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新共産主義クラブ kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ コメント履歴 No: 100024
http://www.asyura2.com/acpn/k/kf/kfa/kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ/100024.html
[NWO7] テレグラム創設者パーヴェル・ドゥロフ氏 「米政府は技術者に秘密で裏口(バックドア)を仕込ませる法律が存在する」 (Tucke… 魑魅魍魎男
4. 新共産主義クラブ[-10396] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月15日 07:52:39 : VngkEkwTYw :TOR aW1GMG9rWTZSYjY=[4]
<▽40行くらい>
>>3 「第n次嫌々期(仮)」さん


Linux には、公開されているカーネルソースの中に、デバイスドライバを中心に、バイナリ・ブロブ(binary blob)と呼ばれる大量の解読不可能なバイナリコードが含まれていて、その中にバックドアとして使えるようなコードを忍び込ませることができることが潜在的な問題になっています。

フリーソフトウェア財団(Free Software Foundation FSF)では、Linux Foundation が配布している通常の Linux Kernel とは別に、バイナリ・ブロブを完全に除去した、Linux-libre と呼ばれる Linux Kernel を配布しています。

GNU Guix の Linux Distribution には、Linux-libre の Linux Kernel が梱包されています。


◆ バイナリ・ブロブ

バイナリ・ブロブ(binary blob)とは、自由ソフトウェアコミュニティにおいて自由またはオープンソース(FOSS)なオペレーティングシステムのカーネルにロードされるオブジェクトファイルについて、公開されかつ利用可能なソースコードが存在しない場合のものを指す用語である[1]。

フリーソフトウェア財団(Free Software Foundation FSF)はバイナリ・ブロブに対抗する為のキャンペーンを活発に行っている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%96


◆ Linux-libre

Linux-libre(リナックス・リブレ、[ˈlɪnəks ˈliːbrə])は、オペレーティングシステムカーネルで、Linuxカーネルの修正バージョンから続いているGNUプロジェクトのパッケージである[5]。

このプロジェクトの目的は、ソースコードを含まなかったり、ソースコードが難読化されていたり、プロプライエタリなライセンスの元にリリースされていたりするようなソフトウェアを全てLinuxカーネルから除去することで、完全に自由なカーネルを作ることである。

Linuxカーネルのうちソースコードがない部分はバイナリ・ブロブと呼ばれ、主にプロライエタリなファームウェアがそれに該当する。バイナリ・ブロブは通常再配布可能であるが、ユーザーによる改変や、リバースエンジニアリングは通常許可されていない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/Linux-libre


◆ GNU Guix

 Guix System(オペレーティングシステム)

GNU Shepherd initシステムとLinux-libreカーネルを利用しており[31][32]、GNU Hurdカーネルのサポートが開発中である[33]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/GNU_Guix



http://www.asyura2.com/23/holocaust7/msg/842.html#c4

[戦争b26] イランが報復のために発射したミサイルでテル・アビブに被害、今後、石油戦術も(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
28. 新共産主義クラブ[-10395] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月15日 16:53:25 : X1FrLYHhPQ :TOR YURuMVZDQ2JCWVk=[54]
>>27 「T80BVM」さん
>イラン(イスラム諸国代表)


イランは、イスラム諸国の代表などでは、全然ありません。

「T80BVM」さんは未だ生まれていない頃だろうと思いますが、イスラム革命後のイランは、イラクを始めとして、アラブのイスラム諸国とは、全方位的に敵対していました。

日本で言えば、日本会議の幹部が日本の政権を獲って、東アジアでの日本の周辺の中国とも、韓国とも戦っているような状態でした。

宗教や宗派や民族や人種で、中東を分断統治したい英国や英国を主な拠点とするロスチャイルド財閥にとっては、イスラム革命後のイランは、正に優等生のような国ですね。


http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/197.html#c28

[戦争b26] イランが報復のために発射したミサイルでテル・アビブに被害、今後、石油戦術も(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
37. 新共産主義クラブ[-10394] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月15日 18:41:05 : iwafCSH60M :TOR SXk5bGl6S0t3NGs=[-2]
>>36 「カミー」さん
>ところどころにボロが見えますよ(笑)。

具体的な箇所を指摘してください。


http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/197.html#c37

[戦争b26] イランが報復のために発射したミサイルでテル・アビブに被害、今後、石油戦術も(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
43. 新共産主義クラブ[-10393] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月16日 05:42:59 : GBMvsdFdKY :TOR cWZYQTAvampCd0U=[1]
<▽43行くらい>
>>42 「T80BVM」さん
>「オレは物事を深く考えるのが苦手なんでね」


いや、戦争がおこなわれているのを知ったら、「誰が興業主で、脚本の意図は何か」、解答者を引っ掛ける難問のクイズが出題されたと思って、自分でよく考えてください。

競馬や競艇やスポーツの観戦ではないので、間違っても、どちらかの当事者を全力で応援するのは、絶対にやめてください。命を擦り減らします。

「T80BVM」さんのお爺さんの世代の人達は、「イラン・コントラ事件」というのを記憶しているはずです。

イスラム革命後、イラクと戦っていたイランが、不倶戴天の敵だと思われていた、イスラエルや米国と、裏で手を握り合っていたことを知り、「T80BVM」さんのお爺さんの世代の人達は、皆一斉に腰を抜かしました。
 

◆ イラン・コントラ事件

イラン・コントラ事件(イラン・コントラじけん、Iran-Contra Affair)は、アメリカ合衆国のロナルド・レーガン政権が、レバノンでシーア派テロリスト集団に捕らえられているアメリカ人の解放を目的としてイランと裏取引をした上に、アメリカ国家安全保障会議から同国へ武器を売却し、さらにその代金をニカラグアの反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していた事件。1986年に発覚するや、アメリカ国内のみならず世界を巻き込む政治的スキャンダルに発展した。イランゲート(Irangate)といわれた。
 

 《イスラエルの活動イランへの支援》

この頃のイスラエルは、アメリカによる極秘裏の支援が開始される以前からイランを支援し、武器を密輸出していた。イラン革命の直後にイラクに攻撃されたイランは、国際的には敗北必至と判断され、実際に戦死者はイラクをはるかに上回っていた。

革命後のイランは「反イスラエル・反シオニズム」が国是であったが、戦争敗北の恐れから、イスラエルからの武器援助を快諾した。戦争時、イランの武器輸入総額は半分がイスラエルからのものであった。そのイスラエルが販売する武器は、友好国であるアメリカや西欧諸国の軍が使用する数多の最新兵器であった。

アメリカ政府はこれに目をつけ、人質解放のために、身代金としてアメリカの武器をイランへ輸出するように要請した。これは、イランとの武器貿易を公式にしたいイスラエルにとって望むところであり、アメリカはイスラエルによるイランへの武器輸出を承認し、密貿易は公式な間接貿易となった。これによって人質の一部が解放されたが、その頃からイスラエルはアメリカの代理人としてイランへ武器を輸出することを渋るようになった。そのため、アメリカ政府は直接、イランに対して武器を密輸出するようになったが、これが発覚してスキャンダルになってしまった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6



http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/197.html#c43

[戦争b26] イランが報復のために発射したミサイルでテル・アビブに被害、今後、石油戦術も(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
44. 新共産主義クラブ[-10392] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月16日 07:24:43 : yAYq11zxk6 :TOR OVlMb3U5NFpSNWc=[101]
<■97行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
>>10 (補足)
>イランのイスラム革命は、イランでの覇権を米国から取り戻そうとした英国とロスチャイルド財閥によってもたらされ、その後のイラン・イラク戦争は、米国の傀儡だった世俗政権のサダム・フセイン政権のイラクと、英国が関与するイスラム政教一致政権のイランとの、米英の代理戦争だったという見方ができるかもしれない。
 

田中宇さんは、イランのイスラム革命は、米国が起こしたという見解を述べています。

民主党のカーター大統領は、心の中では密かにイスラエルよりもパレスチナ側を支持していたと言われています。

これを察知したイスラエルと英国およびロスチャイルド財閥が、1980年の米大統領選でカーター大統領の再選を阻むために、イスラエル、英国およびロスチャイルド財閥が、ルーホッラー・ホメイニーさんと共謀して、イランのイスラム革命を米国に持ち掛け、米国に協力させた上で、イスラム革命が成功した後に、イランは反米的な行動を取り始め、カーター大統領の権威を失墜させたと推察されます。

共和党のレーガン政権が発足してからは、水面下で米国とイランとの関係が復活しています。

次期米大統領選挙のために、米国の共和党がロスチャイルド財閥と組み、米国の国外において、政権を担っている米国の民主党と、米国の共和党との代理戦争や内戦がおこなわれたという点では、2022年からのウクライナとロシアとの紛争に似ています。


◆ イラン革命を起こしたアメリカ
(2008年7月31日   田中 宇)
 

 ▼ イラン軍に革命を容認させた米

 イスラム革命は、イラン国内の反米感情が高まってシャーが追放され、代わりに反米イスラム主義のホメイニが亡命先から凱旋して実現したと、一般には語られている。だが、当時の状況を詳細に見ると、シャーを追い出してホメイニに権力を与える画策をした張本人は、アメリカ(軍産英複合体)だったのではないかと思えてくる。

 一つのポイントは、ホメイニが亡命先のパリから、仏当局などに全く阻止されずに、テヘランに凱旋したことである。ホメイニがテヘランに帰国する直前の79年1月末、米政府のイラン駐留要員高官の一人だったラムジー・クラーク(民主党・左翼)が、パリに行ってホメイニと会談し、米政府の意志をホメイニに伝え、その後記者団に「今後、イランの革命が成功し、人々に社会正義をもたらしてくれるだろう」と述べている。(関連記事)

 クラークは左翼なので、シャー政権を倒す革命を「正義」と評価した。ここで重要なことは、米政府はイランでシャー打倒の革命が起ころうとしていることを知りながら、防がなかったということである。シャー自身、米に亡命した後、自分を追放してホメイニを政権につけたのはCIAの戦略だったと述べている。

 イスラム革命の背後に米がいたと思えるもう一つのポイントは、革命の直前、在欧米軍のホイザー司令官(Robert Huyser)がテヘランにやってきて、イラン軍の上層部に、革命が起きてもイラン軍は中立の姿勢を貫くように、要請して回ったことである。シャーは回顧録の中で、それまで何度もテヘランに来るたびに、まず自分のところに挨拶に来るホイザーが、革命直前の訪問時には自分に全く連絡せずにテヘランに来て隠密行動したのでおかしいと感じた、と書いている。

 ▼ 人質事件でホメイニを反米化

 当時の事情をよく知る人々の中からは「シャーが米に亡命した時には、すでに米当局とイランのイスラム聖職者勢力との間で、新政権に関する話し合いができていた」「イラン革命政府は、米が革命を支援していたことを隠している」との指摘が出ている。革命前、シャーはイスラム聖職者集団に接近し、対立回避策を試みたが、同時期には米当局も聖職者に接近し、非公然に革命を煽ることをやっている。(関連記事)

 ホメイニは米からの非公式な支援を受け、イスラム革命を成功させたが、革命から7カ月後、革命派の学生らがテヘランの米大使館を人質を取って占拠した後、米イラン関係は悪化し、ホメイニは米を敵視する態度をとるようになった。米大使館占拠は革命発生直後にも起き、ホメイニは一貫して革命派による米大使館占拠に強く反対していた。しかし、2度目の占拠が長引き、米議会でイラン制裁が議論され、米軍ヘリコプター部隊が秘密裏にイランに侵攻して人質救出を試みたが失敗するといった敵対行為が増す中で、ホメイニ政権は反米姿勢を強めた。

 米大使館の人質解放までには約1年かかったが、この間、米では大統領選挙があり、軍産複合体が推す共和党レーガンが勝った。1980年10月の選挙前には、副大統領候補だったパパブッシュがパリに行き、イランのホメイニ側近と会い、レーガン陣営が勝ったら人質を解放するとの約束を得て、人質解放に失敗し続ける現職の民主党カーターとの違いを鮮明化し、選挙戦を有利に進めた(10月サプライズ事件)。

https://tanakanews.com/080731iran.htm
 


◆ オクトーバーサプライズ

 《1980年大統領選挙》

1980年大統領選挙では、現職ジミー・カーター大統領(民主党)とロナルド・レーガン候補(共和党)の間で接戦が繰り広げられていた。当時米国は、イラン革命で過激派の学生によりテヘランのアメリカ大使館が占拠され、大使館員52人が人質にとられるという試練を抱えていた(イランアメリカ大使館人質事件)。1980年4月、米デルタ・フォースによる人質救出作戦は失敗し、2期続投を目指すカーター政権への大きな打撃となった。このため、カーター政権の外交姿勢を「弱腰」と批判する共和党を勢いづかせる結果となった。

この事件に関して、レーガン政権の副大統領へ転身を企むジョージ・H・W・ブッシュとレーガンの選挙チーム責任者ウィリアム・J・ケイシー(英語版)(後のCIA長官)が、1980年10月18 - 19日にパリで密かにイラン政府関係者と会談し、ホメイニ他イラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期をレーガン大統領就任時まで延長するように交渉したという疑惑があるとされる。この交渉の目的は、カーターの在任中に人質事件を解決させないことで彼の人気を落とし(つまりカーターに有利に働く「オクトーバーサプライズ」を回避し)、レーガン大統領就任時に人質解放を実現することで「強いレーガン大統領」を演出することであったとされる。

結局、この選挙でカーターは敗北し、1981年1月20日、レーガンが第40代大統領に就任した。同日、人質となっていたテヘランのアメリカ大使館員らも無事解放され、生還した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BA
 



http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/197.html#c44

[戦争b26] イランが報復のために発射したミサイルでテル・アビブに被害、今後、石油戦術も(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
47. 新共産主義クラブ[-10391] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月16日 22:23:12 : X1FrLYHhPQ :TOR YURuMVZDQ2JCWVk=[55]
<▽40行くらい>
>>45 「カミー」さん
>>>43
>イランコントラ事件はあったけどイスラエルは関与してないよ。
 

イラン・コントラ事件に関する調査で、特別検察官(独立法務官)に任命されたローレンス・ウォルシさんが1994年に提出した最終報告書に、米国がイスラエルに提供した武器を、1985年にイスラエルが3回にわたりイランへ送ったことが記載されています。
 

◆ FINAL REPORT OF THE INDEPENDENT COUNSEL FOR IRAN/CONTRA MATTERS
Volume I: Investigations and Prosecutions
Lawrence E. Walsh Independent Counsel
August 4, 1993 Washington, D.C.

UNITED STATES COURT OF APPEALS FOR THE DISTRICT OF COLUMBIA CIRCUIT

Division for the Purpose of Appointing Independent Counsel Division No. 86-6


Part I
Iran/contra: The Underlying Facts

The Iran Arms Sales

What we now know as the Iran arms sales, or the Iran initiative, was actually
a series of related but distinct events that began in the summer of 1985 and
continued through 1986. Israel sent U.S.-supplied weapons to Iran on three
occasions in 1985. These shipments took place with U.S. approval, and, in one
instance, with U.S. participation.

https://irp.fas.org/offdocs/walsh/part_i.htm
 

◆ イラン・コントラ事件 Iran-Contra affair
(日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク)

1986年11月、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)がイランに対し、1985年夏から1986年秋にかけてイスラエル経由などで対戦車や対空ミサイル、戦闘機部品を極秘裏に輸出し、その代金の一部をニカラグアの反政府右派ゲリラ「コントラ」への援助に流用していたことが発覚した。

当初事実を全面否定していたレーガンは、結局イランへの武器供与に承認を与えていたことは認めた。事件の調査は、ジョン・タワーJohn Tower(1925―1991)が議長を務める三人委員会、上下各院の特別委員会、特別検察官(独立法務官)に任命されたローレンス・ウォルシュLawrence Edward Walsh(1912―2014)によりそれぞれ進められた。ウォルシュは1994年の最終報告書で、レーガン、G・H・W・ブッシュはともにイランへの武器供与を承知し、発覚後は隠蔽(いんぺい)工作に関与したが、コントラへの流用は知らなかったと認定した。

https://kotobank.jp/word/%E3%81%84%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%A8%E3%82%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6-3143425
 


http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/197.html#c47

[戦争b26] イランが報復のために発射したミサイルでテル・アビブに被害、今後、石油戦術も(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
49. 新共産主義クラブ[-10390] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月16日 23:04:02 : N1gmZNoLQQ :TOR Si96SVBvV2Y5Rnc=[43]
<■55行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
>>44 (補足)
>民主党のカーター大統領は、心の中では密かにイスラエルよりもパレスチナ側を支持していたと言われています。
 

◆ ジミー・カーター
(Wikipedia)
 《出版》
2006年11月
"Palestine peace not apartheid"(日本語版:『カーター、パレスチナを語る―アパルトヘイトではなく平和を』)を出版した。ユダヤ・ロビーといわれる圧力団体が大きな力をもって存在し、政治・経済などを主としてあらゆる分野の主要ポストに多数ユダヤ系が見られたり、アメリカの全人口のたった2パーセントに過ぎないが、イスラエル在住のユダヤ人を少し上回る数のユダヤ人が居住するアメリカにおいて、政治家によるイスラエル批判というのはタブーに等しく、発売後かなりの大反響を巻き起こし、ベストセラーとなった。カーターはその大統領就任の経緯からしても、他の歴代大統領たちと比較してイスラエルやユダヤ人社会に過剰に配慮しなくてはならない理由はなかったが、ユダヤ人の多くは民主党の支持者であり、さすがに任期中は公然とパレスチナの味方をすることはとてもできず、この出版で真実を吐露することとなった。この本においてカーターは「ハマースなどパレスチナ側にも非があるが、問題発生から60年、ここまで問題をこじらせたのはイスラエルである」と言い切る。イスラエル建国60周年に当たる2008年に日本でも出版された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

◆ ジミー・カーター(著) 北丸雄二・中野真紀子(訳) 「カーター、パレスチナを語る ――アパルトヘイトではなく平和を」 (晶文社 2008年)
https://www.shobunsha.co.jp/?p=1111

◆ Palestine: Peace Not Apartheid
https://en.wikipedia.org/wiki/Palestine:_Peace_Not_Apartheid

◆ Commentary on Palestine: Peace Not Apartheid
https://en.wikipedia.org/wiki/Commentary_on_Palestine:_Peace_Not_Apartheid

◆ Jimmy Carter Defends 'Peace Not Apartheid'
(NPR NEWS January 25, 2007)

-- Mr. President, perhaps I could begin with the title of your book, which has
caused a bit of debate. Could you just make, briefly, the best case you can
for why "apartheid" is the best word to use?

Well, I'll try to make a perfect case. Apartheid is a word that is an accurate
description of what has been going on in the West Bank, and it's based on the
desire or avarice of a minority of Israelis for Palestinian land. It's not
based on racism. Those caveats are clearly made in the book. This is a word
that's a very accurate description of the forced separation within the West
Bank of Israelis from Palestinians and the total domination and oppression of
Palestinians by the dominant Israeli military.

https://www.npr.org/2007/01/25/7004473/jimmy-carter-defends-peace-not-apartheid


>>45 「カミー」さん
>>>44
>ますますデタラメ発言だね(笑)。
 

「カミー」さんが、デタラメだと思った箇所を、具体的に指摘してください。
 


http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/197.html#c49

[戦争b26] イランが報復のために発射したミサイルでテル・アビブに被害、今後、石油戦術も(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
51. 新共産主義クラブ[-10389] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月18日 07:07:59 : jxnWjWmqNQ :TOR TGV0SGRXTXYySi4=[1]
<■154行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
>>44 (補足)
>田中宇さんは、イランのイスラム革命は、米国が起こしたという見解を述べています。

>>50 「カミー」さん
>いいかげんな田中を出して来た時点でアウトですよ(笑)。
 

田中宇さんがいいかげんかどうかは別として、イランのイスラム革命は、米国が積極的に手引きをして起こしたとまでは言えないまでも、米国のカーター政権は、事前にルーホッラー・ホメイニーさんらと協議し、協力関係を結んでいたと見られます。

機密解除された米国公文書に基く BBC や The Guardian などの報道や、イラン大使を務めた経験のある孫崎享さんが収集した情報によると、イラン革命の前に、ルーホッラー・ホメイニーさんや師の周辺の人物らが秘密裏に米国政府と接触しており、ルーホッラー・ホメイニーさんは、イラン革命後も石油などで米国の利益を損うことはないと確約し、米国もルーホッラー・ホメイニーさんを安全にイランへ帰国させることを保証していたそうです。

また、孫崎享さんは、ルーホッラー・ホメイニーさんは、イランをイスラム法の統治国家にしたかったのであって、アメリカ大使館占拠は、イスラムの宗教家たちが扇動したものではなく、アメリカとイランが決定的に対立してほしいと思う勢力であるイスラエルの情報機関のモサドの手引きにより、学生たちが衝動的に行ったものであるという見解を示しています。
 

◆ 『私とスパイの物語』対談 近藤大介×孫崎享「世界はスパイが動かしている」
「北京のランダム・ウォーカー」第769回
(近藤大介 現代ビジネス 2025.01.28)


近藤:そのくだりは、『私とスパイの物語』の中で、英語の原文と日本語の翻訳文を載せて詳述していますね。

そして1999年から2001年まで、外交官人生の集大成として、今度はイラクの宿敵たったイランの大使を務められました。着任するや、またCIAのすごい話を聞いたんですよね。

孫崎:そうです。イラン革命の前に、ホメイニ師がパリでCIAと秘密接触をしていたというのです。ある国の大使館のパーティで耳にしました。

近藤:当時の状況を整理しておくと、もともとイランは、親米のパフラヴィ―国王が独裁的に統治していたけれども、1973年のオイルショックが落ち着いてから、石油価格も下がり、国内が混乱した。それで1979年1月に、国王が国外に休暇で出たところへ、パリに15年も亡命していたフセイン師が2月に帰国。イラン革命を起こし、全権を掌握していった。

さらに同年11月には、テヘランのアメリカ大使館を占拠して、アメリカと断交するわけですよね。2013年のアカデミー作品賞を獲った『アルゴ』は、そのあたりの様子を生々しく描いていて、スリリングな映画でした。

 《交わされた衝撃の密約》

孫崎:その通りです。イラン革命を起こしたホメイニ師は、「アメリカの仇敵」というのが「国際常識」ですよね。ところがホメイニ師はパリでアメリカと、イラン革命を成功させてくれれば反米政権にしないという密約を交わそうとしていたのです。

話を聞いた当時は、どうせ東京(外務省本省)は信じてくれないだろうと思い、打電しませんでした。しかし、ホメイニ師が死去して27年後の2016年になって、英BBCが『1月の2週間:アメリカのホメイニとの秘密接触』と題した記事で、このことを暴露しました。やはり事実だったのです。

近藤:『私とスパイの物語』では、イラン革命を巡る「もう一つの仰天情報」も開陳されていますね。

孫崎:「女性の囁き」の話ですね。あるパーティで、女性の参加者からこう囁(ささや)かれたんです。

「1979年のアメリカ大使館占拠事件の日、私もデモに参加していましたが、(生活苦を訴える)普通のデモでした。デモに疲れたので、2時間くらい映画を見て、外へ出たら、デモが『アメリカ帝国主義反対』に急変していた。誰が流れを変えたのか不思議です」

ホメイニ師は、イランをイスラム法の統治国家にしたかったのであって、それは別に反米でなくてもできた。実際、アメリカ大使館占拠は、イスラムの宗教家たちが扇動したものではなく、学生たちが衝動的に行ったものです。

つまり、アメリカとイランが決定的に対立してほしいと思う勢力の手が入ったと見るべきなのです。それはモサドです。

近藤:イスラエルの強力な情報機関、スパイ組織ですね。ところで、孫崎大使がイランで受けた「女性の囁き」は、こういう「硬派」の話だけではなかったんですよね。

https://gendai.media/articles/-/145856
 

◆ US had extensive contact with Ayatollah Khomeini before Iran revolution
(The Guardian, Fri 10 Jun 2016 20.25 CEST)
By Saeed Kamali Dehghan in London and David Smith in Washington

Documents seen by BBC suggest Carter administration paved way for Khomeini to
return to Iran by holding the army back from launching a military coup

https://www.theguardian.com/world/2016/jun/10/ayatollah-khomeini-jimmy-carter-administration-iran-revolution
 

◆ Two Weeks in January: America's secret engagement with Khomeini
(BBC, 3 June 2016)
By Kambiz Fattahi

On 27 January, 1979, Ayatollah Ruhollah Khomeini - founder of Iran's Islamic
Republic, the man who called the United States "the Great Satan" - sent a
secret message to Washington.

From his home in exile outside Paris, the defiant leader of the Iranian
revolution effectively offered the Carter administration a deal: Iranian
military leaders listen to you, he said, but the Iranian people follow my
orders.

If President Jimmy Carter could use his influence on the military to clear the
way for his takeover, Khomeini suggested, he would calm the nation. Stability
could be restored, America's interests and citizens in Iran would be
protected.

At the time, the Iranian scene was chaotic. Protesters clashed with troops,
shops were closed, public services suspended. Meanwhile, labour strikes had
all but halted the flow of oil, jeopardising a vital Western interest.

Persuaded by Carter, Iran's autocratic ruler, Mohammad Reza Shah Pahlavi,
known as the Shah, had finally departed on a "vacation" abroad, leaving behind
an unpopular prime minister and a military in disarray - a force of 400,000
men with heavy dependence on American arms and advice.

Khomeini feared the nervous military: its royalist top brass hated him. Even
more worrying, they were having daily meetings with a US Air Force General by
the name of Robert E Huyser, whom President Carter had sent on a mysterious
mission to Tehran.

The ayatollah was determined to return to Iran after 15 years in exile and
make the Shah's "vacation" permanent. So he made a personal appeal.

In a first-person message, Khomeini told the White House not to panic at the
prospect of losing a strategic ally of 37 years and assured them that he, too,
would be a friend.

"You will see we are not in any particular animosity with the Americans," said
Khomeini, pledging his Islamic Republic will be "a humanitarian one, which
will benefit the cause of peace and tranquillity for all mankind".

Khomeini's message is part of a trove of newly declassified US government
documents - diplomatic cables, policy memos, meeting records - that tell the
largely unknown story of America's secret engagement with Khomeini, an
enigmatic cleric who would soon inspire Islamic fundamentalism and
anti-Americanism worldwide.

This story is a detailed account of how Khomeini brokered his return to Iran
using a tone of deference and amenability towards the US that has never before
been revealed.

The ayatollah's message was, in fact, the culmination of two weeks of direct
talks between his de facto chief of staff and a representative of the US
government in France - a quiet process that helped pave the way for Khomeini's
safe return to Iran and rapid rise to power - and decades of high-stakes
tension between Iran and America.

In the official Iranian narrative of the revolution, Khomeini bravely defied
the United States and defeated "the Great Satan" in its desperate efforts to
keep the Shah in power.

But the documents reveal that Khomeini was far more engaged with the US than
either government has ever admitted. Far from defying America, the ayatollah
courted the Carter administration, sending quiet signals that he wanted a
dialogue and then portraying a potential Islamic Republic as amenable to US
interests.

https://www.bbc.com/news/world-us-canada-36431160
 

◆ Jimmy Carter's engagement with Ruhollah Khomeini
(Wikipedia)

In 2016, the BBC published a report which stated that the administration of
United States President Jimmy Carter (1977–1981) had extensive contact with
Ayatollah Ruhollah Khomeini and his entourage in the prelude to the Iranian
Revolution of 1979.[1][2] The report was based on "newly declassified US
diplomatic cables".[1][2] According to the report, as mentioned by The
Guardian, Khomeini "went to great lengths to ensure the Americans would not
jeopardise his plans to return to Iran - and even personally wrote to US
officials" and assured them not to worry about their interests in Iran,
particularly oil.[1][2] According to the report, in turn, Carter and his
administration helped Khomeini and made sure that the Imperial Iranian army
would not launch a military coup.[1][2]

https://en.wikipedia.org/wiki/Jimmy_Carter%27s_engagement_with_Ruhollah_Khomeini


http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/197.html#c51

[戦争b26] イランが報復のために発射したミサイルでテル・アビブに被害、今後、石油戦術も(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
54. 新共産主義クラブ[-10388] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月19日 07:17:31 : 0byzQ3PH0c :TOR LmNxaFguUi90Lm8=[1]
<■72行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
>>10 (補足)
>イランのイスラム革命は、イランでの覇権を米国から取り戻そうとした英国とロスチャイルド財閥によってもたらされ、その後のイラン・イラク戦争は、米国の傀儡だった世俗政権のサダム・フセイン政権のイラクと、英国が関与するイスラム政教一致政権のイランとの、米英の代理戦争だったという見方ができるかもしれない。

>>44 (補足)
>次期米大統領選挙のために、米国の共和党がロスチャイルド財閥と組み、米国の国外において、政権を担っている米国の民主党と、米国の共和党との代理戦争や内戦がおこなわれたという点では、2022年からのウクライナとロシアとの紛争に似ています。
 

 イランのイスラム革命に関する陰謀論が書かれた Wikipedia のページがありますので、陰謀論好きの方はご覧ください。

 私は2022年からのウクライナとロシアとの紛争と同様に、イランのイスラム革命や、その後のイラン-イラク戦争は、米国と英国との間の一種の帝国主義戦争だったという見方をしていますが、それを支持するような見方の陰謀論が示されていて興味深いです。

 特に、「元イラン国王のモハンマド・レザー・パフラヴィーさんは、『ルーホッラー・ホメイニーさんの顎鬚の下には “英国製” と書かれている』と言っていた」という陰謀論の言説を興味深いと感じました。
 

◆ Conspiracy theories about the Iranian Revolution
(Wikipedia)

 《Claims》

  < Claimed British involvement >

According to a book by F. William Engdahl, A Century of War: Anglo-American
Oil Politics and the New World Order, a conspiracy to overthrow the Shah was
hatched by the British and Americans in 1978 coinciding with the Iranian
revolution in the aftermath of the collapse of negotiations to renew a
twenty-five year-old agreement between the Shah's government and British
Petroleum known as the Consortium Agreement of 1954.[8]

  < Claims by Mohammad Reza Pahlavi >

Mohammad Reza Pahlavi himself asserted that, "If you lift up Khomeini's beard,
you will find MADE IN ENGLAND written under his chin," in the later days of
his reign as monarch.[9] This statement by Pahlavi was an adaptation of
another saying, "If you lift a mullah's beard, you will find 'Made in Britain'
stamped on his chin".[10]

Engdahl quotes Shah Mohammad Reza Pahlavi as blaming not the British but the
Americans for his overthrow:

I did not know it then – perhaps I did not want to know – but it is clear
to me now that the Americans wanted me out. Clearly this is what the human
rights advocates in the State Department wanted … What was I to make of
the Administration's sudden decision to call former U.S. Under Secretary
of State George Ball to the White House as an adviser on Iran? … Ball was
among those Americans who wanted to abandon me and ultimately my
country.[8]

  < 1978 Ettela'at article >

On 7 January 1978, the state news agency Ettela'at published an article
accusing Khomeini of being a British agent and a "mad Indian poet".[11][12]
The article claimed that Khomeini's Islamist faction had joined forces with
communist dissidents to oppose the regime's modernisation project, and that
Khomeini's opposition to the Shah was prompted and paid for by British oil
interests.[13]

Supporters of Khomeini, outraged by the article, organized violent
demonstrations in response.[14]

 《Beliefs of the Iranian public》

BBC Persian journalist Hossein Shahidi has talked about "the deep-rooted
belief" among Iranians "that Britain is behind every move in Iran," and in
particular that the BBC radio is "credited with, or accused of, having brought
about the downfall of" both Pahlavi shahs, Reza Shah and his son Mohammad Reza
Pahlavi whose thirty-seven-year rule was brought to an end by the Iranian
revolution of 1979.[15]

A survey of Iranian expatriates in Southern California found the leading
explanation for the 1979 revolution to be foreign Western plots, as did a
recent[when?] survey in Isfahan.[16][17][18]

https://en.wikipedia.org/wiki/Conspiracy_theories_about_the_overthrow_of_Mohammad_Reza_Pahlavi#Beliefs_of_the_Iranian_public
 



http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/197.html#c54

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