設けるよう、再三要請したが、裁判所は受け付けなかった。裁判所、弁護人、検察官による三者協議は、途中で請求を取り下げ第9次請求審に切り替えたために短期間で終わった第8次請求審でも行われたが、今回は一度も行われていない。

 決定では、毒物に関する再現実験は、当時の器具は入手不能などとして「再現を試みたところで、何の意味も持たない」「かかる再現実験をいくら重ねても無意味である」と切り捨てた。のりの成分についての再現実験でも、「意味をなさない」「意味をもたない」という言葉が繰り返された。

 専門的な知識や経験が必要な分野について、鑑定人の詳細な説明を求めることもなく、他の専門家の見解も聞かずとも、裁判官の非科学的な頭で科学鑑定の是非を判断できるんだと言わんばかりの対応は、傲慢の極みを言えよう。

証拠の吟味も行わず

 今回の決定は、確定判決を支えた証拠だけをつまみ食いしたうえ、当時の状況をまったく無視した評価をしている。

奥西さんの死後も支援活動は続くが…

 確定判決は、ぶどう酒に毒を入れる機会があったのは、懇親会会場の公民館で奥西さんが10分間1人でいた時間帯だけである、と認定した。ただ、このぶどう酒はその前に、懇親会を主催する生活改善クラブの会長Nさん宅に一定時間置かれていた。ぶどう酒の購入は、事件当日の朝にNさんが決めたこともあり、当初はNさんにも強い疑いが向けられていた。ところが、ぶどう酒到着時刻に関する関係者の供述は、途中ですべて、一斉に不自然な変化を遂げ、N宅に置かれていた時間がぐんと短くなり、ここで毒を入れる機会はないことになった。

 これによって、犯行の機会があった者は奥西さんのみだと主張する検察側に対し、一審の無罪判決は、証言の変遷は「検察官のなみなみならぬ努力の所産」と皮肉っている。

 しかし、今回の決定はそうした経緯は一切無視し、確定判決に合う証言のみをつまみ食いした。そのうえ、当時の状況は一切無視している。

 たとえば、ぶどう酒到着時刻に関する証言をしているT女の供述について、決定は「明確で一貫しており、うそをつく理由もない」と断言した。しかし、捜査の初期のT女供述は証拠として提出されていないので、果たして一貫しているのか不明だ。しかも、T女はNさんの実の妹である。

 第7次の再審開始決定では、T女ら関係者の供述の取扱いについて、次のような注意を述べている。

〈重要な供述者全員、特にNをはじめその家族(K女、T女)が、いずれも事件との強い利害関係を有する複雑な立場であって、供述の対象事項が、自らや親族らの嫌疑に直接、間接に関係し、虚偽供述を行いやすい強い動機が認められる〉

〈特にN女は嫁ぎ先から実家に帰っておりぶどう酒を一時的に保管していた家族として強い利害関係を有する者であり、兄Nとは供述当時の時点で同居していたこと(中略)などの背景事情があった〉

〈このような当時の背景事情を念頭に置いた上で、各供述の信用性の判断に当たり、供述の変遷、その理由、供述内容の自然さ、他の証拠との整合性などの観点から、慎重な検討を要する〉

2005年に再審開始決定が出たのだが……

 こうした「慎重な検討」もなく、証拠を十分に吟味しないまま、T女供述が「明確で一貫しており、うそをつく理由もない」などと断定した今回の決定は、控えめに言っても、あまりに軽率だ。こんな軽率な判断は、裁判記録全体を読み直し、これまでの再審請求審で明らかになった事実(弁護人が書面で丁寧に解説している)を新証拠とともに総合して検討していればできないだろう。今回の裁判所が、まともに再審の訴えに向き合っていなかったことが、ここに現れている、と思う。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/496.html#c5

[近代史4] アメリカ民謡の世界 中川隆
1. 中川隆[-13655] koaQ7Jey 2020年2月22日 07:47:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-173]

My Darling Clementine - いとしのクレメインタイン (ジョン・フォード 荒野の決闘 1946)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/929.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/183.html#c1
[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
182. 中川隆[-13654] koaQ7Jey 2020年2月22日 07:48:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-172]
My Darling Clementine - いとしのクレメインタイン (ジョン・フォード 荒野の決闘 1946)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/929.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c182
[リバイバル3] 中川隆 _ 古代史、人類学、ハプロタイプ、民族学関係投稿リンク 中川隆
63. 中川隆[-13653] koaQ7Jey 2020年2月22日 08:00:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-171]
日本列島へたどり着いた三万年前の祖先たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/930.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/811.html#c63
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
265. 中川隆[-13652] koaQ7Jey 2020年2月22日 09:49:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-170]
2020年02月22日
低コストの投資信託で誰でも疑似GPIFできる


GPIFは約18年の平均で3%の利回りを実現した

画像引用:https://www.gpif.go.jp/operation/img/img_state_graph_2018_035988.png

本当に誰でも勝てる投資はあるか

どんな投資商品でも必ず証券会社や宣伝サイトでは「誰でも簡単に勝てる」「みんな儲かっている」と書いてあります。

中でも悪質なのは「老後の安心のため」とか「主婦のお小遣い」を簡単に増やせると言ってウソの体験談が書いてあります。

健康食品でも投資サイトでも体験談はすべて嘘で、もし本当だったらこの世でガンで亡くなる人はいない筈です。


投資サイトに登場する「平凡サラリーマンA氏」は架空の人物で、投資で儲かった話もすべて嘘です。

もし本当の事が書いてあったとしても、負けた金額を伏せておいて勝ったときの話だけをします。

競馬ファンは万馬券を当てた話をしたがるが、「今までいくら負けたのか」を聞くと顔が曇るのといっしょです。


比較的安全な投資として最近人気を集めているのが投資信託で、NISA(ニーサ)も投資信託の一種です。

私たちが払った年金積立金はGPIFで運用されていますが、かなりの金額を投資信託でも運用しています。

GPIFは130兆円以上も運用し、17年間の平均で年利約3%、累積で70兆円もの利益を出しています。


GPIFの運用理念は「絶対に損をしない事」で、一時的な含み損はあるとしても結果として絶対に負けないようになっている。

その仕組みは分散、低コスト、世界経済に連動した投資で、世界経済がプラス成長である限りGPIFは利益を出し続けます。

それでは我々個人投資家もGPIFをそっくり真似れば良いのではないかと多くの人は思いつき実行しています。

疑似GPIF投資とは

GPIFの投資先は大きく分けて4つで、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券となっています。

バブル崩壊で日本株は総崩れになったが、その時ですら日本国債は黒字であり、外国投資も黒字でした。

4つに分散する意味はこれで、どれか一つがマイナスになっても他の3つか2つは利益を出す事が多い。


一時的にどれかがマイナスになっても、数年たてばまた回復し世界経済は3%以上の成長率になります。

もし株式投資だけ、しかも国内株式だけの投資だったら一度の経済危機で破綻しかねません。

よくある批判は「日本人の金で外国株や米国債を買っている」というものですが、逆に日本国内だけに投資したら危ないのです。


GPIFの原資は日本人が毎月支払う年金積立金なので、毎月積み立てるように購入し、利益が出たら切り崩します。

4つの投資を1;1;1;1にしても時間の経過でバランスが崩れるので、正しい比率になるようにリバランスします。

毎月同じ金額を積み立てていくと、株価が下がったら多く買い、株価が上がったら少なく買う事になります。


これをドルコスト平均法と言い、長期的に100%に近い確率で利益が出るようになります。

ドルコスト平均法の欠点は上昇相場では利益が少なくなる事ですが、リスクを減らすためにはやむを得ない。

ドルコスト平均法の第二の欠点は満期になった時たまたま暴落したら、長年積み立てた利益が吹き飛ぶことです。


だから積み立てるのと同様に、利益が出たら順次決済し、リバランスして元の比率に戻す事が重要です。

含み益をずっと抱えているのではなく、果実は収穫すべきときに収穫し、また新しい種をまくのです。

こうした投資をするには低コストであることが条件で、手数料の比較は厳しすぎるくらいチェックするべきです。


投資信託を選ぶ基準は「低コスト」だけで良く、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券の4種類それぞれで最も手数料が安いものを選択すれば良い。

もし手数料以外の要素を考慮すると、ぜんぶ良く思えて選べなくなってしまい、偏った選択をしてしまうでしょう。

基本的なルールを守ってさえいれば、長期投資で確実に勝利を重ねる事ができるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/82261460.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c265

[近代史3] 本当にアメリカの株価が大暴落すると日本の年金は蒸発するのか? 中川隆
3. 中川隆[-13651] koaQ7Jey 2020年2月22日 09:53:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-169]
2020年02月22日
低コストの投資信託で誰でも疑似GPIFできる

GPIFは約18年の平均で3%の利回りを実現した
画像引用:https://www.gpif.go.jp/operation/img/img_state_graph_2018_035988.png

本当に誰でも勝てる投資はあるか
どんな投資商品でも必ず証券会社や宣伝サイトでは「誰でも簡単に勝てる」「みんな儲かっている」と書いてあります。
中でも悪質なのは「老後の安心のため」とか「主婦のお小遣い」を簡単に増やせると言ってウソの体験談が書いてあります。
健康食品でも投資サイトでも体験談はすべて嘘で、もし本当だったらこの世でガンで亡くなる人はいない筈です。


投資サイトに登場する「平凡サラリーマンA氏」は架空の人物で、投資で儲かった話もすべて嘘です。
もし本当の事が書いてあったとしても、負けた金額を伏せておいて勝ったときの話だけをします。
競馬ファンは万馬券を当てた話をしたがるが、「今までいくら負けたのか」を聞くと顔が曇るのといっしょです。

比較的安全な投資として最近人気を集めているのが投資信託で、NISA(ニーサ)も投資信託の一種です。
私たちが払った年金積立金はGPIFで運用されていますが、かなりの金額を投資信託でも運用しています。
GPIFは130兆円以上も運用し、17年間の平均で年利約3%、累積で70兆円もの利益を出しています。

GPIFの運用理念は「絶対に損をしない事」で、一時的な含み損はあるとしても結果として絶対に負けないようになっている。
その仕組みは分散、低コスト、世界経済に連動した投資で、世界経済がプラス成長である限りGPIFは利益を出し続けます。
それでは我々個人投資家もGPIFをそっくり真似れば良いのではないかと多くの人は思いつき実行しています。

疑似GPIF投資とは
GPIFの投資先は大きく分けて4つで、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券となっています。
バブル崩壊で日本株は総崩れになったが、その時ですら日本国債は黒字であり、外国投資も黒字でした。
4つに分散する意味はこれで、どれか一つがマイナスになっても他の3つか2つは利益を出す事が多い。

一時的にどれかがマイナスになっても、数年たてばまた回復し世界経済は3%以上の成長率になります。
もし株式投資だけ、しかも国内株式だけの投資だったら一度の経済危機で破綻しかねません。
よくある批判は「日本人の金で外国株や米国債を買っている」というものですが、逆に日本国内だけに投資したら危ないのです。

GPIFの原資は日本人が毎月支払う年金積立金なので、毎月積み立てるように購入し、利益が出たら切り崩します。

4つの投資を1;1;1;1にしても時間の経過でバランスが崩れるので、正しい比率になるようにリバランスします。
毎月同じ金額を積み立てていくと、株価が下がったら多く買い、株価が上がったら少なく買う事になります。

これをドルコスト平均法と言い、長期的に100%に近い確率で利益が出るようになります。
ドルコスト平均法の欠点は上昇相場では利益が少なくなる事ですが、リスクを減らすためにはやむを得ない。
ドルコスト平均法の第二の欠点は満期になった時たまたま暴落したら、長年積み立てた利益が吹き飛ぶことです。

だから積み立てるのと同様に、利益が出たら順次決済し、リバランスして元の比率に戻す事が重要です。
含み益をずっと抱えているのではなく、果実は収穫すべきときに収穫し、また新しい種をまくのです。
こうした投資をするには低コストであることが条件で、手数料の比較は厳しすぎるくらいチェックするべきです。

投資信託を選ぶ基準は「低コスト」だけで良く、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券の4種類それぞれで最も手数料が安いものを選択すれば良い。
もし手数料以外の要素を考慮すると、ぜんぶ良く思えて選べなくなってしまい、偏った選択をしてしまうでしょう。
基本的なルールを守ってさえいれば、長期投資で確実に勝利を重ねる事ができるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/82261460.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/218.html#c3

[近代史3] 本当にアメリカの株価が大暴落すると日本の年金は蒸発するのか? 中川隆
4. 中川隆[-13650] koaQ7Jey 2020年2月22日 09:54:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-168]
平野憲一の株のお話 2020.02.09 株高の恩恵。
http://kasset.blog.fc2.com/

 GPIF 10〜12月の運用実績も発表されましたが、7兆3613億円の黒字で、19年末の資産残高は168兆9897億円と発表になりました。
団塊世代が60歳を迎えた時は120兆円で、フルに年金がもらえる65歳の時、残高は100兆円を切って年金支給は危機的な状態になると、まことしやかに言われていましたが、団塊世代が70歳台の今、残高は逆に増えています。
いかに株式が国民と一体にあるかと言う事を証明しています。これからも株価を意識した政策がとられなければなりません。株が下がると困るのは「株なんかとは関係ない」と言っている日本国民なのです。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/218.html#c4

[リバイバル3] 絶対に損しないプロのポートフォリオ投資法 中川隆
3. 中川隆[-13649] koaQ7Jey 2020年2月22日 09:58:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-167]
2020年02月22日
低コストの投資信託で誰でも疑似GPIFできる


GPIFは約18年の平均で3%の利回りを実現した

画像引用:https://www.gpif.go.jp/operation/img/img_state_graph_2018_035988.png


本当に誰でも勝てる投資はあるか

どんな投資商品でも必ず証券会社や宣伝サイトでは「誰でも簡単に勝てる」「みんな儲かっている」と書いてあります。

中でも悪質なのは「老後の安心のため」とか「主婦のお小遣い」を簡単に増やせると言ってウソの体験談が書いてあります。

健康食品でも投資サイトでも体験談はすべて嘘で、もし本当だったらこの世でガンで亡くなる人はいない筈です。

投資サイトに登場する「平凡サラリーマンA氏」は架空の人物で、投資で儲かった話もすべて嘘です。

もし本当の事が書いてあったとしても、負けた金額を伏せておいて勝ったときの話だけをします。

競馬ファンは万馬券を当てた話をしたがるが、「今までいくら負けたのか」を聞くと顔が曇るのといっしょです。

比較的安全な投資として最近人気を集めているのが投資信託で、NISA(ニーサ)も投資信託の一種です。

私たちが払った年金積立金はGPIFで運用されていますが、かなりの金額を投資信託でも運用しています。

GPIFは130兆円以上も運用し、17年間の平均で年利約3%、累積で70兆円もの利益を出しています。

GPIFの運用理念は「絶対に損をしない事」で、一時的な含み損はあるとしても結果として絶対に負けないようになっている。

その仕組みは分散、低コスト、世界経済に連動した投資で、世界経済がプラス成長である限りGPIFは利益を出し続けます。

それでは我々個人投資家もGPIFをそっくり真似れば良いのではないかと多くの人は思いつき実行しています。


疑似GPIF投資とは

GPIFの投資先は大きく分けて4つで、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券となっています。

バブル崩壊で日本株は総崩れになったが、その時ですら日本国債は黒字であり、外国投資も黒字でした。

4つに分散する意味はこれで、どれか一つがマイナスになっても他の3つか2つは利益を出す事が多い。

一時的にどれかがマイナスになっても、数年たてばまた回復し世界経済は3%以上の成長率になります。

もし株式投資だけ、しかも国内株式だけの投資だったら一度の経済危機で破綻しかねません。

よくある批判は「日本人の金で外国株や米国債を買っている」というものですが、逆に日本国内だけに投資したら危ないのです。

GPIFの原資は日本人が毎月支払う年金積立金なので、毎月積み立てるように購入し、利益が出たら切り崩します。

4つの投資を1;1;1;1にしても時間の経過でバランスが崩れるので、正しい比率になるようにリバランスします。

毎月同じ金額を積み立てていくと、株価が下がったら多く買い、株価が上がったら少なく買う事になります。

これをドルコスト平均法と言い、長期的に100%に近い確率で利益が出るようになります。

ドルコスト平均法の欠点は上昇相場では利益が少なくなる事ですが、リスクを減らすためにはやむを得ない。

ドルコスト平均法の第二の欠点は満期になった時たまたま暴落したら、長年積み立てた利益が吹き飛ぶことです。

だから積み立てるのと同様に、利益が出たら順次決済し、リバランスして元の比率に戻す事が重要です。

含み益をずっと抱えているのではなく、果実は収穫すべきときに収穫し、また新しい種をまくのです。

こうした投資をするには低コストであることが条件で、手数料の比較は厳しすぎるくらいチェックするべきです。

投資信託を選ぶ基準は「低コスト」だけで良く、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券の4種類それぞれで最も手数料が安いものを選択すれば良い。
もし手数料以外の要素を考慮すると、ぜんぶ良く思えて選べなくなってしまい、偏った選択をしてしまうでしょう。

基本的なルールを守ってさえいれば、長期投資で確実に勝利を重ねる事ができるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/82261460.html

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平野憲一の株のお話 2020.02.09 株高の恩恵。
http://kasset.blog.fc2.com/

 GPIF 10〜12月の運用実績も発表されましたが、7兆3613億円の黒字で、19年末の資産残高は168兆9897億円と発表になりました。
団塊世代が60歳を迎えた時は120兆円で、フルに年金がもらえる65歳の時、残高は100兆円を切って年金支給は危機的な状態になると、まことしやかに言われていましたが、団塊世代が70歳台の今、残高は逆に増えています。
いかに株式が国民と一体にあるかと言う事を証明しています。これからも株価を意識した政策がとられなければなりません。株が下がると困るのは「株なんかとは関係ない」と言っている日本国民なのです。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/989.html#c3

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
135. 中川隆[-13648] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:02:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-166]
2020年02月22日
低コストの投資信託で誰でも疑似GPIFできる

GPIFは約18年の平均で3%の利回りを実現した
画像引用:https://www.gpif.go.jp/operation/img/img_state_graph_2018_035988.png

本当に誰でも勝てる投資はあるか

どんな投資商品でも必ず証券会社や宣伝サイトでは「誰でも簡単に勝てる」「みんな儲かっている」と書いてあります。

中でも悪質なのは「老後の安心のため」とか「主婦のお小遣い」を簡単に増やせると言ってウソの体験談が書いてあります。

健康食品でも投資サイトでも体験談はすべて嘘で、もし本当だったらこの世でガンで亡くなる人はいない筈です。


投資サイトに登場する「平凡サラリーマンA氏」は架空の人物で、投資で儲かった話もすべて嘘です。

もし本当の事が書いてあったとしても、負けた金額を伏せておいて勝ったときの話だけをします。

競馬ファンは万馬券を当てた話をしたがるが、「今までいくら負けたのか」を聞くと顔が曇るのといっしょです。

比較的安全な投資として最近人気を集めているのが投資信託で、NISA(ニーサ)も投資信託の一種です。

私たちが払った年金積立金はGPIFで運用されていますが、かなりの金額を投資信託でも運用しています。

GPIFは130兆円以上も運用し、17年間の平均で年利約3%、累積で70兆円もの利益を出しています。

GPIFの運用理念は「絶対に損をしない事」で、一時的な含み損はあるとしても結果として絶対に負けないようになっている。

その仕組みは分散、低コスト、世界経済に連動した投資で、世界経済がプラス成長である限りGPIFは利益を出し続けます。

それでは我々個人投資家もGPIFをそっくり真似れば良いのではないかと多くの人は思いつき実行しています。

疑似GPIF投資とは

GPIFの投資先は大きく分けて4つで、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券となっています。

バブル崩壊で日本株は総崩れになったが、その時ですら日本国債は黒字であり、外国投資も黒字でした。

4つに分散する意味はこれで、どれか一つがマイナスになっても他の3つか2つは利益を出す事が多い。

一時的にどれかがマイナスになっても、数年たてばまた回復し世界経済は3%以上の成長率になります。

もし株式投資だけ、しかも国内株式だけの投資だったら一度の経済危機で破綻しかねません。

よくある批判は「日本人の金で外国株や米国債を買っている」というものですが、逆に日本国内だけに投資したら危ないのです。

GPIFの原資は日本人が毎月支払う年金積立金なので、毎月積み立てるように購入し、利益が出たら切り崩します。

4つの投資を1;1;1;1にしても時間の経過でバランスが崩れるので、正しい比率になるようにリバランスします。

毎月同じ金額を積み立てていくと、株価が下がったら多く買い、株価が上がったら少なく買う事になります。

これをドルコスト平均法と言い、長期的に100%に近い確率で利益が出るようになります。

ドルコスト平均法の欠点は上昇相場では利益が少なくなる事ですが、リスクを減らすためにはやむを得ない。

ドルコスト平均法の第二の欠点は満期になった時たまたま暴落したら、長年積み立てた利益が吹き飛ぶことです。

だから積み立てるのと同様に、利益が出たら順次決済し、リバランスして元の比率に戻す事が重要です。

含み益をずっと抱えているのではなく、果実は収穫すべきときに収穫し、また新しい種をまくのです。

こうした投資をするには低コストであることが条件で、手数料の比較は厳しすぎるくらいチェックするべきです。

投資信託を選ぶ基準は「低コスト」だけで良く、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券の4種類それぞれで最も手数料が安いものを選択すれば良い。

もし手数料以外の要素を考慮すると、ぜんぶ良く思えて選べなくなってしまい、偏った選択をしてしまうでしょう。

基本的なルールを守ってさえいれば、長期投資で確実に勝利を重ねる事ができるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/82261460.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c135

[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
89. 中川隆[-13647] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:26:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-165]
人類は愛と平和を求めているわけではない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/931.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c89
[近代史3] 人類は愛と平和を求めているわけではない 中川隆
1. 中川隆[-13646] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:40:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-164]

麻薬取引の黒幕は CIA

2019.03.18
麻薬取引はCIAや巨大銀行と密接な関係があり、明治維新の背後には麻薬業者

 ある音楽グループのメンバーで俳優としても活動したいた人物がコカインを摂取した容疑で関東信越厚生局麻薬取締部に逮捕されたという。その人物が薬物を使用しているという情報が昨年の秋にあり、内偵していたようだ。

 伝えられているところによると、任意同行を求めて尿検査をしたところコカインの陽性反応が出たのだが、自宅からコカインは見つからなかったという。コカインを使ったと認識した段階で任意同行を求めた可能性が高く、どのようなルートで麻薬を入手し、どこで摂取したのかも当局は知っているのだろう。

 本ブログでも指摘してきたが、麻薬取引はCIAの活動と深く結びつき、麻薬資金を巨大金融機関は扱っている。ベトナム戦争の当時、最大の非合法ケシの産地は東南アジアであり、アフガニスタンでCIAが秘密工作を始めると主要産地はパキスタンとアフガニスタンをまたぐ山岳地帯へ移動、中米で秘密工作を始めるとコカインの流通量が増えた。いずれも黒幕はCIAであり、その儲けを扱うために「CIAの銀行」が存在する。

 世界の金融システムは2008年に破綻した。リーマン・ブラザーズの倒産はその象徴にすぎない。システムが崩れそうになったのだ。この倒産を利用して欧米の支配層は庶民に破綻の尻拭いをさせた。超法規的な救済だが、その後、富が集中するはスピードは加速していく。

 この金融破綻、いわゆるリーマン・ショックを処理する際に麻薬資金も重要な役割を果たしたと伝えられている。UNODC(国連薬物犯罪事務所)のアントニオ・マリア・コスタによると、​麻薬取引で稼いだ利益3520億ドルの大半が経済システムの中に吸い込まれ、いくつかの銀行を倒産から救った可能性​があるという。麻薬資金は流動性が高く、銀行間ローンで利用されたとも言われている。

 本ブログでは繰り返し指摘してきたが、CIAはウォール街の人脈によって作られた情報機関である。同じように、イギリスのMI6(SIS)はシティと結びついている。

 イギリスに限らないが、その支配者は侵略と略奪で富を築いてきた。金や石油といった資源を盗んでいるが、19世紀には中国(清)を侵略するためにアヘンを売りつけ、戦争で利権を奪った。アヘン戦争やアロー戦争だ。

 そのときにアヘン取引で大儲けした会社のひとつがジャーディン・マセソン。インドで傭兵の武装蜂起で始まった大反乱(セポイの反乱)が終わった翌年、1859年に同社はトーマス・グラバーを長崎へ、ウィリアム・ケズウィックを横浜へ派遣した。

 グラバーは明治維新をテーマにしたドラマによく出てくる人物だが、ケズウィックの方が大物だった。ジャーディン・マセソン創立者の一族で、麻薬資金を処理していた香港上海銀行(現在はHSBC銀行)とも深く結びついている。有り体に言うと、明治維新の黒幕は麻薬業者だ。

 CIAがエル・サルバドルを含むラテン・アメリカ諸国で死の部隊を使ってアメリカの巨大企業のカネ儲けに邪魔な人物や団体を抹殺していた当時、ロサンゼルス市警の内部の麻薬担当はCIAの活動に肉薄、司法省などからの攻撃を受ける。捜査チームを追い込むために税務調査が実施され、細かい違法行為を見つけ出して刑務所へ入れると脅され、退職を余儀なくされたと言われている。

 また、CIAの手先だったニカラグアの反革命ゲリラ(コントラ)のコカイン取引を暴く連載記事を1996年に書いたサンノゼ・マーキュリー紙のゲーリー・ウェッブ記者は有力メディアから一斉攻撃を受けて退職を余儀なくされ、自殺に追い込まれた。

 今回のミュージシャン/俳優のコカイン事件を伝えているマスコミも芸能界の実態を知っているだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903180000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/931.html#c1

[近代史3] 人類は愛と平和を求めているわけではない 中川隆
2. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:42:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-163]

2017年01月17日 世界を支配しているCIA3派とは・・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html

非常に長い記事ですので一部をざっくりと訳してみました。全てをお伝えできず残念ですが、残りの部分はサイト内の本文をご覧ください。

この記事はCIAについて非常に詳細に説明してくれています。そして世界を実際に支配しているのはCIAの3派閥だとも言っています。これらの3派閥で内紛が勃発しているそうです。またCIA 対 NSAの闘争も起きているそうです。彼らの戦いが激化して共倒れすることを願うばかりです。

日本の政治家もCIAに暗殺されていますが、トランプ氏もケネディ大統領と同様に彼らに暗殺される危険性があります。CIAとは関係がなくスキャンダルも少ないトランプ氏はCIAと主要メディアと戦っていることがよくわかります。主要メディア(日本のマスコミも含め)は、大統領就任式間近の今、反トランプの情報操作を激化しています。マスコミはトランプ氏の暴言について嘲笑しながら伝えていますが、トランプ氏の暴言の内容は非常にまともで本当のことを言っています。これほど本当のことをストレートにいう政治家はいままでいなかったでしょう。

激しくののしっているように聞こえますが、トランプ氏はオルターナティブ・メディアが伝える内容をそのまま言葉にしているだけです。想像以上にアメリカの闇を知り尽くしているのでしょうね。

http://themillenniumreport.com/2017/01/exposed-cia-the-swamp-monsters/
(一部のみ)
1月14日付け

EXPOSED: CIA –The Swamp Monsters

世界を支配しているCIAの3派

By the Anonymous Patriots
The Millennium Report Exclusive

(非常に長い記事ですので、一部しかお伝えできません。ご了承ください。残りの部分はサイト内の記事をご覧ください。)

CIAの国内におけるスパイ活動は全ての米国民を標的にしている。いつ米国民がCIAに狙われ銃で撃たれてもおかしくない状況にある。

大統領選での様々なハッキング騒動は大統領選を無効にするためにCIAが行った偽旗であり、これには国を混乱に陥れているCIAの派閥争いも絡んでいる。

現在、CIAの派閥闘争及びCIAとCIAほど重要でない他の諜報機関(FBI、NSA、国土安全保障省、NIA国家情報機関、その他)の闘争が進行中である。

このような諜報機関同士のスキャンダル合戦は今に始まったものではないが。
米政府の代弁者でしかない主要メディアでさえ、米諜報機関同士の争いが起きていることを報道している。

CIAは他の全ての政府系諜報機関のトップに君臨している。

大統領令は極秘に扱われ、CIA以外の諜報機関には知らされることはない。
大統領の国際的な極秘事項に対してはCIA以外の諜報機関は部外者となる。

現在、オバマ大統領は、米議会、最高裁判所、米国民の承認を得ずに国際戦争を行っている。オバマ大統領は、NDAA(直訳:国防権限法)を修正し大統領の権限を増大させたため、米議会の承認なしに国内外で様々な戦争を行うことができるようになった。オバマはこの8年間で数々の違法な大統領令を確立させ、大統領の権限をかつてないほどに増大させた。

オバマが確立させた大統領令の下で国の安全を理由に大統領はアメリカの全資産を強奪できるようになった。
更に恐ろしいことは、CIAは、国際安全保障の名の下に大統領の上に立つことができるということだ。

CIAは、米連邦議会、大統領、米国民よりも優位な位置に自らを置き、秘密裡に何でも行えるようになってしまった。

CIAの絶大な権限で主要メディアはトランプ次期大統領に関するねつ造報道(ロシアのハッキングやロシアの脅迫など)を展開している。イギリスからこの国へ偽の調査書類が送られた。そしてCIAはトランプ次期大統領に対する

組織的誹謗中傷キャンペーンを実施している。

DNI国家情報長官のジェームズ・クラッパー氏(James Clapper)はCIAが提出した偽の調査書類に同意したことで、政府諜報機関の無能さが露呈した。

1981年にレーガ大統領が大統領令によりDNI国家情報長官を創設した主な理由は、米軍の高級将官が運営していたNSAをなくすためだった。DNIの職務はCIAの監視役として定義され、全諜報機関のトップに立った。しかし彼はCIAを支配することはできない。

国内外の情報活動に携わっている政府機関は世界各地に1271機関あり、政府から委託された民間会社は1931社存在する。つまり、85万4千人以上の職員が機密情報を取り扱っている。
諜報部員は85万4千人以上存在する。

クラッパーDNI国家情報長官は米議会で真実を話すことを宣言したにも関わらず、NSAは米国民の個人情報を収集していないと嘘をついた。

クラッパー氏はDNIに任命される前に、英軍に機密情報を提供している会社(Detica)の業務最高責任者を務めていた。同時に他の民間諜報機関(SRAとBoozAllen Hamilton)にも勤務していた。

クラッパー氏は諜報活動のための約75億ドルの年間国家予算を管理している。また彼はイギリスの元民間スパイである。それでも彼はトランプ氏に関する主要メディアのねつ造報道を見抜けなかったのである。

つまりこの男はプロの諜報部員を従えて年間75億ドルの予算を管理してるのにもかかわらず、CIAがトランプ氏を中傷するために偽の情報を流していることにさえ気づいていないのだ。

一方、我々市民は独立メディアの情報によりその真実を知っている。
法治国家であるならば、CIAによる次期大統領に関するねつ造報道は違法行為と見なされるがアメリカは法治国家ではない。

クラッパー氏は、現在、17の諜報機関(CIA、NSA、国土安全保障省、FBI、国務省、財務省、国防情報局、空軍情報局、陸軍情報局、米海兵隊情報局、沿岸警備情報局、エネルギー省、国家偵察局、麻薬取締局、国家地理空間情報局)のトップに君臨している。同時に彼は今でも3つの政府請負会社(Detica、BAE Systems、SRAインターナショナル、Booz Allen Hamilton)の取締役である。
クラッパー氏はアメリカの全ての情報機関を支配しているが、同時にアメリカの敵でもある。

彼は外国の諜報機関に所属してアメリカをスパイしていたこともある。
彼はアメリカの国家諜報機関のトップに上りつめ、全権力とカネを手に入れた。

オバマがクラッパー氏を国家諜報機関のトップに任命してから、アメリカではねつ造報道のオンパレードとなり、多国籍グローバリストの利益のために売国されるようになった。

CIAは国外の違法なハッカーを雇ってサイバー攻撃を行わせている。ヒラリーと民主党全国大会は彼らのサーバーがハッキングされた後にその調査を国外の民間会社に依頼した。しかしロシアが彼らのサーバーをハッキングした証拠は一切見つかっていない。

ほんの数人に権力が集中すると、必ず誤った方向へ進んでしまう。クラッパー氏は正確な情報を提供することに興味はない。彼はナチスの情報局と同様に単なるプロパガンダ・マシーンなのだ。

クラッパー氏は17の諜報機関を使って、彼らが流す情報は全て正しいと証拠もなしに我々に信じさせようとしている。

オバマの大統領令により、NSAは米国民と世界人類を監視することが可能となった。NSAが盗みとった個人データは全諜報機関が共有している。

スイス、ジュネーブのCIA海外本部はスイスの金融スキャンダルやCIAの犯罪活動に関わっている。

CIAのCiscoルーターやサーバーはNSAによってスパイされCIAの犯罪活動がNSAに知られてしまった。その結果、CIAと共謀したスイスの金融エリートらが逮捕された。NSAは今後もCIAに対するスパイを行っていく。

CIAのスイス本部は極秘施設であり、そこのサーバーがハッキングされたことでCIAは激怒した。

NSAに対するCIAの反撃として、CIA請負エージェントのエドワード・スノーデンを使って、NSAが米国民の個人情報を盗んでいることを示す大量のデータをリークさせた。

CIAは、CIAの3派閥を暴露したNSAがこれ以上CIAをスパイできないように対策を講じている。

クラッパー氏は米議会に呼ばれる度にNSAはスパイ活動を行っていないと嘘の証言をした。

CIAとNSAの闘争の中で、CIAはCisco SystemsやDARPAなどの活動情報をNSAに盗まれないようにした。

現在、CIA、NSAそして他の諜報機関の情報操作、情報収集合戦が進行中である。
しかしCIAは国際安全保障を担っているため国家安全保障を担当するNSAよりも優位に立っている。

CIAは国際的な紛争や事件に必ず関与している。通貨戦争、市場戦争、金融戦争、サイバー戦争、麻薬戦争そしてテロは常にCIAの関心事である。

オバマのNDAAは軍隊がテロリストと見なされた米国民を攻撃することを可能にした。愛国法により、CIAは米国民、企業、機関がテロリストでないことを証明できるまでテロリストと見なすことが可能となった。

CIAは3つの派閥に分類されており、世界中のスパイ活動を通して大きな利益を得ている。

アメリカはCIAに支配されており、ワシントンDCはCIAの泥沼の怪獣に包囲されている。

CIAは国内外で偽旗事件や非人道的犯罪を繰り返している。CIAによる殺人行為で無数の人々が犠牲になり、3兆ドルものアメリカの納税者の血税が無駄に使われた。CIAは国際戦争を勃発させるための偽旗事件を仕掛ける。またCIAはメディアを支配しサブリミナル・メッセージを流すことにより人々を洗脳している。

CIAは、元祖CIA(金に裏付けられたCIA=GB-CIA)、ブッシュCIA、Ex−CIAの3派閥に分かれている。それらの3派閥がアメリカや世界を支配してきた。

GB-CIA:Gold backed CIA

元祖CIA(OSS)は第二次世界大戦中に世界の国々から金(Gold)を盗んだ。ドイツや日本が他の国々から奪い取った金もCIAが奪った。しかしCIAは盗んだ金を返還するつもりはない。CIAが盗んだ金はアメリカには保管されておらず、フィリピンとスイスに保管されている。

GB-CIAはアメリカの国益のために海外で活動することになっているが、彼らは通貨市場、債券市場、株式市場に関与し世界中に影響をあたえている。

GB-CIAのメンバーは米財務省及びアメリカの経済政策を決めるESF経済安定資金に多く入りこんでいる。 ESFは通貨、債券、株式市場を操作し、FRBに金融政策を指示している。ESFはGB‐CIAにとってアメリカの金融市場を支配する上で最も都合の良いツールである。

GB-CIAこそがアメリカ経済を支配している。

GB-CIAは欲深く、世界中に戦争を仕掛けて富を強奪している。邪魔者は容赦なく殺害する。CIAは世界中で数々の残忍な犯罪活動を行っている。

ブッシュやクリントン周辺では、彼らに批判的な銀行のトップ、ブローカー、内部告発者が次々に不審死を遂げている。これまで数百人が殺害された。

また、GB-CIA は、彼らの性的異常行為、ピードフィリア(小児性愛犯罪)、悪魔崇拝の生贄儀式に多くの政治家や企業家を取り込んでいる。彼らは世界的な小児性愛犯罪ネットワークを構築させた。また、彼らは、難民のチャリティ団体を活用して世界最大の性奴隷の人身売買市場を運営している。また世界の麻薬密売も牛耳っており、イランーコントラ・スキャンダルやアフガニスタンのケシ栽培を行ってきた。

彼らは、麻薬、セックス、権力、支配、悪魔崇拝という通貨で絶大な権力を買っている。

Bush CIA (ブッシュ、クリントン、オバマ犯罪ファミリーとも呼ばれる):

パパブッシュが副大統領時代にブッシュCIAが正式に創設された。アメリカの16の諜報機関は国家情報長官によって支配されている。パパブッシュはCIA長官も務めたことがある。レーガン政権を支配していたのはパパブッシュである。彼はレーガンによってアメリカの外交政策の責任者に任命された。当時、パパブッシュはCIAの戦術を使ってソ連を崩壊させた。

パパブッシュ政権時代にジョージ・ソロスとレオ・ワンタが米財務省の偽の米国債を使ってロシア通貨を攻撃し不安定化した。

パパブッシュの兄(弟)は、Riggs Bankを経営しており、その傘下にVelment Bankを創設し、ロシアから奪ったお金とゴールドをロンダリングしている。一部のお金はミット・ロムニーの会社、Bain Capitalを介してロンダリングされた。

ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。

パパブッシュはブッシュCIAのごろつき集団にホワイトハウス、司法省、国務省を取り込み、勢力を拡大した。その結果、CIAの犯罪は全て連邦判事や国務省の高官によって見逃された。

ブッシュ家はクリントン家とビル・クリントンがアーカンソー州知事になる前から親しい関係にあり、オバマの母親は元CIAエージェントである。そのためオバマは生まれた時からCIAと深い結びつきがあった。オバマは完全にCIAの創造物である。

オバマが抱える問題は、CIAの3派閥ともつながりがあることであり、どの派閥に属してよいのかわからない。彼のめちゃくちゃな政策は、GB-CIAとブッシュCIAの両派閥を満足させようとしたからに他ならない。

ピザゲートで悪名高いジョン・ポデスタ氏と彼の兄(弟)はワシントンで最も有力なロビーストであり、レーガン政権時代から米政府の小児性愛組織を牛耳ってきた。
パパブッシュはレーガン政権の事実上の権力者だったが、当時からホワイトハウスでは小児性愛犯罪が日常的に行われていた。
ホワイトハウスがこのような性犯罪を堂々と行っていたことで連邦議員らの倫理が完全に崩壊した。

パパブッシュはケネディを暗殺したCIAを当時から支配し続けており、やりたい放題のことをやってきた。誰もそれを止めることはできなかった。パパブッシュはレーガン大統領の暗殺も企てたが失敗した。

ホワイトハウスも司法省も国務省もCIAの犯罪行為に慣れてしまい、CIAや政治家の犯罪をひたすら隠蔽してきた。

ケネディが暗殺されたとき、パパブッシュはCIAエージェントだった。

当時GB-CIAは世界の地政学的領域で独占するようになり、政治リーダーの暗殺を行うことで政権を変えることが可能になったとパパブッシュは認識した。

当時、パパブッシュは外交政策の責任者としてCFR(元CIA、政府の諜報部員及び企業の諜報部員で構成されている)の命令に従って政策を実行していた。また、パパブッシュは自分が任命した政治家全員の脅迫状リストを作成し彼らに命令に従うことを約束させた。

パパブッシュはサウジ王族と非常に親しい関係を築いた。そして彼の人生の多くをサウジの宮殿で過ごすことになった。パパブッシュは世界最大の武器商人、麻薬王、マフィア、王族、金融詐欺集団と協力関係にあった。彼はどこの国を訪れてもセキュリティに引っかかることなく自由に入国を許され、彼のビジネス(犯罪活動)を世界中で展開することができた。

最終的にGB-CIAはブッシュCIAの活動に気が付き、両者間の緊張が高まった。

パパブッシュは、配下のジョージ・ソロスとレオ・ワンタがロシア通貨を崩壊させ巨額の富を得た時、ロシアから大量の金(ゴールド)を盗んだ。

そしてその2年間でパパブッシュは絶大な権力と富を獲得し、ブッシュCIAとGB-CIAのいがみ合いが悪化した。GB-CIAはブッシュの協力を得て政府とのつながりを持ちたかった。彼らはクリントン大統領が単にパパブッシュの命令で動いていることを知っていた。

Ex-CIA:

既にGB-CIA対ブッシュCIAの対立が激化している中で、Ex-CIAがそれに参戦している。

政治家を脅迫して政権を変えることが好きなGB-CIAと非常に欲深く際限のない権力闘争に明け暮れるブッシュCIAの対立を逆手に取りEx-CIAはこれらの2派閥の戦術と利権を盗もうと考えた。多くのEx-CIAは、政府を去り、利益の多い民間の諜報機関に籍を置いている。民間諜報機関はアメリカの諜報活動の65%を行っている。
Ex-CIAは、政府、銀行、企業の最高の地位にいた元CIAエージェントたちである。また、Ex-CIAは、GB-CIA及びブッシュCIAで働いていたエージェントらによる無秩序スパイ集団として創設された。

Ex-CIAのメンバーは政府や大企業で最高の地位を獲得している。

弁護士のジミー・コメィ氏は、FBI長官になる前に、ニューヨーク南部の連邦検事、検事副総長、米最大の軍事契約企業、ロックヒードマーチン社の上席副社長、CIA関連企業の相談役、CIA銀行のHSBC及びGB-CIAの金を保管しているHSBCホールディングズの理事を務めていた。

CIAの高級エージェントはこのよう昇進の梯子を上っていく。

コメィ長官はFBIを去ったあとに別の場所で高い地位を得ることで、 彼が犯罪によって獲得した巨額の富は守られることになる。コメィ長官はCIAの3派閥の命令に従って動いていた。

ジョン・ブレナンCIA長官は、長官になる前に国土安全保障省の副補佐官、サウジアラビアのステーションチーフ、国家反テロセンターの所長、諜報ネットワークのAnalysis CorporationのCEO、National Security Allianceの会長、 Global Strategies 、GlobalIntelligence SolutionsそしてGTECの主任エージェントだった。

これらの3派閥はシリアで破壊活動を行っている。シリアでCIAはペンタゴンが支援している部隊を攻撃していることが明らかになった。

アレッポの外側でアメリカが支援している3つの集団がお互いに戦っていることが分かった。この事実を隠蔽するためにオバマはクラッパー氏に偽の情報を流すよう命令した。

それこそが、ロシアがトランプ氏を脅迫していることや大統領選でロシアがハッキング行為を行ったとするねつ造報道である。また、国土安全保障省が有権者のデータベースをハッキングしたと報道されたのはシリアにおけるオバマの個人的な戦争の実態を隠すための偽装工作である。

クラッパー氏、ブレナン氏、コメィ氏は共に17の諜報機関がメディアを介してねつ造報道を行うことに賛成した。トランプ氏に対する彼らの攻撃により、CIAの3派閥の汚職、共謀、グローバリズム・アジェンダ、反米姿勢が明らかになった。

トランプ氏はCIAに刃向かう戦士である。

トランプ氏はグローバリズムと戦い法の支配を推し進めているため、CIAの3派閥の一番の敵となった。

CIAの3派閥は法の上に君臨して権力を悪用しているが、反グローバリズム、反NWOのトランプ氏が大統領に選ばれたことで彼らはかなりの衝撃を受けている。そのため、3派閥はトランプ氏の信用を落とすためにあらゆる情報操作を行っている。また、彼らが継続的に行ってきた数々の邪悪な犯罪を隠蔽しようとしている。また、ケネディがやろうとして失敗したことをトランプ氏がやろうとしているため、それを阻止しようとしている。

トランプ氏は、CIAがCIAメンバーとCIAの利権を守るためなら容赦なく人を殺すことを知っており、彼の命が危険にさらされていることを十分認識している。
CIAはトランプ氏についての調査書類を持っておらず、彼がワイルドカードだったことをCIAは知らなかった。トランプ氏にはこれまで明らかになったスキャンダル以外は何もないのである。トランプ氏はCIAの3派閥とは一切関わり合いを持っていない。

トランプ氏はワシントンDCの関係者を一切信用していない。なぜなら彼らは既にCIAに取り込まれている恐れがあるからだ。

トランプ氏が1600ペンシルベニア・アベニューのビルにオフィスを構えることをしなかったのは賢い選択である。なぜなら、そのビルの隅々にCIAのスパイ装置が設置されているからである。

愛国者は、トランプ氏が使うことになるホワイトハウスの内装及びリフォームの費用を支援すべきである。

CIAはあらゆる手法を使ってトランプ氏を公然と攻撃しはじめた。CIAの3派閥と繋がりのあるジョージ・ソロスも世界の舞台で公然とトランプ氏を攻撃している。

ビルダーバーグや三極委員会、ボヘミアングローブ、CFRが一同に集まり会議を開いた。そこでトランプ氏を大統領にさせないための作戦を練った。世界中の邪悪なカバラ犯罪集団は神経をとがらせている。既に彼らはトランプ氏を殺害しようとした。また、彼に賄賂を贈ろうともした。彼らは他の政治家に対してならうまくいく戦術がトランプ氏にはうまくいかないことを知った。トランプ氏はCIAが日常的に行っている活動に一切関心がない。
以下省略
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/931.html#c2

[近代史3] 伊藤貫氏に聞く _ 日本人は何故アメリカの犬になりたがるのか 中川隆
25. 中川隆[-13644] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:46:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-162]
Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した

【令和元年秋 特別対談】伊藤貫氏の警告、
パックス・アメリカーナと中華思想の間で摩滅する「商人国家日本」[桜R1-10-26]






ゲスト:伊藤貫(国際政治アナリスト)
聞き手:水島総

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/125.html#c25
[近代史3] 人類は愛と平和を求めているわけではない 中川隆
3. 中川隆[-13643] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:46:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-161]

Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した

【令和元年秋 特別対談】伊藤貫氏の警告、
パックス・アメリカーナと中華思想の間で摩滅する「商人国家日本」[桜R1-10-26]






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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/931.html#c3
[近代史02] 小沢一郎先生を襲った恐怖とは 中川隆
107. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:48:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-160]
Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した

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[近代史3] 安倍政権下で自殺・不審死した人物 中川隆
22. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:48:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-159]
Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した

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[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
91. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:49:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-158]
Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した

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[昼休み53] アメリカ → 官邸 → マスコミによる支配 中川隆
7. 中川隆[-13639] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:50:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-157]
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http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/433.html#c7
[近代史3] 大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ事件 _ 日本の国益を考える官僚は全員追放される 中川隆
1. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:50:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-156]
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/149.html#c1
[近代史3] ジュリアン・アサンジはレイプをでっちあげられた 中川隆
1. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:52:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-155]
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/904.html#c1
[近代史02] イリーナ・スルツカヤ _ Let it be 中川隆
16. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:52:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-154]
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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/551.html#c16
[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
12. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:53:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-153]
Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c12
[近代史3] 米大統領はどの程度の権力を持っているのか 中川隆
1. 中川隆[-13634] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:54:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-152]
Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/309.html#c1
[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
26. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2020年2月22日 10:58:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-151]
クルーズ船乗客下船、日本の新型肺炎対策の限界 19日から陰性客を解放だが、すでに市中感染
青沼 陽一郎 2020/02/22
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/クルーズ船乗客下船%ef%bd%a4日本の新型肺炎対策の限界-19日から陰性客を解放だが%ef%bd%a4すでに市中感染/ar-BB10fT8U?ocid=ientp

 横浜港に停泊中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」から死者が出た。新型コロナウイルスに感染して体調を崩していた80代の日本人の男女2人で、2月20日に確認された。同船からのはじめての死者で、これで日本人の死者は3人になった。
 厚生労働省によれば、80代の女性は5日から発熱、9日に症状を訴え、10日に医師の診察を受け12日に搬送された。他にも症状のあった乗客を順番に搬送していたようだが、アウトブレイク(突発的感染拡大)によって患者が一極集中すると、手がまわらず処置の遅れる典型だ。

 そのクルーズ船からは連日、感染者が確認されている。それも日を追うごとに数十人単位の規模で数が増えつづけ、2月19日には新たに79人が、20日には13人が確認されて、約3700人の乗客乗員のうち634人が感染したことになった。

 にもかかわらず、19日から日本政府は当初の予定どおり、乗客の下船をはじめた。2月5日から14日間の経過観察を経て、検査で陰性が認められた乗客に「上陸許可証」を発行。21日に完了するまでに970人がクルーズ船から解放されている。下船した人の多くは用意されたバスで最寄りまで移動し、そこから公共交通機関で自宅に帰った。


日本のクルーズ船対応に疑念が残る

 だが、下船した乗客は、本当に感染していないのか。結論から言えば、これはもはや感染拡大の懸念も内在する「ギャンブル」に近い。

 検査に用いられるPCR法には感染が見落とされるケースがあることは知られている。

 また、下船者の中には2月4日に検査を受けて陰性と判断されただけの者もいる。その後に感染していたとしてもおかしくはない。だが、厚生労働省は下船から数日の電話連絡はとるものの、行動制限はしていない。

 前日の18日には、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として同船に入った神戸大学の感染症内科の岩田健太郎教授が、船内ではグリーンゾーンとレッドゾーンが区分けされてないなど、感染対策が不十分とする内容をYouTubeに投稿して話題になった。これに厚生労働省や政府関係者が反論。

 20日には同教授によって投稿動画は削除されたが、それでもクルーズ船から確実に感染者が増え続けていることからすれば、明らかに感染対策は失敗していることを示している。

 20日には、船内で作業にあたった内閣府と厚労省の職員2人が感染していることが判明。目も当てられない状況だ。

 2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が中国から香港や世界に拡散したきっかけはホテルだったことは、以前にも書いた(「クルーズ船集団感染に見る新型肺炎追加リスク」)。

 中国広東省で発生した新型肺炎の治療にあたっていた医師が宿泊した、同じフロアの同宿者に感染してウイルスは広まっていった。そのホテルでは医師の泊まった9階とその上下階を閉鎖している。「海に浮かぶホテル」であるクルーズ船では、感染者の出たフロアを閉鎖することもできなかったはずだ。

 アメリカでは、同船を下船しても14日間は入国を認めない措置をとった。先にチャーター機で帰国した乗客も14日間は隔離される。カナダやオーストラリアなど他国も同様で、つまりは日本を信用していないことになる。

 東京都内のタクシー運転手への感染は屋形船の宴会からだったが、今度は大型客船から感染が広がるのなら、洒落にもならない。

 すでに日本国内でも、東京、神奈川、千葉、和歌山、愛知、沖縄、北海道などに次いで、福岡でも感染者が確認されて21日には106人になった。感染ルートがはっきりしていないものも少なくない。そこへ福岡市の地下鉄では、マスクをしていないのに咳をしている乗客がいる、と非常通報ボタンを押して停車させる“事件”まで起きている。疑心暗鬼がパニックになっている。

 海外ではそんな日本を冷ややかに見ている。韓国、台湾では日本への渡航の注意喚起や自粛を求めているのに加え、タイも日本への渡航自粛を呼びかけた。タイは訪日観光客数6位の”上客”で、日本の観光業への影響は大きい。しかも21日にはアメリカCDC(疾病対策センター)が日本への渡航注意を呼びかけている。逆に日本人が渡航しても、「日本人は来るな」と迷惑がられるのが関の山だ。


これから日本でもアウトブレイクが起きると…

 それは、2003年当時にSARSが蔓延した当時の香港、台湾と同じ状況に置かれているといえる。このまま日本で都市型のアウトブレイクが進めば、まさにその当時の香港、台湾の轍を踏むことになる。

 例えば、台湾にある日系企業のオフィスではこんな対策がとられていた。まず、建物の入り口で検温され、異常がないと手をアルコール消毒し、中に入れる。そのままオフィス階に上がると、また手をアルコール消毒して、閉じられた扉の奥の会議室に通される。そこではじめて担当者が「ここは消毒が行き届いている部屋ですので、マスクを取りましょう」と言って、マスクを脱ぐ。そして、通常の会話が始まった。

 テレワークとまでは言わないまでも、当時も電話やメールで本社や関係取引先と連絡はとれた。だが、人の往来は著しく制限される。「商談をするにも、人と会うと会わないとでは、ぜんぜん違う」と言った。盛り上がりに欠けたり、その場の雰囲気というものが違うという。おのずと仕事の効率も落ちる。企業活動の停滞は否めない。

 SARSでも、そして今回の新型肺炎でも、中国のある村では住民以外の立ち入りを禁じる看板を掲げて、村人が見張りに立つ風景があった。日本国内でも、これに似た対応をする地域が出てくる可能性はある。

 2003年のSARS流行時の香港では、子どもたちがマスクをして集団登下校していた。SARSは子どもには罹りにくい、罹っても軽症とされたが、それは結果であって、当時は子どもたちを守ることに懸命だった。

 今回の新型コロナウイルスも、子どもにどう影響するかわからない。すでに和歌山では10代の感染者が出ているし、北海道ではラベンダーで知られる中富良野町で21日に10歳未満と10代の男子児童の感染も確認された。小学生の兄弟で、弟が先に発症している。海外渡航歴もないという。

 さらには、武漢からのチャーター便で父親と帰国した埼玉県在住の未就学の男の子にも感染が見つかっている。帰国当時は陰性であったにもかかわらずだ。
 これから受験シーズンが本格化し、卒入学シーズンへと向かう。人の集まる機会も増える。受験生にとって、インフルエンザ対策は例年のこととはいえ、今回はまったく違ったウイルスだ。


致死率が低くても感染者数は非常に多い

 WHO(世界保健機関)によると致死率は2%と、SARS(致死率9.6%)よりも低いとされる。毎年流行するインフルエンザでも、日本国内で近年は約3000人が命を落としている(致死率0.1%)。

 感染者の数が増えれば相対的に死者の数も増えることになるし、そんなウイルスが国内に入ってこなければ、インフルエンザで死なずに済んだはずが命を奪われることにもなりかねない。

 これから日本人は不自由で手間のかかる生活を送らなければならい。すでに東京マラソンの一般参加が取りやめになるなど、大規模イベントの中止も相次いでいる。

 その中で各自がウイルスから身を護らなければならない。
 日本国内で感染経路不明な市中感染が広がっている今、仮に自分が感染したとしても、誰のせいにもできないし、誰かに責任を押しつけることなどできない。処置が遅れたとしても文句も言えない。その段階にきている。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/クルーズ船乗客下船%ef%bd%a4日本の新型肺炎対策の限界-19日から陰性客を解放だが%ef%bd%a4すでに市中感染/ar-BB10fT8U?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c26

[リバイバル3] 「マイ電柱」は効果が有るのか? 中川隆
38. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2020年2月22日 11:46:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-150]

SONY チャンネルデバイダーの電源部 3Pインレット化開始 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2020年02月22日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8397f810fdabb52c9b7043613f0e5887


サブシステムで実験中のSONY TA-4300Fチャンネルデバイダーです。

リアパネル側です。電源ケーブルが1970年発売の機種特有の「ヒョロ線」です。これでは十分な電源を供給できません。絶対的な導線の「断面積不足」です。おまけに長さが2m近くあるので、内部に到達する前に電源力がかなり削がれています。

電源ケーブルの3Pインレット化をするか?しないか?・・・スペースが余り有りませんが、ここは一番「決断」が必要です。電源ケーブルを根元でカット!!!・・・之を決断したら後はやるしかありませんね。ヤスリで2日間ほどかけてやる予定。(前回M4のインレット化の時も2日かけてヤスリで拡幅した)

ソケットのサイズを下書きして、これからヤスリ掛けで削っていきます。

こんな感じで削っていきます。ひたすら「根気」です。地道にコツコツと削って取り付け出来る様に広げて行きます。正味4時間あれば何とかなるだろう。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8397f810fdabb52c9b7043613f0e5887
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/759.html#c38

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
27. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2020年2月22日 12:12:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-149]
2020年02月22日
安倍首相の水際作戦が失敗し国内感染者100人超


安倍首相は習近平訪日を実現するため、中国の要請によって入国制限をしていない

画像引用:https://cdn.ironna.jp/file/1ad8d2eeaff3a339e9e1c1ac658f760b.jpg

春節の中国人観光客は例年の8割

新型コロナウイルスの日本国内の感染者数は2月21日時点でクルーズ船内が634人、国内は109人となっています。

国内の内武漢からのチャーター便帰国者の感染が14人、日本国籍は53人で日本国籍以外(多くは中国)が12名となっている。

感染者で入院した患者は69人で現在も入院中は52人、なお集計時間や発表した機関の違いで合計は一致しない。


2月21日には子供3人を含む15人の感染者が発生し、国内で感染した日本人がどんどん増えている。

新たな感染者の多くは海外への渡航歴がなく、中国人との接点も無かったので、日本人から日本人に感染している。

日本政府は空港で感染を食い止める水際対策で万全としていたが、失敗し日本国内で感染を引き起こした。


空港の水際対策の実態は中国人からの自己申告という信じられないもので発熱さえなければ全員通過させていました。

中国政府は国外への団体旅行を禁止したが個人旅行は行われており、日本にも大勢入国した。

1月24日から2月2日までの春節期間中の訪日中国人は2割減だったが、逆に言うと8割は普段通り入国した。

安倍首相の裏切りと厚生省の無策

新たな日本人感染者が増えたのはこの8割の中国人の中に感染者がいたからで、水際対策の失敗を物語っている。

新型ウイルスの危険性が認識されたのは1月20日ごろだが、厚労省は当初「人から人に感染しない」と主張していた。

人から人に感染すると分かった後も「警戒しないように」呼びかけたり、感染を広めるような事ばかりしていた。


現在も「空気感染はしない」と言っているが、中国政府や研究者は「空気感染する」として空調の供用を禁止した。

空気感染しないという厚労省の間違った説明のもと、クルーズ船や隔離ホテルで空気感染対策が取られず500人以上が感染した。

新聞報道では中国からの入国を禁止しなかったのは安倍首相周辺からの指示で、中国政府から「大事にしないよう」要請があった。


河野防衛大臣が19年12月に訪中した際、中国側から日本国内の情報統制を要求されたと証言している。

安倍首相が要請した習近平訪日が4月に迫っており、要するに中国は「ウイルスで入国規制したら訪日取りやめ」を言ってきた。

安倍首相は日本人の人命より習近平訪日のほうが重要と判断し、今も中国からの入国制限をしていない。


厚労省は国内感染者が増え続けてやっと感染拡大を認めたが、「手洗いやうがいをしましょう」と寝ぼけた事を言っている。

感染防止には今すぐすべての中国人を入国禁止し、感染者や疑いがあるものは強制収容所に入れる必要がある。

欧米など感染者が出たすべての国でそうしているが、日本だけが自由放任のまま感染者を増やしている。

韓国と日本で爆発的感染

隣りの韓国も日本同様中国からの全面的な入国規制をしなかったが、1月20日に感染者が急増した、

1月19日まで30人しかおらず沈静化したと言っていたのに、20日に20人、21日には105人も感染し国内感染者は200人を超えた。

日本は「国内で感染した人」は70人程度だが、韓国は200人のほぼ全員が韓国国内の地上で感染したのが違う。


204人の感染者のうち144人が大邱市の教会関係者や新興宗教団体「新天地イエス教会」の信者だった。

この教団は創設者のイ・マンヒ(李萬煕)をキリストの生まれ変わりとしているが、他のキリスト教団体からはカルト教団として忌避されている。

信者は教団の教えによって最初治療や検査を拒否した事から、教団を通じて感染が拡大した。


韓国では新型コロナウイルスの強制検査を行っておらず、本人が拒否すると検査や隔離できなかった。

感染検査は感染者を除き合計1万6196人で、日本は厚労省によると国内693件、クルーズ船内で3,063人に検査を実施した。

日本の厚労省は「許可した以外の者に検査するな」という命令を出し、このため本人が希望しても検査を断られて感染拡大させた。


日本国内で感染を拡大させたのは第一に安倍首相による「習近平訪日実現の為に中国からの入国規制しない」という方針でした。

第二の原因は厚労省の感染隠ぺいとウイルス検査禁止、「日本人には感染しない」のような嘘八百でした。

韓国で感染が広まった原因も第一に中国からの入国を禁止しなかった事と、検査や隔離が強制ではなかったためでした。
http://www.thutmosev.com/archives/82265625.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c27

[番外地7] 習近平に忖度する安倍首相 中川隆
2. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2020年2月22日 12:31:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-148]
習近平は日本に来たくなかったんだよ、
安部がどうしても来て欲しいと頼んで、習近平訪日を実現するため、中国人の入国制限をさせなかったんだ
春節の中国人観光客は例年の8割

新型コロナウイルスの日本国内の感染者数は2月21日時点でクルーズ船内が634人、国内は109人となっています。国内の内武漢からのチャーター便帰国者の感染が14人、日本国籍は53人で日本国籍以外(多くは中国)が12名となっている。感染者で入院した患者は69人で現在も入院中は52人、なお集計時間や発表した機関の違いで合計は一致しない。
2月21日には子供3人を含む15人の感染者が発生し、国内で感染した日本人がどんどん増えている。
新たな感染者の多くは海外への渡航歴がなく、中国人との接点も無かったので、日本人から日本人に感染している。日本政府は空港で感染を食い止める水際対策で万全としていたが、失敗し日本国内で感染を引き起こした。
空港の水際対策の実態は中国人からの自己申告という信じられないもので発熱さえなければ全員通過させていました。中国政府は国外への団体旅行を禁止したが個人旅行は行われており、日本にも大勢入国した。
1月24日から2月2日までの春節期間中の訪日中国人は2割減だったが、逆に言うと8割は普段通り入国した。
安倍首相の裏切りと厚生省の無策
新たな日本人感染者が増えたのはこの8割の中国人の中に感染者がいたからで、水際対策の失敗を物語っている。新型ウイルスの危険性が認識されたのは1月20日ごろだが、厚労省は当初「人から人に感染しない」と主張していた。人から人に感染すると分かった後も「警戒しないように」呼びかけたり、感染を広めるような事ばかりしていた。
現在も「空気感染はしない」と言っているが、中国政府や研究者は「空気感染する」として空調の供用を禁止した。空気感染しないという厚労省の間違った説明のもと、クルーズ船や隔離ホテルで空気感染対策が取られず500人以上が感染した。新聞報道では中国からの入国を禁止しなかったのは安倍首相周辺からの指示で、中国政府から「大事にしないよう」要請があった。
河野防衛大臣が19年12月に訪中した際、中国側から日本国内の情報統制を要求されたと証言している。安倍首相が要請した習近平訪日が4月に迫っており、要するに中国は「ウイルスで入国規制したら訪日取りやめ」を言ってきた。安倍首相は日本人の人命より習近平訪日のほうが重要と判断し、今も中国からの入国制限をしていない。
厚労省は国内感染者が増え続けてやっと感染拡大を認めたが、「手洗いやうがいをしましょう」と寝ぼけた事を言っている。感染防止には今すぐすべての中国人を入国禁止し、感染者や疑いがあるものは強制収容所に入れる必要がある。欧米など感染者が出たすべての国でそうしているが、日本だけが自由放任のまま感染者を増やしている。日本の厚労省は「許可した以外の者に検査するな」という命令を出し、このため本人が希望しても検査を断られて感染拡大させた。
日本国内で感染を拡大させたのは第一に安倍首相による「習近平訪日実現の為に中国からの入国規制しない」という方針でした。第二の原因は厚労省の感染隠ぺいとウイルス検査禁止、「日本人には感染しない」のような嘘八百でした。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/490.html#c2

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった 中川隆
10. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2020年2月22日 12:52:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-147]
嘘はもういいよ2
資料: 中国人強制労働による殉死の墓
戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。
1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。
戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494



▲△▽▼

証拠はいくらでも有るんだよ:
旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2)
 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」
 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。
 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。
この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 
これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17
旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3)
 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー
 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。
 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。
 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」  そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。  「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。
 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。
 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/417.html#c10
[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
47. 中川隆[-13628] koaQ7Jey 2020年2月22日 13:08:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-146]
2020.02.22
NATO軍がロシアへの軍事侵攻を準備しているとロシア軍は分析している


 ロシア軍の​ワレリー・ゲラシモフ参謀総長はNATOがロシアに対する大規模な軍事侵攻を行う準備をしていると分析​しているようだ。この分析には説得力がある。

 NATOがソ連軍の侵攻に備えるために創設されたという話は戯言にすぎない。ソ連が消滅した後にNATOが存在していることでもわかるだろう。そもそも第2次世界大戦でドイツ軍に攻め込まれたソ連では2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、当時、軍事侵攻する余裕はなかった。

 そうした情況の中、1949年にNATOは創設されたのだが、その時の参加国はアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルク。その母体になったのは1948年に作られたACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)だ。

 ACUEはアメリカやイギリスがヨーロッパを支配する目的で設立された組織で、イギリスのウィンストン・チャーチルやアメリカのアレン・ダレスたちが参加していた。本ブログでもしばしば登場するビルダーバーグ・グループはその下部機関のひとつ。

 NATO加盟国には破壊活動を目的とする秘密部隊が存在していることもわかっている。その中でも特に有名な部隊がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃までクーデター計画や極左グループを装った爆破事件を繰り返していた。

 フランスのOASもそうした秘密部隊ネットワークにつながる組織だが、その一部が1962年にシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を試みている。その背景を知っていたド・ゴールは1966年にフランス軍をNATOの軍事機構から離脱させ、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。ジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺されたのは1963年のことだ。そうしたNATOの体質は現在まで変化していない。

 NATOが東に向かって拡大し始めるのは1990年代に入ってから。その切っ掛けは1990年の東西ドイツ統一だ。ペレストロイカを進めていたミハイル・ゴルバチョフの決断だが、このペレストロイカを考え出したのはKGBの頭脳と呼ばれていたフィリップ・ボブコフだという。CIA人脈と連携していた可能性の高い人物だ。

 東西ドイツを統一する際、アメリカ政府はNATOを東へ拡大させないと約束していた。例えばドイツのシュピーゲル誌によると、アメリカはロシアに約束したとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っている。またドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)

 それ以外にも、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。

 アメリカの支配層がそうした約束を守るはずはなく、今ではロシアとの国境近くに軍事基地を建設、ミサイルを配備し、細菌兵器の研究施設を建設している。

 本ブログでもすでに書いたが、アメリカはそうした研究施設をウクライナ、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアで建設、アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、そして日本にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在するという。

 アメリカの少なくとも一部は1950年代からソ連に対する先制核攻撃を計画、ケネディ大統領が暗殺された1963年後半に実行しようとしていたと言われている。1983年の後半にも核戦争の寸前までいった。最近もアメリカは核戦争でロシアを脅しているが、脅しても屈服しなため核戦争へ限りなく近づいている。

 ドナルド・トランプを担いだのはそうした情況を懸念した人びとだったと見られているが、大統領に就任した直後にネオコン的な政策へ切り替えられている。マイケル・フリン国家安全保障補佐官の解任は象徴的な出来事だった。

 NATOはアメリカによる中東支配の道具としてイラクに常駐するようになるとも言われている。NATOはアメリカの「関東軍」と化している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002210000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c47

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
64. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2020年2月22日 13:09:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-145]
2020.02.22
NATO軍がロシアへの軍事侵攻を準備しているとロシア軍は分析している


 ロシア軍の​ワレリー・ゲラシモフ参謀総長はNATOがロシアに対する大規模な軍事侵攻を行う準備をしていると分析​しているようだ。この分析には説得力がある。

 NATOがソ連軍の侵攻に備えるために創設されたという話は戯言にすぎない。ソ連が消滅した後にNATOが存在していることでもわかるだろう。そもそも第2次世界大戦でドイツ軍に攻め込まれたソ連では2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、当時、軍事侵攻する余裕はなかった。

 そうした情況の中、1949年にNATOは創設されたのだが、その時の参加国はアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルク。その母体になったのは1948年に作られたACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)だ。

 ACUEはアメリカやイギリスがヨーロッパを支配する目的で設立された組織で、イギリスのウィンストン・チャーチルやアメリカのアレン・ダレスたちが参加していた。本ブログでもしばしば登場するビルダーバーグ・グループはその下部機関のひとつ。

 NATO加盟国には破壊活動を目的とする秘密部隊が存在していることもわかっている。その中でも特に有名な部隊がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃までクーデター計画や極左グループを装った爆破事件を繰り返していた。

 フランスのOASもそうした秘密部隊ネットワークにつながる組織だが、その一部が1962年にシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を試みている。その背景を知っていたド・ゴールは1966年にフランス軍をNATOの軍事機構から離脱させ、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。ジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺されたのは1963年のことだ。そうしたNATOの体質は現在まで変化していない。

 NATOが東に向かって拡大し始めるのは1990年代に入ってから。その切っ掛けは1990年の東西ドイツ統一だ。ペレストロイカを進めていたミハイル・ゴルバチョフの決断だが、このペレストロイカを考え出したのはKGBの頭脳と呼ばれていたフィリップ・ボブコフだという。CIA人脈と連携していた可能性の高い人物だ。

 東西ドイツを統一する際、アメリカ政府はNATOを東へ拡大させないと約束していた。例えばドイツのシュピーゲル誌によると、アメリカはロシアに約束したとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っている。またドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)

 それ以外にも、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。

 アメリカの支配層がそうした約束を守るはずはなく、今ではロシアとの国境近くに軍事基地を建設、ミサイルを配備し、細菌兵器の研究施設を建設している。

 本ブログでもすでに書いたが、アメリカはそうした研究施設をウクライナ、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアで建設、アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、そして日本にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在するという。

 アメリカの少なくとも一部は1950年代からソ連に対する先制核攻撃を計画、ケネディ大統領が暗殺された1963年後半に実行しようとしていたと言われている。1983年の後半にも核戦争の寸前までいった。最近もアメリカは核戦争でロシアを脅しているが、脅しても屈服しなため核戦争へ限りなく近づいている。

 ドナルド・トランプを担いだのはそうした情況を懸念した人びとだったと見られているが、大統領に就任した直後にネオコン的な政策へ切り替えられている。マイケル・フリン国家安全保障補佐官の解任は象徴的な出来事だった。

 NATOはアメリカによる中東支配の道具としてイラクに常駐するようになるとも言われている。NATOはアメリカの「関東軍」と化している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002210000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c64

[近代史3] 馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた 中川隆
31. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2020年2月22日 13:10:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-144]
2020.02.22
NATO軍がロシアへの軍事侵攻を準備しているとロシア軍は分析している


 ロシア軍の​ワレリー・ゲラシモフ参謀総長はNATOがロシアに対する大規模な軍事侵攻を行う準備をしていると分析​しているようだ。この分析には説得力がある。

 NATOがソ連軍の侵攻に備えるために創設されたという話は戯言にすぎない。ソ連が消滅した後にNATOが存在していることでもわかるだろう。そもそも第2次世界大戦でドイツ軍に攻め込まれたソ連では2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、当時、軍事侵攻する余裕はなかった。

 そうした情況の中、1949年にNATOは創設されたのだが、その時の参加国はアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルク。その母体になったのは1948年に作られたACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)だ。

 ACUEはアメリカやイギリスがヨーロッパを支配する目的で設立された組織で、イギリスのウィンストン・チャーチルやアメリカのアレン・ダレスたちが参加していた。本ブログでもしばしば登場するビルダーバーグ・グループはその下部機関のひとつ。

 NATO加盟国には破壊活動を目的とする秘密部隊が存在していることもわかっている。その中でも特に有名な部隊がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃までクーデター計画や極左グループを装った爆破事件を繰り返していた。

 フランスのOASもそうした秘密部隊ネットワークにつながる組織だが、その一部が1962年にシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を試みている。その背景を知っていたド・ゴールは1966年にフランス軍をNATOの軍事機構から離脱させ、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。ジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺されたのは1963年のことだ。そうしたNATOの体質は現在まで変化していない。

 NATOが東に向かって拡大し始めるのは1990年代に入ってから。その切っ掛けは1990年の東西ドイツ統一だ。ペレストロイカを進めていたミハイル・ゴルバチョフの決断だが、このペレストロイカを考え出したのはKGBの頭脳と呼ばれていたフィリップ・ボブコフだという。CIA人脈と連携していた可能性の高い人物だ。

 東西ドイツを統一する際、アメリカ政府はNATOを東へ拡大させないと約束していた。例えばドイツのシュピーゲル誌によると、アメリカはロシアに約束したとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っている。またドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)

 それ以外にも、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。

 アメリカの支配層がそうした約束を守るはずはなく、今ではロシアとの国境近くに軍事基地を建設、ミサイルを配備し、細菌兵器の研究施設を建設している。

 本ブログでもすでに書いたが、アメリカはそうした研究施設をウクライナ、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアで建設、アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、そして日本にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在するという。

 アメリカの少なくとも一部は1950年代からソ連に対する先制核攻撃を計画、ケネディ大統領が暗殺された1963年後半に実行しようとしていたと言われている。1983年の後半にも核戦争の寸前までいった。最近もアメリカは核戦争でロシアを脅しているが、脅しても屈服しなため核戦争へ限りなく近づいている。

 ドナルド・トランプを担いだのはそうした情況を懸念した人びとだったと見られているが、大統領に就任した直後にネオコン的な政策へ切り替えられている。マイケル・フリン国家安全保障補佐官の解任は象徴的な出来事だった。

 NATOはアメリカによる中東支配の道具としてイラクに常駐するようになるとも言われている。NATOはアメリカの「関東軍」と化している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002210000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html#c31

[近代史3] 昭和天皇を震え上がらせた共産主義の恐怖とは 中川隆
2. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2020年2月22日 13:12:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-143]
2020.02.22
NATO軍がロシアへの軍事侵攻を準備しているとロシア軍は分析している


 ロシア軍の​ワレリー・ゲラシモフ参謀総長はNATOがロシアに対する大規模な軍事侵攻を行う準備をしていると分析​しているようだ。この分析には説得力がある。

 NATOがソ連軍の侵攻に備えるために創設されたという話は戯言にすぎない。ソ連が消滅した後にNATOが存在していることでもわかるだろう。そもそも第2次世界大戦でドイツ軍に攻め込まれたソ連では2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、当時、軍事侵攻する余裕はなかった。

 そうした情況の中、1949年にNATOは創設されたのだが、その時の参加国はアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルク。その母体になったのは1948年に作られたACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)だ。

 ACUEはアメリカやイギリスがヨーロッパを支配する目的で設立された組織で、イギリスのウィンストン・チャーチルやアメリカのアレン・ダレスたちが参加していた。本ブログでもしばしば登場するビルダーバーグ・グループはその下部機関のひとつ。

 NATO加盟国には破壊活動を目的とする秘密部隊が存在していることもわかっている。その中でも特に有名な部隊がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃までクーデター計画や極左グループを装った爆破事件を繰り返していた。

 フランスのOASもそうした秘密部隊ネットワークにつながる組織だが、その一部が1962年にシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を試みている。その背景を知っていたド・ゴールは1966年にフランス軍をNATOの軍事機構から離脱させ、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。ジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺されたのは1963年のことだ。そうしたNATOの体質は現在まで変化していない。

 NATOが東に向かって拡大し始めるのは1990年代に入ってから。その切っ掛けは1990年の東西ドイツ統一だ。ペレストロイカを進めていたミハイル・ゴルバチョフの決断だが、このペレストロイカを考え出したのはKGBの頭脳と呼ばれていたフィリップ・ボブコフだという。CIA人脈と連携していた可能性の高い人物だ。

 東西ドイツを統一する際、アメリカ政府はNATOを東へ拡大させないと約束していた。例えばドイツのシュピーゲル誌によると、アメリカはロシアに約束したとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っている。またドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)

 それ以外にも、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。

 アメリカの支配層がそうした約束を守るはずはなく、今ではロシアとの国境近くに軍事基地を建設、ミサイルを配備し、細菌兵器の研究施設を建設している。

 本ブログでもすでに書いたが、アメリカはそうした研究施設をウクライナ、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアで建設、アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、そして日本にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在するという。

 アメリカの少なくとも一部は1950年代からソ連に対する先制核攻撃を計画、ケネディ大統領が暗殺された1963年後半に実行しようとしていたと言われている。1983年の後半にも核戦争の寸前までいった。最近もアメリカは核戦争でロシアを脅しているが、脅しても屈服しなため核戦争へ限りなく近づいている。

 ドナルド・トランプを担いだのはそうした情況を懸念した人びとだったと見られているが、大統領に就任した直後にネオコン的な政策へ切り替えられている。マイケル・フリン国家安全保障補佐官の解任は象徴的な出来事だった。

 NATOはアメリカによる中東支配の道具としてイラクに常駐するようになるとも言われている。NATOはアメリカの「関東軍」と化している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002210000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/754.html#c2

[リバイバル3] 高配当銘柄を買うとこういう目に遭う _ JT 日本たばこ産業 (2914) 中川隆
14. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2020年2月22日 13:41:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-142]

22 ai_***** 2月22日 12:29


自宅での喫煙に“4500万円払え”裁判 「禁煙学会理事長」の医師法違反が明るみに
2/22(土) 5:57配信 デイリー新潮
「昨年11月に横浜地裁が言い渡した判決は、体調不良と副流煙の因果関係はナシ。団地の自宅内で喫煙するのは自由で、社会的相当性を逸脱するような事情がない限り違法とはならないと認定した。」

喫煙迷惑9割超え タバコ休憩はOK ?
2/19(水) 15:00配信 ovo
「一方、仕事中にたばこ休憩を取る喫煙者は7 割を超えている。この休憩取得を良くないと考える非喫煙者は49.2%だった反面、喫煙者は9.1%と大きく意見が分かれた。「煙草を吸うことでリラックスできる人もいると思う」「トイレに行くのと同じ感覚」「リフレッシュするための休憩時間は必要だけど、わざわざタバコを吸うために休憩をするのではなく休憩中にタバコを吸うようにしたらいいと思う」「タバコは嗜好品なので仕事中にコーヒー、お茶を飲むのと同じ。仕事中にタバコを吸うのがだめなら仕事中にコーヒー飲むのもダメなはず」など、それぞれの立場からの主張が展開されている。」

加熱式たばこ専用の喫煙室 川場スキー場 JT協力し群馬県内初設置 分煙環境を整備
2/18(火) 6:02配信 上毛新聞社
「喫煙者にも快適にスキーを楽しんでもらおうと、群馬県の川場スキー場(川場村川場高原)は、クラブハウス内に加熱式たばこ専用喫煙室を開設した。」

時代に逆行、岡山市役所に喫煙所が復活 一体何があった?
2/16(日) 15:30配信 産経新聞
「結局、市は屋上に「特定屋外喫煙場所」となる喫煙所を設置。大供公園で喫煙をしないよう、職員用の専用サイトで呼び掛けることになった。岡山市庁舎管理課は「やむを得ない措置だった」と説明する。」

「嗅ぎたばこ」で改正健康増進法へ対応 BATジャパン
2/13(木) 13:35配信 産経新聞
「税制上はいわゆる「嗅ぎたばこ」の一種で、改正健康増進法の施行を4月に控える中、規制対象外の商品を導入することで、消費者ニーズにこたえる。」

紙巻きたばこ禁止へ 4月から白浜空港
2/13(木) 16:35配信 紀伊民報
「南紀白浜エアポートは4月から、南紀白浜空港(和歌山県白浜町)ターミナルビル内で紙巻きたばこの喫煙を禁止する。ビル内にある2カ所の喫煙所は加熱式たばこ専用にする。〜紙巻きたばこの喫煙所は、ビル外の到着出口近くに1カ所新設する。」


インスタグラム:インフルエンサーの電子たばこ宣伝禁止
2/12(水) 7:33配信 ブルームバーグ
「インスタグラムとフェイスブックは、インフルエンサーに対し、電子たばこやたばこ製品、銃を「ブランドコンテンツ」として宣伝することを禁止した。」

ここ最近のたばこに関するニュースです。

4月の改正健康増進法全面施行に向けた準備が着々と進んでいます。各企業とも喫煙場所を制限しつつも確保する中、昨年7月に先行実施していた公共施設では、施設内を完全禁煙にした結果周辺での苦情が相次いだため、施設内に再度喫煙場所を整備する現実的な対応を行っています。

たばこに対する世論も、長きにわたり禁煙活動団体の主張をもとに形成されてきましたが、喫煙率も20%を切る中、改正法を機に逆に喫煙者を擁護する意見も目立ち始めています。非喫煙者の中でもたばこ休憩に否定的な意見は半分を切り、調査結果からは場所さえ制限すれば吸うか吸わないかは喫煙者の自由という考え方の広がりがうかがえます。禁煙活動も、かつては多数派や既得権益に対する少数派の権利主張という社会的意義がありましたが、今では完全に立場が逆転してただの弱い者いじめへと成り下がりつつあり、法律違反も厭わない団体も登場して禁煙活動自体が既得権益化しつつあります。

また、RRPについてはこれまで規制のなかったSNSを使ったマーケティングにより、新興メーカーを中心に爆発的に普及してきましたが、電子たばこの健康問題に端を発し、それを規制する動きが出てきています。広告の規制は新製品の普及を阻むため、既存メーカーには非常に有利に働きます。

吸う人も吸わない人も心地よい世の中へ。私はずっと非喫煙者ですが、長い歴史の中で培われてきた文化、嗜好品、個人の自由を守るため、JTの挑戦に期待したいと思います。
https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1002914/a3ja3t
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/976.html#c14

[近代史3] グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 中川隆
1. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2020年2月22日 15:21:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-141]

ソルヴェイグの歌       劇音楽 ペールギュント
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S1332.htm

詩: イプセン (Henrik Ibsen,1828-1906) ノルウェー
    Peer Gynt (1867)  Solveigs sang

曲: グリーグ (Edvard Grieg,1843-1907) ノルウェー   歌詞言語: ノルウェー語

Kanske vil der gå både Vinter og Vår,
og næste Sommer med,og det hele År,
men engang vil du komme,det ved jeg vist,
og jeg skal nok vente,for det lovte jeg sidst.

Ah


Gud styrke dig,hvor du i Verden går,
Gud glæde dig,hvis du for hans Fodskammel står.
Her skal jeg vente til du kommer igjen;
og venter du hist oppe,vi træffes der,min Ven!

Ah


たぶんまた過ぎ去るの 冬も春も
そして次の夏も、こうして一年が終わる
でもあなたはいつか私の元へ戻る、私は分かっているの
だから私は待つわ、あなたと約束したように

ああ


神様は守ってくれる、あなたがどこに行こうとも
神様は祝福してくれる、あなたが御許にひざまずけば
私はここで待つわ、あなたの帰る日まで
もしあなたが天国で待つなら、そこで会いましょう、愛しい人!

ああ


グリーグの作品中ではピアノ協奏曲と並んで最も有名な、ヘンリク・イブセンの戯曲に付けた劇音楽「ペール・ギュント」、奔放に、というかワガママに?生きる主人公ペールをひたすら待ち続けるソルヴェイグ(正式に発音するとソルーヴェイの方が近いらしいです)の悲しくも美しい歌がこれです。古今東西女性歌手には好んで歌われるナンバーで、日本でも一昨年亡くなられた本田美奈子さんが岩谷時子作の詞で入れていたものを聴かれた方もあるのでは。これは日本語の歌詞や編曲のスタイルに私にはちょっと違和感がありましたが、けっこう感動的なうたではありました。他に日本の歌手でも増田いずみさんや米良美一さん!までほんとうに多彩なラインナップで聴くことができます。

西欧でもフラグスタートやニルソンといった北欧出身の大歌手から、シュヴァルツコップやぜーフリートといったドイツの大御所まで幅広く吹き込んでいますし、ピアノ伴奏のグリーグ歌曲集の中にもよく収録されていたりするのですが、今回集中的に取り上げようと思ったのは劇音楽の全曲やハイライトとして纏められた録音の中で歌われているこの歌。「名曲名盤XX選」とかいう某社の雑誌でよくやる特集でも「ペールギュント」に関しては組曲版か、あるいは抜粋版を取り上げていても指揮者とオーケストラのことばかり言及されていてほとんど省みられることはないように思うのですけれども、この曲、けっこう凄い歌手たちを起用して録音されていることが多いので聴き比べてみると面白いのです。


  バーバラ・ボニー:ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ管(DG)
  シルヴィア・マクネアー:ジェフリー・テイト指揮ベルリンフィル(EMI)
  エリー・アメリンク:エド・デ・ワールト指揮サンフランシスコ響(Philips)
  バーバラ・ヘンドリックス:エサ・ペッカ・サロネン指揮オスロフィル(Sony)
  ルチア・ポップ:ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管(EMI)

ポップの歌っているマリナー盤だけは手に入りませんでしたが、彼女の歌うこの歌を収録している彼女のベスト盤(Disky)でここだけは聴けましたので以下に比較試聴をば。

ボニー盤:某誌でも高く評価されペール・ギュントの定盤になっている盤でしょうか。本場のオーケストラのくすんだ音色にまだ新進歌手だった彼女の清楚な声が微妙なコントラストを示して実に美しい演奏です。ただ個人的にヘソまがりな私には他の盤の方が好みだったりします。彼女の歌を初々しいと取るか、ちょっとまだ硬さがあると聴くかで評価が違ってくるところでしょうか...

マクネアー盤:たいへんゆっくりとしたテンポでしっとりと歌います。「ああー」のヴォカリーズの最後のところなど実に美しい。貫禄という点でも技量という点でも今回聴いた5点の中でもずば抜けた歌唱ではないでしょうか。劇音楽は抜粋盤ですが普通取り上げられる第4幕の部分だけでなく、ペールが戻る直前の第5幕のシーンでのこの歌も収録してくれている(つまり2回聴ける)のも嬉しいところです。テイト/ベルリンPOの演奏も貫禄。ちょっと歌も含め垢抜け、立派すぎる感もありますが...

アメリンク盤:爽やかな演奏とでも言えばよいでしょうか。どちらかというとこの歌よりも終曲の「ソルヴェイグの子守唄」の方がこのスタイルにはよりしっくりしています。サンフランシスコ響といえばこの後にブロムシュテットの指揮で同じ曲の(ほぼ)全曲盤を録音しており、そちらの方が収録曲が多かったりしてこの盤は冷遇されているような感もありますが、アメリンクの歌のスタイルにピッタリの爽快さが美しいです。ブロムシュテット盤ではBluebellでアルヴェーン歌曲集を歌っていたスウェーデンのソプラノ、ヘッガンデルを起用してこれはこれで健闘していましたが、アメリンクと比較しては酷というものでしょうか。アメリンクはもっと若い頃にも録音していた記憶があるのですが(ロッテルダムフィルかどこかと)、ちょっと思い出せませんでした。

ヘンドリックス盤:意外と彼女は北欧歌曲をたくさん録音していたりするのですが(現在はスウェーデン在住なのだとか)、偏見かも知れませんけれどもちょっと濃密さが強すぎる感じ。この曲に見え隠れする演歌調の「耐え忍ぶ女」的な感じは一番よく出ていて面白いですけれどもちょっと好みが分かれるかも。サロネン/オスロPOの演奏もメリハリが効いていて良いのですが、録音のせいかあるいはオーケストラのせいか色彩感にちょっと乏しく聴こえてしまいます。まあ北欧の音楽自体あんまりカラフルに演奏するようなものでもなさそうなのでこれはこれでいいのかも。今回聴き比べた中では一番異色でしたが、それだけにインパクトがあります。

ポップ盤:個人的には彼女の歌声がソルヴェイグの歌には一番ハマっているように思えます。マリナーの伴奏もたいへんメリハリが効いて楽しいです。残念ながらドイツ語訳による歌唱のようですけれども私はそんなに気になりませんでした。ほんのりとした温かみがこの曲を包んでなかなか素晴らしいです。
ワガママな私が甘えるとしたらやっぱりこのキャラクターの声かなあ。彼女が早くに亡くなってしまったのは大変に惜しまれます。


対訳でもけっこういい加減なものが散見されましたので、できるだけノルウェー語に忠実に訳す努力だけはしてみました。もっとも付け焼刃の語学勉強ではどこまで忠実なのだか...

まあそれほど難しい詩でもありませんので、大きな間違いはないと思います。
なお最後の呼びかけのVenというのは英語でいうとFrendにあたりますので、直訳すると「我が友よ!」になりますが、日本でダンナを「友よ」と呼ぶ人はいないと思いますので「愛しい人」としています。

戯曲では第4幕の10場、夏の日にヤギを見張りながら表で糸を紡いでいる中年になったソルヴェイグがひとり歌う歌です。曲だけ聴くと冬の感じがするのですが、そこでの情景は穏やかな北欧の夏なのですね。それだけに寂しさが一層つのってきます。

しかも第4幕は、ペールがアフリカでやりたい放題やっている(ここに限らずどこにいてもやりたい放題ではあるのですが...)シーンが続きますのでそれらとの対比がとても鮮烈なのです。戯曲の解釈によればこれはペールの頭を一瞬よぎった望郷の念の表現だということで、実際の歌もソルヴェイグの女優でなく舞台裏のソプラノ歌手に歌わせるようです。

このソルヴェイグの歌、幕が変わって第5幕、ノルウェーの故郷に戻って来たペールを待っている彼女の小屋でもう一度歌われます。こちらは「ああ」というヴォカリーズの部分がなく、また歌詞も違っています。いずれこちらの訳詞もUPしたいと思っています。

( 2007.01.22 藤井宏行 )
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S1332.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html#c1

[近代史3] グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 中川隆
2. 中川隆[-13622] koaQ7Jey 2020年2月22日 15:23:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-140]

ソルヴェイグの歌
作詞:ヘンリック・J・イプセン、作曲:エドヴァルド・H・グリーク
日本語詞:堀内敬三

冬は逝(ゆ)きて春過ぎて 春過ぎて
真夏も去りて年経(ふ)れど 年経れど
きみが帰りをただわれは ただわれは
誓いしままに待ちわぶる 待ちわぶる
あああ……


生きてなお君世に在(ま)さば 君世に在さば
やがてまた逢う時や来(こ)ん 時や来ん
天(あま)つ御国(みくに)に在すならば 在すならば
かしこにわれを待ちたまえ 待ちたまえ
あああ……

(原詩)
Kanske vil der gå både Vinter og Vår,
og næste Sommer med, og det hele År,
men engang vil du komme, det ved jeg vist,
og jeg skal nok vente, for det lovte jeg sidst.


Gud styrke dig, hvor du i Verden går,
Gud glæde dig, hvis du for hans Fodskammel står.
Her skal jeg vente til du kommer igjen;
og venter du hist oppe, vi traffes der, min Ven !


ノルウェーを代表する作曲家グリーク(Edvard Hagerup Grieg…写真)の組曲『ペール・ギュント』のうちの1曲(op.55-4)。
 もとは、同国の文豪イプセンが1867年に書いた全5幕の詩劇で、1876年2月24日に首都クリスチャニア(現オスロ)の劇場で初演されました。その劇中音楽を担当したのがグリークで、のちに作曲者自身によって組曲として再構成・発表されました。
 身勝手でほら吹きの放蕩児ペール・ギュントは、世界を放浪したはてに、老いさらばえ、無一文になって帰郷します。盲目になりながらも彼を待っていた若き日の恋人ソルヴェイグは、彼を許して迎え入れ、ペール・ギュントは安らかな永遠の眠りにつく――という物語です。

 『ソルヴェイグの歌』は、ペール・ギュントの帰りを待ちわびるソルヴェイグが独唱するもの。「ああ……」の旋律は、ノルウェーの古い羊飼いの歌から採ったものだといわれます。

 『ペール・ギュント』は、官能性の高い『アニトラの踊り』『アラビアの踊り』を除けば、清澄なメロディが基調になっていますが、そのなかでもとりわけこの曲は、北欧の澄んで冷涼な空気を感じさせるようなメロディで、日本でも愛好者の多い曲です。
(二木紘三)




コメント
グリーク作曲のソルヴエイグの歌は、清純な乙女心を表現した素晴らしい歌ですね。
「女心の歌」や「カタログの歌」と真反対です^^。
投稿: 三瓶 | 2007年7月18日 (水) 00時15分

ペールギュントは大好きな曲です。とりわけソルウェーグのうたは、いいですね。高校の音楽の時間に、各人前に出て教師のピアノ伴奏で歌わされましたので、翻訳歌詞もよく覚えています。ちょうど20年前、北欧5カ国(デンマーク、アイスランド、ノルウエー、スウェーデン、フィンランド)を回りました。その時、ベルゲンのグリークの生家を訪ね、グリーク銅像(グリークは病弱で、確か身長は150センチぐらいしかない)の頭を撫でてきました。フィンランドではシベリウスの肉声入りのフィンランディアのLPを手に入れてきました。いいですね。
投稿: 山田計一 | 2007年7月18日 (水) 12時00分


 女の歌とは言えど、暗くて苦しかった、不良少年時代の歌。真夜中に川べりを彷徨していたとき、橋の上に出て夜空に向けて熱唱したことがある。眼下では真冬の月が流れに砕けて、いつまでも同じところに躍っていた。

 その直後である、偶然行き遇った別の不良少年と、ナイフでわたりあったのは。あの少年は、いまどうしているだろうか。シャワーを浴びながら太ももに残る傷跡に自分の手が触れたり、女に傷跡のわけを訊かれたりするとき、わけもなく持て余して濫費した、自分でも得体の知れぬエネルギーのことを想い出す。ソルヴェイグはあんなに意志強く、ひとつの恋に生き続けたのに。

投稿: ロストジェネレーション | 2008年6月18日 (水) 12時13分


大貫妙子さんの歌唱で、「みんなのうた」に登場したことがあります。
その際の歌詞は、

湖の入江にたてば波がつぶやく
“ここにはもう少女のころの君はいない”と
風に舞って水に落ちた白い帽子
ぬれた服をしぼってくれたやさしい夏


会いたいのはあなたよりも
そばかす気にしていた日のわたし

少年は鳥になれず大人になって
わたしは水鏡の中 わたしをさがす
誰にもただ一度だけの夏があるの
それは恋と気づかないで 恋した夏


というものでした。
なんとも物悲しく切ない詩と曲調だったのを記憶しています。
投稿: takama | 2009年9月 5日 (土) 02時21分


Cover Piano&Vocal 【みずうみ】大貫妙子(From Peer Gynt Suite No. 2, Op. 55 "Solveig's Song"Edvard Grieg)ピアノ弾き語り




 『G線上のアリア』『アヴェ・マリア』『タイースの瞑想曲』などにも通じる、深い西洋的哀調と気高さを感じます。

 ペール・ギュントをひたすら待ちわびるソルヴェイグの姿は、ギリシャ神話の英雄オデュッセウスの妻のペネロペイアを彷彿とさせます。古代ギリシャ史上名高い「トロイア戦争」(BC13世紀?)に遠征したイタケーの王オデュッセウスは、10余年にも及びこう着状態が続いていた同戦争を、「トロイの木馬」の知略で一晩にしてギリシャ(アカイア)勢に勝利をもたらしました。

 しかしこれがトロイア(イーリオス)勢に加担した美の女神アフロディーテや海神ポセイドンの恨みを買い、オデュッセウスは運命の風に翻弄され続け、さまざまの神話的な国を放浪することになったのでした。

 その間長い歳月が経過し、終いには美貌の妻ペネロペイアのもとに40人もの求婚者が押し寄せました。しかしギリシャ神話中最も貞淑な妻だったペネロペイアは、それを巧みに断り続け、ひたすら夫オデュッセウスの帰りを待ち、20年後遂に念願の再開を果たしたのです。

 私の独断ですが、詩劇『ペール・ギュント』の作者イプセンは、このエピソードを主な下敷きとして同詩劇を書き上げたのではないでしょうか?ソルヴェイグは、結局夫のもとを去っていくイブセンの代表作『人形の家』のノラとは対極的な女性像です。
投稿: Lemuria | 2009年9月10日 (木) 23時58分


takama様もコメントされていますが、わたしもこの歌がNHK「みんなのうた」で放映されていたことを思い出しました。takama様のコメントには題名がなかったので、YouTubeで検索しましたら、当時のサイトがありました。懐かしくなって、聴き入りました。題名は『みずうみ』(作詞 山川啓介 歌 大貫妙子)です。

 詞はtakama様の書かれているように、少女期を脱した女性が過去の自分を具体的に回想する内容ですが、『ソルヴェイグの歌』の永遠の愛を歌ったものとは異なりながら、曲想にマッチしているように思います。また、大貫さんの歌唱法が、彼女の普段の歌い方とことなり、抑え勝ちに素直に歌っているところがアッピールしたのではないでしょうか。バックの湖の風景も歌に溶け込んでいるように思います。聴いていると、本当にこの歌が『みずうみ』の底から湧き上ってくるように感じられるのは、わたしだけでしょうか。
投稿: ひろし | 2009年9月28日 (月) 15時44分


以前から好きなので、カウンターテナー歌手の「ソルベイグの歌」を時々CDで聴いています。中性的な清純な歌声で原語です。
ソルベイグは、どうしようもない息子をいつまでも信じて待つ「母」のようです。
それに対してペール・ギュントは、ソルベイグと言う恋人がいながら簡単に他の女性に心を移し、すぐに飽きて捨てる。そして放蕩の限りを尽くした果てにソルベイグという「母」のもとに帰り永遠の眠りに付く…。男の人にとって、こんな都合の良い話があるでしょうか…。だから筋はあまり深く考えず、歌そのものを聴いています。

「ああ……」と母音のみで歌われるヴォカリーズの部分も好きです。ご解説によると、古くからある羊飼いの歌から採られたとか…。
ひろしさんが書いていらっしゃる大西妙子さんのも聴いてみましたが、ヴォカリーズの部分の旋律が変えられ、そこに歌詞が付けられているんですね。そのせいかだいぶ印象が変わってしまうのですが、「みずうみ」もなかなか素敵でした。
投稿: 眠り草 | 2010年9月26日 (日) 11時06分


高校1年の時の音楽の授業で、教師が「ローハイド」と「ソルヴェイグの歌」のレコードを流した後、生徒にどちらが好きか挙手させました。
私は迷わず、「ソルヴェイグの歌」に挙手しましたが、他の男子生徒は全員「ローハイド」でした。

その後一人ずつ前に出て、挙手した曲の楽譜を渡され、教師のピアノ伴奏で歌わさせられました。
男子生徒にとって「ローハイド」は地声で行けるのですが、「ソルヴェイグの歌」は無理な話です。

結局、「♪ア〜アアアアアア〜」のところで、悲惨な雄叫び状態になりました、嗚呼嗚呼〜。

それ以来、この歌は人前では決して口ずさみません。
そして、私の名誉の為に付け加えるならば、「ローハイド」を歌った生徒も大多数は英語の歌詞が滅茶苦茶でした。
その他、この教師は生徒に作曲の宿題を出して、歌わせたりしていました。
盗作紛いのメロディや、上手く歌えた生徒にもう一度歌わせたら全く別の曲になってしまったり、字余りの曲になったり・・・と、
今考えると音楽の授業と言うより、レクリェーションのようでした。
半世紀ほど昔のノンビリした時代でした。
投稿: コーデリア | 2010年9月30日 (木) 00時05分


「わが母の教えたまいし歌」とともに、この歌を聴くと涙が出ます。心が洗われる名曲です。
日本の歌曲では「初恋」が同じ心情の歌でしょうか。
投稿: 三瓶 | 2010年10月 1日 (金) 19時20分


時々ですが、一人で声を出して思い切り歌いたいときは、このページを開いて、思いつくまま歌わせて頂きます。でも思うように声が続かず、歌うことはやめてしまい、知らず知らず二木先生の解説を夢中になって読んでいる自分に笑ってしまいます。いつも有難うございます。

ぎっしり知識が詰まっていてすべて記憶できなくても、好きな曲の解説だけは、しっかり頭に入っているようです。

最後の欄に出てきた曲ですが、驚きました。すらすらと歌詞が出てきて、嬉しかったです。おもえば多感な十代の後半に、習ったことは記憶してるのですね。
高校の音楽の先生は、東京の音楽学校を出られたお綺麗な先生でした。授業が終わるとごく自然に「魔王」を流暢に弾いて下さいました。その後は私たちは厚かましく、あれこれリクエストしても、嫌な顔もせず言葉数は少なかった先生ですが、暖かい心で接して下さいました。

今もそれらの曲に出会うとき、自然にあのピアノの周りに集まった短い時間を思い出して、感傷に浸って「ためいき」をつくときは、過ぎた年数は忘れています。
確か高校の音楽の時間、東京の音大を出られた若い綺麗な先生でした。
投稿: mitsuko | 2015年3月13日 (金) 09時25分


およそ半世紀前、高校の音楽の教科書に載っていました。“名曲である”との解説がつけられていました。そのころはわかりませんでしたが、今は“全くその通り!”と思っています。さらには、堀内敬三の名訳は(原詩は解りませんが)この曲と一体化して見事だと思います。(特に二番の歌詞は胸に迫ります)究極のラブソングではないでしょうか。

Youtubeではいろんな歌手がこの曲を歌っているのを見る(聴く)ことができますが、歌手それぞれで全く違う歌に聞こえます。それだけこの歌はむつかしいのでしょうね。そのような中で、イプセンとおなじノルウェイのソプラノ歌手マリタ・ソルバーグがベルリンフィルをバックに野外音楽堂で歌うこの曲は一番好きで、絶唱だと思い毎日聞いています。
投稿: ばってん | 2016年12月25日 (日) 15時04分
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/07/post_209f.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html#c2
[近代史3] グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 中川隆
3. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2020年2月22日 15:25:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-139]

エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg [ˈɛdʋɑɖ ˈhɑːɡərʉp ˈɡrɪɡ]、1843年6月15日 - 1907年9月4日) は、ノルウェーの作曲家である。
現地語での発音は「エドヴァル・グリッグ」に近い。

また語末のgが無声化してしばしば/k/と発音されるドイツ語読みの影響で「グリーク」と表記されることもある。

グリーグはノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目された[1]。

民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器であるハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができる。

生涯

グリーグは、スウェーデン統治下のノルウェーで、ベルゲン市街の家に5人兄弟の第4子(兄1人、姉2人、妹1人)として生まれた。父方の曾祖父アレクサンダーは1779年にノルウェーに帰化したアバディーンシャー出身のスコットランド人で、一族の苗字は本来Greig(グレッグ)であった。

1858年、ヴァイオリニストのオーレ・ブルに才能を見出され、3年半の間ライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学ぶ。

1863年から3年間、デンマークのコペンハーゲンに居住し、作曲家ニルス・ゲーゼに学んだ。ここで、交響曲(作品番号なし)、ピアノ・ソナタ(作品7)、ヴァイオリン・ソナタ第1番(作品8)など初期の作品が作られた。また、従妹でソプラノ歌手のニーナ・ハーゲルップ(Nina Hagerup, 1845年 - 1935年)と出会い、1867年に結婚した。後の歌曲は、ほとんどニーナのために作曲された。

1867年には、クリスチャニア(現オスロ)のフィルハーモニー協会の指揮者に就任し、民謡蒐集家リンネマンや、国民的詩人ビョルンソンと親交を持つ。『十字軍の王シーグル』のための劇音楽が作曲され、グリーグの重要な作品である『抒情小曲集』の第1集を出版した。

1877年から1880年まで、ベルゲン東方のハダンゲル(ハルダンゲル)地方に住んだ。次第に、民族音楽、民族楽器へ傾倒していく。

1884年にベルゲン近郊のトロールハウゲン(妖精の丘)に住家を建築、ベルゲン出身でデンマークにて活躍した劇作家ルズヴィ・ホルベアの生誕200年のためにピアノ組曲『ホルベアの時代から』(翌1885年に弦楽合奏に編曲)を作る。

1901年、次第に健康状態が悪化する。『抒情小曲集』第10集を出版する。1905年のノルウェー独立を見届けたあと、1907年、ベルゲンで没した。

兄ヨーンも、ライプツィヒ音楽院で学び、チェロを演奏したが、職業的音楽家にはならなかった。兄のために作曲したチェロ・ソナタがある。


人物像

グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。

生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛した。死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれた。

なお、作品番号の付されていない習作である交響曲は、同じノルウェーの作曲家ヨハン・スヴェンセンの交響曲を聴いて封印したというエピソードがある。

グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、寝る時も一緒だったらしい。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうである。なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されている。


作品

「グリーグの楽曲一覧」も参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/グリーグの楽曲一覧

グリーグはピアノのために数多くの小品を作曲しており、「北欧のショパン」と呼ばれることがある。また、ピアノとヴァイオリンのために3曲のソナタを書いた。

数あるグリーグの作品の中で、ヘンリク・イプセンの戯曲『ペール・ギュント』への付随音楽と、ピアノ協奏曲イ短調が日本において最も有名である。ピアノ協奏曲は「悲劇」をイメージさせるBGMとして、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」やバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」などと共によく利用され、作曲家や曲名がわからなくても曲を聴けば誰でも聴いたことがあるという代表曲である。

しかしグリーグの本領は、『抒情小曲集』と多数の歌曲に代表される小品に遺憾なく発揮されている。ピアノ曲や歌曲を管弦楽や弦楽合奏に編曲した作品も多い。

オペラ

『オーラヴ・トリグヴァーソン』(作品50、未完) 管弦楽組曲版 作品50aとピアノ曲版 作品50bがある
『アーンリョット・ゲッリネ』(スケッチ)

劇音楽

『十字軍の王シーグル』(作品22、1872年/1903年改訂)
『十字軍の王シーグル』組曲(作品56、1892年)
『ペール・ギュント』(作品23、1875年/1885年、1888年、1891年、1902年改訂)
『ペール・ギュント』第1組曲(作品46、1888年)
『ペール・ギュント』第2組曲(作品55、1892年)


管弦楽曲・協奏曲

ピアノ協奏曲 イ短調(作品16、1868年/1907年まで数次の改訂)
ノルウェー舞曲(作品35、ピアノ連弾版:1881年/ハンス・ジットによるオーケストラ編曲版:1888年頃)
『オーラヴ・トリグヴァーソン』組曲(作品50a、未完のオペラから管弦楽編曲)
抒情組曲(作品54、抒情小曲集第5集から4曲をオーケストラ編曲:1904年)
交響的舞曲(作品64、ピアノ連弾版:1896年/オーケストラ版:1898年)
交響曲 ハ短調(作品番号無し)
序曲『秋に』(作品11)
古いノルウェーのメロディと変奏(作品51)


弦楽合奏曲

2つの悲しき旋律(作品34、2つの歌曲(作品33-3, 33-2)を編曲:1883年)
組曲『ホルベアの時代から』(作品40、ピアノ独奏版:1884年/弦楽合奏版:1885年) ※俗に『ホルベルク組曲』とも呼ばれる。
2つの旋律(作品53、2つの歌曲(作品33-12, 21-1)を編曲:1890年)
2つのノルウェーの旋律(作品63、2つのピアノ曲(作品17-22, 17-18)を編曲:1895年)


吹奏楽曲

リカルド・ノルドローク追悼の葬送行進曲(1866年/1867年、1899年改訂)


ピアノ独奏曲

ピアノ・ソナタ ホ短調(作品7、1865年)

抒情小曲集(ピアノ独奏曲、全10巻/合計66曲)
第1集(作品12、1864年 - 1867年)
第2集(作品38、1883年)
第3集(作品43、1886年)
第4集(作品47、1885年 - 1888年)
第5集(作品54、1891年)
第6集(作品57、1893年)
第7集(作品62、1895年)
第8集(作品65、1896年)
第9集(作品68、1898年 - 1899年)
第10集(作品71、1901年)

ノルウェー民謡による変奏曲形式のバラード(作品24、1876年)
オペラ「オーラヴ・トリグヴァーソン」による2つの小品(作品50b、未完のオペラから編曲)

ピアノのための7つのフーガ
スロッテル 作品72 (1902-03年)


室内楽曲

ヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ長調(作品8、1865年)
ヴァイオリン・ソナタ第2番 ト長調(作品13、1867年)
ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調(作品45、1887年)
チェロ・ソナタ イ短調(作品36、1883年)
弦楽四重奏曲(第1番)ト短調(作品27、1878年)


歌曲

『君を愛す』(作品5-3、1864年 - 1865年)
『白鳥』(作品25-2、1876年)
『王女』(作品番号なし、1871年)
『モンテ・ピンチョより』(作品39-1、1870年)
『ソルヴェイグの歌』(作品22、1876年)『ペール・ギュント』の中の1曲。
『春』(作品33-2、1880年)
『傷ついた心』(作品33-3、1873年 - 1880年)
『世の中はそうしたもの』(作品48-3、1889年)
連作歌曲集『山の娘』(作品67、1896年 - 1898年)


合唱曲
男声合唱のためのアルバム(作品30、1877-78年)
4つの詩編(作品74、1906年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/エドヴァルド・グリーグ

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html#c3

[近代史3] グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 中川隆
4. 中川隆[-13620] koaQ7Jey 2020年2月22日 15:26:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-138]

クラシック音楽 一口感想メモ
エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843 - 1907)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/グリーグ


北欧らしい雰囲気を随所に感じさせるとともに、親近感を感じる温かみと歌心のある音楽であり、ファンが多い。だが、個人的には素朴すぎるところ気になってしまい、有名作曲家の中では苦手な方である。


劇音楽
『ペール・ギュント』(作品23、1875年/1885年、1888年、1891年、1902年改訂)

『ペール・ギュント』第1組曲(作品46、1888年)
5.0点
超有名な「朝」をはじめ、4曲とも有名曲である。一度聴けば忘れないような印象的で大変親しみやすいメロディーの素晴らしさは、見事というほかない。とにかく楽しくていい曲ということに尽きる。素朴なオーケストレーションは聴きやすい。有名曲が多いわけではないグリーグだが、この組曲に最大級の傑作を集められたこと自体が、彼のネームバリュー向上に貢献したとも言えるだろう。

『ペール・ギュント』第2組曲(作品55、1892年)
3.8点
3曲目までは、いかにも第1組曲の選に漏れた2軍の曲集という冴えない感じである。親しみやすいアレンジだが面白くない。しかし、3曲目で作った雰囲気から入る4曲目のソルヴェイグの歌の透明な悲哀の純粋な美しさに感動させられて胸がいっぱいになり、最初の方の不満は吹き飛んでいく。

管弦楽曲・協奏曲

ピアノ協奏曲 イ短調(作品16、1868年/1907年まで数次の改訂)
5.0点
美しくて華やかでインスピレーションにあふれたグリーグの代表作。メロディーやピアノの使い方、管弦楽に感じるの瑞々しさは非常に魅力的。特に1楽章と2楽章は秀逸。しかし個人的には若書き感がどうしても気になってしまい、曲に浸りきれないのが残念である。

交響曲 ハ短調(作品番号無し)
2.5点
ベートーヴェン以来の伝統を受け継ぐドイツロマン派の色が濃い交響曲。あまりにカタいため、グリーグの良さがすっかりスポイルされている。北欧風を匂わす、そこそこ美しい箇所はふんだんにあるものの、浸れないまま次の場面に移って、ありきたりなゴツいドイツ風になってガッカリというのを繰り返す。グリーグに交響曲が向いていなかったのは明らかだ。大作曲家の書いた交響曲としては失敗作かもしれないが、とはいえ北欧マイナー交響曲の一つ思って聴く分には、特に前半は十分に聴く価値はあると思う。3楽章や4楽章はドイツ臭すぎてオリジナリティが無く、正直萎える。


弦楽合奏曲

組曲『ホルベアの時代から』(作品40、ピアノ独奏版:1884年/弦楽合奏版:1885年) ※俗に『ホルベルク組曲』とも呼ばれる。
3.5点
バロック音楽の様式を借りている。古臭い様式とグリーグの個性が上手くブレンドされて高い効果を挙げており、単なる擬古典的な内容ではなく、明るい詩情があり、独特の新鮮で清新な魅力を放つ作品となっている。ピアノ版より弦楽合奏版の方が良い。ピアノ版は古いクラブサン音楽に似ていることが分かる点では面白い。


ピアノ独奏曲

ピアノ・ソナタ ホ短調(作品7、1865年)
3.0点
グリーグらしい音の動きによる叙情性や温かみは多くの場面で発揮されており、それなりに魅力がある音楽である。しかし、4楽章制のピアノソナタらしい大規模さの効果が乏しい。この素材を小曲集としてまとめた方がよかったのでは、という気がする。初期作品であり、書法もこなれていない。

抒情小曲集
ピアノ独奏曲の小品集。独立した曲として名曲と呼べるのは少ないが、曲集として聴くとなかなか多彩で楽しめる作品が多い。

第1集(作品12、1864年 - 1867年)
3.3点
1分から2分の小品が並んでいる。新鮮で若々しい感情、爽やかでありながらも、叙情的というに相応しい感情を込めた音楽はなかなか良い。初期の名作群に通じる叙情性の優れた発露と北欧の民族的な音感がここにも見られる。

第2集(作品38、1883年)
3.5点
1集から16年を経て音楽的にはるかに深みが出ており、なかなかに楽しめる曲集になっている。特に1曲目が美しい。

第3集(作品43、1886年)
3.5点
1曲目と6曲目は叙情小曲集の中でも有名。特に6曲目の「春に寄す」は音響効果が絶大な伴奏と素朴な美しいメロディーにより、美しい抒情性の極みのようなレベルに到達した曲であり、素晴らしい。この曲集も透明感のある叙情が素朴かつ詩的に表現されており、グリーグの良さがよく現れている。

第4集(作品47、1885年 - 1888年)
3.5点
音楽的な成熟を深めており、ピアノの書法も洗練と充実がより進んでいる。凄い名曲は無いのだが、個性的で一つの世界を形作っている曲が並んでおり、通して聴く場合の楽しさはなかなかのレベルである。

第5集(作品54、1891年)
3.5点
一歩踏み込んだ精神的深みや、曲の構想の大きさが印象的。それがどの曲にも感じられるため、全体の統一感があるとともに、曲集を通して聴いた場合のずっしりとした満足感につながっている。若い瑞々しさが減ってきているが、独特の叙情的な感じは十分に感じられるし、民族的な面白い音使いがみられて楽しい。ただ、全体にやや暗い雰囲気が多い印象もあり、爽やかさが足りない。

第6集(作品57、1893年)
3.5点
全体的な感触としては5集に近い。ただし、5集ほど統一した深さとずっしりとした重さはなく、その代わりに曲の個性の印象は少し強い気がするのと、陰鬱さがやや減ったところがよい。最後のモノローグのような曲が強い印象に残った。

第7集(作品62、1895年)
3.8点
全ての曲が詩情豊かでメロディーに魅力がある名作。曲の対比も効果的で、次の曲がよく聞こえる配置になっている。成熟しており、後期ロマン派が獲得した多様な明確で耽美的な表現力が活かされている。

第8集(作品65、1896年)
3.3点 ただし「トロルドハウゲンの婚礼の日」は4.5点
5曲目までは、モノローグ的な物語を沈鬱に語るような雰囲気の曲が多い。気が滅入りそうになる。それにしても最後の「トロルドハウゲンの婚礼の日」は最も人気があるのも当然の曲。婚礼というめでたい日の描写が大変優れている。人々のせっせと働いて準備をして、婚礼を進める情景が目に浮かぶようだ。ワクワクするような活気がある。忘れられずに頭の中で何度もメロディーがリフレインする。場面展開も非常に優れていて、大成功している。

第9集(作品68、1898年 - 1899年)
2.8点
小さな曲ばかり。それにも関わらず第8集と似たモノローグ的で陰鬱な活気のない曲、ロマン派的な潤いがない曲が多いため、あまり楽しく聞けない。

第10集(作品71、1901年)
3.3点
そこそこの曲と9集のようなイマイチな曲が混ざっているが、概ね悪くない曲が多い。それなりの発想の良さを感じる。最後の清澄なワルツでこれまでの紆余曲折を清算し全てが救われる感じがして感動的である。

室内楽曲

ヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ長調(作品8、1865年)
3.0点
オーソドックスな中に心温まるような親愛なる感情や個性的な音感を見せたり歌心をさりげなく発揮する個性が、若書きだがよく出ている。楽しめる曲なのだが冗長な感がある。

ヴァイオリン・ソナタ第2番 ト長調(作品13、1867年)
2.5点
2楽章や郷愁をさそうメロディーが良い。3楽章も所々良い箇所がある。1番よりバランスが良くて自分の型が出来あがっているのが分かるのだが、曲の魅力はむしろ少し落ちると感じる。

ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調(作品45、1887年)
3.5点
非常に情感豊かな曲で初期に書かれた2曲とは全く雰囲気も音楽の作りも違う。暗い情熱を微かに湛えて瞑想的な1楽章。感傷的な夢見るような雰囲気から情熱に向かう2楽章。3楽章は情熱を全面に出して、ロシア的な粘っこい暗さや冬の厳しさを感じさせる。

チェロ・ソナタ イ短調(作品36、1883年)
3.5点
大胆さが印象的。高音域から低音域まで幅広く使い、時にはテクニカルに時には存分に歌わせながら、力強い音楽を作っている。兄のために書いた曲だそうだが、小綺麗にまとめるよりも、チェロのポテンシャルを引き出して、弾き甲斐のある曲を書こうとしたことが伺える。グリーグらしい叙情や歌心も発揮されており、なかなかの魅力作。

弦楽四重奏曲(第1番)ト短調(作品27、1878年)
3.5点
全ての楽章が切れ目なく演奏される。冒頭がいきなり強烈な厳しい響きでとても驚いた。それ以降もときどき耳を突き刺すような響きが現れる。それと対比するような柔らかくて温かみのあるグリーグ節の主題も随所に見られて、場面によっては素敵だなと感じる。ダイナミックな場面でもグリーグらしい魅力を随所に感じる。中身がぎっしり詰まったなかなかの力作で、30分を超える全編にわたり楽しんで聴ける。ただ、室内楽的に聞こえない。管弦楽団の縮小版として書かれている印象だ。それと場面の切り替えによる変化がきつ過ぎて、ついていくのが大変。ただ、切り替わった先の音楽が良いので、すぐに落ち着くことができる。なお弦楽四重奏曲の2番は2楽章までしか書かれていない。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/グリーグ


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html#c4

[近代史3] グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 中川隆
5. 中川隆[-13619] koaQ7Jey 2020年2月22日 15:58:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-137]
ボニー


Barbara Bonney; "Solveig's cradle song"; No. 26; Peer Gynt; Edvard Grieg



Barbara Bonney--soprano-
Neeme Järvi--conductor
Gothenburg Symphony Orchestra
1987

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html#c5
[近代史3] グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 中川隆
6. 中川隆[-13618] koaQ7Jey 2020年2月22日 16:06:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-136]

ボニー

Barbara Bonney; "Solveig's Song"; Peer Gynt; Edvard Grieg



Barbara Bonney--Soprano
Neeme Järvi--Conductor
Gothenburg Symphony Orchestra
1987

_________


Barbara Bonney "Solveig's Sang" Antonio Pappano Edvard Grieg



Antonio Pappano Conductor
Music Director, Royal Opera House, Covent Garden
Music Director, Accademia Nazionale di Santa Cecilia

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html#c6
[近代史3] グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 中川隆
7. 中川隆[-13617] koaQ7Jey 2020年2月22日 16:08:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-135]

ボニー

Barbara Bonney; "Solveig's Songs"; No.19; 23; 26; Peer Gynt; Edvard Grieg




Barbara Bonney--soprano-
Neeme Järvi--conductor
Gothenburg Symphony Orchestra
1987

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html#c7
[近代史3] グリーグ 『ペール・ギュント』 中川隆
1. 中川隆[-13616] koaQ7Jey 2020年2月22日 16:31:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-134]

グリーグ 劇付随音楽「ペールギュント」第1、2組曲 〜ぶらり北欧の旅〜 : ハルくんの音楽日記 2009年4月28日
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-f58b.html


Peer Gynt Suite No. 1, Op. 46: I. Morning Mood


Peer Gynt Suite, No. 1, Op. 46: IV. In The Hall of The Mountain King


Conductor: Ari Rasilainen
Orchestra: Norwegian Radio Orchestra
Released on: 2018-11-30




「ペールギュント」は誰でも知っているほど有名ですね。
僕が中学校の頃には音楽授業の鑑賞曲でしたし、「朝」という曲はいたるところでBGMに使用されています。でもこの話の内容は結構支離滅裂なのですよ。
というよりも主人公のペール・ギュントはとんでもない男なのです。話の内容を引用してみますと・・・・

落ちぶれた豪農の息子ペール・ギュントは母親と暮らす夢ばかり見ている男。かつての恋人イングリッドを結婚式から奪取して逃亡する(まるで「卒業」だね。)ところがじきにイングリッドに飽きて捨ててしまう。それからまた他の娘と婚礼寸前までゆくが逃げ出してしまう。さらに純情娘ソルヴェイグと恋に落ちるが彼女をおいてまた放浪の旅に出てしまう。山師になって金をもうけては無一文になったり、精神病院に入って皇帝になった気になってみたりするが、結局は年老いて帰郷する。ペールが死を意識して歩いていると、あるボタン職人に出会う。このボタン職人というのは実は、死んで天国に行くような善人でもなく、地獄に行くような悪人でもない「中庸」の人をボタンに溶かしこむのが仕事の職人だった。それを知ったペールはボタンには成りたがらず、自分は善悪を問わず中庸では無かったことを証明してもらおうと駈けずりまわる。ところが誰もそれを証明してはくれない。けれども最後の証人として会ったソルヴェイグは彼に子守唄を歌い、それを聞きながらペールは永眠する。

と、ざっとこんな話です。もしも最後にフーテンの寅さんがペールに会ったら何と言うでしょうね。「そうかい、そうかい。おっちゃんは随分苦労してきたんだねえ。でも安心しな。おてんとうさんはみんな分かっていなさるよ。」こんな優しい言葉をかけてあげるのではないでしょうか。

さて、この音楽を聴くのに素晴らしい演奏が有るのでご紹介します。

アリ・ラシライネン指揮ノルウェー放送管(1996年録音/ワーナーミュージック盤) 

有名曲だけに昔から多くの指揮者が大オーケストラと録音していますが、それらはまずほとんどが大げさで派手な演奏です。その点、この自国ノルウェーのオーケストラは響きが一味違います。「朝」のなんという爽やかさでしょう。空気感が全然違うのです。

カラヤン/ベルリン・フィルだと「朝だぞ〜!日の出を拝みにさっさと出て来い〜!」という感じなのですが、同じ北欧のフィンランド出身のライシネンが指揮するこの演奏では、静かに優しく声をかけられて気持ちよく目が覚めてゆく感じなのですよ。

「オーゼの死」もたいていはぶ厚い弦楽群がこれでもかと大げさに歌い上げますよね。ラシライネンはそうではなく、静かに、しかし心を込めて歌います。なので悲しみの深さが余計感じられるのです。

「アニトラの踊り」はうって変わってセンス抜群ですし、「山の魔王の宮殿で」は決してこけおどしでない迫力が最高です。終曲の「ソルヴェイグの歌」では淡々とペールの帰りを待ちわびる心を歌い上げます。

どうぞ「こんな中学校の鑑賞曲など今更聴かないさ」とおっしゃられる人にこそこの演奏を聴いて頂きたいと思います。たまたま一度お会いしたことも有る音楽評論家の許光俊さんが「クラシック名盤バトル」の中でこのCDを取り上げているのを見たときにはわが意を得たりでした。あの先生は結構キワモノ(?)を推薦することが多いですが、これぞという推薦盤もあるので注目はしています。


コメント

そういうお話だったんですかw(゚o゚)w
「朝」だけを聴いているととてもそんな風には・・・いやぁ驚きました。
しょーもない男だね〜〜┐(´д`)┌ヤレヤレ
でも西洋ものって放蕩三昧というか放浪の最後にかつて愛して捨てたはずの女性に魂を救われるってパターンが多くないですか・・・
聖母愛とかマドンナ崇拝ってものの延長線上にあるような気がするのですが。
神の恩寵によって救われるのでは宗教色が強くなるというか教訓めいてくるというか・・・それでは劇にならないので、神の代理としての聖母崇拝。そしてマドンナ。
まぁこれは私の勝手な憶測ですが。
これは聴いてみたくなりました。。。
私はこーゆーしょ〜もない男の話がワリと好きなんですよ。
投稿: ペール・ギュントって | 2009年4月28日 (火) 21時26分



いやー、女性はやっぱり男性にとってはいつでも母の存在ですよ。普段はリードしているつもりでも、ちょっと落ち込んだ時なんかは甘えたくなりますもの。ただし本当に甘えさせてくれるかどうかは別ですけど。(苦笑)
ほうら、はるりんさんもこーゆーしょ〜もない男性が案外好きでしょう?やっぱりマドンナなのですよー。
投稿: ハルくん | 2009年4月28日 (火) 21時39分


(笑)・・・
まあペール・ギュントだけでなく、レミンカイネンも、スサノオノミコトも、冷静に考えれば手が早くてしょうもない野郎と言えるでしょうね。こういう男が出てくるのはヨーロッパの話だけでないのかもしれません。確かに説話では、身を滅ぼして母親に拾われるという結末が少なくないですね。聖書に出てくる放蕩息子は父親の元に帰りますが、これは「神の元に帰れ」という例え話だから仕方がないでしょう。
ところでカール・シュルヴィッツという人の「夜明け」という絵本があります。ノルウェーの暗い冬が明ける頃のこと、闇の中をお父さんに連れられて峠まで行くと、日の出が見えた!という話です。ぜひペール・ギュントの「朝」を聴きながらご覧ください。
投稿: かげっち | 2009年4月28日 (火) 21時51分



はるりんさん、僕はもともと「本場もの」が好きなのですよ。料理と同じなのです。微妙な味付けってやっぱり本場の職人と食材でないとなかなか出ないでしょう?
北欧料理は北欧で食べたいし、イタリア料理はイタリアで、フランス料理はフランスで、スペイン料理はスペインで、讃岐うどんは香川県で食べたいと思うのです。いたって単純なことなのです。
ですので音楽も北欧ものに限らず大抵は本場、自国演奏家のものが好きなのですよ。味わいの違いって絶対に有ると思います。
投稿: ハルくん | 2009年4月28日 (火) 22時13分


「ペールギュント」は学校の音楽の時間の鑑賞曲のため、たいへん損をしている作品と思います。組曲形式での演奏のイメージが強いのでしょう。イブセンの戯曲への付随音楽であるという事を忘れがちだと思います。原曲で聴くと全く印象が違って聴くことができます。
第1曲の第1幕への前奏曲もペールとソルヴェーグのその後を暗示しているような音楽ですし、「山の魔王の宮殿で」はコーラス入りで聴くと組曲と比べて全く印象が違います。また「ソルヴェイグの歌」はやはりソプラノの独唱でソルヴェイグの思いを切々と歌い上げた歌入りで聴きたいものですし、最後の音楽(第26曲)の「ソルヴェイグの子守歌」は本当にしんみりします。
私は持っているCDは残念ながら本場物ではなく心苦しいのですが、ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団の20曲が収録されている全曲からの抜粋盤です。(デッカ)
解説もしっかりとしており重宝しています。
アリ・ラシライネン指揮ノルウェー放送管の録音は組曲形式でしょうか?
全く知りませんでした。北欧のサウンドで「ペール・ギュント」を聴いてみたいものです。
投稿: オペラファン | 2009年4月28日 (火) 23時42分



ラシライネン/ノルウェー放送は残念ながら組曲盤なのですよ。でもそれを補うだけの本場ものの良さが有ると思います。
ブロムシュテット/サンフランシスコはシベリウスでとても素晴らしい演奏をしていましたからグリーグも良さそうですね。
出来ることなら話の筋を順に追って声楽入りで聴きたいものです。
投稿: ハルくん | 2009年4月29日 (水) 00時02分


ブロムシュテット、サンフランシスコ響は私も持ってます。
実は「ペールギュント」は「朝」と「ソルヴェイグの歌」しか知らなかった。
それがカラヤン、ベルリン・フィルで第2組曲形式であることを初めて知ったのです。ちなみにカラヤンはウィーン・フィルで組曲を抜粋して取り上げてます。
ブロムシュテットは北欧音楽のスペシャリストとも言われています。「ペールギュント」の劇版はこれしか持っていませんが、手を抜かないサウンドで臨場感があります。
投稿: eyes_1975 | 2009年4月29日 (水) 23時22分



劇版の全曲盤CDは他にヤルヴィ/エーテボリも有りますね。
それに自国ノルウェーのベルゲンフィルの録音も有るようなので私としては大いに気になります。
やはりこの曲は北欧の演奏家で聴きたいところです。
投稿: ハルくん | 2009年4月30日 (木) 06時04分


『春の祭典』『親愛の声』に引き続き、またしても図書館で良いCDを聴くことができました。
ここで紹介されているラシライネン盤です。
もっとも、演奏そのものは同じですが、CDは違います。morokomanが聴いたCDのカップリングはノルウェーの後発の作曲家セーヴェルーの『ペール・ギュント組曲』です。
つまり、新旧のノルウェーの作曲家による『ペール・ギュント組曲』が、1枚のCDに収録されているという面白い企画のCDです。
ですが、ここはラシライネンの演奏について書きたいので、グリーグの作品のみ取り上げます。

>有名曲だけに昔から多くの指揮者が大オーケストラと録音していますが、それらはまずほとんどが大げさで派手な演奏です。その点、この自国ノルウェーの演奏家はアプローチが一味違います。「朝」のなんという爽やかさでしょう。空気感が全然違うのです。カラヤン/ベルリンフィルだと「朝だぞ〜!日の出を拝みにさっさと出て来い〜!」という感じなのですが、ラシライネンだと静かに優しく声をかけられて気持ちよく目が覚めてゆく感じなのですよ。「オーゼの死」もたいていはぶ厚い弦楽群がこれでもかと大げさに歌い上げますよね。ラシライネンはそうではなく、静かにしかし心を込めて歌います。なので悲しみの深さが余計感じられるのです。「アニトラの踊り」はうって変わってセンス抜群ですし、「山の魔王の宮殿で」は決してこけおどしでない迫力が最高です。終曲の「ソルヴェイグの歌」は淡々と慈しみに満ちていて、死に行くペールの心を慰めます。(ハルくん様)

ラシライネン盤については、全くハルくん様と同意見ですね。余計な装飾もハッタリもない、必要不可欠な力しか入れないが故に「本物」が滲み出る名演です! 

ハルくん様がお持ちのCDには、ラシライネンの顔写真は掲載されていますでしょうか? morokomanが聴いたCDでは写真がありました。見てビックリ! いかつい感じの、ボクサーとかレスラーとか言った方が納得できる雰囲気を持った人ですね。(^^;) 人は見かけに寄らないと申しますが、その言葉が証明できる写真ですよ。

また、文章を読む限り、ハルくん様はラシライネンをノルウェーの人であると思ってらっしゃるようですが、「○○ネン」となっていることから、morokomanは「ノルウェー人ではないのでは? ノルウェーだったら○○センになるはず!」「○○ネンはフィンランドの名前だから、ラシライネンはフィン人だ」と思っておりました。
確認するとその通りで、フィンランドの出身ですね。もしかすると指揮法をパヌラから学んだのかもしれません。その可能性は充分ありますね。どちらにせよ、本当にフィンランドの人材の豊富さには、目をみはらされるものがあると思いますね。(^^) 
投稿: morokoman | 2012年10月23日 (火) 21時44分



おっしゃるとおり、てっきりアリ・ラシライネンはノルウェー人だとばかり思い込んでいました。確かに、この人はフィンランドの出身ですね。いかつい(鼻の潰れたような?)ボクサー顔は典型的なフィン族の顔ですね。
パヌラ教授に指揮を習ったのも間違いはなさそうです。またしても教授のお弟子さんの名指揮者が増えましたね。
投稿: ハルくん | 2012年10月23日 (火) 22時06分


>この自国ノルウェーのオーケストラは響きが一味違います。

全くその通りですね。
でも、だからこそ少し悔しい思いがします。組曲ではなく、ぜひ全曲抜粋盤を出して欲しかったです。
と言うのは、これほどの演奏が出来るのでしたら、是非「序曲(第1幕への前奏曲)」と「ソルベイグの子守歌」を聴きたかったですね。
序曲(第一幕への前奏曲)では、その途中で、ノルウェーの民俗楽器であるハルダンゲル・フィドルの奏法を思わせる、素晴らしい独奏がヴィオラで演奏されます。
morokomanはこれをバルビローリ/ハルレ管弦楽団の演奏で聴き、大変感激しました。
ぜひこの部分はノルウェーのトップの演奏家で聴いてみたいのです。バルビローリ盤以上の感激が味わえるのではないでしょうか?
それと、最後の「ソルヴェイグの子守歌」。「ソルヴェイグの歌」とは違う曲です。これもバルビローリ盤で聴き、あまりの素晴らしさに涙が出ました。なぜグリーグがこれを組曲で外してしまったのか、不思議です。
morokomanがグリーグだったら、「アラビアの踊り」は外してそこに「ソルヴェイグの歌」を入れ、「ペール・ギュントの帰郷」の後に「ソルヴェイグの子守歌」を入れますね。
それはともかく、これもノルウェーの演奏家達の演奏で聴きたいです。
この2曲が入っていないのが、返す返すも残念です。
投稿: morokoman | 2012年10月23日 (火) 23時06分



そうですね。全曲盤は本当に録音が少ないですね。
しかもノルウェーの演奏家でとなると、ほとんど有るような無いような。
この曲は、やはりオスロフィルかベルゲンフィルで聴きたいところです。
僕は「アラビアの踊り」は結構好きなんですけど(汗)、「ソルヴェイグの子守歌」は入れて欲しかったですね。劇の結末として重要ですからね。
投稿: ハルくん | 2012年10月23日 (火) 23時48分


ハルくん様
日を改めまして、続きです。(^^)
ペール・ギュントに関しては、これからもあまり話題になることは無いと思いますので、どうかお付き合いください。

>僕は「アラビアの踊り」は結構好きなんですけど(汗)

ありゃりゃ……(^^;)。
でも、シベリウスの『ペルシャザールの饗宴』もそうなんですが、やっぱり「北欧版の中近東音楽」なんですね。少し嘘っぽさを感じてしまうので、この「アラビアの踊り」は外したら……などと思ってしまったのです。
ですが、ハルくん様に敬意を表し、以下に書き改めます。

「morokomanがグリーグだったら、第1組曲の最初に「序曲」を加え、第2組曲の終わりに「子守歌」を加え、両組曲とも5曲にします。」 
これだったら大丈夫ですね。(^^)

それから、ハルくん様の記事に移ります。
>もしも最後に寅さんが彼に会ったら何と言うでしょうね。(略)こんな優しい言葉をかけてあげるのではないでしょうか。(ハルくん様)
ハルくん様は優しいなぁ……。
実は若き日のグリーグがこの劇音楽を依頼されたとき、
「こんな奴(ペール)は嫌いだ!」
と言ったそうな。内心この仕事は意に沿わなかったのではないでしょうか。それでもこれだけの曲を作ってしまうのはさすがですけど。かなり苦しんだという記録が残っていますね。

>ペールが死を意識して歩いていると、あるボタン職人に出会う。
このボタン職人のことは知りませんでした。「ペール・ギュント」を扱ったCDの、どの解説書にも紹介されていないからです。
実に不気味な存在ですね。絶対人間ではありませんね。「中庸」の人をボタンに溶かしこむなんて……。ファンタジー小説の元祖とも言える、ロード・ダンセイニ(アイルランドの作家。『指輪物語』のトールキン、『ゲド戦記』のル・グィン、『クトゥルー神話』のラブクラフトなどに絶大な影響を与えた人物)の創作神話やファンタジー小説に出てきそうな存在です。想像するだに恐ろしい、実に気になる人物ですね。
このボタン職人について、もっと情報をお持ちでしたら、ぜひお教えください。
投稿: morokoman | 2012年10月24日 (水) 22時06分


なるほど、5曲構成の組曲版!これは通常の組曲版よりも絶対に良いですね。誰かレコーディングしませんかね。
いや僕が優しいと言うよりも、寅さんが優しいのです。これは映画の中で聴いたようなセリフです。故郷を離れて放浪する者同士の共感を想像させるので、こんなセリフを思いつかされました。
この記事を書いた時に、ボタン職人のことをどこで読んだのかは、すっかり忘れてしまいました。(汗)
ですので、申し訳ないのですが、この他に情報は知りません。
しかし本当に恐ろしい存在ですね。「中庸」の人がボタンにされてしまうなんてねぇ。
投稿: ハルくん | 2012年10月24日 (水) 23時22分


>なるほど、5曲構成の組曲版!これは通常の組曲版よりも絶対に良いですね。誰かレコーディングしませんかね。

やって欲しいですね〜。しみじみそう思います。

>故郷を離れて放浪する者同士の共感を想像させるので、こんなセリフを思いつかされました。

そうですね。確かに放浪者ならではの「共感」はあると思います。待ってくれる人−ソルヴェイグやさくら−もいますしね。

>ですので、申し訳ないのですが、この他に情報は知りません。

う〜む、残念。しかしペール・ギュントの資料に当たる機会は出てくるでしょうから、その時調べてみることにします。興味をかきたてて下さる貴重な情報、どうもありがとうございました。

そして最後にハルくん様の記事に今一度戻ります。
>どうぞ「こんな中学校の鑑賞曲など今更聴かないさ」とおっしゃられる人にこそこの演奏を聴いて頂きたいと思います。

確かに一聴の価値ある演奏でした。ハルくん様と図書館に感謝! ですね。(^^)
「中学校の鑑賞曲」−確かにそうですね。いえ、現在なら「母と子のコンサート」でも取り上げられそうな曲です。非常にわかり易い曲ですから。
ですが、morokomanのような人間にとっては、グリーグと言えば「ペール・ギュント」と言う現在にいたる状況は、極めて不満です。
グリーグには後年、『交響的舞曲集』という大傑作を作曲しています。初めて知った時はぶっ飛びました。
「なんでこれが演奏されないんだ!!」

と思ったものです。「ペール・ギュント」の世俗的な人気の陰に隠れてしまって光が当たらないんだとしたら−おそらくそうでしょうが−「ペール・ギュント」が憎たらしくなってくるんですよ。(^^;)

評論家の宇野先生がシベリウスの第2番を悪ざましに罵る気持ちが、実に良くわかるんですよ。ひとつの突出した人気作品のおかげで、真の傑作がスポイルされてしまうことへのいらだたしさ。宇野先生もmorokomanも、共通して持っている感情です。
投稿: morokoman | 2012年10月24日 (水) 23時45分



「交響的舞曲集」って、そんなに凄い曲でしたっけ?
それほど真面目に聴いていませんでしたので、今度聴き直してみます。
宇野功芳先生は実際に2、3度お話をしましたし、非常に影響を受けた評論家です。
「シベ2を聴くくらいならシベ1を聴くべきだ」という評論ですね。
正直、これには余り賛同していません。

そりゃ4番以降の曲は、2番と比べたら深さが雲泥の差ですよ。
でも2番もやはり良い曲ですし、1番がそれよりも格段に上だとも思っていません。有名で親しみ易い2番から入門して徐々に後期の曲の深みにはまってゆくのが問題あるのかなぁ。

モーツァルトだって、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」から入って少しも悪いことは無いと思うのですよ。
投稿: ハルくん | 2012年10月25日 (木) 22時02分



>「交響的舞曲集」って、そんなに凄い曲でしたっけ?

おおお〜、さすがハルくん様! 『交響的舞曲集』をご存知だとは! (^o^)
嬉しいですね〜。ご存知ない方が沢山いらっしゃるんですよ。(と言うか、よほどのマニアでなければ知らないと思います)
ですから、
morokomanが「グリーグの最高傑作は『交響的舞曲集』である!」と心の底から確信に満ち溢れてキリッと断言しても、
ほとんどの方は、「は? なにそれ?」
……ということの繰り返しで、会話にすらなりません(涙)。ハルくん様のように「そんなに凄い曲でしたっけ?」という反応があるだけでもありがたいです。
今ハルくん様が特集を組んでおられるブラームスとはちがい、とにかく知られていません。「は? なにそれ?」の多さには「マイナーの悲哀」を感じてしまいますね。
『交響的舞曲集』だけではありません。グリーグも、知られざる傑作はかなり多いです。ご存知のものもあるでしょうが、例えば弦楽四重奏曲やヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ、ピアノ・ソナタと言った室内楽や器楽曲などなど。
音楽メディアには「もっともっとこうした作品に光をあててくれよ〜」と願っているのです。
>それほど真面目に聴いていませんでしたので、今度聴き直してみます。
ええ、ぜひぜひ。ハルくん様の気がむいた、お暇な時にでも(^^)
でも、受け止める感想は人それぞれですから、ハルくん様が例えば
「聴いてみたけど、やっぱり大したことのない凡作だった」
という感想を仮りにもたれたとしても、それはそれで立派なご意見です。morokomanは尊重いたします。

>宇野功芳先生は実際に2、3度お話をしましたし、非常に影響を受けた評論家です。
そうですか〜。それは羨ましいですね。(^^)

>「シベ2を聴くくらいならシベ1を聴くべきだ」という評論ですね。正直、これには余り賛同していません。
申し訳ありません。この評論ではありません。どうも誤解をさせてしまったようで……。これは私の書き方が悪かったです。言葉が足りず、私の不徳と致すところです。(^_^;A
もっと詳しく書きたいのですが、そうするとえらく長くなりますし、グリーグの記事とも離れますので、後日場を改め、整理した上で書きたいと思います。
ちなみに、ハルくん様の
>でも2番もやはり良い曲ですし、1番がそれよりも格段に上だとも思っていません。
は、morokomanも「おっしゃるとおりです」と賛同いたします。
>有名で親しみ易い2番から入門して徐々に後期の曲の深みにはまってゆくのが問題あるのかなぁ。
についても、「全く問題ありません」というのが私の意見です。あとの「アイネ・クライネ……」で例えたことについても全く同じ気持ちなのです。
では、なんだ? ということでしょうが、この場はまず、言葉が足りずに誤解をさせてしまったことを、深くお詫び申し上げます。
話は違いますが、今取り組んでおられるブラームスの特集、とても楽しみにしております。(^^)
投稿: morokoman | 2012年10月26日 (金) 21時23分



グリーグが好きな方は恐らくどの曲を聴いても受け入れられると思いますね。
シベリウスの場合も同じです。
その点で、実際はmorokomanも同じご意見のようでしたので安心しました。
ありがとうございます。今年はブラームスの余りポピュラーでない曲も取り上げたいと思っています。
投稿: ハルくん | 2012年10月26日 (金) 23時00分


「ペールギュント組曲第一番」は小学校の鑑賞の時間に聴いた覚えがあります。子供の時はお友達のいる中で聴くので知る程度でしたが、大人になってから改めて聴いてみると味わい深いものです。「オーゼの死」の曲は、楽譜は見ていませんが、四分音符、四分音符、二分音符というの単純なリズムなのに、音型の変化で、ペールが母親を亡くした深い悲しみ、(さめざめと泣く、慟哭など)そして死に接した厳粛な空気までも感じられて何てすごい作品なんだろう!と思っています。弦楽器の表現力のなせる技なのでしょうか。
ハルくんさんのようにいろいろな方の演奏を聴いて、心の動きや場の雰囲気を更に深く聴き取っていけたらいいなと思いました。
投稿: オンディーヌ | 2013年3月 9日 (土) 21時53分


オンディーヌさん、こんばんは。
今日は本当に暖かかったですね。正に春たけなわという気分です。
「オーゼの死」いいですよね。弦楽合奏の表現力の凄さをつくづく感じますね。バッハの「G線上のアリア」も凄いですが。
ペールギュントは「朝」も「ソルヴェイグの歌」もみな大好きなんです。聴き易くて飽きが来ないというのは本当の名曲ですね。
投稿: ハルくん | 2013年3月 9日 (土) 22時27分
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-f58b.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/933.html#c1
[近代史3] グリーグ 『ペール・ギュント』 中川隆
2. 中川隆[-13615] koaQ7Jey 2020年2月22日 16:46:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-133]

ネーメ・ヤルヴィ

Neeme Jarvi Grieg - Peer Gynt (1987) Gothenburg SO


Edvard Grieg (1843-1907)
Peer Gynt op. 23
(Auszüge · Excerpts Extraits · Brani scelti)

(00:00:00) 1. At The Wedding
(00:05:02) 2. The Abduction Of The Bride, Ingrid's Lament
(00:08:52) 3. Peer Gynt & The Herd-Girls
(00:12:52) 4. Peer Gynt & The Woman In Green
(00:14:46) 5. In The Hall Of The Mountain King
(00:17:40) 6. Dance Of The Mountain King's Daughter
(00:19:29) 7. Peer Gynt Hunted By The Trolls
(00:22:52) 8. Åse's Death
(00:26:42) 9. Morning Mood
(00:30:56) 10. The Thief & The Receiver
(00:32:16) 11. Arabian Dance
(00:37:09) 12. Anitra's Dance
(00:40:50) 13. Peer Gynt's Serenade
(00:44:00) 14. Solveig's Song
(00:49:01) 15. Peer Gynt At The Statue Of Memnon
(00:51:08) 16. Peer Gynt's Homecoming
(00:53:27) 17. Shipwreck
(00:55:08) 18. Solveig Sings In The Hut
(00:56:53) 19. Night Scene
(01:03:44) 20. Whitsun Hymn- Blessed Morn
(01:04:58) 21. Solveig's Cradle Song

Barbara Bonney, soprano
Marianne Eklöf, mezzosoprano
Urban Malmberg, bariton
Gösta Ohlin's Vocal Ensemble
Pro Musica Chamber Choir

Neeme Järvi
Gothenburg Symphony Orchestra
June, 1987


グリーグ 劇付随音楽「ペール・ギュント」全曲 ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団:
ハルくんの音楽日記 2013年2月23日
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-9e14.html

フィンランドのシベリウスと並んで北欧を代表する作曲家といえば、ノルウェーのグリーグですね。シベリウスの音楽が「春が近づいてきた冬の終わり」だとすれば、グリーグの音楽は「冬の寒さが遠ざかってゆく早春」というイメージです。その温度感の差は、両国の気候そのものの違いでもあります。

そのグリーグの代表作の一つ、劇音楽「ペール・ギュント」については、以前「ペール・ギュント第1&第2組曲」の記事にしました。広く親しまれている組曲版で、ラシライネンとノルウェー放送響の素晴らしい演奏をご紹介しました。

ラシライネンの演奏が余りに素晴らしいので、これまで特に全曲盤を聴こうとも思わなかったのですが、ブログお友達のmorokomanさんから、全曲盤の素晴らしさを教えて頂いたこともあり、演奏の期待できそうなCDを入手しました。

ネーメ・ヤルヴィとエーテボリ交響楽団の演奏です。
この演奏は完全原典版として、グリーグが書いた全ての曲を網羅しています。

ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団(1987年録音/グラモフォン盤)

この演奏には当然のことながら、オーケストラ以外に歌手や語り手、コーラスが大勢参加しています。

  バーバラ・ボニー(ソプラノ)
  ウルバン・マルムベルイ(バリトン)
  シェル・マグヌス・サンヴェー(テノール)
  ルート・テレフセン(語り)
  エスター・オーリン・ヴォーカル・アンサンブル
  プロ・ムジカ合唱団、といった面々です。
 
参考までに各曲のタイトルを記しておきます。

劇付随音楽「ペール・ギュント」全曲

1.婚礼の場にて(第1幕前奏曲)
2.ハリング(第2場と第3場)
3.スプリンガル(第3場)
4.花嫁略奪:イングリの愁訴(第2幕前奏曲)
5.ペール・ギュントと山羊追いの女達(第3場)
6.ペール・ギュントと緑衣の女(第5場への導入)
7.ペール「育ちの良さは馬具見りゃわかる」(第5場の結び)
8.ドヴレ山の魔王の宮殿にて(第6場の開始)
9.ドヴレ山の魔王の娘の踊り)(第6場)
10.ペールはトロルに追い回される(第6場)
11.ペール・ギュントとベイグ(第7場)
12.オーゼの死(第3幕前奏曲)
13.朝(第4幕前奏曲)
14.泥棒と盗品買い(第5場)
15.アラビアの踊り(第6場)
16.アニトラの踊り(第6場)
17.ペールのセレナーデ(第7場)
18.ペール・ギュントとアニトラ(第8場)
19.ソルヴェイグの歌(第10場)
20.ノムノン像の前のペール・ギュント(第11場への導入)
21.ペール・ギュントの帰郷:夕方の嵐の海(第5幕前奏曲)
22.難破(第1場と第2場の間)
23.小屋でソルヴェイグが歌っている(第5場)
24.夜の情景(第6場)
25.ペンテコステ讃美歌「祝福の朝なり」(第10場)
26.ソルヴェイグの子守歌(第10場)

通常演奏される組曲版では、当然ストーリーの展開とは無関係に曲が入れ替わっています。コンサートで演奏される場合には何ら問題は有りません。但し、少しでもストーリーの展開を意識して聴こうとすれば、どうしても全曲版となります。

全曲版は、CD2枚分のおよそ85分にも及ぶ、短いオペラ並みの規模になります。全ての曲が格別の名曲だとは言えないかもしれませんが、それは大抵のオペラ作品の場合に当てはまることです。それよりも、歌が加わることにより、歌無しの組曲版とは大きく印象が異なってきます。歌やコーラスの役割がとても重要となります。たとえば、第8曲「山の魔王の宮殿にて」では、トロル(怪物)たちがペールを「殺せ!殺せ!」と荒々しく叫びながら歌うのが、管弦楽だけのときよりも遥かに不気味な雰囲気になっています。第16曲「アニトラの踊り」も歌とコーラスが入ったおかげで非常に魅惑的な曲に成りました。それ以外にも有名な「ソルヴェイグの歌」や終曲の「ソルヴェイグの子守歌」など美しい歌曲が多く含まれています。

それと、楽器で面白いのは第2曲「ハリング」ではノルウェーの民族楽器ハーディング・フェーレ(またはハリング・フェーレ)というヴァイオリンの仲間が使用されていることです。アイリッシュ・フィドルによく似た音で、北欧を感じさせてくれて楽しいです。

この演奏では、セリフ部分を歌手とは別の専門の語り手が担当しています。それほど違和感は有りませんし、むしろ迫真のセリフのやりとりが演劇性を高めていて良いです。

この全曲版を聴いていると、まるでオペラを聴いているように思えてきます。それに、ストーリー自体が元々破天荒ですので、ファンタジー冒険映画を見ているような気にもなります。この「ペール・ギュント」が舞台化や映画化されたら絶対に面白いと思うのですがね。

指揮者のネーメ・ヤルヴィは、シベリウスなどの北欧ものが大の得意ですし、グリーグの音楽への共感が強く感じられます。程よくドラマティックでありながらも決して大げさにはならず、「オーゼの死」などでは、静寂の中から哀しみを滲み出させていて感動的です。

確かに全曲版をこのような素晴らしい演奏で聴いてしまうと、管弦楽版には物足りなさを感じてしまい、中々後戻りできないかもしれません。


コメント

今回は「冷水」のグリーグですね。(笑)
確かに 雪溶け水が流れ出しているような 爽やかな音がぴったりくるように思います。
「ペール・ギュント」全曲板、私も このN・ヤルヴィ盤を聴いてきました。ヤルヴィの共感に満ちた演奏も素晴らしいですが、ソプラノのボニーの可憐な歌声がまた 良いですね。「ソルヴェイグの歌」から 讃美歌をへて 「子守歌」を歌う、最後のシーンは感動的です。
このCDだけで十分 満足ですが、 私は もう一組、ルード/ベルゲン・フィル という 真正ノルウェーの演奏のCDを聴いています。これは SACDなので オススメはできませんが ヤルヴィ盤より味わいが濃く、これも素晴らしい演奏です。ソプラノの ソルベルグの歌はボニーの"可憐さ"に対して より"母性"を感じさせ、最後の場面も より味わい深いです。
投稿: ヨシツグカ | 2013年2月23日 (土) 15時02分



こうしたジャンルは付帯音楽というのでしょうか、現代ではゲームの音楽なんかも強いて言えばそういう分野になるのかなと思います。最近はポップでも電子音楽でも非常に優秀な人がいますね。
私は全曲を通して聴いたことがありませんが、「朝」は小学校の朝礼でかかってました。「オーゼの死」はブラームスのラプソディ1番に似てますね。そういう妙なところだけはしっかり覚えているのですが。。。。しょうもないことですみません。
投稿: NY | 2013年2月23日 (土) 19時22分


ペールは全曲盤は聴いた事ないけど、この記事を読んだら聴かなきゃ損々…って気になりましたね。ペールのハチャメチャぶりに男性は呆れるのか憧れるのか?
今日はチェリストの新倉瞳ちゃんのコンサートに行ったんです。 スッゴク可愛い〜!写真より実物の方がもっとずっと可愛い〜♪ それに控えめな性格らしく、今まだまだ勉強の途中の身なのに、こうしてソロコンサートに呼んで頂いて嬉しい有難いとお話されてました。声がまた可愛い〜の。丸顔だけど身体つきは華奢で守ってあげたくなっちゃうだろうな、男性なら。
桐朋を主席卒業した実力派で若手注目株だし、才色兼備ってやつですね。今日の演奏でシューベルトのアルペジョーネ・ソナタが特に良かったです。これからどんどん経験を積んで、もっともっと良い演奏家になって欲しいですね。いや〜、それにしても可愛いかった☆☆☆
投稿: from Seiko | 2013年2月23日 (土) 19時50分



ヨシツグカさん、こんばんは。
何と言ってもベルゲンはグリーグの住んでいた街ですし、ベルゲンフィルは良い音を出しますよね。ルードも管弦楽曲全集を出しているぐらいですから、きっと良いでしょうね。
ありがとうございます。とても参考になりました、
投稿: ハルくん | 2013年2月24日 (日) 00時07分


NYさん、こんばんは。
正確には劇付帯音楽とか劇付随音楽でしょうかね。せっかくですので訂正しておきます。ありがとうございました。
でも「オーゼの死」はブラームスのラプソディ1番に似ているところ有りましたっけ?
投稿: ハルくん | 2013年2月24日 (日) 00時12分


Seikoさん、こんばんは。
さすがにペールのハチャメチャぶりに憧れるということは有りませんね。呆れるほうだなぁ。
やっぱり女性を悲しませてはいけませんよー。
新倉瞳ちゃんのコンサート良かったですね!
それほど可愛いとあっては是非とも実物を見てみたいものです。日本ではコンサートをよく開いているのでしょうか?
投稿: ハルくん | 2013年2月24日 (日) 00時28分


morokomanです。(^^)
おおっ今回はペール・ギュント全曲版ですね。(^o^)

>シベリウスの音楽が「春が近づいてきた冬の終わり」だとすれば、グリーグの音楽は「冬の寒さが遠ざかってゆく早春」というイメージです。

言い得て妙ですね。シベリウスの方が気温が低い感じがしますし。また、グリーグの音楽の方が爽やかさがありますしね。澄みきってはいるけれども、ぬくもりが感じられる優しい風がふいているのがグリーグですね。

>morokomanさんから、全曲盤の素晴らしさを教えて頂いたこともあり、

いえいえ、お言葉はありがたいのですが……(冷や汗)、自分が聴いたのはバルビローリ盤、ビーチャム盤、ノイマン盤です。ハルくん様ご紹介のヤルヴィ盤のように、劇全体を再現したような盤ではありません。「音楽だけ」を取り出した盤を三種類聴いた、というわけですね。
まだヤルヴィ盤は持っていないのです。お金が欲しいよう……(嘆き)。ヤルヴィ/イェーテボリ響は北欧音楽の定番とも言える名コンビ。一定の水準は確実にキープしていますから、とても期待できそうですね。

>それと、楽器で面白いのは第2曲「ハリング」ではノルウェーの民族楽器ハーディング・フェーレ(またはハリング・フェーレ)というヴァイオリンの仲間が使用されていることです。アイリッシュ・フィドルによく似た音で、北欧を感じさせてくれて楽しいです。

グリーグの作品にはこの「ハーディング・フェーレ」を思わせる奏法が、ヴァイオリンないしヴィオラで「ここぞ!!!」という時に、ほぼ確実に出てきます。それがものすごく効果的で、私などいつもここで感激してしまいます。弦楽四重奏曲などその最たるものですね。
あれ? 曲目を見ると、バルビローリ盤ではあった「序曲」がありませんね。もしかすると第1曲目の「婚礼の場にて」がそれにあたるのでしょうか? バルビ盤「序曲」では中間部でヴィオラの独奏が出てきて、私はものすごく感激したものですが。もしそうだったら嬉しいのですが、違っていたとしたら、あれはバルビローリ盤にしかない、貴重な音楽なのかもしれません。なんとなく「婚礼の場」=他盤の「ノルウェーの結婚行進曲」のような雰囲気が漂い、不安なのですが……。あの「序曲」が聴きたいです。
いまバルビローリ盤も、ビーチャム盤も、私の「大災難」の時に失われ、持っていないのです。バルビローリ盤はなんとか取り戻したいものです。(大泣き)
あと、ヤルヴィ盤も聴いてみたいなぁ。お金に都合がつけばの話なのですが……。図書館の係りの方が、購入してくれないかなぁ。(涙)
投稿: morokoman | 2013年2月24日 (日) 21時56分



morokomanさん、こんばんは。
先の「組曲」へのコメントを頂いたおかげで全曲版の購入を決心しましたので、とても感謝しています。
ヤルヴィ盤での第1曲は「婚礼の場にて」と記載がありますが、おっしゃられる「序曲」と同じ曲でしょうね。中間でヴィオラ独奏も有りますよ。
投稿: ハルくん | 2013年2月24日 (日) 22時17分


>ヤルヴィ盤での第1曲は「婚礼の場にて」と記載がありますが、おっしゃられる「序曲」と同じ曲でしょうね。中間でヴィオラ独奏も有りますよ。

おおっそうなのですか〜。(^O^)
なぜかバルビローリ盤にしかありませんでしたからね。ビーチャム盤にもノイマン盤にもなかったので「なんで?」と思っておりました。ヤルヴィ盤にあったのは嬉しい限りです。
バルビ盤で初めて「序曲」を聴いた時には、中間のヴィオラ独奏が、まるでノルウェーのフィヨルドや嶮峻な山岳にこだまするかのように聴こえたのです。「おおっ。これぞノルウェーの音!」などと感激したものです。
また、ヴィオラの独奏を聴いたのは、これが初めてでしたので、その時はとても新鮮でした。
呼吸が深く、心が休まる、どこか安心&安定した音がヴィオラの魅力ですね。
そうそう、ヴィオラと言えばプリムローズの『ブラームス ヴィオラ・ソナタ』を入手しました。時々聴いております。いずれ感想を書きにお邪魔いたします。(^_^)
投稿: morokoman | 2013年2月25日 (月) 21時25分



プリムローズのブラームス/ヴィオラ・ソナタを入手されたのですね。何と言っても名曲中の名曲です。
ご感想を楽しみにお待ちしております。
投稿: ハルくん | 2013年2月26日 (火) 00時06分



オーゼの死は最初の主題がブラームスのラプソディー1番のニ短調の部分に似てるかなと。。。空耳?
最近ご紹介のヴァイオリンソナタも私は知りませんでした。今度ぜひ聴いてみます。グリーグはピアノ曲がいまひとつもの足りない感じがしますが、抒情小曲集は日本人にも人気が高いですね。
投稿: NY | 2013年3月 1日 (金) 19時38分


NYさん、こんにちは。
ニ短調の部分ですか?うーん僕の耳が節穴なのかも・・・。よく聴き直してみますね。
グリーグのピアノ小品はどれも物足りない感じがしますが、そこがまた良さなのでしょうね。リラックスして聴いていられます。
ヴァイオリン・ソナタのほうは音に変化が感じられるので面白いと思っています。
投稿: ハルくん | 2013年3月 2日 (土) 09時09分


この盤、噂だけで実際に聴いてないんですよ〜、やっぱり入手したいな。
つまらないことを書きます。今回の病気で最初に受診したのはお盆明けでした。職場に戻れたのが3月。「夏は過ぎて秋過ぎて、冬も過ぎて春来たる♪」ペールを待つソルヴェイグの歌のような気分です。グリークいいなあ。
投稿: かげっち | 2013年3月 4日 (月) 12時36分


かげっちさん、こちらへもコメントありがとうございます。
ヤルヴィの全曲盤イイですよ。是非入手されてください。
ボニーの歌う「ソルヴェイグの歌」がまた素晴らしいです。
投稿: ハルくん | 2013年3月 4日 (月) 22時51分


「ペール・ギュント」全曲はブロムシュテット指揮サンフランシスコ響のCD(デッカ盤)を持っていますが、やはり北欧のオケで聴いてみたいと常に思っています。
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団には「ペール・ギュント」全曲も収録されているグリーグの管弦楽曲集のアルバムがあるので、今、狙っています。
投稿: オペラファン | 2013年3月 5日 (火) 14時43分


オペラファンさん、こんばんは。
ブロムシュテットとサンフランシスコ響のコンビはシベリウスを聴きましたが、これがアメリカの西海岸のオケかと驚くほどに北欧的な音を出していました。
ヤルヴィのグリーグも素晴らしいので、管弦楽曲集のアルバムを求めるのは良い選択かもしれませんね。
投稿: ハルくん | 2013年3月 5日 (火) 23時39分
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-9e14.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/933.html#c2
[近代史4] 国民楽派の音楽 中川隆
2. 中川隆[-13614] koaQ7Jey 2020年2月22日 16:52:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-132]

グリーグ 『ペール・ギュント』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/933.html

グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/162.html#c2

[昼休み54] 中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由 中川隆
2. 中川隆[-13613] koaQ7Jey 2020年2月22日 17:30:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-131]

2020年02月22日
米有名大学は金で学歴を「販売」 名門大学生の半分がコネと金入学


オバマの娘マリアは学力が劣っていたが、黒人枠プラス親のコネでハーバードに入学した。
1086x705
引用:https://www.thestar.com/content/dam/thestar/news/world/2016/05/01/malia-obama-to-attend-harvard-in-2017-after-she-takes-a-gap-year/malia-obama.jpg.size.custom.crop.1086x705.jpg

アメリカの大学制度を揺るがすような事態が静かに進行しています。

東大に相当する名門大学の半数はコネ入学で、3流大学に至っては金で学歴を売る広告を展開している。


アメリカ大学の不祥事

アメリカの大学の不祥事や質の低下が、相次いで伝わってきています。

一部の大学ではお金を払った留学生を無試験で受け入れ、名門大学も似たような行為をしている。

さらに大統領のトランプ氏が経営する大学では、詐欺紛いの行為で金を稼いでいた。





アメリカには1,600万人もの大学生がいて、短大生600万人超、4年生700万人超、院生200万人超となっています。

日本は約300万人なので、人口比で日本の2倍近い大学生が存在しています。

日本の大学進学率は50%超といわれていますが、アメリカは70%を超えていました。


大雑把に言ってアメリカでは子供を除く人口の5%、20人に一人が大学生で、日本は人口の3%というところです。

アメリカ人の3分の2くらいが大卒な訳で、大学を出ただけではまともな職業には就けません。

日本でいうフリーターや非正規になる人が大勢居て、社会問題になっています。


日本の大学進学率は世界41位で、いつの間には先進国最低、世界でも低い国になりました。

アメリカでは高校生のほとんどが大学に進学しますが、大学の質の低下が深刻になっています。

アメリカには留学生が100万人居て、多くの大学で10人に1人が留学生という状況です。

低学力のハーバード卒が増加

米誌によると留学生獲得競争が過熱し「願書を出せばすぐ合格」と広告を出して中国の富裕層を獲得していた。

アメリカにいる留学生の3割が中国人で、こういう広告に応募して金を払い、4年間遊んで中国に帰る。

中国人が増えた結果、中国人だけのコミュニティを大学内で作り、その中だけでしか人間関係を作らない人が増えている。


不正や替え玉試験で進級し、親からの仕送りで高級車を乗り回して、毎日遊んで暮らしているという。

こうした事ができるのはいわゆる底辺大学だけではなく、ハーバードのような超名門でも起きている。

アメリカでは差別を無くす為、国や人種、性別によって合格に「イロ」をつけていて、日本人を除くアジア人は優遇されている。


テストで日本人90点、中国人80点なら中国人を合格させているという事です。

他にも女性は男性より優遇、黒人なら優遇、難民や移民は優遇など色んな特典があり、アフリカ出身の難民女性なら低学力でも入学できる。

差別を撤廃する法律を義務化した結果、逆差別が発生しているという、どこかで聞いたような話です。


またハーバード大学のような超名門ほど「コネ入学」が効くのも事実です。

ハーバードの一般入試合格率は5%以下なのに、ハーバード卒業生の子供は33%以上あり多くが推薦入学です。

親の頭が良いと子供も頭が良いのかも知れないが、親が卒業生だと高い確率で入学できるのです。


アメリカには共通一次がなく無試験で入学させるのも可能なので、こうした事が起こります。

今や有名大学合格者の過半数は親が富裕層だったり同じ大学の卒業生で、真面目に受験して入学する人は少ないとされている。

中国からのハーバード留学生の大半を、太子党と呼ばれる共産党権力者の子供が占めているそうです。

トランプ大学

さらに大統領のトランプが以前経営していたトランプ大学では、詐欺疑惑も起こっています。

既に閉鎖したトランプ大学は不動産事業や投資のノウハウを教えると謳っていて、数百万円の授業料を取っていた。

その仕組みは無料で90分のセミナーを受けさせ、有料セミナーに勧誘し、高額コースに加入させるものだった。


大学とは言いながら卒業しても大卒資格はなく、要するにただの「セミナー商法」を大学と謳っていました。

これは論外だが、留学生相手に「アメリカ留学」の肩書きを販売する大学は存在しています。


今やハーバード大学でも、金とコネで学歴を買えるのだから、先行きが案じられている。


東京都知事や日本の有名人が時おり学歴を金で買った名ばかり留学生だったと報じられるが、世界にそんなのがゴロゴロいる。

http://www.thutmosev.com/archives/61248171.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/348.html#c2

[近代史3] 米有名大学は金で学歴を「販売」 名門大学生の半分がコネと金入学 中川隆
1. 中川隆[-13612] koaQ7Jey 2020年2月22日 17:33:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-130]

中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由


2018.12.13
ソフトバンク通信障害B アリババ=江沢民=ゴールドマン・サックス
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


さて、昨日スパイ会社ファーウェイの幹部が釈放されたそうです。
保釈金は8億だったとか。
保釈と言っても足首にGPS信号をつけさせられての保釈のようです。
そりゃスパイされまくったら困りますからね。

中国の報復の以下、カナダ元外交官を拘束が効いたのでしょうか。

中国というのはやることがエゲツない。

ちなみにこのファーウェイの幹部、孟晩舟さんがカナダで捕まった場所はバンクーバーです。

バンクーバーと言えば中国共産党の子弟が大挙して留学してる場所です。
他に、中国人留学生が多いのはアメリカのカリフォルニア州です。

知らないかもしれませんが、中国共産党の幹部の子弟達は大挙してアメリカ、カナダに留学してるのですね。
その数約100万人。

だいたい習近平の娘ですらハーバードに留学してるのですから。

それで10月に、トランプさんは中国の留学生はほとんどスパイだ!
と言ったのですたね。

中国、米国留学禁止を通達…米中貿易摩擦で米国による人質化を懸念、機密情報が中国に流出か

「Gettyimages」より
中国共産党指導部はこのほど、トランプ米大統領が「米国に来るほとんどすべての学生はスパイだ」との内容の発言を行ったことを受けて、北京や地方の党・政府組織に対して、「幹部子弟の米国留学の禁止および留学中の幹部子弟の年内帰国に関する通達」と題する内部文書を伝えたことが明らかになった。

米中貿易摩擦が激化し、両国関係が日増しに悪化するなか、党政府幹部子弟が「人質」化することや、 スパイの嫌疑をかけられて拘留されることなどを危惧するとともに、留学費用などで米国を経済的に利することを嫌ったためとみられる。

●留学生による機密情報の国外流出を懸念

米国国務省教育文化局などの調査によると、昨年6月末現在、米国の中国人留学生は前年比6.8%増の約35万人で、11年連続で増加中だ。

2016-2017年度における米国の大学の留学生数は前年比3.4%増の107万8800人だが、そのうち中国大陸部からの留学生の比率は32.5%を占めており、大半は中国における特権階級である党幹部の子弟とみられる。

同筋は「習近平国家主席の一人娘の習明沢さんがハーバード大学に留学していたのは有名だ。

で、昨日のジャック・マーさんの続きですが。

ジャック・マーさんは英語教師ですから、通訳としてアメリカに渡ってたのですね。

1995年。ジャック・マーさんはアメリカでヒントを得て、中国初の中国版イエローページを開設した。
それがアリババの始まりです。

で、ジャック・マーさんは留学中のあの江沢民のお孫さん江志成(こうしせい)さんと仲良しだったのですた。

以下が江志成(こうしせい)さんです。

確かに江沢民に似てる。

江志成さんは、2010年にハーバード大を卒業後、ゴールドマン・サックスで勤務していました。
ちなみに、父親の江綿恒さんもゴールドマン・サックスの幹部です。

で、その後、江志成さんは、香港で博裕キャピタルを設立しました。
ここには香港最大の金持ちの李嘉誠(リー・カシン)も出資した。

アリババにはこの江志成さんの博裕キャピタルが出資したのですた。

ちなみに共産党の常任委員劉雲山の子の国開キャピタルも出資しました。

つまり、ソフトバンクの孫さんがどこの馬の骨とも分からない英語教師の熱意にほだされて20億をポンと出資した。
という訳は全然なく。

ゴールドマン・サックス一派=江沢民が裏にいる。
同じ仲間だから20億をポンと出したのですた。

それにしても、なぜ中国共産党幹部の子弟がこんなにもアメリカに留学してるのでしょうか。
その理由が以下です。


中国高官たちはアメリカ移住がお好き 経済界

さて、中国高官(党・政府・国有企業で高位の人たち)や中国人大富豪は住みにくい中国大陸を捨て、移住先として、北米、特に、アメリカを目指す。 前者は、他の国・地域へ逃亡した人数を含め、計約1万8000人も及ぶという。

後者は、しばしば中国高官と関係が深い。
アリババ(阿里巴巴)のジャック・マー(馬雲)はその好例で、江沢民の孫、江志成、温家宝前首相の子、温雲松らに近いと言われる。

中国では政権が交代したら、その途端、今までの政策が一挙に変わることがある。
だから、中国高官らの地位・財産はもろくて危うい。また、大気・水・土壌・食品等の環境問題も深刻である。

そこで、中国高官や中国人大富豪は巨額のカネを入手した暁には、真っ先にアメリカへの移住を考える。

そのやり方は、

@弟を当地へ留学させる。

A愛人を当地の「愛人村」に住まわせる。

B妻が妊娠したら、当地の「出産センター」(「妊婦村」ともいう)へ送り、当地で子供を産ませる、などが考えられる。将来、自分と家族・親戚一同が移住するためである。

第1に、もし子供が米国籍を取得すれば、その両親は米国へ移住しやすい。

例えば、習近平は、彭麗媛との間の娘、習明沢を米ハーバード大学へ留学させている(2012年秋、習近平が総書記になる直前、明沢は帰国したと伝えられたが、実際は、大学卒業まで米国に滞在したようである)。また、李克強首相も娘を米国へ留学させていた。このように、党最高幹部子弟の大半が米留学している。

第2に、「愛人村」で有名なのは、米カリフォルニア州ロサンジェルス郊外のローランドハイツだろう(カナダではバンクーバー郊外にも同じような「愛人村」が存在する)。

中国高官らは、米国の永住権取得目的で豪邸を購入する。そして、愛人に財産管理をさせ、いざという時には、そこへ逃亡する算段である。 近年、中国では、愛人生活を送る若い中国人女性の暮らしぶりを描いた、薛曉?監督、湯唯主演の「北京遇上西雅図(Finding Mr.Right)」(邦題「北京ロマンinシアトル」)が人気を博した。

第3に、中国高官や中国人大富豪は、妻が妊娠して臨月間近になったら、旅行と見せかけて米国へ送り込む。そして、ロサンジェルスやニューヨークなどの大都市にある、中国人医師・看護師の待つ「出産センター」で子供を産ませる。出生地主義の米国では、その子供は必ず米国籍が取得できる。当然、その親も将来、米国籍を取得する権利が生じる。

中国共産党は、少なくても表向きは、アメリカを“敵視”している。同時に、共産党は、西側の価値観(自由や民主主義等)を明確に否定している。だが一方では、自分や家族・親戚が米国移住するための準備を着々と整えている。日本人には、この中国人の“現実主義的な考え方”がよく理解できないかもしれない。

ただ、習近平政権が誕生してから、「キツネ狩り」と称し、捜査官を米国へ派遣し、汚職高官を摘発、逮捕するよう努めている。しかし、現時点では、米中間に犯人引き渡し条約がない。中国共産党はオバマ政権に汚職高官の「ブラックリスト」を渡しているというが、その引き渡しに関しては、米国の高度な政治的判断がまたれる。

これも酷い。
日本で例えるなら自民党の幹部の子息、子女がみーんな米国留学してるってことです。

共産党の中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学とあります。



同紙は中国の特権階級が米国へ押し寄せる現象を「中国人の米国教育への憧れ」と指摘した。米国留学する中国人学生は過去15年で4倍に急増。中でも共産党高級幹部の子供たちは州立大など公立校へは行かず、ハーバード大など学費の高い有名私立大を目指すのが一般的。党の最高意思決定期間である中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学しているという。

過去の党最高指導者のうち、趙紫陽元総書記、江沢民前国家主席の孫がハーバード大に留学。留学費用の出所について唯一公開しているのは、先日失脚した薄煕来(ボー・シーライ)前重慶市党委員会書記の息子。薄前書記の正式年収は2万ドル(約160万円)足らずなのに対し、ハーバード大の学費は年約7万ドル(約560万円)だが、「奨学金と母親の貯蓄でまかなっている」と説明している。

さらに、次期最高指導者に決まっている習近平(シー・ジンピン)国家副主席の娘もハーバード大に留学中。中には仏パリで社交界デビューした高級幹部の娘もおり、世間からは「口では米国をののしりながら、子供は米国の奴隷になっている」と痛烈な批判も出ている。(翻訳・編集/AA)

まぁ、とにかくファーウェイ幹部がタイーホされ、ソフトバンクが通信障害になる。
同時期にフランスでデモが激化する。

それは中国子弟の留学組が作ったIT企業=アジアのロスチャイルド別動隊がやられてる。
経緯を知ればぜーんぶつながってると分かるというものでしょう。

書いてるうちにまた長くなってしまいますた。
次回に続きます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/934.html#c1

[近代史3] 米有名大学は金で学歴を「販売」 名門大学生の半分がコネと金入学 中川隆
2. 中川隆[-13611] koaQ7Jey 2020年2月22日 17:35:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-129]
2020年02月15日
アメリカの学生ローン地獄 破産認められず貧困に陥る人多数
米有名大学は学費だけで4年間1200万円、生活費込みで2000万円必要

画像引用:https://s10851.pcdn.co/wp-content/uploads/2015/01/Between-2014-Aug-Sep-Chart1.png


サブプライムローンと類似する学生ローン

アメリカではリーマンショック以降学生ローン残高が増加し続け、第二のサブプライムローンと言われています。

サブプライムローンとはクリントン大統領時代に始めたホームレスや浮浪者向け住宅ローンでした。

キューバや中南米諸国からの亡命者や不法難民、路上生活のホームレスにまで幅広く融資しました。


これは2000年代に日本でも「債務の証券化」などと言われて脚光を浴び、日本でも真似しようという人が多かった。

手法は路上のホームレスに声をかけて借用書にサインさせ、数千万円の新築住宅に住まわせます。

彼の借金は証券として売り出されるが、全部ごちゃ混ぜにするので元の借金主がホームレスとばれないようにしてあります。


こうして売り出されたのが金融デリバティブ商品で、高金利なので大人気で金持ちや庶民まで競って投資しました。

だが当然ながらホームレスや難民は住宅ローンを滞納するようになり、2007年7月頃サブプライムショックが起きた。

住宅ローン会社から銀行まで幅広く連鎖倒産し、翌2008年に起きたのがリーマンショックでした。


今振り返るとそうなって当たり前ですが、当時はデリバティブ商品がホームレス住宅という事実は隠されていた。

現在起きている学生ローン危機も同じようなことで、借り手は無収入の学生で、最大数千万円を融資しています。

アメリカは大学進学率が高いので、キャリアを積むには有名大学でなくてはならず、有名大学には数千万円かかるのです。


こまった事にアメリカでは日本で違法な「裏口入学」が合法で、教授に賄賂を贈って推薦して猿の子供でも有名大学に入れる。

この手口で娘をハーバードに入学させたのがオバマ大統領で、彼の娘は取材記者の間で成績が悪いので知られていた。

こうした人が居るので有名大学に入る費用は高騰し、入学してからも際限なくお金を毟られます。


アメリカには世界中から学生が集まるが、その理由の一つは「賄賂を渡せば学歴を買える」から金持ちに人気なのです。


自己破産も免責もない永久債務

2019年末のアメリカの学生ローン残高は1兆5080億ドル(約165兆円)で過去最高を更新しつづけている。

リーマンショック前は学生だった若者もとしを取り、債務者の42%が40歳以上になっています。

これは20歳前後で借りて50歳以上になっても学生ローンを払い続けている人が居るのを意味しています。


日本ではリボルビング払いが「終わらない借金」と批判されているが、アメリカでは学生ローンの方が悪質です。

アメリカには「公的債務に自己破産の免責はできない」というルールがあり、学生ローンは公的機関が貸し付けています。


つまり18歳で2000万円借りた人はどんな事があっても返済する必要があり、途中で辞めることができない。


これが住宅ローンなら住宅という資産があるので、売却すればチャラにはならなくともかなり減額される。

学生ローンは学歴を金で買うものだが、大学を卒業した人全員が高収入になるわけではない。

ここで登場するのがアメリカの住居費の高さで、ニューヨークの月平均35万円など、ほとんどの主要都市の平均家賃はワンルーム30万円以上です。


アメリカのワンルームはベッドを2つ置けるので2人で住めるが、これを1人の労働者の収入で払うのは大変な事です。

家賃だけで年400万円かかったら年収600万円でも残りは200万円、日本で例えたら実質300万円以下の収入にしかなりません。

そのうえ学生ローンで月10万円支払う必要があったら、年収700万円でもギリギリの生活になる。


年収600万円のホームレスが居る国

しかも大学を卒業しても年収300万円とかの人も居る訳で、この人たちは収入の多くを学生ローンで差し引かれます。

こんな状況なので有名大学を卒業して年収600万円程度なのに、シリコンバレーで働き路上生活や車上生活を送る人が居ます。


アメリカの主要都市の平均家賃が30万円以上で日本は10万円以下という事は、アメリカ人の年収は250万から300万円差し引いて考える必要がある。


有名企業は都市にあるのでそこで働く人は家賃30万払っていて、さらに学生ローンがのしかかるのです。

1人あたりの借金は平均約3万ドルで、大学卒業時点で300万円の借金を抱えてスタートする。

学生ローン残高は10年前の2倍に拡大し、自動車ローン(1.33兆ドル)やクレジットカードローン(0.93兆ドル)より多い。


学生ローンが自動車や住宅と違うのは、車や家は収入や貯蓄ができた後で買うのに対し、無収入の学生に数百万から1000万以上貸し付けている点です。

学生は将来高収入になる「可能性」があるものの、貸し付けた時点ではホームレスと同じ無職で無収入にすぎない。

日本でも奨学金を返せない人が問題になっているが、日本では奨学金理由の自己破産免責は可能です。


アメリカの学生ローンがいかに悪質か想像できる。
http://www.thutmosev.com/archives/82199157.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/934.html#c2

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
138. 中川隆[-13610] koaQ7Jey 2020年2月22日 17:36:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-128]
米有名大学は金で学歴を「販売」 名門大学生の半分がコネと金入学
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/934.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c138
[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
28. 中川隆[-13609] koaQ7Jey 2020年2月22日 17:51:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-127]
ダイヤモンド・プリンセス号船内でのずさんな感染対策 岩田健太郎教授が指摘
2020年2月22日

 昨年12月に中国湖北省武漢で新型コロナウイルス(COVID-1 9)の発生が報告されて以来、日本をはじめ世界各地で感染の報告が続いている。日本では横浜港に着岸した大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」(英国船籍)船内での集団感染が確認され、感染者の医療機関への搬送が連日続いている。また、ウイルス検査で陰性だった3700人は船内に強制隔離され、そのうち乗客443人が14日間の健康観察期間を終えて19日に下船した。船内での感染対策を管轄する厚生労働省が情報を出さないなか、船内に入った専門家が感染者が拡大している船内の感染対策のずさんさについて強い警鐘を鳴らしている。

乗客が撮影した船内の様子

 ダイヤモンド・プリンセス船内にいる新型コロナ感染者数は、5日時点では10人だったが、検査結果が発表されるたびにその数は増し、19日現在で621人以上(うち322人は無症状)にのぼっている。中国以外では最大の感染者数となり、検疫官、看護師、20日には船内で事務作業をしていた厚労省と内閣官房の職員計2人(いずれも30代)にも感染が確認された。また同日、入院して治療中だった乗客の80歳代の男女2人が死亡した。

 このなかで18日、感染症の専門家でアフリカでのエボラ出血熱や中国のSARS発症現場での活動経験を持つ岩田健太郎・神戸大学病院感染症内科教授が、前日に乗船許可をもらって入った船内の光景を「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機。なぜ船に入って1日で追い出されたのか」と題する動画(後に削除)にして発信した。

 岩田医師は動画の中で、船内に「(日本)環境感染学会が入り、FETP(国立感染症研究所の実地疫学専門家養成コース)が入ったが、あっという間に出て行き」、日本政府が情報を出さないため、「中がどうなっているかよく分からないという状態」であったが、現実には「どこが危なくてどこが危なくないのか全く区別がつかない」「常駐しているプロの感染対策の専門家が一人もいない」悲惨な状態であることを明かして改善を求めた。この告発を受けて政府は「最大限感染が広がらないように対応している」(菅官房長官)と反論し、加藤厚労相も「船内の分離はできている」と正当性を主張したが、現実に乗客や医療従事者の感染に歯止めはかかっていない。以下、岩田医師の報告と指摘を概括して紹介する。

◇−−−−−−◇−−−−−−◇

 感染症対策の現場では、ウイルスがいない「グリーンゾーン」と、ウイルスが存在する可能性がある「レッドゾーン」を明確に分離することが鉄則だ。レッドでは、PPE(防護服)を着用して完全に防護をする。グリーンでは、ウイルスが付着している可能性がある防護服は脱がなければならない。この区分けを明確にし、防護服の着脱もこの間できちんとやることが基本だ。だが、クルーズ船内ではグリーンゾーンで防護服を着て歩いていたり、レッドゾーンでも普通の服のままマスクだけで歩いている人もいる。

 感染の可能性がありながら医療用マスクを付けずに歩いているクルーもいる。また熱のある人が自室から医務室に歩いて行くことも通常で、患者の搬送場所でも感染者の隣を背広の人間が歩いている。レッドとグリーンが混在するという時点で、もう誰が感染してもおかしくない。これは感染症の集団発生に対する対策として一番危険な状態だ。

 船内で従事するDMATや厚労省職員、検疫官たちがPCR(法の検査)で陽性になるのも当然といえる状態だ。私自身も感染の可能性を排除できない。船内のスタッフに聞くと「自分たち感染するなと思っている」といわれて驚いた。感染症の現場でミッションに出るときはまず医療従事者の身を守るというのが大前提であり、自分たちのリスクを放置して患者や一般の人に立ち向かうというのは御法度だからだ。環境感染学会やFETPが入って数日で撤退したのも、彼らがみずからの身を守れないと判断したからではないかと考えられる。

 そもそも常駐しているプロの感染対策の専門家が船内に一人もいない。意志決定をしているのは厚労省の官僚たちで、専門家がいても進言できないし、進言しても聞いてもらえない。私も厚労省のトップに相談すると「なんでお前がこんなところにいるんだ」と冷たい対応をされた。会議で体制の見直しを提言しようとしていたところ、突如連絡が来て「お前は出て行きなさい」ということになった。

 DMATの職員は災害医療チームであり、感染症のプロではない。専門領域が違うので感染対策がわからないのは無理もない。感染を防ぐ方法があるのだが、それが知らされず、彼らは耐え難いほどのリスクの状態にいる。医療従事者である彼らは、帰れば自分たちの病院で仕事をしなければならず、このままでは院内感染が広がってしまいかねない。アフリカや中国と比べても全然ひどい感染対策をしている。アフリカのシエラレオネなんかの方がよっぽどマシだった。

 私は船内に入るまで、日本にCDC(疾病予防管理センター)がないとはいえ「専門家がリーダーシップをとって、もう少しちゃんと感染対策のルールを決めてやっているだろう」と思っていたが現実はまったく違った。感染対策を完全に仕切るチームや指揮系統がなく、すべて厚労省にお伺いを立てなければならない。指揮系統の中心に専門家がいないのだ。

 アフリカでのエボラ対策のときは、感染の予防チームが専門家で構成され、専門家の提案がそのまま意志決定につながっていた。行政や事務方はあくまでロジスティックスな物資や資金を集めてくることでそれをサポートする。専門的な意志決定を官僚自身がとり仕切るという仕組みはない。これが本来あるべき感染対策だ。

 アフリカのエボラ対策と比べてもストラクチャー(構造)が全然できていない。CDCは中国にも韓国にもある。日本にも専門家組織(CDC)をつくって、専門的見地から科学的に正しい対応をするべきであり、そこに政治的な思惑が入らないことが非常に重要だ。

 クルーズ船内で起きていることについて日本政府はまったく情報を出さない。私が2003年のSARSのときに北京にいて大変だったのは中国政府が情報公開を十分にしてくれなかったことだった。だが、そのときですらもう少し情報は出ていた。少なくとも今回の船内のカオス状態よりははるかに楽だった。現在の中国は世界の大国として、今回のウイルスについてもオープンネス(開放性)とトランスペアレンシー(透明性)を大事にしているという風にアピールしている。それがなければ大国としての国際的信用を勝ちとりえないことを理解しているからだ。一方、日本では全く公表されず、専門家チームも派遣されていない。この差を国際社会はものすごく冷たい目で見ている。

 院内感染が起きているかを調べるには、発熱のオンセット(発症日時と温度)を記録して、それから(流行の詳細を示す)カーブをつくっていくという統計手法「エピカーブ」があるが、船内ではそのデータを全然とってないということを知った。PCR検査をした日をカウントしても感染の状態は分からない。モニタリングを続ける必要があり、二次感染が確認されたならば、さらに2週間の隔離を続けなければならない。それを厚労省の方に申し上げたが、まったく対策されていない。対応のまずさがバレるのは恥ずかしいが、それを隠ぺいすることはもっと恥ずかしいことだ。

 米国、カナダ、オーストラリアなどは、ウイルス感染が確認されず下船する自国籍の乗客について、下船後もさらに14日間の隔離を続ける措置を取っている。米国は、熱などの症状が出ず、ウイルスが検出されないことが確認されるまで本国に向かう旅客機への搭乗を認めない方針を示している。

 これは二次感染のリスクが払拭されていないからであり、国際社会が船内における感染対策を信用していないということを意味する。日本政府が基準にしている遺伝子検査では、ウイルスの量が少なく、気管内のウイルス量がさらに少なければ偽陰性になる可能性がある。後になって感染が見えるようになり、その人が感染力を持ち、発症するかもしれない。なのでウイルス検査は無症候の人が感染していないことを保障するものではない。科学的にも論理的にも間違っており、日本国民だけが安全であるという科学的根拠はなにもない。

 だが、日本政府は下船した乗客を最寄り駅に運び、そのまま公共交通機関での帰宅を推奨し、自由行動を認めている。厚労省は「二次感染は起きていない」「対策に成功した」という成功物語に固執し、失敗のシナリオ、つまり想定される最悪の事態に備えることを考えていない。とくにデータも根拠はないが、自分たちが持っている一番楽観的なシナリオを自動的に採用している。それを正当化するためには現実を見ない、データをとらないのが一番いい。そして感染が拡大しても「頑張ったけど仕方なかったよね」といういつもの見解に落ち着く。専門家としては、逆に最悪のシナリオを想定し、同じ間違いでも、より感染が広がらない方の間違いを選択する。

 日本における感染者は非常に限定的であり、日本全国に広がっていない段階で抑え込まなければならない。誰も情報公開しない以上、ここまでやるしかなかった。

 まずはこの悲惨な現実を知っていただき、気の毒な状況にあるダイヤモンド・プリンセスの中の方々、DMATやDPAT(災害派遣精神医療チーム)や厚労省の方々、検疫所の方がもっとちゃんとプロフェッショナルなプロテクションを受けて、安全に仕事ができる環境を整えてもらいたいという自分の問題意識を共有するために動画をあげた。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/15935
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c28

[番外地7] 既存の治療薬「アビガン」が有効だとわかっているのに、日本政府は絶対に使用許可を出さない 中川隆
1. 中川隆[-13608] koaQ7Jey 2020年2月22日 18:11:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-126]
既存の治療薬「アビガン」が新型コロナウイルスに有効だとわかっているのに、日本政府は絶対に使用許可を出さない
 富士フイルム富山化学が富山大学と共同で開発した「ファビピラビル」という薬があり、それは2014年に富士フイルム富山化学の前身で富山市に研究生産拠点を置いていた富山化学工業と、当時富山大学医学部に勤務していた白木公康教授(現在は千里金蘭大学副学長)が共同研究して開発した薬「アビガン」に含まれている成分なのだという。中国政府は新型コロナウイルス対策として富士フイルム富山化学のインフルエンザ治療薬「アビガン」に含まれる有効成分を使った薬の生産を始めたことや、臨床試験をおこなった結果、副作用が少なく効果が高いこともわかっていると公表している。

 アビガンが脚光を浴びたのは鳥インフルエンザが蔓延したときで、その後もエボラ出血熱を発症した患者に投与したところ完治したり回復に向かったことなども世界的には知られている。これまでの抗インフルエンザ薬は、体内で増殖するウイルスを細胞内に閉じ込め、感染の拡大を防ぐ効果があるのに対して、アビガンはウイルスの増殖そのものを抑え込み、ウイルスの薬に対する耐性もできにくいという特徴を持ち、インフルエンザのみならず多くのウイルスで効果が期待できるという。

 しかし、日本政府も2014年に備蓄用として製造しているにもかかわらず、今回の新型コロナウイルスでは使用を許可していない。一般的にワクチンの開発には何年も要し、出来上がった頃には重症患者は亡くなってしまい、収束しているといったケースも珍しくない。今回のように一刻を争う場面で、特効薬になりうる治療薬があり、臨床結果で副作用も少なく効果が高いこともわかっているというなら、それこそ専門的知見も踏まえた上で、できるかぎり早く使ってみるというのも手だろうと思う。投与されても死なないなら、投与されずに死ぬよりもマシだろうにと−−。
白木教授もテレビ番組に出てきて「わたしがつくったアビガンを使ったらいい」と自信のある面持ちでのべていたし、なぜ使わせないのだろう?
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/498.html#c1
[近代史3] アメリカ民謡 「シェナンドー」 中川隆
1. 中川隆[-13607] koaQ7Jey 2020年2月22日 18:28:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-125]

シセル(Sissel、1969年6月24日 - )は、ノルウェー出身の女性歌手。

もともと母国・ノルウェーで国民的歌手として人気があったが、近年は「クリスタル・ボイス」とも評せられる透明感溢れる歌声と安定した歌唱力が世界的に高い評価を受け、国際的に広く精力的な音楽活動を続けている。

もともとシセル・シルシェブー(Sissel Kyrkjebø)名義で長らく活動を続けてきたが、近年はファーストネームのみで登場する事が多くなった。

略歴
1969年6月24日、ノルウェー西岸に位置する第2の都市ベルゲンに生まれる。8歳の時に聖歌隊に入り、徐々に歌唱力を磨く。やがてその歌唱力がノルウェー内で評判となり、1985年、アルバム「シセル」でCDデビュー、一躍国民的人気歌手となる。

そして1994年、リレハンメル冬季オリンピックで同オリンピックのテーマ曲“Fire in your Heart”を歌うと共に、開会式と閉会式で「オリンピック賛歌」の冒頭部分を民族衣装姿でアカペラで独唱。その澄んだ歌声が評判となり世界にその存在を知らしめる。さらにプラシド・ドミンゴの目にも止まり、シャルル・アズナヴールを交えてのクリスマス・コンサートが行われるなど、実力派シンガーとしての評価を国際的に急上昇させていく。

更に、1997年には映画「タイタニック」のサウンドトラックで、ヒロインの回想場面で使用されるスキャットを担当するなどして、より存在感を大きな物としており、一方、それまで数多く発売されたアルバムによって、ジャンルもクラシックからポップス、ジャズと幅広く対応できる事も証明している。

日本においても、TBS系のドラマ「Summer Snow」の主題歌や、日産自動車のCMでその歌声はおなじみである。

2003年4月には六本木ヒルズでオープニングのコンサートを行い、2005年9月には京都の仁和寺で開かれた第18回JAL音舞台シリーズに参加している。

デンマーク人のタレントと結婚し、2児の子供を出産したのちは、本国ノルウェーをはじめとする北欧諸国とアメリカ以外では積極的にコンサート活動を行っていないが、来日を待つファンも多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%BB%E3%83%AB
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/928.html#c1

[近代史4] 武満 徹 (1930年10月8日 - 1996年2月20日) 中川隆
1. 中川隆[-13606] koaQ7Jey 2020年2月22日 22:35:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-124]

日本 - クラシック音楽 一口感想メモ
武満 徹(たけみつ とおる、1930 - 1996)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC


日本人作曲家の中ではダントツに有名。
現代音楽だが、聴きやすいため普通のクラシックファンでも良さはすぐに分かると思う。
海外の現代音楽よりも日本人の感性によく合っていて、音からイメージされるものが明確というのもあり、すぐに入り込めると思う。

管弦楽曲

弦楽のためのレクイエム 1957 弦楽


黒い絵画 レオノーレ・フィニによせて 1958 Orch


樹の曲 1961 Orch


環礁 1962 S,Orch


弦楽器のためのコロナII 1962 弦楽


地平線のドーリア 1964 Orch


グリーン 1967 Orch


冬 1971 Orch


マージナリア 1976 Orch


鳥は星形の庭に降りる 1977 Orch


ア・ウェイ・ア・ローンII 1981 弦楽


夢の時 1981 Orch


雨ぞふる 1982 Orch


星・島(スター・アイル) 1982 Orch


夢窓 1985 Orch


トゥイル・バイ・トワイライト ―モートン・フェルドマンの追憶に― 1988 Orch


トゥリー・ライン 1988 Orch


ヴィジョンズ(I神秘 II閉じた眼) 1990 Orch


マイ・ウェイ・オブ・ライフ ―マイケル・ヴァイナーの追憶に― 1990 Br,cho,Orch


ハウ・スロー・ザ・ウィンド 1991 Orch


系図 ―若い人たちのための音楽詩― 1992 ナレーター,Orch


群島S. 1993 Orch


精霊の庭 1994 Orch

協奏的作品

シーン 1959 vc,弦楽


弧(アーク) 1963-76 pf,Orch


テクスチュアズ 1964 pf,Orch


ノヴェンバー・ステップス 1967 琵琶,尺八,Orch


アステリズム 1968 pf,Orch


クロッシング 1969 cho,gt,hp,vib,pf,Orch


ユーカリプスI 1970 fl,ob,hp,弦楽


カシオペア 1971 perc,Orch


ジェモー 1971-86 ob,tbe,Orch


秋 1973 琵琶,尺八,Orch


ジティマルヤ 1974 mar,Orch


カトレーン 1975 cl,vn,vc,pf,Orch


遠い呼び声の彼方へ! 1980 vn,Orch


海へII 1981 fl,hp,弦楽


夢の縁へ 1983 gt,Orch


虹へ向かって、パルマ 1984 ob-d'amore,gt,Orch


オリオンとプレアデス(犂と昴) 1984 vc,Orch


リヴァラン 1984 pf,Orch


ウォーター・ドリーミング 1987 fl,Orch


ノスタルジア ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に― 1987 vn,弦楽


ア・ストリング・アラウンド・オータム 1989 va,Orch


フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム 1990 perc,Orch


ファンタズマ/カントス 1991 cl,Orch


夢の引用 ―Say sea,take me!― 1991 2pf,Orch


セレモニアル ―An Autumn Ode― 1992 笙,Orch


ファンタズマ/カントスII 1994 tbe,Orch


スペクトラル・カンティクル 1995 vn,gt,Orch

邦楽曲

蝕(エクリプス) 琵琶,尺八 1966


室内楽曲

弦楽四重奏のための作品

ランドスケープ 1960 SQ


ア・ウェイ・ア・ローン 1980 SQ

その他

オリオン(犂) 1984 vc,pf


そして、それが風であることを知った 1992 fl,hp,va

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/187.html#c1

[近代史3] ブルッフ 『スコットランド幻想曲』 中川隆
1. 中川隆[-13605] koaQ7Jey 2020年2月23日 00:57:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-123]

2011年8月16日
〜サマースペシャル・名曲シリーズ〜 ブルッフ 「スコットランド幻想曲」op.46 名盤
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-e901.html

ブルッフはドイツの作曲家ですが、ベルリンの音楽大学の教授でもあったので、生徒の中には日本の山田耕作なんかも居ました。

ブルッフの一番有名な作品は「ヴァイオリン協奏曲第1番」で、僕もとても好きな曲です。けれども、同じヴァイオリン協奏曲のスタイルをとりつつも、もっと自由に書いた名作が「スコットランド民謡の旋律を自由に用いた、管弦楽とハープを伴ったヴァイオリンのための幻想曲」です。これでは余りに長過ぎるので、通常は「スコットランド幻想曲」と呼ばれます。

ブルッフの音楽の基調はドイツ・ロマン派としてのロマンティックな音楽ですが、たとえスコットランド民謡を使わなくてもどことなく爽やかな雰囲気を持っています。「ヴァイオリン協奏曲第1番」も、やはりそうでした。ですので「スコットランド幻想曲」ともなると本当に涼しげな空気感が一杯に広がります。爽やかで懐かしいメロディが幻想的な雰囲気の中に次々に現れてきます。民族楽器のバグパイプを模した和音なんかも登場します。

演奏会で取り上げられる機会が決して多いとは言えませんが、珠玉の一品と呼べる素敵な曲なのです。もしもこの曲を聴かれたことが無い方は、是非ともお聴きになられてほしい名曲です。

元々出ているCDの種類もそれほど多くは有りませんが、僕の愛聴盤をご紹介してみます。

ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn)、マルコム・サージェント指揮ロンドン新響(1961年録音/RCA盤) 

何という艶やかな音色と鮮やかなテクニック!
ヴィルトゥオーゾ風な演奏はこの曲には向かないと思って来ましたが、ここまで見事に演奏されると降参です。確かにスコットランドの素朴な風景や自然とは異なるかもしれませんが、飄々とした雰囲気でベタベタ粘着するわけではありません。
圧巻は終楽章で、さながらサラサーテの様ですが、余りの凄さに唖然とするばかりです。
この曲の代表盤としてはお勧めしませんが、二枚目以降の必聴盤として強く推します。

チョン・キョンファ(Vn)、ルドルフ・ケンぺ指揮ロイヤル・フィル(1972年録音/DECCA盤) 

この曲は余りにたっぷりと歌われると甘さが過多になって爽やかさが失われてしまいます。大家が演奏すると往々に陥りやすいです。ドイツの森では無く、北国スコットランドの景色を目の当たりにするような空気感が欲しいのです。

その点、若きキョンファのバイオリンは実に端正で余分な脂肪分が無く、凛とした雰囲気がこの曲にうってつけです。懐かしい歌い方といい、リズムの切れの良さと言い、正に最高です。更に名匠ケンぺのオケ伴奏も実に素晴らしく、それほど優秀でもないロイヤル・フィルからうっとりとするような美しい演奏を引き出しています。この演奏は、この曲の不滅の名盤だと思います。


アルトゥール・グリュミオー(Vn)、ハインツ・ワルベルク指揮ニュー・フィルハーモニア管(1973年録音/フィリップス盤) 

グリュミオーはとても美しく端正な演奏を聴かせます。ビルトゥオーゾ風でないのがこの人の魅力です。旋律を柔らかく美しく歌わせる点でこの曲の良さを際立たせていると思います。ただし終楽章ではテンポが遅すぎて躍動感に欠ける感が無きにしも非ずです。ワルベルクのオケ伴奏は非常に立派で素晴らしいです。

サルヴァトーレ・アッカルド(Vn)、クルト・マズア指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1977年録音/フィリップス盤) 

パガニーニを得意とするアッカルドですが、意外なほどの名演です。
テクニックは完ぺきですが、ハイフェッツほどヴィルトゥオーゾ風には聞こえません。
むしろじっくりゆったり音楽の情緒を味合わせてくれます。マズア/ゲヴァントハウスの音の立派さも特筆ものです。基本的にはドイツ風の厚い響きですが、暗い音色が北欧の曇った空と空気を連想させます。


五嶋みどり(Vn)、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィル(1993年録音)

 五嶋みどりの初期の録音です。カップリングのシベリウスでは透徹した曲の魅力が十分に表現できているとは思えませんでしたが、どちらかというとブルッフの方が楽しめます。若さに似合わずどっしりとした恰幅の良さを感じますし、技術的にも安心感が有ります。歌心にも不足しません。ただ、大げさではありませんが軽いポルタメントが頻出するので甘めの口当たりとなり、全体的に北欧のクールな空気をあまり感じさせません。それはメータとオーケストラにも同様なことが言えます。従って個人的には上位に置くのはためらわれる演奏です。


諏訪内晶子(Vn)、ネヴィル・マリナ―指揮アカデミー室内管(1996年録音/フィリップス盤) 

わが愛しの晶子様、24歳の時のCDデビュー録音です。
演奏本位で言えば、キョンファ盤以外は何も要らないとさえ言いたいところですが、プレイヤー本位(というかCDジャケット本位?)ということでは、やはり晶子様です。当時のお嬢様も今ではすっかり大人の女性になり、私生活や脱税問題で色々と叩かれて苦労しているようなので気の毒です。しかし、この演奏は彼女のスリムな体形のように脂肪分少なく爽やかです。変に甘ったるくならないのがこの曲にピッタリです。マリナーの指揮が同様の素晴らしさです。オケの音が余りに美しいのでBGMっぽく感じないでも無いですが、それぐらい北欧の空気感を漂わせていて爽やかだということです。


コメント


この頃のチョン・キョンファの演奏は本当に素晴らしいですね。
キレがあって、気迫があって、聴いていると日本刀の美しさに通ずるものを感じます。
これから、久しぶりに聴いてみようと思います。
投稿: メタボパパ | 2011年8月16日 (火) 14時14分

おっしゃられるように、この頃のキョンファは切れの良さで、日本刀の名刀のような印象でしたね。
僕も今日、久しぶりに聴き直してみてに本当に素晴らしいと思いました。
投稿: ハルくん | 2011年8月16日 (火) 14時24分

スコットランド幻想曲ですか、中々、いい曲ですね。
私が持っている録音は、オイストラフ(vn)、ホーレンシュタイン指揮のものです。
諏訪内氏は、チャイコフスキー・コンクールで優勝した頃の映像が最も好きです。あの頃は可愛らしかったのですが。
投稿: matsumo | 2011年8月16日 (火) 17時47分

諏訪内さんがチャイコフスキー・コンクールで優勝した頃は、本当に可憐で可愛かったですね。自分的には、すっかり大人の女として熟した最近の雰囲気が大好きです。疲れ加減の表情がたまりません。
投稿: ハルくん | 2011年8月16日 (火) 18時30分


会社が終わり、家に帰って、「スコットランド幻想曲」を探した結果、ハルくんの愛聴盤のチョン・キョンファとオイストラッフ独奏、ロジェントヴェンスキー指揮盤(Brilliant)の二種所有でした。
コンチェルト第一番を六種所有していることを考えると、スコットランド幻想曲も少し買いたさないといけないですね。
さて、曲の方ですが、チョン・キョンファ大好きですので、昔からよく聴いていましたが、メロディーが印象的で、曲名のとおり、ファンタジーですよね。
演奏もチョン・キョンファは、素晴らしく文句なしでしょう。曲のファンタジー的要素を余すことなく伝えていると思います。
なお、オイストラッフの演奏は録音に恵まれていませんが、情緒的な部分で、ぐっとテンポを落とし、ゆったりと歌い上げています。
投稿: ひらけん | 2011年8月22日 (月) 22時47分

チョン・キョンファ盤の演奏は本当に素晴らしいですね。若さゆえの瑞々しさと曲とが実にマッチしています。
オイストラッフには、ロジェントヴェンスキー盤も有ったのですね。知りませんでした。
この曲は元々それほど録音の数が多いわけではありませんので、幾つもそろえるのは案外難しいかもしれません。
投稿: ハルくん | 2011年8月22日 (月) 23時08分


曲名を見た瞬間、おっ!と思いましたが、やはり出ましたね(晶子様)( ̄ー ̄)ニヤリ
こんなふうに「さわやか」に弾くか、キョンファの初版のように情熱的に弾くか、どちらもよいですね。
投稿: かげっち | 2011年8月25日 (木) 13時16分

アハハ、よまれましたか。晶子嬢!(笑)
先日、脱税と騒がれた彼女ですが、実際は海外公演の収入を日本で申告していなかっただけです。税金は海外で支払い済みなので、申告すれば本来対象から控除されるんだそうです。一部の報道で、彼女が一般から非難されるのはとても気の毒に思います。やっぱり僕が傍に付いていてあげなくては駄目なのかなァ。(笑)
投稿: ハルくん | 2011年8月25日 (木) 22時05分


先だって『オーケストラの森』の尾高氏を記事にしていただきましたが、放送されなかった分を含めて、本日BSで2時間枠で改めて放送がありました。そのカットされた部分が何と…晶子様のブルッフの1番だったのですよ!

真っ赤なドレスの晶子様、素敵でしたよん。
前から思ってたけど、2楽章って『亜麻色の髪の乙女』に似てるメロディーがありますよね(もち、ドビュッシーじゃないヴィレッジシンガーズの方)黒髪の乙女の晶子様にお似合いの曲でしたっす。
いつもより尾高さんが、ニヤけていたり晶子様に向ける視線が多くないか心配しましたが、そんな事はありませんでした。流石にチューさん、人間が出来てます!
今でもピアニストのゆきこさんとラブラブなのかしら?
奥様とは学生時代からのお付き合いと聞いた気がします。
ハルくん、BS契約解除して残念でしたね〜↓
投稿: From Seiko | 2011年8月28日 (日) 10時32分


Seikoさん、こんにちは。
えっ、なななんと晶子様をカット!
それは正に許しがたいです!
最近の彼女ならば、きっとチョン・キョンファにも負けぬ名演だったに違いないので、聴きたかったぁ〜(涙)
BS契約せずに失敗しました!
それにしても、真っ赤なドレスの晶子さま・・・夢に出て来そうです。夢に出てきたら、今度こそちゃんとプロポーズします。過去の過ちは繰り返しません!(←って、また妄想が始まった!??)(笑)
しかし、あんな美人を前にして毅然としたチューさんは尊敬ものですね。やはり素晴らしい人です。
2楽章の「亜麻色の髪の乙女」のメロディですね。よく分かりますよ。
「皇帝」第1楽章の「上を向いて歩こう」並みに似ています。
投稿: ハルくん | 2011年8月28日 (日) 18時33分
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-e901.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/935.html#c1

[近代史3] ブルッフ 『スコットランド幻想曲』 中川隆
2. 中川隆[-13604] koaQ7Jey 2020年2月23日 00:58:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-122]

マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838年1月6日 - 1920年10月2日)は、ケルンに生まれベルリンで没したドイツの作曲家、指揮者、教育者。

教師で有名な歌手であった母親から教育を受け、音楽、特に作曲に早くから才能を示した。

ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調が、ロマン派の協奏曲として特に有名でよく演奏される。
他にもヴァイオリンと管弦楽のための『スコットランド幻想曲』や、チェロと管弦楽のための『コル・ニドライ』がしばしば演奏される。
近年では、『クラリネットとヴィオラのための二重協奏曲』も人気を得て来ている。


来歴

1853年(15歳) - フェルディナント・ヒラーとカール・ライネッケに作曲を学ぶ。
1865年(27歳) - コブレンツの音楽監督に就任する。
1867年(29歳) - ゾンダースハウゼン(ドイツ語版、英語版)の宮廷楽長を務める。
1880年(42歳) - イギリスに渡り、リヴァプール・フィルハーモニー協会の首席指揮者を務める。
1881年(43歳) - ソプラノ歌手クララ・トゥチェック(Clara Tuczek)と結婚する。クララとは後に4人の子供をもうける。
1883年(45歳) - ブレスラウ演奏協会長に就任する。
1891年(53歳) - プロイセン芸術アカデミー作曲部長、ベルリン高等音楽院教授に就任する。
1893年(55歳) - ケンブリッジ大学から名誉博士号を贈られる[1]。
1907年(69歳) - 芸術アカデミーの副総裁に就任する。
1910年(72歳) - 芸術アカデミーの職を退く。
1918年(80歳) - ベルリン大学から神学と哲学の名誉博士号を贈られる。
1920年(82歳) - ベルリンのフリーデナウ(ドイツ語版)で没する。


作風

ブルッフの作品を第一に特徴づけているのはその旋律性である。
ブルッフは魅力的な旋律を生み出すことに長けており、それはほぼ全ての作品を覆い、親しみやすいものにしている。「旋律は音楽の魂である」「旋律を歌うのに向いていないピアノにはさほど興味を持てない」という趣旨の発言も行っている。

もう一つの特徴は、民族音楽への興味である。ブルッフは「歌というものに対して不親切な時代における、ひとつの光明」として、ヨーロッパの様々なうたに興味を持ち、《スコットランド幻想曲》や《コル・ニドライ》をはじめとする複数の作品で民俗的な要素を取り入れている。

当時の音楽界では、ブラームスの《ハンガリー舞曲集》やアントニン・ドヴォルザークの《スラヴ舞曲集》のヒット(ブルッフも同様に出版社ジムロックに依頼されて《スウェーデン舞曲集》作品63を書いている)からも分かるように民俗的な題材への興味が高く、ブルッフがその分野に関わったことは彼の名声を高めた理由の一つでもあった。

語法の一貫性も特筆される。ブルッフの音楽的理想はその活動の最初期に確立され、20世紀に入り第一次世界大戦を経験する最晩年までその態度を変化させることはなかった。

彼はロマン派音楽の中でも古典的な理想を掲げており、フェリックス・メンデルスゾーンやロベルト・シューマン、友人でありライバルでもあったヨハネス・ブラームスへの尊敬は終生変わることがなかった。

それに対しフランツ・リストやリヒャルト・ワーグナーら「新ドイツ楽派」へは明らかな敵意を持っていた。

生前のブルッフは合唱音楽の分野を中心に精力的に活動を行い人気を博したが、後年前述した少数の作品を除いて急速に忘れ去られ、今に至るまで復権はなされていない。

その理由の一つは、彼のスタイルが晩年には完全に時代遅れになっていたことであり、リヒャルト・シュトラウスやマックス・レーガーら新しい世代には激しい攻撃を加えたことも、反動家としての彼の評判を広めることになった。また、ユダヤの題材を用いた作品で成功を収めたためにユダヤ人の血を引くのではないかと疑われ、1935年にナチス政府によって上演禁止となっていることも、彼の作品の演奏機会を少なくする理由であった。なお、ブルッフの祖先がユダヤ人だったという説はブルッフ本人や複数の家族が否定しており、確かな証拠は何もない。

主な作品

交響曲

交響曲第1番 変ホ長調 作品28
交響曲第2番 ヘ短調 作品36
交響曲第3番 ホ長調 作品51

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)

クラリネット、ヴィオラと管弦楽のための協奏曲 ホ短調 作品88
2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 変イ短調 作品88a
ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26
ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ短調 作品44
ヴァイオリン協奏曲第3番 ニ短調 作品58
スコットランド幻想曲 作品46(1880年)
ヴァイオリンと管弦楽のためのセレナード 作品75
コル・ニドライ 作品47(チェロと管弦楽のための)
ロマンスヘ長調 作品85(ヴィオラと管弦楽のための)
組曲第3番 作品88b(オルガンと管弦楽のための)

室内楽曲

弦楽八重奏曲 変ロ長調(1920年)
七重奏曲 変ホ長調(クラリネット、バスーン、ホルン、2つのヴァイオリン、チェロ、コントラバスのための)(1849年)
ピアノ五重奏曲(1852年)
ピアノ五重奏曲ト短調(1886年)
弦楽五重奏曲 イ短調(1918年)
弦楽五重奏曲 変ホ長調(1918年)
弦楽四重奏曲第1番 ハ短調 作品9(1859年)
弦楽四重奏曲第2番 ホ長調 作品10(1860年)
ピアノ三重奏曲 作品5(1857年)
ピアノ三重奏曲第1番(1849年)
ピアノ三重奏曲第2番(1852年)
ピアノ三重奏曲第3番(1855年)
8つの小品 作品83(クラリネット、ピアノ、ヴィオラまたはチェロのための)(1910年)

合唱曲

『ユビラーテ・アーメン』作品3(1858年)
『フリトヨフ』作品23(1864年)
『美しきエレン』 作品24(1867年)
『オデュッセウス』 作品41(1872年)
『アルミニウス』作品43(1875年、77年改訂)
『鐘の歌』 作品45(1879年)
『モーゼ』作品67(1895)
『グスタフ・アドルフ』作品73(1898年)
『歌の力』作品87(1912年)

オペラ

『戯れと悪口と復讐』作品1(1858年)
『ローレライ』作品16(1863年)
『ヘルミオーネ』作品40(1871年)


弟子

山田耕筰
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ
オスカー・シュトラウス
オットリーノ・レスピーギ (異論も存在する)

https://ja.wikipedia.org/wiki/マックス・ブルッフ

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/935.html#c2

[近代史3] ブルッフ 『スコットランド幻想曲』 中川隆
3. 中川隆[-13603] koaQ7Jey 2020年2月23日 00:59:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-121]

ドイツ・オーストリア(1859年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
マックス・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838 - 1920)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/ドイツ・オーストリア%281859年まで%29

交響曲

交響曲第1番変ホ長調 作品28
交響曲第2番ヘ短調 作品36
交響曲第3番ホ長調 作品51

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)

クラリネット、ヴィオラと管弦楽のための協奏曲ホ短調 作品88
2台のピアノと管弦楽のための協奏曲変イ長調 作品88a

ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調 作品26
3.5点
4大協奏曲に迫るロマン派協奏曲の優秀作の一つ。ドイツらしい重厚さと叙情性を兼ね備えた作品でヴァイオリンの甘さと美しさを存分に味わえるが、優等生すぎるもどかしさがある。

ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調 作品44

スコットランド幻想曲 作品46(1880年)
3.8点
メロディーが良く、ヴァイオリンのソロによって張りがあり、楽しんで聞ける。
ロマン派の三大ヴァイオリン協奏曲のような深みは無いのだが、聞く楽しさでは同じ位のレベルかもしれない。

ヴァイオリン協奏曲第3番ニ短調 作品58

『コル・ニドライ』 作品47
2.8点
チェロの協奏曲。甘い思い出を切なく歌うような曲だが、狙いが分かりやす過ぎていまいち。一歩引いて聞いてしまう。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/ドイツ・オーストリア%281859年まで%29

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/935.html#c3

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
40. 中川隆[-13602] koaQ7Jey 2020年2月23日 01:12:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-120]

ブルッフ 『スコットランド幻想曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/935.html  

パブロ・カザルス カタルーニャ民謡 『鳥の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/927.html

グリーグ 『ペール・ギュント』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/933.html

グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c40

[番外地7] 自衛官はバカがやる仕事 中川隆
6. 2020年2月23日 09:23:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-119]
法学というのは数学や物理が理解できないバカがやる学問(?)なんだよ
裁判官や官僚は丸暗記だけが得意なバカがやる仕事、自衛官や軍人は暗記力すらないバカがやる仕事
バカは自分の損得と出世しか考えないから、名張毒ぶどう酒事件みたいな冤罪を作っても平気なんだ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/496.html#c6
[番外地7] 自衛官はバカがやる仕事 中川隆
7. 2020年2月23日 09:29:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-118]
法学というのは数学や物理が理解できないバカがやる学問(?)なんだよ
数学や物理は自分の頭で考えられる人でないと理解できないからね。
裁判官や官僚は丸暗記だけが得意なバカがやる仕事、自衛官や軍人は暗記力すらないバカがやる仕事
バカは自分の損得と出世しか考えないから、名張毒ぶどう酒事件みたいな冤罪を作っても平気なんだ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/496.html#c7
[番外地7] 習近平に忖度する安倍首相 中川隆
3. 2020年2月23日 09:33:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-117]
今回の新型コロナウイルス感染症の震源地となった武漢市の空港や駅から出る飛行機や列車を一時停止する措置が取られたのは、1月23日。1月26日からは自動車の通行も止められ、武漢や湖北省は封鎖状態に突入しました。


 そのタイミングで、


「今春、桜の咲く頃に、習近平国家主席が国賓として訪日される予定です。日本と中国は、アジアや世界の平和、安定、繁栄に共に大きな責任を有しています。習主席の訪日を、日中両国がその責任を果たしていくとの意思を明確に示す機会にしたいと思います。(中略)

 春節に際して、そしてまた、オリンピック・パラリンピック等の機会を通じて、更に多くの中国の皆様が訪日されることを楽しみにしています。その際、ぜひ東京以外の場所にも足を運び、その土地ならではの日本らしさを感じて頂ければ幸いです。(後略)」


 という「安倍晋三内閣総理大臣春節祝辞」が在日中国大使館の公式ホームページに掲載されました。信じがたい話ですが、上記「祝辞」は1月30日まで削除されずに残っていました。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12577133854.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/490.html#c3

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
239. 中川隆[-13601] koaQ7Jey 2020年2月23日 09:47:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-116]

ドル円急騰の理由と新型肺炎の株式市場への影響
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2020年2月23日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8802

中国武漢発の新型コロナウィルス肺炎も含め、色々なことが重なっているようである。今回はここ数日のドル高の理由について触れてみたい。

さて、2月19日から20日にかけて為替相場がドル高円安に急に振れた。チャートは次のようになっている。

より正確に言えばドル高であり、円安ではない。ユーロドルのチャートは以下のようになっている。ドル円とは逆で下方向がドル高である。

ユーロドル的には2月の始めからドル高だったのである。むしろ円はそれほどドル高にならず耐えていたのが、ここ数日で決壊したと言えるだろう。

ドル高の原因

何故ドル高になっているのかと言えば、ドルに資金が流れているからである。何故ドルに資金が流れているのかと言えば、2018年の世界同時株安以降はそういう相場だからである。

世界中の資金が米国市場に集まっている。先進国で高成長を維持しているのはアメリカだけであり、中国などの新興国もぱっとしない上に新型肺炎の追い打ちまで来ている。アメリカしか投資先がないのである。米国市場が一本調子で上がり続けていることと今回のドル高とは相関がある。アメリカが実質的に行っている量的緩和で流し込まれた資金が国外に流れずに米国市場でバブルを引き起こし、世界中の資金がそれに乗っているのである。この流れに上手く乗ったのが、例えばドラッケンミラー氏だろう。

•ドラッケンミラー氏の買っている米国株個別銘柄(Form 13F)

ドラッケンミラー氏のポートフォリオはアメリカを中心としたリスクオンに特化している。彼は政治信条としては量的緩和を厳しく批判しているから、バブルと分かった上で乗っているのだろう。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

誤解を恐れずに言えば、ドル円のこの上がり方は2018年の世界同時株安直前の日経平均に似ている。当時のチャートがこれである。

こうした動きは実際にバブルを示す1つの指標なのである。しかし2018年では市場全体がそうした兆候を示したため世界同時株安を予想できたが、今回はそうした兆候はない。よって現状では下落しても大暴落にはならないという年始の予想を維持したい。

また、ドル円は金曜日には下落しているが、それは米国株が下がったからである。以下は米国の株価指数S&P 500のチャートである。

米国株下落の理由

さて、では何故金曜日に米国株が下がったかだが、新型コロナウィルス肺炎が中国国外で広がりつつあるからである。このリスクについてはここ1ヶ月忠告し続けているので、ここの読者にとっては今更だろう。市場はようやく気づいたようである。

特に広がっているのは韓国、日本、イタリアである。それぞれ感染者数を挙げてみよう。

•韓国: 433人
•日本: 134人
•イタリア: 79人

これらの国はここ数日で患者数が急増している。

特に日本での感染拡大については再三警告しておいた。信用してはならないのは中国の数字だけではないとはっきり書いてある。

•中国、「統計基準変更」で肺炎患者数1万人以上急増 日本の症例数にも疑問

日本でも感染経路不明の感染が広がっている。感染経路不明ということは、患者数に数えられていない感染者がいるということである。それは上記の記事の段階で明らかだったが、政治家と市場は遅れて気づくのである。

今後の見通し

これからどうなるかだが、新型肺炎については以下の記事でレイ・ダリオ氏が指摘していたように、感染の中心地では株式市場に影響が出、その他の地域では影響は限定的と見るのが妥当だろう。

•中国新型ウィルス、世界最大のヘッジファンドの投資戦略

しかしダリオ氏が見逃していたのは、「感染の中心地」が中国だけではなくなるということである。最近の動きで市場にとって一番大きいのはイタリアでの感染だろう。イタリアで感染拡大が進めばヨーロッパ全体に広がる可能性がある。

また、アメリカもファンダメンタルズ的な影響は限られるにしても、これまでのバブル的展開に急ブレーキがかかる可能性はある。しかし投資家としてはやはり新型肺炎に直接影響を受ける銘柄の推移に着目したいところだろう。

•中国武漢の新型コロナウィルス肺炎、株式投資戦略と関連個別銘柄
•中国初新型コロナウィルスで航空株暴落継続、絶好の買い場はいつか
•新型肺炎で原油価格暴落、今後の動向と推移予想
•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか

1月から山のように書いてきた。ここまで想定通りの相場展開である。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8802

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c239

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
49. 中川隆[-13600] koaQ7Jey 2020年2月23日 09:49:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-115]
ドル円急騰の理由と新型肺炎の株式市場への影響
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2020年2月23日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8802


中国武漢発の新型コロナウィルス肺炎も含め、色々なことが重なっているようである。今回はここ数日のドル高の理由について触れてみたい。

さて、2月19日から20日にかけて為替相場がドル高円安に急に振れた。チャートは次のようになっている。


より正確に言えばドル高であり、円安ではない。ユーロドルのチャートは以下のようになっている。ドル円とは逆で下方向がドル高である。


ユーロドル的には2月の始めからドル高だったのである。むしろ円はそれほどドル高にならず耐えていたのが、ここ数日で決壊したと言えるだろう。

ドル高の原因

何故ドル高になっているのかと言えば、ドルに資金が流れているからである。何故ドルに資金が流れているのかと言えば、2018年の世界同時株安以降はそういう相場だからである。

世界中の資金が米国市場に集まっている。先進国で高成長を維持しているのはアメリカだけであり、中国などの新興国もぱっとしない上に新型肺炎の追い打ちまで来ている。アメリカしか投資先がないのである。米国市場が一本調子で上がり続けていることと今回のドル高とは相関がある。アメリカが実質的に行っている量的緩和で流し込まれた資金が国外に流れずに米国市場でバブルを引き起こし、世界中の資金がそれに乗っているのである。この流れに上手く乗ったのが、例えばドラッケンミラー氏だろう。

•ドラッケンミラー氏の買っている米国株個別銘柄(Form 13F)

ドラッケンミラー氏のポートフォリオはアメリカを中心としたリスクオンに特化している。彼は政治信条としては量的緩和を厳しく批判しているから、バブルと分かった上で乗っているのだろう。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

誤解を恐れずに言えば、ドル円のこの上がり方は2018年の世界同時株安直前の日経平均に似ている。当時のチャートがこれである。


こうした動きは実際にバブルを示す1つの指標なのである。しかし2018年では市場全体がそうした兆候を示したため世界同時株安を予想できたが、今回はそうした兆候はない。よって現状では下落しても大暴落にはならないという年始の予想を維持したい。

また、ドル円は金曜日には下落しているが、それは米国株が下がったからである。以下は米国の株価指数S&P 500のチャートである。


米国株下落の理由

さて、では何故金曜日に米国株が下がったかだが、新型コロナウィルス肺炎が中国国外で広がりつつあるからである。このリスクについてはここ1ヶ月忠告し続けているので、ここの読者にとっては今更だろう。市場はようやく気づいたようである。

特に広がっているのは韓国、日本、イタリアである。それぞれ感染者数を挙げてみよう。

•韓国: 433人
•日本: 134人
•イタリア: 79人

これらの国はここ数日で患者数が急増している。

特に日本での感染拡大については再三警告しておいた。信用してはならないのは中国の数字だけではないとはっきり書いてある。

•中国、「統計基準変更」で肺炎患者数1万人以上急増 日本の症例数にも疑問

日本でも感染経路不明の感染が広がっている。感染経路不明ということは、患者数に数えられていない感染者がいるということである。それは上記の記事の段階で明らかだったが、政治家と市場は遅れて気づくのである。

今後の見通し

これからどうなるかだが、新型肺炎については以下の記事でレイ・ダリオ氏が指摘していたように、感染の中心地では株式市場に影響が出、その他の地域では影響は限定的と見るのが妥当だろう。

•中国新型ウィルス、世界最大のヘッジファンドの投資戦略

しかしダリオ氏が見逃していたのは、「感染の中心地」が中国だけではなくなるということである。最近の動きで市場にとって一番大きいのはイタリアでの感染だろう。イタリアで感染拡大が進めばヨーロッパ全体に広がる可能性がある。

また、アメリカもファンダメンタルズ的な影響は限られるにしても、これまでのバブル的展開に急ブレーキがかかる可能性はある。しかし投資家としてはやはり新型肺炎に直接影響を受ける銘柄の推移に着目したいところだろう。

•中国武漢の新型コロナウィルス肺炎、株式投資戦略と関連個別銘柄
•中国初新型コロナウィルスで航空株暴落継続、絶好の買い場はいつか
•新型肺炎で原油価格暴落、今後の動向と推移予想
•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか

1月から山のように書いてきた。ここまで想定通りの相場展開である。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8802

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c49

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
73. 中川隆[-13599] koaQ7Jey 2020年2月23日 09:50:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-114]
ドル円急騰の理由と新型肺炎の株式市場への影響
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2020年2月23日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8802


中国武漢発の新型コロナウィルス肺炎も含め、色々なことが重なっているようである。今回はここ数日のドル高の理由について触れてみたい。

さて、2月19日から20日にかけて為替相場がドル高円安に急に振れた。チャートは次のようになっている。


より正確に言えばドル高であり、円安ではない。ユーロドルのチャートは以下のようになっている。ドル円とは逆で下方向がドル高である。


ユーロドル的には2月の始めからドル高だったのである。むしろ円はそれほどドル高にならず耐えていたのが、ここ数日で決壊したと言えるだろう。

ドル高の原因

何故ドル高になっているのかと言えば、ドルに資金が流れているからである。何故ドルに資金が流れているのかと言えば、2018年の世界同時株安以降はそういう相場だからである。

世界中の資金が米国市場に集まっている。先進国で高成長を維持しているのはアメリカだけであり、中国などの新興国もぱっとしない上に新型肺炎の追い打ちまで来ている。アメリカしか投資先がないのである。米国市場が一本調子で上がり続けていることと今回のドル高とは相関がある。アメリカが実質的に行っている量的緩和で流し込まれた資金が国外に流れずに米国市場でバブルを引き起こし、世界中の資金がそれに乗っているのである。この流れに上手く乗ったのが、例えばドラッケンミラー氏だろう。

•ドラッケンミラー氏の買っている米国株個別銘柄(Form 13F)

ドラッケンミラー氏のポートフォリオはアメリカを中心としたリスクオンに特化している。彼は政治信条としては量的緩和を厳しく批判しているから、バブルと分かった上で乗っているのだろう。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

誤解を恐れずに言えば、ドル円のこの上がり方は2018年の世界同時株安直前の日経平均に似ている。当時のチャートがこれである。


こうした動きは実際にバブルを示す1つの指標なのである。しかし2018年では市場全体がそうした兆候を示したため世界同時株安を予想できたが、今回はそうした兆候はない。よって現状では下落しても大暴落にはならないという年始の予想を維持したい。

また、ドル円は金曜日には下落しているが、それは米国株が下がったからである。以下は米国の株価指数S&P 500のチャートである。


米国株下落の理由

さて、では何故金曜日に米国株が下がったかだが、新型コロナウィルス肺炎が中国国外で広がりつつあるからである。このリスクについてはここ1ヶ月忠告し続けているので、ここの読者にとっては今更だろう。市場はようやく気づいたようである。

特に広がっているのは韓国、日本、イタリアである。それぞれ感染者数を挙げてみよう。

•韓国: 433人
•日本: 134人
•イタリア: 79人

これらの国はここ数日で患者数が急増している。

特に日本での感染拡大については再三警告しておいた。信用してはならないのは中国の数字だけではないとはっきり書いてある。

•中国、「統計基準変更」で肺炎患者数1万人以上急増 日本の症例数にも疑問

日本でも感染経路不明の感染が広がっている。感染経路不明ということは、患者数に数えられていない感染者がいるということである。それは上記の記事の段階で明らかだったが、政治家と市場は遅れて気づくのである。

今後の見通し

これからどうなるかだが、新型肺炎については以下の記事でレイ・ダリオ氏が指摘していたように、感染の中心地では株式市場に影響が出、その他の地域では影響は限定的と見るのが妥当だろう。

•中国新型ウィルス、世界最大のヘッジファンドの投資戦略

しかしダリオ氏が見逃していたのは、「感染の中心地」が中国だけではなくなるということである。最近の動きで市場にとって一番大きいのはイタリアでの感染だろう。イタリアで感染拡大が進めばヨーロッパ全体に広がる可能性がある。

また、アメリカもファンダメンタルズ的な影響は限られるにしても、これまでのバブル的展開に急ブレーキがかかる可能性はある。しかし投資家としてはやはり新型肺炎に直接影響を受ける銘柄の推移に着目したいところだろう。

•中国武漢の新型コロナウィルス肺炎、株式投資戦略と関連個別銘柄
•中国初新型コロナウィルスで航空株暴落継続、絶好の買い場はいつか
•新型肺炎で原油価格暴落、今後の動向と推移予想
•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか

1月から山のように書いてきた。ここまで想定通りの相場展開である。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8802

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c73

[番外地6] 牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは 中川隆
174. 中川隆[-13598] koaQ7Jey 2020年2月23日 09:59:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-113]
黒木瞳は“密会報道”で伸し上がり
週刊新潮 2020年2月20日号掲載


 ある出来事と自分の容姿を頼りに、芸能界で伸し上がるための足場を拵(こしら)えたのが、圧倒的な勝ち組の黒木瞳だ。

 1986年1月、写真誌「フォーカス」は、その黒木と“元祖プレーボーイ”と呼ばれた大スター岡田眞澄(50)=当時=との「赤坂プリンスホテルでの逢瀬」を写真に収めて掲載している。この起点となったのは、編集部にかかってきた一本のタレコミ電話だった。

 可愛らしい声の女性が、「岡田と黒木が密会する。ホテルの部屋番号は『3711号室』」とまで伝えてきた。もっとも、編集部内の反応は「黒木瞳? 誰それ」というものばかり。宝塚を辞めたばかりの25歳の無名女優だ。それも仕方がないだろう。

「フォーカス」は、タレコミ電話を取ったカメラマンと記者の2人を密会部屋の隣と向かいの部屋に配置。午後9時20分、パーティー帰りの岡田と彼に寄り添う小柄な女が入室するのを確認した。夜が更け、部屋からはみ出してくるのは「ショーコ、愛してるよ!」の声。

 もっとも、記者やカメラマンは首を傾げる他なかった。「ショーコって誰だ? 瞳じゃないのか?」と。

 翌日の正午頃、岡田が退室した後、程なく、女が姿を現した。目がはっきり見える薄めのサングラスにルイ・ヴィトンのバッグ。記者が彼女の背後から「黒木さん?」と声をかけると、「はい?」と振り向き、カメラマンはシャッターを切った。

 記者が改めて「黒木瞳さんですね?」と確認すると、女は落ち着いて、「取材は事務所を通していただけます?」とだけ残し、エレベーターに消えた。直撃に無名女優がこうも落ち着き払った態度で対応できるだろうか――。カメラマンと記者の頭には幾つもの疑問符が過(よぎ)った。そしてカメラマンは気付くのだった。「あれ、今の女の声、タレコミ電話の声とソックリじゃないか!」

黒木瞳
黒いセクシーなドレスで美貌を披露する黒木瞳


 そして、もうひとつの謎「ショーコ」もやがて解き明かされた。黒木瞳の本名は「江上(旧姓)昭子」だとわかったのだ。

「フォーカス」がこの密会を記事にした折、黒木は、

〈岡田さんには仕事やプライベートなことで相談にのってもらっているんです〉

〈明け方まで話しこんでしまって〉

 と釈明している。

 これを踏み台に黒木はこの年秋、「化身」で鮮烈な映画デビューを果たした。その後の活躍は言うまでもないだろう。

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/02230800/?all=1&page=1
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#c174

[近代史3] マスコミの偽情報 _ CIA は有力メディアを情報操作のために使っている 中川隆
33. 中川隆[-13597] koaQ7Jey 2020年2月23日 10:03:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-112]
《櫻井ジャーナル》 2020.02.23


 今、世界では1パーセントに満たない一部の人間が財力と情報を独占し、彼らにとって都合の悪い情報を明るみに出す行為は犯罪と見なされるようになりつつあります。内部告発を支援してきたウィキリークスのジュリアン・アッサンジが昨年4月にロンドンのエクアドル大使館で逮捕された出来事は、そうした時代の到来を象徴していると言えるでしょう。

 ウィキリークスが明らかにした情報の中には、アメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月にバグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名を銃撃、殺害する場面を撮影したものも含まれていました。

 この映像は2010年4月に公開されましたが、その翌月に資料を提供したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングへ改名)特技兵はアメリカ陸軍のCID(犯罪捜査部)に逮捕され、民間情報会社ストラトフォーの内部でやりとりされた電子メールによりますと、2011年初めにアメリカでアッサンジは秘密裏に起訴されています。アッサンジが秘密裏に起訴されていることは後にケレン・ドワイアー検事補が裁判官へ書いた文書で確認されました。

 アメリカで起訴される前、2010年8月にスウェーデンの検察官が警察の求めに応じてアッサンジを指名手配、警察のリーク情報に基づいてタブロイド紙が「事件」を報道、騒ぎになりますが、その翌日に主任検事が嫌疑不十分ということで令状を取り消します。その決定を検事局長が翻しました。

 11月には検察幹部の判断でアッサンジに対する逮捕令状が出ますが、嫌疑なしということで2017年に捜査は中止され、逮捕令状は取り消されました。それにもかかわらずアッサンジの軟禁状態が続いたわけです。

 アメリカはスウェーデンとイギリスの警察、検察、裁判所、メディアなどを使って冤罪でアッサンジを軟禁状態にし、エクアドルの大統領が2017年にラファエル・コレアからレニン・モレノへ交代すると新大統領はアメリカ政府の意向に従ってアッサンジの逮捕に協力しました。その直前、IMFはエクアドルに対する42億ドルの融資を認めると発表しています。

 アッサンジはイギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されました。そこでは友人や親戚の面会が禁止され、弁護チームも監視下で会うことが要求されているほか、食べ物の差し入れや基本的な医療行為も拒否されたといいます。

 尋問しているのはアメリカの国防総省、FBI、CIAに所属している人びとで、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されたとも言われています。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすそうです。

 ウォーターゲート事件で取材の中心になったカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書きました。その中で彼は20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達するとしています。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 また、ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月にメディアがCIAに操られている実態を明らかにしました。ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているというのです。日本は例外だと言うことはできないでしょう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002230000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/330.html#c33

[近代史3] ジュリアン・アサンジはレイプをでっちあげられた 中川隆
2. 中川隆[-13596] koaQ7Jey 2020年2月23日 10:03:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-111]
《櫻井ジャーナル》 2020.02.23


 今、世界では1パーセントに満たない一部の人間が財力と情報を独占し、彼らにとって都合の悪い情報を明るみに出す行為は犯罪と見なされるようになりつつあります。内部告発を支援してきたウィキリークスのジュリアン・アッサンジが昨年4月にロンドンのエクアドル大使館で逮捕された出来事は、そうした時代の到来を象徴していると言えるでしょう。

 ウィキリークスが明らかにした情報の中には、アメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月にバグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名を銃撃、殺害する場面を撮影したものも含まれていました。

 この映像は2010年4月に公開されましたが、その翌月に資料を提供したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングへ改名)特技兵はアメリカ陸軍のCID(犯罪捜査部)に逮捕され、民間情報会社ストラトフォーの内部でやりとりされた電子メールによりますと、2011年初めにアメリカでアッサンジは秘密裏に起訴されています。アッサンジが秘密裏に起訴されていることは後にケレン・ドワイアー検事補が裁判官へ書いた文書で確認されました。

 アメリカで起訴される前、2010年8月にスウェーデンの検察官が警察の求めに応じてアッサンジを指名手配、警察のリーク情報に基づいてタブロイド紙が「事件」を報道、騒ぎになりますが、その翌日に主任検事が嫌疑不十分ということで令状を取り消します。その決定を検事局長が翻しました。

 11月には検察幹部の判断でアッサンジに対する逮捕令状が出ますが、嫌疑なしということで2017年に捜査は中止され、逮捕令状は取り消されました。それにもかかわらずアッサンジの軟禁状態が続いたわけです。

 アメリカはスウェーデンとイギリスの警察、検察、裁判所、メディアなどを使って冤罪でアッサンジを軟禁状態にし、エクアドルの大統領が2017年にラファエル・コレアからレニン・モレノへ交代すると新大統領はアメリカ政府の意向に従ってアッサンジの逮捕に協力しました。その直前、IMFはエクアドルに対する42億ドルの融資を認めると発表しています。

 アッサンジはイギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されました。そこでは友人や親戚の面会が禁止され、弁護チームも監視下で会うことが要求されているほか、食べ物の差し入れや基本的な医療行為も拒否されたといいます。

 尋問しているのはアメリカの国防総省、FBI、CIAに所属している人びとで、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されたとも言われています。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすそうです。

 ウォーターゲート事件で取材の中心になったカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書きました。その中で彼は20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達するとしています。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 また、ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月にメディアがCIAに操られている実態を明らかにしました。ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているというのです。日本は例外だと言うことはできないでしょう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002230000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/904.html#c2

[近代史3] マスコミは何時からフェイクニュースを流す様になったのか 中川隆
35. 中川隆[-13595] koaQ7Jey 2020年2月23日 10:04:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-110]
《櫻井ジャーナル》 2020.02.23


 今、世界では1パーセントに満たない一部の人間が財力と情報を独占し、彼らにとって都合の悪い情報を明るみに出す行為は犯罪と見なされるようになりつつあります。内部告発を支援してきたウィキリークスのジュリアン・アッサンジが昨年4月にロンドンのエクアドル大使館で逮捕された出来事は、そうした時代の到来を象徴していると言えるでしょう。

 ウィキリークスが明らかにした情報の中には、アメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月にバグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名を銃撃、殺害する場面を撮影したものも含まれていました。

 この映像は2010年4月に公開されましたが、その翌月に資料を提供したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングへ改名)特技兵はアメリカ陸軍のCID(犯罪捜査部)に逮捕され、民間情報会社ストラトフォーの内部でやりとりされた電子メールによりますと、2011年初めにアメリカでアッサンジは秘密裏に起訴されています。アッサンジが秘密裏に起訴されていることは後にケレン・ドワイアー検事補が裁判官へ書いた文書で確認されました。

 アメリカで起訴される前、2010年8月にスウェーデンの検察官が警察の求めに応じてアッサンジを指名手配、警察のリーク情報に基づいてタブロイド紙が「事件」を報道、騒ぎになりますが、その翌日に主任検事が嫌疑不十分ということで令状を取り消します。その決定を検事局長が翻しました。

 11月には検察幹部の判断でアッサンジに対する逮捕令状が出ますが、嫌疑なしということで2017年に捜査は中止され、逮捕令状は取り消されました。それにもかかわらずアッサンジの軟禁状態が続いたわけです。

 アメリカはスウェーデンとイギリスの警察、検察、裁判所、メディアなどを使って冤罪でアッサンジを軟禁状態にし、エクアドルの大統領が2017年にラファエル・コレアからレニン・モレノへ交代すると新大統領はアメリカ政府の意向に従ってアッサンジの逮捕に協力しました。その直前、IMFはエクアドルに対する42億ドルの融資を認めると発表しています。

 アッサンジはイギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されました。そこでは友人や親戚の面会が禁止され、弁護チームも監視下で会うことが要求されているほか、食べ物の差し入れや基本的な医療行為も拒否されたといいます。

 尋問しているのはアメリカの国防総省、FBI、CIAに所属している人びとで、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されたとも言われています。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすそうです。

 ウォーターゲート事件で取材の中心になったカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書きました。その中で彼は20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達するとしています。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 また、ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月にメディアがCIAに操られている実態を明らかにしました。ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているというのです。日本は例外だと言うことはできないでしょう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002230000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/119.html#c35

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
155. 2020年2月23日 10:10:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-109]
ケインズの偉大さとは 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/936.html
 

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c155
[近代史3] ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった!  中川隆
16. 中川隆[-13594] koaQ7Jey 2020年2月23日 10:20:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-108]
ケインズは大学では経済学で学位を取り、名門ケンブリッジでも天才の名を欲しいままにし、自由を謳歌していた時に襲ったのが、第一次世界大戦でした。


ケインズは戦争に行く事も無く、エリートとして財務省に就職して、イギリス代表としてパリ講和会議に出席しました。

そこでケインズは戦勝国がドイツに巨額賠償金を課そうとしているのを批判し、財務官僚の座を蹴っ飛ばして大学に戻ってしまいます。

戦勝国の代表らは、もっぱら領土や自国の権利に関心があり、経済や金融には無知な上に無関心だった。

ヒトラー誕生を予言? 賠償金に猛反対

戦勝国はドイツには払いきれないほど莫大な賠償金を課して、”懲らしめれば良い”と考えたが、ここには大きな問題があった。

考えてみると当たり前の事なのだが、賠償金は外貨のポンドやフランで支払うので、ドイツは膨大な外貨を用意しなくてはならない。

膨大な外貨を得る為にはドイツの貿易は巨額の貿易黒字でなくてはならず、そうでなくては賠償金を支払えない。


当時は今のような変動相場制ではなかったので、固定レートであり、輸出したから円高やマルク高にはならなかった。

つまりドイツが払う賠償金とは、イギリスやフランスに輸出して儲ける事であり、自分で自分に賠償金を払うに等しい。

こんな事は不可能だと指摘したケインズは、戦勝国に賠償金全額を放棄するよう迫り、もしそうしなければ『大変な事になる』と警告した。


その「大変な事」が起きたのは大戦終結からわずか一年後で、アドルフヒトラーが最初に地方選挙に立候補して政治活動を始めました。

ヒトラーが望んだのはドイツに巨額の賠償金を課した戦勝国への復讐で、巨額賠償金がなければヒトラーは民衆から支持されなかったかも知れない。

実際にはケインズが賠償金を巡って猛反対していた頃、既にヒトラーは政治活動を始めており、関連性があるのかは分からない。


この後、案の定、ドイツでは賠償金を支払えずにハイパーインフレが発生し、国民生活は完全に崩壊しました。

戦勝国、特にフランスは賠償金の猶予に一切応じず、フランス軍をドイツに侵攻させて、賠償金の代わりに領土をぶんどりました。

1930年頃まで約10年間、主にフランスによる賠償金ぶんどりは続けられたが、この間の苦境がドイツ人にヒトラーを支持させた。


そしてケインズが予言した大変な事は、第二次世界大戦という形で現実になりました。
http://www.thutmosev.com/archives/63671611.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html#c16

[近代史3] アメリカの極秘文書が伝える天才ヒトラーの意外な素顔 中川隆
52. 中川隆[-13593] koaQ7Jey 2020年2月23日 10:21:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-107]
ケインズは大学では経済学で学位を取り、名門ケンブリッジでも天才の名を欲しいままにし、自由を謳歌していた時に襲ったのが、第一次世界大戦でした。


ケインズは戦争に行く事も無く、エリートとして財務省に就職して、イギリス代表としてパリ講和会議に出席しました。

そこでケインズは戦勝国がドイツに巨額賠償金を課そうとしているのを批判し、財務官僚の座を蹴っ飛ばして大学に戻ってしまいます。

戦勝国の代表らは、もっぱら領土や自国の権利に関心があり、経済や金融には無知な上に無関心だった。

ヒトラー誕生を予言? 賠償金に猛反対

戦勝国はドイツには払いきれないほど莫大な賠償金を課して、”懲らしめれば良い”と考えたが、ここには大きな問題があった。

考えてみると当たり前の事なのだが、賠償金は外貨のポンドやフランで支払うので、ドイツは膨大な外貨を用意しなくてはならない。

膨大な外貨を得る為にはドイツの貿易は巨額の貿易黒字でなくてはならず、そうでなくては賠償金を支払えない。


当時は今のような変動相場制ではなかったので、固定レートであり、輸出したから円高やマルク高にはならなかった。

つまりドイツが払う賠償金とは、イギリスやフランスに輸出して儲ける事であり、自分で自分に賠償金を払うに等しい。

こんな事は不可能だと指摘したケインズは、戦勝国に賠償金全額を放棄するよう迫り、もしそうしなければ『大変な事になる』と警告した。


その「大変な事」が起きたのは大戦終結からわずか一年後で、アドルフヒトラーが最初に地方選挙に立候補して政治活動を始めました。

ヒトラーが望んだのはドイツに巨額の賠償金を課した戦勝国への復讐で、巨額賠償金がなければヒトラーは民衆から支持されなかったかも知れない。

実際にはケインズが賠償金を巡って猛反対していた頃、既にヒトラーは政治活動を始めており、関連性があるのかは分からない。


この後、案の定、ドイツでは賠償金を支払えずにハイパーインフレが発生し、国民生活は完全に崩壊しました。

戦勝国、特にフランスは賠償金の猶予に一切応じず、フランス軍をドイツに侵攻させて、賠償金の代わりに領土をぶんどりました。

1930年頃まで約10年間、主にフランスによる賠償金ぶんどりは続けられたが、この間の苦境がドイツ人にヒトラーを支持させた。


そしてケインズが予言した大変な事は、第二次世界大戦という形で現実になりました。
http://www.thutmosev.com/archives/63671611.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/207.html#c52

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
266. 中川隆[-13592] koaQ7Jey 2020年2月23日 10:30:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-106]

ケインズの偉大さとは 投資家で経済学者で官僚
http://www.thutmosev.com/archives/63671611.html


ケインズは陽気な楽天家で、妻はロシア人バレリーナだった。
15107508
引用:http://f.i.uol.com.br/folha/mercado/images/15107508.jpeg


投資家ケインズ

ケインズは経済学者、イギリスの経済官僚、など多くの顔を持っているが、投資家としても知られている。

ケインズの投資法は古典的で堅実な手法だが、現役時代のケインズはむしろ、投機的で無謀な手法を好みました。

大儲けをする一方で何度か破産して、破産しない堅実な投資法を編み出していきました。


生まれたのは1883年で明治16年、伊藤博文が初代総理大臣になる前で、日本国はまだ形を成していませんでした。

父親も経済学者なので言わば世襲の学者であり、裕福な家庭で育ち名門高校から、最高学府のケンブリッジ大に進学しています。

投資家という職業は誰にでもチャンスがあるのだが、有名な大投資家ほど、父親が裕福だったり名家だったり実力者という傾向があります。


生まれた時から家が貧乏で、歯を食いしばって頑張ったハングリータイプの投資家は、どこかで破産して倒れるケースが多い。

ともかくケインズは勉強の方では頑張ったらしいが、裕福な家庭で、何不自由なく当時超大国のイギリスで楽しく生活していました。

大学では経済学で学位を取り、名門ケンブリッジでも天才の名を欲しいままにし、自由を謳歌していた時に襲ったのが、第一次世界大戦でした。


ケインズは戦争に行く事も無く、エリートとして財務省に就職して、イギリス代表としてパリ講和会議に出席しました。

そこでケインズは戦勝国がドイツに巨額賠償金を課そうとしているのを批判し、財務官僚の座を蹴っ飛ばして大学に戻ってしまいます。


ケインズは、戦勝国に賠償金全額を放棄するよう迫り、もしそうしなければ『大変な事になる』と警告した。


その「大変な事」が起きたのは大戦終結からわずか一年後で、アドルフヒトラーが最初に地方選挙に立候補して政治活動を始めました。

ヒトラーが望んだのはドイツに巨額の賠償金を課した戦勝国への復讐で、巨額賠償金がなければヒトラーは民衆から支持されなかったかも知れない。

この後、案の定、ドイツでは賠償金を支払えずにハイパーインフレが発生し、国民生活は完全に崩壊しました。


天才投資家から堅実な投資家へ

そしてケインズが予言した大変な事は、第二次世界大戦という形で現実になりました。

イギリスの財務官僚としてパリ講和会議などで活躍したケインズだが、私生活では株式投資などをしていました。

経済学者として現実の相場で勝って正しさを証明したいという欲求の他に、単純にお金が欲しかったようでもある。


ケインズは名家の坊ちゃんらしく浪費家で、財務官僚としての給料では足りずに株式投資をしていました。

最初に投資を始めたのは大学生の時で、最初の10年間で1万6千ポンド(現代の8億円前後?)という資産を築きました。

だが賠償金に猛反対していた頃、「賠償金を支払うドイツマルクは下落する筈だ」と考えてドル買いマルク売りを仕掛けました。


結局予想通りマルクは暴落したのだが、良くある事で一時乱高下し、マルクが上がった時にケインズは破産しました。

儲けた全財産を失ったが、彼の親は金持ちだったので、借金を払ってもらった上に、新たな投資資金まで貰いました。

これだから『親が金持ちの投資家の方が、成功しやすい』のです。


父親に尻拭いしてもらったケインズは、今度は先物相場で大儲けし、何と現在の価値で20億円近くの資産を築きました。

経済学者としても投資家としても絶頂期の時に襲ったのが、1929年の世界大恐慌で、ケインズはまた大打撃を受けるが、この時はスッカラカンにはなりませんでした。

過去の失敗に学んだのか資産の2割ほどは残し、これを元手に今度は、堅実な株式投資を研究します。


この後で完成させたのが、今日まで残る「ケインズの投資理論」で、投資家としては晩年にまとめられたものでした。

それまでは「イケイケ、ゴーゴー」みたいなスタイルだったのが、「投資は慎重さが大事だ」などと言うようになっています。

結局ケインズはなくなるまで勝ち続け、それ故に偉大な投資家として名を残しています。
http://www.thutmosev.com/archives/63671611.html  

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c266

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
136. 中川隆[-13591] koaQ7Jey 2020年2月23日 10:31:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-105]

ケインズの偉大さとは 投資家で経済学者で官僚
http://www.thutmosev.com/archives/63671611.html


ケインズは陽気な楽天家で、妻はロシア人バレリーナだった。
15107508
引用:http://f.i.uol.com.br/folha/mercado/images/15107508.jpeg


投資家ケインズ

ケインズは経済学者、イギリスの経済官僚、など多くの顔を持っているが、投資家としても知られている。

ケインズの投資法は古典的で堅実な手法だが、現役時代のケインズはむしろ、投機的で無謀な手法を好みました。

大儲けをする一方で何度か破産して、破産しない堅実な投資法を編み出していきました。


生まれたのは1883年で明治16年、伊藤博文が初代総理大臣になる前で、日本国はまだ形を成していませんでした。

父親も経済学者なので言わば世襲の学者であり、裕福な家庭で育ち名門高校から、最高学府のケンブリッジ大に進学しています。

投資家という職業は誰にでもチャンスがあるのだが、有名な大投資家ほど、父親が裕福だったり名家だったり実力者という傾向があります。


生まれた時から家が貧乏で、歯を食いしばって頑張ったハングリータイプの投資家は、どこかで破産して倒れるケースが多い。

ともかくケインズは勉強の方では頑張ったらしいが、裕福な家庭で、何不自由なく当時超大国のイギリスで楽しく生活していました。

大学では経済学で学位を取り、名門ケンブリッジでも天才の名を欲しいままにし、自由を謳歌していた時に襲ったのが、第一次世界大戦でした。


ケインズは戦争に行く事も無く、エリートとして財務省に就職して、イギリス代表としてパリ講和会議に出席しました。

そこでケインズは戦勝国がドイツに巨額賠償金を課そうとしているのを批判し、財務官僚の座を蹴っ飛ばして大学に戻ってしまいます。


ケインズは、戦勝国に賠償金全額を放棄するよう迫り、もしそうしなければ『大変な事になる』と警告した。


その「大変な事」が起きたのは大戦終結からわずか一年後で、アドルフヒトラーが最初に地方選挙に立候補して政治活動を始めました。

ヒトラーが望んだのはドイツに巨額の賠償金を課した戦勝国への復讐で、巨額賠償金がなければヒトラーは民衆から支持されなかったかも知れない。

この後、案の定、ドイツでは賠償金を支払えずにハイパーインフレが発生し、国民生活は完全に崩壊しました。


天才投資家から堅実な投資家へ

そしてケインズが予言した大変な事は、第二次世界大戦という形で現実になりました。

イギリスの財務官僚としてパリ講和会議などで活躍したケインズだが、私生活では株式投資などをしていました。

経済学者として現実の相場で勝って正しさを証明したいという欲求の他に、単純にお金が欲しかったようでもある。


ケインズは名家の坊ちゃんらしく浪費家で、財務官僚としての給料では足りずに株式投資をしていました。

最初に投資を始めたのは大学生の時で、最初の10年間で1万6千ポンド(現代の8億円前後?)という資産を築きました。

だが賠償金に猛反対していた頃、「賠償金を支払うドイツマルクは下落する筈だ」と考えてドル買いマルク売りを仕掛けました。


結局予想通りマルクは暴落したのだが、良くある事で一時乱高下し、マルクが上がった時にケインズは破産しました。

儲けた全財産を失ったが、彼の親は金持ちだったので、借金を払ってもらった上に、新たな投資資金まで貰いました。

これだから『親が金持ちの投資家の方が、成功しやすい』のです。


父親に尻拭いしてもらったケインズは、今度は先物相場で大儲けし、何と現在の価値で20億円近くの資産を築きました。

経済学者としても投資家としても絶頂期の時に襲ったのが、1929年の世界大恐慌で、ケインズはまた大打撃を受けるが、この時はスッカラカンにはなりませんでした。

過去の失敗に学んだのか資産の2割ほどは残し、これを元手に今度は、堅実な株式投資を研究します。


この後で完成させたのが、今日まで残る「ケインズの投資理論」で、投資家としては晩年にまとめられたものでした。

それまでは「イケイケ、ゴーゴー」みたいなスタイルだったのが、「投資は慎重さが大事だ」などと言うようになっています。

結局ケインズはなくなるまで勝ち続け、それ故に偉大な投資家として名を残しています。
http://www.thutmosev.com/archives/63671611.html  

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c136

[近代史3] 人類進化史 中川隆
41. 中川隆[-13590] koaQ7Jey 2020年2月23日 10:35:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-104]

2020年02月23日
高畑尚之「私たちの祖先と旧人たちとの関わり 古代ゲノム研究最前線」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_48.html

 朝日選書の一冊として朝日新聞出版より2020年2月に刊行された西秋良宏『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』所収の論文です。本論文は、近年飛躍的に発展した古代ゲノム研究を概観するとともに、その理論的発展も取り上げ、ゲノム研究の具体的な手法も解説しています。たとえばPSMC法は、ペアの相同染色体を小領域に区切り、端の小領域から逐次マルコフ性にしたがって合祖時間(合着年代)を推定する、という原理とアルゴリズムに基づきます。これにより1個体から過去の個体数が推測され、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)は、50万年以上前に現生人類系統と分岐して以降、ずっと人口が減少していた、と指摘されています(関連記事)。この長期的な人口史については、その後で異論が提示されていたものの(関連記事)、さらにその後で訂正され、やはり以前の推定が妥当とされています(関連記事)。一方、現代人の各地域集団系統は30万〜20万年前頃に共通して人口のピークを示し、分岐がそれ以降であることを示唆するとともに、非アフリカ系集団では10万年前頃から人口が減少し始めて、6万〜4万年前頃に最低となります。これは、非アフリカ系現代人の祖先集団に当時ボトルネック(瓶首効果)が起きたことを示唆します。また、4集団テストでは、変異数により集団間の近縁関係が推定されるとともに、異なる統計手法で混合率も推定されます。これにより、非アフリカ系現代人はアフリカ系現代人よりもネアンデルタール人に近いことと、非アフリカ系現代人におけるネアンデルタール人系統の混合率が推定されます。

 本論文は、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人において、複雑な交雑が生じた可能性を指摘します。たとえば、早期現生人類からネアンデルタール人への遺伝子流動で、これは14万年以上前に起きた可能性が高そうです。ネアンデルタール人と出アフリカ系現代人の祖先集団や、デニソワ人とオセアニア系現代人の祖先集団との交雑は早くから知られていましたが、もっと入り組んだ交雑があった、というわけです。さらに、まだ人類遺骸は特定されていないものの、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先系統と分岐した遺伝学的に未知の人類系統とデニソワ人との交雑の可能性も指摘されています。これらの関係は本論文の図5-1で示されています。

 現時点で核DNAが解析されているネアンデルタール人は、大きく東西の2系統に分類されます。東方系は南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された女性1個体で、その他は西方系です。非アフリカ系現代人の共通祖先集団と交雑したネアンデルタール人は西方系で、ネアンデルタール人の東西系統の分岐は14万年以上前、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカは58000年前頃、その集団とネアンデルタール人との交雑は54000〜49000年前頃、出アフリカ系現代人の祖先集団のうち東西ユーラシア集団の分岐は52000〜46000年前頃と推定されています。ただ、この推定年代は、今後の研究の進展により変わってくる可能性が低くないでしょう。

 核DNAが解析された最古の現生人類個体は、シベリア西部のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見されました(関連記事)。このウスチイシム個体の年代は45000年前頃で、どの非アフリカ系集団とも同じような遺伝距離を示しているため、ユーラシア集団が東西に分裂した頃の現生人類と推測されています。核DNAが解析された更新世の現生人類個体としては、24000年前頃のシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の少年(関連記事)が挙げられます。このマリタ個体は、アメリカ大陸先住民集団やヨーロッパ集団と密接な関係にあると想定されたゴースト集団を実証するもので、古代ユーラシア北部集団を表します。その後さらに、古代ユーラシア北部集団をユーラシア北東部に広範に存在した古代シベリア北部集団の子孫とする見解が提示されています(関連記事)。

 現代ヨーロッパ人の形成において重要であるものの、まだ存在が確認されていない集団(ゴースト集団)として、基底部ユーラシア集団があります。これは、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団と早期に分岐し、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けていない、と推測されています。ゴースト集団なので分布範囲は不明ですが、アジア西部とアフリカ北部が有力です。45000〜37000年前頃のユーラシアには、この基底部ユーラシア集団とともに、複数の現生人類集団の存在がゲノム解析で確認されていますが(関連記事)、42000〜37000年前頃のルーマニアの「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された「Oase 1」や上述のウスチイシム個体のように、現代には子孫を残していないと考えられる集団も存在したようです。ヨーロッパロシアにあるコステンキ−ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された若い男性は、現代ヨーロッパ人と遺伝的に近縁とされていますが(関連記事)、この時期のヨーロッパ人には、後世のヨーロッパ人とは異なり、上述の基底部ユーラシア集団の遺伝的影響は見られません。33000年前頃に、コステンキ近くまで画策してきた狩猟採集民がグラヴェティアン(Gravettian)を発展させ、ヨーロッパ西部に逆流し、グラヴェティアンは1万年以上続きます。

 完新世になると、ヨーロッパにはアジア西部から農耕民が到来します。このヨーロッパの初期農耕民のゲノムにおける基底部ユーラシア集団由来の領域は44%に達する、との見解もありますが、10%未満との推定もあり、確定していません。現代ヨーロッパ集団は、大まかには、ユーラシア西部集団を基本に、基底部ユーラシア集団と古代ユーラシア北部集団が直接・間接的に関わって形成された、と把握できます。まず、ヨーロッパ西部の狩猟採集民が存在するところに、アナトリア半島やレヴァントやイランといったアジア西部の農耕民が到来し、先住の狩猟採集民と混合していきます。ヨーロッパ東部では、在来の狩猟採集民にイランの農耕民が拡散してきて混合し、牧畜も始めたポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)集団が形成されました。この集団からヤムナヤ(Yamnaya)文化が出現し、5000年前頃以降ヨーロッパに拡散し、大きな遺伝的影響を残しました。ヨーロッパ東部の狩猟採集民は古代ユーラシア北部集団から大きな遺伝的影響を受けており、現代ヨーロッパ人は間接的に古代ユーラシア北部集団を祖先としています。また、古代ユーラシア北部集団はアメリカ大陸先住民の祖先でもありました。また、エチオピアのモタ(Mota)洞窟で発見された4500年前頃の男性のゲノム解析と現代人のゲノムとの比較に基づき、ユーラシア西部からアフリカへの3000年前頃の「逆流」の規模は以前の推定よりも大きく、現代アフリカ東部集団の遺伝子プールの25%を占めるのではないか、と推測されています(関連記事)。

 アジアにおける現生人類集団の形成において重要となるのは、ネアンデルタール人だけではなくデニソワ人の存在も考慮に入れなければならないことです。現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の系統関係は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAで異なっており(関連記事)、単一の祖先関係を反映する分枝が、必ずしも集団の系統関係を反映するわけではない、と本論文は注意を喚起しています。デニソワ人は、肌の色が濃く、褐色の髪と目だった、と推測されています。デニソワ人の遺伝的影響は現代人でも各地域集団で大きく異なり、オセアニアでは高く、アメリカ大陸(先住民集団)やアジア東部および南部では多少見られ、ユーラシア西部とアフリカではほとんど見られません。本論文は、デニソワ人がシベリアからアジア南東部まで広範に存在したのではないか、と推測し、デニソワ人には複数系統存在し、それぞれオセアニアやアジア東部の現代人の祖先集団と交雑した(関連記事)、との見解を取り上げています。本論文は、アフリカからユーラシアへの現生人類の拡散においてヒマラヤ山脈の北方を東進する経路においても現生人類とデニソワ人が交雑した可能性を指摘し、その根拠として上述のマリタ遺跡の少年にもデニソワ人の遺伝的影響が見られることを指摘します。これは私も見落としており、参考文献が思い浮かばなかったので、今後時間を作って調べていきます。また本論文は、現代アジア東部人の祖先集団がアジア南東部から北上する過程でデニソワ人のような非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)と交雑した、と推測しています。

 本論文は現生人類の出アフリカを、上述のネアンデルタール人に遺伝的影響を残した14万年以上前の第一次と、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団による6万年前頃の第二次に区分し、両者は大きく系統が異なる、と推測しています。この第一次出アフリカ集団がオセアニアの現代人に遺伝的影響を残している、との見解も提示されています(関連記事)。じっさい、この第一次出アフリカがオーストラリアまで到達した可能性を示唆する考古学的証拠も提示されています(関連記事)。この場合、オセアニア系統とアジア東部および南東部系統との分岐は、ユーラシア東西系統との分岐後となります。ただ、第一次出アフリカはオセアニアまで到達したものの、第二次出アフリカの先発隊的存在だった、との見解もあり、オセアニア系の分岐はユーラシア東西系統の分岐よりも早くなります。本論文は、オセアニア系の位置づけが定まらないのは、オセアニア系にデニソワ人からの遺伝子流動があるためで、この効果を除外しないと、オセアニア系の位置づけが古くなってしまう、と指摘します。ただ本論文は、現時点でのゲノムデータが適切に除外できるのか、という問題を提起しています。オセアニア・アジア・ヨーロッパの各集団のうち、2集団のみに共有される非アフリカ系現代人に特異的な変異に注目した研究では、オセアニア系は明らかにアジア系とより多くの変異を有しており、第一次出アフリカ集団がオセアニアにまで到達しても、第二次出アフリカ集団にほぼ完全に置換されたか、第一次出アフリカにおけるオセアニアへの到達を示唆する遺跡の年代が誤りなのだろう、と本論文は指摘します。

 ネアンデルタール人やデニソワ人といった古代型ホモ属との交雑は、現生人類の適応に重要な役割を果たした、と考えられています。非アフリカ系現代人のゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域は、各個人では2%程度ですが、合計すると40%程度になり、さらに現代人のゲノムを調査していけば、70%に達するかもしれない、と推測されています。ただ、現生人類のゲノムに見られる古代型ホモ属由来のDNAには、遺伝子の翻訳領域やその発言調節領域もしくは保存的な非翻訳領域など、機能的に重要な領域が少ないことから、古代型ホモ属のゲノムは現生人類にとって有害だった、との見解も提示されています。本論文も、現生人類と古代型ホモ属のゲノムは50万年以上独立に進化した後で混合したので、相互に不和合になる変化も蓄積しているはずだ、と指摘します。一般的に生殖に関連した遺伝因子は進化が速く、雑種の雄の妊性をいち早く低下させます。また、古代型ホモ属の個体数は長期にわたって現生人類との比較で一桁少ないと推定されていることから、古代型ホモ属には相対的に強い遺伝的浮動により有害変異が蓄積しやすかったことも指摘されています。

 このような不適応説を支持する証拠は、上部旧石器時代から現代にいたるまで、現生人類のゲノムにおける後期ネアンデルタール人からの混合率が単調に減少し、有害な変異が4万年以上にわたってじょじょに排除されているように見えることです。しかし本論文は、有害変異が長期にわたって排除されることは、集団遺伝学的には説明が難しい、と指摘します。さらに、アルタイ地域のネアンデルタール人ではなく、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団と交雑したネアンデルタール人集団により近いクロアチアのネアンデルタール人で推定すると、単調な減少は見られなくなります。ただ、早期現生人類のウスチイシム人やコステンキ人のゲノムではネアンデルタール人由来の領域が多いことも確かなので、複数回の交雑などを考慮する必要がある、と本論文は指摘します。また本論文は、単調な減少がないからといって、ネアンデルタール人のゲノムが現生人類にとって有害ではなかった、とは言えないとも指摘します。有害な変異も多かったものの、交雑後間もなく現生人類の祖先集団から急速に除去されただろう、というわけです。そうならば、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の領域を排除する仕組みはもはや存在せず、将来にわたって現生人類のゲノムの一部として伝達されるだろう、と本論文は予測します。

 非アフリカ系現代人のゲノムに見られる古代型ホモ属由来の適応的な変異としては、チベット人に見られる高地適応関連遺伝子EPAS1(関連記事)やイヌイットに見られる寒冷適応関連遺伝子TBX15やWARS2(関連記事)があり、ともにデニソワ人由来です。現代ヨーロッパ人に他地域よりも高頻度で見られる脂質代謝関連遺伝子は、ネアンデルタール人由来と推測されています(関連記事)。その他には、免疫や髪・皮膚の色に関連した遺伝子で古代型ホモ属由来のものがある、と指摘されています。本論文は、こうした古代型ホモ属から現生人類への適応的浸透が特定の地域集団に限定されており、現代人全体で適応的になっている事例は報告されていない、と指摘します。現代人のゲノムにおける出アフリカ以降の適応的変化でも同様で、これは全体に拡散するには時間不足だからではなくも適応進化の要因が病原菌や高地や寒冷地といった地域的な環境への適応にあるからだ、と本論文は指摘します。

 また本論文は、古代型ホモ属からの適応的浸透には、たとえば乳糖耐性のような文化と関連した事例がないことも指摘します。他には、アジア東部において高頻度で見られる、アルコール分解の強弱に関連するアルデヒド代謝能力です。これは、長江流域で稲作が始まり、その発酵産物を摂取するようになったことと関連し、代謝を遅滞するような選択圧が作用した、と推測されています。また、社会構造の変化や異文化との接触に伴う選択圧も想定されます。これらも地域的な適応ですが、現時点で既知のこうした変異はすべて、現生人類の遺伝子プールにすでに存在したか、新たに出現したもので、古代型ホモ属由来ではありません。本論文は、古代型ホモ属のゲノムが出アフリカ後の現生人類の適応を可能にした有益な変異の貯蔵庫であったことは認めつつ、文化という現生人類が生み出した独自の「環境」に適応する素材とはなり得なかった、と指摘します。ゲノムには時間に関する情報は満載であるものの、空間に関する情報はそれ自体ではきわめて限定的で、移動し続けてきた現生人類の歴史を復元するには、学際的な研究が必要になる、と提言しています。


参考文献:
高畑尚之(2020)「私たちの祖先と旧人たちとの関わり 古代ゲノム研究最前線」西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』(朝日新聞出版)第5章P151-197

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_48.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c41

[番外地7] チュチェ思想も天皇崇拝も同じ様なもの 中川隆
1. 中川隆[-13589] koaQ7Jey 2020年2月23日 11:06:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-103]
チュチェ思想もアホ右翼の天皇崇拝も同じ様なもんだよ
万世一系とかデタラメだとわかっているしね
そもそも、明治天皇も昭和天皇も天皇の血筋ではないと言われているし、秋篠宮もそうだという噂だし:

昭和天皇は天皇の血筋ではない
大正天皇は4人の男子を生んだが本当は「種なし」であったために,東久邇宮稔彦のような〔皇族の立場にある女性になぞらえていえば「〈天皇の配偶者:皇后〉を出せる資格がある」とされた皇族の立場にあった〕男性が主に,万世一系の維持のために性的に協力したという話になる。  明治以降の天皇家の種が断絶していてはまずい。それゆえ,皇室の藩屏たるそれも「皇族のなからその種」を提供し,万世一系の系譜を創作しつづけてきたわけである。 明治天皇自身が何人もの側室(典侍および権典侍といったが,要するに正妻以外の2号以下の妾)をもち,5人の側室に女10人:男5人を産ませた。だが,男子のうち成人したのは大正天皇だけであった。この大正天皇が〈種なし〉であったために,明治天皇があえて裕仁天皇の種つけをした話もある。  大正天皇は実際には正妻:貞明〔皇后〕とのあいだで子どもができていなかった。そこで,貞明に子どもを産ませて天皇「後継者:男子」をえようと,東久邇宮稔彦などが代わりにその「人間再生産」の製作作業 [大正天皇も嫌々ながら認めていた自分の配偶者の他者との性交渉] に参与したという筋書なのである。 貞明は,最初に押しつけられた男〔明治天皇(舅!)か?〕を嫌がっていた。それで,裕仁に拒否反応をもっていた(この段落,鬼塚,前掲書,408頁, [ ] 内のみ 422頁)。
 それにしても,裕仁と秩父宮・高松宮・三笠宮の全員が顔つきが違う。 秩父宮の父〔東久邇宮稔彦?〕が貞明の心を射止めていたので,貞明は秩父宮を溺愛した。貞明はそのせいで,裕仁を皇位継承から外し,秩父宮を天皇の座に送りたかった。これを画策したのが山県有朋であった。これはさらにまた,昭和天皇の妃が薩摩藩の血を引く良子に決定されたさい〈色盲〉問題が提起されたひとつの背景である。
昭和天皇の出生の疑惑 大正天皇の第1皇子の昭和天皇の出生に関する疑惑がいろいろ出てきている。 とりあえず、今まで出てきた疑惑を整理してみると。 まず、笠原和夫の本「昭和の劇」。
この中で、昭和天皇の皇女・照宮成子内親王の舅で、香淳皇后の叔父に当たる東久邇稔彦が、 「大正天皇は子種がなく、代わりに貞明皇后に何人かの男を当てて産ませていった。だから、昭和天皇の兄弟は皆、顔が違う」と語っていたことを河野司から聞いたと笠原は語っている。
笠原がこの説にかなり確信を持っていたとうかがわせる発言がある。
次に、鬼塚英昭の本「昭和のいちばん醜い日」。
この本には、「昭和の劇」の東久邇稔彦の発言が引用しつつ、「木戸幸一日記」の島津治子の調書から昭和天皇の父親は西園寺八郎だとしている。 また別の歴史家の本には、明治天皇が昭和天皇の父親だとする説もある。
原武史は、大正天皇に万が一のことがあった場合、有栖川宮威仁親王が次の皇位継承者であったと語っている。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/499.html#c1

[昼休み53] 越後湯沢の近くの名湯 中川隆
8. 中川隆[-13588] koaQ7Jey 2020年2月23日 13:02:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-102]

苗場の近くの名湯 4 _ 『ゲンセンカン主人』で有名な湯宿温泉 _ 100円でドバドバ掛け流し温泉に入れるんだけど
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/693.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/370.html#c8
[近代史4] 中川隆 _ 映画史関係投稿リンク 中川隆
1. 中川隆[-13587] koaQ7Jey 2020年2月23日 15:06:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-101]


グリフィス 國民の創生 (The Birth of a Nation) (1915年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/270.html

グリフィス 散り行く花 (Broken Blossoms) (1919年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/268.html

グリフィス 東への道 (WAY DOWN EAST) (1920年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/267.html

ローベルト・ヴィーネ カリガリ博士 Das Cabinet des Dr. Caligari (1920年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/275.html

チャップリン キッド The Kid (1921年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/269.html

チャップリン 街の灯 City Lights (1931年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/272.html

チャップリン モダン・タイムス Modern Times (1936年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/273.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/191.html#c1

[近代史4] フェデリコ・フェリーニ (Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日) 中川隆
1. 中川隆[-13586] koaQ7Jey 2020年2月23日 16:06:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-100]

フェデリコ・フェリーニ 道 La Strada (1954年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/255.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/207.html#c1
[近代史4] フェデリコ・フェリーニ (Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日) 中川隆
2. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2020年2月23日 16:20:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-99]

フェデリコ・フェリーニ 世にも怪奇な物語 第3話「悪魔の首飾り」 (1968年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/256.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/207.html#c2
[近代史4] 中川隆 _ 映画史関係投稿リンク 中川隆
2. 中川隆[-13584] koaQ7Jey 2020年2月23日 16:39:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-98]

ヴィクトル・シェストレム 風 The Wind (1929年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/271.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/191.html#c2
[近代史4] 楳図 かずお(1936年9月3日 - ) 中川隆
1. 中川隆[-13583] koaQ7Jey 2020年2月23日 16:41:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-97]

井口昇 まだらの少女 (松竹 2005年) _ 楳図かずお を映画化すると何故全然怖くなくなるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/277.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/194.html#c1
[近代史4] 中川隆 _ 映画史関係投稿リンク 中川隆
3. 中川隆[-13582] koaQ7Jey 2020年2月23日 16:59:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-96]

湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 _ 映画 狂つた一頁
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c69

狂つた一頁 A Page of Madness 1926年(大正15年)
製作・監督:衣笠貞之助
原作:川端康成
脚色:川端康成、衣笠貞之助、犬塚稔、沢田晩紅


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/191.html#c3

[番外地6] アホが書いた日本国憲法 中川隆
32. 中川隆[-13581] koaQ7Jey 2020年2月23日 17:49:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-95]

2020年02月23日
日本国憲法は憲法違反という事実


マッカーサーは自分が大統領になりたいという野心のために日本を利用した。
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


日本国憲法の違法論争

ある種の人々に言わせると、戦後75年の平和は日本国憲法のお陰でもたらされたという。

日本国憲法の改正を巡って有識者が対立し、自衛隊や選挙が憲法違反かどうか、議論が白熱している。

ところが今から75年前、”新しい憲法”を憲法違反のゴリ押しによって、ある独裁者が日本人に押し付けた。





その独裁者は安倍首相の爺さんではなく、ダグラス・マッカーサーというアメリカ軍人でした。

マッカーサーは憲法の規定や議会の手続き、民主主義などを無視して「この憲法を成立させないともう一度空襲して日本人を滅亡させる」と言って成立させた。

日本国憲法改正には国民投票が必要だが、そもそも最初に国民投票なしで強要しました、


当然日本国内の有識者に「日本国憲法は憲法違反の違法な憲法だ」というマンガのような議論が巻き起こった。

だがマッカーサーは裁判官や東京大学といった権威に圧力をかけ『憲法学』という奇妙な学問をでっち上げた。

『憲法学』は世界で日本にしか存在せず、学問として認められてもいないが、日本人はその事実を知らされていない。


誰も学校で「憲法学という学問は、違法な憲法を押し付けるためにアメリカが作りました」とは教わらないので、日本人だけが知らない。

1945年8月28日に帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーが降り立った。

9月2日には陸海軍解体を命令したが、むろん法的根拠は一切なかった。

独裁者マッカーサー

全ての新聞に内容の書き換え、発行停止、共産主義者を必ず雇用することなどを指示し、この時から日本の全新聞が「左翼新聞」になった。

「文化人」が一斉に日本や天皇、日本人などを罵倒し始めたのもこの時からで、現在も続けられています。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、警察解体、政治犯釈放、天皇を批判するよう新聞に命令したりもした。


東久邇宮内閣はマッカーサーの命令が民主的でなく、憲法違反だから従わないとして総辞職しました。

マッカーサーはただの軍人に過ぎないのに、日本の独裁者として君臨し、我が物顔に振舞っていました。

日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。


後に判明した事は、この時マッカーサーは大統領選挙への出馬を狙っていて、「自分が日本を降伏させ統治した」という実績が欲しかったのです。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


マッカーサーの意向は日本人と天皇を『犯罪者』と定義し、帝国憲法を破棄する事だったのでした。

マッカーサーはアルバイト職員に、2月4日からの7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

国会議員や総理大臣が内容を知ったのは、3月7日の新聞を読んでからという有り様で、日本人は新聞に載ったのだから政府が作ったのだと思いました。


マッカーサーは日本政府や議会に無断で新憲法を新聞に掲載し、これを承認しろと迫った。
40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204
引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4a/40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204.jpg

違法な憲法に従う事はできない

この時全ての新聞はGHQの支配下にあり、検閲によって米軍が内容を決めていたのです。

またこの頃、NHKラジオは日本軍がいかに大陸で酷い戦争犯罪をやったかという放送を、連日朝から晩まで流していましたが、内容は全て作り話で、従軍慰安婦などもこの時でっち上げられました。

今でもNHKが一日中日本の悪口しか放送しないのは、この時のアメリカ軍の命令を今も守っているからです。


マッカーサーは「新憲法を承認するかもう一度戦争をするか」と迫り、5月の帝国議会で可決させました。

審議は一切行われず、もちろん国民投票もなかったが、自分が作った憲法では「改正には議会の3分の2の賛成と国民投票が必要」と勝手な事を書いた。

こんな憲法は無効だと日本の言論人や有識者は一斉に騒ぎ始めたので、適当な理由で片っ端から逮捕しました。


マッカーサーはさらに「新憲法を合法化しろ」と東京大学に要求し、東京大学は『憲法学』をでっち上げました。

帝国大学(東大)法学部の最高権威は宮澤俊義教授で、最初は「新憲法は違法である」という立場をとっていた。

だがマッカーサーから脅されたのか「日本はアメリカに降伏していない」「日本国民が天皇を倒して革命を起こし、新憲法を制定した」と言い出しました。


どこにもそんな事実はないが、そう言わないと宮澤教授は戦犯として極刑になるという事です。

東大の最高権威が合法だと言ったので、子分達も合法だといい始め、違憲論は鎮圧されました。

これが日本国憲法が成立した経緯であり、どこからどう見ても立派に「違法」で、これが合法ならヒトラーも立派に合法でしょう。


日本国憲法が合法だなどと言うのは、独裁者の無法行為を認め、民主主義を否定するという事です。

マッカーサーの野心は自分が大統領になる為に、日本を貶め利用する事で、原子爆弾や絨毯爆撃もそのために行いました。


憲法学という犯罪者の学問とともに、葬り去られるべきものです。
http://www.thutmosev.com/archives/64413173.html
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/613.html#c32

[近代史3] 憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない 中川隆
9. 中川隆[-13580] koaQ7Jey 2020年2月23日 17:50:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-94]

2020年02月23日
日本国憲法は憲法違反という事実


マッカーサーは自分が大統領になりたいという野心のために日本を利用した。
img_0
引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


日本国憲法の違法論争

ある種の人々に言わせると、戦後75年の平和は日本国憲法のお陰でもたらされたという。

日本国憲法の改正を巡って有識者が対立し、自衛隊や選挙が憲法違反かどうか、議論が白熱している。

ところが今から75年前、”新しい憲法”を憲法違反のゴリ押しによって、ある独裁者が日本人に押し付けた。





その独裁者は安倍首相の爺さんではなく、ダグラス・マッカーサーというアメリカ軍人でした。

マッカーサーは憲法の規定や議会の手続き、民主主義などを無視して「この憲法を成立させないともう一度空襲して日本人を滅亡させる」と言って成立させた。

日本国憲法改正には国民投票が必要だが、そもそも最初に国民投票なしで強要しました、


当然日本国内の有識者に「日本国憲法は憲法違反の違法な憲法だ」というマンガのような議論が巻き起こった。

だがマッカーサーは裁判官や東京大学といった権威に圧力をかけ『憲法学』という奇妙な学問をでっち上げた。

『憲法学』は世界で日本にしか存在せず、学問として認められてもいないが、日本人はその事実を知らされていない。


誰も学校で「憲法学という学問は、違法な憲法を押し付けるためにアメリカが作りました」とは教わらないので、日本人だけが知らない。

1945年8月28日に帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーが降り立った。

9月2日には陸海軍解体を命令したが、むろん法的根拠は一切なかった。

独裁者マッカーサー

全ての新聞に内容の書き換え、発行停止、共産主義者を必ず雇用することなどを指示し、この時から日本の全新聞が「左翼新聞」になった。

「文化人」が一斉に日本や天皇、日本人などを罵倒し始めたのもこの時からで、現在も続けられています。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、警察解体、政治犯釈放、天皇を批判するよう新聞に命令したりもした。


東久邇宮内閣はマッカーサーの命令が民主的でなく、憲法違反だから従わないとして総辞職しました。

マッカーサーはただの軍人に過ぎないのに、日本の独裁者として君臨し、我が物顔に振舞っていました。

日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。


後に判明した事は、この時マッカーサーは大統領選挙への出馬を狙っていて、「自分が日本を降伏させ統治した」という実績が欲しかったのです。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


マッカーサーの意向は日本人と天皇を『犯罪者』と定義し、帝国憲法を破棄する事だったのでした。

マッカーサーはアルバイト職員に、2月4日からの7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

国会議員や総理大臣が内容を知ったのは、3月7日の新聞を読んでからという有り様で、日本人は新聞に載ったのだから政府が作ったのだと思いました。


マッカーサーは日本政府や議会に無断で新憲法を新聞に掲載し、これを承認しろと迫った。
40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204
引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4a/40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204.jpg

違法な憲法に従う事はできない

この時全ての新聞はGHQの支配下にあり、検閲によって米軍が内容を決めていたのです。

またこの頃、NHKラジオは日本軍がいかに大陸で酷い戦争犯罪をやったかという放送を、連日朝から晩まで流していましたが、内容は全て作り話で、従軍慰安婦などもこの時でっち上げられました。

今でもNHKが一日中日本の悪口しか放送しないのは、この時のアメリカ軍の命令を今も守っているからです。


マッカーサーは「新憲法を承認するかもう一度戦争をするか」と迫り、5月の帝国議会で可決させました。

審議は一切行われず、もちろん国民投票もなかったが、自分が作った憲法では「改正には議会の3分の2の賛成と国民投票が必要」と勝手な事を書いた。

こんな憲法は無効だと日本の言論人や有識者は一斉に騒ぎ始めたので、適当な理由で片っ端から逮捕しました。


マッカーサーはさらに「新憲法を合法化しろ」と東京大学に要求し、東京大学は『憲法学』をでっち上げました。

帝国大学(東大)法学部の最高権威は宮澤俊義教授で、最初は「新憲法は違法である」という立場をとっていた。

だがマッカーサーから脅されたのか「日本はアメリカに降伏していない」「日本国民が天皇を倒して革命を起こし、新憲法を制定した」と言い出しました。


どこにもそんな事実はないが、そう言わないと宮澤教授は戦犯として極刑になるという事です。

東大の最高権威が合法だと言ったので、子分達も合法だといい始め、違憲論は鎮圧されました。

これが日本国憲法が成立した経緯であり、どこからどう見ても立派に「違法」で、これが合法ならヒトラーも立派に合法でしょう。


日本国憲法が合法だなどと言うのは、独裁者の無法行為を認め、民主主義を否定するという事です。

マッカーサーの野心は自分が大統領になる為に、日本を貶め利用する事で、原子爆弾や絨毯爆撃もそのために行いました。


憲法学という犯罪者の学問とともに、葬り去られるべきものです。
http://www.thutmosev.com/archives/64413173.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html#c9

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
24. 中川隆[-13579] koaQ7Jey 2020年2月23日 17:51:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-93]

2020年02月23日
日本国憲法は憲法違反という事実


マッカーサーは自分が大統領になりたいという野心のために日本を利用した。
img_0
引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


日本国憲法の違法論争

ある種の人々に言わせると、戦後75年の平和は日本国憲法のお陰でもたらされたという。

日本国憲法の改正を巡って有識者が対立し、自衛隊や選挙が憲法違反かどうか、議論が白熱している。

ところが今から75年前、”新しい憲法”を憲法違反のゴリ押しによって、ある独裁者が日本人に押し付けた。





その独裁者は安倍首相の爺さんではなく、ダグラス・マッカーサーというアメリカ軍人でした。

マッカーサーは憲法の規定や議会の手続き、民主主義などを無視して「この憲法を成立させないともう一度空襲して日本人を滅亡させる」と言って成立させた。

日本国憲法改正には国民投票が必要だが、そもそも最初に国民投票なしで強要しました、


当然日本国内の有識者に「日本国憲法は憲法違反の違法な憲法だ」というマンガのような議論が巻き起こった。

だがマッカーサーは裁判官や東京大学といった権威に圧力をかけ『憲法学』という奇妙な学問をでっち上げた。

『憲法学』は世界で日本にしか存在せず、学問として認められてもいないが、日本人はその事実を知らされていない。


誰も学校で「憲法学という学問は、違法な憲法を押し付けるためにアメリカが作りました」とは教わらないので、日本人だけが知らない。

1945年8月28日に帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーが降り立った。

9月2日には陸海軍解体を命令したが、むろん法的根拠は一切なかった。

独裁者マッカーサー

全ての新聞に内容の書き換え、発行停止、共産主義者を必ず雇用することなどを指示し、この時から日本の全新聞が「左翼新聞」になった。

「文化人」が一斉に日本や天皇、日本人などを罵倒し始めたのもこの時からで、現在も続けられています。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、警察解体、政治犯釈放、天皇を批判するよう新聞に命令したりもした。


東久邇宮内閣はマッカーサーの命令が民主的でなく、憲法違反だから従わないとして総辞職しました。

マッカーサーはただの軍人に過ぎないのに、日本の独裁者として君臨し、我が物顔に振舞っていました。

日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。


後に判明した事は、この時マッカーサーは大統領選挙への出馬を狙っていて、「自分が日本を降伏させ統治した」という実績が欲しかったのです。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


マッカーサーの意向は日本人と天皇を『犯罪者』と定義し、帝国憲法を破棄する事だったのでした。

マッカーサーはアルバイト職員に、2月4日からの7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

国会議員や総理大臣が内容を知ったのは、3月7日の新聞を読んでからという有り様で、日本人は新聞に載ったのだから政府が作ったのだと思いました。


マッカーサーは日本政府や議会に無断で新憲法を新聞に掲載し、これを承認しろと迫った。
40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204
引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4a/40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204.jpg

違法な憲法に従う事はできない

この時全ての新聞はGHQの支配下にあり、検閲によって米軍が内容を決めていたのです。

またこの頃、NHKラジオは日本軍がいかに大陸で酷い戦争犯罪をやったかという放送を、連日朝から晩まで流していましたが、内容は全て作り話で、従軍慰安婦などもこの時でっち上げられました。

今でもNHKが一日中日本の悪口しか放送しないのは、この時のアメリカ軍の命令を今も守っているからです。


マッカーサーは「新憲法を承認するかもう一度戦争をするか」と迫り、5月の帝国議会で可決させました。

審議は一切行われず、もちろん国民投票もなかったが、自分が作った憲法では「改正には議会の3分の2の賛成と国民投票が必要」と勝手な事を書いた。

こんな憲法は無効だと日本の言論人や有識者は一斉に騒ぎ始めたので、適当な理由で片っ端から逮捕しました。


マッカーサーはさらに「新憲法を合法化しろ」と東京大学に要求し、東京大学は『憲法学』をでっち上げました。

帝国大学(東大)法学部の最高権威は宮澤俊義教授で、最初は「新憲法は違法である」という立場をとっていた。

だがマッカーサーから脅されたのか「日本はアメリカに降伏していない」「日本国民が天皇を倒して革命を起こし、新憲法を制定した」と言い出しました。


どこにもそんな事実はないが、そう言わないと宮澤教授は戦犯として極刑になるという事です。

東大の最高権威が合法だと言ったので、子分達も合法だといい始め、違憲論は鎮圧されました。

これが日本国憲法が成立した経緯であり、どこからどう見ても立派に「違法」で、これが合法ならヒトラーも立派に合法でしょう。


日本国憲法が合法だなどと言うのは、独裁者の無法行為を認め、民主主義を否定するという事です。

マッカーサーの野心は自分が大統領になる為に、日本を貶め利用する事で、原子爆弾や絨毯爆撃もそのために行いました。


憲法学という犯罪者の学問とともに、葬り去られるべきものです。
http://www.thutmosev.com/archives/64413173.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c24

[リバイバル3] GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり 中川隆
10. 中川隆[-13578] koaQ7Jey 2020年2月23日 17:54:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-92]

2020年02月23日
日本国憲法は憲法違反という事実


マッカーサーは自分が大統領になりたいという野心のために日本を利用した。
img_0
引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


日本国憲法の違法論争

ある種の人々に言わせると、戦後75年の平和は日本国憲法のお陰でもたらされたという。

日本国憲法の改正を巡って有識者が対立し、自衛隊や選挙が憲法違反かどうか、議論が白熱している。

ところが今から75年前、”新しい憲法”を憲法違反のゴリ押しによって、ある独裁者が日本人に押し付けた。





その独裁者は安倍首相の爺さんではなく、ダグラス・マッカーサーというアメリカ軍人でした。

マッカーサーは憲法の規定や議会の手続き、民主主義などを無視して「この憲法を成立させないともう一度空襲して日本人を滅亡させる」と言って成立させた。

日本国憲法改正には国民投票が必要だが、そもそも最初に国民投票なしで強要しました、


当然日本国内の有識者に「日本国憲法は憲法違反の違法な憲法だ」というマンガのような議論が巻き起こった。

だがマッカーサーは裁判官や東京大学といった権威に圧力をかけ『憲法学』という奇妙な学問をでっち上げた。

『憲法学』は世界で日本にしか存在せず、学問として認められてもいないが、日本人はその事実を知らされていない。


誰も学校で「憲法学という学問は、違法な憲法を押し付けるためにアメリカが作りました」とは教わらないので、日本人だけが知らない。

1945年8月28日に帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーが降り立った。

9月2日には陸海軍解体を命令したが、むろん法的根拠は一切なかった。

独裁者マッカーサー

全ての新聞に内容の書き換え、発行停止、共産主義者を必ず雇用することなどを指示し、この時から日本の全新聞が「左翼新聞」になった。

「文化人」が一斉に日本や天皇、日本人などを罵倒し始めたのもこの時からで、現在も続けられています。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、警察解体、政治犯釈放、天皇を批判するよう新聞に命令したりもした。


東久邇宮内閣はマッカーサーの命令が民主的でなく、憲法違反だから従わないとして総辞職しました。

マッカーサーはただの軍人に過ぎないのに、日本の独裁者として君臨し、我が物顔に振舞っていました。

日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。


後に判明した事は、この時マッカーサーは大統領選挙への出馬を狙っていて、「自分が日本を降伏させ統治した」という実績が欲しかったのです。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


マッカーサーの意向は日本人と天皇を『犯罪者』と定義し、帝国憲法を破棄する事だったのでした。

マッカーサーはアルバイト職員に、2月4日からの7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

国会議員や総理大臣が内容を知ったのは、3月7日の新聞を読んでからという有り様で、日本人は新聞に載ったのだから政府が作ったのだと思いました。


マッカーサーは日本政府や議会に無断で新憲法を新聞に掲載し、これを承認しろと迫った。
40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204
引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4a/40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204.jpg

違法な憲法に従う事はできない

この時全ての新聞はGHQの支配下にあり、検閲によって米軍が内容を決めていたのです。

またこの頃、NHKラジオは日本軍がいかに大陸で酷い戦争犯罪をやったかという放送を、連日朝から晩まで流していましたが、内容は全て作り話で、従軍慰安婦などもこの時でっち上げられました。

今でもNHKが一日中日本の悪口しか放送しないのは、この時のアメリカ軍の命令を今も守っているからです。


マッカーサーは「新憲法を承認するかもう一度戦争をするか」と迫り、5月の帝国議会で可決させました。

審議は一切行われず、もちろん国民投票もなかったが、自分が作った憲法では「改正には議会の3分の2の賛成と国民投票が必要」と勝手な事を書いた。

こんな憲法は無効だと日本の言論人や有識者は一斉に騒ぎ始めたので、適当な理由で片っ端から逮捕しました。


マッカーサーはさらに「新憲法を合法化しろ」と東京大学に要求し、東京大学は『憲法学』をでっち上げました。

帝国大学(東大)法学部の最高権威は宮澤俊義教授で、最初は「新憲法は違法である」という立場をとっていた。

だがマッカーサーから脅されたのか「日本はアメリカに降伏していない」「日本国民が天皇を倒して革命を起こし、新憲法を制定した」と言い出しました。


どこにもそんな事実はないが、そう言わないと宮澤教授は戦犯として極刑になるという事です。

東大の最高権威が合法だと言ったので、子分達も合法だといい始め、違憲論は鎮圧されました。

これが日本国憲法が成立した経緯であり、どこからどう見ても立派に「違法」で、これが合法ならヒトラーも立派に合法でしょう。


日本国憲法が合法だなどと言うのは、独裁者の無法行為を認め、民主主義を否定するという事です。

マッカーサーの野心は自分が大統領になる為に、日本を貶め利用する事で、原子爆弾や絨毯爆撃もそのために行いました。


憲法学という犯罪者の学問とともに、葬り去られるべきものです。
http://www.thutmosev.com/archives/64413173.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html#c10

[近代史4] イスラム教 中川隆
1. 中川隆[-13577] koaQ7Jey 2020年2月23日 20:38:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-91]

幼児性愛の人格障害者で人間の屑だった自称預言者のムハンマド
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/315.html

(再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html

狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/332.html

ムスリムは悪い
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/106.html

ムスリムは やりたくなるとすぐに性奴隷を調達してくる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/313.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/220.html#c1

[近代史4] 仏教 中川隆
1. 中川隆[-13576] koaQ7Jey 2020年2月23日 20:41:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-90]

釈迦の本当の教え
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/735.html

釈迦の悟りとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html

不可触民(ダリット)の世界 _ 釈迦が見た地獄とは何だったのか
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/707.html

タイは天国に二番目に近い国 1 _ タイの仏教
www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html#c5

仏教信仰は人間を堕落させる _ タイが売春国家になった理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/708.html

被差別部落出身の有名人は? _ 法華経は宗教ビジネスの聖典
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c169

浄土真宗と創価学会は被差別同和部落民の宗教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/371.html

被差別同和部落の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/113.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/219.html#c1

[近代史4] 中川隆 _ キリスト教関係投稿リンク 中川隆
1. 中川隆[-13575] koaQ7Jey 2020年2月23日 20:42:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-89]

イエスの本当の教え
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/507.html

イエスが殺された本当の理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/371.html

欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html

東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/487.html

異教徒は「人間」ではないので殺してもいい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/798.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/218.html#c1

[近代史4] 仏教 中川隆
2. 中川隆[-13574] koaQ7Jey 2020年2月23日 20:43:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-88]

天皇家は推古朝以降 江戸時代までずっと仏教徒だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/525.html

仏教衰退 _ 全国で無人の寺や無縁墓が急増
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/732.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/219.html#c2

[近代史4] 中川隆 _ キリスト教関係投稿リンク 中川隆
2. 中川隆[-13573] koaQ7Jey 2020年2月23日 20:48:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-87]

独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html

タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/243.html

アンチクライスト _ アンドレイ・ルブリョフ
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/484.html

世界を変えた映画『エマニエル夫人』 1974年
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/249.html

まともな人間に芸術は理解できない _ ゴッホは何故ゴッホになれたのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/481.html

ディープ世界への入り口 _ 箱根湯本 平賀敬美術館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/297.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/218.html#c2

[近代史4] 中川隆 _ キリスト教関係投稿リンク 中川隆
3. 中川隆[-13572] koaQ7Jey 2020年2月23日 20:49:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-86]

他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ _ フロイトが妄想だと信じた近親相姦の話はすべて事実だった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html

欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/200.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/218.html#c3

[近代史4] 中川隆 _ キリスト教関係投稿リンク 中川隆
4. 中川隆[-13571] koaQ7Jey 2020年2月23日 21:25:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-85]

西洋の達人が悟れない理由
02. 2010年12月13日 11:02:56: ロシアのキリスト教
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/218.html#c4
[近代史4] 仏教 中川隆
3. 中川隆[-13570] koaQ7Jey 2020年2月23日 21:28:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-84]

西洋の達人が悟れない理由
2. 梵我一如はエロスの世界
3. 秘密仏教(密教)とは…
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/219.html#c3

[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
3. 中川隆[-13569] koaQ7Jey 2020年2月24日 07:18:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-83]

奈女沢温泉(釈迦の霊泉)

ベールにつつまれた奈女沢温泉 _ 医者に見放された患者が最後に縋る奇跡の水とは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/568.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c3

[近代史4] 栃尾又温泉 (放射能泉) 中川隆
1. 中川隆[-13568] koaQ7Jey 2020年2月24日 08:06:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-82]

229 :名無しさん@いい湯だな:2008/07/07(月) 10:43:36 ID:VFDI8BI1

癌に はっきり効いたラジウム温泉は不老閣の岩風呂と栃尾又の自在館だけ。
やわらぎの湯も行ったけど全く効果は感じなかった。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/onsen/1120563678/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/246.html#c1

[近代史4] 癌は温泉水と食事療法で治そう 中川隆
1. 中川隆[-13567] koaQ7Jey 2020年2月24日 08:19:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-81]

229 :名無しさん@いい湯だな:2008/07/07(月) 10:43:36 ID:VFDI8BI1

癌にはっきり効いたラジウム温泉は不老閣の岩風呂と栃尾又の自在館だけ。
やわらぎの湯も行ったけど全く効果は感じなかった。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/onsen/1120563678/


▲△▽▼


アタマに効く温泉
03. 中川隆 2010年4月18日 癌患者には来て欲しくない癌に効く温泉
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/345.html


▲△▽▼


増富ラジウム温泉 不老閣 (放射能泉)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/247.html

栃尾又温泉 (放射能泉)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/246.html

湯の島ローソク温泉 (放射能泉)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/248.html

 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/125.html#c1

[近代史4] 京都 俵屋旅館 中川隆
1. 中川隆[-13566] koaQ7Jey 2020年2月24日 09:28:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-80]

知ったら住みたくなるケンミン性 (第6回)魅力度ランキング2位「京都」に住んでわかる理想と現実
http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/777.html

京都にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/918.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/249.html#c1

[近代史4] 群馬 川古温泉別館 旅館 峰 中川隆
1. 中川隆[-13565] koaQ7Jey 2020年2月24日 09:33:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-79]

水上温泉と猿ヶ京温泉を最短距離で結ぶ怪しい3ケタ県道と仏岩温泉 鈴森の湯、川古温泉 浜屋旅館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/581.html


苗場の近くの名湯 4 _ 『ゲンセンカン主人』で有名な湯宿温泉 _ 100円でドバドバ掛け流し温泉に入れるんだけど
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/693.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/261.html#c1

[近代史4] 群馬 川古温泉別館 旅館 峰 中川隆
2. 中川隆[-13564] koaQ7Jey 2020年2月24日 09:35:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-78]

苗場の近くの名湯 4 _ 猿ヶ京温泉
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/693.html#c1

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/261.html#c2
[近代史4] 屈斜路湖畔 三香温泉 中川隆
1. 中川隆[-13563] koaQ7Jey 2020年2月24日 09:53:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-77]

日本で一番美しい道〜富良野・美瑛
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/610.html

北海道 弟子屈町 900草原 絶景ロード
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/601.html

キタキツネ物語の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/609.html

北海道のライブカメラ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/599.html

北海道の温泉に行こう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/561.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/258.html#c1

[近代史4] 長野 沓掛温泉 満山荘 中川隆
1. 中川隆[-13562] koaQ7Jey 2020年2月24日 11:17:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-76]

沓掛温泉 満山荘 (旧おもとや旅館)

〒386-1606 長野県小県郡青木村大字沓掛434

電話番号 0268-49-2002


満山荘公式サイト
https://manzanso.jp/%E6%BA%80%E5%B1%B1%E8%8D%98%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%92%E9%96%8B%E8%A8%AD%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82/


日本秘湯を守る会 公式Webサイト|沓掛温泉 満山荘 の紹介・宿泊予約
https://www.hitou.or.jp/hymbrrsv/hymbr_pg01.html?yc=nm148

アクセス

交通/車
上信越自動車道上田ICから国道143号線経由約30分。長野自動車道麻積ICから約30分。

交通/電車
JR長野新幹線上田駅下車、青木行きバス終点で沓掛温泉行き乗り換え、沓掛温泉で下車。
http://www.hitou.or.jp/hymbrrsv/hymbr_pg01.html?yc=nm148


地図
https://www.google.com/maps/place/%E6%B2%93%E6%8E%9B%E6%B8%A9%E6%B3%89+%E6%BA%80%E5%B1%B1%E8%8D%98/@36.349754,138.113495,14z/data=!4m8!3m7!1s0x0:0xd6e2f6fc5d497352!5m2!4m1!1i2!8m2!3d36.3497543!4d138.1134949?hl=ja
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/264.html#c1

[近代史4] 鹿児島 妙見温泉 石原荘 中川隆
1. 中川隆[-13560] koaQ7Jey 2020年2月24日 11:58:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-74]

妙見温泉 どさんこ・和気湯
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/224.html

安楽温泉 鶴の湯・朱峰
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/225.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/253.html#c1

[近代史4] 湯河原温泉の「指月」は何故山を下りたのか 中川隆
1. 中川隆[-13559] koaQ7Jey 2020年2月24日 12:00:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-73]

星野リゾート讃歌 _温泉界の救世主の実像に迫る
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/398.html


修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/252.html#c1

[番外地6] 日銀が買い入れた国債は、再び売却しない限り、存在しないのと同じ 中川隆
16. 中川隆[-13558] koaQ7Jey 2020年2月24日 13:28:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-72]

2020年02月24日
永久国債とは何か 日銀の国債買い入れを制度化

財務省のペット、麻生財務大臣


引用:https://renote.s3.amazonaws.com/uploads/article_image/file/21779/a18bbb67.png

永久国債を提言

数年前FRB議長のベン・バーナンキが来日した時に「永久国債」を提言したが、体よく断られていました。

バーナンキは、日本が再びデフレに戻るリスクを指摘し、「ヘリコプターマネー」を勧めた。

ヘリコプターマネーはバーナンキ議長が「ヘリコプターでお金を撒けば良い」と言ったことから始ました。




だから『教祖』のバーナンキがヘリコプターマネーを勧めるのは予想された事で、むしろその話を聞きに言ったのでしょう。

政府が永久国債を発行し、市場を通さずに中央銀行が直接買い取る事で、国債市場に影響を与えず公共事業を実施できる。

バーナンキは選択肢の一つとして説明し、それ以上踏み込んだ話にはならなかったという。


バーナンキは2016年に安倍首相と会談し、アベノミクスや金融緩和を続けるべきだと発言しました。

今まで出てきた永久国債とは、満期を定めない国債の事で、発行者(国)が求めない限り、償還しなくても良い。

その代わり永久に利子を払い続ける必要があるが、例えばゼロ%やマイナス金利で発行すれば、金利は払わずに済みます。


金利の付かない債権を買う人はいないが、中央銀行が買い取れば、事実上返済しなくて良い借金になります。

そのような国債は前例がないのかと思いきや、大和総研の資料では2014年に世界で2,278億ドル(約25兆円)も発行されています。

イギリスでは5000億円近い永久国債が発行されていて、200年以上前の国債が今でも塩漬けにされ続けています。

財務省の飼い犬とアヒル

日本でも年間数千億円の永久債が民間によって発行されているが、政府は永久国債発行に否定的です。

理由は日本では日銀の直接買い取りが禁止されているので、マイナスやゼロ金利では購入者が居ないと考えられる為です。

日銀の国債引き受け額は2019年末時点で国債発行額の約43%に達したが、最近は頭打ちになっている。


先ほど書いたように日銀の直接引き受けは禁止されているので、一旦市場で販売した国債を、日銀が買い取っています。

これを直接日銀が国から買い取っても、実質的に何も変わらないが、財務省が強く反対しています。

反対理由は表向き「財政の健全性が損なわれる」と言っていますが、要は自分の縄張りだから手を出すなという事です。


犬が近づいた人間に吼えるのと同じで、財務省の縄張りを守る為に吼えるのです。

例えば財務省と飼い犬たちは、ヘリコプターマネーで日本の信用が崩壊すると言っています。

この崩壊論は財務省に近い人ほど大好きな理論で、これを口にしたら「ああ財務省の飼い犬だな」と判断できます。


増税しないと日本崩壊する、金融緩和で日本崩壊する、アベノミクスで日本崩壊する、今度はヘリコプターマネーで日本崩壊すると言っています。

「ハルマゲドンが来る」と言っていた麻原彰晃やオウム幹部達と、彼らの理論がそっくりなのは気のせいでしょうか?

財政支出を増やすと国債が「金利1000%」になったり通貨は「1ドル1万円になる」などと言っています。


彼らの理論では財政を縮小するほど「日本の信用が高まり」財政が健全化するが、過去25年間その通りにした結果、日本経済は崩壊しました。

逆に日本の数倍の借金を抱えている中国とアメリカはまったく破産せず、日本より高成長を続けています。

日本の借金はアメリカや中国と同じ基準で計算するとGDP80%以下に過ぎず、逆にアメリカと中国はGDP比300%以上の借金を抱えています。

財務省と飼い犬たちはこういう本当の数字を突きつけると逃げ回り、「日本破綻」「日本崩壊」という言葉だけを、アヒルのように繰り返しています。


バーナンキの言う通り日本政府が永久国債をゼロ金利で発行し日銀が全額買い取ると、事実上日本政府の借金は消えてなくなります。


財務省が主張する日本の借金がGDP比200%だから財務省は威張れるが、借金ゼロになったら誰も財務官僚に敬意を払わなくなります。

そうなると財務官僚の権限が小さくなり天下り先がなくなり、彼らの金儲けができなくなります。


財務省事務次官経験者は退官した後銀行などに天下りし、年収数億円プラス数年ごとに十億円以上の退職金を受け取ります。

退官後の収入が数百億円にも達するそうで、結局財務官僚がやっているのは「自分の金儲け」です。
http://www.thutmosev.com/archives/63560735.html
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/755.html#c16

[近代史3] バーナンキが2016年に来日し安倍首相と会談した時、永久国債で借金を踏み倒せばいいと提案した 中川隆
2. 中川隆[-13557] koaQ7Jey 2020年2月24日 13:29:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-71]

2020年02月24日
永久国債とは何か 日銀の国債買い入れを制度化

財務省のペット、麻生財務大臣


引用:https://renote.s3.amazonaws.com/uploads/article_image/file/21779/a18bbb67.png

永久国債を提言

数年前FRB議長のベン・バーナンキが来日した時に「永久国債」を提言したが、体よく断られていました。

バーナンキは、日本が再びデフレに戻るリスクを指摘し、「ヘリコプターマネー」を勧めた。

ヘリコプターマネーはバーナンキ議長が「ヘリコプターでお金を撒けば良い」と言ったことから始ました。




だから『教祖』のバーナンキがヘリコプターマネーを勧めるのは予想された事で、むしろその話を聞きに言ったのでしょう。

政府が永久国債を発行し、市場を通さずに中央銀行が直接買い取る事で、国債市場に影響を与えず公共事業を実施できる。

バーナンキは選択肢の一つとして説明し、それ以上踏み込んだ話にはならなかったという。


バーナンキは2016年に安倍首相と会談し、アベノミクスや金融緩和を続けるべきだと発言しました。

今まで出てきた永久国債とは、満期を定めない国債の事で、発行者(国)が求めない限り、償還しなくても良い。

その代わり永久に利子を払い続ける必要があるが、例えばゼロ%やマイナス金利で発行すれば、金利は払わずに済みます。


金利の付かない債権を買う人はいないが、中央銀行が買い取れば、事実上返済しなくて良い借金になります。

そのような国債は前例がないのかと思いきや、大和総研の資料では2014年に世界で2,278億ドル(約25兆円)も発行されています。

イギリスでは5000億円近い永久国債が発行されていて、200年以上前の国債が今でも塩漬けにされ続けています。

財務省の飼い犬とアヒル

日本でも年間数千億円の永久債が民間によって発行されているが、政府は永久国債発行に否定的です。

理由は日本では日銀の直接買い取りが禁止されているので、マイナスやゼロ金利では購入者が居ないと考えられる為です。

日銀の国債引き受け額は2019年末時点で国債発行額の約43%に達したが、最近は頭打ちになっている。


先ほど書いたように日銀の直接引き受けは禁止されているので、一旦市場で販売した国債を、日銀が買い取っています。

これを直接日銀が国から買い取っても、実質的に何も変わらないが、財務省が強く反対しています。

反対理由は表向き「財政の健全性が損なわれる」と言っていますが、要は自分の縄張りだから手を出すなという事です。


犬が近づいた人間に吼えるのと同じで、財務省の縄張りを守る為に吼えるのです。

例えば財務省と飼い犬たちは、ヘリコプターマネーで日本の信用が崩壊すると言っています。

この崩壊論は財務省に近い人ほど大好きな理論で、これを口にしたら「ああ財務省の飼い犬だな」と判断できます。


増税しないと日本崩壊する、金融緩和で日本崩壊する、アベノミクスで日本崩壊する、今度はヘリコプターマネーで日本崩壊すると言っています。

「ハルマゲドンが来る」と言っていた麻原彰晃やオウム幹部達と、彼らの理論がそっくりなのは気のせいでしょうか?

財政支出を増やすと国債が「金利1000%」になったり通貨は「1ドル1万円になる」などと言っています。


彼らの理論では財政を縮小するほど「日本の信用が高まり」財政が健全化するが、過去25年間その通りにした結果、日本経済は崩壊しました。

逆に日本の数倍の借金を抱えている中国とアメリカはまったく破産せず、日本より高成長を続けています。

日本の借金はアメリカや中国と同じ基準で計算するとGDP80%以下に過ぎず、逆にアメリカと中国はGDP比300%以上の借金を抱えています。

財務省と飼い犬たちはこういう本当の数字を突きつけると逃げ回り、「日本破綻」「日本崩壊」という言葉だけを、アヒルのように繰り返しています。


バーナンキの言う通り日本政府が永久国債をゼロ金利で発行し日銀が全額買い取ると、事実上日本政府の借金は消えてなくなります。


財務省が主張する日本の借金がGDP比200%だから財務省は威張れるが、借金ゼロになったら誰も財務官僚に敬意を払わなくなります。

そうなると財務官僚の権限が小さくなり天下り先がなくなり、彼らの金儲けができなくなります。


財務省事務次官経験者は退官した後銀行などに天下りし、年収数億円プラス数年ごとに十億円以上の退職金を受け取ります。

退官後の収入が数百億円にも達するそうで、結局財務官僚がやっているのは「自分の金儲け」です。
http://www.thutmosev.com/archives/63560735.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/636.html#c2

[近代史3] 人類進化史 中川隆
42. 中川隆[-13556] koaQ7Jey 2020年2月24日 13:44:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-70]

2020年02月24日
ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先と未知の人類系統との交雑
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_49.html


 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の共通祖先と遺伝学的に未知の人類系統との交雑の可能性を指摘した研究(Rogers et al., 2020)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。は、すでに昨年(2019年)6月、査読前に公開されていました(関連記事)。その時と内容は基本的に変わっていないようなので、今回は多少の変更点などを中心に簡単に取り上げます。

 本論文の要点は、現生人類(Homo sapiens)系統と分岐した後の、ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先である「ネアンデルソヴァン(neandersovan)」は、220万〜180万年前頃にネアンデルソヴァンおよび現生人類系統の共通祖先系統と分岐した「超古代系統」と分岐した、というものです。ネアンデルソヴァン系統におけるネアンデルタール人系統とデニソワ人系統の推定分岐年代は737000年前頃(査読前の論文では731000年前頃)で、その少し前にネアンデルソヴァン系統と現生人類系統が分岐したと推定されますから、その間にネアンデルソヴァン系統と超古代系統が交雑したことになります。本論文におけるネアンデルタール人系統とデニソワ人系統との推定分岐年代は、たとえば44万〜39万年前頃とする他の研究(関連記事)よりもずっと古くなりますが、これはネアンデルソヴァン系統と超古代系統の交雑のように、本論文が複雑な交雑を想定しているからではないか、と推測されています。

 ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡では、185万年前頃までさかのぼる人類の痕跡が確認されています(関連記事)。本論文は、人類の出アフリカは大別して3回あり、200万年前頃となる最初に超古代系統がアフリカからユーラシアへと拡散し、その後はアフリカの人類とは交流せず、80万〜70万年前頃となる2回目の出アフリカでネアンデルソヴァン系統がユーラシアへと拡散した超古代系統と交雑し、7万〜5万年前頃となる3回目に現生人類がユーラシアへと拡散した、と推測しています。もっとも、すでにゲノムが解析されている現生人類やネアンデルタール人やデニソワ人には遺伝的影響を残していない人類系統による、他の出アフリカもあっただろう、と考えられます。たとえば、中国北西部の212万年前頃の人類(関連記事)です。また、出アフリカ系現代人の主要な祖先ではない現生人類系統の出アフリカも20万年以上前から複数回あった、と推測されます(関連記事)。

 人口史については、超古代系統の有効人口規模は2万〜5万人と推定されており、ネアンデルタール人やデニソワ人よりも多かった、と推定されています。また、本論文の筆頭著者のロジャース(Alan R. Rogers)氏は、以前の研究(関連記事)では、ネアンデルタール人の人口は他の研究の推定よりかなり大きかった、と推定されていました。ネアンデルソヴァン系統は人口が減少し、ネアンデルタール人系統はデニソワ人系統との分岐後に人口が数万人規模まで増加していき、各地域集団に細分化されていった、というわけです。一方、他の研究では、ネアンデルソヴァン系統が現生人類系統と分岐した後、ネアンデルタール人系統もデニソワ人系統も人口がずっと減少していった、と推測されています(関連記事)。本論文は、クロアチアのネアンデルタール人の高品質なゲノム配列(関連記事)も対象とすることで、他の研究と近いネアンデルタール人の人口史を推定しています。

 本論文の課題の一つとして挙げられているのは、他の研究で提示されている遺伝学的に未知の古代系統の交雑など、人類史における複雑な交雑事象を踏まえて、どう整合的に解釈するのか、ということです。たとえば、現生人類およびネアンデルソヴァンの共通祖先と分岐した超古代系統がアフリカでアフリカ西部集団の祖先と交雑した、という最近の研究(関連記事)や、サハラ砂漠以南のアフリカ集団における未知の人類系統との交雑の可能性を指摘した研究(関連記事)です。ただ、後者の研究では、それが単一もしくは複数のアフリカの現生人類系統である可能性は除外されていません。また、早期現生人類がネアンデルタール人と交雑し、その後でネアンデルタール人と交雑した出アフリカ現生人類集団の一部がアフリカに「戻って来た」ので、現代アフリカ人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響は以前の推定よりずっと高い、という研究(関連記事)もあります。

 このように、人類史において異なる系統間の交雑は珍しくなかったようです。超古代系統とネアンデルソヴァン系統は、分岐してから120万年以上経過してから交雑したと推定されており、分岐してから100万年程度では、交雑の大きな障壁にはならないようです。ネアンデルタール人やデニソワ人と現生人類とは、分岐してから70万年ほど経過して交雑していますから、単純に時間経過だけを考えると、交雑はより容易だった、と言えそうです。もちろん、分岐してからの時間が短くとも、生殖隔離をもたらすような変異が蓄積される可能性もありますが。アザラシにおいても、現生人類とネアンデルタール人の場合よりも遺伝距離が2.5倍の種間で交雑が生じており(関連記事)、おそらく哺乳類において一般的に交雑は珍しくなく、それが進化の一因になったのでしょう。


参考文献:
Rogers AR, Harris NS, and Achenbach AA.(2020): Neanderthal-Denisovan ancestors interbred with a distantly related hominin. Science Advances, 6, 8, eaay5483.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aay5483

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_49.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c42

[近代史4] 岡山 真賀温泉 幕湯 中川隆
1. 中川隆[-13555] koaQ7Jey 2020年2月24日 14:25:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-69]

yajiさんの旅の道草 岡山 真賀温泉 幕湯・郷緑温泉





真賀温泉 幕湯 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9C%9F%E8%B3%80%E6%B8%A9%E6%B3%89+%E5%B9%95%E6%B9%AF

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/273.html#c1
[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
4. 中川隆[-13550] koaQ7Jey 2020年2月24日 16:36:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-64]

雌阿寒 山の宿 野中温泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/276.html

栃尾又温泉 (放射能泉)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/246.html

群馬 万座温泉 豊国館
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/277.html

箱根 姥子温泉 秀明館 (眼に効く温泉)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/269.html

増富ラジウム温泉 不老閣 (放射能泉)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/247.html

長野 毒沢鉱泉 神乃湯
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/263.html

湯の島ローソク温泉 (放射能泉)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/248.html

大阪 山空海温泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/272.html

奈良 入乃波温泉 山鳩湯
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/275.html

岡山 真賀温泉 幕湯
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/273.html



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c4

[昼休み53] 関西の名曲喫茶・ジャズ喫茶 中川隆
12. 中川隆[-13547] koaQ7Jey 2020年2月24日 16:42:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-61]

湯の島ローソク温泉 (放射能泉)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/248.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/381.html#c12
[番外地7] 中国は共産国家ではない 中川隆
1. 中川隆[-13535] koaQ7Jey 2020年2月24日 17:08:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-49]
水島さんは完全に勘違いしているけど、中国人は共産主義者でも唯物論でもないよ、
そもそも共産主義国には、現在の中国みたいな階級も極端な貧富の差は存在しないからね。
中国人は正統派の儒教者だよ

●中国・kankoku は儒教国。儒教は徳治主義。

●徳治主義は「徳のある」人には「良い結果」が訪れるという理屈。 ●もしもお金を騙し取られた場合、騙されたのは「徳が無い」からとなる。

●もしもお金を騙し取り、うまく逃げおうせたら、それは「徳がある」から、お金を手に入れたとなる。

●よって騙されるより、嘘をついて騙す方が得。嘘がバレたらケンチャナヨ(まぁいいか)となる。

●嘘をつくというよりは、嘘のハードルが低い。
徳治主義について中国・kankoku は儒教の国です。儒教は徳治主義です。徳治主義というのは「徳のある人が統治者になると国が栄える」というものです。これは統治者に関わらず、国民全体に浸透しています。よって中国・kankoku ではこの徳治主義が倫理の基礎となっています。 それで庶民にとっての徳治主義をというのは、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったからということになります。逆に悪い結果があれば、その人に徳がない、つまり、悪い人であるか、もしくはバカということになります。
この理屈をよく覚えておいてください。

騙す人と騙される人はどちらが悪いかさて。
ここで問題です。 Aさんがいます。 このAさんが、騙されてBさんにお金を取られたとします。
このとき、AさんとBさんはどちらが悪いでしょうか?普通の国ならBさんが悪い 普通の国ならノータイムで悪いのはBさんになります。
Bさんが騙しているからです。 事実と異なることを言って、誤解させてお金をせしめているからです。Bさんが嘘をついているから、Aさんは悪くないということです。 まぁ、場合によっては、「よくそんな嘘に騙されたな」ということもありますが、ほとんどの法治国家ではAさんに非は無く、Bさんの犯罪ということになります。
儒教の徳治主義に照らすとAさんが悪い でも儒教ではそう簡単にはいきません。 「悪い結果があったのは、その人に徳がないから」

という原則があるからです。 この原則に照らすと、Aさんが悪くなります。
お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのはAさんに徳が無いからです。
騙す人の論理ではBさんの側で考えてみましょう。

Bさんは普通の国では問答無用で「悪い」のですが、儒教では「嘘をついた時点で悪」というわけではありません。儒教では警察に捕まるなどしないと、「悪い結果」と受け取られません。もしも、うまく逃げおうせたら、単に「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけとなり、なぜBさんがお金を手に入れることが出来たのかというと、それはBさんに徳があるからということになります。つまりBさんはうまくやった立派な人であり、徳のある正しい人となります。

無論、中国・kankoku 以外の国では警察に捕まろうと捕まらなくとも嘘をついた時点で「悪人」なのですが、儒教ではこういった結論と成ります。バレなければOK。バレたらケンチャナヨ精神です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/488.html#c1

[リバイバル3] 天才料理長を失った嵐山_吉兆と雲仙_半水盧のその後 中川隆
13. 中川隆[-13534] koaQ7Jey 2020年2月24日 17:53:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-48]

日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男
枯山水庭園と簡素化、そして夜の美学
https://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/art/antique/antique_5/post_968.html


 今回は日本の庭園、特に枯山水という独特の庭園様式と銀閣寺の独自性、そして能楽について書いてみたい。

 枯れた山水とは何か?山水とは自然の山とそこに流れる川をいうのであるから、水が枯れていたのでは話にならないではないかと思われるであろう。大自然の雄大さを自分の庭に持ち込もうとした試みがその背景にあることは言うまでもないが、大自然を小さな庭にそのまま持ち込むことは、対象が広大すぎて不可能なことである。そこで小さい世界に縮める、すなわち縮小する、ミニチュア化することからはじまる。それはまた省略の歴史そのものでもある。余計なものは省く。簡略化する。水の代わりに白い砂が使われる。盆栽のルーツは中国で、それが平安時代に日本に伝わったとされる。まさに一遍上人の国宝の絵伝の「筑前の国の武士の館」の縁側に見られる盆栽が資料性の高い初現ではないか。それは次第に愛好者を増やしてゆくが、ある意味で「省略、簡略」化の日本の美学の歴史にも沿っており、広大な自然を一幅の絵に描いた雪舟の色を省略した白黒の世界である水墨画にもその傾向は顕著である。

 「能」は足利義満の時代に、世阿弥が大成した世界である。能の最もすばらしいところは、その省略性にある。舞台には最小限の小鼓、大鼓、笛、謡いが静かなたたずまいで控え、正面には松の絵が見えるのみである。小道具が時々使われるが、それはもう最小限の「かたち」を示す程度でしかない。能を鑑賞する側からみると、面(おもて)の中で発せられる謡は聞きにくく、意味すら判じにくい。事前の勉強が必要、いや当時の観る側、すなわち貴族はそうした知識を教養として身に付けておかねばならなかった。吉野が舞台で、桜が散っているとシテが謡えば、吉野山の風景が眼に浮かび、そこにある古桜の花びらが風に舞っている有様を想像しなければいけない。そのように能はあらゆる意味において、最高の教養と体験、最もふさわしい場を自分の脳裏に描き出し、作者の言わんとする核心を即座に理解しないといけないのだ。省略という点において「能」はその究極といえる。庭も同じだ。有名な「竜安寺石庭」。


観る者の心のありようによって見方が変化する石の庭園

 この庭に配置されたそれぞれの石は「どうだ、おまえはこれをみて何を思うか?」そう問いかける。見る者によってそれぞれの心に浮かぶ想いが異なる。禅問答のようであるが、素直に感じればいい。絶対的に正しい答えなどない。海に浮かぶ島のようだ・・とか、雲の合間に顔を出す山の頂きのようであるとか、宇宙に広がる空間に浮かぶ星々のようだとか、何でもいい。その観る者の過ごしてきた人生経験の世界と想像、観念の世界がそこに表現される。「絶対の答え」ということなど存在しない、個人によってその人生もそれぞれ違うように、その感じ方も大きく違う。その振幅の幅が禅的世界観とも、芸術感覚ともいえる。さらに哲学ともいえるのである。であるから禅の世界には芸術家が生まれやすい土壌が形成される。日本の芸術、美術の奥深さ、すごさはこうした世界に類例のない省略の世界観を室町という時代に創り上げたことだ。もちろんそこには仏教という大きな思想的世界が背景にあることはいうまでもない。

 外国のオペラや劇には大道具、小道具はひしめいて、演出者の世界を観る者に解りやすく、具体的に、より現実的に示そうと試みる。それが演出だ。ところが日本の能では「演出者」は観る者自身なのだ。日本の室町の能のように、省略に徹した芸術は海外には存在しない。

 生け花、すなわち華道も自然の花を室内に持ち込むことにおいては同じ発想の流れにある。自然をひとつの小さな世界の中に閉じ込めること、すなわち都会で田舎の大自然を楽しもうということは、そうした省略の方向づけがなされてはじめて大きな花の咲く空間が部屋の一隅に集約される。料理も建築も同じだ。

 足利義満の時代のいわゆる「北山文化」の歴史的特徴としては、中国文化、とりわけ禅宗の影響を強く受けたことがあげられる。鎌倉時代から武士を中心に新しい宗教として信仰されてきた内向的な禅宗は、次第に日本の文化や芸術の中に溶け込み、その担い手は武士から庶民、町人に広く浸透して行くこととなった。

 村田珠光、利休とその茶の師である武野紹鴎などによる侘び茶の展開も禅宗の影響が大きく影を落としている。さらに茶道の中に禅宗的な庭が取り込まれ、その簡素さ、精神性、枯淡美を取り入れるなど、後の侘び茶道の方向性に極めて強い影響を与えたと考えられる。

 同じ室町時代に作られた金閣寺と銀閣寺にも大きな意味、象徴性が隠されている。金と銀、太陽と月、昼と夜、明暗、陰陽など、日本文化は常に2つの世界の対比、すなわち二元論的世界観が基本になっている。金はもとより宝であり、冨の象徴であり、精神的には阿弥陀浄土の色彩である。反面、銀は渋く、それでいて高貴な色彩をおび、いぶし銀という言葉に代表されるような、渋く控えめな光沢を持っている。金を代表する建築物が金閣寺で、銀を代表する建築物が銀閣寺である。ところが金閣寺には金が貼られ、黄金色に輝いているが、銀閣寺には銀はどこにも貼られていない。木造の単なる書院造り。義政に銀を貼る財力がなくなったからだとかの理由がまことしやかに伝えられたが、銀閣には元々銀が貼られる予定はなかった。それは何故かというと、銀閣は銀、すなわち月の光、夜を象徴する寺だからである。門を入ると、銀閣の手前に白い盛り砂の「銀沙灘(ぎんさだん)」がある。そして銀閣と銀沙灘の間に向月台がある。この向月台の形は円錐型の上三分の一を横に切り取った形をしている。


銀沙灘 向月台 そして銀閣を望む

 そして銀閣を背にして立つと、前には池が広がっている。銀閣の正面には東山がひかえ、夕闇が迫り、暗黒の世界が出現するとそこから月がのぼり始める。銀閣は月の出に真正面に向いている。実はこれからが銀閣の世界なのである。

 こうした月夜に足利義政は銀閣の二階に上り、庭を見下ろす位置に立つ。右下に実際の池が東山からのぼった月を映してキラキラ輝いている。左に目を転じると、月の光に照らされた銀沙灘があたかも大海のように照らし出されているのが見える。その手前には円錐型の上面に月の光が反射して、架空満月を演出している。義政のいる銀閣の上から観ると「実」と「虚」の対比世界が巧妙に演出されて見えるのである。まさに日本美術史上かつてない新しい試みの世界が足利義政によってつくり出されたのである。


筆者による想像のイラスト・義政の観た銀閣の不思議な「虚」と「実」の世界

 その美学は後に小堀遠州等によって「桂離宮」の観月台に引き継がれるが、しかし銀閣は単なる月見を楽しむ場所ではない。義政は応仁の乱の時でさえ、この銀閣にこもっていたという。義政の父は足利六代将軍義教(よしのり)で、赤松満祐に嘉吉の変で暗殺された。義教は信長の手本となった人物ともいわれ、恐怖政治ともいえる強権をふるいすぎた末の暗殺であった。下克上の世の始まりである。その義教の子が義政である。義政の将軍就任以後、天下は乱れ、応仁の乱が勃発する。その全国を二分する大乱の中で義政は銀閣に閉じこもった。政治的には無能と言われる義政であるが、そうせざるを得なかった義政の気持ちは理解できる。将軍という権力のむなしさを彼はまさに実感していたに違いない。「虚」と「実」を見極める場、「空」すなわち、うつろう実相の中において哲学的に「実」は「虚」ではないのか、さらにそこから「生」と「死」を考えたのではないだろうか。私にはそう思えてならない。

 この虚と実の対比、対立が抽象とか象徴という概念を生みだすことにつながってゆく。熟した自由な見方、自由な考え方、その自由な組み合わせと対比・・・そこにこそ次なる芸術の飛躍が待っている。

https://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/art/antique/antique_5/post_968.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/276.html#c13

[番外地7] 新型コロナウイルスに一番近いのはスペイン風邪 中川隆
1. 2020年2月24日 23:23:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-47]

スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人)で死んだ著名人

ギヨーム・アポリネール(文学者)
マックス・ヴェーバー(政治学者)
グスタフ・クリムト(画家)
エゴン・シーレ(画家)
ヴェストマンランド公エーリク(スウェーデン王子)
ヤーコフ・スヴェルドロフ(政治家)
エドモン・ロスタン(劇作家)
チャールズ・ヒューバート・パリー(作曲家)
竹田宮恒久王(皇族)
末松謙澄(政治家、元内務大臣)
徳大寺実則(公爵、元内大臣)
島村抱月(劇作家)
村山槐多(画家)
野村朱鱗洞(俳人)
辰野金吾(建築家)
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/495.html#c1

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
29. 中川隆[-13533] koaQ7Jey 2020年2月24日 23:30:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-46]
国家がリスクを取らないと東京オリンピックは危ない 2020 FEB 24 by 東 賢太郎

みんな総力をあげて必死に戦っている。どこかで聞き覚えた声明だ。

1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦。霞が関の海軍省・軍令部では祝杯の準備をして戦勝報告を待っていたが、飛び込んできたのは空母4隻を失う予想外の知らせだった。開戦以来初めてとなる大敗に直面し、これをどう発表するかをめぐる調整は難航を極めたという。報道部は「空母2隻沈没、1隻大破、1隻小破」とする発表文を起案したが、作戦部が猛反対した。3日後に発表された味方の損害は「空母1隻喪失、1隻大破、巡洋艦1隻大破」に減らされた。一方で、敵の損害は「空母1隻の大破」が「2隻撃沈」に水増しされ、「沈めた空母の数で日本の勝ち」と発表された。


新型コロナウィルスに関する大本営発表が出ないことを願うが、そもそも英国籍で米国がオペレートしイタリア人が船長で多数国籍の船員という条件下で船員の管轄権がどこまで日本にあり、ことばと文化の差を御してどこまで乗務員の指導と船内隔離ができていたのか?報道は乗客の検査情報ばかりで、船長や乗務員は石ころのごとしで顔も肉声も健康状態もほとんど知らされない。僕は2度クルーズ船に乗ったが、乗客同士の感染よりも「かくれ陽性」の乗務員が懸命に職務を履行するあまりに「善意で」多数の乗客と濃厚接触してしまったことを疑う。
それを防ごうとすれば乗客への食糧や薬の配布などライフラインが脅かされるのだから、防ぐ敵は病死か餓死かの選択であり、誰が見てもやむなしの判断だったのではないかと推察する。そう国民に情報開示すればいいのだ。国民が「清潔、不潔ルート」写真でごまかせると思ったのか副大臣のご真意は不明だが、たぶん政治家はネット民を甘く見ているだろう。違う。稚拙な書き込みであろうと不特定多数の閲覧で精度が徐々に増し、炎上すればするほど「集合知」になってどんどん真相に接近していく。
厚労省は水際対策はもう放棄し、パンデミック防御策に移行するのだろう。しかし、水際対策は僕が1月31日のブログにこう書いた時点で、もう終わっていたのである。
武漢から帰国便で2名の無発症キャリア(不顕性感染者)が見つかってしまった時点で、国境での検疫防御がワークしていなかったことが発覚したわけである。封鎖前の武漢市から脱出した中国人は500万人で脱出先のうち成田は3番目に多い9000人だそうだ。不顕性感染者はその2名の発覚以前に中国人旅行者としてたくさん入国してしまっていた高い可能性がある。実はもう騒いでも遅いのだ。
中国人の9000人は忘れても、「無発症キャリア(不顕性感染者=かくれ陽性)がいるウィルスなのだ」という事実が発覚したこの時点で、人・人感染の有無はわかっていなかったが、敵が何者かよくわかっていない非常時の水際対策というのは最悪の事態を前提にしないと意味ない。ということは「人を見たらウィルスと思え」という事態が来ることは確実とすべきだったのだ。武漢帰国者の14日隔離のデータから疫学的エビデンスが得られたそうだが、ホテル三日月の日本人従業員と船の管轄下にない多国籍船員の接触条件が等価でなければエビデンスは無意味だ。その意味で「不潔ルート」写真はオウンゴールであった。
中国は全人代を延期する。これはこのウィルスの正体を察知したかの如き決然たる厳戒態勢、非常事態宣言だ。呼応するように韓国も最高度のレベル4になった。潜伏期が24日、エアロゾル感染がある、ウィルスが尿と便にも出るという説も聞こえ始め、「人を見なくてもウィルスがいると思え」となる収拾不能な事態すらあり得る。日本の対応はあの程度で大丈夫かと武漢に閉鎖されている一般住民に心配されているらしい。ここで、国は地公体、個人まかせでなく国家として毅然とした、リスクを取った、国民も外国も納得するような手を打たないと、仮に8月までにピークアウトしたとしても東京オリンピックは危ないと思料する。全国民への喫緊の課題は検査試薬の導入、増量だろう。陽性と知った所で薬はなく自分で治すしかないのだが、特定して隔離することで拡散は抑えられ収拾不能な事態は回避できる。ぜひお願いしたい。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/24/国家がリスクを取らないと東京オリンピックは危/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c29

[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
5. 中川隆[-13532] koaQ7Jey 2020年2月24日 23:58:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-45]

島根 温泉津温泉 元湯泉薬湯
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/278.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c5
[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
6. 中川隆[-13529] koaQ7Jey 2020年2月25日 00:55:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-42]

北海道 幌加温泉 鹿の谷
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/280.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c6
[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
7. 中川隆[-13525] koaQ7Jey 2020年2月25日 05:02:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-38]

群馬 草津温泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/281.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c7
[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
8. 中川隆[-13522] koaQ7Jey 2020年2月25日 05:34:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-35]

栃木 那須温泉郷 北温泉旅館
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/287.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c8
[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
9. 中川隆[-13517] koaQ7Jey 2020年2月25日 07:18:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-30]

山梨 奈良田温泉 白根館
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/292.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c9
[番外地7] 新しい教科書をつくる会 中川隆
1. 2020年2月25日 08:43:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-26]
その教科書の資料自体がデタラメだからね。
慰安婦が売春婦だとか、南京大虐殺が無かったとか、徴用工が自分の意思で来たとか、
天皇家が万世一系だとか、すべて悪質な嘘だよ

馬渕さんのグローバリズムが共産主義だとか、ユダヤ思想だというのもすべて間違い、
トランプや安部さんが反グローバリストだというのも間違い
そもそも右翼の話で正しい事なんか過去に一つでも有ったかな?

民青や共産党員も全員バカだったけど、右翼も同程度のバカ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/500.html#c1

[番外地7] 新しい教科書をつくる会 中川隆
2. 中川隆[-13513] koaQ7Jey 2020年2月25日 08:49:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-25]
その教科書の資料自体がデタラメだからね。
慰安婦が売春婦だとか、南京大虐殺が無かったとか、徴用工が自分の意思で来たとか、
天皇家が万世一系だとか、すべて悪質な嘘だよ

馬渕さんのグローバリズムが共産主義だとか、ユダヤ思想だというのもすべて間違い、
トランプや安部さんが反グローバリストだというのも間違い
そもそも右翼の話で正しい事なんか過去に一つでも有ったかな?

民青や共産党員も全員バカだったけど、右翼も同程度のバカ

まあ、トロツキストがネオコンに転向したり、戦中に米英鬼畜と叫んでいた愛国者が戦後全員 日本共産党員に転向したり、極左と極右は状況が変わると直ぐに互いに転換するから、知能レベルも同じでないとおかしいんだけどね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/500.html#c2

[近代史3] 外国人が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている 中川隆
17. 中川隆[-13512] koaQ7Jey 2020年2月25日 09:00:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-24]

[2020.2.24放送]観光公害——故郷はこうして失われる(KBS京都ラジオ)/ゲスト:川端祐一郎



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/185.html#c17
[近代史3] 訪日外国人による観光公害 地元住民の被害は限界 中川隆
12. 中川隆[-13511] koaQ7Jey 2020年2月25日 09:01:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-23]
[2020.2.24放送]観光公害——故郷はこうして失われる(KBS京都ラジオ)/ゲスト:川端祐一郎



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/527.html#c12
[リバイバル3] 廃墟と化した水上温泉 中川隆
145. 中川隆[-13510] koaQ7Jey 2020年2月25日 09:02:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-22]
[2020.2.24放送]観光公害——故郷はこうして失われる(KBS京都ラジオ)/ゲスト:川端祐一郎



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/624.html#c145
[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
569. 中川隆[-13509] koaQ7Jey 2020年2月25日 10:27:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-21]
2020年02月25日
田舎暮らし 農家に転職 ブラック農業の実態


5年間は国が150万くれるが、5年経ったら開拓した農地は地権者に取られてしまう
開拓した農地を取られるとは、5年間の努力がゼロになる事です。

引用:http://www.maff.go.jp/j/new_farmer/img/zentai.jpg


田舎暮らしにあこがれて移住し、農業を始めるのがブームだったが、そうした人たちはその後どうなったのだろうか。

農業で成功した人が居る一方で、やはり上手く行かず都会に「Uターン」する人も多いようです。


田舎暮らしの失敗例

田舎に移住する人の中には農業に憧れて、田舎に引っ越す人が居るが、当然ながら土地を持っていません。

今農業をしている人の多くは親から農地を「タダで」受け継いだ人たちで、親から農業の手ほどきを受けたと思います。

大げさに言うと農業英才教育を受けたエリート達で、そんな人たちですら農業で食べていけないと言っています。


対して田舎に移住する人は若い人は20代も居るが、30代から40代、あるいは50代で農業経験なしという人も居る。

考えただけで前途多難だと思うのだが、最近は地方自治体が農業体験の機会を設けたり、給付金を出したりしています。

農業用地や住む家も、空き家とか耕作放棄地を紹介するなど、都会の人が農業に参加しやすくしています。


最近では政府が就農給付金制度(農業次世代人材投資資金)をつくり、農水省が「農業を始めたい皆さんを応援します!」とPRしています。

内容は新たに農業を始める人には、年間150万円をくれるという凄いもので、研修期間も年150万円を助成する。

自治体が農地や住む家も紹介してくれて、何の問題もなく農業を開始できるようになっている。


ところがこれらは皆、始める前の支援なので、田畑を耕したり収穫して売るのは、自分でしなければならない。

農業を始めてから上手く行かずに、結局は撤退する人が多いのが現状だそうです。

まず新たに農業を始める人たちは「農業エリート」と違い、親が農民じゃないし、子供の頃から手ほどきも受けていない


多くの転職者が5年で廃業する理由

家庭菜園とかアウトドアをやった事がある程度なので、大人になって農業の技術を習得するのが難しい。

子供の時から、田んぼや畑で虫を取っていた人とは、やっぱり経験や知識、技術に大差があります。

研修を受けて農地を手に入れて、教えられた通りにやっても、周囲の農家の半分も収穫できないでしょう。


新たに始める人は無農薬とか有機栽培とか、理想的な農業を目指す人も居て、それらは普通の農業よりも難しい。

年間利益は100万円以下なので、給付金150万円を足してやっと生活できる程度です。

それだと農機具とか必要な経費が出ないので、農閑期には都会に出稼ぎに出る事になります。


この調子で5年目を迎えると、多くの人は「辞めて都会に戻ろうかな」と考えます。

農地や空き家を貸している農家も、4年目くらいになると、「そろそろ出て行ってくれないか」と言い出します。

農業でやっていけないのは傍から見て分かるので、給付金が無くなったら家賃や地代を払えなくなるからです。


やっと耕した田んぼや畑が、ようやく収穫できるようになって「出て行け」というのも酷い話ですが、続けたらもっと酷い事になるでしょう。

実際真剣に頑張った挙句、農作業と出稼ぎで身体を壊し、ボロボロになった人も居るようです。

経営的に上手く行っていたとしても、やっぱり5年ほど経つと立ち退かせる例が多く、この「5年間」に秘密があるらしい。

騙され利用される就農者たち

放棄して荒廃した農地を耕して収穫できるようになるのが大体5年で、農地を貸す人は最初からそれ目当てで貸す場合があります。

荒れた農地を耕したら、所有者は農地を取り上げて自分で収穫すれば、面倒な手間を省けるのです。

農業就職支援制度などは国や自治体がやっている事で、農家は必ずしも「よそ者」を歓迎しません。


だいたい農村というのは隣同士ですら仲が悪い事が多く、僅かな事で反目しあっているものです。

隣りから農薬が飛んできたとか、隣から来た虫に作物を食われたとか、争いの種は無数にあり協力的ではない。

まして都会から来た新規就農者は「利用できるだけ使ってやれ」と考えている地主も居るのです。


借地権は30年間有効な筈ですが、正式な契約を交わしていないのか、一方的に立ち退きを宣告されます。

無料で仕える開拓民として利用されたあげく、土地を開墾したら追い出されます。

こうして非常に多くの人が、5年以内に農業を辞めているのでした。

これから農業を始める人は、開墾したら自分の土地になるのか、契約書を良く確かめた方が良いです。
http://www.thutmosev.com/archives/62900430.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c569

[近代史4] 長野 毒沢鉱泉 神乃湯 中川隆
1. 中川隆[-13506] koaQ7Jey 2020年2月25日 11:47:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-18]





武田信玄の隠し湯だったと言われる毒沢温泉は下諏訪の市街地からすぐの所に在るんですが泉質は全く違います、アルミニウム硫酸塩泉のえぐい味は最初はびっくりしましたね、

当初は3件の旅館で分け合っていた源泉ですが、沢の湯が廃業したので今は
宮の湯と神乃湯の2軒になってしまいました、

凄い泉質ですが残念なことに温度が低くて湯量も少ないのがやや残念な点ですがしかし大変珍しい泉質であることに変わりはなく信玄公の隠し湯にふさわしい温泉です。



毒沢鉱泉 神乃湯 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%AF%92%E6%B2%A2+%E7%A5%9E%E4%B9%83%E6%B9%AF



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/263.html#c1
[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
10. 中川隆[-13505] koaQ7Jey 2020年2月25日 12:11:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-17]

群馬 霧積温泉 「金湯館」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/296.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c10
[近代史4] 星野リゾートにだけは泊まってはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13499] koaQ7Jey 2020年2月25日 14:01:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-11]

星野リゾートってどうですか?
リゾートマンション・リゾートホテル・別荘掲示板@口コミ掲示板・評判
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/1-1000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/299.html#c1
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
267. 中川隆[-13498] koaQ7Jey 2020年2月25日 16:10:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-10]


バフェット氏 新型肺炎は株式に大きく影響しているが、株は売らない
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2020年2月25日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8816

中国武漢発の新型コロナウィルス肺炎が日本とイタリアにも飛び火し、これまで大きく反応していなかった金融市場も騒ぎ始めた。今回の記事で取り上げたいのは、普段あまり取り上げていないBerkshire Hathawayのウォーレン・バフェット氏の新型肺炎に関するコメントである。

バフェット氏はCNBCのインタビューで次のように説明している。


はっきり言っておくが、Birkshireのビジネスのかなりの部分が何らかの形で新型肺炎の影響を受けている。

バフェット氏のBirkshire Hathawayは保険業を始めとして様々な種類のビジネスを保有する大型のファンドのようなものである。Birkshireはもともと織物業だったが、社内に資金が余っていることに着目したバフェット氏によって買収され投資ファンドになったのである。

バフェット氏はBirkshireの保有する様々なビジネスが新型肺炎によって影響を受けている様子を説明する。


中国にはアイスクリームチェーンのDaily Queenの店舗が1000くらいあるが、ほとんどは閉まっている。開いている店舗も言うほどの商売になっていない。

Birkshireのより大きなポジションは例えばAppleである。BirkshireはAppleの5.6%を保有しているが、Appleが言うには新型肺炎は店舗の閉鎖だけではなくサプライチェーンなどあらゆる面で影響を及ぼしている。他にもBirkshireの保有する一定数の企業がサプライチェーンを通じて影響を受けている。

以前の記事では航空株や空港株など新型肺炎で直接影響を受ける銘柄を取り上げた。

•中国武漢の新型コロナウィルス肺炎、株式投資戦略と関連個別銘柄
•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか

しかしそうした銘柄以外にも幅広い企業が新型肺炎の影響を受けている。バフェット氏のように自分の保有する企業を通して得た情報で語る語り口には重みがある。1つ1つの銘柄に深く関われるのはバフェット氏のような長期投資家の強みである。グローバルマクロのヘッジファンドではある業界を空売りしようと思えば、個別株に立ち入らずにその業界のETFを売買することで済ませてしまうことも多い。

では、新型肺炎の影響を誰よりも痛感しているバフェット氏は投資家としてどうするのか? 彼は次のように言う。


われわれは株を売らない。

何故か?


投資家はビジネスを買っているのだから、株とはそういうものだと理解しなければならない。10年でも20年でも保有するのだから。この24時間や48時間で10年や20年の見通しが変化しただろうか?

American ExpressやCoca Colaなど、Birkshireが部分的に保有するビジネスの多くは今日明日のニュースで売ったり買ったりすべき株ではない。仮にそれで下落したとしても、それは好きなものを買える好機であり安く買えるのだから喜ぶべきだろう。

これが長期投資家の見方である。そもそもバフェット氏は年中買い方の投資家なのだから、下落相場で空売りするという考え方はもともとないのである。

短期か長期かというのは投資家にとって非常に重要である。短期投資家にとっての絶好の売り場が長期投資家にとっての絶好の買い場ということもある。バフェット氏は決して新型肺炎で株が下落しないと言っているのではない。彼は次のように言っている。


明日の株価にはどんなことでも起こりうる。市場はたまに大きな下落を経験する。50%かそれより大きいこともあるだろう。

それでもバフェット氏には関係ないのである。2008年のリーマンショックではBirkshireの株も暴落した。しかし米国株への徹底した長期投資はそれを補ってあまりある長期リターンをBirkshireにもたらしている。

今の相場に話を戻そう。月曜は日本市場は休場だったが、その間にシカゴ日経平均先物は5%近く下げている。今日は荒れた相場になるだろう。この状況で投資家にとって重要なのは、自分の投資スタンスがどういうものかということである。バフェット氏のようなスタンスであれば下落を受け入れるのも良いだろう。そうでなければ、事前に予測し手を打つ必要がある。それで1月からずっと新型肺炎について書いてきたのである。

•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか
•新型肺炎で原油価格暴落、今後の動向と推移予想

市場は今週から慌て始めるだろうが、事前にここまで予測していた投資家はそろそろ下落の底について考え始める時期である。レイ・ダリオ氏の発言を再び引用しておこう。

•中国新型ウィルス、世界最大のヘッジファンドの投資戦略


一般的にはこうした一生に一度のレベルの災害はまず最初に過小評価され、そして状況が進むにつれて過大評価される。

次の段階に進みつつあるのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8816
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c267

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
137. 中川隆[-13497] koaQ7Jey 2020年2月25日 16:11:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-9]


バフェット氏 新型肺炎は株式に大きく影響しているが、株は売らない
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2020年2月25日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8816

中国武漢発の新型コロナウィルス肺炎が日本とイタリアにも飛び火し、これまで大きく反応していなかった金融市場も騒ぎ始めた。今回の記事で取り上げたいのは、普段あまり取り上げていないBerkshire Hathawayのウォーレン・バフェット氏の新型肺炎に関するコメントである。

バフェット氏はCNBCのインタビューで次のように説明している。


はっきり言っておくが、Birkshireのビジネスのかなりの部分が何らかの形で新型肺炎の影響を受けている。

バフェット氏のBirkshire Hathawayは保険業を始めとして様々な種類のビジネスを保有する大型のファンドのようなものである。Birkshireはもともと織物業だったが、社内に資金が余っていることに着目したバフェット氏によって買収され投資ファンドになったのである。

バフェット氏はBirkshireの保有する様々なビジネスが新型肺炎によって影響を受けている様子を説明する。


中国にはアイスクリームチェーンのDaily Queenの店舗が1000くらいあるが、ほとんどは閉まっている。開いている店舗も言うほどの商売になっていない。

Birkshireのより大きなポジションは例えばAppleである。BirkshireはAppleの5.6%を保有しているが、Appleが言うには新型肺炎は店舗の閉鎖だけではなくサプライチェーンなどあらゆる面で影響を及ぼしている。他にもBirkshireの保有する一定数の企業がサプライチェーンを通じて影響を受けている。

以前の記事では航空株や空港株など新型肺炎で直接影響を受ける銘柄を取り上げた。

•中国武漢の新型コロナウィルス肺炎、株式投資戦略と関連個別銘柄
•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか

しかしそうした銘柄以外にも幅広い企業が新型肺炎の影響を受けている。バフェット氏のように自分の保有する企業を通して得た情報で語る語り口には重みがある。1つ1つの銘柄に深く関われるのはバフェット氏のような長期投資家の強みである。グローバルマクロのヘッジファンドではある業界を空売りしようと思えば、個別株に立ち入らずにその業界のETFを売買することで済ませてしまうことも多い。

では、新型肺炎の影響を誰よりも痛感しているバフェット氏は投資家としてどうするのか? 彼は次のように言う。


われわれは株を売らない。

何故か?


投資家はビジネスを買っているのだから、株とはそういうものだと理解しなければならない。10年でも20年でも保有するのだから。この24時間や48時間で10年や20年の見通しが変化しただろうか?

American ExpressやCoca Colaなど、Birkshireが部分的に保有するビジネスの多くは今日明日のニュースで売ったり買ったりすべき株ではない。仮にそれで下落したとしても、それは好きなものを買える好機であり安く買えるのだから喜ぶべきだろう。

これが長期投資家の見方である。そもそもバフェット氏は年中買い方の投資家なのだから、下落相場で空売りするという考え方はもともとないのである。

短期か長期かというのは投資家にとって非常に重要である。短期投資家にとっての絶好の売り場が長期投資家にとっての絶好の買い場ということもある。バフェット氏は決して新型肺炎で株が下落しないと言っているのではない。彼は次のように言っている。


明日の株価にはどんなことでも起こりうる。市場はたまに大きな下落を経験する。50%かそれより大きいこともあるだろう。

それでもバフェット氏には関係ないのである。2008年のリーマンショックではBirkshireの株も暴落した。しかし米国株への徹底した長期投資はそれを補ってあまりある長期リターンをBirkshireにもたらしている。

今の相場に話を戻そう。月曜は日本市場は休場だったが、その間にシカゴ日経平均先物は5%近く下げている。今日は荒れた相場になるだろう。この状況で投資家にとって重要なのは、自分の投資スタンスがどういうものかということである。バフェット氏のようなスタンスであれば下落を受け入れるのも良いだろう。そうでなければ、事前に予測し手を打つ必要がある。それで1月からずっと新型肺炎について書いてきたのである。

•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか
•新型肺炎で原油価格暴落、今後の動向と推移予想

市場は今週から慌て始めるだろうが、事前にここまで予測していた投資家はそろそろ下落の底について考え始める時期である。レイ・ダリオ氏の発言を再び引用しておこう。

•中国新型ウィルス、世界最大のヘッジファンドの投資戦略


一般的にはこうした一生に一度のレベルの災害はまず最初に過小評価され、そして状況が進むにつれて過大評価される。

次の段階に進みつつあるのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8816
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c137

[リバイバル3] 資産を増やすには ほったらかし投資法が断然優れている 中川隆
32. 中川隆[-13496] koaQ7Jey 2020年2月25日 16:11:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-8]


バフェット氏 新型肺炎は株式に大きく影響しているが、株は売らない
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2020年2月25日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8816

中国武漢発の新型コロナウィルス肺炎が日本とイタリアにも飛び火し、これまで大きく反応していなかった金融市場も騒ぎ始めた。今回の記事で取り上げたいのは、普段あまり取り上げていないBerkshire Hathawayのウォーレン・バフェット氏の新型肺炎に関するコメントである。

バフェット氏はCNBCのインタビューで次のように説明している。


はっきり言っておくが、Birkshireのビジネスのかなりの部分が何らかの形で新型肺炎の影響を受けている。

バフェット氏のBirkshire Hathawayは保険業を始めとして様々な種類のビジネスを保有する大型のファンドのようなものである。Birkshireはもともと織物業だったが、社内に資金が余っていることに着目したバフェット氏によって買収され投資ファンドになったのである。

バフェット氏はBirkshireの保有する様々なビジネスが新型肺炎によって影響を受けている様子を説明する。


中国にはアイスクリームチェーンのDaily Queenの店舗が1000くらいあるが、ほとんどは閉まっている。開いている店舗も言うほどの商売になっていない。

Birkshireのより大きなポジションは例えばAppleである。BirkshireはAppleの5.6%を保有しているが、Appleが言うには新型肺炎は店舗の閉鎖だけではなくサプライチェーンなどあらゆる面で影響を及ぼしている。他にもBirkshireの保有する一定数の企業がサプライチェーンを通じて影響を受けている。

以前の記事では航空株や空港株など新型肺炎で直接影響を受ける銘柄を取り上げた。

•中国武漢の新型コロナウィルス肺炎、株式投資戦略と関連個別銘柄
•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか

しかしそうした銘柄以外にも幅広い企業が新型肺炎の影響を受けている。バフェット氏のように自分の保有する企業を通して得た情報で語る語り口には重みがある。1つ1つの銘柄に深く関われるのはバフェット氏のような長期投資家の強みである。グローバルマクロのヘッジファンドではある業界を空売りしようと思えば、個別株に立ち入らずにその業界のETFを売買することで済ませてしまうことも多い。

では、新型肺炎の影響を誰よりも痛感しているバフェット氏は投資家としてどうするのか? 彼は次のように言う。


われわれは株を売らない。

何故か?


投資家はビジネスを買っているのだから、株とはそういうものだと理解しなければならない。10年でも20年でも保有するのだから。この24時間や48時間で10年や20年の見通しが変化しただろうか?

American ExpressやCoca Colaなど、Birkshireが部分的に保有するビジネスの多くは今日明日のニュースで売ったり買ったりすべき株ではない。仮にそれで下落したとしても、それは好きなものを買える好機であり安く買えるのだから喜ぶべきだろう。

これが長期投資家の見方である。そもそもバフェット氏は年中買い方の投資家なのだから、下落相場で空売りするという考え方はもともとないのである。

短期か長期かというのは投資家にとって非常に重要である。短期投資家にとっての絶好の売り場が長期投資家にとっての絶好の買い場ということもある。バフェット氏は決して新型肺炎で株が下落しないと言っているのではない。彼は次のように言っている。


明日の株価にはどんなことでも起こりうる。市場はたまに大きな下落を経験する。50%かそれより大きいこともあるだろう。

それでもバフェット氏には関係ないのである。2008年のリーマンショックではBirkshireの株も暴落した。しかし米国株への徹底した長期投資はそれを補ってあまりある長期リターンをBirkshireにもたらしている。

今の相場に話を戻そう。月曜は日本市場は休場だったが、その間にシカゴ日経平均先物は5%近く下げている。今日は荒れた相場になるだろう。この状況で投資家にとって重要なのは、自分の投資スタンスがどういうものかということである。バフェット氏のようなスタンスであれば下落を受け入れるのも良いだろう。そうでなければ、事前に予測し手を打つ必要がある。それで1月からずっと新型肺炎について書いてきたのである。

•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか
•新型肺炎で原油価格暴落、今後の動向と推移予想

市場は今週から慌て始めるだろうが、事前にここまで予測していた投資家はそろそろ下落の底について考え始める時期である。レイ・ダリオ氏の発言を再び引用しておこう。

•中国新型ウィルス、世界最大のヘッジファンドの投資戦略


一般的にはこうした一生に一度のレベルの災害はまず最初に過小評価され、そして状況が進むにつれて過大評価される。

次の段階に進みつつあるのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8816
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/975.html#c32

[リバイバル3] 優良株の長期投資以外はすべてギャンブル 中川隆
18. 中川隆[-13495] koaQ7Jey 2020年2月25日 16:12:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-7]


バフェット氏 新型肺炎は株式に大きく影響しているが、株は売らない
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2020年2月25日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8816

中国武漢発の新型コロナウィルス肺炎が日本とイタリアにも飛び火し、これまで大きく反応していなかった金融市場も騒ぎ始めた。今回の記事で取り上げたいのは、普段あまり取り上げていないBerkshire Hathawayのウォーレン・バフェット氏の新型肺炎に関するコメントである。

バフェット氏はCNBCのインタビューで次のように説明している。


はっきり言っておくが、Birkshireのビジネスのかなりの部分が何らかの形で新型肺炎の影響を受けている。

バフェット氏のBirkshire Hathawayは保険業を始めとして様々な種類のビジネスを保有する大型のファンドのようなものである。Birkshireはもともと織物業だったが、社内に資金が余っていることに着目したバフェット氏によって買収され投資ファンドになったのである。

バフェット氏はBirkshireの保有する様々なビジネスが新型肺炎によって影響を受けている様子を説明する。


中国にはアイスクリームチェーンのDaily Queenの店舗が1000くらいあるが、ほとんどは閉まっている。開いている店舗も言うほどの商売になっていない。

Birkshireのより大きなポジションは例えばAppleである。BirkshireはAppleの5.6%を保有しているが、Appleが言うには新型肺炎は店舗の閉鎖だけではなくサプライチェーンなどあらゆる面で影響を及ぼしている。他にもBirkshireの保有する一定数の企業がサプライチェーンを通じて影響を受けている。

以前の記事では航空株や空港株など新型肺炎で直接影響を受ける銘柄を取り上げた。

•中国武漢の新型コロナウィルス肺炎、株式投資戦略と関連個別銘柄
•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか

しかしそうした銘柄以外にも幅広い企業が新型肺炎の影響を受けている。バフェット氏のように自分の保有する企業を通して得た情報で語る語り口には重みがある。1つ1つの銘柄に深く関われるのはバフェット氏のような長期投資家の強みである。グローバルマクロのヘッジファンドではある業界を空売りしようと思えば、個別株に立ち入らずにその業界のETFを売買することで済ませてしまうことも多い。

では、新型肺炎の影響を誰よりも痛感しているバフェット氏は投資家としてどうするのか? 彼は次のように言う。


われわれは株を売らない。

何故か?


投資家はビジネスを買っているのだから、株とはそういうものだと理解しなければならない。10年でも20年でも保有するのだから。この24時間や48時間で10年や20年の見通しが変化しただろうか?

American ExpressやCoca Colaなど、Birkshireが部分的に保有するビジネスの多くは今日明日のニュースで売ったり買ったりすべき株ではない。仮にそれで下落したとしても、それは好きなものを買える好機であり安く買えるのだから喜ぶべきだろう。

これが長期投資家の見方である。そもそもバフェット氏は年中買い方の投資家なのだから、下落相場で空売りするという考え方はもともとないのである。

短期か長期かというのは投資家にとって非常に重要である。短期投資家にとっての絶好の売り場が長期投資家にとっての絶好の買い場ということもある。バフェット氏は決して新型肺炎で株が下落しないと言っているのではない。彼は次のように言っている。


明日の株価にはどんなことでも起こりうる。市場はたまに大きな下落を経験する。50%かそれより大きいこともあるだろう。

それでもバフェット氏には関係ないのである。2008年のリーマンショックではBirkshireの株も暴落した。しかし米国株への徹底した長期投資はそれを補ってあまりある長期リターンをBirkshireにもたらしている。

今の相場に話を戻そう。月曜は日本市場は休場だったが、その間にシカゴ日経平均先物は5%近く下げている。今日は荒れた相場になるだろう。この状況で投資家にとって重要なのは、自分の投資スタンスがどういうものかということである。バフェット氏のようなスタンスであれば下落を受け入れるのも良いだろう。そうでなければ、事前に予測し手を打つ必要がある。それで1月からずっと新型肺炎について書いてきたのである。

•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか
•新型肺炎で原油価格暴落、今後の動向と推移予想

市場は今週から慌て始めるだろうが、事前にここまで予測していた投資家はそろそろ下落の底について考え始める時期である。レイ・ダリオ氏の発言を再び引用しておこう。

•中国新型ウィルス、世界最大のヘッジファンドの投資戦略


一般的にはこうした一生に一度のレベルの災害はまず最初に過小評価され、そして状況が進むにつれて過大評価される。

次の段階に進みつつあるのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8816
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/907.html#c18

[昼休み53] 千葉・埼玉・茨城の名湯 中川隆
6. 中川隆[-13493] koaQ7Jey 2020年2月25日 16:48:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-5]
埼玉 比企郡 都幾川温泉 旅館とき川
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/300.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/377.html#c6
[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
30. 2020年2月25日 17:32:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-3]
2020/2/25 14:39 投稿者:777


中共でも韓国でも医療スタッフは防備服きて仕事してる
日本はわざわざ二階が防備服マスクその他4トンを中共に送ったが、日本の厚労省その他のスタッフは背広や普通の白衣だけで対応

現状、保健所がコロナの検査をしないという状態が続いている

13900件電話相談があったうち、専門外来に繋げたのは500件のみ
さらに、実際に行っても断られる人が多数

ロシュ社の遺伝子検査キットが実用化されているが、
厚労省の独自開発に予算をつけてしまったから頑なに使わない。

そうすると官僚の権限が小さくなり天下り先がなくなり、彼らの金儲けができなくなります。

事務次官経験者は退官した後 天下りし、年収数億円プラス数年ごとに十億円以上の退職金を受け取ります。

退官後の収入が数百億円にも達するそうで、結局官僚がやっているのは「自分の金儲け」です。

________

2020/2/25 11:37 投稿者:777


世界中が悪い意味で驚いた日本政府の新型コロナ対応
 
日本は今、とんでもない状況に追い込まれつつあります。中国で発生したCOVID−19(新型コロナウイルス)に対し、ろくすっぽ対策らしい対策を取らなかったばっかりに水際作戦に失敗。

国内で市中感染が認められるようになってから初めて専門家を呼び、「どうしたらいい?」とやっている始末で(しかも対策会議は毎回十数分程度で終わる始末)、しかも封じ込めに失敗しつつあり、

米国も日本への渡航情報を4段階の中でもっとも低いレベルから1段階引き上げ、レベル2(高齢者や持病のある人は不要不急の場合、渡航の延期を検討したほうがよい)にしたほか、

ミクロネシア、トンガ、サモア、イスラエル、キリバス、ソロモン諸島、韓国、タイ、ブータンなど9カ国が日本を含む感染者が所在する国、地域への渡航抑制を呼びかけるなど、世界各国から「要注意」国になりつつあります。

_____


新型コロナ、厚労省が最新検査法を導入しない呆れた理由


「スイスの製薬会社『ロシュ』が開発した遺伝子検査キットで、喉の粘膜をとればいいだけの簡単なものもすでに実用化されています。しかし、日本政府はなぜか頑なに導入していません。

理由は、厚労省が検査方法を独自開発するために予算をつけ、公共事業にしたからです。

最初からロシュの検査キットを使っていれば、クルーズ船の感染拡大をもう少し抑えられたかもしれません」

「中国ではすでに、CT検査が有効という論文があがり、すぐに切り替えました。しかし、厚労省はそうした最新の検査法を導入していません。感染が流行った国が対応している方法や論文を見て対応すべきなのに、どういう検査が優れているかという最新情報を知らないんです。

その結果、本当は陽性なのに陰性と判断される人が増えています。

 しかも、ワクチンに関しても、国内のワクチンメーカーは厚労省の天下り先なので、日本で作ろうとしている。

なぜ海外のメーカーと協力体制をとらないのか。国民の健康を省みないため、あらゆる対応が後手に回っています」
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c30

[番外地7] 中国語は秦の始皇帝の時から全然変わっていない未開人の言葉 中川隆
1. 2020年2月25日 18:26:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2]
中国語は秦の始皇帝の時から全然変わっていない未開人の言葉だよ
中国語では複雑な感情や感覚も表現できないし、抽象的な思考もできない
だから中国の大学では英語で授業しているんだ。
中国人が中国語を使っている限り中国に未来は無い

因みに、杜甫や李白は鮮卑人で日常語は鮮卑語
それで漢民族と違ってまともな詩や文章が書けたんだ
漢民族は今でも知恵遅れの野蛮人だよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/501.html#c1

[番外地7] 新型コロナウィルスの細菌兵器説 中川隆
2. 中川隆[-13490] koaQ7Jey 2020年2月25日 18:48:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[0]
2020.02.25

新型コロナウイルスは人種によって罹患しやすさに変化があるのか?

 アメリカの​CDC(疾病管理センター)によると​、アメリカにおける今シーズン(2019年から20年)のインフルエンザ感染者数は少なくとも2900万人、死者は1万6000人を超えたという。その死者の中に新型コロナウィルスの患者が含まれているのではないかという推測が日本のテレビ番組の中で語られたと話題になっているのだが、この推測が正しいなら、新型コロナウィルスの深刻度は若干、軽減される。新型コロナウイルスは東アジア系の人びとが罹患しやすく、重症化する傾向があると噂されてきたが、それは非東アジア系の人びとが開発した生物化学兵器である可能性が高いことを示しているからだ。

 もしアメリカで広く問題のコロナウィウルスが広がっているなら、非東アジア系の人びとにも感染、犠牲者が出ている可能性が高い、それが生物化学兵器であったとしても使いにくい。いわば自爆攻撃になってしまうからだ。

 中国の武漢で新型コロナウィルスが広がり始めた頃、西側では中国が開発した細菌兵器が漏れ出たとする話が伝えられたが、本ブログでも書いたように、現在ではアメリカ国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)やDTRA(国防脅威削減局)が注目されている。

 両機関は2018年からコロナウィルスのコウモリからヒトへの感染に関する研究を進め、​DARPAと関係の深いアメリカのデューク大学が中国の武漢大学と提携、2018年にデューク崑山大学を開設​していることも理由のひとつだ。

 アメリカにおける生物化学兵器の研究開発で中心的な役割を果たしてきたのは陸軍感染症医学研究所があるフォート・デトリック。アメリカで細菌兵器の研究開発が始まったのは1920年頃だと言われているが、劇的に変化したのは第2次世界大戦後のことだろう。日本から重要な研究資料がアメリカへ渡されたと言われているのだ。それ以来、アメリカは生物化学兵器の研究開発で先頭を走っている。

 1930年代から日本軍は捕虜を使い、中国で生体実験を始める。生物化学兵器を開発する一環で、その責任者が京都帝国大学医学部出身の石井四郎中将だった。生体実験のため、秘密裏に部隊が編成される。当初は加茂部隊と呼ばれたが、その後東郷部隊に名を変え、1941年からは第731部隊と呼ばれるようになった。

 戦犯に問われることなく帰国した石井は1946年1月から2月にかけて自宅でCIC(米陸軍対諜報部隊)の尋問を受けているが、厳しいものではなかった。その際、GHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と親しくなっている。(Peter Williams & David Wallace, “Unit 731”, Free Press, 1989)

 1947年4月にはキャンプ・デトリック(1955年からフォート・デトリックへ格上げ)から研究者がやって来て、第731部隊の幹部を尋問している。その直前、厚木基地からほど近い倉庫でアメリカ軍の極東医療分隊に所属する「406医療一般研究所」が活動を始めた。そこは病原体の媒介昆虫に関する研究用の「倉庫」と見なされていた。後に同部隊は東京都千代田区丸の内の三菱ビル内に本部を移し、朝鮮戦争の際には戦闘地域へ要員を派遣することになる。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, "The United States And Biological Warfare", Indiana University Press, 1998)

 本ブログでは何度か書いたことだが、アメリカはロシアや中国の周辺に細菌兵器の研究施設を建設してきた。そうした施設が作られた国として名前が挙がっているのは、ウクライナ、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアなど。アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、そして日本にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在しているという。

 また、今回のケースでは、2018年に​「弱毒化されたコロナウィルス」に関するアメリカの特許​が認められたことも注目されている。​特許を申請したピルブライト研究所の主要出資者はWHO(世界保健機関)、EC(欧州委員会)、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金​など。

 コロナウィルスのワクチンに関する特許をこの研究所は持ったのかもしれないが、ロシア駐在中国大使の張漢暉によると、​新型コロナウィルスに有効なワクチンを中国は作り出すことに成功、最終的な試験を行っている​という。

 2019年3月にはカナダのNML(ナショナル細菌研究所)から中国へ非常に毒性の強いウィルスが秘密裏に運ばれて中国当局から抗議され、7月にはそのNMLから中国人研究者が追い出されたことも話題になったが、10月にジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターが世界経済フォーラムやビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金と共同でコロナウィルスの世界的流行に関するシミュレーションをするために集めたことも注目されている。

 この会合にコロナウィルスによる病気と関係の深い中国人は招かれなかったが、アメリカ軍の幹部やネオコンが参加していた。そして会合の翌日、軍事演習に参加するために300名のアメリカ軍将兵が武漢に到着、その2週間後にコロナウィルスの最初の感染が見つかる。新型コロナウィルスの潜伏期間は14日だ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002250000/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/489.html#c2

[近代史3] 731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか? 中川隆
3. 中川隆[-13489] koaQ7Jey 2020年2月25日 18:51:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1]
2020.02.25
新型コロナウイルスは人種によって罹患しやすさに変化があるのか?

 アメリカの​CDC(疾病管理センター)によると​、アメリカにおける今シーズン(2019年から20年)のインフルエンザ感染者数は少なくとも2900万人、死者は1万6000人を超えたという。その死者の中に新型コロナウィルスの患者が含まれているのではないかという推測が日本のテレビ番組の中で語られたと話題になっているのだが、この推測が正しいなら、新型コロナウィルスの深刻度は若干、軽減される。新型コロナウイルスは東アジア系の人びとが罹患しやすく、重症化する傾向があると噂されてきたが、それは非東アジア系の人びとが開発した生物化学兵器である可能性が高いことを示しているからだ。

 もしアメリカで広く問題のコロナウィウルスが広がっているなら、非東アジア系の人びとにも感染、犠牲者が出ている可能性が高い、それが生物化学兵器であったとしても使いにくい。いわば自爆攻撃になってしまうからだ。

 中国の武漢で新型コロナウィルスが広がり始めた頃、西側では中国が開発した細菌兵器が漏れ出たとする話が伝えられたが、本ブログでも書いたように、現在ではアメリカ国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)やDTRA(国防脅威削減局)が注目されている。

 両機関は2018年からコロナウィルスのコウモリからヒトへの感染に関する研究を進め、​DARPAと関係の深いアメリカのデューク大学が中国の武漢大学と提携、2018年にデューク崑山大学を開設​していることも理由のひとつだ。

 アメリカにおける生物化学兵器の研究開発で中心的な役割を果たしてきたのは陸軍感染症医学研究所があるフォート・デトリック。アメリカで細菌兵器の研究開発が始まったのは1920年頃だと言われているが、劇的に変化したのは第2次世界大戦後のことだろう。日本から重要な研究資料がアメリカへ渡されたと言われているのだ。それ以来、アメリカは生物化学兵器の研究開発で先頭を走っている。

 1930年代から日本軍は捕虜を使い、中国で生体実験を始める。生物化学兵器を開発する一環で、その責任者が京都帝国大学医学部出身の石井四郎中将だった。生体実験のため、秘密裏に部隊が編成される。当初は加茂部隊と呼ばれたが、その後東郷部隊に名を変え、1941年からは第731部隊と呼ばれるようになった。

 戦犯に問われることなく帰国した石井は1946年1月から2月にかけて自宅でCIC(米陸軍対諜報部隊)の尋問を受けているが、厳しいものではなかった。その際、GHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と親しくなっている。(Peter Williams & David Wallace, “Unit 731”, Free Press, 1989)

 1947年4月にはキャンプ・デトリック(1955年からフォート・デトリックへ格上げ)から研究者がやって来て、第731部隊の幹部を尋問している。その直前、厚木基地からほど近い倉庫でアメリカ軍の極東医療分隊に所属する「406医療一般研究所」が活動を始めた。そこは病原体の媒介昆虫に関する研究用の「倉庫」と見なされていた。後に同部隊は東京都千代田区丸の内の三菱ビル内に本部を移し、朝鮮戦争の際には戦闘地域へ要員を派遣することになる。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, "The United States And Biological Warfare", Indiana University Press, 1998)

 本ブログでは何度か書いたことだが、アメリカはロシアや中国の周辺に細菌兵器の研究施設を建設してきた。そうした施設が作られた国として名前が挙がっているのは、ウクライナ、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアなど。アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、そして日本にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在しているという。

 また、今回のケースでは、2018年に​「弱毒化されたコロナウィルス」に関するアメリカの特許​が認められたことも注目されている。​特許を申請したピルブライト研究所の主要出資者はWHO(世界保健機関)、EC(欧州委員会)、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金​など。

 コロナウィルスのワクチンに関する特許をこの研究所は持ったのかもしれないが、ロシア駐在中国大使の張漢暉によると、​新型コロナウィルスに有効なワクチンを中国は作り出すことに成功、最終的な試験を行っている​という。

 2019年3月にはカナダのNML(ナショナル細菌研究所)から中国へ非常に毒性の強いウィルスが秘密裏に運ばれて中国当局から抗議され、7月にはそのNMLから中国人研究者が追い出されたことも話題になったが、10月にジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターが世界経済フォーラムやビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金と共同でコロナウィルスの世界的流行に関するシミュレーションをするために集めたことも注目されている。

 この会合にコロナウィルスによる病気と関係の深い中国人は招かれなかったが、アメリカ軍の幹部やネオコンが参加していた。そして会合の翌日、軍事演習に参加するために300名のアメリカ軍将兵が武漢に到着、その2週間後にコロナウィルスの最初の感染が見つかる。新型コロナウィルスの潜伏期間は14日だ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html#c3

[番外地7] 中国は共産国家ではない 中川隆
2. 中川隆[-13488] koaQ7Jey 2020年2月25日 21:39:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2]
共産主義は終わってないよ
現在は資本主義の最終段階の 帝国主義=グローバリズム まで進んでいるから、その次に共産社会になるんだろ。マルクスの預言通りになっている。
中国は共産主義国ではなくて儒教国家だよ、

本当の共産主義だったのは共産主義・ニューディ−ラーの GHQ が農地改革したり、意図的にインフレを起こして資産家の財産を取り上げて無階級社会にした戦後の日本だけだよ。日本共産党もGHQが合法化したんだろ。
一方、自称共産国家の中国はそんな事はしてないだろ。

共産主義国には、現在の中国みたいな階級も極端な貧富の差は存在しないからね。
中国人は正統派の儒教者だよ

●中国・kankoku は儒教国。儒教は徳治主義。

●徳治主義は「徳のある」人には「良い結果」が訪れるという理屈。 ●もしもお金を騙し取られた場合、騙されたのは「徳が無い」からとなる。

●もしもお金を騙し取り、うまく逃げおうせたら、それは「徳がある」から、お金を手に入れたとなる。

●よって騙されるより、嘘をついて騙す方が得。嘘がバレたらケンチャナヨ(まぁいいか)となる。

●嘘をつくというよりは、嘘のハードルが低い。
徳治主義について中国・kankoku は儒教の国です。儒教は徳治主義です。徳治主義というのは「徳のある人が統治者になると国が栄える」というものです。これは統治者に関わらず、国民全体に浸透しています。よって中国・kankoku ではこの徳治主義が倫理の基礎となっています。 それで庶民にとっての徳治主義をというのは、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったからということになります。逆に悪い結果があれば、その人に徳がない、つまり、悪い人であるか、もしくはバカということになります。
この理屈をよく覚えておいてください。

騙す人と騙される人はどちらが悪いかさて。
ここで問題です。 Aさんがいます。 このAさんが、騙されてBさんにお金を取られたとします。
このとき、AさんとBさんはどちらが悪いでしょうか?普通の国ならBさんが悪い 普通の国ならノータイムで悪いのはBさんになります。
Bさんが騙しているからです。 事実と異なることを言って、誤解させてお金をせしめているからです。Bさんが嘘をついているから、Aさんは悪くないということです。 まぁ、場合によっては、「よくそんな嘘に騙されたな」ということもありますが、ほとんどの法治国家ではAさんに非は無く、Bさんの犯罪ということになります。
儒教の徳治主義に照らすとAさんが悪い でも儒教ではそう簡単にはいきません。 「悪い結果があったのは、その人に徳がないから」

という原則があるからです。 この原則に照らすと、Aさんが悪くなります。
お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのはAさんに徳が無いからです。
騙す人の論理ではBさんの側で考えてみましょう。

Bさんは普通の国では問答無用で「悪い」のですが、儒教では「嘘をついた時点で悪」というわけではありません。儒教では警察に捕まるなどしないと、「悪い結果」と受け取られません。もしも、うまく逃げおうせたら、単に「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけとなり、なぜBさんがお金を手に入れることが出来たのかというと、それはBさんに徳があるからということになります。つまりBさんはうまくやった立派な人であり、徳のある正しい人となります。
無論、中国・kankoku 以外の国では警察に捕まろうと捕まらなくとも嘘をついた時点で「悪人」なのですが、儒教ではこういった結論と成ります。バレなければOK。バレたらケンチャナヨ精神です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/488.html#c2

[番外地7] 中国は共産国家ではない 中川隆
3. 中川隆[-13487] koaQ7Jey 2020年2月25日 21:43:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3]
完全に誤解しているね。 共産主義は終わってないよ
現在は資本主義の最終段階の 帝国主義=グローバリズム まで進んでいるから、その次に共産社会になるんだろ。マルクスの預言通りになっている。
中国は共産主義国ではなくて儒教国家だよ、チュチェ思想も共産思想でなくて典型的な儒教思想だよ。

本当の共産主義だったのは共産主義・ニューディ−ラーの GHQ が農地改革したり、意図的にインフレを起こして資産家の財産を取り上げて無階級社会にした戦後の日本だけだよ。日本共産党もGHQが合法化したんだろ。
一方、自称共産国家の中国はそんな事はしてないだろ。

共産主義国には、現在の中国みたいな階級も極端な貧富の差は存在しないからね。
中国人は正統派の儒教者だよ

●中国・kankoku は儒教国。儒教は徳治主義。

●徳治主義は「徳のある」人には「良い結果」が訪れるという理屈。 ●もしもお金を騙し取られた場合、騙されたのは「徳が無い」からとなる。

●もしもお金を騙し取り、うまく逃げおうせたら、それは「徳がある」から、お金を手に入れたとなる。

●よって騙されるより、嘘をついて騙す方が得。嘘がバレたらケンチャナヨ(まぁいいか)となる。

●嘘をつくというよりは、嘘のハードルが低い。
徳治主義について中国・kankoku は儒教の国です。儒教は徳治主義です。徳治主義というのは「徳のある人が統治者になると国が栄える」というものです。これは統治者に関わらず、国民全体に浸透しています。よって中国・kankoku ではこの徳治主義が倫理の基礎となっています。 それで庶民にとっての徳治主義をというのは、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったからということになります。逆に悪い結果があれば、その人に徳がない、つまり、悪い人であるか、もしくはバカということになります。
この理屈をよく覚えておいてください。

騙す人と騙される人はどちらが悪いかさて。
ここで問題です。 Aさんがいます。 このAさんが、騙されてBさんにお金を取られたとします。
このとき、AさんとBさんはどちらが悪いでしょうか?普通の国ならBさんが悪い 普通の国ならノータイムで悪いのはBさんになります。
Bさんが騙しているからです。 事実と異なることを言って、誤解させてお金をせしめているからです。Bさんが嘘をついているから、Aさんは悪くないということです。 まぁ、場合によっては、「よくそんな嘘に騙されたな」ということもありますが、ほとんどの法治国家ではAさんに非は無く、Bさんの犯罪ということになります。
儒教の徳治主義に照らすとAさんが悪い でも儒教ではそう簡単にはいきません。 「悪い結果があったのは、その人に徳がないから」

という原則があるからです。 この原則に照らすと、Aさんが悪くなります。
お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのはAさんに徳が無いからです。
騙す人の論理ではBさんの側で考えてみましょう。

Bさんは普通の国では問答無用で「悪い」のですが、儒教では「嘘をついた時点で悪」というわけではありません。儒教では警察に捕まるなどしないと、「悪い結果」と受け取られません。もしも、うまく逃げおうせたら、単に「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけとなり、なぜBさんがお金を手に入れることが出来たのかというと、それはBさんに徳があるからということになります。つまりBさんはうまくやった立派な人であり、徳のある正しい人となります。

無論、中国・kankoku 以外の国では警察に捕まろうと捕まらなくとも嘘をついた時点で「悪人」なのですが、儒教ではこういった結論と成ります。バレなければOK。バレたらケンチャナヨ精神です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/488.html#c3

[リバイバル3] 箱根で泊まってみたい温泉はここだけだったんだけど… _ 箱根底倉温泉 函嶺 中川隆
13. 中川隆[-13481] koaQ7Jey 2020年2月25日 22:19:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[9]





底倉温泉 函嶺 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%BA%95%E5%80%89%E6%B8%A9%E6%B3%89%E3%80%80%E5%87%BD%E5%B6%BA

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/301.html#c13
[リバイバル3] 病気に効く温泉 _ 長野県 真田町 千古温泉 _ 足腰の痛み・運動麻痺に効く名湯 中川隆
6. 中川隆[-13479] koaQ7Jey 2020年2月25日 22:31:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[11]





千古温泉 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%8D%83%E5%8F%A4%E6%B8%A9%E6%B3%89

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/228.html#c6
[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
340. 中川隆[-13478] koaQ7Jey 2020年2月25日 22:54:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[12]
肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入規制ない日本 そこにある食卓の危機 2020/02/25


© マネーポストWEB 提供 アメリカのスーパーには「ホルモンフリー」牛肉が並ぶ(Getty Images)

 発がんリスクのある「肥育ホルモン」が含まれたアメリカ産牛肉の輸入量が激増している。財務省の速報では、今年1月のアメリカ産牛肉の輸入量は2万1428トン。2019年1月は1万7525トンだったから、なんと前年同月比122%。その理由はトランプ大統領に“押しつけられた”日米貿易協定の発効だ。

 1月1日からアメリカ産牛肉の関税率は38.5%から26.6%に下がり、4月からは25.8%になる予定だ。すでに、農畜産業振興機構が2月10日に発表した速報によると、2月初週(3〜7日分)の輸入牛ばら肉1kg当たりの卸売り価格は、オーストラリア産が3円値上げした半面、アメリカ産は10円の値下げとなっており、アメリカ産の方が100円近く安い。このペースで価格差が開いていけば、流通量が上増しする可能性が高い。

 東京大学大学院農学生命科学研究科教授の鈴木宣弘さんはこんな見通しを明かす。

「牛肉の食料自給率(輸入牛肉に対し、日本国内で生産されている割合)は現在、35%くらい。それが2035年くらいになると16%にまで下がると試算しています。安価な輸入品が大量に日本市場に流入することで、国産の農畜産品が割高になるからです。同時に、日本の生産者が苦境に陥るのは間違いない」

 私たちが値段で食材を選んでいると、安全な農産物を生産する日本の農畜産業の担い手が激減。極論すれば、いなくなってしまうかもしれないのだ。鈴木さんが続ける。

「肥育ホルモン剤以外にも、『ラクトパミン』という家畜の餌に混ぜる成長促進剤があります。人体に有害だとして、EUだけではなく中国やロシアでも使用と輸入が禁じられていますが、日本は国内使用は認可されていないものの、アメリカからの輸入は素通りになっているのです」

 日本の“食の安全後進国”ぶりが浮き彫りとなる話だ。それでもアメリカ産牛肉は破竹の勢いで日本に流入している。今年1月分の輸入量から見ると、いずれは長らく牛肉の輸入元の第1位に君臨し続けたオーストラリア産牛肉を上回る予想もある。
 実は、肥育ホルモンはオーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどでも使用されている。ただし、アメリカ以外の国は、国際機関「コーデックス」が定めた基準を下回る残留基準値をそれぞれが取り決め、それを上回るものは出荷されないが、アメリカだけは「残留基準値の設定は不要」として定めていない。さらに、国内での肥育ホルモンの使用を禁じているはずの日本は、国際基準を大きく超える残留基準値を定めている。肥育ホルモンが“測定不能”なほど含まれているアメリカ産牛肉を受け入れるためでなければなんだというのだろうか。

「国産なら何も書いていなくてもホルモン剤不使用ですが、輸入牛肉で、特に『ホルモンフリー』などと明示されていないものは、必ず肥育ホルモンが使われていると思った方がいい」(鈴木さん)


財布を取るか、健康を取るか

 食の安全に詳しいライターの小倉正行さんも、肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入をまったく規制していないのは日本だけだと話す。

「諸外国は日本向けだけに肥育ホルモンを使う。日本は先進国で唯一といえる肥育ホルモン剤入り肉の輸出先になってしまっています」

 蔓延するホルモン残留肉を避ける方法は3つある。1つ目が、国産肉を買ってきて自分で料理すること。2つ目は外食時に「緑提灯」の店を選ぶこと。

「国産食材の使用量が50%以上の飲食店は、店頭に緑色の提灯を掲げている。『5つ星』と明記している店の使用する食材は90%以上が国産。安全意識が高いので、必ず原産地も教えてくれます」(小倉さん)

 最後がオーガニックをうたうレストランに行くこと。農水省がJAS認証する準備を進めており、有機食材を80%以上使用することが条件だ。自然素材で育てられ、もちろん肥育ホルモン牛肉は使えない。財布には厳しそうだが、ひるんではいけない。

「安いものを食べて病気になったら手遅れです。ホルモンは10年単位で影響が出るといわれています。今動かないといけない」(鈴木さん)
 それでもまだ“安い”を理由にアメリカ産牛肉を買いますか?

※女性セブン2020年2月27日号
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入規制ない日本-そこにある食卓の危機/ar-BB10lKJ1?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c340

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
161. 中川隆[-13477] koaQ7Jey 2020年2月25日 22:55:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[13]
肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入規制ない日本 そこにある食卓の危機 2020/02/25


© マネーポストWEB 提供 アメリカのスーパーには「ホルモンフリー」牛肉が並ぶ(Getty Images)

 発がんリスクのある「肥育ホルモン」が含まれたアメリカ産牛肉の輸入量が激増している。財務省の速報では、今年1月のアメリカ産牛肉の輸入量は2万1428トン。2019年1月は1万7525トンだったから、なんと前年同月比122%。その理由はトランプ大統領に“押しつけられた”日米貿易協定の発効だ。

 1月1日からアメリカ産牛肉の関税率は38.5%から26.6%に下がり、4月からは25.8%になる予定だ。すでに、農畜産業振興機構が2月10日に発表した速報によると、2月初週(3〜7日分)の輸入牛ばら肉1kg当たりの卸売り価格は、オーストラリア産が3円値上げした半面、アメリカ産は10円の値下げとなっており、アメリカ産の方が100円近く安い。このペースで価格差が開いていけば、流通量が上増しする可能性が高い。

 東京大学大学院農学生命科学研究科教授の鈴木宣弘さんはこんな見通しを明かす。

「牛肉の食料自給率(輸入牛肉に対し、日本国内で生産されている割合)は現在、35%くらい。それが2035年くらいになると16%にまで下がると試算しています。安価な輸入品が大量に日本市場に流入することで、国産の農畜産品が割高になるからです。同時に、日本の生産者が苦境に陥るのは間違いない」

 私たちが値段で食材を選んでいると、安全な農産物を生産する日本の農畜産業の担い手が激減。極論すれば、いなくなってしまうかもしれないのだ。鈴木さんが続ける。

「肥育ホルモン剤以外にも、『ラクトパミン』という家畜の餌に混ぜる成長促進剤があります。人体に有害だとして、EUだけではなく中国やロシアでも使用と輸入が禁じられていますが、日本は国内使用は認可されていないものの、アメリカからの輸入は素通りになっているのです」

 日本の“食の安全後進国”ぶりが浮き彫りとなる話だ。それでもアメリカ産牛肉は破竹の勢いで日本に流入している。今年1月分の輸入量から見ると、いずれは長らく牛肉の輸入元の第1位に君臨し続けたオーストラリア産牛肉を上回る予想もある。
 実は、肥育ホルモンはオーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどでも使用されている。ただし、アメリカ以外の国は、国際機関「コーデックス」が定めた基準を下回る残留基準値をそれぞれが取り決め、それを上回るものは出荷されないが、アメリカだけは「残留基準値の設定は不要」として定めていない。さらに、国内での肥育ホルモンの使用を禁じているはずの日本は、国際基準を大きく超える残留基準値を定めている。肥育ホルモンが“測定不能”なほど含まれているアメリカ産牛肉を受け入れるためでなければなんだというのだろうか。

「国産なら何も書いていなくてもホルモン剤不使用ですが、輸入牛肉で、特に『ホルモンフリー』などと明示されていないものは、必ず肥育ホルモンが使われていると思った方がいい」(鈴木さん)


財布を取るか、健康を取るか

 食の安全に詳しいライターの小倉正行さんも、肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入をまったく規制していないのは日本だけだと話す。

「諸外国は日本向けだけに肥育ホルモンを使う。日本は先進国で唯一といえる肥育ホルモン剤入り肉の輸出先になってしまっています」

 蔓延するホルモン残留肉を避ける方法は3つある。1つ目が、国産肉を買ってきて自分で料理すること。2つ目は外食時に「緑提灯」の店を選ぶこと。

「国産食材の使用量が50%以上の飲食店は、店頭に緑色の提灯を掲げている。『5つ星』と明記している店の使用する食材は90%以上が国産。安全意識が高いので、必ず原産地も教えてくれます」(小倉さん)

 最後がオーガニックをうたうレストランに行くこと。農水省がJAS認証する準備を進めており、有機食材を80%以上使用することが条件だ。自然素材で育てられ、もちろん肥育ホルモン牛肉は使えない。財布には厳しそうだが、ひるんではいけない。

「安いものを食べて病気になったら手遅れです。ホルモンは10年単位で影響が出るといわれています。今動かないといけない」(鈴木さん)
 それでもまだ“安い”を理由にアメリカ産牛肉を買いますか?

※女性セブン2020年2月27日号
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入規制ない日本-そこにある食卓の危機/ar-BB10lKJ1?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c161

[リバイバル3] 輸入肉を食べると癌になる 中川隆
18. 中川隆[-13479] koaQ7Jey 2020年2月25日 22:56:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[11]
肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入規制ない日本 そこにある食卓の危機 2020/02/25


© マネーポストWEB 提供 アメリカのスーパーには「ホルモンフリー」牛肉が並ぶ(Getty Images)

 発がんリスクのある「肥育ホルモン」が含まれたアメリカ産牛肉の輸入量が激増している。財務省の速報では、今年1月のアメリカ産牛肉の輸入量は2万1428トン。2019年1月は1万7525トンだったから、なんと前年同月比122%。その理由はトランプ大統領に“押しつけられた”日米貿易協定の発効だ。

 1月1日からアメリカ産牛肉の関税率は38.5%から26.6%に下がり、4月からは25.8%になる予定だ。すでに、農畜産業振興機構が2月10日に発表した速報によると、2月初週(3〜7日分)の輸入牛ばら肉1kg当たりの卸売り価格は、オーストラリア産が3円値上げした半面、アメリカ産は10円の値下げとなっており、アメリカ産の方が100円近く安い。このペースで価格差が開いていけば、流通量が上増しする可能性が高い。

 東京大学大学院農学生命科学研究科教授の鈴木宣弘さんはこんな見通しを明かす。

「牛肉の食料自給率(輸入牛肉に対し、日本国内で生産されている割合)は現在、35%くらい。それが2035年くらいになると16%にまで下がると試算しています。安価な輸入品が大量に日本市場に流入することで、国産の農畜産品が割高になるからです。同時に、日本の生産者が苦境に陥るのは間違いない」

 私たちが値段で食材を選んでいると、安全な農産物を生産する日本の農畜産業の担い手が激減。極論すれば、いなくなってしまうかもしれないのだ。鈴木さんが続ける。

「肥育ホルモン剤以外にも、『ラクトパミン』という家畜の餌に混ぜる成長促進剤があります。人体に有害だとして、EUだけではなく中国やロシアでも使用と輸入が禁じられていますが、日本は国内使用は認可されていないものの、アメリカからの輸入は素通りになっているのです」

 日本の“食の安全後進国”ぶりが浮き彫りとなる話だ。それでもアメリカ産牛肉は破竹の勢いで日本に流入している。今年1月分の輸入量から見ると、いずれは長らく牛肉の輸入元の第1位に君臨し続けたオーストラリア産牛肉を上回る予想もある。
 実は、肥育ホルモンはオーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどでも使用されている。ただし、アメリカ以外の国は、国際機関「コーデックス」が定めた基準を下回る残留基準値をそれぞれが取り決め、それを上回るものは出荷されないが、アメリカだけは「残留基準値の設定は不要」として定めていない。さらに、国内での肥育ホルモンの使用を禁じているはずの日本は、国際基準を大きく超える残留基準値を定めている。肥育ホルモンが“測定不能”なほど含まれているアメリカ産牛肉を受け入れるためでなければなんだというのだろうか。

「国産なら何も書いていなくてもホルモン剤不使用ですが、輸入牛肉で、特に『ホルモンフリー』などと明示されていないものは、必ず肥育ホルモンが使われていると思った方がいい」(鈴木さん)


財布を取るか、健康を取るか

 食の安全に詳しいライターの小倉正行さんも、肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入をまったく規制していないのは日本だけだと話す。

「諸外国は日本向けだけに肥育ホルモンを使う。日本は先進国で唯一といえる肥育ホルモン剤入り肉の輸出先になってしまっています」

 蔓延するホルモン残留肉を避ける方法は3つある。1つ目が、国産肉を買ってきて自分で料理すること。2つ目は外食時に「緑提灯」の店を選ぶこと。

「国産食材の使用量が50%以上の飲食店は、店頭に緑色の提灯を掲げている。『5つ星』と明記している店の使用する食材は90%以上が国産。安全意識が高いので、必ず原産地も教えてくれます」(小倉さん)

 最後がオーガニックをうたうレストランに行くこと。農水省がJAS認証する準備を進めており、有機食材を80%以上使用することが条件だ。自然素材で育てられ、もちろん肥育ホルモン牛肉は使えない。財布には厳しそうだが、ひるんではいけない。

「安いものを食べて病気になったら手遅れです。ホルモンは10年単位で影響が出るといわれています。今動かないといけない」(鈴木さん)
 それでもまだ“安い”を理由にアメリカ産牛肉を買いますか?

※女性セブン2020年2月27日号
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/肥育ホルモン剤入り牛肉の輸入規制ない日本-そこにある食卓の危機/ar-BB10lKJ1?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/733.html#c18

[番外地7] 新型コロナウィルスの細菌兵器説 中川隆
3. 中川隆[-13481] koaQ7Jey 2020年2月26日 13:22:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[9]
2020.02.26
クルーズ船の杜撰な感染管理は無能が原因なのか意図的なものなのか?

 ダイヤモンド・プリンセスというクルーズ船で新型コロナウィルスの感染が広がり、問題になっている。乗員や乗客だけでなく厚労省の職員や検疫官も罹患したようだ。

 防護服を着なければならない区域と脱いでかまわない区域が明確でなく、常駐してるプロの感染対策の専門家がいないと指摘した神戸大学病院感染症内科の岩田健太郎教授を安倍晋三政権は批判していたが、岩田教授のような指摘をする人はほかにもいる。橋本岳厚労副大臣などはそうした指摘に対する反論の中で「清潔ルート」と「不潔ルート」が合流していることを示す写真を公表、失笑を買っていた。

 感染管理が杜撰だと言われて当然な情況だが、単に政府が無能でそうした事態になったのか、あるいは病気を蔓延させるため、意図的に行ったのかは判断できない。蔓延させるシナリオが存在し、そのシナリオにとって邪魔な専門家を排除したのではないかとさえ思える。

 新型コロナウィルスの感染が明らかになった頃、中国の細菌兵器が漏れたという話が広められていたが、本ブログで繰り返し書いてきたように、アメリカの細菌兵器部門が関与している疑いがある。中国の細菌兵器開発が原因でないからといって、問題のウィルスが細菌兵器でないということにはならない。

 アメリカの好戦派は1990年代から中国を制圧するプロジェクトを本格化させている。好戦派の中でも大きな影響力を持つネオコンは1991年12月にソ連が消滅した後、潜在的ライバルを潰し、力の源泉であるエネルギー資源の独占しようとする。潜在的ライバルの筆頭は中国だ。

 この世界制覇プランは1992年2月に国防総省のDPG草案という形で作成されている。当時の大統領はCIA出身のジョージ・H・W・ブッシュで、国防長官はリチャード・チェイニー。DPG草案は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心とするネオコンのグループがまとめた。そこでこのプランはウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。その後の展開は本ブログで繰り返し書いてきたので、今回は割愛する。

 アメリカは正規軍の戦いでロシアに勝つことは無理である。これは南オセチアやシリアでの戦闘で明確になった。核戦争ではアメリカも死滅する。細菌戦を彼らが選択しても不思議ではないのだが、グローバル化が進められた現在、中国への攻撃が世界へ波及することは明かだった。

 アメリカの支配体制が崩壊へ向かう中、自分のタイミングで世界経済を破壊して新たな体制でも支配者であり続けようと考えても不思議ではないが、それが思惑通りに進むとは限らない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002260000/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/489.html#c3

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
268. 中川隆[-13480] koaQ7Jey 2020年2月26日 13:32:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[10]
平野憲一の株のお話2020.02.26
続落ダウの下げ率は史上最高値からマイナス8.35%。
http://kasset.blog.fc2.com/


 25日のNY株。

 ダウは879.44ドル安の2万7081.36ドル、ナスダックも255.67ポイント安の8965.61ポイントと大幅続落。

新型コロナウイルスの不安は、経済渋滞を引き起こし世界株安が続いています。
ダウは昨年10月31日以来約4カ月ぶりの安値。

 ダウが史上最高値から現在−8.35%ですが、昔からのダウの習性で12%下がるとトレンドが変わると言われます。

ダウが12%下がったら上昇トレンドが終わった事を意味しますがまだまだ余裕があります。

 投資会社バークシャー・ハザウェイCEOウォーレン・バフェット氏はダウ1000ドル下げの中で、新型コロナウイルスの感染拡大に懸念を示しながらも、株式を売る時ではないとの見方を示しました。CNBCのインタビューでバフェット氏は、新型ウイルスは「恐ろしいものだ」と述べた上で、「株式の取引に影響することではないと思う」と語りました。
 


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c268

[近代史3] 訪日外国人による観光公害 地元住民の被害は限界 中川隆
13. 中川隆[-13479] koaQ7Jey 2020年2月26日 13:35:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[11]

2020年02月26日
訪日外国人3000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない


外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。

引用:http://livedoor.blogimg.jp/kinkiboy/imgs/3/a/3a17fc45.png


訪日外国人が増え続け2019年は3188万人を達成し、この調子なら4000万人も可能だと政府は言っていました。

だが外国人がいくら増えても日本の経済成長率は1%台で、むしろマイナスになっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が3000万人を超えたとして、次は4000万人、その次は6000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、特に安部政権が始まった2013年から訪日客は目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは訪日外国人が3倍以上に成っても日本のGDP成長率が増えていない事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると300万円分のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので得られるのは1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


観光業は同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済

引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg

日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出と観光客を増やしても成長率は1%のままです。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。

輸出を増やして外国人観光客を増やしたのに日本国が儲かっていないのは何故なのでしょうか?


観光と輸出には一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

輸出や観光で経済成長はしない

トヨタやホンダが輸出して得た金は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。

あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出企業が稼いだ金は社員の給料にならないので、たとえトヨタが100兆円稼いでも日本人の収入は増えない仕組みです。


先進国のGDPの3分の2は個人消費なので、個人=社員の給料が増えない限りGDPは増えません。

観光業も日本人がサービスを提供し外国人が受け取るので、日本人労働者が北京に出稼ぎに行ってるのと同じです。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。


外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロから1%成長でしょう。

現代の先進国で輸出中心なのは日本とドイツだけで、他はすべて内需中心で貿易は赤字です。

自国の労働者が外国人の為に働くのではなく、自国の為に働いた国だけが経済成長しています。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカの方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://www.thutmosev.com/archives/62830797.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/527.html#c13

[近代史3] 外国人が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている 中川隆
18. 中川隆[-13478] koaQ7Jey 2020年2月26日 13:36:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[12]

2020年02月26日
訪日外国人3000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない


外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。

引用:http://livedoor.blogimg.jp/kinkiboy/imgs/3/a/3a17fc45.png


訪日外国人が増え続け2019年は3188万人を達成し、この調子なら4000万人も可能だと政府は言っていました。

だが外国人がいくら増えても日本の経済成長率は1%台で、むしろマイナスになっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が3000万人を超えたとして、次は4000万人、その次は6000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、特に安部政権が始まった2013年から訪日客は目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは訪日外国人が3倍以上に成っても日本のGDP成長率が増えていない事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると300万円分のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので得られるのは1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


観光業は同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済

引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg

日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出と観光客を増やしても成長率は1%のままです。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。

輸出を増やして外国人観光客を増やしたのに日本国が儲かっていないのは何故なのでしょうか?


観光と輸出には一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

輸出や観光で経済成長はしない

トヨタやホンダが輸出して得た金は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。

あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出企業が稼いだ金は社員の給料にならないので、たとえトヨタが100兆円稼いでも日本人の収入は増えない仕組みです。


先進国のGDPの3分の2は個人消費なので、個人=社員の給料が増えない限りGDPは増えません。

観光業も日本人がサービスを提供し外国人が受け取るので、日本人労働者が北京に出稼ぎに行ってるのと同じです。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。


外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロから1%成長でしょう。

現代の先進国で輸出中心なのは日本とドイツだけで、他はすべて内需中心で貿易は赤字です。

自国の労働者が外国人の為に働くのではなく、自国の為に働いた国だけが経済成長しています。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカの方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://www.thutmosev.com/archives/62830797.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/185.html#c18

[リバイバル3] 廃墟と化した水上温泉 中川隆
146. 中川隆[-13477] koaQ7Jey 2020年2月26日 13:37:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[13]

2020年02月26日
訪日外国人3000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない


外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。

引用:http://livedoor.blogimg.jp/kinkiboy/imgs/3/a/3a17fc45.png


訪日外国人が増え続け2019年は3188万人を達成し、この調子なら4000万人も可能だと政府は言っていました。

だが外国人がいくら増えても日本の経済成長率は1%台で、むしろマイナスになっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が3000万人を超えたとして、次は4000万人、その次は6000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、特に安部政権が始まった2013年から訪日客は目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは訪日外国人が3倍以上に成っても日本のGDP成長率が増えていない事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると300万円分のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので得られるのは1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


観光業は同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済

引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg

日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出と観光客を増やしても成長率は1%のままです。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。

輸出を増やして外国人観光客を増やしたのに日本国が儲かっていないのは何故なのでしょうか?


観光と輸出には一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

輸出や観光で経済成長はしない

トヨタやホンダが輸出して得た金は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。

あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出企業が稼いだ金は社員の給料にならないので、たとえトヨタが100兆円稼いでも日本人の収入は増えない仕組みです。


先進国のGDPの3分の2は個人消費なので、個人=社員の給料が増えない限りGDPは増えません。

観光業も日本人がサービスを提供し外国人が受け取るので、日本人労働者が北京に出稼ぎに行ってるのと同じです。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。


外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロから1%成長でしょう。

現代の先進国で輸出中心なのは日本とドイツだけで、他はすべて内需中心で貿易は赤字です。

自国の労働者が外国人の為に働くのではなく、自国の為に働いた国だけが経済成長しています。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカの方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://www.thutmosev.com/archives/62830797.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/624.html#c146

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
28. 中川隆[-13476] koaQ7Jey 2020年2月26日 13:40:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[14]

2020年02月26日
訪日外国人3000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない


外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。

引用:http://livedoor.blogimg.jp/kinkiboy/imgs/3/a/3a17fc45.png


訪日外国人が増え続け2019年は3188万人を達成し、この調子なら4000万人も可能だと政府は言っていました。

だが外国人がいくら増えても日本の経済成長率は1%台で、むしろマイナスになっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が3000万人を超えたとして、次は4000万人、その次は6000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、特に安部政権が始まった2013年から訪日客は目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは訪日外国人が3倍以上に成っても日本のGDP成長率が増えていない事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると300万円分のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので得られるのは1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


観光業は同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済

引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg

日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出と観光客を増やしても成長率は1%のままです。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。

輸出を増やして外国人観光客を増やしたのに日本国が儲かっていないのは何故なのでしょうか?


観光と輸出には一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

輸出や観光で経済成長はしない

トヨタやホンダが輸出して得た金は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。

あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出企業が稼いだ金は社員の給料にならないので、たとえトヨタが100兆円稼いでも日本人の収入は増えない仕組みです。


先進国のGDPの3分の2は個人消費なので、個人=社員の給料が増えない限りGDPは増えません。

観光業も日本人がサービスを提供し外国人が受け取るので、日本人労働者が北京に出稼ぎに行ってるのと同じです。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。


外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロから1%成長でしょう。

現代の先進国で輸出中心なのは日本とドイツだけで、他はすべて内需中心で貿易は赤字です。

自国の労働者が外国人の為に働くのではなく、自国の為に働いた国だけが経済成長しています。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカの方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://www.thutmosev.com/archives/62830797.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c28

[近代史3] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
16. 中川隆[-13475] koaQ7Jey 2020年2月26日 13:41:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[15]

2020年02月26日
訪日外国人3000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない


外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。

引用:http://livedoor.blogimg.jp/kinkiboy/imgs/3/a/3a17fc45.png


訪日外国人が増え続け2019年は3188万人を達成し、この調子なら4000万人も可能だと政府は言っていました。

だが外国人がいくら増えても日本の経済成長率は1%台で、むしろマイナスになっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が3000万人を超えたとして、次は4000万人、その次は6000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、特に安部政権が始まった2013年から訪日客は目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは訪日外国人が3倍以上に成っても日本のGDP成長率が増えていない事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると300万円分のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので得られるのは1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


観光業は同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済

引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg

日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出と観光客を増やしても成長率は1%のままです。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。

輸出を増やして外国人観光客を増やしたのに日本国が儲かっていないのは何故なのでしょうか?


観光と輸出には一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

輸出や観光で経済成長はしない

トヨタやホンダが輸出して得た金は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。

あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出企業が稼いだ金は社員の給料にならないので、たとえトヨタが100兆円稼いでも日本人の収入は増えない仕組みです。


先進国のGDPの3分の2は個人消費なので、個人=社員の給料が増えない限りGDPは増えません。

観光業も日本人がサービスを提供し外国人が受け取るので、日本人労働者が北京に出稼ぎに行ってるのと同じです。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。


外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロから1%成長でしょう。

現代の先進国で輸出中心なのは日本とドイツだけで、他はすべて内需中心で貿易は赤字です。

自国の労働者が外国人の為に働くのではなく、自国の為に働いた国だけが経済成長しています。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカの方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://www.thutmosev.com/archives/62830797.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/187.html#c16

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
218. 中川隆[-13474] koaQ7Jey 2020年2月26日 13:48:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[16]
2020年02月26日
コロナは春になれば収まる? 関西以南で沈静化し北海道で増加


2月22日を最後に関西以南で感染者は出ていない
これは関西の気温上昇と一致している

画像引用:【毎日更新】新型コロナウイルス都道府県別の感染者人数まとめ|日本の死者も | コミカルピースhttps://comical-piece.com/korona-virus-japan/

感染者数に南北で偏り

日本国内の新型コロナウイルス感染者数は2月25日時点で169人(チャーター機14人含む)になりました。

一日の増加ペースは10人以上で明らかに日本人から日本人への感染で広まっています。

特に新規感染者が多いのは北海道で、毎日10人近くが新たに感染しています。


東京や神奈川も新たな感染者が発生しているが、愛知県を境に関西より西では2月22日の和歌山を最後に発生していない。

九州や沖縄は中国からの観光客が多く、最初の頃に感染者が見つかったが、地域内での拡大は見られなかった。

このように南や西の地域では地域内での感染拡大が見られず、北海道では爆発的に増加している。


すぐに気づくのは最も感染が拡大している北海道は気温が低く、気温が高い九州や沖縄では感染者が出ても増えなかった事です。

最近の気温は沖縄は最低12度から最高24度、福岡は2度から18度でした。

大阪は2度から15度、名古屋も同じで東京は4度から18度、最近多い札幌はマイナス5度からプラス5度でした。


2月20日以降西日本では最高気温が10度以上になり、新たな感染者は発見されなくなっています。

2月21日に福岡県で1人発見されたのを最後に九州では感染者が出ておらず、愛知も2月23日が最後でした

こうしてみると2月20日以降の感染者のほとんどが降雪地帯ですが、東北地方では感染者はほとんど出ていません。

日本政府の唯一の希望は春になれば収まる事

感染者が出ているのはいわゆる観光県で関西空港と成田空港から各地の観光地に広まっている。

北海道は最も気温が低いい上ニセコなど有名観光地が多く、今も中国からの個人観光客を受け入れている。

書いている間にも状況は刻々と変わっているが、寒い観光地に感染者が集中する傾向は同じでしょう。


北海道の感染者数は2月25日までに35人と関東以外で最多となっていて、まだしばらく寒い時期が続きます。

一方東京周辺は3月になると急速に気温が上昇し、3月初めで最高気温15度以上、中旬には20度を超えるようになります。

気温が上がると感染者が増えない法則性があるなら、3月になれば関東の感染は沈静化すると予測できます。


日本政府は2月25日に新たな感染防止策を取りまとめたが、残念ながら中国や韓国からの渡航制限は含まれなかった。

徹底した感染防止策というものはなく、「手を洗いましょう」とか「外出を控えましょう」という信じがたいレベルでした。

政府は成り行きにまかせて静観するようだが、唯一の希望は3月になれば気温が上昇し、日本本土の感染は収まるという事です。


インフルエンザなど多くのウイルスは気温が低い時期に流行し、気温が上昇すると沈静化するパターンがあります。

これは各国の生活習慣や住居の構造も関係するので、「東南アジアでも発生したから春になっても沈静化しない」というものではないです。

日本列島は南北に長く、沖縄から北海道まで同一国家で衛生状況などがほぼ同じ、そして南ほど感染者が少なく北の北海道は多い。


中国では武漢で最初発生したが、少なくとも上海など南方地域で大流行はしませんでした。

武漢の1月の気温は最低0度で最高10度くらいの日が多く、年間で最も寒い時期に大流行が起きました。

こうした事も新型コロナは寒い時期程感染力が強く、温かい時期に感染しにくくなると推測させる。
http://www.thutmosev.com/archives/82299192.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c218

[番外地7] 縄文人は日本人の先祖ではない 中川隆
3. 2020年2月26日 14:38:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[17]
>縄文時代の人口比率は圧倒的に東日本だし
その観点から見れば13世紀に始まったアイヌ文化も鎌倉分化も
ともに同じ者から分化したと考えるのが自然


そもそも縄文時代の人口は最大時でも日本全体で20万人しかいない
古墳時代以降の朝鮮からの渡来人は何百万人もいる

縄文人・弥生人は同和部落民みたいな少数民族になったんだよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/428.html#c3

[近代史3] 人類進化史 中川隆
43. 中川隆[-13473] koaQ7Jey 2020年2月26日 14:48:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[18]
2020年02月26日
青木健一
「現生人類の到着より遅れて出現する現代人的な石器 現生人類分布拡大の二重波モデル」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_51.html


 朝日選書の一冊として朝日新聞出版より2020年2月に刊行された西秋良宏『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』所収の論文です。現生人類(Homo sapiens)はアフリカから世界中への拡散の過程で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)と遭遇しました。本論文は、ネアンデルタール人やデニソワ人は現生人類と同等な繁殖能力や認知能力を有していたという仮定において、古代型ホモ属と現生人類との間の文化に関する問題を検証しています。

 本論文が問題としているのは、古代型ホモ属が先住している地域への現生人類の拡散と、その地域での現生人類的な石器(小石刃・細石器・背付き石器・尖頭器など)の出現に時間差があることです。つまり、石器文化の変化と人類系統の交替が必ずしも対応していない、ということです。このズレはヨーロッパでも見られますが、中国を中心とするアジア東部で顕著です。とくに中国北部では、現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、と指摘されています(関連記事)。本論文は、集団の人口と文化水準が連動し、分布を拡大する現生人類と先住の古代型ホモ属の間の資源をめぐる種間競争モデルを想定し、数学的な手法により集団変化を予測するとともに、そのモデルに基づいて、アジア東部における現代人的な石器の出現が現生人類の到達より遅れたとされる現象を解釈します。

 本論文で理論的考察のモデルは、ネアンデルタール人と現生人類との「交替劇」を考察するために著者たちが提案しました。モデルとはそもそも、複雑すぎる現実の中から本質的と思われる要素を抽出し、それらの間の関係性を強引かつ定量的に設定するもので、現実と(はなはだしく)乖離しているといっても過言ではなく、モデルから導かれる予測を現実に適用するには解釈が重要になる、と本論文は指摘します。本論文は「集団」という用語を10〜100人程度の規模と想定し、集団規模が大きいほど、その文化水準(道具の種類数が多く、高機能なものが含まれるなど)は高い、と理論的に予測されます。人口が多いほどアイデアが多く生まれ、多様な技術が共存でき、特別に知能の発達した人が含まれる可能性は高い、と考えられるからです。逆に、文化水準が高いほど人口が維持できる、とも予測できます。ただ、獲物の乱獲により人口を維持できなくなる危険性も伴う、と本論文は指摘します。

 本論文はこれらを踏まえたうえで、学習可能な技術を想定し、この技術の所持者が多い集団ほど、文化水準が高いと仮定します。この技術は、他者を模倣して習得されるか、失敗した場合は、試行錯誤などにより自力で習得できる、と仮定されます。自力習得される技術は、同じ目的を果たすのであれば、既存のものと完全に一致する必要はありません。また、一定の割合の者は習得した技術を忘却する、と仮定されます。本論文のモデルは、人口が多いほど技術所持者も多い、と予測されます。人口動態は、環境収容力に制約されます。また、技術の難易度も考慮されます。

 本論文はこれらを踏まえて、古代型ホモ属の先住地域に現生人類が拡大してきた事例を検証します。両者の間では文化的接触がなく、交雑第一世代は古代型ホモ属と現生人類のどちらかの社会に吸収される、と仮定されます。不均一な地形や変動する気候の影響は無視されます。ここまでの仮定では、古代型ホモ属と現生人類は同等に設定されており、現生人類の分布拡大と古代型ホモ属の絶滅は起こり得ません。そこで本論文は、この対称性を崩す条件として、初期条件の違いを新たに設定します。アフリカおよびレヴァントの初期現生人類は高人口高文化水準にあり、レヴァントを除くユーラシアの古代型ホモ属は、低人口低文化水準だった、と想定されます。

 このモデルでは、現生人類の分布拡大に伴い、古代型ホモ属の分布域は縮小していきます。古代型ホモ属のみの地域と現生人類のみの地域では、人口文化水準は以前と変わらず、前者が低く、後者は高いままです。しかし、現生人類と古代型ホモ属とが共存する地域では、人口文化水準は古代型ホモ属のみの地域よりもさらに低くなります。これは、古代型ホモ属も現生人類も種間競争の影響で人口がきょくたんに少なくなっている、と予測されるからです。この現生人類の分布拡大は、二重波モデルとして表されます。第一波は、まだ先住の古代型ホモ属が存在する地域への拡大で、第二波は、すでに現生人類のみの地域への拡大です。第一波の速度は第二波より速い、と予測されます。また、古代型ホモ属が現生人類と共存しながらアフリカに到達することは、遺伝学と考古学の証拠に反するので、そうならないよう、技術難易度を表すパラメタに上限が設定されます。

 第一波が第二波より速いため、各地点への両者の到着に時間差が生じます。種間競争が弱く、文化水準に関わる技術難易度が高いほど、時間差が大きくなります。また、第一波と第二波の速度は一定と仮定されるため、現生人類の起源地であるアフリカから遠くなるほど、時間差が大きくなります。集団中の技術所持者数がその集団の文化水準を決定する、と仮定されているので、人口の少ない第一波の現生人類集団では、現代人的な石器は製作されてもわずかで、遺物として残らないか発見されいな可能性も考えられる、と本論文は指摘します。一方、第二波の現生人類集団は高人口高文化水準なので、現代人的な石器が見られる、と予測されます。これが、アフリカから遠いアジア東部において、現生人類の到達と現代人的な石器の出現の時間差が大きい理由だろう、と本論文は指摘します。また本論文は、遺伝学の研究では、第二次出アフリカ後の現生人類の人口が1万年以上の長期間激減し、ボトルネック(瓶首効果)が起きたことも、現生人類と古代型ホモ属とが共存する地域での低人口密度を表しているかもしれない、と指摘します。

 本論文は、アフリカ起源の現生人類が高人口高文化水準、ユーラシアの古代型ホモ属が低人口低文化水準と設定し、現生人類のアフリカから世界中への拡散と、古代型ホモ属の絶滅を説明しました。ただ、現生人類も最初は低人口低文化水準だったと考えられます。本論文は、低人口低文化水準から高人口高文化水準への移行には3段階あった、と推測しています。まず、低人口低文化水準の集団がある地域に複数存在する状況において、そのうち1集団で人口と技術所持者が偶然に少し増えて、高人口高文化水準の平衡点の吸引域に入り、その後に高人口高文化水準の平衡点に収束します。高人口高文化水準に達した集団から地域内の他集団への人の移住があれば、受け入れ側の集団でも高人口高文化水準状態への遷移が可能となります。こうして、地域内集団の多くが、一種の連鎖反応により高文化水準に次々と遷移します。本論文は、こうした平衡遷移過程が起きやすい場として、氷期の繰り返しのような地球規模の環境劣化の中、生物がかろうじて生存できる比較的好条件のレフュージア(待避地)を挙げます。平衡遷移過程には集団間の移住率が重要で、低すぎても高すぎても働きません。ただ、平衡遷移過程は条件が整っても作動するとは限らず、偶然が伴う、とも指摘されています。地球規模の環境が改善すると、退避地が分布拡大の起点になり得ます。具体例としては、2万年前頃の最終氷期極大期の後のヨーロッパが挙げられています。

 このような平衡遷移過程が現生人類のみで起きた理由について、本論文は不明としています。近親交配の証拠(関連記事)から示唆されるように、古代型ホモ属の集団は孤立しており、集団間の移住がきわめて限定的だったのかもしれません。また本論文では、アジア東部への現生人類および現代人的な石器の到来は同一経路だったとの前提が採用されていますが、じっさいには南北2経路の可能性が高い、と指摘されています。本論文が指摘するように、上述のモデルから導かれる予測を現実に適用するには解釈が重要になり、そのための証拠は、とくに遺伝学において急速に蓄積されつつあります。本論文のモデルは現生人類の拡散の解明に大きく貢献できそうですが、より妥当な仮説の提示には、遺骸・DNA・遺物などの具体的証拠が必要となります。


参考文献:
青木健一(2020)「現生人類の到着より遅れて出現する現代人的な石器 現生人類分布拡大の二重波モデル」西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』(朝日新聞出版)第6章P199-220

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_51.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c43

[近代史3] 欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上 中川隆
4. 中川隆[-13472] koaQ7Jey 2020年2月26日 14:56:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[19]
イギリスは、社会不安が「巨大暴動」という形で再燃してもおかしくない状況に 2020.02.26

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。(鈴木傾城)

先進国の中で最も不平等な国の1つ、イギリス

EU(欧州連合)離脱を成し遂げたイギリスのボリス・ジョンソン首相だが、EUを脱退したからと言ってイギリスが急に明るい国になるわけではない。イギリス国内はグローバル化の毒が社会の隅々にまで染み渡っている。

私たちはアメリカが激しい競争社会であり、格差がとめどなく広がっているいびつな社会であることは知っている。しかし、イギリスもそうなっているというのはあまり知らない。

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。

さらに子供の貧困も凄まじく、100万人の子供が適切な住居で暮らしておらず、空腹のまま学校に行かざるを得ない状況に陥っていると言われている。

ホームレスも増えて、バッキンガム宮殿のまわりにもホームレスだらけと化している。移民もまた昨今の不景気で次々とホームレス化している。

途上国の話ではない。イギリスの話である。

イギリスに来て成功している移民もいるが、逆に苦境に堕ちている移民も多い。低賃金と不安定な雇用でいつまで経っても生活の基盤が安定せず、白人系の低所得層と共に貧困に喘いで対立している。


人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題

イギリスの最底辺は荒廃している。

イギリスでは2011年7月23日にエイミー・ワインハウスという女性シンガーがドラッグとアルコールの過剰摂取で死んだ。彼女は家の近くの路地でいつもコカインを手に入れていた。

彼女はスラムに住んでいたわけではなく、ちゃんとしたところに住んでいたのだが、それでもドラッグの売人が路上で危険な薬物を売買する環境にあったのだ。

(ブラックアジア:エイミー・ワインハウス。名前にふさわしい死を迎えた歌手)

彼女が絶命した1ヶ月後、イギリスでは大規模な暴動が起きていたのも記憶に新しい。

これはロンドン北部にあるトッテナムで、29歳の黒人の男が警察官に射殺されたことで自然発生的に起きた暴動だった。

この射殺は不当だったとして家族と地元住民が警察署に抗議デモを行ったのだが、それを聞きつけて多くの黒人たちが警察署を取り囲み、日頃の警察官による差別的な言動を激しく抗議する状況になった。

こうしているうちに興奮した抗議デモ参加者の何人かがバスに放火したり、建物を壊し始め、あっと言う間に抗議デモが破壊と略奪を含む暴動と化した。

そこに社会の底辺で仕事もなく鬱屈していた白人の男たちも乗りかかった。そのため、暴動と破壊と放火は急拡大して他都市にも拡散していった。この暴動には人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題のすべてが爆発したものだった。
イギリスは、2008年のリーマン・ショックで直接的ダメージを受けた国のひとつで、その後も2010年のドバイ・ショックにも巻き込まれ、ギリシャ・ショックにも巻き込まれ、2011年は出口のない不況にもがいていた。

多くの若者が失業し、暴動が起きたトッテナム地区に限って言えば、失業率は20%近くもあった。

この20%が爆発したのが2011年8月のイギリス暴動だった。


EUを脱退してもグローバル経済から脱退できない

しかしながら、底辺の国民がいくらイギリス政府に不満をぶつけたところで事態は改善される見込みはなかった。経済的苦境はイギリス政府だけが問題なのではなく、先進国すべての問題になっていたからだ。

言うならば、グローバル経済という一国ではどうにもならない弱肉強食の資本主義システムでは、「労働者」はもはや単なるコストであり、使い捨ての対象なのである。

イギリスでもこうした状況が放置され続け、大量の移民が入り込んでますます労働環境が悪化していき、ついに移民反対派が反旗を翻してEU脱退を迎えることになった。

しかし、イギリスがEUを脱退したからと言って、すぐに格差問題や貧困問題が解決されるわけでもないし、「人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題」が解決されるわけでもない。

イギリスはEUを脱退しても、「グローバル経済」から脱退できない。今後も多国籍企業が下層の労働者を使い捨てにしながら肥え太っていくシステムは変わらない。
多国籍企業は、常に安い労働力を探して、労働力を安価で使うだけ使って、用済みになったら労働者を捨てるか、工場ごと捨てて去っていく。

労働者は使い捨てなので、労働環境を整えるとか終身雇用で面倒を見るような「コストのかかること」は絶対にしない。そうやって多国籍企業は世界の労働市場を荒らし回って莫大な利益を貯め込み、税金も回避して世界中を逃げ回る。
アップルも、グーグルも、アマゾンも、マクドナルドも、スターバックスも、世界各国で莫大な利益を計上しながら税金をうまくすり抜けているのを咎められて、あちこちの国で追徴課税命令を受けている。

しかし、これらは氷山の一角でしかない。

莫大な利益は巧みに隠され、株主と経営者と言ったステークスホルダーがその利益にありつき、労働者は賃金を抑えられた上に酷税が敷かれてどんどん貧しくなっていく。

人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式とは?

かくしてイギリスの底辺では貧困が定着したまま放置され、怒りが充満したまま現在に至っている。このままではイギリスは再び巨大な暴動が起きるのではないかと噂する人もいる。

「貧困の増大と社会システムの行き詰まりは暴力を産み出す」という社会現象は、人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式でもある。これらの根っこにあるのは、まさに貧困の増大と社会システムの行き詰まりだ。

イギリスにはそれが顕著になっている。だから、私自身もイギリスではEU脱退による後遺症が広がると、再度、大きな社会不安が巨大暴動という形で再燃してもおかしくないと考えている。

果たしてボリス・ジョンソン首相は、うまく舵取りができるのだろうか。
まずいことに、今後のイギリスはEUと切り離された形で生きていかなければならないのだが、そこに中国発の新型コロナウイルス問題が湧き上がっている。世界経済は暗転する。そのダメージをイギリスはまともに食らうことになる。

つまり、イギリスが経済的苦境に堕ちるのは確実な情勢となっている。

そうであれば最も大きな影響を受けるのがアンダークラス(貧困層)である。イギリスで2011年の大規模暴動が再現するような事態になっても不思議ではない。
今でもイギリスの底辺では経済環境の悪化に追い詰められる人たちが増えており、ますます不満と怒りをマグマのように溜めているのである。まさに「貧困の増大と社会システムの行き詰まり」の真っ只中だ。

イギリス社会がこの問題をどうやって解決できるのか誰も分からない。


『分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流(近藤 康史 )』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480069704/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480069704&linkId=0285d334d40558ea6b00a9c46899fad9
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html#c4

[近代史3] 階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった 中川隆
1. 中川隆[-13471] koaQ7Jey 2020年2月26日 14:57:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[20]

イギリスは、社会不安が「巨大暴動」という形で再燃してもおかしくない状況に 2020.02.26

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。(鈴木傾城)

先進国の中で最も不平等な国の1つ、イギリス

EU(欧州連合)離脱を成し遂げたイギリスのボリス・ジョンソン首相だが、EUを脱退したからと言ってイギリスが急に明るい国になるわけではない。イギリス国内はグローバル化の毒が社会の隅々にまで染み渡っている。

私たちはアメリカが激しい競争社会であり、格差がとめどなく広がっているいびつな社会であることは知っている。しかし、イギリスもそうなっているというのはあまり知らない。

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。

さらに子供の貧困も凄まじく、100万人の子供が適切な住居で暮らしておらず、空腹のまま学校に行かざるを得ない状況に陥っていると言われている。

ホームレスも増えて、バッキンガム宮殿のまわりにもホームレスだらけと化している。移民もまた昨今の不景気で次々とホームレス化している。

途上国の話ではない。イギリスの話である。

イギリスに来て成功している移民もいるが、逆に苦境に堕ちている移民も多い。低賃金と不安定な雇用でいつまで経っても生活の基盤が安定せず、白人系の低所得層と共に貧困に喘いで対立している。


人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題

イギリスの最底辺は荒廃している。

イギリスでは2011年7月23日にエイミー・ワインハウスという女性シンガーがドラッグとアルコールの過剰摂取で死んだ。彼女は家の近くの路地でいつもコカインを手に入れていた。

彼女はスラムに住んでいたわけではなく、ちゃんとしたところに住んでいたのだが、それでもドラッグの売人が路上で危険な薬物を売買する環境にあったのだ。

(ブラックアジア:エイミー・ワインハウス。名前にふさわしい死を迎えた歌手)

彼女が絶命した1ヶ月後、イギリスでは大規模な暴動が起きていたのも記憶に新しい。

これはロンドン北部にあるトッテナムで、29歳の黒人の男が警察官に射殺されたことで自然発生的に起きた暴動だった。

この射殺は不当だったとして家族と地元住民が警察署に抗議デモを行ったのだが、それを聞きつけて多くの黒人たちが警察署を取り囲み、日頃の警察官による差別的な言動を激しく抗議する状況になった。

こうしているうちに興奮した抗議デモ参加者の何人かがバスに放火したり、建物を壊し始め、あっと言う間に抗議デモが破壊と略奪を含む暴動と化した。

そこに社会の底辺で仕事もなく鬱屈していた白人の男たちも乗りかかった。そのため、暴動と破壊と放火は急拡大して他都市にも拡散していった。この暴動には人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題のすべてが爆発したものだった。
イギリスは、2008年のリーマン・ショックで直接的ダメージを受けた国のひとつで、その後も2010年のドバイ・ショックにも巻き込まれ、ギリシャ・ショックにも巻き込まれ、2011年は出口のない不況にもがいていた。

多くの若者が失業し、暴動が起きたトッテナム地区に限って言えば、失業率は20%近くもあった。

この20%が爆発したのが2011年8月のイギリス暴動だった。


EUを脱退してもグローバル経済から脱退できない

しかしながら、底辺の国民がいくらイギリス政府に不満をぶつけたところで事態は改善される見込みはなかった。経済的苦境はイギリス政府だけが問題なのではなく、先進国すべての問題になっていたからだ。

言うならば、グローバル経済という一国ではどうにもならない弱肉強食の資本主義システムでは、「労働者」はもはや単なるコストであり、使い捨ての対象なのである。

イギリスでもこうした状況が放置され続け、大量の移民が入り込んでますます労働環境が悪化していき、ついに移民反対派が反旗を翻してEU脱退を迎えることになった。

しかし、イギリスがEUを脱退したからと言って、すぐに格差問題や貧困問題が解決されるわけでもないし、「人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題」が解決されるわけでもない。

イギリスはEUを脱退しても、「グローバル経済」から脱退できない。今後も多国籍企業が下層の労働者を使い捨てにしながら肥え太っていくシステムは変わらない。
多国籍企業は、常に安い労働力を探して、労働力を安価で使うだけ使って、用済みになったら労働者を捨てるか、工場ごと捨てて去っていく。

労働者は使い捨てなので、労働環境を整えるとか終身雇用で面倒を見るような「コストのかかること」は絶対にしない。そうやって多国籍企業は世界の労働市場を荒らし回って莫大な利益を貯め込み、税金も回避して世界中を逃げ回る。
アップルも、グーグルも、アマゾンも、マクドナルドも、スターバックスも、世界各国で莫大な利益を計上しながら税金をうまくすり抜けているのを咎められて、あちこちの国で追徴課税命令を受けている。

しかし、これらは氷山の一角でしかない。

莫大な利益は巧みに隠され、株主と経営者と言ったステークスホルダーがその利益にありつき、労働者は賃金を抑えられた上に酷税が敷かれてどんどん貧しくなっていく。

人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式とは?

かくしてイギリスの底辺では貧困が定着したまま放置され、怒りが充満したまま現在に至っている。このままではイギリスは再び巨大な暴動が起きるのではないかと噂する人もいる。

「貧困の増大と社会システムの行き詰まりは暴力を産み出す」という社会現象は、人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式でもある。これらの根っこにあるのは、まさに貧困の増大と社会システムの行き詰まりだ。

イギリスにはそれが顕著になっている。だから、私自身もイギリスではEU脱退による後遺症が広がると、再度、大きな社会不安が巨大暴動という形で再燃してもおかしくないと考えている。

果たしてボリス・ジョンソン首相は、うまく舵取りができるのだろうか。
まずいことに、今後のイギリスはEUと切り離された形で生きていかなければならないのだが、そこに中国発の新型コロナウイルス問題が湧き上がっている。世界経済は暗転する。そのダメージをイギリスはまともに食らうことになる。

つまり、イギリスが経済的苦境に堕ちるのは確実な情勢となっている。

そうであれば最も大きな影響を受けるのがアンダークラス(貧困層)である。イギリスで2011年の大規模暴動が再現するような事態になっても不思議ではない。
今でもイギリスの底辺では経済環境の悪化に追い詰められる人たちが増えており、ますます不満と怒りをマグマのように溜めているのである。まさに「貧困の増大と社会システムの行き詰まり」の真っ只中だ。

イギリス社会がこの問題をどうやって解決できるのか誰も分からない。


『分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流(近藤 康史 )』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480069704/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480069704&linkId=0285d334d40558ea6b00a9c46899fad9
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html#c1

[近代史3] イギリスの高級オーディオはすべて輸出用で本国では全く売れない _ イギリス人は何故そんなにケチなのか? 中川隆
38. 中川隆[-13470] koaQ7Jey 2020年2月26日 14:58:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[21]

イギリスは、社会不安が「巨大暴動」という形で再燃してもおかしくない状況に 2020.02.26

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。(鈴木傾城)

先進国の中で最も不平等な国の1つ、イギリス

EU(欧州連合)離脱を成し遂げたイギリスのボリス・ジョンソン首相だが、EUを脱退したからと言ってイギリスが急に明るい国になるわけではない。イギリス国内はグローバル化の毒が社会の隅々にまで染み渡っている。

私たちはアメリカが激しい競争社会であり、格差がとめどなく広がっているいびつな社会であることは知っている。しかし、イギリスもそうなっているというのはあまり知らない。

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。

さらに子供の貧困も凄まじく、100万人の子供が適切な住居で暮らしておらず、空腹のまま学校に行かざるを得ない状況に陥っていると言われている。

ホームレスも増えて、バッキンガム宮殿のまわりにもホームレスだらけと化している。移民もまた昨今の不景気で次々とホームレス化している。

途上国の話ではない。イギリスの話である。

イギリスに来て成功している移民もいるが、逆に苦境に堕ちている移民も多い。低賃金と不安定な雇用でいつまで経っても生活の基盤が安定せず、白人系の低所得層と共に貧困に喘いで対立している。


人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題

イギリスの最底辺は荒廃している。

イギリスでは2011年7月23日にエイミー・ワインハウスという女性シンガーがドラッグとアルコールの過剰摂取で死んだ。彼女は家の近くの路地でいつもコカインを手に入れていた。

彼女はスラムに住んでいたわけではなく、ちゃんとしたところに住んでいたのだが、それでもドラッグの売人が路上で危険な薬物を売買する環境にあったのだ。

(ブラックアジア:エイミー・ワインハウス。名前にふさわしい死を迎えた歌手)

彼女が絶命した1ヶ月後、イギリスでは大規模な暴動が起きていたのも記憶に新しい。

これはロンドン北部にあるトッテナムで、29歳の黒人の男が警察官に射殺されたことで自然発生的に起きた暴動だった。

この射殺は不当だったとして家族と地元住民が警察署に抗議デモを行ったのだが、それを聞きつけて多くの黒人たちが警察署を取り囲み、日頃の警察官による差別的な言動を激しく抗議する状況になった。

こうしているうちに興奮した抗議デモ参加者の何人かがバスに放火したり、建物を壊し始め、あっと言う間に抗議デモが破壊と略奪を含む暴動と化した。

そこに社会の底辺で仕事もなく鬱屈していた白人の男たちも乗りかかった。そのため、暴動と破壊と放火は急拡大して他都市にも拡散していった。この暴動には人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題のすべてが爆発したものだった。
イギリスは、2008年のリーマン・ショックで直接的ダメージを受けた国のひとつで、その後も2010年のドバイ・ショックにも巻き込まれ、ギリシャ・ショックにも巻き込まれ、2011年は出口のない不況にもがいていた。

多くの若者が失業し、暴動が起きたトッテナム地区に限って言えば、失業率は20%近くもあった。

この20%が爆発したのが2011年8月のイギリス暴動だった。


EUを脱退してもグローバル経済から脱退できない

しかしながら、底辺の国民がいくらイギリス政府に不満をぶつけたところで事態は改善される見込みはなかった。経済的苦境はイギリス政府だけが問題なのではなく、先進国すべての問題になっていたからだ。

言うならば、グローバル経済という一国ではどうにもならない弱肉強食の資本主義システムでは、「労働者」はもはや単なるコストであり、使い捨ての対象なのである。

イギリスでもこうした状況が放置され続け、大量の移民が入り込んでますます労働環境が悪化していき、ついに移民反対派が反旗を翻してEU脱退を迎えることになった。

しかし、イギリスがEUを脱退したからと言って、すぐに格差問題や貧困問題が解決されるわけでもないし、「人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題」が解決されるわけでもない。

イギリスはEUを脱退しても、「グローバル経済」から脱退できない。今後も多国籍企業が下層の労働者を使い捨てにしながら肥え太っていくシステムは変わらない。
多国籍企業は、常に安い労働力を探して、労働力を安価で使うだけ使って、用済みになったら労働者を捨てるか、工場ごと捨てて去っていく。

労働者は使い捨てなので、労働環境を整えるとか終身雇用で面倒を見るような「コストのかかること」は絶対にしない。そうやって多国籍企業は世界の労働市場を荒らし回って莫大な利益を貯め込み、税金も回避して世界中を逃げ回る。
アップルも、グーグルも、アマゾンも、マクドナルドも、スターバックスも、世界各国で莫大な利益を計上しながら税金をうまくすり抜けているのを咎められて、あちこちの国で追徴課税命令を受けている。

しかし、これらは氷山の一角でしかない。

莫大な利益は巧みに隠され、株主と経営者と言ったステークスホルダーがその利益にありつき、労働者は賃金を抑えられた上に酷税が敷かれてどんどん貧しくなっていく。

人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式とは?

かくしてイギリスの底辺では貧困が定着したまま放置され、怒りが充満したまま現在に至っている。このままではイギリスは再び巨大な暴動が起きるのではないかと噂する人もいる。

「貧困の増大と社会システムの行き詰まりは暴力を産み出す」という社会現象は、人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式でもある。これらの根っこにあるのは、まさに貧困の増大と社会システムの行き詰まりだ。

イギリスにはそれが顕著になっている。だから、私自身もイギリスではEU脱退による後遺症が広がると、再度、大きな社会不安が巨大暴動という形で再燃してもおかしくないと考えている。

果たしてボリス・ジョンソン首相は、うまく舵取りができるのだろうか。
まずいことに、今後のイギリスはEUと切り離された形で生きていかなければならないのだが、そこに中国発の新型コロナウイルス問題が湧き上がっている。世界経済は暗転する。そのダメージをイギリスはまともに食らうことになる。

つまり、イギリスが経済的苦境に堕ちるのは確実な情勢となっている。

そうであれば最も大きな影響を受けるのがアンダークラス(貧困層)である。イギリスで2011年の大規模暴動が再現するような事態になっても不思議ではない。
今でもイギリスの底辺では経済環境の悪化に追い詰められる人たちが増えており、ますます不満と怒りをマグマのように溜めているのである。まさに「貧困の増大と社会システムの行き詰まり」の真っ只中だ。

イギリス社会がこの問題をどうやって解決できるのか誰も分からない。


『分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流(近藤 康史 )』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480069704/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480069704&linkId=0285d334d40558ea6b00a9c46899fad9
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/447.html#c38

[近代史3] イギリスの高級オーディオはすべて輸出用で本国では全く売れない _ イギリス人は何故そんなにケチなのか? 中川隆
39. 2020年2月26日 14:59:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[22]
上のリンク
https://blackasia.net/?p=17284
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/447.html#c39
[近代史3] 欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上 中川隆
5. 中川隆[-13469] koaQ7Jey 2020年2月26日 14:59:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[23]
上のリンク
https://blackasia.net/?p=17284
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html#c5
[近代史3] 階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった 中川隆
2. 中川隆[-13468] koaQ7Jey 2020年2月26日 15:00:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[24]
上のリンク
https://blackasia.net/?p=17284
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html#c2
[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
59. 中川隆[-13467] koaQ7Jey 2020年2月26日 15:05:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[25]
イギリスは、社会不安が「巨大暴動」という形で再燃してもおかしくない状況に 2020.02.26

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。(鈴木傾城)

先進国の中で最も不平等な国の1つ、イギリス

EU(欧州連合)離脱を成し遂げたイギリスのボリス・ジョンソン首相だが、EUを脱退したからと言ってイギリスが急に明るい国になるわけではない。イギリス国内はグローバル化の毒が社会の隅々にまで染み渡っている。

私たちはアメリカが激しい競争社会であり、格差がとめどなく広がっているいびつな社会であることは知っている。しかし、イギリスもそうなっているというのはあまり知らない。

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。

さらに子供の貧困も凄まじく、100万人の子供が適切な住居で暮らしておらず、空腹のまま学校に行かざるを得ない状況に陥っていると言われている。

ホームレスも増えて、バッキンガム宮殿のまわりにもホームレスだらけと化している。移民もまた昨今の不景気で次々とホームレス化している。

途上国の話ではない。イギリスの話である。

イギリスに来て成功している移民もいるが、逆に苦境に堕ちている移民も多い。低賃金と不安定な雇用でいつまで経っても生活の基盤が安定せず、白人系の低所得層と共に貧困に喘いで対立している。


人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題

イギリスの最底辺は荒廃している。

イギリスでは2011年7月23日にエイミー・ワインハウスという女性シンガーがドラッグとアルコールの過剰摂取で死んだ。彼女は家の近くの路地でいつもコカインを手に入れていた。

彼女はスラムに住んでいたわけではなく、ちゃんとしたところに住んでいたのだが、それでもドラッグの売人が路上で危険な薬物を売買する環境にあったのだ。

(ブラックアジア:エイミー・ワインハウス。名前にふさわしい死を迎えた歌手)

彼女が絶命した1ヶ月後、イギリスでは大規模な暴動が起きていたのも記憶に新しい。

これはロンドン北部にあるトッテナムで、29歳の黒人の男が警察官に射殺されたことで自然発生的に起きた暴動だった。

この射殺は不当だったとして家族と地元住民が警察署に抗議デモを行ったのだが、それを聞きつけて多くの黒人たちが警察署を取り囲み、日頃の警察官による差別的な言動を激しく抗議する状況になった。

こうしているうちに興奮した抗議デモ参加者の何人かがバスに放火したり、建物を壊し始め、あっと言う間に抗議デモが破壊と略奪を含む暴動と化した。

そこに社会の底辺で仕事もなく鬱屈していた白人の男たちも乗りかかった。そのため、暴動と破壊と放火は急拡大して他都市にも拡散していった。この暴動には人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題のすべてが爆発したものだった。
イギリスは、2008年のリーマン・ショックで直接的ダメージを受けた国のひとつで、その後も2010年のドバイ・ショックにも巻き込まれ、ギリシャ・ショックにも巻き込まれ、2011年は出口のない不況にもがいていた。

多くの若者が失業し、暴動が起きたトッテナム地区に限って言えば、失業率は20%近くもあった。

この20%が爆発したのが2011年8月のイギリス暴動だった。


EUを脱退してもグローバル経済から脱退できない

しかしながら、底辺の国民がいくらイギリス政府に不満をぶつけたところで事態は改善される見込みはなかった。経済的苦境はイギリス政府だけが問題なのではなく、先進国すべての問題になっていたからだ。

言うならば、グローバル経済という一国ではどうにもならない弱肉強食の資本主義システムでは、「労働者」はもはや単なるコストであり、使い捨ての対象なのである。

イギリスでもこうした状況が放置され続け、大量の移民が入り込んでますます労働環境が悪化していき、ついに移民反対派が反旗を翻してEU脱退を迎えることになった。

しかし、イギリスがEUを脱退したからと言って、すぐに格差問題や貧困問題が解決されるわけでもないし、「人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題」が解決されるわけでもない。

イギリスはEUを脱退しても、「グローバル経済」から脱退できない。今後も多国籍企業が下層の労働者を使い捨てにしながら肥え太っていくシステムは変わらない。
多国籍企業は、常に安い労働力を探して、労働力を安価で使うだけ使って、用済みになったら労働者を捨てるか、工場ごと捨てて去っていく。

労働者は使い捨てなので、労働環境を整えるとか終身雇用で面倒を見るような「コストのかかること」は絶対にしない。そうやって多国籍企業は世界の労働市場を荒らし回って莫大な利益を貯め込み、税金も回避して世界中を逃げ回る。
アップルも、グーグルも、アマゾンも、マクドナルドも、スターバックスも、世界各国で莫大な利益を計上しながら税金をうまくすり抜けているのを咎められて、あちこちの国で追徴課税命令を受けている。

しかし、これらは氷山の一角でしかない。

莫大な利益は巧みに隠され、株主と経営者と言ったステークスホルダーがその利益にありつき、労働者は賃金を抑えられた上に酷税が敷かれてどんどん貧しくなっていく。


人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式とは?

かくしてイギリスの底辺では貧困が定着したまま放置され、怒りが充満したまま現在に至っている。このままではイギリスは再び巨大な暴動が起きるのではないかと噂する人もいる。

「貧困の増大と社会システムの行き詰まりは暴力を産み出す」という社会現象は、人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式でもある。これらの根っこにあるのは、まさに貧困の増大と社会システムの行き詰まりだ。

イギリスにはそれが顕著になっている。だから、私自身もイギリスではEU脱退による後遺症が広がると、再度、大きな社会不安が巨大暴動という形で再燃してもおかしくないと考えている。

果たしてボリス・ジョンソン首相は、うまく舵取りができるのだろうか。
まずいことに、今後のイギリスはEUと切り離された形で生きていかなければならないのだが、そこに中国発の新型コロナウイルス問題が湧き上がっている。世界経済は暗転する。そのダメージをイギリスはまともに食らうことになる。

つまり、イギリスが経済的苦境に堕ちるのは確実な情勢となっている。

そうであれば最も大きな影響を受けるのがアンダークラス(貧困層)である。イギリスで2011年の大規模暴動が再現するような事態になっても不思議ではない。
今でもイギリスの底辺では経済環境の悪化に追い詰められる人たちが増えており、ますます不満と怒りをマグマのように溜めているのである。まさに「貧困の増大と社会システムの行き詰まり」の真っ只中だ。

イギリス社会がこの問題をどうやって解決できるのか誰も分からない。


『分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流(近藤 康史 )』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480069704/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480069704&linkId=0285d334d40558ea6b00a9c46899fad9

https://blackasia.net/?p=17284

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c59

[近代史3] マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由 中川隆
2. 中川隆[-13466] koaQ7Jey 2020年2月26日 15:05:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[26]
イギリスは、社会不安が「巨大暴動」という形で再燃してもおかしくない状況に 2020.02.26

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。(鈴木傾城)

先進国の中で最も不平等な国の1つ、イギリス

EU(欧州連合)離脱を成し遂げたイギリスのボリス・ジョンソン首相だが、EUを脱退したからと言ってイギリスが急に明るい国になるわけではない。イギリス国内はグローバル化の毒が社会の隅々にまで染み渡っている。

私たちはアメリカが激しい競争社会であり、格差がとめどなく広がっているいびつな社会であることは知っている。しかし、イギリスもそうなっているというのはあまり知らない。

イギリスもまた超格差社会である。『今日のイギリスは、先進国の中で最も不平等な国の1つ』と英社会学部教授は指摘する。

イギリスでは5人に1人が貧困状態で暮らしている。50万人近くがフードバンクを利用している。女性の中には生理用品が買えないという理由で学校を休んでいる女性もいるほどだ。

さらに子供の貧困も凄まじく、100万人の子供が適切な住居で暮らしておらず、空腹のまま学校に行かざるを得ない状況に陥っていると言われている。

ホームレスも増えて、バッキンガム宮殿のまわりにもホームレスだらけと化している。移民もまた昨今の不景気で次々とホームレス化している。

途上国の話ではない。イギリスの話である。

イギリスに来て成功している移民もいるが、逆に苦境に堕ちている移民も多い。低賃金と不安定な雇用でいつまで経っても生活の基盤が安定せず、白人系の低所得層と共に貧困に喘いで対立している。


人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題

イギリスの最底辺は荒廃している。

イギリスでは2011年7月23日にエイミー・ワインハウスという女性シンガーがドラッグとアルコールの過剰摂取で死んだ。彼女は家の近くの路地でいつもコカインを手に入れていた。

彼女はスラムに住んでいたわけではなく、ちゃんとしたところに住んでいたのだが、それでもドラッグの売人が路上で危険な薬物を売買する環境にあったのだ。

(ブラックアジア:エイミー・ワインハウス。名前にふさわしい死を迎えた歌手)

彼女が絶命した1ヶ月後、イギリスでは大規模な暴動が起きていたのも記憶に新しい。

これはロンドン北部にあるトッテナムで、29歳の黒人の男が警察官に射殺されたことで自然発生的に起きた暴動だった。

この射殺は不当だったとして家族と地元住民が警察署に抗議デモを行ったのだが、それを聞きつけて多くの黒人たちが警察署を取り囲み、日頃の警察官による差別的な言動を激しく抗議する状況になった。

こうしているうちに興奮した抗議デモ参加者の何人かがバスに放火したり、建物を壊し始め、あっと言う間に抗議デモが破壊と略奪を含む暴動と化した。

そこに社会の底辺で仕事もなく鬱屈していた白人の男たちも乗りかかった。そのため、暴動と破壊と放火は急拡大して他都市にも拡散していった。この暴動には人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題のすべてが爆発したものだった。
イギリスは、2008年のリーマン・ショックで直接的ダメージを受けた国のひとつで、その後も2010年のドバイ・ショックにも巻き込まれ、ギリシャ・ショックにも巻き込まれ、2011年は出口のない不況にもがいていた。

多くの若者が失業し、暴動が起きたトッテナム地区に限って言えば、失業率は20%近くもあった。

この20%が爆発したのが2011年8月のイギリス暴動だった。


EUを脱退してもグローバル経済から脱退できない

しかしながら、底辺の国民がいくらイギリス政府に不満をぶつけたところで事態は改善される見込みはなかった。経済的苦境はイギリス政府だけが問題なのではなく、先進国すべての問題になっていたからだ。

言うならば、グローバル経済という一国ではどうにもならない弱肉強食の資本主義システムでは、「労働者」はもはや単なるコストであり、使い捨ての対象なのである。

イギリスでもこうした状況が放置され続け、大量の移民が入り込んでますます労働環境が悪化していき、ついに移民反対派が反旗を翻してEU脱退を迎えることになった。

しかし、イギリスがEUを脱退したからと言って、すぐに格差問題や貧困問題が解決されるわけでもないし、「人種問題・移民問題・差別問題・格差問題・貧困問題」が解決されるわけでもない。

イギリスはEUを脱退しても、「グローバル経済」から脱退できない。今後も多国籍企業が下層の労働者を使い捨てにしながら肥え太っていくシステムは変わらない。
多国籍企業は、常に安い労働力を探して、労働力を安価で使うだけ使って、用済みになったら労働者を捨てるか、工場ごと捨てて去っていく。

労働者は使い捨てなので、労働環境を整えるとか終身雇用で面倒を見るような「コストのかかること」は絶対にしない。そうやって多国籍企業は世界の労働市場を荒らし回って莫大な利益を貯め込み、税金も回避して世界中を逃げ回る。
アップルも、グーグルも、アマゾンも、マクドナルドも、スターバックスも、世界各国で莫大な利益を計上しながら税金をうまくすり抜けているのを咎められて、あちこちの国で追徴課税命令を受けている。

しかし、これらは氷山の一角でしかない。

莫大な利益は巧みに隠され、株主と経営者と言ったステークスホルダーがその利益にありつき、労働者は賃金を抑えられた上に酷税が敷かれてどんどん貧しくなっていく。


人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式とは?

かくしてイギリスの底辺では貧困が定着したまま放置され、怒りが充満したまま現在に至っている。このままではイギリスは再び巨大な暴動が起きるのではないかと噂する人もいる。

「貧困の増大と社会システムの行き詰まりは暴力を産み出す」という社会現象は、人間の歴史の中で変わらない普遍的な方式でもある。これらの根っこにあるのは、まさに貧困の増大と社会システムの行き詰まりだ。

イギリスにはそれが顕著になっている。だから、私自身もイギリスではEU脱退による後遺症が広がると、再度、大きな社会不安が巨大暴動という形で再燃してもおかしくないと考えている。

果たしてボリス・ジョンソン首相は、うまく舵取りができるのだろうか。
まずいことに、今後のイギリスはEUと切り離された形で生きていかなければならないのだが、そこに中国発の新型コロナウイルス問題が湧き上がっている。世界経済は暗転する。そのダメージをイギリスはまともに食らうことになる。

つまり、イギリスが経済的苦境に堕ちるのは確実な情勢となっている。

そうであれば最も大きな影響を受けるのがアンダークラス(貧困層)である。イギリスで2011年の大規模暴動が再現するような事態になっても不思議ではない。
今でもイギリスの底辺では経済環境の悪化に追い詰められる人たちが増えており、ますます不満と怒りをマグマのように溜めているのである。まさに「貧困の増大と社会システムの行き詰まり」の真っ只中だ。

イギリス社会がこの問題をどうやって解決できるのか誰も分からない。


『分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流(近藤 康史 )』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480069704/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480069704&linkId=0285d334d40558ea6b00a9c46899fad9

https://blackasia.net/?p=17284

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html#c2

[近代史4] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
1. 中川隆[-13465] koaQ7Jey 2020年2月26日 15:51:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[27]

相次ぐ“バックカントリー”事故
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html

スキー場で遭難した時の対処方法
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/797.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/301.html#c1

[近代史4] ロッテアライリゾート 中川隆
1. 中川隆[-13464] koaQ7Jey 2020年2月26日 15:54:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[28]

相次ぐ“バックカントリー”事故
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html

スキー場で遭難した時の対処方法
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/797.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/302.html#c1

[近代史4] 苗場スキー場 中川隆
1. 中川隆[-13463] koaQ7Jey 2020年2月26日 16:22:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[29]

苗場の近くの名湯 1 _ 苗場温泉 雪ささの湯
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/566.html

苗場の近くの名湯 2 _ 女性に超絶人気の 川古温泉別館 旅館 峰
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/575.html

水上温泉と猿ヶ京温泉を最短距離で結ぶ怪しい3ケタ県道と仏岩温泉 鈴森の湯、川古温泉 浜屋旅館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/581.html

苗場の近くの名湯 3 _ 漣(さざなみ)温泉 のぞみの湯
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/578.html

苗場の近くの名湯 4 _ 『ゲンセンカン主人』で有名な湯宿温泉 _ 100円でドバドバ掛け流し温泉に入れるんだけど
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/693.html

苗場の近くの名湯 4 _ 猿ヶ京温泉
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/693.html#c1

苗場の近くの名湯 4 _ 伝説になった法師温泉 長寿館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/693.html#c12

進化し続ける貝掛温泉 _ 白内障が治る名湯だったけど湯治客にはもう手が届かなくなってしまった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/567.html

湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/304.html#c1

[近代史4] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
2. 中川隆[-13462] koaQ7Jey 2020年2月26日 16:23:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[30]

進化し続ける貝掛温泉 _ 白内障が治る名湯だったけど湯治客にはもう手が届かなくなってしまった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/567.html

湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/301.html#c2

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
31. 中川隆[-13461] koaQ7Jey 2020年2月26日 17:27:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[31]
2020年 02月 26日
コロナウイルスの深刻な影響
https://tannoy.exblog.jp/31071368/

コロナウイルスが世界に広まり、イタリアも韓国も武漢並みの町の封鎖に踏み切ったようです。検査キットの普及も、町や村の封鎖も思い切った手をうってきました。日本政府の関係者、特に官僚の事なかれ主義が完全に裏目になっています。検査も受けられない体制は、誰のために政府はあるのでしょうか?毎日、行われる担当大臣の答弁も、回りの官僚の保身に徹しているように思えます。原発と同じ構図です。

治療薬が無い現状、発病したら家で熱が下がるまで耐えるしかないのです。若い人は体力があるので、自然治癒する確立が多いのですが、高齢者、それも持病のある方達のリスクはとても大きいです。医療関係者も戦々恐々の対応を強いられています。次期戦闘機に何兆もの予算を組めるのなら、いま戦場になっているコロナウイルス(COVID-19)との戦いに何故、思い切った手が打てないのでしょう。


大企業は、社員一人が発病しても、数千人の社員を自宅勤務に出来ますが、中小零細の会社や、人と接してなんぼのサービス業は、文字通り死活問題です。町に人通りが絶えたら、飲食業、接客業、売店、全ての活動がストップします。そしてそのサービス業は日本のGDP(国内総生産)の7割を占めているのです。言い換えると日本の7割がすでに影響を受けているという現状です。それに対して、すぐ即効性の手を打てないなら、原発事故時の対応を責める資格はありません。


今週に入り、イベントも続々と中止もしくは延期のアナウンスがされ始めました。いま日本にきている海外オーケストラの面々もおののいていることでしょう。東京と大阪の公演を行うような場合、ベルリンフィルのような移動に専用の飛行機をチャーターしている場合を除き、やはり新幹線なのでの移動になります。このリスクも大変大きな物になります。そして、演奏者もそうですが、観客も演奏会場まで、この状況ではたどり着けないでしょう。私も、今週の金曜日には、川崎での演奏会があります。その川崎に到達するのに、地下鉄を二つ乗り継ぎ、夕方で満員の東海道線で品川-川崎間を電車内で過ごさなければなりません。川崎駅の構内も、リスクは高いです。13,000円のチケットは、もったいないですが、この状況で、リスクを負って行くほどでは無いと考えます。


これから、気温が暑くなってくる五月頃までは、コロナウイルス(COVID-19)は終焉しないでしょう。よくテレビで引用される、大きなピークのカーブを押さえ込んで、山を低くして後ろにずれ込まそうと言う説明がされますが、あの後ろのピークの山は、実際は数百倍もおおきなピークです。高さも高ければ、大きさも大きいので、簡単には終息しません。


今回のコロナウイルス(COVID-19)の中国国内の死亡率は、2.2%といわれています。1918年のスペイン風邪の時は、日本では当時の人口5400万人の半分の2400万人がかかり、39万人が無くなっています。1.6%です。今、日本の人口は1億2600万人です。そのうち、半数の6000万人が罹るとしたら、1.6%の死亡率は96万人です。これは第二次世界大戦の原爆を含めた空襲による死亡者数約30万人の三倍にもなるとんでもない数字です。


それが、後手後手に回って対応が取れない政府や担当省庁の対策(ウイルス検査施設の確立)の遅れが原因になれば、その責任もとらないで、今回もお茶を濁して逃げるのでしょうか?クルーズ船を二週間桟橋に停めて、その間被害者の蔓延を図った対応に大義があるのなら、今こそ、イタリアのような町ごと、村ごとの封鎖も必要でしょう。


中止になるのはクラシックの演奏会だけではありません。ロックバンドも、野球も、サッカーも、もちろん室内競技のサッカーや、バスケットや、バレーボールも卓球も水泳さえもこれから中止になるでしょう。その影響は、当然オリンピックの問題まで引き継ぎます。だからこそ、早期の終焉を目指して、今週、来週の時期に思い切った手を打たなければなりません。大臣が育児休暇を取っていられない非常時なのです。

また中国観光客の来日中止で、倒産の危機に対面している宿泊施設を、政府が借り上げて臨時の収容施設にして、その滞在者には、ファミレスのセントラルキッチンを動かして、暖かい栄養のある食品を届けるような対応をするよう、全関係省庁をあげて業界の協力を仰ぎ、戦う必要のある二ヶ月間だと思います。その決断が、お客の来ない観光業を救い医療施設の不足も補います。自衛隊の協力も不可欠でしょう。国民全体でこの国難に対処する体制作りが必要です。その決断が、月30兆円あるサービス業のGDPの損失を抑えていく手だと思うのですが・・・

https://tannoy.exblog.jp/31071368/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c31

[番外地7] 新しい教科書をつくる会 中川隆
3. 中川隆[-13460] koaQ7Jey 2020年2月26日 17:42:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[32]
新しい教科書を作る会の教科書は最初から最後までデタラメだからね。
慰安婦が売春婦だとか、
南京大虐殺が無かったとか、
徴用工が自分の意思で来たとか、
慰安婦・徴用工に対する個人補償は既に終わっているとか、
天皇家が万世一系だとか、
すべて悪質な嘘だよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/500.html#c3
[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
90. 中川隆[-13459] koaQ7Jey 2020年2月26日 18:02:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[33]

内田樹 生きづらさについて考える
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/937.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c90
[リバイバル3] 中川隆 _ 日本文化関係投稿リンク 中川隆
126. 中川隆[-13458] koaQ7Jey 2020年2月26日 18:05:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[34]

内田樹 生きづらさについて考える
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/937.html

内田樹 嫌韓の構造
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html

内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/398.html
 
比較敗戦論のために - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/301.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/466.html#c126

[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
91. 中川隆[-13457] koaQ7Jey 2020年2月26日 18:23:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[35]

内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/398.html
 
比較敗戦論のために - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/301.html

内田樹 嫌韓の構造
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c91

[近代史4] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
3. 2020年2月26日 18:43:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[36]

神楽19-20 - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-57.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/301.html#c3
[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
32. 中川隆[-13453] koaQ7Jey 2020年2月26日 19:00:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[40]

2020年02月25日
支那人が「難民」として住み着く時代
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68800846.html


日本が支那人の「避難先」となる


Children Europe 2Chinese kids 3
(左 : 多文化主義者が理想とする未来 / 右 : オーストラリアで暮らす支那人の子供達)

  只今、我が国で武漢肺炎が猖獗(しょうけつ)を極めている。アメリカ合衆国は優秀な諜報機関を備えているので、支那でのウイルス蔓延を去年の11月頃から察知していたそうだ。たぶん、CIAがホワイトハウスに情報を伝えていたから、政府が早急に支那人渡航者の制限を発令し、ウイルス感染者の入国を禁止したのだろう。ところが、俊敏な米国と対照的なのが我が日本。既に、武漢以外の都市でウイルスが拡散していたのに、日本政府と地方自治体は、こぞって支那からの観光客を大歓迎。彼らが落としてくれる銭が少なくなっては困ると心配したのか、湖北省からではない個人客なら「OK !」と合図を送り、その情報を得た支那人は一路日本へ。もう、この対応で日本の命運は決まってしまった。微熱がある者、あるいはちょっと咳き込んだ者でも、何食わぬ顔で入管を通り過ぎたから、さあ大変。人間型のウイルス噴射機が到来したから、日本人の感染者が激増した。

  恐ろしい現実はまだある。観光局の発表によれば、今年1月に来日した支那人の数は、何と92万4千800人というのだ。前年(2019)の1月だと75万4千421人となっているから、実に17万379人の増加となっている。もう、目眩がしてくるが、この中には観光客なく、支那大陸からの“難民”が相当混じっているという。現実的な思考を持つ支那人からすれば、不潔で危険な独裁国にいるより、安全で清潔な日本に逃れた方がいい。もし、呑気に残っていると、いすせれ武装警察に尋問され、強制的な検査を受ける破目になる。もし、ちょっとでも感染の疑いがあれば、即「強制収容所」行きだから、命の保証は無い。ここは治療施設じゃなく、汚染された人間を閉じ込める牢獄で、入所者は只“苦しみ”ながら“死”を待つのみ。肺炎に罹ると呼吸困難になるから、もがき苦しみながらの「絶命」となる。ホント、支那人に生まれると不幸だ。

Chinese in Wuhan 4Chinese tpurists 1112

  日本の国会議員は与党でも野党でも、全くと言っていいほど国家意識が無い。日本に逃れてくる支那人は、本国に帰るつもりはなく、そのまま日本に居坐ろうとする。彼らは日本の高度医療を期待し、もし武漢肺炎に罹ったら、日本の病院で快適な日々を送ろうと考えているのだ。日本人の医者や看護婦は、あの下劣な支那人と大違いで、人命を尊重し、外人であっても“平等”に扱ってくれるから非常に有り難い。もし、日本人が支那大陸で病気になったら、どんな“治療”と“看護”になるのか、ちょっと考えてみればわかるじゃないか。日本人の母親で我が子を支那の病院に連れて行き、入院させることに同意する者がいるのか? 不潔で黴菌だらけの病院監獄を見れば、「ぎゃぁぁぁぁ〜〜〜!!!」と悲鳴を上げて脱走するはずだ。日本人は外国の医療機関を日本の基準で想像するから愚かである。支那人には他人への配慮が無い。例えば、赤ん坊用の粉ミルクとベビーフードかなんか恐ろしくて子供に与えることはできないから、幼い子供を持つ日本人は支那での生活は考えられないし、移住なんか絶対に無理。風邪薬や胃腸薬はもちろんのこと、目薬だってどんな成分なのか解らないから購入することはない。失明の危険性を孕む目薬なんて、冗談を通り越している。一般の日本人は支那を経済大国と思っているが、実際は、腐敗と金銭が渦巻く古代国家でしかない。支那人のような劣等民族を対等に扱い、国籍まで与える日本政府は気が狂っている。

  我々がすべきことは、支那人の入国を全面的に禁止するばかりではなく、日本に居残っている支那人を排除して、なるべく支那系住民を少なくすることにある。たとえ、日本での永住権があっても、特別法を作って、それを剥奪するか無効にすればよい。また、日本人と結婚している帰化支那人でも、入国の経緯や結婚の形態に怪しい点があれば、即刻、こうした日本国籍を取り消して支那に強制送還するのが筋である。そもそも、日本は「事後法」を認めている国家だし、英米も第二次大戦後、「事後法」で戦犯国を裁いた前科者だから、日本の立法措置を非難することはできない。もちろん、日本の左翼学者や人権派弁護士は猛烈に反対するだろうが、最初に“違法”な方法を取った外国人に“合法的”地位を与えるのが間違っている。例えば、日本人は大学入試のとき「裏口」から入った者に対しては容赦がなく、発覚後、直ちに退学処分にしたりするが、それは「不正な入学は駄目」という鉄則があるからだ。では、「見つからずに卒業すればいいのか?」と言えば、「それも駄目 !」と却下される。たとえ、四年間きちんと授業料を納めたとしても、親が袖の下を使って「合格」を買い取ったのであれば、「学士様」という「身分」は“剥奪”となる。同級生からも卒業生とは認められないし、この汚点は一生つきまとう。日本人は不正入国や国籍詐欺には寛大でも、裏口入学については殊のほか厳格である。

Chinese cartoon 2(左 / 苦力を縛り首にする風刺画 )
  日本人は本質的に“心が優しい”から、困っている人を助けようとする。が、それは同等の文明や生活水準をもつ歐米人だけにすべきで、支那人とか朝鮮人は冷たく見放すべきだ。なぜなら、彼らは簡単に祖国を捨て去る地球市民であるからだ。しかも、寄生先の国家を劣化させる厄介者となっている。だいたい、北米や西歐諸国で、支那人を受け容れたことで、何か「嬉しい」ことがあったのか? 偽善的な知識人は別だけど、「支那人、出て行け !」と罵りたくなるのが普通だ。かつて、フランク永井は「そばに居てくれるだけでい〜い〜」と唄っていたけど、支那人が側に居たら、「いつまで俺の近くに居やがるだ ! とっとと、帰れ!」と言いたくなる。支那人というのは、目にするだけでも不愉快だ。交際して清々しく思うことは全くない。京都の風情を愛する日本人は、アヒルみたいにガァーガァー喋る支那人を忌々しく思っていたし、祖父の代から東京で暮らしてきた江戸っ子は、支那人に銀座を占領されて怒っていた。昔、筆者は埼玉県の川越に住んでいたけど、ある日、テレビ番組で支那人が群れる映像を見て愕然としたことがある。30年くらい前は日本人だけが行き交う街並みで、支那人の団体客なんて見かけなかった。それなのに、今じゃ下品な支那人が大量に訪れ、店の前でモノを喰ったり、大勢で話ながらゾロゾロ道端を歩いたり。これじゃあ、まるで環境破壊だ。

  我々には支那人の生活や健康を考慮する義務は無い。たとえ、支那大陸にウイルスが蔓延しようとも、日本政府は忖度することなしに、支那人の観光客を全てシャットアウトにすべきである。支那人の健康は北京政府が責任をもって配慮すべし。日本政府は日本国民の利益を第一に考えるべきである。一般の日本人は気づいていないが、難民条約というのは、後進国や独裁国の住民が有利になるよう考案された脅迫状で、西歐諸国や日本といった先進国には何の利益も無く、むしろ負担を増幅させるだけの代物である。「難民」を称する逃亡者は、必ず豊かな文明国を目指す。彼らは「命」を優先していると弁明するが、ちゃっかり避難先を選んでいる。例えば、ラオスやカンボジアからの難民は、タイとかマレーシアよりも、オーストラリアやカナダを選ぶし、「クルド難民」は同じ信仰を持つサウジ・アラビアとかドバイといった富裕国を斥け、遙か遠くの日本を「定住地」として選んでいる。なぜなら、アラブ諸国は“よそ者”に冷たく、福祉金など全く期待できないからだ。ところが、日本に行けば言葉が通じなくても何とかなるし、事によったら社会福祉で生活できる。運が良ければ国籍取得も可能だから万々歳だ。さらに、帰化人となれば親兄弟を呼び寄せることもできる。ということで、「日本行き」がベスト・チョイスだ。(NHKは本当に悪質で、難民推進派の本間浩と緒方貞子を使って特番を作り、「難民受け容れ」を呼びかけていた。NHKの制作者は筆者に「彼らは制作者の代弁者なんですよ。ハハハ !」と笑いながら答えていた。もちろん、一般視聴者には内緒だ。彼らはゼニだけを巻き上げる。)

支那人が溢れかえるオーストラリア

mixed race couple 5mixed race couple 111


(写真 / 多民族主義者が讃美する異人種カップル)

  日本の未来を考える上で、非常に参考となるのは、アジア諸国に近い南の楽園で、愚劣化したアングロ・サクソン国のオーストラリアだ。最近は、クライヴ・ハミルトン教授の『Silent Invasion』で“濠洲のアジア化”が話題となったけど、既にオーストラリアは1970年代に多文化・多民族主義で「別の国」となってしまった。オーストラリアは人種的に変質してしまい、もはやギリス人やケルト人が主流の国ではない。街の至る所に、移民や難民としてやって来たアラブ人やレバノン人、ソマリア人、マレー人、インド人、フィリピン人、そして“どんな種族”か判らぬ混血児がいて、その中に支那人が大量に紛れ込んでいる。銭儲けを得意とする支那人は大都市に集まりがちで、支那大陸生まれの支那系オーストラリア人だと、53%くらいがシドニーで暮らしているそうだ。また、ブリスベンやメルボルンにも香港出身の支那人や客家の支那人が多く住み着いているから、本当におぞましい。まぁ、支那人というのは、チャンスがあれば何でもする民族だから、先進国がちょっとでも甘い態度を示せば、続々と上がり込んでくる。

Bob Hawke 3(左 / ボブ・ホーク )
  支那移民が増えたのは、1970年代にオーストラリア政府が「白濠主義(White Australia Policy)」を放棄したせいなんだけど、1980年代後半に首相となったボブ・ホーク(Robert James Lee Hawke)の罪過も大きい。オーストラリアには呆れるほどリベラル派が多く、この労働組合上がりの首相も左巻きの人物で、人種差別への反対とか人道主義への配慮とかで人気を誇っていた。(実際、彼は1983年から1991年まで首相の座に就いていたから、珍しい程の長期政権だった。) ホークは根っからの政治屋で、15歳の時には「将来、オーストラリアの首相になるんだ!」と意気込んでいたそうだ。また、彼は米国のビル・クリントン大統領と同じく、有名なローズ奨学金をもらってオックスフォード大学に留学した経験をもつ。帰国してからは組合活動に励んだそうで、議長選挙に挑むと勝利を摑み、輝かしいACTU(オーストラリア労働組合評議会)のトップになれた。

  「リベラル派」というのは、国民の利益を犠牲にしても“高尚”な理念に邁進するようだ。アングロ・サクソン系やケルト系のオーストラリア人は、異様な顔つきの支那人が大嫌いなのに、天安門事件が勃発すると、ホーク首相は約2万人の支那人留学生に滞在延長を許したしまった。(Tony Wright, "Refugees : more confusion : Hawke backtracks and dashes hopes of 20,000", The Canberra Times, 13 June 1990) 当時、ケ小平が率いる北京政府の残虐性にショックを受けた西歐人は、「あらまぁ、お可哀想に !」と支那人の留学生や活動家を憐れみ、滞在期限が切れても追い返そうとはしなかったけど、これは致命的な誤りだ。「デモクラシー」を叫ぶ活動家だって、権力を握れば新たな始皇帝となる。昭和女子大の黄昭堂がいち早く警告していた通り。何千年経っても支那人は支那人のままである。オーストラリアでも同じで、綺麗事が大好きなリベラル派は支那人に「難民」資格を与える始末。でも、この例外措置に反対する者もいたから、オーストラリア政府に対し、「どれくらいの延長期間なんだ?」とか、「何年くらい認めるんだ?」との質問が投げかけられたという。最初、ホーク首相は「だいたい6ヶ月以上で、10年を超すことはない」と曖昧に答えていたが、実際のところ4年くらいを目途に考えていたそうだ。

  とはいっても、厚かましい支那人だ。「滞在期限」が来たから潔く帰る、ということはない。もし、あの暗黒大陸に戻れば、悲惨な生活しか期待できないし、いくら頑張っても出世できる訳じゃないから、快適で豊かなオーストラリアに留まった方が“お得”だ。オーストラリアに住むことができれは、どんな下っ端仕事でもへっちゃらで、人種差別なんか屁でもない。太古の昔から、支那人自身が差別主義者なんだから。とにかく、“地上最低”の支那で働けば、様々な公害や土壌汚染、農薬漬けの野菜に、重金属まみれの食品、暴動、圧政、弾圧、搾取、虐殺、疫病などで苦しむ事になるし、第一、生きている喜びが無い。列車に乗れば「あの世行き」だし、そこら辺の道路を歩けば、いきなり地面の陥没でブラックアウト。暴走車が突っ込んでくれば瀕死の重傷だ。また、エスカレーターやエレベーターに乗ったら、暴走機関車よりも危険で、「いつ、どんな事故」が起きるのか分からない。格差社会なんか当たり前で、共産党幹部の家庭に生まれたら幸運だけと、農村に生まれたら一生「農奴」のままだ。それに、支那では「マモン(金銭の神)」が「テーミス(正義の女神)」の天秤を持っているから、“公正”を掲げる司法と警察だって金で動く。日本人は呑気にモデル・ガンを買って「サバイバル・ゲーム」を楽しんでいるが、支那人は実生活で生死を彷徨(さまよ)っている。ということで、支那人は何が何でも歐米諸国にしがみつく。

  普通の日本人は赤い学校でクルクルパーにされているから、「白濠主義」と聞けば、「えっぇ〜、こわいぃぃ〜」と思ってしまうが、実際、アングロ・ケルト系国民が大半だった頃のオーストラリアは素晴らしかった。日本人の学者でオーストラリアを研究する者は、ほとんどが左翼なので、西歐的濠洲を望んだエドマンド・バートン(Sir Edmund Barton)やジョン・カーティン(John Curtin)、アルフレッド・ディーキン(Alfred Deakin)、ロバート・メンジーズ(Sir Robert Menzies)といった首相や移住省大臣を務めたアーサー・コーウェル(Arthur Calwell)に対する評価は極めて低い。良家のお坊ちゃんやお嬢ちゃんが通う慶應義塾大学では、悪質な関根正美とか塩原良和が教えていたから、多文化主義を素晴らしいと信じる学生が大量生産されていた。とは言っても、事情は東京大学や一橋大学でも同じで、移民問題や多民族社会を専攻する教授は、ほとんどが老獪な反日分子かピンク・リベラル、あるいは“なんちゃって左翼”だから、アングロ・オーストラリアを肯定する学者なんて皆無だ。

Edmund Barton 1Alfred Deakin 1Robert Menzies 1Arthur Calwell 1


( 左 : エドマンド・バートン / アルフレッド・ディーキン / ロバート・メンジーズ / 右 : アーサー・コーウェル )

  外国を理解するには、具体的に考えてみるのが一番だ。もしも、一般の日本人がオーストラリアへ移住することになったとして、この人々に「イギリス人だらけの濠洲」と「支那人がウヨウヨいる多民族濠洲」を選択できるとしたら、おそらく90%以上の者が白人だけの濠洲を選ぶことになるだろう。(アボリジニの村で暮らしたいと考える日本人はゼロ。) 普通に考えれば、1960年代までのオーストラリアの方が良いと分かるのに、オーストラリアの政治家ときたら、どいつもこいつも「多文化・多民族主義、万歳 !」という奴らばかりだ。移住省大臣を務めたアル・グラスビー(Albert Jamie Grassby)やサウス・オーストラリア州の首相を務めたドン・ダンスタン(Donald Allan Sunstan)は論外として、ハロルド・ホルト(Harold Holt)、ゴフ・ウットラム(Gough Whitlam)、ポール・キーティング(Paul Keating)、ジョン・ハワード(John Howard)なども移民歓迎の売国奴であった。(アル・グラスビーは札付きの多文化主義者で、非イギリス的肉体を持っていたからアングロ・ケルト的濠洲を憎んでいた。ドン・ダンストンも極左分子で、このバイセクシャル議員はユダヤ人妻のグレーテルとマレーシア人妻のアデーレと別れた後、スティーブン・チェンという支那人学生と愛人関係となった。グラスビーにはエレノールという正妻がいたけど、アンジェラ・チェンという愛人がいて、この支那人と最期まで暮らしていた。さぁ〜すが、多民族主義者は私生活も多彩だ。)

Al Grassby 1Don Dunstan 1Gough Whitlam 1Harold Holt 1


(左 : アル・グラスビー / ドン・ダンスタン / ゴフ・ウットラム / 右 : ハロルド・ホルト )

Kevin Rudd 5(左 / ケヴィン・ラッド )
  最近ではニュー・サウス・ウェイルズ州の首相を務め、支那人との癒着ぶりから「北京(ベイジン)ボブ」と呼ばれるボブ・カー(Robert John Carr)が有名になった。しかし、彼が外務大臣を務めた時の親分であるケヴィン・ラッド(Kevin Rudd)も「ベイジン・ボブ」に負けず劣らず、支那人に媚びる政治家だった。白人議員としては珍しく、ラッド首相は北京語を流暢に話す。というのも、彼はオーストラリア国立大学(Australian National University)に通っていた頃、支那語と支那史を専攻し、「陸克文」という支那名まで持っている「支那通」であるからだ。(Kevin Rudd, "Learning Chinese Is a Doorway to Understanding", IFC Mandarin Connection, 27 May 2018) これに加え、彼は1984年頃、北京にある濠州大使館に勤めた経験がある。そこでの肩書きは、政治顧問となっていたから、たぶん、流暢な支那語の才能を買われてのことだろう。

  さらに注目すべきは、義理の息子が支那人ということだ。ラッド首相にはジェシカ(Jessica Rudd)という娘がおり、女房のテレーズ・レイン(Therese Rein)が「レイン財団」を創設していた。ジェシカは母親が拵えた財団に勤めていたが、そこには将来の夫になるアルバート・ツォ(Albert Tse)も役員になっていた。玉の輿に乗ったアルバートは、香港出身の支那移民で、元々は「BankWest」の銀行員であったらしい。(Arjun Ramachandran, "He beat Kevin Rudd : who is Albert Tse ?", The Sydney Morning Herald, December 8, 2007) 二人の間には娘も生まれたから、祖父となったケヴィン・ラッドは大喜びだ。

Jessica Rudd & Albert Tse 02Kevin Rud & Therese Rein 1


(左 : アルバート・ツォとジェシカ・ラッド / 右 : テレーズ・レイン夫人とラッド首相 )

  確かに、初孫が支那人との混血児なら、支那人を“より一層”身近に感じられるし、「支那人は出て行け !!」と叫ぶ白人は赦しがたい「天敵」となる。異人種間結婚の恐ろしさは、遺伝子プールの毀損や人種の変質ばかりではなく、「同胞」の変化にもある。つまり、支那系の孫ができると、自分の「同胞」に何億もの支那人が加わってしまうのだ。もちろん、アングロ・ケルト系のオーストラリア人は引き続き「良き仲間」であるが、支那大陸の異民族も自分の「仲間」になってしまうところに、異民族融合の“恐ろしさ”がある。ラッド首相のような祖父にしたら、西歐人ばかりの濠洲は、孫が爪弾きにされるので好ましくない。やはり、色々な人種が混じった濠洲の方が安全だし、支那人の血を引く子供にとっては“最良”の国家となる。

支那語教育を推奨する元首相

  一般的に、西歐人というのは、アジア諸国の言語を学ぶことはない。たとえ、中学生や高校生の時に始めても、あまりにも異質で難解な言葉なので諦めてしまう者がほとんど。日本語なんか暗号みたいだし、アラビア語と同じくらい難しい。文法は違うけど支那語だって複雑怪奇だ。第一、あの膨大な漢字の量を知れば「やめておこう」となる。ところが、ラッド首相はアジア諸国との貿易を増大させ、オーストラリア経済の要(かなめ)にしたいらしい。そこで、ラッド氏は「オーストラリア経済の未来はアジア言語にあり !」と喝破し、「標準語(Mandarin)」とされる北京語や日本語、インドネシア語(Bahasa)、朝鮮語を学ぶよう勧め、学校教育に取り入れるよう訴えかけたという。(Creating an Asia-literate Australia : an Address to the 2002Australia in Asia Series, 8 October 2002) 日本人なら「いくら貰っているんだ?」と尋ねたくなるが、ラッド首相は支那語教育に熱心で、民間企業が新入社員を採用する際、何割かの「特別枠」を設け、アジア言語を習得した学生に与えるよう提案したのだ。もう、二階俊博もたじろぐ程の「チャイナ好き」である。

  ところが、チャンコロ屋の夢は、本当に夢幻(ゆめまぼろし)となったらしい。将来の就職に有利なるだろうと計算して、幾人かの子供達が支那語の勉強を始めたというが、あまりにも難しかったのか、それとも興味が薄れたのか、94%の小学生が12歳になる前に挫折したそうだ。("Chinese Language Programs in Australia : 94% Drop-Out Rate", The Linga Franca, October 13, 2008) そりゃそうだろう。西歐白人の家庭で支那語を話す親なんかいないし、たとえ子供が興味を持っても、文法や語彙が違いすぎるから、次第に飽きてくる。子供には何らかのインセンティヴがないと、「続けよう」という意思がはたらかないのだ。そもそも、動機が「銭儲け」という魂胆なので、続く訳がない。小学生は興味を持ったものに集中する。例えばもし、オーストラリア人の子供が日本に移住して、日本のアニメを観たり、漫画雑誌を目にすれば、自然と日本語を学びたくなるだろう。しかし、オーストラリア白人の家庭に生まれ、両親とも英語を話し、友達も白人だらけという環境で、小学生が難解な支那語を勉強するのか? いったい、支那文化に“どんな”魅力があるというのか? 二千年とか三千年の歴史を自慢する支那や南鮮には、日本の作品を盗んだ「パクリ文化」や、歐米諸国のポップ・カルチャーに憧れた「猿マネ藝術」しかない。子供は正直だから、「嫌なもの」は「嫌 !」と答えてしまうのだ。

Chinese in Australia 3Chinese cartoon 1


(左 : 「オーストラリア国民」となった支那人 / 右 : 支那移民を揶揄する風刺画 )

  「多文化主義」とやらを称讃するオーストラリアは、今や様々な人種が暮らすテナント長屋となっている。 現地の政治に詳しくない日本人でも、キャンベラやシドニー、メルボルン、アデレイド、ブリスベンを旅行すれば、目を丸くして「ひゃゃゃ〜、アジア人やアフリカ人ばかりじゃん !!」と驚き、「第三世界」に来たような錯覚に陥るだろう。中には、松田優作のジーパン刑事みたいに「何じゃこりゃ !!」と叫ぶ者もいるかも知れないぞ。これなら、草原に出てコアラやカンガルーを眺めた方がマシだ。野生動物は同種類の繁殖を好むから、火傷したコアラはいるけど、髭面のコアラとか、タヌキと混血したコアラ、ゴリラの母から生まれたカンガルーなんていないじゃないか。

  敗戦で健全な精神を滅茶苦茶にされた日本人は、フランクフルト学派の大学教授や革命を望む進歩的知識人、伝統的社会を憎む日教組教師によって、国家意識を根こそぎ奪われてしまった。国防の重要性を訴える保守派国民でも、我が国を守るのは「誰」なのかを認識せず、アジア移民の流入に断固たる拒絶を示すことができない。なぜならば、保守派知識人でも「人権」とか「人道主義」に縛られ、アジア人の排斥とナショナリズムは右翼思想とかネオナチ主義と考えてしまうのだ。報道によれば、武漢肺炎が拡散した時、安倍総理や側近の高官は、習近平の来日断念と対支那感情の悪化を懸念して、支那人の入国を全面禁止にできなかったという。つまり、残酷な独裁者を「国賓」として招くために、一般国民を犠牲にしても“OK”と考えていたのだ。首相官邸で働く高官らは大卒者のはずだが、学校で愛国精神と国防意識を学んでいなかったので、「日本人が最優先」という発想が無かったのだろう。

  一方、武漢肺炎の拡大で心配な日々を送る日本人には、二重三重の損害が降り掛かっている。普通なら、この時期でもマスクや殺菌剤の“品切れ”は無いのに、今年はどこの薬局でも売り切れ状態で、日本各地で入手が難しく、通信販売では高値が附いている。さらに、学校や会社に通うために電車やバスを利用すれば、飛沫感染の恐れがあるというので、短時間の乗車しかできない。しかも、ウィルス蔓延のせいで、各地のイベントやコンサートは軒並み中止となり、主催者側は困り果てている。只でさえ、消費増税の影響が全国各地を震撼させ、経済成長がマイナス6.3%という惨状なのに、東京五輪まで危うくなっている訳だから、日本経済にとって大打撃だ。

  ところが、今でも支那人の個人客は入国禁止となっておらず、安全な日本へ逃れようとする来日客(避難民)は絶えない。日本で肺炎になれば無料か低料金で極上の医療を受けることができるし、「人道主義」を掲げてコネれば、長期滞在も可能となる。何しろ、日本には既に支那人だらけの街や支那人が群れる租界が出来上がっているから、日本語が不自由でも生活に困らない。しかも、働き先はいくらでもある。支那料理屋での皿洗いでもいいし、人手不足の農家で「臨時雇い」でもいい。また、筋肉労働の市場に行けば、幾らでも需要があるから、小さな工場で働くこともできるし、一攫千金を期待できる闇社会もある。こうなりゃ、10年、20年でも暮らして行けるだろう。それに、アホな日本人を引っ掛けて結婚できれば、永住権や国籍も夢じゃない。日本だと、様々な理由をつけて滞在を伸ばすことができるし、都会に行けば支那人を支援する人権屋とか左翼弁護士も“いっぱい”いるから一安心だ。

  とにかく、日本人は精神的に弱い。「根気強くゴネれば道は開ける」というのが支那人のモットー。彼らには日本人が持つ「羞恥心」といったものは無い。付け入る隙があれば、とことん利用し、その隙間をグイっと広げて、もっと多くの利益を得ようとする。やがて日本には支那人の血筋を持つ者で溢れ、帰化人の子孫とか日支混血児の家庭、アジア人と結婚する帰化支那人の孫などが普通になってしまうだろう。たぶん、「李」とか「劉」、「趙」といった姓が当たり前となるんじゃないか。地上波テレビ局はこっそりと多民族社会を目指している。狡賢い制作者は、白人藝人を招いて作る番組の中に、ちゃっかりアジア人を混ぜて、視聴者のアジア人アレルギーを薄めようと謀っているのだ。テレビ朝日は、『ビートたけしのTVタックル』にアジア人を混ぜて地均しをしていた。朝鮮系支那人の張景子(稲川素子事務所)を呼んできたり、南鮮擁護の特集番組では、東海大学の金慶珠(ホリプロ)を招いて反論を述べさせていた。ちなみに、レギュラー出演者の大竹まことは、プロデューサーの意見を喋るだけの代理人。最近では、上海出身の支那人女優、高陽子(ジャパン・ミュージック・エンターテイメント)を起用して支那人掩護に努めていた。日本人は日本語を流暢に喋るアジア人に心を許してしまうから、破壊主義派の左翼にとったら赤子も同然だ。

  武漢肺炎に罹った日本人は本当に気の毒だけど、こうした患者達は病院に赴いて更に驚く。既に支那人の患者がいて、医者や看護婦さんの手厚い治療を受けているからだ。日本人の患者はアジア人患者の到来で、診察の順番が廻ってくるまで長時間待たされ、得たいの知れない外人と同じ待合室で坐る破目になる。しかも、こうしたアジア人が何時の間にか「国民健康保険証」を持っており、日本人と同じように高度医療を受けているんだから頭にくる。日本人は両親や祖父母、曾祖父母の頃から国民健康保険制度を支えており、長年に亙って多額の保険料を納めてきた。中には医者や看護婦、介護師を排出した家族もいる。それなのに、支那人ときたら“たった”三ヶ月ないし半年くらいで保険証を入手でき、それを「後ろめたい」とも思わない。悪質な支那人は一つの保険証を使い回して診察を受けている。只でさえ、支那人は北海道や沖縄、東京周辺の土地を買い漁り、日本の街を汚くしているのに、ウイルスまで撒き散らかしているんだから、一人残らず叩き出したくなる。もし、日本国が消滅するとしたら、それはミサイル攻撃じゃなく、支那人の襲来によるものだろう。安倍晋三は長期政権を築いた総理大臣というより、日本を変質させた張本人として歴史に刻まれるはずだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68800846.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c32

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
35. 中川隆[-13452] koaQ7Jey 2020年2月26日 20:38:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[41]
2020年02月26日
新型ウイルスで中国は致命傷を負う、膨らむ債務と縮む成長率


支出は毎年2桁増、成長率が5%では遠からず経済破綻する


新型ウイルスが中国経済に与えるダメージ

中国経済はこの12年間、巨額公共投資による公共事業や不動産価格上昇によって経済成長してきました。

だが2015年の中国経済危機を境に経済は下り坂になり、2019年の成長率は6%で2000年代の半分になっている。

それでも年6%は世界2位の高度成長だが、中国は年間数百兆円もの公共投資をしている。

年6%成長は約80兆円に相当するが、中国は80兆円の経済成長を得るために年300兆円以上支出していると見られる。

それが新型コロナウイルスで2020年は良くて5.5%、悪ければ5%以下の成長率に落ち込む。

年間数百兆円の公共投資は都市建設や不動産開発などに振り分けられ、年間の鉄道建設費だけで50兆円以上使っている。


中国は毎年日本の鉄道総路線に匹敵する鉄道建設をし、新幹線の総路線に匹敵する高速鉄道を建設している。

さらに日本の全地下鉄に匹敵する地下鉄を建設し、日本の全高速道路に匹敵する高速道路を建設している。

このうち北京や上海など大都市周辺はとっくに開発し終わったので、今建設しているのは過疎地や砂漠が多い。


高速鉄道の場合黒字なのは北京上海線の一路線だけで他はすべて赤字、在来線も9割は赤字、地下鉄や高速道路も9割以上赤字です。

これでも飽き足らずに中国は日本のすべての空港に匹敵する空港を毎年建設し、これもすべて赤字です。

中国は砂漠に100万人規模の都市を建設したが入居者がなく鬼城になったが、これでもまだ飽き足らなかった。

中国の浪費経済で膨らんだ債務

中国政府は2017年4月に突然、北京の隣りの河北省に人口200万人以上の先端都市を建設すると発表しました。

この「雄安新区」はケ小平の深圳経済特区、江沢民の上海市浦東新区に匹敵する習近平の偉業と発表された。

深圳や浦東を上回る新都市をゼロから作るのだが、これもすべて借金になる。


中国の公的債務は欧米専門家によるとGDP比250%から300%に達し、今も増え続けている。

中国は成長率を維持するために公共投資を毎年増やしているが、成長率は毎年低下している。

公共投資を増やすほど、成長率が低下するほど公的債務のGDPは増加するが、「健全財政だ」と主張している。


中国政府の借金の多くは国債ではなく投資商品のような形で販売されていて、購入者は政府の借金だと知らされていない。

もし政府が返済不能になったらどうするのか、いずれ政府支出を減らすか中央銀行が買い取るか、政府が破産することになる。

日銀のように中央銀行が買い取っても良いが、日本は予算がゼロ成長だから可能なので、中国は毎年大幅に予算を増やしている。


もし政府が毎年10%予算規模を拡大し、増えた全額を人民銀行が買い取ったら大混乱が生じるかもしれない。

ウイルス騒動が起きなくとも最近の中国経済は年0.5%ほどのペースで成長率が低下していた。

もし中国がより大きな公共投資で成長率を高めると、さらに債務比率を高めてしまう。


かといって公共投資を削減すると経済成長率が2%や1%に落ち込み、日本のようにマイナス成長になりかねない。

進んでも破産、下がっても破産するので中国は現状程度の公共投資を続け、「借金は存在しない」と言い続けるしかない。

ウソが通用しなくなり経済が混乱したら、その時は本当に国家破産するしかない。

http://www.thutmosev.com/archives/82285928.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c35

[近代史4] 千葉 南房総市 弁天鉱泉 中川隆
1. 中川隆[-13451] koaQ7Jey 2020年2月26日 22:05:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[42]

弁天鉱泉 [南房総] 露天風呂 +++ 影向の湯 +++



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/311.html#c1
[近代史4] 千葉 南房総市 弁天鉱泉 中川隆
2. 中川隆[-13449] koaQ7Jey 2020年2月26日 22:16:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[44]

千葉県にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/311.html#c2
[近代史3] 監視国家 中国 中川隆
3. 中川隆[-13448] koaQ7Jey 2020年2月26日 22:46:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[45]
まだ新型肺炎の真実を隠す中国、このままでは14億人の貧困層を抱える大きいだけの国になる=鈴木傾城 2020年2月25日


中国はアメリカに強硬な貿易戦争を仕掛けられている。すでに経済成長も失い、打つ手が後手後手になってしまっている。そんな中で新型コロナウイルスが蔓延し、どんどん感染者や死者が増えている。中国が新たな成長を取り戻すには民主化と情報の自由化が必要になるが、現状は真逆の方向に向かっている。

最初から最後まで真実を隠し、今も規制を敷いている

新型コロナウイルスは中国でどのような状況になっているのか、誰も分からないと言っても過言ではない。

政府発表では2020年1月30日の段階で7,800人だったが、当時から現場は「10万人以上の患者がいる」と切実に訴えており、その乖離は壮絶なものがある(編注:2月24日現在、中国の保険当局によると感染者数は7万7,658人とされています)。

中国人ですらも中国共産党政権の発表など信じていない。中国共産党政権は、常に自分たちの都合に合わせて数字を歪曲し、情報隠蔽してしまう。中国では真実を言ったら公安当局に連行されてしまう。

日本でもアメリカでも政権に反対の人は堂々と反対運動を繰り広げて何事もなく日常生活を送っているのだが、中国では同じことをやったら無事に済まない。政権に不都合な人間は「みんな消される」のである。

新型コロナウイルスが封じ込められなかったのも、中国共産党政権は当初、情報を隠蔽していたからだ。いや、最初から最後まで真実を隠し、今もインターネットにも強い規制を敷いている。

情報を隠蔽する。都合の悪い真実はねじ曲げる。それが中国なのである。
中国の検索エンジンでは「絶対に検索できない言葉」もあって、たとえば「天安門事件」と検索しても何も引っ掛からない。それは中国政府は国民に知って欲しくない言葉だからだ。

そのため、今の若年層は天安門事件というものがあったことすらも知らない人もいる。

「何を知らないのか知らない」という状況になる

大陸に住む中国人は、中国政府が許可した情報だけアクセスできて、中国政府が隠したい情報は何も知らないままにされている。

「何を知らないのか知らない」という状況になるのだ。

都合の悪い情報はどんどん検閲されていく。この中国共産党政権の悪しき体質は新型コロナウイルスの蔓延で世界中が知ることになった。

中国はすべてにおいて、そうなのだ。中国では凄まじい大気汚染や環境破壊で癌で死んでいく人間が毎年数百万人レベルで出現している。しかし被害者は隠蔽されているだけで、今も依然として中国を覆い尽くしている。

中国共産党政権の都合の悪い事実は決して知らされない。消される。何も許されない。

次世代を作り出す技術革新は、その多くは自由な環境の中で生まれる。「あれは駄目、これは駄目、なぜ駄目なのか考えるな、政府に従え」という環境であれば、何も生み出せない。

政府が許可したものだけ、海外からパクリで持ってきてそれを運用するだけなので、すべてがワンテンポ遅れる。

そのパクリも、ハッキングやスパイ行為で情報を盗んで行われるので、情報が盗めなくなったら終わりだ。すべて盗んだものだから、そこから独創的な技術革新が生まれることもない。

そもそも下手に技術革新を進めていくと政府の都合の悪い領域に達する可能性もあるので何もできない。これが今の中国の現状なのである。
こうした情報統制や隠蔽体質は、通常の民主主義社会であれば、やがて薄まっていくのだが、中国は共産党の一党独裁なので逆にどんどん強まっている。

報道の自由などまったくない。北朝鮮と大差がない。


なぜ、中国政府は情報統制に走っているのか?

報道の自由と言えば、日本の報道の自由度も低いが、それもそうだろう。
日本では朝日新聞や毎日新聞などが捏造に歪曲に印象操作を行い、中国・韓国・北朝鮮の反日もまったく報道せず、誰が日本で売国スパイをしているのかすらも報道しないような体質なのだ。これで報道の自由が上がるわけがない。
しかし、中国の情報隠蔽というのは、もはやそんなレベルではなく、言論封殺と言っても良い状況だ。

中国では「国家安全法」で、中国にとって都合の悪い外国人もテロリストと決めつけたり、中国に不利な情報を報じる外国人ジャーナリストを国外追放したりしている。

それに飽き足らず、「反テロ法案」というものもあって、中国政府が「お前はテロリスト」と決めれば、その人物はテロリストになる。

たとえば、中国政府は海外から支援を受けたNGO団体の活動家を中国から追い出しているが、その根拠として「国家安全法」や「反テロ法」を持ち出している。
さらに習近平政権は「海外NGO管理法」を制定させて、中国のすべての人権向上のための活動を事実上、完全閉鎖に追いやった。

なぜ、これほどまで中国政府は情報統制に走っているのか。

言うまでもない。中国政府はもう政権運営に行き詰まっており、アメリカのドナルド・トランプとも対立して政治的にも経済的にもボロボロになっているからだ。
しかし、汚職・環境破壊・格差・経済不振を何としてでも隠し通して、中国共産党の一党独裁を維持し続けたいと思っている。


中国は絶対に次の時代の覇権国家になれない

中国共産党では中国の未来はない。しかし、中国はこの共産党の一党独裁なので、政権交代ができない。共産党が駄目になったときの受け皿がない。つまり、中国共産党が終わるときが中国の終わるときだ。

中国は格差問題が解消できないどころかますます広範囲に広がっている。こうしたことから、中国の内陸部では頻繁に暴動が起きている。
しかし、中国は弾圧国家であり、こうした暴動も警察や軍隊の激しい暴力で鎮圧させている。この暴動が抑えきれなくなれば、中国は崩壊するが、もし北朝鮮のように弾圧が延々と続くとしたらどうなるのか。

中国は発展もなく、進歩もなく、どんどんじり貧になりながら続いていくということになる。そうであった場合、中国という国は先進国に向かうのではなく、中進国から貧困国へと向かっていく。

14億人の貧困層を抱えるただの図体だけが大きな貧困国になってしまうのだ。
中国はアメリカに強硬な貿易戦争を仕掛けられている。すでに経済成長も失い、打つ手が後手後手になってしまっている。そんな中で新型コロナウイルスが蔓延し、どんどん感染者や死者が増えている。

中国が新たな成長を取り戻すには民主化と情報の自由化が必要になるが、現状は真逆の方向に向かっている。

中国共産党は、情報の自由化を認めたとたんに14億人の批判対象になって崩壊してしまうので、絶対に民主化も自由も認めない。それならば、中国はこれから情報封鎖と弾圧を繰り返しながら、徐々に途上国へと戻っていくだけだ。
今のまま推移するのであれば、中国は絶対に次の時代の覇権国家になれない。多くの日本人は漠然と中国が豊かになっていく想像ばかりしているが、実はその逆の動きもあることを知るべきだ。

https://www.mag2.com/p/money/894920
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/888.html#c3

[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
11. 中川隆[-13441] koaQ7Jey 2020年2月27日 01:10:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[52]

宮城 東鳴子温泉 高友旅館
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/315.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c11
[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
12. 中川隆[-13439] koaQ7Jey 2020年2月27日 01:49:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[54]

霧島新燃荘(きりしましんもえそう)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/316.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c12
[リバイバル3] 高配当銘柄を買うとこういう目に遭う _ JT 日本たばこ産業 (2914) 中川隆
15. 中川隆[-13437] koaQ7Jey 2020年2月27日 10:14:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[56]
536 日本は滅亡します
2月27日 09:46

喫煙者が減少した本当の理由を教えてやろうか。
所得が下がってタバコを買う余裕がなくなった。
https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1002914/a3ja3t
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/976.html#c15

[近代史3] チャンネル桜関係者や保守・右翼は何故 知恵遅れの安倍晋三にそんなに簡単に騙されるのか? 中川隆
20. 中川隆[-13436] koaQ7Jey 2020年2月27日 10:27:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[57]

2020年2月26日
ウソで自滅する国家 〜安倍・トランプ・文在寅
From 藤井聡@京都大学大学院教授

消費増税で日本経済はもうメチャクチャ。その上、コロナショックも加わり、令和恐慌はほぼ確定的な状況。その上、東京五輪も中止の可能性も日に日に高まってきています。そうなれば、恐慌はさらに酷いものになってしまいます。

この状況では、政府は消費税を5%に減税することを軸とした、超大型の景気対策を連発しなきゃいけないのに、驚くべきことに、安倍総理は

「景気は緩やかに回復しています」

と強弁しています。

これはもう、誰が見ても明々白々なウソなのですが、これまで、景気は回復しつつあるとウソをつき続けてきたもんだから、今更、「いや、実は景気めちゃ冷えてるんです(でヘッ!)」なんてもう言えないーーーってことで、こんなに経済がメチャクチャであるにも関わらず、臆面も無くウソを突き続けているわけです。

で、こんなくだらないウソをついてたら、「緊急経済対策をやります!」なんて言えなくなってしまうのですが−――実際、麻生財務大臣は、

「いますぐ何か考えているわけではない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00000517-san-bus_all.view-000&

なぞと嘯いています。

いやぁ・・・こうやって、日本って滅んでいくんだなぁ・・・としみじみと感じてしまう今日この頃ですがーーーこのたび、こんなくだらない「ウソ話」について、危機と対峙する保守思想誌「表現者クライテリオン」にての特集を組み、刊行いたしました!

題して、

ウソで自滅する国家 〜安倍・トランプ・文在寅
https://www.amazon.co.jp/dp/B084B14TY6

今日は、その議論の一端をご紹介する、という趣旨で、巻頭の座談会

溶解するナショナリズム、幼児化する民主主義/会田弘継×堀茂樹×藤井聡

の冒頭部分をご紹介したいと思います。

是非、ご一読ください!

『溶解するナショナリズム、幼児化する民主主義/会田弘継×堀茂樹×藤井聡』
https://www.amazon.co.jp/dp/B084B14TY6

(藤井)
今回の特集は「ウソで自滅する国家 安倍・トランプ・文在寅」というもので、いわゆる西側諸国の民主主義で選ばれたリーダー達が、とんでもないウソを平然とつき続けており、それを通してまさに国家が自滅しかかっている、という危機的な状態について批評、描写しようとするものです。

例えばアメリカのトランプは、ワシントンポスト紙の調べによれば、993日で、13,435回もの嘘をついていたそうです。イランのソレイマニ司令官殺害の問題でも、攻撃をした直後には「アメリカ側を攻撃しようとしていたから、自己防衛のために殺害した」とトランプは説明してわけですが、実際はそれは単なるウソで、「自己防衛」ではなく単なる「報復」で殺害に至ったことが明るみにでています。結果、イラン情勢は、戦争がはじまりかねない程に一気に緊迫したのは記憶に新しいところです。

我が国日本を鑑みても、例えば昨今では、政府関係者は「桜を見る会」に関連して、誰もがウソだと思わざるを得ない様な説明を繰り返しています。「出席名簿は存在しない」という政府の説明をまともに信じている国民はほとんどいないでしょうし、同じようなことが、森友とか加計でも繰り返されてきました。

ここで重要なのは、そのウソそのものというより、政府が平然とウソをついているという事実そのものにあります。

政府が保身のためだけにそれだけ平然とウソをつき続けているとしたら、経済や外交についての重要案件についても自己都合のためにウソをついているに違いない、ということになるからです。

実際、令和元年の10%消費増税で経済データは明らかに激しい冷え込みを示しているにも関わらず、政府は驚くべきことに「景気は緩やかに回復している」と公表しています。

そんな認識のままでは政府は適切な経済対策を行うことはないでしょうから、結局は、こんなくだらないウソのせいで、日本は自滅しかかっている状況にあるわけです。

もちろん、もともと「狡猾」であるべき政治は、必然的にある種のウソは付き物ではありますが、今のウソはそういう狡猾さからはかけ離れた「幼稚」なものに堕落してしまっている。

しかも、そんな幼稚な嘘が、さして批判されない。事実、トランプも安倍も一定以上の世論支持を受けており、彼らのウソがまかり通る状況になっている。これは、民主主義の本質とも関わる深刻な問題です。

そもそも、理性に基づく民主主義において、“政治家のウソ”は最も忌み嫌われるべきものです。にも拘わらず、民主主義国家において特に、幼稚なウソがまかり通っているのが現状なわけで、これは要するに民主主義が「幼児退行」している事を意味している。で、そんな幼児退行によってまさに今、アメリカや日本と言った民主主義国家が自滅しかかるわけです。

ついては本日は、アメリカの現代政治にお詳しい会田先生、ならびに、黄色いベスト運動が盛んに展開されたフランスの情勢にお詳しい堀先生にお集まりいただき、アメリカやフランス、そして日本の状況を俯瞰しながら、現代における、ウソがまかり通る幼児退行する民主主義の問題そのものについて、縦横に論じていただきたいと思っております。それでは、「ウソの先進国」(笑)とも言えそうな、アメリカのお話から口火を会田先生からお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

(会田)
2016年の大統領選挙の時、トランプの言葉には、数字的な誇張や自慢等を含んだかなりのウソが含まれていました。ですが、政治家のウソをつくという話は、今、藤井先生が指摘されたように、古くからあるものです。

例えばトクヴィルは、1830年代にアメリカを観察したときに新聞の問題を肯定的にも語っているが、否定的にも語っている。あるいは、20世紀初頭のリップマンも、メディアが世論を激しく歪めるという問題を批判的に論じている。つまり民主主義におけるウソの問題の原型はトクヴィル、リップマンによって描写されている。

(藤井)
今日においてもその基本構造は何も変わってないですよね。

(会田)
そうです。ですが、今のトランプのウソ、ならびにそれによって形成される世論現象は、インターネット、あるいはSNSという要素が入ってきた点、ならびに、外国からの介入によって引き起こされた可能性もあるという点において、新しい形になってきている。こうした新しい問題は、フランスの選挙の時にも起きたと言われていますよね。

そして、そういう現象が明るみになるにつれ、「言説と政治の問題」がより強く意識されるようになってきた。その中で、我々がまず認識しないといけないのは、「政治的言説の中には、ウソが沢山入り込んでいるんだ」という事実じゃないかと思っています。

簡単に言うと、「十分に高い民度の国民がいて、皆が理性で話し合って、適切なアウフヘーベンを繰り返し、最も適切な政治的決定を民主主義のプロセスを通して見出し、実現していく」というような理想的な民主主義っていうのは、アメリカの様な大国では…

(藤井)
有り得ないですよね、それは(笑)。

(会田)
古代ギリシャにおいては、理想的な民主主義は成立したかもしれない。ただ、それは奴隷制のあった時代。でも、アメリカの建国の時には、状況が全然違う。そんな状況で果たして民主主義は実現可能なのかどうかという強い疑問を抱きながらこのアメリカ国家がスタートしている。

(藤井)
今回の特集タイトルでは「ウソ」という、平易な言葉を使っていますが、特集の趣旨そのものは、民主主義というものが本質的に抱えている危険性を現代的問題の中で浮かび上がらせる、というもの。

そもそも、現代は民主主義そのものの危険性が過小評価されており、その結果、深刻な国家的危機をもたらす、というのが先代の西部邁先生の頃から、表現者が一貫して主張し続けてきたものです。

例えば、民主主義者として有名なジョン・スチュワート・ミルですら、トックヴィルを引用しながら直接性でなく間接民主制を主張したのは、民主主義そのものが極めて恐ろしい危険性をはらんでいるからだ、っていうことを、例えば「代議制統治論」の中で明確に論じている。そしてミルやトックヴィルが論じた民主主義の「本質的危険性」の問題がまさに、今、トランプ、安倍、そして、文在寅さんの問題として鮮明に浮かび上がっているわけです。そんなあたりについて、是非、堀先生のお立場からもお話お聞きしたいと思います。
https://38news.jp/economy/15422
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/511.html#c20

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
16. 中川隆[-13435] koaQ7Jey 2020年2月27日 10:28:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[58]

2020年2月26日
ウソで自滅する国家 〜安倍・トランプ・文在寅
From 藤井聡@京都大学大学院教授

消費増税で日本経済はもうメチャクチャ。その上、コロナショックも加わり、令和恐慌はほぼ確定的な状況。その上、東京五輪も中止の可能性も日に日に高まってきています。そうなれば、恐慌はさらに酷いものになってしまいます。

この状況では、政府は消費税を5%に減税することを軸とした、超大型の景気対策を連発しなきゃいけないのに、驚くべきことに、安倍総理は

「景気は緩やかに回復しています」

と強弁しています。

これはもう、誰が見ても明々白々なウソなのですが、これまで、景気は回復しつつあるとウソをつき続けてきたもんだから、今更、「いや、実は景気めちゃ冷えてるんです(でヘッ!)」なんてもう言えないーーーってことで、こんなに経済がメチャクチャであるにも関わらず、臆面も無くウソを突き続けているわけです。

で、こんなくだらないウソをついてたら、「緊急経済対策をやります!」なんて言えなくなってしまうのですが−――実際、麻生財務大臣は、

「いますぐ何か考えているわけではない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00000517-san-bus_all.view-000&

なぞと嘯いています。

いやぁ・・・こうやって、日本って滅んでいくんだなぁ・・・としみじみと感じてしまう今日この頃ですがーーーこのたび、こんなくだらない「ウソ話」について、危機と対峙する保守思想誌「表現者クライテリオン」にての特集を組み、刊行いたしました!

題して、

ウソで自滅する国家 〜安倍・トランプ・文在寅
https://www.amazon.co.jp/dp/B084B14TY6

今日は、その議論の一端をご紹介する、という趣旨で、巻頭の座談会

溶解するナショナリズム、幼児化する民主主義/会田弘継×堀茂樹×藤井聡

の冒頭部分をご紹介したいと思います。

是非、ご一読ください!

『溶解するナショナリズム、幼児化する民主主義/会田弘継×堀茂樹×藤井聡』
https://www.amazon.co.jp/dp/B084B14TY6

(藤井)
今回の特集は「ウソで自滅する国家 安倍・トランプ・文在寅」というもので、いわゆる西側諸国の民主主義で選ばれたリーダー達が、とんでもないウソを平然とつき続けており、それを通してまさに国家が自滅しかかっている、という危機的な状態について批評、描写しようとするものです。

例えばアメリカのトランプは、ワシントンポスト紙の調べによれば、993日で、13,435回もの嘘をついていたそうです。イランのソレイマニ司令官殺害の問題でも、攻撃をした直後には「アメリカ側を攻撃しようとしていたから、自己防衛のために殺害した」とトランプは説明してわけですが、実際はそれは単なるウソで、「自己防衛」ではなく単なる「報復」で殺害に至ったことが明るみにでています。結果、イラン情勢は、戦争がはじまりかねない程に一気に緊迫したのは記憶に新しいところです。

我が国日本を鑑みても、例えば昨今では、政府関係者は「桜を見る会」に関連して、誰もがウソだと思わざるを得ない様な説明を繰り返しています。「出席名簿は存在しない」という政府の説明をまともに信じている国民はほとんどいないでしょうし、同じようなことが、森友とか加計でも繰り返されてきました。

ここで重要なのは、そのウソそのものというより、政府が平然とウソをついているという事実そのものにあります。

政府が保身のためだけにそれだけ平然とウソをつき続けているとしたら、経済や外交についての重要案件についても自己都合のためにウソをついているに違いない、ということになるからです。

実際、令和元年の10%消費増税で経済データは明らかに激しい冷え込みを示しているにも関わらず、政府は驚くべきことに「景気は緩やかに回復している」と公表しています。

そんな認識のままでは政府は適切な経済対策を行うことはないでしょうから、結局は、こんなくだらないウソのせいで、日本は自滅しかかっている状況にあるわけです。

もちろん、もともと「狡猾」であるべき政治は、必然的にある種のウソは付き物ではありますが、今のウソはそういう狡猾さからはかけ離れた「幼稚」なものに堕落してしまっている。

しかも、そんな幼稚な嘘が、さして批判されない。事実、トランプも安倍も一定以上の世論支持を受けており、彼らのウソがまかり通る状況になっている。これは、民主主義の本質とも関わる深刻な問題です。

そもそも、理性に基づく民主主義において、“政治家のウソ”は最も忌み嫌われるべきものです。にも拘わらず、民主主義国家において特に、幼稚なウソがまかり通っているのが現状なわけで、これは要するに民主主義が「幼児退行」している事を意味している。で、そんな幼児退行によってまさに今、アメリカや日本と言った民主主義国家が自滅しかかるわけです。

ついては本日は、アメリカの現代政治にお詳しい会田先生、ならびに、黄色いベスト運動が盛んに展開されたフランスの情勢にお詳しい堀先生にお集まりいただき、アメリカやフランス、そして日本の状況を俯瞰しながら、現代における、ウソがまかり通る幼児退行する民主主義の問題そのものについて、縦横に論じていただきたいと思っております。それでは、「ウソの先進国」(笑)とも言えそうな、アメリカのお話から口火を会田先生からお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

(会田)
2016年の大統領選挙の時、トランプの言葉には、数字的な誇張や自慢等を含んだかなりのウソが含まれていました。ですが、政治家のウソをつくという話は、今、藤井先生が指摘されたように、古くからあるものです。

例えばトクヴィルは、1830年代にアメリカを観察したときに新聞の問題を肯定的にも語っているが、否定的にも語っている。あるいは、20世紀初頭のリップマンも、メディアが世論を激しく歪めるという問題を批判的に論じている。つまり民主主義におけるウソの問題の原型はトクヴィル、リップマンによって描写されている。

(藤井)
今日においてもその基本構造は何も変わってないですよね。

(会田)
そうです。ですが、今のトランプのウソ、ならびにそれによって形成される世論現象は、インターネット、あるいはSNSという要素が入ってきた点、ならびに、外国からの介入によって引き起こされた可能性もあるという点において、新しい形になってきている。こうした新しい問題は、フランスの選挙の時にも起きたと言われていますよね。

そして、そういう現象が明るみになるにつれ、「言説と政治の問題」がより強く意識されるようになってきた。その中で、我々がまず認識しないといけないのは、「政治的言説の中には、ウソが沢山入り込んでいるんだ」という事実じゃないかと思っています。

簡単に言うと、「十分に高い民度の国民がいて、皆が理性で話し合って、適切なアウフヘーベンを繰り返し、最も適切な政治的決定を民主主義のプロセスを通して見出し、実現していく」というような理想的な民主主義っていうのは、アメリカの様な大国では…

(藤井)
有り得ないですよね、それは(笑)。

(会田)
古代ギリシャにおいては、理想的な民主主義は成立したかもしれない。ただ、それは奴隷制のあった時代。でも、アメリカの建国の時には、状況が全然違う。そんな状況で果たして民主主義は実現可能なのかどうかという強い疑問を抱きながらこのアメリカ国家がスタートしている。

(藤井)
今回の特集タイトルでは「ウソ」という、平易な言葉を使っていますが、特集の趣旨そのものは、民主主義というものが本質的に抱えている危険性を現代的問題の中で浮かび上がらせる、というもの。

そもそも、現代は民主主義そのものの危険性が過小評価されており、その結果、深刻な国家的危機をもたらす、というのが先代の西部邁先生の頃から、表現者が一貫して主張し続けてきたものです。

例えば、民主主義者として有名なジョン・スチュワート・ミルですら、トックヴィルを引用しながら直接性でなく間接民主制を主張したのは、民主主義そのものが極めて恐ろしい危険性をはらんでいるからだ、っていうことを、例えば「代議制統治論」の中で明確に論じている。そしてミルやトックヴィルが論じた民主主義の「本質的危険性」の問題がまさに、今、トランプ、安倍、そして、文在寅さんの問題として鮮明に浮かび上がっているわけです。そんなあたりについて、是非、堀先生のお立場からもお話お聞きしたいと思います。
https://38news.jp/economy/15422
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c16

[近代史3] 浜崎洋介 _ 安倍「器」論 中川隆
9. 中川隆[-13434] koaQ7Jey 2020年2月27日 10:28:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[59]

2020年2月26日
ウソで自滅する国家 〜安倍・トランプ・文在寅
From 藤井聡@京都大学大学院教授

消費増税で日本経済はもうメチャクチャ。その上、コロナショックも加わり、令和恐慌はほぼ確定的な状況。その上、東京五輪も中止の可能性も日に日に高まってきています。そうなれば、恐慌はさらに酷いものになってしまいます。

この状況では、政府は消費税を5%に減税することを軸とした、超大型の景気対策を連発しなきゃいけないのに、驚くべきことに、安倍総理は

「景気は緩やかに回復しています」

と強弁しています。

これはもう、誰が見ても明々白々なウソなのですが、これまで、景気は回復しつつあるとウソをつき続けてきたもんだから、今更、「いや、実は景気めちゃ冷えてるんです(でヘッ!)」なんてもう言えないーーーってことで、こんなに経済がメチャクチャであるにも関わらず、臆面も無くウソを突き続けているわけです。

で、こんなくだらないウソをついてたら、「緊急経済対策をやります!」なんて言えなくなってしまうのですが−――実際、麻生財務大臣は、

「いますぐ何か考えているわけではない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00000517-san-bus_all.view-000&

なぞと嘯いています。

いやぁ・・・こうやって、日本って滅んでいくんだなぁ・・・としみじみと感じてしまう今日この頃ですがーーーこのたび、こんなくだらない「ウソ話」について、危機と対峙する保守思想誌「表現者クライテリオン」にての特集を組み、刊行いたしました!

題して、

ウソで自滅する国家 〜安倍・トランプ・文在寅
https://www.amazon.co.jp/dp/B084B14TY6

今日は、その議論の一端をご紹介する、という趣旨で、巻頭の座談会

溶解するナショナリズム、幼児化する民主主義/会田弘継×堀茂樹×藤井聡

の冒頭部分をご紹介したいと思います。

是非、ご一読ください!

『溶解するナショナリズム、幼児化する民主主義/会田弘継×堀茂樹×藤井聡』
https://www.amazon.co.jp/dp/B084B14TY6

(藤井)
今回の特集は「ウソで自滅する国家 安倍・トランプ・文在寅」というもので、いわゆる西側諸国の民主主義で選ばれたリーダー達が、とんでもないウソを平然とつき続けており、それを通してまさに国家が自滅しかかっている、という危機的な状態について批評、描写しようとするものです。

例えばアメリカのトランプは、ワシントンポスト紙の調べによれば、993日で、13,435回もの嘘をついていたそうです。イランのソレイマニ司令官殺害の問題でも、攻撃をした直後には「アメリカ側を攻撃しようとしていたから、自己防衛のために殺害した」とトランプは説明してわけですが、実際はそれは単なるウソで、「自己防衛」ではなく単なる「報復」で殺害に至ったことが明るみにでています。結果、イラン情勢は、戦争がはじまりかねない程に一気に緊迫したのは記憶に新しいところです。

我が国日本を鑑みても、例えば昨今では、政府関係者は「桜を見る会」に関連して、誰もがウソだと思わざるを得ない様な説明を繰り返しています。「出席名簿は存在しない」という政府の説明をまともに信じている国民はほとんどいないでしょうし、同じようなことが、森友とか加計でも繰り返されてきました。

ここで重要なのは、そのウソそのものというより、政府が平然とウソをついているという事実そのものにあります。

政府が保身のためだけにそれだけ平然とウソをつき続けているとしたら、経済や外交についての重要案件についても自己都合のためにウソをついているに違いない、ということになるからです。

実際、令和元年の10%消費増税で経済データは明らかに激しい冷え込みを示しているにも関わらず、政府は驚くべきことに「景気は緩やかに回復している」と公表しています。

そんな認識のままでは政府は適切な経済対策を行うことはないでしょうから、結局は、こんなくだらないウソのせいで、日本は自滅しかかっている状況にあるわけです。

もちろん、もともと「狡猾」であるべき政治は、必然的にある種のウソは付き物ではありますが、今のウソはそういう狡猾さからはかけ離れた「幼稚」なものに堕落してしまっている。

しかも、そんな幼稚な嘘が、さして批判されない。事実、トランプも安倍も一定以上の世論支持を受けており、彼らのウソがまかり通る状況になっている。これは、民主主義の本質とも関わる深刻な問題です。

そもそも、理性に基づく民主主義において、“政治家のウソ”は最も忌み嫌われるべきものです。にも拘わらず、民主主義国家において特に、幼稚なウソがまかり通っているのが現状なわけで、これは要するに民主主義が「幼児退行」している事を意味している。で、そんな幼児退行によってまさに今、アメリカや日本と言った民主主義国家が自滅しかかるわけです。

ついては本日は、アメリカの現代政治にお詳しい会田先生、ならびに、黄色いベスト運動が盛んに展開されたフランスの情勢にお詳しい堀先生にお集まりいただき、アメリカやフランス、そして日本の状況を俯瞰しながら、現代における、ウソがまかり通る幼児退行する民主主義の問題そのものについて、縦横に論じていただきたいと思っております。それでは、「ウソの先進国」(笑)とも言えそうな、アメリカのお話から口火を会田先生からお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

(会田)
2016年の大統領選挙の時、トランプの言葉には、数字的な誇張や自慢等を含んだかなりのウソが含まれていました。ですが、政治家のウソをつくという話は、今、藤井先生が指摘されたように、古くからあるものです。

例えばトクヴィルは、1830年代にアメリカを観察したときに新聞の問題を肯定的にも語っているが、否定的にも語っている。あるいは、20世紀初頭のリップマンも、メディアが世論を激しく歪めるという問題を批判的に論じている。つまり民主主義におけるウソの問題の原型はトクヴィル、リップマンによって描写されている。

(藤井)
今日においてもその基本構造は何も変わってないですよね。

(会田)
そうです。ですが、今のトランプのウソ、ならびにそれによって形成される世論現象は、インターネット、あるいはSNSという要素が入ってきた点、ならびに、外国からの介入によって引き起こされた可能性もあるという点において、新しい形になってきている。こうした新しい問題は、フランスの選挙の時にも起きたと言われていますよね。

そして、そういう現象が明るみになるにつれ、「言説と政治の問題」がより強く意識されるようになってきた。その中で、我々がまず認識しないといけないのは、「政治的言説の中には、ウソが沢山入り込んでいるんだ」という事実じゃないかと思っています。

簡単に言うと、「十分に高い民度の国民がいて、皆が理性で話し合って、適切なアウフヘーベンを繰り返し、最も適切な政治的決定を民主主義のプロセスを通して見出し、実現していく」というような理想的な民主主義っていうのは、アメリカの様な大国では…

(藤井)
有り得ないですよね、それは(笑)。

(会田)
古代ギリシャにおいては、理想的な民主主義は成立したかもしれない。ただ、それは奴隷制のあった時代。でも、アメリカの建国の時には、状況が全然違う。そんな状況で果たして民主主義は実現可能なのかどうかという強い疑問を抱きながらこのアメリカ国家がスタートしている。

(藤井)
今回の特集タイトルでは「ウソ」という、平易な言葉を使っていますが、特集の趣旨そのものは、民主主義というものが本質的に抱えている危険性を現代的問題の中で浮かび上がらせる、というもの。

そもそも、現代は民主主義そのものの危険性が過小評価されており、その結果、深刻な国家的危機をもたらす、というのが先代の西部邁先生の頃から、表現者が一貫して主張し続けてきたものです。

例えば、民主主義者として有名なジョン・スチュワート・ミルですら、トックヴィルを引用しながら直接性でなく間接民主制を主張したのは、民主主義そのものが極めて恐ろしい危険性をはらんでいるからだ、っていうことを、例えば「代議制統治論」の中で明確に論じている。そしてミルやトックヴィルが論じた民主主義の「本質的危険性」の問題がまさに、今、トランプ、安倍、そして、文在寅さんの問題として鮮明に浮かび上がっているわけです。そんなあたりについて、是非、堀先生のお立場からもお話お聞きしたいと思います。
https://38news.jp/economy/15422
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html#c9

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
341. 中川隆[-13433] koaQ7Jey 2020年2月27日 10:38:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[60]
【桜便り】除草剤たっぷり国産大豆は危ない!
種苗法 改悪〜山田正彦/ 日本人の命より外国人の命を優先する安倍政権の怪
[桜R2/2/26]



http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c341
[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
162. 中川隆[-13432] koaQ7Jey 2020年2月27日 10:39:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[61]

【桜便り】除草剤たっぷり国産大豆は危ない!
種苗法 改悪〜山田正彦/ 日本人の命より外国人の命を優先する安倍政権の怪
[桜R2/2/26]



http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c162
[近代史4] 輸入小麦は食べてはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13434] koaQ7Jey 2020年2月27日 11:45:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[59]

除草剤たっぷり輸入小麦は危ない!

長生きしたけりゃパンは食べるな
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/327.html

食べてはいけない _ カップ麺や袋めんが年間6000億円 麺市場は1兆円に拡大
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/326.html

パンやラーメンを食べるとハゲになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html

世界中の飢餓に苦しむ貧困者を救ったインスタントラーメンだけど…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/999.html

カップヌードルの人体への影響
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/557.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/318.html#c1

[近代史4] 沖縄 新城島(あらぐすくじま) 中川隆
1. 中川隆[-13435] koaQ7Jey 2020年2月27日 14:05:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[58]

家族を守るため、女がみんな、神女になる島〜沖縄の根“久高島”〜
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/441.html

イエスのヒーリングは本物のシャーマンには敵わない
02. 2010年12月14日 シャーマンのイニシエーション
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/609.html


琉球人は沖縄の先住民なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/704.html

尖閣は中国人の言う通り中国の領土かもしれない _ 琉球民族は純然たる日本人
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/327.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/322.html#c1

[近代史4] 石垣島 『キャンピングロッジ 虹の豆』 中川隆
1. 中川隆[-13434] koaQ7Jey 2020年2月27日 14:08:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[59]

沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html

風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html

1972年5月15日に沖縄は「返還」されて「琉球処分」後の状態になるが、米軍基地は居座ったまま (櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/809.html

日本人を馬鹿にしきったアメリカ人 _ 基地に入れば、日本とアメリカの関係がよくわかる
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/566.html

沖縄が中国に「復帰」するとこうなる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/784.html

沖縄県民が知らない米軍の撤退後に待ち受けている恐ろしい現実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/349.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/323.html#c1

[近代史4] 剱岳 中川隆
1. 中川隆[-13433] koaQ7Jey 2020年2月27日 14:49:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[60]

北アルプス ドローン大縦走 〜剱・立山〜 PR動画



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/327.html#c1
[近代史4] 西穂高岳 中川隆
1. 中川隆[-13432] koaQ7Jey 2020年2月27日 14:59:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[61]

西穂高岳へ登山
6月の北アルプス登山 Trail Mt.hotaka Climbing , JAPAN ALPS


@新穂高ロープウェイ〜西穂山荘編




A西穂山荘〜西穂独標




B西穂独標〜西穂高岳山頂




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/326.html#c1
[近代史4] 谷川岳 中川隆
1. 中川隆[-13431] koaQ7Jey 2020年2月27日 15:05:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[62]

魔の山 谷川岳 一ノ倉沢の大岩壁を見に行く





魔の山 谷川岳 、壮絶な一ノ倉沢の大岩壁を眺める



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/328.html#c1
[近代史4] 中央アルプス 駒ヶ岳 中川隆
1. 中川隆[-13430] koaQ7Jey 2020年2月27日 15:09:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[63]

千畳敷カール(中央アルプス)の紅葉見ごろ




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/325.html#c1
[近代史4] 美ヶ原高原 中川隆
1. 中川隆[-13429] koaQ7Jey 2020年2月27日 15:13:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[64]

▲美ヶ原高原(王ヶ頭2,034m)トレッキング 2017年5月28日 
北アルプスの絶景が待ち受けるアルプス展望コースへ



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/305.html#c1
[近代史4] 沖縄 新城島(あらぐすくじま) 中川隆
2. 中川隆[-13427] koaQ7Jey 2020年2月27日 15:23:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[66]

新城島




パナリ島(新城島)に3日間宿泊滞在。神々の島パナリ島はすごかった!



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/322.html#c2
[近代史4] 石垣島 『キャンピングロッジ 虹の豆』 中川隆
2. 中川隆[-13426] koaQ7Jey 2020年2月27日 15:26:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[67]


石垣島キャンピングロッジ「虹の豆」



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/323.html#c2
[近代史4] 屈斜路湖・阿寒 中川隆
1. 中川隆[-13425] koaQ7Jey 2020年2月27日 15:29:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[68]

日本一美しいと言われる道の夏の景色 美瑛 富良野






【冬編】Most Beautiful Road 日本で一番美しい道〜富良野・美瑛



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/306.html#c1
[近代史4] 屈斜路湖・阿寒 中川隆
2. 中川隆[-13424] koaQ7Jey 2020年2月27日 15:34:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[69]

道の駅摩周温泉〜摩周湖〜川湯温泉街〜900草原〜多和平〜標茶駅



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/306.html#c2
[近代史4] 山形 出羽三山 中川隆
1. 2020年2月27日 15:53:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[70]


出羽三山「生まれかわりの旅」



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/321.html#c1
[近代史4] 屈斜路湖・阿寒 中川隆
3. 中川隆[-13423] koaQ7Jey 2020年2月27日 16:04:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[71]


キタキツネ物語


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/306.html#c3
[近代史3] 天皇家は推古朝以降 江戸時代までずっと仏教徒だった 中川隆
8. 中川隆[-13428] koaQ7Jey 2020年2月27日 16:51:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[72]
たいせつな作業 - 内田樹の研究室 2020-02-27
http://blog.tatsuru.com/2020/02/27_0848.html

ある媒体に「たいせつな作業」というタイトルでの寄稿を頼まれたので、「朝のおつとめ」のことを書いた。

 9年前に神戸に自宅兼道場を建てた。二階に住んでいて、階段を降りると、そこが道場である。究極の職住近接を達成したと思って喜んでいたらのだが、「家の中に道場がある」というのは、ただ、道場が空間的に近いということとは別のことだということにしばらくして気がついた。

 朝起きて、道場の扉を開くと、「鎮まった場」がそこにある。「鎮まった」というのはノイズがないということである。物理的なノイズに限らず、心を乱すようなノイズがない。そこだけ他と違う。武道というのは「超越的なもの」を受け入れて、心身を調えて、それを発動させる術であるから、道場もどこか「浮世離れ」した場でなければならない。だから、道場を作るときには神棚を勧請し、合気道開祖植芝盛平先生の写真を正面に飾り、二代道主吉祥丸先生が揮毫された「合気」の扁額と、私の師匠である多田宏先生の「風雲自在」の書を道場に掲げた。すると「場が調う」というのがどういう感じなのか、身にしみて分かる。

 道場ができてしばらくは朝起きて道場に行って、神棚に一礼するだけだったが、なんとなくもっと「儀礼的なこと」がしたくなって、「お勤め」をするようになった。

 きっかけは羽黒山の山伏の宿坊に泊めてもらったときである。朝のお勤めを宿泊者みんなでする。修験道は神仏習合なので、祝詞と般若心経を唱えるのである。この「神仏共生」の儀礼がすとんと腑に落ちた。なるほど、これが日本人の宗教性なのかと思った。

 それで、家に戻ってから、祝詞と般若心経を道場で唱える「お勤め」を始めた。
 祝詞のときは拍子木を打ち、お経の時は錫杖を振る。拍子木の打ち方は禊祓いの行の時に教わった。錫杖の振り方は滝行の時に行者の方に教わった。

 朝稽古のある日は5時半に道場に降りる。冬だとまだ空には星が出ている。道場に端座して、一人朗々と祝詞と般若心経を唱えると、なんだか今日やらなければいけない仕事の半分くらいを終えた気になる。
http://blog.tatsuru.com/2020/02/27_0848.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/525.html#c8

[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
14. 中川隆[-13427] koaQ7Jey 2020年2月27日 16:52:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[73]
たいせつな作業 - 内田樹の研究室 2020-02-27
http://blog.tatsuru.com/2020/02/27_0848.html

ある媒体に「たいせつな作業」というタイトルでの寄稿を頼まれたので、「朝のおつとめ」のことを書いた。

 9年前に神戸に自宅兼道場を建てた。二階に住んでいて、階段を降りると、そこが道場である。究極の職住近接を達成したと思って喜んでいたらのだが、「家の中に道場がある」というのは、ただ、道場が空間的に近いということとは別のことだということにしばらくして気がついた。

 朝起きて、道場の扉を開くと、「鎮まった場」がそこにある。「鎮まった」というのはノイズがないということである。物理的なノイズに限らず、心を乱すようなノイズがない。そこだけ他と違う。武道というのは「超越的なもの」を受け入れて、心身を調えて、それを発動させる術であるから、道場もどこか「浮世離れ」した場でなければならない。だから、道場を作るときには神棚を勧請し、合気道開祖植芝盛平先生の写真を正面に飾り、二代道主吉祥丸先生が揮毫された「合気」の扁額と、私の師匠である多田宏先生の「風雲自在」の書を道場に掲げた。すると「場が調う」というのがどういう感じなのか、身にしみて分かる。

 道場ができてしばらくは朝起きて道場に行って、神棚に一礼するだけだったが、なんとなくもっと「儀礼的なこと」がしたくなって、「お勤め」をするようになった。

 きっかけは羽黒山の山伏の宿坊に泊めてもらったときである。朝のお勤めを宿泊者みんなでする。修験道は神仏習合なので、祝詞と般若心経を唱えるのである。この「神仏共生」の儀礼がすとんと腑に落ちた。なるほど、これが日本人の宗教性なのかと思った。

 それで、家に戻ってから、祝詞と般若心経を道場で唱える「お勤め」を始めた。
 祝詞のときは拍子木を打ち、お経の時は錫杖を振る。拍子木の打ち方は禊祓いの行の時に教わった。錫杖の振り方は滝行の時に行者の方に教わった。

 朝稽古のある日は5時半に道場に降りる。冬だとまだ空には星が出ている。道場に端座して、一人朗々と祝詞と般若心経を唱えると、なんだか今日やらなければいけない仕事の半分くらいを終えた気になる。
http://blog.tatsuru.com/2020/02/27_0848.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c14

[リバイバル3] 残雪の出羽三山に「生まれかわりの旅」に出よう _ 月山スキー場 中川隆
15. 中川隆[-13426] koaQ7Jey 2020年2月27日 16:54:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[74]
たいせつな作業 - 内田樹の研究室 2020-02-27
http://blog.tatsuru.com/2020/02/27_0848.html

ある媒体に「たいせつな作業」というタイトルでの寄稿を頼まれたので、「朝のおつとめ」のことを書いた。

 9年前に神戸に自宅兼道場を建てた。二階に住んでいて、階段を降りると、そこが道場である。究極の職住近接を達成したと思って喜んでいたらのだが、「家の中に道場がある」というのは、ただ、道場が空間的に近いということとは別のことだということにしばらくして気がついた。

 朝起きて、道場の扉を開くと、「鎮まった場」がそこにある。「鎮まった」というのはノイズがないということである。物理的なノイズに限らず、心を乱すようなノイズがない。そこだけ他と違う。武道というのは「超越的なもの」を受け入れて、心身を調えて、それを発動させる術であるから、道場もどこか「浮世離れ」した場でなければならない。だから、道場を作るときには神棚を勧請し、合気道開祖植芝盛平先生の写真を正面に飾り、二代道主吉祥丸先生が揮毫された「合気」の扁額と、私の師匠である多田宏先生の「風雲自在」の書を道場に掲げた。すると「場が調う」というのがどういう感じなのか、身にしみて分かる。

 道場ができてしばらくは朝起きて道場に行って、神棚に一礼するだけだったが、なんとなくもっと「儀礼的なこと」がしたくなって、「お勤め」をするようになった。

 きっかけは羽黒山の山伏の宿坊に泊めてもらったときである。朝のお勤めを宿泊者みんなでする。修験道は神仏習合なので、祝詞と般若心経を唱えるのである。この「神仏共生」の儀礼がすとんと腑に落ちた。なるほど、これが日本人の宗教性なのかと思った。

 それで、家に戻ってから、祝詞と般若心経を道場で唱える「お勤め」を始めた。
 祝詞のときは拍子木を打ち、お経の時は錫杖を振る。拍子木の打ち方は禊祓いの行の時に教わった。錫杖の振り方は滝行の時に行者の方に教わった。

 朝稽古のある日は5時半に道場に降りる。冬だとまだ空には星が出ている。道場に端座して、一人朗々と祝詞と般若心経を唱えると、なんだか今日やらなければいけない仕事の半分くらいを終えた気になる。
http://blog.tatsuru.com/2020/02/27_0848.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/866.html#c15

[近代史02] 命を賭して悪の帝国と闘ったサダム・フセイン (小沢先生もこれ位カッコ良ければなあ) 中川隆
92. 中川隆[-13425] koaQ7Jey 2020年2月27日 17:29:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[75]
2020.02.27
中東にNATO軍が登場することで情勢に変化はあるのか?

 アメリカ軍の中で中東、エジプト、アフガニスタンにかけての地域を担当しているのは中央軍だが、その中央軍に替わってNATO軍が入ってくるという話がある。イドリブの情況を見ていると、トルコがNATO加盟国として動き始めたように感じられる。NATOの登場がトルコをロシアやシリアから引き離すことにつながるという見方もある。

 中東地域の要石をアメリカはイラクだと考えている。1980年代からネオコンはイラクに親イスラエル体制を築いてシリアとイランを分断、それぞれを個別撃破しようと考えていた。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官は1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると語っている。(​3月​、​10月​)

 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された10日後、イラクを攻撃することが決まったと元同僚から聞かされて驚いたクラークは数週間後、イラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを破壊すると知らされたという。クラークも統合参謀本部の元同僚も理由はわからなかったという。こうした中東からサハラ以北のアフリカに対する侵略戦争は始まった。

 その侵略戦争にはアメリカのほか、サウジアラビア、イスラエル、イギリス、フランス、カタール、トルコなどが参加、2016年にカタールとトルコは離脱していた。そのトルコがNATOの登場で再び侵略国側に戻るかどうかが注目されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002270000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/298.html#c92

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
92. 中川隆[-13424] koaQ7Jey 2020年2月27日 17:30:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[76]
2020.02.27
中東にNATO軍が登場することで情勢に変化はあるのか?

 アメリカ軍の中で中東、エジプト、アフガニスタンにかけての地域を担当しているのは中央軍だが、その中央軍に替わってNATO軍が入ってくるという話がある。イドリブの情況を見ていると、トルコがNATO加盟国として動き始めたように感じられる。NATOの登場がトルコをロシアやシリアから引き離すことにつながるという見方もある。

 中東地域の要石をアメリカはイラクだと考えている。1980年代からネオコンはイラクに親イスラエル体制を築いてシリアとイランを分断、それぞれを個別撃破しようと考えていた。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官は1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると語っている。(​3月​、​10月​)

 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された10日後、イラクを攻撃することが決まったと元同僚から聞かされて驚いたクラークは数週間後、イラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを破壊すると知らされたという。クラークも統合参謀本部の元同僚も理由はわからなかったという。こうした中東からサハラ以北のアフリカに対する侵略戦争は始まった。

 その侵略戦争にはアメリカのほか、サウジアラビア、イスラエル、イギリス、フランス、カタール、トルコなどが参加、2016年にカタールとトルコは離脱していた。そのトルコがNATOの登場で再び侵略国側に戻るかどうかが注目されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002270000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c92

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
163. 中川隆[-13423] koaQ7Jey 2020年2月27日 18:05:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[77]

東北医科薬科大学病院 2020/02/26
「新型コロナウイルス感染症 〜市民向け感染予防ハンドブック」を発刊しました


※下図「感染予防ハンドブック」表紙画像をクリックし、ご自身の端末にPDFデータをダウンロードし、ご活用ください。


令和2(2020)年2月25日
東北医科薬科大学病院 病院長 近藤丘
東北医科薬科大学 医学部 感染症学教室 特任教授 賀来満夫

http://www.hosp.tohoku-mpu.ac.jp/info/information/2326/
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c163

[近代史4] 能の世界 中川隆
1. 2020年2月27日 19:24:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[75]

能「井筒」


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/332.html#c1
[近代史4] 川端康成の世界 中川隆
1. 中川隆[-13425] koaQ7Jey 2020年2月27日 19:47:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[76]

日本のフツーの男はみんなロリコンだった
3. 中川隆 2018年12月22日 「眠れる美女」 House of the sleeping beauties
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/108.html#c3
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/333.html#c1
[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
1. 中川隆[-13427] koaQ7Jey 2020年2月27日 20:05:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[77]

アナーキストが誰にも相手にされない理由 _ 一般大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいる
1. 中川隆 2017年7月06日 カラマゾフの兄弟 大審問官
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/737.html#c1
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c1
[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
2. 中川隆[-13426] koaQ7Jey 2020年2月27日 20:18:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[78]

『翻訳の品格』 - 亀山郁夫批判
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/681.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c2
[近代史3] トランプは反グローバリズムの旗手なのか? それとも自分の支持率や人気を上げる事しか考えていない無知蒙昧なアホなのか? 中川隆
14. 中川隆[-13425] koaQ7Jey 2020年2月27日 21:10:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[79]

2020年02月27日
トランプの成功人生 父から受け継いだ土地転がし必勝法


これほどあからさまに、自分を誇示できる人はアメリカ人にも少ない


引用:https://www.ridus.ru/images/2016/2/18/366434/large_55b25b2fe3.JPG


米大統領のドナルド・トランプについては、嘘つきだとかやり手だとか、両極端の評価が聞こえてくる。

だが実際のトランプ氏の生まれや生い立ち、どんな風に成功したかを知る人は少ないのではないでしょうか。


トランプ氏はどんな人か

大富豪のトランプ氏はヒラリーと争って大統領選に当選したが、最初から型破りで奇抜な言動が多かった。

そもそも彼はどうやって資産を築き、全米有数の富豪になったかを見ると、かなり興味深い人生を送っている。

富裕層や資産家、成功者には2種類のタイプが居て、親から受け継いだものを生かしたタイプと、そうでない者が居ます。




金持ち、資産家、政治家、有名投資家などのほどんどは、親から受け継いだ資産を運用しているだけです。

全米調査では驚く事に、女性資産家で自分の力で富裕層になった割合は、ほぼゼロでした。

アメリカの資産家の95%は男性で、5%の女性のうち、自力で資産を築いた人は19%だった。


男性は70%が自力で資産を築いていたが、親の資産を元手に増やした人がかなり含まれていて、完全に自力のみは4割以下と推測されます。

さらにアメリカ人の3分の2が資産ゼロ、つまり無一文で、上位1%の富裕層の冨が下位90%の冨を上回った。

アメリカンドリームの現実はかなり厳しくて、1%の富裕層に入れない人の大半は、一生資産ゼロで生きなくてはなりません。


さてドナルド・トランプは庶民から富裕層に成り上がったと主張しているが、父親はニューヨークで不動産業をしていました。

フレッド・トランプはスウェーデン移民の子で、アメリカで生まれて住宅建設業者をしていた。

フレッドの父つまりドナルドの祖父は、いわゆる「ろくでなし」でレストラン経営をしたが早世してしまった。

父フレッドから英才教育を受ける

残されたドナルドの祖母は針仕事をしながら3人の子供を育て、フレッドは腕の良い大工になり独立した。

大工のフレッドは安い土地を買い、念願だった自分の家を自分の手で建てたが、すぐに売り払った。

何もない土地に家を建てて売ると、それだけで利益が出たからで、貧しかった一家はかなり裕福になりました。


「エリザベス・トランプ&サン社」というのが父親の会社で、不動産を買っては家を建てて、前より高い値段で販売していました。

1920年代にアメリカは空前の好景気になり、自動車や家が飛ぶように売れ、株価が天井知らずに上昇していました。

生活水準が上がると、自動車やラジオ、洗濯機や冷蔵庫など、様々な家具を所有するので、前より広い家に人々は住みたくなります。


フレッドがビジネスを成功させて会社を立ち上げたのは、なんと18歳の時で、未成年だったので母親を名義人にした。

1929年の大恐慌を無難に乗り切り、次々に土地を買い建物を建て、ビジネスを成功させていた頃、ドナルドが生まれた。

ドナルドは大学在籍中から父の会社を手伝い、1968年に22歳で父親の会社に入社している。


3年後の25歳で会社を譲り受けたが、父親が独立した18歳よりは遅い。

ドナルドの手法は基本的に父親と同じだったが、より大規模に、より派手に行いました。

フレッドは1929年大恐慌で、破綻した会社を安く買って大儲けをしたが、トランプもこれに倣っている。

負債と復活

1970年代から80年代のアメリカは「ベトナムの後遺症」と呼ばれた酷い時代で、ニューヨーク市が破産したりしていました。

トランプを一躍有名にしたのは日本にも関係があるNYの「プラザホテル」を買収してトランプ・プラザと名づけた。

他にも次々に破綻した物件を買い叩いては「トランプタワー」を増やしていきました。


このやり方は批判が多いが、破綻したホテルを買い取って投資して成功させ、多くの人をピンチから救ったのも事実だった。

やがて買収した物件の幾つかが多額の負債を抱え、トランプは何度も破産の危機に陥っている。

だが諦めないトランプは、「自分が破産したらお前の銀行は大損失を受けるぞ」と逆に銀行を脅して債権を放棄させた。


借金が巨大なら、政府や銀行は破綻を恐れて救済するという法則を学び、90年代のピンチを乗り切った。

2000年代に入るとトランプは映画やテレビに出演して自分の顔と名前を売り込むようになりました。

「有名になれば金に成る」事を学び、この頃ブームになった「セレブ」として活動していった。


「トランプ」をブランド化しトランプホテル、トランプタワー、トランプ大学まで作りアメリカの好景気で華麗に復活した。

やがて彼は自分が大統領になる事を想像し始め、ブッシュが当選した大統領選で、副大統領になろうとした。

これは失敗し、少数政党のリーダーになろうとしたが、少数政党は内部対立で崩壊した。


そこで「大統領になるには2大政党から立候補しなければ駄目だ」と悟り、共和党党員として活動を始めた。

彼はマスコミに多く登場し、自分のテレビ番組を持つほど精通していたので、テレビをうまく利用した。

不満を持つ人々に語りかけ、自分なら解決できると納得させ、多くの支持者を獲得していった。


そしてついに共和党の大統領候補にまで辿り着いたのだった。

http://www.thutmosev.com/archives/62776480.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/493.html#c14

[近代史3] 731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか? 中川隆
4. 中川隆[-13424] koaQ7Jey 2020年2月27日 21:21:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[80]

 猿の頭痛
2020年02月27日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1043.html

 武漢肺炎が生物兵器として開発中だったウイルス株が、何らかの理由で、外部に漏れて世界的なパンデミックが起きていることは、ほぼ疑いのない状況になっている。

「ウイルスは野生動物由来ではない」大紀元が調査報告を発表
 https://www.ntdtv.jp/2020/02/42667/

ハーバード大教授「来年まで世界人口の最大70%が新型肺炎に感染」 2/26(水)
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200226-00000004-cnippou-kr

 これは、100年前のスペイン風邪と同等で、このときは、ウイルス株の突然変異や抗原抗体反応などで、世界で5000万人〜1億人が死亡したと推定されている。
 (致死率2%と推定されているが)
 スペイン風邪の流行は、数次にわたっていて、初期の病状は、それほど深刻なものではなかったが、感染・再感染を繰り返すうちに病毒性の高い突然変異を起こしたものと考えられている。また繰り返し感染がもたらすアナフィラキシーショックやサイトカイン症候群も取り沙汰されている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%94%BE%E5%87%BA%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

 元々、免疫が脆弱になっているアレルギー体質の糖尿病や喘息、COPDや間質性肺炎、膠原病、リウマチ、多発性硬化症など免疫難病を基礎疾患として抱えている人々は、非常に重篤な症状になり、命に関わることを理解しておくべきだ。
 世界人口の7割が感染するなら、そのうち1割くらいが免疫系基礎疾患を抱えていると考えるべきで、結局、スペイン風邪と同等の致死率が出ても不思議ではない。
 また、このくらいの感染率だと、安全な逃避地は地球上に存在しないかもしれない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%85%8D%E7%96%AB%E7%96%BE%E6%82%A3

 日本国内でも、若年層の重症者が増えている事情は、やはりRNA突然変異を疑うべきだろう。これから繰り返し感染者が増えれば、それはRNA遺伝子の突然変異を裏付ける現象なので、病原体の毒性が強まる可能性も大いに考えられる。

 それにしても、日本政府=安倍政権の馬鹿さ加減には開いた口が塞がらない。日本人は安倍晋三をトップに据えたことで、何割かが死ぬほどの凄まじいお灸を据えられていると考えるべきだ。
 トップが無能だと、官僚たちまで、これほどの馬鹿しかいなくなるのかと感嘆するしかない。
 劉伯温の(南北朝時代の)予言によれば、8月後半にとんでもない事態になるそうだ。

 さて、中国政府が細菌兵器を開発してきた理由は、自分たちが日本軍731部隊による細菌兵器人体実験の大規模な被害を受けたことで、この安価なBC大量殺戮兵器の価値に気づかされていたからだろう。
 実際、731部隊の活動していた、中国東北省(満州)、遼寧省では、現在、中国共産党による、731部隊の悪行をそのまま受け継いでいるような、人体模型工場とか、法輪功加盟者を拘束して生きたまま臓器を摘出して殺害するような病院が稼働している。

 私は、武漢の細菌兵器研究所も、731部隊の残党が生み出したのではないかと強く疑っている。その内容が、あまりにも酷似しているからだ。

 https://www.epochtimes.jp/p/2018/04/32382.html

 https://www.epochtimes.jp/jp/2006/04/html/d99548.html 

 これらは、日本軍が敗北し、731部隊が証拠隠滅のため、散り散りに逃避してから、人脈が流れて人体実験医学を受け続いてきた可能性がある。

 731部隊とは何か? 大半の証拠が、敗戦時に石井四郎らによって爆発隠滅されたが、当時の被害者からの資料提供で、何が行われたのか、復元が進んでいる。
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col5813.htm

 http://www.kyoritsu-wu.ac.jp/nichukou/sub/sub_gensya/history/Asia_is_Japanese/731.htm

ウィキの資料は、ネット上から削除されているものも含めて、証言証拠が充実している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A

 ここで、ごく最近、現代ビジネスに掲載されたコンテンツが面白いので紹介することにしたい。

 これは、京都大学医学部教授の戦後学位論文中に、猿にペスト菌を接種して発病実験した経過が描かれているのだが、そのなかに「猿が頭痛を訴えた」と記録が残されていた。
 これを見た研究者たちは、この教授が実験に用いた「猿」は、実は人間ではないかと疑い、学位の剥奪を要求したのだが、京大側は、調査を拒否したものだ

**********************************************************************

 731部隊の闇…日本社会がどうしても隠したい「残酷すぎる過去」 2月27日現代ビジネス
  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70626

新型肺炎を巡る報道が連日、洪水のように流されている。ほとんど否定されているようだが、一部には武漢にある武漢ウイルス研究所で生物兵器として開発されていたものが流出したのではないか、という噂も流れている。

奇しくもこうしたタイミングで、日本国内でも、先の大戦中に生物兵器の実験をしていた「731部隊」に関する報道が相次いでいる。

ひとつは人気コミック『僕のヒーローアカデミア』に登場する「志賀丸太」という登場人物の名前が無神経だと海外、特に韓国からの批判を受け、著者の堀越耕平氏が謝罪と名前の変更を余儀なくされたニュース。

そしてもう一つは、京都新聞に「サルが頭痛」という見出しで報じられた、731部隊に関するニュースである。

731部隊とは、結局何だったのか

731部隊の正式名称は「関東軍防疫給水部」。「関東軍」とはよく聞く名前だと思うが、正式には、日露戦争の勝利により獲得した遼東半島南部(関東州)と旅順・長春間の鉄道沿線防衛のため創設された部隊を前身とした軍のこと。その後、日本による満洲の植民地化において中心的役割を担うこととなった。

731部隊は満洲北部の平房(現在の黒龍江省哈爾濱〈ハルビン〉市平房区)という寒村に、一大細菌・生物戦施設を設け、捕虜とした中国人やロシア人約3000人を「マルタ」と称し、文字通り「丸太」のごとく非人道的な扱いをしながら、ペスト菌やコレラ菌など細菌の感染実験、生体解剖を重ねていた。

「僕のヒーローアカデミア」の件は、この「マルタ」を連想させるという批判なのだ(なお、著者はそうした意図を否定している)。

 731部隊の責任者は石井四郎という軍医で、最終的には陸軍中将にまで昇進した人物だ。その部隊は、彼が東郷一という偽名をよく使用したことから東郷部隊、出身地である千葉県の加茂から多くの職員を募ったことから加茂部隊とも称されたが、戦争末期には石井部隊か、敵国に内情を知られないための秘匿名の「関東軍七三一部隊」の名で呼ばれるのが普通となった。

731部隊は実験を重ねるだけでなく、日中戦争が本格化してからは、参謀本部の要請に応じ、中国戦線に限って化学兵器と細菌兵器を実戦投入してもいたから、日本の軍事史上においても大きな汚点と言わざるをえない。

化学・細菌兵器の使用は1928年に国際連盟で採択された国際紛争平和的処理一般議定書(ジュネーブ一般議定書)で、捕虜に虐待については1929年に締結された「捕虜ノ待遇ニ関スル条約」で禁止され、日本は批准を見送るが尊重する立場を表明していた。

731部隊の存在と活動は明らかな国際法違反であったが、大戦終結後の極東国際軍事裁判(東京裁判)において、責任者が罰せられるどころか、被告人席に立たされることさえなかった。なぜなら、訴追が見送られただけでなく、存在さえも隠蔽されたからである。

 731部隊の免責は、石井四郎ら同部隊幹部の取り調べに当たった連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の参謀第2部(G2)が、生体実験の研究成果は他に例のない貴重な資料との判断から、研究資料すべての提供することと引き換えに石井らの免責を上申。最高司令官ダグラス・マッカーサーもそれを認め、アメリカ本国の統合参謀本部(JCS)からもそうするよう指示が下されたことから、速やかに遂行された。

 かくして731部隊の存在と行状は、ソ連が実施した情報公開と一部関係者の証言を除いては闇に葬られてしまった。

 731部隊の幹部たちはいずれも沈黙を貫いた。戦時中は「石井の番頭」を公言して憚らず、階級が最終的に中佐まで進んだ内藤良一博士も同様であった。この内藤博士は戦後、のちに大手医薬品メーカーに成長するミドリ十字を創業し、その会社が薬害エイズ事件を引き起こしたのは何かの因縁であろうか。

明かされ始めた当時の記録

 欧米では、よほどの国家機密でもない限り一定期間が過ぎれば、あらゆる公文書が公開される。731部隊関連のそれとて例外ではなく、これにより731部隊の実態と免責に至る経緯について、多くのことが明らかとなった。

 この分野については神奈川大学名誉教授にして科学史と科学論を専門とする常石敬一が多くの著作を世に送り出しているが、ジャーナリストの青木冨貴子が著わした『731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』(新潮文庫)も有益な作品である。
 石井四郎本人の日記や先述した内藤博士に関する新たな資料も見つけ出したのだから。

 なかでも内藤博士に関する話は群を抜いて興味深い。それはメリーランド州カレッジパークにある国立公文書館で公開されていたもので、青木が目にした資料によれば、内藤がワシントンの日本大使館付陸軍武官の紹介状を手にロックフェラー研究所の国際衛生研究室を訪れ、黄熱病の病原株を分けてほしいと申し入れたのだが、それがなんと1939年2月23日のことだった。

 すでに国際会議の決議で、アジア諸国にウイルスを持ち込むことが禁止されていた後である。当然同研究所では所長のセイヤー博士が直接内藤に会って、きっぱりと断りを入れたが、内藤はそれに懲りず、再び訪問し黄熱病ワクチンの扱いについて質問を浴びせ、さらに同月26日には、同研究所の技師が内藤と同一と思しき人物から、黄熱病ウイルスを渡すよう脅迫されという記述まであった。

 このようにアメリカが占領期に収集した資料が次々と日の目を見るなか、日本政府は国会で追究されるたびに731部隊に関する資料の存在を否定してきた。2012年に国立国会図書館関西館で、731部隊によるペスト菌散布を裏付ける金子順一軍医少佐論文(1943年付)が発見された際も、「政府内部に資料が見当たらないのが実態」と答弁していたのである。つまり「政府内部には」ないというわけだ。

 しかし、どれだけ政府がないと言っても、あるものは隠せない。2011年の公文書管理法施行を受け、厚生労働省が国立公文書館に順次移管している戦没者等援護関係資料の中から、731部隊に関する新たな公文書が発見されたのである。これが冒頭に触れた、京都新聞の「サルが頭痛」の見出しで報じられた記事である。

 その資料は1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通報(B)第50号 関東軍防疫給水部」と題された文書で、戦後、中ソに取り残された元731部隊の軍医や軍人らの状況を把握するために作成されたと目される。

 計4ページある文書のうちの一枚は「関東軍防疫給水部行動経過概況図」と題され、ソ連軍との開戦に伴う撤収方法について詳しく、本部第一部が細菌研究、第四部が細菌生産などと部隊構成まで記載されていた。

 しかも、新資料の発見は、まだ埋もれいる資料がたくさんあるのではないかとの疑念を募らせると同時に、すでに発見されている資料を真摯に受け止めねばならないとの機運を盛り上げることにもつながった。

 その具体的な動きが、同記事で取り上げられている、滋賀医科大名誉教授の西山勝夫を事務局長とする「満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(以下、「求める会」)である。

 終戦時、731部隊の人員は約3900人を数え、軍医52、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人という部隊構成だったと具体的に示されている。京都大学医学部講師の身から731部隊に派遣されて凍傷研究を行ない、戦後は京都府立医科大学長になった吉村寿人の回想によると、「京大の助教授・講師級の若い者が8名(病理学3、微生物学2、生理学2、医動物学1)が派遣されることになった」。

 同じく戦後、吉村以外の京大出身の元731部隊員たちが医学界に戻り、金沢大医学部長、京大医学部長などを務めた。学者以外にも京大出身者はいて、石井四郎の片腕と言われたM元軍医大佐や、先ほどから何度も取り上げている内藤良一もまた京大医学部の卒業生だった。

 京都大学の出身者やかつてそこに籍を置いていた者が戦争犯罪に手を染めていたというわけだ。真っ当な人生を送る卒業生にとって許しがたいことで、実験成果をもとに博士論文を認め、博士号を授与されたとなればなおさらであった。

 「サルの頭痛」

 京都新聞の記事で問題として取り上げられたのは、1945年に戦死した将校の論文「イヌノミのペスト媒介能力に就いて」で、ペスト菌を、イヌノミを介してサルに感染させ死亡させた特殊実験中に、サルが「頭痛を訴え」と記述されていた点である。

 「求める会」は、サルが頭痛を訴えることはありえず、このサルは捕虜を指す隠語の一つで、実際に人体実験が行われたのではと疑い、博士号の取り消しも視野とした再調査を申し入れたのだった。

 調査を中止した京大

 2019年2月、大学当局は予備調査から得られた結論として、「どのようにサルの『頭痛』を判断したか記載されていないが、何らかの行動指標によって頭痛が起きていると判断していたと推察できる」などと説明。その上で「ねつ造の疑いの根拠には科学的合理的理由がなく、実験ノートや生データがないため調査を継続することは不可能」と回答している。

 大学側がさらなる調査を行わない方針とも伝えてきたことで、「求める会」の大学当局への不信感はさらの膨らみ、「使用された動物がサルであるか、ヒトである可能性を明確に否定できると証明しなければならない」と声明を出した。

 会の共同代表を務める立命館大教授の松宮孝明も記者からの質問に、「疑わしい時にどう推定するべきかという問題。学位を授与する大学として、可能な限り調査をして、疑わしいなら学位は取り消すべき」とコメントしていた。

 今後この問題がどう展開するかは予断を許さない状況だが、今回の新資料でも明らかなように埋もれた資料はまだまだ存在する可能性がある。だれかが意図的に隠したとしても、歴史の闇はいずれ明るみに出る時が来るだろう。

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 731部隊を創立したのは、千葉県出身の石井四郎である。同郷である加茂出身の医師ばかりを集めたので「加茂部隊」と呼ばれたが、「同郷者」には、極悪戦犯として知られる「麻薬王・里見甫」がいたことも知られている。
 里見は、二反長音蔵の力を借りて北京郊外の通州に麻薬精製工場を作り、日本人婦女子ばかりを集めて、ヘロインとアヘンの精製販売を行わせていた。
 これに対し、古くからアヘン利権を手にしていた青幇が怒り、頭目の蒋介石が通州工場の残虐な襲撃を行わせたのが「通州事件」の真相である。

 これに激怒した陸軍第十軍が南京大虐殺を実行するわけだが、731部隊の残虐さは、上のウィキリンクを見れば分かるように、吐き気を催して、とうてい説明する気になれない。
 おまけに、731部隊は、敗戦後、誰一人戦犯起訴されなかった。人体実験の資料を米軍に手渡すことと引き換えに免罪されたのだ。
 これは麻薬利権戦犯でありながら、莫大な麻薬資金を米軍に手渡して引き換えに釈放された、岸信介や里見甫と似ている。

 無罪放免となった石井四郎・内藤良一。北野政次ら司令官らは、そのまま日本に帰還し、戦後日本医学界の基礎を担った。
 内藤は、ミドリ十字者を設立、現在の公衆医学検査協会=検診協会も内藤の生み出した仕組みであり、子供たちに「結核検診」と称して、強制的にレントゲンを照射して、一人の患者を発見する代償に、50名の被曝癌患者を出したといわれる。

 日本で、女性の乳癌と肺癌が激増した理由は、この結核集団レントゲン検診が極めて大きな役割(乳癌・肺癌イニシエーション)を果たしている。
 また、内藤の会社は、エイズウイルスを不活化せずに血漿医薬として利用、多数を殺害したことも知られる。これで事実上ミドリ十字社は解体され三菱ウェルファーマに代わった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%AE%B3%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 すなわち、731部隊の残虐な犯罪は、戦後日本医学を呪い続けているのである。
 今のところ、証拠は見つけていないが、武漢コロナウイルス肺炎も、もしかしたら731部隊との接点があるかもしれない。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1043.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html#c4

[近代史4] 中川隆 _ 日本の湯治文化関係投稿リンク 中川隆
13. 中川隆[-13431] koaQ7Jey 2020年2月27日 22:17:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[82]

北海道 天塩郡 豊富温泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/338.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/123.html#c13
[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
3. 2020年2月28日 00:17:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[84]

ドストエフスキーの貧困生活
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/504.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c3
[番外地7] ドストエフスキーの貧困生活 中川隆
1. 中川隆[-13429] koaQ7Jey 2020年2月28日 00:28:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[85]

ドストエフスキー
http://aoitori-center.com/tenkan/dostoyevski.html


◦誕生、幼年時代
◦作家デビュー
◦ペトラシェーフスキー事件
◦処刑劇
◦ロシアの政治と宗教
◦暴力革命
◦ロシア正教
◦ベリンスキーと無神論
◦ドストエフスキーの改心
◦シベリア以降
◦最初の妻マリア
◦雑誌「時代」
◦愛人
◦妻と兄の死
◦成就せぬ愛
◦「罪と罰」
◦第2の妻アンナ
◦海外生活
◦「白痴」、娘の死、「悪霊」
◦帰郷
◦「カラマーゾフの兄弟」と最後の栄光
◦死
◦ドストエフスキーのてんかん発作
◦発症
◦発作症状
◦シベリア流刑後のてんかん発作
◦発作頻度、発作時刻
◦発作後症状
◦19世紀ヨーロッパの臨床神経学
◦臭化カリウム(ブロム)
◦ブロム中毒
◦鑑別判断
◦アンリ・ガストーの全般てんかん説
◦素因性全般てんかん説の根拠
◦恍惚前兆
◦創造された恍惚前兆?
◦恍惚前兆以外の前兆
◦発作前駆症状
◦全般てんかんと部分てんかん(側頭葉てんかん)
◦家族発生
◦旺盛な性欲
◦てんかんを乗り越えて
◦てんかん気質
◦人間観察の天才
◦てんかんからの自由
◦参考図書・引用文献

「大多数のものは、癲癇発作に襲われた人を見て、神秘的なあるものを含んだ、激しく耐え難い恐怖を抱くものである」

ドストエフスキー「白痴」米川正夫訳

「そう、わたしは「倒れ病」にかかっている。これは、12年前、人生のうちでももっとも最悪の時期に、不幸にも背負うことになった病だ。しかし、病気を恥じる必要などない。それに、倒れ病といえども活動を止めることはできないのだ」

誕生、幼年時代


 ドストエフスキーは、ご存じのように、19世紀ロシアの小説家です。

 生まれたのは1821年11月11日。この年、ナポレオンがセントヘレナ島で死に、ヨーロッパは政治的反動期を迎えていました。一方、同じ年にフローベール、ボードレールなど新たな文学の担い手も誕生しており、7年後にはトルストイも生まれています。

 父親は医者でした。司祭の子として生まれた父親は、ナポレオン戦争に従軍したのち、施療病院の医師となり、八等官の官位を獲得しました。ピョートル大帝が定めた官位では八等官以上が貴族に準ずることになっていますから、ドストエフスキー一家も貴族階級ということになります。

 母親は裕福な商人の娘でした。

 上には1歳ちがいの兄ミハイルがおり、ドストエフスキーにつづいて弟1人、妹3人が生まれています。

 子沢山の8人家族ですから、子供時代、ドストエフスキー一家は貧乏だったいう伝説もあるようです。しかし、ドストエフスキーは思春期に名門寄宿学校で教育をうけていますし、父の死後、その遺産によってある程度の年金ももらえるようになっています。家庭が貧乏だったとは思えません。少年時代の「貧乏伝説」はドフトエフスキーが成人してからの借金生活の類推から生まれたのかもしれません。しかし、ドストエフスキーの幼年時代における「貧乏伝説」誕生には、奇人だった父親も一役買っていた可能性があります。

 貴族に列せられた父親は、別荘にでかけていった妻に「あわれな、よるべないわたしを忘れないでおくれ」と詠嘆調で手紙を書きはじめながら、そのあとで、召使いが身の回り品をくすねてしまわないか心配になり、一転「書いておよこし…….おまえのドレスや胸飾り、ナイトキャップなどで残していったものはないか、それから納戸においてあるようなものについても、ようく思い出していちいち書いておよこし。ワシリーサにごまかされないかと心配だから」と、くどくど書くような人間でした(コンスタンチン・モチューリスキー著 松下裕・松下恭子訳「評伝ドストエフスキー」)。「ああ、なんと残念なことだろう…….手元不如意のためにおまえの名の日のために何にも贈ってやれないとは。わたしの心は悲嘆にくれている」などとも妻に書き送っていますが、貧乏という強迫観念におそわれていただけのことで、妻にプレゼントを何も買えないほど窮乏していたわけではありません。

 父親は、妻の死後、仕事を辞め、自分の地所の村にひきこもります。そして、飲んだくれ、本来の性格にいよいよ磨きがかかります。農民を虐待する「けだもののような」人間になって、あげくのはてに、積年の恨みが爆発した農民たちによって殺害されます。ドフトエフスキーが18歳のときのことです。

 父親のこの病的なまでの吝嗇癖はドフトエフスキーの妹に受け継がれます。妹は夫の死後、莫大な遺産を手にしたにもかかわらず、召使いを雇う出費を嫌い、一人暮らしを続けました。そして、その噂を聞きつつけた強盗に殺害されます。しかし、ドストエフスキーには父親の吝嗇癖が正反対に遺伝してしまったようです。成人してからドフトエフスキーは金銭に関する無能ぶりを大いに発揮することになります。

 この父親のもとへの来客は少なく、他の家族との交流はほとんどありませんでした。そのうえ、14歳で寄宿学校にはいるまで、教育は家庭内でおこなわれました。初等教育は聖書物語などをもちいた母親による読み書きの授業で始まり、その後、家庭教師によって引き継がれました。ただし、ラテン語教育だけは父親によってなされました。こうした教育環境の中、当然、級友もいませんから、ドストエフスキーは兄弟以外の同年輩の子どもと遊ぶ機会がほとんどなかったようです。

 実際、幼年時代を回顧した「作家の日記」の文章に現れるのは、同年代の子どもではなく、父親の所有する地所で出会った無知ながら宗教心に富み心優しかった農奴です(作家の日記 1976年2月 2 百姓マレイ米川正夫訳)。「狼がくる」と脅える幼いドストエフスキーに対し、農奴のマレイが「なにをいうのだね、なにを?どこに狼がいるもんかね、そら耳だよ、ほんに!」と励ましてくれたというのです。百姓外套にしがみつくドストエフキーの頬を撫でて「さあ、キリストさまがついてござらっしゃる。十字切るだよ」とマレイが優しく諭してくれたことが「作家の日記」の中で印象深く回顧されています。

 14歳の年、ドストエフスキーは名高い教授陣が名を連ねる名門寄宿学校に入学します。そして、母親が死んだ16歳の年、ペテルブルグの寄宿学校に移り、翌年、工兵学校の試験に合格、22歳の年まで工兵学校の寮で過ごします。ただし、シラーをはじめとするロマン派西欧文学に耽溺し「人間は謎です。それを説きあかさねばなりません」と兄に書き送っていた文学少年は、工兵学校にとって相当場違いな生徒だったようです。

作家デビュー


 22歳で工兵学校を卒業し、少尉に任官、製図局で働くようになります。父親の残した領地からの収入と製図局の給料を足すと、年収は5000ルーブルにのぼり、充分豊かな生活ができる収入が保証されていました(江川卓氏の試算よると当時のロシアの1ルーブルは現在の日本の1000円前後に相当し、したがって、当時のドフトエフスキーには500万円の年収があったことになります(江川卓 謎とき『白痴』新潮選書))。

ところが、ここで、ドストエフスキーは経済観念のなさを露呈、それは、この後、長年にわたって、彼を苦しめることになります。ばくちで金をすってしまう一方で、得体の知れない人間たちにかもにされ、瞬く間に高利貸しから多額の借金をする羽目に陥ります。そして、何ヶ月も文無しで過ごす生活を余儀なくされました。それでいながら、製図局勤務に辟易し、一年で退職してしまいます。文学に専念したい一心の行動でした。しかし、かといって、文学で身を立てられる見込みがあったわけではありません。

ただ一つの希望は、ゴーゴリの小説にヒントを得た貧しい官僚と薄幸の少女との交流を描いた小説「貧しき人々」でした。推敲に推敲を重ねた小説は、24歳の年に完成します。ドストエフスキーは詩人ネクラーソフのもとにその草稿をもちこみました。そして、この小説を読んで熱狂したネクラーソフが当時の指導的文芸評論家ベリンスキーに「貧しき人々」を紹介します。ベリンスキーはドストエフスキーの処女小説に最大級の讃辞を送ります。「芸術家としてのあなたに対して真実がひらかれ、高らかに告げられたのです…….どうかその天賦の才を重んじ、つねにそれに忠実であってください。そうすればあなたは大作家になるでしょう」とドストエフスキーに熱狂的に語って、ベリンスキーはこの小説を激賞しました。

ペトラシェーフスキー事件


 このようにして、ドストエフスキーは作家として華々しいデビューを飾ります。しかし、指導的評論家に派手にもち上げられ有頂天になったのもつかの間、ネクラーソフやツルゲーネフたちにその天狗ぶりを揶揄され、ベリンスキーの文学サークル内でドストエフスキーはしだいに孤立していきました。その上、勢い込んで書いた第2作「分身」をベリンスキーに冗長とけなされ、猜疑心を募らせます。結局、一年ほどでベリンスキー、ネクラーソフらと袂を分かち、なんども前借りを頼み込んでいたクラエフスキーが運営している「祖国雑誌」に「白夜」などの小説を発表することになります。そして、その一方で、若い外務省官吏ペトラシェーフスキーが主宰するサークルにも出入りするようになりました。

 ペトラシェーフスキーの家には毎週金曜日に社会主義者が集まっていました。社会主義といっても、このサークルの人々が信奉していたのはフランスのフーリエが提唱した空想的(ユートピア的)社会主義で「この上もなく明るい、天国のように道徳的な光を帯びたもの」でした(「作家の日記」16 現代的欺瞞の一つ 米川正夫訳)。この社会主義は「キリスト教と同一視されて、単に時代と文明に応じて訂正され、改良されたものにほかな」らず、「この上もなく神聖な道徳的なものと思われたばかりか、何よりも一般人類的なもの、例外なく全人類のために与えられた未来の掟」と考えられていたのです。ロマンチックな人道主義的小説「貧しき人々」を書いたドストエフスキーが、そのような社会主義に心を傾けていったのは自然のことでした。

 しかし、専制政治によって硬直化した当時のロシアにおいて社会主義の理想を実現することはどうみても不可能でした。その閉塞状況を打ち破ろうとすると、最終的には暴力革命しかないということになります。しかし、ペトラシェーフスキーは平和的な宣伝活動によって大衆に影響を及ぼしていくことでこと足れりと考えており、暴力による変革など夢にも考えていませんでした。ドストエフスキーはしだいにそうした生ぬるい態度に不満を感じるようになったようです。ペトラシェーフスキー・サークルの急進派であるドゥーロフたちのグループに引き寄せられていったのです。

 ドゥーロフ・グループの中心人物はのちにドストエフスキーの小説「悪霊」の主人公スタヴローギンのモデルになったとされるスペシネフでした。裕福な家庭に育ったスペシネフは70歳の伯爵老夫人でさえ彼に恋したというほどの美青年で、マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」に影響を受け、原始キリスト教に範をとった秘密結社結成を夢見ていました。ドゥーロフたちの目標は民衆の反乱を準備することでした。そして、その手始めとして秘密印刷所建設を開始します。これは、秘密警察を使ってまで体制護持に狂奔していた当時の専制ロシアにあっては、死刑を免れない、危険な企みでした。このため、ドゥーロフ・グループの入会規約には秘密保持のために「裏切りには死を」という条項さえ入れられていました。

 ペトラシェーフスキーの集会には当局のスパイとしてアントネルリという男が潜入していました。ある時、この政府の密偵はドストエフスキーが朗読したベリンスキーの手紙にペトラシェーフスキーのサークルの面々が熱狂する場面を目撃します。ドストエフスキーが「ロシア国民には宗教はない」と読み進んだところで、割れるような拍手が起きたのです。このときドストエフスキーが朗読した手紙というのは宗教に回帰しようとするゴーゴリをベリンスキーが非難したもので、当局からみれば「ロシア正教に対する不適な表現に充ちて」いました。そして、その一週間後、1849年4月23日未明、ペトラシェーフスキーのサロンに出入りしていたドストエフスキーたち34名が逮捕され、ペトロパヴロフスク要塞に収容されます。最終的に23名が起訴され、ドストエフスキーもその中に入っていました。ドストエフスキーの罪状は「悪逆なる企画に参加し、ロシア正教と最高政権に対して不適なる表現に充ちたる、文学者ベリンスキーの書簡を普及し、多くの同士とともに手刷器械の方法によりて、反政府的文書の頒布を企てた」ことでした。

処刑劇


 1849年12月22日、ドストエフスキーたちはペトロパヴロフスク要塞から死刑台の待つ処刑場に連れ出されます。

 「今日、12月22日、ぼくらはセミョーノフスキイ連隊の練兵場へ引かれていきました。そこで僕ら一同は死刑の宣告を読み上げられ、十字架に接吻させられ、頭の上で剣が折られ、ぼくらは死装束(白いシャツ)を着せられました。それから、3人のものが刑の執行のため、柱のそばに立たされました。3人ずつ呼びだされるのですから、したがってぼくは2番目の番にあたっており、余命一分以上もなかったわけです。兄さん、ぼくはあなたをはじめ、あなたの家族全部を思い起こしました。が、最後の瞬間はあなただけ、ただあなた1人だけがぼくの心に残りました。その時はじめて、なつかしい兄さん、ぼくがどんなにあなたを愛しているかを思い知りました!それからなお、そばにいたプレシュチェーエフとドゥーロフを抱きしめて、告別する暇がありました。

 とどのつまり、退却命令の太鼓が鳴ったと思うと、柱に縛り付けられた連中が連れ戻されて、皇帝陛下がわれわれに生命を与えてくださる旨が読み上げられました。それから本当の宣告が下ったわけです。(1849年12月12日、兄ミハイルへの手紙)」

 「本当の宣告」は、死刑ではなく、シベリアへの流刑でした。死刑から流刑に減刑されたのはドゥーロフ・グループの計画の全貌が漏洩しなかったおかげでした。しかし、最初に柱に縛り付けられ兵士たちに銃を突きつけられた三人のうち一人は「退却命令の太鼓」の合図も間に合わず、発狂しました。

 20年後、ドストエフスキーは小説「白痴」でこの場面を再現しています。

 この男はあるとき他の数名のものと一緒に処刑台にのぼらされました、国事犯のかどで銃殺刑の宣告を読み上げられたのです。ところが、それから20分ばかりたって特赦の勅令が読み上げられ、罪一等を減じられました。けれど、この二つの宣告のあいだの20分、少なくとも15分というもの、その人は自分が幾分かののちにはぽかりと死んでしまうものと信じて疑わなかったのです…….その人は…….この数分かの出来事はけっしてけっして忘れはしない、といっていました。群衆や兵隊に取りまかれた処刑台から、二十歩ばかり離れたところに、柱が三本立ててあったそうです…….まず三人のものを引っ張っていって柱へしばりつけ、死刑服を着せ、それから銃の見えないように、白い頭巾を目の上までかぶせました。次ぎにおのおのの柱の前に数人ずつの兵士が整列しました。ぼくの知人は八番目に立っていましたから、したがって三度目に柱の方へ呼び出されることになっていたわけです。一人の僧が十字架を手にしてひとりひとり回って歩きました…….刑場からほど遠からぬところに教会堂があって、その金色の屋根の頂きが明らかな日光に輝いていたそうです。かれはおそろしいほど執拗にこの屋根と、屋根に反して輝く日光をながめていて、その光線から目を離すことができなかったと申します。この光線こそ自分の新しい自然である、いま幾分かたったら、何らかの方法でこの光線と融合してしまうのだ、という気持ちがしたそうです…….今にも到来すべき新しい未知の世界と、それにたいする嫌悪の念は、じつに恐ろしいものでしたけれど、当人にいわせると、このときもっと苦しかったのは、絶え間なく浮かんでくる一つの想念だったそうです、????『もし死ななかったらどうだろう?もし命を取り止めたらどうだろう?それは無限だ!しかも、その無限の時がすっかりおれのものになるんだ!そうしたら、おれは一つ一つの瞬間を百年に延ばして、一物たりともいたずらに失わないようにする。そして、おのおのの瞬間をいちいち算盤で勘定して、どんなものだって空費しやしない』この想念がしまいには激しい憤怒の情に変わって、もう片時も早く撃ち殺してもらいたい気持ちになったそうです」

 死刑執行直前の赦免、という、人を発狂に追いやるような劇のシナリオを書いたのは当時のロシア皇帝、ニコライ一世でした。皇帝自ら、死刑執行の規模、囚徒たちと司祭の服、太鼓の打ち方、監獄から刑場への通路、剣の折り方、足かせのはめかたまで細々と指示し、しかも、3度も変更しました。

 専制君主の冷酷な気まぐれは、しかし、結果的に、ベリンスキーが予言した大作家ドストエフスキーを誕生させることになります。兄の手紙の中でドストエフスキーは次のように書いています。

 「…….ぼくはきょう45分ものあいだ死と直面し…….最後の一刹那まで押しつめられたのです。ところが、今もういちど生きているのですからね!

 …….過去をふり返って見て、どれだけ時が浪費され、迷いと、過失と、安逸と、無能な生活ぶりの中に過ごされたか、自分がいかに時を貴ぶことを知らなかったか、幾たび自分の心情と精神に悖ることをしたか、そのことを考えると、われながら心臓に血のにじむ思いです。生活は天の賜物です、生活は幸福です、一つ一つの瞬間は永遠の幸福となりうるのです。Si jemesse savait ! (もし青春が知識を持っていたら)いま生活を一変するにあたって、ぼくは新しい形に生まれ変わりますよ、兄上!誓っていいますが、ぼくは希望を失いません、自分の精神と心情を純なままに保ちます。ぼくはいい方に更正します」

 死の一歩手前まで押しやられた体験と、その後の4年間の極限状態ともいうべきシベリアの監獄体験が血肉化し、巨大傑作小説群が生み出されることになります。

「ロシアの政治と宗教


 ただ、この前後のドストエフスキーの行動、心情を理解するためには19世紀のロシアについてある程度承知しておく必要があるかもしれません。

 ロシアはヨーロッパの辺境に位置します。その地理的条件が政治的にも宗教的にも文化的にもロシアをヨーロッパの僻村にしてきました。

 ヨーロッパの僻村といっても、ユーラシア大陸全体からみればロシアは辺境国家ではありません。しかし、ウラル山脈の向こうにはシベリアという不毛の寒冷大地が広がり、ロシア人が毛皮を求めて分け入るまで、文明の香りはなきに等しい状態でした。シベリアの南にはアジア文明圏がひろがっていますが、隣接する草原地帯には遊牧民が駆け回っていて、文明の香どころか、逆に、この遊牧民たちがしばしばロシアを破壊しにやってきました。13世紀、農業革命によって中世ヨーロッパが近代ヨーロッパへと抜け出すきっかけをつかんだ頃、ロシアはジンギスカンが創設したモンゴル軍団に蹂躙されます。都市を破壊され、約250年間、「タタールの軛」と呼ばれたモンゴル(キプチャク・ハーン国)の間接支配下におかれます。この間、ルネッサンスも宗教改革もロシアにとって無縁のものでした。

 もともと、ロシアには細々と焼き畑農業や牧畜を営むスラブ民族が点々と群れをなしていただけでした。そこへ、9世紀にスカンジナビア半島からノルマン人がやってきて、従来から居住していたスラブ民族の支配者となります。このノルマン人というのは、武装した船で川を遡ってきたというのですから、おそらくヴァイキングの類でしょう。ちなみに、ロシアという言葉はノルマン人を意味するルースというギリシャ語から派生したものです。

 当然ながら、このヴァイキングあがりの支配者と従来からの居住民との間に共通の文化的基盤はありませんでした。スラブ人と支配者を結びつけるものは何もなかったのです。国家が形成された時点では、支配者の軍事力と住民からの収奪がかろうじて国家を形成させていたにすぎません。「剣にまさる法はなかった」のです。

 この誕生時の国家構造がロシアという国を運命づけました。強権体質の支配階級と、内心はともかく、無言でそれに従う無数の農民。この2層構造は近代社会誕生に必須な階層間の流動性、中間階級の誕生を阻害し、ロシアを近代化に不向きな国家へと硬直化させました。

 圧倒的多数の農民にたいし支配層は力と宗教的権威づけで対応するしかありませんでした。そして、モンゴル支配がロシアのそうした強権政治体制をさらに強固にしました。モンゴルからの独立という旗印の下、絶対的権力が許容されたからです。それに、モンゴルの支配機構そのものもロシアを専制政治体制に傾斜させる要因となったかもしれません。

 9世紀頃ロシアにいくつかの小国家が形成されはじめたときには、ロシアの森林地帯から草原地帯(ステップ)に抜け出る位置にあるドニエプル川沿いの交通の要所、ウクライナのキエフが栄えていました。しかし、その後、内紛などでキエフは衰え、独立の機運が盛り上がったころにはモスクワ公国が優勢となって、その力によって15世紀にモンゴルの支配を脱します。

 しかし、モスクワ公国が主導権を握った当時のロシアは、その後のロシアからは想像もつかないほどの小国でした。ポーランドやスウェーデンといった当時の「大国」にその存在を左右されかねない状態だったのです。そうした弱小国家が巨大国家への道を歩み始めたのは16世紀初頭、イワン三世の時代といわれています。そして、その後、ロシア帝国は20世紀初頭の滅亡のときまで絶え間なく武力によって周辺地域を征服し、膨張していきます。このこともまた、ロシアで専制政治が継続する要因になりました。新たに獲得した領地の居住民を支配するにあたって強圧的専制政治は「便利」で「効率的」な制度だったからです。当然、ロシア専制政治のもとでは、国家創成時同様、支配者と新たな被支配者の間には国民としての共通基盤は存在しえませんでした。

 こうして、西欧諸国では中産階級が力を得て絶対王政から立憲君主制、民主制へと移行していった時代に、ヨーロッパの僻村、ロシアでは、専制君主、皇帝(ツァーリ)1人に権力が集中していきました。国家の発展がツァーリの領土と権力の拡大を意味するという奇妙でいびつな国家体制が20世紀初頭まで続いたのです。

 しかし、この専制君主の立場は、ときとして、きわめて危ういものになりかねませんでした。貴族階級に操られたり、暗殺されたりする危険性があったのです。集中する絶対権力と、疑心暗鬼、これがロシア専制君主の属性となります。そのためでしょう、この専制国家においては、傑出した能力を有するツァーリでも、どこかしら奇怪な面をさらけだすことがありました。

 貴族を押さえ、ロシアの統一を確固たるものとし、ヨーロッパへの窓口を開いたと謳われるイワン雷帝は、ペルシャから送られてきた象がツァーリたる自分の前で跪かなかったことに激怒、即座に象を殺させました。西ヨーロッパ文明を取り入れ、神政的専制国家ロシアを近代化させようと努めた多芸の持ち主ピョートル大帝は、ブールハーフェの外科教室において解剖を見学したさい、屍体が切り刻まれる光景に胸をむかつかせている側近貴族たちに、屍体の腱をかみ切ってくるように命令しています(「ロシア」ロバート・ウォーレス著、タイムライフ ブック)。かれの機嫌を損ねて、鼻に釘抜きを突っ込まれ、鼻の穴を引き裂かれた人間もいます。超一流の文筆家で、「啓蒙主義者」を自称し、ヴォルテールやグリムと文通していたエカチェリーナ女帝は、夫ピョートル三世暗殺の黒幕ではないかとの噂が絶えませんでした。夫の死後、エカチェリーナは独身を通しましたが、その間、ポチョムキンをはじめとして12人の情夫をとっかえひっかえし、それは60歳を過ぎても止みませんでした。11番目の情夫の妻は、ちょっとした失言で女帝の不興を買い、夫の前で裸にされ、むち打たれています。

 一方、ロシア近代化の巨大な壁となって立ちはだかった農奴制も「有能な」専制君主のもとで促進されることになりました。農民を土地に縛り付ける奴隷的強制労働は古代から中世にかけて、さまざまな国に存在していたようです。しかし、近代にはいると、ほとんどの国ではなくなっていきました。ところが、農業労働力が圧倒的に足らなかったロシアでは、土地に農民を縛り付けておくことが農業生産にとって必須条件であったため、奴隷的農民、農奴が17世紀に入って逆に増加しました。

 農奴制が完全にロシアに根を下ろしてしまうきっかけをつくったのは、皮肉なことに、ロシアの近代化を強引に推し進めようとしたピョートル大帝でした。かれは人頭税と兵役の義務化を制定しましたが、その際、義務化と引き替えに、領主の農奴に対する法的権利の強化を認めてしまったのです。このため、農奴は人頭税の財源として土地に縛り付けられ、売り買いの対象になってしまいました。さらに、「啓蒙君主」エカチェリーナの治世は「貴族には天国、農民には地獄」をもたらしたと評されています。貴族の特権をふやし、領主の権限を強め、農奴の権利を奪ったのです。きっかけは在位11年目に起きたロシア史上最大の農奴の反乱「ブガチョフの乱」でした。この反乱をうけて、エカチェリーナは「改革」に着手します。地方の治安維持のために、行政、司法、警察権をすべて地方の貴族(地主)に一任することにしたのです。この結果、領主は殺すこと以外なら農奴になにをしてもいいということになりました。こうして、農奴は完全な奴隷状態におかれたのです。その悲惨な状況を報告した「ロシア解放思想の父」ラジーシチェフはシベリアに追放されました。

 このように、ロシア近代化の父と啓蒙君主の母の元で、農奴制は「完成」され、ロシアという国家は近代化と逆行する社会構造へと硬直化していったのです。

暴力革命


 西欧の文明を取り入れてロシアを近代化させるにあたって、ピョートルは2つの方策を用いました。一つは、オランダ、フランスなどヨーロッパ「先進国」の人間をロシアに連れてくることです。これは、手っ取り早い効果が期待できますし、好条件につられ、西欧からさまざまな技術を携えた人間がロシアに移住、サンクトペテルブルクやモスクワには外国人街ができました。もう一つの近代化策は、ロシア人自身、とくに 若いロシア人にヨーロッパ文明の技術を学ばせることでした。多くの貴族の子弟が西欧文明を学び、フランス語は公用語に近いものとさえなりました。しかし、そうした西欧文明は上層階級に共有されただけで、食べるだけで精一杯の大多数の農奴にとってはあずかり知らぬものでした。こうして、キリスト教を別にすると、二つの階層の文化的基盤はさらに引き裂かれることなりました。

 さらに、先進的な西欧文明に学んだ貴族の子弟たちの間で、専制国家ロシアにとって不都合な考えも芽生えてきました。

 ピョートルはロシアの若者がヨーロッパ文明の技術面のみを習得してくれることを期待していたはずです。しかし、事はそんなに都合よく運びませんでした。若者の多くは、近代化技術を学ぶ過程において、必然的に近代西欧思想にも触れ、そうした思想から自国を見つめ直すようになったのです。その結果、西欧諸国の自由主義に触れた一部の若者たちは、専制政治に変革を求めるようになります。しかし、それに対し、ロシア政府は強圧的な弾圧でのぞみました。そのことが、正義感に燃える若者たちの怒りにさらに油を注ぎ、暴発を引き起こしました。

 その最初の例が、1825年12月14日、皇帝アレキサンドル一世の急逝直後におきたデカブリスト(12月党員)事件です。事件を主導したのはロシア軍の将校たちで、そのほとんどが貴族の子弟でした。かれらはナポレオンを追撃してパリに入った際、革命によって絶対王政の軛を脱し、自由を謳歌するパリ市民を目の当たりにしました。そして、自由を扼殺している自国の専制政治と引き比べ慄然とします。帰国後、かれらは専制政治打倒、立憲君主制樹立、農奴解放を目指した秘密結社を結成、アレキサンドル一世の急逝によって生じた政治的空白を狙って、軍事的クーデターを企てます。しかし、この試みは失敗に終わり、クーデターを主導したペステリ以下5名が死刑、100名以上がシベリア流刑などの刑に処せられました。シベリア流刑になったデカブリストの妻たちの一部は夫を追うようにして流刑地で居住することを決心します。ロシア専制体制打倒を希求する人々にとってデカブリストとその妻たちは殉教者的存在となりました。

 デカブリスト事件後、激しい反動の嵐が襲います。

 アレキサンドル一世のあと皇帝となったニコライ一世は、勤勉で有能な人物でした。しかし、自らの皇帝就任に際してクーデターを経験したこの専制君主は、厳重な検閲制度と監視制度によって国民の思想を強圧的に統一しようとしました。皇帝直属の政治警察、第3部を創設、危険人物、危険集団を監視させたのです。

 そのような状況にあって、政治的発言を封じられた誠実な若者たちに残された道は文学でした。ドストエフスキーを激賞したベリンスキーもモスクワ大学在学中に発表したドラマが専制政治批判と指弾されて大学中退のやむなきにいたり、唯一の発言の道を文芸批評にみつけた社会主義者でした。ベリンスキーのあとにはチェルヌイシェーフスキイ、ドヴロリュウボフ、ピイサレフといった苦行僧のような著述家が続きます。一方、プーシキンを筆頭とする詩人や小説家など文学者たちも、先進西欧諸国からの最新思想によって心に描いたあるべき祖国の姿と専政政治によって窒息寸前の前近代的自国の狭間にあって絶望するしかありませんでした。かれらの作品はその絶望を吐露したものというみかたもできます。共通の文化基盤を持たない支配階級と農民(農奴)階級にはさまれ、のたうち回る文学者たち知識人はインテリゲンツィアと呼ばれるようになりました。ドストエフスキーもその一人で、かれの文学はこうした異様な環境の中から生まれでました。整然として、一見、穏健とも見えるツルゲーネフやトルストイの小説も例外ではありません。アナーキスト的絶望がその底に秘められていて、その叫びとでもいうべきものが、世界中を驚かせた傑作群に結実したのです。

 しかし、1870年代にはいると、言論だけではなにも変わらない現状に飽き足らなくなった若者たちが行動を求めて農村に向かいます。「人民の中に(ナロードニキ)」と呼ばれる運動です。しかし、前にも申しましたように、知識人階級の若者と農民の間には教養、宗教、思想の面において埋めることのできない断絶がありました。かんじんの農民の理解が得られず、挫折します。

 残された方法は実力行使による体制変革でした。皇帝独裁体制を手っ取り早く打ち倒す方法は明らかです。皇帝を抹殺すればいいのです。絶対的権力を握っている頂点が消失すれば、「上部構造」はもろくも崩れ去るでしょう。こうして、列車爆発、冬宮食堂爆破など、執拗に、何度も、皇帝暗殺が企てられましたが、ことごとく失敗に終わりました。しかし、10回以上失敗を繰り返した後、1881年3月1日、ついに、アレキサンドル2世が自爆テロによって暗殺されます。

 しかし、皇帝暗殺によっても専制政治は消滅しませんでした。それどころか、デカブリスト事件後同様、当局の激しい締め付けが始まります。しかし、それにもかかわらず、革命の試みはあとを絶ちませんでした。そして、ご存じのように、第一次世界大戦のさなか、レーニンたちが主導した共産党革命によってロシア帝国は最終的に消滅します。

ロシア正教


 19世紀ロシアとドストエフスキーについて考える場合、もうひとつ、宗教のことも考えておく必要があります。

 ロシアではキリスト教が専制政治を支える主柱の一つでした。ただし、キリスト教といっても、ロシア人が信奉してきたのは、西欧諸国にひろまっていたカトリックではありませんし、ましてや、プロテスタントでもありません。10世紀末にキエフ・ロシアのウラジーミル大公が洗礼を受けて以来、ロシアのキリスト教はビザンツ帝国の流れをくむ東方正教会でした。

 15世紀、モスクワ公国をはじめとするロシア諸国がモンゴルによるタタールの軛から自らを解き放って独立した頃、ビザンツ帝国が崩壊します。モスクワ大公、イワン3世は最後のビザンツ皇帝の姪を妻に迎え、一方、オスマントルコから逃げ出した東方正教会の聖職者たちが、同一宗派ということでロシアにながれこみ、国家の保護のもとにおかれました。その後、モスクワはローマ、コンスタンチノープルにつぐ「第3のローマ」だと主張する聖職者が出現、モスクワ公国の王はツァーリ(Czar (古代ローマ皇帝Caesarに由来))を自称するようになります。

 しかし、「国家宗教」ロシア正教会は御用宗教としての権力、財力は与えられていましたが、逆にそのせいもあって、保守的で、自己変革能力に欠けていました。人々の尊崇を集める宗教家を輩出することはありましたが、フランチェスコ、ルター、ザビエル、あるいは、日本でいうと、一遍、親鸞、明恵といった革新的な宗教家を生み出す力をほとんどもち合わせていませんでした。

 唯一、17世紀半ばに総主教になったニコンが、制度改革を行おうとしましたが、聖職者や民衆の頑強な抵抗にあいます。そのうえ、ニコンは総主教の地位を皇帝よりも上位におこうとして、皇帝に総主教の座をとりあげられ、改革は挫折します。ただし、ニコンの制度改革による儀式上の変更はある程度継続されました。

 ロシア正教では、ビザンツ伝来の神々しい宗教儀式が信者に神を体感させ、儀式が信仰そのものという一面がありました。事実、ウラジーミル大公がカトリックやイスラムではなくビザンツの東方正教会を信仰するようになったきっかけも、キリスト教やイスラム教の調査に向かった使者がビザンツの荘厳な宗教儀式に感銘をうけて、大公にギリシャ正教の採用を勧告したせいといわれています。このため、農民やコサックらの下層民や一部の聖職者は儀式上の変革の継続に憤激、その中から分離派(ラスコールニキ)(別名、古儀式派)がうまれます。激しい弾圧にも屈せずラスコールニキは、自らをむち打つ鞭身派、去勢術を施す去勢派といったような極端な戒律の分派までも生みだしながら、その後何百年にもわたってロシア国内でさまざまな抵抗を続けます。ドストエフスキーが「罪と罰」の反社会的主人公に分離派をもじってラスコオルニコフの名前をつけていることはよく知られています。この分離派による「反宗教改革」がロシア宗教史上の唯一の光明といえるかもしれません。しかし、乱暴な言い方をすれば、表面上、ロシアは「神と同等の」皇帝のもと、宗教によって多大な恩恵を被っている御用聖職者、「無知蒙昧で信心深い」圧倒的多数の下層民で埋め尽くされていたことになります。この宗教的不毛地帯において「無神論」が19世紀ロシアの心ある知識人に侵食したのも無理からぬことでした。

ベリンスキーと無神論


 ドストエフスキーの出世作「貧しき人々」を激賞したベリンスキーからして、無神論者の筆頭でした。前に触れたように、ベリンスキーは専制君主制と農奴制からなるロシア社会の変革を熱望する社会主義者でした。しかし、デカブリスト事件後、官警の厳しい監視のもとでその真情を吐露するには文芸批評しか道がないというそれだけの理由で批評家の道を選んだ人でした。ベリンスキーはマルクスたちの「われらはまず第1に無神論的団体である」というインターナショナルの宣言を字句通り受け入れ、ドストエフスキーにはじめてあったときも「いきなり無神論から話をはじめ」ました。ベリンスキーは「一切の根底が精神的要素であるということを知っていた…….しかし、一個の社会主義者として、何よりもまっさきにキリスト教をその台座から引きずり落とさねばならなかった。革命が必ず無神論から始まらなければないのを知っていた」のです。また、あるとき、ドスエフスキーに向かってベリンスキーは「社会がこんなにも陋劣な組織になっていて、どうしても悪事をはたらかざるを得ないようになっているのに、経済的にいって、悪事にまきこまざるをえないのに、人間の罪悪を数えたてて、さまざまな義務を負わしたり、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、などと要求するのは不可能です」と主張したそうです。

 そして、同席していた友人にむかってベリンスキーは「ぼくはこの人をみると、涙ぐましい気がするくらいなんですよ」と揶揄するかのようにドストエルスキーを評したそうです。「いつもぼくがこんなふうにキリストの名を口にするたびに、この人は顔色をすっかり変えて、まるで泣き出さないばかりなんですからね」

ドストエフスキーの改心


 以上は、ドストエフスキーが1873年に当時を回顧して書いたものの引用です(「昔の人々 作家の日記1873年、 米川正夫訳」)。ベリンスキーと袂を分かったものの、当時の知識人同様、ドストエフスキーも「神を捨て」ます。

 しかし、この文章のあとには、シベリア流刑の途上においてナターリャ・フォンヴィージン夫人から福音書を贈られたという記述が続きます。フォンヴィージン夫人はデカブリストの一員としてシベリア流刑の身となった夫に付き従って25年間シベリアで過ごした女性で、その福音書はシベリアのオムスク要塞の獄中でドストエフスキーが唯一読むことを許される本となりました。当然、ドストエフスキーは聖書を隅から隅まで何度も読み返しました。このフォンヴィージン夫人にドストエフスキーは出獄後、手紙を書いています。

 「…….自分の苦しみ抜いたもの、堪え忍んだもの、人から奪われたものを掛けて見て、本当の重みを知るのです…….そうした瞬間には『枯れかかった葉』のように、信仰を渇望し、かつそれを見いだすものです。それはつまり、不幸の中にこそ真理が顕れるからです…….わたしは世紀の子です…….不信と懐疑の子です…….(しかし)神様は時として、完全に平安な瞬間を授けてくださいます。そういう時、わたしは自分でも愛しますし、人にも愛されているのを発見します…….もしもだれかがわたしに向かって、キリストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう」

 「死の家の記録」の中で主人公は自分の過去を徹底的に見直したと語っています。これは、シベリアの監獄でのドストエフスキーの生活をそのまま反映しているものと推測されます。死の手前にまで行った処刑劇とシベリアの監獄体験をきっかけとして、ドストエフスキーは正義実現のためには手段を選ばないという、デカブリストに始まってロシア革命にまで延々とつながっていく流れの危険性を徐々に認識するようになります。それは「男たちや女たちに、別の男や女たちのことを神だの蛇蝎だのとみなすよう、そそのかす」(イーグルトン著大橋洋一訳「イデオロギーとは何か」 平凡社ライブラリー)正義主義(イデオロギー)が有する危険性の認識だったのでしょう。「人間が何らかの重大な理由で争い殺しあうとき、たとえばその理由というのが生存そのものにかかわるものであれば、それは理解できないわけではない。ところが人間が、どういう筋道をへて、観念などという、どうみても抽象的なものの名において争い殺し合うようになるのか、これを理解するのはかなり難しい」とイーグルトンは書いています。しかし「観念とは、男たちや女たちが、それなくしては生きられないもの、時には、そのために命をかけるもの」です。実際、ドストエフキー自身、あの処刑劇において死刑宣告に臨んでも「われわれが告発される原因になった事柄、われわれの精神を支配していた思想や観念は、悔悟を要しないものと思われたのみならず、むしろなにか自分たちを浄化する殉教的なもののように感じ」られたと回想しています(「作家の日記」16 現代的欺瞞の一つ 米川正夫訳)。「その気持ちは長く続」き、「流刑の幾年間も、苦痛も、われわれの意志を砕きはしなかった」というのです。

 しかし「なにかしらある別のものがわれわれの見解、われわれの信念、われわれの心情を一変させ」ます。この「あるもの」というのは「民衆との端的な接触」「共通の不幸の中における彼らとの同胞としての結合」だったとドストエフスキーは説明しています。「国民的根本へ復帰し、ロシアの魂を認識し、国民精神を悟」ったというのです。ロシアの魂を語りながら、ドストエフスキーは少年時代の父の地所で出会った心優しい農奴を思い出していたのかもしれません。あるいは、シベリア流刑中に出会った「神の横に座すべき」心美しい犯罪者たちのことを思い浮かべていたのかもしれません。

 しかし、かれのこの説明にはいまひとつ曖昧なところもあります。そのように述べながら、あとになって「わたしの信念の更正の歴史を語ることは、はなはだ困難である」と述懐しているからです。出獄後、ドストエフスキーは3回、ドイツ、フランス、イギリス、スイス、イタリアなど「先進的」西欧諸国を見て回り、どうやら、相当に失望したようです。産業革命を成し遂げた西欧式合理主義は人類を破滅に追いやるかもしれない、むしろ、無垢なロシアこそが人類を救うのだと後年かれは主張するようになります。しかし、そこに至る過程は、彼自身にとっても、曰くいいがたいものだったようです。

 いずれにしろ、社会正義実現のために文字通り命をかけ、死の淵をのぞき込みながら生還したのち、ドストエフスキーは多種雑多な「犯罪者」が交錯する牢獄を体験し、徐々に正義主義の不毛性を認識するようになります。そして「キリストの名を口にするたびに、顔色をすっかり変えて、まるで泣き出さないばかり」だったドストエフスキーは、キリストに回帰し、最後は「カラマーゾフの兄弟」の高みへと到達します。


シベリア以降


 受刑者たちがひしめく劣悪な環境のオムスク監獄でドストエフスキーはプライベートな時間を完全に奪われて4年間を過ごしました。受刑者の中にはもちろん箸にも棒にもかからぬ極悪非道な人間もいましたが、一方では、殺人、強盗などの罪で受刑しているにもかかわらず、勇気、寛容、思いやりに満ちた「神の隣の座を占めてもおかしくない」人間が少なからずいました。世の常識的な道徳律を適用し得ない世界があることをドストエフスキーは身をもって体験しました。そして、そうした「善悪の彼岸」が監獄外の世界にもありえることを後に小説で表現することになります。

 1854年2月15日、33歳の年、ドストエフスキーは出獄し、第七シベリア歩兵大隊に配属され、キルギス平原に近い人口5千の街セミパラチンスクで一兵士として兵役に服すことになります。待ちに待った、解放の日でした。死刑を免れた感激の中で「どれだけ時が浪費され、迷いと、過失と、安逸と、無能な生活ぶりの中に過ごされたか、自分がいかに時を貴ぶことを知らなかったか、幾たび自分の心情と精神に悖ることをしたか、そのことを考えると、われながら心臓に血のにじむ思いです」と兄に書き送ったドストエフスキーです、「ひとときも時間を無駄にしまい」と誓っていたに違いありません。まだ兵役が残っていたので、文学に没頭できる環境にはありませんでしたが、それでも、創造意欲は燃えさかっていたはずです。すぐに傑作小説が生まれでてもおかしくありませんでした。

 しかし、事はそううまく運びませんでした。

 エパンチン将軍夫人と3人の姉妹の前で銃殺刑が直前になって免除になった例の男の話をムイシュキン公爵がする「白痴」の1場面で、長女のアレキサンドラが「そのかたは減刑になったのでしょう、つまり、その『無限の生活』を恵まれたのでしょう。で、それから後、その莫大な富をどうなさったのでしょう」と尋ねるところがあります。これに対し、ムイシュキンは「まるっきり違った生活をして、多くの瞬間を空費したそうです」とあっけらかんと答えています。ドストエフスキーも同様に、出獄後しばらく「多くの瞬間を空費」することになります。

最初の妻マリア


 多くの瞬間を空費することになった最初の原因は、マリヤ・ドミートリエヴナという名の人妻でした。ドストエフスキーの友人だったセミパラチンスク地区検事ヴランゲリ男爵によれば、マリアは「中背のちょっとかわいいブロンドで、とても痩せており、情熱的で興奮しやす」い女性でした。夫のイサーエフはアルコール中毒で、マリアは不幸な結婚生活を送っていました。同情心もあったのでしょう、逆上したかのようにドストエスキーはマリアに入れ込んでしまいます。マリアのほうは、どうやら、さほどのぼせてはいなかったようですが、そんなことはおかまいなしに、ドストエフスキーはマリアの息子の家庭教師をかってでて、イサーエフ家に一日中入り浸るようになります。やがて、イサーエフはセミパラチンスクから600キロも離れたクズネーツクに職をみつけ、一家は引っ越すことになります。マリアに会えなくなると知ったドストエフスキーは気が動転、絶望のどん底に落ちこみます。つねにドストエフスキーへの援助を惜しまなかったヴランケリは、イサーエフ一家が旅立つ日、とびきり上等のシャンペンをイサーエフにふるまって前後不覚になるまで酔わせ、不倫の恋人たちに別れの舞台をつくってやりました。

 まもなく、イサーエフは酒がもとで死にます。チャンス到来とドストエフキーは心躍らせます。ところが、マリアからは年若い教師に求愛されているという神経を逆なでするような手紙が届き、ドストエフスキーは再び半狂乱に陥ります。ヴランゲリたちに頼み込んで、マリアへの年金が国庫から早く出るよう斡旋してもらい、マリアの息子、パーヴェルが士官候補隊に特待生として入隊できるように手配します。うまい具合に、ちょうどこの頃、ヴランゲリたちの運動が功を奏して、ドストエフスキーは一兵卒から将校待遇に昇進します。こうしたことが効いたのかどうか、よくはわかりませんが、ともかくも、マリアの心はドストエフスキーに傾き、1856年2月6日、二人は結婚します。

 しかし、マリアにとって、この結婚はどうやらあまり気乗りのしないものだったようです。結婚直後、ドストエフスキーがてんかん発作を起こしたこともあってか、新婚早々、マリアの気持ちはドストエフスキーを離れていきました。ドストエフスキーも同じでした。「情熱が反省に変わり、反省が幻滅に変わって(E.H.カー)」いきました。マリアはイサーエフとの間にパーヴェルを生んでいますし、ドストエフスキーも2番目の妻との間にはたくさんの子どもを授かっています。しかし、マリアとドストエフスキーの間には子供は生まれませんでした。やがて、結婚前から罹患していたマリアの結核が悪化、マリアは臥床生活を余儀なくされます。こうして、マリアが死ぬ日まで、不幸な結婚生活が続くことになります。


雑誌「時代」


 しかし、ともかくも家庭を持つことである程度の落ち着きを取り戻したドストエフスキーは執筆活動を再開します。まずは、中編小説「スチェパンチコヴォ村とその住人」「叔父様の夢」を発表しましたが、この2編はドストエフスキー自身にとっても意に満たない不満な出来だったようです。実際、世評もさほどのことはありませんでした。しかし、皇帝に嘆願書まで書き、ついに、待ちのぞんでいたペテルブルグへの帰還が実現すると、オムスク監獄出獄直後から書きためていたノートに基づいて「死の家の記録」の執筆を開始します。当初「死の家の記録」は「ロシア世界」誌で連載が開始されましたが、のちに、兄ミハイルとはじめた雑誌「時代(ヴレミャ)」に転載され、成功を収めます。オムスク監獄の徒刑囚の生活を淡々とつづったもので、ドストエフスキーを否定的にみていたトルストイもこの作品だけは絶賛、ツルゲーネフに至ってはドストエフスキーをダンテに比肩するほどの称えようでした。

 雑誌「時代」は、文学への思いを断ち切れずにいた兄のミハイルが、弟の執筆活動再開にあわせ、煙草工場の事業をなげうって創刊した雑誌でした。ミハイルが雑誌を運営し、ドストエフスキーが編集長の役目を引きうけました。「死の家の記録」以外にもドストエフスキーは「虐げられし人々」を連載、さらに、文学評論、政治評論も執筆し、雑誌寄稿者との交渉にも当たりました。ドストエフスキーの働きが功を奏したのか、「時代」はうなぎ登りに部数を増やし、経費を差し引いても毎号、相当な黒字を残すようになりました。

 この間、1862年6月から8月まで2か月間、40歳になったドストエフスキーはドイツ、フランス、イギリス、イタリアを回ってすごし、その年の冬「冬に記す夏の印象」という西欧旅行記も「時代」に連載しています。ただし、これら西欧諸国にあまりいい印象を受けなかったことは前にお話ししたとおりです。

 しかし、「先進的」西欧諸国に失望したのはひとりドストエフスキーだけではありませんでした。

 1840年代、ドストエフスキーがペトラシェーフスキー事件に連座した頃、フランスをはじめとする西欧諸国では革命的情熱が燃えさかり、ロシアの知識人たちにとっては憧憬の的でした。しかし、1948年、パリをはじめとして多くの国で革命が起きたものの、その後、ルイ・ナポレオンの統治に象徴されるように、さまざまな反動の嵐が押し寄せます。そうした西欧諸国の実情に幻滅したロシア知識人の一部は、180度方向を転換、ロシアそのものに価値を見出すようになります。いわゆるスラブ主義です。しかし、一方で、西欧風自由主義を以前と変わらず信奉する西欧主義も残存しました。クリミア戦争の敗北で、失意の中、厳格な専制君主ニコライ一世が亡くなり、穏健派と噂のアレキサンドル二世が皇帝に即位すると、当局の思想統制もゆるみ、農奴解放の噂が流れるようになります。ペテルブルクにドストエフスキーが戻ってきたのはちょうどその頃で、言論界はスラブ主義と西欧主義に二分され、開放感に充ちあふれ、沸き立っていました。

 そうした中、雑誌「時代」はスラブ主義、西欧主義のいずれにも与しないことを宣言します。中道路線を旗印に掲げたのです。当初、この旗印は人々に新鮮な印象を与えました。しかし、二つの政治的勢力が激しくつばぜり合いを繰り返す中での中立表明は危険です。日和見主義と蔑視され、両陣営からの攻撃の矢面に立たされかねないからです。実際、この曖昧な政治的姿勢が遠因となって、順風満帆とみえていた「時代」は突然、発行停止命令をくらってしまいます。

 発行停止の直接の原因は1863年春に起きたポーランド反乱でした。かつての大国ポーランドは18世紀後半に分割され、その大半はロシアが支配するところとなりました。しかし、昔日の栄光を知るポーランド人の間にはロシア支配への憤懣が鬱積、その怒りがいつ噴出してもおかしくない状態にありました。そうした中、1863年1月にポーランドで反乱が始まります。しかし、ロシアによる徹底的な弾圧によって、秋までに反乱は終熄しました。スラブ主義者も西欧主義者もこの微妙な問題には口をつぐみ、雑誌「時代」も慎重な態度をとっていました。

 そのような時、ストラーホフの「致命的な問題」という論説が「時代」に掲載されます。ポーランドの文学的成果を称揚し、ロシアはポーランドと鉄砲や大砲ではなく芸術を武器として戦うべきだという趣旨の論文でした。一見もっともらしい穏健な論文で、当局の検閲もなんなく通りました。ところが、発刊後、右翼雑誌からロシア文化に対するポーランド文化の優位性を主張するものだとして激しい攻撃にさらされます。そのうち、当局も、これを無視できなくなり、結局、皇帝の裁可の下、「時代」に発行停止命令が下ります。ドストエフスキーたちの弁明は却下されました。スラブ主義陣営からも西欧主義陣営からも「中立派」雑誌「時代」を擁護する意見はでませんでした。

 景品つき煙草という奇抜な商法で得た金をすべて雑誌「時代」につぎ込んでいた兄のミハイルは、全財産を失い、ドストエフスキーは定収入の道を閉ざされることになりました。

愛人


 ところが、「時代」廃刊騒ぎのさなか、ドストエフスキーは愛人と連れ立って2度目の外国旅行に旅立とうとしていました。


アポリナーリヤ(ポリーナ)・
スースロワ

 1861年、「時代」にアポリナーリヤ(ポリーナ)・スースロワという女子大生の短編が掲載されていましたが、2度目の外国旅行に同行する予定だったのは、このスースロワでした。

 スースロワの父親はもともと農奴でした。しかし、強靱な意志、人並みはずれた能力で農奴の身分を脱し、手広く企業を営むようになった相当なやり手でした。そして、築き上げた資産で娘たちに高等教育を受けさせました。そのかいあって、ポリーナの妹ナデージダはロシア史上最初の女性医師となっています。一方、姉のポリーナのほうは、妹のような栄光とは無縁でしたが、アレキサンドル二世時代の開放感に充ちた空気に鋭敏に反応し、自由奔放に生きる「新しいタイプ」の女性でした。しかも、父親からは鋼鉄のような性格を譲り受けていました。のちにポリーナと結婚したローザノフは彼女のことを「異常なまでの集中力、決断力を持つ女性」と評しています(ドリーニン編 中村健之助訳 「スースロワの日記」みすず書房)。「気性は完全にロシア女でしたが、ロシア女はロシア女でも、分離派の”無僧派”の女でした。いや”鞭身派の聖母”といった方がいいでしょう」とも書いています。ローザノフはのちにドストエフスキーの伝記も書いた文学者でしたが、結婚後数年して、男を作ったスースロワに逃げられてしまいます。復縁を哀願するローザノフにスースロワは「何千という夫があなたのような立場に立たされますが、吠えたりはしませんよ、人間は犬ではないのですからね」とすげなく答えています。

 当初、ドストエフスキーはこのスースロワと一緒にペテルブルグを出発して1863年の夏の間フランス、イタリアを旅する予定でした。しかし、妻マリアの転地療養の手配、借金の手続き、旅券更新に手間取って、その間に愛人は先にパリへ旅立ってしまいます。ドストエフスキーはポリーナに一ヶ月以上も遅れて出発しました。にもかかわらず、途中、ヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレット賭博に4日間を費やします。ようやくパリに着いたドストエフスキーを待っていたのは「あなたは来るのが少し遅すぎた」というポリーナの言葉でした。ポリーナはパリで新たにスペイン人の恋人を作っていたのです。しかし、ドストエフスキーがパリに着いた頃、そのスペイン人の恋人はポリーナに飽きがきていたようで、病気を理由にポリーナと会おうとしなくなっていました。愛人に捨てられかかったドストエフスキーと新たな恋人に捨てられたポリーナは「兄と妹」という関係を保つことを条件にイタリアに出発します。しかし、途中、二人はまたもヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレットで有り金すべてをまきあげられてしまいます。ミハイルをはじめとする親戚、出版社からかきあつめた借金でようやくヴィースバーデンを出立、ジュネーブ、トリノ、ジェノア、ローマ、ナポリと南欧各地を転々とします。そして、10月になってようやく二人は別れることになり、この奇怪な情事旅行は終幕をむかえます。この2ヶ月間で、ドストエフスキーのポリーナに対する情熱はかなり冷めたようです。しかし、の後もしばらくはポリーナとの関係が続き、2番目の妻アンナと結婚してからもドストエフスキーはポリーナと手紙をやりとりしています。そして、この「鞭身派の聖母」は「賭博者」「白痴」などかれのさまざまな小説に出没することになります。


妻と兄の死


 10月にロシアに戻ると、結核の末期症状を示して蒼白く痩せ細ったマリアが待っていました。マリアはすぐに死の床に伏すことになります。結婚後、自分を愛することのなかった妻をドストエフスキーは冬の間中、献身的に看病しました。しかし、自身、ひどいてんかん発作におそわれ、痔にも悩まされます。その間、兄のミハイルは懸命の努力で新たな雑誌「世紀(エボーハ)」の発刊にこぎ着けます。ドストエフスキーは「地下生活者の手記」を「世紀」のために執筆します。ドストエフスキー的世界の始まりをつげるとされるこの異様な手記の第一部は「わたしは病的な人間だ…….」という言葉で始まり、「いま雪が降っている、べたべた濡れた、黄いろい、濁ったような奴だ、昨日もやはり降ったし、二、三日まえもやっぱり降った」という情景描写で終わります。おそらく、てんかん発作を繰り返す中、憔悴しきって呪いの言葉を吐き散らす妻を看病していた暗澹たるモスクワの一冬がそこに反映しているのでしょう。

 1964年4月16日、妻のマリアは息をひきとります。

 追い打ちをかけるように、3か月後の7月10日、数日病の床に伏せっていた兄のミハイルが思いもかけず死んでしまいます。セミョーノフスキイ連隊の練兵場で死刑を宣告されたとき「兄さん、ぼくはあなたをはじめ、あなたの家族全部を思い起こしました。が、最後の瞬間はあなただけ、ただあなた1人だけがぼくの心に残りました」と書いているドストエフスキーです、生きる気力もなくなるほどの打撃を受けます。しかし、愛する兄は、未亡人と四人の子ども、二万ルーブル以上の借金、そして、愛人とミハイルによって認知された子どもまで残していました。この未亡人と情婦と遺児たちを路頭に迷わせないようにする責務がドストエフスキーの肩にのしかかりました。兄の借金に関しては、ドストエフスキーが背負うべき法的責務はありませんでした。しかし、兄の名誉を重んじて、これも引きうけることを決断します。

 とりあえずは兄の唯一の遺産ともいうべき「世紀」の発刊継続に力を注ぎました。しかし、発刊が遅れに遅れ、読者が離れていきき、結局、廃刊の憂き目にあいます。

 これほどの不幸、不運に見舞われても、ドストエフスキーは挫けませんでした。この頃、ヴランゲリへの手紙の中でドストエフスキーは「こうして、ぼくはとつぜんたった一人になり…….全生活が真っ二つに割れてしまったのです…….にもかかわらず、ぼくは始終たったいま生活を始めようとしているような気がします。おかしいでしょう、ね?猫のような生活力!」と書いています。これ以降も、しばらく、かれは「猫のような生活力」で窮地を何度も乗り越えることになります。

成就せぬ愛


 失意のどん底にあったドストエフスキーは、この間、寂しさを紛らしたかったのでしょうか、さらに、二人の女性と成就せぬ恋愛事件を起こしています。

 一人はアンナ・コルヴィン・クリューコフスカヤという20歳の女性です。アンナは裕福な家庭の長女でしたが、良家の娘らしからぬ情熱と行動力を兼ね備えていました。騎士小説に耽溺し、女優になることを夢見ていたアンナは「世紀」に短編小説を投稿します。廃刊寸前の「世紀」は掲載原稿が払底していたためにこの素人小説を掲載しました。ところが、これが厳格な父親の知るところとなり、アンナの家庭に大騒動を巻き起こします。しかし、なんとか父親への説得に成功、アンナの家族はドストエフスキーと面会します。そして、やがて、ドストエフキーはアンナに強く魅かれ、求婚し、拒絶されます。アンナは妹に「ドストエフスキーの妻となるべき女性は、自身をすべて彼に捧げ、彼以外のことはなにも考えない人間でないと駄目」だと話したそうです。アンナは人間観察に相当たけていたようです。幸いなことに、ドストエフスキーはそのような奇跡的女性にまもなく遭遇することになります。

 このアンナとのエピソードがあった前後、ドストエフスキーはマルタ・ブラウンというもう1人の女性と関係をもっています。マルタの出自についてはよくわかっていません。しかし、おそらく、アンナとは正反対の家庭の出だったようです。若い頃、オーストリア、プロシャ、スイス、イタリア、スペイン、フランス、ベルギー、オランダをハンガリー人やイギリス人の男たちと連れだって放浪し、人生の「さまざまな印象を味」わい、最後は、一文無しでイギリスにたどりつきます。イギリスでは、路上で寝泊まりし、犯罪者とつきあったりしていましたが、親切なメソジスト派の牧師に救い出され、ボルチモア出身の水夫ブラウンと結婚します。しかし、イギリスを逃げださざるを得ない事情が生じ、ブラウンと別れ、ペテルブルグに戻り、「世紀」に投稿していたアルコール中毒文士ゴルスキーの情婦となります。そして、ゴルスキーの紹介で「世紀」の英文翻訳者として雇われ、ドストエフスキーと関係が生じます。ドストエフスキーは彼女にどうやら結婚を申しでたようです。それに対するマルタのあからさまな返事が残されています。

 「…….わたくしは肉体的の関係で、あなたを満足させることができるでしょうか、私たちの間に精神的な調和が実現するでしょうか?…….たとい一瞬なりと、それともしばらくのあいだ、友情と好意を授けてくださいましたことについて、わたくしは永久に感謝します…….あなたがわたくしの堕落した面をおさげすみにならず、わたくしというものを、わたくしが自分で考えている以上に、高く評価してくださったことを、物質上の利益よりもずっとありがたく存じています」

 「白痴」のナターシャを連想させるこのマルタとの関係がいつまで続いたのか不明です。また、ムイシュキン公爵とナターシャ同様、ドストエフスキーとマルタが同棲していたのかどうかもわかりません。

「罪と罰」


 この恋愛事件の間にドストエフスキーの経済状況は悪化の一途をたどります。亡兄の家族と義理の息子パーヴェルを養わなければなりませんでしたし、「世紀」の債権者たちはこんどこそ債務者監獄に放り込むと息巻いていました。せっぱ詰まったドストエフスキーは、危険を承知で、悪徳出版業者ステルロフスキーから三千ルーブル借金します。借用条件は、それまでに書いた著作のすべての出版権を譲渡するというものでした。そのうえ、1年先の1866年12月1日までに新作小説の原稿を手渡さなければ、将来書かれる本のすべての著作権もステルロフスキーに握られるということになっていました。「屈辱的な「奴隷的契約」でしたが、債務監獄に放り込まれる危機に直面していたドストエフスキーはこの条件を呑んで当座をしのぐしかありませんでした。

 「奴隷的」契約で借りた三千ルーブルでしたが、そのほとんどは借金返済にあっという間に消えてしまいました。なんとか残ったわずか百七十五ルーブルを懐にドストエフスキーは債権者を逃れるように1865年夏、ヴィースバーデンに逃げだします。ところが、例によってルーレットで有り金巻き上げられます。ヴランゲリ、出版社など思いつくすべての伝手に無心の手紙を書きましたが、すぐには、どこからも返事が来ません。そこへ、スースロワがやってきます。彼女への未練を断ち切れず、ドストエフスキーはヴィースバーデンで落ち合う約束をしていたのです。ところが、彼女もさして持ち合わせがありません。二人の宿代・食事代も払えず、かといって、ロシアに帰る旅費も捻出できない状態の中、ようやく、手紙で借金を頼みこんでいた一人、ツルゲーネフからお金が届きます。その金でスースロワはパリに旅立ちました。しかし、ドストエフスキーは宿賃も満足に払えない状態でとり残されます。安宿では「働かざる者食うべからず」と食事の提供を拒否され、何日も満足に食事もとれない状態が続き、質入れでなんとか食いつなぎました。

 この絶望的な状況のさなか、ドストエフスキーは高利貸しの老婆を殺そうとする青年の話を書き始めます。この青年は「極度の貧窮の中で暮らしているのですが、つい軽率で、観念のぐらついているために、いま空中に瀰漫(びまん)している、ある種の奇怪な、『未完成の』思想に深入りして、一挙にしておのれの忌まわしい状態から抜け出ようと決心します」しかし「解決することのできない問題が殺人者の前に立ち塞がり、夢にも想像しなかったような、思いがけない感情が、彼の心を苦しめるのです。神の真理、地上の掟が勝ちを制して、彼はついに、自首せざるを得なくなります」

 ロウソクの灯りにも事欠く安宿の一室でこの小説を書いているうちに、ようやく、ヴランゲリから送金が届き、ドストエフスキーはヴランゲリの勤務先、コペンハーゲンに向かいます。その後、ペテルブルグに戻りますが、全面的に書き直されながらもこの小説は書き継がれ、1866年1月号の「ロシア報知」に掲載されます。「罪と罰」という題名のこの小説は読者の圧倒的支持を受け、ドストエフスキーはロシアを代表する作家の一人とみなされるようになります。

第2の妻アンナ


 「罪と罰」は大成功でした。しかし、ステルロフスキーと契約した12月1日という締め切り期日が目前に迫ってきていました。新たな小説の腹案はほぼできあがっていましたが、「罪と罰」の執筆に時間をとられ、10月に入っても約束の小説は一行も書かれていませんでした。追いつめられたドストエフスキーは友人の勧めにしたがい、速記者を雇い、口述筆記によって新たな小説を1カ月で仕上げようともくろみます。速記者としてやって来たのは、速記学校に通う20歳になったばかりの女性、アンナ・グリゴ−リエブナでした。

 アンナの父親は「市会か役所かにつとめて」いたということですから役人だったのでしょう(「回想のドストエフスキー アンナ・ドストエフスカヤ 松下裕訳 みすず書房」。41歳の時、13歳年下のアンナの母親と結婚したこの父親は「貧しき人々」を書いたドストエフスキーを天才と激賞、シベリアからのドストエフスキーの「奇跡的復帰」に驚喜し、娘に「ドストエフスキー熱」を吹き込んでいました。おかげで、アンナは雑誌「時代」に掲載された最新作「死の家の記録」「虐げられし人々」や「ロシア報知」掲載の「罪と罰」を夢中になって読んでいました。ところが、父親はアンナがドストエフスキーと出会う半年前に死んでしまいます。アンナにとっては「生まれて初めてであった大きな不幸」で「来る日も来る日も父の墓地のあるポリシャーヤ・オフタに行って泣きくらしたが、それでもこの悲しい出来事をあきらめきれ」ませんでした。

 アンナがドストエフスキーの口述筆記の仕事を紹介されたのは、こういうときでした。

 最初のうちはアンナもドストエフスキーもお互い、あまりいい印象をもちませんでした。しかし、口述筆記によって新たな小説「賭博者」の原稿が期日までに間に合うかもしれないという希望がみえてくると、二人はうち解けて話すようになります。そして、たがいに惹かれ始めます。

 「賭博者」は約束の期日前に仕上がり、「送付証明書」つきで草稿はステルロフスキーのもとに送られました。こうして、ドストエフスキーは窮地を脱します。

 一息ついたところで、ドストエフスキーは空想の小説の筋を語って遠回しにアンナに求婚の思いをほのめかしました。拒絶されるのは覚悟の上だったでしょう。ところが、奇跡がおこります。同世代の青年の空虚な会話よりも天才の言葉に魅了されていたアンナが結婚を承諾したのです。

 1867年2月15日、イズマイロフスキー寺院で二人は結婚式を挙げました。

 しかし、新婚生活はアンナにとって苦痛に満ちたものでした。まず、10日間「シャンパン漬け」になっていたドストエフスキーが立て続けに2度、てんかん発作を起こします。さらに、ドストエフスキーの兄嫁や義理の息子パーヴェルとの軋轢が激しくなります。ドストエフスキーにぶら下がるように生活していた二人にとってアンナは自分たちの生活を脅かす邪魔者でしかありませんでした。かれらは結婚に猛反対し、結婚後もアンナを敵視していました。何とか二人を離婚させるべく策略をめぐらしていました。少なくともアンナにはそうとしかみえませんでした。ことあるごとに彼女の神経をいらだたせたのです。とくに、新婚夫婦と同居していたアンナとほぼ同い年のパーヴェルはアンナにとって耐え難い存在でした。夫をかれらから引き剥がすため、アンナは拝み倒すようにドストエフスキーを説得、嫁入り道具を質に入れた金で外国旅行に旅立つことを了承させます。結婚式の2か月後のことです。兄嫁やパーヴェルの強硬な反対を押し切って、二人はベルリンに旅立ちます。

海外生活


 ベルリンを経由して、かれらは、まず、ドレスデンに腰を落ち着けました。ここでアンナは結婚式以来はじめて「敵意の輪」から解放され、心の平安を得ます。しかし、ドストエフスキーはすぐに平穏無為の生活に飽きてしまいました。一攫千金と興奮を求めて、若い妻をドレスデンに残し、ホンブルグにルーレットにでかけていってしまいました。そして、有り金すべてをすってしまいます。何度も金の催促の手紙を書いてよこした挙げ句、8日たって、ようやく、ドストエフスキーはドレスデンに戻ってきました。寛容な若妻はそのことをまったく責めませんでした。

 その後、スイスに向かうはずでしたが、予定を変更して、こんどはアンナと連れ立ってヴィースバーデンによります。ドストエフスキーとしては、ベリンスキーについて書いた原稿料を元手に今度こそルーレットで「窮地を脱する」つもりでした。しかし、もちろん、さらなる窮地に追い込まれることになります。ホテルにアンナをおいて賭博場にでかけていっては、よろよろしながら舞い戻ってきて「しょげかえり、むせび泣き、自分のせいでおまえをこんなに苦しめてすまないとひざまずき許しを請」うということがいつ果てるともなく繰り返されます。結婚の時ドストエフスキーがアンナに贈ったブローチとダイヤとルビーのついた耳飾りも含め、ありとあらゆるものが質に入れられ、その多くは二度と帰ってきませんでした。宿屋の女主人や小口の債権者に嫌みを言われながら、アンナは質草によってひねり出したなけなしの金を夫に渡し続けました。しかも、この困窮のさなか、ドストエフスキーは義理の息子パーヴェルや兄嫁への送金だけは欠かさず、アンナの神経をいらだたせました。

 よくもまあ、これで、離婚に至らなかったものです。

 しかも、アンナへの打撃はてんかん発作、親族とのいざこざ、賭博、借金だけではありませんでした。前にも述べたように、ドストエフスキーはアンナとの結婚後もスースロワと文通を続けていました。そのくせ、てんかん発作とたいして変わらない嫉妬の発作を爆発させることもありました。新婚当初、モスクワにいるドストエフスキーの妹夫婦の家でアンナはカルタ遊びに興じたことがありました。隣の席にはサーシャ・イワノフという機知に富んだ愉快な青年が座っていて、アンナは「彼とおしゃべりをしたり笑ったりし」ました。ところが、これをみてドストエフスキーはだんだん不機嫌になっていきます。帰り道では一言も喋ろうとしませんでした。そして、ホテルに一室に戻ると形相を変え、アンナが「思いやりのないコケットで…….夫を苦しめるためにだけ男とたわむれていた」と叫び始めたのです。

 再婚後のドストエフスキーの行動をみると、なぜ、ドストエフスキーが一回目の結婚生活に失敗し、その後も、スースロワやアンナたちとの恋が成就しなかったのか、その理由の一端が窺えるような気がします。よほど心の広い女性でもこんなことには耐えきれないでしょう。ところが、この幼い妻の心のうちには不思議な信念が芽生えていたのです。

 「…….わたしはフョードル・ミハイロヴィッチを限りなく愛していましたが、その愛は、同年輩の男女にみられるような肉体的なものではなくて、純粋に精神的な、観念的なものでした。むしろ、才能のある、高い精神性を持った人物に対する崇拝、賛美といったほうがいいかもしれません。これほど辛い思いをし、一度も喜びと幸福な目にあったことのない人、全生活を捧げつくしてきた身内のものから当然やさしさと思いやりで報われるべきところを打ち捨てられたままのこの人にたいして、わたしの心は憐れみでいっぱいでした。生涯の道づれになり、苦労を分かちあい、生活の負担を軽くし、幸せにしてあげたいという夢想がわたしをとらえてはなしませんでした。フョードル・ミハイロヴィッチは、わたしの神、わたしの偶像となり、わたしは生涯彼に仕えるつもりでした」

 これは、海外旅行にでかける前の心境をアンナが述懐したものですが、「ドストエフスキー教」とでも呼ぶべきこのアンナの母性的信仰はその後も揺らぐことはありませんでした。賭博についても、夫の精神安定のための必要悪とみなし、「気晴らし」に行ってくるようすすめることもあったぐらいでした。

 二人は、ヴィースバーデンで「嵐のような」5週間を過ごした後、ジュネーブに落ち着き、その後、イタリアを回って、1871年、再び、ドレスデンに舞い戻ってきます。長年の外国生活で自分の才能が枯渇し、破滅に瀕していると気落ちするドストエフスキーにアンナは「運試し」を勧めます。妻のあきらめのまじった勧めによって、夫は喜び勇んでヴィースバーデンにでかけます。しかし、もちろん、賭博は惨めな結果に終わります。ドレスデンにいるアンナのもとに「お前の送ってくれた30ターレルを、そっくり負けたのだ」といつもながらの夫の手紙が届きます。「こんどこそこの妄想も永久に終わりをつげた。わたしは以前にもお前に当てて、永久に終わりをつげたと書いたが、今これを書きながら感じているような気持ちは、これまでかつて覚えたことがない。おお、今度こそわたしはあの悪夢に別れを告げた。もし今この瞬間、お前のことを案じる不安さえなかったら、わたしは神に祝福したいくらいだ。とんだ災難ではあったが、とにかく万事おさまったわけだからね…….今度こそわたしの両の手を解かれた思いだ。わたしは賭博で両手を縛られていたが、これからは仕事のことを考えて、これまでのように、夜っぴいてばくちのことなど空想しない」と、あいかわらずの、いいわけ混じりの虚しい誓いが書き連ねてありました。もちろん、アンナは真に受けなかったでしょう。

 ところが、奇跡が起きます。

 本当に、ドストエフスキーは賭博から足を洗ったのです。

 そして、これ以降、アンナは孫悟空を操るお釈迦様のように夫を「操る」ことができるようになります。ドストエフスキーのほうも、そこらあたりに数多転がっている亭主族のように、喜んで妻に操られるようになります。平安に満ちた家庭生活にどっぷり浸かることになったのです。後年、アンナに書き送った手紙の中でドストエフスキーは彼女が「いかなる女性にも勝り」「女王となって全王国を与えられて」も見事に取り仕切るだろうと大まじめで賞賛しています。

 話が前後しますが、ヴィースバーデンでの「嵐のような」5週間のあとバーゼルを経由してジュネーブに着いたドストエフスキーたちはユーゴー、ミル、ゲルツェン、バク−ニンたちが出席している「国際平和会議」に「ぶつかり」ました。「平和と自由」という旗印の下に開かれた国際会議で、自らが属する国の政体に反対しているということが唯一の参加資格という不思議な会合でした。ドストエフスキーは第2回会議に出席し、その印象をマイコフや姪のソーニャに罵詈雑言とともに書き送っています。「本の中でなく現実にはじめてお目にかかった社会主義者、革命家の五千の聴衆を前にした演壇上のほらふき、これは筆紙の及ぶところではありません!…….滑稽さ、薄弱さ、無意味さ、不一致、自己撞着、????これらは想像もできないくらいです!しかも、こうしたやくざな連中が、不幸な労働者たちを動揺させているのです!これは寂しいことです。彼らは手始めとして、地上の平和を獲得するためには、キリスト教を撲滅しなければならぬ、大きな国家をなくして、小さな国を作らなくてはならぬ、いっさいの資本を没収して、すべてを命令によって共有のものにすべし、等々を主張しています。これらはみんななんの証明もなく、20年も前から棒暗記したものが、そのまま残っているのです。が、おもなものは火と剣です。そして、すべてが滅ぼされたあとで、彼らの意見によれば、その時はじめて平和が訪れるというわけです。しかし、もうたくさんです」

「白痴」、娘の死、「悪霊」


 ジュネーブに着くと、前借りするたびごとにマイコフに空約束していた小説をこんどこそ書かなくてはならなくなります。「完全に美しい人間」ムイシュキン公爵を主人公とした異様な恋愛小説「白痴」の執筆がこうして開始されます。この頃、ドストエフスキーには望郷の念が押さえ切れないほど高まっていました。それを反映してか、小説は、てんかん治療を終えてスイスから戻ってくるムイシュキン公爵の描写から始まります。

 この間に、最初の娘、ソーニャが生まれます。赤ん坊のうぶ声が聞こえると、我をわすれ、ドストエフスキーは掛け金のかかった産室のドアに体当たりをかませました。助産婦は「ながい間この仕事をしてきたが、これほど興奮してとりみだした父親をみたことがない」と呆れかえりました。しかし、ソーニャは生後3か月に肺炎で死んでしまいます。マイコフ宛にドストエフスキーは悲痛な手紙を書き残しています。「あと2時間で死んでしまうとは夢にも知りませんでしたので、新聞を読みにでかけようとすると、彼女は小さな目でわたしを追い、じっとわたしを見つめたのです。今でもそれが目に焼きついて、いっそうありありと見えてきます。たとえ次の子が生まれるとしても、かわいがることができるどうか…….わたしはソーニャがほしい。あの子はもういない、自分はあの子にめぐり会うことができない。このことが納得できないのです」

 ソーニャの思い出の残るジュネーブは耐え難く、二人は同じジュネーブ湖畔の街ヴヴェーに移り住みます。その後、ミラノをとおってフィレンツェに腰を落ち着け、ここで「白痴」を完成させます。そして、ヴェニス、プラハに寄って、再び、ドレスデンに戻ってきます。ドレスデン滞在中、次女のリューボチカが誕生します。幸いなことに、この子は丈夫でした。ようやく、彼らの家庭は幸福で輝くようになります。妻に裏切られた男を喜劇風に描いた小説「永遠の夫」はそのような生活の中で執筆されました。

 ちょうど、この頃、モスクワ大学農学部にかよっているアンナの弟スニートキンがドレスデンにやってきました。スニートキンは、農学部で地下革命運動の蠢動があること、その運動にかかわっている友人の一人にイワノフという学生がいることをドストエフスキーに話してきかせました。ところが、その数ヶ月後、そのイワノフがモスクワ大学の裏庭の池に死体となって浮いているのを発見されます。過激な無政府主義者バクーニンとも関係のあるネチャーエフという学生が革命組織を大学に結成、その組織の一員であったイワノフを「密告と裏切り」の恐れがあるという嫌疑をかけ、他の学生をそそのかせ、殺させたのでした。ドストエフスキーはこの事件をヒントに、革命運動を痛烈に皮肉った小説「悪霊」を執筆します。

帰郷


 1871年夏、ようやく、夫婦はペテルブルグに戻ります。そして、すぐに長男が生まれました。相変わらず、借金だらけでしたが、アンナの才覚で、ドストエフスキーはしだいに経済的困窮から抜けだします。

 ちょうど、ネチャーエフの裁判が始まったこともあって「悪霊」は大変な評判を呼びました。アンナはこの「悪霊」を自費出版することをもくろみ、うまく成功を収めます。刷るそばから「悪霊」は売れていったのです。これ以後、アンナは同じ方法で夫の作品を自費出版し、安定した収入を確保することに成功します。

 一方、ドストエフスキーはメチュチェルスキー公爵という自称政治評論家が発行している雑誌「市民」の編集長の職につきます。給料は月250ルーブルで、執筆原稿にはさらに原稿料が支払われることになっていました。編集長就任後、彼はこの雑誌に社会政治評論を主体とするエッセイ「作家の日記」の連載を開始します。しかし、辛抱を強いられる編集長の職にしだいにドストエフスキーは耐えられなくなります。その上、メチュチェルスキー公爵とも意見が合わなくなり、結局、編集長の職を辞します。しかし、「作家の日記」は好評でしたので、アンナはこのエッセイを独立雑誌の形で定期的に発行することにしました。アンナに尻を叩かれながらドストエフスキーは奇跡的な勤勉さで規則正しく「作家の日記」を書き継ぎました。執筆内容が対トルコ戦争のさなかの愛国的雰囲気にマッチしたこともあって、この私的定期刊行物は部数を増やしていきました。印刷代以外、売上代金はすべて手元に残り、小説同様、「作家の日記」も相当の利益をもたらしました。こうして、彼の経済的基盤は徐々に安定していきました。これも、ネクラーソフが驚いたように、ドストエフスキーがアンナの「いいなり」になったおかげでした。

 末の息子アレキセイ(アリョーシャ)が3歳の時けいれん重積で亡くなるという不幸はありましたが、ロシア帰還後は、それ以前のことが嘘のように、平穏無事に時間が過ぎていきました。

 そうした中、彼の名声はしだいに高まっていきました。シベリア流刑の苦難を乗り越え、名作「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」を書き、いままた、「作家の日記」に時事的意見を忌憚なく述べるかれは「人生の教師」とみなされるようになりました。崇拝者たちが次から次へと家を訪れてきました。悩みを抱えてドストエフスキーの助言を求める手紙も数多く舞い込みました。そして、ドストエフスキーはそれらにいちいち懇切丁寧に返答の手紙を書き送りました。さらに、慈善事業の一環として自作を朗読するよう依頼されることもしばしばでした。そうした中、皇太子(のちの皇帝アレキサンドル三世)の家庭教師ポベドノスツェフ、皇帝の甥、コンスタンチーノヴィッチ大公などの要人たちとも知り合いになりました。しかし、「貧しき人々」で鮮烈なデビューをした青年時代と異なり、これらの栄光にのぼせることもありませんでした。

「カラマーゾフの兄弟」と最後の栄光


 一方、この頃、哲学者ソロヴィヨーフと知り合いになっています。ソロヴィヨーフはアンナと同世代のい哲学者で、無神論を容認する西欧諸国を糾弾、ロシアの歴史的使命は宗教的使命だと主張していました。ドストエフスキーはこの哲学者の連続講義を聴講、かれと連れだってオプチナ・プスティン修道院を訪れるほどに親密な仲になります。この修道院は歴代、有徳の長老を輩出して国民の尊崇を集め、あたかも巡礼のように多くの信者が全国から訪れてきていました。その「巡礼」の中にはゴーゴリやトルストイの姿がみられたこともあります。当時は、アンヴローシ神父が民衆の崇拝を一身に集めていました。ドストエフスキーとソロヴィヨーフもこの神父を訪ね、うまい具合にこの伝説的長老と語り合うことができました。この「巡礼」後、ドストエフスキーは新しい小説にとりかかります。父親殺しを軸として展開されるその壮大な宗教的叙事詩「カラマーゾフの兄弟」にはアンヴローシ神父がゾシマ長老として登場します。

 朗読はロシア文学において重要な位置を占めていました。意外かもしれませんが、ドストエフスキーは朗読の名人でした。朗読のみならず、人に語って聞かせることが得意で、かれの演説は人々を魅了しました。この得意技が彼の晩年をいちだんと輝かせることになります。死の前年の1880年6月8日、ドストエフスキーはロシア文学愛好者協会の記念大会でプーシキンについての演説をおこない、聴衆を熱狂させたのです。「真のロシア人なることは、ヨーロッパの矛盾に最終的な和解をもたらし、全人間的なおのれの魂の中に、ヨ−ロッパの悩みの捌け口をさし示し、同胞的な愛をもってすべての同胞をその中に収め入れ、すべての民族を、キリストの福音に示された掟によって完全に同胞として結合さす偉大な一般調和の言葉を発することを意味するのである!」とドストエフスキーは説きました。聴衆の熱狂ぶりは後々まで語り継がれるほど激烈なものでした。会場内は収拾がつかない混乱状態に陥り、気まずい仲にあったツルゲーネフでさえ昂奮してドスエフスキーの方に駆け寄ってきたほどでした。かれはこの発言が「有頂天な、誇張した、幻想的なものに聞こえるかもしれない」ことを自覚していました。しかし、演説内容が印刷され、それを読んだグラドーフスキーたちに、おめでたい楽観主義と揶揄されると、やはり、頭にきて、猛然と反論します。かれは、正義を掲げて無数の人間をギロチン台に追いやった「先進的」ヨーロッパ文明に危惧を表明します。「自由、平等、同胞愛、と書いてみたところでなんの意味があろう?…….この三つの言葉の上に、さらに第四の、しからんずんば死(という言葉)をつけ加えなければならない…….同胞的団結という「公民的制度」を獲得するために、同胞の首をちょん切りにでかけるのだ」と警告しました。そして、「総決算が行われる」にちがいないと予言します。「政治上の諸問題は、必ずや大がかりの、決定的な、総勘定的性質を帯びた、政治的戦争を招来しなければやまない。このあらゆるものを巻き込んでしまう戦争は、現世紀、おそらくはこの十年間に勃発するに相違ない」とまで断言したのです。第一次世界大戦は、この演説が行われた24年後に「勃発」します。また、ヒトラー、スターリン、毛沢東、クメール・ルージュなどの所業にみられるごとく、20世紀が「正義」の名の下に「同胞の首をちょん切」る大量殺戮の世紀であったことはご存じの通りです。


 悲劇的終末によって生涯を閉じた19世紀ロシアの文学者は少なくありません。

 些細な口論から決闘し、雷雨の中、銃弾を受けて26歳の生涯を閉じたレールモントフ、妻の浮気に端を発した決闘によって37歳の若さで死んだプーシキン、鬱病の中、断食を強いられ、42歳で餓死したゴーゴリ、家出同然にでた巡礼の旅の途上、名もないちいさな停車場で82歳の生涯を閉じたトルストイ。

 しかし、波乱に満ちた生涯とは裏腹に、ドストエフスキーは安らかに「畳の上」で死を迎えました。

 死因は生涯彼を苦しめたてんかんとは無関係で、肺出血でした。

 ペテルスグブルグに戻ってきて数年たった頃、ドストエフスキーは気管支炎と診断され、毎夏、ドイツのエムス鉱泉で療養するようになります。エムスからアンナに宛てた手紙の中には「痙攣性の咳」のことがしばしばでてきます。しかし、その後、肺気腫の合併を主治医から告げられます。長年にわたって気管支炎を繰り返していると、末梢細気管支壁と肺胞壁が破壊され、空気の通り道と肺胞が異常に拡大することがあります。これが肺気腫で、うまく呼吸ができなくなります。アンナの回想録にはドストエフスキーが相当数のたばこを吸っていたことが書かれていますから、過度の喫煙が原因で肺気腫にまで悪化したのかもしれません。ただし、当時のことですから、レントゲン写真で診断できたわけではありません。シベリアにおける重労働で珪肺に罹患していた可能性、肺ガンに冒されていた可能性もないとはいえません。いずれにしても、しばしば襲う呼吸困難から、かれは死期が近いことを予感するようになります。

 死の数日前、ドストエフスキーは喀血します。病変が血管に及び、破れた血管から血液が流れ出たのです。喀血後、いったんは小康状態を得、主治医も肺の血管を「血液の糊」が蔽ったので大丈夫だろうと請けあいます。しかし、結局、喀血が再発、呼吸状態が悪化します。

 1881年1月28日、死の当日の朝、目覚めたドストエフスキーは妻のアンナに「今日は死ぬだろうな」と力なく呟きました。そして、聖書占いをしました(「ドストエフスキー」江川卓 岩波新書)。聖書を適当にめくり、開かれたページの最初に現れたイエスの言葉で運勢を占うのです。力ない手で開かれたページはマタイ福音書3章14節から始まっていました。イエスがヨハネの洗礼をうける場面です。

 「14ヨハネ、イエスを止めて言いけるは、われこそ汝より洗礼を受くべきなるに、なんぞ汝の我に来たれるや?15されどイエス、答えて彼に言う、いまはとどむるなかれ、けだしわれら…….」

 ここまで聞いて、ドストエフスキーはアンナが聖書を読むのを制し、つぶやきました。

 「いまはとどむるなかれ…….つまり、わたしは死ぬということだ」

 このとき使われた聖書はシベリア流刑途上ヴィージナ夫人から贈られ、オムスク監獄の枕元でドストエフスキーと寝起きをともにした1823年版ロシア語訳聖書でした。自分のほうこそイエスの洗礼を受けるべきであるのに、イエスに洗礼など施せないと逡巡するヨハネに、いまはともかくも洗礼を施して欲しい、とイエスが頼んでいる場面です。しかし、ロシア語訳聖書のこの箇所は誤訳だったと江川卓氏は指摘しています。イエスの言葉「いまはとどむるなかれ」は、正しくは、「まあ、いまはそんなことをいわずに」とでも訳すべきだったというのです。実際、のちのロシア語訳ではそのように訂正されたそうです*。しかし、このときのドストエフスキーはそんなことを知るよしもありません。そして、午後8時過ぎ、呼吸状態が悪化して意識を失い、誤訳されたイエスの言葉に黙って従うかのように、永眠しました。59歳でした。

* ただし、日本語の聖書でも、たとえば、フランシスコ会聖書研究所訳註版「新約聖書」などでは「今は、止めないで下さい」となっています。しかし、英語では“Allow it now”ですから、これはたしかに「いまはとどむるなかれ」ではなく「いまだけは許されよ」ということになるでしょう。

ドストエフスキーのてんかん発作


 ドストエフスキーの生涯を見渡したとき、何よりも驚かされるのは、その恐るべき生命力、精神力です。ペトラシェーフスキー事件では、処刑劇と監獄生活によって、多くの仲間が発狂したり廃人同然になったりしています。しかし、ドストエフスキーはそれらを乗り越え、出獄後、旺盛な執筆活動を開始します。しかも、その執筆活動は、借金の返済に追われ、ルーレットに狂い、錯綜する女性関係をくぐり抜けていく中でおこなわれました。さらに、てんかん発作によってその生活は何度となく寸断されました。にもかかわらず、膨大な量の傑作小説群、評論、日記、手紙を書き残したのです。ドストエフスキー自身もこのねばり強い「猫のような生活力」を誇っていたことは以前述べたとおりです。

発症


 そのドストエフスキーのてんかん発作です。

 ドストエフスキーのてんかん発症時期に関してはさまざまな説がありますが、目撃者によってはっきり記載されているのは、1846年、ドストエフスキー25歳の年です。前年、ベリンスキーによって激賞された小説「貧しき人々」が「ペテルブルグ文集」に掲載され、小説家として彼の名前が一般にも知られるようになった頃です。

 目撃者は友人作家グリゴローヴィッチです。

 「ある時連れだってトロイツキー横町を通りかかると、葬列に出くわした。彼はくるりと引き返そうとしたが、私たちが何歩も行かぬうちに、たちまち発作を起こした。発作はあまりにもひどかったので、とおりがかりの人の手を借りて、最寄りの牛乳店へ運ばなければならなかった。意識はようやく回復したが、こういう発作のあとでは、いつもうちひしがれたようになって、いつも二日か三日は続くのだった」(「文学的回想録」(コンスタンチン・モチューリスキー著松下裕・松下恭子訳「評伝ドストエフスキー」から引用))。

 グリゴローヴィッチは、この文章の直前に「根をつめた仕事と、閉じこもって座り続けていることが、かれの健康にきわめて悪く影響した。それは、まだ若い頃、学校時分に何度かおそわれた病気も悪化させた。めずらしく二人で散歩しているとき、何度か発作が起こった」(同上)とも書いています。グリゴローヴィッチはドストエフスキーと工兵学校の同窓ですから、この25歳の時の記載以前、工兵学校にいた16歳から22歳の間にすでにてんかん発作があったのかもしれません。しかし、10代後半にドフトエフスキーがてんかんを発症していたのかどうか、これ以上究明する手だてはありません。このため、ドストエフスキーのてんかん発症年齢を正確に確定することはできません。しかし、いずれにしても、ドストエフスキーが思春期から青年期にかけててんかん発作を経験していたことだけはたしかです。

 さらには、7歳の時、最初のてんかん発作があったと書いている伝記作家もいます。しかし、この「7歳発症説」の根拠はよくわかりません。

 ドストエフスキーの最初の伝記を書いたミラーは「ドストエフスキーの病気と少年時代に両親に起きたきわめて不愉快な事件を結びつけることは伝説と化していた。このことはドストエフスキーの家族から直接聞いたことで、充分信頼がおけるのであるが、具体的にそれが何をさすのかをここで公表することはできない」と書いているそうです。原著を確認できないので、詳細は不明ですが、この「伝説」はもう一人の伝記作家グロスマンも2番目の妻アンナから直接聞いているとのことです。彼女も、やはり伝説の具体的中身を公表することを拒んだそうです。

 もしかしたら、この不愉快な事件というのは父親殺害事件のことかもしれません。しかし、もしそうだとすれば、ミラーのいう「少年時代」というのはドストエフスキー18歳の時のこととなり、7歳てんかん発症説とは無関係ということになります。18歳の時、はじめててんかん発作が起きということであれば、これは、グリゴローヴィッチの記載とほぼ一致します。

 一方、ミラーが書いているように父親の殺害事件がてんかん発症の原因となったという根強い伝説説あるようです。たしかに、父親の殺害事件のショックがてんかん発作の誘因となったことはあるかもしれません。しかし、それがてんかん発症の病因になることは、もちろん、ありません。ヒステリーなどの神経症とちがい、心因性の負荷が脳に繰り返し異常放電を引き起こす機能異常をもたらすことはないからです。

 ドストエフスキーのてんかん発症年齢がはっきりしないのはドストエフスキー自身にも原因がありそうです。はっきりした「痙攣性」発作が何度もみられるようになるまで、かれは自分の発作をてんかん発作と認めようとしなかったからです。ドストエフスキーが自分の病気をてんかんと渋々ながらも認めたのはずいぶん後になってからです。第7シベリア旅団の軍医エルマコフ大佐はドストエフキーが1850年(29歳の時)に「はじめて」てんかん発作を起こしたと書いていますが、これはドストエフスキーから聞いた病歴を基にした記載だろうと思われます。また、ソフィア・コバレフスカヤも流刑が終わりに近づいた頃、最初のてんかん発作があった、とドストエフスキー本人から聞いているようです。さらに、オムスクの軍病院の医師トロイキーもドストエフスキーがシベリアでてんかん発作を発症したと言っています。いずれもグリゴローヴィッチの記載年齢よりずっとのちの発症ということになります。

 しかし、その30歳前半の時点でも、ドストエフスキーがてんかんの診断を受け入れていたかどうか怪しいのです。

 ドストエフスキーのてんかんの診断が公式な記録に残っているのは36歳の時、最初の結婚直後です。激しい発作を何回も繰り返し、その時診察したエルマコフ大佐は「まぎれもないてんかん」と診断しました。それまでかかった「すべて」の医者は、単なる神経性の発作だから暮らし向きが変われば発作もおさまるだろうと請け合ってくれていたのに、どうしたことだ、てんかんと分かっていれば結婚などしなかったのに、とドストエフスキーは兄への手紙で愚痴っています。一生を通じて、てんかんが軽快することがなかったため無理もないですが、ドストエフスキーは、どの医者にも不信感を抱き、何人もの医者を渡り歩いています。心の安静を保つためにこのときまで、てんかんではないといってくれる医者を捜し求め、いろいろな医者にかかっていたのかもしれません。

発作症状


 グリゴローヴィッチがドストエフスキーのてんかん発作を記載している25歳の年、もう1人の友人がドストエフスキーの発作を目撃しています。知人宅のパーティーで、突然、奇妙な顔つきをして恐怖に襲われたような目つきになった、というのです。そうした状態が数分続いた後、かれは虚ろな声で「俺は今どこにいるんだ」と呟き、外気を求めるように窓に駆け寄りました。窓台に座ったドストエフスキーの顔はゆがみ、頭は一方に傾き、身体全体がふるえはじめました。知人がびしょ濡れになるまで冷水で冷やしましたが、ちんと意識を回復しないまま、ドストエフスキーは通りにかけだしていきました。

 同じ年、1846年にドストエフスキーは医師ヤノスキーの診察を受けています。

 ヤノスキーは、1847年から1849年の3年間に3回ドストエフスキーの発作を目撃しています。

 一回目は1847年7月、場所は聖イザーク通りです。ドストエフスキーは帽子もかぶらず、通りがかりの役人の腕を握りしめていました。コートとチョッキのボタンは外れたままで、アスコットタイも緩んでいました。「死にそうだ」と叫びながらドストエフスキーはヤノスキーの助けを求めました。心拍数が100を越え、頻脈になっていました。やがて、投げ出すように頭を後屈させ、けいれん様の震えが始まりました。ヤノスキーはドストエフスキーを家に連れ帰り、瀉血を施しました。

 翌年、こんどは睡眠中にけいれんを起こします。ベリンスキーの死で精神的に不安定になっていたドストエフスキーに頼まれ、ヤノスキーはドストエフスキーの隣りの部屋で寝てあげました。すると、夜中の3時、イビキのような激しい呼吸音が隣室から聞こえてきました。みると、ドストエフスキーが仰向けに倒れ、目を見開き、口から泡を吹き、舌を突き出し、けいれんしていました。

 さらに、翌年の初春の夜更け、発作が起こりそうだと助けを求め、ドストエフスキーがヤノフスキーのところにやってきました。

 ヤノフスキーはドストエフスキーにはこのような「軽い発作」も数多くみられたと書き残しています。

 ドストエフスキーがてんかん発作を繰り返し起こしていることは、もちろん、ヤノフスキーはわかっていたはずです。そして、おそらく、そのことをドストエフスキーに告げていたでしょう。しかし、ドストエフスキーはその診断に納得しなかったようです。当時、かれは自分の発作を「微風をともなう発作coups de sang par rafales」と呼んでいました。ラテン語のaura(前兆)はもともと微風を意味しますから、かれの この表現は意味深長です。しかし、医学書を読みあさって、ある程度医学知識があったはずのドストエフスキーですが、当時は、てんかんという言葉を一度も使っていません。ですから、20歳代半ばの時点では、てんかんと認識していなかった(もしくは、認識したくなかった)と思われます。しかし、1857年、36歳の年にウランゲル男爵に宛てた手紙でドストエフスキーはヤノフスキーがドストエフスキーの病気が真性てんかんだと診断したと書いています。ですから、いずれかの時点で、ドストエフスキーはヤノフスキーの診断を受け入れるようになったものと思われます。

シベリア流刑後のてんかん発作


 秘密警察に逮捕されてペトロバーヴロフスカヤ要塞監獄に監禁され、その後シベリアの流刑地オムスクの監獄に収容されていたため、ヤノフスキーが書いている3年間の発作以降、しばらく、ドストエフスキーの発作についての情報は途切れます。ただ、オムスクの要塞監獄で何度も発作を起こしたことだけはたしかなようです。

 吹雪に埋まったオムスクの街の救助に囚人たちがかり出された日のことをドストエフスキーと同じ獄舎にいたポーランド人政治犯トカルジェーフスキーが手記に書き残しています(米山正夫 「ドストエーフスキイ研究 生涯」河出書房新社)。「人力を越える苦しい昼間の労働でへとへとになって」帰ってきてから、突然、ドストエフスキーが「目の前が暗くなった、力が出ない」と訴えたあと、床に倒れ、前後不覚に陥ったというのです。ただし、その後、ドストエフスキーは肺炎で監獄付属病院に入れられたということですから、このエピソードがてんかん発作によるものか、肺炎にともなう呼吸障害や発熱に起因する意識障害かはわかりません。

 てんかん発作の詳細な記録が再び現れるのは約10年後の1857年、最初の結婚を未亡人マリヤ・ドミートリエヴナとした年です。先ほども申しましたように、結婚後ドストエフスキーはひどい発作を繰り返し、第7シベリア旅団の軍医エルマコフ大佐に診てもらっています。この軍医による12月16日付の公式記録には次のうに記されており、これが、ドストエフスキーのてんかんを記載した最初の公式文書です。

 「35歳前後の中肉中背の男性。1850年(29歳)にはじめててんかん発作におそわれた。発作は、突然の叫声、意識消失、四肢と顔面の痙攣からなり、唇から泡を吹く。いびき様の呼吸がみられ、微弱化した頻脈をみとめる。発作持続は15分で、その後、ぐったりする。1853(32歳)年に再び発作がみられ、その後は月末になるとみられるようになった」

 6年後、友人のストラーホフもドストエフスキーの発作を目撃しています。

 「一瞬、言葉を探し求め、何かを要求するかのように彼は動きを止めた。わたしは彼に注目した。何かとてつもないことでも喋りはじめるのではないかと期待したのだ。しかし、半ば開いた口から飛び出てきたのは奇妙な雑音めいた音声だった。彼は意識を失って部屋の真ん中で倒れた…….身体を硬直させ、けいれんし口から泡を吹いた」

 最初の結婚から10年後、アンナ・グリゴーリエヴナと2度目の結婚をした直後、またもや、発作が頻発します。

 「…….フョードル・ミハイロヴィッチは殊のほか元気で、姉とたのしそうに何か話していた。すると突然、何か言いかけて、真っ青になったかと思うと、ソファから身体を浮かすようにして私の方にもたれかけてきた。すっかり変わってしまったその顔つきをみて、私はぎょっとした。急に、おそろしい、人間のものとは思われぬ叫びが、というより悲鳴がひびきわたって、彼は前にたおれはじめた…….私は彼の肩を抱きかかえ、力を込めて長椅子に掛けさせた。だが無感覚になった体は長椅子からずりおちて、私の力ではどうしようもなかった…….少しずつ、けいれんがおさまると、彼は意識をとりもどしはじめた。だが、初めのうち、自分がどこにいるのかわからず、口もきけなかった。たえず何か言おうとしたが、ろれつがまわらず、何を言っているのか聞き取れなかった。(「回想のドストエフスキー」アンナ・ドストエフスカヤ 松下裕訳)」

 このときは、数時間後に再び発作が起きています。

発作頻度、発作時刻


 その後も、肺出血で死亡する直前までドストエフスキーは少なくとも35年間、途切れることなくてんかん発作を起こしました。この間、「虐げられし人々」を執筆していた1861年には、けいれん重積とみまがう長い痙攣を経験していますし、「悪霊」を執筆していた50歳前後には相当頻繁に発作がみられたようです。ストラーホフによれば、ドストエフスキーのてんかん発作は週2回起きることもあれば、4カ月間発作がないときもあったということです。平均すると月に一回程度の頻度になります。しかし、まれには、再婚当時のように日に2回頻発することもあったわけです。

 寝ているときよりも起きているときのほうが他人に目撃されやすいので、記録に残っているドストエフスキーの発作症状はほとんどが覚醒時のものです。しかし、実際には睡眠時の発作のほうが圧倒的に多かったようです。このことはアンナも書いていますし、ドストエフスキー本人も1869年9月14日の日記に「ほとんどすべての発作はベッドに横たわっているときに起きる。睡眠の前半部分で、だいたい朝4時前後だ」と書いています。アンリ・ガストーは5年間におきた26回の発作を検討しています。それによれば、26回中25回の発作は夜に起きていました。この25回の夜間発作のうち23回は寝入ってから30分から4時間たった睡眠中に起き、睡眠途中に目を覚まして発作が起きたのは2回だけでした。ただし、睡眠中の発作といっても、ドストエフスキーは夜中遅くまで仕事をして、寝入るのは夜明けの4時から5時ということがよくありましたから、本人が書いているように発作自体は早朝に起きていたことになります。

発作後症状


 てんかん発作は発作後もドストエフスキーを苦しめました。

 発作が終わると、眠ってしまうことが多かったようです。しかし、睡眠に至らず、中途半端に意識が戻ってしまって、発作後自動症と呼ばれるおかしな動作を繰り返すこともありました。発作がおさまったのち、知らないうちに、たばこの葉を紙で丸めて紙巻きたばこを作っていたことがある、と自ら書いています。25歳で発作が起きたとき、人を振り切って駈けだしたというのも、いわゆる遁走発作だったのかもしれませんが、発作後自動症だった可能性もあります。

 充分意識が戻ってからも、頭が働かず、何日もぼんやりと過ごすことがありました。グリゴローヴィッチもいっているように「発作のあとでは、いつもうちひしがれたようになって」、そういう状態は「いつも二日か三日は続」き、まともな状態に戻るのに最低一週間ぐらいはかかったようです。2番目の妻アンナも新婚直後の発作のあとで「発作の後でいつも続く押しつぶされるような憂愁が、その時は一週間にもわたったのである」と書いています。そして「『自分に一番親しい人を亡くしたような、誰かを埋葬したような気分だ』これはかれがその容態を説明するのに用いた言葉である」と補足しています。ひどいときには発作後1カ月ぐらい原稿が一行も書けないときもあったようです。そのために、雑誌編集者に原稿の遅れを弁解しなければならないこともありました。

 記憶減退も彼を苦しめました。

 てんかん発作がなかった頃は、見たもの、聞いたもの、読んだものを、すべて、どんな些細なことでも、詳細に思い出すことができたのに、てんかん発作が起きるようになってからは、ありとあらゆることを忘れ、よく見知っているはずの人のことさえ忘れてしまうようになった、とかれは愚痴っています。

 ロシアの天才ピアニスト、スヴィアトゥラフ・リヒテルは演奏旅行で訪れた街で紹介された人物の名前をすべて覚えていたそうです。街の名前を聞くとそうした名前が「数珠つなぎになって思いだされ、息苦しくなってしまう」とあるドキュメンタリー番組で語っています。ドストエフスキーもリヒテル同様、そのような異様な記憶力を若い頃はもっていたのかもしれません。しかし、その抜群の記憶力も、てんかん発作を繰り返すうちに減退していったようです。発作頻度が高かった「悪霊」執筆時はとくにこれがひどく、自分が作り出した登場人物の名前さえ忘れてしまって、最初から読み直さなければならないほどでした。アンナとの婚約当時も「虐げられし人々」の登場人物のことをアンナが1人1人論評したのに対し、ドストエフスキーは「よく覚えていない」と答えています。「罪と罰」と「賭博者」を脱稿し終えた直後のことで、この2作に異常な集中をしたあとだったせいかもしれませんが、それにしても、数年前に書いた小説の人物のことを忘れてしまっているのは、ちょっと異常です。

19世紀ヨーロッパ臨床神経学


 てんかんに対しドストエフスキーがどんな治療をうけていたのか、記録が残っておらず、よくわかりません。おそらく、さまざまな「治療」をうけていたでしょう。しかし、かれが生きていた時代、効果的な抗てんかん薬はブロムに以外なく、発作を消失させる方法は皆無に近い状態でした。ですから、かれがうけた「治療」の大半は効果を示さなかったはずです。「治療」について記録が残っていないのはそのせいもあるかもしれません。

 ドストエフスキーが受けたであろうてんかん「治療」を推測するためには、当時の医学状況を概観しておく必要がありそうです。

 かれが生きていた十九世紀は、てんかんも含む神経疾患への理解が深まり、臨床神経学が先進西欧諸国において花開いた時代でした。

 フランスではドゥシャンヌが電流によって筋肉が収縮することを発見、電気神経生理学の開拓者となりました。かれは進行性筋ジストロフィー(ドゥシャンヌ型進行性筋ジストロフィー)にその名をとどめています。また、シャルコーも鋭い臨床観察によって筋萎縮性側索硬化症をはじめとするさまざまな神経疾患について業績を残し、その臨床講義集「神経系疾患講義」は後々まで世界中の臨床神経科医のバイブルとなりました。かれが勤めていたパリのサルペトリエール病院は臨床神経学のメッカとなり、マリー、バビンスキーなど名だたる臨床神経学者がシャルコーの後に続いています。オーストリアのジークムント・フロイトもシャルコーのもとで研鑽を積み、催眠術のヒステリー治療への応用を学び、これがのちに精神分析学へと開花することになります。また、ドストエフスキーと同時代、パリには「医学臨床講義集」の著者として有名な卓抜な臨床家トルーソーもいて、彼の名前は低カルシウムの患者にみられる特徴的な手の症状、トルーソー徴候に残っています。一方、ドイツにはロンベルグ徴候(脊髄病変の有無を調べる神経徴候で、もともとは晩期梅毒合併症である脊髄癆の診断に用いられました)に名が残るロンベルグ、電気神経生理学の大家エルブ、膝蓋腱反射の有用性に着目した慧眼の精神科医ウェストファールらがいました。

 しかし、ドストエフキーが活躍した19世紀後半、近代てんかん学の基礎を築いたのはイギリスのジャクソンとガワーズでした。

 ロンドン病院のジャクソンは失語症の研究を通して臨床症状と大脳局在との関連に注目するようになります。そして、てんかん発作も大脳局在論で説明可能であると確信「てんかんとは灰白質の偶発的、突発的、過剰性、急速性、局在性発射に名づけられたものである」という、近代てんかん学の扉を開く定義を提唱します。一方、筋ジストロフィーの患者さんにみられる、膝に手をおいて立ち上がろうとする徴候、ガワーズ徴候で有名なガワーズは、筋疾患のみならず、てんかんについても多くの業績を残し、1881年に出版された「てんかん及びの他の慢性痙攣性疾患」は後々までてんかん学の分野で大きな影響を与えました。

臭化カリウム(ブロム)


 このようにてんかんの病態に関する理解は、この時期、飛躍的に深まっていました。しかし、治療にかんしては旧態依然たる状態が続いていました。一般に、病態解明から有効な治療法に至る道は険しく、その開発には長い年月と「僥倖」を要します。そのことは、たとえば、パスツールやコッホが細菌学を創始してからペニシリンの発見までに半世紀以上かかり、しかも、培養実験の失敗がペニシリン発見のきっかけになったことからもお分かり頂けると思います。

 てんかんも同様でした。

 18世紀初頭、サルペトリエール病院で近代精神医学の基礎をうち建てたエスキロールは30名のてんかん患者にさまざまな治療を試み、その有効性を報告しています。その治療とは瀉血、下剤投与、入浴、焼灼術、そしてさまざまな薬物療法でした。どの治療によっても、数週間から数ヶ月、発作が消失しましたが、最終的にはいずれの「治療」によって場合も発作が再発、持続的な効果がみられた治療法は一つもありませんでした。発作が止まったといっても、おそらくは、暗示効果、いまでいうPlacebo(偽薬)効果が少なからず寄与していたのでしょう。そして、エスキロールがおこなった「治療」の中で、現在もてんかんの治療として行われているものはありません。

 ドフトエフスキーが40代半ばであった1866年、てんかんの「薬物療法」に失望したある著明なアメリカ人医学者は、てんかん罹患者には「自然治癒力」に縋りつくよう説得するしかないと書いています(Friedlander WJ The History of Modern Epilepsy)。

 ところが、1857年、ロンドンではてんかん治療の流れを大きく変える発表が行われていました。ある医師がアンチモン、ジギタリス、硝酸銀で治療した52名のてんかん患者の治療成績を発表した際、これに対するコメントとして、産婦人科医のチャールズ・ロコックが驚くべき治療成績を報告したのです。月経期に増悪するヒステリー性てんかん女性15名に臭化カリウム(臭化カリウムは英語でBromideといい、日本ではブロムと呼ばれることも多いので、以下、これに従います)を投与し、14名でうまく発作をコントロールできたというのです。

 ただし、ロコックは抗てんかん作用を期待してブロムを使ったわけではありません。当時、どういうわけか、セックスとてんかんの間に強い関連があると信じられていました。とくに、マスターベーション、オナニーなどの自慰行為はてんかんを含めた精神疾患の重要な原因の一つとみなされていました。自慰行為によって血液が脳に貯まり鬱血する(もしくは、逆に、血液が脳から流れて虚血になる)のがいけないというのです。このため、てんかんを含めた精神疾患の治療として去勢術や割礼までもが大まじめに議論され、実際におこなわれていたのです。シーヴキングへのコメントの際にもロコックは、オナニーがしばしばてんかんの原因となっており、そうした症例は増加傾向にあるにもかかわらず見過ごされていると「警告」しています。

 そこで、「性欲抑制剤」ブロムを使ってみたのです。

 ロコックがブロムを使う「根拠」となったのは、ブロム10粒を1日3回服用して一時的に不能になった男性がいるというドイツからの報告でした。この論文を読んで、月経期にヒステリーてんかんの発作を起こす女性にブロムを投与して性欲を減退できれば、てんかん発作を押さえられるかもしれないとロコックは考えました。そして、臭化カリウムを試み、性欲とはまったく無関係の驚くべき抗てんかん作用を発見したわけです。ペニシリンの例にみられるように、医学も含めた科学の歴史においては、偶然が新発見に重要な役割を果たすことがあります。スコットはこれを「カジノ要因」と呼んでいますが、ブロムの抗てんかん作用の発見は、その典型例でした(D.F. Scott The history of epileptic therapy)。「理由づけは間違っていても結果は正しかった」のです。

 ロコックはその後ブロムとてんかんについての論文は書いていません。しかし、1861年にラドクリフが出版した痙攣に関する書物には「てんかんをもつ人々はロコック卿の名前を感謝の気持ちをもって思いだすべきだ」と書かれています。ラドクリフはロコック同様、ブロムをてんかん患者に試み、従来の「治療薬」とは雲泥の差の抗てんかん作用を確認したのです。その後、ブロムはイギリスの医学界において徐々に使われるようになりました。ジャクソンのてんかんに関する業績にもブロム治療の経験が相当寄与しているといわれています。ドストエフスキーが死んだ1881年に出版されたガワーズの「てんかん及びその他の慢性痙攣性疾患」には、ブロムが従来のてんかん治療法を駆逐したと記されています。

 しかし、どうやら、イギリス以外の国でブロム治療が一般的になるのはこのガワーズの書物出版以降のことのようです。フランスでもブロムの効果が一般に認識されるようになったようで、1888年冬、画家のゴッホが前後不覚に陥り、みずからの耳朶を切り落としてアルルの病院に担ぎ込まれたときには、「てんかん」の診断のもと、主治医のフェリックス・レーがブロムを処方しています。

 しかし、ブロムの効果が世界中の国々で知られるようになるまでには、いまでは考えられないぐらいの時間を要しました。そのことは、さきほどのアメリカの医学者の嘆きからも推し量ることが出来ます。残念ながら、ドストエフスキーが生きている時代、ブロムによるてんかん治療はロシアでは一般的ではなかったようです。ですから、ドストエフスキーはブロムの恩恵を受けることはできなかったのです。ドストエフスキーは「ブロム以前」のてんかん治療を受けざるをえませんでした。

 それがどんなものであったのか、よくわかりません。ヤノフスキーによって瀉血を施されていたことは、前に述べたとおりです。さすがに、去勢術は受けていなかったでしょうが、割礼はどうなのでしょう。下剤、アンチモン、ジギタリス、硝酸銀などは勧められて飲んだかもしれません。また、夏になると毎年のようにドイツのエムス鉱泉で療養していたのも、一つには、「てんかん治療」としての入浴を勧められたのかもしれません。

 しかし、ことごとく発作抑制には無力で、おそらく、そのたびにドストエフスキーは失望したことでしょう。

 ロシアが好きで、海外旅行に出るとすぐに望郷の念に駆られていたドストエフスキーが3度も西欧諸国に旅立った目的の一つも「てんかん治療」だったようです。どういうわけか、ロシアで頻発していたてんかん発作が、海外旅行にでると、ウソのように頻度を減じたからです(海外生活の緊張がてんかん発作を起こしにくくしたのかもしれません。ちなみに、「白痴」の主人公ムイシュキン公爵も「国外の」スイスでてんかんが「軽快」してロシアに戻って来るという設定になっています。また、海外旅行の際には、ドイツやフランスで名だたる医者にかかろうともしています。スースロワとの旅行を計画していた1863年6月17日、ツルゲーネフにあてた手紙でドストエフスキーは次のように書いています。「小生は癲癇を病んでいまして、それがしだいに募っていくので、絶望に陥っているくらいです。どうかすると発作のあとで、二週間も三週間も、ご想像できないような憂愁におそわれるのです!実のところ、小生はできるだけ近いうちに、ベルリンとパリに向けて出発します。それはただただ癲癇の専門医の診察を受けるためなのです(パリではトルーソー、ベルリンではロンベルグ)。ロシアには専門医がおりません。小生は当地の医者たちから、互いに矛盾撞着した診断を与えられるので、彼らに対してまったく信頼を失ったほどです」

 ドストエフスキーが臨床神経学史上の巨人たちの診察を受けることができたかどうか、わかりません。しかし、もし、受診できたとしても、有効な抗てんかん薬のないこの時代、ドストエフスキーが医者に対する不信を払拭することはなかったでしょう。実際、ある時期を境に、ドストエフスキーはてんかんを不治の病と達観、てんかんに関しては、いかなる医者にもかからなくなってしまったようです。

ブロム中毒


 さらに、万が一、ブロムが手に入ったとしても、それで、ドストエフスキーが満足したかどうかもわかりません。

 ブロムはあまりにも副作用が強いからです。

 ロコックの報告から13年後の1874年の時点で、すでにウイリアム・ハモンドはブロム中毒Broismを報告してり、「この男性の患者の姿形はとんでもないことになっている。首には巨大な膿瘍がみられ、まったくひどい状態にある。しかし、それでも、てんかん発作よりはましだ」とのべています。ブロム中毒は加齢ともに増えることが知られていますから、もし服用していればドストエフスキーがブロムの副作用に悩まされた可能性は高かったと思われます。ブロムは血液の濃度がある一定水準を超えると副作用が多発することが知られています。このため、今は血液濃度を指標に慎重に服用して頂いていますが、当時は血液濃度を測定する技術がまだありません。ドストエフスキーが副作用を訴えたところで、「てんかん発作よりはまし」と服用することを勧められたことでしょう。「怒りの閾値」が低かったドストエフスキーのこと、激怒し、すぐ服用をやめてしまったかもしれません。

 気力喪失、易疲労性、集中力低下、食欲減退、集中力や記憶力の低下などはブロムの副作用として「まだ軽い」ほうで、ひどくなると、落ち着きをなくし、ひどい頭痛に襲われ、眠れなくなります。周りの状況がわからなくなって、鬱状態となり、記憶力が失われ、幻覚に悩まされ、痴呆状態になることもあります。これに加えハモンドがいうようなニキビ、膿瘍などの皮膚の症状が顔を中心に全身に現れ、粘膜は乾き、舌はカサカサになって舌苔がべっとりと付き、腸閉塞をきたすようなひどい便秘になることもあります。

 これほどひどい副作用があるために、20世紀前半、より副作用の少ないフェノバルビタール、フェニトインなどの抗てんかん薬が商品化されると、ブロムはほとんど使われなくなります。実際、フェノバルビタールの有効性が報告された1912年当時、「てんかんを治癒させる薬を見つけだす試みは破綻した。てんかんの治療を求めて患者がやってくると医者は無力感に苛まされる」と書いている研究者もいるぐらいです。てんかん発作抑制にある程度有効であっても、その副作用ゆえに、ブロムが「実用的」ではないという認識がフェノバルビタール登場以前に広まっていたことが窺われます。しかし、最近になって、ブロムはわずかに見直されています。これは、先ほど述べたように、血中濃度をモニターしながら比較的安全に使えるようになってきたからです。現存のてんかん薬では押さえきれないてんかん発作、とくに、重症乳児ミオクロニーてんかんといった悪性難治てんかんの全身痙攣コントロールのために、まれに使用されることがあります。さらに、フェノバルビタールなどの通常の抗てんかん薬ではひどい副作用がでる間歇性ポルフィリアがある患者さんのてんかん発作に対しては唯一安全な抗てんかん薬です。

鑑別診断


 薬で8割近くが発作をコントロールできるということもあって、現在、てんかん外来にみえる患者さんで、ドストエフスキーほどたくさんの詳細な(そして、抗てんかん薬で修飾されていない「純粋な」)発作症状を聴取できる機会はそれほど多くありません。

 これほど多くの詳細な病歴が得られれば、ドストエフスキーがてんかんだと確信をもって診断できます。記録に残っている症状はてんかん発作以外考えられませんし、てんかん発作と考えて、臨床上、何の矛盾もないからです。ドストエフスキーは脳波検査が可能となる前の19世紀の人間ですから脳波所見は不明です。しかし、前にも述べましたように、脳波は補助診断にすぎません。これだけ病歴上の証拠がそろえば、ドストエフスキーがてんかんを有していたのは確定的といっていいでしょう。

 (ただし、ドストエススキーはてんかんなどではなかったと主張する人もいます。その代表格は、精神分析の創始者フロイトです。ドフトエフスキーはてんかんではなくヒステリーを有していたのだというのが、かれの診たてです。てんかん発作とみえるものは、エディプス・コンプレックスに基づく自己懲罰の現れにすぎない、というのです。「ドストエフスキーは自分がてんかんだといっており、他人からもそうみられていた。意識消失、筋硬直と、それに続く、虚脱がみられる激しい発作を起こしたからである。しかし、かれのてんかん発作は神経症の一症状にすぎず、診断としては、「ヒステリー・てんかん」というヒステリーの中でも重篤な一病型の可能性が高い」とフロイトは主張しました。シェテファン・ツヴァイクへの手紙の中で「てんかんは精神的素性とは無関係の器質性脳疾患であり、通常、知的退行、知的崩壊を伴うものです」と書いていますから、フランスに留学したフロイトにとっても、てんかんの概念はその程度のものだったのかもしれません。もちろん、現在ではまったく受け入れがたいい説です)

 てんかん発作があったのは間違いないとして、つぎに問題となるのは、ドストエフスキーがどんな発作型をもっていて、どのようなてんかんを有していたか(つまり、どのような原因(病因)によるどのようなてんかん発作がみられていたのか)という点です。

 発作型は、前に述べましたように、部分発作および部分発作の二次性全般化を考えるのが一番自然です。

 上に述べた、妻、友人、医師による発作の記録はドストエフスキーが運動性痙攣発作(たぶん強直間代発作でしょうが、運動症状が主体の複雑部分発作で終わることもあったかもしれません)がみられていたこと、しかし、覚醒時に発作がおきた場合には何らかの症状(前兆)が運動性痙攣発作に先行していたことを示しています。実際、ドストエフスキーが自分の発作を「微風をともなう発作coups de sang par rafales」と呼んでいたことは前に述べたとおりです。前兆だけで終わるような発作もあったのかもしれません。前兆は単純部分発作ですから、ドストエフスキーには単純部分発作から強直間代発作(もしくは複雑部分発作)に進展する発作がみられていたと推定されます。

アンリ・ガストーの全般てんかん説


 ところが、ドストエフスキーのてんかん発作は部分発作ではなく全般発作だったと主張した人がいます。

 現代てんかん学の枠組みを作るに当たって大きな足跡を残したフランスのてんかん学の大家、アンリ・ガストーです。

 1978年のエピレプシア誌にガストーは「てんかん症候学とてんかん予後論にかんするフョードル・ドストエフスキーの意図せざる寄与」という論文を発表してドストエフスキーのてんかんについて論じ「ドストエフスキー全般てんかん説」を展開したのです。しかし、その後、1983年、同じエピレプシア誌でオランダのヴォスクイルがガストーの説に疑問を呈しました。そこで、その一年後、ガストーはヴォスクイルの疑問にも答える意味も兼ねて、ドストエフスキーのてんかんに関する論文を再びエピレプシア誌に発表しました。

 以下に、ガストーの主張のあらまし、そして、それに対してヴォスクイルが提議した論点をみてみましょう。

素因性全般てんかん説の根拠


 ドストエフスキーが死んでから一世紀の間に、このロシアの作家のてんかんについて無数の論文が書かれたが、かいつまんでいうとそれは次のようになる、とガストーはまず述べます。

 ドストエフスキーは側頭葉病変に起因する器質性てんかんに罹患していたと推定され、その発作には至福感と恍惚感からなる独特な前兆が先行していた。てんかん発作はこの傑出したてんかん患者の思想、感情、文学作品に多大な影響を与えたと考えられる。ドストエフスキーはキリストをモデルとした充足感と愛につつまれた世界を熱望しており、その著作には普遍的人類愛が表現されている。一生を通して、毎月、発作がはじまる際、恍惚発作がかれに天国への扉を開いてみせていたことが、おそらく、その一因であろう。

 自分もこうした推定をそれまで信じてきた、いや、それどころか、こうした考え方の形成に自らかかわってきさえした、とガストーは述べます。そして、これは間違いだった、と自らを断罪します。ドストエフスキーは側頭葉病変に起因する器質性てんかんではなく、素因性の全般てんかん(特発性全般てんかんに罹患していたというのです。そして、ドストエフスキーの天才は生来のものであり、てんかんゆえにその天性が磨かれたわけではない、てんかんがあったにもかかわらず、才能を発揮したとみるべきだと主張します。

 ガストーは、ドストエフスキーのてんかんを素因性全般てんかんと考える根拠をいくつもあげています。

 ひとつは、有名な「恍惚前兆」にかんするものです。恍惚前兆はドストエフスキー部分発作説の根拠とされていましたが、ガストーは恍惚前兆の存在そのものに疑問を呈しています。恍惚前兆はドストエフスキーの創作にすぎず、そのてんかん発作は部分発作から全身痙攣に二次性全般化していたわけではないというのです。一方、素因性てんかんである証拠として、ドストエフスキーには脳の器質性病変を疑わせる神経学的異常や精神症状がみられなかったこと、息子がてんかんで死亡しており、家族性素因が疑われることが挙げられています。

恍惚前兆


 以上の中でもっとも力をこめて書かれているのが、ドストエフスキー部分発作説の根拠となる恍惚前兆についてです。ドストエフスキーのてんかん発作には恍惚前兆などもともと存在していなかった、というのがガストーの主張です。

 まず、ガストーが槍玉に挙げている「伝説的な」恍惚前兆についてみてみましょう。

 前兆とはてんかん発作直前にみられる発作の先駆けともいうべき症状で、これが感じられるときにはすでに脳内のいずれかで異常電流が流れており、単純部分発作の一種であることは以前説明しました。

 前兆は、身体の違和感とか、胃からこみ上げてくるような吐き気など、不快感を伴うものがほとんどです。しかし、恍惚前兆はこれとは逆で、快感を呼び起こすような前駆症状です。従来、ドストエフスキーの発作にはこの恍惚前兆が先行していたと信じられてきました。

 その証拠とされたのが小説「白痴」の中で主人公ムイシュキン伯爵がおこすてんかん発作です。

 「…….何かしらあるものが彼の眼前に展開した。異常な内部の光が彼の魂を照らしたのである。こうした瞬間がおそらく半秒くらいも続いたろう。けれども、自分の胸の底からおのずとほとばしりでた痛ましい悲鳴の最初の響きを、彼は意識的にはっきり覚えている。それはいかなる力もってしても、止めることのできないような叫びであった。続いて瞬間に意識は消え、真の暗黒がおそったのである…….

 …….癲癇の発作…….の瞬間にはふいに顔、ことに目つきがものすごく歪む、そして痙攣が顔と全身の筋肉を走って、恐ろしい…….悲鳴が胸の奥のそこからほとばしり出る…….誰か別の人間がいて、それが発した声のようにさえ思われる…….」

 (ドストエフスキー「白痴」 米川正夫訳)

 てんかん発作を起こす直前のこの「異常な内部の光」について、ムイシュキン公爵は詳細にわたって追想します。

 「…….憂愁と精神的暗黒と圧迫を破って、ふいに脳髄がぱっと焔でもあげるように活動し、ありとあらゆる生の力が一時にものすごい勢いで緊張する。生の直覚や自己意識はほとんど十倍の力を増してくる。が、それはほんの一転瞬の間で、たちまち稲妻のごとくすぎてしまうのだ。そのあいだ、知恵と情緒は異常な光をもって照らし出され、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、諧調に満ちた歓喜と希望のあふれる神聖な平穏境に忽然と溶け込んでしまうかのように思われる。しかし、この瞬間、この光輝は、発作が始まる最後の一秒…….の予感にすぎない…….」

 これが恍惚前兆といわれているものです。そして、この迫真的描写は実際にこの前兆を体験したものにしかなしえないだろうと考えられてきました。つまり、ドストエフスキーの前兆そのものだろうと推定されてきたのです。

 この一瞬の間に過ぎ去る「光輝」について公爵は次のように分析します。

 「感覚のこの一刹那が、健全なときに思い出して仔細に点検してみても、いぜんとして至純な諧調であり、美であって、しかも今まで聞くことは愚か、考えることさえなかったような充溢の中庸と和解し、至純な生の総和に合流しえたという、祈祷の心持ちに似た法悦境を与えてくれるならば、病的であろうとアブノーマルであろうと、少しも問題にならない!…….もしその一刹那に、つまり、発作前、意識の残っている最後の瞬間に、『ああ、この一瞬間のためには一生涯を投げ出しても惜しくはない!』とはっきり意識的にいういとまがあるとすれば、もちろん、この一刹那それ自体が全生涯に値するのである」

 そして、ロゴージンに次のように語ります。

 「この一刹那に、ぼくはあの時はもはやなかるべしという警抜な言葉が、なんだかわかってくるような気がした…….あの癲癇もちのマホメットが引っくりかえした水瓶から、まだ水の流れ出さぬさきに、すべてのアラーの神の棲家を見つくしたというが、おそらくこれがその瞬間なのだろう」

 似たような記述が「悪霊」にもみられます。

 「よる寝ない習慣をやめなきゃ駄目だよ」と諭すシャートフに対しキリーロフは次のように答えます。

 「ある数秒間があるのだ、――――それは一度に五秒か、六秒しか続かないが、そのとき忽然として、完全に獲得されたる永久調和の存在を、直感するのだ……それは論駁の余地のないほど明白な心持ちなんだ。まるで、とつぜん全宇宙を直感して、『しかり、そは正し』といった…….有頂天の歓喜ではなく、ただ何とはない静かな喜悦なのだ…….もし十秒以上続いたら、魂はもう持ちきれなくて、消滅してしまわなければならない…….ぼくはこの五秒間に一つの生を生きるのだ。そのためには、一生を投げ出しても惜しくない。それだけの価値があるんだからね…….」

 「きみ、癲癇の持病はないのかい?」というシャートフの問にキリーロフは「ない」と答えます。

 しかし、シャートフは忠告します。「じゃ、今に起きるよ。気をつけたまえ…….癲癇はちょうどそんな具合に始まっていくって、ぼく、人から聞いたことがあるよ。ぼくはある癲癇もちから、発作の前の感覚を詳しく話してもらったが、いまきみのいったのと寸分ちがわない。その男もやはり五秒間と、はっきり区切ったよ。そして、それ以上は持ちきれないといったっけ。きみ、マホメットが甕から水の流れ出てしまわないうちに馬に乗って天国を一周した話を思い出して見たまえ。甕―――これがつまりその五秒間なんだ。君の永久調和にそっくりじゃないか。しかも、マホメットは癲癇持ちだったんだからね。気をつけたまえ、キリーロフ、癲癇だよ」(以上、米川正夫訳『悪霊』)。

 小説だけではありません。ドストエフスキーの思い出を書き綴ったストラーホフとソフィア・コバレフスカヤもドストエフスキーの恍惚前兆について触れています。

 まず、ストラーホフですが、かれはドストエフスキーの死後2年目に出版した「回顧録」に次のように書いています。

 「フョードル・ミハイロヴィチは発作前の高揚した気分について何度かわたしに話してくれたことがある。『ほんの一瞬、わたしは至福に満たされることが何度かあった。それは、普通の時には想像もつかない、それを経験した人間にしか想像もできないようなものだ。そういうとき、わたしは自己や全宇宙との永遠なる調和を直覚する。全知覚はおそろしく鮮明となり、その心地よさはたとえようもない。その数秒間の至福の時を十年間の人生、いや全生涯と取り替えてもいいという人間だっているかもしれない』と」

 ソフィア・コバレフスカヤはドストエフスキーが彼女と彼女の姉に語って聞かせた「最初」の発作の模様を「こども時代の思い出」に書き残しています。それは、シベリア流刑中の復活祭イブの夜、思いがけず親友が尋ねてきて、ドストエフスキーがこの友人と夜遅くまで神について語り合っていたとき起こります。突然、ドストエフスキーが「神は存在する、まさしく存在するのだ!」と叫んだというのです。近くの教会から深夜のミサを告げる鐘が鳴り始めたときのことでした。ドストエフスキーは語り続けました。「あたりの空気が巨大な音響につつまれ、私は動こうとしたが、その時、天国が地上に舞い降り、私を呑みこんでしまうのを感じた。本当に私は「神」に触れたのだ。神が私のところにやってきたのだ。『然り、神は存在する』と私は叫んだ。しかし、それ以外のことは何も覚えていない。われわれてんかんもちが発作前数秒間に感じる幸福をあなた達のような健康人は想像することもできまい。コーランの中でマホメットは、天国を見、天国に行ってきたといっている。みずからを賢人とうぬぼれている間抜けな連中はマホメットを嘘つき、いかさま師と信じて疑わない。しかし、違うのだ、断じてかれは嘘つきなどではない、かれはてんかん発作の間に実際に天国に行ってきたのだ。私同様、かれもこの病の犠牲者だったのだ。この至福の状態がいったいどのぐらい続くのか、数秒か、数時間か、数ヶ月か、それはわからない。しかし、信じ給え、人生が与えてくれるはずのすべての歓びを提供されても、わたしは、この至福の状態と交換しようとは思わないだろう」

 似たようなことを、ドストエフスキーはウランゲル男爵にも話しているそうです。

創造された恍惚前兆?


 しかし、ガストーは「恍惚前兆」はドストエフスキーの創作にすぎず、元来、そうした前兆などは医学的にありえないと主張します。

 その根拠として、自らのてんかん発作について日記にこと細かに記していたドストエフスキーが恍惚発作についてはなにも書き残していないこと、ストラーホフとソフィア以外の友人や妻のアンナが「恍惚前兆」についてなにも述べていないことを挙げています。さらに、ガストー自らの臨床経験をふり返ってみても、「恍惚前兆」があるてんかん患者に出会ったことがない点をつけ加えます。

 たしかに、恍惚前兆については、日記や手記にドストエフスキーは何も書いていないようです。また、ドストエフスキーが過去の女性関係も含め甘えかかるように何ごとも話し、相談していた愛妻アンナも「思い出」の中で恍惚前兆についてまったく触れていません。にもかかわらず、ストラーホフとソフィアだけが「恍惚前兆」について書き残しているというのはたしかに奇異な感じがします。

 ガストーがこの論文を書くきっかけとなったのはカトー(Jacques Cateau)が書いたドストエフスキー伝だったそうです。その中でカトーはストラーホフとソフィアがまったく違う時期(シベリア時代以降とシベリア時代)に起きたドストエフスキーの恍惚前兆について記しているにもかかわらず、内容が極似していることを指摘しているそうです。すなわち、ストラーホフの語った発作は、復活祭前夜、10時をすぎた夜遅く、大変重要な抽象的な話題について熱気を帯びた会話の最中に起きたことになっていますが、ソフィアが語る発作も、復活祭前の夜、古い友人と文学や哲学について話しているときに起きていて、発作内容のみならず、周りの状況も似ているというのです。そこから、ガストーはストラーホフの手記からかなり遅れて発表されたソフィアの手記はストラーホフの手記をそのまま転用したのではないかと疑念を呈します。

 さらに、ドストエフスキーが語ったとストラーホフが書いている「恍惚前兆」の内容が「白痴」や「悪霊」の文章の引き写しにすぎない可能性をガストーは指摘します。実際には、ドストエフスキーは恍惚前兆についてストラーホフに語ったことなどなかったのではないか、いうのです。では、「白痴」や「悪霊」にみられる「恍惚前兆」は何かというと、おそらく、それは、あとで述べる発作前駆症状からドストエフスキーが創造したものにすぎず、発作直前にかれが単純部分発作としての「恍惚前兆」を体験していたわけではないというのです。

 たしかにそういわれてみますと、「白痴」「悪霊」の記述とストラーホフやソフィアの手記の話はよく似ています。

 ガストーがいうように、ドストエフスキー本人から何も聞いていないにもかかわらず、ストラーホフが「白痴」や「悪霊」から、あたかも、ドストエフスキーが恍惚前兆をもっていたかのように書いたかどうかはわかりません。しかし、二つの小説に繰り返し書いているぐらいですから、この恍惚前兆のことをドストエフスキーがストラーホフなどの友人、知人に「お得意の話」として繰り返し話していた可能性はあるかもしれません。問題は、それをドストエフスキー自身の経験として話していたかどうかです。ストラーホフはきっとそれを実話として受け取ったのでしょう。しかし、日記に何も書き残していない、アンナも知らないとなると、ドストエフスキーとしては、自分が創造した「一般論」を語っただけだったのかもしれません。身近に暮らしていたアンナはそれがドストエフスキーの実体験か創作かの区別はついたでしょう。しかし、ストラーホフはそれをドストエフスキー本人の実体験ととってしまったのかもしれません。

 ガストーの説も私の説明も、証拠のない、仮説にすぎません。しかし、少なくともガストーに関していえば、いささか強引なこの仮説には、かれの豊富な臨床経験の裏付けがあります。

 みずからの35年にわたるてんかん診療経験をふりかえって、ガストーは「恍惚前兆」をもったてんかん患者などは一人もいなかったと指摘します。つまり、医学的にみて、「恍惚前兆」の存在そのものに大いなる疑念があるというのです。

 同じことをヴォスクイルも書いています。

 かれはオランダ中のてんかん学者に恍惚前兆を有する患者を経験したことがあるどうか聞いて回ったそうです。しかし、恍惚前兆を経験している医師は一人もいなかったというのです。

 かくして、「恍惚前兆」は側頭葉てんかんの代表的前兆のように信じられてきましたが、それは、ドストエフスキーの創造力、筆力に幻惑されたにすぎず、そのような前兆をもつ患者は皆無に等しい、とガストーは主張するのです。実際、そういわれてみると「恍惚前兆」はドストエフスキーの恐るべき創作力が生み出された幻にすぎないという気がしてきます。

 ドストエフスキーの恐るべき創作力といえば、わたしにも似たような経験があります。

 はじめてドストエフスキーの恍惚発作について知ったのは故和田豊治先生の「臨床てんかん学」においてでした。しかし、それを読んで以後、20年以上にわたっててんかんの患者さんを診てきていますが、恍惚前兆を訴える方に遭遇したことは一度もありません。ただ、それは、小児科医としてこどものてんかんだけを診ているためで、成人の側頭葉てんかんなどでは恍惚前兆が結構あるのだろうと漠然と思ってきました。ところが、ガストーの論文を読んで、おやおやと思い、念のため、もう一度、和田先生の本を読み返してみました。すると、てんかんの前兆として躁状態に近い喜悦や歓喜(pleasure)といった感情状態がもたらされうることはむしろ稀である」と和田先生はコメントされていました。しかし、このコメントを読み返すまで、この文章のことは完全に忘れていました。和田先生のこのコメントのあとに、「白痴」の本文が引用されていたのですが、どうやら、「諧調に満ちた歓喜と希望のあふれる神聖な平穏境」という文章があまりに強烈だったために、和田先生の「むしろ稀である」というコメントのほうはきれいさっぱり記憶から吹き飛んでしまっていたようです。

 このように、恍惚前兆はめったにみられません。

 しかし、全くないというわけでもないのです。

 その証拠として、ヴォスクイルはボローニャ大学のグループが報告した恍惚発作をともなう側頭葉てんかんの一例を挙げています。報告されている症例は30才男性で、てんかん発症は13才、発作としては動作の停止と意識の混濁からなる複雑部分発作がみられています。そして、そうした発作の前にこの男性は「言葉で言い表せぬ歓び」を感じとっていました。その歓びは、彼が愛してやまない音楽を聴いているときにわき起こる歓びに匹敵するものでした(セックスの最中に発作が起きたときの経験から、この歓びが性的快感とは別物だともこの男性は断言しています)。この発作が始まると不愉快な感情、思いは消え去り、この男性は至福感に包まれます。その「恍惚前兆」の最中に脳波が記録されました。複雑部分発作のときによく見られる、脳波の平坦化とそれに続く律動波が認められ、まぎれもないてんかん発作であることが確認されました。このボローニャからの報告以外にも発作時脳波は記録されていませんが、いくつか「恍惚前兆」の報告がなされています。

 このように、たしかに「恍惚前兆」は稀かもしれません。しかし、全くないとはいえないのです。

恍惚前兆以外の前兆


 さらに、もし、恍惚前兆がドストエフスキーの創作にすぎなかったとしても、それによって、ドストエフスキーが部分てんかんをもっていなかったということにはならない、とヴォスクイルは指摘します。友人、妻、主治医が目撃し、書き残した覚醒時の発作の記録からは、恍惚前兆ではないにしてもドストエフスキーの発作に何らかの前兆、すなわち、部分発作が先行していたことが推測されるからです。

 「彼はくるりと引き返そうとしたが、私たちが何歩も行かぬうちに、たちまち発作を起こした」

 「突然、ドストエフスキーは奇妙な顔つきをして恐怖に襲われたような目つきになった。そうした状態が数分間続いた後、虚ろな声でかれは「俺は今どこにいるんだ」と呟き、外気を求めるように窓に駆け寄った」

 「『死にそうだ』と叫びながらドストエフスキーはヤノスキーの助けを求め…….やがて、投げ出すように頭を後屈させ、けいれん様の震えが始まった」

 「一瞬、言葉を探し求め、何かを要求するかのように彼は動きを止めた。わたしは彼に注目した。何かとてつもないことでも喋ってくれるのではないかと期待したのだ。しかし、半ば開いた口から飛び出てきたのは奇妙な耳障りな音だった」

 「突然、何か言いかけて、真っ青になったかと思うと、ソファから身体を浮かすようにして私の方にもたれかけてきた。すっかり変わってしまったその顔つきをみて私はぎょっとした。急に、おそろしい、人間のものとも思われぬ叫びが、というより悲鳴がひびきわたって、彼は前にたおれはじめた」

 以上の記載によって、覚醒時の発作では、痙攣発作がおこる前、発作が来ることを感じとったかのようにドストエフスキーが「くるりと引き返そうとし」たり、「恐怖に襲われたような目つきになった」り、「言葉を探し求め、何かを要求するかのように…….動きを止めた」り「何かを言いかけた」りしていたことがわかります。このことは、恍惚前兆ではないにしても、何らかの発作を予感させる症状、すなわち前兆(部分発作)が痙攣発作に先行していたことを示唆しています。やはり、ヴォスクイルが主張するように、ドストエフスキーのてんかん発作は部分発作と考えたほうがよさそうです。

発作前駆症状


 ガストーが指摘しているように、ドストエフスキーは発作前駆症状も経験していたようです。

 てんかんの患者さんの一部には、発作の数日前、あるいは、数時間前から、発作を起こすのではないかと思わせる行動異常が出現することがあります。理由もないのに、妙にそわそわしたり、怒りっぽくなったり乱暴になったりするのです。発作がくることを患者さん自身が自覚している場合もありますし、「今日か明日ぐらいが怪しい」などと予測される保護者の方もいます。発作を予告するような(しかし、発作の直前にみられるものではない)こうした症状を発作前駆症状と呼びます。てんかんの患者さんの一割程度にみられるといわれています。本人は頭痛、不安、苛立ち、気分の落ち込みなどを感じているようですが、はっきりしません。しかし、前兆同様、「言葉に言い表しがたい、なんともおかしな気分」であることがどうやら多いようです。

 ドストエフスキーは小説「白痴」のなかで、その「言葉に表しがたい」発作前駆症状と思われるムイシュキン公爵の行動、心理を書き記しています。

 第二編の5、ムイシュキン公爵が「恍惚前兆」に引き続いて痙攣で倒れる日のことです。

 この日、公爵は一番列車に乗って半年ぶりにモスクワからペテルブルグに戻ってきて、レーベジェフの家を訪ずれ、ナスターシャの安否を尋ねます。そして、ラゴージンの家に寄って彼としばらく話をします。その後、ナスターシャに会おうとしてレーベジェフの義妹の家を訪ねますが、不在を告げられます。仕方なく、宿に戻ったところでラゴージンに殺されかかり、ちょうどその時、てんかん発作を起こします。

 その日の朝、ペテルブルグの停車場で公爵は「だれかの怪しい燃えるような二つの目が、列車で到着した人々を取り囲む群衆の中に、突如ちらりとひらめいたように」感じます。これは、公爵をつけ狙うラゴージンの目ですが、「沈み込んでふさぎがち」にもかかわらず、群衆の中に埋没しているはずのわずかな視線に気づいており、公爵の神経が妙にとぎすまされていることを暗示しています。また、レーベジェフの家では「頭痛」を訴え、別荘地での静養をレーベジェフに薦められます。さらに、ペテルブルグ駅での「二つの目」のことをラゴージンに話し、「へえ!いってえだれの目だっただんろう?」としらばっくれるラゴージンに「人込みの中だったから、ただそんな気がしたばかりかもしれないよ…….ぼくはなんだかしだいに、5年前よく発作がおこってたときと、同じような心持ちになって行くみたいだ」と公爵はつぶやきます。

 しかし、明らかにおかしくなるのは、ラゴージンと別れて、夕方6時頃、別荘地行きの列車に乗り込むあたりからです。

 いったんは座席に座ったものの、公爵は「切符を床へたたきつけ」停車場を出ます。そして「自分がことに病的な気持ちにとらえられているのを感じ」ます。それは「以前病気の激しかったとき、発作の襲おうとするまぎわによく経験したのと、ほとんど同じ気持ち」でした。「こうした発作の起こりそうなときの彼は、自分でも知っていたが、おそろしくぼんやりしてしまって、よくよく注意を緊張させて見ないことには、人の顔やその他のものを一緒くたにして、間違えることが多かった」のです。自分を刺し殺すかもしれない象牙の柄のナイフ、つけ狙うラゴージンの二つの目、ある宿屋での殺人事件など、さまざまな想念が公爵の頭の中で走馬燈のように駆け巡ります。その一方で、例の恍惚前兆のことにも思いを凝らそうとしますが(このあたり、ドストエフスキーは、発作前駆症状と前兆とをはっきり区別せず書いており、このことが、先ほど述べた、ガストーの「恍惚発作」創造説の根拠になっているわけです)またも、象牙の柄のナイフに思考の矛先が戻ってきます。やがて、公爵は「どうかするとすべてのものが混沌として、でたらめで、醜陋をきわめることがある」と感じながらナスターシャを尋ねてペテルブルグ区にやってきます。そして、「病気は再発しかかって」いて、それは「疑うまでもない」という確信に至ります。ナスターシャは不在で、ムイシュキンは仕方なく宿に帰ります。そして、宿の階段をのぼって踊り場にさしかかったとき、ロゴージンが襲いかかってきます。「ロゴージンの目はぎらぎら輝き、物狂おしい薄笑いに歪んで」いて、「右手があがって、なにやらその中できらりと光」りますが「公爵はその手を押しとどめようとも」しません。そして、このときてんかん発作が始まり、驚いたロゴージンは逃げ去ります。

 ここに至るまでに、さまざまに揺れ動く公爵の心理とそれにともなう行動がみごとに活写されています。しかし、そのすばらしさは、全文を引き写してこないとわかって頂けないでしょう。まことに小林秀雄が言うように「引用は断念しなければならない。引用しようと思えば一章全体の語句が鎖につながれている様に起きあがってくる」のです。しかし、発作前駆症状を実感しうる得難い一章であることはたしかです。

 また、「カラマーゾフの兄弟」には、てんかん発作は前もって予言できないことを知っているんだ、ごまかすな、とイワンがスメルジャコフに詰問する場面が出てきます。これに対し、スメルジャコフは、発作の日時は予言できないが、その予感だけは決まってある、と答えています。これも、また、ドストエフスキーのてんかんに発作前駆症状がみられていたことを暗示しています。

 この前駆症状というのは前兆と一応区別されて考えられています。発作そのもの、すなわち、脳内の突発性異常電流に基づく症状ではないとされています。しかし、本当にそうなのか、よくわかりません。前兆と異なり、前駆症状は捉えどころのない症状なので、医学的研究の対象となりにくく、十分な検討がなされていないからです。てんかん外科手術前の検査として、脳の表面や深部に電極を設置して脳波を記録すると、本人も自覚していない脳波上だけの「てんかん発作」が頻発している場合があります。もしかしたら、一部の患者さんでは、臨床症状を伴わないそうした「潜伏てんかん発作」の積み重ねが気分の変動などに現れているのかもしれません。しかし、実際にはよくわかっていません。ただ、部分発作のある患者さんに多いという報告だけはなされています。ですから、発作前駆症状をこれほど見事に描き出しているということもドストエフスキー「部分てんかん説」の根拠となりえるかもしれません。

全般てんかんと部分てんかん(側頭葉てんかん)


 以上から、ドストエフスキーのてんかん発作が部分発作であることを否定するガストーの議論はかなり強引なものだということがわかっていただけたかと思います。しかし、ガストーはこれ以外についても論を進めてドストエフスキーの素因性全般てんかん説を展開しているので、それについてもみてみたいと思います。


図4 大脳の側面像

フリー百科事典『ウィキペディア』より

 ただし、その前に、ガストーがなぜ全般てんかんにこだわるのか、また、側頭葉てんかんとは何かについて少し補足しておくべきかもしれません。

 大脳半球は大きな脳溝を境として前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の4つに区分されます。側頭葉は頭頂葉の下方に前頭葉と後頭葉に挟まれるようにして側頭骨に包まれています。ただし、側頭葉は脳の内側へ入り込んでおり、この部分も側頭葉に含まれます。側頭骨に接し、外側に位置する側頭葉を外側側頭葉、内側に入り込んだ側頭葉を内側側頭葉といっています。内側側頭葉は系統発生上古い皮質で、組織学的にも外側側頭葉とは異なっています。

 側頭葉は他の脳葉同様、数え切れないほどたくさんの機能にかかわっているものと推定されますが、外界信号の統合処理に関与し、外界刺激を認識し、過去の記憶と照らし合わせてその意味を判別することが外側側頭葉の主要機能の一つと考えられています。一方、内側側頭葉は他の部位の神経細胞群(内側側頭葉の海馬、扁桃核を含め辺縁系と呼ばれています)とともに記憶に関与し、また、種の保存に必要な情動や自律神経機能を統合する役割も果たしていると考えられています。


内側側頭葉てんかんのMRIとポジトロンCT

右上は脳の正中線における矢状断で、この図で橙色の垂直線で撮影した冠状断が左下図、30°ほど前方に傾けて撮像したものが右上図。この右上図で下方両側に房のように突き出ているものが側頭葉である。左下図で内側に灰色の塊のようなものがみえるのが内側側頭葉の海馬で、右に比べ左の海馬が小さいのがわかる(矢印;海馬萎縮)。ポジトロンCTでも右海馬は索状に黄色く写っているのに、左海馬には黄色のものはみられない。これは、右海馬でエネルギー源の糖の取り込みが低下していることを示している。

 側頭葉てんかんとは、側頭葉に発作焦点があり、側頭葉起源のてんかん発作が繰り返し起きる病態をいいます(同様に、発作焦点の部位によって、前頭葉てんかん、頭頂葉てんかん、後頭葉てんかんが区別されます)当然の事ながら、側頭葉てんかんでは発作時、そして、発作間欠時にも、側頭葉の機能を反映した症状がみられます。

 内側側頭葉にある海馬、扁桃体といった辺縁系組織は痙攣閾値が低く、発作焦点を形成しやすくなっています。さらに、外側側頭葉に始まったてんかん発射は急速に内側側頭葉に伝播、内側側頭葉で発作が励起されて、発作が遷延し、他の脳葉にまで異常放電が拡大していくこともあります。このため、内側側頭葉、とくに辺縁系組織は「てんかん発作のペースメーカー」とさえ呼ばれています。

 大脳半球4つの脳葉のうちもっとも大きいのは前頭葉で、脳表の約3分の1を占めます。したがって、もし、てんかん焦点になる可能性がどの脳葉でも同一であれば、面積比からいって、前頭葉てんかんがもっとも多くなるだろうことが予測されます。事実、小児の部分てんかん(症候性もしくは潜因性局在関連てんかん)では、前頭葉てんかんがもっとも多いといわれています。ところが、成人に達すると、側頭葉てんかんが前頭葉てんかんを抜いて部分てんかん、とくに、難治性部分てんかんのトップに躍り出ます。おそらく、それは、辺縁系内側側頭葉のてんかん発作への閾値が低いためだと思われます。このため、成人では、部分てんかん、とくに、難治性部分てんかんといえば側頭葉てんかんというイメージができあがっています。成人てんかんで側頭葉てんかんが何よりも問題とされるのは、こうした理由からです。

 側頭葉てんかんの病因としては腫瘍、先天性形成異常、瘢痕組織などさまざまですが、詳細は省きます。ただし、海馬の神経細胞が脱落する側頭葉内側硬化という病態があって、難治性側頭葉てんかんの病因のかなりの部分を占めており、しかも、外科治療によって劇的によくなる、ということは頭の片隅に入れておいてください。


小児症候性局在関連てんかん発作消失の経時的変化

側頭葉てんかんは、前頭葉てんかんに比べ、発作消失率が低く、このことが、成人で側頭葉てんかんが主要な難治てんかんとなっていく要因の一つと考えられる。

 側頭葉てんかんの代表的症状は、「胃からこみ上げてくるような」異常感覚を感じた後、意識が消失、目がうつろとなり、口をもぐもぐさせたり、手に持っているものを弄んだりといった自動症に至る、というものです。そして、ときとして、全身痙攣に至ることもあります。こうした発作症状の移り変わりは、前兆(単純部分発作)から複雑部分発作、そして、最終的に二次性全般化発作に至る過程を反映しています。前兆としては、先に述べた、上行性上腹部異常感覚以外にも、恐怖感、異常嗅覚、異常味覚、既視感、幻聴、幻視、めまいなどがあります。そして、きわめてまれですが、先ほど述べたように、恍惚発作のような至福感、性的興奮が発作に先行することがあります。

家族発生


 さて、それでは、つぎに、家族性発生についてみてみましょう。

 たしかに、ドストエフスキーの次男アレキセイはてんかん発作重積を疑われる状態で死亡しています。アンナによると、ドストエフスキーはこのアレキセイを溺愛していたようで、自分のてんかんが最愛の次男に遺伝し、死に至らしめたのではないかという自責の念に相当苦しめられたようです。しかし、ドストエフスキーの思いは思いとして、次男にてんかんがあるというだけで、ドストエフスキーのてんかんは家族発症の特発性てんかんであるというのはちょっと乱暴です。アレキセイのてんかん発作重積の原因が脳炎や脳梗塞などの重篤な中枢神経疾患だった可能性もありますし、だいいち、てんかん発症者はアレキセイだけで、次男以外にてんかんの血縁者はいません。てんかんの頻度を考えると、親族にたった1人しかいないのに、ドストエフスキーのてんかんが家族性発症だとはとてもいえません。

 また、ドストエフスキーのてんかんが家族発症の素因性特発てんかんだったとしても、だからといってガストーが言うようにドストエフスキーのてんかんが部分てんかんではなかったということにはなりません。

 最近、成人においても、家族発症性の遺伝性部分てんかんの存在が知られるようになってきているからです。その中には家族発症性遺伝性側頭葉てんかんも含まれています。家族性発症の側頭葉てんかんにはいろいろな臨床特性のものが報告されていて、12番染色体長腕をはじめとしてさまざまな原因遺伝子座が同定されているものもあります。そうした家族性側頭葉てんかんのうち、最初に報告された家系は、発症が10代から若年成人期とされています。もちろん、今となっては証明のしようがありませんが、ドストエフスキーがこのタイプの側頭葉てんかんを有していた可能性だってありうるわけです。

 一方、複雑部分発作の自動症の中には、遁走発作という、駈けだしていってしまうようなものもあります。25歳の時、知人宅のパーティーで起きたというドストエフスキー発作もそうしたものの一つだったかもしれません。奇妙な顔つきをして恐怖に襲われたような目つきになり、虚ろな声で「俺は今どこにいるんだ」と呟き、外気を求めるように窓に駆け寄ったという、例の発作です。窓台に座ったかれの顔はゆがみ、頭は一方に傾き、身体全体がふるえはじめ、びしょ濡れになるまで冷水をかけられたドストエフスキーは充分意識を回復しないまま通りにかけだしていっています。ただし、これは、前にも言いましたように、発作後自動症だった可能性もあります。

 発作のないときにも、側頭葉てんかんでは、さまざまな行動異常、精神神経症状が認められることがあります。行動異常としては多動、衝動的行動、注意散漫、暴力行為などがみられ、精神症状としては記憶力減退、易怒性、統合失調様症状などがあり、また、男性の場合、高率に性的無関心がみられるといわれています。

 ガストーが側頭葉てんかんといっている場合、以上のような病像を念頭に置いていたのだとご承知おきください。

 側頭葉てんかんのような部分てんかんは、脳に何らかの問題があるために発症し、てんかんの素因は余り関係がないとガストーがこの論文を書いた時点では考えられていました。脳に何らかの異常があり、このため、知能障害、精神障害の合併率も高いというのが、てんかん専門家の間では「常識」でした。これに対し、全般性てんかんには遺伝が関与し、大きな異常がない脳に生ずると思われていました。つまり、ドストエフスキーのように、傑作小説をいくつも書き残した高度な知性には部分てんかんよりも全般てんかんがふさわしいというのが、当時の支配的仮説だったのです。

 当然、ガストーもこの図式の中で論じています。

 しかし、部分てんかんが何らかの脳病変に起因するという説は成人てんかんではともかく、小児てんかんには当てはまらないことが、その後、わかってきました。小児には機能性部分てんかんと呼ばれる、遺伝性が高く、脳の「キズ」とは無関係の部分てんかんの症例が相当数いることがわかってきたのです。事実、ガストーもその後、後頭葉発作を特徴とするそうした「良性」小児部分てんかんを報告することになります。部分てんかんだからといって脳に病変があるとは限らないのです。

旺盛な性欲


 性欲の減退がないことも側頭葉てんかんにしてはおかしい、とガストーは論じています。

 たしかに、てんかん発症後もドストエフスキーの性欲が旺盛だったのは事実です。46歳でアンナと2度目の結婚をした後、8年間にソフィア、リュボフ(エーメ)、フョオドル、アレキセイと2男2女が生まれていますし、1876年、55歳の年のアンナへの手紙の中でも

 「だれがお前みたいにわたしをあまやかしてくれるだろう、だれがわたしと一心同体に融け合うだろう?それに、あの点についても私たちのひみつはみんな共通なんだからね。それだもの、どうしてわたしはお前の原子の一つ一つをあがめていつもするようにおまえ全体を飽くことなく接吻せずにいられよう?なにしろお前は、あの点でどんなに素晴らしい女房なのか、自分でも、合点がいかないくらいだ。しかし、帰ってからなにもかも証明してみせる。まあ、わたしが情欲の強い男だとしても(たとえ情欲が強い男であろうとも)それがこれほど飽くことを知らず女性を愛することできるということを、いったいお前は考えないのかね。それはわたしがもう千たびもお前に証明したじゃないか。が、こんど帰ったら、わたしはお前を食べてしまいそうだ」

 と、何ともコメントのしようのないことを書いています(この文章のすぐあとに「ねえ、この手紙はだれも読みはしないし、お前もまただれにも見せなどしないからね」などという文章が続いていますが、どうも、ドストエフスキーは後世の文学史家の執念深さを見誤ったようです)。

 前にも述べたように、たしかに、側頭葉てんかんの患者さんでは性欲減退がよくみられます。しかし、よくみられるといっても、せいぜい側頭葉てんかんの患者さんの3分の1程度です。性欲減退がみられない側頭葉てんかんはいくらでもあります。「情欲が強い」からといって、側頭葉てんかんではないと結論するのは、これも、いささか乱暴です。

てんかんを乗り越えて


 これ以外にも、ガストーは、ドストエフスキーが部分てんかんではない理由として、器質性脳疾患を疑わせる症状がみられないこと、睡眠発作が主体であること、つねに痙攣性発作がみられていたことなどを挙げていますが、長くなりますので、これ以上詳しくは述べません。しかし、ヴォスクイルはそうしたことも含め、ドストエフスキーが2次性全般化痙攣をともなう複雑部分発作を有していなかった断言することはできないと指摘しています。

 ヴォスクイルの論文がでた翌年、ガストーは再びエピレプシア誌にドストエフスキーのてんかんについて再論しています。その論文では素因性全般てんかん説が後退し、ドストエフスキーのてんかんは全般てんかんとも部分てんかんともどっちともいえないという曖昧な結論で終わっています。

 結論だけみれば、後から書かれた論文の方が医学的には正しいということになります。

 しかし、論文としてみるならば、じつは、最初の論文の方が圧倒的に優れています。最初の論文は医学論文としては例外的なほど情熱に溢れ、迫力があり、アンリ・ガストーという人がてんかん学の世界で敬愛されていた理由が今さらながらに納得できる論文です。

 医学を含めた自然科学は「正しい」知識を積み重ねて発展していきます。そして、正誤の判断だけを指標にすれば、後世の人間はどんな凡人であっても自然科学史上の偉人たちをいとも容易に弾劾できてしまいます。ガストーの論文も「医学的正しさ」を金科玉条にすれば、あとの方が正しいという、ある意味で当たり前な、つまらない結論に行き着いてしまいます。しかし、ガストーの最初の論文はそういう観点だけではみるべきではない例外的な医学論文ではないかと思われます。

 ガストーの最初の論文における真の結論は、じつは、「ドストエフスキーの天才は生来のものであり、てんかんゆえにその天性が磨かれたわけではない、てんかんがあったにもかかわらず、才能を発揮したのだ」いうものです。全般てんかん説はその結論へ至る条件の一つにすぎません。しかし、どうやら、この結論を証明しようとする熱い想いが、論理をやや強引におしすすめることになったようです。そうまでして、このことを証明しようとした裏には、ドストエフスキーとてんかんの関係についての通説をなんとしてでも覆したいというガストーの強い欲求がみてとれます。通説とは、もう一度確認しておきますと、

 ドストエフスキーは側頭葉病変に起因する器質性てんかんに罹患していたと推定され、その発作には至福感と恍惚感からなる独特な前兆が先行していた。てんかん発作はこの傑出したてんかん患者の思想、感情、文学作品に多大な影響を与えたと考えられる。ドストエフスキーはキリストをモデルとした充足感と愛につつまれた世界を熱望しており、その著作には普遍的人類愛が表現されている。一生を通して、毎月、発作がはじまる際、恍惚発作がかれに天国への扉を開いてみせていたことが、おそらく、その一因であろう。

 というものです。こんなことを主張する人間は、ドストエフスキーの生涯とその作品を通観しながら、てんかんの影響というものをドストエフスキー本来の才能によって創造された芸術と区別すらできないのだ、とガストーはきめつけています。「てんかんゆえに」ではない、「てんかんにもかかわらず」才能を発揮したのだ、ドストエフスキーはてんかんに打ち勝ち、てんかんを乗り越えたのだ、というのです。

 いかにももっともらしいことを、と思われる方もみえるかもしれません。しかし、ガストーが思いつきでこんなことを主張したとは考えられません。この言葉は、むしろ、経験豊かな臨床医としてのガストーの実感だったように思われます。

 ガストーという人は、南フランスのマルセーユで長年にわたり膨大な数のてんかん患者を診察し、深い洞察力でてんかんという病をみつめ、てんかんにかんする数多くの記念碑的論文を書いた人です。現在も世界中で使われている国際てんかん分類、てんかん発作分類作成にあたって主導的役割を果たし、現代てんかん学の父と呼んでもいいような人です。そんな人がそれまでの自らの発言を否定してまで「思いつき」で「いかにももっともらしいこと」を書くとは、ちょっと、考えにくいのです。

 ヴォスクイルに対する論文を書く前にガストーは手紙や手記も含めたドストエフスキーの全著作をすべて読み直したと記しています。これは、ドストエフスキーに加え、ゴッホ、フローベールといったてんかんをもった天才的芸術家たちについて講演するための準備だったようですが、全著作を読み直したあともドストエフスキーとてんかんとの関係にかんするガストーの信念は崩れていません。難治てんかんに罹患しつつもドストエフスキーは天才的芸術をうみだしたが、その天才的芸術はてんかんとは無関係に生まれでたというのです。

 そのことをいうために、ガストーがやや強引にドストエフスキー素因性全般てんかん説を言い出した可能性があることについては、上に述べました。素因性全般てんかんであれば、側頭葉てんかんと異なり、知的退行、精神症状を合併することは通常ありません。もちろん、側頭葉てんかん(症候性部分てんかん)であっても、必ずしも、全例が知的退行や精神異常をきたすわけではありません。しかし、ドストエフスキーのように頻回に発作が起きる側頭葉てんかんではそうした合併症の出現頻度が高くなります。薬をどれだけ使っても発作が頻回に起き、知的に荒廃し、問題行動を起こす側頭葉てんかん症例を数限りなくガストーは経験したはずです。ですから、どうあっても、そんなことが考えられない素因性全般てんかんでなければならなかったのです。

 しかし、まさかとは思いますが、ガストーは錯覚に陥っていたのかもしれません。

 いうまでもありませんが、ドストエフスキーの時代においては、頻回に発作がみられていたとしても、だから難治てんかんだったということにはなりません。当時は、ブロムが一部の限られた地域で使用されるようになっただけで、めぼしい抗てんかん薬はまだなかったことは以前お話したとおりです。抗てんかん薬による治療を受けていなかったのですから、当然、ドストエフスキーのてんかんは「難治」てんかんということにはなりません。部分てんかんでもなんの不都合もないのです。

 ガストーがドストエフスキーの全著作を読み通したのは、もちろん、この天才作家のてんかんについて医学的に論考するためだったでしょう。しかし、もしかしたら、ガストーは医学的興味だけでドストエフスキーの全著作を読了することはできなかったのかもしれません。ドストエフスキーの著作に現れる多彩で複雑な世界、世界中の読者を魅了してきたドストエフスキーの文章、それらにガストーはのめり込んでいったのではないかと思われます。そして、そうした読書体験を長年診てきたてんかん患者に関する臨床経験と照らし合わせたのでしょう。てんかんが人間にいかなる影響を及ぼすものか、そのさまざまな様相をガストーは数限りなく目撃してきたはずです。そうした臨床経験とドストエフスキーの残した著作を虚心坦懐に引き比べても、確信は揺らがなかったのです。「てんかんゆえに」ではない「てんかんにもかかわらず」なのだ、ドストエフスキーはてんかんを乗り越えたのだ、と。

 そして、そのことは、てんかんという「敵」に対するドストエフキー自身の信念でもありました。この文章のはじめに引用しましたように、1865年12月、「罪と罰」を執筆中、かれは次のようにノートに書き留めています。

 「しかし、病気を恥じる必要などない。それに、倒れ病といえども活動を止めることはできないのだ」

てんかん気質


 もちろん、てんかんがドストエフスキーになんの影響を及ぼさなかったというわけではありません。ドストエフスキーがてんかんという病に終生悩まされていたことは前に述べたとおりです。しかし、てんかんがかれの思想や作品に本質的な影響を及ぼしたか否かの疑問に答えるのは容易ではありません。検証は不可能で、推測によってしか議論できません。

 ところが、ドストエフスキーという沃野をてんかんという鋤で掘り返してみたいという誘惑を断ち切れない人間が後を絶ちませんでした。ガストーが紹介している「恍惚発作がドストエフスキーに天国への扉を開いてみせ、そのことがかれの思想、感情、文学作品に多大な影響を与え、普遍的人類愛の表明に至らせた」という説は、論理の組み立てがあまりに粗雑で、さすがに、いま、これを鵜呑みにし、信じる人は少ないでしょう。しかし、もっと巧妙に、ドストエフスキーに対するてんかんの「絶対的影響」がもっともらしく論じられることがあります。

 その場合、よくもちだされるのが「てんかん気質」です。

 てんかん気質というのは、てんかんをもっている人に共通してみられるとされる性格、特徴のことです。てんかんをもつ人間は躁鬱的で、生真面目である一方、性的に歪みがみられ、怒りっぽく、すぐに敵意を剥きだしにし、攻撃的、偏執狂的、感情的な側面もあるとされています。また、哲学的、宿命論的で宗教に傾斜しがちであり、強迫的で罪悪感が強いかたわら、説教的になることもあるというのです。さらに、受動的、依存的で、迂遠、粘着質で、延々と文章を書き連ねる書字過多(hypergraphia)がみられるという説もあります。そして、これをドストエフスキーに当てはめてみると、ドストエフスキー本人のみならず、その文章、小説の登場人物、筋立てにもこうした特徴が当てはまると「てんかん気質論者」は主張します。てんかんがドストエフスキーを支配し、ドストエフスキー本人の性格、生活態度、その文章、その作品の登場人物にまで「てんかん的特徴」が浸透しているというのです。

 たしかに、ドストエフスキーは「躁鬱的」な側面があったようですし、作家デビューを果たした頃は「怒りっぽく」「すぐに敵意を剥きだしにし」「攻撃的」「偏執狂的」「感情的」だったために文学者仲間から孤立してしまいました。そして、そういった性格は、ある意味で、死の直前まで変わることはなかったようです。また、ドスエフスキーの文章は、同じロシアの文豪チェホフなどにくらべ、簡潔性に欠ける面があります。もちろん、翻訳でしかわかりませんが、ドストエフスキーの文章はくどくどしく、だらだらとどこまでも続き「迂遠」「粘着質」「書字過多」と評されてもいたしかたない面があるようにみえます。加えて、その小説やエッセイに「哲学的」「宿命論的」「宗教的」なものが多く含まれていることはご存じのとおりです。さらに、小説の登場人物も、地下室の住人、ラスコールニコフ、スタヴローギン、フョードル・カラマーゾフなど偏執狂的、強迫的、攻撃的人間に事欠きません。ドストエフスキーの小説にはてんかんをもつ人間が現れますが、それだけではなく、登場人物全員に、特有の、共通の性格が刻印されているようにみえます。ドストエフスキー本人も含め、たしかに「ドストエフスキー的世界」は「てんかん気質」に満ち溢れています。

 てんかん特有の性格、気質がみられるということは古代ギリシャ時代からいわれてきました。そして、ドストエフスキーが活躍した19世紀半ばには、フランスのてんかん学の大家、モレルが「てんかん気質」を盛んに論じていました。興奮性と易怒性がてんかんを有する人間の際だった特徴だというのです。ちょっとしたことで「てんかん性の怒り」を爆発させ、それが1-2時間続くことがあり、しかも、日に何度も何度も繰り返すことがあるとモレルは書いています。さらに、てんかんを有する人間は宗教的なものに傾斜しやすいとも指摘しています。

 その後、てんかん気質論はドイツでも盛んにいわれるようになります。ドイツの精神科医シュナイダーは1933年初版の精神病理学の概説書に「大抵の癲癇患者は時のたつにつれて一定の様式の精神的変化を起こす。変化は知性の領域にも人格の領域にも起こる。迂遠な、杓子定規な、信心に凝った、涙脆い、蔭日向の多い性質、精神的視界の狭窄、饒舌な愚直性、粘着性、自己の状態に対する不可解な多幸性などがかかる状態の性格特徴としてよくみられる。記憶の著しい障碍も、重い癲癇痴呆に陥ったものに見られる」と書いています(クルト・シュナイダー著、西丸四方訳「臨床精神病理学序説」みすず書房)。

 しかし、その後、てんかん気質論は一旦下火になります。

 なぜかといいますと、てんかんはさまざまな疾患の集まりであって、てんかん発作を(それも、さまざまな発作型の発作)もっているというだけで、同じ「性格」を共有することなどあり得ないと考えられるようになったからです。もともと、19世紀から20世紀初頭に盛んに論じられたてんかん気質論というのは主として精神病院に入院しているてんかん患者の観察からひきだされたものでした。精神病院への入院、隔離を要するようなてんかん患者は、たいてい、ひどいてんかん発作があり、重篤な精神症状を合併しています。てんかん気質論はそうした一部の特殊な患者を対象として組み立てられたものだったのです。しかも、こうした患者たちの「気質」は精神病院という特異な環境に閉じ込められたことによってつくりだされた可能性も考慮する必要があります。てんかん気質は永遠にとらわれの身となったための心理的帰結だと評した研究者もいるくらいです。たしかに、そのような環境下では、興奮性、易怒性がみられても当然かもしれません。

 しかし、20世紀に入ってフェノバルビタール、フェニトインといった抗てんかん薬が登場し、ある程度、てんかん発作が抑制されるようになると、精神病院に監禁されるてんかん患者の数は減り、逆に、自宅から外来に通ってくるてんかん患者が増えます。すると、てんかん気質を有さないてんかん患者が少なくないことにいやでも気づかされます。こうして、「てんかん気質」論は影をひそめました。

 ところが、20世紀半ば、一旦下火になった「てんかん気質」論議が再び活発になります。それは、側頭葉てんかん、とくに、先ほど少し触れた、内側側頭葉硬化に起因する側頭葉てんかんが注目されるようになり、このてんかんには紛れもなく特有な性格、「内側側頭葉てんかん性格」とでも呼ぶべきものが存在するという報告が相次いだからです。実をいいますと、上に列挙した「てんかん気質」はこの内側側頭葉てんかんに特有とされた「気質」です。ガストーが引用している「ドストエフスキー側頭葉てんかん罹患説」も、この「内側側頭葉てんかん性格」が盛んに議論されていた頃でてきました。そして、「てんかん性格」も含め内側側頭葉てんかんの種々相について精力的に探求した研究者の一人がガストーでした。「ドストエフスキー部分てんかん説」の形成にみずから関わってきたとかれが言っているのはこのことをさしているものと思われます。

 しかし、やがて「内側側頭葉てんかん性格説」も下火となります。さまざまな研究が行われましたが、内側頭葉てんかん患者ほとんどが「てんかん気質」を有しているという明確な結果がでなかったのです。いまに至るも「内側側頭葉てんかん」に特有な性格様式があるかどうかにかんしては結論がでていません。

 結局のところ、てんかん気質論というのは血液型性格論とたいして変わらない議論だったといえるかもしれません。根拠が薄弱で、言葉の遊びにすぎない報告も少なくなかったのです。てんかん、とくに、内側側頭葉てんかんの人の中に、うえにあげたような「てんかん気質」の方はたしかにいます。しかし、そうでない人もたくさんいます。逆に、てんかんをもたない「てんかん気質」の人間もたくさんいるのです。ベンソンは現存するてんかん専門家のほとんどはその存在を否定しており、てんかん性格を論じる試みそのものに反対する学者もいると記していますが、それも当然かもしれません(Benson F & Hermann B Personal Disorder : In Engel J & Pedley A eds. Epilepsy: A complehensive textbook。pp 2065-9, 1997)。

人間観察の天才


 このように「てんかん気質」が存在するかどうかさえ怪しいのですが、ドストエフスキーをてんかん気質で論じる場合、さらなる問題があります。それは、ドストエフスキーの人生と作品をてんかん気質という一点でのんきに規定してしまってもいいのかという疑問です。「てんかん気質論」はドストエフスキーがてんかんというものから逃れられなかったという視点で論じています。しかし、そんな視点がはたして正しいのか、という議論も当然あってしかるべきでしょう。がストーが主張しているのもそのことです。そして、これは、ドストエフスキーのみならず、てんかんをもつ人すべてについていえることです。「てんかん性格を論じる試みそのものに反対する学者もいる」とベンソンが書いているのも、そのあたりの事情も反映しています。

 しかし、ここでは、ドストエフスキーに限定して考えてみましょう。

 てんかん気質論は、一見、ドストエフキーとその芸術に当てはまるようにみえます。しかし、ドストエフスキーとその作品は、それをすべてはねのけてしまっているという見方も同時に可能です。

 まず、なによりも、ドストエフスキーは自己も含めた人間観察の深さにおいて、余人の追従を許さぬ天才だったことを思い起こす必要があります。長年にわたってドストエフスキーについて論じた文学批評家、小林秀雄は同じ文学批評家の中村光夫らとの対談で次のようにいっています。

小林

 ドストエフスキーという作家の感受性というものは、独特のもので、あんな人はめったにないのだが、目がじかに人間にいくんだよ。人間以外にまったく興味を持っていない…….美術展覧会評なんてみればよくわかる。絵なんか一つも論じてない。描いてあるものを論じている。だからあれは絵なんてものに全然興味がないんですよ。音楽論というものもないでしょう。僕はチャイコフスキイのことがどこかにあるだろうと思ってずいぶん探した。ありゃしないのだ…….

中村

 小説家だね。

小林

 小説家というものはそれでなきゃいけないんですよ。ああいう人からみればたいていの小説家は気取り屋で、人間に興味をもっていないよ。人間にあるだけの興味をもつということが小説の根本なんだね。

 小林秀雄は「天才は努力する才だといわれるが、誤解を招きやすい言葉だ。努力なら凡人でもするからだ」という意味のこともたしかどこかで書いていたはずです。天才と凡人は努力の内容が違うということなのでしょう。たしかに、天才は恐るべき集中力で、魅入られたように、延々と努力を続けるようです。同じ努力といっても、質も量も違い、凡人からみると、努力を発明しているようにさえみえます

 小さい頃、電車に乗ると、きまって、疾走する電車の中から線路脇の標識の字を目をこらし読みあてる遊びをしていた、と大リーガーのイチローが語っていたことがあります。「そんなつもりはなかったけど、今考えると、動態視力の訓練になっていたかもしれない」とつけ加えながら。

 酒を飲みに行っても漫才のネタを紙に書き留めていたら、相方に、こんなところでまで、そんなことをすることはないだろう、と「たけし」はいわれたそうです。しかし、漫才をやっているんだから、四六時中漫才のことを考えていて当たり前だし、どんなところでも、これはというネタがみつかれば、書き留めずにはいられなかった、と「たけし」はふり返っています。

 あるオーケストラのコンサートマスターを務めるバイオリニストがいっていました。練習、コンサート、レッスンとバイオリンを半日も弾いていると、バイオリンの音を聞くのもイヤになって、その日は絶対にバイオリンを手にしない、と。しかし、ソ連の巨匠バイオリニスト、オイストラッフは、プラハで開かれた音楽祭において、夜、コンサートを終えて友人音楽家の別邸にやってきたと思ったら、他の客が夜明け近くまで談笑している間、ずっと上機嫌でバイオリンを弾き続けたそうです。

 現代医学は機能障害をきたした脳の病態については、ある程度、解明することができます。しかし、脳機能障害のない人間において能力に差が出る理由をきちんと説明することはできません。天才と凡人の脳は「医学的」に差がありません。ポジトロンCTのような機能画像検査によってさまざまな能力の違いをある程度窺い知ることはできます。しかし、現在のところ、脳病変が何もない人間における能力の差は「誤差範囲」でしかありません。あまりに常識的な説明で申し訳ないのですが、この「誤差範囲」内で差が出るとしたら、1人の人間がある一つの物事にどれだけ集中し、そのことに時間を配分できるかによる、と考えるしかありません。少なくとも、それが、「天才」を成り立たせる条件の一つです。

 ドストエフスキーは人間のあらゆる面を四六時中考え続けた天才だったようです。だからこそ、フロイトの深層心理学出現以前に深層心理を小説のなかで自在に扱うことが出来たのでしょう。前にも申しましたように、ドストエフスキーはシベリア流刑中、自己の過去のすべてを洗いざらい点検し直したといっています。そんな人間ですから、おそらく、てんかんが自分に及ぼすさまざまな影響についても考えていたはずです。

 かれが生きていた当時、てんかん気質といった概念が一部のてんかん学者の間で話題になっていましたが、おそらく、ドストエフキーはそれについて何も知らなかったと思われます。ですから、まさか、そのような概念で自分の文学が総括されるとは想像もしていなかったでしょう。しかし、青年期以降、一生を通じ、数ヶ月に一回は必ず襲ってきて、「異常な内部の光」で自分の「魂を照らし」だしたてんかん発作です。それが自分にもたらすものについて思いを巡らすことは何度もあったでしょう。少なくとも、無意識のうちにでも、てんかんがみずからの文学に及ぼしている影響を感じとっていた可能性はあります。そして、そうしたなかで、小説を構想し、執筆していたはずです。いまさら、みずからの作品やその登場人物にてんかん性格があるといわれても驚きはしなかったかもしれません。

 「白痴」の主人公はキリストをモデルとした純粋無垢なムイシュキン公爵です。しかし、作品の構想段階では、強烈な情欲を有し、強欲で、自尊心が強く、そのくせ、屈辱の中に快感をみいだす、ムイシュキン公爵とは正反対の異常性格の男が主人公として設定されていました。ムイシュキン公爵同様、てんかんがあり、しかし、そのために、白痴と母親から蔑まされている人間が想定されていたのです。のちに「カラマーゾフの兄弟」で登場するスメルジャコフのような人物が念頭にあったのかもしれません。しかし、結局、ドストエフスキーは「もっとも美しい人間」キリスト公爵を主人公に据え、この醜悪な人間像を捨てさります。なぜドストエフスキーがそのような選択をしたのかについては、いろいろ憶測がなされているようです。しかし、それはともかくとして、このことは、同じてんかんを有していても「純粋無垢な人間」から「醜悪な人間」までいかなる人間類型もあり得ることをドストエフスキーが本能的に悟っていたことを示唆しています。てんかんを持つ人間を「てんかん性格」という観点でしかみられない研究者に比べ、医学的にも、ドストエフスキーのほうが正しいのです。

てんかんからの自由


 てんかんの歴史にかんする名著「倒れ病」を書いた医学史家のテムキンは、ドストエフスキーが1880年代に西欧諸国で注目集めるようになったとき、人々は、まず、なによりも、病的世界に否応なく引きずり込むかれの小説の恐るべき吸引力に強い印象を受けた、と書いています。そして、もしかしたら、そのことが端緒となって、人々がドストエフスキーの小説にてんかんの世界を観ようとするようになったのかもしれません。しかし、「たしかにドストエフスキーはてんかんだったかもしれないが、その小説はかれの知性、気質、想像力すべてがあわさって生まれでたものだ」とテムキンは指摘します。その小説世界には、病気体験に加え、病気以外の個人的体験、そしてかれの創造力が分かちがたく織り混ざっているというのです。「巨大小説群がドストエフスキーという特異なてんかん患者によって創りだされた産物であることは事実だ、しかし、だからといって、ドストエフスキーの世界を単純にてんかんの世界とみなすわけにはいかない」とテムキンはコメントしています。

 ムイシュキン公爵が五年ぶりに発作を起こす日のエピソードですが、これについて小林秀雄は「『白痴』を愛読した人なら、恐らく誰でもムイシュキンの発作に伴う錯乱的心理を扱ったこの驚くべき一章を忘れることはできない」と前置きして、これは「心理分析上の鬼才を縦横に発揮した場面」と評しています。このような場面を描いたがゆえにドストエフスキーは「内的独白を語り或いは意識の流れを描く」という「心理的手法の創始者」とみなされているようですが、この一節の描写は「心理小説の驚くべき発達に伍して尚比類ないものを有して」いると小林秀雄は激賞しています。

 この場面がドストエフスキーみずからの発作前駆症状体験を反映したものである可能性があることは以前述べました。ですから、みようと思えば、ここにドストエフキーにたいするてんかんの「支配的影響力」をみることができるわけです。しかし、この一節を通読すれば、ドストエフスキーがてんかんに引きずり回されていないことは明らかです。むしろ、自らのてんかん体験を異様な智力と忍耐力によって分析統合し、「心理分析上の鬼才を縦横に発揮した場面」へと結実させています。

 いうまでもありませんが、こうした事情は、てんかんに限ったことではありません。

 死刑執行劇、監獄、賭博、借金、異様な恋愛関係。てんかん以外のこうした苦難の体験をドストエフスキーは自らの創作の中に昇華させていきました。たとえば、借金経験がかれの小説を支配しているという人はいないでしょう。まったく逆で、かれの恐るべき咀嚼力によって借金経験がかみ砕かれ、消化され、「罪と罰」にみられるように、悪夢に似たかれの小説にリアリティーを与えています。また、賭博にあれほど狂いながら、小説「賭博者」では呵責なきまでに賭博者の情動を抉りだしています。

 てんかんについても同じことがいえます。それは、この発作前駆症状を描いた一章だけでも、充分に読み取ることができます。ドストエフスキーが生み出したものは、てんかん気質といった概念など弾き飛ばしてしまっています。

 たしかに、ガストーがいうようにドストエフスキーはてんかんを乗り越えたのです。ドストエフスキー本人が宣言しているように「倒れ病といえども活動を止めることはできな」かったのです。

 そして、ドストエフスキーは、そのように乗り越えていくことが「自由」を得る唯一の道だとも考えていたようです。

 「作家の日記」の中で、ドストエフスキーは次のように書いています。

 「現今の世態においては、自由を放縦の意味に解している。けれど、真の自由はただおのれ自身と、自己の意志の克服にのみ存するのであって、かくすれば、ついには広い精神的状態に達して、いついかなる瞬間にも、おのれ自身にたいして真の主人公となり得るのである。意欲の放縦は、単におのれを奴隷状態に導くにすぎない」(「作家の日記」1877年2月 第2章 4 問題のロシア的解決。米川正夫訳)

 この信念はどうやら、キリスト教からドストエフスキーが生み育てたものだったようです。同じ「作家の日記」の中でかれは次のように説きます。「『社会組織がこんなに忌まわしくできている以上、手に刃をもたないでは、そこから抜け出すことはできない』これこそ環境説の唱えるところで、キリスト教とは正反対である。キリスト教は環境の圧迫を十分に認めて、罪人に憐憫を声明しながら、しかも、環境に対する戦いを人間の道徳的義務とする、そして、どの辺で環境がおわり、どこから義務が始まるかという境界を人間に示すのである。人間に義務責任を付与しながらキリスト教はそれによって人間の自由をも認めているのである」(「作家の日記」1873年 2 環境 米川正夫訳)。

 てんかんという環境と戦うことで、ドストエフスキーはてんかんから自由を得ました。てんかんに関しても「おのれ自身にたいして真の主人公」だったのです。万が一、治療によっててんかん発作がなくなることがあったとしても、もしかしたら、ドストエフスキーにとって、それはてんかんからの真の自由を意味しなかったかもしれません。てんかん発作が薬によって消失しても、それは、本人の努力とは無関係に起きた一現象にすぎないからです。自由とは何の関係もありません。ある時点で、ドストエフスキーが己のてんかんを不治の病と見定めるようになったことは以前述べました。しかし、そのことは、かれがてんかんに対して白旗を掲げたことを意味しませんでした。繰り返しになりますが、たとえば、そのことは、発作前駆症状を描いた一章を読めば明らかでしょう。

参考図書・引用文献


ドストエフスキー著 米川正夫訳 ドストエフスキー全集1〜20,別巻 河出書房新社

アンナ・ドストエフスカヤ 松下裕訳「回想のドストエフスキー1,2」みすず書房

ドリーニン編 中村健之助訳「スースロワの日記」みすず書房

コンスタンチン・モチューリスキー著 松下裕・松下恭子訳「評伝ドストエフスキー」筑摩書房

E・H・カー著 松村達雄訳「ドストエフスキー」筑摩叢書

アンリ・トロワイヤ著 村上香住子訳「ドストエフスキー伝」中公文庫

加賀乙彦著「ドストエフスキイ」中公文庫

亀山郁夫著「ドストエフスキー 謎とちから」文春新書

中村健之介著「永遠のドストエフスキー 病という才能」中公新書

江川卓著「謎解き『白痴』」新潮選書

江川卓著「ドストエフスキー」岩波新書

小林秀雄著「ドストエフスキイの生活」新潮文庫小林秀雄対談集III「文学と人生について」文春文庫

小林秀雄 全作品5「罪と罰について」新潮社

和田春樹編 「ロシア史」 山川出版社

ロバート・ウォーレス著 鳥山成人監修「ライフ 人間世界史16 ロシア Rise of Russia」タイムライフ インターナショナル

J. M. ロバーツ著 鈴木董監修「世界の歴史6 近代ヨーロッパ文明の成立」創元社

司馬遼太郎「ロシアについて 北方の原型」文藝春秋

大野真弓責任編集「世界の歴史8 絶対君主と人民」中公文庫

今井宏著 「世界の歴史13 絶対君主の時代」河出書房新社

松田道雄著 「世界の歴史22 ロシアの革命」河出書房新社

イーグルトン著 大橋洋一訳「イデオロギーとは何か」 平凡社ライブラリー

和田豊治著 「臨床てんかん学」金原出版

クルト・シュナイダー著、西丸四方訳「臨床精神病理学序説」みすず書房

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