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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100457
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100457.html
[近代史5] 日本の料理 中川隆
6. 中川隆[-9018] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:26:47 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[13]
弥生時代の人の平均寿命

縄文人の場合は、30才くらいと考えられています。
これは、貝塚から発掘される骨から確定できるといわれます。
しかし、弥生時代の人骨は発掘されること自体大変少なく、
弥生人の骨は土に帰ってしまうといわれます。

縄文人は、貝塚の近くに骨を埋葬しました。
カルシウム分の多い土に埋葬された骨は、土に帰らず残るといわれます。
一方、弥生時代は稲作が始まっています。
貝塚のようにカルシウム分の多い土には埋葬されなかったので、
弥生人の骨は土に帰ってしまったのです。

佐賀県の吉野ヶ里遺跡は有名ですが、発掘された人骨によると、弥生人は渡来系らしい特徴を備えているといわれます。

縄文人に比べると背が高く、平均寿命は30〜40歳ぐらい。

遺物には紐のついた毛髪もあり、髪を結っていたこともわかります。
(ここでいう30歳は、15歳以上生存した人間の寿命です。)

弥生時代は、稲作が生活の基盤となり、鉄器や青銅器の使用が始まった時代といわれます。

吉野ヶ里でも農耕によって飛躍的に人口が増加し、人々を統率する王も現れました。
一般の墓地とは別に王族を祀る巨大な墳墓がそれを物語っています。

古代は幼児期の死亡率が高く、縄文時代〜弥生時代の死亡率は50〜60%という数字も見えます。

大正末期に幼児期死亡率が、15%以上あったといわれますので、大袈裟な数字ではないかと思います。

15歳以上に達した者の平均死亡年齢の時代変遷は、人口問題研究家の小林和正氏によると、

縄文時代: 男31.1歳/女31.3歳
弥生時代: 男30.0歳/女29.2歳
古墳時代: 男30.5歳/女34.5歳
室町時代: 男35.8歳/女36.7歳
江戸時代: 男43.9歳/女40.9歳
(古人骨より推定)
1891〜98年調査:男55.7歳/女57.1歳
1965〜66年調査:男70.3歳/女75.0歳
(人口統計)

ちなみに、"平均寿命"とは、

「0歳児における平均余命(後どれくらい生きられるか)」ですが、

紀元前11世紀〜1世紀「縄文時代」の日本人の寿命は、
男女とも、14.6歳。

紀元前8世紀〜3世紀「弥生時代」
3世紀〜7世紀「古墳時代」に入っても、
「縄文時代」と、ほとんど平均寿命は変わらず、

「室町時代」(1338-1573)では
15.2歳くらいと推定されています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1325687448
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c6

[近代史5] 日本の料理 中川隆
7. 中川隆[-9017] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:27:25 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[14]
「40年前の食事」4週間食べ続けたらどうなる? 東北大が実験 2016年10月10日

実験で再現された1975年ごろの食事。
いわゆる一汁三菜スタイルの非常にバランスが良いメニューだ(提供:東北大学)
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/1/7/17118.html
 ユネスコの世界無形文化遺産に登録されたのを機に「日本食」への注目が国際的に高まるなか、東北大学の研究グループが今から 40年ほど前に一般家庭で食べられていた食事を 4週間食べ続けたところ、ストレスの軽減や体脂肪率の低下などの効果があることを確認した。

 日本人の平均寿命が延びた要因の一つにあげられる「日本食」。日本食に使われる特有の食品成分が影響していると考えられ、世界中で多くの研究がなされているが、これらの研究は、特定の食品成分にだけ焦点が当てられ、「日本食」全体を調べた研究はない。

 東北大学大学院の都築毅准教授らのグループはかつて、現代と過去の日本食をマウスに食べさせる実験で、1975年ごろに食べられていた食事が、肥満を抑制し糖尿病や脂肪肝、認知症を予防し、寿命を延ばすうえで、最も健康に良いことを確認。

 今回の実験では、年齢 20歳から 70歳までの BMI指数が 24〜30以下の軽度肥満者(60人)と健康な人(32人)の計92人を対象に、1975年の日本食と現代の食事を食べてもらった。

 1日3食28日間食べてもらったあとに、健康診断を行ったところ、1975年型食事を食べていたグループでは、BMIや体重が明らかに減り、悪玉コレステロールや糖尿病の指標となるヘモグロビンA1cが減少傾向を示す一方で、善玉コレステロールは増えたという。

 また健康な人 32人を現代食と 1975年型の食事を食べる2グループに分けて実験した結果、1975年型の食事を食べたグループでは、ストレスが軽減されて、運動能力が良くなることがわかった。

 実験で再現した1975年型の食事の特徴は、

▽主菜と副菜を合わせて3品以上になるよう、さまざまな食材が少しずつ使われており、

▽調理法では「煮る」「蒸す」「生」が多く、食用油を多用する「揚げる」や「炒める」は控えめだった。

▽食材では大豆や魚介や野菜、果物や海藻、きのこ、緑茶を積極的に摂取しており、

▽調味料では出汁や醤油、味噌、みりんなどの発酵系調味料が多く使われていたという。

 実験を行った都築准教授は「約40年前の日本食が健康にいいと広めることで、現代の食生活を見直す食育に役立つことが期待できる」と話している。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c7

[近代史5] 日本の料理 中川隆
8. 中川隆[-9016] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:27:57 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[15]
白米を食べて痩せる!? 話題の冷ご飯ダイエットを徹底解説
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161027-00000012-rnijugo-life
R25 10月27日(木)7時0分配信

外見の美しさやスタイルをキープするために、日々の食事量を制限しているママも少なくないのでは? 

特に最近では、白米を控えるダイエットが流行していますよね。

「おいしい白米を食べられないなんて!」と、嘆いている人は必見。

ご飯にたったひと工夫するだけで、カロリーが抑えられ、健康にも良いと話題になっている冷ご飯ダイエットをご紹介します!


冷やすことで難消化性でんぷんに変わる「冷ご飯ダイエット」

なぜ冷ご飯でダイエットになるの? と思いますよね。その理由は以下の通りです。


1)ご飯を冷やすと小腸や大腸に吸収されやすいでんぷんが、吸収されにくい難消化性でんぷん(レジスタントスターチ)に変わる

2)レジスタントスターチは食物繊維と似た働きを持っていて、糖質や脂質の吸収を抑えてくれる

3)レジスタントスターチは小腸で吸収されにくいため、カロリーが抑えられ、血糖値の上昇もゆるやかに

4)冷ご飯は温かいご飯に比べると固い! その分よく噛むので消費カロリーアップ

5)よく噛んで食事することで満腹中枢が刺激され、満腹感を得やすい

冷ご飯ってこんなに良いことがあるのですね。ちなみに、腸内環境を改善する効果も期待できるそう。

冷ご飯の作り方

炊飯器でご飯を炊いたら、お皿によそっておきます。

粗熱が取れたら冷蔵庫で1時間ほど冷やし、食べる30分前に冷蔵庫から出して、室温で常温にしてからいただきます。

温かくないご飯はちょっと…というママは、ひと手間加えておにぎりにしてみてはいかが? それだけで食べやすくなるはずですよ。

実はご飯以外にも 冷えるとレジスタントスターチに変化する食べ物

ご飯以外にもパスタ・うどんなどの麺類やじゃかいもなどのでんぷんも、冷やすとレジスタントスターチに変化するのだとか。

冷たいうどんや冷製パスタ、ポテトサラダなどは冷たいままおいしくいただけるのでオススメです!

冷ご飯ダイエットの注意点

・電子レンジで加熱するとせっかくのレジスタントスターチの効力がなくなってしまうそうなので、食べる時は室温で常温に戻すこと

・冷蔵庫で冷やしたままのご飯を食べ続けると、胃を痛める可能性があるので、できるだけ常温に戻してから食べること

・カロリーが減ったとしても、食べすぎては意味がないので、1食でお茶碗1杯程度に抑えること

・冷凍庫で急激に冷やすのはNG


以上のことを守って、楽しくおいしくダイエットしましょう!

やはりご飯抜きのダイエットってつらいと思いませんか? 

でもこの冷ご飯ダイエットなら、ご飯を食べてもOK!
3食のうち2食を冷ご飯に替えることができたら、効果がでてくるかもしれませんね。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c8

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
2. 中川隆[-9015] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:29:26 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[16]
日本人は炭水化物を制限してはならない

アメリカでのブームを経て、ここ数年糖尿病や肥満の改善、ダイエットの目的で、「低糖質食」や「低糖質ダイエット」が注目されています。

このダイエットは、糖質とも呼ばれる炭水化物を控えて血糖値の上昇とインスリンの分泌を抑える事で、やがて体が血糖に変えて脂肪が分解されたケトンをエネルギー源にする体質になり、脂肪を燃焼しやすい体になるという仕組みのようです。

現代人が何かと食べすぎなのは間違いありませんが、日本人と欧米人の歴史的な食文化の違いや身体の働きの特徴を考慮せず、安易に飛びつくと却って糖尿病になる危険を孕んでいるようです。


『日本人は炭水化物を制限してはならない』
https://www.amazon.co.jp/%E7%B1%B3%E3%81%A8%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E7%82%AD%E6%B0%B4%E5%8C%96%E7%89%A9%EF%BC%88%E7%B3%96%E8%B3%AA%EF%BC%89%E3%82%92%E5%88%B6%E9%99%90%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E7%AB%A0%E5%A4%AB/dp/4770502052


より引用

※※※※※※※※※※※以下引用※※※※※※※※※※※※※※※※


(前略)日本人に糖尿病が増えたのは、肉・牛乳や乳製品・卵などからタンパク質や脂肪を大量に摂るようになったために、炭水化物の摂取量が少なくなってしまったことに原因がある。

炭水化物の摂取量が減ると、身体のインスリン感受性が低下する。そのため、もっとインスリンを分泌せよと、身体は膵臓のランゲルハンス島にあるβ細胞に指令をだす。インスリンは体内に脂肪を貯めこむホルモンのため、インスリンの分泌が増えると、内臓に脂肪が貯まって身体は肥満する。

内臓脂肪によってインスリンの働きはさらに悪くなる(インスリン抵抗性)。身体はさらなるインスリン分泌を要求する。β細胞はこの要求に応えようと必死に努力するが、やがて疲れ果ててダウンしてしまう。これが糖尿病である。

日本人はもともとインスリンの分泌が少ない。日本人の膵臓のランゲルハンス島は小さく、さらにその数も少ない。日本人のインスリン分泌量は欧米人の1/2〜2/3 と言われている。これは日本人が古来、インスリンをあまり必要としない穀物中心の食生活を送ってきた生理的適応の結果である。

だから、私たち日本人は,米と雑穀を中心とする食生活で生き延びて来られたのだ。「ごはん(炭水化物)をたくさん食べればインスリンがたくさん要るのではないか」と誤解している人もいるだろう。

真実はその反対で、炭水化物中心の食生活ならインスリンは少量で足りるのだ。炭水化物をたくさん食べるとインスリンの働きがよくなるからである。だからこそ、日本人は1000年以上の長きにわたって、インスリン分泌が少なくてもなんの不都合もなく過ごしてきたのだ。

肉や脂肪をたくさん食べるようになると、必然的に炭水化物の摂取量が減少してインスリンの働きが悪くなる。そのため、インスリンの必要量が増える。もともとインスリン分泌能の低い日本人が、多量の肉や脂肪を食べていると、β細胞が身体のインスリン分泌要求に応じられなくなり、インスリンが相対的に不足して、やがて糖尿病になってしまうのである。

現在の欧米人は基本的に肉食で炭水化物の摂取量が少ない。したがってインスリン分泌の要求が高い。彼らのインスリン分泌能力は高いから、膵臓ランゲルハンス島はどんどんインスリンを分泌する。

インスリンは脂肪を貯めこむ働きがあるので、インスリンが多くなると肥る。腹まわりが180cmを肥えるかと思われる男女がアメリカにたくさんいるのは彼らが肉や乳製品をたくさん食べるからだ。

お腹に脂肪が貯まるとインスリンの働きがさらに悪くなる。そこで膵臓のランゲルハンス島が頑張ってもっとインスリンを分泌するようになる。これが高インスリン血症である。こうなると、インスリンは内臓脂肪を蓄積する性質があるため、ますます肥る。欧米の糖尿病患者の多くは肥満と高インスリン血症を経験している。
ところが、インスリン分泌能の低い日本人・アジア人は、肥満と高インスリン血症を経験することなく簡単に糖尿病になってしまうのだ。


身体のメカニズムを取り上げ、効果を理論的に謳っているような健康法も、その理論の前提条件や効果の範囲を認識し、歴史的な事実も踏まえたもっと広い視野で判断する必要があります。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=266452

糖尿病が増えたのは肉や植物油や化学調味料を大量に摂る様になった最近だけ
糖尿病患者数は、図1のようにこの50年間で約35倍と著明に増加している。
https://www.ntt-west.co.jp/osaka-hosp/community/letters/vol_26.html


昭和20年代に1日平均摂取量 穀類500g、脂肪18g

現在はそれぞれ280g、60g


炭水化物の摂取量が半分になっているのに糖尿病患者の数は35倍に増えている

従って糖尿病と炭水化物の摂取とは全く関係ない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c2

[近代史5] 日本の料理 中川隆
9. 中川隆[-9014] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:32:20 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[17]
ご飯はこうして「悪魔」になった〜大ブーム「糖質制限」を考える
現代社会の特殊な価値観と構造
磯野 真穂 文化人類学者 国際医療福祉大学大学院講師
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49908?utm_source=yahoonews&utm_medium=related&utm_campaign=link&utm_content=related


先日ツイッターを見ていたら、ラーメンの写真とともに「こんなの食べるなんて狂気の沙汰!」という投稿が流れてきた。糖質制限を推奨するジムに通い肉体改造に努めていることが投稿者のフィードからわかる。

1ヵ月前には、「白米は太る!」と断言するバリバリの糖質制限キャリアウーマンに出会った。彼女はどうやら「やせること=健康になること」と考えているらしい(ちなみに彼女はどこからどうみても肥満体型ではない)。

10年前に私は、過食嘔吐を繰り返す24歳の女性にインタビューをした。彼女には、「油ものはOKだがご飯ものは絶対ダメと」いう時期があり、その理由は「糖質は血糖値をすぐ上げ身体に悪く、そして太りやすいから」であった。

その時の私は気づかなかったが、彼女はいまや大ブームとなった糖質制限の先駆けだったのである。

「ご飯」とは何か──命の糖質

私の専門である文化人類学は、人間の多様な生き方を、長期にわたるフィールドワークの中で明らかにしていく学問である。

その視点から眺めると、糖質制限はかなり特異な現象であるといえる。食は人間の多様性が如実にあらわれる場所であるが、一方で主食にあたる食べ物にとりわけ大きな価値が置かれることはほぼ共通しているからだ。

たとえば文化人類学者のオードリー・リチャーズは、ローデシア1北西に居住するベンバの下記のようなやりとりを、驚きを持って記録している[1]。


私の目の前で焼いたトウモロコシを4〜5本食べたあと、かれらはこういった。
「おお、腹が減って死にそうだ。俺たちは今日一日何も食べていない。」(47)

1ザンビアとジンバブエを合わせた地域の名称

ベンバが空腹なのは、かれらが大食だからではない。かれらが空腹なのは、かれらにとっての腹を満たせる食べ物がトウモロコシではなく、「ウブワリ(ubwali)」だからである。

ウブワリとは熱い湯と雑穀を3対2の割合で溶いたペースト状の食べ物であり、これがかれらの生活を支えている。


右上のものがウブワリ(wikimedia.org)

かれらはウブワリと共に、日本語でいうおかずに当たる「ウムナニ(umunani)」も口にするが、ウブワリが食事の中心にあることには変わらない。ウブワリだけでは物足りないが、ウムナニだけでは食べた気がしないのだ。

またウブワリは、ウブワリそのものだけでなく、食事全体のことも指す。このことからもかれらにとってウブワリの重要性がわかるだろう。

ベンバにとってのウブワリは私たち日本人にとってのご飯である。「ご飯」「飯(めし)」は字句通りにとれば、炊いた米のことであるが、それは同時に食事そのものを指すし、飲みの席での役割は食事を〆ること、すなわち終わらせることだ。昭和生まれの人であれば「米を食べないと食った気がしない」というフレーズを一度は聞いたことがあるだろう。

ウブワリやご飯のように食事の核を担う糖質2と、それに味と彩りを与える少量のさまざまな料理という組み合わせは世界に広くみられる人々の食事のあり方である[2]。

もちろん気候が寒冷といった理由により、穀物をほとんどとらない民族も存在するが、相当数の人々が糖質によって命をつながれ、そしていまもつながれていることは間違いがない。

2厳密には、炭水化物は糖質のみでできているわけではない。たとえばご飯には糖質のほかに、食物繊維、ビタミン、たんぱく質、脂質なども含まれている。ここでは話をわかりやすくするため、糖質で統一している。

糖質は「悪魔」だったのか?

しかし糖質制限の流行により、糖質の地位はかつてないほど地に落ちた。

糖質制限派のメッセージは過激なほどに明快である。『炭水化物が人類を滅ぼす』『日本人だからこそ「ご飯」を食べるな』といった本のタイトルに始まり、糖質制限の第1人者である江部康二氏の著書『主食をやめると健康になる』[3]の帯のメッセージは「ご飯・パンの糖質が現代病の元凶だった!」である。

これら書籍に目を通すと、糖質を中心とした食事の怖さがこれでもかというほど並び、しかもその多くが医師という権威ある人々によるものであるため、ふつうにご飯を食べていたら病気だらけの悲しい未来しか待っていないように思えてくる。

たとえばこんな具合だ。


穀物という神は、確かに1万年前の人類を飢えから救い、腹を満たしてくれた。その意味ではまさに神そのものだった。

しかしそれは現代社会に、肥満と糖尿病、睡眠障害と抑うつ、アルツハイマー病、歯周病、アトピー性皮膚炎を含むさまざまな皮膚疾患などをもたらした。

現代人が悩む多くのものは、大量の穀物と砂糖の摂取が原因だったのだ。人類が神だと思って招き入れたのは、じつは悪魔だったのである。(『炭水化物が人類を滅ぼす』(夏目睦著)[4])

厚生労働省が1947年(昭和22年)に出した『国民栄養の現状』[5]によると、日本人の1日の栄養摂取は、全体の72%が穀類から、11%が芋類からであり、1日のカロリー摂取のかなりの部分を糖質制限ダイエットで積極的に制限される炭水化物に依存していることがわかる。

また、それより10年前の1936年(昭和12年)に発刊された『栄養読本』[6]には、日本人の栄養摂取量の85%は炭水化物であり、さらにそのほとんどが米であることが、日本人は1日3回白米を食べるという記載、労働者に至っては一日5合の米を食べるという記載からうかがえる[6]。

もっと時代をさかのぼり江戸時代にいたっても、80%の人々がその量の差はあれ1日3回白米を食べており[7]、それほど裕福ではなかっただろう農村地帯3でも、1食当たり2〜3合の米とキビの混ぜご飯を食べていたという記録が残っているという[8]。

ここから明らかなように、白米に代表される糖質は、日本人が追い求め、そして実際に日本人を生かしてきた食べ物である。しかし21世紀に入り、その糖質を悪魔と呼ぶ人が現れた。当時の人がこれを聞いたら目をぱちくりさせるに違いない。

3飛騨高山の農村地帯の例


〔PHOTO〕gettyimages

原始時代と糖質制限

糖質はなぜここまで悪者になってしまったのか?

糖質制限派の主張できわめて興味深いのが、その絶対的な根拠を原始時代に求めていくところである。

著者により多少のずれはあるものの、大枠で共通する糖質制限派の主張は次のようなものだ。


人類は700万年近くを狩猟・採集で過ごしており、その間、人類は高タンパク・高脂質の食事をとっていた。糖質が食事の中心になったのはわずか1万年前のことであり、人間の身体は糖質を大量に摂取するようにはデザインされていない。2型糖尿病、肥満、心疾患といった生活習慣病の大元は糖質過多の食事にある。

私は、糖質制限により体重が減ったとか、2型糖尿病が改善されたという人々の体験やデータ自体に疑問を持っているわけではない。糖質制限は実際にそのような効果を多くの人にもたらしてきたのだろう。

しかし注意したいのは、その事実が、原始時代の人々が糖質をほとんど食べていなかったとか、原始時代の食生活が人間にとってもっとも理想的であるといったことの証明にはならないということである。

実際、進化生物学が専門のマーリーン・ズック(Marlene Zuk)[9]は、原始時代に正当性の根拠を求める糖質制限派の主張を、「パレオ・ファンタシー」(Paleo Fantasy:原始へのあこがれ)と名付け批判的に論じている。

まずズックは、初期人類であるネアンデルタールやアウストラロピテクス・セディバの歯に穀物を採集・調理していた痕跡があることを挙げ、私たちの祖先が肉食中心だったというパレオ派の主張に疑義を唱える。

加えて、人類は時代や場所に応じて様々な食べ方をしているため、ある時代の人類が同じ食べ方をしていたという見方にはそもそも無理があるし、仮に一部の狩猟採集民が肉ばかりを食べて生きていたとしても、そのことと、かれらにとって肉食が最適かどうかは別の話しであると述べる。

さらに、「農耕が始まってから1万年余しか経過していないため、人間の身体は糖質過多の食事に適応できていない」というパレオ派がよくなす主張に対しては、「1万年は十分な時間である」と喝破する。

チベット人が標高数千メートルの高地で生活できるようになったり、乳製品を効率よく消化することのできる、進化したラクターゼ活性持続遺伝子を持つ人々が現れたりしたのはこの数千年であることからわかるように、人間の身体はもっと短いタイムスパンでも変化しうるからだ。

人類はある時期環境に完璧に適応した健康な生活を送っていたが、時代が下るほどにそこから離れていったというパレオ派の考えは、進化についての誤解であるというのがズックの主張である。

また進化生物学者の言葉を待たずとも、原始時代に回帰する糖質制限派の主張に無理があることは、素人の私たちにも予想がつきそうだ。

もし糖質を中心に食べることが、人類という種にまったくそぐわないものであれば、栄養摂取の8割強が炭水化物からであった昭和初期の人々は次々と生活習慣病を発症していただろう。

しかし生活習慣病にかかるのはかれらではなく、糖質からの栄養摂取がそこから2割近く落ち込んだわれわれなのである[10]4。この矛盾を私たちはどう説明したらいいのだろう。

4平成26年国民栄養調査によると同年の炭水化物エネルギー比率は59.0%である。

これについては第1人者の江部氏[3]が奇しくも著書の中で明快に説明している。


明治や戦前の日本人は、総摂取カロリーの7〜8割が米飯(主に白米)だったにもかかわらず、2型糖尿病がほとんどありませんでした。当時の日本人の日常生活における運動量は、現代人の10倍近かったと思います。 結論としては、運動量が現代人くらいだと、白米を一定量以上食べると、とくに女性の場合は2型糖尿病のリスクになるということです。

つまりここから言えることは次のことではないだろうか。


現代人、特に運動量のあまりない女性が白米をたくさん食べると2型糖尿病のリスクがあがる。白米を減らす、あるいは運動量を増やすとこのリスクを下げることができそうだ。

運動量が多ければよいのであれば、糖質がすべての元凶であるという糖質制限派の主張には齟齬が生じてくるといえよう。

なぜ糖質制限はブームになりえたのか?

糖質制限の根拠に原始人を持ち出すことは、2型糖尿病の人々に効果を示した食事法5を一般に広げる上でかなり有効であったといえる。

私たちの中に眠っている700万年前の原始の能力が、糖質をカットすることにより目覚め、体重は落ち、健康になり、集中力も上がるという糖質制限派の主張は魅力的だし、ロマンがある。

しかし私はこの食事法が「人間本来の食事」「人類の健康食」6といった言葉と共に、万人にとって素晴らしい食であるかのように広がってゆくことに危惧を覚えている。


5糖質制限食は2型糖尿病患者に一般的に適用される食事療法ではない。一部の施設において実施され、効果を示した食事法である。
6いずれも江部氏の『主食をやめると健康になる』[3]からの抜粋である。

日本社会は、肥満が問題になる一方で、やせすぎの若年女性の多さとそれゆえの健康被害が懸念される国でもある。

もともとそれほどご飯を食べていなかった標準体型の女性が、もっとやせたいと願って「人間本来の食事」である糖質制限を実行することは、そもそも人間本来のあり方なのだろうか? 成長期の子どもがネットで糖質制限のことを知り、それを実行することはよりよい成長を導くのだろうか?

糖質制限が2型糖尿病の人々を超えて多くの人に受け入れられたのは、「食べたいけどやせたい」という現代人特有の欲望をなんといっても満たしてくれたことにある。

そして、「食べたいけどやせたい」という欲望は、やせていることが評価される社会でなければ生まれえない。食料不足の危機がある社会では、身体に脂肪を蓄えられることがステータスになるため、食べてもやせるという、現代人をひきつける糖質制限の特徴は魅力にはならないし、そのような社会では栄養不足によるやせの方がよっぽど深刻であるからだ[11]。

たくさんの食べ物があふれ、貧しい人でも簡単に太ることができ、やせることが無条件に美しさ、カッコよさ、聡明さ、自己管理能力の高さと結びつく、人類史稀に見る社会状況にフィットすることにより糖質制限はブームになった。

しかしその事実は、生理学的な説明と、原始への憧れにより巧みに覆い隠されている。糖質制限はほんとうに「人類の健康食」なのだろうか? それは限られた時代の、限られた地域の、限られた人々にとっての健康食ということはないだろうか?

普遍化の裏側にあるものは、現代社会のきわめて特殊な価値観と構造であることに目を向けて、いまいちど糖質制限の功罪を考えてみたい。


▲△▽▼

白米を食べるとやせる!? バブル期に誕生した真逆ダイエットとは
ご飯はこうして「悪魔」になった【2】
磯野 真穂 文化人類学者 国際医療福祉大学大学院講師
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50738


3000億円規模の「糖質制限」市場

すでに2000億円から3000億円規模の市場に成長したといわれる糖質制限。コンビニで手軽に買い求められるだけでなく、外食店でも麺抜き、ご飯抜きが可能になるなど、その勢いはとどまるところがない。もはや糖質は、この食事法を厳格に実践する人々にとって、自らの健康を揺るがす「モンスター」と化したといえよう。

しかし遡ることいまから30余年前、1980年から21世紀を回るくらいの時期にかけ、糖質制限と正反対の食事法があったことを覚えている人はどのくらいいるだろう。

その食事法の名前は「鈴木式」。創始者は、鈴木その子氏である。

鈴木氏は、晩年に近くなると、その独特の風貌からメディアではキワモノ扱いされることが多かった。このため彼女の原点が在野の料理研究家であることを知る人は意外と少ないのだが、この鈴木その子氏こそ、医学と栄養学の見地および自身のレストランである「トキノ」での実践を元に、独自の食事法である「鈴木式」を作り上げた人物である。

氏が、その成果をもとに1980年に発刊した『やせたい人は食べなさい―減量常識を破る奇跡の鈴木式』[1]は、瞬く間にベストセラーとなり、その後ミリオンセラーを達成した。

私の手元にある本著は、発売から6年後の72刷版。表紙の袖には次の2つの体験談が紹介されている。


1週間でウエストが細く……
「食いしん坊で、たくさん食べるのに、なぜ太らないの?」
と、友人たちに羨ましがられる私ですが、本書を読んでその理由がわかりました。そこで、あらためて「鈴木式」を実行したら、身長164センチ、体重51キロの私が、わずか1週間で、体重が2キロ減り、ウエストが2センチ細くなりました。

6か月で20キロ減量成功
入社以来14、5年で体重が30キロも増え、99キロに肥満した私は、内臓のすべてを害して、最低6か月の入院加療を宣告された。肥満で死ぬとは信じられず、美食の楽しみをあきらめきれなかった。そんなとき鈴木先生を知り、指導を受けて、病気は治り、体重が6か月で20キロ減、ウエストも30センチ細くなった。

当時一世を風靡した鈴木式。いったいどのような食事法なのだろう?


〔PHOTO〕gettyimages

やせたいのならご飯を食べろ

鈴木式で特筆すべきは白米の扱いである。糖質制限派が「悪魔」と称することすらある白米であるが[2]、鈴木式ではその白米を1日3回食べることが必須となる。

しかもその量はハンパではなく、女性であれば1食180〜240グラム、男性であれば300グラムが推奨される。これは、糖質制限派の中でも緩やかな論を展開する医師の山田悟氏が勧める1回の白米量70グラムを優に超える量だ[3]。

これだけでもすでに驚きであるが、鈴木式はそれだけにとどまらない。やせ気味の人には饅頭やアメのような脂質が低く、糖度の高い食べ物をおやつと夜食として食べることが勧められるのだ。糖質制限ブームの最中にあっては、自らデブと病気を招いているといわれても仕方のない食事法である1。

いったいこの食事法の背景にはどんな理論があるのだろう。糖質制限と対照的な部分に着目しつつ、そのエッセンスをいくつかとりあげてみたい2。

1「生野菜を食べすぎるな」、「水分の摂り過ぎを控えよ」というように、ダイエットにいそしむ人が嬉々としてとりいれそうな手法も鈴木式は次々と否定する。
2鈴木式の紹介に関しては、初作の『やせたい人は食べなさい―減量常識を破る奇跡の鈴木式』とその続編である『新・やせたい人は食べなさい:奇跡の鈴木式・スーパーダイエット』を参考にした。


ブドウ糖はたっぷりと補給すべし

糖質制限はインシュリンの過剰分泌を抑え、血糖値の変動を緩やかにすることに力点が置かれる。一方、鈴木式は、体温を保ったり、血液を流したり、呼吸をしたりと、24時間活動し続ける身体に十分なエネルギー補給をすることに力点が置かれており、この違いが両者の袂を分かつ。

鈴木式が最も危惧するのは、やせようとして糖質を過度にカットした結果、活動するためのエネルギーが足りなくなり、筋肉や内臓といった組織を作りあげる体タンパク質がエネルギー不足を補うために分解されることである。

鈴木氏はこれを車に例える。糖質はガソリン、体タンパク質はエンジンや外枠、タイヤなどボディに当たるものであり、ガソリンが足りないからといってボディを分解してガソリンにしたのでは、車体にガタがくるだけで本末転倒であると警告する。

したがってまず私たちは、活動するためのエネルギーを十分に身体にとりいれなければならない。その点で、血中に入ってすぐにブドウ糖に変換される糖質は身体にとってもっとも効率のよいエネルギー源となる。

鈴木式がやせ気味の人に1日3回の白米に加え、2回の間食を勧めるのは、24時間活動するためのエネルギーを十分に補充することで、車でいうボディがエネルギー作りのために分解されるのを防ぐことにあるのだ。

さらに鈴木氏は「エネルギーが足りなくなれば脂肪が燃えるから問題ない」という考えを頭から否定する。24時間動き続ける脳と自律神経の主たるエネルギー源はブドウ糖であるため、脂肪で代用することはできないからだ。

ここまで書くと「脳はケトン体もエネルギーにすることを知らないのか?」という批判が糖質制限派から聞こえてきそうである。

実際、肝臓で作られるケトン体について鈴木式は一切ふれていない。このため鈴木氏は、ケトン体について知らなかったことが推測されるのだが、たとえ知っていたとしても、糖質摂取を推奨したと思われる理由がある。

それがエネルギーを作るために内臓に負荷をかけるなという鈴木式第2のポイントだ。

内臓に負荷をかけるな

糖質制限では、糖質をとらずとも肝臓で行われる糖新生によりブドウ糖が作られるため、ブドウ糖不足に陥ることはない。また肝臓で行われる糖新生にかなりのエネルギーが使われるため、それが体重減少の一因となることが解説される[5]。

しかし鈴木式ではまさにこの点が憂慮点となる。なぜなら鈴木氏は、糖新生で肝臓が使われ、その際にできた老廃物を排出するために腎臓が使われることを、肝臓や腎臓への「負担」として問題視するからだ。

糖質であれば、老廃物をためることなく素早くエネルギーを作り出すことができるのに、なぜわざわざ遠回りをし、他の臓器に負担をかけてエネルギーを作らねばならないのか?エネルギー生成は糖質摂取でまかない、肝臓や腎臓にはそれらにしかできない仕事をしてもらった方が、健康な身体作りができる、というのが鈴木式の発想である。

一方鈴木式は、糖質制限で問題とされるインシュリンの過剰分泌、血糖値の大幅な変動、食後高血糖については一切ふれていない。また鈴木式の理論をそのまま糖質制限に引き継げば、インシュリンを作り出す膵臓に過度な負担をかけるという見方ができそうであるが、この点についての言及もない。

これは1980年代に手に入る知識の限界に加え、この2つの食事法の原点が違うことにあるだろう。糖質制限が、糖尿病の治療に端を発する一方で、鈴木式の原点は、摂取カロリーをひたすら落としてやせようとした結果、健康を害し快適な生活が送れなくなった人たちの健康を取り戻すことにある。

糖質制限が血糖値の揺れに着目する一方で、鈴木式が活動のために効率的なエネルギー摂取に着目する理由は、もともとの目的の差異にあるといえるだろう。

タンパク質と脂質はまずご飯から

とはいえ、鈴木式は糖質さえあればほかの栄養素はいらないといっているわけではない。白米からでは補えない栄養素を副食で適切に補うことが強く推奨される。

この点は、糖質以外の栄養素をバランスよくとることを勧める糖質制限とかぶるのであるが、鈴木式は内臓に負担をかけない低タンパク質・低脂肪の副食を推進する点で糖質制限と異なる。

これは鈴木式が、ご飯に始まり、野菜や豆といった食べ物に含まれるたんぱく質と脂質に着目することに起因する。

たとえば鈴木氏は、1回の推奨量であるご飯240グラムには、牛乳200CCに含まれるたんぱく質と同量の12グラム強が含まれ、豆腐一丁には約10グラムの脂肪が含まれることを紹介する。

つまり意識してタンパク質や脂肪をとらずとも、ご飯中心の食事から成人に必要なたんぱく質と脂質はきちんと摂取できるため心配には至らないということなのだ。


鈴木式と糖質制限、奇妙な類似

このように食べ方のみならず理論において真っ向対立する鈴木式と糖質制限であるが実は類似点も多い。

たとえば、多くのダイエット法が一過性のものであることに対し、両の食事法はそうではない。またカロリー計算は不要と言い切る点、当時の権威に対して真っ向対立し、激しいバッシングを受けながらも成功事例を積み重ね地位を確立してゆくプロセスなども酷似する。

そして数ある類似点の中でも特筆すべき点が、双方の食事法が提示する「全体的な健康観」である。ここでいう全体的な健康観とは、生活習慣病から子どもの問題まで、人生に起こる様々な悩みや不調に効果が期待できるといったホリスティックな健康観を、両の食事法が提供していることを指す。

たとえば鈴木氏は、自らが考え出した食事法は、高血圧、腎臓病、心不全、生理不順の解消、安産の実現、さらには子どもの家庭内暴力にまで力を発揮すると述べる。

なんとそこには糖尿病の改善事例も報告されており、鈴木式を4ヵ月実行したことで食後血糖値392が正常値の140にまで下がり、さらには悩まされていた吹き出物も消えたという35歳の女性の事例が報告される[6]。

これは糖質制限にも同様にみられ、たとえば第一人者である江部康二氏の著書には、脳梗塞、脳出血、心筋梗塞、生活習慣がかかわっているとされるがんの予防効果が期待できると書かれ、事例には花粉症、尿漏れ、脂肪肝といったさまざまな不調が改善したという声が紹介される[5]。

同様に2016年に出版された『糖質制限が子どもを救う』(三島学著/江部康二監修)には、冷え症、アトピー、不登校が解消したことに始まり、糖質制限により子どもの学力がアップしたという事例までもが報告され、大人のみならず子どもへの効果が謳われる3。さらにはがんの予防のみならずがんの治療にも効果が期待できると発言する医師もいる。


3子どもへの糖質制限については、すべての推奨派が賛同しているわけではない。制限派の医師の一人である山田悟氏は子どもへの糖質制限には反対の立場をとっている。

全く正反対の食事法でありながら、その効果として期待できるものはほぼ同じであり、さらにこれが事例によって支えられているという事実を私たちはどのように受け止めるべきなのであろう。

まず科学という視点からこの食事法を捉えることは保留したい。研究の成果が蓄積されているのは圧倒的に糖質制限であるが、糖尿病の治療に効果があるという結果の蓄積はあるものの、がんの予防から子どもの不登校にまで効くというデータはそろっていない。

ただその事実をもって、糖質制限で示される様々な成功事例を否定することは避けるべきだ。私たちは何が事実か、真実かを決める際に科学的根拠を持ち出しがちであるが、疫学統計をもとにした科学的根拠は、あくまでもサンプル全体の傾向を示しているだけであり、傾向から外れたところにあるものがなぜ外れたのかを説明する力はないし、ましてはそれらを嘘あるいは偶然として片づける力はない。

そしてこれは同様に、鈴木式にも当てはまる。研究の蓄積が乏しいからといって、鈴木式の成功例は嘘や勘違いであるということはできないし、糖質制限の事例はほんとうで、鈴木式の成功事例はまがいものという結論を引き出すこともできない。私たちはどちらの成功事例にも真実があるとみるべきであるし、失敗事例においてもそこになんらかの真実があると見るべきなのだ。

つまり糖質制限も鈴木式も、やせるということにおいて力を発揮しただけでなく、やせるだけにとどまらない効果を発揮した人が数多く存在する食事法なのである。

サイエンスの限界

対照的でありながら酷似する2つの食事法から私たちが学ぶべきことなんであろう。私はそれは、人間という存在の不思議さ、わからなさに対する謙虚さではないかと考える。

同じ国の中でも数十年遡るだけで、いまとは全く正反対の食事法が発見され、そこで同じような成果を実感した人がいる。

さらに世界を見渡せば、私たちのように米を主食にしてきた民族がいる一方で、イヌイットのように肉がメインの民族もいる。ところが南半球に行くと、パプア・ニューギニア高地の人々のようにイモ類に摂取カロリーのほとんどを頼る民族がいる。そしてある食事法の推進者から見れば、確実に健康を損ねるような食べ方をしている人々が、一同早死にというような末路を辿ることなく、生活を営んできたという歴史が存在する。

またそれだけでなく、食には、生物としての命をつなぐという役割のほかに、他の人とのつながりを作るという役割がある。結婚式や、季節の行事など、私たちは特別な場面で特定のものを口にしたり、あるいは通常の食事をはるかに超える量を食べたりすることがあるが、そのような場面での食の目的は、食べ物を通じて、自分を取り巻く人々、環境とのつながりを作り出し維持することにある。

数々の健康被害をもたらすとされるアルコールが多くの民族において欠かせない飲料となっているのがそのよい例であろう。私たちが社会的な存在であり、一人では生きていけない以上、社会的紐帯を作り出すという食の役割を過小評価すべきではない。

このような形で人間の食の多様性とその社会的役割を見てゆくと、サイエンスの旗を掲げて人間の食のあるべき姿を語ることは不可能であることがわかるだろう。日本人にとってのベスト、人類にとっての健康食という形で、ある食事法が一般化され始めたとき、その食事法は「科学」ではなく、「思想」になるのだ。

その思想に伸るか反るかは自由である。

しかし一つの食事法を実践する過程で、これまで何の気なしに食べていた食べ物あるいは栄養素に対して恐怖や敵意が埋め込まれ、そのことが、社会的な存在としての私たちのあり方を狭めたり、ある特定のビジネスに誘導されたりすることにつながらないかは注意すべきである。もしそうなっていたら、そこで示される全体的な健康観は幸せの皮をかぶった囲い込みであろう。

寄って立つところを強力に与えてくれる先導者は、メンタルやフィジカルなど、何かに不安を抱える人々にとってたいへん魅力的な存在に映る。そしてその人の言葉に従うことで安心感が得られる場合も多い。しかし学問の専門性が細分化されたいま、どんなに優れた専門家であっても私たちの人生の専門家になることはできない[7]。そして食は私たちの人生の根幹にかかわる問題なのだ。

そのように考えると、私たちが食に不安を抱えた際に頼るべき専門家は、力強い言葉で私たちの代わりに選択をしてくれる専門家ではなく、私たちの多様な人生に伴走する形で専門知識を用い、その時々に応じてベストな答えを引き出すことをサポートしてくれるプロフェッショナルであるといえるだろう。

一見、弱そうな専門家がもしかしたらもっとも強いことだってあるかもしれない。

1. 鈴木その子, やせたい人は食べなさい―減量常識を破る奇跡の鈴木式. 1980, 東京: 祥伝社.
2. 夏井睦, 炭水化物が人類を滅ぼす〜糖質制限からみた生命の科学〜 2013: 光文社新書(電子書籍版).
3. 山田悟, 糖質制限の真実―日本人を救う革命的食事法ロカボのすべて. 2015: 幻冬舎.
4. 鈴木その子, 新・やせたい人は食べなさい:奇跡の鈴木式・スーパーダイエット. 1990: 祥伝社.
5. 江部康二, 主食をやめると健康になる. 2012: ダイヤモンド社(電子書籍版).
6. 鈴木その子, カロリーなんか忘れなさい<完全版>―食べて・やせる・鈴木式健康法. 2001, 東京: 祥伝社.
7. Giddens, A., モダニティと自己アイデンティティ : 後期近代における自己と社会. 2005, 西東京: ハーベスト社.

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c9

[近代史5] 日本の料理 中川隆
10. 中川隆[-9013] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:33:27 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[18]
ご飯、うどん・・・ 炭水化物減らすダイエット 60代後半で老化顕著に 
糖質制限ご用心 2018年03月15日

 糖質制限ダイエットは老後にしわ寄せも──。ご飯やうどんなどの炭水化物を減らした食事を長期間続けると、高齢になってから老化が早く進み、寿命も短くなるとの研究を東北大学大学院がまとめた。糖質制限は「内臓脂肪を効率的に減らす」と話題になっているが、マウスを使った試験では人間の年齢で60代後半からの老化が顕著だった。研究内容は名古屋市で15日から始まる日本農芸化学会で、17日に発表する。(立石寧彦)

東北大大学院が報告

 同大学院農学研究科のグループは、食事の量を減らさず炭水化物の量を制限し、その分をタンパク質や脂質で補う「糖質制限食」について、摂取と老化の影響を分析。マウスに日本人の一般的な食事に相当する餌を与えた場合と、糖質制限食を与えた場合を比較した。ビタミンやミネラルは同じ量を与えた。

 一般的な食事を与えたマウスは多くが平均寿命よりも長生きしたが、糖質制限食では平均寿命まで生きられなかった個体が多かった。死んだ個体は平均寿命より20〜25%ほど短命だった。また、糖質制限の個体は見た目も同齢の一般食の個体と比べて背骨の曲がりや脱毛などがひどく、老化の進度が30%速かった。

 同科の都築毅准教授によると、現時点で詳しいメカニズムははっきりしていないが、「糖質制限食の個体は、血液中に多く存在するとがんや糖尿病の発症が早くなる可能性が高まる物質が多くなっていた」と、食事による違いを指摘する。

 さらに、若い時期は影響が目立たないために健康そうに見えるが、加齢が進んで人間の年齢換算で60代後半になると、外見的な老化が進行し、皮膚の状態の悪さがはっきりしてくるという。

 同グループは「長期の糖質制限はマウスの皮膚や見た目の老化を促進し、寿命を短くする」と結論付けた。都築准教授は「極端な食事スタイルは健康維持に有益ではないと発信し、誤った食生活を見直すきっかけにしてほしい」と期待する。

「同時に運動」 効果的 全農が提唱

 そもそも、炭水化物は太る原因なのか──。糖質制限が話題となる一方で、米飯を中心とした健康づくり活動も活発だ。

 JA全農は、スポーツクラブを運営するルネサンスと「おにぎりダイエットプログラム」を共同開発。おにぎり中心の食事とトレーニングを組み合わせて、無理なく体重を減らせるため「米はダイエットの敵ではない」として、2016年から成果を広めている。

 プログラムでは、年代や性別などから1日の消費カロリーを計算し、食べるおにぎりの個数を決定。筋力トレーニングやランニングと組み合わせた結果、16年の調査では1カ月で7割が500グラム以上減量。17年は1カ月で7割が腹囲を1センチ以上減らせた。

 おにぎりはパンや麺類などの他の炭水化物と違い、コレステロールを含まないため、同量ならばご飯の方がカロリーは低いという。東京・大手町のJAビルでJA全中が運営する「ミノーレ」では、炊き立てのご飯を入れて提供する弁当が人気だ。売り上げは09年のオープン当時の1日250個から、550個と倍以上に増えている。大盛りを頼む人も多いという。
https://www.agrinews.co.jp/p43551.html


マウス同様、類人猿も人類も元々植物食なので糖質制限は合わないのですね。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c10

[近代史5] 日本の料理 中川隆
11. 中川隆[-9012] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:34:15 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[19]
日本を作った「イネ」。そのすごい力とは?
2018年07月05日 稲垣栄洋(植物学者)
https://shuchi.php.co.jp/the21/detail/5343?

日本の人口密度を支えた「イネ」のパワー


「人類の歴史は、植物の歴史でもある」……。植物学者の稲垣栄洋氏はそう指摘する。確かに人類は植物を栽培することによって農耕を始め、技術を高め、文明を生み出した。そして、そこから生まれた富を争って戦争が始まった。また、イネ、コムギ、コショウ、トウガラシといった植物は、人々の食生活や文化をも変えてきた。

では、植物から見ると歴史はどのように見えるのだろうか。中でも日本人にとって極めて身近な「コメ」について、

稲垣氏の著書『世界史を大きく動かした植物』
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%82%92%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%8F%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E6%A4%8D%E7%89%A9-%E7%A8%B2%E5%9E%A3-%E6%A0%84%E6%B4%8B/dp/456984085X


を元に解き明かしていただいた。


イネはコムギの数倍の生産性を誇る

イネはもとをたどれば東南アジアを原産とする外来の植物である。しかし、今ではコメは日本人の主食であり、神事や季節行事とも深く結びついている。日本の文化や日本人のアイデンティティの礎は稲作にあると言われるほど、日本では重要な作物となっているのだ。

どうしてイネは日本人にとってこれほどまでに重要な存在となったのだろうか。

イネは東南アジアなどでも盛んに作られているが、数ある作物のうちの一つでしかない。食べ物の豊富な熱帯地域では、イネの重要性はそれほど高くないのである。

日本列島は東南アジアから広まったイネの栽培の北限にあたる。

イネはムギなどの他の作物に比べて極めて生産性の高い作物である。イネは1粒の種もみから700〜1000粒のコメがとれる。これは他の作物と比べて驚異的な生産力である。

15世紀のヨーロッパでは、コムギの種子をまいた量に対して、収穫できた量はわずか3〜5倍だった。これに対して17世紀の江戸時代の日本では、種子の量に対して20〜30倍もの収量があり、イネは極めて生産効率が良い作物だったのである。現在でもイネは110〜140倍もの収量があるのに対して、コムギは20倍前後の収量しかない。


「コメと味噌汁」は栄養学的に優れている

さらにコメは栄養価に優れている。炭水化物だけでなく、良質のタンパク質を多く含む。

さらにはミネラルやビタミンも豊富で栄養バランスも優れている。そのため、とにかくコメさえ食べていれば良かった。

唯一足りない栄養素は、アミノ酸のリジンである。ところが、そのリジンを豊富に含んでいるのがダイズである。そのため、コメとダイズを組み合わせることで完全栄養食になる。ご飯と味噌汁という日本食の組み合わせは、栄養学的にも理にかなったものなのだ。

かくしてコメは日本人の主食として位置づけられたのである。

一方、パンやパスタの原料となるコムギは、それだけで栄養バランスを満たすことはできない。コムギだけではタンパク質が不足するので、どうしても肉類などを食べる必要がある。そのため、コムギは主食ではなく、多くの食材の一つとして位置づけられているのである。


稲作に適した日本列島

さらに日本列島はイネの栽培を行うのに恵まれた条件が揃っている。

イネを栽培するには大量の水を必要とするが、幸いなことに日本は雨が多い。

日本の降水量は年平均で1700ミリであるが、これは世界の平均降水量の2倍以上である。日本にも水不足がないわけではないが、世界には乾燥地帯や砂漠地帯が多い中で、水資源に恵まれた国なのである。

日本は、モンスーンアジアという気候帯に位置している。モンスーンというのは季節風のことである。アジアの南のインドから東南アジア、中国南部から日本にかけては、モンスーンの影響を受けて雨が多く降る。この地域をモンスーンアジアと呼んでいるのである。

5月頃にアジア大陸が温められて低気圧が発生すると、インド洋の上空の高気圧から大陸に向かって風が吹き付ける。これがモンスーンである。モンスーンは、大陸のヒマラヤ山脈にぶつかると東に進路を変えていく。この湿ったモンスーンが雨を降らせていくのである。

そのため、アジア各地はこの時期に雨季となる。そして、日本列島では梅雨になるのである。

こうして作られた高温多湿な夏の気候は、イネの栽培に適しているのである。

それだけではない。冬になれば、大陸から北西の風が吹き付ける。大陸から吹いてきた風は、日本列島の山脈にぶつかって雲となり、日本海側に大量の雪を降らせる。大雪は、植物の生育に適しているとは言えないが、春になれば雪解け水が川となり、潤沢な水で大地を潤す。

こうして、日本は世界でも稀な水の豊かな国土を有しているのである。


「田んぼを作る」のは簡単ではない

もっとも、雨が多ければイネを栽培できるというほど単純なものではない。イネを栽培するためには、水をためる田んぼを作らなければならないのだ。ところが、これが簡単ではなかった。

日本の地形は山が急峻であることで特徴づけられる。山に降った雨は一気に平野へ流れ込み、増水してあちらこちらで水害を起こす。そのため、日本の平野部は人の住めないような湿地帯が広がっていたのである。そうかと言って高台に住んでいれば、雨水は一気に流れ去ってしまうから、田んぼに使う水を確保できない。雨が多くても、実際に田んぼを拓き、イネを栽培することは簡単ではなかったのである。

田んぼを作るには、山から流れる川の水を引き込んで、田んぼの隅々にまで行き渡らせることが必要である。こうして、大きな川から小さな川を引き、小さな川から田んぼに水を行き渡らせて、田んぼに水をためることによって、山に降った雨は一気に海に流れ込むことなく、地面を潤しながらゆっくりと流れるようになったのだ。

「何もない」景色に隠された途方もない努力

途方もない労力と時間を掛けて、人々は川の氾濫原を田んぼに変えていった。日本の国土にとって、田んぼを作る歴史は、激しい水の流れをコントロールすることに他ならなかったのである。

「田んぼはダムの役割がある」と言われるが、それは単に水をためているからではなく、急な河川の流れをなだらかにして、ゆっくりと流れながら大地を潤し、地下水を涵養することから、そう言われているのである。

戦国時代の日本では、同じ島国のイギリスと比べて、すでに6倍もの人口を擁していた。その人口を支えたのが、「田んぼ」というシステムと、「イネ」という作物だったのである。

ただ、私たち日本人にとって田んぼという風景は当たり前すぎて、田んぼしかないところは「何もない」と表現されてしまう。そして、田んぼが埋め立てられてコンビニでもできれば、「何もなかったところに店ができた」と言われてしまう。

しかし、そこに田んぼがあるということは、血のにじむような先人たちの努力があったということなのである。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c11

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
3. 中川隆[-9011] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:35:40 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[20]
カロリーの大部分を炭水化物から摂取する人たちが世界で一番健康だった :
「世界で最も健康な心臓」を持つボリビアの先住民族の食事に関する5年間に渡る医学的調査が結実:2018年11月5日
https://indeep.jp/what-suggestins-of-indigenous-population-tsimane-diet/

食事の支度中のアマゾンの先住民族チマネ族

南米ボリビアに「チマネ族」という先住民族がいます。

私は今回のニュースリリースで初めて知った人たちなのですけれど、調べてみると、すでに、このチマネ族という人たちは「地球上で最も健康な体を持つ人たち」として知られているようです。

特に「心臓と血管の疾患と無縁の人々」ということで、数年前から医学関係の研究者たちの間で注目されている人たちだったようです。

そのチマネ族についての、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校と、アメリカ保健福祉省や国立衛生研究所などとの共同プロジェクトとして、その「保険と健康に関しての調査」が行われていたのですが、数日前に、その研究の結果が大学のウェブサイトに記事として掲載されていました。

場合によっては興味深い内容かもしれないその記事をご紹介しようと思います。

研究は 5年に渡り現地で調査が続けられたもので、その最大のテーマは、

「彼らは何を食べているのか」

ということでした。

「心臓疾患や糖尿病と無縁の彼らの基礎を作る食事は何か」

ということを徹底して調べたのです。

いわゆる日本やアメリカを含めた主要国での、「健康に良い食べ物」というような概念はありますが、そのようなものと合致しているのか、ということを調べたといっていいです。

かなり長いものですので、まずは本文をご紹介しようと思いますが、結果を書いておきますと、チマネ族は栄養摂取の品目が実に少ないのですが、


「そのカロリーの大部分を、炭水化物から摂取している」

ということになっていたのでした。

ただし、この炭水化物には、精製されたコメや小麦粉などの単純な炭水化物はほとんど含まれておらず、「プランテン」というイモのようなバナナのような、熱帯では多くの地域で主食となっているものが主流です。

それでも、炭水化物は炭水化物。しかも「それを大量に食べる」ようで、カロリー摂取量はかなりのものなのです。

日本などでは、よく栄養に関して、

・たくさんの種類の品目を食べる

・野菜をたくさん食べる

などというようなことも言われますが、その逆ともいえるような生活で、これが「世界で最も健康な人たち」を作っているということになっています。

まずは、そのカリフォルニア大学サンタバーバラ校のニュースリリースをご紹介します。


Food for Thought
UC Santa Barbara 2018/11/02

食物に対しての考察

アマゾンに住む先住民族たちの食生活から、私たちは、西洋の食生活が健康や健康にどのように影響するかを垣間見ることができる。

心臓の健康という観点から見ると、ボリビアのアマゾン地域に住む先住民族であるチマネ族は理想的な人々だ。知られている限り、彼らは世界で最も心臓病になる率が低い。

彼らは、血圧も総じて低く、肥満率、コレステロールレベルも優良で、さらには、2型糖尿病の発生率も最小限のレベルだ。

そして、彼らの場合、加齢と共にこれらの数値が悪化していくということもないように見える。

今回、私たちは、チマネ族の心臓と血管の健康を、彼らの食生活の観点から考慮してみた。そして、彼らのような先住民族の社会もまた、グローバリゼーションと、市場の力にさらされるようになるにつれ、どのように影響を受けるのか。

心臓の健康と食事

このブロジェクトはもカリフォルニア大学サンタバーバラ校の人類学者、トーマス・クラフト(Thomas Kraft)教授と、マイケル・ガーヴェン(Michael Gurven)教授によって行われた。これは、アメリカ国立衛生研究所が支援するプロジェクトの一環だ。

ガーベン教授は以下のように言う。

「以前から、チマネ族が最も健康な人々であることが研究によって示されていましたが、なぜそうなのかということを理解することは大変に興味深いことでした」

この研究で明らかに最初の候補となることは、

「彼らは何を食べているのか?」

ということで、そして、

「彼らは心臓の健康に最も良いと私たちが考えているようなものをを食べているのだろうか?」

ということだ。

「チマネ族の食生活の詳細な分析を行い、現代の典型的なアメリカ人たちの食生活と比較し、そして、アメリカなどにおいて、心臓にとって健康だと主張されている食生活と比較したのです」と、ガーベン教授は言う。

これまでも、パレオや、日本の沖縄などの食生活は健康上のメリットがあるものだとして推奨されることがあったが、チマネ族の場合もそのように心臓の健康にいいものを彼らが積極的に食べているのか。

彼らはよく食べる

アメリカ疾病管理予防センター (CDC)とアメリカ保健福祉省によりおこなわれた「全国健康栄養調査」で採用されたのと同じ測定方法を用いて、過去 24時間に食べたか、あるいは飲酒したものについて、1299人のチマネ族と 229人のモセテン族に、それぞれ複数回のインタビューをした。

そして、栄養推定値とすべての品目と、その量に関して推定するさまざまな方法を用いて、彼らの 1日の食物摂取量の詳細な内訳を描き出した。

それによると、チマネ族の 1日の平均摂取カロリーは 2,433 - 2,738 キロカロリーと高カロリーであり、これは、炭水化物の摂取量が多いこと、および高タンパク、そして脂肪の摂取量が少ないことに特徴づけられた。

チマネ族のエネルギー摂取のそれぞれの割合は、

・炭水化物からのカロリー摂取が 64%

・タンパク質からのカロリー摂取が 21%

・脂質からのカロリー摂取が 15%

という内訳だった。

さらに、チマネ族は、平均的なアメリカ人と比較すると、多種多様な食品を食べて「いない」ことも特徴だ。

彼らのカロリーの約 3分の 2は炭水化物(複雑な炭水化物)、特にプランテン(熱帯やアフリカで主食として食べられているバナナのような形をした果実)とキャッサバに由来している。

他に、カロリー摂取の 16%は 40種以上の魚から、そして 6%は野生の果実や木の実からのものだった。

市場などで購入したものは 8%だけだった。

このように、チマネ族の食事は多様性は低いが、しかし、研究者たちの調査では、チマネ族には微量栄養素欠乏症などの兆候はほとんどみられなかった。

彼らには、カルシウムといくつかのビタミン(ビタミンD、ビタミンE、ビタミンK)が不足していたが、心臓血管の健康につながるカリウム、マグネシウム、セレンの摂取量は、平均的なアメリカ人の摂取レベルをはるかに上回っていた。

食物繊維の摂取量は、平均的なアメリカ人のほぼ 2倍だった。

この研究は 5年間にわたって続けられたが、その期間の中で、チマネ族の摂取する総エネルギー量と炭水化物の摂取量が特に市町村に近い場所にあるチマネ族の村では、大幅に増加するのが見出されていた。

これは、流通の発達が、アマゾンの先住民族たちんが住む地域にまで拡大していることが原因だ。

それと共に、食品添加物(ラード、油、砂糖、塩)の消費量も大幅に増加した。

数量と品質

結論 : 炭水化物を多く含む高カロリー食は、少なくとも身体活動的な生活習慣と結びついた場合は、心血管疾患のリスクの低下と関連する。

チマネ族の成人は 1日平均 1万7000歩あるく。平均的なアメリカ人が 1日に歩く数は 5,100歩だ。

しかし彼らでも、移住などにより、現在の食事のような食生活(植物繊維が豊富で、脂肪が少なく、塩分と砂糖を使用しない食生活)から離れることは重大な健康上のリスクとなる。

実際、ボリビアでの人々の栄養摂取状態の変遷は、ボリビアの人々の体脂肪および体質指数の上昇傾向と一致している。チマネ族も、そのような状態になれば、心血管疾患の低い罹患率は存続しない可能性がある。

ガーバン教授は、食事やライフスタイルを変えることのによる危険性を避けることは、チマネ族のような民族集団には不可欠なことだと言う。

彼らだけではなく、南米やアフリカ、東南アジアの他の先住民族たちも同様の状況に置かれている場合が多い。

先住民族たちの中でも、肥満、2型糖尿病、心臓病の割合は、伝統的な食事をしなくなっている先住民グループの中で高いことが見出されている。例えば、アメリカの先住民族や、オーストラリアのアボリジニなどがそうだ。

そして、チマネ族においても、そのような変化が近づいている。

クラフト教授は、こう言う。

「今は重要な時期です。昔に比べて道路が整備され、川においてもボートでの物流が頻繁となっているため、先住民族が以前のように孤立することがなくなっているのです。早いペースで彼らの食生活は変化しています」

食事に加わる砂糖と脂肪

世界で最も健康だったチマネ族だが、プロジェクトの医療チームは、チマネ族の間に糖尿病患者が発生しているのを見始めている。

これもまた、研究の期間の中で、チマネ族の生活に入り込んだ「精製された砂糖」と「脂肪」を彼らが定期的に摂取するようになり、次第にその摂取量が増加したためだと考えられている。

チマネ族が、砂糖と食用油を大量に購入する能力を持つことにより、これらの製品の消費量が 300%増加すると研究者たちは計算している。

それまでの彼らの生活にはなかった、揚げ物や、砂糖をたくさん使った食事が増加していく可能性があるのだ。

なお、現在のチマネ族の高い炭水化物の摂取は、「(心臓の健康という意味から考えて)前例のないものではない」とクラフト教授は述べている。

「たとえば、日本の沖縄は、心臓血管疾患の率が低い地域として有名ですが、彼らの食事は約 85%が炭水化物として出されます。しかし、その共通の特徴は、ほぼ全面的に複雑な炭水化物であることです。それは沖縄の食事であるサツマイモです。そして、ここチマネ族では、それがプランテンとキャッサバにあたるのです」

全体として、今回の知見は、単一の食事の方法論が健康への鍵を提供するものではないことを示唆している。それはとても複雑なものだ。「この研究は、心臓血管の健全性と両立する食事の多様性を明らかにしました」とクラフト教授は語る。


ここまでです。

なお、このクラフト教授の最後の、「この研究は、心臓血管の健全性と両立する食事の多様性を明らかにしました」という言葉は、もっとわかりやすく書くと、どのようになると思われますか?

これは実際には、

「健康に良い食事というのが何だかわからなくなってしまいました」

という意味がそこに含まれていると私は見ています。「多様性」というのは、結局は、「健康的な身体を維持している食事が、想定外だった」ということと一致しているはずです。

何しろ、彼らチマネ族の食生活の基本は、「炭水化物をカロリーたっぷり、たくさん食べる」というものなのですから。

言ってみれば、宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」の、

「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」

というような世界ですかね(一日に四合は大食いレベルの食べ過ぎですが)。

ただ、チマネ族の炭水化物は、プランテンとかキャッサバなどの、いわゆる「複雑な炭水化物」というものであり、現在の私たちが摂取している精製されたコメや小麦粉とは違います。

プランテンというのは、馴染みがないものですけれど、プランテン - Wikipedia には以下のようにあります。


熱帯地方の主食であり、主食としては世界第10位に位置する。味や食感を含めてジャガイモと同様に扱われ、未熟なものは蒸す・茹でる・揚げるといった調理法が採られる。赤道地帯のアフリカやアンデス地方では、一般的な主食である。

アフリカでは 7000万人以上の炭水化物の必要量である25%以上が、プランテンとバナナによって賄われている

プランテンの前で食事をとるボリビアの子どもたち

・telesurenglish.net

宮沢賢治さんは、玄米4合という非常識な大食いでしたが、このプランテンも 1本が 200から 300キロカロリー程度のものが主流だとすると、チマネ族の人たちも結構、本数を食べていそうで、「チマネの宮沢賢治」なら、

「一日にプランテン8本とキャッサバと少しのナマズを食べ」

というような食生活なのだと思われます。

興味深かったのは、今回の研究の「結論」の以下の部分です。


結論 : 炭水化物を多く含む高カロリー食は、少なくとも身体活動的な生活習慣と結びついた場合は、心血管疾患のリスクの低下と関連する。

これはつまり、


「体をよく動かしているのなら、高いカロリーの食事をした方が、心臓と血管の健康のためには良い」

と書かれてあるわけです。

栄養とカロリーの世界も混沌としてきている感もあります。

なお、私自身は、以前書いたこともあるかもしれないですが、グルテン不耐性というような妙なものであることに気づいた時(数カ月前のことです)から、小麦粉を完全にとらない生活が続いています。

それに加えて、理由についての詳細を記すのは避けますが、お米も今ちょっと食べていなくて、つまり、炭水化物を著しく摂取していない生活になってしまっています。

そして、このような生活の中で初めて気づくのが、

「炭水化物の偉大さ」

なのです。

糖質と植物繊維が同時に摂取できて、腹持ちも良く、エネルギー効率もいい。

私は、精製された砂糖の摂取はわりと否定しますけれど、糖質は全然否定しないどころか、糖質が人類(というより地球の生命の細胞)の根源的な栄養素だと考えていますので、炭水化物をとらない生活の中で糖質をとるというのがいかに大変かわかるのです。

炭水化物以外で、炭水化物と同様の糖質をとるのは大変なんです。

私自身は、場合によっては、ずっと炭水化物をとらない人生を送ることになってしまうのかもしれないですが、普通の健康な方々には、炭水化物を目の敵にしないでいてほしいという気持ちがあります。

ただ、今回のチマネ族の食生活の報告からわかるのは、炭水化物だとかタンパク質だとかビタミンだとかの問題よりも、単に、

「いかに加工品を食べていないか」

というところにあるようには思います。
食事や食物に関しては主義や主張も多く存在しますでしょうし、どれが良い食事の方法なのかということについては、人それぞれの確信に基づけば、それでいいのではないかとは思っています。そんなことで人と争ったりする必要はないです。

食べ物のことごときで人と争っていては、チマネ族に笑われます。
https://indeep.jp/what-suggestins-of-indigenous-population-tsimane-diet/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c3

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
4. 中川隆[-9010] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:36:21 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[21]
弥生時代の人の平均寿命

縄文人の場合は、30才くらいと考えられています。
これは、貝塚から発掘される骨から確定できるといわれます。
しかし、弥生時代の人骨は発掘されること自体大変少なく、
弥生人の骨は土に帰ってしまうといわれます。

縄文人は、貝塚の近くに骨を埋葬しました。
カルシウム分の多い土に埋葬された骨は、土に帰らず残るといわれます。
一方、弥生時代は稲作が始まっています。
貝塚のようにカルシウム分の多い土には埋葬されなかったので、
弥生人の骨は土に帰ってしまったのです。

佐賀県の吉野ヶ里遺跡は有名ですが、発掘された人骨によると、弥生人は渡来系らしい特徴を備えているといわれます。

縄文人に比べると背が高く、平均寿命は30〜40歳ぐらい。

遺物には紐のついた毛髪もあり、髪を結っていたこともわかります。
(ここでいう30歳は、15歳以上生存した人間の寿命です。)

弥生時代は、稲作が生活の基盤となり、鉄器や青銅器の使用が始まった時代といわれます。

吉野ヶ里でも農耕によって飛躍的に人口が増加し、人々を統率する王も現れました。
一般の墓地とは別に王族を祀る巨大な墳墓がそれを物語っています。

古代は幼児期の死亡率が高く、縄文時代〜弥生時代の死亡率は50〜60%という数字も見えます。

大正末期に幼児期死亡率が、15%以上あったといわれますので、大袈裟な数字ではないかと思います。

15歳以上に達した者の平均死亡年齢の時代変遷は、人口問題研究家の小林和正氏によると、

縄文時代: 男31.1歳/女31.3歳
弥生時代: 男30.0歳/女29.2歳
古墳時代: 男30.5歳/女34.5歳
室町時代: 男35.8歳/女36.7歳
江戸時代: 男43.9歳/女40.9歳
(古人骨より推定)
1891〜98年調査:男55.7歳/女57.1歳
1965〜66年調査:男70.3歳/女75.0歳
(人口統計)

ちなみに、"平均寿命"とは、

「0歳児における平均余命(後どれくらい生きられるか)」ですが、

紀元前11世紀〜1世紀「縄文時代」の日本人の寿命は、
男女とも、14.6歳。

紀元前8世紀〜3世紀「弥生時代」
3世紀〜7世紀「古墳時代」に入っても、
「縄文時代」と、ほとんど平均寿命は変わらず、

「室町時代」(1338-1573)では
15.2歳くらいと推定されています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1325687448
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c4

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
5. 中川隆[-9009] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:37:39 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[22]
2020年01月05日
アフリカ南部における中期石器時代の根茎の調理
https://sicambre.at.webry.info/202001/article_9.html

 アフリカ南部における中期石器時代の根茎の調理に関する研究(Wadley et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。植物は遺跡では残りにくいため、先史時代に関しては植物採集よりも狩猟の方が注目を集めています。しかし、過去の研究から、植物食が狩猟採集民において重要な食資源となり得たことは間違いありません。植物でも、根茎や球根などの地下植物はヒトにとって重要な炭水化物源となり、調理すると消化性が向上し、毒性が減少します。火を使用する前の地下植物の残骸はまだ確認されていません。イスラエル北部のフラ(Hula)湖畔にある、下部旧石器時代のアシューリアン(Acheulian)遺跡として有名なジスルバノトヤコブ(Gesher Benot Ya‘aqov)では、78万年前頃の根茎が発見されています(関連記事)。その他にもアフリカ南部の遺跡では地下植物が発見されています。

 本論文は、南アフリカ共和国のボーダー洞窟(Border Cave)の中期石器時代層における根茎の調理の痕跡について報告しています。この根茎は、5BS層と4WA層で発見されました。年代は、少なくとも17万年前までさかのぼります。根茎を洞窟まで運べるのはヒトだけだと考えられます。これらの根茎は炭化しており、調理が示唆されます。ボーダー洞窟の中期石器時代前期の年代は、歯のエナメル質の電子スピン共鳴法によると、5BS層は177000年前頃に始まり、その直下の4WA層は150000年前頃に始まり、99000年前頃までには終わっていた、と推定されました。

 本論文は、ボーダー洞窟の根茎をその形態から全てヒポキシス属に分類し、その中の1種(Hypoxis angustifolia Lam)である可能性が高い、と推測しています。ヒポキシス属の根茎は栄養価が高く、必須ビタミンとミネラルも含まれます。また、ヒポキシス属の根茎は生でも食べられますが、調理すると柔らかくなり、さらに食べやすくなります。ヒポキシス属はボーダー洞窟周辺も含めてさまざまな土地で繁茂し、サハラ砂漠以南のアフリカやインド洋の複数の島にも分布しています。

 ヒポキシス属の根茎は、デンプン質の栄養価が高い食料となり、広範囲に分布することから、遊動的な初期のヒトにとって信頼できる主食源になった可能性があります。30万年前頃のアフリカ東部のヒト集団は、すでに数十km以上の広い活動範囲を有していた、と推測されています(関連記事)。ヒポキシス属根茎のようなデンプン質の栄養価の高い植物は、すでに火を制御できるようになっていたであろう中期石器時代の遊動的なヒト集団にとって重要な食資源になり、その遊動性を可能にした一因になった、と考えられます。


参考文献:
Wadley L. et al.(2019): Cooked starchy rhizomes in Africa 170 thousand years ago. Science, 367, 6473, 87–91.
https://doi.org/10.1126/science.aaz5926

https://sicambre.at.webry.info/202001/article_9.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c5

[近代史5] 日本の料理 中川隆
12. 中川隆[-9008] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:38:37 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[23]
洋風の食事は脳の活動を阻害する=研究者
テック&サイエンス 2020年02月20日

1日の摂取量として糖分や脂肪の多い「洋風」の食事は、制御の利かない食欲を招き、そのことが脳の海馬の領域の破壊につながると研究者は指摘する。研究結果が『Royal Society Open Science』誌で発表された。

糖分と脂肪の割合が高い食事が脳に与える影響を明らかにするため、オーストラリアのシドニーにあるマッコーリー大学の専門家は、英国と米国の研究者らと共同で研究を行なった。

実験には20歳から30歳までの110人が協力した。彼らは若くて健康で、肥満傾向になく、慢性疾患を患っておらず、ある程度健康的な食事を摂っていた。実験参加者らはランダムに2つのグループに分けられた。1つのグループは管理下に置かれ、日常生活と同じ材料での食事を摂り続けた。もう1つのグループは、1週間の間、ファーストフードやベルギーワッフルといった菓子など、「洋食」を摂り続けた。

実験の初日と最終日には、食前と食後に参加者には単語の記憶テストが行なわれた。また、何種類かの食べ物の味見をしながら、高糖度の食べ物の内からどれを食べたいと思うかの評価が行なわれた。研究者らはその際、ニューロイメージング法を使用し、実験参加者の脳内でどのようなプロセスが生じるか観察を行なった。

実験では、わずか1週間で「洋食」を摂っていたグループの実験参加者に、記憶テストの結果が悪化する傾向が示された。

しかし、それ以上に研究者らを驚かせたのは、これらの参加者が朝食後、満腹だったにも関わらず、とても喜んで菓子やファーストフードをたいらげたということだった。脂肪や炭水化物が多い食事は、通常の満腹感を得ることを困難にし、慢性的な過食と肥満、それに起因する疾病を発症させるポジティブフィードバックを生じさせる。
https://jp.sputniknews.com/science/202002207120843/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c12

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
6. 中川隆[-9007] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:39:16 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[24]
2020年05月09日
オーストラリアにおける6万年以上前の植物性食料の利用
https://sicambre.at.webry.info/202005/article_15.html

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、オーストラリアにおける6万年以上前の植物性食料の利用に関する研究(Florin et al., 2020)が公表されました。早期現生人類の進化と拡散における植物性食料の役割は、肉食が注目されてきたこともあり、過小評価されてきました。植物性資源の広範な利用と処理は、農耕出現直前の後期更新世〜早期完新世になって典型的になった、と考えられてきました。しかし、早期現生人類(Homo sapiens)の植物性食料の利用に関する証拠は近年蓄積されつつあり、中期石器時代のアフリカ(関連記事)や49000年前頃までさかのぼるニューギニアの事例(関連記事)などがあります。

 早期現生人類の食資源をめぐる議論は、その拡散経路とも関連しています。早期現生人類のアフリカからの拡散経路としてユーラシア南岸説が有力とされており、沿岸資源の重要性が指摘されていますが、まだ確定したとは言えない状況です。本論文は、オーストラリア北部のマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰遺跡で発見された炭化植物化石を検証しています。マジェドベベ遺跡では多数の人工物が発見されており、その年代は65000〜53000年前頃と推定されています(関連記事)。これは、サフルランド(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島は陸続きでした)への現生人類の拡散時期がじゅうらいの有力説よりずっとさかのぼることになるため、大きな注目を集めました。

 マジェドベベ遺跡の植物化石は大きく、果物やナッツの種皮・根と根茎・ヤシ科茎組織・他のさまざまな植物断片に4分類されます。これらの分類集団の中で、属もしくは種の水準で5分類群に区分されました。この中には、たとえばカンラン科やタコノキ属などの種が含まれます。早期現生人類の痕跡以前には炭が少ないことから、マジェドベベ遺跡の65000〜53000年前頃の早期現生人類は多様な植物を調理して食べていた、と推測されますが、果物には生食されたものもあるかもしれません。

 このように、マジェドベベ遺跡の65000〜53000年前頃の早期現生人類は植物から炭水化物・脂肪・タンパク質などさまざまな栄養素を摂取しており、果物やナッツは容易に入手できる高栄養価の植物性食資源です。ただ、ヤシや根茎など他の植物の中には、栄養摂取にさいして処理が必要なものもあります。こうした複雑な処理も含む広範な植物の食資源としての利用は、サフルランドにおける既知の確実な証拠に少なくとも23000年先行します。オーストラリアにおける6万年以上前までさかのぼる植物性食料の利用は、アジア南東部やニューギニアにおける後期更新世の事例と一致しており、これが早期現生人類の食性において基本的だったことを示唆します。ウォレス線を越えた早期現生人類は新たな動植物相に遭遇し、利用していきましたが、それらの一部には複雑な処理の必要なものもあり、それは早期現生人類の認知能力により可能になった、と本論文は指摘します。

 本論文は、このように早期現生人類による6万年以上前までさかのぼるサフルランドへの拡散と、拡散における植物性食料の重要な役割を強調します。ただ、マジェドベベ遺跡の年代に関しては、疑問も呈されています(関連記事)。また、アフリカやユーラシア南部の6万年以上前の石器群との類似性などから、本論文はマジェドベベ遺跡の人工物の製作者が早期現生人類であることを大前提としていますが、これらの遺跡群では人類遺骸がほとんど発見されていないので、その担い手をすべて早期現生人類と判断するのは時期尚早のように思います。もし、オーストラリアあるいはもっと広くサフルランドに6万年以上前に人類が拡散していたとしたら、可能性はかなり低いかもしれませんが、現時点では種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も想定しておくべきではないか、と思います(関連記事)。


参考文献:
Florin SA. et al.(2020): The first Australian plant foods at Madjedbebe, 65,000–53,000 years ago. Nature Communications, 11, 924.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14723-0

https://sicambre.at.webry.info/202005/article_15.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c6

[近代史5] 日本の料理 中川隆
13. 中川隆[-9006] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:39:53 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[25]
コメは肥満予防の鍵か=日本の研究チーム 2019年05月03日

日本の研究チームが、米を多く摂取する地域では肥満率が顕著に低いとの結論を出した。サイト「EurekAlert」に研究内容が掲載された。


136カ国で調査したところ、1人あたり1日150グラムの米を消費する国では肥満度が低く、1日平均14グラムの国では肥満度が高かった。

同志社女子大学の今井智子教授は「米を主食として食べる国では肥満者の割合が低いことが示唆されている。そのため、米をベースにした日本食やアジア料理は肥満を予防する助けになるかもしれない。世界的に肥満度が上がっているため、西欧諸国でも肥満対策のためより多くの米を食べることが推奨されるべきだ」と述べた。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c13

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
7. 中川隆[-9005] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:42:22 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[26]
チンパンジーの食卓事情 伊藤詞子

 チンパンジーの食事はフルーツが主です。

季節ごとに色とりどりのフルーツが、豊かな森から提供されます。

スーパーで売っているようなフルーツほど甘くはないし、種と果肉の部分が簡単にはがれたりもしません。それでも、他の食物に比べれば「甘い」食べ物です。マハレのチンパンジーが食べるフルーツの種類はたくさんありますが、それぞれ実りの季節があります。植物種ごとに見れば、半年近く実がなっているものから、ほんの数ヶ月だけのものなど、様々なフルーツが、少しずつ時期をずらしながら実るため、チンパンジーは年中フルーツを食べることができます。

スーパーには熟したフルーツだけが売られていますが、森の中では熟したものから未熟なものまでいろんな段階のフルーツが実っています。もちろん甘いのは熟したフルーツで、チンパンジーは熟したものを丹念に選んで食べます。フルーツの皮は手や口をつかって器用に取り除かれます(写真1)。

おいしい部分である果肉は、種からはがれにくいため、あとで吐き出されることもありますが、種ごと呑みこまれる場合も多いようです。こうして噛み砕かれずに丸呑みされた種が、やがてうんちとともに地面に落とされ、芽を出し、成長してまたチンパンジーたちにフルーツを提供してくれることになります。

植物にとってもチンパンジーにとっても、いいことずくめです。一方で、雨が少なかったり、逆に多すぎたり、といった気候不順な年などには、植物の方もあまりフルーツを作れません。その上、フルーツが少ないとチンパンジーは種までぽりぽりと噛み砕いて食べてしまいます。破壊されてしまうと発芽できなくなるので、こんなときは植物にとってもチンパンジーにとっても少々つらい時期というわけです。


写真1:レモンの食事あと。人の仕業ではありません。チンパンジーの食事のあとです。


写真2:イロンボ Saba comorensis (Bojer) Pichonの果実。

 食事といえば、わたしたちは誰か他の人と、ということが多いのではないでしょうか。一人暮らしだと、一人で食べることもありますが、それでも誰かと食べる機会がまったくなくなるというわけではないでしょう。チンパンジーたちの食事も、一人きりというわけではなく、いろんなメンバーといろんな形でおこなわれます。

マハレのチンパンジーが最もよく食べるフルーツの一つに、現地名でイロンボと呼ばれるキョウチクトウ科のツル植物があります(写真2)。

この植物はMグループが暮らす森で最も密度が高く、1ヘクタールあたり約43本もあります。よく食べられる理由としては、広い範囲にたくさんあるということや、ソフトボールくらいの大きさという比較的食べ応えのあるサイズであることなども関係していると思われます。

同時に、何十頭ものチンパンジーたちが皆で食べながら移動するのにちょうどよい、ということも関係しているのではないかと私は疑っています。というのも、イロンボのシーズンが終わると、チンパンジーたちはもっと少人数で活動するようになります。イロンボはあちこちにあるので、このフルーツのシーズンに皆で活動する必要はないわけですから、きっと彼らなりのわけがあると思うのです。

(いとう のりこ 京都大学)
http://mahale.main.jp/chimpun/9/009_03.html


人類がアフリカを出て果物の無い世界に行ったから、火を使って根菜を食べる様になった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c7

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
8. 中川隆[-9004] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:43:07 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[27]
″エスキモー人″も長年、医学視察団の調在を受けたが、その結果、一般的には癌にかかっていないことがわかっている。

「癌は文明病か-その人類学および歴史学的考察--」の著者、ピルヒアルマー・ステファンソンの文献によると---

 エスキモー食には、B17が驚くほど豊富である。

これはトナカイや、その他の草食動物、北極のツンドラに豊白品に産するべニハナイチゴなどから摂取できる。

彼らには、ツンドラで育つ新鮮な草が一杯つまったトナカイの胃の中の成分から作ったグリーン・サラダと呼ぶものがある。
ツンドラ地帯には生えている草類のうち「アロウ草」(学名Triglochin Maritima) は一般的なものである。

アメリカ農務局の研究の結果、アロウ草は他の草類よりB17が多いと発表されている。

エスキモー人が、伝統的な食生活から西洋化した食生活に変わるとどうなるのだろうか。
その結果は、平均的なアメリカ人よりもはるかに癌が多発するようになった。

-中略-

この問題を精力的に研究したクレブス博士によると-―

 歴史的および人類学的な記録から、いろいろな北米インディアン族の摂取する「B17食品」の分析を行い、
これは有効であるとの確たる証拠を発見している。

そうである以上、「B17食品」に対する毒性観念は永久に追放すべきである。

いくつかの部族では、一日当たりのB17摂取量は8gにもなっている。

”モドック・インディアン”についての私の資料は、とくに完全なものである。
http://www1.ocn.ne.jp/~hana-ran/B17-4.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c8

[近代史5] 日本の料理 中川隆
14. 中川隆[-9003] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:44:44 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[28]
乳がん患者はパン食好き

調査してみたところ、朝はパン食の人が乳がん患者の大多数を占めていたということが判明したそうです。

パンそのものは癌(がん)の原因ではないのですが、パンと一緒に摂るマーガリン、バター、マヨネーズ、ケチャップ、ソースなどの高脂質の調味料などが乳がんの罹患率を大きく上昇させる要因になっているそうです。

和食だと、ほとんどこうした食材を使いませんね。

食の欧米化は、日本人の体格向上などに大いに貢献しましたが、この辺で和食回帰が必要なのではないでしょうか?

かつて和食には、高塩分、良質な動物性たんぱく質の不足などの欠点がありましたが、今では劇的に改善されていますね。

パンは手軽さが特に時間の無い朝にはありがたいですが、健康のことを考えると、ご飯食の方がよさそうですね。

大腸がんについても、高脂質の食事が大きな促進要因になっていることがわかっていますね。

補足少し話は逸れますが、現在日本で販売されている大半のパン、クッキー、菓子パン、ケーキ等には、心筋梗塞を誘発するトランス脂肪酸を豊富に含んだマーガリンやショートニングが使われています。

アメリカではこうした加工油脂のトランス脂肪酸の含有量規制が厳格に行われていますが、日本では規制は行われていません。

外国産ではバターが使われていることが多いですね。
フランスパンにはこうした油脂類は使われていないようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12110419837

要するに、炭水化物はいくら食べても癌にならないけど、マーガリンや牛乳や添加物で乳癌になる。

糖質を栄養源とする解糖系云々という話はすべて間違い


肉を焼くと発癌物質ができる

赤肉による大腸がんリスク上昇のメカニズムは、動物性脂肪の消化における二次胆汁酸、ヘム鉄による酸化作用、内因性ニトロソ化合物の腸内における生成、調理の過程で生成される焦げた部分に含まれるヘテロサイクリックアミン(発がん物質)等の作用が指摘されてきました。

これらの作用は、牛・豚肉といった赤肉に限らず、肉類全体の摂取を通してももたらされる共通のものとして捉えることができます。

肉類全体の摂取量と結腸がんリスク上昇の関連が見られる以上は、牛肉や豚肉も含めて食べ過ぎないようにする必要があると考えられます。
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/2869.html

・ヘテロサイクリックアミン

ヘテロサイクリックアミン(英: Heterocyclic amine、略称: HCA) あるいは複素環アミン(ふくそかんアミン)又は複素環式アミン(ふくそかんしきアミン)は、少くとも一つの複素環(少なくとも2つの異なる元素を含む環)を含み、かつ化合物が少なくとも一つのアミン(窒素を含む)官能基を有している化学物質である。多くの場合、窒素原子はアミノ基や複素環(例: ピリジン)に含まれるが、どちらにも属さない化合物も存在する(例: ジレウトン)。HCAの生物学的機能は、ビタミンから発がん性物質まで様々である。発がん性HCAは肉を高温で調理することによって生成する。

発がん性物質としてのHCAは食品中のアミノ酸とクレアチンが高温環境下において反応することで、新たに生成する。特に、魚や肉類のこげた部分や煙の中に多く含まれる。日本で最初に同定され、現在20種類ほどが報告されており、国際がん研究機関 (IARC) や米国国家毒性プログラム (NTP) では発がん性が認められている。ヒト体内ではP450やトランスフェラーゼにより、代謝活性化された後、フレームシフト変異をおこしやすいことが知られている。
http://kusuri-jouhou.com/creature1/fuhai.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%86%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c14

[近代史5] 日本の料理 中川隆
15. 中川隆[-9002] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:45:42 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[29]
昔の人は玄米なんか絶対に食べなかった。 植物はアクを抜かないと危険だと知っていたからです:


玄米(種もの)には発芽毒がある

玄米やひえ、あわ、きび、大豆などの雑穀をはじめ、あらゆる植物の種子には、その子孫を守るため動物に食べすぎられないように身を守るメカニズムや、土の上に落ちても腐ることなく、やがて発芽に適した季節になると芽を出すことが出来るように、栄養成分を貯蔵して決して外に出さないというメカニズムが働いています。その因子が「アブシジン酸」や「フィチン酸」です。

アブシジン酸【abscisic acid(ABA)】はテルペノイドの構造をもつ植物ホルモンであり、発芽抑制因子として働き、植物の発芽を調節しています。このABAは人体に対して毒作用がありますので、玄米など種ものを食べる時、これを“無毒化”して食べる正しい知識がないと危険です。

フィチン酸は、特に種子のなかにおいては、フィチン(フィチン酸とミネラルの混合塩で水不溶性)の形をとり、強いキレート作用で、リンをはじめとして多くの金属イオン(カルシウム、マグネシウムなどのミネラル)と強く結合しています。つまり、玄米の中にあるミネラルは、フィチンのキレート作用のために吸収を阻害されてしまうのです。
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/168.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c15

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
9. 中川隆[-9001] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:47:57 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[30]
人間が肉食に適さないワケ


歯の形
人間の歯は動物を取ってしとめるキバはなく、草食に適した臼歯がある。


あごの形
肉食動物は食物を噛まずに飲み込むのであごは発達しておらず、臼歯もない。
人間は食物繊維を咀嚼(そしゃく)するための顎(あご)がある。
また肉食動物の顎は上下のみにしか動かないが
人間や草食動物の顎は横にも動く。
これは穀物や草をすりつぶすためにある。



人間には動物ハンティング用の殺傷能力のある爪はなく、木の実や果物を採取できるように親指を向かい合わせることができる手を持つ。これは人間が動物肉を食べるのではなく、果物や野菜を採集するのに適していることを示している。



肉食には胃酸を多く含む胃液が必要。
人類と草食動物の胃酸は、肉食動物に比べて20分の1の濃度である。



肉食には体内で毒素を作り出すので短時間で消化・排出のため、高濃度の消化器官と短い腸が必要。
肉食動物の腸は体長の約3倍であるのに対し、
人間の腸は草食動物のように長く、体長の約12倍の長さの腸をもつ。

腸の長さ

肉食動物
ライオン体長の4倍。
狼は体長の4倍。
猫は体長の4倍。
犬は体長の6倍。(雑食) 草食動物
馬 10倍(39m)
牛 20倍(60m)
ゴリラ
カバ
ゾウ
人間 12倍


欧米人は肉食中心で進化してきており、腸の長さは肉食動物並みの4mになってきています。大腸ガンや潰瘍性大腸炎になりやすく、肉食大国アメリカでは大腸ガンは死亡率2位

日本人も戦後の欧米化によって肉食中心の生活になりましたが、(日本人はもともと農耕民族・穀菜食)野菜や穀類で進化してきたため、欧米人に比べ長めの腸を持っています(7m)

ですので、日本人が肉食すると、腸は長い分だけ腐敗便を作りやすく、悪玉菌増殖の危険性、増加した動物性脂肪の影響などで大腸ガンや潰瘍性大腸炎その他の成人病を引き起こす可能性は他の民族に比べて大きいことになります。

肉食中心で進化してきた欧米人の腸の長さは1mほどなので、腐敗する前に排泄しやすい短い腸。 一方、肉を摂ると悪玉菌(腐敗細菌)の増加を促進させる。
※完全に消化されない肉類は、大腸の中で腐敗便へと変化します。 これをエサにして悪玉菌が一挙に増殖。 つまり、悪玉菌の大好物は肉だった。
(NHK TV『発掘!あるある大辞典より』)
http://saisyoku.com/talk6.htm


人類の体は肉を食べる様にはできていない:5対2対1の話

5:2:1とはいきなり何の事だろうと思われるでしょう。実はこれは人間の歯の割合で5対の臼歯、2対の門歯、1対の犬歯の事です。

臼歯と門歯はすりつぶしたり、かみ切ったりする事に使われており、犬歯は元は牙として使用されてた名残で、現在は糸を切るほかは(?)余り役に立たない歯です。

この歯の構成から、人間の本来の食は植物7、動物1という考え方があります。
完全に植物食のゴリラやほとんど植物食のチンパンジーにも立派な犬歯(牙)があることから、植物7:動物1の割合で食生活をするべき。という考え方には疑問がありますが、参考になります。

ともすれば肉食になりがちな現代の食生活。成人病と肉食の関係が切っても切れない関係がある以上、食生活を見直すことは大変に意義のあることです。

実際、新谷弘実という世界的な内視鏡の権威で25万人もの人の腸を覗いた先生によれば、 上記のバランスで食生活をすると胃相・腸相が目に見えて良くなるそうです。
http://www9.plala.or.jp/kazeya/kenkou/hanohanasi.html


人間が肉を食べると病気になる理由

先回、歯の構造から肉食の比率は1割強と書きましたが、それはあくまで犬歯が犬歯として役立っている場合で、人間の丸まった犬歯は、人類が歴史的に肉食をあまりしてこなかったことを物語ります。

人類は肉食動物?

人類に近い類人猿であるチンパンジーやゴリラはほとんど肉食をしません。
人類が猿から分かれて直立歩行をするようになったのは肉食をするようになったからだ。という説が現在は有力ですが、それならばなぜ犬歯がもっと尖っていないのでしょうか?


成人病の原因

豚、牛、鶏といった家畜の体温は人間より高くなっています。
肉に含まれている脂肪は、胃腸でいったん消化されたあと体に吸収されると、再び元の脂肪に合成されるため、 家畜の体温では油状の脂肪も人間の体温ではバターのような固体となります。

過剰の脂肪は血管に付着して、毛細血管を詰まらせたり心臓を詰まらせたりします。

いわゆるこれが成人病の原因の一つです。

犬や猫などは普通に飼っている限り成人(成犬・成猫)病にはなりません。肉食に適応した体をしているため、人間のように脂肪が悪さをしないのです。
このことからも、どうも人類は肉食に適応していない事が伺えます。


肉がおいしい訳

三つ子の魂の例があるように、後天的な食性活が好みを作りますが、それ以外に人類に潜在的に不足しがちな栄養素をおいしく感じる特徴があります。 植物食では慢性的に不足しがちな蛋白質への欲求から、肉をおいしく感じると思われます。
体にいいからおいしく感じるという事とは少し違います。

肉食の利点

栄養学の点から良質の蛋白質、ビタミンB群、鉄分や亜鉛等のミネラルの補給源として有効といわれています。

肉食の害を消す

肉は有効な成分と害がある成分を含むため、少しでも害のない食べ方をする必要があります。

一つの方法として、豚肉を食べて長寿の沖縄食でもみられるように、コトコトと煮ることで脂肪を出来るだけ取リ去って食べる方法があります。
また、野菜や果物のように繊維分を含む食品を合わせて食べることで腸内のバランスを整える方法もあります。
http://www9.plala.or.jp/kazeya/kenkou/nikusyoku.html


穀物は人間に合うが、肉は合わない

ガンの真因と栄養学の嘘 史上最大の調査「ザ・チャイナ・スタディ」2014-02-12


本シリーズではコリン・キャンベル氏の「葬られた第2のマクガバン報告」の内容を紹介していきたい。氏は40年間栄養学研究に携わってきた人物である。
この著書の元になったのが史上最大規模の栄養学調査である「ザ・チャイナ・スタディ」という研究だ。

1970年代末、中国の首相がガンだったこともあり、治療法を解明するため中国政府は1973年から1975年まで8億8千万を対象とした12種にわたるガン死亡率に関する調査を行なった。65万員の作業員が関与するという前代未聞の途方も無い大規模調査である。

この調査の最終結果は色分けされた分布図に描かれ、どの地域に特定のガンのタイプが多く、またほとんどガン患者がいない地域はどこかということを示していた
この調査によれば地域によって100倍の違いがあることが分かった。中国はほぼ漢民族単一であるため明らかに環境要因によるものであることを示す。

このデータを元にして、中国予防医学研究所、オックスフォード大、コーネル大によって、更に1983年〜1988年にかけて食習慣と病気に関する膨大な調査が行われた(共同研究)。対象は中国全土と台湾から1万6千700人を対象にして「食事と健康状態、ライフスタイル、社会的経済的特徴に関する1367項目」を調査。それが、チャイナスタディである


中国には、同じ漢民族でありがなら、実に多様な食習慣があり、ガンの発生率も地域によって100倍も開きがあったので、調査にはうってつけだった。
その結果は、驚くほど明確に、動物性食品を摂取すればするほど、病気を発症することを示していた。

しかも、比較的少量しか食べなくても動物性食品は有害な影響を及ぼしていた。一方、植物性の食べものを最も多く摂取していた人々は、健康で慢性の病気から免れる傾向がはっきりと証明された。

「人の健康には、動物性タンパク質が必要だ」という神話が、完全に崩壊してしまうような結果に、各業界が震撼した。


中国における咽頭ガンの地域分布(赤系ほど発生比率が高い)

余りにも今までの栄養学で信じられてきたことを覆すような内容だったので、このデータは多くの業界とそれに密着する政府からの圧力によって封印されていた。

以下はこの研究を指揮したコリン・キャンベル博士による。

この研究が行われた経緯は、コリン・キャンベル博士がフィリピンの子供の栄養状況を研究した際に、貧しい子供たちではなく、裕福な家庭(肉を食べる機会が多い)の子供にガンの発症が多いことを不思議に思い、ガンと動物性たんぱく質の関係を調べ始めたのがきっかけである。


まず先行してラットの研究が行なわれそこで驚くべきことが発見された。

発がん物質によってラットに肝臓がんを起こし、がん腫瘍の成長と餌の内容の関係を調べると、カロリーの20%が動物性タンパク質である餌を与えると、腫瘍は急激に拡大し、タンパク質の割合を10%以下にすると、腫瘍の拡大が停止した。更に、低レベルの発がん性物質にさらして、高タンパク(20%)の食事をしたラットと、高レベルの発がん性物質にさらして、低タンパク(5%)の食事をしたラットと比べたところ;、前者の(低発がん性物質・高タンパク)グループの方がはるかに多くの病巣を形成し、低タンパクグループは高レベルの発がん性物質にさらされているにも関わらず、ほとんど病巣を形成しなかった。実は、この実験で使われたタンパク質とは、「カゼイン」というもので、牛乳のタンパクの主成分。(日本では乳化剤としても使用されている)

後に肉や魚、卵など他の動物性タンパク質でも同様の結果がでた。

しかし驚くべきことに、植物性タンパク質では、たとえ高レベルの量を摂取しても、ガンの増殖を促進することはなかった。

低たんぱく食のラットは他のラットと比べてずっと長生きで、ラットの平均寿命である100週目を迎えてもスリムな体つきで毛並みもよかった。一方で高たんぱく食のラットは全部死亡した。低タンパク食のラットはカロリーを燃焼するのに効果的な「褐色脂肪組織」レベルが高く、実は低たんぱく食はカロリー消費を高める。

低たんぱく食のラットは、体をよく動かして(およそ2倍の運動量)実に健康的だった。

このラットの実験結果が人間にも当てはまるのかを確認するために、行われたのが「チャイナスタディ」なのである。
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2014/02/1452.html#more

人類の祖先は肉食で農耕の歴史はごく僅かという詭弁

糖質制限食の熱狂的な支持者の方々が糖質制限食の正しさを主張する為に、よく仰る事が以下の事。多分、皆さんも何度も聞かれた事があると思います。

「人類の歴史は400万年ですが、人類は、本来、肉食であり、農耕を始めて糖質中心の食生活になったのは僅か1万年前です。人類はそもそも肉食であり糖質を摂る食生活に適した身体ではない。」

糖質制限食を推奨する方達のブログを見ていると、ほとんどの方達がコピーしたように同じ事を書かれています。

「言わぬが花」

そう思って今まで黙っていましたが、上記の記述がドンドン拡散する現状を見て、やはり修正すべきは修正しなければと思った次第です。まあ、糖質制限食のご本尊様も同じ事を言っておられるので、その受け売りで皆さんコピペして書かれているのだろうと思います。

人類の発祥をヒト科という点で捉えると、厳密に言えば700万年前になります。別に歴史の授業ではありませんので400万年でもどちらでも結構ですが、ここから先の話はアバウトで大雑把な話とするわけにはいきません。

皆さんは大きな勘違いをしておられます。

糖質制限食を信奉されている皆さんも、そして私も、700万年前から進化し続けて今に至っているわけではありません。この700万年の間、人類は少なくとも17〜18種類以上のヒト属が生まれそして滅んでいったのです。最後の方まで残っていたのがネアンデルタール人(後に絶滅)で一部の地域で現代人に1〜5%程度の遺伝子が残っているという説もあります。

私達の祖先はアフリカで10万年前に誕生したホモサピエンス(新人)で、今も地球に存在している人類は全てホモサピエンスなのです。他のヒト属は全て絶滅していますから実質的に人類の歴史は10万年程という事になる。

ホモサピエンスとネアンデルタール人は共存していた時期があると考えられており、一部にはホモサピエンスによって滅ぼされたという推論もありますがよく分らないというのが実情です。脳の容積ではネアンデルタール人の方が大きかったという説もあるのですが、より優秀であった筈の彼らが滅び、何故ホモサピエンスが生き残ったのかは謎です。いろんな説がある事はありますけどね。

10万年前に誕生した私達の祖先の出自はアフリカですから、それが世界各地に拡散するまでには数万年を要したのではないでしょうか。そうだとすると、皆さんが指摘されている人類700万年の歴史の中で農耕は僅か1万年という考え方は大きな間違いという事になります。

そもそも180万年前までは、まだ猿人の時代です。今の人間とは似ても似つかぬ姿です。その後の原人だって同様です。誰が見ても人間とは思わない筈です。ホモサピエンス以外の絶滅したヒト属は環境に適応できなかったのでしょうねぇ。

人類の歴史の中で最初の生態が自然だという考え方は「進化」を無視している事になります。当初の食の嗜好が一番適しているのなら我々は生の獣肉や昆虫そして植物の芽を生で食べた方が良い事になる。進化というのは環境の変化に対応する事で成り立ちます。他のヒト属17〜8種類が絶滅したのはそういう事なのではないでしょうか。

因みに日常的に火を使っていた形跡が確認されているのは2万5千年前です。

件の論法であれば、火を使わずに獣の生肉を食べるのが本来の姿なのですから、そういう食べ方をした方が健康に良いという事になります。私にはとても無理ですけどね。。。

最後に、世界的に超有名なドクターであるS先生の話を聞いたら、極度の糖質制限食はあまりにも恐くて続ける気が失せます。私が友人や知人に糖質制限食だけはやめた方が良いと言うのはそういう理由もあるのですけどね。
http://diabetesmellitus.seesaa.net/article/306569791.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c9

[近代史5] 日本の料理 中川隆
16. 中川隆[-9000] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:48:30 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[31]
がんの原因@「食の欧米化」

◆ 肉食が腸癌増加の原因か

1950年代〜食の欧米化(肉食、乳製品)が進むに連れて、日本人の腸がんが増加しています。

上のデータは、欧米人が腸がんにかかりやすいことを示しており、食の欧米化が腸がん増加をもたらしたといえるのではないでしょうか?

このことは、国立がんセンターも述べています。


肉を多く食べる日本人は大腸がんになるリスクが高いことが、約8万人を対象にした約10年におよぶ国立がん研究センターの追跡調査でわかった。

 岩手や長野、茨城、沖縄など9県在住の45〜74歳の男女約8万人を対象に、1995年から2006年まで追跡調査した。このうち大腸がんになった1145人(結腸がん788人、直腸がん357人)について肉類の摂取量との関連を調べたところ、摂取量と結腸がんに関係がみられた。

 男性は、肉類全体の摂取量が最も多いグループ(1日当たり約100グラム以上)のリスクが、最も少ないグループ(同約35グラム未満)の1・44倍だった。女性でも、赤肉(牛と豚肉)の摂取量最大のグループ(同約80グラム以上)が、最少グループ(同約25グラム未満)の1・48倍に上った。


◆ 牛乳の摂取が前立腺がん発症をもたらす

加えて、こんなデータもあります。
http://homepage2.nifty.com/smark/MILKbyok.htm


牛乳の消費量と、前立腺がんの発生率も相関関係があるというのです。
日本人の前立腺がんの早期化・増加は、牛乳の消費量増加が原因となっているのではないでしょうか?

以上から、「食の欧米化(肉食・乳製品)」はがんの原因だといえます。
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2012/10/1204.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c16

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
10. 中川隆[-8999] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:49:24 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[32]
肉食のアウストラロピテクスとネアンデルタール人は滅びて、穀物食のホモサピエンスだけが生き残った

タンパク質に記録された食生活:肉食率は復元できるか
米田 穣(環境研・化学)・梅崎昌裕(東大・医・人類生態)・吉永 淳(東大・新領域)

 地球上の極めて多様な環境に適応しているヒトという生物種を理解するためには、適応形態の多様性を踏まえた上で、通文化的な議論を可能とする共通の視点が必要となる。そのようなアプローチのひとつとして、背景となる自然環境を通して人類集団を理解する生態学的な視点は非常に有効であることは広く認められている。

このような研究によって、現代の人類集団に関して集団間の比較が可能であり、それと同時に分析対象を時間軸に関して拡張して時代差などの議論も可能である。すなわち、先史時代の人類集団に対しても生態学的な視点に基づいた研究は広くなされており、先史時代人の物質文化や生活を理解する上で大きな成果をあげている。しかし、先史時代の人類集団を研究対象にする場合、発掘によって実際に入手できる考古学資料は、遺跡形成時とそれに引き続く堆積中での埋蔵という二重のバイアスをうけていることに注意せねばならない。

例えば、食物の残滓の中でも骨や貝殻などの動物質食料は遺存しやすいが、植物遺存体は埋蔵条件に恵まれない限り出土しないことが一般的である。そのため、考古学遺物から当時の人々の暮らしぶりを復元するためには、断片的な食料残渣や道具の組み合わせ、あるいは遺跡の立地などから多くを推測する必要があり、具体的な議論は必ずしも容易ではない。

 これとは少し異なったアプローチとして、ヒトを生態系における物質循環の一員として考える生物地球化学的な視点がある。これは食物網(食物連鎖)というサイクルのなかで循環している物質の動きに着目して、その動態からヒトの生態系におけるポジションを考察するミクロな視点に基づく研究である。

このような視点から見ると、ヒトの体内にも食物、飲料水などを通じて、彼らの適応した地域環境の特徴が反映されるはずである。この原理を応用して、先史時代人類集団の食生活に関する分析手法が開発されている。

例えば人骨に残存するタンパク質、コラーゲンの炭素・窒素安定同位体比を測定することによって、コラーゲンを構成する元素の由来、すなわち食物の組成をある程度定量的にを復元することが可能である。特に本稿のトピックスである「肉食率」について、具体的な考古学的証拠を持って議論することは必ずしも容易ではない。一方、骨の化学成分という具体的な証拠は人類進化で肉食が果した役割を検討する上で非常に有効な情報を提供できる可能性がある。


2.方法の原理

 我々の身体を構成する全ての組織は、食べものや飲み水あるいは呼吸によって取り込まれた元素によって構成されている。また、同時に組織を構成する元素は常に入れ替わっており、我々の身体は周囲の環境と動的な平衡状態にあるといえる。この物質の流れを追跡するために目印となるものをトレーサーとよび、元素の中で少しだけ重さの違う同位体や、主要元素と同じ様な化学的特徴を持った微量元素(例えばカルシウムに含まれるストロンチウム)などがトレーサーとして有効である。例えば、生物体を構成する主要元素である炭素と窒素では、それぞれ13Cと15Nという同位体が少量存在し、植物の光合成回路の相違(C3植物とC4植物)や海生動物と陸生動物の間などで明らかに異なる傾向が示される。

この相違を利用して、体組織形成に伴う同位体の変動を差し引くことで、組織を構成する元素の由来、すなわち摂取された食物の種類をある程度の定量的に復元することが可能となる。なかでも窒素同位体15Nは動物体内に濃縮されるので、肉食の指標として有効であると期待される。

しかし、自然界では常に例外的な事例も存在しており、野生生物の研究から水不足や飢餓などによって窒素の同位体比が変動することが報告されている。また、陸上の生態系ではいわゆる食物連鎖が比較的単純であり、大型肉食動物が生息しない地域では食物連鎖で上下関係にある植物と動物の間で同位体の大きなシフトを期待することができない。そのため、雑食性の人類集団におけるタンパク質摂取で肉類がいかに重要であったかという微妙な評価は必ずしも容易ではない。

 しかし、肉食が人類進化で果たした役割は非常に重要であり、定量的な分析方法を議論することには大きな意義がある。同位体比の情報から肉食の重要性を定量的に議論することが本当に困難であるのか、それとも何らかの特徴として現れるのかを検討する必要がある。そのためには現代人類を対象とした同位体比的研究と、彼らの食生活を定量的に記録する生態人類学的調査を並行して行うことが非常に重要である。

 今回の研究では、パプアニューギニア高地人(フリ)を対象として、サツマイモを主食とする高地地方・タリ盆地居住のフリと、首都ポートモレスビーで市場に流通する食物を中心とした食生活をおくるフリから爪を分析試料として採取した(写真参照)。両地域において、家庭に出入りする食料品全点の重さを記録するという方法で食生態に関する基本的な情報が記録されている。

その結果、タリ盆地の高地人の食生態は非常に少ないタンパク質摂取量に特徴づけられることが明らかになっており、都市部とは全く異なる食生態に適応していると言うことができる。はたして低タンパク食という特殊な栄養環境において、爪の同位体における傾向がどのように変動するか、あるいは何らかの生理学的な適応が存在するのかを同位体比から議論したい。さらにその結果を踏まえて、同位体比を肉食率の指標として初期人類を含めた先史人類集団に適応することができるかを考察することが本研究の目的である。

3.化石人類へ応用例
 人類進化における「肉食」の役割という視点から議論を進める為には、化石化過程という大きな化学的変性を経た試料から生体に由来する情報を抽出する必要がある。堆積に長時間埋没していた骨試料では、続成作用と呼ばれる化学的な変化によって我々が知りたい食べ物の組成に関する情報がかき消されてしまっている可能性を常に考慮せねばならない。化石組織の化学組成が食生活の情報を保持していることを証明するのは容易ではないが、同じ遺跡から出土した食性の異なる動物骨を参照することで間接的な証拠を得られる。

例えば、骨の無機成分であるハイドロキシアパタイト結晶に含まれる微量元素ストロンチウム(Sr)と主成分のカルシウム(Ca)の濃度から、南アフリカのスワルトクランス遺跡出土のアウストラロピテクス・ロブストゥスの肉食率を推定した研究(Sillen, 1992)では、肉食動物と草食動物の骨におけるSr/Ca比を同時に測定し、両者の間で期待される種間差が認められたことから、同遺跡の堆積環境ではSr/Ca比に記録された食性のシグナルは保持されていると結論している(図1)。

草食動物および肉食動物とアウストラロピテクスについてSr/Ca比を比較することによって、この種が従来考えられていたよりも肉食率が高い食生活を有しており、草食というよりは雑食に近いという結果が示唆された。


 また、Lee-Thorpら(1994)は、同じくスワルトクランス遺跡出土のアウストラロピテクス・ロブストゥスの歯のエナメル質を分析している。この研究では、主成分であるハイドロキシアパタイトに含まれる炭酸基(CO32-)の炭素について13C/12C比が測定され、食性の推定に応用されている(Lee-Thorp et al., 1994)。この場合も動物骨との比較から続成作用の影響を評価して、その結果からアウストラロピテクス・ロブストゥスの肉食率が計算されている。

その結果、Sr/Ca比で示されたのと同じように、やはり肉食率がかなり高かった可能性が示唆されている。


 上記2つの研究は、いずれも骨や歯の無機主成分であるハイドロキシアパタイトを分析の対象としている。骨の無機質は、生体においてはカルシウムの貯蔵庫という役割があるため、一般的に結晶が未成熟で不完全である。そのため、土壌に埋没している間に周囲から元素を取り込みながら結晶を成長させる危険がある。この性質のため、骨の無機質は一般的に続成作用の影響が大きく、動物骨などから生態系全体に関する傾向を確認した上で慎重に検討する必要があり、その記録は必ずしも食性の復元に使えるとは限らない。一方、骨組織を構成する有機分画の主成分であるコラーゲンは、化学的に安定な構造を持っており、土壌中でも比較的変質しにくいという特徴があるため、過去の食性に関する研究には有効である。しかしながら、1万年よりも古い資料で状態の良いコラーゲンが残存していることは非常に希であり、初期人類を対象にした分析は困難だと考えられる。

興味深い研究例としては、中期旧石器時代のネアンデルタール人の骨から抽出したコラーゲンで炭素と窒素の同位体比を調べたところ、非常に高い肉食率を示したという結果が報告されている(図2:Bocherence et al., 1991)。

4.同位体比から見たパプアニューギニア高地人の低タンパク適応
 本研究では、パプアニューギニア中部タリ盆地に居住するフリ語を話す人々を対象としてパプアニューギニア高地人の栄養生態を研究した。パプアニューギニア高地人は、タンパク質摂取量が非常に少ないにも関わらず貧血症状などの低栄養状態が認められず、筋骨たくましい体型を保持していることで広く研究者の注目を集めてきた(奥田, 1984)。その適応モデルは発育の低下と同時にタンパク質から代謝された尿素の排出の抑制によるという説が提唱されている。

一方、窒素収支を測定し、それが大きく負となることを報告したグループは食物以外からの窒素固定、すなわち腸内細菌が大気中の窒素を固定する作用を認めたと報告している。現在では前者の説を支持する研究者が多いようであるが、人類集団では長期の栄養実験は困難であり、具体的な生理的適応を証明することは容易ではなく、そのメカニズムが明らかであるとは言い難い。

 一方、窒素代謝と同位体比の関係をみると、生態系における食物連鎖では捕食者と被捕食者の間で一定の割合で15Nが濃縮することが知られている。これは体内における窒素代謝において、尿素として排出される窒素に軽い14Nが多く含まれるのが原因と考えられている。また、野生動物の観察では、前述したように低栄養状態の草食動物で15N/14N比が高くっているのが認められ、尿素の再利用効率が上昇したことが原因であると説明されている。これと同様の現象が、イモ類を中心とした低タンパク食を日常的に摂取しているパプアニューギニア高地人でも認められるならば、彼らの窒素代謝の特徴は体組織の同位体比として記録されている可能性がある。すなわち、もしもパプアニューギニア高地人が尿素の再利用効率を高めることで低栄養状態に対応しているのであれば、彼らの体組織の窒素同位体比も高くなることが期待される。

一方、腸内細菌が大気窒素を直接的に固定しているのであれば比較的低い窒素同位体比が体組織においても観察されるはずである。また、そのような適応をした人々が都市部に移住して栄養状態が改善した場合、そのタンパク質摂取量の上昇が炭素あるいは窒素の同位体比としてどのように記録されているかを観察することが可能であり、肉食率の変化を同位体で読み解くことが出来るかどうかを検討することができるはずである。


 本研究では、著者のひとりである梅崎が1994年3月から1995年6月にわたって秤量法による食生態の調査を実施した際に、

@低タンパク食を摂取してた日本人、

Aサツマイモ中心の低タンパク食を伝統とするフリ(現地住民)から爪試料の提供を受け、それを元素分析計・安定同位体比質量分析計を用いて炭素・窒素安定同位体比を測定した。さらに、

B典型的な現代日本人の食生活で形成された日本人の爪、

C首都ポートモレスビーに移住し脂質・タンパク質を多く含む食生活をおくっているフリの人々の爪試料、


合計4種類のサンプルを比較する。


それによって、高タンパク摂取に適応した集団(日本人)と低タンパク摂取に適応した集団(フリ)において、低タンパク食(タリ盆地)と高タンパク食(日本およびポートモレスビー)という異なる食性が安定同位体というトレーサーにどのように記録されるのかを検討する。さらに、その結果に基づいて、炭素および窒素の安定同位体比という指標が過去を含めた人類集団の肉食の指標として応用することが可能であるかを議論することを最終的な目的としている。

 図3に爪試料における炭素・窒素同位体比の分析結果を示す。図中の楕円で示されたように、

低タンパク食を取っている時の日本人(グループ@:細破線)、
日本で生活している時の日本人(グループA:細実線)、
ニューギニア高地で低タンパクの食生活を送っているフリ(グループB:太破線)、そして
都市部でタンパク質や脂質を十分に摂取しているフリ(グループC:太実線)、

これらの4グループは炭素・窒素安定同位体比において互いに異なる傾向を示した。

とくに注目すべき点は、ほぼ同じ様な低タンパク食を摂取していたグループ@の日本人とグループBのフリの結果が重ならない点である。これは同じ原料を用いているにもかかわらず、両者の間で代謝が異なるため最終産物であるタンパク質の同位体比が異なることを示唆する可能性がある。しなしながら、その相違は期待された窒素同位体比の値よりもむしろ炭素同位体における相違として明確である。今回の試料は窒素同位体比の値が必ずしも安定でない傾向が認められるため、さらに詳しい検討を加える必要があるが、同位体分析の結果からもパプアニューギニア高地人における代謝レベルでの低タンパク食への適応の証拠が示されたと考えられる。

また、低タンパク適応しているが都市部においてタンパク質や脂質の豊富な食生活を送っているグループCのフリは、明らかに低タンパク食のグループBとは異なる窒素同位体比を示している。この結果からは、タンパク質摂取量の相違が体組織の窒素同位体比として記録されると考えることも可能であるが、日本人の結果をみると日本における高タンパク質の食生活からパプアニューギニア高地のサツマイモ中心の食生活に移行した影響は窒素同位体比では明らかでなく、むしろ炭素同位体比で明らかである。この相違はポートモレスビーにおけるタンパク質資源と比較して日本におけるタンパク質が海産物に由来する割合が多いことを意味するのかもしれない。これについてはさらに詳細な食事調査の結果と比較検討せねばならない。


5.結語
 今回、それぞれ高タンパク食と低タンパク食を摂取した日本人とパプアニューギニア高地人(フリ)の爪における炭素・窒素安定同位体比を比較した。

その結果、同様にタンパク質が少ない食生活をおくっていたにもかかわらず日本人とフリの間では同位体比の傾向が異なることが明らかになった。これは人類集団の間で同位体比情報に影響を与える代謝の相違が存在する可能性を示唆しており、大幅に適応環境が異なる人類集団で同位体比を比較して、その食生活やそれから推定される生業活動を比較する場合には十分な注意を要することを意味している。今後、生理学的な背景を含めてより総合的な調査を進めることによって、パプアニューギニア高地人とわれわれ日本人の間で認められた同位体比の相違が何を意味するのかをより適切に理解することが可能だと考えられる。その結果を踏まえて代謝の状態を考慮することで同位体を用いた食生態研究や、古食性復元への応用がより適切に行われるようになると期待される。そのためには分析対象をコラーゲンやケラチンといったタンパク質レベルから、さらに細かい個々のアミノ酸レベルにステップアップすることが必要である。それによって必須アミノ酸と非必須アミノ酸の比較などが可能となり、より詳細な食生態を復元することが可能となる。そのような検討を進めることで、生物地球化学的な手法はより正確で詳細に先史時代の食生活に関する復元図を提供し、考古学の成果とともに先史時代人の生活についての理解を深めるためのより強力な道具となる。
http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/evo_anth/symp9911/yoneda/yoneda.html


要するに、ホモサピエンス以外の初期人類は確かに肉食だったが、すべて滅び、植物食のホモサピエンスだけが生き延びられたという事なのですね。

人間が体に合わない肉食をすると必ず滅びるという事かな。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c10

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
11. 中川隆[-8998] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:51:20 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[33]
肉食人種が、滅びる事は地球の人類歴史が証明!!

■肉食が癌を生み出す!

癌体質改善の必要条件は『肉、乳製品、化学添加物』を止める事です。

そしてその理由を、137億年の地球の歴史から考えます。


宇宙では、137億年前に ビッグバンが起き

そして、46億年前に地球が生まれました。

やがて、海と陸が出来、

そこに、植物、動物が多数生まれ 

そうして、600万年前に

猿から人間の先祖が生まれました。

それは、
猿人→ 原人→ 旧人→ 新人

という呼び名で変遷(滅亡と勃興)をして行きます。

時系列では

猿人は、600万年前に出現〜約250万年前に絶滅      
原人は、250万年前に出現〜約50万年前に絶滅
(火を使えるようになったのは約50万年前)
旧人は、50万年前に出現〜約5万年前に絶滅
新人(ホモ・サピエンス)=現代人は10万年前に誕生

となっていますが、

実は、

猿人→→→→
      原人→→→
           旧人→→→
                新人→→現代人

というように

急に、新人種になったのではなく
(→)の先と新種が出現するときに
それぞれ端境期(同時進行の時)があります。

その端境期には、交配があったと思われます。

そして、
生き残ったのは『雑食系』の新人です。


では、
滅亡した原人や旧人は最終的には

『何食』を選んだのかといいますと

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

『肉食』を選んだのです。


これらの原人や旧人の中で
肉食だけを選らんだ大多数は
最後は
体が腐って(癌になって)滅亡しました。

ここで、注目したいのは

その一方で、
原人や旧人の生き残りから生まれた新人は、

原人や旧人が『肉食』で『癌になり滅びた』のを確認したか
確認しなかったかは不明ですが

穀物類(デンプン)をアミラーゼで消化吸収
出来るようになっていたので『雑食』になれたのです。
⇒サルから受け継いだ雑食ですが、人間だけが、
アミラーゼを「唾液」で1段階目、
「すい臓」から2段階目に出し消化吸収出来る体に
なりました。

その様な時、砂漠化等で
6万年前にアフリカで食べるものがなくなり出したので、

仕方なくアフリカを出た新人は

世界に散らばり各地で暮らし
各地で独特のデンプンを食べる食生活をしながら
肉も食べ数万年かけて現在に至っています。
http://ameblo.jp/amino-san07/entry-11656278888.html


ネアンデルタール人が滅びて、ホモサピエンスだけが生き残れた理由

わずかな差が命運を分けた


 技術や社会構造、伝統文化といった、集団生活から生まれる要素は、厳しい環境の影響を和らげて、集団の生存力を高めると考えられている。ネアンデルタール人の社会は、この点でも、私たちとは異なっていたかもしれない。

 たとえば、アフリカから移動してきた現生人類の集団では、男が大型の獲物を追って狩りをし、女や子どもは小動物をつかまえ、木の実や植物を採集する分業が成立していた。アリゾナ大学のメアリー・スタイナーとスティーブン・クーンによれば、こうした効率的な狩猟採集の方法が、食生活を多様にしていたという。

 一方、ネアンデルタール人は、イスラエル南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかっていないことから、スタイナーらは、ネアンデルタール人にとって植物は副食にすぎなかったとみている。

 ネアンデルタール人のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子どもも狩猟に駆り出されただろう。腕や頭の骨に折れた跡が多く見られることから、狩りは「荒っぽく危険な仕事」だったと、スタイナーらは論文で述べている。

 片や、現生人類は集団内で分業が成立し、食生活が多様化していたので、リスクを分散できたはずだと、スタイナーは語る。「そのおかげで、妊婦や子どもが守られたのです」

 社会集団の規模も重要だった。古人類学者のトリンカウスによれば、ネアンデルタール人の社会単位は、3世代が集まった大家族ほどの規模だったという。それに対して、欧州で発見された初期の現生人類の遺跡の中には、「もっと大規模な集団だったことを示す遺跡が見つかっている」と、彼は話す。
http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/0810/feature02/_07.shtml

要するに人間は肉食では生きていけないのです。

ネアンデルタール人は植物を調理して食物にしていた;肉食への偏りは大きかったが

2011-01-25 05:40:47

 20数万年前に氷河期のヨーロッパに現れ、おそらく現生人類ホモ・サピエンスとの生存競争に敗れて2.8万年前に絶滅したと考えられるネアンデルタール人は、旺盛な代謝を維持するために、これまで肉食に特化していたと考えられていた。実際、ネアンデルタール人の骨の元素同位体分析研究で、彼らの食性は肉食のオオカミやホッキョクギツネと似たものであったことが分かっている。

イラクとベルギーの化石歯の歯石から穀物調理の証拠

 しかしネアンデルタール人は、ある種の調理をして、その土地で利用できる多様な野生植物を食用にしていたことを、アマンダ・ヘンリ、アリソン・ブルックスら、アメリカ、スミソニアン自然史博物館の人類学研究チームが発見した。アメリカ国立科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)の昨年(2010年)の12月27日付オンライン版で報告された。

 同チームは、イラク、シャニダール洞窟(写真上)出土のシャニダール3号(写真中央=1960年代の発掘時)とベルギー、スピー洞窟(写真下)出土のスピー1号、2号の歯に残った歯石を分析し、顕微鏡観察である種の植物化石とでんぷん粒を見つけた。それらには、今日でもヒトに利用されているナツメヤシ、豆類、ムギ類の草本類種子が含まれる一方、あまり食用にされていないものも検出された。
 草の種子のでんぷん粒は、調理に特徴的な損傷も受けていた。ネアンデルタール人は、野草や穀類を、火加減を調節しながら上手に調理して食べていたと考えられるという。


肉食であったのは確かだが

 イラクという温暖な東部地中海沿岸地方でも、ベルギーという寒冷な北西ヨーロッパでも、緯度の差を超えて、ネアンデルタール人はその土地に自生する様々な食用植物を利用し、しかもそれを食べやすいように調理をしていたことが判明した。彼らの食生活は、これまで考えられていた以上に洗練されたものであったらしい。
 これまでネアンデルタール人の遺跡であるムステリアン遺跡で、植物類をひいて粉にしていたことを証明する石器類などは見つかっていない。その一方、食用にした動物の骨、動物を解体するのに用いた石器類は、例外なく見つかっており、また寒冷な氷河期のヨーロッパで簡単な毛皮1枚で過ごすのに1日4000キロカロリーもの活発な代謝を行っていたと骨格から推定されていた。

 その肉を得るために、危険な大型動物にも果敢に狩りを挑んでいたらしく、ネアンデルタール人の化石には、多数の骨折跡が観察されている。


ネアンデルタール人の植物食の科学的証拠は初めて
 上記の理由から、ネアンデルタール人肉食説は揺るがないものの、肉食一辺倒ではなく、植物食も頻繁に利用していたことが判明した。ちなみにネアンデルタール人が植物食を摂っていたことが科学的に証明されたのは、これが初めてのことである。

 なお最古の自生穀物の利用の証拠は、すでに一昨年12月18号にアメリカ科学週刊誌『サイエンス』で10万年前頃にさかのぼる証拠が報告されている(2010年1月8日付日記「ベトナム、カンボジアの旅:アンコール遺跡群K=タ・プローム、崩壊した寺院(下)と南部アフリカの10万年前の穀物利用」を参照)。アフリカ、モザンビークの洞窟で発見されたMSA(中期石器時代)石器からイネ科植物ソルガムの種子をすりつぶした跡が見いだされた例がある。
http://ameblo.jp/kawai-n1/entry-10778999721.html



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c11

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
12. 中川隆[-8997] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:53:51 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[34]
人間は『肉食動物』ではない! 理論編 
■特に米が主食だった日本人には、肉類は合わない!■

ここ5000〜10000年前くらいの期間で
人間という動物を、肉食か?そうでないか?
という区分けで考えますと
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
解剖学(生体構造)、生理学、生化学、心理学は、
いずれも人間が肉食でないことを示しています。


★いつも言いますが、人間も、実は品種改良の産物です。

約5〜600万年前にピテカントロプス・エレクトス
北京原人=シナントロプス・ペキネンシス
(私は、中学でこう習ったが最近は、ホモ・エレクトス・ペキネンシスと呼ばれる)
明石原人=ニホノトロプス・アカシネンシス(?)
ネアンデルタール等の猿と人間に区別できるような生物が誕生しました。

そこから数々の変遷があり、

約17000年前頃に、日本列島に日本人の先祖が住みだしました。
これが、現在の日本人(我々)の先祖です。

この時、既に
サルから人間という品種に改良されていました。

そして、
★私たちの体の組織や骨の形、生理機能から、
人類を含む霊長類は、
⇒『植物性食物』を主に食べて生きる動物であるという結論が出ています。

その過程を解説しますと、例えば、
私たちに一番近い親戚であるといわれるチンパンジーは、
自然環境では『果物』を中心に食べるほぼ完全な『菜食動物』です。
そのチンパンジーは、雨が少なく果物が少ない季節には、
『種や花』や、『やわらかい茎』や『木の皮』を食べます。

そして、
上記に挙げた原人などの歯の形を見て、
『人間』という品種になった動物の祖先も、
サルから少し改良(?)されただけですから、
『やわらかい茎』や『木の皮』を食べていたことも
歯形の特徴から明らかになっています。(*01)


■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■■
【*01参照】

皮は、外側の皮の内側にある「形成層」という部分を食べています。
ここは、木の根から上部に向かって水などを送る導管や、
上部から根に向かってブドウ糖などを送る師管がある場所で、
木を輪切りにした場合、生きた細胞が集中して存在する場所です。
外の皮よりも軟らかいし、他の部分よりも栄養がある部分です。
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■■

この様に
同じものを食べていたのに、サルから人間という品種が生まれ、
その後、現在に至るまで栄えた理由は?

といいますと、(★ここから肝腎!)

ご存知の方も多いと思いますが、
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
人間とチンパンジーのDNAは、約99%が同じです。

しかし、1%の違いの部分の中に、

なんと!
『デンプン』を消化・吸収する遺伝子を含んでいるのです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
これが、初期の人類に進化(品種改良)してきた決定要因なのです。


遺伝子検査の結果、
消化を助けるエンザイム、アミラーゼの合成に関する遺伝子のコピーの数が、
人間では、平均『6つ』あるのですが、
他の霊長類(品種改良されなかったサル達)には『2つ』しかありません。

この遺伝的な違いがあって、
唾液を比べると、人間のほうが他の霊長類より
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
『デンプン』の消化吸収を助けるエンザイムの量が6〜8倍多いのです。

その結果、
霊長類たちはこの『デンプン』を消化する能力が低いという欠点から
一年中果物が豊富なジャングルで暮らすしか方法が無いのです。

この『デンプンを効率よく利用することの出来る能力』を持った人類は、
アフリカから脱出するチャンスを得たので、
地球のほかの土地(果物が夏や秋だけにしか収穫出来ない土地)をも、
人間を生み育て制覇することが出来たのです。

デンプンの多く含まれる根菜や穀類は、カロリーが濃縮され
冬中食料として使える保存食料となれました。
そして、
地理的にも広範囲に存在し、安易に収穫することができます。

また、デンプンのカロリーの高さが
高いエネルギーを必要とする脳の発展に役立ち、
人類の脳を大きくしたのです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ヒトの脳はサルの脳の3倍あります。

ですから、
デンプンは、原子人類にとっても重要な食料品でありましたから、
約2万年経過しましても『現在の人間』にとっても重要な食料源なのです。


★ここで話を、日本の人類の生物的歴史に絞りますと、

1700万年前から始まった縄文時代は、
基本的に食物採集の文化でしたので、
縄文人たちは採集した食物を食べ、
余ったものは穴や屋根裏に貯蔵して、
必要に応じて取り出したものと思われます。
貯蔵されていた食物の内訳は、
クルミ、クリ、トチ、ドングリなどの堅果類が中心でした。
このことから、
縄文人の主食はこれら堅果類であったと推測されています。
なかでもドングリ類の比重が高かったようです。

一方、
副食の中心は魚介類でした。

ということで、
洋の東西を問わず、人間は肉食ではない事、
特に日本人のDNA=遺伝=品種改良を見た場合は、
肉食中心ではないことが分かります。
http://dreamfood.blog.fc2.com/blog-entry-48.html


人間は『肉食動物』ではない! 理論編 02

■肉食で、騙されている日本人

前回は、
縄文人の主食はこれら堅果類であったと推測されています。
なかでもドングリ類の比重が高かったようです。
一方、
副食の中心は魚介類でした。

ということで、
洋の東西を問わず、人間は肉食ではない事、
特に日本人のDNA=遺伝=品種改良を見た場合は、
肉食中心ではないことが分かります。

というところで終わりましたが、

人間は、肉食中心ではないですが、
肉も仕方なく『たんぱく源』として食べていたようで、
縄文遺跡からは獣骨も出土しています。

代表的なのはシカとイノシシであり、
その他、クマやカモシカ、キツネ、タヌキ、ノウサギなどです。

そのような中、
縄文時代末期から弥生時代(約3,000年)にかけて、
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓

  水稲の栽培が日本に伝わり、

┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
それ以降、今日に至るまで、『米』が日本人の主食となりました!
しかし、
弥生時代においては米の生産性は低く、
米だけで主食をまかなうには不十分でした。


★今でこそ反当り10俵(40斗)以上の収穫が可能になりましたが
弥生時代にあっては、後期でも8斗前後だったようですから、
それから換算すると、
弥生時代における一人一日あたりの米の消費量は
⇒せいぜい『1合』前後だったようです。

これでは、 
(植物性の)『たんぱく源』が足りないので、
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
弥生時代になって畑作も発達し稲の栽培技術をもとに、
畑での植物栽培も始まり、

これで日本人は本格的な農耕時代に入りました。


その弥生時代の畑作物の代表は麦類で、
それも大麦と小麦が大部分を占めていました。
また、
ヒエやアワ、豆類なども多く栽培されたようです。

弥生人たちはこれらをドングリにかわる第二の主食として取り入れ、
米と混ぜ合わしたりして食べていたのです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
★日本人に多い『消化酵素アミラーゼ』のおかげです。


一方、
ウリ科の植物や果実類の栽培も始まり、
弥生人たちの食生活は飛躍的に豊かなものとなったのです。

『米』が日本人にとって主食としての地位を次第に高めていくのに伴い、
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
副食には『魚介類』の比重がますます高まって行きました。←★
こうして
日本民俗の存続のために必要な栄養の体系が形成されて来ました。

★これが約2000年前に始まった現在日本人が受け継いでいる
『日本人の品種改良の開始時期です』

ところで、同じアジアでも、
お隣の中国でも米の普及に伴い、すでに新石器時代において、
牛、豚、アヒルなどを食肉用に飼う習慣が広まっていた。
それが今日の中華料理につながる伝統を形成して来ました。
しかし、
日本では、これらの獣肉が食卓の主役にはなりませんでした。

豊かな漁業資源が、

『米』と『魚』を中心にした日本の食文化を形作っていったのである。
⇒日本人のNDAは、『米』と『魚』を継承しています。

◆日本人の平均的な米の消費量は、中世以降明治・大正時代に至るまで、約1000年間も、1日あたり4合です。
1日に4合≒600g(体積をgに変換するのは実は困難)
でしたが、平成15年で既に1日165gに激減しています。

人類の歴史は、『人類の進化=品種改良』 

ですから、

 戦後から平成で『米』の食事が急減したことで、品種改良についていけなくなった、日本人が 多数いることが分かります。

もう少し『人間の人種改良』で説明しますと、

伊勢神宮の遷宮の20年を参考に
昔の人は20歳前後で子供を産んでいたとして、
1000年間では、人間は50回の品種改良して
昭和初期の日本人のDNAになっています。

それが戦後からでも晩婚化もあり
現在の日本人は
約3回しか『人間の人種改良』をする機会しか
ありませんでした。

その上、アメリカの占領下で食生活の急変が
スタートした時代の方=『日本人の体質劣化開始世代』の方も、
現在生存しておられます。
そして、
その方も食事は主に、『米』と『魚』を摂取することを継承し、
1000年間経過した人間の品種改良品として、
昭和初期の日本人のDNAでありながら、
米の代わりに急激に、
『肉、乳製品、添加物、輸入小麦粉』等が
摂取されていますから、1/3が癌になり死んでいます。

その子らの『日本人の体質劣化第2世代』の方は、
『肉、乳製品、添加物、輸入小麦粉』等を
食べても癌にならないような品種改良が済んでいない親から
生まれていますから、当然ながら
『肉、乳製品、添加物、輸入小麦粉』等を
食べたら癌になっています。

更に、
その子は『日本人の体質劣化第2世代』より更に劣化した
『日本人の体質劣化第3世代』ですから、
アトピーも食物アレルギーもオンパレードとなっています。

よく考えて下さいね。

人間は、穀物を『生』では消化できません。
日本人もそうでしたが、
たとえ調理(加熱)しても、
穀物の複合糖質を分解するには
アミラーゼ等の多大な消化活動が必要ですから、
腸の長い日本人の品種が、
1000年間ゆっくりと品種改良しながらも、
⇒今日まで日本人は子孫を継承してきました。

その日本人のDNAに沿った食事内容を
敗戦で、
グチャグチャにされ、

テレビで「肉、乳製品、洋菓子、添加物」を
美味しいと思わせて食べさせられて
アトピーやアレルギー、癌のオンパレードになっています。

日本国民はこの事に早く気付くべきです。


人間は『肉食動物』ではない! 理論編 03

★人間が肉食でないことは、
解剖学(生体構造)、生理学、生化学、心理学でも
論じられている事は記述しましたが、

解りやすいのは、
ヒトは、歯や爪などからだの構造から見みると、
植物から必要なものを補給するように進化してきた動物である
ということは誰が見てもわかります。

ヒトは、穀物や果実や根茎など、
植物が光合成で蓄えたデンプンを利用することによって、
生命を維持するようになった哺乳類の品種改良品です。

ですから、肉食で生きるエスキモーの方も例外ではなく、
彼らが移り住んだ地が、たまたま食糧となる植物がなく、
クジラなどの海に棲む哺乳類を捕食する以外に生きる術がなく、
その食生活に耐え抜いた品種の子孫のみが生きているのです。

また、
寒い北欧に住む西洋人が、牛肉を食べ牛乳を利用するのは、
穀物や野菜・果物が十分得られず、
人間が食べて消化吸収することのできない草を食べる牛や羊を養い、
その肉やミルクを食用にしなければならなかったからで、
その風土でしか取れない食生活に耐え抜いた品種の子孫のみが
今も生きているだけのことです。

西洋の地で発達した近代栄養学
(タンパク・ビタミン・ミネラルという成分栄養学)を、
高温多湿で穀物や野菜が豊富にある日本で、
そのまま盲目的に信用、引用、運用すべきではないのです。

この西洋人の肉・牛乳の食生活も、実は1000年まえからではなく
ここ150年ぐらいですから、
乳製品を多用する国は、癌の発症率は高く
未だ品種改良の最中なのか
このまま肉や乳製品を完全に体内に取り入れられず
癌のDNAを引き継いで絶滅危惧種になるかは、
『神のみぞ知る未来の欧米人』の姿です。

⇒最近では、有名なアメリカの女優さんが、
乳がんのDNAが遺伝しており
『乳がん発生確率が87%』と判断され
手術された話は有名になりました。
そして、
既に多くの方が施術をしていたことも
同時期に公表されましたが、
驚きませんでした。

我々の常識では、
乳製品を飲食したら『乳がんになる』のは
『あたりまえ』だからです。

アメリカでも1977年に上院のマクガバンは、
生活習慣病や、がんや心臓病などの主要な死因に関係する病気と
食生活とのつながりが科学的にはっきりしてきたため、
そのような病気を予防することも主な目的で
「 米国の食事目標」として報告した。
これは マクガバン報告、マクガバンレポートとも呼ばれていますが、

その中で、最も理想的な食事は、
元禄時代以前の日本人の食事である
ことが明記されおり、
結局は、
精白しない殻類を主食とし、
季節の野菜や海草や小さな魚介類
といった内容です。

それを無視して
グルメ雑誌に出てくるような
肉食、乳製品のチーズ、バター
乳製品のお菓子、油もの
を食べていたら
『乳がんになる確率は、80%を超える』
事は、誰でも想像できます。


■まとめ■
「人間は、現状では草食動物である」
雑食性のように思われているが、実は草食性である。
なので、
「肉」は、実は人の体に適していない。

草食動物にしか見られない歯の並び方が顕著。

消化液の性質でも、肉食動物と草食動物は違って、
草食動物は、
肉食動物の様な強力な蛋白質分解酵素をもっていない。

また、
肉食動物と草食動物では、腸の長さが異なっている。
肉食動物は短く、草食動物はかなり長い。
人間は、腸が長い部類に属している。

人間の体の蛋白は、全部自分の消化器官で造っているから、
更に、肉食で蛋白質をとる必要はまったくない。
更に、本来は不要です。

★肉を食べなければ、食生活が出来ないとか、
スタミナがつかないとか、成長しないとか、
というのはどこにも根拠のない稚拙な話である。
http://dreamfood.blog.fc2.com/blog-entry-50.html


西洋人は肉食だったネアンデルタールの血が入ってるから、肉食・金髪碧眼なんだよね。 日本人が肉食を真似したら全員癌で死ぬね。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c12

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
13. 中川隆[-8996] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:56:18 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[35]
初期人類は基本的に菜食

ネアンデルタール人は野菜好き
James Owen for National Geographic News
July 23, 2012


 スペイン北部にある洞窟から、ネアンデルタール人が植物を食べ、薬草を治療に用いていたことを示唆する痕跡が見つかった。この洞窟からは以前、先史時代のヒト属であるネアンデルタール人が仲間の脳を食べていた証拠も発見されている。
 最新研究において、スペイン、アストゥリアス州にあるエル・シドロン洞窟で見つかった5体のネアンデルタール人の骨を調べたところ、歯の部分から化学物質と食物の痕跡が検出されたという。

 5万年前の歯から採取した歯石を調べた結果、植物のデンプン粒が顕微鏡で観察された。デンプン粒はひび割れており、植物が事前に加熱されていたことを示していた。さらなる化学分析の結果、木を燃やした煙に含まれる化合物も見つかった。

 歯石からデンプンおよび炭水化物が見つかったことは、ネアンデルタール人が多様な植物を食べていたことを示す。一方で、肉に由来するタンパク質や脂質の痕跡は驚くほどわずかしか検出されなかった。

 バルセロナにあるカタルーニャ高等研究所の考古学者カレン・ハーディ(Karen Hardy)氏率いる研究チームによると、絶滅したヒト属の一種であるネアンデルタール人は、ステーキよりも野菜を焼いて食べるほうを好んだだけでなく、薬草を利用した治療法も知っていたという。

 洞窟に住んでいた彼らは、セイヨウノコギリソウ(ヤロウ)とカミツレ(カモミール)も食べていたことが明らかになった。いずれも栄養的価値に乏しく、苦い味のする植物だ。同じ研究チームによる以前の調査では、エル・シドロン洞窟に住んでいたネアンデルタール人は苦味を感じる遺伝子を有していたことが判明している。

「ネアンデルタール人はこれらの植物を口にして苦いと感じたはずだ。したがって、味以外の目的で口にしていた可能性が高く」、その目的とはおそらく治療だとハーディ氏は声明の中で述べている。「これは現在の高等霊長類をはじめ、多くの生物が示す自己治療の行動パターンとも十分に合致する」。

 ネアンデルタール人がこれらの植物にどのような治療効果を求めていたのかは知る由もないが、現生人類はさまざまな病気の治療にこれらを用いているとハーディ氏は指摘する。「カミツレは神経やストレスに効き、消化不良を改善する薬草としてよく知られる」一方、セイヨウノコギリソウは風邪や発熱に効き、殺菌作用もあるという。

◆野菜好きだったネアンデルタール人

 今回の発見をはじめ、もっぱら肉食だったとされるネアンデルタール人の評価に疑問を呈する研究結果が最近増えている。彼らが肉食だったという前提はこれまで、より幅広い食物の選択肢を持つ現生人類が、張り出した眉を持つこの近縁種に比べ生存競争で優位に立てた根拠とされていた。

「われわれの研究結果によって、ネアンデルタール人が草食を行っていたことを示す証拠がまた増えた」とハーディ氏は述べている。同氏は、ヨーク大学の考古化学者スティーブン・バックリー(Stephen Buckley)氏らとともに今回の研究を行った。

 ハーディ氏によると、スペインの洞窟に住んでいたこの集団が例外的な“野菜好き”だったとは考えられないという。「彼らが特殊な存在だったと考える理由は見当たらない。それでも、さまざまな異なる環境に暮らしていたネアンデルタール人の集団にこの種の調査を実施すれば、非常に興味深いことになるだろう」。

 今回の研究結果は、7月18日付で「Naturwissenschaften」誌オンライン版に発表された。

Image by Joe McNally, National Geographic

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20120723003&expand

要するに、人類は果物が一番好き、果物がない時期は野菜や木の実を食べる

エスキモーの様に植物が手に入らない環境では仕方なく生肉で我慢する


従って、人類は糖質が一番合った食べ物

炭水化物で癌になるというのはアホの妄想という事で間違いない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c13

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
14. 中川隆[-8995] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:57:22 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[36]
初期人類が骨を食べたという話は学会では相手にされていない:

人類は骨を食べた?


 島泰三さんは、人類はかつて骨を食べていたという珍説を提案している。これがNHKを初めとするテレビでも紹介されたという。いまのどの民族でも骨を食べている人はいない。いったいそんなことがあり得るのだろうか?

骨とは

 骨は生きている組織である。体の中で、絶えず作り替えられている(*1)。体をささえたり、筋肉とともに運動にあずかるし、カルシウム代謝にも重要な役割を果たしている。とても丈夫にできていて、簡単には折れないよう、硬さとしなやかさを併せ持つ。ちょうど鉄筋コンクリートのようなものだ。骨の硬さをつくるコンクリートにあたるのがハイドロキシアパタイトであり、鉄筋にあたるのが繊維状のタンパク質であるコラーゲンである。コラーゲンがないと、骨はもろくて簡単に折れてしまう(*2)。コラーゲンはタンパク質だから、食べることができれば栄養になる。骨を煮るとゼラチンがとれる。このゼラチンがコラーゲンの分解産物である。
 島さんは骨はしゃぶっていれば柔らかくなって食べられると言うが、それは間違いだ。唾(つば)ではハイドロキシアパタイトは分解できない。だから、どんなにしゃぶっていても、柔らかくなることはない(*3)。コンクリートをいくらなめても柔らかくならないのと同じだ。これは、実験すればすぐにわかることだ。鶏肉の骨付きモモを買ってきて、骨をしゃぶってみればいい(*4)。

骨を食べる条件

 イヌは骨付きの肉を与えると、噛んで割って食べたりする。しかし、これでは骨からいくらも栄養を得られないだろう。なぜなら噛み砕くわけではないからだ。骨を噛み砕いて食べる動物は、ハイエナくらいである。われわれヒトとは、歯のできが違う。巨大な臼歯だ。この歯で、骨をすりつぶす。そのため、歯はものすごく摩耗していて、まるで臼のようにへこんでいる。その糞は、カルシウムに富んでいて、まるでセメントだ。ヒトの歯と比べると、そのサイズも摩耗の程度も、雲泥の差がある。
 骨のように硬いものを噛み砕くためには、強力な咀嚼筋(そしゃくきん)が必要になる。側頭筋(そくとうきん)や咬筋(こうきん)である。ハイエナでは顔にこれらの筋が発達しているため、その顔を見ると丸っこく鈍重な感じがする。一方、ヒトの咀嚼筋は、もっぱら菜食主義の近縁の類人猿たちと比べても、非常に発達が悪く弱々しい(*5)(*6)。つまり、ヒトの歯や咀嚼筋は、骨のように硬いものを食べるつくりになっていないのである(*7)。

「骨食説?」

 骨をしゃぶってみるという簡単な実験で棄却されるのであれば、「骨食説」は、とても科学仮説として成り立たない。島のこの珍説は、だから学会で発表されず、学術雑誌に論文が一度も掲載されない。学界では存在しないのである。つまり典型的な俗説なのだ。それにもかかわらず、マスコミがもてはやす。
 世間には、こんな俗説はゴマンとある。だから、こんな説をマスコミが取り上げるのが問題だ(*8)。ちょっと考えてもいかがわしいし、ちゃんとした専門家に聞けばたちどころに誤りがわかるのに、それをしない。NHKなどの番組制作者の知的水準は、驚くほど低いと言えるだろう(*9)。


(*1) 骨は、たえず破骨細胞によって縦穴が開けられ、骨芽細胞によってふたたびその穴に骨がつくられる。このバランスが崩れ、穴を開けるスピードが修復のスピードを上まわると、骨がすかすかに穴が開いた状態になる。それを骨粗鬆症という。

(*2) 骨のコラーゲンが少ない症例に骨形成不全症がある。ちょっところんだだけで骨折してしまう。

(*3) 骨はその周囲を体液で囲まれている。もし骨が唾液でふやけるようなら、当然体液にもふやけるはずだ。ふやけてフニャフニャになったら、骨は役に立たないではないか。

(*4) 何日も骨を煮込めば、骨がもろくなり、食べられるかも知れない(やったことがないので、わからない)。これは、骨のなかのコラーゲンが抜けるからである。しかし、何日も煮込むような料理をしていたのでは、骨を食べるメリットはないだろう。

(*5) ゴリラは、かたい木の皮やタケノコなどを食べるため、咀嚼筋(そしゃくきん)がよく発達している。側頭筋は頭蓋冠(とうがいかん)まで覆い矢状稜(しじょうりょう)についている。ゴリラの頭骨を見たとき頭蓋骨の正中線に板状の骨が出っ張っているのが、矢状稜(しじょうりょう)である。これに対し、ヒトは柔らかなものを食べているため咀嚼筋の発達が悪く、側頭筋は頭蓋冠にまで到達せず矢状稜は認められない。

(*6) 植物性の硬い物を食べるサルには、下あごに「サルの棚」と呼ばれる出っ張りがあり、あごを頑丈にしている。しかし、ヒトの下顎はこれで補強されていない。つまり、柔らかいものしか食べられないつくりになっている。

(*7) 化石人類でも、歯や咀嚼筋の着く顎や頭骨が残っていれば、その形から硬いものを食べたかどうか推定できる。骨のように硬いものを食べられる頑丈な顎をもった化石人類は、発見されていない。ただし、骨髄には脂肪があり、狩りをする人類では骨を割ってこれを食べた。もちろん骨を割るときには歯ではなく石を使った。ネアンデルタール人の食べカスの遺跡からは、割られたネアンデルタール人の骨がでてくる。これが「食人」の証拠になるのである。

(*8) 以前、ある人から著作の抜き刷りや北海道新聞の記事のコピーが送られてきた。それは、「鹿の角は木のイミテーションだ」という説を述べたものだった。動物の形は進化の過程でかたちづくられたものだ。この説では、どうにも説明がつかない。もちろん、科学専門誌に紹介されたこともない。しかし、新聞記事では大きな紙面をさいていた。俗説は、科学の世界をよそに、こうして再生産されるのである。

(*9) もし視聴率をかせごうと故意に俗説を流布しているのだとすれば、これはさらに罪深い。詐欺だ。
http://homepage2.nifty.com/anthrop/bone.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c14

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
15. 中川隆[-8994] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:58:25 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[37]
狩猟民族の本来の食はこういう感じ:

アイヌ人の食事

アイヌ人の食事は汁ものが主食で、その具は殆ど山菜や雑穀類。

要するに、完全菜食では味付けが難しいので、肉や魚を少しだけ入れて山菜や雑穀類を食べ易くしたという事ですね。

アイヌ人の様な狩猟民は牧畜民の欧米人の様には肉を沢山食べないのです。

アラブ人の様な遊牧民もミルク、ヨーグルトが主食で肉はハレの日にしか食べません。

従って、毎日肉を食べる欧米人や日本人は「人類本来の食生活」から大きく離れています。アメリカ人に極端な肥満が多いのはホルモン剤で育てた牛の肉を食べるからですね:

アイヌの人々は肉を食べる場合には動物の新鮮な内臓を例外として、生で食べることはあまりありませんでした。

肉を食べる場合にはほとんどの場合、汁ものに入れて煮たものや焼いたものを食べていました。

魚類を食べる場合には串に刺したものを焼いて食べたり、天日などで乾燥させたりしたものを汁ものに入れて煮たものを食べていました。獲ったサケを冬期に屋外で凍らせてそのまま食べることもありました。


ラタシケプは山菜や蔬菜、豆類などを汁気が無くなるまでしっかりと煮込んで魚脂や獣油、海水などを使って味付けを施して鳥獣肉、魚肉は使いません。

カッコウの初鳴きを合図として、一年分の山菜を採って乾燥させて収蔵し終えたところに、夏がやってきて畑仕事が始まります。昔のアイヌには稲作は行われていなかったのですがアワやヒエあるいはイナキビのような穀類と豆類、蕪などを昔から栽培していました。

山の物ではヤマブドウやクロミノウグイスカグラ(ハスカップ)のような果実は生で食べましたが、山菜類は魚や肉などと一緒に汁に入れて煮込んだり、お粥やご飯などと一緒に炊いたりして食べるものでした。

雑穀類を焚いたチサッスイェプや雑穀類を焚いて焦がして作ったスウケプ、シト(団子)などはイオマンテのように大きな儀礼の時に食べられる特別料理であって祖先や神々も一緒に食べて、楽しむとされていました。
http://www.islanddistinctiveoccasions.com/hokkaidob/

アイヌ語でオハウもしくはルルという魚や鳥獣肉、山菜などの具が沢山入った汁ものを主食としていました。

入れる材料によって多くのバリエーションをもっています。

副食として食べられていたものはアイヌ語でサヨというお粥でその種類もヒエ粥、アワ粥、ギョウジャニンニク、ウバユリの繊維質、イクラ入りの粥などのバリエーションがあったそうです。

他にはアイヌ語でラタシケプという山菜や野菜の煮込んだもの、焼き魚、穀物の団子のように多くの種類の料理があります。

調味料に使われるのは、メインは塩でしたが、寒冷地であることからカロリー補給や味を柔らかくすることを目的として油脂を多用しました。
http://www.islanddistinctiveoccasions.com/hokkaidob/hokkaidoba.html

人類はネアンデルタールの時代からずっとアイヌと同じ食生活を送ってきたんだ。

人類が雑食というのはこういう事なのさ:


2010.2.12 アイヌの伝統食をまるごと体験!オントウレプ食べてみよう 


昨年7月に手稲山でオオウバユリの根を採取し、みんなでデンプン作りをしました。
http://teinesato.blog.so-net.ne.jp/2009-11-13-5


オオウバユリのアイヌ語名を「トウレプ」といいます。デンプンをとったあとのオオウバユリの根の繊維を発酵させ、乾燥させたものを「オントゥレプ」といいます。アイヌで保存食として利用されていました。

今回も安田千夏さんに講師をお願いしました。

「昔のアイヌの冬の暮らし」についてクイズを交えてお話いただきました。つくづくアイヌは究極のサバイバル術のエキスパートだと感心するエピソードばかりでした。アイヌの男性のたくましさは素敵だなあ〜〜とうっとり・・・なかでも「クマにであったらどうするか?」の本の紹介とエピソードはびっくりでした

このドーナツ型の物体が繊維を発酵させたものです。これから乾燥させるのです。

実は乾燥させたものは3個あったのですが、(かちかちに乾燥したものはなんとも動物の糞のようないでたちなのですが)2個紛失してしまいました。これは乾燥したものを細かく削っているところです。

本当は削ったものを水に浸しておくとボウルの底にデンプンが沈殿するのです。それをスプーンなどでお粥に落とすとトゥレプサョ(ウバユリ粥)になる・・・はずでした・・

1個では少なすぎてデンプンは取れなかったので今回は急遽、イナキビ入りのお粥、アイヌの人が食べていた「魚の汁」(チェプオハウ)と「シバレイモ」(ペネコショイモ)団子をつくることになりました。

「魚の汁」(チェプオハウ)です。今回は鮭を使用した三平汁です。鱈なども内臓ごと使っていたようです。

当時、塩は交易で手に入れなければならなかったので貴重だったようです。実際食べていたものはかなりの薄味だったようです。私達は現代風にアレンジしたいただきました。ポイントはギョウジャニンニク」(プクサ)とあぶった昆布を砕いていれるところです。

調理風景です。

これが「シバレイモ」(ペネコショイモ)です。真冬に外に出しておき凍ったジャガイモを水で何度もアクだししたものです。みなさん少し凍ってしまったジャガイモを食べたことがありますか?すこしクセのある匂いがします。

あんな感じです。

砂糖を少し加えて団子状にしてホットプレートで焼きます。これはとても美味しかったです!もちもちっとしていて焼くと香ばしくほんのり甘く・・また食べてみたいです。

完成しました

いただきま〜〜す

前回のオオウバユリの採取から7ヶ月、採取→加工→調理の過程をみんなで学ぶことができました。

昔のアイヌの人たちは食べ物を粗末にすることなく最後の最後まで智恵をしぼり使い切る究極のエコの精神を持っていたんだなあ・・と尊敬します。そして食べ物になる植物の子孫が絶えることがないようにルールをつくって採取していたことも学ぶことができました。自然、食べ物、いのちに感謝する気持ちが自然にわきあがってきます。

いのちを身近に感じ、感謝し生きていきたいです。
http://teinesato.blog.so-net.ne.jp/2010-05-07


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c15

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
16. 中川隆[-8993] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:59:21 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[38]
市川光雄『森の狩猟民』 ムブティと農耕民 ――

大橋:食べ物がすごくリッチですね。キャンプのいきなり隣から、より取り見取に食料がとってこれるような豊かな状態は、想像もしていなかった。

市川:植物性食物では、おそらく5,60種類を利用していて、ほんとに重要なのは10種たらずですが、利用可能な植物はその何倍もある。(略)

大橋:ムブティの食文化の大きな背景として狩りがありますね。

市川:弓矢猟とネット・ハンティングという2つのやり方があります。どちらも集団で獲物を追い出してとる。女の人はよく歌いながらついていく。獲物を運ぶのは女の人なんですね。森の中には中形以上の哺乳類が50種類以上いるが、それらを全部食べるんです。その8割がたを、12歳ぐらいまでに食べます。

市川光雄の『森の狩猟民』(1982)は、科学的な人類学の観点からの、素人にも読める「民族誌」として、おそらく満点に近いすぐれたものであろう。専門家にしか必要のない細部や見解をスッキリとカットしてあって、読みやすくしかもピグミー社会の構造が自然に浮かびあがってくるように、写真や地図・図表をふんだんにつかって記述が進められている。

なんといってもまず「森」についての、市川の専門的な調査を踏まえた記述がどういうものか、紹介したい。胸がすくような見通しの良さを感じるはずである。
市川のベース・キャンプはマワンボというところにあるのだが、雨期の最中の9月そこから西方へ向かって調査行を試みたときの記述である。「森の恵み」という小見出しがついている。

 マワンボから十数キロ進んだあたりで、10キロ近くもつづくみごとなムバウの純林の中に入った[イトゥリの森は“テンプ”、“エコ”、“ムバウ”の、いずれもジャケツイバラ亜科の3種の喬木のそれぞれが優占種となっている]。森林の第1層から最下層まで、すべての層をムバウが独占していた。歩くのに邪魔になるような下生えぱきわめて少なかった。

 ムバウの木は、手のひらをたてに2つ並べたくらいの大きな葉をつける。その葉にさえぎられて、地表にはほとんど直射日光が届かない。森のなかはまるで夕暮れ時のように暗かった。この見事な森を写真におさめたいと思ったが、F2レンズの絞りを全開にしても、シャッター速度を8分の1秒まで落とさなければならず、とてもまともにとれそうには思えなかった。真昼だというのに、森の中は肌寒いくらいの冷気に包まれており、長そでシャツで歩いても少しも暑いとは感じなかった。

 ムバウの純森のようなところが、はたして人類の居住地として適当かとうかは疑問だろう。しかしこの森には、ほとんど無尽蔵の食料源がある。森はちょうど、ムバウの実の成熟する季節だった。地表は、落下したムバウのさやと、さやからはじけ出た直径4、5センチの大きな平たい豆で埋めつくされていた。この豆を食物にすれば、1年のうちの数ヶ月は、まず食料に窮することはあるまい。

 それから1週間後に、私はビアシクのムブティのキャンプを訪れた。そのとき、実際にこのムバウの豆が食用にされるのを見ることができた。彼らはこの堅い豆を、茹でたり、すりおろして熱湯を住いで、粥のようにして食べていた。ムバウの豆が、この季節の彼らの食生活において重要な位置を占めていることは疑いなかった。

 茹でたムバウの豆は、湿った硬い石けんを咬むような歯ごたえで、美味とはいいがたかった。しかし、キャッサバなどの農作物とくらべて、格段にまずいとも思えなかった。もう少し時期が遅くなると、水辺に落ちた豆が水分を含んでふやけてくる。それを臼でついてダンゴのようにして食べるのがいちばんうまいと、ムブティは口をそろえていう。

 このとき採集したムバウの豆を日本にもち帰って、栄養分析をしてもらったところ、乾燥重量100グラム中に、353カロリーもの熱量を含むことがわかった。これは米や麦など、われわれの主食となる穀物にまさるとも劣らない栄養価である。(前掲書p31〜33)

このムバウの豆はムブティにとって重要な食料源であるが、いうまでもなくそれは農作物ではない。自然物を採集したものである。人類史上で農耕の開始は約1万年前とされるが、そのはるか以前からヒト(大型類人猿のうち二足歩行するもの)は出現しており、数百万年間もの長い間、採集−狩猟を行っていたと考えられるが、そういう人類史的な長時間の間、「ムバウの豆」は採集の対象として毎年稔り続けていたとしてよいであろう。おそらく、人類史的な時間をはるかに超えて長く、ヒト以外の多種の動物の食べ物ともなってきたのであろう。

もちろん、「ムバウの豆」はイトゥリの森の豊富な食料の1例に過ぎない。上で引用した調査行の際だけでも、「森のピーナッツ」といわれる堅果類、果肉の豊富なフルーツ類、ヤマノイモ類などを記録している。

イトゥリの森にはけっこう食物が多いことがわかる。ムブティの植物性食物を調査した丹野正氏によると、ムブティは少なくとも、11種の根茎類、18種の堅果類のほかに、18種の漿果[液果とも。ブドウ・トマトの類]、5種の葉、23種のきのこなど、合計78種の野生植物を食物としているという。今でこそ、彼らの食物の多くを農作物が占めているが、農耕民との接触以前には、、野生植物に依存して生活していたに違いない。イトゥリの森に、これだけ変化に富む植物性食物があるということは、その頃の彼らの生活が、けっして厳しいものではなかったことを示唆しているといえよう。(同前p34)

市川によると、イトゥリの森に農耕民が移入をはじめたのは3,400年前といわれているという。スーダン系のレセ族とか、バントゥー系のビラ族・ンダカ族など。ムブティらは農耕民から「農作物」や矢じり・槍・ナイフなどの「鉄器」をもらい、農耕民はムブティから蛋白源として「獣肉」や森林を開く労力などをもらった。ムブティと農耕民の「共生関係」が成立したと考えられている(p39〜41)。

現在のムブティの食物の大半は農作物である。(雨期などに)ペース・キャンプに滞在するムブティは、近くの農耕民の畑に手伝いにいって、その日の食物を得る。森のキャンプに移動して狩猟する時期には、獣肉と農作物を交換する。このように、農作物は労力あるいは獣肉などの森の産物と交換するのが原則である。(同前p41)
ムブティと農耕民の間には経済的な「共生関係」が成立したが、しかし、その民族同士の関係が“対等”な関係かというと、そうではない。農耕民はムブティに対して、儀礼や社会組織などの“上部構造”についても影響をあたえるべく「指導」を試みた。

現実的な(考え方をする)狩猟民のムブティが、彼らの生活様式に合わない社会制度や宗教になじんだかどうかは疑わしい。しかし、少なくともたてまえとしては、ある程度は受けいれざるを得なかったにちがいない。ムブティの社会組織や儀礼には、たとえば割礼などのように、農耕民から借り入れたとしか考えられないものがかなり多いのである。(p42)

「ンクムビ」(割礼をともなう少年の成人式)の始終をムブティ側にいて記録したターンブルの『森の民』には、「たてまえとして」この儀礼を受けいれて「村」の習慣に従って行う、ムブティの“面従腹背的な”心理的態度が詳細に述べられている(『森の民』第12章「村の成人式と魔術」)。

“上部構造”が農耕民の影響を受けているという点でもっとも目覚ましいことは、アフリカ各地のピグミー諸族が、例外なく彼ら固有の言語を持たずその接触する農耕民の言語を借用しているという点である。サバンナの原住民であるブッシュマンが固有言語を失っていない点と比較すると、対照的である。


動物食・植物食・雑食 

ムブティの生活 から、農耕民から受けた影響と思われるものをできるだけ取り除いていくと、《狩猟採集とは、どういうことか》という本章の課題にいくらかでも接近していけるのではないか。

定住することと農耕とはほとんど重なっている。農耕以前の生活は、移動生活をしつつ採集するということに必然的になる。採集生活は、その基本は雑食である。なにが採集できるかは、基本的には自然任せとなる。その場合、自然=環界と人類の関係は、植物性食料を採集する・動物を狩猟するという関係である。

人類はもともと雑食性(オムニボラス)だといわれる。各種の植物をはじめ、肉、卵、虫などを何でも食べた。この伝統をもっとも忠実に守っているのは狩猟採集民である。狩猟採集民は家畜の飼育や植物栽培のような自然をコントロールする術をまったくもたない。彼らの食生活は変動する自然に委ねられている。このような不安定な生活をおくる彼らは、日頃からできるだけ多様な食物を利用する習慣をつけておいた方がよいともいえる。これに対して、自らの手で食糧生産をおこなう農耕民や牧畜民の食性は、多かれ少なかれ特殊化してしまっている。(同前p110)

採集と狩猟の人類史的な前後関係を決めることはむずかしいが、植物的食物の採集のほうが容易であり、安定的な食物確保であった、と考えてよいだろう。この条件は数百万年前のヒトの発生当時から変わっていないのではないか。

市川光雄はつぎのように述べている。

 ここで、狩猟と採集の効率について比較してみよう。クン・ブッシュマンを調査したリーによると、単位時間あたりに、狩猟では1人平均約800カロリーしかうることができないが、採集だと2000カロリーを得ることができる。つまり、狩猟では採集の2分の1から3分の1程度のカロリーを得ることができるにすぎない。

 また、植物の採集は安定した収穫を期待することができる。植物の分布は定まっており、動物のように逃げだすこともない。ある時期にある場所へゆけば、必ず一定の採集品があるという信頼性をもつのが採集活動の特性である。したがって、毎日の生計を維持するという点からみれば、不安定な狩猟よりも、安定した採集の方が一般にはずっと重要である。

 狩猟採集民というように、「狩猟」の方を先にもってくるが、植物性食物を食生活のベースに置いている例の方が多い。とくに、低緯度熱帯地域の狩猟採集民のほとんどすべてが、植物食の採集により強く依存している。

たとえば、クン・ブッシュマンでは植物食対動物食の比はほぼ7:3である。東アフリカのサヴァンナの狩猟採集民ハッザ族の場合、この比は8:2である。マレー半島のネグリートであるセマン族もほぼ8:2で植物がおおきなウェイトを占める。(同前p113〜114)

植物食対動物食の比率は、環界にある植物の食料供給力と関係していることは当然で、たとえば、植物性食物のない極地のエスキモーが、肉や魚だけで生活しているのは、よく知られている。植物も動物も豊富に多様に存在している低緯度熱帯地域において、植物食のウェイトが高いということである。

ムブティの場合、市川が観察していたバンドのある月の植物食と動物食の消費量の実際は1人1日あたり、植物食0.7〜0.8s、動物食0.48sだったという。すなわち6:4であった。このときの植物食というのはほとんどが獣肉との交換で手に入れた農作物である。

ムブティはその気になれば安定したネット・ハンティングの獲物を主食として生活してゆける。それにもかかわらず、彼らは食物の6割までを農作物に依存しているのである。ムブティにそのわけをたずねると、肉ばかりでは腹がおかしくなる、という。彼らもやはり、人類は環境条件さえ許せば植物性食物をベースにするという伝統を受けついでいるのである。(同前p115)

動物食と植物食、あるいは、狩猟による食料と採集による食料という2分法がすこし雑すぎるのかも知れないが、現在も生存している狩猟採集民の食生活から、つぎのように狩猟採集時代の人類の食生活を推論することは可能であろう。

人類は狩りをするサルだなどといわれる。しかし、熱帯地方(低緯度地帯)に誕生した初期の人類の食生活の基盤は、狩りによって得た獲物ではなくて、採集によって得た植物であったにちがいない。(同前p114)
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/oto/oto-3.htm


つまり、初期人類から現代人までずっと 植物食 対 動物食の比は ほぼ7:3

人類は出発点からずっと肉食じゃないんだ。


要するに、初期人類もチンパンジーもゴリラもすべて果物や植物から糖質を取っていた。
肉はハレの日の食べ物で、無くても全然困らなかった。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c16

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
17. 中川隆[-8992] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:00:56 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[39]
土器は重いから定住民でないと作れないんだよね。 定期的に移動する民族はこういう食べ方:

Mumu(ムームー) ...パプアニューギニア

パプアニューギニア料理

ムームーって可愛い名前! 焚火で石を、夜見ると真っ赤になるように(昼間見ると白にしか見えない)焼き、イモ・野菜・肉をバナナの葉に挟んで(土がつかないようにする)、上下に焼き石を置き、放熱による「蒸し焼き調理」をします。

パプアニューギニアに土器文化がなかったからこそできた「土中オーブン」は、食材をふっくら柔らかくする最上の調理法です。美味しさ最高です。
http://tabisite.com/hm/shoku/w62/

人間が草食だった時代

パプア・ニューギニア人のたくましい肉体の秘密

 まずは、次ページの写真を見てください。これを見てわかるように、パプア・ニューギニア人の男性は、じつに筋骨たくましい肉体をしています。日本人なら、ボディビルにでも精を出さないと作れないような肉体美なのです。


パプア・ニューギニア人は、ほとんどイモと野草だけの食事で、この筋骨たくましい肉体をしている。

 パプア・ニューギニア高地人の体格は、この写真の人たちに限らず、日本人と比べて、身長では劣るものの体重は同じくらい。胸囲は日本人よりやや大きく、体格的には筋骨体で、たくましい闘士型をしています。

 これだけ体格が良ければ、きっと肉をしっかり食べているのだろう、と思いきや、彼らはほとんど肉や魚を食べません。

 パプア・ニューギニア北部では、主食は、サゴヤシという樹木を切り倒してとるサゴヤシデンプン。それと一緒にタロイモや、ヤムイモ、バナナなどを食べます。魚やブタの干物を入れた汁を食べることもありますが、これはごく少量です。

 さらに、これが高地になると、湿地に繁殖するサゴヤシもとれず、魚や肉もないので、いよいよ食事はイモ類一辺倒。一日一キロ以上のイモ類を食べ、肉や魚はほとんど食べません。

 イモ類はおもにデンプン質で、タンパク質の含有量はわずかです。なのに、そればかり食べている彼らが、なぜこうも筋骨たくましいのでしょうか。
 これだけ多くのイモを食べると、ヘンな話ですが、日本人ならオナラが出てしようがないでしょう。

 実際、彼らの間でしばらく住んだある日本人は、オナラが出てしようがなくて、彼らに笑われたと言っています。しかし、彼ら自身は、オナラがほとんど出ないのです。

 東大農学部の光岡知足教授によると、パプア・ニューギニア人の腸内細菌を調べてみた結果は、日本人とはかなり違った様子をしているとのことです。

 彼らの腸内細菌の種類とそのバランスは、人間よりはウシに近いというのです。教授は、その腸内細菌が、彼らの体内にタンパク質をつくり出していると見ています。

 植物は、"窒素固定菌"というものによって、空中の窒素を固定し、内に植物性タンパク質をつくり出しています。それと同じように、腸内細菌の中には、窒素固定を行なってタンパク質をつくり出すものがあるのです。

 また、別の可能性も示唆されています。体内のアンモニアを利用して、タンパク質を合成している可能性です。光岡教授は言っています。

 「ブタやウシなどは、体内の尿素から腸内細菌によってアンモニアを作り、それをさらにタンパク質へと作りかえていくのです。

 パプア・ニューギニア人の糞便を培養して、そうしたアンモニア利用能を日本人と比較してみました。

 すると、パプア・ニューギニア人は日本人の二倍くらいの高い数値を示しました。そこで、こうしたアンモニア利用によるタンパク質合成の可能性も、考えられるわけです」。

 結論として、光岡教授はこう言っています。

 「ひとつは、イモ自体からのタンパク質の摂取があるでしょう。これが五〇パーセントくらいを占めているはずです。残りを窒素固定菌によるタンパク質合成と、アンモニアの利用によるタンパク質合成とで補って、肉を食べずに筋肉質になれた」。

 パプア・ニューギニア人のあの肉体美は、これら三つの要素によってつくり出されたようです。

長年の食生活に人間の体の方が適応する

 パプア・ニューギニア人はこのように、ほとんど草食の生活をしながら、たくましい肉体を持つことができています。

 しかし、これはパプア・ニューギニア人だけに限ったことではなく、長いことそのような食生活を続ければ、誰でも、やがてそうなれるものなのです。

 人間は思いのほか、環境に対して融通がきくようです。たとえばパプア・ニューギニア人とは反対に、アラスカの極寒の地に住むエスキモーは、毎日肉ばかり食べて、野菜や果物をほとんど口にしません。

 エスキモーは一頭のアザラシを殺すと、その各部分の肉を毎日、日替わりで食べます。今日はこの部分で、明日はあの部分、というようにして、内臓のあらゆる部分に至るまで、料理方法を変えながら食べていくのです。野菜や果物はないので、ほとんど食べません。

 しかし彼らは、りっぱに健康を保っています。これは長年の食生活に、体のほうが適応しているからでしょう。

 草食であれ、肉食であれ、特定の食生活を幼少の頃から続けていれば、体がそれに適応したものとなっていくのです。

      ――参考文献――
『人体スペシャルレポート』(Quark編)講談社ブルーバックス
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/059ningen.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c17

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
18. 中川隆[-8991] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:02:03 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[40]
縄文ハンバーグをつくる  
◆縄文遺跡の「クッキー状炭化物」

 縄文時代の遺跡の出土品の中には、縄文クッキーや縄文ハンバーグと呼ばれている「クッキー状炭化物」があり、縄文人の食の一端をうかがい知ることができる。なかでも、山形県押出遺跡から出土したものをある学者が「クリ、クルミの粉に、シカやイノシシ、野鳥の肉、イノシシの骨髄と血液、さらに野鳥の卵を混ぜ食塩で調味し、野生酵母を加えて発酵させていた」と分析したが、これには異論も多い。しかし、縄文人は、狩猟によって得た動物の肉にドングリや木の実を混ぜ、円形や楕円形に整えて火で調理し食していたことは疑いないようである。

◆縄文人が食したドングリ

  「クッキー状炭化物」が出土している縄文遺跡は、なぜか中部〜東北地方に多い。となると、用いたドングリはブナ科の中でも落葉広葉樹のもので、アク抜きの必要のないクリやブナ、あるいはアクの比較的少ないミズナラやコナラ、ナラガシワなどをまず採集したのではないかと考える。(三内丸山遺跡では、クリの栽培をしていたことがDNA分析でわかっている。)

 一方、比較的温暖な西日本や太平洋沿岸では、ブナ科の常緑樹の中でもスダジイやツブラジイ(コジイ)、マテバシイ、イチイガシといった、これまたアク抜きせず食することのできるドングリを採集していたと考えられる。実際、福岡県久留米市の正福寺遺跡では、編み籠に入った大量のイチイガシが発見されている。また、ブナ科のドングリ以外にも、オニグルミやトチの実も貴重な食料で、オニグルミは現代人にとってもとても美味しい味覚であり、トチの実は、ついこの前まで、飢饉のときの非常食としてその木が大切にされていた。

◆“縄文ハンバーグ”のレシピ

 当時の縄文人が手に入れることのできた食材で、石器やたき火を用いながら、縄文クッキーの調理再現を試みるのも1つの趣向だが、今回は、現代人の味覚や調理方法に寄り添った形で、“縄文ハンバーグ”を作ってみた。

@木の実は、ツブラジイとスダジイを斧の平らな部分を使って叩き割り、コーヒー用の手回しミルを使って粉末に。
あと、オニグルミがあったので、金槌で叩き割って実を取り出し、こちらはすり鉢で粉末に。

A肉は、「牛と豚の合挽き」を用意したが、運よくシカとイノシシの肉が友だち経由で手に入ったので、こちらは包丁で細かく刻んで2つを混ぜ「シカとイノシシの合挽き」に。

同じドングリを用いながら、かたや平成人好みの「牛と豚」の肉で、もう一方は縄文人が好んでいたであろう「シカとイノシシ」の肉でと、2種類のハンバーグを作って味比べをしようと思った。

Bまず、2種類の合挽き肉をそれぞれ塩を適量かけてよく練り、そこへドングリとオニグルミの粉末、卵を混ぜ、隠し味にはちみつを数滴たらす。
次はよく練って、小判大に形を整える。

Cあとは、フライパンで焼くだけと思ったが、この際少しは縄文人に近づこうと土器焼きならぬ、陶板焼きにした。


@斧の腹でシイの殻を叩き割る A左)シカ肉 右)イノシシ肉 左上)オニグルミ 右上)ドングリ粉


Bこちらシカとイノシシの肉を練る C赤)シカとイノシシ 白)牛と豚 シカとシシ肉のハンバーグ

 さて、肝心の味の方だが、結論から言えば、意外や意外、「シカとイノシシ」ハンバーグに軍配が上がる。双方の肉の鮮度や部位にもよるだろうが、味付けは塩だけだったので、「シカとイノシシ」のほうに肉そのものの旨みが感じられた。「牛と豚」の方は、スーパーで買った合挽き肉だったので、もともとまずかったのかも。(笑)

 また、食べ終わった後、ドングリ特有の味覚が舌に残るのだが、これが縄文人気分を感じさせてくれる。オニグルミの実を入れたのは大正解で、クルミの油脂分とサクサクとした食感が、やみつきになりそう。台所で調理したとは言え、縄文人が手に入れえた食材と加熱方法だから、縄文人もけっこう美味しいものを食べていたんだなあ
http://www.enyatotto.com/outdoor/cooking/jyoumon/jyoumon.htm


多くの植物には灰汁が含まれ、マメ科の植物や根菜にはトリプシンやシアングリコーゲンなどの有毒成分が含まれる場合がある[7]。

また、アマ、キャッサバのような植物に有害な配糖体が含まれる場合もある[12]。

そのため、火を使用する前には植物の大部分が食用にならなかった。

食用にされたのは種や花、果肉など単糖や炭水化物を含む部分のみだった[12]。

ハーバード大学のリチャード・ランガム(英語版)は、植物食の加熱調理でデンプンの糖化が進み、ヒトの摂取カロリーが上がったことで、脳の拡大が誘発された可能性があると主張している[13][14][15]。

実際、H.エレクトスの歯や歯の付着物から、加熱調理無しには食べるのが難しい硬い肉や根菜などが見つかっている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%88%E5%B1%9E%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%81%AB%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c18

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
19. 中川隆[-8990] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:02:50 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[41]
がんの原因「食の欧米化」


◆ 肉食が腸癌増加の原因か

1950年代〜食の欧米化(肉食、乳製品)が進むに連れて、日本人の腸がんが増加しています。

上のデータは、欧米人が腸がんにかかりやすいことを示しており、食の欧米化が腸がん増加をもたらしたといえるのではないでしょうか?
このことは、国立がんセンターも述べています。


肉を多く食べる日本人は大腸がんになるリスクが高いことが、約8万人を対象にした約10年におよぶ国立がん研究センターの追跡調査でわかった。

 岩手や長野、茨城、沖縄など9県在住の45〜74歳の男女約8万人を対象に、1995年から2006年まで追跡調査した。このうち大腸がんになった1145人(結腸がん788人、直腸がん357人)について肉類の摂取量との関連を調べたところ、摂取量と結腸がんに関係がみられた。

 男性は、肉類全体の摂取量が最も多いグループ(1日当たり約100グラム以上)のリスクが、最も少ないグループ(同約35グラム未満)の1・44倍だった。女性でも、赤肉(牛と豚肉)の摂取量最大のグループ(同約80グラム以上)が、最少グループ(同約25グラム未満)の1・48倍に上った。


◆ 牛乳の摂取が前立腺がん発症をもたらす

加えて、こんなデータもあります。
http://homepage2.nifty.com/smark/MILKbyok.htm

牛乳の消費量と、前立腺がんの発生率も相関関係があるというのです。
日本人の前立腺がんの早期化・増加は、牛乳の消費量増加が原因となっているのではないでしょうか?

以上から、「食の欧米化(肉食・乳製品)」はがんの原因だといえます。
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2012/10/001204.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c19

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
20. 中川隆[-8989] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:05:09 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[42]
ゲルマン人は植物が無い北ヨーロッパに閉じ込められたから腐肉食になった:

〜12000年前頃、氷河期とホモサピエンスの拡散の軌跡

35,000か〜40,000年前頃です。古代遺伝子Y-DNA「E」は環地中海域(南欧州と北アフリカ)に展開を始め、インド亜大陸で古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した新興遺伝子Y-DNA「I」がクロマニヨン人として欧州に、新興遺伝子Y-DNA「J」もセム種として中近東や北アフリカに展開を始めました

クロマニヨン人度・ノルマン民族度 調査 Y-DNA「I 」

Y-DNA「I」はヨーロッパの主要ハプロタイプで最も古いです、そして恐らくヨーロッパ内で小亜型に分化した唯一のハプロタイプ(非常に珍しい小亜型Y-DNA「C6」や他のハプロタイプの末端亜型等は別として)です。
  それは、40000年前〜30000年前にY-DNA「IJ」として中東からヨーロッパのどこかに到着したと思われ、およそ25000年前にY-DNA「I」へ分化しました。
  言いかえれば、クロマニヨン人は最も恐らくはY-DNA「IJ」とY-DNA「I」に属しました。

  Y-DNA「I1」小亜型は20000年前に分化したと推測され、旧石器時代後期と中石器時代のスカンジナビアで隔離されながら発展しました。
  Y-DNA「I1」は少なくとも25のユニークな変異によって定義されます、それはこの血統が重大な人口減というボトルネック(絶滅危惧の)を経験したことを示します。
  このY-DNA「I1」に属する男性はすべて、10000年前〜7000年前の間に生きていた一人の男性を先祖としています。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/


本当にマズイ? 代表的なイギリス料理一覧
不味い不味いと言われているイギリス料理。

本場イギリス人もジョークに使うほど、世界的に認められている不味さです。

その理由は、食材の味を殺してしまうような調理方法−焼き過ぎ、茹で過ぎ、揚げ過ぎや、塩やコショウだけの単調な味付けにあるとされています
http://matome.naver.jp/odai/2128805878037368601


要するに、イギリス料理は腐った肉を食べる為の騙しの技術なのです。


エリートというのは腐った肉を食べても死なない人間の事:

「肉は良質のたんぱく質を多く含み、スタミナ源になる」・・・高度経済成長期と共に生まれた肉食信仰により、現在日本人の肉類の摂取量は欧米人とほぼ変わらないレベルにまで増加しました。

確かに試験管の中で分析してみれば、肉類には動物性たんぱく質などの栄養分が豊富なのですが、残念ながらそれらが体内ですべて「良い栄養」になるとは限りません。
それどころか、人間の体内は肉が腐るのに絶好の環境であることを覚えておかなければならないのです。
特に、農耕民族である日本人は狩猟民族である欧米人より腸が長いので、摂取した肉が長時間体内に残留し、うまく消化されない分はそのまま腸内で腐ってしまうのです。

腸内で腐った肉そのものは、やがて便となり体外に排出されるものの、腐敗段階で発生する毒素は体内(血液中)に残ってしまうことがあります。日常的に肉食中心であれば、それがどんどん蓄積していることにもなります。

肉の腐敗産物には、アミン・アンモニア・硫化水素・フェノール・インドール・スカトールなどがあり、これらが腸壁から吸収されて血管内に入ると、血液を汚してからだの諸器官に異変を起こさせ、アレルギーやガンなどの原因になってしまうというわけなのです。(便秘がちな人や、便やおならの匂いが強い方は特に注意が必要です)

また、動物性脂肪を摂取しすぎると、体内にコレステロールが溜まりやすいということにも問題があります。
特に加熱したコレステロールはアントラセン系物質という発ガン物質に変わります。
赤身の肉には脂肪が少ないという定説もありますが、じつは赤身の肉にも動物性脂肪はたっぷり含まれているのです。

さらに、現代社会では食品添加物の害がさまざまに言及されていますが、食肉も例外ではありません
市場に出回っている食肉は見るからに鮮やかな色をして食欲をそそりますが、それは発色剤という添加物の仕業です。

発色剤は生肉を変色させないために使われるもので、成分には亜硝酸塩が含まれていますが、これは肉から酸素を追い出してしまう有害な物質で、体内で他の物質と結合して発ガン物質に変える性質を持っています。
なかでも前述したアミンという物質は、消化器官の中に存在する硝酸塩と反応すると、ニトロソアミンという強い発ガン性物質に変わる危険性があるため、本来アミンと硝酸塩は人間の体内で絶対に出会ってはならない仲なのです。
http://emerald-company.com/database_dangerfoods.htm

癌で死ななくても肉だけでは生きられない。

イギリスでは獲物を殺してからその肉を1週間かけて食べていたから、最後の方は工夫しないと食えなかったんだな:

イギリスではローストビーフは伝統的に日曜日の午後に食べる昼食(Sunday dinner) のメインディッシュとして扱われ、この際にはヨークシャー・プディングを添える。日本人の感覚としてはヨークシャー・プディングのような炭水化物系の食品が主食であり、ローストビーフは副食となるが、イギリスではローストビーフが主食であり、ヨークシャー・プディングは付け合わせである。

残り物の冷たいローストビーフは、翌日月曜日に チップス(フライドポテト)とサラダとともに 晩ご飯(Monday tea) に供される。

かつてのイギリス貴族は日曜日には牛をまるごと一頭屠ってローストビーフを焼くサンデーローストという習慣があり、大量の残り物で平日の食事をまかなっていた。

ローストビーフの残り肉の調理法のひとつとして、植民地インド由来のカレーを作る文化が生まれ、他国にも広まった。

その残り肉を一週間かけて食べるのであるが、残り肉の調理法のひとつとしてカリー・ライスがあった。サンデーローストの習慣が失われた現在では、家庭料理としてのカレーはほぼ廃れた状態である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c20

[近代史5] 日本の料理 中川隆
17. 中川隆[-8988] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:07:00 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[43]
米はガン細胞の増殖を抑制する

日本酒はガン細胞の増殖を抑制することを実験で確認

医学博士 滝澤行雄 秋田大学名誉教授
国立水俣病総合研究センター所長

 私は長年、疫学の研究に携わってきました。疫学という学問は、人間の集団を対象
にして、環境や地域の特性、生活習慣などが、健康に与える影響を調べ、疾病の予防
手段を考える研究分野です。
 東北の秋田といえば、全国的にみても日本酒の消費量が多い地域です。
 疫学の調査を通してわかったことは、秋田をはじめ、日本酒の消費量が全国平均よ
りも多い地域では、消費量の少ない地域に比べて、肝硬変や肝臓ガンによる死亡率が
低いことです。
 では、なぜ日本酒の消費地では、肝硬変や肝臓ガンによる死亡率が低いのでしょうか。
この疑問に答えるため、私たちは日本酒のガン細胞に及ぼす影響を、ヒトのガン細胞
を用いて調べました。
 最初に、火入れ処理(製造過程の日本酒を65度前後に加熱して殺菌すること)を
する前の純米酒100ミリリットルを濃縮ろ過し、2.5ミリリットルの資料を作りました。
 次にヒトの膀胱ガン、前立腺ガン、子宮頚ガンの培養細胞をプレートに取り出し、
5段階の濃度に調整した試料に24時間培養して、細胞の変化を観察しました。
 その結果、64倍に薄めた日本酒の調整試料は、ガン細胞の90%以上が凝縮あるいは
壊死していました。
 さらに128倍にも薄めた調整試料では、約半分のガン細胞が凝縮、または壊死すると
いう結果が出ました。
 この研究では、ウイスキーやブランデーでも同様実験を行って比較しましたが、日本
酒のようなガンの抑制効果は殆ど認められませんでした。
 次いで日本酒のどの成分が、ガン細胞の増殖抑制を示したのかを調べたところ、日本
酒に含まれるアミノ酸、糖類といった低分子量の成分(分子量約1万)に、ガン細胞の
萎縮・壊死に効果があることがわかりました。


 醸造酒である日本酒には、アミノ酸や糖類をはじめ、100種類以上の微量栄養素が含
まれています。一方、ウイスキー、ブランデー、焼酎などの蒸留酒では、蒸留という製
造工程でこうした有効成分の大半が失われ、わずか四、五種類の栄養素しか残りません。

 この栄養分の多寡が、ガン細胞を死滅させる効果の違いに関わっているものと推測
されます。またビールやワインなども醸造酒ですが、日本酒ほど成分の種類が豊富では
ありません。

 この実験では純米酒を使用しましたが、日本酒なら、本醸造酒や吟醸酒でも、純米酒
とほとんど変わらない効果が得られるものと思います。

 なお、一般にアル添酒や三増酒と呼ばれる、醸造アルコールを添加している普通酒で
は、ガン細胞の抑制効果は低くなっています。
http://www.organic-mikishi.jp/homepage0/1_10jyuttoku/0007.htm


日本酒は日本人の3大死因の一つである癌に対して抑制効果があるといわれています。
国立癌センターの調査では、毎日、日本酒を飲む人は飲まない人に比べてあらゆる癌に対して患う危険性が少ないと報告しています。

また日本酒やその副産物である酒粕には癌細胞を直接的に殺す作用であるナチュラルキラー活性を増強する効果や、癌患者の激やせの原因であり、癌細胞から分泌されるトキソホルモン-Lという脂肪分解物質の脂肪分解作用を抑制する働きも確認されており、癌患者の激やせを防ぎ、癌治療に耐えうる体力を養う効果があると報告されています。

以上のように日本酒には癌を防ぐ多くの物質が含まれていることが明らかにされつつあります。

よって日本酒を飲むことで少なからず癌予防に効果があることは本当のようです。
http://www.nakanoshuzou.jp/sake/sake01.html


日本酒が、がん培養細胞の増殖を抑える
酒はその国の文化の所産です。また医学的にみても、適量の飲酒は胃液の分泌を促して食欲を刺激し、さらに善玉コレステロール(HDL、高密度リボ蛋白)を増やして心筋梗塞や冠状動脈疾患を予防してくれます。最近の研究では、老化や痴呆の防止にも効果があることがわかってきています。

 そればかりか、がんの抑制にも効果があるという驚くべきデータも得られたのです。

 世界にさまざまな酒がある中で、とりわけ日本酒は、アルコールのほか有機酸、糖分、アミノ酸、ビタミンなど100種類以上の微量成分が含まれています。疫学的研究やがん細胞の増殖抑制実験で、これら日本酒の成分ががんの死亡率やがん発生のリスクを軽減するという研究の成果が相次いでいます。ここでは日本酒の発がん予防効果を中心にお話ししたいと思います。

 日本人の飲酒率は近年、急激に上昇していますが、肝硬変、肝がんの死亡率は世界のうちでむしろ低率国群に属しています。

 ただ、同じ国内でも、日本酒の消費量が多い東日本地域のほうが、西日本に比べて肝硬変や肝がんによる死亡率が低いのです。厚生省の資料によると、戦後の1969年〜1983年までの約15年間における「肝硬変・肝がんの性別・都道府県別標準化死亡比」は、両疾患とも性別に関わりなく「西日本に高く、東日本に低い」という地域差をはっきりと示しています。この地域差は肝がんよりも肝硬変で大きく、男性の中高年齢層ではいっそう明確になっているのです。

 日本の肝硬変の主な要因は肝炎ウイルスとされ、欧米とは対照的にアルコールに起因するのは10%程度といわれています。その上、ウイルスの地域分布に東西間の差はとくに見られていません。

 ここで、私たちは、最近10年間の肝硬変による標準化死亡比を都道府県別・酒類別に詳細に観察してみました。その結果、日本酒の消費量と肝硬変は、男女とも危険率1%の有意の負相関を示したのです。つまり日本酒を飲んでいる人は、肝硬変による死亡の危険がきわめて少なくなるという数値です。肝がんでもほぼ同様でした。

 これを踏まえて、さらにわれわれは日本酒の成分の生物活性についても実験を行いました。実験では、日本酒から得られた成分そのままの抽出試料と、濃縮試料の2種を用い、5段階の濃度に調整。それを膀胱がん、前立腺がん、子宮頚がんそれぞれの培養細胞プレートで24時間培養して細胞の変化を観察したところ、いずれの試料もがん細胞の増殖を抑制する細胞毒性作用が見られました。とくに64倍まで薄めた濃縮試料では、がん細胞の90%以上が凝縮または壊死していたのです。

 ウイスキー、ブランデーから得られた試料でも同様の実験を行いましたが、どちらも日本酒にあるようながんの増殖抑制効果はほとんど認められませんでした。
 また、日本酒に人工アルコールを加えると、その活性は3分の1ほどに低下しました。このことからも日本酒中の微量成分に量・反応の効果があることがわかります。

 さらに、日本酒のどの成分ががん細胞の増殖抑制を示したかを調べたのですが、日本酒に含まれるアミノ酸、糖類といった低分子量の成分にがん細胞の萎縮・壊死を示す効果があることも判明しました。

 こうしたいわば試験管中の実験結果が人体にはたして適用できるのかこれについてはすでに日本におけるがん研究の第一人者であった国立ガン研究所の故・平山雄先生が重要な研究結果を1978年に発表しています。

 これは、全国から選ばれた健康な成人26万5118人について、さまざまながんの危険因子を16年間にわたり継続観察した息の長い調査です。

 これによると「毎日喫煙・飲酒・肉食をし、しかも毎日緑黄色野菜をとらない。」グループががんの最高危険度を示しました。しかし、興味深いのは、「喫煙・飲酒・肉食を毎日せず、緑黄色野菜を毎日とる。」という節制型のグループはがん危険度は最低ですが、この群に「毎日飲酒する。」を加えても、その発がんリスクにほとんど差がなかったことです。

 さらに平山先生はこの集団調査結果から、「毎日飲酒する。」群が、非飲酒群に比べて胃がんや腸がんのリスクが低いことも明らかにし、われわれの実験の成果を支持しています。また、日本が進めるがん戦略10ヵ年計画の一環として、文部省の「がんレポート班」研究があります。現在継続中ですが、これまでの40歳以上の12万5760人を対象にしたがん死亡調査で、1987年から92年までの5年間における全死亡者2377人中、がんによる者は760人で、全がん、胃がん、肺がんおよび肝がん・肝内胆管がんすべてにおいて、毎日飲酒者のほうが非飲酒者に比べて、男女とも低いことが、中間報告ではあるものの、明白になっています。

 以上、述べたように日本酒は、心筋梗塞や肝硬変、肝がん、消化器系がんなどを予防する効果がある飲み物だということが分かりました。

 しかも、おかずと共に楽しみながら飲む”晩酌〃という日本酒ならではの飲み方は、健康効果と結びつく素晴らしい習慣。適正飲酒を守れば、大脳皮質を刺激してストレスを解消、心の緊張をほぐし、明日の仕事の能率を保証し、精神に活力を与えてくれるまさに”百薬の長〃といえるのではないでしょうか。
http://www.mercatoclub.com/mimiyori_kenkou.htm

一方、日本酒以外の酒を毎日飲むと必ず癌になる:
【悲報】アルコールはたとえ適量であっても癌の原因となる!!米がん研究所

公開日時:2013年02月19日

お酒の飲みすぎが体に悪いのは重々承知している。しかしたとえ適量といえど、酒は癌の原因となり生命を脅かす存在であることがわかった。

米国では死亡する人の3.5%、約30人に1人がアルコールのせいで癌になり亡くなっているらしい。

少量のアルコールは心臓病や糖尿病のリスクを減らしてくれて、生活を豊かにするともいわれている。しかし「お酒はたしなむ程度で決して深酒はしない」という人でも侮るなかれ、癌になるリスクは十分にあるらしい。

米国の2009年の死亡データによると 18,178人〜21,284人がアルコールが原因で癌になり死亡したとみられる。

うち48〜60%は1日に3杯以上の飲酒癖のあるヘビードリンカーだったが、1日の摂取量が1.5杯という、いわゆる適量とされる量の人でも30%という高い割合で癌で死亡している。

「お酒に適量も安全な量もない!」

と調査を指揮した米国立がん研究所のデイビッド・ネルソン医師は断言する。

癌の原因は遺伝子、たばこ、肥満というのが有名だが、“癌になりたくなければ酒を減らせ”というのも鉄則らしい。
http://irorio.jp/sousuke/20130219/47343/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c17

[近代史5] 日本の料理 中川隆
18. 中川隆[-8987] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:08:27 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[44]
日本古来の料理の原点は、縄文時代の食文化といえそうです。

歴史の教科書では、採取生産の縄文時代は食うや食わずの貧しい時代で、稲作が伝播した弥生時代は貯蔵と計画生産が可能となった豊かで安定した時代、と紹介されます。

しかし、実際の縄文時代は、現代よりも温暖で海産物も豊富だったこともあり、さらに保存食も活用し、その食生活は味付けや調理も行われた豊かで多彩なものだったようです。

そんな縄文人にしてみれば、渡来人による稲作の伝播は、専門技術が必要で時に採集以上の重労働を伴い、また私有や格差、納税といった現象ももたらす、ありがた迷惑な存在だったのかもしれません。

以下、引用です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

縄文人の主食は、種実類(しゅじつるい)と根菜類を中心とした植物であることが、今日では定説になっている。

その多くにはエネルギー源となるデンプンが豊かに詰まっている。しかも身近にあって量も多く、老若男女を問わず効率よく採集でき、また貯蔵がきく木の実を地中の竪穴に貯える事は全国的に普及しているが、低温多湿で粒のままの保存であるから、長期に大量に保存しうるものではなかった。

冬期でも寒冷地以外は、短期間がせいぜいである。

長期には住居の屋根裏にトチ・クルミ・ドングリなどが乾燥保存された。

長野県富士見町藤内遺跡(とうない)の九号住居址から、竪穴住居の炉上の吊り棚に貯えられたとみられる多量の栗が出土した。火棚で各種食料の乾燥と燻状貯蔵が日常的に行われていた証である。デンプンを粉にしたり、それをクッキーに加工して保存もしていた。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=290341


諏訪地方縄文時代 民俗学的研究

縄文時代の中期を中心に  和田峠(旧中山道)

 急峻な山道でした。
 何万年という長期にわたって黒曜石を採取し続けたのです。


縄文時代の漁法
 
 八ヶ岳西麓には数え切れないほどの湧水・沢と川が入り組み、諏訪の中筋を流れる上川と宮川の2大流域の源流となって諏訪湖に流れる。現在その源流が、観光開発と道路修繕により、復旧不能な状態で放置されたまま自然資源を喪失している。かつて岩魚などの魚影の濃い場所であった。山の猟に劣らず川の漁も重要な生業で、八ヶ岳西南麓の釜無川水系と宮川水系には、ヤマメ・イワナ・ハヤ・カジカ・サケ・マス・コイ・フナ・ウナギ・ドウジョウなどが棲んでいた。昭和初頭頃まで釜無川にはサケが遡上していた。ウナギは戦前までは周辺の中小河川で獲れた。1万年を超える年月があっても魚類の習性には変わりがないはずで、漁法の殆どが縄文時代に多種多様に工夫され今日に伝わったと思える。

 下流に石を並べて、魚の逃げ場を塞ぎ、上流から追って、その力強い躍動感に驚嘆しながら、岩魚のエラに指を衝き入れ手づかみで岸辺に掬い上げることもしていた。白樺湖ができる前の池の平では、中央を音無川の清流が蛇行して、岩魚・山女(やまめ)・鰍(かじか)などがたくさん棲息していて、地元の川干漁の絶好の場所であった。

 ムラなどで一挙に多量の川魚を獲るため、毒を流すこともした。クルミの葉を沢の岩場で、石でよく叩き潰すと赤茶色の汁が出る。これを流すとカジカが弱って岸辺に流れ寄る。ヤマイモ科のオニドコロの根茎を足で揉み出し、そのトコロ汁を流すと弱ってマス・アユ・ハヤ・ヤマメ・カジカなどが岸に寄ってくる。山椒の木の皮を焼くか乾かして砕き粉を作る。木灰を混ぜて川に流せばよくきいた。山椒の粉と木灰を等量に入れた木綿袋を水に入れて揉むと、濃い茶色の汁が沢に流れ、イワナが弱って白い腹をみせて浮き上がる。自然から採取した材料だけに毒性が弱く、一時的に神経麻痺を起こすが、ある程度時間がたつと魚は蘇生した。できるだけ水量の少ない渇水期を狙い、しかも小さな沢で行わないと効き目がなかった。

 初め川で暴れ、川魚が石や岩場の下に逃げ込む様にし、川の表面に顔を出している石に大きな石を力一杯ぶつける。衝撃で失神して浮いたところで捕まえる。また追い込んだ魚をヤスやモリで刺突もした。現代同様多様な漁法を駆使していた。というよりも1万年を優に超える縄文時代に、日本の文化の骨格となる諸技術とそれを可能にする諸道具が既に整えられていた。主に朝鮮半島を主流とす水田稲作が、西北九州から圧倒的勢いで伝播し得たのも、縄文時代に、生産性を念頭に置き栽培種を意図的に育成し活用する緻密な、農耕に近い文化が涵養されていたからである。長野県茅野市富士見町の井戸尻遺跡群出土の農具の種類は豊富で、打ち鍬・片刃の引き鍬・小鋤・草掻(くさかき)・手鍬(てぐわ)・草取鎌・刈取り用の磨製石包丁・石鎌・中型の手斧などの出土例から既に農耕が始まっていたと考えた方が正解のようだ。

 日本列島の発掘実績から見ると、漁労は川から始まり海に進出した。旧石器時代の遺跡からは、釣針は未だ出土しておらず釣漁や網漁も確認されていない。石槍を転用したヤスやモリによる刺突漁が主であったようだ。海の漁は縄文時代になってからで、釣針・ヤス・モリなどの漁労具の改良も進んでいた。特にシカの骨がそれを可能にした。シカの中手骨や中足骨が真っ直ぐで長いので縦に裂いて作った。

 長野県南佐久郡北相木村の栃原岩陰遺跡(とちばらいわかげ)は、12体の縄文時代早期の人骨が出土した事で有名であるが、八ヶ岳から流れ出た相木川泥流が堆積した崖を、相木川が長年月に亘る流力で削りとった岩陰に縄文早期の小規模な遺跡を3つ残した。そこでシカなどの足の長管骨を裂いて作った釣針が出土した。しかもサケ・マス類の脊椎骨までも伴出した。日本海の信濃川から千曲川を遡り、さらに遡上を続け、群馬県の県境、長野県の相木村にまで達していた。
 
 石槍を漁労用に展開したのがヤスで、早期には登場し、前期には鹿角製で逆鉤(あぐ)を付けたものも作られた。ヤスは東海・関東・東北地方の後・晩期に盛んに製作される。ヤスは槍先を木や竹の柄に装着して、浅水の魚をターゲットとするが、モリは槍先に穴・溝・くびれ・突起・肩などを備えて紐をつけ、投げて突き手が繰り寄せる。回遊するマグロなど大型の魚や海生哺乳類を獲物にする。北日本沿岸部では縄文中期まで石槍が多かったが、後期以降骨角製のヤスやモリが主流となる。宮城県石巻市の沼津貝塚では、多種の骨角製のモリや釣針が出土している。それら漁具と共伴した魚骨には、マグロ・スズキ・ニシン・クロダイ・マダイ・サバ・ヒラメなどがあった。

 縄文時代の漁労は、旧石器時代既に神津島・恩馳島から黒曜石材を船で運ぶぐらいであるから、外洋にまで進出していたと見るべきだ。しかも今より岸近くまで魚が回遊していたのは確かで、魚影も濃かったであろう。外洋魚としては、マグロ・カツオ・ブリ・サバ・・アジ・イワシ・サメなどがあり、岩礁地帯ではマダイ・イシダイ・ブダイ・カンダイ・カワハギなど、砂浜の延長にある浅瀬にはハモ・ヒラメ・アナゴ・ホウボウ、内湾に入るとクロダイ・スズキ・コチ・ボラ・フグ類となる。以外にフグ類の骨の遺存が多い。毒を除去し美味しい身を食する文化と技術が広く伝播していた。外洋性回遊魚のイワシ類や内湾を回遊するクロダイ・スズキなどは鹹水と淡水が混じる汽水域でも棲息する。湖水ではフナ・コイ・ギギ・ナマズ・ウナギなど、汽水域では、ウナギ・マハゼ・サヨリなど懸命にとらえていた。東北地方の寒流域でサケ・マス・ニシンなどが主体となる。サケは秋、産卵のために産まれた川を遡上(母川回帰;ぼせんかいき)し、産卵場には冬でも結氷しないような河床から湧水が出ている砂利地帯が選ばれる。産卵・受精後、力尽きたサケは母川で生涯を閉じる。サケの稚魚は、春3月から5月にかけて海に下る。

 縄文時代には、種々の気候変化があり1万年を超える文化を、端的には論評できないが、概ね暖流が現在より北上していた。東北地方晩期の亀ヶ岡文化はサケの遡上に生業の多くを依存していた。サケの捕獲は母川回帰が始まる夏からじょじょに行われ、秋にピークを迎える。堅果類の採集が秋である。冬期は通常、狩猟しかないので活発に行われるが、不確実な成果で安定した食料源にはなりえなかった。

サケや堅果類は、食料が枯渇する冬期にも、貯蔵が可能で、旧石器時代のように動物類の移動を追うことなく、特定の場所で継続的に食料を確保できる。また保存処理後の貯蔵は必然的に定住化を前提とする。さらに生産性の高い栽培種を長期間選別し、集落の内外で育てるとなれば、長期間に亘る働き掛けと、最低限度のマンパワーが必要となり、それが縄文前期以降の大集落の形成に繋がった。かつてアイヌは、サケは当座の食用以外すべて保存食に加工した。腹を割いて内臓を取り除き、戸外の物干し棚にかけて乾燥させる。屋内の囲炉裏の上に吊り下げ、燻製にする。あるいは雪の中に埋めて凍らせる。乾燥サケを食べる際は水に浸して戻し、魚油を加えて旨味を足しながら煮込んだ。凍ったサケは小刀で切り分け、ヤナギの串に刺して火にあぶり、少量の塩で味をつけて食べた。サケの骨は軟骨なので、十分焼くか煮れば、余すところなく食べられる。

北日本の縄文中期以降、サケと木の実の保存食に定住生活が保障され極盛期を迎え、高い文化を育てた。長野県千曲市の屋代遺跡群でも、採取された縄文時代の土から、千曲川を遡上したサケの骨の破片が、約570個見つかった。

 最高に恵まれた湧水地と沢、その下流域の音無川が、上川に流れ込む辺りでは、アカウオ・ヤマメ・ハヤ・アカヅなどが漁獲の対象であった。その漁労用具の骨角製のモリ・ヤス・釣針は、強度の酸性土壌下であるから、検出は不能であるが、諏訪湖底の曽根遺跡ではモリ・ヤス用の石刃・細石器が発見されている。

 釣針には、かえしの無い無逆鉤釣針、内側と外側にそれぞれ逆鉤が付いた内逆鉤釣針と外逆鉤釣針、針を左右錨形に合わせる錨形釣針、特殊なものでは仙台湾を中心に考案された軸逆鉤釣針と両逆鉤釣針など機能的に工夫が凝らされている。かえしの無い釣針は縄文早期から、内逆鉤釣針と外逆鉤釣針は前期から、軸逆鉤釣針と錨形釣針は中期から、両逆鉤釣針は後期からの出土例となる。釣針の出土が増加するのが仙台湾周辺では中期後半以降、関東地方では後期初頭から、西日本では後期中頃からとなる。

 両端が尖った針状の直鉤釣針(ちょつこう)が縄文早期から登場している。せいぜい5cmで中央に溝が掘られ、他の釣針の多くと同様、鹿角製である。幕末に鉄製になりまで近世では竹製であったが、主にウナギ用釣針であった。

 「ヤナ」・「ヤブ」・「ウケ」などは、現代でも、行われている漁法で、「ヤナ」は、河川の半分を堰き止めて、流れる流域に竹・木で簀(ス)の子を作り、そこに跳ね上がる魚を掴み獲りした。「ヤブ」は、ソダ・ヨシ等を束ねて湖や川に沈め、魚が棲家にしたところで、引き上げる。「ウケ」は、細い枝・裂いた竹・笹を蔓や縄で筒状に編み流に向け沈め、魚が入ると出られぬようにした。

諏訪地方の「ウケ」の対象は、ドジョウ・ウナギ・フナ・コイ・ハヤなどである。こうした漁法は、極めて有効で、縄文人の編み物技術からみても可能である。植物用材のためなかなか出土しないが、「ウケ」は、弥生時代期のものが出土している。「エリ」は河川や湖に、よしずや竹垣を魚道に張り立てて、魚を誘導して捕らえる定置網漁である。岩手県嵙内遺跡(しなだいいせき)では、杭が発見された。魚網錘(ぎょもうすい)とか釣り針の錘(おもり)の石錘・土錘は、諏訪湖周辺を中心に諏訪各地で出土している。釣り針は骨・角・牙製がほとんどであるが諏訪の平では未発見である。

 縄文時代早期前半、沿岸部では既に網漁が行われていて、鰯(いわし)等の小魚の骨が数多く検出されている。当時シナ布(しなふ)は織られていた。フジの皮やコウゾ、麻などで織った藤布(ふじふ)、楮布(こうぞふ)、麻布(まふ)などと共に、シナ布はわが国における古代織物(原糸織物)の一つである。布物で既に身にまとっていた。編み物の技術で魚網を作り小魚を獲る漁法、即ち追い込み漁や掬(すく)い上げ漁法・刺し網漁法などが時代経過と共に行われていた。北海道石狩市花川の紅葉山49号遺跡の縄文時代中期(約4,000年前)の河川跡から、魚をすくう際に使ったタモ網が出土している。

当時の木製の漁労施設と器などの生活用具も共伴している。漁労施設は10ヵ所も検出され、その内の8ヵ所は杭などの伐採時期や民俗例からみて、サケ漁に使用されるエリとみられている。幅5〜10mの花川の発寒川に設置してあった。川の中に4.50cm間隔で、直径5cm前後、長さ150cm前後の杭を川底に打ち込み、サケの遡上をさえぎり、定置網で一網打尽にする。杭はヤチダモやヤナギで作られ、杭だけでは魚が逃げてしまうので杭と杭の間には、柴によって埋められていたものと考えられている。

 刺し網漁は、魚が遊泳する所に網を渡し、網目に絡まった魚を獲る方法で、網の中でも構造上、最も作りやすいといわれている。現在の諏訪湖でよく見掛けるのは、四つ手漁と投網漁である。

 諏訪湖の特殊漁法に“やつか”がある。湖底に20cm前後の石を1,000個程度沈めて、石の塚を築きあげる。魚はそこで冬ごもりをする。その周囲を筌(ウケ)のある立板と簀(ス)で囲む。これを“屋塚”という。氷が張ると“3つだめ法”といって、“屋塚”の場所から3方向にそれぞれ陸に目標を設定して記帳しておく。頃合いを見て、塚石を順次、次の“屋塚”予定地に積み上げながら、魚が筌に逃げると筌ごと掬い上げる。筌に入らなければ網で掬いあげた。エビは簀に付いたものをとりあげた。
 
 諏訪湖の特殊漁法のもう1つが“たけたか”漁で、いわゆる刺し網で、諏訪湖では網をジクザクに張り、2m位の深さで沈子を錘として、網目の大きいのが“たけたか”で細かいのが“きよめ”という。“たけたか”漁はコイ・フナ・ナマズで、“きよめ”は、ワカサギ・フナ・ハヤ・ムロが対象であった。
 
 諏訪湖では、昭和10年頃まで、コイ・フナ・ドジョウ・ナマズのほか、きれいな水に生息するカワヤツメ・イワナ・ヤマメ・カワムシが漁獲され、エビ類や特にマシジミなどの2枚貝が目立っていた。 縄文時代は約1万年間もあるので年代が進むにつれ漁法・漁具は大きく進化して、 漁具の発展は刺突漁具・釣漁具・網漁具の順で発展していったとされている。次第に大掛かりになり 捕獲した魚の一部は、冬の食糧源として燻製にして保存したと考えられる。「ヤナ」などの施設を設け、漁獲も多ければ特定の場所の確保が利権となり定住を促進した。尖石では、未発見であるが、燻製炉としての連穴遺構が各地で出土している。


縄文時代の漁猟具

  魚影濃い沼・川を育む山林は、クマ・シカ・イノシシ・キツネ・タヌキなどで、昼間でも常に獣の気配がするほどになっている。平坦な岩場に獣の糞があふれかえり、山葡萄の実のなる頃には、山に分け入るシカの糞が至る所で盛り上がり散乱している。地元に住んでいても怖気て深く入れない。ウサギは、昭和の末頃に皮膚病のような伝染病により、一時的に絶滅状態になり、最近は復活しつつあるようだ。車山高原に30年近く住んでいるが、未だ野兎を見る機会が少ない。

  肉食は現代でも最高のご馳走で、栄養価も食べ応えもある。八ヶ岳西南麓で発見される石器の中心は、黒曜石製石鏃である。石鏃とは「矢の根石」とも呼ばれ、矢の先につけて用いる狩猟用小型石器のことである。世界中の新石器時代以後の遺跡にみられ、日本でも弓自体の出土例は縄文後晩期に集中するが、石鏃は縄文時代草創期、隆起線紋土器段階で既に普及しているから初頭から使われていたようだ。発掘された石鏃は、既に定形化していた。しかも瞬く間に日本列島に伝播し、縄文時代を特徴づける代表的石器になっている。時代や地域により多様な形態のものがあるが、その殆どは押圧剥離による両面加工で作られている。極めて根気のいる困難な作業で、消耗品であるのに、余りに精巧なものが多いので、特定の集団が専門的に製作していたか、この時代の男の必要不可欠の製作技術として伝承されていたとも考えられる。

 長さ約5cm重さは約5gまでのものが通常石鏃と呼ばれている。長さは2〜3cmのものも多いが、1cm未満のものや6cmを超える大型のものもある。これらは獲物の種類により大きさを区分したのだろうか。石鏃は、基部の形状によってその装着方法が異なっていた。凹基式、平基式、凸基式は矢柄の先端を割って石鏃をはさみ、有茎式は茎部を矢柄に挿し込んだとみられている。石鏃と矢柄の固定には、アスファルトや、膠・漆・木のヤニなどの樹脂が膠着材として使われた。
 
 自然に湧き出ていた石油のアスファルトが、石鏃を弓矢に装着する際の接着剤として使われているが、信州には石油の産出地がない。隣県の新潟では、柏崎・長岡がその産出地で、黒曜石製石鏃との交換ルートがあったかもしれない。ただ通常、降雨多湿列島の日本では、手近に漆の木がたくさん茂っている。それで我慢したかもしれない。

 縄文時代の狩猟の画期となったのが弓矢猟である。危険な野生動物に接近しなくとも補殺できるようになった。さらに鳥類も獲物の対象となった。弓の多くは丸木弓で、桜の樹皮を巻いた桜樺巻弓(さくらかばまきゆみ)、細い糸を巻いた糸巻弓、黒や赤の漆を塗った漆塗弓などがある。素材は西日本では、カシ・ユズリハ・カマツカなど、東日本ではイヌガヤ・カヤ・マユミなごが主流である。八ヶ岳西南麓では弾力性に富むカヤやイチイが適する。弓弦(ゆみづる)はアサやカラムシの繊維を撚り合わせ、強度を増すため松脂や漆が塗られたと想像される。大きさは150〜160p前後の長弓が多かった。射程距離は、民族例や実験例から30〜40mくらいと想定される。矢柄はできるだけ回収した。ワシ・タカ・ヤマドリの羽は簡単には入手できないし、気に入った矢柄は簡単にはできない。栓状鏃という木や骨で先端が丸い鏃が使われるのも、鳥を気絶させて捕らえ、きれいな羽を得るためであった。

 ウサギ・タヌキ・キツネ・テンなどの中小獣類は、大勢が勢子となり追い立て囲んだところで弓で射った。シカはイヌに追わせると、急斜面や崖を飛び下り、臭いを消すため川筋に逃れる。「タツマ」と呼ばれる射手が隠れて待つ場所で、待ち構え頸部を射る。巨大な縄文イノシシを殺傷するには、より至近距離に追い込まないとむりで、狩猟犬の追捕が不可欠だ。また皮と皮下脂肪が厚く、そこだけ皮が薄い頸動脈に的中しない限り、矢で射っても直ち致命傷とはならず、弱まるまで犬による追尾が必要であった。

 現在、車山に居住する漁師は、シカの補殺には猟銃は邪魔と言う。猟犬4匹がいれば、追捕し四方を囲むためナイフで仕留められる。猟犬は教えなくとも、獲物の四方を固め、正面の猟犬は威嚇するだけで、背後に廻った猟犬が尻や後足に食らい付き動きを止め、飼い主の登場を待つ。猟犬特有の本能的リスク回避である。猟師も猟犬が獲物に食らい付いた際には、猟銃を発射しないという。その衝撃で猟犬の牙を欠く恐れがあるからで、他の猟師の猟犬でも、目前で死闘が行われていれば猟銃の使用は控えるという。

 イノシシはシカの肉より脂がのって美味い。骨髄も同様なのであろう。全身の骨角が遺存する例は、ごく稀で、補殺されれば四肢・頭・顎・背骨は、髄液を飲むため解体され尽くされている。ラムラックやTボーンステーキのように肉片が付いたままよく焼き、付着する肉を食べながら、骨を割り骨髄を啜る光景が想像できる。

 イヌの骨の出土は、日本各地の縄文貝塚から学術報告されている。いずれも丁寧に埋葬されている。縄文早期前半の愛媛県上浮穴(かみうけな)郡美川村の上黒岩岩陰遺跡では、人と同様に手厚く埋葬されていた。岩陰の奥部を墓域とし、10体以上の人骨が埋葬されていた。その人骨より居住地区近くに2体の犬の埋葬骨も発見され、今から約8,000年前、我々の先祖が既に日本犬を飼っていたことがわかった。山形県東置賜郡高畠町屋代の日向洞窟(ひなたどうくつ)では、イヌの骨が縄文草創期の隆起線文土器片・爪形文土器片や石槍・石斧などと伴出し、イヌの活用を前提にした弓矢猟の出現が想定されている。他にはクマ・シカ・キツネ・カモ・ヤマドリなど多数の骨も出土した。

 縄文時代の遺跡から出土する陸上動物骨の骨の95%がシカ・イノシシでクマなどは少ない。その中型獣に対して、長さが2pにも満たない石鏃では、直ちに致命傷を与えられない。猟犬の追尾する能力に毒矢の使用が加わらなければ難しい。アイヌ民族が使っていたトリカブトの矢毒は、縄文人に遠距離からの攻撃を可能にした。イノシシ・クマなどの獲物からの反撃を回避するためにも有効であった。矢毒で狩猟した獲物は、矢毒が刺さった部分を少し大きめに取り除き、他部は加熱すれば食べられた。矢毒を付けた仕掛け弓を獣道に多数仕掛けることで猟獲を格段に向上させた。矢毒の使用は狩猟民の狩猟技術に一大革命をもたらした。その命中精度の高さと狩猟技術の向上と、それを一層、効果的にしたのが縄文早期初頭からの猟犬と矢毒の使用であった。石槍の出土例は平野部では少なくなる。あっても殆どが漁労用であった。石槍が山間部に残るのはクマ猟には有効であったからだ。弓矢とイヌを活用する集団猟により、集落内の結び付きは一層強固なものになったであろう。

 石鏃が刺さった骨に増殖がみられる検出例から、致命傷を負っていないとして矢毒の使用を否定する説もあるが、それだけでは根拠が薄い。

 北海道の陸上狩猟動物はエゾジカが主でキタキツネは少ない。イノシシの骨は僅かな出土例しかなく、本州からの交易品として運ばれようだ。大島の下高洞遺跡(しもたかぼら)では、段ボール箱で70個、点数では数千点にもなるイノシシの骨が出土した。利島・新島・三宅島にも運ばれていた。伊豆七島には食料となる中・大型の動物はいないはずであったが、200kmも離れた八丈島でも大量に出土している。それが骨付き肉で運ばれたか、生きたまま持ち込まれ、長期に飼育され太らせてから食料にしたかは定かではない。縄文人はイヌを飼育しているから、その可能性はあるが、牛馬類は縄文時代の出土例がない。

 ただ、儀式用としてイノシシの飼育が行われた可能性は高い。縄文前期後葉になると土器の縁にイノシシの獣面が現れる。中期には甲府盆地東辺や関東の遺跡から取っ手などにイノシシを造形した土器が現れる。長野県大町市八坂の中原遺跡で出土した縄文中期・約4,800年前の深鉢土器片は、鼻を突き出したイノシシの顔を象った取っ手であった。関東地方でも、中期の貝塚から、頭骨を欠くイノシシの幼獣を特別に埋葬する例がいくつかみられる。山梨県北杜市大泉町の金生遺跡では、縄文晩期、八ケ岳を背景にし巨大な配石を「祭壇」として構え、その前で祈りをささげた。この遺跡から大量のイノシシの下顎が出土した。それは径140p、深さ70pほどの竪穴に焼土と共に、焼かれた状態で118頭分が集積されていた。そのうち114頭が生後1歳未満の幼獣だったという。祭礼に供される贄としてささげられたようだ。

食用としてはもとより、贄として、幼獣が一時的に飼養されたことは確かのようだ。後晩期には、東北地方でイノシシばかりかブタを象った土偶が登場する。ヨーロッパ、西アジア、中国などでは、それぞれが独自に土着するイノシシを順化させ家畜化した。家畜化の年代は、おおよそ中国南部で10,000年前、西アジアで8,000年前頃とかなり遡る。ヨーロッパの養豚も古く、イギリス諸島で約6,000年前の骨が出土している。日本列島の縄文後晩期に登場するブタは、日本列島のイノシシを飼育し順化させたブタらしきものであったのか。弥生時代に養豚が水田稲作文化と同時期、大陸から伝来したというが、それは縄文時代から飼養されてきたイノシシだったのか。

 イノシシの巣は窪地に青萱や落ち葉などを牙で食い切り径1.5m前後、高さ50〜60p程に敷き、枯枝などで屋根のある産床(うぶどこ)を作り、通常4月〜6月頃に年1回、平均7〜8頭ほど出産する。育つのは半数位のようだ。妊娠期間は約4ヵ月、雄は単独で行動するが雌はひと腹の子と共に暮らし、定住性が高い。一週間くらい経てば幼獣は親のあとをついて歩く。縄文人はその習性を当然知り、その場所を探して捕獲したようだ。

 伊豆七島へイノシシを運んだ舟は太い大木を長く輪切にし、中を抉り抜いた丸木舟である。西日本ではクスノキやスギ、関東ではムクノキ・カヤ・クリ・ケヤキなどが材料で、北海道ではカツラが多い。丸木舟は焼石で焦がしながら石斧で抉り、多くは全長5〜7p、幅は60p位である。縄文前期の出土例が一番古いが、神津島・恩馳島の黒曜石が本州で広く分布していることから旧石器時代からあったとみられる。

 千葉県千葉市花見川区朝日ケ丘町の落合遺跡から、泥炭層から2,000年以上前のハスの実1粒が発掘され、大賀一郎博士によりその実が発芽・開花させられた。その花見川下流の湿地帯に豊富な草炭層が形成され、そこから昭和22(1947)年、長さ6.2m、幅42pある1隻の丸木舟と6本の櫂が出土した。翌年にも長さ5.9m×幅44pと長さ3.5m×幅52pの2艘、昭和26年にも別の断片が、計4艘分掘り出された。縄文時代の落合集落は川辺に突き出した緑と水辺に恵まれた台地に立地し、川漁や内海漁には絶好の基地となり常時10軒ていどの集落があったとみられる。

 京都府舞鶴市千歳の浦入遺跡(うらにゅう)は、約5,300年前の縄文前期の丸木舟の船体半ばから船尾にかけの部分、約4.6mが約50cmの深さで砂層に埋まっていた。丸木舟の全長は約8m、幅1m、舟の縁の厚さ5cmと推定される。材料は直径2m前後のスギ材を半割りしたもので、造られた時の焦げ目が遺存している事から、焼いた石を表面に置いて木材を焦がしながら、磨製石斧で抉ったものだという。その周辺からは、桟橋の杭の跡、錨とみられる大石なども発見され、当時の船着場と考えられいる。遺跡は日本海に面した舞鶴湾の外海との湾口にあたり、外洋漁業の基地だったようだ。一方、日本海側では、縄文時代、「海の道」を通じて広く交易していたことがわかっている。滋賀県近江八幡市の元水茎遺跡(もとすいけい)出土の丸木舟は琵琶湖での漁労を対象にしていた。その上、琵琶湖の内湖(ないこ)間の交易舟としても活躍していた。

 縄文時代の丸木舟は、50数例見つかっているが、素材の性質上、当然、縄文後晩期に属する丸木舟がもっとも多いが、前期に属する丸木舟も長崎県多良見町の伊木力遺跡(いきりき)や福井県若狭町の鳥浜貝塚などで数艘の出土例ある。丸木舟の舟底は丸底のため、横流れや転覆しやすい。それでも穏やかな水面の湖・内海・磯廻りなどに限定されず、浦入遺跡の幅1mの丸木舟や、南太平洋ポリネシアの原住民が、古来より用いていたカタマランのように、2艘を並べ、木を何本か渡し綱で縛る双胴舟方式(そうどうしゅう)などで外海に漕ぎ出たようだ。両手で支える木の櫂で直接漕いでいたようだ。舷側に支点を置く装備の舟が出土していないので、オール形式ではなかったようだ。

 本州・四国・九州の山間部ではニホンカモシカとツキノワグマも多い。ニホンザルも食べていた。平野部ではイノシシ・ニホンジカが殆どで、タヌキ・キツネ・アナグマ・ノウサギなどの小型動物は少ない。肉が不味いせいもある。ただ毛皮を得る目的もあったであろう。青森県の三内丸山遺跡では、シカ・イノシシが少なく、7割がウサギ・ムササビなどの小型動物であった。ガンやカモが主であるが、アビ・アホウドリ・ウ・カイツブリ・ハクチョウなど野鳥をとらえ食料としていた。その出土比率は他の縄文時代の遺跡と比較すると高い。恐らくシカ・イノシが激減し、ウサギ・ムササビでは主要な動物性タンパク源となりえず、野鳥やマダイ・コチ・ブリ・ヒラメなどの海産資源に多くを依存していたようだ。縄文時代、イヌは飢饉など余程の場合以外は食べない。埋葬されるのが通常であった。

 縄文早期前半にはイワシが漁されているので、漁網があったと断定できる。タモ網程度かもしれないが、石錘・土錘が多量に出土すれば漁網を伴うのが明らかである。北海道渡島半島の縄文早期の遺跡から多量の礫石錘が出土している。函館市の函館空港遺跡でも礫石錘が出土しているので漁網を使っているのは明らかだ。関東地方の縄文中期の貝塚からは大量の土器片錘が発掘されている。

縄文時代の植物性食料

 春、八島湿原に行く。一面、ヤマドリゼンマイとヤマウドの群生である。車山高原はワラビが豊富だ。林に分け入れば、タラの芽、マユミ・カエデ・サクラ・シラカバなどの若葉など見るもの総てが食料である。草原では、行者ニンニク・ヤマフキ・コゴミ・ツリガネニンジン・ギボウシ・アマドコロなど、灰汁(あく)抜きをしなくても、煮れば柔らかく食べられる。

下流河川から獲れるサワガニ・カタツムリ・イシガイ・オグラシジミ・オオタニシ・カワタニシなどは副食かおやつであったろうか。奇跡的にも富山県小矢部市の桜町遺跡では縄文中期の層からコゴミとヒョウタンが発見された。この遺跡は、谷の中にあったこともあり、地下水位が高く、その水にまもられていたために、通常の遺跡では残らないような建築加工材など多種な木製品や編み物類、動物や植物などの有機質遺物が、非常に良好な状態で出土した。山形県東置賜郡高畠町深沼の縄文前期の押出遺跡(おんだし)は泥炭地で湿地であったため、ここでも木製品や漆製品、編物、食料類などの遺物が多く発見された。クッキー状に焼きあげた炭化食物も52個ときのこが出土した。
 
 夏は、スグリ・ヤマグワの実が豊富に採れる。味はよくても腹持ちが悪い。しかし調理用添加材と考えると用途が広がる。山採は雪国でなければ、一年中採れる。芽・葉・花弁・地下茎・地上茎・根など、植物の利用部分は様々にある。ヤマイモ・ユリ根・シイの実など、アク抜きは不要だ。カヤの実もギンナンのように殻付きのまま炒って食べられる。ただ野生植物には、通常、自衛のためもありアクは付きものである。カタクリ・コシアブラ・ギボウシ・アマドコロ・コゴミ・シオデ・ツリガネニンジン・マユミの実などは茹でるだけで食べられる。タラの芽・ウド・セリ・ツクシ・タンポポ・フキ・ヨモギ・ニリンソウ・フキノトウなどは茹でて水に晒せばよい。アクが極めて強いアザミ・ゼンマイ・ワラビなどは、木炭の灰汁を使ってアク抜きをする。

 諏訪の地域は、夏になると夕顔の実が店頭に出回る。優に40cmを超えるものも多く、且つ太いので食べ応えはある。一般的には茹でて食べる。癖がなく、秋口まで収穫できる。夕顔は平安時代初期に中国から輸入され、殆どが干瓢として食されている。縄文人も当然、ヒョウタンなどのウリ科の植物を、住居周辺で栽培していたと考えるのが自然である。

 秋にはドングリ類だけでなく、山ブドウ・アケビ・ヤマモモ・ヤマボウシ・カジの木・マタタビ・ザクロなどがある。植物の実は、野鳥たちに種を運んでもらい種の保存を計るから、大部分の植物の実はうまいのが通常だ。ただマムシソウの実は食べると、嘔吐・腹痛、触れただけで皮膚炎を起こす人もいる。マユミの薄い桃色の実をコゲラなどが食べに通うが種自体は猛毒である。ウバユリの根も美味しい。福井県三方町の鳥浜貝塚は、三方湖に注ぐはす川とその支流の高瀬川の合流点付近にある。その縄文前期の層から丸木舟・櫂・石斧の柄や簡単に1本の木で作る丸木弓・鉢・椀など、各種の多量の木製品が出土し、その仕掛中の加工材も豊富で、この時代の木工技術を知ることができる貴重な史料となった。木製の櫛には朱や黒の漆が塗られ、すでに漆技術の普及していたことがわかる。伴出したのが栽培種のクリ・ドングリ・クルミ・ヒョウタン・リョクトウ・エゴマ・ウリ・シソ・ヒエ・ゴボウ・アサ・アブラナ類・カジノキ・ヤマグワなどで、縄文時代人が営む農耕の原初的な重要資料となっている。

 ドングリなどの堅果類の多くは、アク抜きが必要で、粒のまま煮て水にさらしてアクを抜く。そして通常、石皿や石棒で製粉し、粥状にするか、団子状にして食べたと推測される。青森・岩手・山形・福島・茨城・新潟・長野・岐阜などの遺跡では、ドングリを加工し、クッキーやハンバーグを製作していた。

 冬期の山採は、冬鳥が雪国や豪雪の山岳地帯にまで群集する光景が、鮮やかに語り掛けてくれる。ヤマボウシや山ブドウの実が瞬く間に啄ばまれ、その後大量のツルウメモドキやズミの実が補い、ナナカマドの実は、余り好みでないようで、あたかも已む無く最後に野鳥が啄ばむ様子だ。青森・岩手・山形・福島・茨城・新潟・長野・岐阜県の遺跡からクッキー状、もしくはパン状の炭化物が頻繁に出土している。山形県の押出遺跡の縄文前期、約5,500年前のクッキー状炭化物には、クリ・クルミなどの木の実に、ニホンジカ・イノシシなど獣肉と野鳥の肉などと、イノシシの骨髄と血液と野鳥の卵などが加えられ、塩で味が整えられていた。また野生酵母を加えて発酵させてもいた。タンパク質が主材料のハンバーグもあった。クッキーの栄養価は高く、タンパク質・ミネラル・ビタミンが豊富で、栄養学的には完全食に近く保存食としても優れ、狩や交易の旅には携帯食として重宝にされていただろう。押出遺跡のクッキーには、スタンプによる文様が押されていた。旅先の夫に対する思いが込められているのだろうか。

 諏訪市湖南の諏訪大社の神山・守屋山山麓に荒神山遺跡がある。縄文時代前期から平安時代までの遺物が出土している。この遺跡が全国的に有名になったのは、住居址内の石囲炉の炭化食品を灰像法による走査電子顕微鏡で鑑定した結果、「エゴマの種実」と判明したからである。その後原村の2つの遺跡、大石遺跡、前尾根遺跡の炭化物からも同一結果が出た。福井県三方町の5,500年前の鳥浜遺跡からも出土している。このことから縄文早期には、既に存在していたと推定されている。

 「エゴマ」は、インド高地から中国雲南省の高地が原産地で、当時の日本には野生化しているレモンエゴマがあったが、栽培種はシソ科の油脂性植物の「エゴマ」である。中でも常に種実の大きい方が選別され続けられ食用として栽培されていった。またエゴマは薬用のほか、油脂用・漆器用の工芸作物でもあった。しかも病虫害に強く、湿気を好むため乾燥しない土地が適地で栽培は容易、今でも全国の高冷地で作られている。 収穫は9月下旬から10月下旬で、その後5〜10日間乾燥させてから、敷物の上で、敲いて脱穀する。土器の水槽に少しずつ入れて、泥と砂を落とす。「エゴマ」は、水に浮かぶので笊ですくう。 米をとぐように4、5回洗い、表皮の汚れを落として、3、4日乾燥させて保存する。

 「エゴマ」油の採取が一般的に普及するのは平安時代の初期、山城国で始まった。調理はゴマとよく似ていて炒るなど簡単だ。葉は「エゴマ」特有の臭みがあるとして日本では、野菜として利用されてこなかった。朝鮮ではむしろそれが好まれ、香りのよい種類をよく使う。近年、日本でも韓国料理の普及で、その香りが食欲をそそるとして調理されるようになった。

  ヒエ・アワ・各種ムギを管理栽培する縄文人像が見えてきた。その後、各地の縄文遺跡から「エゴマ」のみならず、ヒョウタン・リョクトウなどの栽培種が発見されて、今後、より主食となりうる栽培植物の発見の可能性が高くなった。

 岡山県岡山市津島の津島江道遺跡(つしまえどういせき)では、縄文晩期中葉の水田が発見された。近隣の岡山市北区の津島遺跡は、弥生時代初頭から大規模に稲作を行っていた大集落である。北九州では縄文晩期後半には、本格的な水田稲作が始まっている。本州でも岡山県南部の総社市の南溝手遺跡で、縄文後期後葉、約3,500年前の籾の圧痕が残る土器が発見され、ほぼ同時期の籾痕土器は、倉敷市福田貝塚などからも出土している。同県美甘村の姫笹原遺跡では、縄文中期中葉、約4,500年前の土器の胎土中からイネのプラント・オパールが多数検出された。

ススキをはじめ、イネ、ムギ、キビ、トウモロコシなどのイネ科植物は土壌から吸い上げた水分の中の珪酸という物質を、機動細胞という細胞に蓄積する性質がある。機動細胞に溜まった珪酸は細胞内で一つに固まり、植物珪酸体ととして蓄積される。その植物が枯れてもガラス質の植物珪酸体は土壌に残る。それがプラント・オパールである。縄文時代の稲作が縄文中期に遡る事になる。これが本格的な水田稲作が、弥生時代初期に西日本に急速に広がる素地となった。縄文時代のアワ・ヒエ・シコクビエ・イネなどの焼畑栽培や原始的な農耕がなされていて、長野県諏訪郡富士見町の井戸尻遺跡群のように多種の農耕具が既に揃い、農耕的生活が営まれていたからであると言われている。

 ヒョウタンはアフリカ・熱帯アジア原産のウリ科の植物で、その乾燥した種子の保存能力もあって、かなり早くから全世界に広まっていた。海水にさらされると高い発芽率が利点となり、海流に乗って広く伝播したとみられる。縄文早期には、既に日本にも生育していて、8,000年前頃の福井県の鳥浜貝塚や滋賀県の粟津湖底遺跡からは、縄文前期・中期の果皮、種子が出土している。

 灰汁がないので、ただ煮れば食べられる。後世、実を乾かし水筒や、酒の貯蔵用に利用している。海外でも土器文化前に保存・携帯用容器として使用した例が多いようだ。  

 リョクトウ(緑豆)の原産地はインド辺りで、古来よりインドでは、重要な食糧源で、煮たり、炒ったりして食べていた。現代でも、アジアのリョクトウ栽培の70%を占めている。若莢(わかさや)は軟らかいので、まるごと調理する。種子は3〜4gと小粒で、早生種を選べば、高緯度、高冷地でも栽培は可能で、インドでは、標高2,000mの高地でも作付けされている。沖縄では、旧暦の5月5日に作る甘菓子に入れて食べる。大きくて味もよい小豆が出回ると、豆の需要としては衰退する。現代では、むしろ中国・アメリカ同様、「豆もやし」として大いに食べられている。また中国春雨の原料でもある。

 縄文時代の実りの秋 は、茸の季節でもある。古来より、林間における柴・下草刈りは、燃料・住居用材を得るための重要な作業である。後世には食料栽培の肥料を得るため、絶対不可欠な刈り採り作業となる。従って、手入れは行き届き、茸は大量に採集できたであろう。縄文人はあらゆる野生植物を口に含み、毒性の有無を確認した。ドクゼリなどの有毒山採、ドクウツギなどの有毒果実、カキシメジなどの有毒茸も経験で学んできた。林間によく見かけるマムシソウは、地下茎や種子に有毒成分があり、口にすると喉が焼けつくような刺激痛があり、しばしば痙攣・目眩を生じさせる。秋に実るカラフルなトウモロコシ状の種子は、舐めただけで舌が2〜3日変色するほどの強い作用がある。生で根茎を食すると、唇に浮腫が出来、涎が大量に流出する。それらの知識が共有されるまで、多くの犠牲者がでたであろう。

 落葉樹林内の樹陰でよく見かけるオオウバユリの鱗茎(りんけい)からは、良質のでんぷんが含まれている。花をつけるものが「雄花」、花がないものが「雌花」で、花をつけると鱗茎は萎むので、採取するのは「雌花」だけだ。北海道では、アイヌにより「トゥレプ」の名で呼ばれ、アイヌ民族が用いる植物性食料の中では穀類以上に重要視している。掘り集めるのは6月下旬から7月上旬ぐらいまでの間が良く、早すぎるとデンプンが少なく、遅すぎると色が黄ばんで硬くなる。掘り出したまま、熊笹に包んで、石皿に載せ蒸し煮にすると甘味が増し、熊笹の香りが調味料代わりとなる。アイヌ民族が主食としたのは、冬でも食いつなげる保存性にあった。オオウバユリの鱗茎を、まず細かく刻んで乾燥させ、これを臼でついて、でんぷんの粘りが出てきたものを、ドーナツ状に成形した。穴にヒモを通して、住居内で乾燥して保存食糧とした。突き固めた鱗茎を水にさらして、底に沈殿する白い上質のでんぷんを団子にして保存した。炉で焼いて食べた。

ムラの周辺では、石斧を使って栗とオニグルミを、何代にも亘って盛んに移植する。今では、林のようになっている。やがて実が大きく、美味しい木のみを育て、その種が実生で生え広がるように管理栽培をした。間引かれたクリは、ムラの建造物などの用材とされた。その外周はコナラ・ミズナラの林がほとんどである。長く厳しい冬に備えて、ドングリを拾い集める。トチの大きな実も有効である。山ブドウ・ヤマボウシ・アケビの実は甘く、そのまま生食でる。ツノハシバミの実は、テトラッポットの形をした毛の密集した苞の中に1個入っているだけだ。栗のような実をしているが、生食するとナッツの味がし、脂肪分が豊富であった。  

 グミの実も渋みと酸味の中にかすかな甘味がある。日本原産の野生の山芋・ジネンジョの実・ムカゴは炒るだけで美味しい、茸と炒めたら最高だ。採ったら目印を残す。秋の山菜を採り尽くして、季節は終わるが、自分だけの秘密の場所で、目印頼りにジネンジョ掘る。成分はデンプンが主で、たんぱく質・ミネラル・カリウムも含まれている。漢方では、乾燥したヤマイモを「山薬」と呼び、古来より滋養強壮、健胃、整腸、消炎などの薬として重用している。縄文人も1万年の歴史の中で、口伝として共有していたかもしれない。

 一般的にドングリは渋みが非常に強く、そのまま食用とするには適しない。灰汁抜きの方法としては、流水に数日さらす方法と、煮沸による方法がある。特に煮沸の場合、木灰汁を用いることもある。流水による方法は、主に西日本から広がる照葉樹林帯の地域でなされいる。煮沸方法は、東北地方や信州に広がる落葉広葉樹林帯で行われる灰汁抜き方である。渋みの少ない種では、殻煎りで、灰汁抜きができる。 北上山地の山村では、ミズナラのドングリの皮を剥き果実を粉砕して、湯、木灰汁などを用いて灰汁抜きした「シタミ粉」と呼ばれるものを作った。シタミ粉は通常湯で戻し、粥状にして食べた。熊本では、カシ類のイチイガシのドングリから採取したデンプンで、「イチゴンニャク」や「カシノキドーフ」、あるいはシイの実を用いた「シイゴンニャク」といった葛餅状の保存食が作られた。
 
 トチの木の種子は大きく栗のようで食べ応えがある。その灰汁抜きは大変で、木灰でアルカリ中和をして除去する。トチの実は、赤褐色でつやがあり、でんぷんが主成分でカリウム・タンパク質も多く含まれている。9月になると、実は3つに割れて、赤褐色の光沢のある種子が山野にたくさん落ちる。その実は、古代から広い地域で、普通「トチ餅」にして食べられていた。縄文時代には、餅米はないので、アワ・ヒエ・ムギ・ソバの利用が普通で、現代にも残る粟が入っている「粟餅」が、主であったと推測されている。

 クリ・クルミ・トチなどの堅果類とヤマイモ・ウバユリなどの塊根(かいこん)が、主原料となり縄文集落を支えてきた。三内丸山遺跡では、巨大な建造物などが、クリの大木を利用していることから、近くに選抜された優良なクリ林が育成されながらも、その食料資源を他に転用出来るほど繁茂していたようだ。三内丸山の集落ではシカ・イノシシなどが過剰な補殺で激減し、ムササビ・ノウサギのほか、カモなどや鳥類を捕食し続けた。いずれにしろ動物性タンパク質としては不足気味で、寧ろ、マダイ・コチ・ブリ・ヒラメなどで補っていたようだ。

 三内丸山遺跡では、長い年月にわたる集落の営みで、周囲の森林が、広く木材や燃料として伐採され、その集落周辺の半径10km以内のシカ・イノシシは獲り尽くされていたようだ。三内丸山は、今から約5,500年前〜4,000年前の縄文中期を中心とした集落である。当然、当時の縄文集落は狩猟資源の枯渇を恐れ、「獲り控え」を念頭に、シカ・イノシシの補殺はオスの老獣を主なターゲトとしていた。それは出土例の比較分析からも明らかである。一方、自然環境を破壊しながらも、三内丸山人は自然環境に働き掛けていた。それがクリやクルミ主体の二次林の育成であった。近年、遺跡の泥炭性堆積物を分析したところ、イヌビエのプラント・オパールが多量に含まれていた。

 イヌビエはヒエに似ているが、食用にならないことから名付けられた。しかも畑や水田、都会の道端や空き地などいたるところに生える1年草である。そのイヌビエが食料にされていた。

 ヒエはイヌビエを日本列島で栽培型改良したものだと言われている。アワやキビと違って、外来の穀物ではない。イヌビエの種子は縄文早期の遺跡から出土し始め、時代の経過に伴い次第に粒が大きくなり円みを帯びる傾向がある。野生種のイヌビエを縄文人が、食料として馴化する過程で、栽培ヒエが誕生したという考え方が有力になってる。  イヌビエは縄文人の身近に広く豊富に広がっていた。当然、それを食料とする必然があった。そこに穀物の改良栽培の手法が育ち、それを応用活用すると、急速にヒエという穀物が日本列島固有の栽培作物として成長していった。三内丸山遺跡で麦類の種子が出土したと新聞などで報じられたことがあるが、それは野生のササ類の実であったらしい。これまで注目されなかったが、イヌビエなどと共ににササの実も結構採取されていた。クマザサは、やせた稲穂のような「ササの実」をつける。これを飛騨では「野麦」と呼び、往時の人々には、この実を粉にしてダンゴを作り飢えをしのいだという。

 三内丸山遺跡ではキイチゴ・ヤマゴボウ・ヤマグワ・サルナシ・ヤマノイモなどとニワトコの種子が大量に出土した。遺跡からは、土器に大量に詰められたニワトコの果実が発見されており、酒を醸造したのではないかと推測されている。この泥炭層には、発酵する果実に集まるミツバチのサナギも大量に包含されていた。発酵酒が作られていたようだ。

 ヤマゴボウの若葉は、灰汁を抜けば食用になるという。根は多量の硝酸カリを含み有毒とされている。誤食すると脈拍が弱くなったり、血圧が異常に降下し、心臓麻痺を起こすという。若葉にしても、多食するとジンマシンや吐き気・下痢などを起こすそうだ。山牛蒡の味噌漬けなどが、観光地の土産として販売されている。その本体は、ヤマゴボウではなく、モリアザミなどの根だから安全という。


縄文時代の特異な食料

 日本列島は北東から南西に細長く、最北端の北海道稚内から、居住する最南端の島が琉球諸島の石垣島や西表島で、その距離3千kmに達する。その列島南端の東シナ海を起点とする暖流黒潮が北上する。一方、千島列島に沿い南流する冷たい親潮が、北海道から本州三陸海岸に南下する。そのため暖流対馬海流の末端域となる宗谷岬から知床岬のオホーツク海より、根室半島から襟裳岬までの道東海岸の海水温が、日本列島の海域では最寒冷の値を示す。

 その道東海岸地域の縄文前期当時の貝塚や最上部の海成沖積層から、現在の北海道には生息していないが、本州各地の内湾で通常みられるハマグリ・シオフキ・ウネナシトマヤガイなどの貝殻が出土した。北海道西岸と道南海岸までと北限があるアカガイ・アカニシ・カガミガイなども同様で、これら貝類は現在、道東海岸では生息できず、より海水温の高い陸奥湾以南の内湾が北限となっている。

 縄文早期末から前期には、暖流系貝類が北海道の全域に分布していた。それにより縄文早期末葉から前期中葉にかけて、縄文海進が最盛期となり北海道の沿岸の海水温が、最高で23℃、最低が8℃以上であったと推定されている。それ以降の黒潮暖流の後退により、縄文中期後葉から後期以降までに、その殆どが消滅する。

 縄文早期後半の約7,500年前、北海道西岸沿いに北上する対馬海流が、石狩低地まで暖流系貝類を運び込み、約7,200から7,000年前頃、対馬海流は更に北上し宗谷海峡を抜けてオホーツク海に入る宗谷暖流となり知床岬辺りまで暖流系貝類の生息域を広げた。更に宗谷暖流は一気に南東下して知床岬から根室湾を通過し根室半島に至る。やがて太平洋側に出ると当時沖合を流れていた親潮寒流により道東海岸沿いに押しやられ厚岸・釧路・白糠パシクル沼そして襟裳岬へと南下した。約7,000〜5,000年前頃、北海道東海岸に宗谷暖流が流れると、温暖な海岸環境を形成し暖流系貝類を生息させた。一方、対馬海流の支流は津軽海峡を抜け津軽暖流となり道南海岸から襟裳岬にまで達し、さらにその分流は下北半島の東岸から三陸海岸北部に達した。日本列島でも地球規模の温暖化により、縄文草創期から前期にかけて急激な海面上昇と温暖化が進行し、北海道海岸部全域に暖流系貝類を分布させた。

 縄文中期以降、対馬海流は津軽海峡を抜けて、津軽暖流となり太平洋側に出て、道南海岸に達し、一方は本州東岸沿いに南下して三陸海岸の北部にまで及んでいる。対馬海流の本流は日本海を北上し北海道西岸沿いからカラフト西岸に達している。その一部が宗谷海峡からオホーツク海に出て宗谷暖流となって知床岬へ東南下し、そこから廻り込み国後島(くなしりとう)と羅臼付近にまで至っている。対する親潮寒流は千島列島沿いに南下し、根室半島から襟裳岬にかけての道東海岸に流れ、、現在に至っては、本州三陸海岸をさらに南下し東関東の鹿島灘にまで達している。

 縄文時代の発掘貝塚は、今では全国で3千ヵ所を超えているだろう。日本列島のどこの海辺にも当り前のように貝塚が遺存するような事はなく、多出するエリア・限定的なエリア・無出土のエリアがモザイク状に展開している。最も多いのが関東地方で、日本列島全域の6割を超える出土実績がある。その中でも東京湾から奥東京湾沿岸が第一で、それに匹敵するぐらい濃密なのが、現在の霞ヶ浦の西浦・北浦から牛久沼、手賀沼、印旛沼などを包含する広大な内海を形成していた古鬼怒湾(こきぬわん)の沿岸部である。続いて多いのが福島県および茨城県を流れる久慈川と栃木県那須高原を源流にして鹿島灘に流出する那珂川の両流域である。東北地方では、6県合わせても全体の2割弱であるが、特に仙台湾から北上川下流域が突出している。次いで南部三陸海岸・八戸から小川原湖周辺・いわき周辺と太平洋側に片寄る。北海道では内浦湾と奥尻海峡沿岸部に多い。東海方面では遠州灘沿岸と伊勢湾の知多半島から渥美半島にかけて集中している。中国地方では安芸灘から播磨灘の沿岸部に片寄っている。九州では国東半島と関門海峡に突き出た企救半島(きくはんとう)や有明海沿岸部が突出している。

 太平洋側に貝塚遺跡が多出するのは、日本海側よりも貝の生息条件に優れ、それを採取するにも容易な地形的条件を備えていたためである。日本海側にもハマグリは生息している。ただ潮干狩りスポットと呼ばれる場所が極めて少ない。海岸から急に深くなる地形と満潮・干潮の差が太平洋側程大きくなく、遠浅の浜であっても干潮時に干潟が広く露出することが無いからである。

 埼玉県秩父市の橋立岩陰遺跡や高知県佐川町の不動ヵ岩屋洞窟などの縄文草創期や早期の山間部の洞窟遺跡から、海産の貝がしばしば出土する。長野県北相木村栃原岩陰遺跡でも、ハマグリ・ハイガイ・アワビ・タラガイなど発見されている。食料にしては、その量が少ない上に海辺と余りに遠く離れていることもあり、貝殻が装飾品として愛用され、土器に文様を描く用具としても重宝されていたようだ。

 海洋には魚類以外の海生哺乳類が生息している。捕獲には多くの危険が伴うが、一度獲得すれば収量があり、ムラの人々に長期間、広く行きわたる大食料源となった。イルカとクジラは全国で出土しているが、全体として日本の北辺ほど海生哺乳類の種類が増える。日本列島の南端の南西諸島には、大隅諸島・トカラ列島・奄美群島・沖縄諸島・宮古列島・八重山列島・尖閣諸島と少し離れて大東諸島などがあるが、ジュゴンが目立つ。本州と九州ではイルカ、北海道全域ではアシカ・オットセイがいる。北海道の寒流域ではトドとアザラシも加わる。これらは弓矢・石槍・大型銛などで補殺される。獰猛なシャチや巨大なクジラは海岸に漂着したものを捕えたと思われる。

 貝塚や海生哺乳類に縁遠い山国・長野県下の洞窟遺跡から多くの動物遺存体が検出される。南佐久郡北相木村の栃原岩陰遺跡では、縄文早期の押型文土器の時期、イノシシ・ニホンジカ・ネズミ類が最も多く、サル・ウサギ・オオカミ・アナグマ・タヌキと鳥類、ヘビ・カエル・魚・貝類などがあり、人類の獰猛さが認識される。この洞窟から約8千年前、天井から落ちた岩に押し潰された子供二人の骨が発見されている。火山活動や地殻変動も今日と同様多かったようだ。地震により家が倒壊し圧死することは、それほど多くはなかっただろうが、溶岩流・火砕流・土石流や山の大崩落により埋没することは、少なくなかったはずだ。

 上田市真田町長菅平十ノ原の唐沢岩陰遺跡では、クマが一番多いのが特異で、次いでイノシシとニホンジカとなるが、他にカモシカ・カワウソ・アナグマ・タヌキ・ノウサギ・サル類が検出された。茅野市北山の栃窪岩陰遺跡でウサギ・オオカミ・イヌ・タヌキ・クマ・シカ・カモシカ・サルなど、多数の骨が検出されている。鳥類の中趾骨(ちゅうしこつ)もあったが、種類は特定できなかった。イシガイ・オグラシジミ・オオタニシ・カワタニシ等の陸水産の貝と、海水のハイガイ(灰貝)・サルボウガイ(猿頬貝)の二枚貝も混じっていた。ハイガイ・サルボウガイは、おそらく貝殻状痕文の施文具として中部高原の当地まで流通して来たようだ。ヒキガエルの骨片も検出されいる。

 日本人が生業の主な対象としていたのは、イノシシとシカであった。それら動物たちが通う獣道や、その習性を熟知し、それを補殺する手法に優れ、そのための好適地を押さええた集落が縄文時代に先ず繁栄した。深い山に入り込んだ沢と谷、その出口に突き出した扇状地の扇頂、獣たちが下方の沼沢や河川に集まる光景を、日常的に見張られる場所こそ縄文人にとって絶好の集落適地であった。

 縄文人の主食は、種実類(しゅじつるい)と根菜類を中心とした植物であることが、今日では定説になっている。その多くにはエネルギー源となるデンプンが豊かに詰まっている。しかも身近にあって量も多く、老若男女を問わず効率よく採集でき、また貯蔵がきく木の実を地中の竪穴に貯える事は全国的に普及しているが、低温多湿で粒のままの保存であるから、長期に大量に保存しうるものではなかった。冬期でも寒冷地以外は、短期間がせいぜいである。長期には住居の屋根裏にトチ・クルミ・ドングリなどが乾燥保存された。長野県富士見町藤内遺跡(とうない)の九号住居址から、竪穴住居の炉上の吊り棚に貯えられたとみられる多量の栗が出土した。火棚で各種食料の乾燥と燻状貯蔵が日常的に行われていた証である。デンプンを粉にしたり、それをクッキーに加工して保存もしていた。

 日本の製塩は縄文人が発明した。製塩土器は関東地方の古鬼怒沿岸に縄文後期末に登場する。土器で海水を煮詰めるため、より煮沸効果が高い、底が薄く小さな深鉢形の製塩専用の土器が作られている。器面に文様などは施さず内側は水もれを防ぐために丁寧に磨かれている。土器に塩の入った状態で流通した。塩を取り出すときは、土器をわって取り出すため、発掘調査で出土する土器は壊れた状態で見つかる。やがて製塩土器は、宮城県東松島市の鳴瀬町里浜貝塚などから岩手・青森と北上する。備讃瀬戸沿岸部から大阪南部・和歌山に広がるのは、弥生時代の前期後半から中期に掛けてである。

 古来、人々は動物の髄や血などから塩分を自然に摂取していた。縄文時代の塩は食料の保存に使用された。カキやマキガイのむき身を海水で煮込み、水分を蒸発させてから天日干しをして大量の干し貝を作ってきた。身に塩分が濃縮され、そのままでは食用に適さないが、スープや煮込み料理などの固形出汁として極めて優れている。千葉県沿岸部の集落全体で塩分を濃縮した干し貝を生産し、内陸部との交易品としていた。ワラビ・ヤマウドなどの塩漬け保存も長野県の諏訪地方では古くから行われ今日至っている。塩味に乏しい獣肉やドングリ・クッキーと一緒に食すれば縄文時代の豊かな食文化が広がる。

 縄文時代には、既に現在まで継承されている食材の保存方法が確立されていたようだ。魚を頭まで腹開き、あるいは背開きにし、内臓を取り除いて海水で洗浄し、そのまま一晩漬けるか、半日ほど風に当てながら日干しにする。火で炙り火干にする方法などもある。イワシ・アジ・イカナゴ・エビ・アワビ・ナマコなど小形魚であれば煮てから干す煮干しと、それらを蒸してから干す蒸し干し、海水で魚を煮る塩煮、魚から抽出した魚油に漬け込むなどして保存した。煮たり焼いたり蒸したりするが、縄文時代を通して基本的には乾燥保存であった。当然、干し肉や燻製肉があり、製塩が普及すれば塩漬けも登場する。縄文時代の民族は、現在に至るまで、あらゆる生活場面で原初的存在であり続けた。

 以上が縄文人の定番となる食材で、他にも現代人同様、種々雑多なものが食べられていた。タコには骨が無く遺存しないが、イカ同様美味しい食料である。千葉県市川市堀之内の堀之内貝塚は、縄文後期前半から貝塚文化衰退期の縄文時代晩期にかけて営まれた遺跡で、今から約4,000〜2,000年前にあたる。アサリ・ハマグリ・イボキサゴ・クロダイ・スズキ・エビ類・イノシシ・ニホンジカなどを捕食していた。ここからイカの甲羅がたくさん出土した。甲羅が遺存しないコウイカ・コブイカなども食べていただろう。千葉県館山市浜田の鉈切洞窟(なたぎりどうけつ)では、アワビやサザエなどの貝類68種が出土するが、ガザミ(ワタリガニ)は、一般的な食用蟹で、晩春から初冬まで、冬以外はほぼ季節を問わず漁獲されていた。ズワイガニなどに比べるても味に遜色なく、殻もわりと薄くて食べやすい。鉈切洞窟人は体重200kg、甲長1.2mを超えるアカウミガメを、その卵を含めて食料としていた。アオウミガメは卵も含め食用になり、ウミガメの中でも、もっとも美味とされ、特に腹甲の裏に付いた腹肉(カリピー)が珍重された。味は鶏肉と遜色なく、どちらかといえば珍味の類という。

 サワガニは長野県の栃原岩陰遺跡で多い。スッポンも滋賀県大津市石山寺の石山貝塚から、縄文早期の7,000〜8,000年前のサル・イノシシ・シカなどの獣骨やコイ・フナなどの魚骨と共伴した。

 他にもバフンウニ・ムラサキウニなども食されている。現在の日本ではヘビを食べる習慣は廃れたが、近年までは、日本でもマムシやシマヘビなどをよく食べていた。江戸時代まで、偏向した仏教教義により、表向き獣肉を忌避していた世情、庶民はガマカエルの筋肉が発達した脚を食べ応えがあり、しかも極めて味覚でもあり頻繁に食べていた。ヘビやガマカエルなどは、庶民の間では貴重なタンパク源のひとつとして重宝されていた。

 日本列島のサルの主要な食料源は、意外にも昆虫を捕食することにあった。同様、人類学史研究において、イモムシ・ウジ・トンボ・セミなどの虫類が、人類の好物であったと考えられている。長野県の伊那市などの天竜川の清流域に住むクロカワムシ・カワゲラなどの水生昆虫の幼虫を餌にする昆虫を総称してザザミシと呼ぶ。伊那地方では、ザザミシ・イナゴ・ハチノコ・カイコなどを食べていた。現代でも主に佃煮や揚げ物などにして稀に食している。恐らく近世以前、下手物食いなどの表現が、庶民レベルではありえなかった風俗の名残であった。

縄文時代のトチの実料理

 トチの実は、渋味が強く、灰汁を抜くのが大変だ。それでも縄文時代から今日まで採集され続けられてきた。

 木の実の殆どが隔年毎の豊凶に左右されるが、トチの実は安定的に採集できた。その灰汁抜きに、木の灰を使うが、ワラビのように単純な作業では食しえない。そんな面倒な事までしても、日本では古代から主要な食料としていた。なぜ餅にトチの実を入れたのであろうか。それは味もさる事ながら、餅が冷めても硬くならないからである。これは、冷蔵庫・電子レンジ・保存剤がない時代、かけがえのない当座の食べ物であった。それで、これほど迄にも灰汁の強いトチの実を、苦労して加工保存する事が全国的に広まった。

 トチの木は、東北地方や北海道南部に多いが、四国・九州にも自生する。縄文時代の生業は、旧石器時代の狩猟・漁労をより進化させ、加えて土器の創造により灰汁抜き技術を向上させ、植物採集を生業の主要基盤にまで高め、長期間の定住生活を可能にした。トチやドングリなどの堅果類が安定的な食料資源として急浮上した。その成果により長期の定住生活が保障され、縄文時代の1万年を超える長年月、それを支える文字通りの原動力となった。最近、開発された古人骨の炭素・窒素同位体分析によれば、千葉県船橋市古作の古作貝塚人(こさく)は、蛋白質の約30%、カロリーの約80%を堅果類に依存していた。これは他の貝塚人にも、ほぼ当てはまる結果であった。

 三内丸山遺跡で先述したように、千年を超え、永続的にしろ、断続的にしろ、定住すれば、住居の建材・薪材・その他の道具材などの用材として、周囲の落葉広葉樹林帯や照葉樹林帯の濃密にして深い森林は伐採され消尽された。東日本に限れば、多くのブナ・ミズナラなどの極相林は伐採され、その後地にクリ・クルミ・トチなどを植生する人為的な二次林が形成された。それにより直射日光を好む陽性植物の最たるヤマウド・ワラビ・ゼンマイ・フキ・クズ・ヤマイモ・ギボウシ・アマドコロ・ツリガネニンジンなどを繁茂させた。その自然界の現象が、縄文人の知識として伝承された。自然に積極的に働き掛ける事こそ、多くの付加価値を伴う生産性の向上に繋がり、同時に管理栽培の有用性を知らされ、縄文前期からリョクトウ・ヒョウタン・エゴマが積極的に栽培され、縄文晩期にはソバ・コメなどが栽培植物として浮上してきた。

トチ餅の作り方

 1 集めたトチの実は、天日で乾かす。トチの実は、拾ってから1年間かけて十分に乾燥させて保存し、トチ餅にして食べたい時に、その必要量だけ取り出して調理するのが原則である。

 2  トチの実を水にさらし、灰汁を抜く作業は、信州では2月から行う。どういうわけか、水が冷たい時期でないとうまくアクが抜けない。その理由は現代でも分っていない。ただ水に漬ければ、アクを抜くのと同時に、厚くて堅い皮を柔らかく剥くことができる。

 3  トチの実を沸騰させない程度、90度℃位に保ちながら火にかけ、5分間ほど炊き皮を軟らかくして、皮をむく。熱い状態で、1つづつ皮を剥くのがが大変な作業となる。カシの木を2枚合わせたもので押し割る。この道具の名前を「トチオシ」とか「クジリ」と呼んぶ。当然地方各地で呼称は異なり、その方法も変わる。

 4 むいたトチの実を網に入れ、川水に5日から1週間程さらす。

 5 トチの実とたっぷりの水を土器に入れて2〜3時間煮る。

 6 水9カップに、木灰を15カップほど入れてこね、この中に5の熱いトチの実を混ぜ込み、3日間落ち着かせる。

 7 取り出したトチの実を川につけ、灰を洗い流す。

 8 米と混ぜて蒸す場合の割合は、昔はトチの実1に対し、もち米1であったが、今では1対2が多いようだ。縄文時代、粟との比率は、各住居の伝承で様々である。

 9 石皿に載せ餅状につく。そのための石棒であった。

10 石皿にトチの粟餅を敷き、そこに蒸した胡桃・栗の餡を入れる。炉で焼く。トチの実のほろ苦さと香りが食味をそそる。


 灰汁抜き後のドングリ・トチの実はすりつぶして団子状で調理した。まず木の実を、すりつぶし、団子状に練ったものを石皿にのせて焼き、できれば練る際に、鹿の骨髄液を入れた。塩味が加わり、栄養価も高くなり、格好の保存食にもなった。その「縄文クッキー」が発見された遺跡も多い。

縄文時代の「落し穴」遺構

 槍・弓矢・鉄砲と狩猟具は進化したが、狩猟の相手の習性は変わっていないようだ。従って縄文時代以降、狩の方法も変わっていない。猟に最適なのは、冬期である。雪に残された獣や山鳥の足跡で動きがつかめる。ヤマドリ・キジ・キジバトなどは、山の中腹・谷筋・沢沿いを飛び交い木の実と新芽をついばむ。そこにキビやアワを撒き、ススキ・カヤを束ねて隠れ蓑にしてじっと待機し弓矢で射る。

 通常、犬を使用する。先ずは犬を伴ない、ヤマドリが好んで生息して所へ連れて行く。犬はヤマドリの臭いを嗅ぎ分け主に教えてくれる。ヤマドリは 犬に射すくめられて、飛び立てない。準備が整い次第、犬をけしかけると、ヤマドリは慌てて、ゴトゴトと言う羽音を響かせ飛び立つ。すかさず弓矢で撃ち落す。

 紅葉の時期、諏訪湖に渡来するガン・カモが、宮川から釜無川へと飛来する。カモはドジョウを餌にして、川魚同様に釣り上げた。縄文早期以降の遺跡である長野県茅野市北山の柏原の北端・音無川右岸の栃窪岩陰遺跡の出土例によれば、殆どがシカで次いでイノシシになる。それ以外に、ニホンザル・タヌキ・ノウサギ・オオカミ・クマの骨が順であった。他にはキツネ・テン・イタチ・アナグマ・カワウソ・リス・ムササビ・ネズミ類・モグラ類が検出された。南佐久郡の北相木川のほとりにある栃原岩陰遺跡では、5m以上になる縄文早期の堆積層から大量の200km超の獣骨が出土した。圧倒的に多いのがシカで、イノシシ・ニホンザル・ノウサギ・カモシカ・ツキノワグマなどが検出された。鳥類はキジ・ヤマドリが主で、ハシボソガラス・オオコノハズク・オシドリ・カルガモ・キジバトがあり、イヌの犬歯も出土した。夏の季節、霧ケ峰・八ヶ岳を駆け巡るのは、涼しく最適で、アナグマ・シカ・イノシシ・キツネ・タヌキ・ウサギ・イタチなど、あらゆる技術と知恵を使って捕獲に努めたのであろう。 シカの捕獲には、勢子と犬の協力が必要だ。イヌに追われ急斜面や崖を下るシカは、臭いを消すため川筋に逃れる。そこで待ち構えて頸部を射る。一方、イノシシは外皮が厚く、皮下脂肪にも覆われている。皮が一番薄い頸動脈を射なければ補殺できない。そこで罠猟が工夫された。

 宮坂氏が始めて「落し穴」遺構を発掘した経緯は、昭和40年前後から日本全土で観光開発が一段と促進され、東洋観光事業(株)が、茅野市城の平に(そこはピラタス・ロープウエイと蓼科湖の間の雑木林)スポーツグランドを設営するため、表土を約1.5m削ると、火山灰地の赤土層のところどころに黒土の面が現れた。宮坂氏はその連絡を受けて、同年10月17・18の両日、黒土を排除し、結果小竪穴23ヵ所を発見した。そこには、棒の先端で掘った痕跡が見られた。

 竪穴は長径のもので最大1.8m、短径では最小0.7m、深さは地表から1.6mの長楕円形で、その穴の側壁・底面に5から2個の小孔があった。宮坂氏は、陥穽の中の小孔は、棒の先を尖らしてそこに差込み、鹿・猪が落ちた勢いで刺し貫く工夫とみた。
 
 宮坂氏は、この猪・鹿の陥穽(かんせい)遺構を23基発掘した。この三方を山に囲まれた小盆地から、集団による追い込み狩猟が行われたと考えた。考古学上、初めて「落とし穴遺構」として認識したうえでの検証であった。この発見が、「池のくるみ」から流れ、上川に注ぐ源流、桧沢川沿いのジャコパラ遺跡の陥穽遺構発掘の参考となり、その後、八ヶ岳西南麓では12ケ所の遺跡で、43基の陥穽遺構発掘の成果に繋がった。

 落とし穴遺構は、山間部でも特に人里離れた場所に設けられた。関東地方では縄文早期と前期、東北地方では中期から晩期、北海道では中期から後期に多い。それを遡り長野県諏訪市の霧ヶ峰ジャコッパラや茅野市城ノ平、静岡県の箱根と愛鷹山麓などの落し穴遺構の発見により、旧石器時代の重要な罠猟の一環と知られている。環状石器ブロック内に集落を築き居住する数家族が一集団となって、ナイフ形石器を槍の穂先に装着し動物を落とし穴に追い込む「集団による追い込み狩猟」が行われていた。赤城山麓の群馬県伊勢崎市下触町の下触牛伏遺跡の発掘などにより、大きな環状石器ブロック群内で同時に100人を超える多くの人々が集落をなし、生活を共にするムラ社会が形成されいた事が分かった。その目的がナウマンゾウ・オオツノシカなどの大型動物の「集団による追い込み狩猟」であったようだ。

 通常、落とし穴に逆茂木を立てて傷を負わせ、更に穴幅を狭くし、一度落ちれば嵌り抜け出せないようにしている。獣道を調査し、それぞれに落とし穴を設けたり、それを多数並べて、そこに犬を使い追い込む猟がなされていた。柵などを備え動物を落とし穴に誘導するなどもした。また、落とし穴が分布する周辺から、拳大の石が多数出土している。落とし穴にとらわれた獣に投擲をあびせて殺したようだ。

縄文時代の鳥の捕獲方法

 諏訪湖周辺には、原始・古代からの遺跡が多数、しかも重層的に分布している。ところが貝塚とまでいえるものが殆どない。下諏訪町の高木殿村遺跡では縄文中期の中頃の竪穴住居の脇に貝塚があった。藤森栄一は『縄文の世界』(講談社)で「大きさは2m×3m、1個のイケシンジュガイの貝殻をのぞくと、他はすべてオオタニシであった」と記す。

 長野県岡谷市川岸三沢の熊野神社境内遺跡は、諏訪湖から約1km下った扇状地の扇央付近にあり、標高は約770m、天竜川との距離200m余り、その比高20m足らずにある。その貝塚から加曾利B式土器が共伴しており、縄文後期中葉という時期が推定される。その発掘当時の一葉の写真に、土に埋もれ累々と重なるオオタニシの貝殻とその上に横たわる鹿と思われる大きな獣骨が写されてあった。

 遠浅の海岸近くの入江や浜に貝塚が最も多いが、それ以外の地域でも福井県若狭町の三方湖の鳥浜貝塚、淡水湖の琵琶湖最南端にある粟津湖底遺跡の貝塚などが特徴的であり、むしろ各種、重要な遺物の出土で有名になっている。藤森栄一は、諏訪地方に貝塚がまれなのは、シジミの好む砂地やタニシが棲む泥土が発達していなかったからという。

 素直に解すれば、八ヶ岳西南麓・諏訪湖盆地方を潤してきた狩猟・漁労・植物採集などで、十分に生業を全うする事ができたからである。特にドングリ・クルミ類の炭水化物は、極めて栄養分に富む優れたエネルギー源となった。その熱量の割に消化器への負担が軽く、生命を長く保てる効能もあった。穀物一般の炭水化物は、妊婦が過剰に摂取しても胎児に悪影響を及ぼすタンパク質が少なく、むしろ妊娠中の栄養源として極めて優良で、結果的にその出生率を向上させた。灰汁抜きしたドングリなどを粉状にし離乳食とすれば、乳幼児の健康維持に貢献し、また疾病率と死亡率を抑え、ために妊婦の負担が軽くなり、女性の受胎能力を高め、結果、出生数を増やした。より健康的な栄養源として縄文人の余命をも延ばした。

 冬期が長く、しかも厳しい八ヶ岳山麓では、鹿・猪・狸・兎・狐もそれに耐えている。この時期狩るほうも、狩られるほうも耐え忍ぶ事が多く動きは鈍いくせに、両者共、食料が不足しているため活動範囲が広く痕跡が濃密となり、獲物の足跡は雪上にくっきり残り、その種別も明らになる。
 
 通年の重要なたんぱく質源として野鳥がいる。鳥には渡り鳥と留鳥がいる。また地形により山岳から内陸部の原野に雉が、湖沼周辺には雁・鶴・白鳥などの鴨類などが、海岸部ではウミガモ類が、岩礁地帯ではヒメウ・ウミガラス・ミズナギドリなどがいる。身近な狩猟対象でありながら、縄文時代の遺跡からは出土例が少ない。当然、各種捕獲方法を工夫し補殺していたが、骨が細く柔らかいため食べ尽くされていたようだ。

 仙台平野北部は、縄文時代でもガン・カモ類の飛来ルートであった。この地方の貝塚遺跡から鳥類の骨が多量に出土している。その種類が多く豊富であるため生業の中核であったといえる。ウミガモ類は漁網にかかる場合が多く、他の鳥類は、林間に霞網を掛け捕獲していたようだ。鳥の卵は、たんぱく質・カルシウム・鉄分など、ビタミンCを除くほぼ全部の栄養素が含まれている。その殻が残らないため考古学的に論評されていないが、当然、積極的に採集していたと考えられる。

 鳥を捕獲する方法として、鳥餅(とりもち)を使う方法・網を使う方法・弓矢を使う方法などがある。網を使うと言えば、魚網と併用したか、それ用に独特の工夫をしたか定かではない。ただ網が無ければ獲りにくい小型の魚が貝塚からしばしば発見されている。多量に出土する縄文期の土錘・石錘は通常、網の錘と考えられる。その魚網の技術を、鳥の捕獲用に改良し転用していたようだ。

 網の素材はシナの木の樹皮を原料にしたのであろうか?聖高原で有名な東筑摩郡麻績村(おみむら)は、茅野市の尖石集落から見れば和田峠を越えた北側になる。その地名が「麻を紡ぐ」に因むとなれば、麻糸かもしれない。布の製作には、糸を拠る工程後に布にする加工が伴う。

 動物の腱や植物の繊維は、撚りをかけて糸にしなければ丈夫にならない。土器片や粘土製円板の中心に穴をあけた有孔円板が、繊維に撚りをかける紡錘車ではないかとみられている。諏訪郡富士見町では、井戸尻遺跡と大花北遺跡から、縄文後期に属する算盤玉の形をした紡錘車が出土している。秋田県南秋田郡五城目町上樋口の中山遺跡から出土した縄文晩期に属する布の糸は、0.5mm〜1mmと極めて細い。

 細い糸から編まれる縄類は、繊維を撚り合わせて太くし実用化するもので、細い方から紐・縄・綱と呼ばれる。縄文早期の土器の底から網代圧痕があられることから、網代は杉・檜・ヒバ・椎などの樹皮、笹類、ネマガりダケの竹類、スゲ・ガマなどの植物の茎、ブドウ・アケビ・マタタビ・フジなどの蔓を使って編まれていようだ。網代の名の由来は、川の瀬に魚を捕るため竹や木を編んで網の代りに立てられた漁法から名付けられたという。

 縦糸と横糸をからめたのが編布(あみぬの)であり、縦糸と横糸を交差させたのが織布(おりぬの)である。山形県東置賜郡高畠町の縄文前期後半の押出遺跡から出土した手網・北海道小樽市の忍路土場遺跡(おしょろどば)のたも網の枠や、青森県の三内丸山遺跡からは、縦横の糸を1本ずつ交差させて織っていく典型的な平織の布片が発見された。

   犬を使う「キジ突き網猟」がある。猟場は木立が閑散としている草原や、河川敷が好都合のようだ。長い柄の広幅が大きい手網を担ぎ猟犬と猟場に出掛ける。優れた猟犬は認定が速く、しかも素早い。ターゲットにされた雉は、逃げる間を失い、雑木のそばの草藪に射すけまれて動けなくなる。猟犬は目視せず、3m先の臭いをポイントしているので、互いにこの状態でどちらも動かない。猟犬の習性として、飼い主の指示が無ければ直接襲わない。その訓練は猟師がするのでなく、猟犬たる母親と仲間の猟犬が実地で教えるという。この状態で網手は、ターゲットに静かにゆっくり近づきながら、雉を目視する位置まで近付き、雉の頭の向きを確認すると、じわりじわり近寄り何時飛び立たれても良い構えをしながら雉の頭方向から一気に被せようとすると、犬も興奮し跳び込み、雉は頭方向から網の中に入り暴れまわる。

 今でもよく使われる「無双網(むそうあみ)」の方法を使えば、比較的簡単に鳥を捕獲できるようだ。地面に伏せておくか、地面より1m位高さに網を張り、鳥がおとりや撒き餌に誘われて地面に降りたったとき、離れたところから綱を操作することにより、鳥にかぶせて捕獲する。

 朝になると巣から餌場に飛び立ち、夕方になると餌場から巣へ帰ってくる鳥には、決まった飛行ルートがある。その一定の場所に網を張る方法の他に、両サイドに木の棒を取り付けて、上空を鳥が横切ろうとする時にタイミングを合わせて放り上げ、網で絡め獲る。古代から、竹竿に少し細工をして飛ぶ鳥をたたき落とすという捕獲法もあったようだ。

 鳥餅は、野鳥等を捕獲するには、熟達すれば極めて有用で、現在では禁止されている。野鳥がとまる枝につけ、足などにくっつき飛べなくする粘着性の物を使う。鳥餅の材料は、ヤマグルマ(山車)・モチの木から採取する。

 これらの木の樹皮を使い、樹皮を剥いで外皮を取り水につけて腐らせ、ついて砕いて水で洗うと赤褐色をしたゴム状のモチが残る。これを野鳥の止り木や、木の先につけて、鳥が来そうな所へ置いておく。  

 キジ笛を使用する方法も現在では、狩猟鳥獣を必要以上におびき寄せることになり、鳥獣の多獲につながることから禁止されている。キジ笛の利用は意外に効果的だそうだ。キジや山鳩は通常、人影を見ても直ぐ飛び立たず、ヒョコヒョコと跳ねて逃げていく場合が多い。一度、キジ笛で引寄せれば、弓矢や投げ網などの餌食になりやすいという。
 
 上川の川面には、マガモ・コサギ・カワウ・カイツブリなどの水鳥が多く、見るからに弓矢で狙いやすそうにみえる。霧ケ峰には、カッコウ・ウグイス・キツツツキ・キジ・アトリ・カシラなど種類は豊富である。その周辺の山々を歩いて気付くことは、霧ケ峰山中の野鳥達は、間近に近づくまで逃げない。なぜか何度も近くに飛び寄ってくる。野鳥達も知っている。今では、人類は自分たちにとって無害であることを!


”エゴマの灯”

 旧石器時代から火は使用している。しかし肝心な火起こしを立証できる道具が出土していなかった。北海道小樽市の忍路土場遺跡(おしょろどば)と滋賀県大津市の滋賀里遺跡で、それぞれ縄文後期と晩期の火鑚杵(ひきりぎね)とおもえる木の棒と火鑚臼として使われていた板が発見された。板に穴を開けてその上に棒の先がはまるほどのくぼみを作る。くぼみに棒の先を差し入れ、高速で回転させる回転摩擦式発火法である。1万年を超える文化であれば、両手で回す錐揉み式(きりもみ) ・紐を使う紐錐式(ひもぎり) ・小型弓を使う弓錐式(ゆみぎり) など多様な技術が活用されていただろう。

 その火口(ほぐち)には、日本古来からガマの穂が使われていた。車山・霧ヶ峰・八島ヶ原高原などでは、葉場山火口(はばやまぼくち)の葉裏にはえている白い綿毛を乾かしたものを、火打ち石から火を起こし移し取っていた。その火種は、それぞれの住居家内で食事の度ごとに、火を起こす余裕がないから、家内の炉に埋められ、炭状に焼け木杭(やけぼっくい)を保存していた。

 福井県の鳥浜貝塚からは、縄文前期の地層から「エゴマ」と大麻(おおあさ)の種実が出土した。同時に、生活財としての縄や綱も検出された。

 韓国では大麻の幹に潰した「エゴマ」の種子を塗布し、これを乾かしたものの先端に点火し、「灯」として使っていた。鳥浜貝塚から出土した「エゴマ」は種子を食用とし、また搾った油を「灯」に利用していた。

 エゴマはゴマのように食べられていた。またその実から油がとれるので、江戸時代まで瓦灯用の明かりとして使われいた。縄文時代、既に釣手土器がランプとして使われていた。一方、魚油の臭う明かりも、漁村では当り前であったが、次第に江戸期末期以降に徐々に衰退した。

 古代、日常生活のための明かりは、炉の明かりで済ましていた。ただ緊急時の明かり、神事を行うための明かり、神にささげる明かりの火種は、魚油・獣脂・松脂などの樹脂と「エゴマ」であった。

 エゴマには、もう一つ大切な使われ方があった。それは漆器を作る時に、なくてはならないウルシを溶く油であった。縄文前期には、既に漆塗の技法があり、エゴマの油もウルシ塗りのときに使われていたと考えられる。

 縄文人は、その生活環境に合わせ創意工夫を加え、自らの暮らしを豊かにしょうと、あらゆる局面で努力している。それは、青森の三内丸山遺跡、そして鳥浜貝塚の遺跡などを通して知ることができる。

 そこに麻が遺存することは、身にまとうものとして、「アカソ」の繊維とともに使われていたことと、更に「エゴマ」と同時に出土していることから、この「エゴマ」が麻とともに明かりを灯すのに使われていたと推測できる。

 中世末期に非乾性油の菜種油が普及するまでは日本で植物油と言えばエゴマ油であり、瓦灯の灯火にもこれが主に用いられていた。しかし、菜種油が普及する江戸末期には、ほとんどが菜種油を使うようになった。行燈(あんどん)は、油皿に灯芯を入れて灯した。油壺に継ぎ足し用の油を入れていた。次第にエゴマ油の利用が減少し、乾性油としての特種性を生かして油紙・合羽・番傘などの塗料用など用途が限られていった。現代でも、依然として、自然に優しい塗料の代表として、無毒無害な木部用の仕上塗料・オイルフィニッシュとして根強い支持がある。韓国では、エゴマの葉は、ナムルなどの家庭料理には欠かせない食材で、日本よりも幅広く使用されいる。

 藤森栄一は、井戸尻遺跡群の釣手土器を「神の火を灯すランプである」と評した。残念ながら灯火の燃料まで分析していなかった。
http://rarememory.justhpbs.jp/suwajyou6/suwa.htm#
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c18

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
21. 中川隆[-8986] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:08:48 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[45]
日本古来の料理の原点は、縄文時代の食文化といえそうです。

歴史の教科書では、採取生産の縄文時代は食うや食わずの貧しい時代で、稲作が伝播した弥生時代は貯蔵と計画生産が可能となった豊かで安定した時代、と紹介されます。

しかし、実際の縄文時代は、現代よりも温暖で海産物も豊富だったこともあり、さらに保存食も活用し、その食生活は味付けや調理も行われた豊かで多彩なものだったようです。

そんな縄文人にしてみれば、渡来人による稲作の伝播は、専門技術が必要で時に採集以上の重労働を伴い、また私有や格差、納税といった現象ももたらす、ありがた迷惑な存在だったのかもしれません。

以下、引用です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

縄文人の主食は、種実類(しゅじつるい)と根菜類を中心とした植物であることが、今日では定説になっている。

その多くにはエネルギー源となるデンプンが豊かに詰まっている。しかも身近にあって量も多く、老若男女を問わず効率よく採集でき、また貯蔵がきく木の実を地中の竪穴に貯える事は全国的に普及しているが、低温多湿で粒のままの保存であるから、長期に大量に保存しうるものではなかった。

冬期でも寒冷地以外は、短期間がせいぜいである。

長期には住居の屋根裏にトチ・クルミ・ドングリなどが乾燥保存された。

長野県富士見町藤内遺跡(とうない)の九号住居址から、竪穴住居の炉上の吊り棚に貯えられたとみられる多量の栗が出土した。火棚で各種食料の乾燥と燻状貯蔵が日常的に行われていた証である。デンプンを粉にしたり、それをクッキーに加工して保存もしていた。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=290341


諏訪地方縄文時代 民俗学的研究

縄文時代の中期を中心に  和田峠(旧中山道)

 急峻な山道でした。
 何万年という長期にわたって黒曜石を採取し続けたのです。


縄文時代の漁法
 
 八ヶ岳西麓には数え切れないほどの湧水・沢と川が入り組み、諏訪の中筋を流れる上川と宮川の2大流域の源流となって諏訪湖に流れる。現在その源流が、観光開発と道路修繕により、復旧不能な状態で放置されたまま自然資源を喪失している。かつて岩魚などの魚影の濃い場所であった。山の猟に劣らず川の漁も重要な生業で、八ヶ岳西南麓の釜無川水系と宮川水系には、ヤマメ・イワナ・ハヤ・カジカ・サケ・マス・コイ・フナ・ウナギ・ドウジョウなどが棲んでいた。昭和初頭頃まで釜無川にはサケが遡上していた。ウナギは戦前までは周辺の中小河川で獲れた。1万年を超える年月があっても魚類の習性には変わりがないはずで、漁法の殆どが縄文時代に多種多様に工夫され今日に伝わったと思える。

 下流に石を並べて、魚の逃げ場を塞ぎ、上流から追って、その力強い躍動感に驚嘆しながら、岩魚のエラに指を衝き入れ手づかみで岸辺に掬い上げることもしていた。白樺湖ができる前の池の平では、中央を音無川の清流が蛇行して、岩魚・山女(やまめ)・鰍(かじか)などがたくさん棲息していて、地元の川干漁の絶好の場所であった。

 ムラなどで一挙に多量の川魚を獲るため、毒を流すこともした。クルミの葉を沢の岩場で、石でよく叩き潰すと赤茶色の汁が出る。これを流すとカジカが弱って岸辺に流れ寄る。ヤマイモ科のオニドコロの根茎を足で揉み出し、そのトコロ汁を流すと弱ってマス・アユ・ハヤ・ヤマメ・カジカなどが岸に寄ってくる。山椒の木の皮を焼くか乾かして砕き粉を作る。木灰を混ぜて川に流せばよくきいた。山椒の粉と木灰を等量に入れた木綿袋を水に入れて揉むと、濃い茶色の汁が沢に流れ、イワナが弱って白い腹をみせて浮き上がる。自然から採取した材料だけに毒性が弱く、一時的に神経麻痺を起こすが、ある程度時間がたつと魚は蘇生した。できるだけ水量の少ない渇水期を狙い、しかも小さな沢で行わないと効き目がなかった。

 初め川で暴れ、川魚が石や岩場の下に逃げ込む様にし、川の表面に顔を出している石に大きな石を力一杯ぶつける。衝撃で失神して浮いたところで捕まえる。また追い込んだ魚をヤスやモリで刺突もした。現代同様多様な漁法を駆使していた。というよりも1万年を優に超える縄文時代に、日本の文化の骨格となる諸技術とそれを可能にする諸道具が既に整えられていた。主に朝鮮半島を主流とす水田稲作が、西北九州から圧倒的勢いで伝播し得たのも、縄文時代に、生産性を念頭に置き栽培種を意図的に育成し活用する緻密な、農耕に近い文化が涵養されていたからである。長野県茅野市富士見町の井戸尻遺跡群出土の農具の種類は豊富で、打ち鍬・片刃の引き鍬・小鋤・草掻(くさかき)・手鍬(てぐわ)・草取鎌・刈取り用の磨製石包丁・石鎌・中型の手斧などの出土例から既に農耕が始まっていたと考えた方が正解のようだ。

 日本列島の発掘実績から見ると、漁労は川から始まり海に進出した。旧石器時代の遺跡からは、釣針は未だ出土しておらず釣漁や網漁も確認されていない。石槍を転用したヤスやモリによる刺突漁が主であったようだ。海の漁は縄文時代になってからで、釣針・ヤス・モリなどの漁労具の改良も進んでいた。特にシカの骨がそれを可能にした。シカの中手骨や中足骨が真っ直ぐで長いので縦に裂いて作った。

 長野県南佐久郡北相木村の栃原岩陰遺跡(とちばらいわかげ)は、12体の縄文時代早期の人骨が出土した事で有名であるが、八ヶ岳から流れ出た相木川泥流が堆積した崖を、相木川が長年月に亘る流力で削りとった岩陰に縄文早期の小規模な遺跡を3つ残した。そこでシカなどの足の長管骨を裂いて作った釣針が出土した。しかもサケ・マス類の脊椎骨までも伴出した。日本海の信濃川から千曲川を遡り、さらに遡上を続け、群馬県の県境、長野県の相木村にまで達していた。
 
 石槍を漁労用に展開したのがヤスで、早期には登場し、前期には鹿角製で逆鉤(あぐ)を付けたものも作られた。ヤスは東海・関東・東北地方の後・晩期に盛んに製作される。ヤスは槍先を木や竹の柄に装着して、浅水の魚をターゲットとするが、モリは槍先に穴・溝・くびれ・突起・肩などを備えて紐をつけ、投げて突き手が繰り寄せる。回遊するマグロなど大型の魚や海生哺乳類を獲物にする。北日本沿岸部では縄文中期まで石槍が多かったが、後期以降骨角製のヤスやモリが主流となる。宮城県石巻市の沼津貝塚では、多種の骨角製のモリや釣針が出土している。それら漁具と共伴した魚骨には、マグロ・スズキ・ニシン・クロダイ・マダイ・サバ・ヒラメなどがあった。

 縄文時代の漁労は、旧石器時代既に神津島・恩馳島から黒曜石材を船で運ぶぐらいであるから、外洋にまで進出していたと見るべきだ。しかも今より岸近くまで魚が回遊していたのは確かで、魚影も濃かったであろう。外洋魚としては、マグロ・カツオ・ブリ・サバ・・アジ・イワシ・サメなどがあり、岩礁地帯ではマダイ・イシダイ・ブダイ・カンダイ・カワハギなど、砂浜の延長にある浅瀬にはハモ・ヒラメ・アナゴ・ホウボウ、内湾に入るとクロダイ・スズキ・コチ・ボラ・フグ類となる。以外にフグ類の骨の遺存が多い。毒を除去し美味しい身を食する文化と技術が広く伝播していた。外洋性回遊魚のイワシ類や内湾を回遊するクロダイ・スズキなどは鹹水と淡水が混じる汽水域でも棲息する。湖水ではフナ・コイ・ギギ・ナマズ・ウナギなど、汽水域では、ウナギ・マハゼ・サヨリなど懸命にとらえていた。東北地方の寒流域でサケ・マス・ニシンなどが主体となる。サケは秋、産卵のために産まれた川を遡上(母川回帰;ぼせんかいき)し、産卵場には冬でも結氷しないような河床から湧水が出ている砂利地帯が選ばれる。産卵・受精後、力尽きたサケは母川で生涯を閉じる。サケの稚魚は、春3月から5月にかけて海に下る。

 縄文時代には、種々の気候変化があり1万年を超える文化を、端的には論評できないが、概ね暖流が現在より北上していた。東北地方晩期の亀ヶ岡文化はサケの遡上に生業の多くを依存していた。サケの捕獲は母川回帰が始まる夏からじょじょに行われ、秋にピークを迎える。堅果類の採集が秋である。冬期は通常、狩猟しかないので活発に行われるが、不確実な成果で安定した食料源にはなりえなかった。

サケや堅果類は、食料が枯渇する冬期にも、貯蔵が可能で、旧石器時代のように動物類の移動を追うことなく、特定の場所で継続的に食料を確保できる。また保存処理後の貯蔵は必然的に定住化を前提とする。さらに生産性の高い栽培種を長期間選別し、集落の内外で育てるとなれば、長期間に亘る働き掛けと、最低限度のマンパワーが必要となり、それが縄文前期以降の大集落の形成に繋がった。かつてアイヌは、サケは当座の食用以外すべて保存食に加工した。腹を割いて内臓を取り除き、戸外の物干し棚にかけて乾燥させる。屋内の囲炉裏の上に吊り下げ、燻製にする。あるいは雪の中に埋めて凍らせる。乾燥サケを食べる際は水に浸して戻し、魚油を加えて旨味を足しながら煮込んだ。凍ったサケは小刀で切り分け、ヤナギの串に刺して火にあぶり、少量の塩で味をつけて食べた。サケの骨は軟骨なので、十分焼くか煮れば、余すところなく食べられる。

北日本の縄文中期以降、サケと木の実の保存食に定住生活が保障され極盛期を迎え、高い文化を育てた。長野県千曲市の屋代遺跡群でも、採取された縄文時代の土から、千曲川を遡上したサケの骨の破片が、約570個見つかった。

 最高に恵まれた湧水地と沢、その下流域の音無川が、上川に流れ込む辺りでは、アカウオ・ヤマメ・ハヤ・アカヅなどが漁獲の対象であった。その漁労用具の骨角製のモリ・ヤス・釣針は、強度の酸性土壌下であるから、検出は不能であるが、諏訪湖底の曽根遺跡ではモリ・ヤス用の石刃・細石器が発見されている。

 釣針には、かえしの無い無逆鉤釣針、内側と外側にそれぞれ逆鉤が付いた内逆鉤釣針と外逆鉤釣針、針を左右錨形に合わせる錨形釣針、特殊なものでは仙台湾を中心に考案された軸逆鉤釣針と両逆鉤釣針など機能的に工夫が凝らされている。かえしの無い釣針は縄文早期から、内逆鉤釣針と外逆鉤釣針は前期から、軸逆鉤釣針と錨形釣針は中期から、両逆鉤釣針は後期からの出土例となる。釣針の出土が増加するのが仙台湾周辺では中期後半以降、関東地方では後期初頭から、西日本では後期中頃からとなる。

 両端が尖った針状の直鉤釣針(ちょつこう)が縄文早期から登場している。せいぜい5cmで中央に溝が掘られ、他の釣針の多くと同様、鹿角製である。幕末に鉄製になりまで近世では竹製であったが、主にウナギ用釣針であった。

 「ヤナ」・「ヤブ」・「ウケ」などは、現代でも、行われている漁法で、「ヤナ」は、河川の半分を堰き止めて、流れる流域に竹・木で簀(ス)の子を作り、そこに跳ね上がる魚を掴み獲りした。「ヤブ」は、ソダ・ヨシ等を束ねて湖や川に沈め、魚が棲家にしたところで、引き上げる。「ウケ」は、細い枝・裂いた竹・笹を蔓や縄で筒状に編み流に向け沈め、魚が入ると出られぬようにした。

諏訪地方の「ウケ」の対象は、ドジョウ・ウナギ・フナ・コイ・ハヤなどである。こうした漁法は、極めて有効で、縄文人の編み物技術からみても可能である。植物用材のためなかなか出土しないが、「ウケ」は、弥生時代期のものが出土している。「エリ」は河川や湖に、よしずや竹垣を魚道に張り立てて、魚を誘導して捕らえる定置網漁である。岩手県嵙内遺跡(しなだいいせき)では、杭が発見された。魚網錘(ぎょもうすい)とか釣り針の錘(おもり)の石錘・土錘は、諏訪湖周辺を中心に諏訪各地で出土している。釣り針は骨・角・牙製がほとんどであるが諏訪の平では未発見である。

 縄文時代早期前半、沿岸部では既に網漁が行われていて、鰯(いわし)等の小魚の骨が数多く検出されている。当時シナ布(しなふ)は織られていた。フジの皮やコウゾ、麻などで織った藤布(ふじふ)、楮布(こうぞふ)、麻布(まふ)などと共に、シナ布はわが国における古代織物(原糸織物)の一つである。布物で既に身にまとっていた。編み物の技術で魚網を作り小魚を獲る漁法、即ち追い込み漁や掬(すく)い上げ漁法・刺し網漁法などが時代経過と共に行われていた。北海道石狩市花川の紅葉山49号遺跡の縄文時代中期(約4,000年前)の河川跡から、魚をすくう際に使ったタモ網が出土している。

当時の木製の漁労施設と器などの生活用具も共伴している。漁労施設は10ヵ所も検出され、その内の8ヵ所は杭などの伐採時期や民俗例からみて、サケ漁に使用されるエリとみられている。幅5〜10mの花川の発寒川に設置してあった。川の中に4.50cm間隔で、直径5cm前後、長さ150cm前後の杭を川底に打ち込み、サケの遡上をさえぎり、定置網で一網打尽にする。杭はヤチダモやヤナギで作られ、杭だけでは魚が逃げてしまうので杭と杭の間には、柴によって埋められていたものと考えられている。

 刺し網漁は、魚が遊泳する所に網を渡し、網目に絡まった魚を獲る方法で、網の中でも構造上、最も作りやすいといわれている。現在の諏訪湖でよく見掛けるのは、四つ手漁と投網漁である。

 諏訪湖の特殊漁法に“やつか”がある。湖底に20cm前後の石を1,000個程度沈めて、石の塚を築きあげる。魚はそこで冬ごもりをする。その周囲を筌(ウケ)のある立板と簀(ス)で囲む。これを“屋塚”という。氷が張ると“3つだめ法”といって、“屋塚”の場所から3方向にそれぞれ陸に目標を設定して記帳しておく。頃合いを見て、塚石を順次、次の“屋塚”予定地に積み上げながら、魚が筌に逃げると筌ごと掬い上げる。筌に入らなければ網で掬いあげた。エビは簀に付いたものをとりあげた。
 
 諏訪湖の特殊漁法のもう1つが“たけたか”漁で、いわゆる刺し網で、諏訪湖では網をジクザクに張り、2m位の深さで沈子を錘として、網目の大きいのが“たけたか”で細かいのが“きよめ”という。“たけたか”漁はコイ・フナ・ナマズで、“きよめ”は、ワカサギ・フナ・ハヤ・ムロが対象であった。
 
 諏訪湖では、昭和10年頃まで、コイ・フナ・ドジョウ・ナマズのほか、きれいな水に生息するカワヤツメ・イワナ・ヤマメ・カワムシが漁獲され、エビ類や特にマシジミなどの2枚貝が目立っていた。 縄文時代は約1万年間もあるので年代が進むにつれ漁法・漁具は大きく進化して、 漁具の発展は刺突漁具・釣漁具・網漁具の順で発展していったとされている。次第に大掛かりになり 捕獲した魚の一部は、冬の食糧源として燻製にして保存したと考えられる。「ヤナ」などの施設を設け、漁獲も多ければ特定の場所の確保が利権となり定住を促進した。尖石では、未発見であるが、燻製炉としての連穴遺構が各地で出土している。


縄文時代の漁猟具

  魚影濃い沼・川を育む山林は、クマ・シカ・イノシシ・キツネ・タヌキなどで、昼間でも常に獣の気配がするほどになっている。平坦な岩場に獣の糞があふれかえり、山葡萄の実のなる頃には、山に分け入るシカの糞が至る所で盛り上がり散乱している。地元に住んでいても怖気て深く入れない。ウサギは、昭和の末頃に皮膚病のような伝染病により、一時的に絶滅状態になり、最近は復活しつつあるようだ。車山高原に30年近く住んでいるが、未だ野兎を見る機会が少ない。

  肉食は現代でも最高のご馳走で、栄養価も食べ応えもある。八ヶ岳西南麓で発見される石器の中心は、黒曜石製石鏃である。石鏃とは「矢の根石」とも呼ばれ、矢の先につけて用いる狩猟用小型石器のことである。世界中の新石器時代以後の遺跡にみられ、日本でも弓自体の出土例は縄文後晩期に集中するが、石鏃は縄文時代草創期、隆起線紋土器段階で既に普及しているから初頭から使われていたようだ。発掘された石鏃は、既に定形化していた。しかも瞬く間に日本列島に伝播し、縄文時代を特徴づける代表的石器になっている。時代や地域により多様な形態のものがあるが、その殆どは押圧剥離による両面加工で作られている。極めて根気のいる困難な作業で、消耗品であるのに、余りに精巧なものが多いので、特定の集団が専門的に製作していたか、この時代の男の必要不可欠の製作技術として伝承されていたとも考えられる。

 長さ約5cm重さは約5gまでのものが通常石鏃と呼ばれている。長さは2〜3cmのものも多いが、1cm未満のものや6cmを超える大型のものもある。これらは獲物の種類により大きさを区分したのだろうか。石鏃は、基部の形状によってその装着方法が異なっていた。凹基式、平基式、凸基式は矢柄の先端を割って石鏃をはさみ、有茎式は茎部を矢柄に挿し込んだとみられている。石鏃と矢柄の固定には、アスファルトや、膠・漆・木のヤニなどの樹脂が膠着材として使われた。
 
 自然に湧き出ていた石油のアスファルトが、石鏃を弓矢に装着する際の接着剤として使われているが、信州には石油の産出地がない。隣県の新潟では、柏崎・長岡がその産出地で、黒曜石製石鏃との交換ルートがあったかもしれない。ただ通常、降雨多湿列島の日本では、手近に漆の木がたくさん茂っている。それで我慢したかもしれない。

 縄文時代の狩猟の画期となったのが弓矢猟である。危険な野生動物に接近しなくとも補殺できるようになった。さらに鳥類も獲物の対象となった。弓の多くは丸木弓で、桜の樹皮を巻いた桜樺巻弓(さくらかばまきゆみ)、細い糸を巻いた糸巻弓、黒や赤の漆を塗った漆塗弓などがある。素材は西日本では、カシ・ユズリハ・カマツカなど、東日本ではイヌガヤ・カヤ・マユミなごが主流である。八ヶ岳西南麓では弾力性に富むカヤやイチイが適する。弓弦(ゆみづる)はアサやカラムシの繊維を撚り合わせ、強度を増すため松脂や漆が塗られたと想像される。大きさは150〜160p前後の長弓が多かった。射程距離は、民族例や実験例から30〜40mくらいと想定される。矢柄はできるだけ回収した。ワシ・タカ・ヤマドリの羽は簡単には入手できないし、気に入った矢柄は簡単にはできない。栓状鏃という木や骨で先端が丸い鏃が使われるのも、鳥を気絶させて捕らえ、きれいな羽を得るためであった。

 ウサギ・タヌキ・キツネ・テンなどの中小獣類は、大勢が勢子となり追い立て囲んだところで弓で射った。シカはイヌに追わせると、急斜面や崖を飛び下り、臭いを消すため川筋に逃れる。「タツマ」と呼ばれる射手が隠れて待つ場所で、待ち構え頸部を射る。巨大な縄文イノシシを殺傷するには、より至近距離に追い込まないとむりで、狩猟犬の追捕が不可欠だ。また皮と皮下脂肪が厚く、そこだけ皮が薄い頸動脈に的中しない限り、矢で射っても直ち致命傷とはならず、弱まるまで犬による追尾が必要であった。

 現在、車山に居住する漁師は、シカの補殺には猟銃は邪魔と言う。猟犬4匹がいれば、追捕し四方を囲むためナイフで仕留められる。猟犬は教えなくとも、獲物の四方を固め、正面の猟犬は威嚇するだけで、背後に廻った猟犬が尻や後足に食らい付き動きを止め、飼い主の登場を待つ。猟犬特有の本能的リスク回避である。猟師も猟犬が獲物に食らい付いた際には、猟銃を発射しないという。その衝撃で猟犬の牙を欠く恐れがあるからで、他の猟師の猟犬でも、目前で死闘が行われていれば猟銃の使用は控えるという。

 イノシシはシカの肉より脂がのって美味い。骨髄も同様なのであろう。全身の骨角が遺存する例は、ごく稀で、補殺されれば四肢・頭・顎・背骨は、髄液を飲むため解体され尽くされている。ラムラックやTボーンステーキのように肉片が付いたままよく焼き、付着する肉を食べながら、骨を割り骨髄を啜る光景が想像できる。

 イヌの骨の出土は、日本各地の縄文貝塚から学術報告されている。いずれも丁寧に埋葬されている。縄文早期前半の愛媛県上浮穴(かみうけな)郡美川村の上黒岩岩陰遺跡では、人と同様に手厚く埋葬されていた。岩陰の奥部を墓域とし、10体以上の人骨が埋葬されていた。その人骨より居住地区近くに2体の犬の埋葬骨も発見され、今から約8,000年前、我々の先祖が既に日本犬を飼っていたことがわかった。山形県東置賜郡高畠町屋代の日向洞窟(ひなたどうくつ)では、イヌの骨が縄文草創期の隆起線文土器片・爪形文土器片や石槍・石斧などと伴出し、イヌの活用を前提にした弓矢猟の出現が想定されている。他にはクマ・シカ・キツネ・カモ・ヤマドリなど多数の骨も出土した。

 縄文時代の遺跡から出土する陸上動物骨の骨の95%がシカ・イノシシでクマなどは少ない。その中型獣に対して、長さが2pにも満たない石鏃では、直ちに致命傷を与えられない。猟犬の追尾する能力に毒矢の使用が加わらなければ難しい。アイヌ民族が使っていたトリカブトの矢毒は、縄文人に遠距離からの攻撃を可能にした。イノシシ・クマなどの獲物からの反撃を回避するためにも有効であった。矢毒で狩猟した獲物は、矢毒が刺さった部分を少し大きめに取り除き、他部は加熱すれば食べられた。矢毒を付けた仕掛け弓を獣道に多数仕掛けることで猟獲を格段に向上させた。矢毒の使用は狩猟民の狩猟技術に一大革命をもたらした。その命中精度の高さと狩猟技術の向上と、それを一層、効果的にしたのが縄文早期初頭からの猟犬と矢毒の使用であった。石槍の出土例は平野部では少なくなる。あっても殆どが漁労用であった。石槍が山間部に残るのはクマ猟には有効であったからだ。弓矢とイヌを活用する集団猟により、集落内の結び付きは一層強固なものになったであろう。

 石鏃が刺さった骨に増殖がみられる検出例から、致命傷を負っていないとして矢毒の使用を否定する説もあるが、それだけでは根拠が薄い。

 北海道の陸上狩猟動物はエゾジカが主でキタキツネは少ない。イノシシの骨は僅かな出土例しかなく、本州からの交易品として運ばれようだ。大島の下高洞遺跡(しもたかぼら)では、段ボール箱で70個、点数では数千点にもなるイノシシの骨が出土した。利島・新島・三宅島にも運ばれていた。伊豆七島には食料となる中・大型の動物はいないはずであったが、200kmも離れた八丈島でも大量に出土している。それが骨付き肉で運ばれたか、生きたまま持ち込まれ、長期に飼育され太らせてから食料にしたかは定かではない。縄文人はイヌを飼育しているから、その可能性はあるが、牛馬類は縄文時代の出土例がない。

 ただ、儀式用としてイノシシの飼育が行われた可能性は高い。縄文前期後葉になると土器の縁にイノシシの獣面が現れる。中期には甲府盆地東辺や関東の遺跡から取っ手などにイノシシを造形した土器が現れる。長野県大町市八坂の中原遺跡で出土した縄文中期・約4,800年前の深鉢土器片は、鼻を突き出したイノシシの顔を象った取っ手であった。関東地方でも、中期の貝塚から、頭骨を欠くイノシシの幼獣を特別に埋葬する例がいくつかみられる。山梨県北杜市大泉町の金生遺跡では、縄文晩期、八ケ岳を背景にし巨大な配石を「祭壇」として構え、その前で祈りをささげた。この遺跡から大量のイノシシの下顎が出土した。それは径140p、深さ70pほどの竪穴に焼土と共に、焼かれた状態で118頭分が集積されていた。そのうち114頭が生後1歳未満の幼獣だったという。祭礼に供される贄としてささげられたようだ。

食用としてはもとより、贄として、幼獣が一時的に飼養されたことは確かのようだ。後晩期には、東北地方でイノシシばかりかブタを象った土偶が登場する。ヨーロッパ、西アジア、中国などでは、それぞれが独自に土着するイノシシを順化させ家畜化した。家畜化の年代は、おおよそ中国南部で10,000年前、西アジアで8,000年前頃とかなり遡る。ヨーロッパの養豚も古く、イギリス諸島で約6,000年前の骨が出土している。日本列島の縄文後晩期に登場するブタは、日本列島のイノシシを飼育し順化させたブタらしきものであったのか。弥生時代に養豚が水田稲作文化と同時期、大陸から伝来したというが、それは縄文時代から飼養されてきたイノシシだったのか。

 イノシシの巣は窪地に青萱や落ち葉などを牙で食い切り径1.5m前後、高さ50〜60p程に敷き、枯枝などで屋根のある産床(うぶどこ)を作り、通常4月〜6月頃に年1回、平均7〜8頭ほど出産する。育つのは半数位のようだ。妊娠期間は約4ヵ月、雄は単独で行動するが雌はひと腹の子と共に暮らし、定住性が高い。一週間くらい経てば幼獣は親のあとをついて歩く。縄文人はその習性を当然知り、その場所を探して捕獲したようだ。

 伊豆七島へイノシシを運んだ舟は太い大木を長く輪切にし、中を抉り抜いた丸木舟である。西日本ではクスノキやスギ、関東ではムクノキ・カヤ・クリ・ケヤキなどが材料で、北海道ではカツラが多い。丸木舟は焼石で焦がしながら石斧で抉り、多くは全長5〜7p、幅は60p位である。縄文前期の出土例が一番古いが、神津島・恩馳島の黒曜石が本州で広く分布していることから旧石器時代からあったとみられる。

 千葉県千葉市花見川区朝日ケ丘町の落合遺跡から、泥炭層から2,000年以上前のハスの実1粒が発掘され、大賀一郎博士によりその実が発芽・開花させられた。その花見川下流の湿地帯に豊富な草炭層が形成され、そこから昭和22(1947)年、長さ6.2m、幅42pある1隻の丸木舟と6本の櫂が出土した。翌年にも長さ5.9m×幅44pと長さ3.5m×幅52pの2艘、昭和26年にも別の断片が、計4艘分掘り出された。縄文時代の落合集落は川辺に突き出した緑と水辺に恵まれた台地に立地し、川漁や内海漁には絶好の基地となり常時10軒ていどの集落があったとみられる。

 京都府舞鶴市千歳の浦入遺跡(うらにゅう)は、約5,300年前の縄文前期の丸木舟の船体半ばから船尾にかけの部分、約4.6mが約50cmの深さで砂層に埋まっていた。丸木舟の全長は約8m、幅1m、舟の縁の厚さ5cmと推定される。材料は直径2m前後のスギ材を半割りしたもので、造られた時の焦げ目が遺存している事から、焼いた石を表面に置いて木材を焦がしながら、磨製石斧で抉ったものだという。その周辺からは、桟橋の杭の跡、錨とみられる大石なども発見され、当時の船着場と考えられいる。遺跡は日本海に面した舞鶴湾の外海との湾口にあたり、外洋漁業の基地だったようだ。一方、日本海側では、縄文時代、「海の道」を通じて広く交易していたことがわかっている。滋賀県近江八幡市の元水茎遺跡(もとすいけい)出土の丸木舟は琵琶湖での漁労を対象にしていた。その上、琵琶湖の内湖(ないこ)間の交易舟としても活躍していた。

 縄文時代の丸木舟は、50数例見つかっているが、素材の性質上、当然、縄文後晩期に属する丸木舟がもっとも多いが、前期に属する丸木舟も長崎県多良見町の伊木力遺跡(いきりき)や福井県若狭町の鳥浜貝塚などで数艘の出土例ある。丸木舟の舟底は丸底のため、横流れや転覆しやすい。それでも穏やかな水面の湖・内海・磯廻りなどに限定されず、浦入遺跡の幅1mの丸木舟や、南太平洋ポリネシアの原住民が、古来より用いていたカタマランのように、2艘を並べ、木を何本か渡し綱で縛る双胴舟方式(そうどうしゅう)などで外海に漕ぎ出たようだ。両手で支える木の櫂で直接漕いでいたようだ。舷側に支点を置く装備の舟が出土していないので、オール形式ではなかったようだ。

 本州・四国・九州の山間部ではニホンカモシカとツキノワグマも多い。ニホンザルも食べていた。平野部ではイノシシ・ニホンジカが殆どで、タヌキ・キツネ・アナグマ・ノウサギなどの小型動物は少ない。肉が不味いせいもある。ただ毛皮を得る目的もあったであろう。青森県の三内丸山遺跡では、シカ・イノシシが少なく、7割がウサギ・ムササビなどの小型動物であった。ガンやカモが主であるが、アビ・アホウドリ・ウ・カイツブリ・ハクチョウなど野鳥をとらえ食料としていた。その出土比率は他の縄文時代の遺跡と比較すると高い。恐らくシカ・イノシが激減し、ウサギ・ムササビでは主要な動物性タンパク源となりえず、野鳥やマダイ・コチ・ブリ・ヒラメなどの海産資源に多くを依存していたようだ。縄文時代、イヌは飢饉など余程の場合以外は食べない。埋葬されるのが通常であった。

 縄文早期前半にはイワシが漁されているので、漁網があったと断定できる。タモ網程度かもしれないが、石錘・土錘が多量に出土すれば漁網を伴うのが明らかである。北海道渡島半島の縄文早期の遺跡から多量の礫石錘が出土している。函館市の函館空港遺跡でも礫石錘が出土しているので漁網を使っているのは明らかだ。関東地方の縄文中期の貝塚からは大量の土器片錘が発掘されている。

縄文時代の植物性食料

 春、八島湿原に行く。一面、ヤマドリゼンマイとヤマウドの群生である。車山高原はワラビが豊富だ。林に分け入れば、タラの芽、マユミ・カエデ・サクラ・シラカバなどの若葉など見るもの総てが食料である。草原では、行者ニンニク・ヤマフキ・コゴミ・ツリガネニンジン・ギボウシ・アマドコロなど、灰汁(あく)抜きをしなくても、煮れば柔らかく食べられる。

下流河川から獲れるサワガニ・カタツムリ・イシガイ・オグラシジミ・オオタニシ・カワタニシなどは副食かおやつであったろうか。奇跡的にも富山県小矢部市の桜町遺跡では縄文中期の層からコゴミとヒョウタンが発見された。この遺跡は、谷の中にあったこともあり、地下水位が高く、その水にまもられていたために、通常の遺跡では残らないような建築加工材など多種な木製品や編み物類、動物や植物などの有機質遺物が、非常に良好な状態で出土した。山形県東置賜郡高畠町深沼の縄文前期の押出遺跡(おんだし)は泥炭地で湿地であったため、ここでも木製品や漆製品、編物、食料類などの遺物が多く発見された。クッキー状に焼きあげた炭化食物も52個ときのこが出土した。
 
 夏は、スグリ・ヤマグワの実が豊富に採れる。味はよくても腹持ちが悪い。しかし調理用添加材と考えると用途が広がる。山採は雪国でなければ、一年中採れる。芽・葉・花弁・地下茎・地上茎・根など、植物の利用部分は様々にある。ヤマイモ・ユリ根・シイの実など、アク抜きは不要だ。カヤの実もギンナンのように殻付きのまま炒って食べられる。ただ野生植物には、通常、自衛のためもありアクは付きものである。カタクリ・コシアブラ・ギボウシ・アマドコロ・コゴミ・シオデ・ツリガネニンジン・マユミの実などは茹でるだけで食べられる。タラの芽・ウド・セリ・ツクシ・タンポポ・フキ・ヨモギ・ニリンソウ・フキノトウなどは茹でて水に晒せばよい。アクが極めて強いアザミ・ゼンマイ・ワラビなどは、木炭の灰汁を使ってアク抜きをする。

 諏訪の地域は、夏になると夕顔の実が店頭に出回る。優に40cmを超えるものも多く、且つ太いので食べ応えはある。一般的には茹でて食べる。癖がなく、秋口まで収穫できる。夕顔は平安時代初期に中国から輸入され、殆どが干瓢として食されている。縄文人も当然、ヒョウタンなどのウリ科の植物を、住居周辺で栽培していたと考えるのが自然である。

 秋にはドングリ類だけでなく、山ブドウ・アケビ・ヤマモモ・ヤマボウシ・カジの木・マタタビ・ザクロなどがある。植物の実は、野鳥たちに種を運んでもらい種の保存を計るから、大部分の植物の実はうまいのが通常だ。ただマムシソウの実は食べると、嘔吐・腹痛、触れただけで皮膚炎を起こす人もいる。マユミの薄い桃色の実をコゲラなどが食べに通うが種自体は猛毒である。ウバユリの根も美味しい。福井県三方町の鳥浜貝塚は、三方湖に注ぐはす川とその支流の高瀬川の合流点付近にある。その縄文前期の層から丸木舟・櫂・石斧の柄や簡単に1本の木で作る丸木弓・鉢・椀など、各種の多量の木製品が出土し、その仕掛中の加工材も豊富で、この時代の木工技術を知ることができる貴重な史料となった。木製の櫛には朱や黒の漆が塗られ、すでに漆技術の普及していたことがわかる。伴出したのが栽培種のクリ・ドングリ・クルミ・ヒョウタン・リョクトウ・エゴマ・ウリ・シソ・ヒエ・ゴボウ・アサ・アブラナ類・カジノキ・ヤマグワなどで、縄文時代人が営む農耕の原初的な重要資料となっている。

 ドングリなどの堅果類の多くは、アク抜きが必要で、粒のまま煮て水にさらしてアクを抜く。そして通常、石皿や石棒で製粉し、粥状にするか、団子状にして食べたと推測される。青森・岩手・山形・福島・茨城・新潟・長野・岐阜などの遺跡では、ドングリを加工し、クッキーやハンバーグを製作していた。

 冬期の山採は、冬鳥が雪国や豪雪の山岳地帯にまで群集する光景が、鮮やかに語り掛けてくれる。ヤマボウシや山ブドウの実が瞬く間に啄ばまれ、その後大量のツルウメモドキやズミの実が補い、ナナカマドの実は、余り好みでないようで、あたかも已む無く最後に野鳥が啄ばむ様子だ。青森・岩手・山形・福島・茨城・新潟・長野・岐阜県の遺跡からクッキー状、もしくはパン状の炭化物が頻繁に出土している。山形県の押出遺跡の縄文前期、約5,500年前のクッキー状炭化物には、クリ・クルミなどの木の実に、ニホンジカ・イノシシなど獣肉と野鳥の肉などと、イノシシの骨髄と血液と野鳥の卵などが加えられ、塩で味が整えられていた。また野生酵母を加えて発酵させてもいた。タンパク質が主材料のハンバーグもあった。クッキーの栄養価は高く、タンパク質・ミネラル・ビタミンが豊富で、栄養学的には完全食に近く保存食としても優れ、狩や交易の旅には携帯食として重宝にされていただろう。押出遺跡のクッキーには、スタンプによる文様が押されていた。旅先の夫に対する思いが込められているのだろうか。

 諏訪市湖南の諏訪大社の神山・守屋山山麓に荒神山遺跡がある。縄文時代前期から平安時代までの遺物が出土している。この遺跡が全国的に有名になったのは、住居址内の石囲炉の炭化食品を灰像法による走査電子顕微鏡で鑑定した結果、「エゴマの種実」と判明したからである。その後原村の2つの遺跡、大石遺跡、前尾根遺跡の炭化物からも同一結果が出た。福井県三方町の5,500年前の鳥浜遺跡からも出土している。このことから縄文早期には、既に存在していたと推定されている。

 「エゴマ」は、インド高地から中国雲南省の高地が原産地で、当時の日本には野生化しているレモンエゴマがあったが、栽培種はシソ科の油脂性植物の「エゴマ」である。中でも常に種実の大きい方が選別され続けられ食用として栽培されていった。またエゴマは薬用のほか、油脂用・漆器用の工芸作物でもあった。しかも病虫害に強く、湿気を好むため乾燥しない土地が適地で栽培は容易、今でも全国の高冷地で作られている。 収穫は9月下旬から10月下旬で、その後5〜10日間乾燥させてから、敷物の上で、敲いて脱穀する。土器の水槽に少しずつ入れて、泥と砂を落とす。「エゴマ」は、水に浮かぶので笊ですくう。 米をとぐように4、5回洗い、表皮の汚れを落として、3、4日乾燥させて保存する。

 「エゴマ」油の採取が一般的に普及するのは平安時代の初期、山城国で始まった。調理はゴマとよく似ていて炒るなど簡単だ。葉は「エゴマ」特有の臭みがあるとして日本では、野菜として利用されてこなかった。朝鮮ではむしろそれが好まれ、香りのよい種類をよく使う。近年、日本でも韓国料理の普及で、その香りが食欲をそそるとして調理されるようになった。

  ヒエ・アワ・各種ムギを管理栽培する縄文人像が見えてきた。その後、各地の縄文遺跡から「エゴマ」のみならず、ヒョウタン・リョクトウなどの栽培種が発見されて、今後、より主食となりうる栽培植物の発見の可能性が高くなった。

 岡山県岡山市津島の津島江道遺跡(つしまえどういせき)では、縄文晩期中葉の水田が発見された。近隣の岡山市北区の津島遺跡は、弥生時代初頭から大規模に稲作を行っていた大集落である。北九州では縄文晩期後半には、本格的な水田稲作が始まっている。本州でも岡山県南部の総社市の南溝手遺跡で、縄文後期後葉、約3,500年前の籾の圧痕が残る土器が発見され、ほぼ同時期の籾痕土器は、倉敷市福田貝塚などからも出土している。同県美甘村の姫笹原遺跡では、縄文中期中葉、約4,500年前の土器の胎土中からイネのプラント・オパールが多数検出された。

ススキをはじめ、イネ、ムギ、キビ、トウモロコシなどのイネ科植物は土壌から吸い上げた水分の中の珪酸という物質を、機動細胞という細胞に蓄積する性質がある。機動細胞に溜まった珪酸は細胞内で一つに固まり、植物珪酸体ととして蓄積される。その植物が枯れてもガラス質の植物珪酸体は土壌に残る。それがプラント・オパールである。縄文時代の稲作が縄文中期に遡る事になる。これが本格的な水田稲作が、弥生時代初期に西日本に急速に広がる素地となった。縄文時代のアワ・ヒエ・シコクビエ・イネなどの焼畑栽培や原始的な農耕がなされていて、長野県諏訪郡富士見町の井戸尻遺跡群のように多種の農耕具が既に揃い、農耕的生活が営まれていたからであると言われている。

 ヒョウタンはアフリカ・熱帯アジア原産のウリ科の植物で、その乾燥した種子の保存能力もあって、かなり早くから全世界に広まっていた。海水にさらされると高い発芽率が利点となり、海流に乗って広く伝播したとみられる。縄文早期には、既に日本にも生育していて、8,000年前頃の福井県の鳥浜貝塚や滋賀県の粟津湖底遺跡からは、縄文前期・中期の果皮、種子が出土している。

 灰汁がないので、ただ煮れば食べられる。後世、実を乾かし水筒や、酒の貯蔵用に利用している。海外でも土器文化前に保存・携帯用容器として使用した例が多いようだ。  

 リョクトウ(緑豆)の原産地はインド辺りで、古来よりインドでは、重要な食糧源で、煮たり、炒ったりして食べていた。現代でも、アジアのリョクトウ栽培の70%を占めている。若莢(わかさや)は軟らかいので、まるごと調理する。種子は3〜4gと小粒で、早生種を選べば、高緯度、高冷地でも栽培は可能で、インドでは、標高2,000mの高地でも作付けされている。沖縄では、旧暦の5月5日に作る甘菓子に入れて食べる。大きくて味もよい小豆が出回ると、豆の需要としては衰退する。現代では、むしろ中国・アメリカ同様、「豆もやし」として大いに食べられている。また中国春雨の原料でもある。

 縄文時代の実りの秋 は、茸の季節でもある。古来より、林間における柴・下草刈りは、燃料・住居用材を得るための重要な作業である。後世には食料栽培の肥料を得るため、絶対不可欠な刈り採り作業となる。従って、手入れは行き届き、茸は大量に採集できたであろう。縄文人はあらゆる野生植物を口に含み、毒性の有無を確認した。ドクゼリなどの有毒山採、ドクウツギなどの有毒果実、カキシメジなどの有毒茸も経験で学んできた。林間によく見かけるマムシソウは、地下茎や種子に有毒成分があり、口にすると喉が焼けつくような刺激痛があり、しばしば痙攣・目眩を生じさせる。秋に実るカラフルなトウモロコシ状の種子は、舐めただけで舌が2〜3日変色するほどの強い作用がある。生で根茎を食すると、唇に浮腫が出来、涎が大量に流出する。それらの知識が共有されるまで、多くの犠牲者がでたであろう。

 落葉樹林内の樹陰でよく見かけるオオウバユリの鱗茎(りんけい)からは、良質のでんぷんが含まれている。花をつけるものが「雄花」、花がないものが「雌花」で、花をつけると鱗茎は萎むので、採取するのは「雌花」だけだ。北海道では、アイヌにより「トゥレプ」の名で呼ばれ、アイヌ民族が用いる植物性食料の中では穀類以上に重要視している。掘り集めるのは6月下旬から7月上旬ぐらいまでの間が良く、早すぎるとデンプンが少なく、遅すぎると色が黄ばんで硬くなる。掘り出したまま、熊笹に包んで、石皿に載せ蒸し煮にすると甘味が増し、熊笹の香りが調味料代わりとなる。アイヌ民族が主食としたのは、冬でも食いつなげる保存性にあった。オオウバユリの鱗茎を、まず細かく刻んで乾燥させ、これを臼でついて、でんぷんの粘りが出てきたものを、ドーナツ状に成形した。穴にヒモを通して、住居内で乾燥して保存食糧とした。突き固めた鱗茎を水にさらして、底に沈殿する白い上質のでんぷんを団子にして保存した。炉で焼いて食べた。

ムラの周辺では、石斧を使って栗とオニグルミを、何代にも亘って盛んに移植する。今では、林のようになっている。やがて実が大きく、美味しい木のみを育て、その種が実生で生え広がるように管理栽培をした。間引かれたクリは、ムラの建造物などの用材とされた。その外周はコナラ・ミズナラの林がほとんどである。長く厳しい冬に備えて、ドングリを拾い集める。トチの大きな実も有効である。山ブドウ・ヤマボウシ・アケビの実は甘く、そのまま生食でる。ツノハシバミの実は、テトラッポットの形をした毛の密集した苞の中に1個入っているだけだ。栗のような実をしているが、生食するとナッツの味がし、脂肪分が豊富であった。  

 グミの実も渋みと酸味の中にかすかな甘味がある。日本原産の野生の山芋・ジネンジョの実・ムカゴは炒るだけで美味しい、茸と炒めたら最高だ。採ったら目印を残す。秋の山菜を採り尽くして、季節は終わるが、自分だけの秘密の場所で、目印頼りにジネンジョ掘る。成分はデンプンが主で、たんぱく質・ミネラル・カリウムも含まれている。漢方では、乾燥したヤマイモを「山薬」と呼び、古来より滋養強壮、健胃、整腸、消炎などの薬として重用している。縄文人も1万年の歴史の中で、口伝として共有していたかもしれない。

 一般的にドングリは渋みが非常に強く、そのまま食用とするには適しない。灰汁抜きの方法としては、流水に数日さらす方法と、煮沸による方法がある。特に煮沸の場合、木灰汁を用いることもある。流水による方法は、主に西日本から広がる照葉樹林帯の地域でなされいる。煮沸方法は、東北地方や信州に広がる落葉広葉樹林帯で行われる灰汁抜き方である。渋みの少ない種では、殻煎りで、灰汁抜きができる。 北上山地の山村では、ミズナラのドングリの皮を剥き果実を粉砕して、湯、木灰汁などを用いて灰汁抜きした「シタミ粉」と呼ばれるものを作った。シタミ粉は通常湯で戻し、粥状にして食べた。熊本では、カシ類のイチイガシのドングリから採取したデンプンで、「イチゴンニャク」や「カシノキドーフ」、あるいはシイの実を用いた「シイゴンニャク」といった葛餅状の保存食が作られた。
 
 トチの木の種子は大きく栗のようで食べ応えがある。その灰汁抜きは大変で、木灰でアルカリ中和をして除去する。トチの実は、赤褐色でつやがあり、でんぷんが主成分でカリウム・タンパク質も多く含まれている。9月になると、実は3つに割れて、赤褐色の光沢のある種子が山野にたくさん落ちる。その実は、古代から広い地域で、普通「トチ餅」にして食べられていた。縄文時代には、餅米はないので、アワ・ヒエ・ムギ・ソバの利用が普通で、現代にも残る粟が入っている「粟餅」が、主であったと推測されている。

 クリ・クルミ・トチなどの堅果類とヤマイモ・ウバユリなどの塊根(かいこん)が、主原料となり縄文集落を支えてきた。三内丸山遺跡では、巨大な建造物などが、クリの大木を利用していることから、近くに選抜された優良なクリ林が育成されながらも、その食料資源を他に転用出来るほど繁茂していたようだ。三内丸山の集落ではシカ・イノシシなどが過剰な補殺で激減し、ムササビ・ノウサギのほか、カモなどや鳥類を捕食し続けた。いずれにしろ動物性タンパク質としては不足気味で、寧ろ、マダイ・コチ・ブリ・ヒラメなどで補っていたようだ。

 三内丸山遺跡では、長い年月にわたる集落の営みで、周囲の森林が、広く木材や燃料として伐採され、その集落周辺の半径10km以内のシカ・イノシシは獲り尽くされていたようだ。三内丸山は、今から約5,500年前〜4,000年前の縄文中期を中心とした集落である。当然、当時の縄文集落は狩猟資源の枯渇を恐れ、「獲り控え」を念頭に、シカ・イノシシの補殺はオスの老獣を主なターゲトとしていた。それは出土例の比較分析からも明らかである。一方、自然環境を破壊しながらも、三内丸山人は自然環境に働き掛けていた。それがクリやクルミ主体の二次林の育成であった。近年、遺跡の泥炭性堆積物を分析したところ、イヌビエのプラント・オパールが多量に含まれていた。

 イヌビエはヒエに似ているが、食用にならないことから名付けられた。しかも畑や水田、都会の道端や空き地などいたるところに生える1年草である。そのイヌビエが食料にされていた。

 ヒエはイヌビエを日本列島で栽培型改良したものだと言われている。アワやキビと違って、外来の穀物ではない。イヌビエの種子は縄文早期の遺跡から出土し始め、時代の経過に伴い次第に粒が大きくなり円みを帯びる傾向がある。野生種のイヌビエを縄文人が、食料として馴化する過程で、栽培ヒエが誕生したという考え方が有力になってる。  イヌビエは縄文人の身近に広く豊富に広がっていた。当然、それを食料とする必然があった。そこに穀物の改良栽培の手法が育ち、それを応用活用すると、急速にヒエという穀物が日本列島固有の栽培作物として成長していった。三内丸山遺跡で麦類の種子が出土したと新聞などで報じられたことがあるが、それは野生のササ類の実であったらしい。これまで注目されなかったが、イヌビエなどと共ににササの実も結構採取されていた。クマザサは、やせた稲穂のような「ササの実」をつける。これを飛騨では「野麦」と呼び、往時の人々には、この実を粉にしてダンゴを作り飢えをしのいだという。

 三内丸山遺跡ではキイチゴ・ヤマゴボウ・ヤマグワ・サルナシ・ヤマノイモなどとニワトコの種子が大量に出土した。遺跡からは、土器に大量に詰められたニワトコの果実が発見されており、酒を醸造したのではないかと推測されている。この泥炭層には、発酵する果実に集まるミツバチのサナギも大量に包含されていた。発酵酒が作られていたようだ。

 ヤマゴボウの若葉は、灰汁を抜けば食用になるという。根は多量の硝酸カリを含み有毒とされている。誤食すると脈拍が弱くなったり、血圧が異常に降下し、心臓麻痺を起こすという。若葉にしても、多食するとジンマシンや吐き気・下痢などを起こすそうだ。山牛蒡の味噌漬けなどが、観光地の土産として販売されている。その本体は、ヤマゴボウではなく、モリアザミなどの根だから安全という。


縄文時代の特異な食料

 日本列島は北東から南西に細長く、最北端の北海道稚内から、居住する最南端の島が琉球諸島の石垣島や西表島で、その距離3千kmに達する。その列島南端の東シナ海を起点とする暖流黒潮が北上する。一方、千島列島に沿い南流する冷たい親潮が、北海道から本州三陸海岸に南下する。そのため暖流対馬海流の末端域となる宗谷岬から知床岬のオホーツク海より、根室半島から襟裳岬までの道東海岸の海水温が、日本列島の海域では最寒冷の値を示す。

 その道東海岸地域の縄文前期当時の貝塚や最上部の海成沖積層から、現在の北海道には生息していないが、本州各地の内湾で通常みられるハマグリ・シオフキ・ウネナシトマヤガイなどの貝殻が出土した。北海道西岸と道南海岸までと北限があるアカガイ・アカニシ・カガミガイなども同様で、これら貝類は現在、道東海岸では生息できず、より海水温の高い陸奥湾以南の内湾が北限となっている。

 縄文早期末から前期には、暖流系貝類が北海道の全域に分布していた。それにより縄文早期末葉から前期中葉にかけて、縄文海進が最盛期となり北海道の沿岸の海水温が、最高で23℃、最低が8℃以上であったと推定されている。それ以降の黒潮暖流の後退により、縄文中期後葉から後期以降までに、その殆どが消滅する。

 縄文早期後半の約7,500年前、北海道西岸沿いに北上する対馬海流が、石狩低地まで暖流系貝類を運び込み、約7,200から7,000年前頃、対馬海流は更に北上し宗谷海峡を抜けてオホーツク海に入る宗谷暖流となり知床岬辺りまで暖流系貝類の生息域を広げた。更に宗谷暖流は一気に南東下して知床岬から根室湾を通過し根室半島に至る。やがて太平洋側に出ると当時沖合を流れていた親潮寒流により道東海岸沿いに押しやられ厚岸・釧路・白糠パシクル沼そして襟裳岬へと南下した。約7,000〜5,000年前頃、北海道東海岸に宗谷暖流が流れると、温暖な海岸環境を形成し暖流系貝類を生息させた。一方、対馬海流の支流は津軽海峡を抜け津軽暖流となり道南海岸から襟裳岬にまで達し、さらにその分流は下北半島の東岸から三陸海岸北部に達した。日本列島でも地球規模の温暖化により、縄文草創期から前期にかけて急激な海面上昇と温暖化が進行し、北海道海岸部全域に暖流系貝類を分布させた。

 縄文中期以降、対馬海流は津軽海峡を抜けて、津軽暖流となり太平洋側に出て、道南海岸に達し、一方は本州東岸沿いに南下して三陸海岸の北部にまで及んでいる。対馬海流の本流は日本海を北上し北海道西岸沿いからカラフト西岸に達している。その一部が宗谷海峡からオホーツク海に出て宗谷暖流となって知床岬へ東南下し、そこから廻り込み国後島(くなしりとう)と羅臼付近にまで至っている。対する親潮寒流は千島列島沿いに南下し、根室半島から襟裳岬にかけての道東海岸に流れ、、現在に至っては、本州三陸海岸をさらに南下し東関東の鹿島灘にまで達している。

 縄文時代の発掘貝塚は、今では全国で3千ヵ所を超えているだろう。日本列島のどこの海辺にも当り前のように貝塚が遺存するような事はなく、多出するエリア・限定的なエリア・無出土のエリアがモザイク状に展開している。最も多いのが関東地方で、日本列島全域の6割を超える出土実績がある。その中でも東京湾から奥東京湾沿岸が第一で、それに匹敵するぐらい濃密なのが、現在の霞ヶ浦の西浦・北浦から牛久沼、手賀沼、印旛沼などを包含する広大な内海を形成していた古鬼怒湾(こきぬわん)の沿岸部である。続いて多いのが福島県および茨城県を流れる久慈川と栃木県那須高原を源流にして鹿島灘に流出する那珂川の両流域である。東北地方では、6県合わせても全体の2割弱であるが、特に仙台湾から北上川下流域が突出している。次いで南部三陸海岸・八戸から小川原湖周辺・いわき周辺と太平洋側に片寄る。北海道では内浦湾と奥尻海峡沿岸部に多い。東海方面では遠州灘沿岸と伊勢湾の知多半島から渥美半島にかけて集中している。中国地方では安芸灘から播磨灘の沿岸部に片寄っている。九州では国東半島と関門海峡に突き出た企救半島(きくはんとう)や有明海沿岸部が突出している。

 太平洋側に貝塚遺跡が多出するのは、日本海側よりも貝の生息条件に優れ、それを採取するにも容易な地形的条件を備えていたためである。日本海側にもハマグリは生息している。ただ潮干狩りスポットと呼ばれる場所が極めて少ない。海岸から急に深くなる地形と満潮・干潮の差が太平洋側程大きくなく、遠浅の浜であっても干潮時に干潟が広く露出することが無いからである。

 埼玉県秩父市の橋立岩陰遺跡や高知県佐川町の不動ヵ岩屋洞窟などの縄文草創期や早期の山間部の洞窟遺跡から、海産の貝がしばしば出土する。長野県北相木村栃原岩陰遺跡でも、ハマグリ・ハイガイ・アワビ・タラガイなど発見されている。食料にしては、その量が少ない上に海辺と余りに遠く離れていることもあり、貝殻が装飾品として愛用され、土器に文様を描く用具としても重宝されていたようだ。

 海洋には魚類以外の海生哺乳類が生息している。捕獲には多くの危険が伴うが、一度獲得すれば収量があり、ムラの人々に長期間、広く行きわたる大食料源となった。イルカとクジラは全国で出土しているが、全体として日本の北辺ほど海生哺乳類の種類が増える。日本列島の南端の南西諸島には、大隅諸島・トカラ列島・奄美群島・沖縄諸島・宮古列島・八重山列島・尖閣諸島と少し離れて大東諸島などがあるが、ジュゴンが目立つ。本州と九州ではイルカ、北海道全域ではアシカ・オットセイがいる。北海道の寒流域ではトドとアザラシも加わる。これらは弓矢・石槍・大型銛などで補殺される。獰猛なシャチや巨大なクジラは海岸に漂着したものを捕えたと思われる。

 貝塚や海生哺乳類に縁遠い山国・長野県下の洞窟遺跡から多くの動物遺存体が検出される。南佐久郡北相木村の栃原岩陰遺跡では、縄文早期の押型文土器の時期、イノシシ・ニホンジカ・ネズミ類が最も多く、サル・ウサギ・オオカミ・アナグマ・タヌキと鳥類、ヘビ・カエル・魚・貝類などがあり、人類の獰猛さが認識される。この洞窟から約8千年前、天井から落ちた岩に押し潰された子供二人の骨が発見されている。火山活動や地殻変動も今日と同様多かったようだ。地震により家が倒壊し圧死することは、それほど多くはなかっただろうが、溶岩流・火砕流・土石流や山の大崩落により埋没することは、少なくなかったはずだ。

 上田市真田町長菅平十ノ原の唐沢岩陰遺跡では、クマが一番多いのが特異で、次いでイノシシとニホンジカとなるが、他にカモシカ・カワウソ・アナグマ・タヌキ・ノウサギ・サル類が検出された。茅野市北山の栃窪岩陰遺跡でウサギ・オオカミ・イヌ・タヌキ・クマ・シカ・カモシカ・サルなど、多数の骨が検出されている。鳥類の中趾骨(ちゅうしこつ)もあったが、種類は特定できなかった。イシガイ・オグラシジミ・オオタニシ・カワタニシ等の陸水産の貝と、海水のハイガイ(灰貝)・サルボウガイ(猿頬貝)の二枚貝も混じっていた。ハイガイ・サルボウガイは、おそらく貝殻状痕文の施文具として中部高原の当地まで流通して来たようだ。ヒキガエルの骨片も検出されいる。

 日本人が生業の主な対象としていたのは、イノシシとシカであった。それら動物たちが通う獣道や、その習性を熟知し、それを補殺する手法に優れ、そのための好適地を押さええた集落が縄文時代に先ず繁栄した。深い山に入り込んだ沢と谷、その出口に突き出した扇状地の扇頂、獣たちが下方の沼沢や河川に集まる光景を、日常的に見張られる場所こそ縄文人にとって絶好の集落適地であった。

 縄文人の主食は、種実類(しゅじつるい)と根菜類を中心とした植物であることが、今日では定説になっている。その多くにはエネルギー源となるデンプンが豊かに詰まっている。しかも身近にあって量も多く、老若男女を問わず効率よく採集でき、また貯蔵がきく木の実を地中の竪穴に貯える事は全国的に普及しているが、低温多湿で粒のままの保存であるから、長期に大量に保存しうるものではなかった。冬期でも寒冷地以外は、短期間がせいぜいである。長期には住居の屋根裏にトチ・クルミ・ドングリなどが乾燥保存された。長野県富士見町藤内遺跡(とうない)の九号住居址から、竪穴住居の炉上の吊り棚に貯えられたとみられる多量の栗が出土した。火棚で各種食料の乾燥と燻状貯蔵が日常的に行われていた証である。デンプンを粉にしたり、それをクッキーに加工して保存もしていた。

 日本の製塩は縄文人が発明した。製塩土器は関東地方の古鬼怒沿岸に縄文後期末に登場する。土器で海水を煮詰めるため、より煮沸効果が高い、底が薄く小さな深鉢形の製塩専用の土器が作られている。器面に文様などは施さず内側は水もれを防ぐために丁寧に磨かれている。土器に塩の入った状態で流通した。塩を取り出すときは、土器をわって取り出すため、発掘調査で出土する土器は壊れた状態で見つかる。やがて製塩土器は、宮城県東松島市の鳴瀬町里浜貝塚などから岩手・青森と北上する。備讃瀬戸沿岸部から大阪南部・和歌山に広がるのは、弥生時代の前期後半から中期に掛けてである。

 古来、人々は動物の髄や血などから塩分を自然に摂取していた。縄文時代の塩は食料の保存に使用された。カキやマキガイのむき身を海水で煮込み、水分を蒸発させてから天日干しをして大量の干し貝を作ってきた。身に塩分が濃縮され、そのままでは食用に適さないが、スープや煮込み料理などの固形出汁として極めて優れている。千葉県沿岸部の集落全体で塩分を濃縮した干し貝を生産し、内陸部との交易品としていた。ワラビ・ヤマウドなどの塩漬け保存も長野県の諏訪地方では古くから行われ今日至っている。塩味に乏しい獣肉やドングリ・クッキーと一緒に食すれば縄文時代の豊かな食文化が広がる。

 縄文時代には、既に現在まで継承されている食材の保存方法が確立されていたようだ。魚を頭まで腹開き、あるいは背開きにし、内臓を取り除いて海水で洗浄し、そのまま一晩漬けるか、半日ほど風に当てながら日干しにする。火で炙り火干にする方法などもある。イワシ・アジ・イカナゴ・エビ・アワビ・ナマコなど小形魚であれば煮てから干す煮干しと、それらを蒸してから干す蒸し干し、海水で魚を煮る塩煮、魚から抽出した魚油に漬け込むなどして保存した。煮たり焼いたり蒸したりするが、縄文時代を通して基本的には乾燥保存であった。当然、干し肉や燻製肉があり、製塩が普及すれば塩漬けも登場する。縄文時代の民族は、現在に至るまで、あらゆる生活場面で原初的存在であり続けた。

 以上が縄文人の定番となる食材で、他にも現代人同様、種々雑多なものが食べられていた。タコには骨が無く遺存しないが、イカ同様美味しい食料である。千葉県市川市堀之内の堀之内貝塚は、縄文後期前半から貝塚文化衰退期の縄文時代晩期にかけて営まれた遺跡で、今から約4,000〜2,000年前にあたる。アサリ・ハマグリ・イボキサゴ・クロダイ・スズキ・エビ類・イノシシ・ニホンジカなどを捕食していた。ここからイカの甲羅がたくさん出土した。甲羅が遺存しないコウイカ・コブイカなども食べていただろう。千葉県館山市浜田の鉈切洞窟(なたぎりどうけつ)では、アワビやサザエなどの貝類68種が出土するが、ガザミ(ワタリガニ)は、一般的な食用蟹で、晩春から初冬まで、冬以外はほぼ季節を問わず漁獲されていた。ズワイガニなどに比べるても味に遜色なく、殻もわりと薄くて食べやすい。鉈切洞窟人は体重200kg、甲長1.2mを超えるアカウミガメを、その卵を含めて食料としていた。アオウミガメは卵も含め食用になり、ウミガメの中でも、もっとも美味とされ、特に腹甲の裏に付いた腹肉(カリピー)が珍重された。味は鶏肉と遜色なく、どちらかといえば珍味の類という。

 サワガニは長野県の栃原岩陰遺跡で多い。スッポンも滋賀県大津市石山寺の石山貝塚から、縄文早期の7,000〜8,000年前のサル・イノシシ・シカなどの獣骨やコイ・フナなどの魚骨と共伴した。

 他にもバフンウニ・ムラサキウニなども食されている。現在の日本ではヘビを食べる習慣は廃れたが、近年までは、日本でもマムシやシマヘビなどをよく食べていた。江戸時代まで、偏向した仏教教義により、表向き獣肉を忌避していた世情、庶民はガマカエルの筋肉が発達した脚を食べ応えがあり、しかも極めて味覚でもあり頻繁に食べていた。ヘビやガマカエルなどは、庶民の間では貴重なタンパク源のひとつとして重宝されていた。

 日本列島のサルの主要な食料源は、意外にも昆虫を捕食することにあった。同様、人類学史研究において、イモムシ・ウジ・トンボ・セミなどの虫類が、人類の好物であったと考えられている。長野県の伊那市などの天竜川の清流域に住むクロカワムシ・カワゲラなどの水生昆虫の幼虫を餌にする昆虫を総称してザザミシと呼ぶ。伊那地方では、ザザミシ・イナゴ・ハチノコ・カイコなどを食べていた。現代でも主に佃煮や揚げ物などにして稀に食している。恐らく近世以前、下手物食いなどの表現が、庶民レベルではありえなかった風俗の名残であった。

縄文時代のトチの実料理

 トチの実は、渋味が強く、灰汁を抜くのが大変だ。それでも縄文時代から今日まで採集され続けられてきた。

 木の実の殆どが隔年毎の豊凶に左右されるが、トチの実は安定的に採集できた。その灰汁抜きに、木の灰を使うが、ワラビのように単純な作業では食しえない。そんな面倒な事までしても、日本では古代から主要な食料としていた。なぜ餅にトチの実を入れたのであろうか。それは味もさる事ながら、餅が冷めても硬くならないからである。これは、冷蔵庫・電子レンジ・保存剤がない時代、かけがえのない当座の食べ物であった。それで、これほど迄にも灰汁の強いトチの実を、苦労して加工保存する事が全国的に広まった。

 トチの木は、東北地方や北海道南部に多いが、四国・九州にも自生する。縄文時代の生業は、旧石器時代の狩猟・漁労をより進化させ、加えて土器の創造により灰汁抜き技術を向上させ、植物採集を生業の主要基盤にまで高め、長期間の定住生活を可能にした。トチやドングリなどの堅果類が安定的な食料資源として急浮上した。その成果により長期の定住生活が保障され、縄文時代の1万年を超える長年月、それを支える文字通りの原動力となった。最近、開発された古人骨の炭素・窒素同位体分析によれば、千葉県船橋市古作の古作貝塚人(こさく)は、蛋白質の約30%、カロリーの約80%を堅果類に依存していた。これは他の貝塚人にも、ほぼ当てはまる結果であった。

 三内丸山遺跡で先述したように、千年を超え、永続的にしろ、断続的にしろ、定住すれば、住居の建材・薪材・その他の道具材などの用材として、周囲の落葉広葉樹林帯や照葉樹林帯の濃密にして深い森林は伐採され消尽された。東日本に限れば、多くのブナ・ミズナラなどの極相林は伐採され、その後地にクリ・クルミ・トチなどを植生する人為的な二次林が形成された。それにより直射日光を好む陽性植物の最たるヤマウド・ワラビ・ゼンマイ・フキ・クズ・ヤマイモ・ギボウシ・アマドコロ・ツリガネニンジンなどを繁茂させた。その自然界の現象が、縄文人の知識として伝承された。自然に積極的に働き掛ける事こそ、多くの付加価値を伴う生産性の向上に繋がり、同時に管理栽培の有用性を知らされ、縄文前期からリョクトウ・ヒョウタン・エゴマが積極的に栽培され、縄文晩期にはソバ・コメなどが栽培植物として浮上してきた。

トチ餅の作り方

 1 集めたトチの実は、天日で乾かす。トチの実は、拾ってから1年間かけて十分に乾燥させて保存し、トチ餅にして食べたい時に、その必要量だけ取り出して調理するのが原則である。

 2  トチの実を水にさらし、灰汁を抜く作業は、信州では2月から行う。どういうわけか、水が冷たい時期でないとうまくアクが抜けない。その理由は現代でも分っていない。ただ水に漬ければ、アクを抜くのと同時に、厚くて堅い皮を柔らかく剥くことができる。

 3  トチの実を沸騰させない程度、90度℃位に保ちながら火にかけ、5分間ほど炊き皮を軟らかくして、皮をむく。熱い状態で、1つづつ皮を剥くのがが大変な作業となる。カシの木を2枚合わせたもので押し割る。この道具の名前を「トチオシ」とか「クジリ」と呼んぶ。当然地方各地で呼称は異なり、その方法も変わる。

 4 むいたトチの実を網に入れ、川水に5日から1週間程さらす。

 5 トチの実とたっぷりの水を土器に入れて2〜3時間煮る。

 6 水9カップに、木灰を15カップほど入れてこね、この中に5の熱いトチの実を混ぜ込み、3日間落ち着かせる。

 7 取り出したトチの実を川につけ、灰を洗い流す。

 8 米と混ぜて蒸す場合の割合は、昔はトチの実1に対し、もち米1であったが、今では1対2が多いようだ。縄文時代、粟との比率は、各住居の伝承で様々である。

 9 石皿に載せ餅状につく。そのための石棒であった。

10 石皿にトチの粟餅を敷き、そこに蒸した胡桃・栗の餡を入れる。炉で焼く。トチの実のほろ苦さと香りが食味をそそる。


 灰汁抜き後のドングリ・トチの実はすりつぶして団子状で調理した。まず木の実を、すりつぶし、団子状に練ったものを石皿にのせて焼き、できれば練る際に、鹿の骨髄液を入れた。塩味が加わり、栄養価も高くなり、格好の保存食にもなった。その「縄文クッキー」が発見された遺跡も多い。

縄文時代の「落し穴」遺構

 槍・弓矢・鉄砲と狩猟具は進化したが、狩猟の相手の習性は変わっていないようだ。従って縄文時代以降、狩の方法も変わっていない。猟に最適なのは、冬期である。雪に残された獣や山鳥の足跡で動きがつかめる。ヤマドリ・キジ・キジバトなどは、山の中腹・谷筋・沢沿いを飛び交い木の実と新芽をついばむ。そこにキビやアワを撒き、ススキ・カヤを束ねて隠れ蓑にしてじっと待機し弓矢で射る。

 通常、犬を使用する。先ずは犬を伴ない、ヤマドリが好んで生息して所へ連れて行く。犬はヤマドリの臭いを嗅ぎ分け主に教えてくれる。ヤマドリは 犬に射すくめられて、飛び立てない。準備が整い次第、犬をけしかけると、ヤマドリは慌てて、ゴトゴトと言う羽音を響かせ飛び立つ。すかさず弓矢で撃ち落す。

 紅葉の時期、諏訪湖に渡来するガン・カモが、宮川から釜無川へと飛来する。カモはドジョウを餌にして、川魚同様に釣り上げた。縄文早期以降の遺跡である長野県茅野市北山の柏原の北端・音無川右岸の栃窪岩陰遺跡の出土例によれば、殆どがシカで次いでイノシシになる。それ以外に、ニホンザル・タヌキ・ノウサギ・オオカミ・クマの骨が順であった。他にはキツネ・テン・イタチ・アナグマ・カワウソ・リス・ムササビ・ネズミ類・モグラ類が検出された。南佐久郡の北相木川のほとりにある栃原岩陰遺跡では、5m以上になる縄文早期の堆積層から大量の200km超の獣骨が出土した。圧倒的に多いのがシカで、イノシシ・ニホンザル・ノウサギ・カモシカ・ツキノワグマなどが検出された。鳥類はキジ・ヤマドリが主で、ハシボソガラス・オオコノハズク・オシドリ・カルガモ・キジバトがあり、イヌの犬歯も出土した。夏の季節、霧ケ峰・八ヶ岳を駆け巡るのは、涼しく最適で、アナグマ・シカ・イノシシ・キツネ・タヌキ・ウサギ・イタチなど、あらゆる技術と知恵を使って捕獲に努めたのであろう。 シカの捕獲には、勢子と犬の協力が必要だ。イヌに追われ急斜面や崖を下るシカは、臭いを消すため川筋に逃れる。そこで待ち構えて頸部を射る。一方、イノシシは外皮が厚く、皮下脂肪にも覆われている。皮が一番薄い頸動脈を射なければ補殺できない。そこで罠猟が工夫された。

 宮坂氏が始めて「落し穴」遺構を発掘した経緯は、昭和40年前後から日本全土で観光開発が一段と促進され、東洋観光事業(株)が、茅野市城の平に(そこはピラタス・ロープウエイと蓼科湖の間の雑木林)スポーツグランドを設営するため、表土を約1.5m削ると、火山灰地の赤土層のところどころに黒土の面が現れた。宮坂氏はその連絡を受けて、同年10月17・18の両日、黒土を排除し、結果小竪穴23ヵ所を発見した。そこには、棒の先端で掘った痕跡が見られた。

 竪穴は長径のもので最大1.8m、短径では最小0.7m、深さは地表から1.6mの長楕円形で、その穴の側壁・底面に5から2個の小孔があった。宮坂氏は、陥穽の中の小孔は、棒の先を尖らしてそこに差込み、鹿・猪が落ちた勢いで刺し貫く工夫とみた。
 
 宮坂氏は、この猪・鹿の陥穽(かんせい)遺構を23基発掘した。この三方を山に囲まれた小盆地から、集団による追い込み狩猟が行われたと考えた。考古学上、初めて「落とし穴遺構」として認識したうえでの検証であった。この発見が、「池のくるみ」から流れ、上川に注ぐ源流、桧沢川沿いのジャコパラ遺跡の陥穽遺構発掘の参考となり、その後、八ヶ岳西南麓では12ケ所の遺跡で、43基の陥穽遺構発掘の成果に繋がった。

 落とし穴遺構は、山間部でも特に人里離れた場所に設けられた。関東地方では縄文早期と前期、東北地方では中期から晩期、北海道では中期から後期に多い。それを遡り長野県諏訪市の霧ヶ峰ジャコッパラや茅野市城ノ平、静岡県の箱根と愛鷹山麓などの落し穴遺構の発見により、旧石器時代の重要な罠猟の一環と知られている。環状石器ブロック内に集落を築き居住する数家族が一集団となって、ナイフ形石器を槍の穂先に装着し動物を落とし穴に追い込む「集団による追い込み狩猟」が行われていた。赤城山麓の群馬県伊勢崎市下触町の下触牛伏遺跡の発掘などにより、大きな環状石器ブロック群内で同時に100人を超える多くの人々が集落をなし、生活を共にするムラ社会が形成されいた事が分かった。その目的がナウマンゾウ・オオツノシカなどの大型動物の「集団による追い込み狩猟」であったようだ。

 通常、落とし穴に逆茂木を立てて傷を負わせ、更に穴幅を狭くし、一度落ちれば嵌り抜け出せないようにしている。獣道を調査し、それぞれに落とし穴を設けたり、それを多数並べて、そこに犬を使い追い込む猟がなされていた。柵などを備え動物を落とし穴に誘導するなどもした。また、落とし穴が分布する周辺から、拳大の石が多数出土している。落とし穴にとらわれた獣に投擲をあびせて殺したようだ。

縄文時代の鳥の捕獲方法

 諏訪湖周辺には、原始・古代からの遺跡が多数、しかも重層的に分布している。ところが貝塚とまでいえるものが殆どない。下諏訪町の高木殿村遺跡では縄文中期の中頃の竪穴住居の脇に貝塚があった。藤森栄一は『縄文の世界』(講談社)で「大きさは2m×3m、1個のイケシンジュガイの貝殻をのぞくと、他はすべてオオタニシであった」と記す。

 長野県岡谷市川岸三沢の熊野神社境内遺跡は、諏訪湖から約1km下った扇状地の扇央付近にあり、標高は約770m、天竜川との距離200m余り、その比高20m足らずにある。その貝塚から加曾利B式土器が共伴しており、縄文後期中葉という時期が推定される。その発掘当時の一葉の写真に、土に埋もれ累々と重なるオオタニシの貝殻とその上に横たわる鹿と思われる大きな獣骨が写されてあった。

 遠浅の海岸近くの入江や浜に貝塚が最も多いが、それ以外の地域でも福井県若狭町の三方湖の鳥浜貝塚、淡水湖の琵琶湖最南端にある粟津湖底遺跡の貝塚などが特徴的であり、むしろ各種、重要な遺物の出土で有名になっている。藤森栄一は、諏訪地方に貝塚がまれなのは、シジミの好む砂地やタニシが棲む泥土が発達していなかったからという。

 素直に解すれば、八ヶ岳西南麓・諏訪湖盆地方を潤してきた狩猟・漁労・植物採集などで、十分に生業を全うする事ができたからである。特にドングリ・クルミ類の炭水化物は、極めて栄養分に富む優れたエネルギー源となった。その熱量の割に消化器への負担が軽く、生命を長く保てる効能もあった。穀物一般の炭水化物は、妊婦が過剰に摂取しても胎児に悪影響を及ぼすタンパク質が少なく、むしろ妊娠中の栄養源として極めて優良で、結果的にその出生率を向上させた。灰汁抜きしたドングリなどを粉状にし離乳食とすれば、乳幼児の健康維持に貢献し、また疾病率と死亡率を抑え、ために妊婦の負担が軽くなり、女性の受胎能力を高め、結果、出生数を増やした。より健康的な栄養源として縄文人の余命をも延ばした。

 冬期が長く、しかも厳しい八ヶ岳山麓では、鹿・猪・狸・兎・狐もそれに耐えている。この時期狩るほうも、狩られるほうも耐え忍ぶ事が多く動きは鈍いくせに、両者共、食料が不足しているため活動範囲が広く痕跡が濃密となり、獲物の足跡は雪上にくっきり残り、その種別も明らになる。
 
 通年の重要なたんぱく質源として野鳥がいる。鳥には渡り鳥と留鳥がいる。また地形により山岳から内陸部の原野に雉が、湖沼周辺には雁・鶴・白鳥などの鴨類などが、海岸部ではウミガモ類が、岩礁地帯ではヒメウ・ウミガラス・ミズナギドリなどがいる。身近な狩猟対象でありながら、縄文時代の遺跡からは出土例が少ない。当然、各種捕獲方法を工夫し補殺していたが、骨が細く柔らかいため食べ尽くされていたようだ。

 仙台平野北部は、縄文時代でもガン・カモ類の飛来ルートであった。この地方の貝塚遺跡から鳥類の骨が多量に出土している。その種類が多く豊富であるため生業の中核であったといえる。ウミガモ類は漁網にかかる場合が多く、他の鳥類は、林間に霞網を掛け捕獲していたようだ。鳥の卵は、たんぱく質・カルシウム・鉄分など、ビタミンCを除くほぼ全部の栄養素が含まれている。その殻が残らないため考古学的に論評されていないが、当然、積極的に採集していたと考えられる。

 鳥を捕獲する方法として、鳥餅(とりもち)を使う方法・網を使う方法・弓矢を使う方法などがある。網を使うと言えば、魚網と併用したか、それ用に独特の工夫をしたか定かではない。ただ網が無ければ獲りにくい小型の魚が貝塚からしばしば発見されている。多量に出土する縄文期の土錘・石錘は通常、網の錘と考えられる。その魚網の技術を、鳥の捕獲用に改良し転用していたようだ。

 網の素材はシナの木の樹皮を原料にしたのであろうか?聖高原で有名な東筑摩郡麻績村(おみむら)は、茅野市の尖石集落から見れば和田峠を越えた北側になる。その地名が「麻を紡ぐ」に因むとなれば、麻糸かもしれない。布の製作には、糸を拠る工程後に布にする加工が伴う。

 動物の腱や植物の繊維は、撚りをかけて糸にしなければ丈夫にならない。土器片や粘土製円板の中心に穴をあけた有孔円板が、繊維に撚りをかける紡錘車ではないかとみられている。諏訪郡富士見町では、井戸尻遺跡と大花北遺跡から、縄文後期に属する算盤玉の形をした紡錘車が出土している。秋田県南秋田郡五城目町上樋口の中山遺跡から出土した縄文晩期に属する布の糸は、0.5mm〜1mmと極めて細い。

 細い糸から編まれる縄類は、繊維を撚り合わせて太くし実用化するもので、細い方から紐・縄・綱と呼ばれる。縄文早期の土器の底から網代圧痕があられることから、網代は杉・檜・ヒバ・椎などの樹皮、笹類、ネマガりダケの竹類、スゲ・ガマなどの植物の茎、ブドウ・アケビ・マタタビ・フジなどの蔓を使って編まれていようだ。網代の名の由来は、川の瀬に魚を捕るため竹や木を編んで網の代りに立てられた漁法から名付けられたという。

 縦糸と横糸をからめたのが編布(あみぬの)であり、縦糸と横糸を交差させたのが織布(おりぬの)である。山形県東置賜郡高畠町の縄文前期後半の押出遺跡から出土した手網・北海道小樽市の忍路土場遺跡(おしょろどば)のたも網の枠や、青森県の三内丸山遺跡からは、縦横の糸を1本ずつ交差させて織っていく典型的な平織の布片が発見された。

   犬を使う「キジ突き網猟」がある。猟場は木立が閑散としている草原や、河川敷が好都合のようだ。長い柄の広幅が大きい手網を担ぎ猟犬と猟場に出掛ける。優れた猟犬は認定が速く、しかも素早い。ターゲットにされた雉は、逃げる間を失い、雑木のそばの草藪に射すけまれて動けなくなる。猟犬は目視せず、3m先の臭いをポイントしているので、互いにこの状態でどちらも動かない。猟犬の習性として、飼い主の指示が無ければ直接襲わない。その訓練は猟師がするのでなく、猟犬たる母親と仲間の猟犬が実地で教えるという。この状態で網手は、ターゲットに静かにゆっくり近づきながら、雉を目視する位置まで近付き、雉の頭の向きを確認すると、じわりじわり近寄り何時飛び立たれても良い構えをしながら雉の頭方向から一気に被せようとすると、犬も興奮し跳び込み、雉は頭方向から網の中に入り暴れまわる。

 今でもよく使われる「無双網(むそうあみ)」の方法を使えば、比較的簡単に鳥を捕獲できるようだ。地面に伏せておくか、地面より1m位高さに網を張り、鳥がおとりや撒き餌に誘われて地面に降りたったとき、離れたところから綱を操作することにより、鳥にかぶせて捕獲する。

 朝になると巣から餌場に飛び立ち、夕方になると餌場から巣へ帰ってくる鳥には、決まった飛行ルートがある。その一定の場所に網を張る方法の他に、両サイドに木の棒を取り付けて、上空を鳥が横切ろうとする時にタイミングを合わせて放り上げ、網で絡め獲る。古代から、竹竿に少し細工をして飛ぶ鳥をたたき落とすという捕獲法もあったようだ。

 鳥餅は、野鳥等を捕獲するには、熟達すれば極めて有用で、現在では禁止されている。野鳥がとまる枝につけ、足などにくっつき飛べなくする粘着性の物を使う。鳥餅の材料は、ヤマグルマ(山車)・モチの木から採取する。

 これらの木の樹皮を使い、樹皮を剥いで外皮を取り水につけて腐らせ、ついて砕いて水で洗うと赤褐色をしたゴム状のモチが残る。これを野鳥の止り木や、木の先につけて、鳥が来そうな所へ置いておく。  

 キジ笛を使用する方法も現在では、狩猟鳥獣を必要以上におびき寄せることになり、鳥獣の多獲につながることから禁止されている。キジ笛の利用は意外に効果的だそうだ。キジや山鳩は通常、人影を見ても直ぐ飛び立たず、ヒョコヒョコと跳ねて逃げていく場合が多い。一度、キジ笛で引寄せれば、弓矢や投げ網などの餌食になりやすいという。
 
 上川の川面には、マガモ・コサギ・カワウ・カイツブリなどの水鳥が多く、見るからに弓矢で狙いやすそうにみえる。霧ケ峰には、カッコウ・ウグイス・キツツツキ・キジ・アトリ・カシラなど種類は豊富である。その周辺の山々を歩いて気付くことは、霧ケ峰山中の野鳥達は、間近に近づくまで逃げない。なぜか何度も近くに飛び寄ってくる。野鳥達も知っている。今では、人類は自分たちにとって無害であることを!


”エゴマの灯”

 旧石器時代から火は使用している。しかし肝心な火起こしを立証できる道具が出土していなかった。北海道小樽市の忍路土場遺跡(おしょろどば)と滋賀県大津市の滋賀里遺跡で、それぞれ縄文後期と晩期の火鑚杵(ひきりぎね)とおもえる木の棒と火鑚臼として使われていた板が発見された。板に穴を開けてその上に棒の先がはまるほどのくぼみを作る。くぼみに棒の先を差し入れ、高速で回転させる回転摩擦式発火法である。1万年を超える文化であれば、両手で回す錐揉み式(きりもみ) ・紐を使う紐錐式(ひもぎり) ・小型弓を使う弓錐式(ゆみぎり) など多様な技術が活用されていただろう。

 その火口(ほぐち)には、日本古来からガマの穂が使われていた。車山・霧ヶ峰・八島ヶ原高原などでは、葉場山火口(はばやまぼくち)の葉裏にはえている白い綿毛を乾かしたものを、火打ち石から火を起こし移し取っていた。その火種は、それぞれの住居家内で食事の度ごとに、火を起こす余裕がないから、家内の炉に埋められ、炭状に焼け木杭(やけぼっくい)を保存していた。

 福井県の鳥浜貝塚からは、縄文前期の地層から「エゴマ」と大麻(おおあさ)の種実が出土した。同時に、生活財としての縄や綱も検出された。

 韓国では大麻の幹に潰した「エゴマ」の種子を塗布し、これを乾かしたものの先端に点火し、「灯」として使っていた。鳥浜貝塚から出土した「エゴマ」は種子を食用とし、また搾った油を「灯」に利用していた。

 エゴマはゴマのように食べられていた。またその実から油がとれるので、江戸時代まで瓦灯用の明かりとして使われいた。縄文時代、既に釣手土器がランプとして使われていた。一方、魚油の臭う明かりも、漁村では当り前であったが、次第に江戸期末期以降に徐々に衰退した。

 古代、日常生活のための明かりは、炉の明かりで済ましていた。ただ緊急時の明かり、神事を行うための明かり、神にささげる明かりの火種は、魚油・獣脂・松脂などの樹脂と「エゴマ」であった。

 エゴマには、もう一つ大切な使われ方があった。それは漆器を作る時に、なくてはならないウルシを溶く油であった。縄文前期には、既に漆塗の技法があり、エゴマの油もウルシ塗りのときに使われていたと考えられる。

 縄文人は、その生活環境に合わせ創意工夫を加え、自らの暮らしを豊かにしょうと、あらゆる局面で努力している。それは、青森の三内丸山遺跡、そして鳥浜貝塚の遺跡などを通して知ることができる。

 そこに麻が遺存することは、身にまとうものとして、「アカソ」の繊維とともに使われていたことと、更に「エゴマ」と同時に出土していることから、この「エゴマ」が麻とともに明かりを灯すのに使われていたと推測できる。

 中世末期に非乾性油の菜種油が普及するまでは日本で植物油と言えばエゴマ油であり、瓦灯の灯火にもこれが主に用いられていた。しかし、菜種油が普及する江戸末期には、ほとんどが菜種油を使うようになった。行燈(あんどん)は、油皿に灯芯を入れて灯した。油壺に継ぎ足し用の油を入れていた。次第にエゴマ油の利用が減少し、乾性油としての特種性を生かして油紙・合羽・番傘などの塗料用など用途が限られていった。現代でも、依然として、自然に優しい塗料の代表として、無毒無害な木部用の仕上塗料・オイルフィニッシュとして根強い支持がある。韓国では、エゴマの葉は、ナムルなどの家庭料理には欠かせない食材で、日本よりも幅広く使用されいる。

 藤森栄一は、井戸尻遺跡群の釣手土器を「神の火を灯すランプである」と評した。残念ながら灯火の燃料まで分析していなかった。
http://rarememory.justhpbs.jp/suwajyou6/suwa.htm#
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c21

[近代史5] 日本の料理 中川隆
19. 中川隆[-8985] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:09:33 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[46]
食事を変えれば腸内細菌の種類はたった一日で変化する
 
有名な話だが、パンダには竹や草などに含まれる食物繊維(=セルロース)を分解できる酵素の遺伝子を持っていないことが分かっている。本来、肉食動物の腸を持つパンダが、どうして竹や笹だけを食べて生きられるのかというと、それは「腸内細菌」がセルロースを分解し、タンパク源やエネルギーをつくりだしているからだ。

それでは、当初肉食であった動物が、草食に移ることなど可能なのだろうか?
食生活と腸内細菌に関する記事があったので紹介する:


病気や免疫に関わる腸内細菌の種類は食事内容により一日でガラリと変化する:米研究


腸内細菌についてはIRORIOでも数多く紹介してきた。肉体や精神の健康は、腸内細菌と密接な関わりがあり、果てにはわれわれの思考にまで影響を及ぼすことが明らかになっている。以前、

「腸内細菌は両親から受け継がれ、生涯変わることはない」
http://irorio.jp/kondotatsuya/20130707/67934/

という研究結果をお伝えしたが、今回の実験はそれに疑問を投げかける結果となっている。

なんと肉食から菜食へ、菜食から肉食へと食事内容を変えるだけで、腸内細菌の種類は大幅に変化した。それも変化は一日という早さで起こることが確認されたのだ。

「変化は細菌の種類だけではなく、それらの活動に伴う遺伝子の発現にも変化がみられた。腸内微生物はわれわれの食事内容に大きく反応するのかもしれない。そして以前考えられていたよりもこの反応は短い時間のうちに起こる」

と、説明するのは米デューク大学ゲノムサイエンス研究所のローレンス・デーヴィッド。何兆という腸内細菌が人間の体内に住みついており、それらは消化、免疫、体重変化にも大きく関わっていることが明らかになっているが、今回の結果は
「人の健康を語るにおいて何を意味するかはまだわからない」そうだ。

実験は、21歳から33歳までの男性の被験者6人と女性の被験者4人を対象に行われた。最初の4日間は普通に食事をしてもらい、次に5日間ずつ完全肉食か完全菜食だけをしてもらい、それぞれ腸内細菌を採取した。

肉食の内容は
「朝:卵にベーコン、昼:リブやブリスケット、晩:サラミ、生ハム、チーズ、おやつには豚の皮を揚げたもの」、

菜食の内容は
「朝:グラノラ、シリアル、昼:米に玉ねぎ、トマト、ズッキーニ、にんにく、グリーンピース、レンズ豆などを調理したもの、夜:昼と似たようなメニュー、おやつにはバナナとマンゴー」だった。

結果は、肉食をした場合、22種類の細菌の増殖に拍車をかけ、菜食をした場合は3種類の細菌が増殖した。

驚くべきことは、腸内細菌の種類が一日という早さでシフトしたことだ。

これが健康にどう影響するのかは定かではないが、肉食では肝臓が脂肪を分解するのに胆汁酸を分泌するので、それに強い細菌が増殖するのは説明がつくという。逆に菜食により増殖した細菌は食物繊維を分解するのに特化したものだと考えられている。

研究者らは、高脂肪食と関連している潰瘍性大腸炎とクローン病が、腸内細菌の迅速なシフトにより説明がつくかもしれないとコメント。実際にマウスの研究では、胆汁酸の環境で増殖するBilophilaという細菌が炎症性腸疾患の原因となることが確認されている。しかし、これを断定するにはさらなる研究が必要とのこと。研究結果は『Nature』で発表されている。
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腸内細菌の種類が食事によって日々変化するとすれば、パンダの食生活が変わったのは、笹を食べたことによって腸内細菌の変化したからではないだろうか。人間も腸内細菌をコントロールすれば、食生活・食文化が変わっていくかもしれない。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=291278
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c19

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
22. 中川隆[-8984] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:10:01 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[47]
食事を変えれば腸内細菌の種類はたった一日で変化する
 
有名な話だが、パンダには竹や草などに含まれる食物繊維(=セルロース)を分解できる酵素の遺伝子を持っていないことが分かっている。本来、肉食動物の腸を持つパンダが、どうして竹や笹だけを食べて生きられるのかというと、それは「腸内細菌」がセルロースを分解し、タンパク源やエネルギーをつくりだしているからだ。

それでは、当初肉食であった動物が、草食に移ることなど可能なのだろうか?
食生活と腸内細菌に関する記事があったので紹介する:


病気や免疫に関わる腸内細菌の種類は食事内容により一日でガラリと変化する:米研究


腸内細菌についてはIRORIOでも数多く紹介してきた。肉体や精神の健康は、腸内細菌と密接な関わりがあり、果てにはわれわれの思考にまで影響を及ぼすことが明らかになっている。以前、

「腸内細菌は両親から受け継がれ、生涯変わることはない」
http://irorio.jp/kondotatsuya/20130707/67934/

という研究結果をお伝えしたが、今回の実験はそれに疑問を投げかける結果となっている。

なんと肉食から菜食へ、菜食から肉食へと食事内容を変えるだけで、腸内細菌の種類は大幅に変化した。それも変化は一日という早さで起こることが確認されたのだ。

「変化は細菌の種類だけではなく、それらの活動に伴う遺伝子の発現にも変化がみられた。腸内微生物はわれわれの食事内容に大きく反応するのかもしれない。そして以前考えられていたよりもこの反応は短い時間のうちに起こる」

と、説明するのは米デューク大学ゲノムサイエンス研究所のローレンス・デーヴィッド。何兆という腸内細菌が人間の体内に住みついており、それらは消化、免疫、体重変化にも大きく関わっていることが明らかになっているが、今回の結果は
「人の健康を語るにおいて何を意味するかはまだわからない」そうだ。

実験は、21歳から33歳までの男性の被験者6人と女性の被験者4人を対象に行われた。最初の4日間は普通に食事をしてもらい、次に5日間ずつ完全肉食か完全菜食だけをしてもらい、それぞれ腸内細菌を採取した。

肉食の内容は
「朝:卵にベーコン、昼:リブやブリスケット、晩:サラミ、生ハム、チーズ、おやつには豚の皮を揚げたもの」、

菜食の内容は
「朝:グラノラ、シリアル、昼:米に玉ねぎ、トマト、ズッキーニ、にんにく、グリーンピース、レンズ豆などを調理したもの、夜:昼と似たようなメニュー、おやつにはバナナとマンゴー」だった。

結果は、肉食をした場合、22種類の細菌の増殖に拍車をかけ、菜食をした場合は3種類の細菌が増殖した。

驚くべきことは、腸内細菌の種類が一日という早さでシフトしたことだ。

これが健康にどう影響するのかは定かではないが、肉食では肝臓が脂肪を分解するのに胆汁酸を分泌するので、それに強い細菌が増殖するのは説明がつくという。逆に菜食により増殖した細菌は食物繊維を分解するのに特化したものだと考えられている。

研究者らは、高脂肪食と関連している潰瘍性大腸炎とクローン病が、腸内細菌の迅速なシフトにより説明がつくかもしれないとコメント。実際にマウスの研究では、胆汁酸の環境で増殖するBilophilaという細菌が炎症性腸疾患の原因となることが確認されている。しかし、これを断定するにはさらなる研究が必要とのこと。研究結果は『Nature』で発表されている。
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腸内細菌の種類が食事によって日々変化するとすれば、パンダの食生活が変わったのは、笹を食べたことによって腸内細菌の変化したからではないだろうか。人間も腸内細菌をコントロールすれば、食生活・食文化が変わっていくかもしれない。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=291278
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c22

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
23. 中川隆[-8983] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:10:46 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[48]
人間の脳の大型化、果物が後押しか 研究
AFP=時事 3/28(火) 8:40配信

ドイツ・ベルリンで開かれたフルーツ見本市で展示されたフルーツ(2017年2月8日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News


【AFP=時事】現在最も手軽に食べられるおやつ、果物のおかげで、人間は大きくて強力な脳を発達させることができた可能性が高いとの研究論文が27日、発表された。

【関連写真】フルーツ入りのケーキを食べるゴリラ

 果物を食べることが、植物の葉などの最も基本的な食料からの重要な進歩となり、より大型の脳を成長させるのに必要なエネルギーを提供したと、研究チームは主張している。

 論文の責任著者で、米ニューヨーク大学(New York University)の研究者のアレックス・デカーシエン(Alex Decasien)氏は、「このようにして人間は、これほど非常に巨大な脳を手に入れ」、「食物の質を大幅に拡大して今の食事につながっている」と語った。

 米科学誌「ネイチャー・エコロジー・アンド・エボリューション(Nature Ecology and Evolution)」に発表された今回の研究では、霊長類140種以上の主食を調査するとともに、霊長類の食べ物が最近の進化の間にそれほど大きく変化していないと仮定した。

 研究によると、果物を食べる霊長類は、葉を主食とする霊長類よりも約25%大きな脳を持っているという。

 より大型の脳は、複雑な社会集団の中で生存、繁殖する必要に迫られて発達したとする説が、1990年代半ばから主流となっているが、今回の結果はこの説に疑問を投げかけている。

 集団の中で生き抜くという難題は、知能を高める一助となった可能性はあるが、霊長類の社会生活の複雑さと脳の大脳皮質(灰白質)の大きさとの間には何の関連性も認められないと、デカーシエン氏は指摘した。

 脳の大きさと強く相関していたのは、果物を食べることだった。

 果物などの食物は、葉などの栄養源よりも豊富なエネルギーを含んでいるため、より大きな脳を発達させるのに必要な余剰エネルギーを生み出す。

 同時に、果物が実る植物の種類やその木が生えている場所、果実をこじ開ける方法などを記憶することが、霊長類が大型の脳を成長させる助けになった可能性がある。

 また、脳が大型なほど、脳の機能を保つのにより多量のエネルギーを必要とする。

「人間の脳は体重の2%なのに、全エネルギーの25%を消費しているというのは、周知の事実だ」と、デカーシエン氏は述べた。「脳は、非常に高くつく臓器なのだ」
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c23

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
24. 中川隆[-8982] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:12:23 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[49]
チンパンジーが好きな肉は脳? 初期人類も同様か
04月16日 08:00ナショナル ジオグラフィック日本版
https://news.goo.ne.jp/article/natgeo/world/natgeo-00008fqU.html

 タンザニアのゴンベ国立公園は、1960年にジェーン・グドール博士がチンパンジーの研究を始めた場所として知られる。あるとき、この公園の森を移動していたチンパンジーの群れが、アカコロブスというサルの群れに出くわした。

 チンパンジーたちはアカコロブスの様子を観察し、やがて狩りが始まった。彼らは叫び声をあげてサルに襲いかかり、サルが木から落ちてゆく。まさにカオス状態だ。公園内に設置されていたビデオカメラが、その一部始終をとらえていた。

 研究チームを率いる米アリゾナ州立大学の人類学者イアン・ギルビー氏は、公園内のカセケラというチンパンジーの群れがどのように肉を分け合っているかを調べるために、そのメンバーを撮影していた。

 後日、録画されたビデオをチェックしていた彼は、獲物が赤ちゃんザルや子ザルなどの未成熟な個体だった場合には頭を先に食べるが、おとなのサルを頭から食べることは滅多にないことに気づいた。

栄養分としての脳

 チンパンジーはなぜ特定の部位から獲物を食べるのだろう? これはヒトの進化にも関わる問題だが、ほとんど研究されてこなかった。

 ギルビー氏は、獲物を食べる順番は栄養分によって決まると考えている。

 このほど学術誌「International Journal of Primatology」に論文を発表した彼は、「肉は肉だという見方もありますが、含まれる栄養分は部位によって違います」と言う。「死骸のすべてが貴重ですが、特に脳は貴重なのです」

 脳は脂質と長鎖脂肪酸を豊富に含んでいる。神経系の発達を促す物質だ。

 獲物が幼いサルなら、頭を噛んで頭蓋骨にヒビを入れ、脳を取り出すのは容易だが、おとなのサルでは難しい。手間取っていると、群れの仲間に獲物を奪われる恐れがある。

 だから、チンパンジーがおとなのサルを食べるときには、栄養分に富む肝臓などの臓器から食べはじめる方がよいのかもしれない。実際に、ゴンベ国立公園のチンパンジーは時々おとなのサルの胴を先に食べることがある。

 ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラーで、霊長類学を専門とする米テキサス州立大学の生物人類学者ジル・プルエッツ氏は、「チンパンジーの獲物の食べ方が定量的に精査されたのは、これが初めてかもしれません」と言う。

栄養のためか、文化の継承か

 プルエッツ氏は、セネガルのフォンゴリ・サバンナ・チンパンジー・プロジェクトでチンパンジーの狩りを調べていたときに同様の行動を目撃している。ガラゴ(アフリカの森林に生息する原猿)を捕らえたチンパンジーたちは、やはり頭部を先に食べていた。

 雑食性のチンパンジーが、主食ではない肉を求めて狩りをする理由についても、研究者たちの間で意見が分かれている。

 プルエッツ氏は、チンパンジーは栄養を摂りたいのだろうという仮説を支持するものの、それだけでは各地のチンパンジーの行動の違いをすべて説明はできないと言う。

 例えば、チンパンジーには卵を食べるものと食べないものがいる。また、フォンゴリのチンパンジーがヒヒを襲撃したときには、その頭部を群れの仲間に与えるという不思議な行動が見られることがあるし、内臓は捨てられることが多い。

 プルエッツ氏は、群れの中の文化や学習の伝統が大きな影響を及ぼしているのではないかと考えている。

肉が初期人類の進化を促した?

 チンパンジーとヒトはともにヒト科の動物であり、共通の祖先をもっている。どんな理由があるにせよ、肉を食べる行動の研究は、ヒトの進化について新たな知見をもたらすはずだ。

 ギルビー氏は、初期のヒト科動物につながる種は、脂質を求めて、より多くの肉を食べるようになったのだろうと主張する。

「初期のヒト科動物を理解するために、チンパンジーをモデルにするのは良い方法です」とプルエッツ氏は言う。

「チンパンジーの狩りの鮮明な映像が得られたことで、初期のヒト科動物のふるまいを予想したり仮説を立てたりすることが可能になります」
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c24

[近代史5] 日本の料理 中川隆
20. 中川隆[-8981] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:15:35 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[50]
昔はアトピーもうつ病も癌も無かった


チベットでのアトピー調査報告

チベットや中国でアトピー性皮膚炎の患者が少ないわけは?
市立吹田市民病院皮膚科 幸野 健 

 英国のウィリアムズらによる世界56か国の調査によれば、日本はアトピー性皮膚炎が最も高い群に属し、中国は最も少ない群に属するとされています。中国の南京は名古屋と気候差が少なく、室内ダニ数もほぼ等しいとされているものの、昨年の我々の調査では、南京の大学生にアトピー性皮膚炎を1名見出しただけでした。日本人と中国人は遺伝的に似ているはずなのに、一体、何が違っているのでしょうか?一体、中国の何が良くて、日本の何が悪いのか?一方、英国、豪州に移住した中国人ではアトピー性皮膚炎が爆発的に増加することも報告されています。これは一体、何を示しているのでしょうか?アレルギーに関し、黄色人種間での相違を検討し、危険因子の追求を続けている南京医科大学国際鼻アレルギーセンター(主任:三好彰教授)の調査団に加えて頂き、昨年、チベット自治区におけるアトピー性皮膚炎の実態調査を行いました。

 調査地はチベット自治区ラサ市近郊堆龍徳慶県。人口約1500人、海抜3640m、最高気温27℃、最低気温-18℃、年平均7℃の地です。対象は小1、小4、中1の計228名。ちなみに当地の進学率は95-98%とのことで、チベットでは最も近代化した所です。


 チベットの子供たちは、人なつっこく、衣服はやや汚れているものの、比較的きれいで日本製古着が目立ちました。乾燥・寒冷、紫外線による頬部の発赤はかなりの児童に見受けられたものの、全員ほぼきれいな皮膚をしていました。

そして、今回の調査では日本皮膚科学会診断基準を満たすアトピー性皮膚炎児童は認められませんでした。

乾皮症は38%に認めましたが、強いかゆみを訴える者や、かき傷のある者はいませんでした。さらに、とびひ1名、いぼ2名、水イボ2名と、日本での検診に比べ、皮膚疾患が非常に少なかったのは驚きでした。


 入浴は平均月1回、洗髪は週1回弱(ただし石鹸はほとんど用いず)、清拭は平均毎日ということでしたが、悪臭のある児童、いわゆる「垢付き病」の児童は認めませんでした。耳鼻科検診でも明確な鼻炎症状を持つものはいませんでした。

 また、スクラッチ・テスト(皮内反応)も実施しました。これまで我々が定点調査を行って来た、北海道、日光と比較すると、年齢と共に陽性者が増加する傾向は同様でしたが、チベットでは、小1、小4、中1ともに陽性率が著しく低いことが認められました。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c20

[近代史5] 日本の料理 中川隆
21. 中川隆[-8980] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:16:32 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[51]
癌の原因ぐらい昔からわかっていた  

人類の宿敵“がん”を撲滅するため、世界各国はいま対策に追われている。有害化学物質の使用を禁じ、排気ガスを規制、身のまわりからもタバコや食品添加物を排除しようとやっきになっている。ところが、既に70年前にそれを実行し、国をあげて熱烈にがん撲滅に取り組んでいた国がある。ナチス・ドイツだ。

 驚くべきことに当時のドイツでは、既にがんの原因として放射性物質、タール煤煙、アスベスト、アニリン染料などを突き止めていた。タバコが肺がんの主因であることを世界で初めて証明したのも、ドイツの疫学者たちだ。

 世界有数の合成染料生産国だったため、アニリン染料による膀胱がんが多発し、タールやアスベスト、ラジウムを扱う職場でもがんが増えていたので、既にがんは職業病だとの認識もあった。

 世界に先駆けて国立の「がん研究・がん撲滅中央委員会」ができたのはナチス政権樹立の前だが、国の重要な産業を脅かすがんは、「健康は義務である」を国家スローガンにし、優秀なゲルマン民族の繁栄を願ったナチス政府にとっても「国家最大の敵」だった。従って、ナチス政府のがん撲滅運動は徹底しており、1930年代には早くも各地で集団検診を実施して、早期発見の大キャンペーンを行っている。特に優秀な子孫を産むべき女性の検診には力を入れ、がんの精密検診を受ける女性は年間何十万人にも上った。

 また肺がんの原因とみなされたタバコについては、世界で類をみないタバコ撲滅運動を展開し、反アルコール、食生活改善の運動も国が音頭をとった。ナチス党員のパン屋は全粒パンを焼くことを義務づけられたし、バターに使われていた食用色素“ジメチルアミノアゾベンゼン”の使用も禁止された。

 ナチスの指導者たち自身の健康志向も強かった。ヒトラーの菜食主義は有名だが、親衛隊長官ヒムラー、副総統ヘスもベジタリアンで、当時のドイツでは菜食主義は一大流行だった。チャーチルやスターリンは愛煙家だったが、ヒトラーはアルコールもタバコもたしなまず、愛人エファー・ブラウンがタバコを吸うのを許さなかったといわれる。
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/kenkou/plus/364750


まあ、こういう事ですから:

YAHOO癌掲示板

化学物質 2004/ 9/16 18:55メッセージ: 285 / 336
 
投稿者: etc53_jp (男性/栃木県)

父は胃ガンと膵臓ガンを患っていました。
臆病な父は手術が怖く他の治療法を探していました。そんなとき出会ったのが食事療法でした。

可能は限り無農薬・濡添加のものを食し、野菜や肉なども必ずアク抜きをして食べ、水も浄水器を使い塩素を除去して使いました。

一年後、膵臓ガン−消滅・胃ガン−米粒大にまで縮小。

二年後、胃ガン−消滅、現在六八才ですがすこぶる元気

再発しないよう今までと同じ食生活を続けています。

病院から処方された抗ガン剤等の薬は一切使いませんでした。

以上のことから、体験的ではありますがガンの大きな原因の一つが化学物質と考えています。

_______


ガン細胞増殖は治癒反応の表れ

体内の毒素を一カ所に集め、そこから排毒しようとして腫瘍が形成される

「ガン細胞は味方だった!」医療界に衝撃
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/228.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c21

[番外地8] 戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
デフレから脱却する方法は既にわかっています:
戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。
特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。
戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。
何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。
平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。
20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。

ユダヤ国際金融資本と GHQ は日本を共産化しようとして農地改革と人為的インフレ生成・金融封鎖を行った

フランクリン・ルーズベルト大統領やニューディール派は親共産主義だったので、戦後の日本を階級か無い疑似共産社会にしようと計画していた。


それで平等主義的な日本国憲法を制定、

農地改革で地主の土地を取り上げて貧民にタダ同然で分配、
貧民が土地を買う金を出せる様に人為的なインフレを起こし
預金封鎖で資産家の資産を取り上げた

戦後の人為的なインフレはそういう背景で起こされた
 

 東京の小売物価は、全国平均と比べて高く推移する傾向があった。その東京の小売物価指数で見てさえ、1946年のピーク時のインフレ率は500%「程度」に過ぎない。


▲△▽▼
株も不動産も奪われる! 預金封鎖よりも怖い「財産税」の傾向と対策=東条雅彦 2016年9月25日
日本でも1946年に預金封鎖が実施された!

1946年2月17日、日本で預金封鎖、新円切り替えが実施されました。政府が発表したのは、前日の2月16日土曜日でした。
1946年の日本の預金封鎖も、2013年のキプロスと同様、事前に情報が漏れずに実施できた、預金封鎖の成功例となりました。

預金封鎖では引き出しが完全にできなくなるのではなく、引き出し額を大幅に制限されました。銀行預金からの新円での引き出し可能な月額は、世帯主で300円、世帯員は1人各100円でした。
預金封鎖と呼ぶより、「出金制限」と言う方が実態に沿っています。

1946年の国家公務員大卒初任給が540円だったので、現在の貨幣価値に換算すると、世帯主が11万円前後、世帯員が1人各4万円弱まで引き出せました。
そして、封鎖預金中に引き出されたお金は全て「新円」でした。このとき、1946年3月3日からは「旧円」の市場流通を停止すると、同時に発表されていました。

これが「新円切り替え」と呼ばれる政策で、その目的は市場でのお金の流通量を制限して、急激なインフレを抑止するためだとされていました。
ところが、国民は逆に3月3日までに旧円を使い切ろうとしたために、インフレが加速してしまいました。
インフレを抑制するという意味では、預金封鎖&新円切り替えは大失敗でした。しかし、実は、この預金封鎖の目的はインフレ抑制ではなかったことが明かされたのです。


69年後に明かされた預金封鎖「真の目的」とは?

2015年2月16日、NHKの報道番組「ニュースウオッチ9」にて、「『預金封鎖』もうひとつのねらい」という特集が組まれました。(※参考動画 – YouTube)

放送では、当時の大蔵大臣である渋沢敬三氏と、大蔵官僚である福田赳夫氏(後、総理大臣)の証言記録が公開されました。

福田氏:「通貨の封鎖は、大臣のお考えではインフレーションが急激に進みつつあるということで、ずっと早くから考えていられたのでございますか?」

渋沢大臣:「いや、そうではない。財産税の必要からきたんだ。まったく財産税を課税する必要からだった」

証言記録では、「インフレを抑制させるためですか?」という質問に対して、渋沢大臣は「そうではない(インフレ抑制ではない)」と明確に否定しています。

しかし、当時、政府は国民に向けてインフレ抑制のためだと説明していました。やむを得ないことですが、こういうことは往々にして起こります。

財産税を課税するには出金制限(預金封鎖)が必須だった

日本では1944年、日本国債の発行残高が国内総生産の2倍に達したために、償還が不可能となっていました。

1945年に第二次世界大戦が終わり、その翌年の1946年、政府は最後の手段、資産課税(財産税)で国債を償還する(借金を返済する)しか方法がなかったのです。

今、日本では「国債は国の借金ではなく政府の借金である」「国民は政府の債務者ではなく債権者だ」と主張する論者もいます。

残念ながら、それは俗論です。

政府が財政破綻した場合、国内の個人も法人も、政府に対して請求権はありません。一方、政府は国内の個人、法人への徴税権を持っています。このことは日本だけではなく全世界共通のことなので、俗論に惑わされずに、正確に把握しておくことが重要です。

結局、この預金封鎖(出金制限)は1948年6月まで続きました。2年以上も出金制限が続いたのです。銀行預金から出金を制限することが極めて重要でした。

1946年2月17日から約2週間後の3月3日に財産税が実施されます。それは、1946年3月3日午前0時における個人の財産全額を対象に課税するというものでした。

財産全額なので、銀行預金だけではなく、株式、不動産、ゴールド(金)等も含まれます。

いくら奪われたのか?「最高税率90%」財産税の中身
実際には、1500万円を超えた金額に90%、500万円を超えた金額に85%、300万円を超えた金額に75%…というように、段階的に課税されました。
http://www.mag2.com/p/money/23235
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/737.html

[近代史4] コロナの後遺症
コロナの後遺症

元重症患者が語る“コロナの恐怖”と後遺症
2020/12/23


元重症患者が語る“コロナの恐怖”と後遺症

命を救う最後の砦「ECMO」による治療を受け、2か月もの間、意識がなかった男性。退院した今も、酸素ボンベが手放せず後遺症に苦しんでいました。新型コロナの重症化の恐ろしさを経験した男性が、いま伝えたいことは。

■手放せない酸素ボンベ 2か月がたった今でも

新型コロナウイルスに感染し、約4か月もの間、集中治療室に入院していた元重症患者の60代の男性。男性は10月に退院しましたが、退院から2か月がたった今でも背中のバッグの中には酸素ボンベがありました。心拍数を測定する機械も手放せない状態だといいます。 

「歩いていてちょっと息苦しいなと思ったら機械で数値を測って、 (数値が高ければ)これちょっと止まらないと、と。まだ数値をみながらですね。 先生たちも『早く歩くな』って。動いたら心臓と…酸素が…」 

男性は、息をきらしながら話します。

「退院後スーパーに行く時、徒歩5〜6分の距離なのに25分くらいかかりました」 

 
■苦痛に「死んだほうが…」

男性が体に異変を感じたのは、3月のことでした。その当時のことを、次のように語ります。

「『風邪だな』と思って病院に行って、4日くらい薬を飲んでましたが、 薬がなくなり病院に行こうと思ったら、体が起き上がらなくて。 救急車を呼んで、そのまま寝込んでしまい、それから記憶がありません」 

 
搬送されたのは、重症患者を受け入れる都内の病院。 人工呼吸器を使っても呼吸ができないほど肺が弱っていたため、 命を救う“最後の砦”人工肺ECMOによる治療を受けることになりました。 一般的に2週間ほどでECMOが外れる人が多い中、男性は約2か月という長期間の装着。 その間、意識がありませんでした。そして、目覚めたときには―― 

「天井が真っ白で、天国にいったのかな、と思ったら横に看護師さんがいて。 『これは病院だ。私は助かったんだ』と」 「パイプがいっぱいついているし、両手両足は縛られ、しゃべれないし動けない。 意思の疎通ができない上に、栄養をとるための鼻のパイプや胸に開けた穴がすごく痛くて。毎日痛い思いをした」 

 
会話ができるようになったのは7月、この頃も男性は、集中治療室に入院していたといいます。 

「息をするのがやっと。空気が吸えないっていうのがすごく苦しかった。 ちょっと動いただけで痰がつまり、水も飲めず、会話もできなくて意思の疎通がとれないとストレスもたまり、 こんなに苦しいなら死んだ方がいいって。 」 

その後、つらい治療を乗り越え、一般病棟でリハビリを開始。 約半年間という長い入院期間を終えて、ようやく退院することができました。

■ 深刻な後遺症 「太ももにずっと石を乗せている感じ」

入院前は飲食店に勤務していた男性。仕事への復帰を望んでいますが、 深刻な後遺症に悩まされています。 

「先生からは、酸素ボンベをつけておかないと酸素が少なくて倒れる可能性があると。 普通の人の肺が100%ならまだ70%くらいしか機能していない。だから歩いたりすれば呼吸は結構苦しくなる」 

男性は、影響があるのは肺だけではないと語ります。

「手がしびれている。両腕ですね。足の太ももにずっと石を乗せている感じ。 あと足の裏が、歩くと骨と肉が重なってすごく痛い。 体質も変わり、頭と顔にあせをすごくかく。今までそんなことはなかったんですが。 (できないことが)いっぱい、いっぱいありますよ。 どうやって生活していったらいいのかっていう状況。 来年になって治ってくれたらいいなと」 

  
新型コロナの重症化の恐ろしさを経験した男性が、いま、伝えたいこととは。 

「マスクとうがいと手洗いを家に帰ったら必ずする。 店に入ってもうがいできる状況ならうがいをする。家に帰ったら服を着替えて除菌する。本当に一人一人が気をつけないといけない。 先生曰く、助かったのは奇跡だからと。 実際に僕みたいに後遺症が残った人じゃないとわからないと思うんですよね。 それを僕は皆さんにわかってもらいたいというか。  コロナってこんなに恐ろしいんだなって」

(2020年12月17日放送 『news zero』より)

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%85%83%e9%87%8d%e7%97%87%e6%82%a3%e8%80%85%e3%81%8c%e8%aa%9e%e3%82%8b%e2%80%9c%e3%82%b3%e3%83%ad%e3%83%8a%e3%81%ae%e6%81%90%e6%80%96%e2%80%9d%e3%81%a8%e5%be%8c%e9%81%ba%e7%97%87/ar-BB1caMNf
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1225.html

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 安倍晋三 中川隆
48. 中川隆[-8979] koaQ7Jey 2020年12月24日 11:04:02 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[1]
アベノミクス真相と超巨大財政出動
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-c9c293.html
2020年12月23日 植草一秀の『知られざる真実』


読者のみなさんは日本政府がどのような経済政策を実施しているのか正しくご存じだろうか。

とてつもない政策運営が行われている。

もちろん、背景にコロナがある。

コロナの影響で世界経済は極めて深刻な影響を受けた。

いまなお受け続けている。

年率換算で表示した日本の実質GDPは消費税の税率が8%から10%に引き上げられる前の昨年7−9月期には559兆円だった。

これが本年4−6月期には501兆円に激減した。

経済の大崩落と言って過言でない。

しかし、日本経済の悪化はコロナによって引き起こされたものではない。

昨年10−12月期の実質GDPは549兆円に急減した。

消費税増税によって不況が始動したのだ。

1−3月期には546兆円にさらに減少した。

消費税増税不況が日本を襲った。

政府が1年半遅れでようやく認めたように、日本経済は2018年10月を起点に景気後退期に移行していた。

安倍元首相が消費税増税を具体的に指示したのが2018年10月。

ここから日本経済は景気後退期に突入した。

その消費税増税不況を一気に加速させたのがコロナなのだ

第2次安倍内閣が発足したのが2012年12月。

安倍内閣はアベノミクスを提唱した。

アベノミクス出発点の2013年1−3月期の実質GDPが503兆円。

2020年4−6月期の実質GDPの水準はこれを下回った。

第2次安倍内閣が発足してから7年半の時間が経過して、日本の経済活動水準は元の木阿弥、出発地点以下に落ちてしまった。

11月11日に安倍元首相は「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」を発足させて会長に就任した。

この日の会合には元日銀副総裁の岩田規久男氏が講師として出席した。

安倍氏は「マクロ政策の目標は雇用なので達成したのではないか」と述べてアベノミクスが成功したと発言したが、これも虚偽発言。

ウソが服をまとっているのが安倍晋三氏と言える。

コロナ対策で失態が続いて内閣支持率が急落。

二度目の政権投げ出しを演じた安倍氏がぬけぬけと議員連盟会長に就任する面の皮の厚さには脱帽するしかない。

「自分だったら1月に衆院を解散する」

「敵基地攻撃能力整備は後継政権の課題」

政権運営を無神経に土足で踏み荒らし、二度目の再登板をよもや本気で考えているのではとの憶測を生む厚顔無恥ぶりを市民は奇異な目で見ている。

しかし、第2次安倍内閣発足後の日本経済の客観的評価では、落第点以外を付けようがない。

経済成長率の平均値はわずか0.4%(前期比年率実質GDP成長率の単純平均値)。

日本経済が真っ暗だと言われた民主党政権時代の期間でさえ、実質GDP成長率平均値は1.6%だった。

民主党政権時代を「暗がり経済」と表現するなら、アベノミクス下の日本経済は「暗闇経済」だった。

岩田規久男氏は2013年春に日銀副総裁に就任する際に行われた国会同意人事審議で、2年以内にインフレ率を2%以上に引き上げることができなければ辞職して責任を明らかにすることが一番わかりやすいと述べた。

インフレ率がもっとも上昇した局面でも1%強の水準にとどまり、前年比2%を超えたことはただの一度もない。

現在もインフレ率は前年比マイナスの「デフレ」の状態に位置している。

それでも岩田氏は副総裁を辞職せず、5年間も副総裁の椅子に居座った。

国民にとって最重要の経済指標は一人当たり実質賃金の推移。

これが庶民の暮らしぶりそのものを示す。

本給、時間外賃金、ボーナスをすべて合計した「現金給与総額」の実質指数推移を見ると、2013年夏から2020年夏までの7年間に、なんと8%も減った。

世界最悪の賃金下落率と言って過言でない。

日本経済と庶民の生活をボロボロにしたのがアベノミクス。

そのアベノミクスを指揮した安倍首相が「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」会長に就任したというのは驚きを超えて喜劇である。

本題に話を戻す。

このなかで今、日本政府はとてつもない経済政策を実施しているが、これまた利権の塊で庶民の生活を支えるものになっていない。

こんな政治が続くのでは圧倒的多数の国民は不幸のどん底に落とされる。

この事実を正確に認識しなければならない。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c48

[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
25. 中川隆[-8978] koaQ7Jey 2020年12月24日 11:19:31 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[2]
縄文時代の食生活を現代岩手の実際から考察
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/425.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c25
[近代史5] 狩猟採集民・原始農耕民の料理 中川隆
26. 中川隆[-8977] koaQ7Jey 2020年12月24日 11:21:08 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[3]
味覚は毒物の摂取を避けるために発達した
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/422.html

古代ほとんどの欧州人は牛乳をうまく飲めなかった
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/617.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html#c26

[近代史4] コロナ狂気がついに虐待を
2020年12月24日
コロナ狂気がついに虐待を
From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授

この頃なんだか世界がおかしくなってきたと感じているのは私だけでしょうか。

これまで、新型コロナの流行が疫病の流行ではなく恐怖の流行に過ぎない事実を、きちんと数字を挙げながら何回も証明してきました。おかげさまで、前々回の本メルマガ記事「新型コロナ、10のウソ」では、たくさんの方の「いいね!」をいただき、ツイッターでの拡散もけっこうな数に上ったようです。
https://38news.jp/column/17111

それでもこの集団強迫神経症の空気は衰えるどころか、最近はかえってますますコロナ全体主義の雰囲気が濃厚になってきました。

11月末に落語に行きました。1座席ずつ空けて指定されていましたが(それはまあいいのですが)、たまたまマスクを外していたら、休憩時間に隣のオバサンに「マスクをしてください!」とお叱りを被りました。

同じころ、マスクを下げたままスーパーのレジで品物を差し出したら、店員に「マスクを上げていただけますか」と注意されました。

ある友人が午後の新橋界隈を歩いていたら、長蛇の列があるので、ジャンボ宝くじの販売窓口でもあるのかと思ったそうです。でも違って、「新型PCR検査センター」とでかでかと書かれた看板の下にずらりと並んでいたとか。

もうひとつ、別の知人から聞いた話。歌の練習会があって、その会場では、次の段階を踏みます。

1.到着したらマスクを外して、会場にある新しいマスクをつける。
2.イソジンでうがいをする。
3.手の消毒。
4.検温。
5.歌う人が変わるごとに、マイクを消毒する。
6、そのたびに、歌った人の周りに消毒スプレーを噴霧する。

失礼じゃないかね、頭がおかしくなったんじゃないかね。

みなさん、これが日本中で起きている「非常事態」であります。

東京都の小池知事は、ここぞ私の出番とばかり、毎日のように嬉々として記者会見を開き、「暮れ正月休みはStay Homeで」とオウムのように繰り返しています。そればかりか、都内の小学生に、「お医者さんに感謝の手紙を書きましょう」などと要請し、ことさらコロナのたいへんさを印象付けようとしています。こういうのを文字通り「子供だまし」と言います。

こんなことしかやることがないのかね。聞けばGO TO キャンペーンに強い規制がかかったのは彼女の強い圧力があったからとか。

もう何度も書いたので、繰り返すのはうんざりなのですが、第2波、第3波と大騒ぎしているこの空気には何の根拠もありません。

以下の二つの資料によると、直近の12月20日時点で、PCR検査の陽性率(陽性者÷検査件数)は4.2%です。これはコロナの流行が騒がれ出した4月のピーク時に比べると、約三分の一、またこれまでの累計死者数は、100万人当たり22人で、それも基礎疾患のある高齢者に集中しています。
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/?fbclid=IwAR2S54N_qvGv4pvErqYep9pud9caVBH44VsTj9dv0q5nXk8iq4ZnOyHd6xw
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death

毎年、肺炎で死ぬ人が10万人以上いて何の騒ぎにもならないのに、3000人程度の死者で大騒ぎをするのは異常としか言いようがありません。こんなのはパンデミックと言うべきではないのです。

そもそもPCR検査は、新型コロナの診断にはほとんど役に立たない検査です。
コカ・コーラやパイナップルにつけただけで陽性反応が出たとかいった笑い話のような話もありますが、それはともかく、東京女子医大感染症科の平井由児医師の、PCR検査についての次のような見解は、たいへん説得力があります。URLを張っておきますので、皆さん、ぜひ見てください。
https://ameblo.jp/obasannneco/entry-12641199459.html?frm_src=favoritemail


平井氏は、わかりやすい動画を用いて次のような指摘をしています。

・私たちの体が膨大な数の細菌やウィルスに満たされていて、もしそれを取り除いてしまうと、たちまち体のバランスを失ってしまうこと

・PCR検査は感染したかどうかを調べるためにあるのではなくて、本来遺伝子の検出のためにあること

・その感度は極めて敏感で健康体の器官にちょっとウィルスが付着していても反応してしまうこと

・2019年までは、症状の軽重によって「健康」「風邪(旧コロ)」「インフル」の三つに分類される診断がなされて、それに応じた処置を受けていた人たちが、2020年からはPCRで陽性反応が出ると、すべてコロナと診断されてしまうようになったこと

・PCR法を開発してノーベル賞を受賞したキャリー・マリス博士が「診断に使ってはならない」と警告を発していたこと(惜しくも8月に博士は亡くなってしまいました)

このように開発者当人が不適切と公言しているにもかかわらず、全世界でこの検査が伝家の宝刀のように使われるようになってしまったのです。
そうして、前々回の記事にも書きましたが、6月18日に厚労省が全国自治体に出した通達によって、別の疾患で死亡した人も、コロナ感染者と認定されていればコロナで死んだことにされてしまったのです。ですから、先に記載した死者数も本当はもっと少ないのです。

また、コロナの発生によって医療崩壊の危機に見舞われたという説が全国を駆け巡りましたが、医療崩壊の危機は、2000年代初頭からすでに起きていたのです。それは、ベッド数、医師、看護師、保健所の削減、病院の統廃合などの政策によるものです。
この政策が、財務省の緊縮脳に基づくものであることは見やすい道理でしょう。政府にとって、コロナの発生はこの長年の経済政策の大間違いを隠蔽するのにまことに都合がよかったことは言うまでもありません。

それにしても、いったいこのコロナ妄想の世界的流行という社会心理学的な異常事態は、どうして起きたのでしょうか。

それについて考える前に、先に挙げた例よりも実はもっともっと異常事態が起きていたことを示しておきましょう。

12月21日配信の西日本新聞に次のような記事が出ていました。

《「コロナ禍で換気のために窓を開けて寒いのに、防寒着の着用が認められない」「一日中、窓の開放が必要なのか」――。日増しに寒くなる中、学校の換気や防寒着に関する調査依頼が本紙「あなたの特命取材班」に複数届いた。体が冷えて体調不良や集中力の低下につながると懸念する声も強い。声を寄せた一人、福岡市立中に娘が通う母親は、今冬の防寒具に関する学校のプリントにため息をつく。

男子は学生服、女子はセーラー服で、着用できる防寒着は規定のセーターやカーディガン。マフラーや手袋は昇降口で着脱し、規定外のジャンパーやハイネックは認められない――。例年通りの内容。教室の窓は常に全開で、生徒が閉めると叱る教員もいるため、娘は寒さに耐えながら授業を受けているという。母親は、ぜんそくがある娘を見かねて規定外の服を着るように提案したが、「誰も着ていないし怒られる」。母親は取材班に「先生たちは自由な服装のはず。コロナ禍の今は特に、子どもも暖かな服を着られるようにすべきではないか」と嘆いた。学校側の対応力の乏しさを感じている。》

私はこの記事をハリー・ライムさんと名乗る人のブログで知りました。
https://ameblo.jp/yoshino0716/entry-12645312060.html?frm_src=favoritemail&fbclid=IwAR2FDHaGfxuPbw1JLfB7j5lIYSJSlt20BRsOo9H9s7fGh6s5NxtY8P0KTB4

これを読んだとき、激しい憤りがこみ上げてきました。これは教育界で公然と行なわれている「虐待」ではないか。執筆者のライムさんも、「キングオブアホ」と大書して、虐待と呼んでいます。

厳寒の季節に窓を開けっぱなしにして防寒服着用も許さずに、窓を閉めようとすると叱りつけるキ◌ガイ教師ども。いったいこいつらは、寒さでぜんそくや風邪が悪化して重症になった生徒が出たら、責任を取るのか。
前提が根底から間違っているコロナ騒動に日本人のほぼ全員が巻き込まれているのですから、おそらくこうした例は氷山の一角に過ぎないでしょう。

これはすでに何人かの人が指摘していますが、そもそも2級感染症指定は致死率の高い鳥インフルやSARSのような感染症にしか適用されないのに、インフルエンザ(5級指定)よりも死者がはるかに少ないコロナにこの指定がなされているのはまったくおかしいことです。それなのに解除の動きは一向に盛り上がりません。

しかし、いくらこうしたことを指摘しても、当分の間、人々はコロナ恐怖症から解放されないでしょう。
なぜこんなメンタルな疫病に「上下心ヲ一ニシテ、官武一途庶民ニ至ルマデ」、国民全員が取りつかれてしまったのか。しかもそれが経済と文化の自殺行為であるとわかっているのに。

この問いに明快な答えを見つけることはとても難しく思えます。

仮説@:日本人はもともと同調圧力に屈しやすい。

仮説A:日本人はもともと過度に用心深い。

仮説B:日本人はもともと理性的にものを考える力が弱い。

仮説C:日本人は欧米の流行を見て例のごとくサルマネをしている(ちなみに欧米の流行も実は大したことはないのです。ウソだと思う人は、先にご紹介したhttps://38news.jp/column/17111を参照してください)。

仮説D:長く続くデフレから脱却できず貧困化が深まる中で、集合無意識としての社会不安が増大している。

しかし、コロナ恐怖症は何も日本に限ったことではありません。海外渡航や国境を超えることやロックダウンなど、日々の生活行動に厳しい制限が設けられていることは世界中で起きているので、上記の仮説は全部合わせても、いまいち説得力に欠けるでしょう。
私自身の現時点での仮説は、次のようなものです。
人々は、見かけの平和と大国間の緊張外交によって保たれてきた世界秩序に倦んでいて、世界大戦、大災害、疫病の大流行のような「ハルマゲドン」的狂気の出現を心のどこかで望むようになっている。

言ってみれば、宗教に特有の非合理な破壊願望のようなものです。逆説的ですが、それが常識を否定して、過剰な生命第一、健康第一イデオロギーへのヒステリックな縋りつきとして現われている。恐れている対象は自分たち自身の中に住む仮象の魔物であり、これと理性的に立ち向かう術がわからないために、「ただ生きる」ことに固執して、「よく生きる」方途をすっかり見失っている。つまりはニヒリズムの支配です。
こんな解釈がどこまで当たっているかわかりませんので、諸家のご意見を拝聴したく思います。
https://38news.jp/economy/17279
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1226.html

[近代史4] コロナ狂気がついに虐待を 中川隆
1. 中川隆[-8976] koaQ7Jey 2020年12月24日 11:55:58 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[4]
自粛警察が日本をコロナから救った
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/137.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1226.html#c1
[近代史5] 自粛警察が日本をコロナから救った 中川隆
15. 中川隆[-8975] koaQ7Jey 2020年12月24日 11:56:27 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[5]
コロナ狂気がついに虐待を
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1226.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/137.html#c15
[リバイバル3] 無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した 中川隆
52. 中川隆[-8974] koaQ7Jey 2020年12月24日 12:06:43 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[8]
◆自殺配信。疲れ果てた人にとって、永遠に楽になれるという事実が自殺だった
2020.03.17

2020年2月18日。世の中が新型コロナウイルスの恐怖で右往左往している最中、横浜市瀬谷区にある相鉄線の瀬谷駅でひとりの女子高生が自殺している。防犯カメラによると、彼女は特急が通過する直前に線路に飛び降りて死んでいた。

死ぬ前、彼女はホームのベンチにスマートフォンの動画を撮影している状態にして置いていて、自分が電車に飛び込む瞬間を撮影していたのだった。彼女は何日も前から「死ぬ」と宣言していた。そして、それを配信するとも書いていた。

『自殺配信する理由は、死んだ証を残したいからです。そこらへんのファッションメンヘラと一緒になりたくないからです』

『電車で死ぬなんて迷惑かけてごめんなさい。本当に申し訳なく思っています。だったらやるなって話だと思いますが、限界です。最後のわがまま許さなくてもいいです』

そして彼女は本当に自殺した。彼女の希望通り、それはツイッターに流された。しかし、その動画はすぐに消されてもう表側では誰も見ることができない。

「自殺対策白書」によると、15歳から29歳までの若者たちの死因のトップは自殺であると記されている。若年層の死に自殺がトップに来るのは、先進国では日本だけである。日本の社会の裏側で若い人たちが漠然と死を求め、そして夢遊病者のように死に歩み寄っているのだった。

生きにくさを感じ、それを克服するよりも逃げたいと思っている女性が、究極の逃亡である「死」を求めて孤独にさまよっていた。
https://blackasia.net/?p=17569
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c52

[リバイバル3] 無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した 中川隆
56. 中川隆[-8973] koaQ7Jey 2020年12月24日 12:14:51 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[12]
◆「悪い男」の優しさは釣り針の先に付けられたエサ。それで釣って後で食う
2020.12.23

芸能界はやたらとホストを持ち上げるが、ホストは色恋で女を騙して徹底的に金を収奪する極悪のビジネスを展開する業界だ。こんな業界を放置していること自体が日本の闇であり、恥でもある。

パチンコを批判する政治家や、女性の人権を何とかと叫んでいるフェミニストも、ホスト業界には何も言わない。

私は女性議員にホスト業界のひどさを話したこともあるし、フェミニストを自認する女性活動家にもホスト業界の悪辣な所業を説明したことがある。

ところが、どういうわけか女性はホスト業界の話になると言葉に詰まり、「若い男の子と飲める楽しみもあるし、悪いホストばかりじゃないと思う」と擁護すら行う。

多くの女性が莫大な借金を背負わされていく手口や、実際に自殺に追い込まれていく女性や、風俗に売られる女性や、飛び降り自殺する女性がいると話しても、動こうとしない。

ホストは「夜」の業界だ。当然のことながら暴力団や半グレや外国人の得体の知れない団体も絡んでいる。こうした巨悪が女性から金も身体も徹底的に収奪している構図があると言っても、女性の権利を守るために立ち上がろうとしない。

もしかしたら「若い男の子にチヤホヤされるのは自分も悪い気はしないし、どうせ大金を貢ぐのは風俗嬢みたいな女で私には関係ない」とかフェミニストも思っているのかもしれない。

何にしろ、「マンガの表現が女性を性的に消費している」とか叫ぶフェミニストも、リアルに女性を性的に消費しているホスト業界にはまるで黙認する。

男性の議員は99%がホストに騙される女性なんか「他人事」であり、こんなものに関わっても票にもならないので一片の関心も示さない。やはり、「そんなものに騙される女が悪い」と思っているのかもしれない。

かくして、ホスト業界はカタギの仕事のように振る舞って今日も大手を振って営業し、女性を騙して騙して騙しまくり、女性に極限まで借金させてポイ捨てにする。

そうした女たちとどん底(ボトム)で関わり合う私は、女にとっては「悪い男」と関係を持つのがいかに危険なことなのかを、冷たい冬の風に吹かれてしみじみと思う。
https://blackasia.net/?p=21825
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c56

[近代史5] カルト関係ブログ 中川隆
13. 中川隆[-8972] koaQ7Jey 2020年12月24日 12:22:49 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[16]
◆ナターシャ・ジャイト。セレブたちの未成年セックス組織を暴露する前に死亡
2020.11.14

上層部の秘密を暴こうとする人間は、「都合が悪くなったら消される」というのはサスペンス小説や映画でお馴染みのテーマだ。あるいは、秘密を知りすぎた人間が殺されるというのも、よくある設定だ。

2019年8月には、ジェフリー・エプスタインというセレブ御用達の未成年ハーレムを運営していた男が「刑務所で自殺した」という事件があった。(ブラックアジア:エプスタイン。政財界の大物相手にセックスビジネスをしていた大富豪の死体)

裏側では「これは自殺ではなくて口封じによる抹殺なのではないか」と噂されたのは記憶に新しい。エプスタインが実際に自殺したのか、それとも他殺だったのかは、誰にも分からない。

しかし、権力者にとって「都合の悪い人間」が、いつも絶妙のタイミングで自殺したり、事故に遭ったりするということについては、いかにも後味が悪い結末だ。「都合の悪い人間は抹殺される」というのは、別に小説家や映画監督のファンタジーではなくて、実際に起こっているのではないかと思わせるに十分な出来事でもある。

アメリカだけではない。ロシアを見ても分かる。

ロシアではプーチン大統領に逆らったジャーナリストは次々と抹殺されており、「通りすがりの殺人」だとか「自殺」扱いにして闇に葬られている。プーチン大統領は、KGB上がりの大統領であり、暗殺には躊躇がない。(ブラックアジア:毒殺の季節。プーチン大統領も政敵を毒殺で葬ろうとする)

最近では、野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏を神経剤ノビチョクで暗殺しようとした。その前にはプーチンを裏切った、元ロシア情報員セルゲイ・スクリパリ氏とその娘を暗殺しようとした。

国家権力が、あるいは権力者が、自分の邪魔になる人間を葬る。そして、自殺や事故みたいな処理をして終わらせる。日本に住んでいるとこうした事件は、まるで「映画みたい」「滑稽な陰謀論」みたいな扱いでしかないが、世界は決してそうではないということだ。

たとえば、アルゼンチンの高級娼婦ナターシャ・ジャイトはどうだったのか?
https://blackasia.net/?p=21316
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/447.html#c13

[近代史5] カルト関係ブログ 中川隆
14. 中川隆[-8971] koaQ7Jey 2020年12月24日 12:23:57 : rhTpVwqmhA : ZXRWUk1pemQvQmc=[17]
◆エプスタイン。政財界の大物相手にセックスビジネスをしていた大富豪の死体
2020.10.14


2019年8月10日、ひとりの男が刑務所で自殺したというニュースが駆け巡った。ジェフリー・エプスタインという男なのだが、この男は天才的なトレーダーで1990年代には「超」が付くほどの大富豪へと成り上がった男だった。

最近、この男の遺体が公開されているので、ここで記録しておきたい。

ジェフリー・エプスタインは貪欲な男だった。それは金に対して貪欲だっただけでなく、セックスに対しても貪欲だったのだ。ありあまる莫大な金を手にしたエプスタインは、2000年代から金からセックスに軸足を移すようになった。

フロリダに大邸宅を構え、今度は自分の邪悪な妄想を現実化することを思いついたのだ。エプスタインの妄想とは何だったのか。それは「貧しい少女を集めて、酒池肉林のハーレムを作り上げる」というものだった。

フロリダは超金持ちと極限の貧困層が集まっている場所である。フロリダの貧困のひどさは私たちの想像を絶するものだ。(ブラックアジア:ボロボロに荒廃したこの白人女性たちを見よ。日本女性もまたそうなっていく)

これはどういうことなのかというと、貧しく美しい少女をいくらでも金で集めて大邸宅で「飼育」することができるということだ。

「邪悪な超金持ちが貧しい少女を集めてハーレムを作る」と言えば、まるで出来損ないのB級ポルノ映画のようなストーリーだが、ジェフリー・エプスタインは本気だった。妄想を莫大な金で叶えることができたのだ。

市場がITバブル崩壊の阿鼻叫喚の地獄に堕ちていた頃、ジェフリー・エプスタインは市場よりも「少女ハーレム」の方に夢中になっていた。

どのように少女を集めていたのか。
https://blackasia.net/?p=20652
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/447.html#c14

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 安倍晋三 中川隆
49. 中川隆[-8970] koaQ7Jey 2020年12月24日 19:59:05 : udCN6gynxw : aXAvbjNaOXlCTC4=[1]
25日議運は幕引きでなく強制起訴幕開け
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-c6bd0f.html
2020年12月24日 植草一秀の『知られざる真実』


疑惑の総合デパートの様相を示してきた安倍元首相。

その疑惑の一角が犯罪捜査として表面化した。

安倍晋三氏の政治資金管理団体である晋和会が「桜を見る会前夜祭」の費用を負担していたことが明らかにされた。

政治家が自分自身の選挙区の有権者に対して利益供与(寄附)を行えば公職選挙法違反の嫌疑が生じる。

また、政治資金管理団体が収支報告書に記載するべき事項を記載していなければ政治資金規正法違反の嫌疑が生じる。

「桜を見る会」は政府主催の行事。

この政府行事に安倍晋三氏は職権を利用して自分自身の後援会関係者を多数招待していた。

公的行事を私物化して何の疑問も感じないところに安倍晋三氏の倫理性の欠落が鮮明に表れている。

政府の公的行事を自分自身の選挙活動に利用してきたこと自体が犯罪的行為だ。

その前夜祭が疑惑の塊である。

参加費は一人5000円。

パーティーが開かれた東京都心の有名ホテルでの通常料金は最低でも一人12000円。

安倍事務所が不足資金を補填していたのではないかとの疑惑が指摘されてきた。

しかし、安倍晋三氏は国会審議において再三にわたり疑惑を否定してきた。

飲食パーティーの契約主体は個々の参加者でホテルは参加者に対して宛名を無記名にした5000円の領収書を発行した。

受付で受領した参加費はそのままホテルに渡され、安倍事務所は収支に一切関与していない。

前夜祭の明細書や領収書がホテルから安倍事務所に提示されたことはない。

安倍事務所が収支に一切関与していないから、収支報告書に記載する義務は生じない。

このような国会答弁を繰り返した。

国会の貴重な審議時間の多くがこの問題の真相解明のために費やされた。

ところが、安倍首相の国会での説明はすべてが虚偽だった。

前夜祭の会費と実額の差は安倍晋三氏の資金管理団体である「晋和会」が負担し、ホテルは「晋和会」に対して見積書や領収書を提示していた。

選挙区の有権者に利益が供与され、「晋和会」は政治資金収支報告書にパーティー費用の収支を記載していなかった。

公職選挙法にも抵触する重大な犯罪行為である。

違法行為を実行した当事者が安倍晋三氏の秘書であるなら、まずは秘書を逮捕して取り調べを行うべきだ。

また、資金管理団体の責任者は安倍晋三氏である。

安倍晋三氏は国会で再三の追及を受けて事実関係をつまびらかにする責務を負っていた。

ホテルに問い合わせるだけで事実を確認することはできる。

「自分は何も知らなかった」という安倍晋三氏の言葉を信じる者は誰もいない。

検察は安倍晋三氏を不起訴とした。

秘書は略式起訴された。

略式起訴は裁判を開かないことを意味する。

自民党の森山裕国対委員長と立憲民主党の安住淳国対委員長が協議し、12月25日に国会の議院運営委員会で安倍晋三氏が説明し、野党が質疑を行うことで合意したと伝えられている。

当然のことながらテレビ中継は行われなければならない。

自民党は年内に決着させて臭いものにふたをしてしまう算段だ。

検事総長人事をめぐり政権と検察との確執が取り沙汰されたがしょせん同じ穴のムジナ。

自民党政権と検察の癒着は度し難い。

2009年3月に勃発した西松事件、2010年1月に勃発した陸山会事件と比較してみるがよい。

西松事件は小沢一郎氏事務所が政治団体からの寄附を事実通りに記載した収支報告が虚偽記載だとされて、小沢氏公設第一秘書が突然逮捕された事案。

陸山会事件は西松事件で存亡の危機に直面した検察が、今度は2004年10月に取得し、2005年1月に移転登記が完了した小沢事務所による不動産取得の収支報告が2005年に行われたことを、やはり虚偽記載だとして、小沢氏元秘書で現職衆議院議員の石川知裕氏など3名を逮捕した事案。

いずれも完全な冤罪事案である。

事実に即して適正な収支報告を行ったことが犯罪だとされて、何の前触れもなく秘書が次々に逮捕されていった。

安倍晋三氏資金管理団体による今回の事件は、公職選挙法違反に該当しかねない選挙区有権者に対する利益供与、およびその利益供与を隠蔽するために収支報告書に記載しなかったという、極めて悪質かつ重大な事案だ。

現職国会議員を含めて小沢氏秘書が二度にわたり逮捕、勾留された事案と安倍氏資金管理団体事件との取扱いにどれだけの落差があるか。

12月25日の議院運営委員会での質疑では、資金管理団体責任者である安倍晋三氏が「自分は何も知らなかった」と主張していることについて、その考えはまったく通用しないことを明白にさせねばならない。

その上で、年が明けてから安倍氏の強制起訴を含めて安倍氏に対する本格追及を始動させるべきだ。

明日の議運は幕引きではなく幕開けであることを確認しておきたい。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c49

[近代史4] アニサキス寄生虫の特効薬は正露丸
アニサキス寄生虫の特効薬は正露丸
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1351.html

日曜日に田瀬三河屋で半額購入した刺身にアニサキスが入っていたようで、火曜日に腸アニサキス症を発症して、地獄の腹痛を彷徨った。

 三河屋め、きちんとアニサキスを除去しろよ! これで三回目だろうか……。(半額で買う方も悪いが……)

 なぜ、食べた当日の日曜か月曜に胃アニサキスを発症しなかったかというと、おそらくウイスキーの炭酸割りを飲んでいたせいだと思う。アニサキス寄生虫が炭酸にやられて弱って、腸まで行って息を吹き返し腸壁に噛みついた。

 その痛みたるや腸閉塞に匹敵するもので、痛風発作の痛みや尿管結石にも匹敵する。私は、過去に何度もやっているので、すぐに理解できた。

ネットで調べたら、アニサキス症の特効薬は正露丸だという。これは感覚的に、とても良く分かる。確かに正露丸なら駆虫作用も十分に考えられる。

 そこで水曜日に痛いのを我慢して正露丸を買って、4粒飲んだら、たちまち腹痛が治まった。そこで、「アニサキス症には正露丸!」と声を大にして叫んでおきたい。

 実は、私の子供時代には、「腹痛には正露丸」というのが定番だった。腹が痛くなったら、学校でも、すぐに正露丸を飲まされたものだ。昔は、高級な医薬品もなく、どこの家でも、正露丸は常備薬だった。

 ちなみに、今普通に売られている胃薬は、アニサキス症には何の効果もない。

 今、アニキサス症は30年前の20倍に達しているという。これは、確かに海水温暖化で寄生虫が増殖した可能性もあるのだが、むしろ、腹痛で正露丸を飲まなくなったことが大きな原因ではないだろうか?

 冷蔵庫が一般家庭に普及した1970年代以降は、家庭でも刺身を食べる機会が増えたし、寿司屋も大繁盛している。だから、締め鯖でも生き延びるというアニキサスを食べる機会も圧倒的に増えた。

 だから、半世紀前には、「腹が痛い」となれば正露丸という対応が常識化していたのだ。 アニサキスには、これで良かったのだ。痛み出して、すぐに4粒飲めば、たちまち駆虫作用を発揮して、噛みついていた胃壁や腸壁から離れて排泄された。
 刺身や寿司の好きな人は、ポケットに正露丸を忍ばせて、食後、予防的に飲んだ方が良いかも知れない。

 痛みが激しければ、ロキソニンS錠剤が実に良く効く。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1351.html



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Amazon.co.jp : 正露丸
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E6%AD%A3%E9%9C%B2%E4%B8%B8&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss



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アニサキス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%B5%E3%82%AD%E3%82%B9


アニサキス(学名:Anisakis)は回虫目アニサキス科アニサキス属に属する線虫の総称。全ての種が魚介類に寄生する寄生虫であり、食中毒(アニサキス症)の原因寄生虫として知られる。


生活環

アニサキスの生活環
@海中に排泄された卵(0)
Aa孵化した幼虫(1)は、b遊泳生活に移る(2)
B甲殻類に寄生して成長する(3)
C中間宿主を渡り歩く(3)
D感染期:海生哺乳類またはヒトへの感染能力を持つ(3)
E海生哺乳類の体内で成虫(4)となり産卵する F症例期:ヒトの体内でアニサキス症を引き起こす
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%B5%E3%82%AD%E3%82%B9#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Anisakiasis_01.png

最終宿主は主にイルカやクジラなど海生哺乳類(種により異なる)で、成虫はその腸管に棲息する。卵は排泄物とともに海中へ放出されて孵化し、オキアミなどの甲殻類に寄生して第3期幼虫まで発育する。

食物連鎖上位の魚類やイカ(種により異なる)を中間宿主とし、その内臓などで更に成長する。中間宿主が最終宿主に捕食されると、その消化管から体内に侵入して成虫となる。 ヒトの体内では成虫にはなれず[1]、中間宿主でもないため、数日で死ぬか排泄される。


終宿主

激しい腹痛や吐き気などを伴う[2](詳細は後述)。生きたアニサキスの第3期幼虫(体長は11-37mm位)を経口摂取して発症し、主に Anisakis simplex、Anisakis physeteris 及び Pseudoterranova decipiens の3種により引き起こされる。

1955年、オランダのStraubによりニシンの寄生虫による症状が報告され、後にVan Thielにより原因がアニサキスであると特定された[3]。近縁のシュードテラノバ属(鰭脚類に寄生する)Pseudoterranova decipiens の幼虫による、同様の症状(シュードテラノバ症)を含める場合もある。

中間宿主の魚介類(サケ、サバ、アジ、イカ、タラなど)を、加熱が不十分なまま摂食すると感染する恐れがある。アニサキスの幼虫は主に宿主の内臓に寄生しているため、これを非加熱で食べることは高リスクとなる。筋肉部にも侵入するため、内臓を避けても完全には防げない。


日本
刺身など生食文化があることから、感染リスクは高いと見られる。1965年頃までは海産魚介類の寄生虫は無害とされ、生きた寄生虫は鮮度の証と見做されたという。1999年にアニサキスが食品衛生法で食中毒の原因物質とされ、さらに2012年からは保健所への届出が義務づけられている[4]。 2007年度までは年間数例に留まっていたが、2012年以降急増した(2016年は124件)。これは、厚生労働省が統計項目に加え実態把握が進んだこと、流通の発達と複雑化によりアニサキスが生きたまま食卓に到達する機会が増したことなどが指摘されている[5]。

ただし、これは届出を集計したものであり、実際には氷山の一角と見なせる。1997年の厚労省による検討[6]でも、年間7,147件との試算[7]や、2千-3千名以上との推定[8]が挙げられていた。

なお、日本海と太平洋でマサバの寄生種が大きく異なることがDNA解析により判明しており、太平洋側で大半を占めるsimplex種(アニサキス症の原因3種の一つ)が、日本海側(とくに南部)ではほとんど見られなかった。日本海側で多いpegreffii種は発症リスクが低い(simplex種の100分の1未満)ため、九州北部でサバを刺身などで生食する習慣が根付いているのはこのことが原因と考えられる[9]。

症状
寄生部位(穿孔部位)により、胃アニサキス症、腸アニサキス症、腸管外アニサキス症に分けられる。 幼虫の多くは消化管壁を貫通出来ないが、貫通した場合は穿孔性腹膜炎や寄生虫性肉芽腫を発症することもある。 なお、激痛の原因は即時型アレルギーによるもの[10]とする説がある。

胃アニサキス症 食後数時間で激しい腹痛と嘔吐。吐瀉物が胃液のみで下痢がないことが一般的な食中毒と異なる。
腸アニサキス症 腸重積症[11]。
腸管外アニサキス症 膵アニサキス症[12]。寄生虫性肉芽腫。


治療
アニサキス自体に特異的な治療薬(特効薬)は、見つかっていない。

胃アニサキス症は、開腹あるいは内視鏡手術で幼虫を摘出するのが一般的で、速やかに症状が消失することが多い。 襞(ひだ)の間に穿入し対処が困難な場合、造影剤のアミドトリゾ酸(ガストログラフィン®)[13]や、メントール[14]の散布により幼虫が腸管内へ戻り、摘出しやすくなることが報告されている。

腸アニサキス症は、腸閉塞など重篤な症状では開腹手術[15][16][17]が行われる。手術を避け、上記のアミドトリゾ酸(回虫の虫下しでもある)により、駆虫を試みることもある[18]。

一方、ステロイド系抗炎症薬[19]と抗アレルギー薬を投与すると駆虫はできずとも、症状が軽快する症例があることが報告されている[20]。

正露丸に含まれる木クレオソートにはアニサキスの運動抑制作用があり、症状の改善が期待できる。また内視鏡での摘出の際の前処置薬としても有効性が期待できる(特許取得済み)[21][22]。

予防
アニサキスの中間宿主を生食しないことが、最も確実と言える。

それ以外では、60℃で1分以上の熱処理、または長時間の冷凍によって、感染リスクを減少できる。冷凍温度と保持時間に関する規定は次の通り。

日本:-20℃以下で24時間以上(厚生労働省の指導)
オランダ:ニシンに対し、-20℃以下で24時間以上(1968年の法律で義務付け)
アメリカ合衆国:生食用の魚に対し、-35℃以下で15時間、または-20℃以下で7日間(アメリカ食品医薬品局の勧告)
欧州連合(EU):生食用の海産魚に対し、-20℃以下で24時間以上(衛生管理基準による指示事項。視覚検査も義務付けられている)
近年では目視検査での見落としを減らし、紫外線、ブラックライトなどを使ってアニサキスを発見する検査装置が、静岡産業社や株式会社イシダから販売されている[23][24]。

アイヌ、ナナイ、ヤクートなど北方の先住民には魚を冷凍保存し薄く切って食べる風習がある。アイヌ料理のルイベは魚を雪に埋めて冷凍し、食べる際には凍ったまま切り分け火で炙って溶かし塩をかける。また軒先に吊すことで凍結と乾燥を繰り返した干物状態のルイベもある。現在市販されているルイベは厚労省の指導に従い-20℃以下まで冷やされている。

予防効果の期待出来ないもの

販売されている 鮭 Oncorhynchus keta に付着していた生きているアニサキス。
よく噛んで食べる:アニサキスの虫体はかなり強靱で、通常の咀嚼では噛み切れない。
2017年5月9日放送のテレビ番組『スーパーJチャンネル』にて「傷つくとすぐ死ぬので、よく噛めば口の中で死滅させられる」と紹介された[25]が、アニサキスを噛み殺すことを意識して、念入りに咀嚼する必要があると見られる[26]。
薄く切る:虫体を切断できないリスクが高く、目視による除去が推奨されている。
薬味(ショウガ、ワサビ、ニンニク)、酢:人が食べられる濃度では殺虫効果はない[27]。
アレルギー
生きた幼虫による即時型ではなくアルサス型のアレルギー反応であり、初回感染時は無症状で、再感染により発症する。

イカ、サバ、ハマチ等を摂取した際、発疹及び蕁麻疹などのアレルギー症状を示すが、検査において魚介類では陽性反応を示さない場合、アニサキスによるアレルギーが原因の場合がある[28]。

また本アレルギーの原因物質は、冷凍または加熱をしても残存するので、魚介類加工品を摂取した時も症状が現れる場合がある。ただし、鮮度の低下した魚介類の摂食によるヒスタミン型の食中毒を誤認している場合もある。

利用
アニサキス症を罹った患者の胃に未発見の初期ガンがあり、そこにアニサキスが集まっていたことが伊万里有田共立病院から2014年に報告された[29]。この報告に着目した九州大学らの研究グループは、カエノラブディティス・エレガンス (Caenorhabditis elegans) を使って尿による癌検診の判別実験に成功した[30][31]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%B5%E3%82%AD%E3%82%B9
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1227.html

[近代史5] 山菜を食べよう 中川隆
1. 中川隆[-8968] koaQ7Jey 2020年12月24日 20:25:20 : udCN6gynxw : aXAvbjNaOXlCTC4=[3]
アイヌのシャーマンの薬草を使った難病の治療


ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う

1989年の秋、日本列島の「気の文化」を考える上で、また日本人の生き方を見つめ直す上でも国内の先住民族・アイヌの伝統文化を学ぶことが最も重要なことだと考えた津村喬さんから、「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修名で私と連れ合いにコーディネートをしてほしいという要請があった。 

その前年、私は一年近くアイヌの人達と仕事をしたおかげで、道内のかなりの数のアイヌの人達と知り合っていた。とりわけアイヌ語でカムイノミ(神事)のできるエカシ(長老)や伝統的な女の手仕事を身に付けているフチ(おばあさんの尊敬語)との出会いは強烈で、北海道で生まれ育ってはいたものの今まで実際には知る機会がなかった目に見えない世界・魂の領域を私が意識するようになれたのもこの頃からだった。

 ぜひ年内に第一回目を実施したいという津村さんからの要請を引き受けてはみたものの具体的な提案はなく、全てこちらにおまかせ方式。これは大変な課題を背負ってしまったと悩みつつも、自分が出会い感動したアイヌのコスモロジーをなんとか他の人達にも伝えたいという気持ちがいわば私のエネルギーになっていた。

 アイヌの伝統文化の根幹に学ぼうとするならばシャーマニズムは不可欠なものだが、沢山出会ったアイヌの人達から今もシャーマンがいるという話は一度も聞いたことがなかった。よく考えてみれば、和人がいっきにおしよせた明治以降、厳しい同化政策が一方的に進む中でアイヌの信仰やシャーマニズムの世界は特に差別の対象にされてきたのだから、私が知り合ったアイヌの年輩者達がそれらの事を今でもそう簡単に口にすることはできなかったのだろう。

はたして薬草や呪術的な世界に精通したシャーマンは今も存在しているのだろうか。

どういう組み立て方にしようかと考えあぐねた私は、「アイヌ自然医学」というテーマの研修をするならばやはりこの本しかないと思ったのが『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ(樹心社)』だった。

これは札幌在住の写真家で伝承医学研究家の長井博さんが記録した本で、アイヌの伝統医術の世界、とりわけ人間の誕生・出産に関するコスモロジーが青木愛子ババを通して驚くほど豊かに語られていた。

アイヌに関する書籍は次々出版されていたが、この本のように一人の実在するシャーマンの口から伝承医術が具体的に語られている内容のものは当時これ一冊といってよかった。

 表紙の言葉をそのまま紹介すると

「青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(クスリ)、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して(ウエインカラ ツス ウエポタラ)、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍している。

本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見、その言葉の一つ一つを丹念に記録して、アイヌの信仰と文化の実態に迫った伝承の知恵の書。」

と書かれていた。

 研修の核となりうる存在はこの人だと思ったもののいっさいの噂を耳にしたことがなかった当時の私は、もしかしたら亡くなっているのではという不安をいだきながら大急ぎで愛子ババ探しを始めた。しかし、意外にも出会いは短距離で実現した。ババは二風谷に健在で、親しくしていた樺さんの母方の叔母さんにあたるというのだ。

「連れては行くが、それから先の話は自力でやるように。」と樺さんに念をおされながら私達が訪ねて行ったのは研修実施一ヶ月前の事だった。

初めて訪ねて行った時の愛子ババは、すでに産婆としての現役時代を終えてはいたものの、鋭い眼光でいきなり「アイヌのモンキー見物に来たのか!」と煙草をふかしながら言った。

参ったなあと思うほどこちらを見透かすような強い眼力と迫力で、こういう人には素直にしなくてはと思った途端、

「なしてそんな青っちょろい顔してる。」とババは連れ合いに向かって言いながら自分の近くに手招きした。

私達がそばににじりよるとババはポイと煙草をほおってよこした。

「いいから二回吸ったらババさよこせ。」。

連れ合いが言われるままに煙草を吸いババに戻すと、今度はババがまたその煙草を一口大きく吸い、薪ストーブの焚き口を開けて火の神様にアイヌ語でなにやら祈りはじめた。私達にはアイヌ語は解からなかったが、何か連れ合いのために神々にお願いしてくれているということはよく伝わりありがたい気持ちになった。


 この時、愛子ババは私達と初めて会ったのにもかかわらず、連れ合いが帝王切開かつ仮死状態で生まれ、決して丈夫とはいえない体で育ち、一ヶ月前に母親を癌で亡くしたせいで身も心も疲れており、父親も病弱で心配の種であることなどを瞬時にして感じとっていた。

質問などいっさいなしで、ババの心の中には連れ合いのことが色々観えてしまっていた。ババはこういうふうにいろいろ観えてしまうことを“胸の知らせ”と言っていたが、初対面で私達はいきなりシャーマンが持つウエインカラ(千里眼)の力を思い知らされた。

 祈り終わるとババはすぐに

「ババのこと信じるか。」

とたずね、私達が信じますと心からそう思って答えると、

「ババのことを信じてこの薬草がなくなるまで煎じて飲めば丈夫になる。間違いないから。」

と言いながら部屋中にぶら下がっている薬草の中から連れ合いに必要なものを選び、無造作に渡してよこした。そして何度も

「あんたのためにやる薬だから他の人には絶対やるんじゃないよ。信じて飲めば効くんだから。」

と言った。

その時ババが連れ合いのために選んだ薬草は、ヤマニンジンとシケレベ(きはだの木の実)、キトピロ(行者ニンニク)だった。

この日、私達はアイヌのシャーマンがウエインカラ(千里眼)と薬草術によって人を癒やすことを身をもって体験した。そしてババは一ヶ月後に研修で訪ねて来る人達にも会うことを約束してくれた。

 再び二風谷を訪れるまでの間、連れ合いはババの薬草を毎日煎じて飲み、どのくらいからか記憶はさだかではないが一ヶ月後には慢性的な下痢が止まり、血色の良い顔になっていた。

生まれつき胃腸が弱いせいか下痢状態の便があたりまえだった彼にとってこれは画期的なことで、どんなに沢山食べても痩せていた体に少しづつ肉がつきはじめていた。


■89年12月、慌ただしい師走の隙間をぬうようにして「アイヌ自然医学を訪ねて」の第一回研修ツアーは実施され、冬〜夏〜秋〜春と季節を変えながら4年続き、5年目は京都気功会の企画として、さらに翌年は春なお寒い道北の白樺樹液採集の森を訪ねつつ通算6年間行なわれ、延べ120人余りの人達が参加した。

 研修内容は毎回かならず二風谷を訪ねて愛子ババと歓談することをはじめ、大長老の葛野エカシや亡くなった織田フチ、木幡エカシ、当時まだ国会議員ではなかった萱野茂さん、杉村京子フチ、千歳コタンのフチ達、その他多くのアイヌの人達の様々な協力に支えられた。チプサンケ(舟おろしの祭り)やラォマップ・カムイノミ(伝統漁法による鮭迎えの儀式)にも参列させてもらった。

また、不治の病いを愛子ババに助けられ、それ以後伝承医学の研究をライフワークにされている長井博さんには、ほとんど毎回お話を聞かせていただいた。


しかしなんといってもこの研修の核となったのは愛子ババである。回を重ねるごとに急速に体調を崩していったババは、入退院を繰り返し、こんどは無理かなと思っていても不思議に研修ツアーの時は自宅に戻っていて皆に会い続けてくれ、毎回参加者とババとの間にはなにかしらのドラマが生まれた。

 ババはウエインカラでその人の不幸や心の傷を観てとると、「かぁわいそうにぃ〜。」と独特の言い方と眼差しでその人を包んだ。いきなりとも言えるその愛の癒しに沢山涙を流した人達がいた。

「いつまでも空家(独身)にしとかないで、もっと素直になれ。幸せになんないばだめだ。」と言われた人。

「真っ直ぐいけ。真っ直ぐいってどんとぶつかれ。」と言われた人。

「あとはここ(胸のチャクラを指差して)、ここの窓を開けばいいだけ。すぐそこまできてるんだから。」と言われた人。

「今のこの人と一緒になれば幸せになるから。」と言われて翌朝すぐに相手の所に行って結婚を決めた人。


ババは終始一貫して皆に最愛の人を見つけ、結婚して幸せな家庭を育むようにと言っていたが、大宇宙の法則からしてそれが自然な営みなのだから自然に逆らわずに生きることが一番だと説いていた。

 また、ババは参加者の何人かの手を握り、ほんの少し手相を観てはその人の不幸や具合の悪さをいったん自分に引き受けその人を癒した。

「なんともない。だいじょうぶだから頑張って。」とババに言われた人は、手を握られている間に悪い手相が消えていた。不思議な話だが本当だ。

ババの説明によるとその人を癒そうとする時、その人の病いや悩みをババはいったん我身に引き受け、その後自力あるいは自分の憑き神様達の力で、引き受けた悪いものを自分の外に祓い落とすのだそうだ。 

皆と歓談しているうちにフゥーフゥーと肩で大きく息を吐きながら、水をがぶがぶ飲むこともしばしばで、

「憑いてた悪いもん引き受けてやったしょ。したから火照って、火照ってどうもなんないしょ。」

と私に耳打ちしながら着ている物を次々脱いで肌着一枚になったこともあった。


こうした“いったん我身に引き受ける癒し”の行為にはものすごいエネルギーを必要とし、歳をとり体が弱ってきたババにはだんだんそれがしんどくなっていた。それにもかかわらずババは自分に助けを求める人が傍らにいれば、たとえ相手が無意識でもつい手を差し伸べ悪いものを引き受けてしまっていた。

 愛子ババは、優れたイコインカラクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、薬草や整体を含める各種療術師であった。カムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)も行ない、さらにはウェプンキネ(看取り)も行なっていた。その人がさわやかにあの世へと旅立つことができるようにその人のトゥレンペヘ(憑き神)と話し合ったりしながら臨終に立ち会うこともしていた。

 これについては昨年9月に出版された『女と男の時空: /ヒメとヒコの時代(藤原書店)』という本の中で、旭川医科大学助教授の松岡悦子さんが「魂を見守る人」というタイトルで愛子ババのことを書いている。84年から88年までの4年間に松岡さんが愛子ババのもとに通って話を聞いたもので、これを読むと愛子ババを通して知るアイヌのシャーマンの役割とは、総じて「魂を見守る」ということなのがよく解る。

助産を意味するイコインカルは見守るという意味であり、臨終を看取るウェプンキネということばも見守るという意味なのだそうだ。

つまり愛子ババは直接的には生まれてくる赤ちゃんや死にゆく人を見守りながら、この世とあの世とを行き来する魂を見守る役目をはたしてきた。そしてこれまでアイヌのコタン(共同体)には、愛子ババのようなシャーマンがかならずいて人々の健康と生と死を見守ってきたのだ。


■私達が「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修ツアーをきっかけにして愛子ババと出会った時、ババはすでに現役時代を終えて少しづつあの世へ旅立つ準備を始めていたともいえる。八人の子宝に恵まれ、皆無事に成人してはいたものの私と同じくらい歳の末の娘さんは不治の病いで病院生活が長く、どんなに他人を癒すことができても我が子にその力は効かないのだとババは時々シャーマンの運命を悲しそうに語った。

 私達は6年間、ババと一緒に食事をし、歓談し、研究者のような質問をさけ、ただただ一年に一度皆でババに会うのを楽しみとした。「たまげたなあ。皆、心のきれいな人ばっかしでないの。」とババは大きな目を見開いて言い、かならず皆のためにアイヌ語で祈ってくれた。津村さんが愉気をしてあげるととても気持ちが良いと喜び、「先生こんどいつ来る?。ババの生きてるうちにもう来ないっしょっ。」とわざとだだっ子のように言うのが口癖だった。

 そんなババが第4回目春の時には一緒に山に入り、子供の時よく遊んだというカンカンの沢まで行った。途中茂みの中に生まれてまもなく亡くなったお父さんの霊が姿を現わし、ババはうわさ通りの立派な風貌だとすごく喜んだ。その日の夕方、ババは今まで自分が祝い事の儀式の際、神々と交信するために用いてきたトゥキ(お椀)とトゥキパスイ(捧酒箸)を参加者全員の前で津村さんに贈った。

唐突にお祈りを始め「このトゥキをシサムのツムラに贈るのでカムイよどうかそれを許して祝ってください。」というような内容の祈りが終わると、なんの説明もなしにいきなり津村さんにあげるから持って帰れと言った。津村さんが驚いて「こんな大事なものはいただけない。」と断わると、「甥っこや娘らが持つよりも先生んとこさいくほうが生きる(トゥキが)から。祝い事にしか使ってこなかったんだよ。なしてさっさとしまわない。」とババは相変わらず乱暴な口のききかたをし、隣りにいる私になぜ津村は受け取らないのかと目で言った。ババは津村さんを代表にこうして自分のもとに集い、自分からの一方的な愛だけでなくお互いに癒し合う交わりを本当に喜んでくれていたのだ。

そしてこれから先も手渡した神器が愛と幸せを祝う働きをなしていくようにとババは願っていた。恐縮している津村さんをうながしてババからの贈り物を受け取ってもらいながら、私は全員がこの神器と共に大事な心をババから託されたという実感を抱いた。


■ババがあの世へ旅立ってからも、時々私にはあの独特な話し声が聞こえてくる。

「自分が今までこうして生きてこれたのも、愛のおかげさ。こんな田舎の、それもうんと昔に、なしてババに愛子なんて名前ついたのさ。“愛”でしょ。愛のために生きる人になれって、愛をみんなさ伝える人になれって、どっか上の方(神様)でババの親にそういう名前をつけさせたのさ。

アイヌもシャモ(和人)も全国世界中、神の道は一つなんだよ。“ウテキアニ(註:ウ・互いに テク・手 イ・それを アニ・執る)”さ。解かるかい。

こうやって(自分の両脇にすわった人の手を握り)あんたもあんたも(目で一同に手をつなぎ合うよううながす)ほらこうすれば伝わってくるっしょ。これがウテキアニ。これが愛でしょ。」。研修ツアーで遠くから訪ねて来た皆にババが一番伝えたかった話だ。

 癒しにおいて大切なのは超能力や技術よりもむしろ愛だということは、愛子ババだけでなく多くのヒーラーが語っていることで、気功でもそれは同じことだろう。世界が健康でなければ個人の健康もないという立場も愛を基にしてこそ成り立つものだ。

自分では何も書き残すことのなかった愛子ババは直接触れ合った私達に、大切なものの伝え方、遺し方を教えてくれた。ババの愛に包まれた者は、また自分が出会った人にその愛を手渡していけば良いのだと思う。今は神戸で暮らすババの神器が、協会のこれからの活動の中で、津村さんのそして私達の人生の中で、愛と幸せを祝うことができるようにと祈りたい。
http://www2.comco.ne.jp/~micabox/grugru/aiko1.html

青木愛子さんについては

アイヌ民族 (朝日文庫) (文庫)
本多 勝一 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022613572

でも詳細に紹介されています。  
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/459.html#c1

[近代史5] イギリスのピューリタンがやった事
イギリスのピューリタンがやった事

イギリスではクリスマスが禁止されたことが過去にはある。

 その時期とは宗教改革が行われていた頃。イギリスでも16世紀の半ばから始まるが、改革派の中でも強硬だったのがピューリタン。国王の横暴に反発する人が増える中、国王派と対立していた議会派の一員としてピューリタンは戦ったが、そのリーダーがオリバー・クロムウェルだった。

 国王派を倒すと、議会派の内部で対立が生じる。クロムウェルは貴族や大商人が多かった長老派を追放して国王を処刑、次いで貧農や小市民に支持されていた水平派を弾圧してスコットランドやアイルランドを侵略し、住民を虐殺した。侵略された地域では人が集まることが規制されたようだ。占領地で実行される政策だ。

 クリスマスを禁止したのはクロムウェルを含むピューリタン。今でもアメリカで最も力を持っていると言われているのは、このピューリタンである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012240000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/461.html

[番外地8] このオッサンは普通の学生がドストエフスキーやカフカやニーチェを読んでいる時に金儲けばかりしてたんだね。
このオッサンは普通の学生がドストエフスキーやカフカやニーチェを読んでいる時に金儲けばかりしてたんだね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/738.html
[お知らせ・管理20] 世間の噂 _ 阿修羅はCIAに乗っ取られた? 中川隆
43. 中川隆[-8967] koaQ7Jey 2020年12月24日 23:57:53 : udCN6gynxw : aXAvbjNaOXlCTC4=[5]
事実だと明らかになった世論操作

 中国政府が新型コロナウイルス感染拡大初期の今年1月から、自国のインターネット世論をどのように操作・統制していたかを赤裸々に示す文書が公開された。

今月19日(現地時間)、米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)と米インターネット非営利調査報道機関プロパブリカ(ProPublica)は新型コロナ以降、中国政府が世論を統制するために作成した文書や各種の指針、合計5000件を分析して報道した。

 この文書は、ソーシャル・メディアやインターネット・ニュースを管掌する中国政府機関「網信辦(中国インターネット情報弁公室)」杭州支局と政府協力会社の「雲潤大数据(雲潤ビッグデータ)」から最近ハッキングされたものだ。

NYTは「中国政府の世論統制は秘密ではないが、そのためにどれだけ多くの政府機関やメディアが動員され、技術や資金が投入されているのか公になったのは異例だ」と伝えている。

中国で新型コロナの感染が拡大し始めた今年1月、網信辦の目標は新型コロナの深刻さを隠すことだった。中国全域のメディアには「今回のウイルス問題を重症急性呼吸器症候群(SARS)に結び付けるな」という指示が下された。「SARSトラウマ」を抱えている中国の人々が新型コロナに対し恐怖心を抱くことを懸念したからだ。2003年に発生したSARSは中国当局の対応がおくれたことから、本土だけで349人の死者を出した。

イ・ボルチャン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
2020/12/21 10:01
http://www.asyura2.com/20/kokusai29/msg/812.html
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/582.html#c43

[お知らせ・管理21] 赤かぶさんの投稿スタイルに疑義あり AN
24. 中川隆[-8966] koaQ7Jey 2020年12月24日 23:58:15 : udCN6gynxw : aXAvbjNaOXlCTC4=[6]
事実だと明らかになった世論操作

 中国政府が新型コロナウイルス感染拡大初期の今年1月から、自国のインターネット世論をどのように操作・統制していたかを赤裸々に示す文書が公開された。

今月19日(現地時間)、米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)と米インターネット非営利調査報道機関プロパブリカ(ProPublica)は新型コロナ以降、中国政府が世論を統制するために作成した文書や各種の指針、合計5000件を分析して報道した。

 この文書は、ソーシャル・メディアやインターネット・ニュースを管掌する中国政府機関「網信辦(中国インターネット情報弁公室)」杭州支局と政府協力会社の「雲潤大数据(雲潤ビッグデータ)」から最近ハッキングされたものだ。

NYTは「中国政府の世論統制は秘密ではないが、そのためにどれだけ多くの政府機関やメディアが動員され、技術や資金が投入されているのか公になったのは異例だ」と伝えている。

中国で新型コロナの感染が拡大し始めた今年1月、網信辦の目標は新型コロナの深刻さを隠すことだった。中国全域のメディアには「今回のウイルス問題を重症急性呼吸器症候群(SARS)に結び付けるな」という指示が下された。「SARSトラウマ」を抱えている中国の人々が新型コロナに対し恐怖心を抱くことを懸念したからだ。2003年に発生したSARSは中国当局の対応がおくれたことから、本土だけで349人の死者を出した。

イ・ボルチャン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
2020/12/21 10:01
http://www.asyura2.com/20/kokusai29/msg/812.html
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/571.html#c24

[お知らせ・管理19] 管理人さん、赤かぶのデタラメ投稿をいつまで放置するのですか。 SOBA
26. 中川隆[-8965] koaQ7Jey 2020年12月24日 23:58:47 : udCN6gynxw : aXAvbjNaOXlCTC4=[7]
事実だと明らかになった世論操作

 中国政府が新型コロナウイルス感染拡大初期の今年1月から、自国のインターネット世論をどのように操作・統制していたかを赤裸々に示す文書が公開された。

今月19日(現地時間)、米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)と米インターネット非営利調査報道機関プロパブリカ(ProPublica)は新型コロナ以降、中国政府が世論を統制するために作成した文書や各種の指針、合計5000件を分析して報道した。

 この文書は、ソーシャル・メディアやインターネット・ニュースを管掌する中国政府機関「網信辦(中国インターネット情報弁公室)」杭州支局と政府協力会社の「雲潤大数据(雲潤ビッグデータ)」から最近ハッキングされたものだ。

NYTは「中国政府の世論統制は秘密ではないが、そのためにどれだけ多くの政府機関やメディアが動員され、技術や資金が投入されているのか公になったのは異例だ」と伝えている。

中国で新型コロナの感染が拡大し始めた今年1月、網信辦の目標は新型コロナの深刻さを隠すことだった。中国全域のメディアには「今回のウイルス問題を重症急性呼吸器症候群(SARS)に結び付けるな」という指示が下された。「SARSトラウマ」を抱えている中国の人々が新型コロナに対し恐怖心を抱くことを懸念したからだ。2003年に発生したSARSは中国当局の対応がおくれたことから、本土だけで349人の死者を出した。

イ・ボルチャン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
2020/12/21 10:01
http://www.asyura2.com/20/kokusai29/msg/812.html
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/534.html#c26

[リバイバル3] EAR の真空管アンプ 中川隆
29. 中川隆[-8970] koaQ7Jey 2020年12月25日 08:22:19 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[2]
伝説のオーディオ・デザイナー、ティム・デ・パラヴィッチーニ氏が逝去
2020年12月21日 ダン・マインワルド、EAR USA
https://positive-feedback.com/audio-discourse/tim-de-paravicini/


伝説のオーディオ・デザイナー、ティム・デ・パラヴィッチーニ氏が12月17日、

日本で75歳で亡くなったことを深い悲しみとともに報告する。死因は肝臓がんでした。

ティムはナイジェリアでイギリス人の両親のもとに生まれました。彼の家系は、
母国イタリアと数百年前に一族の一枝が定住したイギリスの両方で名家の血統を

受け継いでいます。彼の先祖の一人は、ジェノバから教皇グレゴリー15世の

特使であり、後にジェノバの公爵となったアゴスティーノ・パッラヴィチーニ

である。アンソニー・ヴァン・ダイクが描いたパラヴィッチーニの肖像画は、
ゲッティ美術館のコレクションとして常設展示されています。ティムは実は

男爵であり、彼の家系には何世代にもわたってその称号が受け継がれていました。

ティムは教育のためにイギリスに連れてこられ、電気工学の学位を取得しました。

学位を取得した後、南アフリカのヨハネスブルグに移り住み、

hi-fl店のコンサルタントとして働き、トランスやアンプを製造する工場を経営し、

ロックグループのPAシステムを構築したり、レコーディングスタジオの仕事を

したりしていました。彼がヨハネスブルグで働いていた人々の中には、

ラックスマンの輸入代理店もあり、1972年にはラックスマンを日本以外の

世界に注目させるために、ラックスマンの最高経営責任者に雇われることになりました。
彼は当時日本でオーディオデザインの仕事をしていた最初で唯一の西洋人でした。

ティムがLuxmanで働いている間に日本語を学び、妻のOlivaと出会い、

今でも注目を集めているいくつかの注目すべきオーディオコンポーネントを

デザインしました。おそらく最も有名なのは、世界初のマッスルアンプの一つであり、
日本から出た最初の製品である巨大なトランジスタパワーアンプの

M6000でしょう。他にも、当時世界で唯一のモノブロックアンプで
あった真空管アンプMB3045も設計しており、現在では当初の販売価格の

数倍の価格で売買されています。

ティムは真空管コンポーネントの設計で最もよく知られていますが、

M6000アンプの存在は、彼が真空管とトランジスタの両方のギアを

設計していたのが彼にとっては容易であったことを物語っています。

彼は、どちらが優れているということはないと考えており、
適切な回路設計を行えば、両者は同じ音を奏でるはずだと考えていました。


ティムはプロオーディオの世界と家庭用Hi-Fiの世界の両方に

またがっていました。プロオーディオの世界では、ATRとStuderの

テープ・マシンを根本的に改造したことで知られています。

これらのマシンはデジタルレベルのS/N比を実現し、8Hzから80,000Hzを超える
帯域幅を持っています。ここでもティムは真空管とソリッドステートの

両方のデバイスを使用しました。Waterlily Acousticsがグラミー賞を
受賞した「Meeting By The River」のレコーディングに使用した

Studer C37は全て真空管で、Mobile Fidelity Sound LabがLPやCDのマスタリングに
使用しているテープ・マシンの電子機器はソリッド・ステートですが、

LPのカッティング・ヘッドはEARの真空管アンプで駆動されています。

ティムは1976年に日本を離れ、イギリスに戻り、最初は他の人のために

デザインの仕事をしていました。この時期の彼の製品で最もよく知られているのは、
Michaelson & Austinのために製作したTVA-1とTVA-10アンプでは

ないでしょうか。彼は1978年にEAR(Esoteric Audio Researchの

頭文字をとったもの)を設立し、
その名のもとにオーディオ製品のラインアップを作り始めました。

彼はまた、Musical Fidelity、Alchemy(現在は廃業)、そして最近では

Quadなど、他の会社でもデザインを続けています。


彼の機材を使用している多くの有名なレコーディングおよびマスタリング

エンジニアのリストには、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、

ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、レディオヘッド、

ダイアー・ストレイツ、フランク・ザッパなどが含まれています。

ポール・スタッブルバインは、テープ・プロジェクトのために、

テープ・マシンを使ってリール・ツー・リールのテープを再生したり

複製したりしています。1978年からピンク・フロイドのプロデューサー兼

レコーディング・エンジニアを務めているジェームス・ガスリーは、
EARのテープ・マシンとその他の機材を多数所有しており、

最近ではピンク・フロイドの全カタログのリマスタリングに使用しています。

ティムの機材を所有し使用しているミュージシャンのリストには、

ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、故ジョージ・ハリスン、
レニー・クラヴィッツ、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアなどが

含まれており、文字通りティムの機材をいくつも所有しています。

ティムのオーディオ・コンポーネントは数々の賞を受賞しており、

その中には、The Absolute Sound誌のゴールデン・イヤー賞や
クリティックス・チョイス賞、Stereophile誌のクラスA賞

(といくつかの-B賞)、フランスの雑誌Revue Du Son、

Haute Fidelite、Diapasonの12以上のトップ・アワード、

イギリスの雑誌Hi Fi Newsのエディターズ・チョイス賞、

日本の雑誌Stereo SoundのComponent Of The Yearなどがあります。
ティム・デ・パラヴィチーニ氏には、妻のオリバ?(芳野さん)、息子のネヴィン、

娘のアバロンが遺されています。EAR社は、ネヴィン・デ・

パラヴィッチーニの有能な手の下で運営を続けていきます。

個人的には、ティムとは30年以上の付き合いがあり、

そのほとんどの期間、彼の米国での代理店を務めたことは、

私にとって名誉であり特権でした。彼を知らない人(知っている人も)は、

彼が不機嫌で短気なこともあると思うかもしれませんが、

彼をよく知っている人は、彼が最も優しくて寛大な人の一人で

あることを知っていました。音楽を聴くためにシステムの電源を

入れるたびに彼がいなくなるのは寂しいですが、同時に金属、

ガラス、プラスチック、ワイヤーの塊を本物の音楽のように

聴かせる彼の素晴らしい能力の恩恵を受けることができたことに

感謝しています。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/947.html#c29

[リバイバル3] CD 専用プレーヤー EAR Acute Classic _ ティム・デ・パラヴィチーニの世界 中川隆
64. 中川隆[-8969] koaQ7Jey 2020年12月25日 08:22:47 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[3]
伝説のオーディオ・デザイナー、ティム・デ・パラヴィッチーニ氏が逝去
2020年12月21日 ダン・マインワルド、EAR USA
https://positive-feedback.com/audio-discourse/tim-de-paravicini/


伝説のオーディオ・デザイナー、ティム・デ・パラヴィッチーニ氏が12月17日、

日本で75歳で亡くなったことを深い悲しみとともに報告する。死因は肝臓がんでした。

ティムはナイジェリアでイギリス人の両親のもとに生まれました。彼の家系は、
母国イタリアと数百年前に一族の一枝が定住したイギリスの両方で名家の血統を

受け継いでいます。彼の先祖の一人は、ジェノバから教皇グレゴリー15世の

特使であり、後にジェノバの公爵となったアゴスティーノ・パッラヴィチーニ

である。アンソニー・ヴァン・ダイクが描いたパラヴィッチーニの肖像画は、
ゲッティ美術館のコレクションとして常設展示されています。ティムは実は

男爵であり、彼の家系には何世代にもわたってその称号が受け継がれていました。

ティムは教育のためにイギリスに連れてこられ、電気工学の学位を取得しました。

学位を取得した後、南アフリカのヨハネスブルグに移り住み、

hi-fl店のコンサルタントとして働き、トランスやアンプを製造する工場を経営し、

ロックグループのPAシステムを構築したり、レコーディングスタジオの仕事を

したりしていました。彼がヨハネスブルグで働いていた人々の中には、

ラックスマンの輸入代理店もあり、1972年にはラックスマンを日本以外の

世界に注目させるために、ラックスマンの最高経営責任者に雇われることになりました。
彼は当時日本でオーディオデザインの仕事をしていた最初で唯一の西洋人でした。

ティムがLuxmanで働いている間に日本語を学び、妻のOlivaと出会い、

今でも注目を集めているいくつかの注目すべきオーディオコンポーネントを

デザインしました。おそらく最も有名なのは、世界初のマッスルアンプの一つであり、
日本から出た最初の製品である巨大なトランジスタパワーアンプの

M6000でしょう。他にも、当時世界で唯一のモノブロックアンプで
あった真空管アンプMB3045も設計しており、現在では当初の販売価格の

数倍の価格で売買されています。

ティムは真空管コンポーネントの設計で最もよく知られていますが、

M6000アンプの存在は、彼が真空管とトランジスタの両方のギアを

設計していたのが彼にとっては容易であったことを物語っています。

彼は、どちらが優れているということはないと考えており、
適切な回路設計を行えば、両者は同じ音を奏でるはずだと考えていました。


ティムはプロオーディオの世界と家庭用Hi-Fiの世界の両方に

またがっていました。プロオーディオの世界では、ATRとStuderの

テープ・マシンを根本的に改造したことで知られています。

これらのマシンはデジタルレベルのS/N比を実現し、8Hzから80,000Hzを超える
帯域幅を持っています。ここでもティムは真空管とソリッドステートの

両方のデバイスを使用しました。Waterlily Acousticsがグラミー賞を
受賞した「Meeting By The River」のレコーディングに使用した

Studer C37は全て真空管で、Mobile Fidelity Sound LabがLPやCDのマスタリングに
使用しているテープ・マシンの電子機器はソリッド・ステートですが、

LPのカッティング・ヘッドはEARの真空管アンプで駆動されています。

ティムは1976年に日本を離れ、イギリスに戻り、最初は他の人のために

デザインの仕事をしていました。この時期の彼の製品で最もよく知られているのは、
Michaelson & Austinのために製作したTVA-1とTVA-10アンプでは

ないでしょうか。彼は1978年にEAR(Esoteric Audio Researchの

頭文字をとったもの)を設立し、
その名のもとにオーディオ製品のラインアップを作り始めました。

彼はまた、Musical Fidelity、Alchemy(現在は廃業)、そして最近では

Quadなど、他の会社でもデザインを続けています。


彼の機材を使用している多くの有名なレコーディングおよびマスタリング

エンジニアのリストには、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、

ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、レディオヘッド、

ダイアー・ストレイツ、フランク・ザッパなどが含まれています。

ポール・スタッブルバインは、テープ・プロジェクトのために、

テープ・マシンを使ってリール・ツー・リールのテープを再生したり

複製したりしています。1978年からピンク・フロイドのプロデューサー兼

レコーディング・エンジニアを務めているジェームス・ガスリーは、
EARのテープ・マシンとその他の機材を多数所有しており、

最近ではピンク・フロイドの全カタログのリマスタリングに使用しています。

ティムの機材を所有し使用しているミュージシャンのリストには、

ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、故ジョージ・ハリスン、
レニー・クラヴィッツ、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアなどが

含まれており、文字通りティムの機材をいくつも所有しています。

ティムのオーディオ・コンポーネントは数々の賞を受賞しており、

その中には、The Absolute Sound誌のゴールデン・イヤー賞や
クリティックス・チョイス賞、Stereophile誌のクラスA賞

(といくつかの-B賞)、フランスの雑誌Revue Du Son、

Haute Fidelite、Diapasonの12以上のトップ・アワード、

イギリスの雑誌Hi Fi Newsのエディターズ・チョイス賞、

日本の雑誌Stereo SoundのComponent Of The Yearなどがあります。
ティム・デ・パラヴィチーニ氏には、妻のオリバ?(芳野さん)、息子のネヴィン、

娘のアバロンが遺されています。EAR社は、ネヴィン・デ・

パラヴィッチーニの有能な手の下で運営を続けていきます。

個人的には、ティムとは30年以上の付き合いがあり、

そのほとんどの期間、彼の米国での代理店を務めたことは、

私にとって名誉であり特権でした。彼を知らない人(知っている人も)は、

彼が不機嫌で短気なこともあると思うかもしれませんが、

彼をよく知っている人は、彼が最も優しくて寛大な人の一人で

あることを知っていました。音楽を聴くためにシステムの電源を

入れるたびに彼がいなくなるのは寂しいですが、同時に金属、

ガラス、プラスチック、ワイヤーの塊を本物の音楽のように

聴かせる彼の素晴らしい能力の恩恵を受けることができたことに

感謝しています。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/853.html#c64

[近代史3] アルプス山脈の中で最も標高の高い山頂(4000メートル以上)だけが現在の地質時代である完新世を通じて氷に覆われていた
アルプス山脈の中で最も標高の高い山頂(4000メートル以上)だけが、約1万1650年前に始まった現在の地質時代である完新世を通じて氷に覆われていた


2020年12月24日
完新世のアルプス山脈の氷河
https://sicambre.at.webry.info/202012/article_29.html


 完新世のアルプス山脈の氷河に関する研究(Bohleber et al., 2020)が公表されました。過去の氷河の動態が気候の変化にどのように関係しているの解明することは、今後のアルプス山脈における氷河の減少速度を評価する上で役立つ可能性があります。これまでの研究から、アルプス山脈の標高4000m以上のいくつかの山頂で最も古い氷の年代は、11500年前頃と推定されていました。

 この研究は、オーストリアのエッツタール・アルプスで、ヴァイスゼーシュピッツェ(Weißseespitze)山頂氷河の氷から岩盤までの雪氷コア2本を標高3500mで掘削し、分析しました。この掘削地点は、5300〜5100年前頃と推定されているミイラの「アイスマン(愛称エッツィ)」が発見された、イタリアのエッツタール・アルプスの標高3210mの地点から12キロメートル離れています。アイスマンの状態は良好だったので、遺伝学などさまざまな分野の研究が進んでおり、アイスマンの衣服と矢筒に由来する9点の皮革断片のミトコンドリアDNA解析により、どの動物種の皮革断片なのか、明らかになっています(関連記事)。

 この研究は、先史時代の試料の年代を決定するための重要な手法である放射性炭素年代測定法を用いて、深さ11mの岩盤の直上の氷の年代が5900年前頃と明らかにしました。これは、アルプス山脈の中で最も標高4000m以上の地点だけが、完新世を通じて氷に覆われていたことを示唆しています。つまり、アイスマンの視界にはアルプス山脈の氷河が入っていなかったかもしれない、というわけです。岩盤の直上の氷は、氷のない期間を経て初めて形成された氷であるため、その最大年代を決定できれば、過去の氷のない期間を特定できます。

 これらの知見は、完新世に起こったアルプス山脈の標高4000m未満の山頂での氷河減少に前例がなかったわけではないことを示していますが、現在の氷河減少が前例のないハイペースで起こっているのかについては、さらなる情報が必要です。この研究は、現在の融解速度で推移すれば、外界の影響を受けやすい保存記録である岩盤の直上の古い氷は、今後20年以内に失われる可能性がある、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


地質学:チロルのアイスマンが見ていたアルプス山脈の山頂に氷はなかったかもしれない

 アルプス山脈の標高3000〜4000メートルの山頂は、チロルのアイスマン「エッツィ」が生まれる直前の約5900年前までは氷がなく、この頃から新たな氷河が形成され始めたとする研究報告が、Scientific Reports に掲載される。この知見は、アルプス山脈の中で最も標高の高い山頂(4000メートル以上)だけが、約1万1650年前に始まった現在の地質時代である完新世を通じて氷に覆われていたことを示唆している。

 過去の氷河の動態が気候の変化にどのように関係しているかを解明することは、今後のアルプス山脈における氷河の減少速度を評価する上で役立つ可能性がある。これまでの研究から、アルプス山脈の標高4000メートル以上のいくつかの山頂で最も古い氷の年代は、1万1500年前と決定されていた。

 今回、Pascal Bohleberたちの研究チームは、オーストリアのエッツタール・アルプスで、ヴァイスゼーシュピッツェ山頂氷河の氷から岩盤までの雪氷コア2本を標高3500メートルで掘削し、分析した。この掘削地点は、アイスマン(5100〜5300年前と年代決定された)が発見された標高3210メートルの地点から12キロメートル離れたところにある。Bohleberたちは、先史時代の試料の年代を決定するための重要なツールである放射性炭素年代測定法を用いて、深さ11メートルの岩盤の直上の氷が5900年前のものであることを明らかにした。岩盤の直上の氷は、氷のない期間を経て初めて形成された氷であるため、その最大年代を決定できれば、過去の氷のない期間を特定できる。

 以上の知見は、完新世に起こったアルプス山脈の標高4000メートル未満の山頂での氷河減少に前例がなかったわけではないことを示しているが、現在の氷河減少が前例のないハイペースで起こっているのかについては、さらなる情報が必要である。Bohleberたちは、現在の融解速度で推移すれば、外界の影響を受けやすい保存記録である岩盤の直上の古い氷は、今後20年以内に失われる可能性があると述べている。


参考文献:
Bohleber P. et al.(2020): New glacier evidence for ice-free summits during the life of the Tyrolean Iceman. Scientific Reports, 10, 20513.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-77518-9

https://sicambre.at.webry.info/202012/article_29.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1037.html

[近代史5] 中国は人口が多いのに購買力が増えない理由
中国は人口が多いのに購買力が増えない理由


12-25 税金を納める世代を囲い込む都市部のエゴが顕在化
2020/12/25




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/462.html

[近代史5] 米国のカラー革命に資金を出している富豪はファシズム体制の樹立を目指している 中川隆
2. 中川隆[-8968] koaQ7Jey 2020年12月25日 11:01:11 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[6]
2020.12.25
資本主義からファシズムへ移行するクーデターにローマ教皇庁も参加へ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012250000/

 資本主義体制のリーダー達は12月8日、「​バチカンを含む包括的資本主義会議​」を発足させた。WEF(世界経済フォーラム)と連携、その創設者であるクラウス・シュワブが言ったようにCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して資本主義を大々的に「リセット」するつもりなのだろう。

 この会議を創設するうえで中心的な役割を果たしたのはリン・フォレスター・ド・ロスチャイルド。ロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンは今年の8月で90歳になったが、リン・フォレスターは66歳。ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。

 リン・フォレスターはエベリンと知り合う前、ジェフリー・エプスタインのプライベート・ジェットに乗った記録が残っている。言うまでもなく、エプスタインは未成年の少女を世界の有力者に提供、接待の様子を記録して脅しに使っていた人物。妻のギスレインや義父のロバート・マクスウェルと同じようにイスラエル軍の情報機関、つまりAMAMに所属していた。

 このロバート・マクスウェルに対し、リン・フォレスターは1991年頃、マンハッタンにある自身の住宅を自由に使わせていた。マクスウェルはその年の11月、カナリア諸島沖でヨットから行方不明になり、しばらくして膨張した裸の死体が発見された。マクスウェルの下で仕事をしていたジョン・タワー元米上院議員は同じ年の4月、搭乗していた近距離定期便がジョージア州ブランズウィック空港付近で墜落して死亡している。ふたりはイスラエルの情報機関の仕事をしていた。

 ロスチャイルド人脈が「バチカンを含む包括的資本主義会議」で中心的な役割を果たしているのだろうが、ロックフェラー財団やフォード財団も関係、そしてローマ教皇庁が加わった。目指しているのは資本主義の「リセット」、つまり破綻した資本主義から私的権力が直接統治するファシズム体制への移行だ。そのために邪魔なロシアと中国を潰すため、あらゆる手段を講じてくるだろう。アメリカは日本も自分たちの戦争マシーンに組み込んでいる。2021年から世界を舞台とした「超限戦」が本格化する可能性が高い。そのための準備はCOVID-19を利用して進められている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012250000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/202.html#c2

[番外地8] このオッサンは普通の学生がドストエフスキーやカフカやニーチェを読んでいる時に金儲けばかりしてたんだね。 中川隆
2. 中川隆[-8967] koaQ7Jey 2020年12月25日 11:08:13 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[7]
音楽バンドやったり、真空管アンプを作ったり、テニスやったり、岩登りしたり、スキーやったり、映画見たりとか、遊びをやる事で人間や社会について深く理解できる様になるんだよ。橋洋一さんはそういうのを全くやらなかったから人間の事も社会の事も理解できなくなったんだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/738.html#c2
[番外地8] このオッサンは普通の学生がドストエフスキーやカフカやニーチェを読んでいる時に金儲けばかりしてたんだね。 中川隆
3. 中川隆[-8966] koaQ7Jey 2020年12月25日 11:11:17 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[8]
学生は革命運動やったり、音楽バンドやったり、真空管アンプを作ったり、テニスやったり、岩登りしたり、スキーやったり、映画見たりとか、遊びをやる事で人間や社会について深く理解できる様になるんだよ。橋洋一さんはそういうのを全くやらなかったから人間の事も社会の事も理解できなくなったんだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/738.html#c3
[近代史4] ウェスタン・エレクトリックの出力管 300B を使ったパワーアンプ 中川隆
2. 中川隆[-8965] koaQ7Jey 2020年12月25日 11:24:33 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[9]
「音楽&オーディオ」の小部屋
高級外車と真空管アンプ 2020年12月20日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c989170124b5efa55bec1eb4177ac1ed


「久しぶりに真空管アンプのヒアリングテストを行いますのでお見えになりませんか?」とのお誘いに乗って駆けつけてくれた近くにお住いのYさん。

相変わらず我が家のオーディオ実験の実例になるが、なぜこういう話を公開するかというとオーディオはまだ未解明な部分が多いことに尽きる。

結局、個々のオーディオ環境にとってあまりにも「変数」が多すぎるので理論もさることながら、やむなく実験に頼らざるを得ないのが実情です。

つまり、実際にやってみなくちゃ分からん(笑)。

そこで、我が家の実例を通じて「場数=疑似体験」を踏んでいただき、少しでもご参考にしていただければという願いと観点から記録をしたためています。ただし、真に受けられても困りますので適当に取捨選択してくださいね。

それでは、前提としてテストの概要を述べておこう。

まず、スピーカーの構成だがこのブログの恒常的な読者なら先刻ご承知のはずなので「今さらくどい」とお叱りを受けそうだが、初見の方がいらっしゃる可能性もあるので念のため。

フルレンジ → 「スーパー10」(ワーフェデール:口径25センチ・赤帯マグネット)

ツィーター → 「075」ツィーター(JBL:シンバル再生用としてマイカコンデンサーでローカット)

サブウーファー → 「スーパー12」(ワーフェデール:口径30センチ・赤帯マグネット)イン・ウェストミンスター

ムンドルフ(ドイツ)の「ゼロ抵抗コイル」(6.8+8.2=15mh)を用いて150ヘルツ(−6db/oct)でハイカット

このスピーカーのうち「150ヘルツ以下」を「EL34プッシュプル」(借用中)で駆動し、フルレンジ部分に限って3台の真空管アンプでヒアリングテストしようという魂胆である。

最初に登場するのは「6AR6=6098」シングルアンプの登場。

2年ほど前に手に入れたアンプで出力管は「6AR6=6098」(この球は初期版に限る)である。GT管とはいえ、素性を辿るとアメリカ軍のレーダー用に使用されていた由緒ある「WE350B」に行き着くのだから出自がたいへんよろしい。

これは5極管だが「3極管接続」にすると、あの英国の銘管「PX4=PP3/250」そっくりの周波数曲線になるというのが魅力。

初段管は「CV569=ECC35=6SL7」(STC)を使用。ボリューム部分は「クラロスタット型」に変更している。

そして、Yさんのご感想は次のとおり。

「とてもスッキリとしていて抜けがいい音ですね。昔あった”スカッと爽やかコカ・コーラ”という言葉を思い出しました。ただ、クラシックの場合はもっと響きが欲しい気がしますね。

TRアンプの再生音がこういった感じです。アッ、そうそう低音域は別にして我が家の「マーク・レヴィンソン」の音とそっくりですよ。お値段からしたら大したものですね」

「このアンプは響きが少ない分、解像力の良さが売り物です。ピアノでいえばヤマハとスタンウェイの差ですかね。しかし、AXIOM80を鳴らすと不思議なことに細身同士での相乗効果といいますか、そこはかとない色気が出てくるので重宝してます。この大型システムには相性がイマイチみたいですかね〜」

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c989170124b5efa55bec1eb4177ac1ed

切磋琢磨する真空管アンプたち
2020年12月24日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fea2d309babb9061769e8eb836163801


お待たせしました〜。前々回のオーディオ仲間との「真空管アンプ試聴会」の続きです。

「6AR6=6098シングルアンプ」の次は「PX25シングル」アンプの登場。

このアンプを購入してからもう25年ぐらいになるだろうか。どこかかしこに不満が出てくるし、己の使いこなしの未熟さも手伝うしで、専門家に改造をお願いすること延べ4回くらいにはなる。

今のところ落ち着いているが、基本的には「インターステージトランス」(UTCのA19)の性能に不足はないものの、もっと容量が増えたら「ベター」といったところかな。

球の構成のうち大切な整流管は「WE422A」(1958年製)を奮発し、出力管は英国製の「PX25」(ナス管)だが、音のいい3極管型の出力管として10年ほど前はアメリカの「WE300B」と並び称されていたほどだが、近年ではお値段的に「WE300B」の後塵を拝するようになった。

どうして人気が凋落したのかはよく分からないが、音質的に引けは取らないと思うものの「丈夫さ」の点では明らかに「WE300B」の方に軍配が上がるのでそのせいかな。

いずれにしても比較的リーズナブルなお値段で手に入れやすくなったのは喜ぶべきこと。

ちなみに、このPX25の上級管として「PP5/400」(英国マツダ:初期版)も持っているが、現在のインターステージトランスでは役不足「?」と大切に待機保存中である。

このアンプも前段管(ドライバー管)次第でくるくる音が変わる。これまで常用していたのはやや低音域に比重を置いた「GSXー112」(アメリカ:トリタンフィラメント)だったが、今回のテストでは中高音域にメリハリのある「3A/109B」(STC:画像左)に代えてみた。

すると、これが大当たり!

オーディオ仲間のYさんが「これならいつも聴かせてもらっているWE300Bアンプとそれほど遜色がありませんよ!とても瑞々しい音です。」

「STC」の優秀さはもちろんだが、おそらくプリアンプ(マランツ7型:3本の球はいずれもBRIMARの12AX7)との相性やRCAケーブルとSPケーブル(いずれもLAN素材)との相乗効果ということになるのだろう。

関係の方々に感謝です!

そして最後に登場したのは、真打の「WE300Bシングル」アンプ。

球の構成は整流管に「4274A」(STC)、前段管は71A(レイセオン)、出力管は「WE300B」(1988年製)のラインアップ。

そして各真空管の「ヒーター回路」は別々になっているのがミソ。

トランス類は入力トランスが「HAー100X」(UTC)、インターステージトランスは「HA-106」(UTC)、出力トランスは個人の手巻きによるもの。

そして、シャーシは「漏れ磁界」に強い厚さ2mmの銅板を使っている。

「300Bアンプはインターステージトランスに何を使うかで勝負が決まります」とは「北国の真空管博士」の弁だが、その点、我が家の「HA-106」は理想的な逸品だそうだ。ただし、オークションにもめったに出ないしもう入手するのは無理とのこと。

したがって、万一「インター・・」が断線したらこのアンプは価値が半減するので毎日がヒヤヒヤの連続である(笑)。

今回の試聴会も相変わらず信頼に応えてくれた。

「とても端正な音の一言に尽きますね。PX25アンプよりも音像が一段とシャープになって焦点(フォーカス)がピタリと決まる感じです。音の粒立ちも素晴らしいし、これはもう完璧な音ですよ!」と仲間。

何だか自慢話みたいになってしまったが、「ありのまま」を記載しているのでどうかお許しを(笑)。

さて、この原稿を書いている時点でこの試聴会から1週間以上経っているのだが、毎日出番となっているのは「PX25」アンプの方である。

さすがに「WE300Bアンプ」は何だか勿体なくてなかなか使う気になれない。

つくづく「貧乏性」だねえ(笑)。

そして、最後になるが現在仲間からお借りしている「EL34プッシュプル」アンプ。

低音域(150ヘルツ以下)再生の専用アンプとしてもう2週間ほど使っているが、お値段も大したことがないし使用されている真空管も近代管だし、そのうち何らかの破綻を見せることだろうと悠長に構えていたらどうして、どうして・・。

ちょっと欲が出てきて、ありふれた電源ケーブルを手持ちの「キンバー」ケーブルに交換したらすぐに耳ざとい仲間が気が付いた。

「アレッ、音に締まりが出てきました。何か代えませんでしたか?」

ギャフン!

それにしても、低音域専用だけなら近代管でも十分いけそう。言い換えると、古典管の持ち味というのは中高音域にあるようですよ。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fea2d309babb9061769e8eb836163801
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/118.html#c2

[近代史5] 真空管アンプの世界 中川隆
5. 中川隆[-8964] koaQ7Jey 2020年12月25日 11:25:25 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[10]
「音楽&オーディオ」の小部屋
高級外車と真空管アンプ 2020年12月20日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c989170124b5efa55bec1eb4177ac1ed


「久しぶりに真空管アンプのヒアリングテストを行いますのでお見えになりませんか?」とのお誘いに乗って駆けつけてくれた近くにお住いのYさん。

相変わらず我が家のオーディオ実験の実例になるが、なぜこういう話を公開するかというとオーディオはまだ未解明な部分が多いことに尽きる。

結局、個々のオーディオ環境にとってあまりにも「変数」が多すぎるので理論もさることながら、やむなく実験に頼らざるを得ないのが実情です。

つまり、実際にやってみなくちゃ分からん(笑)。

そこで、我が家の実例を通じて「場数=疑似体験」を踏んでいただき、少しでもご参考にしていただければという願いと観点から記録をしたためています。ただし、真に受けられても困りますので適当に取捨選択してくださいね。

それでは、前提としてテストの概要を述べておこう。

まず、スピーカーの構成だがこのブログの恒常的な読者なら先刻ご承知のはずなので「今さらくどい」とお叱りを受けそうだが、初見の方がいらっしゃる可能性もあるので念のため。

フルレンジ → 「スーパー10」(ワーフェデール:口径25センチ・赤帯マグネット)

ツィーター → 「075」ツィーター(JBL:シンバル再生用としてマイカコンデンサーでローカット)

サブウーファー → 「スーパー12」(ワーフェデール:口径30センチ・赤帯マグネット)イン・ウェストミンスター

ムンドルフ(ドイツ)の「ゼロ抵抗コイル」(6.8+8.2=15mh)を用いて150ヘルツ(−6db/oct)でハイカット

このスピーカーのうち「150ヘルツ以下」を「EL34プッシュプル」(借用中)で駆動し、フルレンジ部分に限って3台の真空管アンプでヒアリングテストしようという魂胆である。

最初に登場するのは「6AR6=6098」シングルアンプの登場。

2年ほど前に手に入れたアンプで出力管は「6AR6=6098」(この球は初期版に限る)である。GT管とはいえ、素性を辿るとアメリカ軍のレーダー用に使用されていた由緒ある「WE350B」に行き着くのだから出自がたいへんよろしい。

これは5極管だが「3極管接続」にすると、あの英国の銘管「PX4=PP3/250」そっくりの周波数曲線になるというのが魅力。

初段管は「CV569=ECC35=6SL7」(STC)を使用。ボリューム部分は「クラロスタット型」に変更している。

そして、Yさんのご感想は次のとおり。

「とてもスッキリとしていて抜けがいい音ですね。昔あった”スカッと爽やかコカ・コーラ”という言葉を思い出しました。ただ、クラシックの場合はもっと響きが欲しい気がしますね。

TRアンプの再生音がこういった感じです。アッ、そうそう低音域は別にして我が家の「マーク・レヴィンソン」の音とそっくりですよ。お値段からしたら大したものですね」

「このアンプは響きが少ない分、解像力の良さが売り物です。ピアノでいえばヤマハとスタンウェイの差ですかね。しかし、AXIOM80を鳴らすと不思議なことに細身同士での相乗効果といいますか、そこはかとない色気が出てくるので重宝してます。この大型システムには相性がイマイチみたいですかね〜」

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c989170124b5efa55bec1eb4177ac1ed

切磋琢磨する真空管アンプたち
2020年12月24日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fea2d309babb9061769e8eb836163801


お待たせしました〜。前々回のオーディオ仲間との「真空管アンプ試聴会」の続きです。

「6AR6=6098シングルアンプ」の次は「PX25シングル」アンプの登場。

このアンプを購入してからもう25年ぐらいになるだろうか。どこかかしこに不満が出てくるし、己の使いこなしの未熟さも手伝うしで、専門家に改造をお願いすること延べ4回くらいにはなる。

今のところ落ち着いているが、基本的には「インターステージトランス」(UTCのA19)の性能に不足はないものの、もっと容量が増えたら「ベター」といったところかな。

球の構成のうち大切な整流管は「WE422A」(1958年製)を奮発し、出力管は英国製の「PX25」(ナス管)だが、音のいい3極管型の出力管として10年ほど前はアメリカの「WE300B」と並び称されていたほどだが、近年ではお値段的に「WE300B」の後塵を拝するようになった。

どうして人気が凋落したのかはよく分からないが、音質的に引けは取らないと思うものの「丈夫さ」の点では明らかに「WE300B」の方に軍配が上がるのでそのせいかな。

いずれにしても比較的リーズナブルなお値段で手に入れやすくなったのは喜ぶべきこと。

ちなみに、このPX25の上級管として「PP5/400」(英国マツダ:初期版)も持っているが、現在のインターステージトランスでは役不足「?」と大切に待機保存中である。

このアンプも前段管(ドライバー管)次第でくるくる音が変わる。これまで常用していたのはやや低音域に比重を置いた「GSXー112」(アメリカ:トリタンフィラメント)だったが、今回のテストでは中高音域にメリハリのある「3A/109B」(STC:画像左)に代えてみた。

すると、これが大当たり!

オーディオ仲間のYさんが「これならいつも聴かせてもらっているWE300Bアンプとそれほど遜色がありませんよ!とても瑞々しい音です。」

「STC」の優秀さはもちろんだが、おそらくプリアンプ(マランツ7型:3本の球はいずれもBRIMARの12AX7)との相性やRCAケーブルとSPケーブル(いずれもLAN素材)との相乗効果ということになるのだろう。

関係の方々に感謝です!

そして最後に登場したのは、真打の「WE300Bシングル」アンプ。

球の構成は整流管に「4274A」(STC)、前段管は71A(レイセオン)、出力管は「WE300B」(1988年製)のラインアップ。

そして各真空管の「ヒーター回路」は別々になっているのがミソ。

トランス類は入力トランスが「HAー100X」(UTC)、インターステージトランスは「HA-106」(UTC)、出力トランスは個人の手巻きによるもの。

そして、シャーシは「漏れ磁界」に強い厚さ2mmの銅板を使っている。

「300Bアンプはインターステージトランスに何を使うかで勝負が決まります」とは「北国の真空管博士」の弁だが、その点、我が家の「HA-106」は理想的な逸品だそうだ。ただし、オークションにもめったに出ないしもう入手するのは無理とのこと。

したがって、万一「インター・・」が断線したらこのアンプは価値が半減するので毎日がヒヤヒヤの連続である(笑)。

今回の試聴会も相変わらず信頼に応えてくれた。

「とても端正な音の一言に尽きますね。PX25アンプよりも音像が一段とシャープになって焦点(フォーカス)がピタリと決まる感じです。音の粒立ちも素晴らしいし、これはもう完璧な音ですよ!」と仲間。

何だか自慢話みたいになってしまったが、「ありのまま」を記載しているのでどうかお許しを(笑)。

さて、この原稿を書いている時点でこの試聴会から1週間以上経っているのだが、毎日出番となっているのは「PX25」アンプの方である。

さすがに「WE300Bアンプ」は何だか勿体なくてなかなか使う気になれない。

つくづく「貧乏性」だねえ(笑)。

そして、最後になるが現在仲間からお借りしている「EL34プッシュプル」アンプ。

低音域(150ヘルツ以下)再生の専用アンプとしてもう2週間ほど使っているが、お値段も大したことがないし使用されている真空管も近代管だし、そのうち何らかの破綻を見せることだろうと悠長に構えていたらどうして、どうして・・。

ちょっと欲が出てきて、ありふれた電源ケーブルを手持ちの「キンバー」ケーブルに交換したらすぐに耳ざとい仲間が気が付いた。

「アレッ、音に締まりが出てきました。何か代えませんでしたか?」

ギャフン!

それにしても、低音域専用だけなら近代管でも十分いけそう。言い換えると、古典管の持ち味というのは中高音域にあるようですよ。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fea2d309babb9061769e8eb836163801
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/415.html#c5

[リバイバル3] 真空管アンプについての よく有る誤解 中川隆
19. 中川隆[-8963] koaQ7Jey 2020年12月25日 11:25:54 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[11]
「音楽&オーディオ」の小部屋
高級外車と真空管アンプ 2020年12月20日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c989170124b5efa55bec1eb4177ac1ed


「久しぶりに真空管アンプのヒアリングテストを行いますのでお見えになりませんか?」とのお誘いに乗って駆けつけてくれた近くにお住いのYさん。

相変わらず我が家のオーディオ実験の実例になるが、なぜこういう話を公開するかというとオーディオはまだ未解明な部分が多いことに尽きる。

結局、個々のオーディオ環境にとってあまりにも「変数」が多すぎるので理論もさることながら、やむなく実験に頼らざるを得ないのが実情です。

つまり、実際にやってみなくちゃ分からん(笑)。

そこで、我が家の実例を通じて「場数=疑似体験」を踏んでいただき、少しでもご参考にしていただければという願いと観点から記録をしたためています。ただし、真に受けられても困りますので適当に取捨選択してくださいね。

それでは、前提としてテストの概要を述べておこう。

まず、スピーカーの構成だがこのブログの恒常的な読者なら先刻ご承知のはずなので「今さらくどい」とお叱りを受けそうだが、初見の方がいらっしゃる可能性もあるので念のため。

フルレンジ → 「スーパー10」(ワーフェデール:口径25センチ・赤帯マグネット)

ツィーター → 「075」ツィーター(JBL:シンバル再生用としてマイカコンデンサーでローカット)

サブウーファー → 「スーパー12」(ワーフェデール:口径30センチ・赤帯マグネット)イン・ウェストミンスター

ムンドルフ(ドイツ)の「ゼロ抵抗コイル」(6.8+8.2=15mh)を用いて150ヘルツ(−6db/oct)でハイカット

このスピーカーのうち「150ヘルツ以下」を「EL34プッシュプル」(借用中)で駆動し、フルレンジ部分に限って3台の真空管アンプでヒアリングテストしようという魂胆である。

最初に登場するのは「6AR6=6098」シングルアンプの登場。

2年ほど前に手に入れたアンプで出力管は「6AR6=6098」(この球は初期版に限る)である。GT管とはいえ、素性を辿るとアメリカ軍のレーダー用に使用されていた由緒ある「WE350B」に行き着くのだから出自がたいへんよろしい。

これは5極管だが「3極管接続」にすると、あの英国の銘管「PX4=PP3/250」そっくりの周波数曲線になるというのが魅力。

初段管は「CV569=ECC35=6SL7」(STC)を使用。ボリューム部分は「クラロスタット型」に変更している。

そして、Yさんのご感想は次のとおり。

「とてもスッキリとしていて抜けがいい音ですね。昔あった”スカッと爽やかコカ・コーラ”という言葉を思い出しました。ただ、クラシックの場合はもっと響きが欲しい気がしますね。

TRアンプの再生音がこういった感じです。アッ、そうそう低音域は別にして我が家の「マーク・レヴィンソン」の音とそっくりですよ。お値段からしたら大したものですね」

「このアンプは響きが少ない分、解像力の良さが売り物です。ピアノでいえばヤマハとスタンウェイの差ですかね。しかし、AXIOM80を鳴らすと不思議なことに細身同士での相乗効果といいますか、そこはかとない色気が出てくるので重宝してます。この大型システムには相性がイマイチみたいですかね〜」

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c989170124b5efa55bec1eb4177ac1ed

切磋琢磨する真空管アンプたち
2020年12月24日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fea2d309babb9061769e8eb836163801


お待たせしました〜。前々回のオーディオ仲間との「真空管アンプ試聴会」の続きです。

「6AR6=6098シングルアンプ」の次は「PX25シングル」アンプの登場。

このアンプを購入してからもう25年ぐらいになるだろうか。どこかかしこに不満が出てくるし、己の使いこなしの未熟さも手伝うしで、専門家に改造をお願いすること延べ4回くらいにはなる。

今のところ落ち着いているが、基本的には「インターステージトランス」(UTCのA19)の性能に不足はないものの、もっと容量が増えたら「ベター」といったところかな。

球の構成のうち大切な整流管は「WE422A」(1958年製)を奮発し、出力管は英国製の「PX25」(ナス管)だが、音のいい3極管型の出力管として10年ほど前はアメリカの「WE300B」と並び称されていたほどだが、近年ではお値段的に「WE300B」の後塵を拝するようになった。

どうして人気が凋落したのかはよく分からないが、音質的に引けは取らないと思うものの「丈夫さ」の点では明らかに「WE300B」の方に軍配が上がるのでそのせいかな。

いずれにしても比較的リーズナブルなお値段で手に入れやすくなったのは喜ぶべきこと。

ちなみに、このPX25の上級管として「PP5/400」(英国マツダ:初期版)も持っているが、現在のインターステージトランスでは役不足「?」と大切に待機保存中である。

このアンプも前段管(ドライバー管)次第でくるくる音が変わる。これまで常用していたのはやや低音域に比重を置いた「GSXー112」(アメリカ:トリタンフィラメント)だったが、今回のテストでは中高音域にメリハリのある「3A/109B」(STC:画像左)に代えてみた。

すると、これが大当たり!

オーディオ仲間のYさんが「これならいつも聴かせてもらっているWE300Bアンプとそれほど遜色がありませんよ!とても瑞々しい音です。」

「STC」の優秀さはもちろんだが、おそらくプリアンプ(マランツ7型:3本の球はいずれもBRIMARの12AX7)との相性やRCAケーブルとSPケーブル(いずれもLAN素材)との相乗効果ということになるのだろう。

関係の方々に感謝です!

そして最後に登場したのは、真打の「WE300Bシングル」アンプ。

球の構成は整流管に「4274A」(STC)、前段管は71A(レイセオン)、出力管は「WE300B」(1988年製)のラインアップ。

そして各真空管の「ヒーター回路」は別々になっているのがミソ。

トランス類は入力トランスが「HAー100X」(UTC)、インターステージトランスは「HA-106」(UTC)、出力トランスは個人の手巻きによるもの。

そして、シャーシは「漏れ磁界」に強い厚さ2mmの銅板を使っている。

「300Bアンプはインターステージトランスに何を使うかで勝負が決まります」とは「北国の真空管博士」の弁だが、その点、我が家の「HA-106」は理想的な逸品だそうだ。ただし、オークションにもめったに出ないしもう入手するのは無理とのこと。

したがって、万一「インター・・」が断線したらこのアンプは価値が半減するので毎日がヒヤヒヤの連続である(笑)。

今回の試聴会も相変わらず信頼に応えてくれた。

「とても端正な音の一言に尽きますね。PX25アンプよりも音像が一段とシャープになって焦点(フォーカス)がピタリと決まる感じです。音の粒立ちも素晴らしいし、これはもう完璧な音ですよ!」と仲間。

何だか自慢話みたいになってしまったが、「ありのまま」を記載しているのでどうかお許しを(笑)。

さて、この原稿を書いている時点でこの試聴会から1週間以上経っているのだが、毎日出番となっているのは「PX25」アンプの方である。

さすがに「WE300Bアンプ」は何だか勿体なくてなかなか使う気になれない。

つくづく「貧乏性」だねえ(笑)。

そして、最後になるが現在仲間からお借りしている「EL34プッシュプル」アンプ。

低音域(150ヘルツ以下)再生の専用アンプとしてもう2週間ほど使っているが、お値段も大したことがないし使用されている真空管も近代管だし、そのうち何らかの破綻を見せることだろうと悠長に構えていたらどうして、どうして・・。

ちょっと欲が出てきて、ありふれた電源ケーブルを手持ちの「キンバー」ケーブルに交換したらすぐに耳ざとい仲間が気が付いた。

「アレッ、音に締まりが出てきました。何か代えませんでしたか?」

ギャフン!

それにしても、低音域専用だけなら近代管でも十分いけそう。言い換えると、古典管の持ち味というのは中高音域にあるようですよ。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fea2d309babb9061769e8eb836163801
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html#c19

[近代史4] 真空管アンプの世界 中川隆
14. 中川隆[-8962] koaQ7Jey 2020年12月25日 11:26:44 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[12]
「音楽&オーディオ」の小部屋
高級外車と真空管アンプ 2020年12月20日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c989170124b5efa55bec1eb4177ac1ed


「久しぶりに真空管アンプのヒアリングテストを行いますのでお見えになりませんか?」とのお誘いに乗って駆けつけてくれた近くにお住いのYさん。

相変わらず我が家のオーディオ実験の実例になるが、なぜこういう話を公開するかというとオーディオはまだ未解明な部分が多いことに尽きる。

結局、個々のオーディオ環境にとってあまりにも「変数」が多すぎるので理論もさることながら、やむなく実験に頼らざるを得ないのが実情です。

つまり、実際にやってみなくちゃ分からん(笑)。

そこで、我が家の実例を通じて「場数=疑似体験」を踏んでいただき、少しでもご参考にしていただければという願いと観点から記録をしたためています。ただし、真に受けられても困りますので適当に取捨選択してくださいね。

それでは、前提としてテストの概要を述べておこう。

まず、スピーカーの構成だがこのブログの恒常的な読者なら先刻ご承知のはずなので「今さらくどい」とお叱りを受けそうだが、初見の方がいらっしゃる可能性もあるので念のため。

フルレンジ → 「スーパー10」(ワーフェデール:口径25センチ・赤帯マグネット)

ツィーター → 「075」ツィーター(JBL:シンバル再生用としてマイカコンデンサーでローカット)

サブウーファー → 「スーパー12」(ワーフェデール:口径30センチ・赤帯マグネット)イン・ウェストミンスター

ムンドルフ(ドイツ)の「ゼロ抵抗コイル」(6.8+8.2=15mh)を用いて150ヘルツ(−6db/oct)でハイカット

このスピーカーのうち「150ヘルツ以下」を「EL34プッシュプル」(借用中)で駆動し、フルレンジ部分に限って3台の真空管アンプでヒアリングテストしようという魂胆である。

最初に登場するのは「6AR6=6098」シングルアンプの登場。

2年ほど前に手に入れたアンプで出力管は「6AR6=6098」(この球は初期版に限る)である。GT管とはいえ、素性を辿るとアメリカ軍のレーダー用に使用されていた由緒ある「WE350B」に行き着くのだから出自がたいへんよろしい。

これは5極管だが「3極管接続」にすると、あの英国の銘管「PX4=PP3/250」そっくりの周波数曲線になるというのが魅力。

初段管は「CV569=ECC35=6SL7」(STC)を使用。ボリューム部分は「クラロスタット型」に変更している。

そして、Yさんのご感想は次のとおり。

「とてもスッキリとしていて抜けがいい音ですね。昔あった”スカッと爽やかコカ・コーラ”という言葉を思い出しました。ただ、クラシックの場合はもっと響きが欲しい気がしますね。

TRアンプの再生音がこういった感じです。アッ、そうそう低音域は別にして我が家の「マーク・レヴィンソン」の音とそっくりですよ。お値段からしたら大したものですね」

「このアンプは響きが少ない分、解像力の良さが売り物です。ピアノでいえばヤマハとスタンウェイの差ですかね。しかし、AXIOM80を鳴らすと不思議なことに細身同士での相乗効果といいますか、そこはかとない色気が出てくるので重宝してます。この大型システムには相性がイマイチみたいですかね〜」

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c989170124b5efa55bec1eb4177ac1ed

切磋琢磨する真空管アンプたち
2020年12月24日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fea2d309babb9061769e8eb836163801


お待たせしました〜。前々回のオーディオ仲間との「真空管アンプ試聴会」の続きです。

「6AR6=6098シングルアンプ」の次は「PX25シングル」アンプの登場。

このアンプを購入してからもう25年ぐらいになるだろうか。どこかかしこに不満が出てくるし、己の使いこなしの未熟さも手伝うしで、専門家に改造をお願いすること延べ4回くらいにはなる。

今のところ落ち着いているが、基本的には「インターステージトランス」(UTCのA19)の性能に不足はないものの、もっと容量が増えたら「ベター」といったところかな。

球の構成のうち大切な整流管は「WE422A」(1958年製)を奮発し、出力管は英国製の「PX25」(ナス管)だが、音のいい3極管型の出力管として10年ほど前はアメリカの「WE300B」と並び称されていたほどだが、近年ではお値段的に「WE300B」の後塵を拝するようになった。

どうして人気が凋落したのかはよく分からないが、音質的に引けは取らないと思うものの「丈夫さ」の点では明らかに「WE300B」の方に軍配が上がるのでそのせいかな。

いずれにしても比較的リーズナブルなお値段で手に入れやすくなったのは喜ぶべきこと。

ちなみに、このPX25の上級管として「PP5/400」(英国マツダ:初期版)も持っているが、現在のインターステージトランスでは役不足「?」と大切に待機保存中である。

このアンプも前段管(ドライバー管)次第でくるくる音が変わる。これまで常用していたのはやや低音域に比重を置いた「GSXー112」(アメリカ:トリタンフィラメント)だったが、今回のテストでは中高音域にメリハリのある「3A/109B」(STC:画像左)に代えてみた。

すると、これが大当たり!

オーディオ仲間のYさんが「これならいつも聴かせてもらっているWE300Bアンプとそれほど遜色がありませんよ!とても瑞々しい音です。」

「STC」の優秀さはもちろんだが、おそらくプリアンプ(マランツ7型:3本の球はいずれもBRIMARの12AX7)との相性やRCAケーブルとSPケーブル(いずれもLAN素材)との相乗効果ということになるのだろう。

関係の方々に感謝です!

そして最後に登場したのは、真打の「WE300Bシングル」アンプ。

球の構成は整流管に「4274A」(STC)、前段管は71A(レイセオン)、出力管は「WE300B」(1988年製)のラインアップ。

そして各真空管の「ヒーター回路」は別々になっているのがミソ。

トランス類は入力トランスが「HAー100X」(UTC)、インターステージトランスは「HA-106」(UTC)、出力トランスは個人の手巻きによるもの。

そして、シャーシは「漏れ磁界」に強い厚さ2mmの銅板を使っている。

「300Bアンプはインターステージトランスに何を使うかで勝負が決まります」とは「北国の真空管博士」の弁だが、その点、我が家の「HA-106」は理想的な逸品だそうだ。ただし、オークションにもめったに出ないしもう入手するのは無理とのこと。

したがって、万一「インター・・」が断線したらこのアンプは価値が半減するので毎日がヒヤヒヤの連続である(笑)。

今回の試聴会も相変わらず信頼に応えてくれた。

「とても端正な音の一言に尽きますね。PX25アンプよりも音像が一段とシャープになって焦点(フォーカス)がピタリと決まる感じです。音の粒立ちも素晴らしいし、これはもう完璧な音ですよ!」と仲間。

何だか自慢話みたいになってしまったが、「ありのまま」を記載しているのでどうかお許しを(笑)。

さて、この原稿を書いている時点でこの試聴会から1週間以上経っているのだが、毎日出番となっているのは「PX25」アンプの方である。

さすがに「WE300Bアンプ」は何だか勿体なくてなかなか使う気になれない。

つくづく「貧乏性」だねえ(笑)。

そして、最後になるが現在仲間からお借りしている「EL34プッシュプル」アンプ。

低音域(150ヘルツ以下)再生の専用アンプとしてもう2週間ほど使っているが、お値段も大したことがないし使用されている真空管も近代管だし、そのうち何らかの破綻を見せることだろうと悠長に構えていたらどうして、どうして・・。

ちょっと欲が出てきて、ありふれた電源ケーブルを手持ちの「キンバー」ケーブルに交換したらすぐに耳ざとい仲間が気が付いた。

「アレッ、音に締まりが出てきました。何か代えませんでしたか?」

ギャフン!

それにしても、低音域専用だけなら近代管でも十分いけそう。言い換えると、古典管の持ち味というのは中高音域にあるようですよ。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fea2d309babb9061769e8eb836163801
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/116.html#c14

[番外地7] アンドレイ・ガヴリーロフ名演集

アンドレイ・ガヴリーロフ - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%95
https://www.youtube.com/results?search_query=Andrei+Gavrilov


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アンドレイ・ヴラジーミロヴィチ・ガヴリーロフ(Andrei Gavrilov; ロシア語: Андрей Владимирович Гаврилов, 1955年9月21日 モスクワ - )はロシアのピアニスト。


経歴
幼いころからゲンリフ・ネイガウスの門人であった母親からピアノの手ほどきを受ける[1]。1961年にモスクワの中央音楽学校でアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルの学生であったタチアナ・エフゲニエヴナ・ケストネルについて学ぶ。モスクワ音楽院ではレフ・ナウモフに師事し、ピアノの学習を続ける。1974年、19歳でチャイコフスキー国際コンクールで優勝。同年、ザルツブルク音楽祭でスヴャトスラフ・リヒテルの代理を務めた。

J.S.バッハやショパン、リスト、ラフマニノフ、 ラヴェル、プロコフィエフを得意としており、中でも《ラ・カンパネッラ》や《イスラメイ》のようなヴィルトゥオーソ向けのショウピースを得意としている。

2001年以降は家族とともにスイスのルツェルンに移住している。

家族
父:ヴラディミール・ニコラエヴィチ・ガヴリーロフ −画家。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%95


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アンドレイ・ガヴリーロフ‐名盤紹介+@
文:松本武巳さん
http://www.andiemusik.jp/classic/takemi/gavrilov.html


1.1977年録音。
超絶技巧ピアノ曲集
(まさに聴き手を唖然とさせた実質デビュー盤)


2.1977年録音。
チャイコフスキーの協奏曲
(痛快な技巧‐指揮:ムーティ)


3.1985年‐87年録音。
ショパン練習曲集
(評価が分かれた超絶技巧)

4.ショパンの葬送ソナタ&バラード
(EMIに1985年、DGに1991年録音=ジャケットはEMI)

5.1987年録音。
シューマンの2つの謝肉祭
(自己崩壊への萌芽を感じ取った演奏)


6.1989年録音。
アシュケナージの里帰り公演に同行(ラフマニノフ「協奏曲第2番」)


7.1992年録音。
ゴルトベルク変奏曲
(意外なほど規範的な演奏)


8.1999年9月10日ライヴ
(悲劇的な失速)


その後、一切の消息を絶つ・・・


■ 英The Guardian,2006年12月21日の署名記事(Stephen Moss)より 


Andrei Gavrilov was a teenage superstar with the world at his feet. But then he crashed and burned. One morning in 1993, he decided he couldn't make the journey from Frankfurt to Brussels to play that evening. "I suddenly realised I was not going to play this concert," he says. "It came spontaneously. I called my agent in Belgium and said, 'I'm not coming.' He said, 'Don't be crazy, we are sold out and the Queen is attending.' I couldn't really even explain what was happening to me."

But there were more prosaic factors at work, too: a move to Lucerne, Switzerland, in 2001; a second marriage to a young Japanese pianist and the birth of a son; as well as a number of supporters determined to help him resurrect his career.

With the help of wealthy Swiss benefactors, Gavrilov is performing again. It is difficult to know what this second coming will amount to. He is now 51, no longer young in an ultra-competitive world that thrives on new pianistic sensations. The music business had written him off, and his rejection of its values, his bombast, will not endear him to it. There is always a danger that his nerves will get the better of him, that the Queen of Belgium will again be disappointed.

But the day after he and I talked, he gave a sell-out concert at the Lucerne piano festival - nine Chopin nocturnes in the first half, Prokofiev's Sonata No 8 in the second. The audience was rapt, the standing ovation instantaneous. Knowing his story, I found his playing deeply moving, his theatricality on stage - he has always been a showman - overwhelming. A veteran critic sitting next to me thought he took too many liberties with the Chopin, but I found it thrilling.

(以上は、下記リンク先から一部分を抜粋引用したものです。日本語への翻訳は、著作物の二次使用に当たりますので、控えさせて頂きました。記事全文はリンク先から直接お読みください。)


■ ガヴリーロフの過去と現在 


 画家の父とピアニストの母親の間に生まれたアンドレイ・ガヴリーロフが、一躍脚光を浴びたのは1974年、18 歳で「チャイコフスキー国際コンクール」で優勝した時でした。同年ザルツブルク音楽祭の舞台にも立った彼は、80年代前半は国外活動を制限されていたものの、ゴルバチョフ政権成立とともに西欧に活動拠点を移し、世界を飛び回る毎日を送るようになります。当時EMIやDGからはCDが続々と発売されました。当時の彼には『演奏不可能な曲は無い』と周囲に思われたようです。

 そんなガヴリーロフの人生は1993年に暗転します。きっかけは、コンサートの「ドタキャン」でした。ベルギー女王が臨席予定であったコンサートを突然キャンセルしたのです。さらにウィーンでリサイタル途中に、ステージから姿を消すという事件を引き起こした彼は、業界から干されます。8年間の音楽活動休止期間、ガヴリーロフは多くを失います。妻と息子も離れていきました。

 当時ガヴリーロフは、芸術的にも暗中模索でした。コンサートから遠ざかっている間も、自らの音楽を追求しますが、心身ともに疲弊し、復帰を諦めかけた時期もありました。このような長い日々を経て、突如音楽に開眼したのです。ガヴリーロフは、音符の意味やメッセージが理解できるようになったと考え、音楽界に復帰します。

 若い日本人ピアニストと再婚し、演奏活動を支援するパトロンも得たガヴリーロフは、私生活でも安定を再び得ました。そんなガヴリーロフが、実質的な復帰コンサートで、ショパンの「夜想曲集」とプロコフィエフ「ピアノソナタ第8番」を取り上げました。後述しますが、夜想曲の方はインターネットで聴くことが可能ですし、この日のコンサートが、冒頭の英文記事の基になっています。


■ いくつかのディスクの感想‐備忘録として


 ご紹介した各ディスクには、詳細なデータをあえて掲出しておりません。それは2つの理由があります。一つは、すでに多くが廃盤であること、もう一つは、今後の彼を見守りたい気持ちから、過去の名盤への感想を、備忘録として残して置くにとどめたいと考えるからです。

 彼は、メロディア、EMI、ドイツ・グラモフォンを中心に、これまでに30数枚のディスクを残しました。これらは、1974年のチャイコフスキー・コンクール・ライヴ録音の2枚から始まり、1993年のドイツ・グラモフォンへの「グリーグ《叙情小曲集》抜粋盤」で終わりを告げています。初期と、80年代前半がメロディア、77年から90年ごろまでがEMI、最後の3年間がドイツ・グラモフォンへの録音でした。

 他にDECCAへの録音が2枚あり、いずれもアシュケナージとの共演です。1枚目が1989年に、春の祭典(ストラヴィンスキー)の2台のピアノ版(アシュケナージをむしろ押していたのが印象に残っています)の録音と、同年のアシュケナージの里帰り公演(ロイヤル・フィル)に同行し、ラフマニノフの2番の協奏曲をアシュケナージの指揮で演奏した、以上2枚がありますが、この2枚は当時のアシュケナージの録音契約の関係で、DECCAへの録音になったものと思われます。


■ 1999年のライヴ録音について 


 その後、1993年ごろから上記記載の事情もあり、ガヴリーロフは変質し、姿を消してしまったのですが、K+K Verlagsanstalt から2000年に突如、1999年9月10日のライヴ録音が登場しました。マウルブロン修道院でのライヴ録音で、南ドイツ・ヴュルテンブルク所在の、シトー会修道院(本部はフランス)で、1993年に世界遺産に登録されている修道院です。この修道院回廊でのコンサートは、毎年行われており、1999年にガヴリーロフも参加したわけです。この録音は、現在も入手可能な上、音の良いホールでの良い録音です。

 ここでのガヴリーロフは、別人とかの形容で済まされるような生易しいものではなく、オールショパン演奏ですが、そのすべての楽曲で、演奏が崩壊してしまっているのです。解釈も技巧もともに衰えたなどとか、当日不調だったとか、そんな言葉で済まされるレベルを遥かに超越した、それはそれは神様ですら、到底信じ難い光景であっただろうと思います。

 たとえばエチュードの作品10−9も弾いていますが、弾くだけであるならば、初学者でも演奏可能なエチュードのうちの1曲として知られていますが、ものの見事に技巧そのものが崩壊しています。この演奏を聴いた誰もが、ガヴリーロフが変調を来たしたのは「精神」であることを、無言のままに察知し、理解し、そして悟ったと思います。

 私は、このまま彼は消えてしまうであろうと思いました。私には、ガヴリーロフが重篤な精神疾患である方が、非常に逆説的ではありますが、寧ろ私の内心を説得できたのです。そのくらい、ショックとか衝撃とか、そんな言葉すら到底思い浮かばないほどの、まさに「インパルス」だったのです。


■ 2006年暮れの劇的な復活劇 


 そんなことがあり、私の脳裏から意図的な部分を含めて、只管抹殺に努めてきた彼の名前を久しぶりに見たのは、奇跡的な英字での紹介記事でした。この紹介記事の全文を、現在でもインターネットで読むことが叶います。

 さらに、うれしいことに、現在はガヴリーロフの公式サイトも存在しています。そこで、過去の名演とともに、2006年の復活の際の、ショパンの夜想曲の演奏が、mp3で公開(無料ダウンロード可)されているのです。彼のプロフィールも、ディスコグラフィも掲載されている上に、今後の予定まで掲載されております。
http://www.andreigavrilov.com/4601.html

 過去を偲ぶための縁としてではなく、将来に向けて、彼の業績を紹介する必要も、どうやらなさそうな状況です。そこで、1.から7.のディスクは、ひと言寸評を残すだけにしたいと思います。この寸評は、ガヴリーロフが完全復活の暁には、各ディスクの評論としてリライトすることが叶うであろうと信じます。そこで、7枚の名盤のディスク詳細は、すべて割愛したいと思います。

 心を病んで、表舞台から消えていく演奏家は、想像以上に多いように感じますが、このたび無事に癒えて表舞台に戻ってきた一人のピアニストを、大昔興奮しながら聴いていた聴衆の一人として、心から彼の復帰を喜び、そして祝福して迎えたいと思います。


(2009年10月7日記す)

http://www.andiemusik.jp/classic/takemi/gavrilov.html


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2012年09月11日
アンドレイ・ガヴリーロフ: 伊熊よし子のブログ

 最近は来日公演もなく、新譜のリリースもないため、なかなか演奏を聴くことができなくなってしまったロシア出身のピアニスト、アンドレイ・ガヴリーロフ。1974年のチャイコフスキー国際コンクールの覇者である彼は、以前はひんぱんに来日し、楽器を存分に鳴らすスケールの大きな演奏を聴かせてくれたものだ。

 そんなガヴリーロフを含む数人で食事をしたことがある。そのときの彼は場を楽しくしようと、懸命にいろんな話をしてくれ、ユーモアたっぷりの小話がいろんな話の端々にはさみ込まれていた。

 当時ドイツに住んでいた彼は、日本のホールの響きはどこもすばらしいとほめたたえ、それに引き換えドイツはねえ、と一瞬沈黙し、次に得意の小話が飛び出した。
「ドイツのある都市にかなり音響のよくないコンサートホールがあるんだけど、どんなにひどいかというと、それを示すいい例としてこんなエピソードがあるんだ。生前バーンスタインがここで指揮をしたときに、演奏が終わったあと彼はムッとした表情をして、いつもはおるガウンを肩にかけたまますわっていたんだって。そこへこのホールの支配人がニコニコしながらやってきて“マエストロ、わがホールの響きはいかがでしたかな”と問いかけた。するとバーンスタインはひとこと“テリブル!”と叫んだ。支配人はびっくりして“では、マエストロ、どこをどう直したらよくなるのでしょうか”とおそるおそる聞いた。バーンスタインは何ていったと思う? 彼は顔色ひとつ変えず“焼いてしまえ”って叫んだんだってさ」

 ここで一同大爆笑となった。

 食事のときにみんなが興味を持つ話題を提供することは本当に難しい。ある一部の人にだけ理解できる話題に偏ってもいけないし、かといってあまり音楽的につっこんだ話では堅苦しくなってしまう。

 まあ、この話は真偽のほどは確かではないが、ガヴリーロフのようにこうした話題をたくさん持っていると、場がしらけず時間がスムーズに流れる。
 最近、和食の食材に興味を持つ海外の音楽家が多い。それにまつわる気の利いた話でもできればいいのだが、急には思いつかない。食事は黙ってするという図式が変わってくると、日本人は大変だ。

 この前「アーティスト・レシピ」の話をしたら、そのなかに入っていないアーティストから「ぼくのレシピは何?」と聞かれて答えに窮したことがある。やっぱり外国人と食事をするのは難しいものだなあ(笑)。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/906.html

[近代史4] 新型コロナは血管の病気 _ 若い人の原因不明の脳梗塞や心筋梗塞の原因
新型コロナは血管の病気 _ 若い人の原因不明の脳梗塞や心筋梗塞の原因


「新型コロナは血管の病気」冬は血栓ができやすく要注意 循環器専門医が解説
日刊ゲンダイ ヘルスケア 2020/12/25
https://www.msn.com/ja-jp/health/healthy-lifestyle/%e3%80%8c%e6%96%b0%e5%9e%8b%e3%82%b3%e3%83%ad%e3%83%8a%e3%81%af%e8%a1%80%e7%ae%a1%e3%81%ae%e7%97%85%e6%b0%97%e3%80%8d%e5%86%ac%e3%81%af%e8%a1%80%e6%a0%93%e3%81%8c%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%84%e3%81%99%e3%81%8f%e8%a6%81%e6%b3%a8%e6%84%8f-%e5%be%aa%e7%92%b0%e5%99%a8%e5%b0%82%e9%96%80%e5%8c%bb%e3%81%8c%e8%a7%a3%e8%aa%ac/ar-BB1cds5z?ocid=msedgntp

英国などで新型コロナウイルスの変異種の感染が拡大していることで世界が緊張している。変異は最初に報告された新型コロナウイルスに比べて14種類の変異を持ち、3種類のアミノ酸欠失があるという。これにより感染力が従来種よりも強まり、比較的感染しにくいとされた子供の感染者が増えるとの見方もある。日本で変異種は見つかっていないが、いつ侵入してくるとも限らない。東邦大学医学部名誉教授で循環器専門医の東丸貴信医師に聞いた。

「変異種は従来種の70%感染力が強いといっても数値はあくまでも現時点での話です。今後も感染力が強力なまま維持できるかはわかりません。新型コロナが登場した当初はSARSの1000倍の感染力があるかもしれない、といわれましたが、実際はそんなことはありませんでした。しかも、強毒化したという報告はないのです。厳重警戒は必要ですが、状況を冷静かつ正確に把握することが大切です」

世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長も21日の記者会見で「英国政府から変異種は感染力は強いものの、現時点で重症化する確率や死亡する確率を上げるという根拠はないと報告を受けている」と語っている。

「変異種が日本に入ってこなくても冬の間は新型コロナの患者さんは増えていくでしょう。だからこそ、今は新型コロナ感染症の本質が血管の病気であることを知ることが大切だと思います」

この病気は当初は新型肺炎といわれ、ウイルスもSARS―COV2と命名されていることから、上気道から肺にかけての呼吸器感染症とみなされてきた。

しかし、いまは心臓や血管の炎症、腎臓障害、消化管炎症、脳神経炎、そして急性心筋梗塞や脳梗塞といった血栓症を生じることが明らかになっている。

「若い人の原因不明の脳梗塞や心筋梗塞の原因として、新型コロナが関係していることも分かってきているのです」

■新型コロナ感染症は単なる上気道炎や肺炎ではない

実際、新型コロナによる心筋炎もまれではなく、心不全の原因としてもコロナ感染症が注目されている。さらに、川崎病や大動脈炎などを生じることもわかっている。いまや世界中の精力的研究により、新型コロナ感染症の本態は血管内皮障害であることが証明されつつあるという。

「血管内皮は血管内を覆う一層の細胞層です。血管を拡張させる一酸化窒素やこれを縮めるエンドセリンなど数多くの血管に働きかける物質を分泌していて、血管壁の収縮・弛緩から、血管壁への炎症細胞の接着、血管透過性の調節などを行っています。生活習慣病やがん、それに感染などで酸化ストレスが加わると、血管内皮細胞や平滑筋細胞などから産生される活性酸素種が内皮細胞を傷つけます。その結果、炎症、免疫反応が生じ、それが毛細血管や大血管、全身の臓器に広がることで、急性心筋梗塞、脳梗塞や肺動脈血栓塞栓症などの急性血栓症や心筋炎・血管炎が発症したり、全身の臓器障害が生じることとなるのです」

血管内皮障害が起きると腎不全や肝障害に加えて間質性肺炎が生じるともいわれている。

「私の救急センター時代の経験でも、重症間質性肺炎の患者さんでは、酸化ストレスが亢進して深部静脈血栓症が生じやすく、血栓マーカーのDダイマー値と肺動脈圧の上昇が目立ちました。これは、その後の研究で静脈血栓塞栓症が生じているか、その前段階にある可能性が高いことが証明されています」

このように、新型コロナ感染症は単なる上気道炎や間質性肺炎ではなく、全身の血管内皮にも影響が及ぶ血管病であることが明らかになりつつある。

「ですから、新型コロナウイルス感染症の正確な診断と評価には、感染確定にPCR検査、肺炎診断のためのCT検査はもとより、血栓症診断のためのDダイマー測定、心臓と末梢動静脈超音波検査、全身の血管と血流を見るためのMRA検査が必要です。また、冬はただでさえ寒さで血管が締まりやすく血流が滞り血栓ができやすくなるので注意しましょう。新型コロナに万一感染しても重症化しないためにも体を適度に動かして、ストレスをためない生活習慣を続けることが大切なのです」

あなたは大丈夫ですか?

https://www.msn.com/ja-jp/health/healthy-lifestyle/%e3%80%8c%e6%96%b0%e5%9e%8b%e3%82%b3%e3%83%ad%e3%83%8a%e3%81%af%e8%a1%80%e7%ae%a1%e3%81%ae%e7%97%85%e6%b0%97%e3%80%8d%e5%86%ac%e3%81%af%e8%a1%80%e6%a0%93%e3%81%8c%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%84%e3%81%99%e3%81%8f%e8%a6%81%e6%b3%a8%e6%84%8f-%e5%be%aa%e7%92%b0%e5%99%a8%e5%b0%82%e9%96%80%e5%8c%bb%e3%81%8c%e8%a7%a3%e8%aa%ac/ar-BB1cds5z?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1228.html

[近代史5] シャーマニズムの世界 中川隆
9. 中川隆[-8961] koaQ7Jey 2020年12月25日 14:26:48 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[15]
日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
2015/2/27 兪 弘濬 (著), 橋本 繁 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F-%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%83%BB%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%B7%A8%E2%80%95%E2%80%95%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%81%AE%E5%8E%9F%E3%81%AB%E7%99%BE%E6%B8%88%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%8C%E5%92%B2%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E5%85%AA-%E5%BC%98%E6%BF%AC/dp/4000610244

@ 渡来人の故郷、飛鳥

飛鳥と奈良は、日本の中の朝鮮文化を探す旅の核心であり、日本古代文化のハイライトだ。
日本が古代国家に発展する全過程が飛鳥に残っており、彼らがあれほどまでに望んだ古代国家をついに誕生させた場所が奈良である。
飛鳥に行けば韓国の扶余〔百済の都〕が思い浮かび、奈良の古寺を見れば慶州〔新羅の都〕を連想する。

五世紀に加耶から渡った渡来人が日本に鉄と馬そして加耶の土器文化を伝えたことは、「近つ飛鳥」に確かに残っており、
六世紀の百済から渡っていった渡来人の足跡は、飛鳥ではっきりと見ることができる。
百済王室との交流を通じて仏教と文字を受け入れてついに律令国家となる過程を、石舞台、橘寺、飛鳥寺で見ることになる。

韓国人にもよく知られる高松塚古墳壁画を見ると、高句麗文化の影響力がどれほど長く残っていたのかを痛感する。
日本の古代社会に朝鮮半島からの渡来人が残した文化的結実は、飛鳥の北面にある法隆寺に集約的に見られる。
法隆寺は、日本古代文化の精華であると同時に、朝鮮半島では見ることのできない百済の建築と彫刻の姿を見せてくれる。

七一〇年、平城京に遷都すると同時に始まった奈良時代は、日本古代文化の頂点であった。
薬師寺の東塔、興福寺の仏像彫刻、東大寺の大仏、唐招提寺の彫像彫刻は、日本古代国家の爛熟と栄光を誇る。
この頃になると日本は、朝鮮半島の影響から離れて唐文化に直接接するとともに、より国際的な文化となっていく。
それは、統一新羅の文化と似ていながら異なる、日本文化独自の姿であった。

我々韓国人は、東アジアの一員として、隣国日本のこうした文化的成功を評価することにためらう理由はない。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/436.html#c9

[近代史5] シャーマニズムの世界 中川隆
10. 中川隆[-8960] koaQ7Jey 2020年12月25日 14:32:15 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[16]
日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
レビュー 赤尖晶石 5つ星のうち4.0
筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・
2015年5月11日

『筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・』

仏教美術を中心に日本古来の芸術の特徴や日本人の考え方と、朝鮮の文化や韓国人の考え方とを対比させて論説する文体は、谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』を連想させる。特に筆者が専門とする美術史に関する部分は文章が生きており、人を引き付ける力がある。

この筆勢が全編貫かれていれば★5つでしょう。しかし他の部分があまりにも内容が乏しく正確さに欠けるので、本来★3つですが、九州編に比べ日韓の主張を両論併記しようと心掛けている部分も増え、良くなっている部分もあり、おまけして★4つにしました。

(韓国人が読めば全編に渡り『自尊心』を刺激されて、きっと★5つでしょう)

 筆のすべりが過ぎて、史料の確認が出来ていないところもある。例えば同行した金教授の説明と、ことわりが入れてあるが「東大寺転害門(大門)の一方の空いた空間に瑪瑙で作った臼があったからと、『七大寺巡礼私記』という古記録を資料名だけ引用して、内容も無く長々と、しかも勘違いして記述しているようだ・・・これは勘弁してほしい。

この部分は七大寺日記(1106年頃)及び七大寺巡礼私記(1140年頃)そのままに、西面大垣三門、北端門碾磑御門(七大寺日記)・・・碾磑亭一宇、七間瓦屋、置碾磑、件亭在於講堂東食堂之北、其亭内置石唐臼、是云碾磑、以馬瑙造之、其色白(七大寺巡礼私記)「西面の大垣に三門あり、北端の門を輾磑御門と云う・・・碾磑亭という七間、瓦葺き一棟があり、碾磑が置かれている。この建物は講堂(大仏殿の北に位置し、1180年に「平重衡の兵火」で焼失)の東にある食堂の北(講堂の北東、碾磑門のはるか東)にあり、中に石の唐臼が置かれているが、これを碾磑といい、瑪瑙で出来ていて、白色である」と巡礼私記等の具体的で正確な内容をそのまま書いてほしかった。私の考えすぎでしょうか、原文の内容を書かなかったのは・・・唐臼とあったから高句麗の臼ではないのではと、この教授は考えてしまったのではないかと・・・日本語の『唐臼』は、目を刻った石臼のことだのに?

  碾磑亭は現在の龍蔵院付近である。この部分は、後段に筆者が記述している日本書紀610年の記録『高句麗の僧曇徴』を説明する為の導入部分であるが、日本書紀の現代語訳も間違いがあるし、日本人の読む書物に専門外のことには手を出さない方が良いと私は思った。転害門(碾磑御門)の近所で、瑪瑙の碾磑の設置場所の写真なんか撮れないでしょう・・・漢文が読めてないのでしょう。

それと、3年程前に『食堂』跡の遺跡の井戸から巨大な唐臼の破片が出土していますよ・・転害門から相当離れた東側ですが。

 また東大寺正倉院の建築様式が高句麗の桴京だと強弁しているが、徳興里壁画古墳の玄室の絵画でも、井桁組と分かる麻線溝一号墳壁画でも、八清里古墳でも、高床式で屋根が付いていて横木組であるということは分かるが、それ以上の情報は無い。その程度のものなら、時代の古い弥生時代遺跡の穀物倉庫(登呂遺跡。平板を井籠組)にある。正倉院は井籠組の一種の校倉組で、大きな三角形の長尺材を使う甲倉であり、建築が困難な一棟三倉構造をしており、創意と工夫にあふれた巨大な建造物だ。甲倉造りは丸太造りに比べ強度に優れ、丸太では、正倉院の大きさの米倉は建造出来ない。丸木の校倉造は世界各地にあるが、甲倉は日本にしかない日本人の発明であり、稲穀を蓄える巨大な米櫃である。

 正倉の名称、倉庫令、倉の位置の名称は、唐の律令制を手本にしていることから、大和朝廷は唐の正倉に匹敵する堂々たる倉の建築を決めて採用したのが甲倉造りだったのであろう。校倉造りの甲倉の米の収容能力は、校倉造り丸木倉の実に3倍から4倍(斛の記録ではなく正倉の実測値)に達している。

では桴京とは何か?・・・三国志『高句麗伝』無大倉庫、家家自有小倉、名之為桴京。私流に訳すと「大きな倉庫は無く、家には自家用の小さな倉があり、これを名付けて『桴京』という」・・・根拠は壁画とこれだけ。私は話にならないと思った。高床式建物は確かに北方系建築様式でもあり、北方系のアムール川流域の古アジア系民族の夏小屋(冬小屋はアイヌの寒冷地の穴式住居に似る)で校倉式木組みを伴なっている。高句麗の桴京は、北方少数民族と共通で、古アジア系建築様式をルーツにしている小規模な穀物倉で、収容物は米穀より軽い粟等の雑穀や干肉であろう。

  一方南方系の記録は漢時代の貴州と雲南省で、高床式で丸木と推定される校倉造りである。また日本の神社の建築様式には、南方系の高床式と少数民族の屋根組みがみられることから日本には北からも南からも高床式で校倉造りの建築様式は流入する可能性があり、私は、即断は避けるべきであると考える。

 そもそも日本人男性のDNA・Y染色体分布をみると、一番多いのは縄文系のD2遺伝子で、僅差で2番目に多い遺伝子は弥生系のO2b1で、シェアは日本が最大、中国江南が出自の遺伝子とされている。

また日本人の半数が江南出身である証拠は、アルデヒド分解遺伝子の欠如でも証明されている。(日本の場合、残る半数は縄文系でお酒に強い、その代表は日本美人の産地秋田県と南国鹿児島県)

この遺伝子は、突然変異で発生したが、その場所は中国江南であり、世界で一番この酒に弱い遺伝子を持っているのは、日本人で、その日本で弱い遺伝子を持つ人は、近畿・中部・瀬戸内に多い(一番弱いのは三重県、次は愛知県)。余談だが、韓国人はアジア人の中でも酒に強いグループで、『酒に弱い弥生先祖人』とは大きく異なって北方系と華北系が主流であり、飛鳥や奈良の原住民とは関係が薄いということが分かる。筆者ご自慢の青銅器の流入も北から、朝鮮を支配し当時から世界一の製鉄技術を持っていた漢も北から、百済と新羅を圧迫した高句麗も北から・・朝鮮半島の皆さんは、ことごとく酒に強い北方系の人達だ。

この日本の酒に弱い人達は、縄文時代末期から弥生初期に、大陸から直接、稲と、鉄器と、四眠蚕と、潜水漁法(あわび起し)を日本に持ち込んだことが、学術的に分かっている。日本最古の鉄器は中国製だし、日本の史跡出土の、主要なジャポニカ米の遺伝子は朝鮮の遺跡の炭化米には無い。飛鳥・奈良を中心とする大和王権の地に住む人々は、五七五の和歌の旋律を天皇から庶民まで楽しみ、鵜飼の行事とともに歌会始(歌御会)は、現代まで続く宮中行事となっている。漢語がベースの時調のようなものは宮廷行事には当然無い。

当然高床式の穀物倉庫も江南から直接持ち込まれた可能性が強く残る。ちなみに農具の馬鍬も江南の水田稲作民が持ち込んだと推測されている。弥生祖先人は半農半漁民で稲作と鍛冶技術を呉越の地から持って来たようだ。

  朝鮮半島からの帰化人=今来の渡来民を受け入れたのは、心優しい縄文人と江南からの渡来民(弥生祖先人)が平和裏に混交し人口を増やした弥生人の末裔であり、日本は韓国人が作ったという筆者の強く熱い思いを踏みにじるようで申し訳ないが、朝鮮系は少数派ですね。当然、ASUKA(飛鳥、明日香)も韓国語ではなく、大和言葉で十分説明出来ます。藤村由加氏と同じレベルのエピソードを長々と書かれても、多くの日本人は馬鹿馬鹿しく思い、ついていけないだろう。

 
  筆者は、三国志魏志東夷伝の記述を次のように書いている「金海で製造された鉄が楽浪、ワイ(さんずいに歳)、倭に輸出された」と、続けて次のように解説している「当時、倭は鉄を生産する技術がなかった。そのため、加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった」これは、漢文を読めていないか、読めているとしたら悪意の誤訳である可能性がある。

 では『三国志魏書』弁辰伝・・國出鐵、韓、ワイ、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡。・・『三国志』魏志弁辰(弁韓辰韓)伝にも、国は鉄を産出し、韓人、ワイ人、倭人など皆、これを(辰韓の)許可を得て取りに来る。諸貨の売買には皆、鉄を用いる。中国で金銭を用いるがごとくであり、また(楽浪、帯方の)二郡に供給する。

 少し解説すると、古代加那の製鉄遺跡は出土していないが、製鉄法は「たたら製鉄」で原料は砂鉄だとされている。日本人技術者の分析によると、この地域の砂鉄は日本の砂鉄に比べ不純物が大変少なく良質である。私は、この「たたら製鉄」は、『野たたら』だとすると矛盾は無いと考える。

朝鮮半島にも近代まで野タタラ製鉄の技術が残っていたが、記録によると・・・明治42年、朝鮮咸鏡北道富寧の南東にある抄河洞の輪域川の河原で、極めて原始的な製鉄現場が確認された。その方法は、河原に乾いた砂鉄を60p積み、その上に大量の薪を乗せ、一夜燃やし続けて翌日に鉄塊を拾い集める方法だった(京城の加藤灌覚氏の実見談)。最も原始的な製鉄法である。弁韓・辰韓・新羅で製鉄の伝統を持つ国の話である・・・と、まとめられている。スピネル構造の鉄酸化物である磁鉄鉱が主成分の砂鉄を還元する木炭の記述が無く、時間も短いのも不思議だが、面白い実見談である。

  筆者は、日本人の考え方「朝鮮半島はストローのように技術や文物を日本に伝えただけ」を痛烈に批判しているが、同じたたら製鉄でも日本では技術が大いに発達し、朝鮮半島ではそのまま技術が発達しない原始的野たたらが残る、私はこのような実例によってストロー論が実証されているのだと思った。

  何れにせよ、この原始的製鉄法ならば、製鉄遺跡は残らないし、『皆、許可を得て取りに来る』という表現にも納得出来る。このような倭人の原始的製鉄法に繋がる技術的内容が読み取れる記述を、どうすれば単に輸出と表現出来るのか、私は筆者の見識を疑いたい。

  また『金海で製造された・・』と原文にない箇所をわざわざ挿入した訳は、近年、金海の遺跡から渡海可能な比較的大型の船が出土し『金海人が船で・・』というストーリーを考えたのだろうが、その後の分析で船体素材が杉と楠と分かって日本製の船であったことが分かっているのだが。船の他にも任那加羅の遺跡から出土したのは、古くは大量の弥生式土器、倭国の巴型青銅器、ヒスイ勾玉等遺物が多数、前方後円墳が14基ある。『輸出』の一語では片付けることは出来ない『加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった』というのは、倭国の半島進出と支配を認めた言葉だったのかな???

 筆者は韓国の歴史学者の論を採用して、日本の教科書会社が『帰化人(渡来人)』と記載しているのを極右翼と非難しているが、単なる渡来民では、中国系や韓国系の人達は氏姓を称することも出来ないことを理解していない。投化(帰化)していないと戸籍に載らないし、租庸調の義務も生じないし、民を束ねる称号も得ることは無い。そもそも戸籍制度で最初に『王化の民』として戸籍に登録されたのは、帰化した秦氏、漢氏等で『秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」。』(日本書紀)とある。つまり弥生人の末裔より先に帰化民を優先登録したのだ。

その後、これらは制度化され、『化外人(帰化する前)』⇒『化内人(帰化人)』・・10年の据え置き期間・・⇒『調庸人(公民・平民)』⇒『天皇の民(王民)』となった。(賦役令)・・・後の時代には調庸人(海外の名)から王民(著名な氏姓)を得る為に活動する記録もある。

また筆者など韓国人は、統一王朝になる以前は帰化人ではないと詭弁を弄するが、そもそも中国で夷狄の帰化を含む中華思想が形成されたのは、周辺民族にまで「戦国の七雄」の支配が及び始めた戦国時代のことで、当然のこと統一国家ではない。
 単なる渡来人では、大和朝廷支配の日本では物乞いか夜盗になるしか無いのである。渡来なら日本に渡っただけで、朝鮮人・中国人のままなので、強制送還された渡来人の実例もあったが、帰化だと『申請手続き』が必須で、申請完了の場合、日本人になってしまう。帰化には特典も様々にあり、戸令四十四化外奴婢条には、『凡化外奴婢。自来投国者。悉放為良。即附籍貫。本主雖先来投国。亦不得認。・・・』つまり、朝鮮とか中国で、奴隷身分であっても、日本に帰化したら、良民(公民・平民)の身分で登録しますよ、渡来民のままなら奴婢のままですよ、帰化しなさいという勧誘制度ですね。実際、主従の渡来者のうち、最初に帰化した主人に従う奴婢も、帰化の申請を行って賎民から良民となっている。

  その結果、日本に来た様々な階層の渡来民は、帰化して身分差別の少ない日本人になって共に頑張って、日本という国を作った訳で、帰化人は渡来民と同義ではない。その後、韓国では奴婢身分は、『国家管理の性奴隷』を含め、人口の70%にも達したが、日本では、5%程度と元々少なかった奴婢だったが、非合理な奴隷制度は平安時代には廃止された。日本の国の品格は、日本型帰化制度の採用によって確立されたのですかね。日本の江戸後期の頃まで奴隷制度を1000年も長く維持していた国が経済発展する訳は無い。帰化を渡来と言い換えて、自尊心を満足して、『日本人を教化した』(韓国国定教科書)と満足しているようでは、あまりにも寂しいではないだろうか。

 長々と書きましたが、韓国的で独特な歴史観を除けば良書の部類でしょう。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2KTXNSNYIU3TF/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4000610244
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/436.html#c10

[近代史5] 古代の帰化人 中川隆
1. 中川隆[-8959] koaQ7Jey 2020年12月25日 14:56:10 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[17]
日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
2015/2/27 兪 弘濬 (著), 橋本 繁 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F-%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%83%BB%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%B7%A8%E2%80%95%E2%80%95%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%81%AE%E5%8E%9F%E3%81%AB%E7%99%BE%E6%B8%88%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%8C%E5%92%B2%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E5%85%AA-%E5%BC%98%E6%BF%AC/dp/4000610244


@ 渡来人の故郷、飛鳥

飛鳥と奈良は、日本の中の朝鮮文化を探す旅の核心であり、日本古代文化のハイライトだ。
日本が古代国家に発展する全過程が飛鳥に残っており、彼らがあれほどまでに望んだ古代国家をついに誕生させた場所が奈良である。
飛鳥に行けば韓国の扶余〔百済の都〕が思い浮かび、奈良の古寺を見れば慶州〔新羅の都〕を連想する。

五世紀に加耶から渡った渡来人が日本に鉄と馬そして加耶の土器文化を伝えたことは、「近つ飛鳥」に確かに残っており、
六世紀の百済から渡っていった渡来人の足跡は、飛鳥ではっきりと見ることができる。
百済王室との交流を通じて仏教と文字を受け入れてついに律令国家となる過程を、石舞台、橘寺、飛鳥寺で見ることになる。

韓国人にもよく知られる高松塚古墳壁画を見ると、高句麗文化の影響力がどれほど長く残っていたのかを痛感する。
日本の古代社会に朝鮮半島からの渡来人が残した文化的結実は、飛鳥の北面にある法隆寺に集約的に見られる。
法隆寺は、日本古代文化の精華であると同時に、朝鮮半島では見ることのできない百済の建築と彫刻の姿を見せてくれる。

七一〇年、平城京に遷都すると同時に始まった奈良時代は、日本古代文化の頂点であった。
薬師寺の東塔、興福寺の仏像彫刻、東大寺の大仏、唐招提寺の彫像彫刻は、日本古代国家の爛熟と栄光を誇る。
この頃になると日本は、朝鮮半島の影響から離れて唐文化に直接接するとともに、より国際的な文化となっていく。
それは、統一新羅の文化と似ていながら異なる、日本文化独自の姿であった。

我々韓国人は、東アジアの一員として、隣国日本のこうした文化的成功を評価することにためらう理由はない。


▲△▽▼

日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
レビュー 赤尖晶石 5つ星のうち4.0
筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・
2015年5月11日


『筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・』

仏教美術を中心に日本古来の芸術の特徴や日本人の考え方と、朝鮮の文化や韓国人の考え方とを対比させて論説する文体は、谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』を連想させる。特に筆者が専門とする美術史に関する部分は文章が生きており、人を引き付ける力がある。

この筆勢が全編貫かれていれば★5つでしょう。しかし他の部分があまりにも内容が乏しく正確さに欠けるので、本来★3つですが、九州編に比べ日韓の主張を両論併記しようと心掛けている部分も増え、良くなっている部分もあり、おまけして★4つにしました。

(韓国人が読めば全編に渡り『自尊心』を刺激されて、きっと★5つでしょう)

 筆のすべりが過ぎて、史料の確認が出来ていないところもある。例えば同行した金教授の説明と、ことわりが入れてあるが「東大寺転害門(大門)の一方の空いた空間に瑪瑙で作った臼があったからと、『七大寺巡礼私記』という古記録を資料名だけ引用して、内容も無く長々と、しかも勘違いして記述しているようだ・・・これは勘弁してほしい。

この部分は七大寺日記(1106年頃)及び七大寺巡礼私記(1140年頃)そのままに、西面大垣三門、北端門碾磑御門(七大寺日記)・・・碾磑亭一宇、七間瓦屋、置碾磑、件亭在於講堂東食堂之北、其亭内置石唐臼、是云碾磑、以馬瑙造之、其色白(七大寺巡礼私記)「西面の大垣に三門あり、北端の門を輾磑御門と云う・・・碾磑亭という七間、瓦葺き一棟があり、碾磑が置かれている。この建物は講堂(大仏殿の北に位置し、1180年に「平重衡の兵火」で焼失)の東にある食堂の北(講堂の北東、碾磑門のはるか東)にあり、中に石の唐臼が置かれているが、これを碾磑といい、瑪瑙で出来ていて、白色である」と巡礼私記等の具体的で正確な内容をそのまま書いてほしかった。私の考えすぎでしょうか、原文の内容を書かなかったのは・・・唐臼とあったから高句麗の臼ではないのではと、この教授は考えてしまったのではないかと・・・日本語の『唐臼』は、目を刻った石臼のことだのに?

  碾磑亭は現在の龍蔵院付近である。この部分は、後段に筆者が記述している日本書紀610年の記録『高句麗の僧曇徴』を説明する為の導入部分であるが、日本書紀の現代語訳も間違いがあるし、日本人の読む書物に専門外のことには手を出さない方が良いと私は思った。転害門(碾磑御門)の近所で、瑪瑙の碾磑の設置場所の写真なんか撮れないでしょう・・・漢文が読めてないのでしょう。

それと、3年程前に『食堂』跡の遺跡の井戸から巨大な唐臼の破片が出土していますよ・・転害門から相当離れた東側ですが。

 また東大寺正倉院の建築様式が高句麗の桴京だと強弁しているが、徳興里壁画古墳の玄室の絵画でも、井桁組と分かる麻線溝一号墳壁画でも、八清里古墳でも、高床式で屋根が付いていて横木組であるということは分かるが、それ以上の情報は無い。その程度のものなら、時代の古い弥生時代遺跡の穀物倉庫(登呂遺跡。平板を井籠組)にある。正倉院は井籠組の一種の校倉組で、大きな三角形の長尺材を使う甲倉であり、建築が困難な一棟三倉構造をしており、創意と工夫にあふれた巨大な建造物だ。甲倉造りは丸太造りに比べ強度に優れ、丸太では、正倉院の大きさの米倉は建造出来ない。丸木の校倉造は世界各地にあるが、甲倉は日本にしかない日本人の発明であり、稲穀を蓄える巨大な米櫃である。

 正倉の名称、倉庫令、倉の位置の名称は、唐の律令制を手本にしていることから、大和朝廷は唐の正倉に匹敵する堂々たる倉の建築を決めて採用したのが甲倉造りだったのであろう。校倉造りの甲倉の米の収容能力は、校倉造り丸木倉の実に3倍から4倍(斛の記録ではなく正倉の実測値)に達している。

では桴京とは何か?・・・三国志『高句麗伝』無大倉庫、家家自有小倉、名之為桴京。私流に訳すと「大きな倉庫は無く、家には自家用の小さな倉があり、これを名付けて『桴京』という」・・・根拠は壁画とこれだけ。私は話にならないと思った。高床式建物は確かに北方系建築様式でもあり、北方系のアムール川流域の古アジア系民族の夏小屋(冬小屋はアイヌの寒冷地の穴式住居に似る)で校倉式木組みを伴なっている。高句麗の桴京は、北方少数民族と共通で、古アジア系建築様式をルーツにしている小規模な穀物倉で、収容物は米穀より軽い粟等の雑穀や干肉であろう。

  一方南方系の記録は漢時代の貴州と雲南省で、高床式で丸木と推定される校倉造りである。また日本の神社の建築様式には、南方系の高床式と少数民族の屋根組みがみられることから日本には北からも南からも高床式で校倉造りの建築様式は流入する可能性があり、私は、即断は避けるべきであると考える。

 そもそも日本人男性のDNA・Y染色体分布をみると、一番多いのは縄文系のD2遺伝子で、僅差で2番目に多い遺伝子は弥生系のO2b1で、シェアは日本が最大、中国江南が出自の遺伝子とされている。

また日本人の半数が江南出身である証拠は、アルデヒド分解遺伝子の欠如でも証明されている。(日本の場合、残る半数は縄文系でお酒に強い、その代表は日本美人の産地秋田県と南国鹿児島県)

この遺伝子は、突然変異で発生したが、その場所は中国江南であり、世界で一番この酒に弱い遺伝子を持っているのは、日本人で、その日本で弱い遺伝子を持つ人は、近畿・中部・瀬戸内に多い(一番弱いのは三重県、次は愛知県)。余談だが、韓国人はアジア人の中でも酒に強いグループで、『酒に弱い弥生先祖人』とは大きく異なって北方系と華北系が主流であり、飛鳥や奈良の原住民とは関係が薄いということが分かる。筆者ご自慢の青銅器の流入も北から、朝鮮を支配し当時から世界一の製鉄技術を持っていた漢も北から、百済と新羅を圧迫した高句麗も北から・・朝鮮半島の皆さんは、ことごとく酒に強い北方系の人達だ。

この日本の酒に弱い人達は、縄文時代末期から弥生初期に、大陸から直接、稲と、鉄器と、四眠蚕と、潜水漁法(あわび起し)を日本に持ち込んだことが、学術的に分かっている。日本最古の鉄器は中国製だし、日本の史跡出土の、主要なジャポニカ米の遺伝子は朝鮮の遺跡の炭化米には無い。飛鳥・奈良を中心とする大和王権の地に住む人々は、五七五の和歌の旋律を天皇から庶民まで楽しみ、鵜飼の行事とともに歌会始(歌御会)は、現代まで続く宮中行事となっている。漢語がベースの時調のようなものは宮廷行事には当然無い。

当然高床式の穀物倉庫も江南から直接持ち込まれた可能性が強く残る。ちなみに農具の馬鍬も江南の水田稲作民が持ち込んだと推測されている。弥生祖先人は半農半漁民で稲作と鍛冶技術を呉越の地から持って来たようだ。

  朝鮮半島からの帰化人=今来の渡来民を受け入れたのは、心優しい縄文人と江南からの渡来民(弥生祖先人)が平和裏に混交し人口を増やした弥生人の末裔であり、日本は韓国人が作ったという筆者の強く熱い思いを踏みにじるようで申し訳ないが、朝鮮系は少数派ですね。当然、ASUKA(飛鳥、明日香)も韓国語ではなく、大和言葉で十分説明出来ます。藤村由加氏と同じレベルのエピソードを長々と書かれても、多くの日本人は馬鹿馬鹿しく思い、ついていけないだろう。

 
  筆者は、三国志魏志東夷伝の記述を次のように書いている「金海で製造された鉄が楽浪、ワイ(さんずいに歳)、倭に輸出された」と、続けて次のように解説している「当時、倭は鉄を生産する技術がなかった。そのため、加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった」これは、漢文を読めていないか、読めているとしたら悪意の誤訳である可能性がある。

 では『三国志魏書』弁辰伝・・國出鐵、韓、ワイ、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡。・・『三国志』魏志弁辰(弁韓辰韓)伝にも、国は鉄を産出し、韓人、ワイ人、倭人など皆、これを(辰韓の)許可を得て取りに来る。諸貨の売買には皆、鉄を用いる。中国で金銭を用いるがごとくであり、また(楽浪、帯方の)二郡に供給する。

 少し解説すると、古代加那の製鉄遺跡は出土していないが、製鉄法は「たたら製鉄」で原料は砂鉄だとされている。日本人技術者の分析によると、この地域の砂鉄は日本の砂鉄に比べ不純物が大変少なく良質である。私は、この「たたら製鉄」は、『野たたら』だとすると矛盾は無いと考える。

朝鮮半島にも近代まで野タタラ製鉄の技術が残っていたが、記録によると・・・明治42年、朝鮮咸鏡北道富寧の南東にある抄河洞の輪域川の河原で、極めて原始的な製鉄現場が確認された。その方法は、河原に乾いた砂鉄を60p積み、その上に大量の薪を乗せ、一夜燃やし続けて翌日に鉄塊を拾い集める方法だった(京城の加藤灌覚氏の実見談)。最も原始的な製鉄法である。弁韓・辰韓・新羅で製鉄の伝統を持つ国の話である・・・と、まとめられている。スピネル構造の鉄酸化物である磁鉄鉱が主成分の砂鉄を還元する木炭の記述が無く、時間も短いのも不思議だが、面白い実見談である。

  筆者は、日本人の考え方「朝鮮半島はストローのように技術や文物を日本に伝えただけ」を痛烈に批判しているが、同じたたら製鉄でも日本では技術が大いに発達し、朝鮮半島ではそのまま技術が発達しない原始的野たたらが残る、私はこのような実例によってストロー論が実証されているのだと思った。

  何れにせよ、この原始的製鉄法ならば、製鉄遺跡は残らないし、『皆、許可を得て取りに来る』という表現にも納得出来る。このような倭人の原始的製鉄法に繋がる技術的内容が読み取れる記述を、どうすれば単に輸出と表現出来るのか、私は筆者の見識を疑いたい。

  また『金海で製造された・・』と原文にない箇所をわざわざ挿入した訳は、近年、金海の遺跡から渡海可能な比較的大型の船が出土し『金海人が船で・・』というストーリーを考えたのだろうが、その後の分析で船体素材が杉と楠と分かって日本製の船であったことが分かっているのだが。船の他にも任那加羅の遺跡から出土したのは、古くは大量の弥生式土器、倭国の巴型青銅器、ヒスイ勾玉等遺物が多数、前方後円墳が14基ある。『輸出』の一語では片付けることは出来ない『加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった』というのは、倭国の半島進出と支配を認めた言葉だったのかな???

 筆者は韓国の歴史学者の論を採用して、日本の教科書会社が『帰化人(渡来人)』と記載しているのを極右翼と非難しているが、単なる渡来民では、中国系や韓国系の人達は氏姓を称することも出来ないことを理解していない。投化(帰化)していないと戸籍に載らないし、租庸調の義務も生じないし、民を束ねる称号も得ることは無い。そもそも戸籍制度で最初に『王化の民』として戸籍に登録されたのは、帰化した秦氏、漢氏等で『秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」。』(日本書紀)とある。つまり弥生人の末裔より先に帰化民を優先登録したのだ。

その後、これらは制度化され、『化外人(帰化する前)』⇒『化内人(帰化人)』・・10年の据え置き期間・・⇒『調庸人(公民・平民)』⇒『天皇の民(王民)』となった。(賦役令)・・・後の時代には調庸人(海外の名)から王民(著名な氏姓)を得る為に活動する記録もある。

また筆者など韓国人は、統一王朝になる以前は帰化人ではないと詭弁を弄するが、そもそも中国で夷狄の帰化を含む中華思想が形成されたのは、周辺民族にまで「戦国の七雄」の支配が及び始めた戦国時代のことで、当然のこと統一国家ではない。
 単なる渡来人では、大和朝廷支配の日本では物乞いか夜盗になるしか無いのである。渡来なら日本に渡っただけで、朝鮮人・中国人のままなので、強制送還された渡来人の実例もあったが、帰化だと『申請手続き』が必須で、申請完了の場合、日本人になってしまう。帰化には特典も様々にあり、戸令四十四化外奴婢条には、『凡化外奴婢。自来投国者。悉放為良。即附籍貫。本主雖先来投国。亦不得認。・・・』つまり、朝鮮とか中国で、奴隷身分であっても、日本に帰化したら、良民(公民・平民)の身分で登録しますよ、渡来民のままなら奴婢のままですよ、帰化しなさいという勧誘制度ですね。実際、主従の渡来者のうち、最初に帰化した主人に従う奴婢も、帰化の申請を行って賎民から良民となっている。

  その結果、日本に来た様々な階層の渡来民は、帰化して身分差別の少ない日本人になって共に頑張って、日本という国を作った訳で、帰化人は渡来民と同義ではない。その後、韓国では奴婢身分は、『国家管理の性奴隷』を含め、人口の70%にも達したが、日本では、5%程度と元々少なかった奴婢だったが、非合理な奴隷制度は平安時代には廃止された。日本の国の品格は、日本型帰化制度の採用によって確立されたのですかね。日本の江戸後期の頃まで奴隷制度を1000年も長く維持していた国が経済発展する訳は無い。帰化を渡来と言い換えて、自尊心を満足して、『日本人を教化した』(韓国国定教科書)と満足しているようでは、あまりにも寂しいではないだろうか。

 長々と書きましたが、韓国的で独特な歴史観を除けば良書の部類でしょう。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2KTXNSNYIU3TF/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4000610244
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/378.html#c1

[近代史5] 弥生人の起源 中川隆
9. 中川隆[-8958] koaQ7Jey 2020年12月25日 14:57:13 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[18]
日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
2015/2/27 兪 弘濬 (著), 橋本 繁 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F-%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%83%BB%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%B7%A8%E2%80%95%E2%80%95%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%81%AE%E5%8E%9F%E3%81%AB%E7%99%BE%E6%B8%88%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%8C%E5%92%B2%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E5%85%AA-%E5%BC%98%E6%BF%AC/dp/4000610244


@ 渡来人の故郷、飛鳥

飛鳥と奈良は、日本の中の朝鮮文化を探す旅の核心であり、日本古代文化のハイライトだ。
日本が古代国家に発展する全過程が飛鳥に残っており、彼らがあれほどまでに望んだ古代国家をついに誕生させた場所が奈良である。
飛鳥に行けば韓国の扶余〔百済の都〕が思い浮かび、奈良の古寺を見れば慶州〔新羅の都〕を連想する。

五世紀に加耶から渡った渡来人が日本に鉄と馬そして加耶の土器文化を伝えたことは、「近つ飛鳥」に確かに残っており、
六世紀の百済から渡っていった渡来人の足跡は、飛鳥ではっきりと見ることができる。
百済王室との交流を通じて仏教と文字を受け入れてついに律令国家となる過程を、石舞台、橘寺、飛鳥寺で見ることになる。

韓国人にもよく知られる高松塚古墳壁画を見ると、高句麗文化の影響力がどれほど長く残っていたのかを痛感する。
日本の古代社会に朝鮮半島からの渡来人が残した文化的結実は、飛鳥の北面にある法隆寺に集約的に見られる。
法隆寺は、日本古代文化の精華であると同時に、朝鮮半島では見ることのできない百済の建築と彫刻の姿を見せてくれる。

七一〇年、平城京に遷都すると同時に始まった奈良時代は、日本古代文化の頂点であった。
薬師寺の東塔、興福寺の仏像彫刻、東大寺の大仏、唐招提寺の彫像彫刻は、日本古代国家の爛熟と栄光を誇る。
この頃になると日本は、朝鮮半島の影響から離れて唐文化に直接接するとともに、より国際的な文化となっていく。
それは、統一新羅の文化と似ていながら異なる、日本文化独自の姿であった。

我々韓国人は、東アジアの一員として、隣国日本のこうした文化的成功を評価することにためらう理由はない。


▲△▽▼

日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
レビュー 赤尖晶石 5つ星のうち4.0
筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・
2015年5月11日


『筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・』

仏教美術を中心に日本古来の芸術の特徴や日本人の考え方と、朝鮮の文化や韓国人の考え方とを対比させて論説する文体は、谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』を連想させる。特に筆者が専門とする美術史に関する部分は文章が生きており、人を引き付ける力がある。

この筆勢が全編貫かれていれば★5つでしょう。しかし他の部分があまりにも内容が乏しく正確さに欠けるので、本来★3つですが、九州編に比べ日韓の主張を両論併記しようと心掛けている部分も増え、良くなっている部分もあり、おまけして★4つにしました。

(韓国人が読めば全編に渡り『自尊心』を刺激されて、きっと★5つでしょう)

 筆のすべりが過ぎて、史料の確認が出来ていないところもある。例えば同行した金教授の説明と、ことわりが入れてあるが「東大寺転害門(大門)の一方の空いた空間に瑪瑙で作った臼があったからと、『七大寺巡礼私記』という古記録を資料名だけ引用して、内容も無く長々と、しかも勘違いして記述しているようだ・・・これは勘弁してほしい。

この部分は七大寺日記(1106年頃)及び七大寺巡礼私記(1140年頃)そのままに、西面大垣三門、北端門碾磑御門(七大寺日記)・・・碾磑亭一宇、七間瓦屋、置碾磑、件亭在於講堂東食堂之北、其亭内置石唐臼、是云碾磑、以馬瑙造之、其色白(七大寺巡礼私記)「西面の大垣に三門あり、北端の門を輾磑御門と云う・・・碾磑亭という七間、瓦葺き一棟があり、碾磑が置かれている。この建物は講堂(大仏殿の北に位置し、1180年に「平重衡の兵火」で焼失)の東にある食堂の北(講堂の北東、碾磑門のはるか東)にあり、中に石の唐臼が置かれているが、これを碾磑といい、瑪瑙で出来ていて、白色である」と巡礼私記等の具体的で正確な内容をそのまま書いてほしかった。私の考えすぎでしょうか、原文の内容を書かなかったのは・・・唐臼とあったから高句麗の臼ではないのではと、この教授は考えてしまったのではないかと・・・日本語の『唐臼』は、目を刻った石臼のことだのに?

  碾磑亭は現在の龍蔵院付近である。この部分は、後段に筆者が記述している日本書紀610年の記録『高句麗の僧曇徴』を説明する為の導入部分であるが、日本書紀の現代語訳も間違いがあるし、日本人の読む書物に専門外のことには手を出さない方が良いと私は思った。転害門(碾磑御門)の近所で、瑪瑙の碾磑の設置場所の写真なんか撮れないでしょう・・・漢文が読めてないのでしょう。

それと、3年程前に『食堂』跡の遺跡の井戸から巨大な唐臼の破片が出土していますよ・・転害門から相当離れた東側ですが。

 また東大寺正倉院の建築様式が高句麗の桴京だと強弁しているが、徳興里壁画古墳の玄室の絵画でも、井桁組と分かる麻線溝一号墳壁画でも、八清里古墳でも、高床式で屋根が付いていて横木組であるということは分かるが、それ以上の情報は無い。その程度のものなら、時代の古い弥生時代遺跡の穀物倉庫(登呂遺跡。平板を井籠組)にある。正倉院は井籠組の一種の校倉組で、大きな三角形の長尺材を使う甲倉であり、建築が困難な一棟三倉構造をしており、創意と工夫にあふれた巨大な建造物だ。甲倉造りは丸太造りに比べ強度に優れ、丸太では、正倉院の大きさの米倉は建造出来ない。丸木の校倉造は世界各地にあるが、甲倉は日本にしかない日本人の発明であり、稲穀を蓄える巨大な米櫃である。

 正倉の名称、倉庫令、倉の位置の名称は、唐の律令制を手本にしていることから、大和朝廷は唐の正倉に匹敵する堂々たる倉の建築を決めて採用したのが甲倉造りだったのであろう。校倉造りの甲倉の米の収容能力は、校倉造り丸木倉の実に3倍から4倍(斛の記録ではなく正倉の実測値)に達している。

では桴京とは何か?・・・三国志『高句麗伝』無大倉庫、家家自有小倉、名之為桴京。私流に訳すと「大きな倉庫は無く、家には自家用の小さな倉があり、これを名付けて『桴京』という」・・・根拠は壁画とこれだけ。私は話にならないと思った。高床式建物は確かに北方系建築様式でもあり、北方系のアムール川流域の古アジア系民族の夏小屋(冬小屋はアイヌの寒冷地の穴式住居に似る)で校倉式木組みを伴なっている。高句麗の桴京は、北方少数民族と共通で、古アジア系建築様式をルーツにしている小規模な穀物倉で、収容物は米穀より軽い粟等の雑穀や干肉であろう。

  一方南方系の記録は漢時代の貴州と雲南省で、高床式で丸木と推定される校倉造りである。また日本の神社の建築様式には、南方系の高床式と少数民族の屋根組みがみられることから日本には北からも南からも高床式で校倉造りの建築様式は流入する可能性があり、私は、即断は避けるべきであると考える。

 そもそも日本人男性のDNA・Y染色体分布をみると、一番多いのは縄文系のD2遺伝子で、僅差で2番目に多い遺伝子は弥生系のO2b1で、シェアは日本が最大、中国江南が出自の遺伝子とされている。

また日本人の半数が江南出身である証拠は、アルデヒド分解遺伝子の欠如でも証明されている。(日本の場合、残る半数は縄文系でお酒に強い、その代表は日本美人の産地秋田県と南国鹿児島県)

この遺伝子は、突然変異で発生したが、その場所は中国江南であり、世界で一番この酒に弱い遺伝子を持っているのは、日本人で、その日本で弱い遺伝子を持つ人は、近畿・中部・瀬戸内に多い(一番弱いのは三重県、次は愛知県)。余談だが、韓国人はアジア人の中でも酒に強いグループで、『酒に弱い弥生先祖人』とは大きく異なって北方系と華北系が主流であり、飛鳥や奈良の原住民とは関係が薄いということが分かる。筆者ご自慢の青銅器の流入も北から、朝鮮を支配し当時から世界一の製鉄技術を持っていた漢も北から、百済と新羅を圧迫した高句麗も北から・・朝鮮半島の皆さんは、ことごとく酒に強い北方系の人達だ。

この日本の酒に弱い人達は、縄文時代末期から弥生初期に、大陸から直接、稲と、鉄器と、四眠蚕と、潜水漁法(あわび起し)を日本に持ち込んだことが、学術的に分かっている。日本最古の鉄器は中国製だし、日本の史跡出土の、主要なジャポニカ米の遺伝子は朝鮮の遺跡の炭化米には無い。飛鳥・奈良を中心とする大和王権の地に住む人々は、五七五の和歌の旋律を天皇から庶民まで楽しみ、鵜飼の行事とともに歌会始(歌御会)は、現代まで続く宮中行事となっている。漢語がベースの時調のようなものは宮廷行事には当然無い。

当然高床式の穀物倉庫も江南から直接持ち込まれた可能性が強く残る。ちなみに農具の馬鍬も江南の水田稲作民が持ち込んだと推測されている。弥生祖先人は半農半漁民で稲作と鍛冶技術を呉越の地から持って来たようだ。

  朝鮮半島からの帰化人=今来の渡来民を受け入れたのは、心優しい縄文人と江南からの渡来民(弥生祖先人)が平和裏に混交し人口を増やした弥生人の末裔であり、日本は韓国人が作ったという筆者の強く熱い思いを踏みにじるようで申し訳ないが、朝鮮系は少数派ですね。当然、ASUKA(飛鳥、明日香)も韓国語ではなく、大和言葉で十分説明出来ます。藤村由加氏と同じレベルのエピソードを長々と書かれても、多くの日本人は馬鹿馬鹿しく思い、ついていけないだろう。

 
  筆者は、三国志魏志東夷伝の記述を次のように書いている「金海で製造された鉄が楽浪、ワイ(さんずいに歳)、倭に輸出された」と、続けて次のように解説している「当時、倭は鉄を生産する技術がなかった。そのため、加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった」これは、漢文を読めていないか、読めているとしたら悪意の誤訳である可能性がある。

 では『三国志魏書』弁辰伝・・國出鐵、韓、ワイ、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡。・・『三国志』魏志弁辰(弁韓辰韓)伝にも、国は鉄を産出し、韓人、ワイ人、倭人など皆、これを(辰韓の)許可を得て取りに来る。諸貨の売買には皆、鉄を用いる。中国で金銭を用いるがごとくであり、また(楽浪、帯方の)二郡に供給する。

 少し解説すると、古代加那の製鉄遺跡は出土していないが、製鉄法は「たたら製鉄」で原料は砂鉄だとされている。日本人技術者の分析によると、この地域の砂鉄は日本の砂鉄に比べ不純物が大変少なく良質である。私は、この「たたら製鉄」は、『野たたら』だとすると矛盾は無いと考える。

朝鮮半島にも近代まで野タタラ製鉄の技術が残っていたが、記録によると・・・明治42年、朝鮮咸鏡北道富寧の南東にある抄河洞の輪域川の河原で、極めて原始的な製鉄現場が確認された。その方法は、河原に乾いた砂鉄を60p積み、その上に大量の薪を乗せ、一夜燃やし続けて翌日に鉄塊を拾い集める方法だった(京城の加藤灌覚氏の実見談)。最も原始的な製鉄法である。弁韓・辰韓・新羅で製鉄の伝統を持つ国の話である・・・と、まとめられている。スピネル構造の鉄酸化物である磁鉄鉱が主成分の砂鉄を還元する木炭の記述が無く、時間も短いのも不思議だが、面白い実見談である。

  筆者は、日本人の考え方「朝鮮半島はストローのように技術や文物を日本に伝えただけ」を痛烈に批判しているが、同じたたら製鉄でも日本では技術が大いに発達し、朝鮮半島ではそのまま技術が発達しない原始的野たたらが残る、私はこのような実例によってストロー論が実証されているのだと思った。

  何れにせよ、この原始的製鉄法ならば、製鉄遺跡は残らないし、『皆、許可を得て取りに来る』という表現にも納得出来る。このような倭人の原始的製鉄法に繋がる技術的内容が読み取れる記述を、どうすれば単に輸出と表現出来るのか、私は筆者の見識を疑いたい。

  また『金海で製造された・・』と原文にない箇所をわざわざ挿入した訳は、近年、金海の遺跡から渡海可能な比較的大型の船が出土し『金海人が船で・・』というストーリーを考えたのだろうが、その後の分析で船体素材が杉と楠と分かって日本製の船であったことが分かっているのだが。船の他にも任那加羅の遺跡から出土したのは、古くは大量の弥生式土器、倭国の巴型青銅器、ヒスイ勾玉等遺物が多数、前方後円墳が14基ある。『輸出』の一語では片付けることは出来ない『加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった』というのは、倭国の半島進出と支配を認めた言葉だったのかな???

 筆者は韓国の歴史学者の論を採用して、日本の教科書会社が『帰化人(渡来人)』と記載しているのを極右翼と非難しているが、単なる渡来民では、中国系や韓国系の人達は氏姓を称することも出来ないことを理解していない。投化(帰化)していないと戸籍に載らないし、租庸調の義務も生じないし、民を束ねる称号も得ることは無い。そもそも戸籍制度で最初に『王化の民』として戸籍に登録されたのは、帰化した秦氏、漢氏等で『秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」。』(日本書紀)とある。つまり弥生人の末裔より先に帰化民を優先登録したのだ。

その後、これらは制度化され、『化外人(帰化する前)』⇒『化内人(帰化人)』・・10年の据え置き期間・・⇒『調庸人(公民・平民)』⇒『天皇の民(王民)』となった。(賦役令)・・・後の時代には調庸人(海外の名)から王民(著名な氏姓)を得る為に活動する記録もある。

また筆者など韓国人は、統一王朝になる以前は帰化人ではないと詭弁を弄するが、そもそも中国で夷狄の帰化を含む中華思想が形成されたのは、周辺民族にまで「戦国の七雄」の支配が及び始めた戦国時代のことで、当然のこと統一国家ではない。
 単なる渡来人では、大和朝廷支配の日本では物乞いか夜盗になるしか無いのである。渡来なら日本に渡っただけで、朝鮮人・中国人のままなので、強制送還された渡来人の実例もあったが、帰化だと『申請手続き』が必須で、申請完了の場合、日本人になってしまう。帰化には特典も様々にあり、戸令四十四化外奴婢条には、『凡化外奴婢。自来投国者。悉放為良。即附籍貫。本主雖先来投国。亦不得認。・・・』つまり、朝鮮とか中国で、奴隷身分であっても、日本に帰化したら、良民(公民・平民)の身分で登録しますよ、渡来民のままなら奴婢のままですよ、帰化しなさいという勧誘制度ですね。実際、主従の渡来者のうち、最初に帰化した主人に従う奴婢も、帰化の申請を行って賎民から良民となっている。

  その結果、日本に来た様々な階層の渡来民は、帰化して身分差別の少ない日本人になって共に頑張って、日本という国を作った訳で、帰化人は渡来民と同義ではない。その後、韓国では奴婢身分は、『国家管理の性奴隷』を含め、人口の70%にも達したが、日本では、5%程度と元々少なかった奴婢だったが、非合理な奴隷制度は平安時代には廃止された。日本の国の品格は、日本型帰化制度の採用によって確立されたのですかね。日本の江戸後期の頃まで奴隷制度を1000年も長く維持していた国が経済発展する訳は無い。帰化を渡来と言い換えて、自尊心を満足して、『日本人を教化した』(韓国国定教科書)と満足しているようでは、あまりにも寂しいではないだろうか。

 長々と書きましたが、韓国的で独特な歴史観を除けば良書の部類でしょう。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2KTXNSNYIU3TF/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4000610244
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/255.html#c9

[近代史5] 日本語の起源 中川隆
12. 中川隆[-8957] koaQ7Jey 2020年12月25日 14:58:11 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[19]
日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
2015/2/27 兪 弘濬 (著), 橋本 繁 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F-%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%83%BB%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%B7%A8%E2%80%95%E2%80%95%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%81%AE%E5%8E%9F%E3%81%AB%E7%99%BE%E6%B8%88%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%8C%E5%92%B2%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E5%85%AA-%E5%BC%98%E6%BF%AC/dp/4000610244


@ 渡来人の故郷、飛鳥

飛鳥と奈良は、日本の中の朝鮮文化を探す旅の核心であり、日本古代文化のハイライトだ。
日本が古代国家に発展する全過程が飛鳥に残っており、彼らがあれほどまでに望んだ古代国家をついに誕生させた場所が奈良である。
飛鳥に行けば韓国の扶余〔百済の都〕が思い浮かび、奈良の古寺を見れば慶州〔新羅の都〕を連想する。

五世紀に加耶から渡った渡来人が日本に鉄と馬そして加耶の土器文化を伝えたことは、「近つ飛鳥」に確かに残っており、
六世紀の百済から渡っていった渡来人の足跡は、飛鳥ではっきりと見ることができる。
百済王室との交流を通じて仏教と文字を受け入れてついに律令国家となる過程を、石舞台、橘寺、飛鳥寺で見ることになる。

韓国人にもよく知られる高松塚古墳壁画を見ると、高句麗文化の影響力がどれほど長く残っていたのかを痛感する。
日本の古代社会に朝鮮半島からの渡来人が残した文化的結実は、飛鳥の北面にある法隆寺に集約的に見られる。
法隆寺は、日本古代文化の精華であると同時に、朝鮮半島では見ることのできない百済の建築と彫刻の姿を見せてくれる。

七一〇年、平城京に遷都すると同時に始まった奈良時代は、日本古代文化の頂点であった。
薬師寺の東塔、興福寺の仏像彫刻、東大寺の大仏、唐招提寺の彫像彫刻は、日本古代国家の爛熟と栄光を誇る。
この頃になると日本は、朝鮮半島の影響から離れて唐文化に直接接するとともに、より国際的な文化となっていく。
それは、統一新羅の文化と似ていながら異なる、日本文化独自の姿であった。

我々韓国人は、東アジアの一員として、隣国日本のこうした文化的成功を評価することにためらう理由はない。


▲△▽▼

日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
レビュー 赤尖晶石 5つ星のうち4.0
筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・
2015年5月11日


『筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・』

仏教美術を中心に日本古来の芸術の特徴や日本人の考え方と、朝鮮の文化や韓国人の考え方とを対比させて論説する文体は、谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』を連想させる。特に筆者が専門とする美術史に関する部分は文章が生きており、人を引き付ける力がある。

この筆勢が全編貫かれていれば★5つでしょう。しかし他の部分があまりにも内容が乏しく正確さに欠けるので、本来★3つですが、九州編に比べ日韓の主張を両論併記しようと心掛けている部分も増え、良くなっている部分もあり、おまけして★4つにしました。

(韓国人が読めば全編に渡り『自尊心』を刺激されて、きっと★5つでしょう)

 筆のすべりが過ぎて、史料の確認が出来ていないところもある。例えば同行した金教授の説明と、ことわりが入れてあるが「東大寺転害門(大門)の一方の空いた空間に瑪瑙で作った臼があったからと、『七大寺巡礼私記』という古記録を資料名だけ引用して、内容も無く長々と、しかも勘違いして記述しているようだ・・・これは勘弁してほしい。

この部分は七大寺日記(1106年頃)及び七大寺巡礼私記(1140年頃)そのままに、西面大垣三門、北端門碾磑御門(七大寺日記)・・・碾磑亭一宇、七間瓦屋、置碾磑、件亭在於講堂東食堂之北、其亭内置石唐臼、是云碾磑、以馬瑙造之、其色白(七大寺巡礼私記)「西面の大垣に三門あり、北端の門を輾磑御門と云う・・・碾磑亭という七間、瓦葺き一棟があり、碾磑が置かれている。この建物は講堂(大仏殿の北に位置し、1180年に「平重衡の兵火」で焼失)の東にある食堂の北(講堂の北東、碾磑門のはるか東)にあり、中に石の唐臼が置かれているが、これを碾磑といい、瑪瑙で出来ていて、白色である」と巡礼私記等の具体的で正確な内容をそのまま書いてほしかった。私の考えすぎでしょうか、原文の内容を書かなかったのは・・・唐臼とあったから高句麗の臼ではないのではと、この教授は考えてしまったのではないかと・・・日本語の『唐臼』は、目を刻った石臼のことだのに?

  碾磑亭は現在の龍蔵院付近である。この部分は、後段に筆者が記述している日本書紀610年の記録『高句麗の僧曇徴』を説明する為の導入部分であるが、日本書紀の現代語訳も間違いがあるし、日本人の読む書物に専門外のことには手を出さない方が良いと私は思った。転害門(碾磑御門)の近所で、瑪瑙の碾磑の設置場所の写真なんか撮れないでしょう・・・漢文が読めてないのでしょう。

それと、3年程前に『食堂』跡の遺跡の井戸から巨大な唐臼の破片が出土していますよ・・転害門から相当離れた東側ですが。

 また東大寺正倉院の建築様式が高句麗の桴京だと強弁しているが、徳興里壁画古墳の玄室の絵画でも、井桁組と分かる麻線溝一号墳壁画でも、八清里古墳でも、高床式で屋根が付いていて横木組であるということは分かるが、それ以上の情報は無い。その程度のものなら、時代の古い弥生時代遺跡の穀物倉庫(登呂遺跡。平板を井籠組)にある。正倉院は井籠組の一種の校倉組で、大きな三角形の長尺材を使う甲倉であり、建築が困難な一棟三倉構造をしており、創意と工夫にあふれた巨大な建造物だ。甲倉造りは丸太造りに比べ強度に優れ、丸太では、正倉院の大きさの米倉は建造出来ない。丸木の校倉造は世界各地にあるが、甲倉は日本にしかない日本人の発明であり、稲穀を蓄える巨大な米櫃である。

 正倉の名称、倉庫令、倉の位置の名称は、唐の律令制を手本にしていることから、大和朝廷は唐の正倉に匹敵する堂々たる倉の建築を決めて採用したのが甲倉造りだったのであろう。校倉造りの甲倉の米の収容能力は、校倉造り丸木倉の実に3倍から4倍(斛の記録ではなく正倉の実測値)に達している。

では桴京とは何か?・・・三国志『高句麗伝』無大倉庫、家家自有小倉、名之為桴京。私流に訳すと「大きな倉庫は無く、家には自家用の小さな倉があり、これを名付けて『桴京』という」・・・根拠は壁画とこれだけ。私は話にならないと思った。高床式建物は確かに北方系建築様式でもあり、北方系のアムール川流域の古アジア系民族の夏小屋(冬小屋はアイヌの寒冷地の穴式住居に似る)で校倉式木組みを伴なっている。高句麗の桴京は、北方少数民族と共通で、古アジア系建築様式をルーツにしている小規模な穀物倉で、収容物は米穀より軽い粟等の雑穀や干肉であろう。

  一方南方系の記録は漢時代の貴州と雲南省で、高床式で丸木と推定される校倉造りである。また日本の神社の建築様式には、南方系の高床式と少数民族の屋根組みがみられることから日本には北からも南からも高床式で校倉造りの建築様式は流入する可能性があり、私は、即断は避けるべきであると考える。

 そもそも日本人男性のDNA・Y染色体分布をみると、一番多いのは縄文系のD2遺伝子で、僅差で2番目に多い遺伝子は弥生系のO2b1で、シェアは日本が最大、中国江南が出自の遺伝子とされている。

また日本人の半数が江南出身である証拠は、アルデヒド分解遺伝子の欠如でも証明されている。(日本の場合、残る半数は縄文系でお酒に強い、その代表は日本美人の産地秋田県と南国鹿児島県)

この遺伝子は、突然変異で発生したが、その場所は中国江南であり、世界で一番この酒に弱い遺伝子を持っているのは、日本人で、その日本で弱い遺伝子を持つ人は、近畿・中部・瀬戸内に多い(一番弱いのは三重県、次は愛知県)。余談だが、韓国人はアジア人の中でも酒に強いグループで、『酒に弱い弥生先祖人』とは大きく異なって北方系と華北系が主流であり、飛鳥や奈良の原住民とは関係が薄いということが分かる。筆者ご自慢の青銅器の流入も北から、朝鮮を支配し当時から世界一の製鉄技術を持っていた漢も北から、百済と新羅を圧迫した高句麗も北から・・朝鮮半島の皆さんは、ことごとく酒に強い北方系の人達だ。

この日本の酒に弱い人達は、縄文時代末期から弥生初期に、大陸から直接、稲と、鉄器と、四眠蚕と、潜水漁法(あわび起し)を日本に持ち込んだことが、学術的に分かっている。日本最古の鉄器は中国製だし、日本の史跡出土の、主要なジャポニカ米の遺伝子は朝鮮の遺跡の炭化米には無い。飛鳥・奈良を中心とする大和王権の地に住む人々は、五七五の和歌の旋律を天皇から庶民まで楽しみ、鵜飼の行事とともに歌会始(歌御会)は、現代まで続く宮中行事となっている。漢語がベースの時調のようなものは宮廷行事には当然無い。

当然高床式の穀物倉庫も江南から直接持ち込まれた可能性が強く残る。ちなみに農具の馬鍬も江南の水田稲作民が持ち込んだと推測されている。弥生祖先人は半農半漁民で稲作と鍛冶技術を呉越の地から持って来たようだ。

  朝鮮半島からの帰化人=今来の渡来民を受け入れたのは、心優しい縄文人と江南からの渡来民(弥生祖先人)が平和裏に混交し人口を増やした弥生人の末裔であり、日本は韓国人が作ったという筆者の強く熱い思いを踏みにじるようで申し訳ないが、朝鮮系は少数派ですね。当然、ASUKA(飛鳥、明日香)も韓国語ではなく、大和言葉で十分説明出来ます。藤村由加氏と同じレベルのエピソードを長々と書かれても、多くの日本人は馬鹿馬鹿しく思い、ついていけないだろう。

 
  筆者は、三国志魏志東夷伝の記述を次のように書いている「金海で製造された鉄が楽浪、ワイ(さんずいに歳)、倭に輸出された」と、続けて次のように解説している「当時、倭は鉄を生産する技術がなかった。そのため、加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった」これは、漢文を読めていないか、読めているとしたら悪意の誤訳である可能性がある。

 では『三国志魏書』弁辰伝・・國出鐵、韓、ワイ、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡。・・『三国志』魏志弁辰(弁韓辰韓)伝にも、国は鉄を産出し、韓人、ワイ人、倭人など皆、これを(辰韓の)許可を得て取りに来る。諸貨の売買には皆、鉄を用いる。中国で金銭を用いるがごとくであり、また(楽浪、帯方の)二郡に供給する。

 少し解説すると、古代加那の製鉄遺跡は出土していないが、製鉄法は「たたら製鉄」で原料は砂鉄だとされている。日本人技術者の分析によると、この地域の砂鉄は日本の砂鉄に比べ不純物が大変少なく良質である。私は、この「たたら製鉄」は、『野たたら』だとすると矛盾は無いと考える。

朝鮮半島にも近代まで野タタラ製鉄の技術が残っていたが、記録によると・・・明治42年、朝鮮咸鏡北道富寧の南東にある抄河洞の輪域川の河原で、極めて原始的な製鉄現場が確認された。その方法は、河原に乾いた砂鉄を60p積み、その上に大量の薪を乗せ、一夜燃やし続けて翌日に鉄塊を拾い集める方法だった(京城の加藤灌覚氏の実見談)。最も原始的な製鉄法である。弁韓・辰韓・新羅で製鉄の伝統を持つ国の話である・・・と、まとめられている。スピネル構造の鉄酸化物である磁鉄鉱が主成分の砂鉄を還元する木炭の記述が無く、時間も短いのも不思議だが、面白い実見談である。

  筆者は、日本人の考え方「朝鮮半島はストローのように技術や文物を日本に伝えただけ」を痛烈に批判しているが、同じたたら製鉄でも日本では技術が大いに発達し、朝鮮半島ではそのまま技術が発達しない原始的野たたらが残る、私はこのような実例によってストロー論が実証されているのだと思った。

  何れにせよ、この原始的製鉄法ならば、製鉄遺跡は残らないし、『皆、許可を得て取りに来る』という表現にも納得出来る。このような倭人の原始的製鉄法に繋がる技術的内容が読み取れる記述を、どうすれば単に輸出と表現出来るのか、私は筆者の見識を疑いたい。

  また『金海で製造された・・』と原文にない箇所をわざわざ挿入した訳は、近年、金海の遺跡から渡海可能な比較的大型の船が出土し『金海人が船で・・』というストーリーを考えたのだろうが、その後の分析で船体素材が杉と楠と分かって日本製の船であったことが分かっているのだが。船の他にも任那加羅の遺跡から出土したのは、古くは大量の弥生式土器、倭国の巴型青銅器、ヒスイ勾玉等遺物が多数、前方後円墳が14基ある。『輸出』の一語では片付けることは出来ない『加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった』というのは、倭国の半島進出と支配を認めた言葉だったのかな???

 筆者は韓国の歴史学者の論を採用して、日本の教科書会社が『帰化人(渡来人)』と記載しているのを極右翼と非難しているが、単なる渡来民では、中国系や韓国系の人達は氏姓を称することも出来ないことを理解していない。投化(帰化)していないと戸籍に載らないし、租庸調の義務も生じないし、民を束ねる称号も得ることは無い。そもそも戸籍制度で最初に『王化の民』として戸籍に登録されたのは、帰化した秦氏、漢氏等で『秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」。』(日本書紀)とある。つまり弥生人の末裔より先に帰化民を優先登録したのだ。

その後、これらは制度化され、『化外人(帰化する前)』⇒『化内人(帰化人)』・・10年の据え置き期間・・⇒『調庸人(公民・平民)』⇒『天皇の民(王民)』となった。(賦役令)・・・後の時代には調庸人(海外の名)から王民(著名な氏姓)を得る為に活動する記録もある。

また筆者など韓国人は、統一王朝になる以前は帰化人ではないと詭弁を弄するが、そもそも中国で夷狄の帰化を含む中華思想が形成されたのは、周辺民族にまで「戦国の七雄」の支配が及び始めた戦国時代のことで、当然のこと統一国家ではない。
 単なる渡来人では、大和朝廷支配の日本では物乞いか夜盗になるしか無いのである。渡来なら日本に渡っただけで、朝鮮人・中国人のままなので、強制送還された渡来人の実例もあったが、帰化だと『申請手続き』が必須で、申請完了の場合、日本人になってしまう。帰化には特典も様々にあり、戸令四十四化外奴婢条には、『凡化外奴婢。自来投国者。悉放為良。即附籍貫。本主雖先来投国。亦不得認。・・・』つまり、朝鮮とか中国で、奴隷身分であっても、日本に帰化したら、良民(公民・平民)の身分で登録しますよ、渡来民のままなら奴婢のままですよ、帰化しなさいという勧誘制度ですね。実際、主従の渡来者のうち、最初に帰化した主人に従う奴婢も、帰化の申請を行って賎民から良民となっている。

  その結果、日本に来た様々な階層の渡来民は、帰化して身分差別の少ない日本人になって共に頑張って、日本という国を作った訳で、帰化人は渡来民と同義ではない。その後、韓国では奴婢身分は、『国家管理の性奴隷』を含め、人口の70%にも達したが、日本では、5%程度と元々少なかった奴婢だったが、非合理な奴隷制度は平安時代には廃止された。日本の国の品格は、日本型帰化制度の採用によって確立されたのですかね。日本の江戸後期の頃まで奴隷制度を1000年も長く維持していた国が経済発展する訳は無い。帰化を渡来と言い換えて、自尊心を満足して、『日本人を教化した』(韓国国定教科書)と満足しているようでは、あまりにも寂しいではないだろうか。

 長々と書きましたが、韓国的で独特な歴史観を除けば良書の部類でしょう。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2KTXNSNYIU3TF/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4000610244
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c12

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
293. 中川隆[-8956] koaQ7Jey 2020年12月25日 14:59:01 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[20]
日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
2015/2/27 兪 弘濬 (著), 橋本 繁 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F-%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%83%BB%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%B7%A8%E2%80%95%E2%80%95%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%81%AE%E5%8E%9F%E3%81%AB%E7%99%BE%E6%B8%88%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%8C%E5%92%B2%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E5%85%AA-%E5%BC%98%E6%BF%AC/dp/4000610244


@ 渡来人の故郷、飛鳥

飛鳥と奈良は、日本の中の朝鮮文化を探す旅の核心であり、日本古代文化のハイライトだ。
日本が古代国家に発展する全過程が飛鳥に残っており、彼らがあれほどまでに望んだ古代国家をついに誕生させた場所が奈良である。
飛鳥に行けば韓国の扶余〔百済の都〕が思い浮かび、奈良の古寺を見れば慶州〔新羅の都〕を連想する。

五世紀に加耶から渡った渡来人が日本に鉄と馬そして加耶の土器文化を伝えたことは、「近つ飛鳥」に確かに残っており、
六世紀の百済から渡っていった渡来人の足跡は、飛鳥ではっきりと見ることができる。
百済王室との交流を通じて仏教と文字を受け入れてついに律令国家となる過程を、石舞台、橘寺、飛鳥寺で見ることになる。

韓国人にもよく知られる高松塚古墳壁画を見ると、高句麗文化の影響力がどれほど長く残っていたのかを痛感する。
日本の古代社会に朝鮮半島からの渡来人が残した文化的結実は、飛鳥の北面にある法隆寺に集約的に見られる。
法隆寺は、日本古代文化の精華であると同時に、朝鮮半島では見ることのできない百済の建築と彫刻の姿を見せてくれる。

七一〇年、平城京に遷都すると同時に始まった奈良時代は、日本古代文化の頂点であった。
薬師寺の東塔、興福寺の仏像彫刻、東大寺の大仏、唐招提寺の彫像彫刻は、日本古代国家の爛熟と栄光を誇る。
この頃になると日本は、朝鮮半島の影響から離れて唐文化に直接接するとともに、より国際的な文化となっていく。
それは、統一新羅の文化と似ていながら異なる、日本文化独自の姿であった。

我々韓国人は、東アジアの一員として、隣国日本のこうした文化的成功を評価することにためらう理由はない。


▲△▽▼

日本の中の朝鮮をゆく 飛鳥・奈良編――飛鳥の原に百済の花が咲きました
レビュー 赤尖晶石 5つ星のうち4.0
筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・
2015年5月11日


『筆者の専門分野での記述は素晴らしかったが・・・』

仏教美術を中心に日本古来の芸術の特徴や日本人の考え方と、朝鮮の文化や韓国人の考え方とを対比させて論説する文体は、谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』を連想させる。特に筆者が専門とする美術史に関する部分は文章が生きており、人を引き付ける力がある。

この筆勢が全編貫かれていれば★5つでしょう。しかし他の部分があまりにも内容が乏しく正確さに欠けるので、本来★3つですが、九州編に比べ日韓の主張を両論併記しようと心掛けている部分も増え、良くなっている部分もあり、おまけして★4つにしました。

(韓国人が読めば全編に渡り『自尊心』を刺激されて、きっと★5つでしょう)

 筆のすべりが過ぎて、史料の確認が出来ていないところもある。例えば同行した金教授の説明と、ことわりが入れてあるが「東大寺転害門(大門)の一方の空いた空間に瑪瑙で作った臼があったからと、『七大寺巡礼私記』という古記録を資料名だけ引用して、内容も無く長々と、しかも勘違いして記述しているようだ・・・これは勘弁してほしい。

この部分は七大寺日記(1106年頃)及び七大寺巡礼私記(1140年頃)そのままに、西面大垣三門、北端門碾磑御門(七大寺日記)・・・碾磑亭一宇、七間瓦屋、置碾磑、件亭在於講堂東食堂之北、其亭内置石唐臼、是云碾磑、以馬瑙造之、其色白(七大寺巡礼私記)「西面の大垣に三門あり、北端の門を輾磑御門と云う・・・碾磑亭という七間、瓦葺き一棟があり、碾磑が置かれている。この建物は講堂(大仏殿の北に位置し、1180年に「平重衡の兵火」で焼失)の東にある食堂の北(講堂の北東、碾磑門のはるか東)にあり、中に石の唐臼が置かれているが、これを碾磑といい、瑪瑙で出来ていて、白色である」と巡礼私記等の具体的で正確な内容をそのまま書いてほしかった。私の考えすぎでしょうか、原文の内容を書かなかったのは・・・唐臼とあったから高句麗の臼ではないのではと、この教授は考えてしまったのではないかと・・・日本語の『唐臼』は、目を刻った石臼のことだのに?

  碾磑亭は現在の龍蔵院付近である。この部分は、後段に筆者が記述している日本書紀610年の記録『高句麗の僧曇徴』を説明する為の導入部分であるが、日本書紀の現代語訳も間違いがあるし、日本人の読む書物に専門外のことには手を出さない方が良いと私は思った。転害門(碾磑御門)の近所で、瑪瑙の碾磑の設置場所の写真なんか撮れないでしょう・・・漢文が読めてないのでしょう。

それと、3年程前に『食堂』跡の遺跡の井戸から巨大な唐臼の破片が出土していますよ・・転害門から相当離れた東側ですが。

 また東大寺正倉院の建築様式が高句麗の桴京だと強弁しているが、徳興里壁画古墳の玄室の絵画でも、井桁組と分かる麻線溝一号墳壁画でも、八清里古墳でも、高床式で屋根が付いていて横木組であるということは分かるが、それ以上の情報は無い。その程度のものなら、時代の古い弥生時代遺跡の穀物倉庫(登呂遺跡。平板を井籠組)にある。正倉院は井籠組の一種の校倉組で、大きな三角形の長尺材を使う甲倉であり、建築が困難な一棟三倉構造をしており、創意と工夫にあふれた巨大な建造物だ。甲倉造りは丸太造りに比べ強度に優れ、丸太では、正倉院の大きさの米倉は建造出来ない。丸木の校倉造は世界各地にあるが、甲倉は日本にしかない日本人の発明であり、稲穀を蓄える巨大な米櫃である。

 正倉の名称、倉庫令、倉の位置の名称は、唐の律令制を手本にしていることから、大和朝廷は唐の正倉に匹敵する堂々たる倉の建築を決めて採用したのが甲倉造りだったのであろう。校倉造りの甲倉の米の収容能力は、校倉造り丸木倉の実に3倍から4倍(斛の記録ではなく正倉の実測値)に達している。

では桴京とは何か?・・・三国志『高句麗伝』無大倉庫、家家自有小倉、名之為桴京。私流に訳すと「大きな倉庫は無く、家には自家用の小さな倉があり、これを名付けて『桴京』という」・・・根拠は壁画とこれだけ。私は話にならないと思った。高床式建物は確かに北方系建築様式でもあり、北方系のアムール川流域の古アジア系民族の夏小屋(冬小屋はアイヌの寒冷地の穴式住居に似る)で校倉式木組みを伴なっている。高句麗の桴京は、北方少数民族と共通で、古アジア系建築様式をルーツにしている小規模な穀物倉で、収容物は米穀より軽い粟等の雑穀や干肉であろう。

  一方南方系の記録は漢時代の貴州と雲南省で、高床式で丸木と推定される校倉造りである。また日本の神社の建築様式には、南方系の高床式と少数民族の屋根組みがみられることから日本には北からも南からも高床式で校倉造りの建築様式は流入する可能性があり、私は、即断は避けるべきであると考える。

 そもそも日本人男性のDNA・Y染色体分布をみると、一番多いのは縄文系のD2遺伝子で、僅差で2番目に多い遺伝子は弥生系のO2b1で、シェアは日本が最大、中国江南が出自の遺伝子とされている。

また日本人の半数が江南出身である証拠は、アルデヒド分解遺伝子の欠如でも証明されている。(日本の場合、残る半数は縄文系でお酒に強い、その代表は日本美人の産地秋田県と南国鹿児島県)

この遺伝子は、突然変異で発生したが、その場所は中国江南であり、世界で一番この酒に弱い遺伝子を持っているのは、日本人で、その日本で弱い遺伝子を持つ人は、近畿・中部・瀬戸内に多い(一番弱いのは三重県、次は愛知県)。余談だが、韓国人はアジア人の中でも酒に強いグループで、『酒に弱い弥生先祖人』とは大きく異なって北方系と華北系が主流であり、飛鳥や奈良の原住民とは関係が薄いということが分かる。筆者ご自慢の青銅器の流入も北から、朝鮮を支配し当時から世界一の製鉄技術を持っていた漢も北から、百済と新羅を圧迫した高句麗も北から・・朝鮮半島の皆さんは、ことごとく酒に強い北方系の人達だ。

この日本の酒に弱い人達は、縄文時代末期から弥生初期に、大陸から直接、稲と、鉄器と、四眠蚕と、潜水漁法(あわび起し)を日本に持ち込んだことが、学術的に分かっている。日本最古の鉄器は中国製だし、日本の史跡出土の、主要なジャポニカ米の遺伝子は朝鮮の遺跡の炭化米には無い。飛鳥・奈良を中心とする大和王権の地に住む人々は、五七五の和歌の旋律を天皇から庶民まで楽しみ、鵜飼の行事とともに歌会始(歌御会)は、現代まで続く宮中行事となっている。漢語がベースの時調のようなものは宮廷行事には当然無い。

当然高床式の穀物倉庫も江南から直接持ち込まれた可能性が強く残る。ちなみに農具の馬鍬も江南の水田稲作民が持ち込んだと推測されている。弥生祖先人は半農半漁民で稲作と鍛冶技術を呉越の地から持って来たようだ。

  朝鮮半島からの帰化人=今来の渡来民を受け入れたのは、心優しい縄文人と江南からの渡来民(弥生祖先人)が平和裏に混交し人口を増やした弥生人の末裔であり、日本は韓国人が作ったという筆者の強く熱い思いを踏みにじるようで申し訳ないが、朝鮮系は少数派ですね。当然、ASUKA(飛鳥、明日香)も韓国語ではなく、大和言葉で十分説明出来ます。藤村由加氏と同じレベルのエピソードを長々と書かれても、多くの日本人は馬鹿馬鹿しく思い、ついていけないだろう。

 
  筆者は、三国志魏志東夷伝の記述を次のように書いている「金海で製造された鉄が楽浪、ワイ(さんずいに歳)、倭に輸出された」と、続けて次のように解説している「当時、倭は鉄を生産する技術がなかった。そのため、加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった」これは、漢文を読めていないか、読めているとしたら悪意の誤訳である可能性がある。

 では『三国志魏書』弁辰伝・・國出鐵、韓、ワイ、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡。・・『三国志』魏志弁辰(弁韓辰韓)伝にも、国は鉄を産出し、韓人、ワイ人、倭人など皆、これを(辰韓の)許可を得て取りに来る。諸貨の売買には皆、鉄を用いる。中国で金銭を用いるがごとくであり、また(楽浪、帯方の)二郡に供給する。

 少し解説すると、古代加那の製鉄遺跡は出土していないが、製鉄法は「たたら製鉄」で原料は砂鉄だとされている。日本人技術者の分析によると、この地域の砂鉄は日本の砂鉄に比べ不純物が大変少なく良質である。私は、この「たたら製鉄」は、『野たたら』だとすると矛盾は無いと考える。

朝鮮半島にも近代まで野タタラ製鉄の技術が残っていたが、記録によると・・・明治42年、朝鮮咸鏡北道富寧の南東にある抄河洞の輪域川の河原で、極めて原始的な製鉄現場が確認された。その方法は、河原に乾いた砂鉄を60p積み、その上に大量の薪を乗せ、一夜燃やし続けて翌日に鉄塊を拾い集める方法だった(京城の加藤灌覚氏の実見談)。最も原始的な製鉄法である。弁韓・辰韓・新羅で製鉄の伝統を持つ国の話である・・・と、まとめられている。スピネル構造の鉄酸化物である磁鉄鉱が主成分の砂鉄を還元する木炭の記述が無く、時間も短いのも不思議だが、面白い実見談である。

  筆者は、日本人の考え方「朝鮮半島はストローのように技術や文物を日本に伝えただけ」を痛烈に批判しているが、同じたたら製鉄でも日本では技術が大いに発達し、朝鮮半島ではそのまま技術が発達しない原始的野たたらが残る、私はこのような実例によってストロー論が実証されているのだと思った。

  何れにせよ、この原始的製鉄法ならば、製鉄遺跡は残らないし、『皆、許可を得て取りに来る』という表現にも納得出来る。このような倭人の原始的製鉄法に繋がる技術的内容が読み取れる記述を、どうすれば単に輸出と表現出来るのか、私は筆者の見識を疑いたい。

  また『金海で製造された・・』と原文にない箇所をわざわざ挿入した訳は、近年、金海の遺跡から渡海可能な比較的大型の船が出土し『金海人が船で・・』というストーリーを考えたのだろうが、その後の分析で船体素材が杉と楠と分かって日本製の船であったことが分かっているのだが。船の他にも任那加羅の遺跡から出土したのは、古くは大量の弥生式土器、倭国の巴型青銅器、ヒスイ勾玉等遺物が多数、前方後円墳が14基ある。『輸出』の一語では片付けることは出来ない『加那と倭は、同盟以上の親密な関係だった』というのは、倭国の半島進出と支配を認めた言葉だったのかな???

 筆者は韓国の歴史学者の論を採用して、日本の教科書会社が『帰化人(渡来人)』と記載しているのを極右翼と非難しているが、単なる渡来民では、中国系や韓国系の人達は氏姓を称することも出来ないことを理解していない。投化(帰化)していないと戸籍に載らないし、租庸調の義務も生じないし、民を束ねる称号も得ることは無い。そもそも戸籍制度で最初に『王化の民』として戸籍に登録されたのは、帰化した秦氏、漢氏等で『秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」。』(日本書紀)とある。つまり弥生人の末裔より先に帰化民を優先登録したのだ。

その後、これらは制度化され、『化外人(帰化する前)』⇒『化内人(帰化人)』・・10年の据え置き期間・・⇒『調庸人(公民・平民)』⇒『天皇の民(王民)』となった。(賦役令)・・・後の時代には調庸人(海外の名)から王民(著名な氏姓)を得る為に活動する記録もある。

また筆者など韓国人は、統一王朝になる以前は帰化人ではないと詭弁を弄するが、そもそも中国で夷狄の帰化を含む中華思想が形成されたのは、周辺民族にまで「戦国の七雄」の支配が及び始めた戦国時代のことで、当然のこと統一国家ではない。
 単なる渡来人では、大和朝廷支配の日本では物乞いか夜盗になるしか無いのである。渡来なら日本に渡っただけで、朝鮮人・中国人のままなので、強制送還された渡来人の実例もあったが、帰化だと『申請手続き』が必須で、申請完了の場合、日本人になってしまう。帰化には特典も様々にあり、戸令四十四化外奴婢条には、『凡化外奴婢。自来投国者。悉放為良。即附籍貫。本主雖先来投国。亦不得認。・・・』つまり、朝鮮とか中国で、奴隷身分であっても、日本に帰化したら、良民(公民・平民)の身分で登録しますよ、渡来民のままなら奴婢のままですよ、帰化しなさいという勧誘制度ですね。実際、主従の渡来者のうち、最初に帰化した主人に従う奴婢も、帰化の申請を行って賎民から良民となっている。

  その結果、日本に来た様々な階層の渡来民は、帰化して身分差別の少ない日本人になって共に頑張って、日本という国を作った訳で、帰化人は渡来民と同義ではない。その後、韓国では奴婢身分は、『国家管理の性奴隷』を含め、人口の70%にも達したが、日本では、5%程度と元々少なかった奴婢だったが、非合理な奴隷制度は平安時代には廃止された。日本の国の品格は、日本型帰化制度の採用によって確立されたのですかね。日本の江戸後期の頃まで奴隷制度を1000年も長く維持していた国が経済発展する訳は無い。帰化を渡来と言い換えて、自尊心を満足して、『日本人を教化した』(韓国国定教科書)と満足しているようでは、あまりにも寂しいではないだろうか。

 長々と書きましたが、韓国的で独特な歴史観を除けば良書の部類でしょう。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2KTXNSNYIU3TF/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4000610244
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c293

[番外地8] このオッサンは普通の学生がドストエフスキーやカフカやニーチェを読んでいる時に金儲けばかりしてたんだね。 中川隆
4. 中川隆[-8955] koaQ7Jey 2020年12月25日 15:18:50 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[21]
学生は革命運動やったり、音楽バンドやったり、真空管アンプを作ったり、テニス、岩登り、バックグラウンド・スキーをやったり、ポルノ映画見たりとか、遊びをやる事で人間や社会について深く理解できる様になるんだよ。橋洋一さんはそういうのを全くやらなかったから人間の事も社会の事も理解できなくなったんだ。

それから、予備校で教える数学と数学研究者の数学とは質的に全く違う。 受験数学というのは単なる計算術だからね。
このオッサンの数学のレベルはあくまでも学部生レベルだよ。数学の論文なんか絶対に書けない。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/738.html#c4

[番外地8] このオッサンは普通の学生がドストエフスキーやカフカやニーチェを読んでいる時に金儲けばかりしてたんだね。 中川隆
5. 中川隆[-8954] koaQ7Jey 2020年12月25日 15:21:33 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[22]
学生は安保闘争や革命運動をやったり、音楽バンドやったり、真空管アンプを作ったり、テニス、岩登り、バックグラウンド・スキーをやったり、エログロ映画見たりとか、遊びをやる事で人間や社会について深く理解できる様になるんだよ。橋洋一さんはそういうのを全くやらなかったから人間の事も社会の事も理解できなくなったんだ。

それから、予備校で教える数学と数学研究者の数学とは質的に全く違う。 受験数学というのは単なる計算術だからね。
このオッサンの数学はあくまでも学部生レベルだよ。数学の論文なんか絶対に書けない。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/738.html#c5

[番外地8] このオッサンは普通の学生がドストエフスキーやカフカやニーチェを読んでいる時に金儲けばかりしてたんだね。 中川隆
6. 中川隆[-8953] koaQ7Jey 2020年12月25日 15:22:36 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[23]
学生は安保闘争や革命運動をやったり、音楽バンドやったり、真空管アンプを作ったり、テニス、岩登り、バックカントリー・スキーをやったり、エログロ映画見たりとか、遊びをやる事で人間や社会について深く理解できる様になるんだよ。橋洋一さんはそういうのを全くやらなかったから人間の事も社会の事も理解できなくなったんだ。
それから、予備校で教える数学と数学研究者の数学とは質的に全く違う。 受験数学というのは単なる計算術だからね。このオッサンの数学はあくまでも学部生レベルだよ。数学の論文なんか絶対に書けない。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/738.html#c6
[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
294. 中川隆[-8952] koaQ7Jey 2020年12月25日 15:51:01 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[25]
日本の古代国家と文化を建設したのは朝鮮からの渡来人(上流階層の人々)であった。

倭国へ移住した人々は大きく二つにわけることができる。一つは「王室を中心とした支配層」であり、もう一つは「下層民(韓半島では生きていけない貧困者など)」である。彼らに共通するのは、朝鮮民族に対して怨恨と敵対心をもっていたということである。

弥生時代以降、倭国原住民と渡来人の人口比は「1対9.6」(埴原和郎説)になるほど、渡来人は圧倒的に増えた。しかし、倭国を変貌させたのは、百済の王族であった。

「白村江の戦い」で新羅に敗れた百済人は倭国へ亡命し、百済再興に夢を託した。倭国を日本と命名し、日本人として再出発したのである。渡来人は「朝鮮隠し」を始め、秦氏・漢氏などは先祖を中国系にしたという。「古事記」「日本書紀」では歴史を造作し、皇室側近が朝鮮と関係のある文書を焼失させた。

つまり、5〜8世紀ごろの渡来人は、朝鮮半島で生きられなくなって倭国へ渡った人々が多かったと言える。日本人が、朝鮮に対して野蛮な行為を働き続けたのは、「朝鮮人が朝鮮人の怨恨を晴らす」という潜在意識のためではないかと言われている。

国を捨て、旧来の言葉を日本語化し、朝鮮半島では生きられなくなって日本に渡った脱落者という認識は、本国の朝鮮人の間にかなり広く見られる。

朝鮮人が日本に渡って二世になると相当に変わり、三世代からは日本人化してしまうように、2000年前から渡来しはじめた朝鮮人の子孫たちは日本人化してしまい、自分たちの祖先は縄文時代の人々に始まる、と思っている者が多い。


飛鳥(あすか) 古代朝鮮語(扶余語)の“スカ”(「村」の意)に接頭語アが付いた。

「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」

【東大の最新ゲノム解析】 奈良県が最もCHB・KOR(渡来人)に遺伝的に近い
>Our analysis indicated that, of the 47 prefectures in Japan, Nara was genetically closest to CHB.

奈良県出身 さんま(朝鮮耳・出っ歯)
https://up.gc-img.net/post_img/2020/01/gbqjWZeoiqTXTGc_y53Ud_3115.jpeg
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c294

[近代史5] 古代の帰化人 中川隆
2. 中川隆[-8951] koaQ7Jey 2020年12月25日 15:52:15 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[26]
日本の古代国家と文化を建設したのは朝鮮からの渡来人(上流階層の人々)であった。

倭国へ移住した人々は大きく二つにわけることができる。一つは「王室を中心とした支配層」であり、もう一つは「下層民(韓半島では生きていけない貧困者など)」である。彼らに共通するのは、朝鮮民族に対して怨恨と敵対心をもっていたということである。

弥生時代以降、倭国原住民と渡来人の人口比は「1対9.6」(埴原和郎説)になるほど、渡来人は圧倒的に増えた。しかし、倭国を変貌させたのは、百済の王族であった。

「白村江の戦い」で新羅に敗れた百済人は倭国へ亡命し、百済再興に夢を託した。倭国を日本と命名し、日本人として再出発したのである。渡来人は「朝鮮隠し」を始め、秦氏・漢氏などは先祖を中国系にしたという。「古事記」「日本書紀」では歴史を造作し、皇室側近が朝鮮と関係のある文書を焼失させた。

つまり、5〜8世紀ごろの渡来人は、朝鮮半島で生きられなくなって倭国へ渡った人々が多かったと言える。日本人が、朝鮮に対して野蛮な行為を働き続けたのは、「朝鮮人が朝鮮人の怨恨を晴らす」という潜在意識のためではないかと言われている。

国を捨て、旧来の言葉を日本語化し、朝鮮半島では生きられなくなって日本に渡った脱落者という認識は、本国の朝鮮人の間にかなり広く見られる。

朝鮮人が日本に渡って二世になると相当に変わり、三世代からは日本人化してしまうように、2000年前から渡来しはじめた朝鮮人の子孫たちは日本人化してしまい、自分たちの祖先は縄文時代の人々に始まる、と思っている者が多い。

____


飛鳥(あすか) 古代朝鮮語(扶余語)の“スカ”(「村」の意)に接頭語アが付いた。

「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」

【東大の最新ゲノム解析】 奈良県が最もCHB・KOR(渡来人)に遺伝的に近い
>Our analysis indicated that, of the 47 prefectures in Japan, Nara was genetically closest to CHB.

奈良県出身 さんま(朝鮮耳・出っ歯)
https://up.gc-img.net/post_img/2020/01/gbqjWZeoiqTXTGc_y53Ud_3115.jpeg
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/378.html#c2

[近代史5] 弥生人の起源 中川隆
10. 中川隆[-8950] koaQ7Jey 2020年12月25日 15:53:06 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[27]
日本の古代国家と文化を建設したのは朝鮮からの渡来人(上流階層の人々)であった。

倭国へ移住した人々は大きく二つにわけることができる。一つは「王室を中心とした支配層」であり、もう一つは「下層民(韓半島では生きていけない貧困者など)」である。彼らに共通するのは、朝鮮民族に対して怨恨と敵対心をもっていたということである。

弥生時代以降、倭国原住民と渡来人の人口比は「1対9.6」(埴原和郎説)になるほど、渡来人は圧倒的に増えた。しかし、倭国を変貌させたのは、百済の王族であった。

「白村江の戦い」で新羅に敗れた百済人は倭国へ亡命し、百済再興に夢を託した。倭国を日本と命名し、日本人として再出発したのである。渡来人は「朝鮮隠し」を始め、秦氏・漢氏などは先祖を中国系にしたという。「古事記」「日本書紀」では歴史を造作し、皇室側近が朝鮮と関係のある文書を焼失させた。

つまり、5〜8世紀ごろの渡来人は、朝鮮半島で生きられなくなって倭国へ渡った人々が多かったと言える。日本人が、朝鮮に対して野蛮な行為を働き続けたのは、「朝鮮人が朝鮮人の怨恨を晴らす」という潜在意識のためではないかと言われている。

国を捨て、旧来の言葉を日本語化し、朝鮮半島では生きられなくなって日本に渡った脱落者という認識は、本国の朝鮮人の間にかなり広く見られる。

朝鮮人が日本に渡って二世になると相当に変わり、三世代からは日本人化してしまうように、2000年前から渡来しはじめた朝鮮人の子孫たちは日本人化してしまい、自分たちの祖先は縄文時代の人々に始まる、と思っている者が多い。

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飛鳥(あすか) 古代朝鮮語(扶余語)の“スカ”(「村」の意)に接頭語アが付いた。

「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」

【東大の最新ゲノム解析】 奈良県が最もCHB・KOR(渡来人)に遺伝的に近い
>Our analysis indicated that, of the 47 prefectures in Japan, Nara was genetically closest to CHB.

奈良県出身 さんま(朝鮮耳・出っ歯)
https://up.gc-img.net/post_img/2020/01/gbqjWZeoiqTXTGc_y53Ud_3115.jpeg
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/255.html#c10

[近代史5] 日本語の起源 中川隆
13. 中川隆[-8949] koaQ7Jey 2020年12月25日 15:53:40 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[28]
日本の古代国家と文化を建設したのは朝鮮からの渡来人(上流階層の人々)であった。

倭国へ移住した人々は大きく二つにわけることができる。一つは「王室を中心とした支配層」であり、もう一つは「下層民(韓半島では生きていけない貧困者など)」である。彼らに共通するのは、朝鮮民族に対して怨恨と敵対心をもっていたということである。

弥生時代以降、倭国原住民と渡来人の人口比は「1対9.6」(埴原和郎説)になるほど、渡来人は圧倒的に増えた。しかし、倭国を変貌させたのは、百済の王族であった。

「白村江の戦い」で新羅に敗れた百済人は倭国へ亡命し、百済再興に夢を託した。倭国を日本と命名し、日本人として再出発したのである。渡来人は「朝鮮隠し」を始め、秦氏・漢氏などは先祖を中国系にしたという。「古事記」「日本書紀」では歴史を造作し、皇室側近が朝鮮と関係のある文書を焼失させた。

つまり、5〜8世紀ごろの渡来人は、朝鮮半島で生きられなくなって倭国へ渡った人々が多かったと言える。日本人が、朝鮮に対して野蛮な行為を働き続けたのは、「朝鮮人が朝鮮人の怨恨を晴らす」という潜在意識のためではないかと言われている。

国を捨て、旧来の言葉を日本語化し、朝鮮半島では生きられなくなって日本に渡った脱落者という認識は、本国の朝鮮人の間にかなり広く見られる。

朝鮮人が日本に渡って二世になると相当に変わり、三世代からは日本人化してしまうように、2000年前から渡来しはじめた朝鮮人の子孫たちは日本人化してしまい、自分たちの祖先は縄文時代の人々に始まる、と思っている者が多い。

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飛鳥(あすか) 古代朝鮮語(扶余語)の“スカ”(「村」の意)に接頭語アが付いた。

「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」

【東大の最新ゲノム解析】 奈良県が最もCHB・KOR(渡来人)に遺伝的に近い
>Our analysis indicated that, of the 47 prefectures in Japan, Nara was genetically closest to CHB.

奈良県出身 さんま(朝鮮耳・出っ歯)
https://up.gc-img.net/post_img/2020/01/gbqjWZeoiqTXTGc_y53Ud_3115.jpeg
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c13

[近代史5] 弥生人の起源 中川隆
11. 中川隆[-8948] koaQ7Jey 2020年12月25日 16:00:21 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[29]
篠田謙一の学説の変化


篠田謙一
昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!」
今 「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」


篠田著書(2007年出版)
「征服による融合では、基本的に(征服者側のオスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が縄文時代から続いた在来社会武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期の状況が基本的には平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)




篠田謙一「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。つまり、弥生人って、混血していけば恐らく、混血する相手は、この縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置っていうのは、こちらにずれてくるはずなんですよね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
https://livedoor.blogimg.jp/wan_nyan_zanmai-history/imgs/d/0/d0f1e875.png



シンポでは、これまで蓄積されてきた考察を根本から覆すことになるかもしれない発見も明らかにされた。
国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。
「この人たちが渡来したとするならば、(縄文人と)混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。(2020年記事)
https://image.prntscr.com/image/4nIX5f21SPmeJ_Fr-7PyYw.png


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/255.html#c11
[近代史5] シャーマニズムの世界 中川隆
12. 中川隆[-8947] koaQ7Jey 2020年12月25日 16:01:38 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[30]
篠田謙一の学説の変化


篠田謙一
昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!」
今 「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」


篠田著書(2007年出版)
「征服による融合では、基本的に(征服者側のオスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が縄文時代から続いた在来社会武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期の状況が基本的には平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)




篠田謙一「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。つまり、弥生人って、混血していけば恐らく、混血する相手は、この縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置っていうのは、こちらにずれてくるはずなんですよね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
https://livedoor.blogimg.jp/wan_nyan_zanmai-history/imgs/d/0/d0f1e875.png



シンポでは、これまで蓄積されてきた考察を根本から覆すことになるかもしれない発見も明らかにされた。
国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。

「この人たちが渡来したとするならば、(縄文人と)混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。(2020年記事)
https://image.prntscr.com/image/4nIX5f21SPmeJ_Fr-7PyYw.png


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/436.html#c12
[近代史5] 古代の帰化人 中川隆
3. 中川隆[-8946] koaQ7Jey 2020年12月25日 16:02:27 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[31]
篠田謙一の学説の変化


篠田謙一
昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!」
今 「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」


篠田著書(2007年出版)
「征服による融合では、基本的に(征服者側のオスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が縄文時代から続いた在来社会武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期の状況が基本的には平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)




篠田謙一「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。つまり、弥生人って、混血していけば恐らく、混血する相手は、この縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置っていうのは、こちらにずれてくるはずなんですよね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
https://livedoor.blogimg.jp/wan_nyan_zanmai-history/imgs/d/0/d0f1e875.png



シンポでは、これまで蓄積されてきた考察を根本から覆すことになるかもしれない発見も明らかにされた。
国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。

「この人たちが渡来したとするならば、(縄文人と)混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。(2020年記事)
https://image.prntscr.com/image/4nIX5f21SPmeJ_Fr-7PyYw.png


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/378.html#c3
[近代史5] 日本語の起源 中川隆
14. 中川隆[-8945] koaQ7Jey 2020年12月25日 16:02:57 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[32]
篠田謙一の学説の変化


篠田謙一
昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!」
今 「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」


篠田著書(2007年出版)
「征服による融合では、基本的に(征服者側のオスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が縄文時代から続いた在来社会武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期の状況が基本的には平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)




篠田謙一「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。つまり、弥生人って、混血していけば恐らく、混血する相手は、この縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置っていうのは、こちらにずれてくるはずなんですよね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
https://livedoor.blogimg.jp/wan_nyan_zanmai-history/imgs/d/0/d0f1e875.png



シンポでは、これまで蓄積されてきた考察を根本から覆すことになるかもしれない発見も明らかにされた。
国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。

「この人たちが渡来したとするならば、(縄文人と)混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。(2020年記事)
https://image.prntscr.com/image/4nIX5f21SPmeJ_Fr-7PyYw.png


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c14
[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
295. 中川隆[-8944] koaQ7Jey 2020年12月25日 16:03:32 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[33]
篠田謙一の学説の変化


篠田謙一
昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!」
今 「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」


篠田著書(2007年出版)
「征服による融合では、基本的に(征服者側のオスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が縄文時代から続いた在来社会武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期の状況が基本的には平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)




篠田謙一「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。つまり、弥生人って、混血していけば恐らく、混血する相手は、この縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置っていうのは、こちらにずれてくるはずなんですよね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
https://livedoor.blogimg.jp/wan_nyan_zanmai-history/imgs/d/0/d0f1e875.png



シンポでは、これまで蓄積されてきた考察を根本から覆すことになるかもしれない発見も明らかにされた。
国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。

「この人たちが渡来したとするならば、(縄文人と)混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。(2020年記事)
https://image.prntscr.com/image/4nIX5f21SPmeJ_Fr-7PyYw.png


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c295
[番外地7] クリスティアン・ツィマーマン名演集
クリスティアン・ツィマーマン名演集


ツィマーマン - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
https://www.youtube.com/results?search_query=Zimerman


▲△▽▼


クリスティアン・ツィマーマン(Krystian Zimerman, 1956年12月5日 - )は、ポーランドのピアニスト。クリスチャン・ジマーマン、ジメルマン、ツィメルマン、チメルマン、ツィンマーマンなどと表記されることもある。現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けているピアニストの一人[1]である。


人物
1956年12月5日、ポーランド南部のザブジェに生まれる[2]。父親はドイツ系のピアニストで、工場の設計部門に勤める傍らバーでピアノを弾くという生活をしていた。ツィマーマンは幼少期、家に置かれていたグランドピアノの蓋を開けて毛布をかぶせ、インディアンのテント遊びをしていたと語っている。

5歳の頃父からピアノを学び、7歳からアンジェイ・ヤシンスキ(Andrzej Jasinki)に師事した。1973年のベートーヴェン国際音楽コンクールで優勝後、1975年の第9回ショパン国際ピアノコンクールに史上最年少(18歳)で優勝、その後も着実にキャリアを重ねている。

学生当時はポーランドでの物資調達が困難で、ピアノ部品の製作・修理を自分で一から手作業で行わなければならなかった。これにより、ツィマーマンのピアノの構造、素材に対する知識が培われた。スイスのバーゼルにある自宅には、自身が製作したピアノやその鍵盤アクションが何台も置かれているという。

1981年12月31日、当時のポーランド首相ヴォイチェフ・ヤルゼルスキが戒厳令を発したのを契機としてポーランドを離れ、スイスに住むことを決意したと言われている。1996年にはスイスのバーゼル音楽院の教職に就き、後進の指導にもあたっている。

1999年、ショパン没後150年を記念して、ポーランド人の若手音楽家をオーディションで集め、ポーランド祝祭管弦楽団を設立し、ショパンのピアノ協奏曲公演をポーランドやアメリカなどで行った。また、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン、カルロ・マリア・ジュリーニ、小沢征爾、ピエール・ブーレーズ、サイモン・ラトル等、世界の名指揮者と共演を重ねている。

楽器を自分のコントロール下におくことを徹底しており、公演では演奏するレパートリーに合わせて自己の所有するピアノを入念に調整し、それを世界中のホールに運搬し、更に同行したピアノ調律師と共同でピアノを各会場のホールの特性に合わせて調律するなどした上で演奏している。レコーディング技術や音響学に対する造詣も深く、自身でスタジオを建設したこともある。また演奏に対する完璧な姿勢から、リサイタルで弾くまでには10年もの年月をかけて曲を準備する。

初来日は1978年で、それから1982年、1985年、1987年、1991年、1993年、1997年、2003年と来日し、2006年以降はほぼ毎年来日して合計100回を越えるリサイタルを重ね、日本の聴衆を魅了し続けている。ツィマーマン自身も親日感情を表明しており、東京に自宅も所有している。日本での人気は年々高まっており、例えば2003年来日時のサントリーホールでのチケットは即日完売であったとされる。

2005年、フランスのレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ章)を受章した。

2001年の9月11日より少しあと、カーネギー・ホールでリサイタルを開くために運んできた入念に調整されたピアノを、ニューヨークのJFK国際空港でアメリカの運輸保安庁によって没収され、破壊処分される事件があった。当局によれば、ピアノに使われている糊から爆発物のような臭いがしたという。 2009年4月26日、ツィマーマンはロスアンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールにおいて、アメリカのポーランドにおける東欧ミサイル防衛構想に抗議して、これ以降はアメリカでの演奏は行わないと誓った。彼は2006年にもジョージ・W・ブッシュが退任するまでアメリカには戻って来ないと声明を出したことがある。

2010年のコンサートを終えてから一年間はコンサートを開かず、充電期間に徹することが発表された。

2011年の東日本大震災当時は東京におり、実際に体験した震災、まもなく報道された津波、原発事故とそれに伴う情報の隠蔽・錯綜に衝撃を受ける。以後、体調不良によりできなかったときを除き、ほぼ毎年来日し、被災者支援のチャリティコンサート・リサイタルを行うなどしているほか、原発を必要とする原因となる電気消費を軽減しようという思いから、自宅を自家発電できるように改装したという。

2013年指の怪我のため、同年末の来日リサイタルを2014年に延期。2014年秋はバイエルン放送交響楽団来日公演のソリストを務める。マリス・ヤンソンスと共演し、ブラームスのピアノコンチェルト1番を演奏。2015年11月から翌年1月に掛けて来日公演、オールシューベルトプログラムを披露した。

エピソード
あるとき東京の広い通りを渡っている際、十分な時間がないままに赤信号になってしまい、またそれを知っている人たちが赤信号でまだ車が通っている時点で渡っているのを見て、重大事故につながりかねないとの考えから、「もっと青信号の時間を長くすべきだ」と区役所に手紙を書いたという。彼曰く、「市民権もなければ音楽家であるあなたには関係ないだろう、と仰る方もいるかもしれませんが、何か重要なことを目の当たりにしながら何も行動を起こさないというのは本当に愚かなことだと思います。自分の国であるか、否かは関係ありません」とのこと。東京に家を所有し、最近は東京で長い時間を過ごしているという[3]。なお、ツィマーマンは2007年に交通事故で足を負傷している。

レパートリー
ショパン、ベートーヴェン、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェル、シューベルト、ラフマニノフ等、幅広いレパートリーを有している。祖国のグラジナ・バツェヴィチのピアノソナタ第二番を国際的に広めたことは記憶に新しい。また同じく祖国のカロル・シマノフスキを演奏した際には春秋社の楽譜を用い、「私の国の作曲家をここまで大切にしていただき誠にありがとうございます。これからもこの楽譜を使っていきたいです」とインタビューで述べていた。

とはいっても、「全集は作りません。それは作曲家に対する視点の欠如ですよ」と同世代以降のピアニストへの仕事は手厳しく、自らの眼鏡に叶ったレパートリーを絞り込むため、まとまった録音がなかなかそろわないという弱点もある。ルトスワフスキのピアノ協奏曲を二度録音する、など普通のピアニストには見られない行動を起こすこともある。

受賞歴
Voivod-wide Prokofiev Competition (First prize) (1974; Katowice)
ショパン国際ピアノコンクール優勝 (1975; Warsaw)
Accademia Musicale Chigiana Award, (1985; Siena, Italy)
Léonie Sonning Music Prize (1994; Denmark)
Honorary doctor of the Karol Szymanowski Academy of Music in Katowice (2005)
National Order of the Legion of Honour (France; 2005)
Gold Medal for Merit to Culture - Gloria Artis (2010)
Commander's Cross with Star of the Order of Polonia Restituta (2013)
Honorary doctor of the Fryderyk Chopin University of Music in Warsaw (2015)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/907.html

[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
37. 中川隆[-8943] koaQ7Jey 2020年12月25日 18:04:42 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[34]
561: RW-2 :2020/12/25(金) 17:56:16 HOST:252.18.135.27.ap.yournet.ne.jp

P610でもPE-16でもゲンコツでも、あの当時の真空管時代の設計のユニットは
やっぱ平面バッフルか後面開放箱で鳴らすのが宜しいようで。古色蒼然でワイド
レンジでもありませんが安心感の中に溌剌感もあって意外にリアリティある発声。

バスレフとかバックロードなる誤魔化し箱に入れますとその良さが消え失せます。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1417941619/l50
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html#c37

[番外地8] このオッサンは普通の学生がドストエフスキーやカフカやニーチェを読んでいる時に金儲けばかりしてたんだね。 中川隆
7. 中川隆[-8942] koaQ7Jey 2020年12月25日 18:49:29 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[35]
学生は安保闘争や革命運動をやったり、音楽バンドやったり、真空管アンプを作ったり、テニス、岩登り、バックカントリー・スキーをやったり、エログロ映画見たりとか、遊びをやる事で人間や社会について深く理解できる様になるんだよ。橋洋一さんはそういうのを全くやらなかったから人間の事も社会の事も理解できなくなったんだ。
それから、予備校で教える数学と数学研究者の数学とは質的に全く違う。 受験数学というのは単なる計算術だからね。
このオッサンの数学はあくまでも学部生レベルだよ。数学の論文なんか絶対に書けない。
まともな人間なら、自分は数学の専門家だ、なんて恥ずかしくてとても言えないレベルだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/738.html#c7
[番外地8] 根本から腐っていた?大阪都構想|吉村知事&松井市長 3つの闇(藤井聡)
根本から腐っていた?大阪都構想|吉村知事&松井市長 3つの闇(藤井聡) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9742s1iYzq4

目次
00:00|いわゆる大阪都構想の根拠法を停止すべき3つの理由
 01:41|@「憲法違反」の可能性
 07:57|A「7条2項」の機能不全
 12:47|B「一事不再議の原則」違反
17:34|松井市長発表の条例案は憲法違反?
20:41|「毎日報道は虚偽」という嘘
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/739.html

[リバイバル3] CD 専用プレーヤー EAR Acute Classic _ ティム・デ・パラヴィチーニの世界 中川隆
65. 中川隆[-8941] koaQ7Jey 2020年12月25日 19:07:10 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[37]
<訃報>EAR創業者 ティム・デ・パラヴィチーニ氏が逝去
ファイルウェブ編集部
2020年12月23日

EARの創業者であり、ヨシノトレーディング(株)の取締役でもあるティム・デ・パラヴィチーニ氏が、2020年12月17日早朝に逝去された。


1945年にアフリカ・ナイジェリアで生まれたパラヴィチーニ氏は、著名ブランドのオーディオエンジニアを経て1978年にEAR社を設立。アナログ関連製品の開発はもとより、モービル・フィデリティー社等とのレコードの制作やマスタリングも手がけるなど、生涯をかけてアナログ再生を追求してきた才能溢れるエンジニアであった。

パラヴィチーニ氏は亡くなる直前まで、子息のネヴィン・デ・パラヴィチーニ氏と300Bの真空管を用いたパワーアンプの開発を進めており、遺作となるこの製品の発売は来春に予定されているという。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/853.html#c65

[リバイバル3] EAR の真空管アンプ 中川隆
30. 中川隆[-8940] koaQ7Jey 2020年12月25日 19:07:57 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[38]
<訃報>EAR創業者 ティム・デ・パラヴィチーニ氏が逝去
ファイルウェブ編集部
2020年12月23日

EARの創業者であり、ヨシノトレーディング(株)の取締役でもあるティム・デ・パラヴィチーニ氏が、2020年12月17日早朝に逝去された。


1945年にアフリカ・ナイジェリアで生まれたパラヴィチーニ氏は、著名ブランドのオーディオエンジニアを経て1978年にEAR社を設立。アナログ関連製品の開発はもとより、モービル・フィデリティー社等とのレコードの制作やマスタリングも手がけるなど、生涯をかけてアナログ再生を追求してきた才能溢れるエンジニアであった。

パラヴィチーニ氏は亡くなる直前まで、子息のネヴィン・デ・パラヴィチーニ氏と300Bの真空管を用いたパワーアンプの開発を進めており、遺作となるこの製品の発売は来春に予定されているという。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/947.html#c30

[リバイバル4] LUXMAN MB-300 中川隆
10. 中川隆[-8939] koaQ7Jey 2020年12月25日 19:08:41 : FSuacswpLw : YmxBMnM2QW1TUC4=[39]
<訃報>EAR創業者 ティム・デ・パラヴィチーニ氏が逝去
ファイルウェブ編集部
2020年12月23日

EARの創業者であり、ヨシノトレーディング(株)の取締役でもあるティム・デ・パラヴィチーニ氏が、2020年12月17日早朝に逝去された。


1945年にアフリカ・ナイジェリアで生まれたパラヴィチーニ氏は、著名ブランドのオーディオエンジニアを経て1978年にEAR社を設立。アナログ関連製品の開発はもとより、モービル・フィデリティー社等とのレコードの制作やマスタリングも手がけるなど、生涯をかけてアナログ再生を追求してきた才能溢れるエンジニアであった。

パラヴィチーニ氏は亡くなる直前まで、子息のネヴィン・デ・パラヴィチーニ氏と300Bの真空管を用いたパワーアンプの開発を進めており、遺作となるこの製品の発売は来春に予定されているという。
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/108.html#c10

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
47. 中川隆[-8938] koaQ7Jey 2020年12月25日 21:59:44 : E44YwpaOb6 : TXRtS0lINkd6Z2s=[1]
561: RW-2 :2020/12/25(金) 17:56:16 HOST:252.18.135.27.ap.yournet.ne.jp

P610でもPE-16でもゲンコツでも、あの当時の真空管時代の設計のユニットは
やっぱ平面バッフルか後面開放箱で鳴らすのが宜しいようで。古色蒼然でワイド
レンジでもありませんが安心感の中に溌剌感もあって意外にリアリティある発声。

バスレフとかバックロードなる誤魔化し箱に入れますとその良さが消え失せます。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1417941619/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c47

[リバイバル3] 昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった 中川隆
25. 中川隆[-8937] koaQ7Jey 2020年12月25日 22:00:33 : E44YwpaOb6 : TXRtS0lINkd6Z2s=[2]
561: RW-2 :2020/12/25(金) 17:56:16 HOST:252.18.135.27.ap.yournet.ne.jp

P610でもPE-16でもゲンコツでも、あの当時の真空管時代の設計のユニットは
やっぱ平面バッフルか後面開放箱で鳴らすのが宜しいようで。古色蒼然でワイド
レンジでもありませんが安心感の中に溌剌感もあって意外にリアリティある発声。

バスレフとかバックロードなる誤魔化し箱に入れますとその良さが消え失せます。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1417941619/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html#c25

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
12. 中川隆[-8936] koaQ7Jey 2020年12月25日 22:09:27 : E44YwpaOb6 : TXRtS0lINkd6Z2s=[3]
アイヌを鎌倉期の北来民とするネトウヨのテンプレデマであるが
例の的場光昭の発案かと思ったが、もう少し深い背景があるようである。

ちなみに、60〜70年代、今から思えば信じられないことだが
現代日本人は縄文人が小進化したものとする変形説が学界の定説となっていた。

分子人類学の斎藤成也は、変形説について「現在からみると滑稽とすら感じさせられる」と書いた。
現代日本人は渡来人と縄文人との混血という二重構造説が定説となったのは、せいぜい90年代以降のことであり
しかも、朝鮮系の要素が圧倒的という認識は、未だ一般常識となったとは言えない。

アイヌ北来を主張するものは、アイヌが縄文人の子孫であることを否定し、一方、和人こそが縄文人の子孫と主張。
渡来人との混血(それも朝鮮系要素が圧倒的)という最近のゲノム研究結果を拒否していた。
つまり、斎藤成也が「滑稽」と称した60〜70年代の古い説に拠っているのである。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c12

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
13. 中川隆[-8935] koaQ7Jey 2020年12月25日 22:10:53 : E44YwpaOb6 : TXRtS0lINkd6Z2s=[4]
アイヌ・ヘイトをしているみなさん

竹田恒泰
 土井ヶ浜弥生人(渡来人)の生き写しのような顔で
 「アイヌは樺太から侵入した侵略者」「百済と新羅は倭の属国」
 などとネトウヨ全開の珍説を恥ずかしげもなく披露する皇族芸人。

小野寺まさる
 現在ネット上でいちばん目立っているアイヌ・ヘイター。
 小野寺姓は、藤原秀郷の子孫だという。系図上では佐藤姓と祖を同じとする。
 佐藤姓のY-DNAを解析した結果、その大多数がO1b2(朝鮮系)と判明した。

小林よしのり
 「アイヌは別系統の言語を話すバラバラの民族」という陰湿なデマを広めたネトウヨの親玉的存在。
 福岡出身だという。朝鮮半島から渡来人を真っ先に迎え入れた北九州人の末裔になる。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c13

[番外地8] 歴史の話でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った自称専門家の与太話を真に受けて受け売りしているだけだよ。
歴史の話でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った自称専門家の与太話を真に受けて受け売りしているだけだよ。
内容は正確には理解していないし、自分で文献を調べる事もない。
それ位ネットで検索すればすぐにわかる事なのに、三橋貴明は自分では一切調べない。
三橋貴明は歴史だけでなく専門の経済でも自分では何も調べない、何も勉強しないで、他人の受け売りだけやっているんだよ。
そもそも経済の専門知識がゼロで微積分すらできない三橋貴明が経済学者の学説を否定するのが逝かれているんだよ。
三橋貴明が世紀の大理論みたいに宣伝している MMTは単に政府は自由に貨幣を発行できるという当たり前の事しか言っていない。
MMTは政府に金を出させて稼ごうとしている金融資本が推進しているんだよ

金融緩和は江戸時代に金貨に含まれる純金を減らしたのと同じだろ
純金の量を半分にして金貨を倍の枚数発行したら貨幣価値が半分になるに決まってるんだよ

貨幣を沢山発行すればハイパーインフレになるに決まってるよ。
実際、今はタイでもラーメン一杯が1000円、スイスの最低賃金は4500円になってるよ。

三橋貴明は消費者物価の事を誤解しているんだ。
旧来の消費者物価の計算では買うものの価値は考慮していないんだよ。

100円ショップで売っている傘はすぐに壊れるけど、既に淘汰されて手に入らなくなった日本製の傘と同じ傘としてカウントされている。
野菜の値段が昔と同じだとしても、今買える野菜は水銀・鉛入り、農薬まみれの中国産だけだ。
中国の年収10万円の農民とおなじ物を食べさせられているんだ。

海外から安物の粗悪品が沢山入ってきて日本製の高品質のものと入れ替わったから、旧来の消費者物価の計算法が見当外れになっているんだよ。
昔と値段が同じでも買っているものの価値が下がっているんだ

中国からの安物粗悪品を使えない分野ではハイパーインフレになっているよ:
マイホームとマイカーと子供2人を維持するには20年間で1億円かかる

日本では昭和期にはちょっとした会社に就職すれば(もちろん正社員)、車や一戸建ての家を購入できました。

それが今新車と新築の家を持ち、結婚して子供2人を大学まで入れるには20年間で1億円が必要です。
内訳は高級車が年100万、新築住宅が4000万円、子供を1人大学まで入れるのに2000万円です。
これだけで最低年収手取り500万円が必要で、生活費も必要なので手取り700万円が必要になります。
サザエさん的な生活をするには年収税込み900万円は必要だが、これは一部上場の勝ち組社員の年収です。

要するにバブル崩壊以降は労働者が搾取されているから子供を作れなくなったんですね。
どうやって搾取しているかというと、国債の利子でマネーストックを増やして貨幣価値を下げるという手口です。貨幣価値が下がっても中国から安物製品が大量に入ってくればインフレだというのが認識できなくなる。

それで物価が上がっていないという事にされ賃金も30年間上げない。しかし実質賃金だけは上がって子供を大学に行かせる金が労働者には出せなくなっている。
これが少子化とデフレの原因なんだ。

MMTポリテクスというのは貨幣を増やし、ハイパーインフレにして政府の負債額を目減りさせるのが目的さ。

国債金利が上がっていないからハイパーインフレでないとか
三橋貴明は詭弁だけなんだ。
企業や民間銀行は国債の利子で資産運用しているから、国債価格は下がらない、金利も増えない
ハイパーインフレになっても事情は変わらないのさ。

民間銀行の貸し出しが増えないで、マネーストックの増加分をすべて国債で負担しているのが今の日本経済だ。
これ以上のどんどん額が増えているマネーストックの増加分をすべて国債では支払えないというのが緊縮財政の考え方だ。

資本主義経済で銀行預金・国債・社債の金利分だけ毎年マネーストックが増え続けているんだから
それをすべて国債では賄えなくなっているんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/740.html

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
48. 中川隆[-8934] koaQ7Jey 2020年12月26日 08:58:09 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[1]

スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html

BGM用にしか使えなかった高額なジョーダンワッツのスピーカー _ 天才 E.J.Jodan は結局何がやりたかったのか
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/859.html

粋音舎 _ ドイツ古典フルレンジシステム販売
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html

シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html

昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html

昔の軽量高能率スピーカーにはドライブ力が強い最新のトランジスタアンプは合わない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1102.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c48

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
49. 中川隆[-8933] koaQ7Jey 2020年12月26日 09:03:04 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[2]
ダブルウーファーは直列か並列か
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1126.html

▲△▽▼

フルレンジSPに戻った方(悟りを開いて)
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1267522956/l50

フルレンジSPに戻った方 Part2
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1345370313/l50

フルレンジSPに戻った方 Part3
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1417941619/l50

小型スピーカーの限界について。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1208332914/l50

4つのスピーカーを同時にならす。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1209567934/l50

沢山のウーハーを鳴らしきる方法
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1203425714/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c49

[近代史4] 悪の帝国と闘ったサダム・フセイン 中川隆
1. 中川隆[-8932] koaQ7Jey 2020年12月26日 09:06:10 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[3]
「思いやり皆無」:トランプ イラク人を虐殺したアメリカ人戦争犯罪人を恩赦
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-fcad0c.html
2020年12月25日 マスコミに載らない海外記事


 9歳の犠牲者の父親が、彼は、アメリカでの法による統治を損なう、大統領の決定を理解するのは困難だとMEEに語った。

アリ・ハルブ

イラク:アメリカ傭兵のニソール広場虐殺犠牲者。

2020年12月23日
Middle East Eye

 2007年、バグダッドのニソール広場で、アメリカ警備会社ブラックウォーター社員が理由なく発砲し、17人を殺した事件で、アリ・キタニの人生は、9年に縮められた。

 四方八方に向けた射撃が始まるまでは、いつものように思えたた日、アラウィと呼ばれるのを好んだアリは、叔母といとこを車で拾った後、家に戻る途中、父親の自動車の後部座席にいた。

 アリの父親ムハンマド・キナニは、殺人者に法の裁きを受けさせると固く決意して、ブラックウォーター従業員の起訴監視する従うため、アメリカに移住した。

 それは10年の法律上の訴訟手続きをとった、裁判、控訴、が加害者の4人が、ニックSlattenと一緒に、有罪を宜告されるために告訴と再審を中止した−主犯−第一級殺人のために終身刑をとること。

 退任するドナルド・トランプ大統領は、火曜、囚人四人全員を恩赦した。

 「誰も法を免れることはできないと、アメリカで学んだのに、今法を免れる人物がいます」と恩赦を知ったキナニは言葉につまりながらMiddle East Eyeに述べた。

 「これがどうして許されるのか私はわからない。アメリカがこのような原則を基盤に築き上げられていると私は思わない。」

 虐殺後、ミシガンに転居し、現在はイラクの家族を訪問しているキナニは、トランプの決定は「言葉には言い表せない」と言った。

 「それは非常にまずい状況です。残念です。」と彼は深いため息を漏らしながら言った。「何か方法があるに違いない。この世の法廷ではだめでも、神がおられる。神は彼らを許すまい。」

トランプの恩赦

 ミシガン州ディアボーンが本拠のイスラム聖職者イマームのフシャム・アル=フセイニーは、恩赦のニュースを聞いたとき、デトロイトのキナニの自動車修理工場に掛かるアリの写真を考えたと述べた。

 キナニの友人であるフセイニーは、恩赦は、アラブ人とイスラム教徒の命に対する敬意の「非人道的」欠如を示すと述べた。

 「ニソール広場で流された無辜のイラク人の血はアメリカ人の血と同じ赤い血だ。彼らは人間だった」と彼はMEEに述べた。

 イマームは、ホワイトハウスの決定はアメリカの法による統治を損ない、イラク・アメリカ関係に影響を与え、アメリカ人に対するイラク人の認識を変えると付け加えた。

 「我々は全ての人々の関係が平和なよう願うが、ドナルド・トランプは重大な間違いをした」とフセイニーは述べた。「少数のアメリカ人を喜ばせるため、彼はイラクの4000万人を怒らせた。」

 アメリカ司法省は、ニソール銃撃者起訴を譲らず、被告による法的努力や上訴にもかかわらず、訴訟取り下げを拒否してきた。

 大統領の恩赦は、逆転不可能であり、ジョー・バイデン次期大統領政権は、ブラックウォーター請負業者を再起訴できないことを意味している。

 火曜、トランプは、アメリカ選挙に対するロシア干渉捜査操で有罪判決された選挙運動担当者、財政上の不正のかどで有罪と裁決された元共和党議員三人と、麻薬密売人とされた人物を撃った国境警備隊員二人を恩赦した。

 トランプは恩赦権を派手に振り回しているが、戦争犯罪人を一度ならず恩赦している。

 去年、彼は、一般人をアフガニスタンで殺害した軍人二人と、2008年にイラク人被抑留者を死なせたアメリカ兵を恩赦したとされている。

 2019年に、トランプは、犯罪で起訴されていたエリート海軍SEALS隊員エドワード・ギャラガーを復職させるよう要求し、大統領による、この問題処理に反対した当時の海軍長官リチャード・V・スペンサーが解任されている。

「思いやり皆無」

 火曜、アラブ系アメリカ人研究所は、この恩赦は、トランプが、アラブ人の命をないがしろにしていることを示すと述べた。

イラク一般人の虐殺で有罪になったブラックウォーター社員」と、この集団はツイートした。

不法移民を銃撃し、それを隠蔽した罪で有罪を宣告された国境警備隊員。

トランプが恩赦した連中は、アラブ人を含め特定の人々の命を軽視している例だ。法律も秩序も思いやりも皆無だ。」

 現在、アカデミに社名変更しているブラックウォーターは、ベッツィ・デヴォス教育長官の弟でトランプのお仲間、エリック・プリンスが創設し率いている。同社と創設者は、ニソール広場虐殺の際、攻撃されたと思った後、警備員は交戦規則に従って活動したと主張している。

 火曜、イラク系アメリカ人活動家のM バキール・モヒエ・エッ=ディーンは、何の監視もなしに恩赦を与える大統領権限を抑制するよう主張した。

 「イラク人として、我々は、アメリカ国民に、彼らの政府がイラクで茶番を犯すのを阻止するよう要求する。法律は変えられる」と彼はMEEに述べた。「アメリカは抑制と均衡が全てだ、大統領恩赦も、それから免れるべきではない。」

 モヒエ・エッ=ディーンは米軍と傭兵と民間請負業者との関係改善の必要性も強調した。

 「バグダッドのニソール広場で、アメリカ政府に虐殺された17人のイラク人に、アメリカ人は詫びなければならない。」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1156.html#c1

[近代史4] どうしても戦争だけはやりたくなかったドナルド・トランプ大統領 中川隆
22. 中川隆[-8931] koaQ7Jey 2020年12月26日 09:06:43 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[4]
「思いやり皆無」:トランプ イラク人を虐殺したアメリカ人戦争犯罪人を恩赦
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-fcad0c.html
2020年12月25日 マスコミに載らない海外記事


 9歳の犠牲者の父親が、彼は、アメリカでの法による統治を損なう、大統領の決定を理解するのは困難だとMEEに語った。

アリ・ハルブ

イラク:アメリカ傭兵のニソール広場虐殺犠牲者。

2020年12月23日
Middle East Eye

 2007年、バグダッドのニソール広場で、アメリカ警備会社ブラックウォーター社員が理由なく発砲し、17人を殺した事件で、アリ・キタニの人生は、9年に縮められた。

 四方八方に向けた射撃が始まるまでは、いつものように思えたた日、アラウィと呼ばれるのを好んだアリは、叔母といとこを車で拾った後、家に戻る途中、父親の自動車の後部座席にいた。

 アリの父親ムハンマド・キナニは、殺人者に法の裁きを受けさせると固く決意して、ブラックウォーター従業員の起訴監視する従うため、アメリカに移住した。

 それは10年の法律上の訴訟手続きをとった、裁判、控訴、が加害者の4人が、ニックSlattenと一緒に、有罪を宜告されるために告訴と再審を中止した−主犯−第一級殺人のために終身刑をとること。

 退任するドナルド・トランプ大統領は、火曜、囚人四人全員を恩赦した。

 「誰も法を免れることはできないと、アメリカで学んだのに、今法を免れる人物がいます」と恩赦を知ったキナニは言葉につまりながらMiddle East Eyeに述べた。

 「これがどうして許されるのか私はわからない。アメリカがこのような原則を基盤に築き上げられていると私は思わない。」

 虐殺後、ミシガンに転居し、現在はイラクの家族を訪問しているキナニは、トランプの決定は「言葉には言い表せない」と言った。

 「それは非常にまずい状況です。残念です。」と彼は深いため息を漏らしながら言った。「何か方法があるに違いない。この世の法廷ではだめでも、神がおられる。神は彼らを許すまい。」

トランプの恩赦

 ミシガン州ディアボーンが本拠のイスラム聖職者イマームのフシャム・アル=フセイニーは、恩赦のニュースを聞いたとき、デトロイトのキナニの自動車修理工場に掛かるアリの写真を考えたと述べた。

 キナニの友人であるフセイニーは、恩赦は、アラブ人とイスラム教徒の命に対する敬意の「非人道的」欠如を示すと述べた。

 「ニソール広場で流された無辜のイラク人の血はアメリカ人の血と同じ赤い血だ。彼らは人間だった」と彼はMEEに述べた。

 イマームは、ホワイトハウスの決定はアメリカの法による統治を損ない、イラク・アメリカ関係に影響を与え、アメリカ人に対するイラク人の認識を変えると付け加えた。

 「我々は全ての人々の関係が平和なよう願うが、ドナルド・トランプは重大な間違いをした」とフセイニーは述べた。「少数のアメリカ人を喜ばせるため、彼はイラクの4000万人を怒らせた。」

 アメリカ司法省は、ニソール銃撃者起訴を譲らず、被告による法的努力や上訴にもかかわらず、訴訟取り下げを拒否してきた。

 大統領の恩赦は、逆転不可能であり、ジョー・バイデン次期大統領政権は、ブラックウォーター請負業者を再起訴できないことを意味している。

 火曜、トランプは、アメリカ選挙に対するロシア干渉捜査操で有罪判決された選挙運動担当者、財政上の不正のかどで有罪と裁決された元共和党議員三人と、麻薬密売人とされた人物を撃った国境警備隊員二人を恩赦した。

 トランプは恩赦権を派手に振り回しているが、戦争犯罪人を一度ならず恩赦している。

 去年、彼は、一般人をアフガニスタンで殺害した軍人二人と、2008年にイラク人被抑留者を死なせたアメリカ兵を恩赦したとされている。

 2019年に、トランプは、犯罪で起訴されていたエリート海軍SEALS隊員エドワード・ギャラガーを復職させるよう要求し、大統領による、この問題処理に反対した当時の海軍長官リチャード・V・スペンサーが解任されている。

「思いやり皆無」

 火曜、アラブ系アメリカ人研究所は、この恩赦は、トランプが、アラブ人の命をないがしろにしていることを示すと述べた。

イラク一般人の虐殺で有罪になったブラックウォーター社員」と、この集団はツイートした。

不法移民を銃撃し、それを隠蔽した罪で有罪を宣告された国境警備隊員。

トランプが恩赦した連中は、アラブ人を含め特定の人々の命を軽視している例だ。法律も秩序も思いやりも皆無だ。」

 現在、アカデミに社名変更しているブラックウォーターは、ベッツィ・デヴォス教育長官の弟でトランプのお仲間、エリック・プリンスが創設し率いている。同社と創設者は、ニソール広場虐殺の際、攻撃されたと思った後、警備員は交戦規則に従って活動したと主張している。

 火曜、イラク系アメリカ人活動家のM バキール・モヒエ・エッ=ディーンは、何の監視もなしに恩赦を与える大統領権限を抑制するよう主張した。

 「イラク人として、我々は、アメリカ国民に、彼らの政府がイラクで茶番を犯すのを阻止するよう要求する。法律は変えられる」と彼はMEEに述べた。「アメリカは抑制と均衡が全てだ、大統領恩赦も、それから免れるべきではない。」

 モヒエ・エッ=ディーンは米軍と傭兵と民間請負業者との関係改善の必要性も強調した。

 「バグダッドのニソール広場で、アメリカ政府に虐殺された17人のイラク人に、アメリカ人は詫びなければならない。」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1152.html#c22

[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
89. 中川隆[-8930] koaQ7Jey 2020年12月26日 09:14:04 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[6]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
毎日鳴らす事の意味 2020年12月26日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8d176f68a8236dc1d6ebfddd71c85c51


お遊びシステムの3セットのシステムも毎日鳴らしています。現在は「生き返らせる」為の鳴らし込みです。50年も前のアンプでしかも埃を被って「眠っていたアンプ」ですので、すべてのパーツに電気を流してやることが必要です。扇風機の様に「ファンが回ればよい」ぐらいの感覚ではオーディオは語れません。意外と簡単に考えている方が多いと思います。

このアンプ群も約半年経ちますが、まだまだ「生き返らせる」為の鳴らし込みを続けています。基本的な「音出し」には不自由は有りませんが、高級電源ケーブルやラインケーブルに対応できるようになるには2000Hrの鳴らし込みが譲れません。大概の方は機器が活性化する前の状態で聴いていると思います。本当に機器が「活性化」すると非常に滑らかな音のバランスと音の出方をします。

こちらのアンプ群はまだ鳴らし出したばかり。毎日2時間程しか鳴らせないのが厳しい。4〜5セットのシステムを同時に「お守り」するのは至難の業です。とにかく時間が必要。一度活性化させると、数日鳴らさなくても数時間で元のsoundを取り戻せます。2000Hrの鳴らし込みをするには、毎日2時間程度の使い方では2〜3年かかります。一般の方は多分「待てない」のだと思います。ここをじっと辛抱して鳴らし込んでやる事で「その先の音」を手に入れられます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8d176f68a8236dc1d6ebfddd71c85c51
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c89

[近代史4] ヒッピー文化は何もかも破壊していく文化だった
ヒッピー文化は何もかも破壊していく文化だった

2020年代の明日はどっちだ? 1970年代に変質した世界は再び変化するか?
2020.12.26
https://blackasia.net/?p=1055


1960年代後半から1970年代にかけて広がっていったヒッピー時代を調べていると、道徳破壊の痕跡があちらこちらに残っていて興味深い。ベトナム戦争に反対する若者たちの運動が完全に社会を変えてしまい、その運動の前と後ではまったく違った社会になっていることに今さらながら驚きを隠せない。(鈴木傾城)


1970年代から続くリベラル主導の偏向に楔が打たれた

私が2020年代で注目しているのは、長らく続いてきたグローバル化の信奉やリベラルが主導した多文化共生の押し付けが、打破されていく流れが生まれるのかどうか、ということにある。

トランプ大統領は、グローバル化や多文化共生に対して「そうではない。アメリカ人にはアメリカ第一主義が必要で、多文化共生よりもアメリカの文化が重要だ」と、明確に「ノー」の声を上げた驚嘆すべき異質の大統領だった。

これは、1970年代から続くリベラル主導の偏向に楔(くさび)が打たれた最初の動きでもあった。トランプ大統領の登場によって、人々はリベラルに染まっていく流れの中で、はっと「目を覚ました」とも言える。

かつてアメリカはキリスト教系の価値感の強い文化を持ち、「男は男らしく、女は女らしく」という保守的な文化しかなかった。しかし、やがて時代が変わり、「男らしさ、女らしさ」にこだわらない若者たちが現れるようになった。

アメリカの新しい価値感の転換を象徴した世代は「ヒッピー」である。

1960年代、アメリカはベトナム戦争を戦っていたが、このベトナム戦争の修羅場はテレビで生々しく報道されるようになり、それを見た若者たちがこのように疑問を持つようになった。

「どうして我々が見も知らぬアジア人を虐殺しているのか?」

やがて、アメリカ政府が東南アジアの片隅で行っている戦争という名の「虐殺」に反対する若者たちが大学を基点として反対デモや抗議デモを起こすようになり、やがて彼らが「反体制派=ヒッピー」となっていく。

彼らのモットーは、「徹底した反体制」だった。そのため、体制側のすべての文化を破壊することに情熱を注いだ。「男は短髪で男らしくしなければならない」と言われれば、それに反抗して長髪にした。

「背広を着ろ」と強制されたら、それに反抗して女性のように中性的な服を着るようになった。

ヒッピー文化は何もかも破壊していく文化だった

「一夫一婦制が正しい」と強制されたら、それに反抗してヒッピーたちはフリーセックスを実践するようになった。「家族は大切だ」と強制されたら、ヒッピーたちは集団生活(コミュニティ)をするようになった。

そして「ドラッグを吸うのは馬鹿だ」と頭ごなしに言われたら、ヒッピーたちはドラッグを吸うようになった。

そうやって、ヒッピー文化は何もかも破壊していった。

「同性愛は病気だ」というのはこの時代もまだ続いていた概念だったが、それもヒッピー文化の発祥地であるサンフランシスコでは容認されて、後にハーヴェイ・ミルクのような重要な人物を輩出している。

このように見ていくと分かる通り、アメリカのすべてを変えたのは、ヒッピー文化だったのである。現代のアメリカのリベラルを語る上で、ヒッピー文化は知らずに通り過ぎることはできない巨大なムーブメントであった。

自由なセックスという概念が定着したのも、このヒッピー文化からだったが、これは女性にも大きな影響を与えた劇的な文化的転換だった。

女性の性の解放は、紛れもなく1960年後半のヒッピー・ムーブメントから生まれていったのだ。世界中でこの風潮が煽られ、1970年代以後は「貞操を守るのは古い」という価値の転換が徐々に起きていた。

この時代は若者の熱気がむんむんと溢れた熱い年代だった。若者はすべてをひっくり返したのだ。ヒッピー文化の洗礼を受けた世代とそれ以前の小説や映画を観ていると、「本当に以前と同じ国なのか?」と首を傾げるほどの変化がある。

もう今では信じる人もいるかどうか分からないが、欧米でも貞操を守るのが美徳とされた時代がずっと続いていたのだ。

「女性は夫に従う」「女性は夫に口を出さない」のが女性のあるべき姿だと言われていた時代があった。これが、すべて崩壊した。今では「女性は夫に従う」「女性は夫に口を出さない」を実践する女性は、フェミニストから袋叩きに遭う。

中ピ連の過激な活動と、映画『エマニエル夫人』

当時の日本人は、アメリカ文化に心酔していた。アメリカは偉大な国で、アメリカは目標であり、アメリカは真似すべき国だったのだ。

アメリカでエルビス・プレスリーが流行したら、日本にもエルビス・プレスリーが大流行した。アメリカでグループ・サウンドが流行したら、日本でもグループ・サウンドが流行した。

そして、アメリカでヒッピーが生まれ、長髪の若者が時代の最先端を飾るようになると、日本もまた若者たちがみんなアメリカのヒッピー文化を真似るようになった。

アメリカで反戦フォークが流行ると、もちろん日本でも反戦フォークが流行し、ボブ・ディランの物真似みたいな日本人のシンガーも次々と現れた。

アメリカでベトナム戦争反対運動が湧き上がると、日本人の若者もなぜかベトナム戦争反対運動を日本で起こすようになった。すべてがそんな調子だったのだ。

アメリカで「自由なセックス」が流行すると、もちろん日本人女性もこうした流れに与するようになる。

そして、経口避妊薬(ピル)を解放せよという中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)が過激な抗議運動を起こすような時代になっていた。

気に入れば誰とでも寝る、乱交も問題ない、誰にも縛られないで生きるというのは、まさに反体制の象徴的な行動だったが、そのためにはピルが必要だ。中ピ連の運動は、女性のセックス解放の運動でもあると、当時のフェミニストは考えていた。

中ピ連が抗議活動をして社会の耳目を集めているとき、世界では不思議な映画が大流行していたのだが、それが「初の女性向けポルノ」と言われていた『エマニエル夫人』だった。

この映画が日本に入ってきたとき、保守的であると言われていた日本女性が大挙して映画館に押し寄せて、シルビア・クリステルのみずみずしい裸体を見つめたのだった。

以後、映画『エマニエル夫人』は女性の性的解放の象徴的かつ伝説的な映画となっていく。(ブラックアジア:伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?)

グローバル化・多文化共生に対して凄まじい反発と嫌悪

この1960年代後半から1970年代にかけて広がっていったヒッピー時代を調べていると、道徳破壊の痕跡があちらこちらに残っていて興味深い。

ベトナム戦争に反対する若者たちの運動が完全に社会を変えてしまい、その運動の前と後ではまったく違った社会になっていることに今さらながら驚きを隠せない。

良し悪しは別にして、社会は継続的かつ熱狂的なムーブメント(社会運動)が起きれば、どんな頑迷な社会でも大きく変化していくというひとつの象徴がヒッピー文化である。

アメリカはヒッピー文化で変質してしまったが、それで良かったのか悪かったのかは、誰にも分からない。

この文化的な転換があったから現代社会があるのだが、逆にこの転換がなければ実はもっと良い社会があったかもしれないので、一概にヒッピー文化があって良かったのだと言い切れるものではない。

ここで重視しなければならないのは、時代が変わったことに対する良し悪しの批評ではない。「社会はある時から凄まじく変わってしまうという」事象を認識することだ。

現在、欧米では今まで続いてきたグローバル化・多文化共生に対して凄まじい反発と嫌悪を示す層がどんどん増えてきている。それが各国のひとつの巨大ムーブメントと化している。

グローバル化は今まで「これが突き進めばみんな幸せになる」という奇妙な多幸感(ユーフォリア)とセットになって語られていた。

ところが、グローバル化が進めば進むほど貧困と格差が広がり、異民族が異文化を持ち込んで多文化衝突が引き起こされ、治安も秩序も悪化し、対立と衝突と暴力が生まれるようになった。

そんな現実を目の当たりにして、人々は突如としてグローバル化に対して拒絶反応を見せるようになった。それが2016年になってから、イギリス国民のEU離脱であったり、ドナルド・トランプの登場として現れたのだ。

トランプ大統領が火を付けて燃え上がった「反グローバル化・反リベラル・反多文化共生」は、トランプ大統領の影響力が喪失すると共に萎んでいくのか、それとも逆に大きく燃え上がっていくのか、私は固唾を飲んで見守っている。

2020年代の明日はどっちだ?


『Music From Original Soundtrack & More: Woodstock』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00274SHKM/ref=as_li_tl?ie=UTF8&tag=blackbook2tok-22&camp=247&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=B00274SHKM&linkId=22b5fc67021cfce46044204b9f3cd817

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1229.html

[近代史4] ヒッピー文化は何もかも破壊していく文化だった 中川隆
1. 中川隆[-8929] koaQ7Jey 2020年12月26日 09:55:13 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[7]
世界を変えた映画 『エマニエル夫人』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/655.html

フランシス・レイ 『続エマニエル夫人』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/538.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1229.html#c1

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
50. 中川隆[-8928] koaQ7Jey 2020年12月26日 10:11:32 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[8]
540: QS :2020/06/09(火) 19:20:27 HOST:150.net211007085.libmo.jp

アシダボックスのフルレンジもコーン紙の再現がどうたらで復刻は無理なんでしょうね。
復刻したところでイチャモンは付くでしょうし、昔みたいな値段で売れる訳もなし。

と、まぁそんな懐古的行き詰まりの中、唯一、ニヤリとしたのは同社から販売されている
カナル型イヤホンEA-HF1。
通常タイプは5〜8000円代ですが、30000円以上ふるさと納税するとシャンパンゴールドの限定品が返礼で貰えるそうです。
限定品はともかく、マイ・リファレンスのSTAX-SRS-002が有るので通常品の購入は迷うところです。
要するにこれ以上ヘッドフォン・イヤホンを増やしてどうするんだ?って話です。
でも、納付金が入ったらイっときますかね?

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1417941619/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c50

[番外地8] 秦氏は中国からの渡来人ではなくc house n からの渡来人だよ、DNA解析で長江系の c house n 人だと確定している。
秦氏は中国からの渡来人ではなくc house n からの渡来人だよ、DNA解析で長江系の c house n 人だと確定している。
日本では昔から c house n 隠しをしていたんだよ。
倭国へ移住した人々は大きく二つにわけることができる。一つは「王室を中心とした支配層」であり、もう一つは「下層民(韓半島では生きていけない貧困者など)」である。彼らに共通するのは、c house n民族に対して怨恨と敵対心をもっていたということである。

弥生時代以降、倭国原住民と渡来人の人口比は「1対9.6」(埴原和郎説)になるほど、渡来人は圧倒的に増えた。しかし、倭国を変貌させたのは、百済の王族であった。

「白村江の戦い」で新羅に敗れた百済人は倭国へ亡命し、百済再興に夢を託した。倭国を日本と命名し、日本人として再出発したのである。渡来人は「c house n隠し」を始め、秦氏・漢氏などは先祖を中国系にしたという。「古事記」「日本書紀」では歴史を造作し、皇室側近がc house nと関係のある文書を焼失させた。

つまり、5〜8世紀ごろの渡来人は、c house n半島で生きられなくなって倭国へ渡った人々が多かったと言える。日本人が、c house nに対して野蛮な行為を働き続けたのは、「c house n人がc house n人の怨恨を晴らす」という潜在意識のためではないかと言われている。

国を捨て、旧来の言葉を日本語化し、c house n半島では生きられなくなって日本に渡った脱落者という認識は、本国のc house n人の間にかなり広く見られる。

c house n人が日本に渡って二世になると相当に変わり、三世代からは日本人化してしまうように、2000年前から渡来しはじめたc house n人の子孫たちは日本人化してしまい、自分たちの祖先は縄文時代の人々に始まる、と思っている者が多い。

____


単なる渡来民では、中国系や韓国系の人達は氏姓を称することも出来ない。投化(帰化)していないと戸籍に載らないし、租庸調の義務も生じないし、民を束ねる称号も得ることは無い。そもそも戸籍制度で最初に『王化の民』として戸籍に登録されたのは、帰化した秦氏、漢氏等で『秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」。』(日本書紀)とある。つまり弥生人の末裔より先に帰化民を優先登録したのだ。

その後、これらは制度化され、『化外人(帰化する前)』⇒『化内人(帰化人)』・・10年の据え置き期間・・⇒『調庸人(公民・平民)』⇒『天皇の民(王民)』となった。(賦役令)・・・後の時代には調庸人(海外の名)から王民(著名な氏姓)を得る為に活動する記録もある。

 単なる渡来人では、大和朝廷支配の日本では物乞いか夜盗になるしか無い。渡来なら日本に渡っただけで、c house n人・中国人のままなので、強制送還された渡来人の実例もあったが、帰化だと『申請手続き』が必須で、申請完了の場合、日本人になってしまう。

帰化には特典も様々にあり、戸令四十四化外奴婢条には、『凡化外奴婢。自来投国者。悉放為良。即附籍貫。本主雖先来投国。亦不得認。・・・』つまり、c house nとか中国で、奴隷身分であっても、日本に帰化したら、良民(公民・平民)の身分で登録しますよ、渡来民のままなら奴婢のままですよ、帰化しなさいという勧誘制度ですね。実際、主従の渡来者のうち、最初に帰化した主人に従う奴婢も、帰化の申請を行って賎民から良民となっている。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/741.html

[番外地8] 現時点でも日本は米軍の兵站基地にされている、米軍の駐留費もすべて日本政府が負担している。
イラク戦争や中東の戦争に行く米軍はすべて沖縄を起点として行動しているよ。
現時点でも日本は米軍の兵站基地にされている、米軍の駐留費もすべて日本政府が負担している。
そもそも中国は19世紀以来ずっとアメリカの同盟国で、アメリカの製造業もすべて中国に移転している。
アメリカが同盟国の中国と戦争する事はあり得ないので、日本が戦うのは中東の反米勢力しかいない。
何故日本人がわざわざ中東まで行って、選りによって親日のイラクやトルコやシリアと戦わないといけないのか? という事だよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/742.html
[番外地8] 現時点でも日本は米軍の兵站基地にされている、米軍の駐留費もすべて日本政府が負担している。 中川隆
1. 中川隆[-8927] koaQ7Jey 2020年12月26日 10:46:53 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[9]
イラク戦争や中東の戦争に行く米軍はすべて沖縄を起点として行動しているよ。
現時点でも日本は米軍の兵站基地にされている、米軍の駐留費もすべて日本政府が負担している。
そもそも中国は19世紀以来ずっとアメリカの同盟国で、アメリカの製造業もすべて中国に移転している。
アメリカが同盟国の中国と戦争する事はあり得ないので、日本が戦うのは中東の反米勢力しかいない。
何故日本人がわざわざ中東まで行って、選りによって親日のイランやトルコやシリアと戦わないといけないのか? という事だよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/742.html#c1
[リバイバル3] 大雪の前に、どんな準備をしたらいいのか?気をつけるべきポイントは?
大雪の前に、どんな準備をしたらいいのか?気をつけるべきポイントは?


数年に1度の強い寒波。大雪の前に備えておきたい5つのポイント
ハフポスト日本版 2020/12/25
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%95%b0%e5%b9%b4%e3%81%ab1%e5%ba%a6%e3%81%ae%e5%bc%b7%e3%81%84%e5%af%92%e6%b3%a2%e3%80%82%e5%a4%a7%e9%9b%aa%e3%81%ae%e5%89%8d%e3%81%ab%e5%82%99%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%8a%e3%81%8d%e3%81%9f%e3%81%845%e3%81%a4%e3%81%ae%e3%83%9d%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%88/ar-BB1cdRfv


2020年の年末年始は、数年に一度クラスの強い寒波や、強い冬型の気圧配置の影響で大雪が長期化する恐れがあるとして、気象庁は事前の備えを呼びかけている。

大雪の前に、どんな準備をしたらいいのか?気をつけるべきポイントは?

一般社団法人「FUKKO DESIGN」、認定NPO法人「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク」(JVOAD)、TBWA HAKUHODOの3つの団体は、気象予報士などの協力のもと、「コロナ禍でもすぐできる!冬の荒天への備え2020年版」を作成した。

その内容を基に、気をつけたい5つのポイントをまとめた。

1)雪の対策用品・備蓄

【家の中の備え】
・雪かき用スコップは必ず用意

→一家に一つは用意しよう。アルミやプラスチックなど軽い材質がおすすめ

(雪が硬いとプラスチック性のスコップは破損する場合があるので注意)

・家の中の備蓄を確認

→大雪時には1週間以上、家の中で孤立する恐れや、停電が長期化することもある。寒さ対策や生活必需品を確認しておこう

(以下引用)

<用意しておくと良いもの>

防寒着、懐中電灯、カセットコンロ、ラジオ、使い捨てカイロ、ポータブルストーブ、飲料水、スマホ用予備バッテリー、灯油、非常食

(以上引用)

【車の備え】
・ガソリンを満タンにしておく

(以下引用)

<車内に用意しておくと良いもの>

防寒着、タイヤチェーン、手袋、スノーブラシ、毛布、スコップ、長靴、(特に雪の多い地域では、スノーヘルパー、けん引ロープ)

(以上引用)

★注意★ コロナ対策のため、マスク、体温計、アルコール消毒液なども準備しておこう

2)身の回りの雪対策
© ハフポスト日本版
・車のワイパーを立てる

→ワイパーをそのままにしておくと凍結し、故障の原因に

・こまめに雪かき

→特に玄関周りや車庫の入り口をこまめに雪かきしておこう。凍結防止剤を使うのも効果的だ

・雪下ろしは早めにやっておく

★注意★ お湯や水を撒くのは、凍結する恐れがあるので危険

3)運転、屋外時に気をつけること

【車の運転】
・車の運転は出来る限り控える

→雪道や凍結した道路は、通常のタイヤでは滑りやすく危険。雪が降る前にチェーンを用意するなど対策しておこう

・事故が起こりやすい場所を確認

→どうしても運転しなければいけない時は、坂道やカーブ、雪道のわだち、アイスバーン、交差点など事故が発生しやすい場所で特に注意しよう

【屋外にある危険】
・雪、つららの落下

→建物や電線のそばは要注意だ

・見通しの悪化

→暴風雪で視界が悪くなった時は、すぐに店やコンビニなど安全な建物の中に避難して

・雪崩

→斜面沿いの山間の道路などでは雪崩に特に注意を

4)屋外で暴風雪になった時の対処法

【歩行中や屋外作業中】
・安全な建物内に避難する

→近くのコンビニや商店など、猛吹雪をしのげる場所に避難を

・低体温症を防ぐ

→厚着をして、顔・首・頭の保温をしよう

【車の運転中】
・コンビニの駐車場などに避難し、天候の回復を待つ

【車が立ち往生した時】
・可能なら、道路脇に避難する

・ハザードランプを点灯する

・停止表示板を置く

・JAF、警察、消防などに救助を依頼する

★注意★ 車内で救助を待つ時は?

車が雪に埋まると、排気ガスが車内に入り込み一酸化炭素中毒になるなど、命の危険がある。

・原則エンジン停止、エンジンをかける時は必ず排気口付近を除雪する

・十分に防寒する

ことを気をつけよう

5)最新情報を集めよう

最新の道路交通状況や気象情報を確認し、行動につなげることも大切。

自治体がSNSなどで発信する情報のほか、気象庁が発表する積雪や警報・注意報の情報をチェックしよう

・気象庁のサイト

◇ ◇

「コロナ禍でもすぐできる!冬の荒天への備え2020年版」は、次の専門家らの協力を得て作成された。

荒木健太郎氏、近藤肇氏、佐々木昌二氏、市川衛氏

壁に貼ったり、紙にして持っておきたい人のために、印刷しやすいPDFデータも公開されている。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%95%b0%e5%b9%b4%e3%81%ab1%e5%ba%a6%e3%81%ae%e5%bc%b7%e3%81%84%e5%af%92%e6%b3%a2%e3%80%82%e5%a4%a7%e9%9b%aa%e3%81%ae%e5%89%8d%e3%81%ab%e5%82%99%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%8a%e3%81%8d%e3%81%9f%e3%81%845%e3%81%a4%e3%81%ae%e3%83%9d%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%88/ar-BB1cdRfv
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1127.html

[リバイバル4] EL34 を使ったアンプ 中川隆
3. 中川隆[-8926] koaQ7Jey 2020年12月26日 12:43:28 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[11]

193: 薬漬け :2020/12/11(金) 16:35:02 HOST:sp49-96-14-145.mse.spmode.ne.jp

マランツ7をついに手術しました。
精彩を欠く音で埃をかぶっていた11000番台の個体を、教授のご逆鱗必至でしょうけれども、中の
160Pを全て、大半が新品の(もちろん数値的にリークしていない)バンブルビーに交換しました。
そうした“規格内の”バンブルビーを集めるまでが大変でしたが……。

とりあえず上杉経由でオートグラフ。チェックディスクはベーム=VPOの第9(独DGG、全集版)。
教授が仰るような、厳冬下の霜柱を素足で踏みしめるような、峻厳な高域が帰ってきたようです。
音場の拡がりも問題なさそうです。
それに12000番台で聴いていた音の質感よりも、シャキッとした感じ。バンブルビーがまだ新しい
こともあるのかも知れません。整備したばかりであり、こなれてくると厳しさだけでなく優しさも
併せ持ってくれるようになるかも知れません。

194: RW-2 :2020/12/11(金) 17:04:32 HOST:119.9.52.36.ap.yournet.ne.jp

音色がどうとかハーモニーがどうたらとかじゃなく、ザックザクした音触感、
細部までピントがギッチリ合って、輪郭を浮かび挙がらせる風情が#7の神髄・
真骨頂じゃないかと思っております。下衆な言い方をすれば発振寸前のような。

そんな#7ですと後に続くパワーアンプが球シングルであれppだろうと、ICパワー
パック物であろうが、スピーカーもオールホーン3ウェイだろうと8㌅シングル
コーンだろうとあきらかに#7の音として再現されるのが凄いのです。メデタシ 々。

195: 前期 :2020/12/11(金) 19:06:17 HOST:h219-110-182-217.catv02.itscom.jp
>発振寸前

はワクワクするような音ですものね。
それがないのが安定重視の業務用アンプの音。マニアは満足しないようです。

196: 薬漬け :2020/12/11(金) 22:31:19 HOST:p4109014-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
「手術しました」は不正確でしたね。「手術してもらいました」でした。私が自分で修理などしたら、
マランツ7は再起不能です。(汗)

それはともかく、アンプはコンポーネントの中ではよく“裏方”に喩えられますが、マランツ7を
はじめとしてプリアンプがシステムの音色に与える影響力は決して小さくないですね。パワーも
影響力のあるものもありますが、プリの方がカラーレーションを出しやすいように思います。
で、マランツ7の音が「発振寸前」……。うーん、拙宅の場合は上杉経由により少し中和されている
かも知れませんね。確かに教授お示しのような風情は十分に感じられますが。これが正妻の座を
マランツ9にしたときにどうなるか……。

197: 薬漬け :2020/12/11(金) 22:46:06 HOST:p4109014-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
>>195 前期さん、こんばんは。

面白いもので、業務用とはいえ西部は別かもしれませんね。入れ込んでいる人は数知れず。
86や124パワーアンプのような、音に「黄金のシロップ」のかかったような音の魅力もあったりは
しますが、基本的にはその安定重視の律儀な音にマニアは惹かれていると思います。
有名な555ドライバーも、聴いてみると決して奇をてらった音ではなく正攻法の音です。また、
たまたま私が使っている755Aや754Aも、ある意味「普通に凄い」音なのかも知れません。
この「普通に凄い」ところが、業務用、民生用を通じてなかなか無いので、西部の特異性が際立つ
のかも知れませんね。

198: 前期 :2020/12/12(土) 11:00:31 HOST:h219-110-182-217.catv02.itscom.jp
>>197
薬漬けさん、おはようございます。
仰るとおりですね。西部は別格でしょう。経験の深さが半端じゃありません。

199: 薬漬け :2020/12/19(土) 19:23:49 HOST:p4109014-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
腰の痛みをこらえて?マランツ9をヨイコラショと移動、用意した位置にセットしてマランツ7と
接続。ケーブルはおニューのマイクケーブル。行き先は考えてオートグラフにしました。
早速改造マランツ7との相性テスト。ソースはリヒター=ミュンヘン・バッハo.のバッハ:管弦楽
組曲第3番(独Archiv)

音がシビア目なのは7の性格でしょうが、9の性格も多少重畳しているかも知れません。おまけに
考えたら盤がアルヒーフ。まあそこはそんなもんだろうと思って聴いていましたが……。

改めてこのアンプの「円満ぶり」を再認識しました。透明感はあるし、中高域の主張の強さはやはり
7らしい。それでいて中低域の充実ぶりもなかなか。(リペアマンからは「高域・低域ともトーン・
コントロールを1クリック上げた感じ。周波数特性の改善が著しい」とは聞いていました)。
それで聴きながら他のアンプとの比較をしていましたが、中高域のシビアさはともかく、透明感は
メインのゴールドムンド〜西部124と比べてどうだろうと考えたらどうもメインシステムに軍配が
上がりそうな。また低域の充実感ないし迫力を考えたらLNP-2L〜Exclusive:M5にどうも一日の
長がありそうな感じ。

これをもってマランツ7〜9が“中途半端”だと言うつもりはありません。かなりのレベルでもって
両者の美味しいところを兼備しているという方が正解でしょう。ゴールドムンド軍団からは決して
レビンソン〜Exclusiveの低域の迫力は出ませんし、逆にレビンソン軍団からはゴールドムンドの
精細にして伸びきった高域は苦しい。(その代わり別の色艶があることは確かですが。)
これらをまあ円満にまとめた感じが7〜9なのかなと。(かつて五味康祐氏がマランツのことを、
「マランツはツマラン」と評したのは、その優等生ぶり故かも知れません。)

だから、突っ張って聴くならゴールドムンドかレビンソン(或いは他のそぐわしいプリアンプ)を
選んで聴くのでしょうが、その選択に悩んだら7〜9というのは頼もしい選択肢になりそうです。
ただし9のEL34の寿命にはヒヤヒヤしないといけませんが。(汗)

200: RW-2 :2020/12/20(日) 11:09:07 HOST:105.7.52.36.ap.yournet.ne.jp
>9のEL34の寿命にはヒヤヒヤ

#9は業務機でしたからね。現場の方達の合言葉は「EL34は名前通り9日で交換」だったとか。
マランツは規格ギリギリでの性能狙いですから。ってなこともあって普通よりタフな太いEL
34まで登場。ペントードがビーム管になってたり。KT-88/6550使わないのはマランツの意地。

201: 薬漬け :2020/12/20(日) 13:17:15 HOST:p4109014-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
>>200

教授、EL34の太管(確かGEだったか)って、やはり持ちが良いんですかね?
ちょっとでもマシかとUL接続でなく3極管接続にしていますが……関係ないか。

202: RW-2 :2020/12/20(日) 16:37:19 HOST:105.7.52.36.ap.yournet.ne.jp
アメリカさんはタフ好きマッチョ好きですから。もう見かけ6L6GBみたいですもんね。
3結は良いですね。出力的には十分でしょ。パラじゃなく普通のppでも15〜20W取れ
ますから。現在EL84/6BQ5の3結pp使ってます。4〜5Wですけど相当な音量が出ます。
無理せず働かせる3結は電流喰わないのでエコなのも宜しい。

203: QS :2020/12/20(日) 18:08:46 HOST:152.net211007085.libmo.jp
太管のEL34/6CA7(GE・Phlips ECC )は自分の感想として、テレフンケン等に比べて音がタイトですね。
4ペア持ってます。

204: 薬漬け :2020/12/20(日) 18:45:15 HOST:p4109014-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
>>202

ご教示ありがとうございます。
やはり3結は電気食わないんですね。ちょっとは球に優しいのかも。

205: 薬漬け :2020/12/20(日) 18:46:17 HOST:p4109014-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
>>203

4ペアお持ちですか……。
それが一気に全部使われてしまうのだから、パラプッシュげに恐るべし。
今私が使っているのはテレフンケンのビンテージ管ですが、それより音がタイトですか……。それ、
案外好みかも。

206: 私の息子はEL34 :2020/12/22(火) 17:55:16 HOST:flh3-122-133-65-194.osk.mesh.ad.jp
HEY GUYS

6CA7/EL34の太管ならSOVTEKや旧ユーゴ製にも有りますた。

COMING SOON。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1596031365/l50
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/137.html#c3

[番外地8] 飛鳥と奈良は、日本の中の朝鮮文化を探す旅の核心であり、日本古代文化のハイライトだ。

渡来人の故郷、飛鳥
飛鳥と奈良は、日本の中の朝鮮文化を探す旅の核心であり、日本古代文化のハイライトだ。
日本が古代国家に発展する全過程が飛鳥に残っており、彼らがあれほどまでに望んだ古代国家をついに誕生させた場所が奈良である。
飛鳥に行けば韓国の扶余〔百済の都〕が思い浮かび、奈良の古寺を見れば慶州〔新羅の都〕を連想する。

五世紀に加耶から渡った渡来人が日本に鉄と馬そして加耶の土器文化を伝えたことは、「近つ飛鳥」に確かに残っており、
六世紀の百済から渡っていった渡来人の足跡は、飛鳥ではっきりと見ることができる。
百済王室との交流を通じて仏教と文字を受け入れてついに律令国家となる過程を、石舞台、橘寺、飛鳥寺で見ることになる。

韓国人にもよく知られる高松塚古墳壁画を見ると、高句麗文化の影響力がどれほど長く残っていたのかを痛感する。
日本の古代社会に朝鮮半島からの渡来人が残した文化的結実は、飛鳥の北面にある法隆寺に集約的に見られる。
法隆寺は、日本古代文化の精華であると同時に、朝鮮半島では見ることのできない百済の建築と彫刻の姿を見せてくれる。

七一〇年、平城京に遷都すると同時に始まった奈良時代は、日本古代文化の頂点であった。
薬師寺の東塔、興福寺の仏像彫刻、東大寺の大仏、唐招提寺の彫像彫刻は、日本古代国家の爛熟と栄光を誇る。
この頃になると日本は、朝鮮半島の影響から離れて唐文化に直接接するとともに、より国際的な文化となっていく。
それは、統一新羅の文化と似ていながら異なる、日本文化独自の姿であった。

我々韓国人は、東アジアの一員として、隣国日本のこうした文化的成功を評価することにためらう理由はない。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/743.html

[近代史5] 米国のカラー革命に資金を出している富豪はファシズム体制の樹立を目指している 中川隆
3. 中川隆[-8925] koaQ7Jey 2020年12月26日 13:23:32 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[12]

2020.12.26
ナチズム賞賛に反対する国連決議に米国とウクライナが反対した歴史的な理由
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012260000/


 ナチズムやネオ・ナチズムを賞賛する行為に反対する決議が12月16日に国連総会で採択された。130カ国が賛成したのに対し、51カ国が棄権、アメリカとウクライナが反対。棄権した国には日本、そしてドイツなどEU加盟国が含まれている。

 アメリカとウクライナがナチズムやネオ・ナチズムに反対できない理由は明白だ。アメリカやイギリスの支配者はナチズムやネオ・ナチズムの信奉者を手先として利用してきたのである。

 次期アメリカ大統領に予定されているジョー・バイデンはバラク・オバマ政権(2009年1月から17年1月)で副大統領を務めたが、その間、アメリカ政府は2014年2月にウクライナでネオ・ナチを利用してクーデターを成功させた。現場で指揮していたのはネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補だが、統括していたのはバイデンだと言われている。

 ネオ・ナチはスボボダ(自由)、祖国、UDARといった政党に結集していた。ネオ・ナチはソ連が消滅する寸前、1991年にスボボダはウクライナ社会ナショナル党として誕生した。

 2004年からウクライナのネオ・ナチはバルト諸国にあるNATOの訓練施設で軍事演習を受けはじめるが、そのタイミングで党名をスボボダに変更した。旧党名はナチス(ナショナル社会主義ドイツ労働者党)を連想させるためだ。祖国を率いていたユリア・ティモシェンコは投機家のジョージ・ソロスの影響下にあり、UDARの後ろ盾はウクライナのパイプライン業界に君臨する富豪のビクトル・ピンチュクだ。

 オバマ政権はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団の戦闘員を使ってリビアやシリアで侵略戦争を始めたが、そのシリアから数百名がクーデターに参加するため、ウクライナへ入ったとも言われている。

 2013年7月にはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を操っていたサウジアラビアの​バンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官がモスクワを極秘訪問​、シリアから手を引かないとソチで何らかの「テロ」を行うとロシア側に示唆、ウラジミル・プーチン大統領を怒らせるということもあった。

 ウクライナのネオ・ナチはステファン・バンデラの信奉者であり、彼らがナチの使っていたマークに似たマークを使用してきたことも秘密ではない。

 バンデラは1930年代後半から活動していた反ロシア派OUNの指導者で、この一派はイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーに雇われていた。ドイツに占領されていた時代、彼らはドイツの「汚い仕事」を引き受け、ユダヤ人90万名が行方不明になった出来事に関与していると言われている。

 1941年以降、バンデラ派はドイツから資金を受け取り、幹部だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。

 1943年になるとバンデラ派はUPA(ウクライナ反乱軍)を編成、反ボルシェビキ戦線を設立した。この組織は大戦後の1946年にABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になる。こうした動きの背後にはCIAが存在していた。

 そもそも、ナチスはウォール街(アメリカを拠点とする金融資本)から資金援助を受け取っていた。そのために作られた金融機関としてユニオン・バンキング・コーポレーションが知られているが、その頭取を務めていたジョージ・ヒューバート・ウォーカーはジョージ・H・W・ブッシュ(第41代アメリカ大統領)の母方の祖父にあたる。父親のプレスコットはその部下だった。その金融機関の背後にいたのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンといった金融機関だ。

 1932年の大統領選挙でニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが当選すると、ウォール街はルーズベルトの排除に乗り出す。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の住人がクーデターを計画、スメドリー・バトラー退役海兵隊少将に指揮させようと目論む。

 しかし、バトラーは憲法を遵守するという立場の人物で、計画を全て聞き出した上でカウンター・クーデターを宣言して阻止、詳細を議会で証言した。その時にバトラーからの情報に基づいてジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、ニューディール派を排除してファシズム体制を樹立するという話を聞き出している。

 ナチスが支配していたドイツと戦ったのはソ連である。アメリカやイギリスは傍観していた。ドイツ軍は戦力の4分の3をソ連侵攻作戦に投入したが、スターリングラードでソ連軍の猛反撃にあい、1943年1月にドイツ軍は降伏する。

 この段階でドイツの敗北は決定的になったが、慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸した。その後、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。この延長線上にウクライナのクーデターはある。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用した「リセット」の先にファシズムが待つのも理由は同じだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012260000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/202.html#c3

[番外地8] ディープステートは共産主義ではなくファシズム体制の樹立を目指している
ディープステートは共産主義ではなくファシズム体制の樹立を目指している
 アメリカでも新型コロナウイルスを理由とした社会の収容所化が進められたが、経済活動の麻痺を懸念したドナルド・トランプ大統領はそうした政策を改めようとする。そうした中、5月25日からアメリカ国内で暴動が広がった。​その中心にふたつの団体が存在する​と指摘されている。BLM(黒人の命は大切)とアンティファ(反ファシスト)だ。

 運動が一気に広がった一因はその主体の資金力、情報力、人脈にあるだろうが、そこに疑惑の目が向けられている。資金源として名前が出てくる団体にはCIAとの関係が指摘されてきたフォード財団、ソ連圏に対する工作を進め、ソ連消滅後には新自由主義を導入させようと活動してきたジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団、ケロッグ財団、ロックフェラー財団、ジョン・ケリー元国務長官の妻の一族が創設したハインツ基金、アイスクリームで有名なベン・アンド・ジェリー財団、ヒューレット財団などが名を連ねている。こうした財団は税金対策や宣伝のために創設されるが、工作資金を流す仕組みでもある。

 こうした財団を作り出した富豪たちが自由や民主主義を理想とし、法律を尊重、庶民の権利を認めて公教育や医療システムを充実させ、強欲な巨大企業の横暴を規制しようとしているなら、新自由主義がこれほどはびこるはずはない。いや、そうした富豪こそ新自由主義を世界に押しつけてきた張本人である。

 新自由主義は強大な私的権力が国を上回る力を持つ世界を理想としている。そのために私有化を推進、強者総取りの社会を築いてきたのだ。新自由主義とは、フランクリン・ルーズベルトが定義したファシズムにほかならない。新自由主義はファシズムの別名だとも言えるだろう。

 新自由主義の国外政策を知りたいなら、ウォルフォウィッツ・ドクトリンを見れば良い。これについても本ブログで繰り返し書いてきたが、彼らが行ってきたことは侵略、破壊、殺戮、略奪の繰り返しである。

 そうした行為の手先としてジハード傭兵が使われてきた。その傭兵とは、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)やさまざまなタグをつけたアル・カイダ系武装集団だが、彼らはイスラエルと戦わない。それどころかイスラエルから支援されている。そうした傭兵を生み出し、育て、利用しているのがアメリカの支配層だということは本ブログで繰り返し書いてきた。

 アメリカで展開されている暴動は旧ソ連圏で行われた「カラー革命」と同じだとする人もいる。この「革命」でもジョージ・ソロスは暗躍していが、CIAの資金を流す仕組みも活躍していた。CIAの資金を流す機関として国務省のUSAIDが有名だが、それを含む政府機関の資金という形でNEDへまず流れ込む。そこからNDI、IRI、CIPE、国際労働連帯アメリカン・センターなどへ渡り、工作に使われるわけだ。

 アメリカでは1920年代からコミュニストは徹底的に叩き潰されてきた。そうした弾圧の中心に存在しているのがウォール街、つまり巨大資本だ。アメリカの労働組合、AFL-CIOがCIAと協力関係にあることも秘密ではない。その組合で重要な役割を演じていた人物として、アメリカ共産党の幹部だったジェイ・ラブストーンや戦時情報機関OSS出身のアービング・ブラウンが知られている。

 BLMやアンティファが進めている運動はファシストを後ろ盾にしている。それが実態だ。運動の参加者は人種差別を問題にしても、強者総取りの仕組みや侵略戦争に反対しているようには見えない。マーチン・ルーサー・キング牧師、マルコムX、ブラックパンサーなどとは違うのだ。

▲△▽▼

アメリカやイギリスの支配者はナチズムやネオ・ナチズムの信奉者を手先として利用してきた。

 次期アメリカ大統領に予定されているジョー・バイデンはバラク・オバマ政権(2009年1月から17年1月)で副大統領を務めたが、その間、アメリカ政府は2014年2月にウクライナでネオ・ナチを利用してクーデターを成功させた。現場で指揮していたのはネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補だが、統括していたのはバイデンだと言われている。
 


 ウクライナのネオ・ナチはステファン・バンデラの信奉者であり、彼らがナチの使っていたマークに似たマークを使用してきたことも秘密ではない。

 バンデラは1930年代後半から活動していた反ロシア派OUNの指導者で、この一派はイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーに雇われていた。ドイツに占領されていた時代、彼らはドイツの「汚い仕事」を引き受け、ユダヤ人90万名が行方不明になった出来事に関与していると言われている。

 1941年以降、バンデラ派はドイツから資金を受け取り、幹部だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。

 1943年になるとバンデラ派はUPA(ウクライナ反乱軍)を編成、反ボルシェビキ戦線を設立した。この組織は大戦後の1946年にABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になる。こうした動きの背後にはCIAが存在していた。

 そもそも、ナチスはウォール街(アメリカを拠点とする金融資本)から資金援助を受け取っていた。そのために作られた金融機関としてユニオン・バンキング・コーポレーションが知られているが、その頭取を務めていたジョージ・ヒューバート・ウォーカーはジョージ・H・W・ブッシュ(第41代アメリカ大統領)の母方の祖父にあたる。父親のプレスコットはその部下だった。その金融機関の背後にいたのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンといった金融機関だ。

 1932年の大統領選挙でニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが当選すると、ウォール街はルーズベルトの排除に乗り出す。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の住人がクーデターを計画、スメドリー・バトラー退役海兵隊少将に指揮させようと目論む。

 しかし、バトラーは憲法を遵守するという立場の人物で、計画を全て聞き出した上でカウンター・クーデターを宣言して阻止、詳細を議会で証言した。その時にバトラーからの情報に基づいてジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、ニューディール派を排除してファシズム体制を樹立するという話を聞き出している。

 ナチスが支配していたドイツと戦ったのはソ連である。アメリカやイギリスは傍観していた。ドイツ軍は戦力の4分の3をソ連侵攻作戦に投入したが、スターリングラードでソ連軍の猛反撃にあい、1943年1月にドイツ軍は降伏する。

 この段階でドイツの敗北は決定的になったが、慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸した。その後、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。この延長線上にウクライナのクーデターはある。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用した「リセット」の先にファシズムが待つのも理由は同じだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/744.html

[番外地8] 中国共産党はアメリカ軍産複合体(所謂ディープステート)のエージェント、自民党と日本の官僚、外務省、天皇一族は中国共産党のエージェント
中国共産党はアメリカ軍産複合体(所謂ディープステート)のエージェント、自民党と日本の官僚、外務省、天皇一族は中国共産党のエージェント:
菅政権が「歴代最低」な理由 ― 中国版TPP「RCEP」に即署名、尖閣だけでなく全土を奪われる…グローバリストに魂を売った男(ジェームズ斉藤)
2020.11.30
https://tocana.jp/2020/11/post_186999_entry.html
──アメリカが大統領選でガタガタになっている間に菅政権が急速に中国に接近してますけど、ヤバくないですか? 
ジェームズ かなりヤバいと思います。先日も中国版TPPであるRCEPにアッサリと署名していますが、これには裏があって二階俊博自民党幹事長が動いています。
──二階さんは7月のCSISリポートで媚中派と名指しされて失脚するかと思ったんですが、しなかったんですね。
ジェームズ 本来は失脚しているはずですが、菅政権誕生の裏で二階幹事長が暗躍しました。RCEP署名はその見返りです。二階氏は中国の商務部とズブズブで、地元の和歌山の白浜動物園にパンダを7頭レンタルしてもらうほどの媚中ですので、RCEP署名はなによりの御礼になるでしょう。また、RCEP署名の御礼に今度は二階氏が中国外相王毅の来日をセッティングしました。
──私物化もはなはだしいですね。日本の国益を完全に無視して、二人で“行って来い”をやってます。

ジェームズ 当然です。菅政権誕の時にも言いましたが、そもそも菅さんは陰湿な謀略でのし上がってきた人なので、敵が多く、お抱えの官僚すら完全に信頼していないです。彼が信用できるのは利害のある関係だけですから、そうなるんです。いま菅首相と直接の対話が可能なのは二階さんとカジノ推進派のドンの方くらいです。

──カジノのドンですか?

ジェームズ 数名おられます。名前は出せないですが。いずれにせよ、菅政権はカジノ政権です。カジノをやるために総理になった人ですから、裏を返すと、カジノ利権を押さえた瞬間に「内閣ポイ捨て」の可能性すらあります。おそらく村山、鳩山、菅(直人)等の歴代最低レベルと同格でしょう。まさか自民党から最低な売国総理が出るとは思いませんでした。これまでも小泉、安倍といった売国総理がでましたが、まだ徹底して対米従属を維持することにより、最低限の対中牽制のバランス感覚があったと思います。菅首相はそのような感覚すらありません。

──ということはRCEPの中身なんてこれっぽっちも気にしていませんね、菅さんは。

ジェームズ してもいません。菅政権が気にしているのは金の流れです。現在の流れは完全にグローバリストが推す中国中心のGreat ResetですからRCEPは中身なんか見てもいないで大賛成でしょう。


──このままでは尖閣も取られてしまいますね。

ジェームズ 尖閣どころでは済まないでしょう。中国外相の王毅が11月24〜25日に来日し、日本側と尖閣諸島関連のホットライン機能設立の合意を取り付けています。なんとこれは、尖閣諸島で起きた危機を日中二国間で話し合うということです。まともな軍を持たない日本など簡単に中国の超限戦の罠にハマり、気づいたら漁民になりすました人民解放軍特殊部隊要員が尖閣に旗を立て、中共の傀儡である国連等の国際機関を動員し「釣魚台における中国の主権承認」が実現されているでしょう。実は尖閣に関しては10月には在日米軍司令官のKevin Schneider米空軍中将が尖閣危機における日本防衛を確認したところでした。ところが、菅政権は完全に米国をスルーするという暴挙に出ました。米軍なしの自衛隊などオモチャの軍隊です。
 さらに日中の急接近によって日本の五族協和化が進みます。つまり、中国人が大量に日本に移住、定住、永住権取得、帰化の順に「日本人」になっていき、「共生」を盾に政治を乗っ取る方式です。彼の歴史をたどればわかることですが、菅本人には何の違和感もないはずです。また、RCEPはこの動きに拍車をかけます。貿易自由化のRCEPには、将来的にはアジア圏の人の移動の自由が保証されるでしょう。するといま以上に簡単に大量の中国人が入ってきます。日本人は次第に住んでいた土地を奪われて「中華人民共和国日本少数民族自治区」ができるでしょう。


──日本の中に、日本人が住む自治区が作られるってことですか!?


ジェームズ 十分に考えられます。これは『日本解放綱領』にも記載されていることです。『日本解放綱領』とは中共が1970年代に作成した対日共産化計画書で、日本では怪文書ということになっていますが、世界の諜報機関関係者の間では本物と見なされています。実際、某諜報機関OBの親戚兼元秘書を持つ小池百合子東京都知事も以前、この文書を堂々と本物と断定していました。

 この文書には国会議員の弱みを握って掌握することや、マスコミ工作について書いてあり、その目的も日本人民共和国の樹立となっています。「人権、民主、平和」の3つのキーワードを使って中共化したマスコミと日教組が日本を改造していくことが決まっています。

──実際そうなっていますね。すべて『日本解放綱領』通りの展開になっています。

ジェームズ 世界全体がそういう流れになっています。これは中国版Great Resetで、グローバリストが進めるGreat Resetともリンクしています。ですから、RCEPは相当危険な条約であり、菅首相は、中身は読んでなくてもそこはわかっていて署名しています。なぜなら、菅さんもまた五族協和が旗印であり、日本のチベット・ウイグル・内蒙古化を進めています。これらの地域と違うのは、日本の場合わざわざ侵略せずとも現在既に総理官邸に傀儡政権が存在していることです。これは以前、記事で書いたとおりです。(記事→菅義偉の黒い正体 (前・中・後編))

──実際、菅さんになった途端露骨な中国急接近には驚きです。貿易自由化のRCEPが発動すれば、当然、中国の安い商品がガンガン入ってきますね。

ジェームズ 既に中国主導のアジア共通通貨である「デジタル・アジア元」の構想が議論されています。おそらく人民元は世界の基軸通貨になると思われます。そもそもドル基軸体制の崩壊は何十年もかけて行われ、トランプ時代に加速しました。


──人民元が基軸通貨になると、グローバリストたちとはどんな関係になるんですか? 単純にどっちが上なんですか?

ジェームズ 当然グローバリストの方が中共より上です。中共はただの駒です。中共は外国からの投資で成り立っているようなものなので、借金まみれです。つまり、グローバリストの傀儡です。

 グローバリストは国家を借金漬けに追い込み、政府を乗っとります。グローバリストたちがなぜ中国推しなのかといえば、すでに傀儡だからです。EUも傀儡ですし、残るはトランプのアメリカとプーチンのロシアぐらいです。アメリカの場合は大統領がバイデンに交代すればすぐにもグローバリストの傀儡政権に早変わりします。

 そうなると残るのはプーチンのロシアだけになります。ロシアの場合は2019年には対外債務を含む公債をゼロにし、グローバリストには最も嫌われています。おそらく最も独立と主権を維持している国でしょう。ちなみに日本の公債はGDPの200%を超え、GDPベースで計算すると世界一の借金国です。なので、日本には小泉、安倍、菅のようなグローバリストに魂を売る総理しかいないのです。

ジェームズ 年金等は全て外資系投機家に渡っています。日本の場合ほとんどの企業が外資に独占されているので、経団連等の財界はグローバリストの手先と見てもおかしくないです。実際、日本のRCEP加盟は経団連が2019年のレポートで提言し、前述の親中派のドンである二階氏の影響力に加え、日本を代表する大企業の強い要請で今回菅総理が署名した背景もあります。グローバリストに借金漬けにされると、「日本ファースト」や「日本人のための日本」等のビジョンは雲を掴むような話です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/745.html

[近代史5] 大雪の前に、どんな準備をしたらいいのか?気をつけるべきポイントは?

大雪の前に、どんな準備をしたらいいのか?気をつけるべきポイントは?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1127.html

北海道民が教える「雪道の歩き方」5カ条
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/679.html

厳寒が人体に与える影響
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/795.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/463.html

[番外地8] ディープステートは共産主義ではなくファシズム体制の樹立を目指している 中川隆
1. 中川隆[-8924] koaQ7Jey 2020年12月26日 14:05:46 : LuTLXYetbM : QUVIL0FpaDhDWU0=[13]
ディープステートは共産主義ではなくファシズム体制の樹立を目指している
 アメリカでも新型コロナウイルスを理由とした社会の収容所化が進められたが、経済活動の麻痺を懸念したドナルド・トランプ大統領はそうした政策を改めようとする。そうした中、5月25日からアメリカ国内で暴動が広がった。​その中心にふたつの団体が存在する​と指摘されている。BLM(黒人の命は大切)とアンティファ(反ファシスト)だ。

 運動が一気に広がった一因はその主体の資金力、情報力、人脈にあるだろうが、そこに疑惑の目が向けられている。資金源として名前が出てくる団体にはCIAとの関係が指摘されてきたフォード財団、ソ連圏に対する工作を進め、ソ連消滅後には新自由主義を導入させようと活動してきたジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団、ケロッグ財団、ロックフェラー財団、ジョン・ケリー元国務長官の妻の一族が創設したハインツ基金、アイスクリームで有名なベン・アンド・ジェリー財団、ヒューレット財団などが名を連ねている。こうした財団は税金対策や宣伝のために創設されるが、工作資金を流す仕組みでもある。

 こうした財団を作り出した富豪たちが自由や民主主義を理想とし、法律を尊重、庶民の権利を認めて公教育や医療システムを充実させ、強欲な巨大企業の横暴を規制しようとしているなら、新自由主義がこれほどはびこるはずはない。いや、そうした富豪こそ新自由主義を世界に押しつけてきた張本人である。

 新自由主義は強大な私的権力が国を上回る力を持つ世界を理想としている。そのために私有化を推進、強者総取りの社会を築いてきたのだ。新自由主義とは、フランクリン・ルーズベルトが定義したファシズムにほかならない。新自由主義はファシズムの別名だとも言えるだろう。

 新自由主義の国外政策を知りたいなら、ウォルフォウィッツ・ドクトリンを見れば良い。彼らが行ってきたことは侵略、破壊、殺戮、略奪の繰り返しである。

 そうした行為の手先としてジハード傭兵が使われてきた。その傭兵とは、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)やさまざまなタグをつけたアル・カイダ系武装集団だが、彼らはイスラエルと戦わない。それどころかイスラエルから支援されている。そうした傭兵を生み出し、育て、利用しているのがアメリカの支配層だということは本ブログで繰り返し書いてきた。

 アメリカで展開されている暴動は旧ソ連圏で行われた「カラー革命」と同じだとする人もいる。この「革命」でもジョージ・ソロスは暗躍していが、CIAの資金を流す仕組みも活躍していた。CIAの資金を流す機関として国務省のUSAIDが有名だが、それを含む政府機関の資金という形でNEDへまず流れ込む。そこからNDI、IRI、CIPE、国際労働連帯アメリカン・センターなどへ渡り、工作に使われるわけだ。

 アメリカでは1920年代からコミュニストは徹底的に叩き潰されてきた。そうした弾圧の中心に存在しているのがウォール街、つまり巨大資本だ。アメリカの労働組合、AFL-CIOがCIAと協力関係にあることも秘密ではない。その組合で重要な役割を演じていた人物として、アメリカ共産党の幹部だったジェイ・ラブストーンや戦時情報機関OSS出身のアービング・ブラウンが知られている。

 BLMやアンティファが進めている運動はファシストを後ろ盾にしている。それが実態だ。運動の参加者は人種差別を問題にしても、強者総取りの仕組みや侵略戦争に反対しているようには見えない。マーチン・ルーサー・キング牧師、マルコムX、ブラックパンサーなどとは違うのだ。

▲△▽▼

アメリカやイギリスの支配者はナチズムやネオ・ナチズムの信奉者を手先として利用してきた。

 次期アメリカ大統領に予定されているジョー・バイデンはバラク・オバマ政権(2009年1月から17年1月)で副大統領を務めたが、その間、アメリカ政府は2014年2月にウクライナでネオ・ナチを利用してクーデターを成功させた。現場で指揮していたのはネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補だが、統括していたのはバイデンだと言われている。
 


 ウクライナのネオ・ナチはステファン・バンデラの信奉者であり、彼らがナチの使っていたマークに似たマークを使用してきたことも秘密ではない。

 バンデラは1930年代後半から活動していた反ロシア派OUNの指導者で、この一派はイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーに雇われていた。ドイツに占領されていた時代、彼らはドイツの「汚い仕事」を引き受け、ユダヤ人90万名が行方不明になった出来事に関与していると言われている。

 1941年以降、バンデラ派はドイツから資金を受け取り、幹部だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。

 1943年になるとバンデラ派はUPA(ウクライナ反乱軍)を編成、反ボルシェビキ戦線を設立した。この組織は大戦後の1946年にABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になる。こうした動きの背後にはCIAが存在していた。

 そもそも、ナチスはウォール街(アメリカを拠点とする金融資本)から資金援助を受け取っていた。そのために作られた金融機関としてユニオン・バンキング・コーポレーションが知られているが、その頭取を務めていたジョージ・ヒューバート・ウォーカーはジョージ・H・W・ブッシュ(第41代アメリカ大統領)の母方の祖父にあたる。父親のプレスコットはその部下だった。その金融機関の背後にいたのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンといった金融機関だ。

 1932年の大統領選挙でニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが当選すると、ウォール街はルーズベルトの排除に乗り出す。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の住人がクーデターを計画、スメドリー・バトラー退役海兵隊少将に指揮させようと目論む。

 しかし、バトラーは憲法を遵守するという立場の人物で、計画を全て聞き出した上でカウンター・クーデターを宣言して阻止、詳細を議会で証言した。その時にバトラーからの情報に基づいてジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、ニューディール派を排除してファシズム体制を樹立するという話を聞き出している。

 ナチスが支配していたドイツと戦ったのはソ連である。アメリカやイギリスは傍観していた。ドイツ軍は戦力の4分の3をソ連侵攻作戦に投入したが、スターリングラードでソ連軍の猛反撃にあい、1943年1月にドイツ軍は降伏する。

 この段階でドイツの敗北は決定的になったが、慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸した。その後、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。この延長線上にウクライナのクーデターはある。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用した「リセット」の先にファシズムが待つのも理由は同じだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/744.html#c1

[番外地7] マレイ・ペライア名演集

マレイ・ペライア - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2
https://www.youtube.com/results?search_query=Murray+Perahia


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マレイ・ペライア(Murray Perahia [ˈmʌri pəˈraɪə], 1947年4月19日 - )は、アメリカ合衆国のピアニスト、指揮者。大英帝国勲章KBEの受章者。

ニューヨークのブロンクス生まれ。ギリシャのテッサロニキに起源を持つセファルディムのユダヤ人で、1935年、父親の代にアメリカ合衆国へ移住した家庭の出身[1]。母語はラディーノ語。熱心なユダヤ教徒でもある。


経歴
4歳からピアノを始めた[2]。最初の教師は「とても窮屈」だったらしく、完璧に弾けるようになるまで一曲を弾かせ続けた。ペライア自身によると、15歳の頃に本人にもよく分からない理由から音楽的な興味が花開いた[3]といい、それ以来真剣に練習に打ち込んだ。1966年、17歳の時にニューヨークのマネス音楽大学へ入学、ピアノ、指揮法を学んだ。当時、この音楽大学にはカール・シャハター(Carl Schachter)、カール・バンベルガー(Carl Bamberger)、オスヴァルト・ヨーナス、フェリックス・ザルツァー(Felix Salzer)といったハインリヒ・シェンカーの弟子や継承者が集まっており、多大な影響を受けたが、シェンカーの音楽理論に本当に傾倒するのは後になってからである[4]。夏期にはマールボロ音楽祭に参加し、カザルスや、ブダペスト弦楽四重奏団(アレクサンダー・シュナイダーら)、ゼルキンと交流があった。ゼルキンとは四手のためのピアノ二重奏を演奏し、ゼルキンは後にペライアを一年以上に渡りカーティス音楽院における自分の助手にした。同じ頃、ミエチスラフ・ホルショフスキに師事し薫陶を受けた[5]。1965年に Young Concert Artists International Auditionsに合格し、1972年のリーズ国際ピアノ・コンクールにてアメリカ人初の優勝者となった。ファニー・ウォーターマンの語る逸話によると、ホルショフスキがコンクールの前に電話をかけてきて、ペライアがきっと優勝するよ、と予言したそうである[6]。

その後は国際的に演奏活動や録音活動を開始する。1973年にオールドバラ音楽祭でベンジャミン・ブリテンとピーター・ピアーズ、またラドゥ・ルプーと共演した。ペライアは1981年から1989年まで同音楽祭の共同芸術監督を務めた。1980年代にペライアはウラジミール・ホロヴィッツに一緒に仕事をするように招かれた。これは彼のピアニズムに決定的な影響を及ぼしたとペライア本人が語っている。ペライアはホロヴィッツが亡くなる前の晩に彼を訪れており、ホロヴィッツの演奏するピアノを聴いた最後の人物である[4]。

1973年以降、ペライアはコロンビアマスターワークス、後のソニー・クラシカルへと専ら録音を行った。1975年から9年の歳月をかけ、自身の弾き振りでイギリス室内管弦楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲全曲録音を行った。1985年にベルナルト・ハイティンクの指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲録音を果たし、両録音とも高い評価を受けている。ペライアはロンドン在住である。

手の故障と近年の活動
1990年、ペライアは右の親指を切ってしまい、それが敗血症を引き起こした[要出典]。この症状のために抗生物質を服用したが、それが彼の健康状態に影響した[3]。1992年に手の骨に異常な炎症を生じたために音楽家としての経歴の危機に陥った。数年間鍵盤から離れた生活を余儀なくされ、複数の手術を受けた。この期間中、ペライアはバッハの音楽を研究することで慰みを得たと語っている。バッハ研究のためにハープシコードを借りて音色を研究していた[7]。またこの期間にシェンカー理論に傾倒した[4]。病から回復した後、1990年代の後半に、ゴールドベルク変奏曲、イギリス組曲、パルティータ、チェンバロ協奏曲集など一連のバッハの鍵盤音楽の作品集の録音を発表し、数々の賞を受賞した。復帰後は以前にもまして演奏が楽しくなったと話し[要出典]、録音にも精力的に取り組んでいる。2003年に、バッハのブランデンブルク協奏曲をピアノ協奏曲風にアレンジした演奏を録音した。

2005年のはじめ、手の故障が再発し、医者の忠告により、コンサート活動から身を引くこととなった。バービカンセンターでのコンサートやアメリカの10都市のコンサートツアーをキャンセルした。しかし、2006年にはドイツでのリサイタルで見事復帰を果たし、2007年4月にはバービカンセンターでも演奏した。

2007年秋にはアメリカの10都市のコンサートツアーを達成。手の問題のため、また医者の忠告のため、2008年のバービカンセンターでのソロリサイタルおよび、アカデミー室内管弦楽団とのアメリカツアーをキャンセルした。2008年の8月には演奏会に復帰し、ハイティンク指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とツアーを行い、また10月と11月にはアジアツアーを行った。2008年のプロムス以降は継続して活発な演奏活動を行なっている。

親友のラドゥ・ルプーとレパートリーが共通することは知られており、ウィーン古典派やドイツ・ロマン派音楽を得意としている。とりわけベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスなどの録音を残してきた。しかし、指の故障が回復した後の演奏会や録音では、リストやラフマニノフにもスケールの大きい演奏を行い、練達のヴィルトゥオーソとしての一面をアピールしてみせた。

エルサレム音楽センター
2009年1月、ペライアはアイザック・スターンによって設立されたエルサレム音楽センターの所長に就任した[1]。

受賞歴
第七回国際シューマン音楽祭

2000 ロベルト・シューマン協会、クラウディオ・アラウ記念メダル
グラミー賞最優秀室内楽演奏賞

1989 バルトーク: 2台のピアノと打楽器のためのソナタ
グラミー賞最優秀独奏楽器演奏賞

2003 ショパン: 練習曲 作品10、作品25
1999 バッハ: イギリス組曲第一番、第三番、第六番
2015 ウルフ賞芸術部門

王立音楽大学の名誉フェローであり、王立音楽アカデミーの名誉会員。2007年、ケンブリッジ大学のジーザス・コレッジの名誉フェローに選ばれた。

2004年の3月8日に、エリザベス2世はアメリカ人のペライアを 名誉大英帝国勲章 ナイト・コマンダーKBEに叙した。これにより彼はKBEを名前の後に付けることが許されたが、サー (Sir)の称号は名乗れない。

2012年にペライアはグラモフォン誌の初代殿堂入りを果たした。[8]

録音歴
ペライアの録音歴(英語)
https://en.wikipedia.org/wiki/Murray_Perahia#Discography

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/908.html

[番外地7] リチャード・グード名演集

リチャード・グード - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%89
https://www.youtube.com/results?search_query=Richard+Goode


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リチャード・グード(Richard Goode, 1943年6月1日 - )はアメリカ合衆国のピアニスト。ベートーヴェンと室内楽を得意とする。

経歴
1943年、ニューヨーク州イースト・ブロンクス生まれ。カーティス音楽院でルドルフ・ゼルキンとミェチスワフ・ホルショフスキに師事。第1回クララ・ハスキル国際コンクールに入賞し、エイヴリー・フィッシャー賞を受賞。

以降、世界有数の演奏会場でのリサイタルや、いくつかの世界最高のオーケストラと共演している。

録音も数多く、中でもオルフェウス室内管弦楽団との共演によるモーツァルトの協奏曲や、アメリカ人ピアニストとして最初のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音が有名である。リチャード・ストルツマンと共演したブラームスのクラリネット・ソナタの録音によって、グラミー賞を受賞した。

現在は内田光子とともに、マルボロ音楽学校の共同監督を務めている。

家族・交友
ヴァイオリニストのマーシャ・ワインフェルドと結婚。ニューヨークで闘病生活中の千葉敦子と親交があった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%89
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/909.html

[近代史5] シャーマニズムの世界 中川隆
13. 中川隆[-8923] koaQ7Jey 2020年12月26日 15:31:03 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[1]

宗教現象の基本形としてのシャーマニズム
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/505.html

シャーマンと右脳・左脳の働き
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/389.html

インドネシアのトラジャ族は死ぬと遠いところに旅に出る
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/550.html

ぼくのイニシエーション体験
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/460.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/436.html#c13

[近代史5] 現生人類の起源
現生人類の起源


人類進化史
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html

現生人類の起源
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/735.html

雑記帳 古人類学の記事のまとめ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/592.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
2020/8/25 0-2. 日本人の源流考
2. 草創期のネアンデルタール人(ハイデルベルグ人)から始まったようだ。
3. 原ホモサピエンスから現ホモサピエンスへ脱皮したのではないか!
 3-1. 華奢型への進化(?)と集団形成への変化があったのではないか!
 3-2. 最新のY-DNAツリーの超概要!
 3-3. 現代人類はホモサピエンスと終末期の成熟型ネアンデルタール人とのハイブリッド?
 3-4. 現代人類は進化の爆発に遭遇できたのではないか!!!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2



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日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

DNA解析の限界/実は単品ではあまり役にたたないという話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/430.html

ネット上でよく見かける人類進化に関する誤解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/774.html

先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/590.html

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日本人のガラパゴス的民族性の起源
ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告

 3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm

 3-2. Y-DNA「I」   ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

 3-3. Y-DNA「R1b」  ケルト度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm
       
 3-4. Y-DNA「R1a」  スラブ度・インドアーリアン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm

 3-5. Y-DNA「N1c」  ウラル度・シベリア度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-5.htm
 
 3-6. Y-DNA「E1b1b」 ラテン度(地中海度) 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-6.htm
  
 3-7. Y-DNA「J」   セム度・メソポタミア農耕民度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

 3-8. Y-DNA「G」   コーカサス度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-8.htm

15-4. アイスマンのY-DNAはスターリンと同じコーカサス遺伝子の「G2a」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-4.htm
 
3-9. Y-DNA「T」   ジェファーソン度 調査 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-9.htm  

3-10. Y-DNA「Q」   異民族の侵入者フン族の痕跡調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-10.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

1-15. コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-15.htm

1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm

1-17. 多民族国家 ロシアのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-17.htm

1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-9.htm

1-18. 多民族国家 インドのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm

1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm

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シャーマニズムの世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/436.html

アニミズム・トーテミズムの芸術作品
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/452.html

狩猟採集民・原始農耕民の料理
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html

言語の起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/837.html

読書能力の起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1112.html

集団生活・共同体の起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1012.html

民主主義の起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/825.html

母系制と近親結婚の起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/987.html

寝具の起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1155.html

葬儀の起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1212.html

一夫一妻制の起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/843.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/464.html

[近代史5] 現生人類の起源 中川隆
1. 中川隆[-8922] koaQ7Jey 2020年12月26日 15:49:48 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[2]

パナマのサルが石器時代に突入したことが最新研究で判明!
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/899.html

人間とチンパンジーのDNAが99%一致するという定説はウソだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/376.html

チンパンジーが好きな肉は脳? 初期人類も同様か
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/843.html

チンパンジーよりもヒトに近いボノボ
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/673.html

類人猿ギガントピテクス、大きすぎて絶滅していた
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/678.html

アウストラロピテクス属と初期ヒト属の進化過程のギャップを埋める化石発見
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/589.html

北京原人、火の利用を裏付ける新証拠が発見
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/627.html

原人:台湾で新たな化石発見 北京やジャワと別系統
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/575.html

デニソワ人 知られざる祖先の物語
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/675.html

チベット人の高地適応能力、絶滅人類デニソワ人から獲得か
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/497.html

4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/620.html

人類の「脱アフリカ」は定説より早かった!? 現代人は13万年前にヨーロッパに到着していた
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/471.html

洞窟壁画の発見は4万年前のアジアでも具象芸術が存在していた事を証明する
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/536.html

人類の寿命
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/759.html

性の進化論 女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/741.html

近親相姦の時代
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/329.html

犬の起源は欧州、狩猟時代にオオカミが家畜化
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/512.html

飼いネコ:アジアでの進化は欧米と別 
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/577.html

味覚は毒物の摂取を避けるために発達した
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/422.html

古代ほとんどの欧州人は牛乳をうまく飲めなかった
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/617.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/464.html#c1

[近代史5] 日本人の起源
日本人の起源

日本人のガラパゴス的民族性の起源
0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

ジャレド・ダイアモンド「弥生人は朝鮮人」
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/281.html

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日本人のガラパゴス的民族性の起源 日本人の源流考
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/280.html

縄文人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/195.html

縄文時代の終わりから弥生時代にかけて急激な人口減少があった DNA解析で判明
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/283.html

日本人の遺伝子の地域差 _ 近畿と四国は漢民族に近い
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/333.html

弥生人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/255.html

弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html

弥生人の起源2
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/549.html

被差別同和部落民の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/259.html

アイヌ人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html

オホーツク文化人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/287.html

琉球人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/199.html

朝鮮人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/194.html

中国人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/272.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm

日本語の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html

稲作とオーストロネシア語族集団の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/258.html

天皇はソウル出身の漢民族
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/233.html

天皇家は弥生時代後期にソウルから福岡県の伊都国に植民した
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/234.html

天皇家は2世紀に伊都国から日向・大和・丹後に天孫降臨した
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/235.html

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日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

DNA解析の限界/実は単品ではあまり役にたたないという話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/430.html

ネット上でよく見かける人類進化に関する誤解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/774.html

先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/590.html

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狩猟採集民・原始農耕民の料理
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/460.html

神道 _ 縄文以来の古神道、天皇が朝鮮からもたらしたアマテラス信仰と飛鳥時代に伝わった祓いの神道
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/444.html

縄文人の蛇信仰
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/200.html

弥生人の鳥信仰と太陽信仰
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/208.html

日本人の海民としての宗教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/693.html

天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html

皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html

西暦400年前後に、秦氏(弓月氏)が、百済の民、数十万人を引き連れて日本に移住してきた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/550.html

大阪住民の半数は渡来人の子孫
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/780.html

▲△▽▼
▲△▽▼

日本書紀(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/513.html

古事記(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/514.html

先代旧事本紀 (現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/515.html

古語拾遺(現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/516.html


▲△▽▼

折口信夫 國文學の發生(第三稿)まれびと の意義
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/424.html

折口信夫 鬼の話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/422.html

折口信夫 河童の話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/423.html


▲△▽▼

柳田国男 山の人生
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/420.html

柳田国男 遠野物語
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/421.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/465.html

[近代史5] 日本人の起源 中川隆
1. 中川隆[-8921] koaQ7Jey 2020年12月26日 16:51:54 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[3]
天皇のY染色体ハプログループ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/584.html

天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/103.html

古代の帰化人
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/378.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/465.html#c1

[近代史5] 太平洋先住民の起源 中川隆
4. 中川隆[-8920] koaQ7Jey 2020年12月26日 17:46:23 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[6]
オーストロネシア語族の移動ルート=PNASのウェブサイトから
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201225-00000001-ftaiwan-000-1-view.jpg

(台北中央社)米領グアムの先住民のルーツが台湾であることが、先史人類のDNA解析によって証明された。研究に携わった国際研究チームの台湾人メンバー、オーストラリア国立大学の洪暁純(こうぎょうじゅん)上席研究員が、謎解明までの経過を中央社に語った。

グアムはマリアナ諸島を構成する島の一つで、最も近いフィリピンからは2000キロ余り離れている。洪氏によれば、先史時代の人類が約3500年前までにはマリアナ諸島に到達していたことが過去の研究から分かっているが、どこから来たのかについては考古学者の見解が分かれていた。

洪氏が参加する研究チームは2016年、グアム北部の遺跡で先史時代の人骨を2体発見。DNA解析を経て、フィリピン・ルソン島北部の先住民カンカナイ族と台湾の先住民アミ族に最も近いことが判明し、このことから、グアム先住民の祖先は台湾からフィリピンに移り、そこからグアムにたどり着いたという結論を導き出した。

洪氏によると、太平洋諸島からアフリカ・マダガスカルにまで広く分布する「オーストロネシア語族」の起源が台湾であることが近年の研究で証明されており、約4000年前に台湾からフィリピンに渡った同語族の一部がグアムやサイパンに、別のグループがインドネシアや他の太平洋の島々に向かったと確定できるという。

研究成果は学術誌「米国科学アカデミー紀要」(PNAS)のウェブサイトに掲載された。洪氏は、グアム先住民が3500年前に2000キロ余りを航海できる技術を持っていたことを、この最新研究が間接的に証明しているとの認識を示している。(許秩維/編集:塚越西穂)

中央社フォーカス台湾 12/25(金) 11:41配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201225-00000001-ftaiwan-cn
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/355.html#c4

[近代史5] 日本語の起源 中川隆
15. 中川隆[-8919] koaQ7Jey 2020年12月26日 18:34:37 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[7]
東アジアの言語地図 (オハイオ大学の言語学者 J. Marshall UNGER 氏が作成)
https://www.oeaw.ac.at/fileadmin/Institute/IKGA/IMG/events/Unger_2013_handout.jpg


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c15

[近代史5] 稲作とオーストロネシア語族集団の起源 中川隆
4. 中川隆[-8918] koaQ7Jey 2020年12月26日 18:35:01 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[8]
東アジアの言語地図 (オハイオ大学の言語学者 J. Marshall UNGER 氏が作成)
https://www.oeaw.ac.at/fileadmin/Institute/IKGA/IMG/events/Unger_2013_handout.jpg


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/258.html#c4

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
296. 中川隆[-8917] koaQ7Jey 2020年12月26日 18:37:40 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[9]
東アジアの言語地図 (オハイオ大学の言語学者 J. Marshall UNGER 氏が作成)
https://www.oeaw.ac.at/fileadmin/Institute/IKGA/IMG/events/Unger_2013_handout.jpg


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c296

[リバイバル3] ワーフェデール 後方開放・無指向性フロア型スピーカー SFB/3 中川隆
9. 中川隆[-8916] koaQ7Jey 2020年12月26日 21:33:20 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[2]
久し振りの ワーフデル SFB/3
2020/11/21





久し振りの ワーフデル SFB/3 砂入りバッフル
2020年11月22日
https://ameblo.jp/yyoshi5515777/entry-12639521833.html


今日は良い天気で、、、、

なので久し振りにしまい込んであったスピーカーを引っ張り

出して見ました。

2年ほど前にも聴いたのですが、その時の印象が悪かったので

しまい込んだのですが、、、、何か気になって引っ張り出しました。

英国は ワーフデル 砂入りバッフルの SFB/3 です。

ダルキスト、QUADのESLと通じるデザインです。

但しこのワーフデルは後面開放の、、、、、平面バッフル仕様です。

私が購入した時 ツイータ、ミッドのスピーカーが欠品しておりまして

その後 オリジナルではないのですがツイーターを購入 ツイーターは

上を向いていて直接音は聴けません。

ミッドレンジは適当に Super8−RS/DD を仮付けしてます。なのでオリジナルの

ミッドは今も探してます。

世間ではこのような状態を   ミッドもない と云うらしいです。(笑)

ネットワークは持たず コンデンサーで低域カットをしているだけです。

元々購入した時から状態はあまり良くなかったので、、、そのまま維持です。

朝からセッティング、、、、、、、と云ってもポンッ と置いたけですけど


外観からはクラシックに向きそうですが、、、、JAZZもなかなか良いです。♪♪

動画UPは ちあきなおみ にしました。 聴きなれた声の方が判断し易いからです。

鳴らしたアンプは UZ−42シングル(3結) です。SFB/3は効率も良いので

これでも十分な音で鳴ります。

UZ42シングルアンプ完成!! \(^o^)/ | Yさんの好きなもの


UPした画像ではどう云う風に聞えますか?

やはり 30cm のウーハー2個がなると狭い秘密基地の部屋では
結構な低音に聞えます。

まあ〜 狭くなるけどしばらく聴いてます、


そのうち調子も上がってくるでしょう。


ではでは
https://ameblo.jp/yyoshi5515777/entry-12639521833.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1091.html#c9
[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
51. 中川隆[-8915] koaQ7Jey 2020年12月26日 21:47:01 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[3]
平面バッフルの部屋 平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
2020-09-13
1つの到達点(現在の基本形)
https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/09/13/082111


これまで、いろいろに試行錯誤をしてきたが、どうにか心地よく聴けるスピーカーにたどり着けたと思う。

竹による平面バッフルスピーカー
https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/09/13/082111

竹平面バッフルスピーカー

写真は竹合板を使った平面バッフルスピーカー。サイズは横60cm、縦90cm、厚さ2.5cm。その周辺に15cmくらいの羽(板)を付けている。竹は木材の中で、音の伝達速度が最速だそうな。
音の特長は、自然で、濁りがなく、響きがいいこと。

フルレンジユニットは8P-HF1
https://openbaffle.hatenablog.com/

Ashidavox 8P-HF1(20cm, 8Ω, 5W)

メインユニットは史上最高のフルレンジユニットの1つだと思うAshidavox(アシダボックス)の8P-HF1(センターではなくバッフルの一番下に着いているのは音のためではなく、歴史的経緯によるもの:笑)。

音は、とにかく自然で誇張がなく、それでいて反応がよく、歪がなく、透明感が抜群。20cmフルレンジとしては信じられないほどの低音まで出せ、中低音の色気のある音にはぞくっとさせられる。さらに褒めてあげれば、聴き疲れすることなく何時間でも聴いていられる。実際に20時間くらい聴き続けたことがあるが、眠くならなかったらまだ聴けた。

弱点は高音があまり伸びないことだろう。製造後50年以上も経ってるので本来の性能が出ていない可能性もあるが、ネットなどの情報を勘案するとおそらく最初から高音は弱かったのではないか思われる。スペアナで測ってみると、7Kくらいからだら下がりになっている。人によるとは思うが、私はツィターを付けたほうがいい。実際にツィターを付けてみると、高域がだら下がりになっていることがかえってつながりがよくて好都合だったりするので、この弱点は大きな問題ではないと思う。

スーパーツィターとスーパーウーハーで音域拡張
基本はあくまでフルレンジスピーカーなので、ネットワークなどは入れずダイレクトにつないでいるが、フルレンジの特性から高音、低音ともに音域には限界がある。そこで、スーパーツィターとスーパーウーハーで音域を拡張している。ただし、ネットワークによる音質劣化を最小限にするため(それと簡単なため:笑)-6db/octでつないでいる。

スーパーツィターはHitachi H-54H
https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/09/13/082111

スーパーツィターにはHitachiのH-54Hを利用している。接続はコンデンサーだけでローカット。音は、絹のように、自然で繊細で歪がなく美しい。
ツィターはいくつか試してみたが、手に入る価格でこのユニットに敵うモノには出会えていない。ちなみに、いまでもヤフオクなどでペア8000円程度で入手できるのはありがたい。

スーパーウーハーはAltec 604-8G
https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/09/13/082111

8P-HF1は前述したように、すごく低いところまで(25Hzくらいまで)低音が出るのだが、平面バッフル方式のためその音量は周波数低下と共に減衰していく。やはりスーパーウーハーはあったほうがいい。

スーパーウーハーには、Altecの名器604-8Gをウーハーパートのみで利用している(515B相当?)。接続はコイルだけでハイカット。ユニットの能率が103dbと、現代では考えられないほど高いので、平面バッフル方式の低音減衰を補ってお釣りがくるのがいい。

音は、Altecらしいタイトで分解能の高い低音で気に入っている。

p.s.
この平面バッフルシステムの特長は、各ユニットを簡単に交換して視聴できることだ。その辺の実験は、また今度。


参考:

8P-HF1
http://www5b.biglobe.ne.jp/~tritium/8phf1.htm

オーディオの足跡 Lo-D H-54HD
https://audio-heritage.jp/LO-D/unit/h-54hd.html

オーディオの足跡 ALTEC LANSING 604-8G
https://audio-heritage.jp/ALTEC/unit/604-8g.html

(fin)
https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/09/13/082111

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c51

[近代史4] オーディオ関係ブログへのリンク 中川隆
2. 中川隆[-8913] koaQ7Jey 2020年12月26日 21:49:27 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[5]
平面バッフルの部屋
https://openbaffle.hatenablog.com/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1208.html#c2
[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
38. 中川隆[-8912] koaQ7Jey 2020年12月26日 21:49:56 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[6]
平面バッフルの部屋
https://openbaffle.hatenablog.com/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html#c38
[リバイバル3] ウェスタンエレクトリック伝説 中川隆
203. 中川隆[-8911] koaQ7Jey 2020年12月26日 22:03:38 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[7]
平面バッフルの部屋 平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
2020-10-14
https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446


Western Electric 755A:フルレンジレビュー
レジェンドにして、いまでも世界最高クラスのフルレンジスピーカー
https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446

Western Electric 755A

「ウェスタンエレクトリック 755A」、このスピーカーユニットの背景については多くを語る必要はないのだろう。すでに諸兄が、その歴史や特長を諸所で語っておられる(ご存じない方は「Western Electric 755A」で検索)。私はそれらのレビューや評判を見聞きし、一度は聴いてみたいと願っていた。しかし、その価格は常人の感覚ではおいそれと買えるような値段ではなかった。そこまでは無理、と夢の中だけで止めていた。

そんな私がこのユニットを手に入れるに至ったのは、癌という病気にかかったからだった。時間を大事にしようと思ったとき、オークションで指が動いていたw。そんなユニットなので、実際にテスト・視聴したことを報告したい。

スペック
スペックは以下の通り。

https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446

(ネットからの情報と実物からの情報で私が作成したものだが、発売年はちょっと怪しい。正確な発売年をご存じの方は教えていただければありがたい)

外観
https://openbaffle.hatenablog.com/

浅型のコーン紙に、大き目のセンターキャップ、2本のコルゲーション(同心円状の凹凸)に特徴がある顔。この顔は、その後Altecになっても継承されている。

https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446

アルニコマグネット、強固なフレームで安定感がある。茶色の部分は布のようなもので通気性がある。

https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446

これはコーン紙の拡大写真だが、全面にディンプル(くぼみ)が施されているのがわかる。ディンプルは空気の整流効果やねじれ力を防止し歪を抑制する効果があるそうだが、2本のコルゲーションと共に歪の防止に役立っているのだろう。

https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446

エッジはコーン紙をそのまま延長したフィクスドエッジだ。製造後70年以上経っているだろうに、穴1つない。

F特
視聴は以下の竹平面バッフルで行った。一番下が755Aだが、上のスーパーツィターとスーパーウーハーは鳴らさず、純粋に755Aフルレンジ一発だ。

https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446


視聴感の前にF特を紹介しておこう。以下は、竹平面バッフルに装着した状態で、軸上1mで収音した結果だ。

https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446

WE 755A F特(軸上1m、WaveSpectraにて)


きれない特性だと思う。100Hzから8KHzくらいまで概ね平坦で、それより先は上も下もなだらかに落ちていっている。1KHzあたりに少しピークがあるが、これが音の個性になっているようだ。


視聴感想
一言で言えといわれれば、明瞭。いろいろ言ってよければ・・・、音がクリアー、明かるく前に出る、情報量が多い、音に芯がある、バランスが抜群、人の声がリアル、中域から低音にかけての音に色気を感じる。周波数帯域はF特の通り広くはないが、低音も高音もちゃんと出ている。特に低音の音質は平面バッフル方式と相まって、どのユニットよりも魅力的。ドラムやコントラバスの音など、ずっと聴いていたくなる。

強いて弱点を言うなら、低音の量感がさらにあればいいことと、音量を限界近くまで上げていった際に、少し歪が出始めることくらいだろうか。
これが70年以上前に作られたものとは・・・。信じられないが、外観も古びてないし、それ以上に音は現代でも世界最高クラスのクオリティーだ。

このユニットを手に入れて本当によかったと思う、と同時に、これまでのスピーカー開発の歴史とは何だったんだろう、と思ってしまう。少なくても言えることは、ダイナミックスピーカーは70年前におおかた完成していたということだ。(fin)

https://openbaffle.hatenablog.com/entry/2020/10/14/203446
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c203

[近代史4] ウェスタン・エレクトリックのスピーカー 中川隆
7. 中川隆[-8910] koaQ7Jey 2020年12月26日 22:05:35 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[8]
ウェスタンエレクトリック伝説
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/502.html#c7
[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
39. 中川隆[-8907] koaQ7Jey 2020年12月26日 22:37:55 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[11]
平面バッフル・スピーカーシステム
http://roktal.com/buffle_sp.html

平面バッフル・スピーカーシステムの前景平面バッフル・スピーカーシステムの後景バッフルには30cmのユニットが付く穴が空いています。

材質 クリ
仕上げ オイル・フィニッシュ
サイズ 幅・800×奥行・380×高さ・1000(mm)
価格 \150,000 (ユニット別・1本)


もともと自分の道楽用に作ったものです。厚さ27ミリのクリの無垢板の平面バッフル型スピーカーシステムです。ジャンク!フルレンジユニットの楽しみ にあるように、手持ちのスピーカーユニットを取りつけて音楽を聴いています。

前から見ると、ただの板に穴を空けただけのものですが、背面は複雑で強固な補強をしています。言うまでもなく、無垢板を使う以上必要となります。机の天板の加工と同じように、吸付き桟という組手で、無垢板のバッフルの収縮を逃がしながら反りを押さえています。

30cmのユニットは、バッフルに直接取り付け、それ以外の小口径のユニットはサブバッフルを介して取りつけます。

四辺いずれを下にしても設置出来るようにしてあります。それにより振動板と床の相対的な位置関係が変ります。

バッフルの開口部分は、二本の桟を残す形で穿ってあります。これだけで、ずいぶん加工の手間がかかるのですが、フルレンジユニット以外のウーファユニットを取りつけた際に、ツイータを取りつけ仮想同軸の配置をするためです。私は、フルレンジもしくは同軸のユニットが好きで、どうも、二次元的にユニットが別々に付いたものに拒否反応があります。

音は、好き好きですから何ともいえません。この種の平面バッフルは、振動板とバッフル端の距離により低音域でのピークやディップが出やすいと言われています。また、ある音域から下の周波数では、回り込みにより全く音がでないとされます。理屈ではその通りなのですが、実際には床や背面、側面の壁やの影響もあって、極端なピークもディップも感じません。ステレオ用に二つのバッフルを並べると、その相互の関係もあります。

個人的な感想を述べると、背面に不用な負荷のかからない、またバスレフとかバックロードホーンと言ったインチキな方法で低域を補わない伸び伸びとした鳴り方は、たいへん心地好い。これまで、密閉箱とかバスレフタイプの箱をいくつか作ってきましたが、もうああした窮屈な音には戻れないと感じています。

ただし、取りつけるユニットは選びます。軽い振動板で高能率の音の抜けの良いユニットが必要です。最近の、低能率の重い振動板のユニットの場合、バッフルの廻りに音がへばり付いたような、つまらない死んだような音になってしまいます。
http://roktal.com/buffle_sp.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html#c39

[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
40. 中川隆[-8906] koaQ7Jey 2020年12月26日 22:39:42 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[12]
シーメンス SIEMENS COAXIAL 平面バッフル フルレンジ @31425
https://afroaudio.jp/products/detail.php?product_id=4942


販売価格(税込): 70,000 円
メーカー: SIEMENS

シーメンス SIEMENS COAXIAL 平面バッフル フルレンジ @31425


バッフルサイズ
W605×H1243(脚含む)×D350(脚部分)mm

音出し確認済みです。良い音で鳴っています。

外装は、小傷や汚れは見られますが、目に付くような傷や
破損などはありません。

https://afroaudio.jp/products/detail.php?product_id=4942
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html#c40

[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
41. 中川隆[-8905] koaQ7Jey 2020年12月26日 22:49:51 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[13]
ワーフェデール 後方開放・無指向性フロア型スピーカー SFB/3
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1091.html


久し振りの ワーフデル SFB/3 砂入りバッフル
https://ameblo.jp/yyoshi5515777/entry-12639521833.html





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html#c41
[近代史4] エドヴァルド・ムンクの世界 中川隆
3. 中川隆[-8904] koaQ7Jey 2020年12月27日 00:11:30 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[14]
世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
19世紀末のドイツの雰囲気を一番良く伝えているのはエドヴァルド・ムンクがベルリンに住んでいた頃の絵
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/344.html#c3
[近代史5] 西洋の文学
西洋の文学

聖書の世界

西洋の達人が悟れない理由
03. 中川隆 2011年1月29日 U. エロスの深層
神様が人間を創った理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html

アナーキストが誰にも相手にされない理由 _ 一般大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいる
アダムとイブはサタンのお陰で神の専制支配から逃れることが出来た。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/737.html

イエスの本当の教え
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/507.html

イエスが殺された本当の理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/371.html
 
欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html

西洋の達人が悟れない理由
02. 2010年12月13日 11:02:56: ロシアのキリスト教
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html

参考資料 _ トマス福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/372.html

参考資料 _ ユダの福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/373.html

参考資料 _ 聖イッサ伝  
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/374.html

参考資料 _ マリアによる福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/375.html

参考資料 _ マルコによる福音書(文語訳)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/376.html

参考資料 _ 舊約聖書 傳道之書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/550.html

参考資料 _ ヨハネの默示録 (文語訳)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html

▲△▽▼

カール・グスタフ・ユングの世界

ヨブへの答え – 1988/3/11
C.G. ユング (著), 林 道義 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A8%E3%83%96%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AD%94%E3%81%88-C-G-%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0/dp/4622012189

キリスト教とユング _ グノーシスってなに? 
http://www.j-phyco.com/category5/entry62.html

欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/200.html

独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
01. 中川隆 2010年7月11日 奇跡は奇跡では無かった話
ユングに易を伝えた宣教師・ヴィルヘルム
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html#ctop

リヒアルト・ヴィルヘルムと易
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/606.html

他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ _ フロイトが妄想だと信じた近親相姦の話はすべて事実だった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html

オーディオ・オタクの性格 _ ユング性格学概説
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1044.html

秦氏は本当にユダヤ人なのか?
「集合的無意識」という概念
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/414.html

▲△▽▼

ドストエフスキーの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html

西洋の達人が悟れない理由
02. 2010年12月13日 11:02:56 ドストエフスキー『白痴』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html

黒澤明 ドストエフスキー『白痴』
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/617.html

文学も人間も全然わからなかった黒澤明の 白痴 (松竹 1951年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/173.html

無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した
1. 中川隆 2018年1月24日 悪霊のキリーロフ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#ctop

日本のフツーの男はみんなロリコンだった
16. 中川隆 2018年12月22日 B ドストエフスキー E・H・カー著「ドストエフスキー」筑摩書房 筑摩叢書106
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/108.html#c16

アナーキストが誰にも相手にされない理由 _ 一般大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいる
1. 中川隆 2017年7月06日 カラマゾフの兄弟 大審問官
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/737.html#c1

ドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか 2019年4月19日
アレクサンドラ・グゼワ
https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka

▲△▽▼

ニーチェの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html

アドルフ・ヒトラーの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html

ミラン・クンデラ 『存在の耐えられない軽さ』_ 参考資料 _ 舊約聖書 傳道之書
『ツァラトゥストラ』重さの霊
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/550.html

サルはなぜサルか 1 _ 白人崇拝がタイ人を猿にした
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/396.html

なぜ人を殺してはいけないのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/426.html

ニーチェが耽溺したワーグナー トリスタンとイゾルデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/375.html

▲△▽▼

エドガー・アラン・ポーの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/635.html

メーテルリンクの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/636.html

ホーフマンスタールの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/637.html

マーク・トウェインの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1072.html

エドモンド・デ・アミーチス 『クオーレ 母を尋ねて三千里』
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/865.html

黒澤明 「デルス・ウザーラ」 から見た”精霊信仰”
_ ウラジミール・アルセーニェフ 「デルス・ウザーラ」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/738.html

▲△▽▼

世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
17. 中川隆 2020年3月23日
世紀末の作家 アントン・チェーホフ. Anton Chekhov. 戯曲『かもめ (The Seagull)』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c17  

チェーホフの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/633.html

カフカの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/372.html

カミュの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/427.html

ミラン・クンデラの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/452.html

ミヒャエル・エンデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/846.html



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/466.html

[近代史4] ポール・ゴーギャンの世界 中川隆
3. 中川隆[-8903] koaQ7Jey 2020年12月27日 00:34:12 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[15]

世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
世紀末の画家 ポール・ゴーギャン
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c32
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/346.html#c3
[リバイバル3] 相次ぐ“バックカントリー”事故 中川隆
31. 中川隆[-8902] koaQ7Jey 2020年12月27日 01:18:02 : 9zopa4klGE : c3ZlY3dxYnpGdFk=[17]

41歳会社役員、妻子とスノボ中コース脇の雪に埋もれて死亡 [402859164]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1608986808/


1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ブーイモ MMc1-3r5u)2020/12/26(土) 21:46:48.95ID:Ny4Ga6bGM?2BP(2222)>>10

妻子とスノボ中、雪に埋もれて死亡 41歳の会社役員:朝日新聞デジタル
2020年12月26日 21時14分

 26日午後1時40分ごろ、新潟県湯沢町土樽の湯沢パークスキー場で、スノーボードをしていた男性が雪に埋もれる事故があったとスキー場関係者から119番通報があった。男性は病院に搬送されたが、死亡が確認された。

 県警南魚沼署によると、男性は横浜市緑区竹山の会社役員、日吉健浩さん(41)。妻と子2人の家族4人で中上級コースを滑っていたところ、姿が見えなくなったため、家族からの連絡を受けたパトロール員が捜索。コース脇の雪が積もった場所で埋もれている日吉さんが見つかった。
https://www.asahi.com/articles/ASNDV71R4NDVUOHB00D.html


10番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ dbc2-80jV)2020/12/2
>>1
昔はスノボは10代、20代がやるもの。 40代以上はスキーっていうのが決まりだったんだが、今は41歳でもスノボやってる恥ずかしい中年がいるのか


35番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 8fe2-hj9T)2020/12/26(土) 21:57:46.13ID:jfm9ZbvK0>>87
>>10
その10代20代がスライドして
40代になったんよ

66番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW ff8e-gOLd)2020/12/26(土) 22:07:37.24ID:0Pa3bv3b0
>>10
その若者がそのまま持ち上がっただけだぞ
同様にスキーは60代になってる
後は大人に連れられた子供もいるけど青年層はどっちも全然いない

36番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (スプッッ Sddb-3wO3)2020/12/26(土) 21:57:52.78ID:y4JXIDB4d
スノボって足固定されてるから新雪深いところに突っ込むとマジ動けなくなるんだよね

37番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 7f01-l0lS)2020/12/26(土) 21:57:57.19ID:LPxCpuZH0
41歳にもなってスノボなんかするから


42番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウクー MM23-ayDA)2020/12/26(土) 21:58:37.52ID:vUZiZrJaM
スノボって禁止にしたほうがよくないか?
スキーで代替できない機能なんかあるのか?

43番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (スッップ Sdaf-XFZG)2020/12/26(土) 21:58:58.25ID:oFVvMEjOd
ボーダー死にすぎじゃないか
スキーしかやらないけど
リフトの上から逆エッジ食らってるのを見てるだけでも怖いわ

68番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウウーT Sadd-yqWy)2020/12/26(土) 22:07:56.32ID:EtD6JTeya?2BP(1500)

スノボー客、雪に埋もれ死亡 東京の33歳女性、湯沢で:朝日新聞デジタル [615288645]

新潟県湯沢町三俣のかぐらスキー場で16日午後1時40分ごろ、スノーボードをしていた東京都江戸川区西瑞江3丁目の会社員、三堀真由子さん(33)が転倒し、新雪に埋もれる事故があった。一緒にスキー場に来ていた友人2人に救出され、病院に搬送されたが、死亡が確認された。県警南魚沼署によると、死因は窒息死だったという。

 県警によると、三堀さんは友人とスキー場内の「ジャイアントコース」を滑っている途中だった。ゲレンデ脇に新雪が1メートルほど積もった場所があり、そこで誤って転倒し、そのまま埋もれたという。事故当時の天候は吹雪だった。
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1608375528/


41番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 667b-WcWr)2020/12/19(土) 20:08:40.72ID:79G6ndWI0>>46>>53
いまいち状況がつかめない
新雪に突っ込んで窒息なんて意味がわからない


53番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 3bde-MUfx)2020/12/19(土) 20:15:02.81ID:d83f/UdU0
>>41
BCだと割とよくある
激パウだといきなり板刺さってぶっ倒れてなんてザラ


15番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW fa27-kgu7)2020/12/19(土) 20:01:47.38ID:BaFzYPB/0
吹雪の中滑ってて前が見えず身長くらいの高さに積もった新雪に突っ込んだことあるけど身動き取れなくて死ぬかと思った


91番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW ae32-tUOL)2020/12/19(土) 22:40:18.65ID:SCAxRKvp0
スキーなら板外れるから助かったのにね


93番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW c3c9-JLmQ)2020/12/19(土) 23:15:32.75ID:GSwWBmUv0
ボトムレスパウダーでコケるとこうなる
板はひっかって上に、手や頭が下に
ツボ足で立っても頭まで埋もれるようなボトムレスパウダーじゃ手でもがいて必死に立ち上がろうとしても雲を掴むような状態
まず落ち着いて顔の周りに空間を確保してからやらんといかんのだがパニクってもがくとこうなる

95番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アークセー Sxb3-p2Ii)2020/12/19(土) 23:18:40.67ID:sy48A8Eux
昔、深い新雪に埋もれて死にそうになったわ
いくら掻いても前に進めないし脱出出来ないんだよな


50番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (テテンテンテン MMe6-qimI)2020/12/19(土) 20:13:25.78ID:kF7IlgRXM?2BP(1000)

スノボは一歩間違えたら死ねるからな
俺もあのときヘルメット被ってなかったら死んでたよ


14番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 53e2-++9n)2020/12/19(土) 20:01:20.88ID:eI4x0IQq0>>101
一人で起き上がれんの

101番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ c3cc-FZ4g)2020/12/19(土) 23:22:15.98ID:D2P4p9mJ0
>>14
本当に雪に潜っちゃうと男でも這い上がって来るのがキツイから
女だと出てこれないと思うわ

108番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 6ac5-fa5L)2020/12/20(日) 01:43:44.38ID:Lnhn0kvG0
動けば動くほど隙間がなくなるわけだろう
助けを呼ぼうと口を開くと口の中に入ってくる
怪我とかのダメージもないし意識もはっきりしてるとこからスタート
恐怖だよな

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html#c31

[近代史5] 大雪の前に、どんな準備をしたらいいのか?気をつけるべきポイントは? 中川隆
1. 中川隆[-8901] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:35:59 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[1]
怨霊注意 _ 雪道の怖さを伝える日本のCMが怖すぎて外国人をビビり散らしていた件
雪道運転テクニック
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/570.html#c3

冬は車のサビに注意! 夏よりも厄介な「塩害」トラブルの回避方法とは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1023.html

「硫安」や「塩化カルシウム」が金属やスキーのエッジに付いたら必ず洗い流そう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/932.html

プロパンガスの高すぎる料金の謎
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/681.html

コストが安い暖房は? 優秀なコタツ、ファンヒーター
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/926.html

暖炉や薪ストーブはもう古い
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/529.html

暖炉型電気ヒーターの実用度
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/876.html

寒冷地での水道管の凍結を防ぐには
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/524.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/463.html#c1

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
219. 中川隆[-8900] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:46:19 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[2]

From NY
2020年12月27日
「区別は差別ではない」の理論
南部の保守派クリスチャンたちの素顔(3)
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21709

 2020年12月、カンサスで郡保安局警察官が、非武装の黒人男性をパトロールトラックで追い詰め、意図的にひくという信じがたいビデオ映像が公開された。映像には車輪の下になって倒れている黒人男性に、白人の警官3人が銃を向けながら近づいていく姿が映されている。

 被害者自身、退職したばかりの元警官で、ハイウェイを運転中に職務尋問で止められたという。最初は免許証の提示など普通に応じていたが、さらに3台のパトカーが現れて周りを囲まれたこと、目撃者もいない郊外で夜間だったため、命の危険を感じて徒歩で逃亡したという。

 元警官の黒人が、白人警官に囲まれて「何をされるかわからない」と身の危険を感じた、というところに、この国の人種差別問題の根深さを感じずにはいられない。

「白人の彼女がいるって本当?」
 2000年の国勢調査によると、筆者が高校時代を過ごしたノースカロライナ州の黒人人口は全体のおよそ21%だという。全米の州の中で、黒人人口の比率は8番目に多い。ノースカロライナはかつて綿花とタバコの栽培で栄えていた土地で、これらの黒人の大多数はプランテーションで労働していた奴隷の子孫に違いない。

 だが筆者の通っていた私立高校では、全生徒100人中黒人はたった1人しかいなかった。

 ダグという名前の、すらっとした長身の男の子だった。なぜダグがこの学校を選んだのか、わからない。公立学校のレベル、環境に不満だったのか。差別されることを、心配しなかったのか。でも筆者は、一学年上だった彼と言葉を交わす機会はなかった。


(Matvey Troshinkin/gettyimages)
 ある日、体育館で体育の授業を終えて一息ついていたときのこと。片隅のバスケットボールのコートで一人黙々と、ダグがシュートの練習をしていた。

 トントン、とドリブルしてはシュートを繰り返すダグの周りを、気が付いたら体育の授業を終えたクラスの女子たちがぐるりと取り囲んでいた。

 「ねえダグ、聞きたいことがあるの」口火をきったのは、ちょっとこまっしゃくれたマルセーユという女の子だった。

 「何かな?」

 「あなた、白人のガールフレンドがいるって聞いたけど、本当?」

 「そうだよ」

 「ウソばっかり」

 「ウソじゃないよ」

 「じゃあ、彼女の名前は?」

 「ウェンディ」

 「あははは、その名前、今考えたんでしょ」

 マルセーユの周りにいた女の子たち数人も、声を揃えて嘲笑った。

 「違うよ」

 ダグは、こんなことは慣れているといった様子で、淡々と受け答えた。

 視線をゴールから一度もそらさずシュートを続けていたけれど、やはり居心地悪くなったのだろう。しばらくするとボールを小脇にかかえ、黙って体育館を後にした。

「黒人はジャングルを走る人たち」
 英語も不自由しなくなった現在の筆者なら、迷うことなく女の子たちを一喝して説教の一つもかましただろう。

 だが当時まだ15歳だった筆者は、モヤモヤした気持ちを抱えながらも口を出すことなく黙って見ていた。それまで日本で普通に暮らして、「人種差別はいけないこと」と教えられて育った。でも日本の地方都市では、「人種差別」というのがどのような形で現れるのか、肌で実感する機会はそれまでなかった。

 「ジェニー、聞きたいことがあるの」

 女の子たちが一人二人といなくなった後、筆者はグループの中で比較的大人しいジェニーという女の子にそう声をかけた。ブルネットに青い目のジェニーは、英語の不自由な留学生に対しても、辛抱強く相手をしてくれる少数派の温和な同級生だった。

 「あなたたちは、どうして黒人を差別するの?」

 当時の英語力では、湾曲な表現などできるはずもなく、こう直球を投げるのが精いっぱいだった。ジェニーは、少しも驚いた様子を見せずに、大人が子供に言い聞かせるように、ゆっくりこう説明してくれた。

 「あのね、黒人たちはついこの前までジャングルの中を裸足で走り回っていた人たちなの。私たちよりも遅れているから、差別されても仕方ないのよ」

 その彼らを故国から拉致して、鎖につないで連れてきたのはあんたらの祖先だろう。と言いたかったが、悲しいかな、英語が思うように口から出てこない。ジェニーの、悪気のない透き通るような青い目を見て、筆者は黙り込んでしまった。 

白人の教会
 週に3回通わされていた教会では、集まってくる信者の99パーセントは白人だった。当時の筆者は知らなかったが、黒人たちの大多数は、黒人専用の教会に通っていた。

 ごくたまに白人の教会にも恐る恐る、といった様子でやってくる黒人の家族がいた。すると教会のボランティアたちが、大仰に「Welcome!(ようこそ!)」と大声で言って、彼らに握手を求めに行く。その姿はどこかわざとらしく見え、こう言っては申し訳ないが「私は人種差別しませんから」と誇示するためにやっているように見えた。子供心に、なぜもう少し自然に溶け合えないものなのだろうか、とモヤモヤした。

 サザンバプティストの教会の牧師たちは、なぜか不思議とみんな同じような目をしていた。

 歯磨き粉のコマーシャルに出てくるような笑顔をこちらに向けても、彼らの目は私の目ではなく、私と彼らの間にある空間のどこかを見ているのである。

 ある日曜日の朝、いつものようにぼんやりと牧師の説教を聞いていた。

 「黒人もアジア人も、私たちの兄弟です。私たちは、彼らを愛する努力をしなくてはいけません」

 はっとして、半分寝ていた頭に警報が鳴った。

 「でも区別と差別は、別なものです。私たちは、そのことを混乱してはいけないのです」

 祭壇から離れた後方のベンチに座っていた筆者には、前から並んで座っている大勢の信者たちの頭が同意するように、揃ってうんうんと頷くのが見えた。

 ああ、これは。まだティーネージャーだった筆者にも、牧師が口にしたことがどのような意味であるのかわかった。

 アメリカには、かつて悪名高いジム・クロウ法というものがあった。

 1865年に南北戦争が終了してから、連邦政府は奴隷から解放された黒人にも基本的な人権を保証した。だが1877年に連邦軍が撤退すると、南部の州政府は黒人を始めとする有色人種が白人と同じ公共施設を使用するのを禁じるジム・クロウ法を次々と可決しはじめた。学校はもちろん、乗り物、宿泊施設も、黒人は白人と同席が禁じられた。そして1896年には、連邦最高裁がこれを「分離しても平等」であるとして、合法としたのである。

 まさに「区別は差別ではない」の理論だった。

 1964年7月、リンドン・ジョンソン大統領が公民権法に署名してジム・クロウ法は廃止された。考えてみれば筆者が留学した1977年は、それからわずか13年しかたっていない。筆者の同級生たちの親たちも、祭壇から説教していたサザンバプティストの牧師たちも、「人種差別」は合法だった南部で育ったのである。

 冒頭のカンサスの事件でもわかるように、アメリカ社会の人種差別問題は決して過去の話ではないのだ。(次回に続く)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c219

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
220. 中川隆[-8899] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:49:41 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[3]

From NY
2020年10月28日
米国「保守派」クリスチャンたちの素顔
もう一つのアメリカ、筆者の見た保守派の南部の高校生活
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189


 いよいよ大統領選を迎えようとしている現在、アメリカは保守派の共和党と、リベラルの民主党の真っ二つに分裂している。

 筆者がアメリカに移住したのは、1977年の春、カーター大統領政権が誕生して間もなくのことだった。あれから43年この国に住んでいるが、現在のアメリカほど分裂したアメリカを見たことがない。

 40年間住んでいるこのニューヨークは、国際色豊かで文化の懐の深い街である。でもここにいると、アメリカ合衆国全体の、保守的、閉鎖的で、自分たちと異質なものには徹底的に排他的な側面を見失いそうになってしまう。

 実は筆者が初めて暮らしたアメリカの地は、ノースカロライナ州だった。南部でもディープサウスと言われるほどの僻地ではないものの、現在でも共和党が多数派の土地である。


ノースカロライナ州シャーロットの歴史的建造物(/gettyimages)
 当時はまだ高校生で英語力も限られ、社会に対する理解力にも限界があった。それでもアメリカの保守派とされる社会を生の体験できたことは貴重な体験だったし、今振り返るとトンでもないこと、面白いこともたくさんあった。

「ロックは悪魔の音楽なのよ」

 筆者が10年生(日本の高校1年)として入学した先は、プロテスタント、サザンバプティスト派(南部バプティスト派)の高校だった。

 留学を許してくれた両親は、ミッション系の学校なら治安も良く、留学生活も安全だろうという思いを持っていたと思う。ところが実際に行ってみると、それがものすごく日本的な勘違いだったことに間もなく気が付いた。

 サザンバプティスト派は、トランプ再選の鍵を握ると言われている福音派の最大の一派で、信者は1500万人いると言われている。筆者が直に触れた彼らの信仰、思想は、日本人がイメージする「クリスチャン」とはかけ離れたものだった。そんなこともわからずに留学した筆者は、誤解を恐れずに言うなら、白人カルト集団にアジア人のティーネージャーの娘が一人でノコノコ乗り込んで行ったようなものだった。


ノースカロライナ州シャーロット(klenger/gettyimages)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189


 最初にたどり着いたのはノースカロライナ州シャーロット郊外にある、大学付属の英語学校だった。東京のクリスチャン系の留学コンサルタントを通して、全国から集まった同年代の女の子が筆者もいれて5人(ちなみに男の子たちは、年頃の男女を数カ月一緒にしておくと風紀上問題ありという理由から、フロリダの英語学校に送られていた)夏の間ここで英語を学び、9月からそれぞれの高校に振り分けられる予定になっていた。

 英語学校の編入試験が終わった頃、筆者は留学コンサルタントの田中氏の車で、候補の高校のキャンパス見学に連れていってもらった。

 行った先は、サウスカロライナ州グリーンビルにあるボブ・ジョーンズ大学高等部。アメリカ人なら、名前を聞けばすぐにぴんとくる有名校である。だがそれは、良い意味ではない。

 「大学も付属している南部一の名門校だよ。ぼくが紹介できる学校の中では、ここがぴか一なんだ」と、田中氏は嬉しそうに強調した。校門前に大きな噴水があって、まるでリゾートのようだった。

 田中氏と旧知の仲だという校長に挨拶すると、彼は日本人とアメリカ人のハーフの女の子を連れてきた。ジェニーというその学生が、まだ英語もつたない筆者のために日本語でキャンパス案内をかって出てくれたのだ。ここなら楽しい高校生活が送れるかも。そう思っていた矢先、筆者にとってはカルチャーショックともいえる出来事が起きた。

 「ねえ、あなたはどんな音楽を聴くの? クイーンとか好き?」

 もともと筆者が高校留学を希望したのは、小学生の頃から聞き始めたロック音楽がきっかけだった。英語文化にめざめ、海外留学をして将来は通訳になりたいと憧れていた。

 でも筆者にそう聞かれたジェニーは、さっと蒼ざめた。目を大きく見開いて、顔をこわばらせている。返ってきたのは、こういう返事だった。

 「ロックは、ここでは禁止されているのよ。だってあれは、悪魔の音楽ですもの!!」

 悪魔の音楽…。今度は筆者の顔が思い切りこわばった。

 筆者は当時も現在も、クリスチャンではない。でも小学生の頃は友人たちと誘い合わせてプロテスタント系の教会の日曜学校に通い、中学はカソリック系の女子校に行った。聖書もたっぷり読んだし、お祈りも讃美歌も覚えた。カソリック系女子中学は、服装などの規則はものすごくうるさかったものの、さすがにロックが悪魔の音楽だなどと極端なことを言われたことは一度もない。

 これがサザンバプティストとの、初めての出会いだった。

異人種間の交際は禁止
 ジェニーに何と答えたのか覚えていない。記憶にあるのは、彼女が最後に恍惚とした表情を浮かべて、両手でぐるりと円を描いてこう言ったことである。

 「この学校にいるとね、神様がすぐここにいらっしゃるのがわかるの!!」

 ジェニーの薄茶色の瞳が何もない空間を見つめているのが、とても怖かった。

 こりゃまずい。そもそもクリスチャンではない私には、とても歯が立たない場所だと子供なりに理解した。この高校だけは無理です。そう伝えると、田中氏はもんのすごく不機嫌になったが、他の高校を紹介することに同意してくれた。

 後に調べるとこのボブ・ジョーンズ大学は、人種差別で悪名高いところだった。

 創立以来、黒人の生徒の入学を許可していなかったため、連邦国税庁から教育機関としての税金優遇対象からはずすと脅され、しぶしぶ黒人の受け入れを始めたのが1971年。だがそれから5年間は、黒人は既婚者のカップルのみ入学許可してきた。奇妙な校則だがその理由は、学校内で異人種間の交際を禁じていたためである。この異人種間の交際禁止という校則はなんと2004年まで続いた。当時の筆者がここに入学していたら、当然白人のボーイフレンドなどできなかっただろうし、万が一アジア人以外の彼氏を作ったら退学になっていたわけである。

 これがアパルトヘイト制度下の南アフリカ共和国でもなく、ナチ政権当時のドイツのことでもなく、近代のアメリカ南部の現実だった(ついでに言うと、キャンパス内でのロック音楽禁止は現在もまだ続いているらしい)。

 考えてみれば白人と日本人の混血だったジェニー自身、学校のポリシーに反する罪の象徴の存在だったはずである。もう一度彼女に会うことができるのなら、それをどう受け止めていたのか聞いてみたかった。信仰と人種偏見が、どう両立するのかも校長に聞いてみたかった。

 そもそもこんなところに日本人留学生を紹介しようとした田中氏も、どのくらい南部の保守的な校風を理解していたのだろうか。

 さて危ういところでボブ・ジョーンズを抜け出し、筆者はそこまで過激ではないノースカロライナの田舎の小さなサザンバプティスト派の高校に入学した。一番近くにある都市は車で30分ほどのウィンストン・セーラムで、市の名前からもわかるように周辺はタバコ畑だらけ。あとは目に付くのは教会がやたらと多いことだった。

 ここでも、びっくりすることの連続だった。

(パート2に続く)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c220

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
221. 中川隆[-8898] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:51:45 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[4]

From NY
2020年11月23日
「信仰とは天国に到達する手段」
保守派のアメリカのクリスチャンの素顔(2)
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21394


 11月3日に行われた大統領選は、数日間かけた集票の結果、民主党ジョー・バイデン候補者の勝利が確実になった。

 集票が拮抗してなかなか結果が出ないスイングステートの中でも、最後まで残っていた州の一つが、筆者が高校時代を過ごしたノースカロライナだった。ピュー研究所の統計によると、州内のクリスチャン人口77%のうち、35%が福音派であるこの州は、基本的に保守派の共和党が多い。

 だが2006年にはオバマ氏が勝利を収めており、今回はどのような結果になるのか筆者も興味深く見守っていた。当時の同級生たちは、どちらに投票したのだろうかと想像しながら。

(前回のコラム『米国「保守派」クリスチャンたちの素顔』から続く)

 筆者は1977年9月、ノースカロライナ州にある寮制の私立高校に入学した。ウィンストンセーラム郊外にある、当時人口1万人ほどの小さな町だった。

 寮制といっても、全校100人余りの生徒のほとんどは、自宅通学のDay Studentだった。

 当時ノースカロライナでは16歳から(現在は18歳)運転免許を獲得することができた。みんな15歳のうちに路上テストを受けて免許証を手にし、16歳の誕生日の朝には両親からプレゼントされた車を運転して意気揚々と学校に来る。車社会のアメリカで、アッパーミドルクラスの家庭にとっては当たり前のことだった。

 「ちょっと見て、あれブライアンじゃない?」

 「ブライアンだわ。今日は彼の誕生日なんだ!」

 医者の息子のブライアンが、シルバーのポルシェで学校の駐車場に乗り付けた日の朝は、さすがに女の子たちが色めき立った。

 一方筆者を含めた10人ほどの寮生は、そんな通いの学生たちとはあまり交わらず、校舎の横にある古いレンガ造りの寮で静かに暮らしていた。

週に3度の教会通い
 車がなければどこにも行けないこの町で、車も免許もない我々寮生は、ひたすら校舎とその横にある寮を往復する日々を送っていた。

 唯一のお出かけは、教会である。

 日曜日は朝と夕方の2回。そして水曜日の夕方の合計週に3回、ミニバンが寮の前に我々寮生を迎えに来た。朝の礼拝はたっぷり3時間。夕方も2時間ほど時間を取られ、まだ半分くらいしかわからない南部訛りの英語の説教をじっと我慢して聞く。正直に言えば、苦痛だった。

 もっとも、嫌だったことばかりではない。

 教会はこの田舎町で、気が済むまでお洒落をして出かける唯一の社交の場でもあった。肌の露出度さえ高くなければ、好きなだけドレスアップして行くことができた。もともとアメリカの学校では一般的に、女子学生が化粧をするのが「悪いこと」という感覚はない。14、15歳から女の子はピアスをし、髪をドライヤーで完璧にセットしてメークをほどこし、マニキュアまできれいに塗って学校にやってくる。お洒落づいた年齢の女の子にとって、大人になるプロセスの一つでごく当たり前のこととして受け止められていた。

 日曜日の朝の礼拝後、月に一度くらい信者たちが手料理を持ち寄ってランチビュッフェが開催されるのも、楽しみだった。ミートローフ、フライドチキン、アップルパイやアイスクリームなど、南部料理はどれも恐ろしく高カロリーだが、手作りのお料理は美味しい。父兄、教師たちは太っている人がほとんどで、肥満体ではない大人は珍しかった。筆者もこのノースカロライナ時代は、あっという間に体重が増えていったのである。

 だがいくら教会に通っていても、筆者はクリスチャンになろうとは一度も思わなかった。子供の頃から好奇心で聖書もかなり読んだけれど、元々実家は曹洞宗である。わざわざキリスト教に入信する必要性を感じなかったし、そもそも団体で集まって人前でお祈りをする、ということが苦手だった。

 それでも毎週3回、迎えのバスが来ると大人しく乗り込んで教会に通った。

「天国行く人は手をあげて」
 連れていかれた教会は、アメリカの人口のおよそ3分の1といわれる福音派の教会だった。

 その福音派の白人信者の80%近くが、共和党とされている。合衆国憲法には政教分離が謳われているものの、現実にはこの南部を中心とした福音派のクリスチャンたちが、現在の保守派共和党の基盤を支えているのである。

 福音派の教会は、会議場に塔をつけたようなシンプルな建物が多い。南部訛りの強い牧師さんの説教はあまり理解できず、ときどき信者の人たちが突然声を上げて泣き出したりするのも、最初はびっくりしてドン引きした。

 だがもっと驚いたのは、ある日の礼拝中のことである。

 「How many of you are going to Heaven? Please raise your hand. (あなたたちの中で、天国に行く人は? 手をあげて下さい)」

 牧師さんがそう言うのを耳にしたときは、最初は冗談かと思った。だが集まっていた信者のほとんどが真面目な顔をして手を高々をあげたときは、もっと驚いて思わず「えええ〜」と声が出そうになった。

 日本のプロテスタントの教会でも、カソリックの中学校でも、そんなことを聞かれた覚えはない。人間側が決めることだと教わったことはなかった。

 「はい、私は天国に行きます」と本気で断言する人がいたら、日本社会では間違いなく「アブナイ人」のカテゴリーに入れられるだろうと思う。

 その「アブナイ人たち」に周りを囲まれていることを子供なりに理解して、じわじわと腹の底から恐怖心が沸いてきた。

福音派の信仰というもの
 寮に戻ってから、シャロンという一学年上のアメリカ人に恐る恐る聞いてみた。アーカンソー州出身の彼女も、高々と手をあげた一人だった。

 「シャロン、今日の牧師さんのお話で、天国に行く人は手をあげて、って言ったよね」

 「ええ、それがどうかしたの?」

 「どうして自分は天国に行く、って断言できるの? 日本では、そんなこと言ったら傲慢だと受け止められるけれど」

 「それはね、聖書に書いてあるからなのよ」

 1歳年上のシャロンは、当時絶大な人気だったファラ・フォーセットのようにきれいにブローした髪をかきあげながら、まだ英語の拙い私に、ゆっくり説明してくれた。

 「新約聖書では、イエス様が『天国の門に到達する方法は、神の子である自分を通して以外の方法はない』とはっきり言っているの。だからイエス様が自分の罪のために死んでくださった救世主であることを受けいれた人は、罪が許されて天国に行くことが約束されるのよ」

 うーむ。それなりに理屈は通っているものの、ちょっとムシの良い話に思えた。

 だがこれが米国の福音主義の根本にある教義なのである。イエス・キリストを救世主であると受け入れるのと引き換えに、天国行きの切符が約束される。キリストの贖罪によって自分の罪は消えたため、隣人を愛せよとか、敵を許せとか、人を裁くなとか、右の頬を叩かれたら左の頬を出せ、というような教えは二の次であり、天国行きには影響しない、というのが彼らの基本的考え方だ。

 福音派クリスチャンが信仰を生活の中心に置く傍らで、白人至上主義であったり、銃所持の規制に絶対反対の姿勢を貫くのは、日本人の感覚ではちょっと理解しがたい。だが彼らの中では矛盾していない。極端に言うなら、彼らにとって信仰とは人として正しい行動をするためのものではなく、キリストと契約を結んで天国に到達する手段なのである。

 (キリストの贖罪は、全てのクリスチャンにとって基本の教義である。だが極端に排他的な米国の福音派はクリスチャンの中でもカルト的とされていて、特殊な存在だ。もっとも信者の中には自分たちの排他的な部分を批判し、人種差別撤退の市民運動を支持し、チャリティ活動に人生を捧げた人たちもいることは、記しておきたい)

 「ではクリスチャン以外の人はどうなるの? 日本にはクリスチャンでなくても、善行を積んだ立派な人はたくさんいるけれど、彼らはどこに行くの?」

 「悪いけれど、クリスチャン以外は全員地獄に行くのよ。いくら良い人だって、クリスチャンでないのなら間違った生き方をしているの」

 答えは予想はしていたものの、面と向かって言われるとショックであった。(考えてみれば、クリスチャンは過去にこうして「原住民の魂の救済」を口実にして、世界中で侵略、虐殺を繰り返してきたのだった)

 これは、エライところに来てしまった。ようやく当時15才だった筆者にも、自分の置かれた状況が飲み込めてきた。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c221

[近代史5] キリスト教原理主義 中川隆
4. 中川隆[-8897] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:52:49 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[5]
From NY
2020年10月28日
米国「保守派」クリスチャンたちの素顔
もう一つのアメリカ、筆者の見た保守派の南部の高校生活
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189

 いよいよ大統領選を迎えようとしている現在、アメリカは保守派の共和党と、リベラルの民主党の真っ二つに分裂している。

 筆者がアメリカに移住したのは、1977年の春、カーター大統領政権が誕生して間もなくのことだった。あれから43年この国に住んでいるが、現在のアメリカほど分裂したアメリカを見たことがない。

 40年間住んでいるこのニューヨークは、国際色豊かで文化の懐の深い街である。でもここにいると、アメリカ合衆国全体の、保守的、閉鎖的で、自分たちと異質なものには徹底的に排他的な側面を見失いそうになってしまう。

 実は筆者が初めて暮らしたアメリカの地は、ノースカロライナ州だった。南部でもディープサウスと言われるほどの僻地ではないものの、現在でも共和党が多数派の土地である。


ノースカロライナ州シャーロットの歴史的建造物(/gettyimages)
 当時はまだ高校生で英語力も限られ、社会に対する理解力にも限界があった。それでもアメリカの保守派とされる社会を生の体験できたことは貴重な体験だったし、今振り返るとトンでもないこと、面白いこともたくさんあった。

「ロックは悪魔の音楽なのよ」

 筆者が10年生(日本の高校1年)として入学した先は、プロテスタント、サザンバプティスト派(南部バプティスト派)の高校だった。

 留学を許してくれた両親は、ミッション系の学校なら治安も良く、留学生活も安全だろうという思いを持っていたと思う。ところが実際に行ってみると、それがものすごく日本的な勘違いだったことに間もなく気が付いた。

 サザンバプティスト派は、トランプ再選の鍵を握ると言われている福音派の最大の一派で、信者は1500万人いると言われている。筆者が直に触れた彼らの信仰、思想は、日本人がイメージする「クリスチャン」とはかけ離れたものだった。そんなこともわからずに留学した筆者は、誤解を恐れずに言うなら、白人カルト集団にアジア人のティーネージャーの娘が一人でノコノコ乗り込んで行ったようなものだった。


ノースカロライナ州シャーロット(klenger/gettyimages)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189


 最初にたどり着いたのはノースカロライナ州シャーロット郊外にある、大学付属の英語学校だった。東京のクリスチャン系の留学コンサルタントを通して、全国から集まった同年代の女の子が筆者もいれて5人(ちなみに男の子たちは、年頃の男女を数カ月一緒にしておくと風紀上問題ありという理由から、フロリダの英語学校に送られていた)夏の間ここで英語を学び、9月からそれぞれの高校に振り分けられる予定になっていた。

 英語学校の編入試験が終わった頃、筆者は留学コンサルタントの田中氏の車で、候補の高校のキャンパス見学に連れていってもらった。

 行った先は、サウスカロライナ州グリーンビルにあるボブ・ジョーンズ大学高等部。アメリカ人なら、名前を聞けばすぐにぴんとくる有名校である。だがそれは、良い意味ではない。

 「大学も付属している南部一の名門校だよ。ぼくが紹介できる学校の中では、ここがぴか一なんだ」と、田中氏は嬉しそうに強調した。校門前に大きな噴水があって、まるでリゾートのようだった。

 田中氏と旧知の仲だという校長に挨拶すると、彼は日本人とアメリカ人のハーフの女の子を連れてきた。ジェニーというその学生が、まだ英語もつたない筆者のために日本語でキャンパス案内をかって出てくれたのだ。ここなら楽しい高校生活が送れるかも。そう思っていた矢先、筆者にとってはカルチャーショックともいえる出来事が起きた。

 「ねえ、あなたはどんな音楽を聴くの? クイーンとか好き?」

 もともと筆者が高校留学を希望したのは、小学生の頃から聞き始めたロック音楽がきっかけだった。英語文化にめざめ、海外留学をして将来は通訳になりたいと憧れていた。

 でも筆者にそう聞かれたジェニーは、さっと蒼ざめた。目を大きく見開いて、顔をこわばらせている。返ってきたのは、こういう返事だった。

 「ロックは、ここでは禁止されているのよ。だってあれは、悪魔の音楽ですもの!!」

 悪魔の音楽…。今度は筆者の顔が思い切りこわばった。

 筆者は当時も現在も、クリスチャンではない。でも小学生の頃は友人たちと誘い合わせてプロテスタント系の教会の日曜学校に通い、中学はカソリック系の女子校に行った。聖書もたっぷり読んだし、お祈りも讃美歌も覚えた。カソリック系女子中学は、服装などの規則はものすごくうるさかったものの、さすがにロックが悪魔の音楽だなどと極端なことを言われたことは一度もない。

 これがサザンバプティストとの、初めての出会いだった。

異人種間の交際は禁止
 ジェニーに何と答えたのか覚えていない。記憶にあるのは、彼女が最後に恍惚とした表情を浮かべて、両手でぐるりと円を描いてこう言ったことである。

 「この学校にいるとね、神様がすぐここにいらっしゃるのがわかるの!!」

 ジェニーの薄茶色の瞳が何もない空間を見つめているのが、とても怖かった。

 こりゃまずい。そもそもクリスチャンではない私には、とても歯が立たない場所だと子供なりに理解した。この高校だけは無理です。そう伝えると、田中氏はもんのすごく不機嫌になったが、他の高校を紹介することに同意してくれた。

 後に調べるとこのボブ・ジョーンズ大学は、人種差別で悪名高いところだった。

 創立以来、黒人の生徒の入学を許可していなかったため、連邦国税庁から教育機関としての税金優遇対象からはずすと脅され、しぶしぶ黒人の受け入れを始めたのが1971年。だがそれから5年間は、黒人は既婚者のカップルのみ入学許可してきた。奇妙な校則だがその理由は、学校内で異人種間の交際を禁じていたためである。この異人種間の交際禁止という校則はなんと2004年まで続いた。当時の筆者がここに入学していたら、当然白人のボーイフレンドなどできなかっただろうし、万が一アジア人以外の彼氏を作ったら退学になっていたわけである。

 これがアパルトヘイト制度下の南アフリカ共和国でもなく、ナチ政権当時のドイツのことでもなく、近代のアメリカ南部の現実だった(ついでに言うと、キャンパス内でのロック音楽禁止は現在もまだ続いているらしい)。

 考えてみれば白人と日本人の混血だったジェニー自身、学校のポリシーに反する罪の象徴の存在だったはずである。もう一度彼女に会うことができるのなら、それをどう受け止めていたのか聞いてみたかった。信仰と人種偏見が、どう両立するのかも校長に聞いてみたかった。

 そもそもこんなところに日本人留学生を紹介しようとした田中氏も、どのくらい南部の保守的な校風を理解していたのだろうか。

 さて危ういところでボブ・ジョーンズを抜け出し、筆者はそこまで過激ではないノースカロライナの田舎の小さなサザンバプティスト派の高校に入学した。一番近くにある都市は車で30分ほどのウィンストン・セーラムで、市の名前からもわかるように周辺はタバコ畑だらけ。あとは目に付くのは教会がやたらと多いことだった。

 ここでも、びっくりすることの連続だった。

(パート2に続く)


221. 中川隆[-8898] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:51:45 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[4] 報告
▲△▽▼

From NY
2020年11月23日
「信仰とは天国に到達する手段」
保守派のアメリカのクリスチャンの素顔(2)
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21394

 11月3日に行われた大統領選は、数日間かけた集票の結果、民主党ジョー・バイデン候補者の勝利が確実になった。

 集票が拮抗してなかなか結果が出ないスイングステートの中でも、最後まで残っていた州の一つが、筆者が高校時代を過ごしたノースカロライナだった。ピュー研究所の統計によると、州内のクリスチャン人口77%のうち、35%が福音派であるこの州は、基本的に保守派の共和党が多い。

 だが2006年にはオバマ氏が勝利を収めており、今回はどのような結果になるのか筆者も興味深く見守っていた。当時の同級生たちは、どちらに投票したのだろうかと想像しながら。

(前回のコラム『米国「保守派」クリスチャンたちの素顔』から続く)

 筆者は1977年9月、ノースカロライナ州にある寮制の私立高校に入学した。ウィンストンセーラム郊外にある、当時人口1万人ほどの小さな町だった。

 寮制といっても、全校100人余りの生徒のほとんどは、自宅通学のDay Studentだった。

 当時ノースカロライナでは16歳から(現在は18歳)運転免許を獲得することができた。みんな15歳のうちに路上テストを受けて免許証を手にし、16歳の誕生日の朝には両親からプレゼントされた車を運転して意気揚々と学校に来る。車社会のアメリカで、アッパーミドルクラスの家庭にとっては当たり前のことだった。

 「ちょっと見て、あれブライアンじゃない?」

 「ブライアンだわ。今日は彼の誕生日なんだ!」

 医者の息子のブライアンが、シルバーのポルシェで学校の駐車場に乗り付けた日の朝は、さすがに女の子たちが色めき立った。

 一方筆者を含めた10人ほどの寮生は、そんな通いの学生たちとはあまり交わらず、校舎の横にある古いレンガ造りの寮で静かに暮らしていた。

週に3度の教会通い
 車がなければどこにも行けないこの町で、車も免許もない我々寮生は、ひたすら校舎とその横にある寮を往復する日々を送っていた。

 唯一のお出かけは、教会である。

 日曜日は朝と夕方の2回。そして水曜日の夕方の合計週に3回、ミニバンが寮の前に我々寮生を迎えに来た。朝の礼拝はたっぷり3時間。夕方も2時間ほど時間を取られ、まだ半分くらいしかわからない南部訛りの英語の説教をじっと我慢して聞く。正直に言えば、苦痛だった。

 もっとも、嫌だったことばかりではない。

 教会はこの田舎町で、気が済むまでお洒落をして出かける唯一の社交の場でもあった。肌の露出度さえ高くなければ、好きなだけドレスアップして行くことができた。もともとアメリカの学校では一般的に、女子学生が化粧をするのが「悪いこと」という感覚はない。14、15歳から女の子はピアスをし、髪をドライヤーで完璧にセットしてメークをほどこし、マニキュアまできれいに塗って学校にやってくる。お洒落づいた年齢の女の子にとって、大人になるプロセスの一つでごく当たり前のこととして受け止められていた。

 日曜日の朝の礼拝後、月に一度くらい信者たちが手料理を持ち寄ってランチビュッフェが開催されるのも、楽しみだった。ミートローフ、フライドチキン、アップルパイやアイスクリームなど、南部料理はどれも恐ろしく高カロリーだが、手作りのお料理は美味しい。父兄、教師たちは太っている人がほとんどで、肥満体ではない大人は珍しかった。筆者もこのノースカロライナ時代は、あっという間に体重が増えていったのである。

 だがいくら教会に通っていても、筆者はクリスチャンになろうとは一度も思わなかった。子供の頃から好奇心で聖書もかなり読んだけれど、元々実家は曹洞宗である。わざわざキリスト教に入信する必要性を感じなかったし、そもそも団体で集まって人前でお祈りをする、ということが苦手だった。

 それでも毎週3回、迎えのバスが来ると大人しく乗り込んで教会に通った。

「天国行く人は手をあげて」
 連れていかれた教会は、アメリカの人口のおよそ3分の1といわれる福音派の教会だった。

 その福音派の白人信者の80%近くが、共和党とされている。合衆国憲法には政教分離が謳われているものの、現実にはこの南部を中心とした福音派のクリスチャンたちが、現在の保守派共和党の基盤を支えているのである。

 福音派の教会は、会議場に塔をつけたようなシンプルな建物が多い。南部訛りの強い牧師さんの説教はあまり理解できず、ときどき信者の人たちが突然声を上げて泣き出したりするのも、最初はびっくりしてドン引きした。

 だがもっと驚いたのは、ある日の礼拝中のことである。

 「How many of you are going to Heaven? Please raise your hand. (あなたたちの中で、天国に行く人は? 手をあげて下さい)」

 牧師さんがそう言うのを耳にしたときは、最初は冗談かと思った。だが集まっていた信者のほとんどが真面目な顔をして手を高々をあげたときは、もっと驚いて思わず「えええ〜」と声が出そうになった。

 日本のプロテスタントの教会でも、カソリックの中学校でも、そんなことを聞かれた覚えはない。人間側が決めることだと教わったことはなかった。

 「はい、私は天国に行きます」と本気で断言する人がいたら、日本社会では間違いなく「アブナイ人」のカテゴリーに入れられるだろうと思う。

 その「アブナイ人たち」に周りを囲まれていることを子供なりに理解して、じわじわと腹の底から恐怖心が沸いてきた。

福音派の信仰というもの
 寮に戻ってから、シャロンという一学年上のアメリカ人に恐る恐る聞いてみた。アーカンソー州出身の彼女も、高々と手をあげた一人だった。

 「シャロン、今日の牧師さんのお話で、天国に行く人は手をあげて、って言ったよね」

 「ええ、それがどうかしたの?」

 「どうして自分は天国に行く、って断言できるの? 日本では、そんなこと言ったら傲慢だと受け止められるけれど」

 「それはね、聖書に書いてあるからなのよ」

 1歳年上のシャロンは、当時絶大な人気だったファラ・フォーセットのようにきれいにブローした髪をかきあげながら、まだ英語の拙い私に、ゆっくり説明してくれた。

 「新約聖書では、イエス様が『天国の門に到達する方法は、神の子である自分を通して以外の方法はない』とはっきり言っているの。だからイエス様が自分の罪のために死んでくださった救世主であることを受けいれた人は、罪が許されて天国に行くことが約束されるのよ」

 うーむ。それなりに理屈は通っているものの、ちょっとムシの良い話に思えた。

 だがこれが米国の福音主義の根本にある教義なのである。イエス・キリストを救世主であると受け入れるのと引き換えに、天国行きの切符が約束される。キリストの贖罪によって自分の罪は消えたため、隣人を愛せよとか、敵を許せとか、人を裁くなとか、右の頬を叩かれたら左の頬を出せ、というような教えは二の次であり、天国行きには影響しない、というのが彼らの基本的考え方だ。

 福音派クリスチャンが信仰を生活の中心に置く傍らで、白人至上主義であったり、銃所持の規制に絶対反対の姿勢を貫くのは、日本人の感覚ではちょっと理解しがたい。だが彼らの中では矛盾していない。極端に言うなら、彼らにとって信仰とは人として正しい行動をするためのものではなく、キリストと契約を結んで天国に到達する手段なのである。

 (キリストの贖罪は、全てのクリスチャンにとって基本の教義である。だが極端に排他的な米国の福音派はクリスチャンの中でもカルト的とされていて、特殊な存在だ。もっとも信者の中には自分たちの排他的な部分を批判し、人種差別撤退の市民運動を支持し、チャリティ活動に人生を捧げた人たちもいることは、記しておきたい)

 「ではクリスチャン以外の人はどうなるの? 日本にはクリスチャンでなくても、善行を積んだ立派な人はたくさんいるけれど、彼らはどこに行くの?」

 「悪いけれど、クリスチャン以外は全員地獄に行くのよ。いくら良い人だって、クリスチャンでないのなら間違った生き方をしているの」

 答えは予想はしていたものの、面と向かって言われるとショックであった。(考えてみれば、クリスチャンは過去にこうして「原住民の魂の救済」を口実にして、世界中で侵略、虐殺を繰り返してきたのだった)

 これは、エライところに来てしまった。ようやく当時15才だった筆者にも、自分の置かれた状況が飲み込めてきた。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/438.html#c4

[近代史4] キリスト教原理主義を知らないとアメリカ人の行動様式は理解できない 中川隆
1. 中川隆[-8896] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:53:31 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[6]
From NY
2020年10月28日
米国「保守派」クリスチャンたちの素顔
もう一つのアメリカ、筆者の見た保守派の南部の高校生活
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189

 いよいよ大統領選を迎えようとしている現在、アメリカは保守派の共和党と、リベラルの民主党の真っ二つに分裂している。

 筆者がアメリカに移住したのは、1977年の春、カーター大統領政権が誕生して間もなくのことだった。あれから43年この国に住んでいるが、現在のアメリカほど分裂したアメリカを見たことがない。

 40年間住んでいるこのニューヨークは、国際色豊かで文化の懐の深い街である。でもここにいると、アメリカ合衆国全体の、保守的、閉鎖的で、自分たちと異質なものには徹底的に排他的な側面を見失いそうになってしまう。

 実は筆者が初めて暮らしたアメリカの地は、ノースカロライナ州だった。南部でもディープサウスと言われるほどの僻地ではないものの、現在でも共和党が多数派の土地である。


ノースカロライナ州シャーロットの歴史的建造物(/gettyimages)
 当時はまだ高校生で英語力も限られ、社会に対する理解力にも限界があった。それでもアメリカの保守派とされる社会を生の体験できたことは貴重な体験だったし、今振り返るとトンでもないこと、面白いこともたくさんあった。

「ロックは悪魔の音楽なのよ」

 筆者が10年生(日本の高校1年)として入学した先は、プロテスタント、サザンバプティスト派(南部バプティスト派)の高校だった。

 留学を許してくれた両親は、ミッション系の学校なら治安も良く、留学生活も安全だろうという思いを持っていたと思う。ところが実際に行ってみると、それがものすごく日本的な勘違いだったことに間もなく気が付いた。

 サザンバプティスト派は、トランプ再選の鍵を握ると言われている福音派の最大の一派で、信者は1500万人いると言われている。筆者が直に触れた彼らの信仰、思想は、日本人がイメージする「クリスチャン」とはかけ離れたものだった。そんなこともわからずに留学した筆者は、誤解を恐れずに言うなら、白人カルト集団にアジア人のティーネージャーの娘が一人でノコノコ乗り込んで行ったようなものだった。


ノースカロライナ州シャーロット(klenger/gettyimages)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189


 最初にたどり着いたのはノースカロライナ州シャーロット郊外にある、大学付属の英語学校だった。東京のクリスチャン系の留学コンサルタントを通して、全国から集まった同年代の女の子が筆者もいれて5人(ちなみに男の子たちは、年頃の男女を数カ月一緒にしておくと風紀上問題ありという理由から、フロリダの英語学校に送られていた)夏の間ここで英語を学び、9月からそれぞれの高校に振り分けられる予定になっていた。

 英語学校の編入試験が終わった頃、筆者は留学コンサルタントの田中氏の車で、候補の高校のキャンパス見学に連れていってもらった。

 行った先は、サウスカロライナ州グリーンビルにあるボブ・ジョーンズ大学高等部。アメリカ人なら、名前を聞けばすぐにぴんとくる有名校である。だがそれは、良い意味ではない。

 「大学も付属している南部一の名門校だよ。ぼくが紹介できる学校の中では、ここがぴか一なんだ」と、田中氏は嬉しそうに強調した。校門前に大きな噴水があって、まるでリゾートのようだった。

 田中氏と旧知の仲だという校長に挨拶すると、彼は日本人とアメリカ人のハーフの女の子を連れてきた。ジェニーというその学生が、まだ英語もつたない筆者のために日本語でキャンパス案内をかって出てくれたのだ。ここなら楽しい高校生活が送れるかも。そう思っていた矢先、筆者にとってはカルチャーショックともいえる出来事が起きた。

 「ねえ、あなたはどんな音楽を聴くの? クイーンとか好き?」

 もともと筆者が高校留学を希望したのは、小学生の頃から聞き始めたロック音楽がきっかけだった。英語文化にめざめ、海外留学をして将来は通訳になりたいと憧れていた。

 でも筆者にそう聞かれたジェニーは、さっと蒼ざめた。目を大きく見開いて、顔をこわばらせている。返ってきたのは、こういう返事だった。

 「ロックは、ここでは禁止されているのよ。だってあれは、悪魔の音楽ですもの!!」

 悪魔の音楽…。今度は筆者の顔が思い切りこわばった。

 筆者は当時も現在も、クリスチャンではない。でも小学生の頃は友人たちと誘い合わせてプロテスタント系の教会の日曜学校に通い、中学はカソリック系の女子校に行った。聖書もたっぷり読んだし、お祈りも讃美歌も覚えた。カソリック系女子中学は、服装などの規則はものすごくうるさかったものの、さすがにロックが悪魔の音楽だなどと極端なことを言われたことは一度もない。

 これがサザンバプティストとの、初めての出会いだった。

異人種間の交際は禁止
 ジェニーに何と答えたのか覚えていない。記憶にあるのは、彼女が最後に恍惚とした表情を浮かべて、両手でぐるりと円を描いてこう言ったことである。

 「この学校にいるとね、神様がすぐここにいらっしゃるのがわかるの!!」

 ジェニーの薄茶色の瞳が何もない空間を見つめているのが、とても怖かった。

 こりゃまずい。そもそもクリスチャンではない私には、とても歯が立たない場所だと子供なりに理解した。この高校だけは無理です。そう伝えると、田中氏はもんのすごく不機嫌になったが、他の高校を紹介することに同意してくれた。

 後に調べるとこのボブ・ジョーンズ大学は、人種差別で悪名高いところだった。

 創立以来、黒人の生徒の入学を許可していなかったため、連邦国税庁から教育機関としての税金優遇対象からはずすと脅され、しぶしぶ黒人の受け入れを始めたのが1971年。だがそれから5年間は、黒人は既婚者のカップルのみ入学許可してきた。奇妙な校則だがその理由は、学校内で異人種間の交際を禁じていたためである。この異人種間の交際禁止という校則はなんと2004年まで続いた。当時の筆者がここに入学していたら、当然白人のボーイフレンドなどできなかっただろうし、万が一アジア人以外の彼氏を作ったら退学になっていたわけである。

 これがアパルトヘイト制度下の南アフリカ共和国でもなく、ナチ政権当時のドイツのことでもなく、近代のアメリカ南部の現実だった(ついでに言うと、キャンパス内でのロック音楽禁止は現在もまだ続いているらしい)。

 考えてみれば白人と日本人の混血だったジェニー自身、学校のポリシーに反する罪の象徴の存在だったはずである。もう一度彼女に会うことができるのなら、それをどう受け止めていたのか聞いてみたかった。信仰と人種偏見が、どう両立するのかも校長に聞いてみたかった。

 そもそもこんなところに日本人留学生を紹介しようとした田中氏も、どのくらい南部の保守的な校風を理解していたのだろうか。

 さて危ういところでボブ・ジョーンズを抜け出し、筆者はそこまで過激ではないノースカロライナの田舎の小さなサザンバプティスト派の高校に入学した。一番近くにある都市は車で30分ほどのウィンストン・セーラムで、市の名前からもわかるように周辺はタバコ畑だらけ。あとは目に付くのは教会がやたらと多いことだった。

 ここでも、びっくりすることの連続だった。

(パート2に続く)


221. 中川隆[-8898] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:51:45 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[4] 報告
▲△▽▼

From NY
2020年11月23日
「信仰とは天国に到達する手段」
保守派のアメリカのクリスチャンの素顔(2)
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21394

 11月3日に行われた大統領選は、数日間かけた集票の結果、民主党ジョー・バイデン候補者の勝利が確実になった。

 集票が拮抗してなかなか結果が出ないスイングステートの中でも、最後まで残っていた州の一つが、筆者が高校時代を過ごしたノースカロライナだった。ピュー研究所の統計によると、州内のクリスチャン人口77%のうち、35%が福音派であるこの州は、基本的に保守派の共和党が多い。

 だが2006年にはオバマ氏が勝利を収めており、今回はどのような結果になるのか筆者も興味深く見守っていた。当時の同級生たちは、どちらに投票したのだろうかと想像しながら。

(前回のコラム『米国「保守派」クリスチャンたちの素顔』から続く)

 筆者は1977年9月、ノースカロライナ州にある寮制の私立高校に入学した。ウィンストンセーラム郊外にある、当時人口1万人ほどの小さな町だった。

 寮制といっても、全校100人余りの生徒のほとんどは、自宅通学のDay Studentだった。

 当時ノースカロライナでは16歳から(現在は18歳)運転免許を獲得することができた。みんな15歳のうちに路上テストを受けて免許証を手にし、16歳の誕生日の朝には両親からプレゼントされた車を運転して意気揚々と学校に来る。車社会のアメリカで、アッパーミドルクラスの家庭にとっては当たり前のことだった。

 「ちょっと見て、あれブライアンじゃない?」

 「ブライアンだわ。今日は彼の誕生日なんだ!」

 医者の息子のブライアンが、シルバーのポルシェで学校の駐車場に乗り付けた日の朝は、さすがに女の子たちが色めき立った。

 一方筆者を含めた10人ほどの寮生は、そんな通いの学生たちとはあまり交わらず、校舎の横にある古いレンガ造りの寮で静かに暮らしていた。

週に3度の教会通い
 車がなければどこにも行けないこの町で、車も免許もない我々寮生は、ひたすら校舎とその横にある寮を往復する日々を送っていた。

 唯一のお出かけは、教会である。

 日曜日は朝と夕方の2回。そして水曜日の夕方の合計週に3回、ミニバンが寮の前に我々寮生を迎えに来た。朝の礼拝はたっぷり3時間。夕方も2時間ほど時間を取られ、まだ半分くらいしかわからない南部訛りの英語の説教をじっと我慢して聞く。正直に言えば、苦痛だった。

 もっとも、嫌だったことばかりではない。

 教会はこの田舎町で、気が済むまでお洒落をして出かける唯一の社交の場でもあった。肌の露出度さえ高くなければ、好きなだけドレスアップして行くことができた。もともとアメリカの学校では一般的に、女子学生が化粧をするのが「悪いこと」という感覚はない。14、15歳から女の子はピアスをし、髪をドライヤーで完璧にセットしてメークをほどこし、マニキュアまできれいに塗って学校にやってくる。お洒落づいた年齢の女の子にとって、大人になるプロセスの一つでごく当たり前のこととして受け止められていた。

 日曜日の朝の礼拝後、月に一度くらい信者たちが手料理を持ち寄ってランチビュッフェが開催されるのも、楽しみだった。ミートローフ、フライドチキン、アップルパイやアイスクリームなど、南部料理はどれも恐ろしく高カロリーだが、手作りのお料理は美味しい。父兄、教師たちは太っている人がほとんどで、肥満体ではない大人は珍しかった。筆者もこのノースカロライナ時代は、あっという間に体重が増えていったのである。

 だがいくら教会に通っていても、筆者はクリスチャンになろうとは一度も思わなかった。子供の頃から好奇心で聖書もかなり読んだけれど、元々実家は曹洞宗である。わざわざキリスト教に入信する必要性を感じなかったし、そもそも団体で集まって人前でお祈りをする、ということが苦手だった。

 それでも毎週3回、迎えのバスが来ると大人しく乗り込んで教会に通った。

「天国行く人は手をあげて」
 連れていかれた教会は、アメリカの人口のおよそ3分の1といわれる福音派の教会だった。

 その福音派の白人信者の80%近くが、共和党とされている。合衆国憲法には政教分離が謳われているものの、現実にはこの南部を中心とした福音派のクリスチャンたちが、現在の保守派共和党の基盤を支えているのである。

 福音派の教会は、会議場に塔をつけたようなシンプルな建物が多い。南部訛りの強い牧師さんの説教はあまり理解できず、ときどき信者の人たちが突然声を上げて泣き出したりするのも、最初はびっくりしてドン引きした。

 だがもっと驚いたのは、ある日の礼拝中のことである。

 「How many of you are going to Heaven? Please raise your hand. (あなたたちの中で、天国に行く人は? 手をあげて下さい)」

 牧師さんがそう言うのを耳にしたときは、最初は冗談かと思った。だが集まっていた信者のほとんどが真面目な顔をして手を高々をあげたときは、もっと驚いて思わず「えええ〜」と声が出そうになった。

 日本のプロテスタントの教会でも、カソリックの中学校でも、そんなことを聞かれた覚えはない。人間側が決めることだと教わったことはなかった。

 「はい、私は天国に行きます」と本気で断言する人がいたら、日本社会では間違いなく「アブナイ人」のカテゴリーに入れられるだろうと思う。

 その「アブナイ人たち」に周りを囲まれていることを子供なりに理解して、じわじわと腹の底から恐怖心が沸いてきた。

福音派の信仰というもの
 寮に戻ってから、シャロンという一学年上のアメリカ人に恐る恐る聞いてみた。アーカンソー州出身の彼女も、高々と手をあげた一人だった。

 「シャロン、今日の牧師さんのお話で、天国に行く人は手をあげて、って言ったよね」

 「ええ、それがどうかしたの?」

 「どうして自分は天国に行く、って断言できるの? 日本では、そんなこと言ったら傲慢だと受け止められるけれど」

 「それはね、聖書に書いてあるからなのよ」

 1歳年上のシャロンは、当時絶大な人気だったファラ・フォーセットのようにきれいにブローした髪をかきあげながら、まだ英語の拙い私に、ゆっくり説明してくれた。

 「新約聖書では、イエス様が『天国の門に到達する方法は、神の子である自分を通して以外の方法はない』とはっきり言っているの。だからイエス様が自分の罪のために死んでくださった救世主であることを受けいれた人は、罪が許されて天国に行くことが約束されるのよ」

 うーむ。それなりに理屈は通っているものの、ちょっとムシの良い話に思えた。

 だがこれが米国の福音主義の根本にある教義なのである。イエス・キリストを救世主であると受け入れるのと引き換えに、天国行きの切符が約束される。キリストの贖罪によって自分の罪は消えたため、隣人を愛せよとか、敵を許せとか、人を裁くなとか、右の頬を叩かれたら左の頬を出せ、というような教えは二の次であり、天国行きには影響しない、というのが彼らの基本的考え方だ。

 福音派クリスチャンが信仰を生活の中心に置く傍らで、白人至上主義であったり、銃所持の規制に絶対反対の姿勢を貫くのは、日本人の感覚ではちょっと理解しがたい。だが彼らの中では矛盾していない。極端に言うなら、彼らにとって信仰とは人として正しい行動をするためのものではなく、キリストと契約を結んで天国に到達する手段なのである。

 (キリストの贖罪は、全てのクリスチャンにとって基本の教義である。だが極端に排他的な米国の福音派はクリスチャンの中でもカルト的とされていて、特殊な存在だ。もっとも信者の中には自分たちの排他的な部分を批判し、人種差別撤退の市民運動を支持し、チャリティ活動に人生を捧げた人たちもいることは、記しておきたい)

 「ではクリスチャン以外の人はどうなるの? 日本にはクリスチャンでなくても、善行を積んだ立派な人はたくさんいるけれど、彼らはどこに行くの?」

 「悪いけれど、クリスチャン以外は全員地獄に行くのよ。いくら良い人だって、クリスチャンでないのなら間違った生き方をしているの」

 答えは予想はしていたものの、面と向かって言われるとショックであった。(考えてみれば、クリスチャンは過去にこうして「原住民の魂の救済」を口実にして、世界中で侵略、虐殺を繰り返してきたのだった)

 これは、エライところに来てしまった。ようやく当時15才だった筆者にも、自分の置かれた状況が飲み込めてきた。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/565.html#c1

[近代史4] キリスト教原理主義 中川隆
5. 中川隆[-8895] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:54:38 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[7]
From NY
2020年10月28日
米国「保守派」クリスチャンたちの素顔
もう一つのアメリカ、筆者の見た保守派の南部の高校生活
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189

 いよいよ大統領選を迎えようとしている現在、アメリカは保守派の共和党と、リベラルの民主党の真っ二つに分裂している。

 筆者がアメリカに移住したのは、1977年の春、カーター大統領政権が誕生して間もなくのことだった。あれから43年この国に住んでいるが、現在のアメリカほど分裂したアメリカを見たことがない。

 40年間住んでいるこのニューヨークは、国際色豊かで文化の懐の深い街である。でもここにいると、アメリカ合衆国全体の、保守的、閉鎖的で、自分たちと異質なものには徹底的に排他的な側面を見失いそうになってしまう。

 実は筆者が初めて暮らしたアメリカの地は、ノースカロライナ州だった。南部でもディープサウスと言われるほどの僻地ではないものの、現在でも共和党が多数派の土地である。


ノースカロライナ州シャーロットの歴史的建造物(/gettyimages)
 当時はまだ高校生で英語力も限られ、社会に対する理解力にも限界があった。それでもアメリカの保守派とされる社会を生の体験できたことは貴重な体験だったし、今振り返るとトンでもないこと、面白いこともたくさんあった。

「ロックは悪魔の音楽なのよ」

 筆者が10年生(日本の高校1年)として入学した先は、プロテスタント、サザンバプティスト派(南部バプティスト派)の高校だった。

 留学を許してくれた両親は、ミッション系の学校なら治安も良く、留学生活も安全だろうという思いを持っていたと思う。ところが実際に行ってみると、それがものすごく日本的な勘違いだったことに間もなく気が付いた。

 サザンバプティスト派は、トランプ再選の鍵を握ると言われている福音派の最大の一派で、信者は1500万人いると言われている。筆者が直に触れた彼らの信仰、思想は、日本人がイメージする「クリスチャン」とはかけ離れたものだった。そんなこともわからずに留学した筆者は、誤解を恐れずに言うなら、白人カルト集団にアジア人のティーネージャーの娘が一人でノコノコ乗り込んで行ったようなものだった。


ノースカロライナ州シャーロット(klenger/gettyimages)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189


 最初にたどり着いたのはノースカロライナ州シャーロット郊外にある、大学付属の英語学校だった。東京のクリスチャン系の留学コンサルタントを通して、全国から集まった同年代の女の子が筆者もいれて5人(ちなみに男の子たちは、年頃の男女を数カ月一緒にしておくと風紀上問題ありという理由から、フロリダの英語学校に送られていた)夏の間ここで英語を学び、9月からそれぞれの高校に振り分けられる予定になっていた。

 英語学校の編入試験が終わった頃、筆者は留学コンサルタントの田中氏の車で、候補の高校のキャンパス見学に連れていってもらった。

 行った先は、サウスカロライナ州グリーンビルにあるボブ・ジョーンズ大学高等部。アメリカ人なら、名前を聞けばすぐにぴんとくる有名校である。だがそれは、良い意味ではない。

 「大学も付属している南部一の名門校だよ。ぼくが紹介できる学校の中では、ここがぴか一なんだ」と、田中氏は嬉しそうに強調した。校門前に大きな噴水があって、まるでリゾートのようだった。

 田中氏と旧知の仲だという校長に挨拶すると、彼は日本人とアメリカ人のハーフの女の子を連れてきた。ジェニーというその学生が、まだ英語もつたない筆者のために日本語でキャンパス案内をかって出てくれたのだ。ここなら楽しい高校生活が送れるかも。そう思っていた矢先、筆者にとってはカルチャーショックともいえる出来事が起きた。

 「ねえ、あなたはどんな音楽を聴くの? クイーンとか好き?」

 もともと筆者が高校留学を希望したのは、小学生の頃から聞き始めたロック音楽がきっかけだった。英語文化にめざめ、海外留学をして将来は通訳になりたいと憧れていた。

 でも筆者にそう聞かれたジェニーは、さっと蒼ざめた。目を大きく見開いて、顔をこわばらせている。返ってきたのは、こういう返事だった。

 「ロックは、ここでは禁止されているのよ。だってあれは、悪魔の音楽ですもの!!」

 悪魔の音楽…。今度は筆者の顔が思い切りこわばった。

 筆者は当時も現在も、クリスチャンではない。でも小学生の頃は友人たちと誘い合わせてプロテスタント系の教会の日曜学校に通い、中学はカソリック系の女子校に行った。聖書もたっぷり読んだし、お祈りも讃美歌も覚えた。カソリック系女子中学は、服装などの規則はものすごくうるさかったものの、さすがにロックが悪魔の音楽だなどと極端なことを言われたことは一度もない。

 これがサザンバプティストとの、初めての出会いだった。

異人種間の交際は禁止
 ジェニーに何と答えたのか覚えていない。記憶にあるのは、彼女が最後に恍惚とした表情を浮かべて、両手でぐるりと円を描いてこう言ったことである。

 「この学校にいるとね、神様がすぐここにいらっしゃるのがわかるの!!」

 ジェニーの薄茶色の瞳が何もない空間を見つめているのが、とても怖かった。

 こりゃまずい。そもそもクリスチャンではない私には、とても歯が立たない場所だと子供なりに理解した。この高校だけは無理です。そう伝えると、田中氏はもんのすごく不機嫌になったが、他の高校を紹介することに同意してくれた。

 後に調べるとこのボブ・ジョーンズ大学は、人種差別で悪名高いところだった。

 創立以来、黒人の生徒の入学を許可していなかったため、連邦国税庁から教育機関としての税金優遇対象からはずすと脅され、しぶしぶ黒人の受け入れを始めたのが1971年。だがそれから5年間は、黒人は既婚者のカップルのみ入学許可してきた。奇妙な校則だがその理由は、学校内で異人種間の交際を禁じていたためである。この異人種間の交際禁止という校則はなんと2004年まで続いた。当時の筆者がここに入学していたら、当然白人のボーイフレンドなどできなかっただろうし、万が一アジア人以外の彼氏を作ったら退学になっていたわけである。

 これがアパルトヘイト制度下の南アフリカ共和国でもなく、ナチ政権当時のドイツのことでもなく、近代のアメリカ南部の現実だった(ついでに言うと、キャンパス内でのロック音楽禁止は現在もまだ続いているらしい)。

 考えてみれば白人と日本人の混血だったジェニー自身、学校のポリシーに反する罪の象徴の存在だったはずである。もう一度彼女に会うことができるのなら、それをどう受け止めていたのか聞いてみたかった。信仰と人種偏見が、どう両立するのかも校長に聞いてみたかった。

 そもそもこんなところに日本人留学生を紹介しようとした田中氏も、どのくらい南部の保守的な校風を理解していたのだろうか。

 さて危ういところでボブ・ジョーンズを抜け出し、筆者はそこまで過激ではないノースカロライナの田舎の小さなサザンバプティスト派の高校に入学した。一番近くにある都市は車で30分ほどのウィンストン・セーラムで、市の名前からもわかるように周辺はタバコ畑だらけ。あとは目に付くのは教会がやたらと多いことだった。

 ここでも、びっくりすることの連続だった。

(パート2に続く)


221. 中川隆[-8898] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:51:45 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[4] 報告
▲△▽▼

From NY
2020年11月23日
「信仰とは天国に到達する手段」
保守派のアメリカのクリスチャンの素顔(2)
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21394

 11月3日に行われた大統領選は、数日間かけた集票の結果、民主党ジョー・バイデン候補者の勝利が確実になった。

 集票が拮抗してなかなか結果が出ないスイングステートの中でも、最後まで残っていた州の一つが、筆者が高校時代を過ごしたノースカロライナだった。ピュー研究所の統計によると、州内のクリスチャン人口77%のうち、35%が福音派であるこの州は、基本的に保守派の共和党が多い。

 だが2006年にはオバマ氏が勝利を収めており、今回はどのような結果になるのか筆者も興味深く見守っていた。当時の同級生たちは、どちらに投票したのだろうかと想像しながら。

(前回のコラム『米国「保守派」クリスチャンたちの素顔』から続く)

 筆者は1977年9月、ノースカロライナ州にある寮制の私立高校に入学した。ウィンストンセーラム郊外にある、当時人口1万人ほどの小さな町だった。

 寮制といっても、全校100人余りの生徒のほとんどは、自宅通学のDay Studentだった。

 当時ノースカロライナでは16歳から(現在は18歳)運転免許を獲得することができた。みんな15歳のうちに路上テストを受けて免許証を手にし、16歳の誕生日の朝には両親からプレゼントされた車を運転して意気揚々と学校に来る。車社会のアメリカで、アッパーミドルクラスの家庭にとっては当たり前のことだった。

 「ちょっと見て、あれブライアンじゃない?」

 「ブライアンだわ。今日は彼の誕生日なんだ!」

 医者の息子のブライアンが、シルバーのポルシェで学校の駐車場に乗り付けた日の朝は、さすがに女の子たちが色めき立った。

 一方筆者を含めた10人ほどの寮生は、そんな通いの学生たちとはあまり交わらず、校舎の横にある古いレンガ造りの寮で静かに暮らしていた。

週に3度の教会通い
 車がなければどこにも行けないこの町で、車も免許もない我々寮生は、ひたすら校舎とその横にある寮を往復する日々を送っていた。

 唯一のお出かけは、教会である。

 日曜日は朝と夕方の2回。そして水曜日の夕方の合計週に3回、ミニバンが寮の前に我々寮生を迎えに来た。朝の礼拝はたっぷり3時間。夕方も2時間ほど時間を取られ、まだ半分くらいしかわからない南部訛りの英語の説教をじっと我慢して聞く。正直に言えば、苦痛だった。

 もっとも、嫌だったことばかりではない。

 教会はこの田舎町で、気が済むまでお洒落をして出かける唯一の社交の場でもあった。肌の露出度さえ高くなければ、好きなだけドレスアップして行くことができた。もともとアメリカの学校では一般的に、女子学生が化粧をするのが「悪いこと」という感覚はない。14、15歳から女の子はピアスをし、髪をドライヤーで完璧にセットしてメークをほどこし、マニキュアまできれいに塗って学校にやってくる。お洒落づいた年齢の女の子にとって、大人になるプロセスの一つでごく当たり前のこととして受け止められていた。

 日曜日の朝の礼拝後、月に一度くらい信者たちが手料理を持ち寄ってランチビュッフェが開催されるのも、楽しみだった。ミートローフ、フライドチキン、アップルパイやアイスクリームなど、南部料理はどれも恐ろしく高カロリーだが、手作りのお料理は美味しい。父兄、教師たちは太っている人がほとんどで、肥満体ではない大人は珍しかった。筆者もこのノースカロライナ時代は、あっという間に体重が増えていったのである。

 だがいくら教会に通っていても、筆者はクリスチャンになろうとは一度も思わなかった。子供の頃から好奇心で聖書もかなり読んだけれど、元々実家は曹洞宗である。わざわざキリスト教に入信する必要性を感じなかったし、そもそも団体で集まって人前でお祈りをする、ということが苦手だった。

 それでも毎週3回、迎えのバスが来ると大人しく乗り込んで教会に通った。

「天国行く人は手をあげて」
 連れていかれた教会は、アメリカの人口のおよそ3分の1といわれる福音派の教会だった。

 その福音派の白人信者の80%近くが、共和党とされている。合衆国憲法には政教分離が謳われているものの、現実にはこの南部を中心とした福音派のクリスチャンたちが、現在の保守派共和党の基盤を支えているのである。

 福音派の教会は、会議場に塔をつけたようなシンプルな建物が多い。南部訛りの強い牧師さんの説教はあまり理解できず、ときどき信者の人たちが突然声を上げて泣き出したりするのも、最初はびっくりしてドン引きした。

 だがもっと驚いたのは、ある日の礼拝中のことである。

 「How many of you are going to Heaven? Please raise your hand. (あなたたちの中で、天国に行く人は? 手をあげて下さい)」

 牧師さんがそう言うのを耳にしたときは、最初は冗談かと思った。だが集まっていた信者のほとんどが真面目な顔をして手を高々をあげたときは、もっと驚いて思わず「えええ〜」と声が出そうになった。

 日本のプロテスタントの教会でも、カソリックの中学校でも、そんなことを聞かれた覚えはない。人間側が決めることだと教わったことはなかった。

 「はい、私は天国に行きます」と本気で断言する人がいたら、日本社会では間違いなく「アブナイ人」のカテゴリーに入れられるだろうと思う。

 その「アブナイ人たち」に周りを囲まれていることを子供なりに理解して、じわじわと腹の底から恐怖心が沸いてきた。

福音派の信仰というもの
 寮に戻ってから、シャロンという一学年上のアメリカ人に恐る恐る聞いてみた。アーカンソー州出身の彼女も、高々と手をあげた一人だった。

 「シャロン、今日の牧師さんのお話で、天国に行く人は手をあげて、って言ったよね」

 「ええ、それがどうかしたの?」

 「どうして自分は天国に行く、って断言できるの? 日本では、そんなこと言ったら傲慢だと受け止められるけれど」

 「それはね、聖書に書いてあるからなのよ」

 1歳年上のシャロンは、当時絶大な人気だったファラ・フォーセットのようにきれいにブローした髪をかきあげながら、まだ英語の拙い私に、ゆっくり説明してくれた。

 「新約聖書では、イエス様が『天国の門に到達する方法は、神の子である自分を通して以外の方法はない』とはっきり言っているの。だからイエス様が自分の罪のために死んでくださった救世主であることを受けいれた人は、罪が許されて天国に行くことが約束されるのよ」

 うーむ。それなりに理屈は通っているものの、ちょっとムシの良い話に思えた。

 だがこれが米国の福音主義の根本にある教義なのである。イエス・キリストを救世主であると受け入れるのと引き換えに、天国行きの切符が約束される。キリストの贖罪によって自分の罪は消えたため、隣人を愛せよとか、敵を許せとか、人を裁くなとか、右の頬を叩かれたら左の頬を出せ、というような教えは二の次であり、天国行きには影響しない、というのが彼らの基本的考え方だ。

 福音派クリスチャンが信仰を生活の中心に置く傍らで、白人至上主義であったり、銃所持の規制に絶対反対の姿勢を貫くのは、日本人の感覚ではちょっと理解しがたい。だが彼らの中では矛盾していない。極端に言うなら、彼らにとって信仰とは人として正しい行動をするためのものではなく、キリストと契約を結んで天国に到達する手段なのである。

 (キリストの贖罪は、全てのクリスチャンにとって基本の教義である。だが極端に排他的な米国の福音派はクリスチャンの中でもカルト的とされていて、特殊な存在だ。もっとも信者の中には自分たちの排他的な部分を批判し、人種差別撤退の市民運動を支持し、チャリティ活動に人生を捧げた人たちもいることは、記しておきたい)

 「ではクリスチャン以外の人はどうなるの? 日本にはクリスチャンでなくても、善行を積んだ立派な人はたくさんいるけれど、彼らはどこに行くの?」

 「悪いけれど、クリスチャン以外は全員地獄に行くのよ。いくら良い人だって、クリスチャンでないのなら間違った生き方をしているの」

 答えは予想はしていたものの、面と向かって言われるとショックであった。(考えてみれば、クリスチャンは過去にこうして「原住民の魂の救済」を口実にして、世界中で侵略、虐殺を繰り返してきたのだった)

 これは、エライところに来てしまった。ようやく当時15才だった筆者にも、自分の置かれた状況が飲み込めてきた。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/391.html#c5

[近代史5] キリスト教原理主義 中川隆
5. 中川隆[-8894] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:55:25 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[8]
キリスト教原理主義を知らないとアメリカ人の行動様式は理解できない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/565.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/438.html#c5
[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
222. 中川隆[-8893] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:56:42 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[9]
キリスト教原理主義を知らないとアメリカ人の行動様式は理解できない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/565.html

キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/438.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c222

[近代史3] アメリカ人には音楽は理解できない _ ジャズなんか音楽じゃない 中川隆
16. 中川隆[-8892] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:58:13 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[10]
From NY
2020年10月28日
米国「保守派」クリスチャンたちの素顔
もう一つのアメリカ、筆者の見た保守派の南部の高校生活
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189
 いよいよ大統領選を迎えようとしている現在、アメリカは保守派の共和党と、リベラルの民主党の真っ二つに分裂している。

 筆者がアメリカに移住したのは、1977年の春、カーター大統領政権が誕生して間もなくのことだった。あれから43年この国に住んでいるが、現在のアメリカほど分裂したアメリカを見たことがない。

 40年間住んでいるこのニューヨークは、国際色豊かで文化の懐の深い街である。でもここにいると、アメリカ合衆国全体の、保守的、閉鎖的で、自分たちと異質なものには徹底的に排他的な側面を見失いそうになってしまう。

 実は筆者が初めて暮らしたアメリカの地は、ノースカロライナ州だった。南部でもディープサウスと言われるほどの僻地ではないものの、現在でも共和党が多数派の土地である。


ノースカロライナ州シャーロットの歴史的建造物(/gettyimages)
 当時はまだ高校生で英語力も限られ、社会に対する理解力にも限界があった。それでもアメリカの保守派とされる社会を生の体験できたことは貴重な体験だったし、今振り返るとトンでもないこと、面白いこともたくさんあった。

「ロックは悪魔の音楽なのよ」

 筆者が10年生(日本の高校1年)として入学した先は、プロテスタント、サザンバプティスト派(南部バプティスト派)の高校だった。

 留学を許してくれた両親は、ミッション系の学校なら治安も良く、留学生活も安全だろうという思いを持っていたと思う。ところが実際に行ってみると、それがものすごく日本的な勘違いだったことに間もなく気が付いた。

 サザンバプティスト派は、トランプ再選の鍵を握ると言われている福音派の最大の一派で、信者は1500万人いると言われている。筆者が直に触れた彼らの信仰、思想は、日本人がイメージする「クリスチャン」とはかけ離れたものだった。そんなこともわからずに留学した筆者は、誤解を恐れずに言うなら、白人カルト集団にアジア人のティーネージャーの娘が一人でノコノコ乗り込んで行ったようなものだった。


ノースカロライナ州シャーロット(klenger/gettyimages)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189


 最初にたどり着いたのはノースカロライナ州シャーロット郊外にある、大学付属の英語学校だった。東京のクリスチャン系の留学コンサルタントを通して、全国から集まった同年代の女の子が筆者もいれて5人(ちなみに男の子たちは、年頃の男女を数カ月一緒にしておくと風紀上問題ありという理由から、フロリダの英語学校に送られていた)夏の間ここで英語を学び、9月からそれぞれの高校に振り分けられる予定になっていた。

 英語学校の編入試験が終わった頃、筆者は留学コンサルタントの田中氏の車で、候補の高校のキャンパス見学に連れていってもらった。

 行った先は、サウスカロライナ州グリーンビルにあるボブ・ジョーンズ大学高等部。アメリカ人なら、名前を聞けばすぐにぴんとくる有名校である。だがそれは、良い意味ではない。

 「大学も付属している南部一の名門校だよ。ぼくが紹介できる学校の中では、ここがぴか一なんだ」と、田中氏は嬉しそうに強調した。校門前に大きな噴水があって、まるでリゾートのようだった。

 田中氏と旧知の仲だという校長に挨拶すると、彼は日本人とアメリカ人のハーフの女の子を連れてきた。ジェニーというその学生が、まだ英語もつたない筆者のために日本語でキャンパス案内をかって出てくれたのだ。ここなら楽しい高校生活が送れるかも。そう思っていた矢先、筆者にとってはカルチャーショックともいえる出来事が起きた。

 「ねえ、あなたはどんな音楽を聴くの? クイーンとか好き?」

 もともと筆者が高校留学を希望したのは、小学生の頃から聞き始めたロック音楽がきっかけだった。英語文化にめざめ、海外留学をして将来は通訳になりたいと憧れていた。

 でも筆者にそう聞かれたジェニーは、さっと蒼ざめた。目を大きく見開いて、顔をこわばらせている。返ってきたのは、こういう返事だった。

 「ロックは、ここでは禁止されているのよ。だってあれは、悪魔の音楽ですもの!!」

 悪魔の音楽…。今度は筆者の顔が思い切りこわばった。

 筆者は当時も現在も、クリスチャンではない。でも小学生の頃は友人たちと誘い合わせてプロテスタント系の教会の日曜学校に通い、中学はカソリック系の女子校に行った。聖書もたっぷり読んだし、お祈りも讃美歌も覚えた。カソリック系女子中学は、服装などの規則はものすごくうるさかったものの、さすがにロックが悪魔の音楽だなどと極端なことを言われたことは一度もない。

 これがサザンバプティストとの、初めての出会いだった。

異人種間の交際は禁止
 ジェニーに何と答えたのか覚えていない。記憶にあるのは、彼女が最後に恍惚とした表情を浮かべて、両手でぐるりと円を描いてこう言ったことである。

 「この学校にいるとね、神様がすぐここにいらっしゃるのがわかるの!!」

 ジェニーの薄茶色の瞳が何もない空間を見つめているのが、とても怖かった。

 こりゃまずい。そもそもクリスチャンではない私には、とても歯が立たない場所だと子供なりに理解した。この高校だけは無理です。そう伝えると、田中氏はもんのすごく不機嫌になったが、他の高校を紹介することに同意してくれた。

 後に調べるとこのボブ・ジョーンズ大学は、人種差別で悪名高いところだった。

 創立以来、黒人の生徒の入学を許可していなかったため、連邦国税庁から教育機関としての税金優遇対象からはずすと脅され、しぶしぶ黒人の受け入れを始めたのが1971年。だがそれから5年間は、黒人は既婚者のカップルのみ入学許可してきた。奇妙な校則だがその理由は、学校内で異人種間の交際を禁じていたためである。この異人種間の交際禁止という校則はなんと2004年まで続いた。当時の筆者がここに入学していたら、当然白人のボーイフレンドなどできなかっただろうし、万が一アジア人以外の彼氏を作ったら退学になっていたわけである。

 これがアパルトヘイト制度下の南アフリカ共和国でもなく、ナチ政権当時のドイツのことでもなく、近代のアメリカ南部の現実だった(ついでに言うと、キャンパス内でのロック音楽禁止は現在もまだ続いているらしい)。

 考えてみれば白人と日本人の混血だったジェニー自身、学校のポリシーに反する罪の象徴の存在だったはずである。もう一度彼女に会うことができるのなら、それをどう受け止めていたのか聞いてみたかった。信仰と人種偏見が、どう両立するのかも校長に聞いてみたかった。

 そもそもこんなところに日本人留学生を紹介しようとした田中氏も、どのくらい南部の保守的な校風を理解していたのだろうか。

 さて危ういところでボブ・ジョーンズを抜け出し、筆者はそこまで過激ではないノースカロライナの田舎の小さなサザンバプティスト派の高校に入学した。一番近くにある都市は車で30分ほどのウィンストン・セーラムで、市の名前からもわかるように周辺はタバコ畑だらけ。あとは目に付くのは教会がやたらと多いことだった。

 ここでも、びっくりすることの連続だった。

(パート2に続く)


▲△▽▼

From NY
2020年11月23日
「信仰とは天国に到達する手段」
保守派のアメリカのクリスチャンの素顔(2)
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21394

 11月3日に行われた大統領選は、数日間かけた集票の結果、民主党ジョー・バイデン候補者の勝利が確実になった。

 集票が拮抗してなかなか結果が出ないスイングステートの中でも、最後まで残っていた州の一つが、筆者が高校時代を過ごしたノースカロライナだった。ピュー研究所の統計によると、州内のクリスチャン人口77%のうち、35%が福音派であるこの州は、基本的に保守派の共和党が多い。

 だが2006年にはオバマ氏が勝利を収めており、今回はどのような結果になるのか筆者も興味深く見守っていた。当時の同級生たちは、どちらに投票したのだろうかと想像しながら。

(前回のコラム『米国「保守派」クリスチャンたちの素顔』から続く)

 筆者は1977年9月、ノースカロライナ州にある寮制の私立高校に入学した。ウィンストンセーラム郊外にある、当時人口1万人ほどの小さな町だった。

 寮制といっても、全校100人余りの生徒のほとんどは、自宅通学のDay Studentだった。

 当時ノースカロライナでは16歳から(現在は18歳)運転免許を獲得することができた。みんな15歳のうちに路上テストを受けて免許証を手にし、16歳の誕生日の朝には両親からプレゼントされた車を運転して意気揚々と学校に来る。車社会のアメリカで、アッパーミドルクラスの家庭にとっては当たり前のことだった。

 「ちょっと見て、あれブライアンじゃない?」

 「ブライアンだわ。今日は彼の誕生日なんだ!」

 医者の息子のブライアンが、シルバーのポルシェで学校の駐車場に乗り付けた日の朝は、さすがに女の子たちが色めき立った。

 一方筆者を含めた10人ほどの寮生は、そんな通いの学生たちとはあまり交わらず、校舎の横にある古いレンガ造りの寮で静かに暮らしていた。

週に3度の教会通い
 車がなければどこにも行けないこの町で、車も免許もない我々寮生は、ひたすら校舎とその横にある寮を往復する日々を送っていた。

 唯一のお出かけは、教会である。

 日曜日は朝と夕方の2回。そして水曜日の夕方の合計週に3回、ミニバンが寮の前に我々寮生を迎えに来た。朝の礼拝はたっぷり3時間。夕方も2時間ほど時間を取られ、まだ半分くらいしかわからない南部訛りの英語の説教をじっと我慢して聞く。正直に言えば、苦痛だった。

 もっとも、嫌だったことばかりではない。

 教会はこの田舎町で、気が済むまでお洒落をして出かける唯一の社交の場でもあった。肌の露出度さえ高くなければ、好きなだけドレスアップして行くことができた。もともとアメリカの学校では一般的に、女子学生が化粧をするのが「悪いこと」という感覚はない。14、15歳から女の子はピアスをし、髪をドライヤーで完璧にセットしてメークをほどこし、マニキュアまできれいに塗って学校にやってくる。お洒落づいた年齢の女の子にとって、大人になるプロセスの一つでごく当たり前のこととして受け止められていた。

 日曜日の朝の礼拝後、月に一度くらい信者たちが手料理を持ち寄ってランチビュッフェが開催されるのも、楽しみだった。ミートローフ、フライドチキン、アップルパイやアイスクリームなど、南部料理はどれも恐ろしく高カロリーだが、手作りのお料理は美味しい。父兄、教師たちは太っている人がほとんどで、肥満体ではない大人は珍しかった。筆者もこのノースカロライナ時代は、あっという間に体重が増えていったのである。

 だがいくら教会に通っていても、筆者はクリスチャンになろうとは一度も思わなかった。子供の頃から好奇心で聖書もかなり読んだけれど、元々実家は曹洞宗である。わざわざキリスト教に入信する必要性を感じなかったし、そもそも団体で集まって人前でお祈りをする、ということが苦手だった。

 それでも毎週3回、迎えのバスが来ると大人しく乗り込んで教会に通った。

「天国行く人は手をあげて」
 連れていかれた教会は、アメリカの人口のおよそ3分の1といわれる福音派の教会だった。

 その福音派の白人信者の80%近くが、共和党とされている。合衆国憲法には政教分離が謳われているものの、現実にはこの南部を中心とした福音派のクリスチャンたちが、現在の保守派共和党の基盤を支えているのである。

 福音派の教会は、会議場に塔をつけたようなシンプルな建物が多い。南部訛りの強い牧師さんの説教はあまり理解できず、ときどき信者の人たちが突然声を上げて泣き出したりするのも、最初はびっくりしてドン引きした。

 だがもっと驚いたのは、ある日の礼拝中のことである。

 「How many of you are going to Heaven? Please raise your hand. (あなたたちの中で、天国に行く人は? 手をあげて下さい)」

 牧師さんがそう言うのを耳にしたときは、最初は冗談かと思った。だが集まっていた信者のほとんどが真面目な顔をして手を高々をあげたときは、もっと驚いて思わず「えええ〜」と声が出そうになった。

 日本のプロテスタントの教会でも、カソリックの中学校でも、そんなことを聞かれた覚えはない。人間側が決めることだと教わったことはなかった。

 「はい、私は天国に行きます」と本気で断言する人がいたら、日本社会では間違いなく「アブナイ人」のカテゴリーに入れられるだろうと思う。

 その「アブナイ人たち」に周りを囲まれていることを子供なりに理解して、じわじわと腹の底から恐怖心が沸いてきた。

福音派の信仰というもの
 寮に戻ってから、シャロンという一学年上のアメリカ人に恐る恐る聞いてみた。アーカンソー州出身の彼女も、高々と手をあげた一人だった。

 「シャロン、今日の牧師さんのお話で、天国に行く人は手をあげて、って言ったよね」

 「ええ、それがどうかしたの?」

 「どうして自分は天国に行く、って断言できるの? 日本では、そんなこと言ったら傲慢だと受け止められるけれど」

 「それはね、聖書に書いてあるからなのよ」

 1歳年上のシャロンは、当時絶大な人気だったファラ・フォーセットのようにきれいにブローした髪をかきあげながら、まだ英語の拙い私に、ゆっくり説明してくれた。

 「新約聖書では、イエス様が『天国の門に到達する方法は、神の子である自分を通して以外の方法はない』とはっきり言っているの。だからイエス様が自分の罪のために死んでくださった救世主であることを受けいれた人は、罪が許されて天国に行くことが約束されるのよ」

 うーむ。それなりに理屈は通っているものの、ちょっとムシの良い話に思えた。

 だがこれが米国の福音主義の根本にある教義なのである。イエス・キリストを救世主であると受け入れるのと引き換えに、天国行きの切符が約束される。キリストの贖罪によって自分の罪は消えたため、隣人を愛せよとか、敵を許せとか、人を裁くなとか、右の頬を叩かれたら左の頬を出せ、というような教えは二の次であり、天国行きには影響しない、というのが彼らの基本的考え方だ。

 福音派クリスチャンが信仰を生活の中心に置く傍らで、白人至上主義であったり、銃所持の規制に絶対反対の姿勢を貫くのは、日本人の感覚ではちょっと理解しがたい。だが彼らの中では矛盾していない。極端に言うなら、彼らにとって信仰とは人として正しい行動をするためのものではなく、キリストと契約を結んで天国に到達する手段なのである。

 (キリストの贖罪は、全てのクリスチャンにとって基本の教義である。だが極端に排他的な米国の福音派はクリスチャンの中でもカルト的とされていて、特殊な存在だ。もっとも信者の中には自分たちの排他的な部分を批判し、人種差別撤退の市民運動を支持し、チャリティ活動に人生を捧げた人たちもいることは、記しておきたい)

 「ではクリスチャン以外の人はどうなるの? 日本にはクリスチャンでなくても、善行を積んだ立派な人はたくさんいるけれど、彼らはどこに行くの?」

 「悪いけれど、クリスチャン以外は全員地獄に行くのよ。いくら良い人だって、クリスチャンでないのなら間違った生き方をしているの」

 答えは予想はしていたものの、面と向かって言われるとショックであった。(考えてみれば、クリスチャンは過去にこうして「原住民の魂の救済」を口実にして、世界中で侵略、虐殺を繰り返してきたのだった)

 これは、エライところに来てしまった。ようやく当時15才だった筆者にも、自分の置かれた状況が飲み込めてきた。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/440.html#c16

[番外地8] 消費税を100%、200%にして意図的なインフレを起こして富裕層の資産を目減りさせ、低所得者にだけお金をばら撒けば所得再分配されすべて上手く行く。
消費税は輸出業者を優遇するのが目的だけど、本当は消費税を100%、200%にして意図的なインフレを起こして富裕層の資産を目減りさせ、低所得者にだけお金をばら撒けば所得再分配されすべて上手く行く。
物価がいくら上がっても資本家の資産が目減りする以外に問題は起きない。 物価が10倍になったら最低賃金・年金・失業保険・生活保護費を15倍 乃至 20倍にすれば、労働者の生活水準が前より上がり、内需が増えるからね。:
GDPは所得の合計ですが、その所得の大半は大企業と資本家の所得です。
GDPがいくら増えても労働者の所得が増える事はないので、デフレのままです。
GDPや経済成長率ではデフレになるか、ならないかは判断できません。
問題は労働者が搾取されていて、正当な労働の対価を得られなくなっている事です。
今は技術の進歩で1日に2,3時間も働けば生活に必要なものを作れる時代になっています。
これ以上生産力を高めても意味ないんですね。
今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです。
今の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
問題は労働者が搾取されていて、正当な労働の対価を得られなくなっている事。
「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。

政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。

大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。

三橋貴明 「プライマリーバランス黒字化目標は、国民赤字化目標です。」
三橋貴明 「プライマリーバランスの黒字化は、政府の貨幣回収、皆さんの純資産収奪になります」

というのは正確には

「プライマリーバランス黒字化目標は、大企業や資本家の利益赤字化目標です。」
「プライマリーバランスの黒字化は、政府の貨幣回収、大企業や資本家の皆さんの純資産収奪になります」

なんですね。 金融はゼロサムなので、資本家が得すれば労働者が損します。

三橋さんの言う「損する国民」には労働者は含まれていないのですね。
デフレの原因は労働者の購買力の低下ですから、三橋さんが考えている様な財政出動ではデフレから脱却できません。
いくら財政出動しても大企業と資本家が儲かるだけで、労働者の賃金は上がりません。

政府がいくら金融緩和や財政出動しても大資本家を富ませるだけで、デフレからは脱却できません。
そもそもルーズベルト大統領のニューディール政策も大失敗で、政府が財政出動に使った膨大な金は労働者には回らず、すべて大資本家に行ってしまったのです。 戦争以外の公共事業ではデフレから脱却できなかったのです。 

一方、大西さんが考えているデフレ対策は
・輸出額を輸入額と同じになるまで減らし、内需主導経済に変える
・資本家から労働者への富の再分配は税金(累進課税)で行うのではなく、利子ゼロの政府紙幣を大量発行して意図的にインフレを起こす事によって行う(インフレ税)
・土地の公有化を進める
・農民を準公務員にして食料自給率を80%以上にする。
・移民と留学生の受け入れを止める
・郵政、JR、電力、大病院等のインフラの国有化
・利子付きの国債の発行を止めて、無利子の政府紙幣を大量発行する
・年金の積み立ては廃止、年金はすべて政府紙幣で十分な金額を給付
・医療費と大学までの教育費はすべて無料にする
・消費税は廃止
・高速道路は無料化

政府紙幣を大量発行すると円の貨幣価値が暴落し(為替にはあまり影響しない)、資産家の金融財産が目減りするので、資産家の財産を国民全員に再分配するのと同じ事になります。労働者がインフレで食べて行けなくなったら、生活費はまた政府紙幣を大量発行してベーシックインカム的に配布すればいいのです。
現代は技術の進歩で全国民が必要とする食料も工業製品も労働者が1日に 2,3時間も働けば十分生産できるので、その程度の労働者への福祉は可能なのです。

円の価値が暴落しても日本の労働者の給料は変わらないので、人件費も上がらず、日本の商品価格は上がらないんですね。
つまり、円の価値が暴落しても国内の消費者物価は上がりません。
しかし、労働者の実質賃金が減って購買力がなくなるからデフレになるのです。


それから昔のイギリス植民地インドがそうだった様に、輸出すればする程国民が貧しくなってデフレが酷くなります。
輸出で儲けたドルは日本には戻らないでアメリカで再投資されるだけなんですね:

当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

インドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。


 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/746.html

[近代史5] アメリカ先住民の起源 中川隆
1. 中川隆[-8891] koaQ7Jey 2020年12月27日 10:56:31 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[11]
2020年12月27日
先コロンブス期カリブ海における2回の大きな人類集団の移動
https://sicambre.at.webry.info/202012/article_34.html


 先コロンブス期カリブ海における2回の大きな人類集団の移動に関する研究(Fernandes et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパ勢力による植民地化より前(先コロンブス期)には、カリブ海は考古学的に異なる共同体のモザイク状でした。これらの共同体は、相互作用のネットワークにより接続されており、それはキューバやイスパニョーラ島やプエルトリコにおける6000年前頃となる最初の人類の定住以降のことでした。

 先コロンブス期のカリブ海の時代は考古学的に3区分されており、物質文化複合体の変化を示します。石器時代と「古代(以下、カリブ海の考古学的時代区分を指す場合は「」で括ります)」は異なる石器技術により定義され、2500〜2300年前頃に始まった土器時代は、農業経済と集約的な土器製作を特徴としていました。これらの時代にまたがる物質文化における技術と様式の変化は、接続されたカリブ海の人々による地域的発展と、アメリカ大陸からの移住を反映していますが、その地理的起源や経路や移住の波の回数に関しては、議論が続いています。

 この研究は、195人の古代個体群から174人のゲノム規模データを生成しました。45の新たな放射性炭素年代に基づいて、バハマとイスパニョーラ島とプエルトリコとキュラソーとベネズエラのこれらの個体群は、較正年代で3100〜400年前頃と推定されました。これらの個体群の標的領域の平均網羅率は2.2倍で、一塩基多型の数の中央値は700689個(20063〜977658個の範囲)です。この新たに生成されたデータは、既知の89人の個体群(関連記事)とともに分析されました。

 以下、集約的な土器使用より前の、石器を伴うか放射性炭素年代が得られている遺跡を「古代(Archaic)」、土器が優勢な時代を「土器時代(Ceramic)」と表記します。本論文では、遺伝的系統を表す場合は「-related」、考古学的帰属を表す場合は「-associated」と表記されていますが、私の見識では上手く使い分ける名案が思い浮かばなかったので、以下の記事ではともに「関連」と表記します。なお、本論文では、研究にさいしての先住民との合意が示されており、今後の古代DNA研究ではこうした倫理面への配慮が必須になるでしょう。以下、古代の各標本の場所と遺伝的構造を示した本論文の図1です。

画像
https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41586-020-03053-2/MediaObjects/41586_2020_3053_Fig1_HTML.png


●先コロンブス期カリブ海の遺伝的構造

 主成分分析が実行され、現代のアメリカ大陸先住民のゲノムデータを用いて古代の個体群が投影されました(拡張図1b)。土器時代と「古代」の個体群は別々のクラスタで投影されますが、古代のベネズエラ個体群は、カベカル(Cabécar)語のような現代のチブチャ語(Chibchan)話者と関連しています(拡張図1b・c)。キュラソーとハイチの個体群は、ほとんどが土器時代関連クラスタと重なっています。遺跡内の遺伝的均質性の例外は、ドミニカ共和国のおもに土器時代と関連した遺跡であるアンドレス(Andrés)で、そのうち1個体(I10126)は、年代(以下、基本的に較正年代です)が3140〜2950年前頃となる「古代」ですが、遺伝的には他の「古代」関連個体群と類似しています(拡張図1b・c)。その後の分析から、低網羅率(0.05倍未満)で、他の「古代」関連個体群と質的に類似している1900年前頃となるドミニカ共和国のロジャ洞窟(Cueva Roja)の「古代」関連3個体と、1親等の3組から1個体が除外されました。

 考古学的分類とは独立した遺伝的構造を研究するため、アレル(対立遺伝子)共有、および主要な「クレード(単系統群)」と次に「下位クレード」に基づいて解像度を上げる個体群が集団化されました。遺伝学を用いて定義された集団は星印(*)で示されます。これらの遺伝的集団の命名法は、クラスタの遺跡と時代区分(「古代」および土器時代)を含む地理的位置を組み合わせたものです。

 その結果、有意に分化した主要な3クレードが識別されました(図1bおよび図2)。大アンティル諸島「古代」クレード(*GreaterAntilles_Archaic、以下では*GAA)は、3200〜700年前頃となるキューバの50個体と、アンドレス遺跡の1個体(I10126)を含みます。カリブ海土器時代クレード(*Caribbean_Ceramic、以下では*CC)は、1700〜400年前頃となる土器時代関連遺跡の194個体を含みます。ベネズエラ土器時代クレード(*Venezuela_Ceramic、以下では*VC)は、2350年前頃の8個体で構成されます。2個体のハイチ土器時代クレード(*Haiti_Ceramic、以下では*HC)と5個体のキュラソー土器時代クレード(*Curacao_Ceramic、以下では*CurC)は、主要なクレードの混合として適合します。

 次に、これらクレード内の下位クレードと下位構造が特定されました。*CC内では、ドミニカ共和国南東部沿岸土器時代クレード(*SECoastDR_Ceramic、以下では*SECDRC)が、沿岸50kmの4遺跡から構成されます。この4遺跡は、西から東へ、ラカレタ(La Caleta)、アンドレス、ジュアンドリオ(Juan Dolio)、エルソコ(El Soco)となります。これらの遺跡は1400年間居住されており、土器様式の変化にまたがる遺伝的連続性を記録します。バハマとキューバの約700年にわたる全ての土器時代関連遺跡は、バハマ・キューバ土器時代(*BahamasCuba_ Ceramic、以下では*BCC)として集団化され、さらなる下位構造がそれぞれ、バハマ諸島の遺跡5ヶ所とキューバの遺跡2ヶ所に存在します。小アンティル諸島の遺跡2ヶ所は、小アンティル諸島土器時代(*LesserAntilles_Ceramic、以下では*LAC)として、残りの*CC遺跡は大アンティル諸島東部土器時代(*EasternGreaterAntilles_Ceramic、以下では*EGAC)として集団化されます。遺伝的違いの値が低い場合(Pairwise FST<0.01)は、*CC下位クレード内での顕著な均質性が示唆され(土器時代関連クレードと「古代」関連クレードとの間ではFST=0.1)、島々の間の高い移住率を反映しています。

 各下位クレード内における他と比較しての「古代」関連系統の過剰を有する*CC個体群を特定するため、f4統計が用いられました。ラカレタ遺跡の1個体(I16539)と、*HCを構成する2個体は、土器時代関連および古代関連の混合の有意な証拠を示します。以前の見解(関連記事)とは対照的に、プエルトリコのパスコデルインディオ(Paso del Indio)遺跡の1個体(PDI009)では有意な「古代」関連系統は検出されませんでした。以下、本論文の拡張図1です。

画像
https://media.springernature.com/full/springer-static/esm/art%3A10.1038%2Fs41586-020-03053-2/MediaObjects/41586_2020_3053_Fig4_ESM.jpg


●「古代」関連のカリブ海の人々

 *GAAクレードは、アラワク語(Arawak)、カリブ語(Cariban)、チブチャ語(Chibchan)、チョコアン語(Chocoan)、グオジバン語(Guajiboan)、マタコ・グァイクルー語(Mataco–Guaicuru)、トゥピ語(Tupian)という7語族に区分される、中央アメリカおよび南アメリカ大陸北部の先住民と最も遺伝的浮動を共有します(図2a)。他の語族と比較しての、1語族の人々との過剰なアレル共有の証拠、もしくはメソアメリカあるいは北アメリカの現代人集団と特に共有される遺伝的浮動の証拠はありません。キューバの「古代」関連個体群は、ドミニカ共和国のアンドレス遺跡の1個体(I10126)とよりも、相互に多くのアレルを共有しており、これは「古代」関連下位構造を示します(図2a・b)。一部の分析では、この1個体(I10126)はドミニカ共和国アンドレス「古代」(*Dominican_Andres_ Archaic、以下では*DAA)として分離されます。

 北アメリカ大陸の個体群との類似性を有する人々による移住も、カリブ海の「古代」の一部個体群に影響を及ぼした、との以前の主張(関連記事)は再現できませんでした。この主張は、2700〜2500年前頃となるキューバのグアヤボブランコ(Guayabo Blanco)遺跡の1個体(GUY002)と比較しての、4900年前頃となるカリフォルニア州チャンネル諸島の前期サンニコラス(Early San Nicolas)の個体群と、キューバのペリコ洞窟(Cueva del Perico)遺跡の1個体(CIP009)との間の類似性に基づいていました。

 まず、対称性検証f4(GUY002、CIP009、前期サンニコラス、バハマのタイノ人)では、偏差は有意ではありませんでした。第二に、この主張の根底にある重要な統計は、CIP009とグアヤボブランコ遺跡の3個体を含むqpWaveに基づく対称性検証に基づいていましたが、検証された標本ペアの数を補正した後には有意ではありませんでした。第三に、f4(外群、CIP009、前期サンニコラス、バハマのタイノ人)では、以前には負の値がCIP009と前期サンニコラスとの間の類似性として解釈されました。有意ではない統計も再現されましたが、外群としてムブティ人を多様なユーラシア個体群、もしくはこの研究で新たに生成された古代ゲノムデータを有するバハマのタイノ人(Taino)に置換すると正の値になりましたが、本来ならば質的に類似した結果が得られるはずです。第四に、南アメリカ大陸の古代ゲノムデータを前期サンニコラスの場所に置くと、CIP009への吸引の有意ではないZ得点は同じくらい強く、北アメリカ大陸固有の関係の証拠はない、と示されます。第五に、CIP009は、他の「古代」関連個体群と同じ結節点上の本論文のqpGraph系統樹の簡略版に最適です。したがって、アレル共有手法の解決の限界まで、全ての「古代」関連カリブ海系統は単一起源からの派生と一致します。

 qpGraphにおいて*GAAは、最古のカリブ海とベリーズとブラジルとアルゼンチンの集団と初期に分岐した系統として適合します(図2c)。混合事象を示す最尤系統樹では、*GAAは分岐するアメリカ大陸先住民集団として適合します(拡張図3)。qpAdmもしくはf4統計を用いると、大陸部集団との特定の類似性のさらなる証拠は得られませんでした。土器使用者の到来は、カリブ海のほとんどにおいて「古代」関連系統を置換しました。例外はキューバ西部で、「古代」関連系統が最小限の混合で2500年存続し、この地域は別の言語および文化的伝統を有する人々がヨーロッパ人との接触の時期まで存在した、という考古学的および歴史学的説明と整合的です。以下、本論文の図2です。

画像
https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41586-020-03053-2/MediaObjects/41586_2020_3053_Fig2_HTML.png


●土器使用者の拡大

 以前の分析では、*CC(カリブ海土器時代クレード)関連の人々は、南アメリカ大陸北東部のアラワク語話者との遺伝的類似性を有する、と示されています(関連記事)。本論文の対称性f4統計では、この結論を裏づけられません。カリブ語もしくはトゥピ語話者集団よりもアラワク語話者とのより密接な関連性の有意な証拠は示されません。しかし、ADMIXTURE分析が示唆するのは、*CCの下位クレードはほぼ完全に、現代アラワク語話者では最高の割合で見つかる成分で構成されている、ということです。また、混合事象を示す最尤系統樹におけるアラワク語話者のつながりへの裏づけも見つかり、これにより全ての*CCの下位クレードはアラワク語話者のピアポコ人(Piapoco)やパリクール人(Palikur)と同じ枝に配置されます(拡張図3)。さらなる証拠は、qpAdmにおける*CCの単一起源として、ピアポコ人との適合の成功から得られます(図2c)。

 *LAC(小アンティル諸島土器時代クレード)と*DAA(ドミニカ共和国アンドレス「古代」クレード)の混合としてqpAdmで*モデル化すると、大アンティル諸島とバハマ諸島の土器時代関連の人々における「古代」関連系統は約0.5〜2.0%と推定されます。*CCの下位クレードのいずれかに*LACが由来する、という逆モデルは却下され、「古代」関連の人々が参照セットに含まれると失敗します。これらの観察の最も簡素な説明は、土器を使用していた祖先の南から北に向けてのカリブ海への移動というシナリオです。このシナリオでは、1000〜650年前頃の小アンティル諸島の個体群(おそらくは小アンティル諸島の最初の土器使用者の子孫)と類似した系統が、大アンティル諸島とバハマ諸島に拡大して先住の人々を置換し、先住の人々の系統は2.0%以下しか残らなかった、と想定されます。

 イスパニョーラ島の土器時代関連遺跡2ヶ所の3個体のみが、有意な「古代」関連混合を有する、と明らかになりました。qpAdmを用いたこの3個体の「古代」関連系統の割合は、ドミニカ共和国のラカレタ遺跡の1個体(I16539)で11.8±1.9%(ラカレタ遺跡の個体I16539)、ディエイル1(Diale 1)遺跡とハイチの各1個体で18.5±2.1%です。DATESソフトウェアを用いると、ハイチのこれら3個体の16±3世代前(約350〜500年前)に混合が起きた、と推定されます。

 ADMIXTUREおよびf統計におけるチブチャ語話者と*VC(ベネズエラ土器時代クレード)の類似性はqpAdmで確認され、*VCはカベカル語話者とのクレードとして適合します。したがって、ラスロカス(Las Locas)遺跡は、土器時代開始の頃に近い、土器関連文化とその担い手の拡大の仮定された起源地域に位置しますが、本論文の分析は、この拡大はより東方に起源がある、という証拠の重みを増加させます。キュラソーの土器使用者は、*LAC関連系統74.5±3.7%と、*VC関連系統25.5±3.7%の混合としてモデル化されます。このモデル化から、キュラソーの土器時代集団は2集団の混合に由来する、と示唆されます。一方は、土器時代の始まりにカリブ海のアンティル諸島へと拡大した集団と関連しており、もう一方はラスロカスのような遺跡をキュラソーへとつなぐダバジュロイド(Dabajuroid)土器様式と関連しています。

 頭蓋形態の研究では、1150年前頃となるベネズエラ西部からのカリブ人の移住の可能性を示唆しますが(関連記事)、そうした事象で予測されるような、この時の新たな系統の証拠はみつかりません。*VCや*LACやカリブ人の代理としての現代カリブ語話者アララ人(Arara)を用いてのシミュレーションでは、そのような集団からのわずか2〜8%の系統を検出できます。遺伝的データは別々の移住の証拠を示しませんが、シミュレーションに用いた代理よりも*CC関連の人々と遺伝的に類似するか、もしくは2%未満しか系統を寄与していないような、標本抽出されていない大陸部集団からの移住の可能性は除外できません。以下、本論文の拡張図3です。

画像
https://media.springernature.com/full/springer-static/esm/art%3A10.1038%2Fs41586-020-03053-2/MediaObjects/41586_2020_3053_Fig6_ESM.jpg


●社会的構造と集団規模の推定

 4cM(センチモルガン)を超えるホモ接合連続領域(ROH;両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じ対立遺伝子のそろった状態が連続するゲノム領域)を含む、40万以上の一塩基多型を有する本論文の共分析データセットから、202個体が検査されました。20 cM以上の長いROHが多いことは、過去数世代内の親の関連性を示唆しますが、短いROHの兆候が豊富なことは、遠い親族の関連性と制約された配偶プールを示唆します。202個体のうち2個体のみが、20 cM以上のROH領域において、 100 cM以上を有しており(約135 cMがイトコの子供の平均です)、これは近親交配が稀であることを示唆します。対照的に、48個体が少なくとも1ヶ所の20 cM以上ROHを有しており、多くの配偶がマタイトコもしくはミイトコのような近親関係の個体間で起きたことと、限定的な地域の人口規模を示唆します。

 小さな人口規模のさらなる証拠として、カリブ海全域の豊富な短〜中規模のROHが検出されました。ほぼ過去50世代以内の共有系統から生じる、4〜20 cMの全てのROHの長さ分布を用いて、有効人口規模(Ne)が推定されました。Neの推定は、じっさいの人口規模の推定に用いることができ、ヒトでは通常3倍で、最大で10倍です。土器時代と関連するカリブ海の遺跡のNe値(以前の推定値と類似した約500〜1000)は、「古代」関連遺跡のNe値(約200〜300)より大きく、農耕発展に伴う人口密度の増加を示します。これは、「古代」関連集団よりも土器時代関連集団の方で、ヘテロ接合性が高いことにも反映されています。

 ROH兆候からのNeの推定は、それが相互接続された遺伝子プールというよりもむしろ、遺跡の住民の限られた遺伝子プールを表しているので、カリブ海全域のNeの下限を表しています。したがって、男性の組み合わせのX染色体間の長い共有された断片、つまり同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)領域も分析されました。およそ過去20世代以内の過去から共有された遺伝子プールの規模を反映する、12〜20cMの長いIBDの共有された断片に焦点を当てると、人々がより近くの人々とより多くの遺伝子を交換した場合に予想されるように、そのような断片の割合は地理的距離とともに減少する、と明らかになりました。

 しかし、島嶼部全域で少なくとも8.7 cMの断片を共有する個体群19組が依然として検出され、これは、検証対象となったカリブ海全域の人々がその数百年前に祖先を共有していた、と明らかにします。イスパニョーラ島とプエルトリコの2つの主要なクレード間の比較から、3082という推定Ne(95%信頼区間で1530〜8150)が得られます。これは、限られた移住により遺跡間での遠い親戚とIBD共有の割合が減少するので、共有されるイスパニョーラ島とプエルトリコの共同集団の最近の有効規模の上限を提供します。Neの推定を3〜10倍すると、じっさいの人口規模が得られるので、先コロンブス期の人口規模は数十万もしくは百万という、古い報告もしくはあまり文書化されていない人口調査に基づく以前の推定は多すぎる、と推測されます。

 3〜4親等程度の、密接に関連する57組の個体群も検出されました。そのほとんどはラカレタ遺跡で発見され、ラカレタ遺跡では63個体のうち37個体に1人もしくは数人の親族がいましたが、検証された組み合わせごとの割合は、他の遺跡内よりも有意に大きいわけではなく、95%信頼区間で、ラカレタ遺跡では1.5〜2.8%なのに対して、他の遺跡では1.4〜4.6%でした。相互に接続する集団のさらなる証拠として、ドミニカ共和国南部で約75km離れて埋葬された男性親族が特定されました。それは、アタジャディゾ(Atajadizo)遺跡の父子の組み合わせと、ラカレタ遺跡で発見されたその2〜3親等の親族でした。


●現代人集団における先コロンブス期の系統と古代の母系および父系

 F4(ヨーロッパ人、検証集団、キューバ「古代」人、*CC)の計算により、現代と古代のカリブ海の人々で見られる在来系統間の遺伝的類似性が検証され、プエルトリコの個体群と土器時代関連個体群との間の関連性の兆候が得られました。この結果は、完全に土器時代関連系統ではあるものの、完全には「古代」関連系統ではないことと一致します。同じ検証をキューバの15州で個別に実行し、土器時代関連系統の弱い有意な証拠を有する2州および8自治体と、「古代」関連系統のわずかに有意な証拠を有するキューバ西部のグイネス(Guines)という1自治体が明らかになりました。したがって、入手可能な古代のデータは、過去1000年にわたってキューバの一部で混合されていない「古代」関連系統の持続を示しますが、現代までに土器時代関連系統と大いに混合されていました。

 以前の報告では、父系・母系での単系統遺伝となるハプログループでは、現代のカリブ海の人々における先コロンブス期の在来系統が報告されてきました。これらの報告に基づいて、以前には報告されていなかった、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の深い分岐となるC1dが特定されました。mtHg-C1dはカリブ海の土器時代関連下位クレード全体と、プエルトリコの現代人では約7%の頻度で存在します。これは、先住民の母方系統がカリブ海で先コロンブス期から持続してきており、アメリカ大陸からの植民地期の移動により説明できない、という直接的証拠を提供します。

 カリブ海の古代人の主要なmtHgはA2・B2・C1・D1です。「古代」関連個体群ではmtHg-D1の頻度が高く、土器時代の個体群ではより多様になる傾向があります。「古代」関連系統と土器時代関連系統との混合と推測される*HC(ハイチ土器時代クラスタ)の2個体はいずれもmtHg-D1で、同じく混合と推測される*CurC(キュラソー土器時代クラスタ)でもmtHg-D1の個体が確認されているので、mtHg-D1は「古代」関連系統個体群に由来するかもしれません。

 一方、Y染色体ハプログループ(YHg)では、本論文で新たに報告された96個体のうち87個体がYHg-Q1b1a1a(M3)で、そのうち57個体はさらにQ1b1a1a1に区分されています。*BCC(バハマ・キューバ土器時代クレード)個体群のうち2個体はYHg-Q1b1a2(M971)で、そのうち1個体はアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された男児(関連記事)と同じ派生的変異を有します。アンジック関連系統はカリブ海にも拡散したわけです。YHg-Q1b1a2はキューバでも3個体で確認されていますが、いずれも時代区分は「古代」です。


●まとめ

 本論文は、先コロンブス期カリブ海の人々に関する複数の議論に取り組んでいます。まず、「古代」に大アンティル諸島に存在した系統は単一起源の由来と一致し、2500年に及ぶ「古代」関連系統個体群間の違いはわずかなだけです。「古代」関連系統の人々の起源集団が中央アメリカなのか南アメリカなのか、本論文では区別できませんが、北アメリカ起源の可能性は低い、と明らかになりました。ただ、北アメリカの比較遺伝データは不足しています。

 第二に、本論文のデータは、カリブ海における集約的な土器使用の導入と拡大を伴う移動と一致します。土器時代関連個体群は、現代のアラワク語話者との遺伝的類似性を示し、これは南アメリカ大陸北東部起源を説く考古学および言語学の証拠と一致します。アラワク語話者集団は、南アメリカ大陸アマゾン地域から北東へ移住した時(一部集団はさらにオリノコ川沿いに移動してアンティル諸島に達し、他の集団はベネズエラ西部海岸へと移動しました)に分岐した、という仮説と一致して、キュラソーの個体群は*LAC(小アンティル諸島土器時代クレード)の系統と関連する系統を有します。カリブ海で最初の土器時代遺跡はプエルトリコと小アンティル諸島北部に存在し、小アンティル諸島のウィンドワード諸島(Windward Islands)は1800年前頃までに定住された、という考古学的証拠はありませんが、大アンティル諸島ではなく、キュラソーと小アンティル諸島の個体群間の一部系統の共有は、カリブ海への南から北への経路を裏づけます。

 第三に、*CC(カリブ海土器時代)下位クレードと、サラドイド(Saladoid)期・オスティノイド期(Ostionoid)・メイラコイド(Meillacoid)期・チコイド(Chicoid)期といった伝統的なカリブ海の土器類型論との間の関連は見つからず、これらの土器様式伝統は新たな人々の大きな移動の結果だった、とする文化史モデルは支持されません。代わりに、ドミニカ共和国南東部沿岸などの地域における系統構成は、物質文化の様式変化にまたがって千年以上続きます。カリブ海の人々と遺伝的に類似したアメリカ大陸の集団の移住が文化的変化の一部を引き起こした可能性は除外できませんが、本論文の知見は、カリブ海内の土器使用集団間の接続が様式移行を触媒した、という証拠の重みを高めます。

 第四に、イスパニョーラ島の3個体において、「古代」関連系統と土器時代関連系統との間の混合の最初の証拠を提供します。またこの発見は、カリブ海における「古代」関連系統と土器時代関連系統との間の混合がひじょうに稀だった(本論文ではカリブ海の土器を使用する201個体のうち3個体のみ)、という以前の推論(関連記事)を確認します。

 第五に、カリブ海の一部、とくにプエルトリコとキューバの現代人は先コロンブス期在来系統を有する、と確認されました。キューバでは、「古代」関連系統がほぼヨーロッパ人勢力との接触まで持続しましたが、キューバの在来系統は現在、ほぼこの系統に由来しません。これは、先住民の植民地後の移動を反映しているかもしれませんが、その少なくとも一部は、土器時代関連系統が500年前頃のキューバ西部および中央部の個体群に存在するように、先コロンブス期の事象を反映しています。

 第六に、本論文のデータは社会構造と人口統計への洞察を提供します。本論文はROHの分析により、「古代」および土器時代の両方で親族間の配偶回避を報告し、カリブ海の大半で蓄積されたROHの大きな割合を検出しますが、これは小さな集団規模を反映します。本論文では、75km離れて埋葬された男性親族が特定され、これは別の実態として分析された遺跡間の接続ネットワークを示唆します。接続のさらなる証拠として、島嶼部全域で共有されるハプロタイプが観察されました。それは、イスパニョーラ島とプエルトリコの大きな島々の全域において、3082という推定Ne(95%信頼区間で1530〜8150)で予想される値です。これらの推定は、分析された個体群のおよそ過去20世代を表していますが、これらの大きな島々全域のじっさいの人口が、ヨーロッパ人との接触が始まった時期には数十万から百万だった、という一部の文献で示唆されている規模よりはかなり少なかったことを示唆します。本論文の人口規模推定は、歴史的記録や人口計算よりずっと小さく、せいぜい数万人程度と推定されますが、ヨーロッパ人による植民地化と先住民の搾取と体系的殺害がカリブ海集団に与えた破壊的影響は明白です。

 先コロンブス期のカリブ海の人々の系統と遺産は現在まで続いており、古代DNA研究はこれをよりよく理解するのに役立ちます。現代のカリブ海の人々は、さまざまな割合で遺伝的系統の混合を有しています。それはおもに、先コロンブス期先住民集団系統(本論文のqpAdmによる推定では、キューバでは平均約4%、ドミニカ共和国では約6%、プエルトリコでは約14%)と、コロンブス期に移住してきたヨーロッパ個体群系統(キューバでは約70%、ドミニカ共和国では約56%、プエルトリコでは約68%)と、カリブ海に大西洋奴隷貿易で連行されたアフリカ個体群系統(キューバでは約26%、ドミニカ共和国では約38%、プエルトリコでは約18%)です。これら3集団は全て、カリブ海の現代人に遺伝的に寄与し、相互接続されたカリブ海世界の遺産を形成し続けています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


遺伝学:カリブ海沿岸地域の人類集団史には2つの大きな移動の波があった

 ヨーロッパ人が到来する前のカリブ海沿岸地域での人類の定住は、2つの大きな移動の波によるものだったことを報告する論文が、今週、Nature に掲載される。今回の研究では、古代カリブ海沿岸地域の人類集団史の詳細な分析が行われ、こうした先住民の子孫がカリブ海沿岸地域に現存していることが明らかになった。

 カリブ海沿岸地域に人類が初めて定住してからヨーロッパ人の到来(今から約500年前)までの間のカリブ海沿岸地域の人類集団史に関して、解明されていることは比較的少ない。今回、David Reichたちの研究グループは、約3000年前〜400年前にカリブ海沿岸地域に住んでいた174人の古代人のゲノムを分析し、このデータや他の公開データを用いて、古代人の集団のサイズや移動を調べた。この地域には、約3000年前までに、中米または南米北部の人々が定住し、石器技術をもたらした。その後、この集団の大部分は、移民の第2波に遺伝的に取って代わられた。移民の第2波は、南米北東部から小アンティル諸島を経由して大アンティル諸島に渡り、少なくとも1700年前にカリブ海沿岸地域に到来した。この第2波により定住した人々は、陶磁器の使用と農業経済を特徴とする独自の文化をもたらした。

 以前の研究では、ヨーロッパ人による植民地化が始まるまでのカリブ海沿岸地域に数十万人から数百万人が居住していたと推定されていたが、今回の研究では、全体の集団サイズははるかに小さく、数万人だったことが示唆された。こうした先住民の遺産は存続しており、カリブ海沿岸の一部の地域の住民は、ヨーロッパ人が到来する前の先住民に由来する遺伝子塩基配列を持っているだけでなく、ヨーロッパ系移民と大西洋横断奴隷貿易が行われていた時にカリブ海沿岸地域に連れてこられたアフリカ人から受け継いだDNAも保有している。


参考文献:
Fernandes DM. et al.(2021): A genetic history of the pre-contact Caribbean. Nature.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-03053-2

https://sicambre.at.webry.info/202012/article_34.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/353.html#c1

[近代史5] 巨大資本を後ろ盾とする親イスラエルで戦争に賛成する政治家のみが許される米国 中川隆
2. 中川隆[-8890] koaQ7Jey 2020年12月27日 11:08:21 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[13]
2020.12.27
米国の支配者は自分の都合次第で表現の自由も集会や結社の権利も認めない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012270000/

 12月16日に国連総会でナチズムやネオ・ナチズムを賞賛する行為に反対する決議が採択されたのだが、アメリカとウクライナの2カ国は決議に反対した。EUや日本が棄権したのはアメリカからの圧力があったからだろう。アメリカは反対した理由として、ナチスにも表現の自由、集会や結社の権利を同国の憲法が認めているからだとしている。

 しかし、アメリカの支配者は自分に都合が悪い場合、そうした自由や権利を認めてこなかった。アメリカやイギリスを中心にしてCOVID-19(コロナウイルス感染症-2019)を口実にした社会の収容所化、あるいはファシズム化が推進されている。宣伝の主体は有力メディアだ。

 その一方、そうした実態を告発、批判する言論は検閲の対象になっている。COVID-19騒動の非科学性を指摘する意見を西側各国の政府は封印しようとし、インターネット上では巨大な私的企業が検閲してきた。この騒動では言論が封殺されているだけでなく、「安全」を口実にして集会や結社の権利が侵害されている。

 欧米を中心に表現の自由が侵害されてきたテーマがパレスチナ人に対するイスラエルの弾圧。1948年5月14日にパレスチナでイスラエルが作られて以来、先住のアラブ系住民(パレスチナ人)は追放され、虐殺や破壊の対象になってきた。巨大な分離壁を建設し、その内部にパレスチナ人を隔離するということも行われている。物資の搬入を妨害するために海上封鎖も行われてきた。そのイスラエルを支えているのがシオニストだ。

 そうしたイスラエルのパレスチナ人に対する残虐行為を非難する人びとは少なくない。ヨーロッパを中心にして、イスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動も展開されているのだが、そうした行動をアメリカの政界は妨害しようとしてきた。

 アメリカ議会のイスラエル支持も有名で、「1995年エルサレム大使館法」という法律が制定されている。1999年5月31日までにエルサレムへ大使館を建設するべきだという内容だ。その法律が実行されないことからアメリカ上院は2017年6月にその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。その内容に沿う形でドナルド・トランプ大統領は2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都だと認めると宣言したわけだ。

 イスラエル軍は1982年にファランジスト党を使い、レバノンにあったサブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプで無防備の難民を虐殺した。殺対された難民の数は数百人、あるいは3000人以上と言われている。歴史的にイスラエルと近い関係にあったイギリス労働党の内部でもイスラエルの責任を問う声が大きくなり、イスラエルを守るアメリカとの関係を見直すことにもつながった。

 その後、イギリスの労働党は親パレスチナへ姿勢を変更させていく。1992年にジョン・スミスが党首になてからもそうした傾向は続く。そうした流れを元に戻したのがトニー・ブレアだ。

 イスラエルはブレア夫妻を1994年1月にイスラエルへ招待、3月にロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介した。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく、レビーの背後にはイスラエルが存在している。イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIもブレアは資金源にしていた。

 その年の5月、党首だったジョン・スミスが急死。その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利して新しい党首になり、イスラエルの思惑通り、労働党はイスラエル支持に逆戻りした。

 しかし、そうした動きは一般党員の意思とは逆。2015年に党首がジェレミー・コービンに選ばれたのはそのためだ。彼が党の幹部や有力メディアから「反ユダヤ主義者だ」と攻撃された理由はそこにある。イスラエルに従属しない人間は反ユダヤ主義者だというわけだ。

 2008年にロスチャイルド系投資銀行へ入り、200万ユーロという高額の報酬を得ていた過去があるフランスのエマニュエル・マクロン大統領も親イスラエルで有名で、反シオニズムを人種差別として取り締まると宣言している。マクロンは強者総取りの新自由主義に対する抗議活動(黄色いベスト)を暴力的に取り締まった。

 アメリカの支配者は私的な利益を守り、増やすため、民主的な政権を倒すだけでなく、国内を収容所化してきた。そうした現実を人びとへ明らかにしようとした告発者に対しては厳しく処罰している。

 権力犯罪を暴いたジュリアン・アッサンジはイギリスで逮捕され、アメリカへ引き渡す手続きが続いている。エドワード・スノーデンはロシアから外へ出られない状態だ。つまり、アメリカ政府が国連でナチズム関する決議に反対した理由を表現の自由、集会や結社の権利にあるとするわけにはいかない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012270000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/330.html#c2

[近代史4] イスラエル建国 中川隆
5. 中川隆[-8889] koaQ7Jey 2020年12月27日 11:09:09 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[14]
2020.12.27
米国の支配者は自分の都合次第で表現の自由も集会や結社の権利も認めない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012270000/

 12月16日に国連総会でナチズムやネオ・ナチズムを賞賛する行為に反対する決議が採択されたのだが、アメリカとウクライナの2カ国は決議に反対した。EUや日本が棄権したのはアメリカからの圧力があったからだろう。アメリカは反対した理由として、ナチスにも表現の自由、集会や結社の権利を同国の憲法が認めているからだとしている。

 しかし、アメリカの支配者は自分に都合が悪い場合、そうした自由や権利を認めてこなかった。アメリカやイギリスを中心にしてCOVID-19(コロナウイルス感染症-2019)を口実にした社会の収容所化、あるいはファシズム化が推進されている。宣伝の主体は有力メディアだ。

 その一方、そうした実態を告発、批判する言論は検閲の対象になっている。COVID-19騒動の非科学性を指摘する意見を西側各国の政府は封印しようとし、インターネット上では巨大な私的企業が検閲してきた。この騒動では言論が封殺されているだけでなく、「安全」を口実にして集会や結社の権利が侵害されている。

 欧米を中心に表現の自由が侵害されてきたテーマがパレスチナ人に対するイスラエルの弾圧。1948年5月14日にパレスチナでイスラエルが作られて以来、先住のアラブ系住民(パレスチナ人)は追放され、虐殺や破壊の対象になってきた。巨大な分離壁を建設し、その内部にパレスチナ人を隔離するということも行われている。物資の搬入を妨害するために海上封鎖も行われてきた。そのイスラエルを支えているのがシオニストだ。

 そうしたイスラエルのパレスチナ人に対する残虐行為を非難する人びとは少なくない。ヨーロッパを中心にして、イスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動も展開されているのだが、そうした行動をアメリカの政界は妨害しようとしてきた。

 アメリカ議会のイスラエル支持も有名で、「1995年エルサレム大使館法」という法律が制定されている。1999年5月31日までにエルサレムへ大使館を建設するべきだという内容だ。その法律が実行されないことからアメリカ上院は2017年6月にその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。その内容に沿う形でドナルド・トランプ大統領は2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都だと認めると宣言したわけだ。

 イスラエル軍は1982年にファランジスト党を使い、レバノンにあったサブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプで無防備の難民を虐殺した。殺対された難民の数は数百人、あるいは3000人以上と言われている。歴史的にイスラエルと近い関係にあったイギリス労働党の内部でもイスラエルの責任を問う声が大きくなり、イスラエルを守るアメリカとの関係を見直すことにもつながった。

 その後、イギリスの労働党は親パレスチナへ姿勢を変更させていく。1992年にジョン・スミスが党首になてからもそうした傾向は続く。そうした流れを元に戻したのがトニー・ブレアだ。

 イスラエルはブレア夫妻を1994年1月にイスラエルへ招待、3月にロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介した。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく、レビーの背後にはイスラエルが存在している。イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIもブレアは資金源にしていた。

 その年の5月、党首だったジョン・スミスが急死。その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利して新しい党首になり、イスラエルの思惑通り、労働党はイスラエル支持に逆戻りした。

 しかし、そうした動きは一般党員の意思とは逆。2015年に党首がジェレミー・コービンに選ばれたのはそのためだ。彼が党の幹部や有力メディアから「反ユダヤ主義者だ」と攻撃された理由はそこにある。イスラエルに従属しない人間は反ユダヤ主義者だというわけだ。

 2008年にロスチャイルド系投資銀行へ入り、200万ユーロという高額の報酬を得ていた過去があるフランスのエマニュエル・マクロン大統領も親イスラエルで有名で、反シオニズムを人種差別として取り締まると宣言している。マクロンは強者総取りの新自由主義に対する抗議活動(黄色いベスト)を暴力的に取り締まった。

 アメリカの支配者は私的な利益を守り、増やすため、民主的な政権を倒すだけでなく、国内を収容所化してきた。そうした現実を人びとへ明らかにしようとした告発者に対しては厳しく処罰している。

 権力犯罪を暴いたジュリアン・アッサンジはイギリスで逮捕され、アメリカへ引き渡す手続きが続いている。エドワード・スノーデンはロシアから外へ出られない状態だ。つまり、アメリカ政府が国連でナチズム関する決議に反対した理由を表現の自由、集会や結社の権利にあるとするわけにはいかない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012270000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1024.html#c5

[近代史5] 現生人類の起源 中川隆
2. 中川隆[-8888] koaQ7Jey 2020年12月27日 11:16:54 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[15]
コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/382.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/464.html#c2

[近代史5] 現生人類の起源 中川隆
3. 中川隆[-8887] koaQ7Jey 2020年12月27日 11:22:22 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[16]
太平洋先住民の起源
ポリネシア人・オーストロネシア語族の起源は台湾先住民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/355.html#c3
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/464.html#c3
[近代史5] コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族 中川隆
1. 中川隆[-8886] koaQ7Jey 2020年12月27日 12:13:08 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[17]
日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

DNA解析の限界/実は単品ではあまり役にたたないという話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/430.html

ネット上でよく見かける人類進化に関する誤解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/774.html

先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/590.html


▲△▽▼

日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm

1-2. 日本と関連民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度 rev.1
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm

1-7. 極東遺伝子度調査 Y-DNA「O」(O1,O2,O3」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-7,19-6,18-3.htm#1-7
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-7,19-6,18-3.htm#18-3

1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm

3-10. Y-DNA「Q」 異民族の侵入者フン族の痕跡
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-10.htm

15-31. 新石器時代後期の中国北部がシナ‐チベット語族の起源らしい!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-31.htm

14-8. 長江江南(江西省仙人洞洞窟遺跡)で世界最古2万年前の土器発見!?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-8.htm


▲△▽▼
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/382.html#c1

[近代史5] コーカソイドは人格障害者集団 中川隆 中川隆
10. 中川隆[-8885] koaQ7Jey 2020年12月27日 12:18:05 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[18]
日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
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1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
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DNA解析の限界/実は単品ではあまり役にたたないという話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/430.html

ネット上でよく見かける人類進化に関する誤解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/774.html

先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
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日本人のガラパゴス的民族性の起源
ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告

 3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm

 3-2. Y-DNA「I」   ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

 3-3. Y-DNA「R1b」  ケルト度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm
       
 3-4. Y-DNA「R1a」  スラブ度・インドアーリアン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm

 3-5. Y-DNA「N1c」  ウラル度・シベリア度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-5.htm
 
 3-6. Y-DNA「E1b1b」 ラテン度(地中海度) 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-6.htm
  
 3-7. Y-DNA「J」   セム度・メソポタミア農耕民度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

 3-8. Y-DNA「G」   コーカサス度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-8.htm

15-4. アイスマンのY-DNAはスターリンと同じコーカサス遺伝子の「G2a」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-4.htm
 
3-9. Y-DNA「T」   ジェファーソン度 調査 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-9.htm  

3-10. Y-DNA「Q」   異民族の侵入者フン族の痕跡調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-10.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

1-15. コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-15.htm

1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm

1-17. 多民族国家 ロシアのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-17.htm

1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-9.htm

1-18. 多民族国家 インドのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm

1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html#c10

[近代史5] コーカソイドは人格障害者集団 中川隆 中川隆
11. 中川隆[-8884] koaQ7Jey 2020年12月27日 12:23:09 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[19]
1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-9.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
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1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
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1-15. コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-15.htm

1-17. 多民族国家 ロシアのY-DNA遺伝子調査
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[近代史5] 日本人のガラパゴス的民族性の起源 日本人の源流考 中川隆
3. 中川隆[-8883] koaQ7Jey 2020年12月27日 12:26:00 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[20]
日本人のガラパゴス的民族性の起源
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1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
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2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
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1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

DNA解析の限界/実は単品ではあまり役にたたないという話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/430.html

ネット上でよく見かける人類進化に関する誤解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/774.html

先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
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▲△▽▼

日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
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1-2. 日本と関連民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度 rev.1
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm

1-7. 極東遺伝子度調査 Y-DNA「O」(O1,O2,O3」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-7,19-6,18-3.htm#1-7
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1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm

3-10. Y-DNA「Q」 異民族の侵入者フン族の痕跡
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-10.htm

15-31. 新石器時代後期の中国北部がシナ‐チベット語族の起源らしい!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-31.htm

14-8. 長江江南(江西省仙人洞洞窟遺跡)で世界最古2万年前の土器発見!?
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/280.html#c3

[近代史5] 日本人のガラパゴス的民族性の起源 日本人の源流考 中川隆
4. 中川隆[-8882] koaQ7Jey 2020年12月27日 12:27:42 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[21]
日本人のガラパゴス的民族性の起源
ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告

 3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
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 3-2. Y-DNA「I」   ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

 3-3. Y-DNA「R1b」  ケルト度 調査
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 3-4. Y-DNA「R1a」  スラブ度・インドアーリアン度 調査
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 3-5. Y-DNA「N1c」  ウラル度・シベリア度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-5.htm
 
 3-6. Y-DNA「E1b1b」 ラテン度(地中海度) 調査
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 3-7. Y-DNA「J」   セム度・メソポタミア農耕民度 調査
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 3-8. Y-DNA「G」   コーカサス度 調査
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15-4. アイスマンのY-DNAはスターリンと同じコーカサス遺伝子の「G2a」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-4.htm
 
3-9. Y-DNA「T」   ジェファーソン度 調査 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-9.htm  

3-10. Y-DNA「Q」   異民族の侵入者フン族の痕跡調査
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1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
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1-15. コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
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1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
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1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
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1-17. 多民族国家 ロシアのY-DNA遺伝子調査
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1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
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1-18. 多民族国家 インドのY-DNA遺伝子調査
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1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
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1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
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1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
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1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
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1-15. コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
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1-17. 多民族国家 ロシアのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-17.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/280.html#c4

[近代史5] 日本の文学
日本の文学


古事記の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/337.html

天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html

弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html

弥生人の起源2
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/549.html

古事記(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/514.html

日本書紀(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/513.html

先代旧事本紀 (現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/515.html

古語拾遺(現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/516.html

▲△▽▼

折口信夫 國文學の發生(第三稿)まれびと の意義
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/424.html

折口信夫 鬼の話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/422.html

折口信夫 河童の話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/423.html

▲△▽▼

柳田国男 山の人生
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/420.html

柳田国男 遠野物語
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/421.html

▲△▽▼

伊勢物語の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/380.html

いい日旅立ち _ 山の向こう側にいるのは…
01. 中川隆 2011年8月05日 07:56:33 『筒井筒』/伊勢物語
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html

能の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/332.html

▲△▽▼

松尾芭蕉の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/379.html

狐狸狐狸ばなし _ 歌舞伎「狐狸狐狸ばなし」
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/128.html

中川信夫 『東海道四谷怪談』 1959年 新東宝
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/838.html

溝口健二 西鶴一代女 (東宝 1952年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/159.html

溝口健二 雨月物語 (大映 1953年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/156.html

溝口健二 近松物語(大映 1954年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/161.html

▲△▽▼

小泉八雲の世界
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/103.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/973.html

溝口健二 山椒大夫 (大映 1954年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/172.html

黒澤明にはわからなかった女性の恐ろしさ _ 黒澤明 羅生門 (大映 1950年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/174.html

サルはなぜサルか 1 _ 映画「羅生門」_ 黒澤明にはわからなかった女性の恐ろしさ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/397.html

宮沢賢治の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/751.html

▲△▽▼

谷崎潤一郎の世界
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/102.html

溝口健二 お遊さま(大映 1951年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/160.html

▲△▽▼

川端康成の世界

いい日旅立ち _ 山の向こう側にいるのは…
2. トンネルの向こう側で待っている女性とは… 川端康成「雪国」
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html

修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない
_ 英訳すると情痴小説(ポルノ小説)『雪国』が 出来の悪い純愛小説になってしまう理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c58

湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 _ 川端康成「雪国」の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html  

日本のフツーの男はみんなロリコンだった
3. 中川隆 2018年12月22日 「眠れる美女」 House of the sleeping beauties
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/108.html#c3

▲△▽▼

旧家の男子と乳母との心の繋がりが実の母親より遥かに大きい理由 _ 太宰治は本当に性的虐待を受けたのか?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/348.html

三島由紀夫の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/451.html

深沢七郎の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1004.html

スタジオジブリ 『火垂るの墓』 1988年 東宝
_ 野坂昭如 『火垂るの墓』
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/104.html

昔の日本映画は熱かった _ 高畑勲 野坂昭如_火垂るの墓 (スタジオジブリ 1988年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/163.html

伝説の名湯 岩内 朝日温泉 _ 水上勉「飢餓海峡」の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/230.html

村上春樹の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/959.html

松浦寿輝の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1019.html

三池崇史 『インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ〜』
_ 岩井志麻子 『ぼっけえ、きょうてえ』
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/644.html

高橋克彦 「緋い記憶」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/820.html

滝田洋二郎 秘密 1999年 東宝
_ 東野圭吾 「秘密」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/861.html

志田未来 名演技集
_ 東野圭吾 「秘密」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/862.html#c1


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/467.html

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