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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100390
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[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
26. 中川隆[-13770] koaQ7Jey 2020年2月15日 11:18:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-391]
2020年02月15日
アメリカの学生ローン地獄 破産認められず貧困に陥る人多数

米有名大学は学費だけで4年間1200万円、生活費込みで2000万円必要

画像引用:https://s10851.pcdn.co/wp-content/uploads/2015/01/Between-2014-Aug-Sep-Chart1.png


サブプライムローンと類似する学生ローン

アメリカではリーマンショック以降学生ローン残高が増加し続け、第二のサブプライムローンと言われています。

サブプライムローンとはクリントン大統領時代に始めたホームレスや浮浪者向け住宅ローンでした。

キューバや中南米諸国からの亡命者や不法難民、路上生活のホームレスにまで幅広く融資しました。

これは2000年代に日本でも「債務の証券化」などと言われて脚光を浴び、日本でも真似しようという人が多かった。

手法は路上のホームレスに声をかけて借用書にサインさせ、数千万円の新築住宅に住まわせます。

彼の借金は証券として売り出されるが、全部ごちゃ混ぜにするので元の借金主がホームレスとばれないようにしてあります。


こうして売り出されたのが金融デリバティブ商品で、高金利なので大人気で金持ちや庶民まで競って投資しました。

だが当然ながらホームレスや難民は住宅ローンを滞納するようになり、2007年7月頃サブプライムショックが起きた。

住宅ローン会社から銀行まで幅広く連鎖倒産し、翌2008年に起きたのがリーマンショックでした。


今振り返るとそうなって当たり前ですが、当時はデリバティブ商品がホームレス住宅という事実は隠されていた。

現在起きている学生ローン危機も同じようなことで、借り手は無収入の学生で、最大数千万円を融資しています。

アメリカは大学進学率が高いので、キャリアを積むには有名大学でなくてはならず、有名大学には数千万円かかるのです。


こまった事にアメリカでは日本で違法な「裏口入学」が合法で、教授に賄賂を贈って推薦して猿の子供でも有名大学に入れる。

この手口で娘をハーバードに入学させたのがオバマ大統領で、彼の娘は取材記者の間で成績が悪いので知られていた。

こうした人が居るので有名大学に入る費用は高騰し、入学してからも際限なくお金を毟られます。


アメリカには世界中から学生が集まるが、その理由の一つは「賄賂を渡せば学歴を買える」から金持ちに人気なのです。


自己破産も免責もない永久債務

2019年末のアメリカの学生ローン残高は1兆5080億ドル(約165兆円)で過去最高を更新しつづけている。

リーマンショック前は学生だった若者もとしを取り、債務者の42%が40歳以上になっています。

これは20歳前後で借りて50歳以上になっても学生ローンを払い続けている人が居るのを意味しています。


日本ではリボルビング払いが「終わらない借金」と批判されているが、アメリカでは学生ローンの方が悪質です。

アメリカには「公的債務に自己破産の免責はできない」というルールがあり、学生ローンは公的機関が貸し付けています。


つまり18歳で2000万円借りた人はどんな事があっても返済する必要があり、途中で辞めることができない。


これが住宅ローンなら住宅という資産があるので、売却すればチャラにはならなくともかなり減額される。

学生ローンは学歴を金で買うものだが、大学を卒業した人全員が高収入になるわけではない。

ここで登場するのがアメリカの住居費の高さで、ニューヨークの月平均35万円など、ほとんどの主要都市の平均家賃はワンルーム30万円以上です。


アメリカのワンルームはベッドを2つ置けるので2人で住めるが、これを1人の労働者の収入で払うのは大変な事です。

家賃だけで年400万円かかったら年収600万円でも残りは200万円、日本で例えたら実質300万円以下の収入にしかなりません。

そのうえ学生ローンで月10万円支払う必要があったら、年収700万円でもギリギリの生活になる。


年収600万円のホームレスが居る国

しかも大学を卒業しても年収300万円とかの人も居る訳で、この人たちは収入の多くを学生ローンで差し引かれます。

こんな状況なので有名大学を卒業して年収600万円程度なのに、シリコンバレーで働き路上生活や車上生活を送る人が居ます。


アメリカの主要都市の平均家賃が30万円以上で日本は10万円以下という事は、アメリカ人の年収は250万から300万円差し引いて考える必要がある。


有名企業は都市にあるのでそこで働く人は家賃30万払っていて、さらに学生ローンがのしかかるのです。

1人あたりの借金は平均約3万ドルで、大学卒業時点で300万円の借金を抱えてスタートする。

学生ローン残高は10年前の2倍に拡大し、自動車ローン(1.33兆ドル)やクレジットカードローン(0.93兆ドル)より多い。


学生ローンが自動車や住宅と違うのは、車や家は収入や貯蓄ができた後で買うのに対し、無収入の学生に数百万から1000万以上貸し付けている点です。

学生は将来高収入になる「可能性」があるものの、貸し付けた時点ではホームレスと同じ無職で無収入にすぎない。

日本でも奨学金を返せない人が問題になっているが、日本では奨学金理由の自己破産免責は可能です。


アメリカの学生ローンがいかに悪質か想像できる。
http://www.thutmosev.com/archives/82199157.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c26

[昼休み54] 中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由 中川隆
1. 中川隆[-13769] koaQ7Jey 2020年2月15日 11:31:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-390]
2020年02月15日
アメリカの学生ローン地獄 破産認められず貧困に陥る人多数

米有名大学は学費だけで4年間1200万円、生活費込みで2000万円必要

画像引用:https://s10851.pcdn.co/wp-content/uploads/2015/01/Between-2014-Aug-Sep-Chart1.png


サブプライムローンと類似する学生ローン

アメリカではリーマンショック以降学生ローン残高が増加し続け、第二のサブプライムローンと言われています。

サブプライムローンとはクリントン大統領時代に始めたホームレスや浮浪者向け住宅ローンでした。

キューバや中南米諸国からの亡命者や不法難民、路上生活のホームレスにまで幅広く融資しました。

これは2000年代に日本でも「債務の証券化」などと言われて脚光を浴び、日本でも真似しようという人が多かった。

手法は路上のホームレスに声をかけて借用書にサインさせ、数千万円の新築住宅に住まわせます。

彼の借金は証券として売り出されるが、全部ごちゃ混ぜにするので元の借金主がホームレスとばれないようにしてあります。


こうして売り出されたのが金融デリバティブ商品で、高金利なので大人気で金持ちや庶民まで競って投資しました。

だが当然ながらホームレスや難民は住宅ローンを滞納するようになり、2007年7月頃サブプライムショックが起きた。

住宅ローン会社から銀行まで幅広く連鎖倒産し、翌2008年に起きたのがリーマンショックでした。


今振り返るとそうなって当たり前ですが、当時はデリバティブ商品がホームレス住宅という事実は隠されていた。

現在起きている学生ローン危機も同じようなことで、借り手は無収入の学生で、最大数千万円を融資しています。

アメリカは大学進学率が高いので、キャリアを積むには有名大学でなくてはならず、有名大学には数千万円かかるのです。


こまった事にアメリカでは日本で違法な「裏口入学」が合法で、教授に賄賂を贈って推薦して猿の子供でも有名大学に入れる。

この手口で娘をハーバードに入学させたのがオバマ大統領で、彼の娘は取材記者の間で成績が悪いので知られていた。

こうした人が居るので有名大学に入る費用は高騰し、入学してからも際限なくお金を毟られます。


アメリカには世界中から学生が集まるが、その理由の一つは「賄賂を渡せば学歴を買える」から金持ちに人気なのです。


自己破産も免責もない永久債務

2019年末のアメリカの学生ローン残高は1兆5080億ドル(約165兆円)で過去最高を更新しつづけている。

リーマンショック前は学生だった若者もとしを取り、債務者の42%が40歳以上になっています。

これは20歳前後で借りて50歳以上になっても学生ローンを払い続けている人が居るのを意味しています。


日本ではリボルビング払いが「終わらない借金」と批判されているが、アメリカでは学生ローンの方が悪質です。

アメリカには「公的債務に自己破産の免責はできない」というルールがあり、学生ローンは公的機関が貸し付けています。


つまり18歳で2000万円借りた人はどんな事があっても返済する必要があり、途中で辞めることができない。


これが住宅ローンなら住宅という資産があるので、売却すればチャラにはならなくともかなり減額される。

学生ローンは学歴を金で買うものだが、大学を卒業した人全員が高収入になるわけではない。

ここで登場するのがアメリカの住居費の高さで、ニューヨークの月平均35万円など、ほとんどの主要都市の平均家賃はワンルーム30万円以上です。


アメリカのワンルームはベッドを2つ置けるので2人で住めるが、これを1人の労働者の収入で払うのは大変な事です。

家賃だけで年400万円かかったら年収600万円でも残りは200万円、日本で例えたら実質300万円以下の収入にしかなりません。

そのうえ学生ローンで月10万円支払う必要があったら、年収700万円でもギリギリの生活になる。


年収600万円のホームレスが居る国

しかも大学を卒業しても年収300万円とかの人も居る訳で、この人たちは収入の多くを学生ローンで差し引かれます。

こんな状況なので有名大学を卒業して年収600万円程度なのに、シリコンバレーで働き路上生活や車上生活を送る人が居ます。


アメリカの主要都市の平均家賃が30万円以上で日本は10万円以下という事は、アメリカ人の年収は250万から300万円差し引いて考える必要がある。


有名企業は都市にあるのでそこで働く人は家賃30万払っていて、さらに学生ローンがのしかかるのです。

1人あたりの借金は平均約3万ドルで、大学卒業時点で300万円の借金を抱えてスタートする。

学生ローン残高は10年前の2倍に拡大し、自動車ローン(1.33兆ドル)やクレジットカードローン(0.93兆ドル)より多い。


学生ローンが自動車や住宅と違うのは、車や家は収入や貯蓄ができた後で買うのに対し、無収入の学生に数百万から1000万以上貸し付けている点です。

学生は将来高収入になる「可能性」があるものの、貸し付けた時点ではホームレスと同じ無職で無収入にすぎない。

日本でも奨学金を返せない人が問題になっているが、日本では奨学金理由の自己破産免責は可能です。


アメリカの学生ローンがいかに悪質か想像できる。
http://www.thutmosev.com/archives/82199157.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/348.html#c1

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない
中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない


中国製ラブドールのブリードには内分泌攪乱物質が大量に含まれていて非常に危険
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/260.html

「AI搭載ラブドール」の実用度
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/877.html

AI搭載ラブドールと一緒に暮らそう _ とんでもない美人のラブドールがやってきた!
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/220.html

セックスドールに中国男性は夢中
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/284.html

ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html


▲△▽▼


「女の子のニオイ」を再現する方法
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/247.html

市販のタルク入りベビーパウダーを使うと癌になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/905.html

▲△▽▼


女の停年は35歳
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html

女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/829.html

女の子に合う香り、加齢臭のオバサンに合う香り
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/449.html

髪を染めると癌になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/744.html

孤独死した30代女性の部屋に見た痛ましい現実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/474.html

理想の男の姿とは _ 女性用ラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/245.html

我々は「自分の老い」に向き合ってきたか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/446.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
1. 中川隆[-13768] koaQ7Jey 2020年2月15日 12:42:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-388]
厳選 海外美女画像(『削除コメント表示切り替え』を押して読んでネ)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/526.html

TPP賛歌 _ TPPに加入するとこんな甘美な世界が待っている。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/204.html

大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html

相場に失敗すると奥さんとお嬢さんにはこういう運命が待っている
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/250.html

日本女性のホスピタリティーは世界一
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/133.html

和洋ポルノの違いを知ろう NOと言えないアメリカ人
http://amairisuki.blog.fc2.com/blog-entry-6.html

女縄−裸女を縄で縛る悦楽
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%cc%dc%bc%a1%20/%20MENU

性奴隷のすすめ
http://seidorei.x.fc2.com/index.html

小泉先生は真性のS? (“削除コメント表示切り替え” を押して下さい)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/305.html

セックスと暴力。このふたつが密接に結びついている理由
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/440.html

ミラーマンの世界 _ 植草先生は何故 ピンサロ、性感マッサージ、ヘルス、イメクラ、ソープランドの中からイメクラを選んだのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/299.html

ミラーマン 植草教授にお尻を撫でられた女子高生のパンティにもウンスジが付いていたのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/317.html

恐怖の温泉 _ 女は何をやるかわからない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/296.html

デヴィ夫人は女性の鑑
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/545.html

タイは天国に二番目に近い国 1
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html

タイは天国に二番目に近い国 2 _ 誰が私をこんな女にした
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/378.html

タイは天国に二番目に近い国 3 _ 鴨ネギにされる日本人
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/379.html

もう3億、4億は稼げない! リーマンショックを機に変わった愛人契約
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/132.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html

松下金融相が愛人を怒らせた理由は? _ 女性の相場はこんなもの
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/421.html

被差別部落の支配層はこういう性教育をやっている
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/317.html

「最も危険な政治家」橋下徹研究_ 橋下先生は上下同時責め3Pハーレムコースが好き
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/452.html

日本人を憎む被差別同和部落出身者 1 _ 橋下徹
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/114.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c1

[近代史3] アジア東部集団の形成過程 中川隆
2. 中川隆[-13767] koaQ7Jey 2020年2月15日 14:00:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-384]
2020年02月15日
ニワトリではなく飼育していたキジを消費していた中国北西部の初期農耕民
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_35.html


 中国北西部の初期農耕民によるニワトリではなく飼育していたキジの消費を報告した研究(Barton et al., 2020)が公表されました。現在では、農耕・牧畜(植物の栽培化・動物の家畜化)は、年代は異なりつつも世界の複数の地域で独自に始まり、周辺地域に拡散していった、と考えられており、この問題に関しては2014年の総説的論文が今でも有益だと思います(関連記事)。中国北部も9000〜7000年前頃に農耕が独自に始まった地域で、地域特有の植物の栽培化と動物の家畜化が進行し、それはキビ属とエノコログサ属(アワ)といった穀類やブタやイヌやニワトリといった家畜です。

 農耕への移行の原因については今でも議論が続いており、とくに高い関心が寄せられているのは、アジア東部のニワトリ(Gallus gallus domesticus)です。ニワトリは現在地球上で最も広範に存在する家畜ですが、ニワトリが、どこで、いつ、どのように進化したのか、合意は得られていません。中国の早期新石器時代の農耕村落遺跡では、しばしばニワトリとして識別されてきた中型の鳥の骨が含まれており、ニワトリの家畜化の最古の事例と解釈されてきました。しかし、こうした新石器時代の中国においてニワトリが出土した遺跡の中には、ニワトリの野生祖先である熱帯に適応したセキショクヤケイ(Gallus gallus)が現在では繁栄していない、中国北部の乾燥地域に位置しているものもあり、議論となっています。

 本論文は、1978〜1984年に中華人民共和国甘粛省(Gansu Province)秦安県(Qin'an County)の大地湾(Dadiwan)遺跡で発掘された鳥の骨を分析しています。大地湾遺跡におけるヒトの痕跡は8万年前頃までさかのぼり、農耕の最初の痕跡は老官台(Laoguantai)文化期となる7800年前頃(以下、すべて較正年代です)以降となります。6300年前頃までに、大地湾遺跡では農耕が発展して文化は複雑的となり、永続的な建築・貯蔵施設・工芸品生産地区・豪華な埋葬が出現し、ヒエやキビが栽培化され、イヌとブタが一年中穀類で飼育されたという同位体証拠も提示されています。

 以前の研究では、この早期新石器時代農耕共同体の鳥も穀物を与えられた推測されており、それはおそらくC4植物のキビで、夏の間にのみ成長します。大地湾遺跡では、中型の鳥の骨のコラーゲンの安定同位体値は、C4およびC3植物両方の通年植生を示す範囲に収まります。これは、たとえば現代のキジや過去のシチメンチョウ(Meleagris gallopavo)の値とよく一致します。大地湾遺跡の多くのブタや一部のイヌと同様に、同遺跡の鳥の骨の安定同位体値も、自ら探した餌とともに、農耕により生産された穀類も食べていたことを示唆します。

 大地湾遺跡の鳥は当初、ニワトリも含まれるヤケイ属の一種(Gallus sp.,)と識別されていましたが、最初の分析者は、一部の鳥がキジ科のイワシャコ(Alectoris chukar)もしくは単にキジ科かもしれない、と認識していました。本論文は、大地湾遺跡の鳥の分類学的不確実性を解決するため、すでに安定同位体値が評価された、以前はヤケイ属と識別された個体を分析しました。これらの標本はすべて、7900〜7200年前頃となる老官台(Laoguantai)文化期(3点)、もしくは6300〜5900年前頃となる仰韶(Yangshao)文化期(5点)の層で発見されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析の結果、本論文で対象とされた大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥はすべてコウライキジ(Phasianus colchicus)に分類されました。これらはさらに亜種に区分できますが、詳細な系統関係の確定にはさらなる遺伝的情報が必要になる、と本論文は指摘します。

 大地湾遺跡は中国で最古の明確な農耕集落で、北西部乾燥地帯に位置します。大地湾遺跡とその周囲のヒト生物群系に生息し、その後にヒトに消費された鳥は、家畜化されたニワトリでも、その野生祖先であるセキショクヤケイでもなく、コウライキジと特定されました。重要なことに、大地湾遺跡の先史時代の鳥と遺伝的に合致する現生3亜種はすべて、砂漠・草原・乾燥高地帯を含む中国北部の混合的環境で現在確認されます。これは、外来の鳥ではなく地元の鳥が消費されたことを示します。

 現在、これらの大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥が囲いで飼育されたとか、その卵をヒトが消費したとかいう証拠はなく、直接的にヒトが管理したという証拠さえありません。本論文の分析から言えるのは、大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥の食性は野生動物に似ておらず、食性のかなりの部分を新石器時代以降のヒトだけが提供できる穀類に依存していたに違いない、ということです。大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥は、穀物貯蔵庫の穀類、もしくは栽培化されたキビの収穫と処理で生じる廃棄物を食べ、その鳥をヒトが食べた、というわけです。

 本論文は早期新石器時代の大地湾遺跡における、鳥(コウライキジ)とヒトとのこの単純な共生を「低水準の鳥の生産」と呼び、それが地域的な収穫量を高めるための意図的で低コストとなるヒトの生存戦略だった、と指摘します。農耕共同体の敷地内もしくは隣接する農地内の農業廃棄物を加減するだけで、食用となる鳥の量さを調整できるため、低水準の食料生産においては効果的な手段でした。さらに、この慣行は、農耕共同体が分裂もしくは移住するたびに、籠に入れて輸送したり抱きかかえたりせずとも開始できました。地元の環境に固有の鳥は、単に自分のために農耕共同体の廃棄物を食べ、人々はその鳥を食べた、というわけです。

 鳥の骨のコラーゲンの同位体パターンは、新石器時代の中国北部の他の場所でも見られ、「低水準の鳥の生産」が温帯環境に居住する広範囲の民族言語的集団において適応的だった、と示唆します。このような考古学的な鳥遺骸の時空間的研究は、「低水準の鳥の生産」がキジに限定されていたのかどうか、明らかにできるかもしれません。また、キジあるいはニワトリやその野生祖先を含む他の肉質の地上性の鳥が先史時代にどの程度管理されていたのか、という問題の解明にも役立つのではないか、と期待されます。

 上述のように、農耕と牧畜は世界各地で年代は異なりつつも世界の複数の地域で独自に始まった、と考えられていますが、その過程は「革命」と呼べるような急激なものではなく、試行錯誤を伴う漸進的なものだった、と今では考えられています。たとえば中央アナトリア高原では、狩猟採集から農耕への移行期間は短くなく、早期新石器時代には農耕民集団と狩猟採集民集団とが混在していた、と指摘されています(関連記事)。中国北部の早期新石器時代村落でも、農耕開始からしばらくは生産性が低く、穀類やその収穫の過程で生じる廃棄物を鳥に食べさせ、ある程度管理することで多様な栄養源を確保していたのでしょう。その鳥が、早期新石器時代の中国北部では在来野生種のコウライキジだった、というわけです。こうした早期新石器時代農耕民の経験が、後に中国北部にはその祖先種(セキショクヤケイ)が存在しないニワトリを導入して飼育するさいにも役立った、と考えられます。


参考文献:
Barton L. et al.(2020): The earliest farmers of northwest China exploited grain-fed pheasants not chickens. Scientific Reports, 10, 2556.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-59316-5

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_35.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/739.html#c2

[近代史3] 人類進化史 中川隆
38. 中川隆[-13766] koaQ7Jey 2020年2月15日 14:01:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-383]
2020年02月15日
ニワトリではなく飼育していたキジを消費していた中国北西部の初期農耕民
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_35.html


 中国北西部の初期農耕民によるニワトリではなく飼育していたキジの消費を報告した研究(Barton et al., 2020)が公表されました。現在では、農耕・牧畜(植物の栽培化・動物の家畜化)は、年代は異なりつつも世界の複数の地域で独自に始まり、周辺地域に拡散していった、と考えられており、この問題に関しては2014年の総説的論文が今でも有益だと思います(関連記事)。中国北部も9000〜7000年前頃に農耕が独自に始まった地域で、地域特有の植物の栽培化と動物の家畜化が進行し、それはキビ属とエノコログサ属(アワ)といった穀類やブタやイヌやニワトリといった家畜です。

 農耕への移行の原因については今でも議論が続いており、とくに高い関心が寄せられているのは、アジア東部のニワトリ(Gallus gallus domesticus)です。ニワトリは現在地球上で最も広範に存在する家畜ですが、ニワトリが、どこで、いつ、どのように進化したのか、合意は得られていません。中国の早期新石器時代の農耕村落遺跡では、しばしばニワトリとして識別されてきた中型の鳥の骨が含まれており、ニワトリの家畜化の最古の事例と解釈されてきました。しかし、こうした新石器時代の中国においてニワトリが出土した遺跡の中には、ニワトリの野生祖先である熱帯に適応したセキショクヤケイ(Gallus gallus)が現在では繁栄していない、中国北部の乾燥地域に位置しているものもあり、議論となっています。

 本論文は、1978〜1984年に中華人民共和国甘粛省(Gansu Province)秦安県(Qin'an County)の大地湾(Dadiwan)遺跡で発掘された鳥の骨を分析しています。大地湾遺跡におけるヒトの痕跡は8万年前頃までさかのぼり、農耕の最初の痕跡は老官台(Laoguantai)文化期となる7800年前頃(以下、すべて較正年代です)以降となります。6300年前頃までに、大地湾遺跡では農耕が発展して文化は複雑的となり、永続的な建築・貯蔵施設・工芸品生産地区・豪華な埋葬が出現し、ヒエやキビが栽培化され、イヌとブタが一年中穀類で飼育されたという同位体証拠も提示されています。

 以前の研究では、この早期新石器時代農耕共同体の鳥も穀物を与えられた推測されており、それはおそらくC4植物のキビで、夏の間にのみ成長します。大地湾遺跡では、中型の鳥の骨のコラーゲンの安定同位体値は、C4およびC3植物両方の通年植生を示す範囲に収まります。これは、たとえば現代のキジや過去のシチメンチョウ(Meleagris gallopavo)の値とよく一致します。大地湾遺跡の多くのブタや一部のイヌと同様に、同遺跡の鳥の骨の安定同位体値も、自ら探した餌とともに、農耕により生産された穀類も食べていたことを示唆します。

 大地湾遺跡の鳥は当初、ニワトリも含まれるヤケイ属の一種(Gallus sp.,)と識別されていましたが、最初の分析者は、一部の鳥がキジ科のイワシャコ(Alectoris chukar)もしくは単にキジ科かもしれない、と認識していました。本論文は、大地湾遺跡の鳥の分類学的不確実性を解決するため、すでに安定同位体値が評価された、以前はヤケイ属と識別された個体を分析しました。これらの標本はすべて、7900〜7200年前頃となる老官台(Laoguantai)文化期(3点)、もしくは6300〜5900年前頃となる仰韶(Yangshao)文化期(5点)の層で発見されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析の結果、本論文で対象とされた大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥はすべてコウライキジ(Phasianus colchicus)に分類されました。これらはさらに亜種に区分できますが、詳細な系統関係の確定にはさらなる遺伝的情報が必要になる、と本論文は指摘します。

 大地湾遺跡は中国で最古の明確な農耕集落で、北西部乾燥地帯に位置します。大地湾遺跡とその周囲のヒト生物群系に生息し、その後にヒトに消費された鳥は、家畜化されたニワトリでも、その野生祖先であるセキショクヤケイでもなく、コウライキジと特定されました。重要なことに、大地湾遺跡の先史時代の鳥と遺伝的に合致する現生3亜種はすべて、砂漠・草原・乾燥高地帯を含む中国北部の混合的環境で現在確認されます。これは、外来の鳥ではなく地元の鳥が消費されたことを示します。

 現在、これらの大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥が囲いで飼育されたとか、その卵をヒトが消費したとかいう証拠はなく、直接的にヒトが管理したという証拠さえありません。本論文の分析から言えるのは、大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥の食性は野生動物に似ておらず、食性のかなりの部分を新石器時代以降のヒトだけが提供できる穀類に依存していたに違いない、ということです。大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥は、穀物貯蔵庫の穀類、もしくは栽培化されたキビの収穫と処理で生じる廃棄物を食べ、その鳥をヒトが食べた、というわけです。

 本論文は早期新石器時代の大地湾遺跡における、鳥(コウライキジ)とヒトとのこの単純な共生を「低水準の鳥の生産」と呼び、それが地域的な収穫量を高めるための意図的で低コストとなるヒトの生存戦略だった、と指摘します。農耕共同体の敷地内もしくは隣接する農地内の農業廃棄物を加減するだけで、食用となる鳥の量さを調整できるため、低水準の食料生産においては効果的な手段でした。さらに、この慣行は、農耕共同体が分裂もしくは移住するたびに、籠に入れて輸送したり抱きかかえたりせずとも開始できました。地元の環境に固有の鳥は、単に自分のために農耕共同体の廃棄物を食べ、人々はその鳥を食べた、というわけです。

 鳥の骨のコラーゲンの同位体パターンは、新石器時代の中国北部の他の場所でも見られ、「低水準の鳥の生産」が温帯環境に居住する広範囲の民族言語的集団において適応的だった、と示唆します。このような考古学的な鳥遺骸の時空間的研究は、「低水準の鳥の生産」がキジに限定されていたのかどうか、明らかにできるかもしれません。また、キジあるいはニワトリやその野生祖先を含む他の肉質の地上性の鳥が先史時代にどの程度管理されていたのか、という問題の解明にも役立つのではないか、と期待されます。

 上述のように、農耕と牧畜は世界各地で年代は異なりつつも世界の複数の地域で独自に始まった、と考えられていますが、その過程は「革命」と呼べるような急激なものではなく、試行錯誤を伴う漸進的なものだった、と今では考えられています。たとえば中央アナトリア高原では、狩猟採集から農耕への移行期間は短くなく、早期新石器時代には農耕民集団と狩猟採集民集団とが混在していた、と指摘されています(関連記事)。中国北部の早期新石器時代村落でも、農耕開始からしばらくは生産性が低く、穀類やその収穫の過程で生じる廃棄物を鳥に食べさせ、ある程度管理することで多様な栄養源を確保していたのでしょう。その鳥が、早期新石器時代の中国北部では在来野生種のコウライキジだった、というわけです。こうした早期新石器時代農耕民の経験が、後に中国北部にはその祖先種(セキショクヤケイ)が存在しないニワトリを導入して飼育するさいにも役立った、と考えられます。


参考文献:
Barton L. et al.(2020): The earliest farmers of northwest China exploited grain-fed pheasants not chickens. Scientific Reports, 10, 2556.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-59316-5

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_35.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c38

[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
6. 中川隆[-13765] koaQ7Jey 2020年2月15日 14:14:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-382]
2020年 02月 15日
ユニコーン カスタム 製造と到着まで
https://tannoy.exblog.jp/31054087/

記憶を確かめる為に、あの頃のメールをあたってみました。すると、リクエストから受注までの10日間の間に、45通ものメールを交わしていました。そのほとんどが、形状と細部の仕上げのやりとりです。最終的には、UNICORNさんの仕様と同じになったのですが、ネットワークだけは、Troubadourシリーズのように外部に出すことになりました。キャビネット内部におおきなコンデンサーを入れ込む作業は大変だし、外にあった方が振動の影響も少ないと言うことでした。それにチタンとカーボンのユニットを交換するときには、外部のネットワーク(イコライザー)の方が、簡単に交換できます。

最終的な合意に達し、発注を掛けたのは6月の末でした。いずれにしても、実際の製造は夏休み明けの8月末からになるでしょう。夏休み前に、製造の図面を探し出し用意しておくと言うことでした。怒濤のような打ち合わせを重ねましたが、キャビネットの製造工程は順番もあり、また時間も掛かる製造方法です。賽は投げられましたから、後はゆっくり結果を待つだけです。


その間に、Troubadourの40と80はチタンとカーボンバージョンも頼んでみました。カーボンのDDDはチタンの欠点であった、丈夫さが桁違いで、チタンはアルミ箔ほどの薄さしかありませんので、触ることは厳禁です。一方カーボンは強度や復元力が桁違いで、押しても元に戻ります。厚みも一桁違います。私自身は、その時点でカーボン製のDDDユニットを聞いたことはありませんでした。Troubadourシリーズは、200Hz以下には、別のウーファーが必要です。GermanではめずらしいDIYの製品なのです。


興味を持った我々は、シングルの40と二つユニットを使って上下にスタックした形の80のチタンとカーボンを発注してみました。実験ですね。ウーファー部分は、大山さんに作っていただくつもりでした。そのTroubadour40と80は八月には空輸されてきました。そのチタンの80は、横浜のMさんのところに運ばれたのです。

ユニコーン カスタム 製造と到着まで_f0108399_18441697.jpg

パラゴンの上にのせられたTroubadourは200Hzぐらいまでしっかり出ますから、パラゴンの筐体に相当響きます。そこでフローティングボードを入れて、その振動をとってみました。そして、G1のウーファーと組み合わされて、今まで聞いたこと無い迫力のある音が、80から聞こえてきたのです。ダブルにスタックされたDDDドライバーは、シングルの40と比べて、倍では無く4倍の迫力有ることを聞かせてくれたのです。80の将来性を感じた実験でした。


夏が過ぎ、九月に入った頃、ユニコーンの木工部分の製作が始まったと言って来ました。しかし、時間が掛かるのは、塗装の部分です。光沢仕上げの塗装は、何度も塗っては磨く工程を繰り返します。六台もありますから、仕上がるのはまだまだでしょう。同時に、特注のMK2の仕上げも聞いてきました。こちらは、UNICORNさんと同じのAmerican Cherryにしました。ユニットの回りのグレーの飾りや、下のプレートのグレーもやめて、同じ材質にして貰いました。特注ですから費用は掛かるのですが、見栄えは随分変わります。


10月の中旬には、順調にいけば11月中にはとの返事が来ました。塗装工程は、やはり時間が掛かります。気持ちを長くして待ちましょう。でも、待てば待つだけ、期待が高まりますね。


11月中にはといわれていたので、航空便だけどもしかしたらクリスマス時期になり、そうなると大きな荷物の場合、空港で順番待ちになり少し時間が掛かることもあります。最終的に出荷の案内が来たのは、12月の中旬になっていました。この分だと、到着はクリスマスのあとになりますね。案の定、到着の案内が来たのは、年末でした。正月は通関業務も急ぎで無ければ、正月明けになるので、保税倉庫で年を越しました。日本に到着しているのに、引き取れないというのも半年待った身には切ないですね。

ユニコーン カスタム 製造と到着まで_f0108399_01155238.jpg


仕事用に借りている倉庫に入荷したのは、一月の第三週になる頃でした。ペアーの大きさは、German が大きくなるよと言われたようにこの大きさです。ペアーでパレットに乗りその上にネットワークの箱が乗っています。大きいです。その理由は、私がこだわった裾の部分のホーンですね。裾が広がり大きな空間が生まれています。

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でも、一緒に来たMK2の大きさもほとんど変わりません(笑)。ほんの少しですね。こちらのAmerican CherryはユニコーンさんのMk1.5と同じ仕上げできれいです。ユニットの周りのグレーの首輪?が無くすっきりしています。

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半年間待ってようやく到着したユニコーンたちは、6 +1で全部で七つがいもいました。パレットが七つもあると壮観です。半年前にユニット交換をしただけだったのに、倉庫一杯に並んだパレットを見て、感慨深いモノがありました。これだけの大きさになると、倉庫からの運送も、トラックをチャーターしなければ運べません。倉庫が空になるには一週間もかかりました。

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他の箱も空けてみました。本当に美しいですね。しばらく見惚れていました。


Commentedby パグ太郎 at 2020-02-15 12:14 x

こうやって拝見するとやはり、ユニコーンのオリジナルは「貴婦人と一角獣」の様な気品に溢れた工芸品ですね。そして、どこか秘密を隠し持っている佇まいも似ています。これは家人には見せられません。

https://tannoy.exblog.jp/31054087/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c6

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
223. 中川隆[-13764] koaQ7Jey 2020年2月15日 14:21:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-381]
教育を受けたら得るどころか失うものもある。たとえば「個性」は抹殺される 2020.02.15

日本の文化や風土にもともと均質的傾向があった。そのため、工業化の本質は均質化であることを日本人は素早く気付き、均質的であることのメリットを最大限に活かして成功した。そのため高度成長期に入ってからの戦後日本は、まるで当たり前のように、あらゆる面でこの「均質化」を徹底的に推し進めていった。(鈴木傾城)

あらゆる面でこの「均質化」を徹底的に推し進めていった

今まで人々を守ってきた「国家」は恒常的な財政赤字で苦しむようになっていき、国民の生活を守るどころか税金を苛烈に取り立てるようになって国民を追い込むようになってきている。

今まで人々を守ってきた「企業」は資本主義の変質で常に利益向上を求められるようになっていき、社員を終身雇用で雇う余裕は消え去ってどんどんリストラに励むようになってきている。

その結果、人々は自分自身の能力で生きなければならない社会になっているのだが、「自分自身で生きる」ためには、他人との差別化が重要になる。すなわち「卓越した個性」「飛び抜けた個性」が求められるようになる。

しかし、日本人は個性を発揮するよりも個性を殺す方が得意な民族である。それは仕方がない面もある。かつての日本は村社会であり、近代の日本は会社社会であり、組織の中で常に「均質」であることが求められていたからだ。

この均質化を強化したのは「工業化」でもある。

日本は戦後まもなく高度成長期に入っていったが、この高度成長期を支えていたのが「工業化」だった。工業化とは何か。工業化とは「同じ物を大量に作る」ということだ。完全に、色も形も重さも一致させた「規格品」を大量に作る。
工業化によって作られた物質は個性があってはならず、完璧なまでに「同じ」である必要があった。

大量生産の中での「個性」とは欠陥なのである。だから色が薄かったり、濃かったり、少し大きかったり小さかったりしてはならなかった。製品は、何もかも同じである必要があった。

こうした均質的な工業製品を作り出すというのは日本人の性格に合った。なぜなら、日本人は昔からほぼ単一民族社会であり、農耕民族であり、村社会だったから、「他と同じである」ことに馴染みがあったからだ。

そして均質化主義は、人間の均質化にも向かった

日本人が尊ぶ「型」や「作法」や「道」は、実は均質化を芸術的なまでに突きつけたものであると気づいているだろうか。

日本の文化や風土にもともと均質的傾向があった。そのため、工業化の本質は均質化であることを日本人は素早く気付き、均質的であることのメリットを最大限に活かして成功した。

高度成長期に入ってからの戦後日本は、まるで当たり前のように、あらゆる面でこの「均質化」を徹底的に推し進めていった。

「規格化」「大量生産」「標準化」「効率化」とは、要するに同じものを作るための仕組みである。大量生産が重要だった時代、寸分狂いなく同じであることを追求することで儲かった。

均質化は一概に悪いことではなく、効率と合理化のために役立つものである。そして、大量生産できるシステムこそが現代文明を支えている。それは非常に重要なものであるのは誰も否定できるものではない。

しかし、その均質化主義は人間の均質化にも向かったことで歪みが生じた。規格化された工業製品を作るためには、能力や考え方や生き方にバラツキのない「均質化された人間」が大量にいた方が使いやすくていい。

考え方も、気質も、生活リズムも、みんな同じ「均質」である規格化人間が、規格化された製品を作るとうまくいく。だから、日本は均質化された人間を生み出す教育を取り入れた。

日本人は教育によって完全に均質化された。大量生産の中では不良品が許されないように、日本の教育の中では生徒の個性など「あってはならなかった」のだ。

学校は何かを学びに行く「だけ」の場所ではない


個性的な教育、個性的な教師、個性的な生徒。

こういったものは工業化時代には役に立たないものだった。そんな人間は大量生産を黙々と作れないからだ。日本に必要なのは、大量生産品を作れる規格人間だった。個性よりも均質化された人間を社会は必要としていた。

だから日本国中で同じ教科書が使われ、同じ教育方法が取られ、同じカリキュラムで教育が進められた。生徒の個性を奪うために、子供は制服という同じ色・同じ作り・同じ品質の服を着せられ、場合によっては髪型も同じにさせられた。

同じように行動するために「団体行動」をきちんとできるように徹底教育された。「組み体操」も危険だと言われながら今も続けられているのは、やはり規格化された成果を見せるためでもある。

「組み体操」をする子供たちのひとりひとりは、大量生産品の部品として機能していることの表示だったのだ。

規格化された存在は集団では強い。だから規格化されたメリットは確かにある。しかし、それは集団で見たときの話であって個人で見るとどうなのだろうか。
日本の学校教育は何かを学びに行く場所だと勘違いしている人がいまだにいる。そうではない。日本の学校教育とは「みんなと同じになる」ように矯正される場所でもあったのである。

日本の教育は「みんなと同じにする」ための場所になった。だから、優秀な部分を伸ばすという教育に力を入れることはほとんどない。
そんなことをすれば生徒ひとりひとりが「個性的」になってしまうからだ。個性的というのは「他とは違う」ということで、均質性の人材を求める社会にとっては邪魔者である。

個性を消して人間そのものを規格品のようにするためには、どうすればいいのか。簡単だ。優秀な部分を抑え、不得意科目を補習させて平均に近づければいい。
分かるだろうか。得意を抑え、不得意を平均に近づけ、「同じ人間」になるように徹底的に躾けている。それをを日本では「教育」と呼ぶ。

その規格に馴染まない人間を何というか。「不良」という。なぜ「不良」というのか考えたことがあるだろうか。

規格に合わない製品は「不良品」だ。
教育に合わない人間は「不良」だ。

要するに、大量生産からはみ出した人間は、工業製品の不良品と同列で「不良」と言われているのである。そういった人間は、規格に合わないので、規格品を作るための会社は受け入れない。
地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから
教育を受けて何か得たのではなく失ったのかも……

日本の会社は、規格品を大量生産する場所だ。だから、教育からはみ出した人間は「規格品として合格していない」から雇わないで弾く。

会社は個性は求めていない。だから、日本企業は人材を採用するときには学歴を重視する。学歴が高ければ高いほど「規格品」だと分かるからだ。

よく覚えておいて欲しい。規格化された製品を作るには、個性などない規格化人間が必要になるのだ。工業化社会だったから、そんな人間が大量に必要だったのだ。
そのために教育の現場では、子供たちを規格化するために、制服・平均点・団体行動を重視する教育を推し進め、ありとあらゆる仕掛けで子供たちを没個性化した。これは「型が重要だ」という話や「守・破・離」とは別次元の話だ。
意図的に、可も不可もなく、没個性的で、自分の意見もなく、団体行動だけが得意な人間を教育が生み出したのだ。

言われた通りにしか動けない。言われたことしかできない。自分で考えることはない。マニュアルに沿って動く。考えずに質問してその通り動く。そういう人間を企業が求め、政府はその企業の要請に沿って教育によって子供たちを没個性に仕立てた。

私たちは自分だけは違うと思うかもしれない。自分に個性があることは自分自身が一番よく知っているから、自分が均質化されたとは思わない。
しかし、日本の教育を受けたのであれば、均質化を押し付けられ、得手を封印された犠牲者である可能性がある。教育を受けて何か得たと思っているが、逆だったのかもしれない。奪われたのかもしれない。

あなたは自分が本当の得意だったもの、自分の能力、自分の武器を「均質化を重視する教育」で掻き消された可能性を考えたことがあるだろうか。本当は、自分の個性と可能性を教育で失ったのかもしれない。

とは言っても、ほとんどの日本人はそれを憂うことはないだろう。なぜなら、教育で「個性を奪われた」など想像したこともないからだ。本来は「卓越した個性」「飛び抜けた個性」があったのかもしれないが、それが「矯正された」と想像したこともないからだ。

https://blackasia.net/?p=17187
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c223

[近代史3] ジュリアン・アサンジはレイプをでっちあげられた

ジュリアン・アサンジはレイプをでっちあげられた


ジュリアン・アサンジがレイプをでっちあげられて罠にかけられた経過をドイツTVが放送
2020年02月14日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1030.html


  2020年2月13日 (木)
レイ・マクガヴァン:ドイツ・テレビがジュリアン・アサンジをわなにかけたウソを暴露
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-33a9e2.html

 以下引用

 スウェーデンによるジュリアン・アサンジに対する「強姦」事件でっちあげを明らかにする国連拷問問題特別報告者とのインタビューを、主要ドイツTV局が放送した。

 コンソーシアム・ニュースへのレイ・マクガヴァン特別寄稿

 この発行人が、アメリカ法廷行きと、その先の一生刑務所暮らしへ向かう犯人引き渡し片道切符付きロンドン最高警備刑務所に、どうやってたどり着いたかについて、混乱している人々にとって、真実が現れたのだ。

 ドイツの主要テレビ局の一つZDFが、水曜夜ゴールデンタイムに、スウェーデン当局が、ジュリアン・アサンジをレイプ犯人に「仕立て上げた」のを物語る二編を放送した。

 昨夜まで、大半のドイツ人も、他のヨーロッパの「主要マスコミ」を見ている人々も、ほぼ確実にアメリカが立案し、スウェーデンやイギリスや、最終的にエクアドルのような属国の共犯者連中が紡いで、アサンジをクモの巣に陥らせた策略を全く知らなかった。

 ZDFは、国連拷問問題特別報告者メルツァーにインタビューして、このクモの巣を破ったのだ。ZDFの第一部「Heute Sendung」(ドイツ語)は、13:00分から15:30分までが特に多くを物語っている。第二部ZDF「Heute Journal」は(25:49分から30:19分)だ。

 ZDFの番組二本とも、彼を捕虜として拘留するため、アサンジに対する主張が、どのように「でっちあげられ」、操作されているかについて、中断も論評も最小にして、メルツァー・インタビューを見せて、彼の調査結果自身に語らせている。

 そもそも、メルツァーも含め、多くの人々に、アサンジが強姦犯だと信じるよう仕向けた特に中傷的な主張、十分実験済みの陰険な中傷技術は、特に効果的だった。スウェーデンは、決して公式に彼を強姦や、何らかの犯罪で告訴してはいない。対イラク攻撃前の大量破壊兵器の証拠と全く同様、性犯罪の主張が「でっちあげられた」ことを示す、メルツァーが発見した書類の一部をZDFが示した。

 メルツァーは以前、マスコミによるアサンジ描写に欺かれていて、当初、アサンジ事件調査に気が進まなかったのを認めていた。ここに、6月26日の犠牲者を支援する国際デーの論説で、メルツァーが去年書いたものがある。

 主要マスコミは、この論説を印刷したり、掲載したりするまい。Medium.comが「ジュリアン・アサンジの拷問をあばく」という題で掲載した。

抜粋:

「ですが確かに、私自身弁解しているのに気がついた。アサンジは、エクアドル大使館内をスケートボードで走り、壁に糞便を塗る利己的なナルシストに違いないと。私が大使館員から聞いたのは、彼らの建物での、彼の滞在で避けられない不便に、相互尊重と配慮で対処したということだけだ。

これはモレノ大統領当選後に変わり、大使館員は突然アサンジに対する悪口を見つけるよう指示され、そうしないと、すぐに交代させられた。大統領自ら乗り出し、おしゃべりで世界を祝福し、いかなる適法手続きもなしに、アサンジから、亡命と市民権を、じきじきに剥奪した。

結局、私はプロパガンダで目をくらませられていて、彼があばいた犯罪から注目を逸らすために、アサンジが組織的に中傷されていたことを、とうとう私はわかり始めた。(強調は筆者。)

 メルツァーはこの深刻な警告で彼の論説を締めくくった。

「これは、アサンジを守るだけでなく、西洋民主主義の運命を封ずる可能性が高い前例を防ぐためでもある。権力者連中は罰を受けずに済む状態で、真実を語ることが犯罪になってしまえば、軌道修正するには手遅れだ。我々の意見は検閲に、我々の運命は、とどまるところを知らない専制権力に、屈してしまうだろう。」(強調は筆者。)

 ドイツZDFが番組を放送する数日前に、「心理的拷問」を含め、アサンジが何を体験したかを暴露するメルツァーの不屈の取り組みは、若干の穏当な成功に遭遇した。リンクした記事のリンクは、アサンジについてのメルツァーの最良インタビューだ。

 アサンジのアメリカ引き渡しへの反対は益々広範に広がっている。先週、欧州評議会議員会議(PACE)が、何年もの沈黙を終わらせて、アサンジの即時放免を要求して、アサンジに有利な、もう一本の藁になった。

 それにもかかわらず、800年前、ジョン王からマグナ・カルタをもぎ取った貴族の勇気を思い起こすようイギリスに促すのは、至難のわざのままだ。

 レイ・マクガヴァンは、ワシントンの救世主教会の出版部門Tell the Wordで働いている。彼は健全さを求める元諜報機関専門家(VIPS)の共同創設者。

https://consortiumnews.com/2020/02/06/ray-mcgovern-german-tv-exposes-the-lies-that-entrapped-julian-assange/

************************************************************
 引用以上

 私が、福島第一原発事故の隠された真実をツイッター上で暴露し続けた結果、私は、数十のアカウントを使ったネトウヨや自民党青年部メンバーに、徹底的な人格誹謗攻撃や、さまざまな嫌がらせを大規模に受け続けた。
 「中卒・タクシー運転手・東海デマ・資格は全部嘘・ホモ」とか、私が軽薄なデマしか書かない人物であるという内容を軸に、もの凄い数の誹謗中傷ツイートと、私を攻撃するサイトがいくつも登場した。
 
 https://love2mac2002jp.blog.fc2.com/
 正直、中身を見ると、あまりの人間性の低さと、科学的レベルの低さに、批判すべき価値さえないので、放置するしかないのだが、なかには、こうした記事に騙される人も多いとみえて、私の評判は芳しくない。
 大垣の大病院に勤務する、自民党支持者の岩田医師が、このようなアカウントを、わかっただけで7つも作って毎日更新しているが、阿呆を相手にするのは疲れるだけなので放置している。
 https://twitter.com/tokaihomo

 結局、私は、「原子力発電が事故を起こさなくとも、日常的に人々を殺している」という内容のブログ記事をアップして、ツイッターで拡散した2018年3月に、ツイッターを永久凍結された。
 すでに2年以上経たが、ツイッター社は、絶対に復活させようとしない。

 以下が、凍結の原因になった、私のブログ記事だ。
 
再掲  原子力発電は事故を起こさなくとも日本人を殺戮している  その1 北海道
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-340.html

 このブログ内で、泊原発が、事故を起こしてもいないのに、泊町内の心筋梗塞死亡率が、全国平均の4.4倍であることを書いたのだが、よほどお気に召さなかったらしい。

 ツイッター管理側が、私を永久凍結にしたツイートは、以下の通り。
 http://tokaiama.minim.ne.jp/tuitter/akaunntoteisi.html

 しかも、これは5年も前の、私のツイートを、どこからかほじくり出してきた「後出し凍結」だった。
 これは、当時の、オランダやベルギーの、安楽死議論を前提にしていたが、「安楽死を助長する」として、ツイートの五年後に、私を永久追放したわけだ。
 こんな内容を永久凍結にするなら、ベルギーとオランダ国民の全員を永久凍結することになるはずだが、彼らは自民党や原子力産業を批判しないから凍結されない。

 これを見て、ツイッター日本支社の実態は、安倍政権世論支援のため自民党青年部が深く介入していることが分かったが、ここにきて、やはりというべきか、ツイッター社が、自民党青年部と一致した組織である日本青年会議所と協定協力を開始したとのニュースが出た。

  “宇予くん”で改憲煽動のJCと手を組んだTwitter Japanはやっぱり右が大好きだった! 代表は自民党で講演、役員はケントに“いいね”
 https://lite-ra.com/2020/02/post-5252.html

 役員は、ケント・ギルバートという、極右で知られた外国人だ。
 つまり、私の永久凍結で明らかになったとおり、ツイッター社という存在そのものが、安倍政権の世論支援に積極的に関与している右翼勢力であり、自民党の下部機関になっていることを意味している。
 だから、私はツイッターに対する幻想を捨てて、ブログに特化しているわけだ。
 最近、ようやく日1万アクセスも現れるようになったが、社会に影響力を持とうとすれば、おおまにのように日数十万アクセスないと注目されることにはならない。

 さて、アメリカでは、体制に刃向かうと、やはり、とんでもない弾圧が待っている。アメリカは、決して民主主義国家ではない。情報に関しては苛酷な独裁国家といってもいい。

 マニング上等兵

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

 https://courrier.jp/translation/91183/?ate_cookie=1581664090

  ジュリアン・アサンジ
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B8
 https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%89%B5%E8%A8%AD%E8%80%85%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B8%E6%B0%8F%E3%81%8C%E6%9A%B4%E9%9C%B2%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%8C%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%87%84%E3%81%BE%E3%81%98%E3%81%99%E3%81%8E%E3%82%8B/ar-BBW5p8y

 エドワード・スノーデン
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49507
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3

 彼らのたどった運命もまた、徹底した人格攻撃から始まった。
「こいつは人間のクズだ!、こんな嘘つきの言うことを信じるな!」
 というのが、体制への反逆者に対して貼り付けられるレッテルであり、国家的制裁の共通項である。

 体制にとって都合の悪い暴露をする人物に対して、アメリカ政府が、どのような態度を示してきたか?
 といえば、自民党が私に対して行ってきた、たくさんの誹謗中傷と同じで、まず最初に人格攻撃を行うのだ。

 アサンジは、スウェーデンで、身に覚えのない強姦事件の犯人にされ、国家訴追を受けて逮捕された。
 https://news.yahoo.co.jp/byline/kobayashiginko/20190413-00122216/

 冒頭に紹介した、「マスコミに載らない海外記事」の転載は、アサンジが、どのように強姦犯罪を捏造されて、国際的なお尋ね者にされ、終身刑の危機に直面していることをドイツTVがゴールデンタイムに暴露したことを伝えた。

 このアサンジと、スノーデンに対する陰謀的な誹謗中傷を、そのまま記事にして、日本国内に伝えているメディアは、自民党支持メディアか、CIA=ジャパンハンドラーの事実上の下部組織であることを、自ら暴露したようなものだ。
 朝日も毎日も、アサンジを積極的に擁護する姿勢は一切見せていない。

 スノーデンのたくさんの暴露のなかで、もっとも重要なものは、イスラム国=ISILの正体が、イスラエル=モサドであることを明らかにしたことだ。

 https://www.mag2.com/p/news/121966

 このことは、世界のほぼすべての戦争、投機経済にイスラエルが関わっていることに気づいていた人にとっては、目新しい情報ではない。
 イスラエルは、人類史上、最大・最悪・最長のカルト国家である。
 その行動指針は、旧約聖書にあって、ユダヤ人は、13歳になるまでにトーラー五編を暗唱して、ラビの前で完全に話せるようにしなければならない義務を負っている。
 できなければ、ユダヤ人社会に一人前として認められないのだ。

 こうして、ユダヤ教徒は、全員が旧約聖書フリークとなり、創世記に描かれた「神との約束」=グレーターイスラエルこそが、人生と国家の最大目標にすり込まれるのである。
 つまり、大イスラエル=ユーフラテからナイルまでの広大な地域をイスラエルにする義務を負っていると全員がすり込まれるわけだ。

 旧約聖書には、陰謀殺人がちりばめられている。
 https://plaza.rakuten.co.jp/caphiro/diary/201306210000/
 だから、ユダヤ人は、必ず陰謀を用いて目的を成就するようになる。
 グレーターイスラエルの領土を獲得するためには、数千年住んでいる先住民を追い出さねばならない。このために、イスラム国が必要だったのだ。

 モサドのサイモンエリオット(最高指導者バクダッディ)が、アラブの若者を洗脳して、絵に描いたような残虐行為、非人間的な暴虐を繰り広げ、市民を皆殺しにして暴れた結果、先住民は、難民として欧州に向かい、残された地域は空っぽになった。
 これが目的で、イスラエルはイスラム国を大暴れさせたわけだ。

 スノーデンは、このことを暴露したが、実は、スノーデンが亡命しているロシア政府も、実はプーチン大統領以下、ユダヤ人ばかりなのだ。
 トランプが、ロシアの協力を得て大統領に当選したのも、トランプがユダヤ教に改宗していたからなのだ。
 というより、アメリカ大統領は、ユダヤ人の血を引いていなければ、決して当選することができない。オバマも母親がスエーデン系ユダヤ人だった。

 こんな真実を暴露したスノーデンは、ロシアを支配するユダヤ人にとっても都合の悪い存在である。
 スノーデンは、ロシアを離れてフランスに行きたがっているといわれるが、フランス政府もまたユダヤ人政権であり、望むような結果は得られないだろう。
 世界には、ユダヤ人の利権から自由な国家は、ほとんど存在しないのだ。

 https://toyokeizai.net/articles/-/320375

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1030.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/904.html

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
2. 中川隆[-13763] koaQ7Jey 2020年2月15日 15:42:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-377]

日本のフツーの男はみんなロリコンだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/108.html

高齢化する風俗嬢。60代どころか70代の風俗嬢さえも日本では現れている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/757.html

中国の お見合いは人身売買の事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/107.html

風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html

現代の派遣社員? 江戸時代、女性の隠れた人気職業は「妾」だった!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/106.html

性欲を満たすために行く場所ではなかった!? 意外と知られていない吉原の実態
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/152.html

梅毒にかかっても治療せず、日本中を這い回って拡散していた風俗嬢
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/758.html

中国人は日本人に復讐する為に日本女性とセックスしたがる _ 風俗嬢に「過去の過ちを体で償うと言え」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/111.html

一緒になる相手は「自分が好きな女性を選ぶよりも、自分を好きになってくれる女性を選ぶ」方が合理的である
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/771.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c2

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
3. 中川隆[-13762] koaQ7Jey 2020年2月15日 15:55:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-376]

中国人客急増で梅毒大流行 _ 性病地獄に堕ちていく日本の風俗嬢
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/251.html

筧千佐子被告 資産家の高齢男性を次々と籠絡していった手口
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/877.html

雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html

高円宮承子様のタトゥーや茶髪画像とタバコがやばい!性病との噂だが現在結婚はしてる?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/366.html

「紀州のドンファン」こと野崎幸助さん 急性覚醒剤中毒死 _ 55歳下の新婚妻は AV女優だった?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/198.html

ヤクザは女性に言う事をなんでも聞かせる為に刺青をしている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/194.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html

中国政府は意図的に中国女性の日本人との偽装結婚を支援している
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/675.html

中国のハニートラップ戦略
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/153.html

プチエンジェル事件の深すぎる闇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html

プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html

中国美女も日本男性が大好き _ 小沢先生と行く中国ハニートラップの旅
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html

中国人は女性を拷問するのが大好き
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/263.html

セックスドールに中国男性は夢中
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/284.html

毛沢東はセッ○ス狂
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/760.html



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c3

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
4. 中川隆[-13764] koaQ7Jey 2020年2月15日 16:00:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-378]
まともな人間に芸術は理解できない _ ゴッホは何故ゴッホになれたのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/481.html

ディープ世界への入り口 平賀敬美術館 _ ゴーギャンがヨーロッパを捨てた理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/297.html

母を尋ねて三千里
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/865.html

欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/200.html

いい日旅立ち _ 山の向こう側にいるのは…
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html

旧家の男子と乳母との心の繋がりが実の母親より遥かに大きい理由 _ 太宰治は本当に性的虐待を受けたのか?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/348.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c4

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
5. 中川隆[-13763] koaQ7Jey 2020年2月15日 16:02:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-377]

江戸時代の銭湯は男女混浴。出会いの場所としての期待も大きかった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/201.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c5
[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
6. 中川隆[-13762] koaQ7Jey 2020年2月15日 16:05:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-376]

私はアルビノ Nastya Kumarova
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/401.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c6
[番外地6] Nastya Kumarova 中川隆
2. 中川隆[-13761] koaQ7Jey 2020年2月15日 16:07:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-375]

私はアルビノ

Dreams of Nature



Nastya Zhidkova (Russian Albino)


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/401.html#c2
[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
7. 中川隆[-13760] koaQ7Jey 2020年2月15日 16:29:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-374]
朝鮮人の見た日本人の姿
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/405.html

風俗嬢「涙の極貧物語」
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/286.html

堤義明 華麗なる女性関係…愛人は大物女優から秘書まで (夕刊フジ)
http://www.asyura2.com/0502/nihon16/msg/303.html

一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html

超絶人気の名曲喫茶ネルケンのマダム _ クラシック・ファンが本当に求めているのは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/281.html

現代顔面考 美男美女は天然? _ 極端なブスや美人は近親相姦で生まれる
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/833.html

あの名画の舞台となった伊香保温泉は今…_『浮雲』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/355.html_

あの名画の舞台となった伊香保温泉は今… _2 _『カルメン故郷に帰る』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/356.html

あの名画の舞台となった銀山温泉は今…_『乱れる』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/351.html

伝説の名湯 岩内 朝日温泉 _ 飢餓海峡の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/230.html

ヤマトンチュには絶対に話してはいけない パナリ(新城)島の秘密
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/706.html

沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

嫁は夫ではなく家の所有物
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/272.html

親子丼
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/273.html

他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html

こんな女に誰がした (天皇陛下を恨んでね)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html

西洋の達人が悟れない理由 _ 秘密仏教(密教)の秘密とは…
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html

サルはなぜサルか _ 黒澤明 『羅生門』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/397.html

温泉四方山話
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/734.html

旦那に対するささやかな愚痴
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/787.html

多重人格者だった恋人の話
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/737.html

秘湯〜夢蛾はここにいる〜
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/736.html



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c7

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
8. 中川隆[-13762] koaQ7Jey 2020年2月15日 16:35:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-373]
被差別部落支配層の性教育
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/317.html

血族結婚部落の優生学的調査概報
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/418.html

ドッグヴィルの世界 _ 奈良県 月ヶ瀬村
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/269.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c8

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 「ラブドール」は女性の代わりにならない 中川隆
9. 中川隆[-13761] koaQ7Jey 2020年2月15日 16:38:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-371]

アンチクライスト
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/484.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/145.html#c9
[近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
28. 中川隆[-13760] koaQ7Jey 2020年2月15日 17:20:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-370]

2020年02月15日
習近平一族の不正蓄財 タックスヘイブンに数兆円の資産を保有


「赤い皇帝」習近平の義理の兄は、数兆円の隠し資産を外国に保有していた


引用:http://image.cache.storm.mg/styles/smg-800x533-fp-wm/s3/thumbnails/image/LU7_0383.jpg

数年前カリブ海の脱税請負国家の顧客リスト「パナマ文書」が流出し話題になった。


パナマ文書には習近平が親族名義の会社を租税回避地に作り、数兆円も溜め込んでいるのが掛かれていた。

それだけではなく「建国の父」の毛沢東や、李鵬の親族も同じように不正蓄財し、冨と権力を握っていました。

中国権力者の海外不正蓄財

非課税国家で不正蓄財を請け負っていた法律事務所の顧客名簿が流出した「パナマ文書」に中国要人の名前が多く記載されていました。

中国ではパナマ文書に関する報道やネット投稿は厳しく取り締まられたが、それでも完全に消す事はできない。


習近平国家主席や、毛沢東初代主席の近親者も記載されていて、数十年前から不正蓄財をしていました。



習近平主席の姉の夫(義兄)は、バージン諸島の「エクセレンス・エフォート不動産開発」の役員だった。

義兄は別の3社の株主でもあったが、何をする会社なのかはいずれも不明となっています。

習近平が指導する共産党幹部でも、不正蓄財リストに載っていました。


習近平指導部の劉雲山(リウユンシャン)党政治局常務委員の義理の娘がタックスヘイブン役員として名前が挙がりました。

張高麗(チャンカオリー)筆頭副首相の義理の息子は、3社の株主になっていました。

習近平は反腐敗運動で権力を握り、ライバルの江沢民派を腐敗疑惑で潰してきました。


中国共産主義の父である毛沢東ら5人の元常務委員も、タックスヘイブンに蓄財企業を作っていました。

李鵬の娘夫婦がオーナーだった「コフィック投資」は、欧州からの産業機器輸入で得た巨額の利益を中国に送金せず蓄財した。

李鵬の娘は今も中国の電力業界で特権を振るい、要職に就いて利益を得ています。

習近平一族の錬金術

賈慶林(チアチンリン)元全国政治協商会議主席の孫は、バージン諸島に二つの会社を保有していました。

不正蓄財で得た資金でその後、不動産とエンターテインメント企業を起こして成功しています。

毛沢東の義理の孫息子の陳東昇は、ヴァージン諸島に会社を所有し、現在は保険や美術オークション会社を経営しています。


習近平の姉は斉橋橋という名前で、不動産業で成功したケ家貴という男と結婚していました。

習近平の父の習仲勲は「八大元老」の一人で、戦前から革命思想を庶民に植え付けたり、軍の中心人物として活躍していた。

共産党の要職を歴任して退職したが、息子の習近平が権力を相続し、国家主席の座に上り詰めた。


習のようなエリート一族は「赤い貴族」と呼ばれ特権階級化しています。

ブルームバーグは以前、その習の姉であるケ夫妻が何百万ドル(数兆円)もの隠し資産を保有していると報道しました。

夫妻は弟の習近平が出世していくのと同時期に、タックスヘイブンに「シュープリーム・ビクトリー・エンタープライズ」を設立しました。


名義はケ家貴になっていたが、その後もコロコロと合計4つの会社を消しては作り、資産を移転させていました。

姉夫婦が不正蓄財に励んでいる頃、習近平は不正撲滅運動を華々しく開始し、次々に党幹部を逮捕していった。

だが不思議な事に逮捕者の中に「習派」は一人も居らず、敵対する「江沢民派」だけが逮捕されていった。

中国からの脱出ゲーム

姉夫婦が習近平の代理として数兆円を海外で蓄え、国内では腐敗撲滅と称して、敵対グループを叩いた。

中国では法律によって年間数百万円しか資産を外国に持ち出せないが、権力者は堂々とこれを反故にしています。

富裕層もまた、国内の腐敗狩りなどで捕まると、一瞬にして無一文になるので、危険を犯してでも外国に資産移転します。


上から下まで資産脱出に精を出していることが、外国での土地や会社の「爆買い」にも繋がっています。

中国に留めて置けば当局から没収され無になるのだから、外国で投資してマイナスになっても、その方がマシと考えています。


習近平は現在ウイルス対策失敗で糾弾されているが、失脚して海外に逃亡しても10兆円を下らない個人資産があると見られる。
http://www.thutmosev.com/archives/58533485.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c28

[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
26. 中川隆[-13759] koaQ7Jey 2020年2月15日 17:22:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-369]

2020年02月15日
習近平一族の不正蓄財 タックスヘイブンに数兆円の資産を保有


「赤い皇帝」習近平の義理の兄は、数兆円の隠し資産を外国に保有していた


引用:http://image.cache.storm.mg/styles/smg-800x533-fp-wm/s3/thumbnails/image/LU7_0383.jpg

数年前カリブ海の脱税請負国家の顧客リスト「パナマ文書」が流出し話題になった。


パナマ文書には習近平が親族名義の会社を租税回避地に作り、数兆円も溜め込んでいるのが掛かれていた。

それだけではなく「建国の父」の毛沢東や、李鵬の親族も同じように不正蓄財し、冨と権力を握っていました。

中国権力者の海外不正蓄財

非課税国家で不正蓄財を請け負っていた法律事務所の顧客名簿が流出した「パナマ文書」に中国要人の名前が多く記載されていました。

中国ではパナマ文書に関する報道やネット投稿は厳しく取り締まられたが、それでも完全に消す事はできない。


習近平国家主席や、毛沢東初代主席の近親者も記載されていて、数十年前から不正蓄財をしていました。



習近平主席の姉の夫(義兄)は、バージン諸島の「エクセレンス・エフォート不動産開発」の役員だった。

義兄は別の3社の株主でもあったが、何をする会社なのかはいずれも不明となっています。

習近平が指導する共産党幹部でも、不正蓄財リストに載っていました。


習近平指導部の劉雲山(リウユンシャン)党政治局常務委員の義理の娘がタックスヘイブン役員として名前が挙がりました。

張高麗(チャンカオリー)筆頭副首相の義理の息子は、3社の株主になっていました。

習近平は反腐敗運動で権力を握り、ライバルの江沢民派を腐敗疑惑で潰してきました。


中国共産主義の父である毛沢東ら5人の元常務委員も、タックスヘイブンに蓄財企業を作っていました。

李鵬の娘夫婦がオーナーだった「コフィック投資」は、欧州からの産業機器輸入で得た巨額の利益を中国に送金せず蓄財した。

李鵬の娘は今も中国の電力業界で特権を振るい、要職に就いて利益を得ています。

習近平一族の錬金術

賈慶林(チアチンリン)元全国政治協商会議主席の孫は、バージン諸島に二つの会社を保有していました。

不正蓄財で得た資金でその後、不動産とエンターテインメント企業を起こして成功しています。

毛沢東の義理の孫息子の陳東昇は、ヴァージン諸島に会社を所有し、現在は保険や美術オークション会社を経営しています。


習近平の姉は斉橋橋という名前で、不動産業で成功したケ家貴という男と結婚していました。

習近平の父の習仲勲は「八大元老」の一人で、戦前から革命思想を庶民に植え付けたり、軍の中心人物として活躍していた。

共産党の要職を歴任して退職したが、息子の習近平が権力を相続し、国家主席の座に上り詰めた。


習のようなエリート一族は「赤い貴族」と呼ばれ特権階級化しています。

ブルームバーグは以前、その習の姉であるケ夫妻が何百万ドル(数兆円)もの隠し資産を保有していると報道しました。

夫妻は弟の習近平が出世していくのと同時期に、タックスヘイブンに「シュープリーム・ビクトリー・エンタープライズ」を設立しました。


名義はケ家貴になっていたが、その後もコロコロと合計4つの会社を消しては作り、資産を移転させていました。

姉夫婦が不正蓄財に励んでいる頃、習近平は不正撲滅運動を華々しく開始し、次々に党幹部を逮捕していった。

だが不思議な事に逮捕者の中に「習派」は一人も居らず、敵対する「江沢民派」だけが逮捕されていった。

中国からの脱出ゲーム

姉夫婦が習近平の代理として数兆円を海外で蓄え、国内では腐敗撲滅と称して、敵対グループを叩いた。

中国では法律によって年間数百万円しか資産を外国に持ち出せないが、権力者は堂々とこれを反故にしています。

富裕層もまた、国内の腐敗狩りなどで捕まると、一瞬にして無一文になるので、危険を犯してでも外国に資産移転します。


上から下まで資産脱出に精を出していることが、外国での土地や会社の「爆買い」にも繋がっています。

中国に留めて置けば当局から没収され無になるのだから、外国で投資してマイナスになっても、その方がマシと考えています。


習近平は現在ウイルス対策失敗で糾弾されているが、失脚して海外に逃亡しても10兆円を下らない個人資産があると見られる。
http://www.thutmosev.com/archives/58533485.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c26

[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
9. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2020年2月15日 17:32:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-368]
自分という他人( ロベルト・シューマンの場合)2020 FEB 14 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/14/自分という他人%ef%bc%88-ロベルト・シューマンの場合%ef%bc%89/

シューマンはクララ・ヴィークと結婚してから歌曲、交響曲、室内楽の年を迎えるが、独身時代の作品群はというとピアノ曲一色である。これを僕は奇異に思っていた。なぜなら、彼は機械による特訓があだとなって指を故障してしまい、右手が使えなくなっていたからだ。ピアニストで身を立てようとしていたシューマンは簡単に気持ちの整理がつかなかったのだろう、チェロや神学の道まで模索し、「ツヴィッカウ交響曲」を試作もしている。であるのに、クライスレリアーナや幻想曲ハ長調みたいな技巧を要する曲をどうして書いたんだろう。しかもピアノ曲ばかり」続々とまるで熱病にかかったみたいに・・・?

その疑問は、しかし、恋する若者の気持ちになってシンプルに考えると解けるように思う。彼は父親フリードリヒ・ヴィークに邪魔されてクララに会えないロメオとジュリエットの事態に直面していた。罵詈雑言を浴びせられ、ツバまで吐きかけられ、ついに名誉棄損で訴えてしまうのだから半端ではない。だが、もっと辛いのは間にいるクララだ。熱いラブレターで恋情をアピールし、ライバルを蹴落とし、自分に目を向けさせなくてはいけない。手紙は検閲される。ならばピアノだ。クララの主題や思い出のパッセージを暗号のように入れこもう、けっして他人にわからないように。そして彼女がそれを弾く。親父も娘の気持ちを察するだろう。素晴らしい曲だと言わせてやろう。見直させて結婚を許してもらおう。

そんなところではないか?その証拠といってしまえるかどうか、勝訴してクララと結婚するとピアノ曲の創作はぱったりと途絶えてしまうのである。シューマンは突発性の男だ。何かにとりつかれると寝ても覚めてもそればかりで、ある日突然、まったく別なものに夢中になっている。気まぐれというレベルではない。1839年の時点では「声楽曲は器楽曲より程度が低い。声楽曲を偉大な芸術とは認めがたい」と述べていたが翌40年には歌曲ばかり書きまくる。声楽の評価に重大な方針転換でもあったのかと思えばそうでもなく、41年は交響曲、42年は室内楽と猫の目のように関心が変転する。

シューマンのこの性格を見ると、フリードリヒ・ヴィークに同情しないでもない。僕もそんな奴とつきあうのは御免だからだ。その気持ちが生じるのはなぜだろう?自問すると意外なことに気づく。自分も突発性の人間だからだ。小学校時代、悪くてあらゆるいたずらをした(と担任にいわれた)。そういう何をしでかすかわからないAと、0.1ミリの狂いも許さない小姑みたいに冷静でうるさいBが僕の中には棲んでいる。アクセル役のAはつまんない邪魔な奴だとBを煙たがっており、ブレーキ役のBは向こう見ずでいい加減なAを軽蔑している。シューマンをつきあいたくない奴と判断しているのはBなのだ。それでわかる。計算づくで尊大でシニカルなマーラーを嫌っているのはAなのだ。


シューマンの内面のふたり、フロレスタン(F)とオイゼビウス(E)がそんなものだったか敷衍するすべはないが、多分にそうだろうと僕は考えている。古代ギリシャでは人間の気質とはフモール(Humor、体液)の産物で四大元素のブレンド具合で変わると考えた。ルネッサンス由来のそうした知識がフランス7月革命を経た自由主義思想に燃えるドイツロマン派革命文学に持ち込まれ、その泰斗ジャン・パウル、E.T.A.ホフマンからシューマンに伝播したことは否定し難い。彼自身がプラトンの対話法を用いてFとEによる音楽評論を試みたともいわれる。同じ人間が今日明日は別人ということがあり得るという考えを彼らは肯定的に許容したわけである。そして、それを上の方から眺めて許容し、両人がお互い鏡になって指摘し合えばもっといい人になれるとヘーゲル流に正当化した。

シューマンは23才のころ兄と兄嫁が亡くなって「気が狂うという固定観念にとりつかれている」と書き、激しい情動の振幅が現れ、それは動と静、激情と慰撫、衝動と耽溺、喝欲と夢想、などの二律背反する気質として音楽にまばらに出現するようになる。ベルリオーズは阿片で狂ったが、シューマンは病気だった。後にイ音の幻聴が現れ死に至るほど精神を病むのは梅毒第三期の症状といわれ、この時点の躁鬱の頻繁な交差がその前兆かは否かは文献を見ないが、立派な躁鬱病ではあろう。しかし彼の理性はしっかりその背反をFとEの役者に当てはめ弁証法的に解決してしまう。E.T.A.ホフマンの「牡猫ムルの人生観」は学識ある猫の自伝だが、クライスラーの自伝とドッペル状態で進行し、ホフマンがそれをまとめる。シューマン、F、Eの関係はその模倣だが、シューマンという人間そのものでもあった。


我が心中の二人は、

A(経験、直観、革命、冒険、新奇、酔狂、気儘、陽気、短気、横暴、帰納、金色、赤色)、

B(論理、合理、慎重、頑固、忍耐、集中、緻密、冷徹、陰気、演繹、銀色、黒色)

が相当する。例外的にビジネスはA、学業はBが優位におこなったが、それ以外で両者は自立してお互いに対して対等に批判的であり、それは子供時分から不変で今後も変わらないだろう。A・Bの対立でもう一段すぐれた人間になったかというとそういうことはない。

ヘーゲルは科学者でなく弁証法は数学的に証明できないから何となく合理性がありそうな後講釈以上のものではない(ということは共産主義しかり)。シューマンにおいてもそれはない。フロレスタン(F)とオイゼビウス(E)がクライスラーと猫ムルの如く交互に主張する独身時代のピアノ音楽にこじつけ以上の形式論理はない。

7月革命のイメージ『民衆を導く自由の女神』ウジェーヌ・ドラクロワ 1830年 ルーヴル美術館所蔵
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/14/自分という他人%ef%bc%88-ロベルト・シューマンの場合%ef%bc%89/1280px-eugene_delacroix_-_la_liberte_guidant_le_peuple/


急進的文学集団である「青年ドイツ(Junges Deutschland)」はヘーゲル的発展を政治と文学に求め、その運動はシューマンの評論活動を通じて音楽に波及したが、弁証法に数学的予見性は何らないからそれは新興若手インテリ集団の熱病にすぎなかったことになる。しかし時代のパラダイムとしてはベートーベンを超える者が現れる “必然” があり、シューマンにとってそれは自分である証明をするモチベーションから交響曲第1番「春」が生まれる。そこにクライスレリアーナの終曲の主題を持ち込んだのは、同曲が結婚へ向けての苦境と呻吟の、しかし勝利を勝ち取るエネルギーを注ぎ込んだ産物であり、そして、作曲の新時代のメシアが自分であり、春を告げる交響曲がその子供として産声をあげたのだというシューマンの心象風景の象徴と思う。

にもかかわらずブラームスにベートーベンの第10交響曲の地位を奪われてしまうのだが、そのことがシューマンその人やクライスレリアーナや第1交響曲の価値を些かも下げたとは理解されていない。何故なら二律背反するフロレスタン(F)とオイゼビウス(E)はベートーベンには棲んだかもしれないがブラームスにはないからである。

2/15/2020 | 1:10 AM Permalink
シューマンの音楽は危うい均衡の上に成り立っており、作品としてまとまること自体が奇跡的と感ずる。崩壊した土台に辛うじて立っている。表面的な美しさだけを受け止めることも可能だが、透けて見える断絶の苦悩の深さを感じ取ってこそシューマンは理解できるだろうと私は思います。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/14/自分という他人%ef%bc%88-ロベルト・シューマンの場合%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c9

[番外地6] 大富豪投資家ジム・ロジャーズ氏の奇妙なコメント 中川隆
9. 中川隆[-13763] koaQ7Jey 2020年2月15日 18:53:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-367]
「日本人は早急に資金を海外に移せ」天才投資家ジム・ロジャーズが警告する真意とは=俣野成敏 2020年1月20日
https://www.mag2.com/p/money/881966


前回に引き続き、ジム・ロジャーズ氏の名言を取り上げます。

ロジャーズ氏は、かなり辛い発言をすることで有名です。しかしそれは、「読者への愛情の裏返しである」と考えることで、氏の本意が見えてくるのではないかと思います。(俣野成敏の『トップ1%の人だけが知っている「お金の真実」』実践編)

日本にお金を置いておいても増えない。私たちは庶民はどうする?


1. 自分の大事なお金を安全な場所で増やしていくには?


「早急に資金を海外に移すことを考えたほうがいい」

俣野:さて。今回、取り上げる書籍は、前回に引き続き、ジム・ロジャーズ氏の最新作です。内容は、「日本への警告の書」となっています。


最初に解説するのは、こちらの名言です。


<名言ピックアップ その1>
「日本人にとって、日本国外に投資をすることはきわめて重要だ。日本国内にほとんどの資金を保有している日本人は、早急に資金を海外に移すことを考えたほうがいいだろう」

出典:『日本への警告 米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く』著:ジム・ロジャーズ/刊:講談社+α新書


<名言1のポイント:「今後、日本円の価値は下がっていく」>

俣野:大前さん、本日もよろしくお願いします。早速ですが、この名言は、為替の専門家から見て、いかがでしょうか?

大前:ロジャーズ氏は、前々から「以後、日本は衰退していく。だから日本円の価値も下がっていく」ということを一貫しておっしゃっています。「お金が増えない日本に、お金を置いておくのは理にかなっていない。早急に資産を海外に移したほうがいい」というのは、非常にごもっともな意見ですよね。

そうはいっても、現在、日本で生活している人が、「『海外送金する』とか『海外投資をする』のは、なかなかハードルが高い」と感じているのも、無理からぬことだと思います。

仮に、勇気を奮い起こして、お金を海外に送ろうとしたとしましょう。やってみればわかりますが、実は、海外送金をするのは、年々難しくなっています。

ご存じのように、“送金”という技術自体は、どんどん進化していて、送金費用も下がってきています。なのに、国内外を問わず、金融機関はどこも、海外送金を容易には受け付けてくれませんし、海外口座も開けなくなっています。理由は、マネーロンダリング対策のためです。

本来であれば、最新の送金技術を享受するのが我々ユーザーのはずなのに、実際は「お金を動かしてはいけない」という真逆の動きが起きているのです。

とはいえ、「日本にお金を置いておいても増えない」という現実がある以上、「上手くいっているエリアに、ある程度のお金を移すことを考えていく」というのは、やはり必要なことなのではないかと思います。


現実的なのは「海外投資」


大前:今現在、すでにそれができているのは、たまたま身近に投資の目利きができる人がいるとか、すでにある程度の資産を築いていて、資産保全が不可欠な状態になっているとか、かなり恵まれた環境にいる人だけでしょう。
残念ながら、今の日本には、他人に資産運用を相談できるような環境が整っておらず、自分で投資商品の是非を判断できるだけの教育も行われていません。

そういった土壌ができていないことが、個人的には、一番の問題なのではないかと考えています。

現在、一般の方が、海外に資金を移す現実的な方法が何かというと、やはり海外投資をすることでしょう。これなら、資金の受け皿として、銀行口座を開設する理由づけにもなります。

何のために、いくら資産を増やすのか。しっかり考えることが重要
大前:ご注意いただきたいのが、単に「お金を増やしたい」というだけでは、海外投資を始める理由としては弱い、ということです。自分から遠く離れたところにお金を置こうとするなら、強力な動機がないと続きません。

動機とは、「なぜ、何のために投資をしたいのか?」「いくらに増やしたいのか?」といった目的意識のことです。

俣野:多くの人は、ただ「お金が欲しい」とか、「お金は、あればあるだけ良い」と思いがちです。どうしたら、目的意識を持つことができるでしょうか?
大前:海外投資をしたい、ということであれば、まずは視野を広げるところから始めてみてはいかがでしょうか。最初は旅行でもいいと思います。

それから、意外に忘れがちなのが、投資を始める際の前提条件として「ご自身の資産基盤がしっかりしていなくては、そもそも投資ができない」ということです。
特に海外投資を行う場合、たとえ利回りが年10%ついたとしても、海外に送金したり、現地の専門家に相談すれば、その都度、手数料を取られます。最終的に、投資金を日本円に戻す際にも、また手数料がかかります。もともと、「海外なら必ず儲かるという保証もない」ですから。

そうした手数料を加味して、それでも十分にお金を増やせるだけの金額と年数をかけられる人が、海外投資で成功を収めることが可能となるのです。
日本の資産も海外にシフトしている


俣野:貯金がない方は、積立投資という方法もあります。しかし、「いくらであれば、長期間に渡って問題なく捻出できるのか?」ということが事前にわかっていないと、結局、「お金が続かなくなって途中解約」というパターンに陥りがちです。
当てずっぽうに投資をするのではなく、そのための準備から手をつけていくべきだ、ということですね。


大前:はい。ちなみに今、もっとも資産を海外にシフトしているのは、他ならぬ日本国だということを、ご存じでしょうか。

日本は、外貨準備高でいうと、中国に次いで世界第2位(2018年)ですし、米国債保有率も世界一(2019年8月)です。我々の年金の運用に関しても、現在、外債比率が増えてきていることは、メルマガの「Vol.152」でお伝えした通りです。

国の資産運用は、安全を基準に行うことが定められています。その国でさえも、外債の比率を増やしてきているわけですから、そういうところからヒントを得るのも、1つの方法ではないかと思います。


<名言1の結論>
「国すらも、資産を海外にシフトさせている。いきなりは無理でも、それに向けた小さな一歩を踏み出そう」


2. もっと「日本人であること」のメリットを活かそう!
俣野:次の名言はこちらです。

<名言ピックアップ その2>
「統計によると、日本のパスポート保有率(2017年)は22.8%にとどまっているという。アメリカの同年のパスポート保有率が42%であることを踏まえると、日本の低さがわかるのではないだろうか」

出典:『日本への警告 米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く』著:ジム・ロジャーズ/刊:講談社+α新書


<名言2のポイント:「自分の持っているモノの価値を知る」>


俣野:ロジャーズ氏によると、「日本のパスポートは、ビザなしで入国できる国が189カ国もあり、パスポートの自由度では韓国と並んで世界一」だということです。

実際、当事者である日本人のほうが、かえって日本のパスポートの価値を認識していなかったりします。

大前:俣野さんは、以前から「自分が持っているリソース(資源)を最大限に活用する」ことを提唱されていますよね。

俣野:はい。パスポートや国籍などは、まさに私たち1人1人が生まれながらに持っているリソースの1つだと言えるでしょう。「これを活用しない手はない」、というのがロジャーズ氏の主張です。

実際の数字を見てみたいと思います。外務省が発表している旅券統計(平成30年1〜12月)によると、2018年の旅券発行数は約433万冊で、対前年比で5.3%増。18年末現在の有効旅券は3000万冊弱であり、国民の4人に1人が所持している計算になります。

パスポートの申請者は、2015年から3年連続の増加ということですが、この数字を多いと見るか、少ないと見るか、いかがでしょうか。

大前:日本政府観光局(JNTO)の数字を見ても、確かに2016年から日本人の海外出国者は増加傾向にあります(推計値)。ただし、パスポートの保持者が4人に1人なので、同じ人が行き来している可能性はありますよね。

私自身は、日本人はもっと海外へ行くべきだと思っています――
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/633.html#c9

[番外地6] 大富豪投資家ジム・ロジャーズ氏の奇妙なコメント 中川隆
10. 中川隆[-13762] koaQ7Jey 2020年2月15日 19:25:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-366]
天才投資家ジム・ロジャーズが言う「早く日本から逃げろ」は本当か?金融のプロが裏読み=俣野成敏 2020年1月17日
https://www.mag2.com/p/money/881745


本号では、ジム・ロジャーズ氏の名言を取り上げたいと思います。親日家であると同時に、かなり辛口なのが、ロジャーズ氏の発言の特徴です。氏からのメッセージを、どう受け止めればいいのか?について、金融の専門家とともに紐解いていきたいと思います。


「中国や韓国に移住したほうが、よほど豊かに生活できる」本当?


1. 海外に逃げられない日本人を待っている未来とは

今回も、金融事情に詳しい大前雅夫さんをゲストにお呼びしています。大前さんは、当メルマガの金融情報監修をしてくださっているFAN GLOBAL SOLUTION PTE. LTD.のCEOにして、外国為替、金融商品の専門家でいらっしゃいます。

【「早く日本から逃げろ!」は本当か?】

それでは、最初に解説するのは、こちらの名言です。

<名言ピックアップ その1>

「私が日本に住む10歳の子どもであれば、一刻も早く日本を飛び出すことを考えるだろう。中国や韓国に移住したほうが、よほど豊かに生活できるのだから」
出典:『日本への警告 米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く』著:ジム・ロ
ジャーズ/刊:講談社+α新書


俣野:では大前さん、本日もよろしくお願いします。
今回、取り上げる書籍は、ジム・ロジャーズ氏の最新作です。タイトルにあるように、日本への警告の書、という内容となっています。

書籍の中には、日本が抱えているさまざまな問題点や、今後、考えられる未来、次に台頭してくるのはどこの国か、なぜそこに将来性があるのか、といったことが書かれています。

ロジャーズ氏が、日本に関して特に憂慮しているのが、少子高齢化による人口減と、国による膨大な借金です。それらを受けて、読者に「日本から早く逃げろ」と呼びかけているのが、上記に取り上げた名言になります。

氏は、「歴史に学べ」「変化を感じなさい」というキーワードを、本書の中ですごく主張されています。実際、それで実績を出されてきた方なので、説得力があると思いますが、大前さんはどうお感じでしょうか?

大前:著名な投資家であるジム・ロジャース氏に物を申すとは、大変恐縮ではありますが、実はこの方は、日本に限らず、香港やタイなどに対しても、割とネガティブな発言をしています。もとから、そういう口調の方なのだと思います。

よって、ロジャーズ氏の主張としては、「ヤバイぞ、逃げろ」ではなくて、「現状に甘んじていないで、変化を受け入れ行動しなさい」という、叱咤激励のほうだと思います。

もともと氏は、日本のことを「逃げ出さなければならないようなひどい国だ」とは言っていません。むしろ、日本のクオリティを賞賛しています。


海外移住は逃げるための手段にはならない


俣野:本の中では、「今後はロシア、韓国、北朝鮮、中国に将来性がある」という主張に、多くのページが割かれています。

それに対して、「日本はもう斜陽だ」という意見は、私たちの周りでもしばしば耳にします。これについては、どうお考えでしょうか?

大前:ロジャーズ氏は、前々から「以後は、このような世の中になるから、お金もそちらに向かって動く」「だから、こういうチャンスがある」ということを主張してきています。

氏は、単に世の中の趨勢(すうせい)を話しているだけであって、それをどう取るかの判断は、個人に委ねられているのではないでしょうか。

そもそも、「日本がダメになる」「借金で破産する」というのは、もうずいぶん前から言われてきていることです。

仮に、「日本はダメだから他の国に移住しよう」といったところで、簡単なことではありません。

ほとんどの日本の方は、当然、日本に根付いていますから、それを移住するとなれば、莫大な労力とコストがかかります。それに万一、移住先で上手くいかなかった場合はどうするのか?といった問題もあります。

たとえば現在、中国の人々も世界中に移民しています。ところがよく見ると、移住先に出身地をベースとした互助会があったり、または宗教的なネットワーク等でつながり、新天地でもサポート基盤があったり、といった受け入れ態勢が整っている場合が大半です。

もちろん日本の方々も、海外に日本人コミュニティなどをつくってはいますが、規模と結束力の点で、中国の華僑ネットワークほどではありません。

要は、人はどこへ行こうが、人間関係もなく、社会から切り離された状態で生きていくのは難しい、ということです。

俣野:移住は逃げるための手段ではない、ということですね?


大前:はい。かえって「日本は危ない」と言う人が出て行くことによって、人材間の競争が少なくなり、日本に残ったほうが、逆に優位になるかもしれません。

結局、場所だけ変えても意味がないのです。
沈みゆく日本で、自分はどう振る舞うのか?

大前:今から45年ほど前に、日本ではオイルショックが起きたことをご存じでしょうか?これは中東で戦争が勃発し、OPEC(石油輸出国機構)が原油の供給制限を行い、輸出価格を大幅に引き上げたことが発端でした。

人々は、「石油の供給が止まれば、日本はモノ不足に陥るのでは」とパニックになり、買い占めが起きて、お店の商品棚が空っぽになりました。
当時は、「あと30年で地球上の石油が掘り尽くされる」と言われていて、みんな本気で心配したものです。

ところが、それから45年経った今でも、石油はまだあります。脱石油化の流れや、シェール革命等の技術革新、採掘の精度などが上がったからです。

確かに、ロジャーズ氏の言う「『今度は違う』『日本はそうはならない』と考えるのは危険だ」という呼びかけは、私たちに重要な示唆を与えてくれます。

だからと言って、「ここから逃げろ」というのは、また話が別だと思います。
それよりも、そういう危機があることを認識しつつ、リスクをどのように自らの中でヘッジしていくのか?と考えることが先決ではないでしょうか。

実際のところ、日本では今、出て行く人よりも、入ってくる人のほうが増えていますよね?コンビニや飲食店などで、働いている外国人の姿を見かけることも珍しくはなくなりました。

俣野:日本に魅力を感じてやってきている外国の方もたくさんいる、という事実にも目を向けるべきだ、ということですね。

【日本はすでに“移民大国”になっている!?】

俣野:ちょうど、外国人労働者の話が出たところで、次の名言に移りたいと思います。次の名言は、こちらです。


<名言ピックアップ その2>

「移民は国にアイデアをもたらし、活気を生み出してくれる。アメリカの場合、グーグル、アマゾン、アップル、フェイスブックに代表される刺激的な企業のほとんどは、移民にルーツを持つ人物が創業したものだ」
出典:『日本への警告 米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く』著:ジム・ロ
ジャーズ/刊:講談社+α新書

俣野:少子高齢化が進む日本では、早くから移民政策について議論されてきたものの、これまでは地理的・歴史的経緯などから、日本人の外国人に対する警戒感には根強いものがありました。

しかし、昨今の労働力不足はいかんともしがたく、今年(2019年)の4月、改正出入国管理法が施行されています。この改正は、外国人に単純労働の道を開くもので、5年間で約34万5,000人の受け入れを予定しています。

ロジャーズ氏は、「人々が移民を嫌がる第一の理由は、外国人に仕事を奪われることだ」と書いています。世間には、「アメリカはもともと移民の国だから、あれだけ世界をリードする企業が誕生したのであって、日本でもそうなるとは限らない」という意見もあります。

大前さんはどうお考えでしょうか。

大前: 現実問題として、集約型労働者は、明らかに足りない状態です。「だったら、それをロボットにやらせよう」といっても、まだまだ人間でなければできないことはたくさんあります。そうなれば、必然的に「安い労働力をどこからか持ってくるしかない」という発想になりますよね。

ですから、「外国人に自分たちの仕事を奪われる」と言ったところで、実際はいわゆる3K(キツい、汚い、危険)と呼ばれる安い仕事の多くを請け負っているのが外国人、ということです――
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/633.html#c10

[番外地6] 大富豪投資家ジム・ロジャーズ氏の奇妙なコメント 中川隆
11. 中川隆[-13761] koaQ7Jey 2020年2月15日 19:37:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-365]
ジム・ロジャーズもかつて破産。天才投資家の「失敗」から学ぶ時間管理術=俣野成敏 2018年7月15日
https://www.mag2.com/p/money/491485


以前、名言シリーズとしてウォーレン・バフェット氏を特集したところ多くの反響が寄せられました。そこで今回は名言シリーズの第2弾として、ジム・ロジャーズ氏をお送りいたします。

ロジャーズ氏は日本びいきとしても有名ですが、反面、日本の未来に対しては懐疑的な意見を崩していません。私たちは氏の言葉から何を学び、どう自分の人生に活かしていけばいいのか? 今回の特集を通じて考えてみたいと思います。


「一所懸命にやるべきことをやるだけ」天才投資家の頭の中とは?

「失敗を恐れるな。できれば早いうちに、2回破産するといい」

世界3大投資家の1人と言われているジム・ロジャーズ氏は、かつて空売りに失敗して破産したことがあります。

それはまだ氏が駆け出しの投資家だった1970年のこと。「株価は暴落する」と予想した氏は、有り金をはたいて空売りを仕掛けました。当時は「自分の読みに絶対の自信を持っていた」と言うロジャーズ氏。ところが株価は上昇を続け、耐えられなくなった氏は、高くても株を買い戻さざるを得なくなります。ついにはすべてを失い、借金だけが残りました。

その後、氏が空売りを仕掛けていた6社は、3年以内にすべて倒産しました。予測自体は当たっていたのに、それに耐えられるだけの資金を残しておかなかったのが敗因でした。

この経験によって、自分がいかに市場のことを理解していなかったのかを思い知らされた氏は、後年、コロンビア大学で講義をした際に、学生にこう言いました。

「失敗を恐れるな。できれば早いうちに、2回破産するといい。失敗しても立ち直ることができれば、より大きな成功を収められる」と。

本特集では、ロジャーズ氏の名言を『世界的な大富豪が人生で大切にしてきたこと60』(プレジデント社)から採用しました。

同書は、氏の名言を並べただけの非常にシンプルなつくりとなっています。読みやすい反面、書籍を読むだけでは、氏がなぜこの名言を述べたのか?という前後関係がわかりにくくなっているのは否めないところです。

そこを俣野の解説で補えば、名言を理解する際の手助けになるのではないか?と考えたわけです。


幼少期から商才を発揮

まず、最初に「ロジャーズ氏のことをよく知らない」という方のために、簡単にロジャーズ氏の半生を振り返っておくことにしたいと思います。

ビジネスの上手な人の多くに共通してみられるのが、幼少の頃から商売の才能を発揮していた、ということです。

ロジャーズ氏は5歳にして最初の商売を始めていますが、これはバフェット氏も同様です。

「できた」と思っても、念のために「あともう少しやる」

ロジャーズ氏は1942年、アメリカのアラバマ州のデモポリスで生を受けました。氏の父親は第二次大戦でドイツへ従軍した後、デモポリスで工場を営んでいた伯父のところでマネジャーとして働くようになります。一家は働き者揃いで、氏は後に「実家では誰もがよく働き、『後でやる』とか『怠ける』といったことは聞いたことがありませんでした」と話しています。

一家の血を継いだロジャーズ氏は、5歳で野球場の空き缶拾いのアルバイトから始め、ソフトドリンクやピーナッツを売り歩くようになります。それ以降も様々なアルバイトをこなしました。

その基本姿勢は一貫して「一所懸命に、やるべきことをやる」というものでした。勉強に対しても一途な姿勢は変わらず、氏は「自分が十分な知識を得たと思えるまで、勉強の手を緩めない」と心に決めます。「念には念を入れて調べる」習慣は、この頃に築かれました。

終始、その姿勢を貫いた結果、氏は公立高校を首席で卒業。奨学金を受けて名門イェール大学へ進学、さらに奨学金を得てオックスフォード大学のベリオル・カレッジに進みました。


ジョージ・ソロス氏との運命的な出会い

ロジャーズ氏と投資との出会いは、大学時代に投資会社でアルバイトをしたことがきっかけでした。投資会社での仕事を通じて、「市場は世界で起こった出来事によって動いている」ことを知ります。氏は卒業後、1968年に兵役を終えるとウォール街で働き始めました。

そこで氏は、同じく世界3大投資家の1人であるジョージ・ソロス氏と出会います。当時、世界最強だったアメリカでは、海外投資に目を向ける人は少なく、ウォール街ですら海外投資を扱っている会社は2社しかありませんでした。そのうちの1社の副社長をしていたのが、ソロス氏です。ハンガリーで育ったソロス氏は、20代半ばまでイギリスにいて、ヨーロッパの金融市場でトレーダーをしていた経験がありました。

意気投合した2人は1973年、クォンタム・ファンドを設立。ソロス氏は、人々に先んじて掘り出し物を見つける能力に長けており、一方のロジャーズ氏は、持ち前の粘り強さでもって可能な限りの資料に当たり、分析を行いました。

2人は世界を視野に投資を行い、10年間に4000%を超えるリターンを叩き出します。しかし、富よりも自由を愛するロジャーズ氏は37歳にして引退。以後はバイクや車で世界を1周するなど、冒険投資家として知られています。

ロジャーズ氏のご紹介はこれくらいにして、以下より早速、氏の名言を解説することにしましょう。

実は暇な人ほど「時間がない」

<名言1>

「本当に忙しい人よりも、実は暇な人の方がいつも『時間がない』と言っているのです。要するに、忙しくない人というのは怠惰で時間管理能力が低いのです。私はリタイア直後にこのことを思い知りました。退職後の数ヶ月間、時間はたっぷりあったのですが、何も成し遂げることはできなかった。仕事で忙しい時のほうが、よほど効率的に動けたのです。そこで、オートバイで世界1周旅行に挑むことにしたのです」

これは「ロジャーズ流タイムマネジメント」ともいえる言葉です。氏の日常がどんなものかというと、毎日6時に起床し、2人の娘を自転車で学校に送り届けた後、午前中はエクササイズをしながらニュースやメールをチェック。合間にヘッドフォンを付けて電話インタビューを受けたり、電話会議をしたりして過ごします。午後には子供を迎えに行き、夕方から夜にかけては自宅で会議を開くこともあるようです。氏は2007年、アメリカからシンガポールに移住しています。

運動しながらニュースやメールのチェックをするというのは、一見すると集中力を欠くような行為にも見えますが、それは組み合わせ方にもよります。たとえば、2人の記者から同時に取材を受けることはできません。しかし取材と運動であれば、頭と体という別々の作業になりますから、並行して行うことは可能です。もちろんこれは、氏が同時並行でも重要な情報は漏れなく拾えるよう、投資家としての能力を研ぎ澄ませてきた、ということでもあります。

今の私たちがロジャーズ氏をマネようとしても、いきなりここまではできないかもしれません。とはいえ、忙しい時のほうがかえって時間を有効に活用できることは、誰しも経験しています。それは、忙しい時のほうが活発に頭や体を使っているために、その勢いで何をするにもテンポよく行動できるからでしょう。
時間があるはずの土日が無駄に流れていく

休みの日に、「今日は時間があるからいろいろなことができるな」と思ったのに、結局、1日ダラダラ無駄に過ごしてしまう、というのはよくある話です。

人は「自由にしていいですよ」と言われると、かえって管理をすることが難しくなります。特にそれまで時間を拘束されていたサラリーマンの方が、退職などでいきなり24時間フリーになってしまうと、急に「後でもいいや」となって、行動の質が薄まりがちです。

時間を無駄なく使えるようになるためには、ある程度の“型”が必要なのです。たとえば、私もビジネスオーナーですから時間はほぼ自由です。そこで私は他人と約束することで、行動に強制力を持たせています。


「忙しい人」には2種類ある

「忙しい人」というのは、大きく言うと2種類に分けられます。それは「人々に求められて仕事が殺到している人」か、「現在、修行中の人」かのどちらかです。

仕事が殺到している人は、自分で選べる立場にいます。それでもなお、忙しくしているのだとしたら、おそらくそのほうがご本人にとって楽しいからなのでしょう。けれど実際、「忙しさ」の多くの要因は、その人が“修行中の身”であることと関係しています。修行中というのは比喩であり、それを「自分で自分の顧客を獲得できるようになるまでの期間のこと」と定義しましょう。要は「独立の過程」という意味です。

このように考えると、会社に雇われているサラリーマンは、終始修行中の身である、と言えるのかもしれません。しかしそうではなくて、「本当はいつでも独立できるけれど、自ら選んでサラリーマンをしている」というのであれば、すでに修行は終わっている、と言えるでしょう。

とどのつまり、サラリーマンとはお金を得るために働いているのではなく、仕事をしながら学んでいる最中なのだとしたら、仕事量を自分で決めることができないのもやむを得ません。

ロジャーズ氏も、クォンタム・ファンドの共同設立者ではありましたが、会社はソロス氏のものでしたから、結局はサラリーマンに過ぎませんでした。けれど氏はそれをやり切ったからこそ、投資家として自立できたのです。

この名言は、逆を言うと「忙しい人ほどチャンスがある」ということを示唆してもいるのです。

2. 偉大な投資家の情報収集術とは

続いて、サラリーマンの方によく聞かれる「情報収集術」についての名言を取り上げます。

先ほどのタイムマネジメントと、この情報収集術は、私がよく聞かれる質問ベスト5の中に必ず入る話題です。まずは、ロジャーズ氏が何を語っているのかを見てみましょう。

無料の情報の中に「掘り出し物」はほとんどない

<名言2>

「テレビや雑誌、インターネットで得られる知識や情報に頼ってはいけません。賢明な投資家であるためには自分自身で経験し、自分の頭で考えること。だから私はテレビを見ません。若い人はインターネットに依存していますが、ネット上の情報で『世の中を理解した』と信じている人の視野は狭い。投資で成功したいなら、それを心に留めて、自分の眼力を磨いてください」

現在は、無料の情報が世の中に溢れています。たとえば、お店を探したい時や、ちょっとした調べものをしたい時などには重宝するでしょう。

とはいえ、もともと世の中に無料のものなど1つもありません。ですから、無料の情報を流している人は、「どこかで必ず資金の回収をしている」と考えるのが普通です。つまり無料の情報を流している、というのは「そうすることによって利益が得られるから意図的に無料の情報を流している」のです。

たとえば、テレビの情報は基本的に無料です。けれど、そのほとんどは意味のないものです。「何の苦労もなく、ただテレビを観ているだけで、自分の必要としている情報がすべて集まってくる」などということはあり得ません。

元来、テレビとは企業のマーケティングツールですから、視聴者に自社商品を覚えてもらい、買ってもらうのが本来の目的です。テレビを観て、お金が「減る」ことはあっても、「稼ぐ」とか「殖やす」という要素はありません。

選別眼がなければ、テレビ・ネットは時間を無駄にするだけ

確かに、テレビを観てビジネスのインスピレーションを得る、ということはあるでしょう。しかし、何にもせずに純粋にテレビで観た内容から、いきなりアイデアを思いつくことはありません。それができる人は、必ず何らかの前段階を経ているはずです。たとえば日頃から新しい企画ネタを探してたくさん本を読んでいる、とか、会社から重要なプロジェクトを任され、それについて日夜考え続けている、といったようにです。テレビは単なるきっかけにすぎません。

たとえると、インターネットサイトの中からとびきりの情報を得ようとするのは、海辺の砂浜の中から砂金を見つけようとするようなものでしょう。たとえ決死の覚悟で探したところで、無料の情報の中に大金星が混ざっている保証はありません。

もし、選別眼を持っている人であれば、その中からでも見分けることは可能でしょうが、選別眼を持っていない人は、情報の渦に呑まれるのが関の山です。そうしている間にも、貴重な時間はなす術もなく過ぎていきます。

本業と投資をどう両立する?

私でオススメしているのは、ハイブリッドクワドラントです。つまり投資家を本業にするのではなく、本業(サラリーマン、自営業など)を別に持ちつつ、投資家と掛け持ちをすることです。

こう考えた場合、どこにもっとも自分の時間を投じるべきなのかと言えば、それは「一番お金を稼げる本業」にです。いわば副業に相当する投資に、本業以上の時間をかけるべきではないのです。

それでは、副業に過ぎない投資で、なるべく時間をかけずに成果を出すにはどうしたらいいのかと言うと――
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/633.html#c11

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
133. 中川隆[-13760] koaQ7Jey 2020年2月15日 19:56:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-364]

ジム・ロジャーズもかつて破産。天才投資家の「失敗」から学ぶ時間管理術=俣野成敏 2018年7月15日
https://www.mag2.com/p/money/491485

以前、名言シリーズとしてウォーレン・バフェット氏を特集したところ多くの反響が寄せられました。そこで今回は名言シリーズの第2弾として、ジム・ロジャーズ氏をお送りいたします。

ロジャーズ氏は日本びいきとしても有名ですが、反面、日本の未来に対しては懐疑的な意見を崩していません。私たちは氏の言葉から何を学び、どう自分の人生に活かしていけばいいのか? 今回の特集を通じて考えてみたいと思います。


「一所懸命にやるべきことをやるだけ」天才投資家の頭の中とは?

「失敗を恐れるな。できれば早いうちに、2回破産するといい」

世界3大投資家の1人と言われているジム・ロジャーズ氏は、かつて空売りに失敗して破産したことがあります。

それはまだ氏が駆け出しの投資家だった1970年のこと。「株価は暴落する」と予想した氏は、有り金をはたいて空売りを仕掛けました。当時は「自分の読みに絶対の自信を持っていた」と言うロジャーズ氏。ところが株価は上昇を続け、耐えられなくなった氏は、高くても株を買い戻さざるを得なくなります。ついにはすべてを失い、借金だけが残りました。

その後、氏が空売りを仕掛けていた6社は、3年以内にすべて倒産しました。予測自体は当たっていたのに、それに耐えられるだけの資金を残しておかなかったのが敗因でした。

この経験によって、自分がいかに市場のことを理解していなかったのかを思い知らされた氏は、後年、コロンビア大学で講義をした際に、学生にこう言いました。

「失敗を恐れるな。できれば早いうちに、2回破産するといい。失敗しても立ち直ることができれば、より大きな成功を収められる」と。

本特集では、ロジャーズ氏の名言を『世界的な大富豪が人生で大切にしてきたこと60』(プレジデント社)から採用しました。

同書は、氏の名言を並べただけの非常にシンプルなつくりとなっています。読みやすい反面、書籍を読むだけでは、氏がなぜこの名言を述べたのか?という前後関係がわかりにくくなっているのは否めないところです。

そこを俣野の解説で補えば、名言を理解する際の手助けになるのではないか?と考えたわけです。


幼少期から商才を発揮

まず、最初に「ロジャーズ氏のことをよく知らない」という方のために、簡単にロジャーズ氏の半生を振り返っておくことにしたいと思います。

ビジネスの上手な人の多くに共通してみられるのが、幼少の頃から商売の才能を発揮していた、ということです。

ロジャーズ氏は5歳にして最初の商売を始めていますが、これはバフェット氏も同様です。

「できた」と思っても、念のために「あともう少しやる」

ロジャーズ氏は1942年、アメリカのアラバマ州のデモポリスで生を受けました。氏の父親は第二次大戦でドイツへ従軍した後、デモポリスで工場を営んでいた伯父のところでマネジャーとして働くようになります。一家は働き者揃いで、氏は後に「実家では誰もがよく働き、『後でやる』とか『怠ける』といったことは聞いたことがありませんでした」と話しています。

一家の血を継いだロジャーズ氏は、5歳で野球場の空き缶拾いのアルバイトから始め、ソフトドリンクやピーナッツを売り歩くようになります。それ以降も様々なアルバイトをこなしました。

その基本姿勢は一貫して「一所懸命に、やるべきことをやる」というものでした。勉強に対しても一途な姿勢は変わらず、氏は「自分が十分な知識を得たと思えるまで、勉強の手を緩めない」と心に決めます。「念には念を入れて調べる」習慣は、この頃に築かれました。

終始、その姿勢を貫いた結果、氏は公立高校を首席で卒業。奨学金を受けて名門イェール大学へ進学、さらに奨学金を得てオックスフォード大学のベリオル・カレッジに進みました。


ジョージ・ソロス氏との運命的な出会い

ロジャーズ氏と投資との出会いは、大学時代に投資会社でアルバイトをしたことがきっかけでした。投資会社での仕事を通じて、「市場は世界で起こった出来事によって動いている」ことを知ります。氏は卒業後、1968年に兵役を終えるとウォール街で働き始めました。

そこで氏は、同じく世界3大投資家の1人であるジョージ・ソロス氏と出会います。当時、世界最強だったアメリカでは、海外投資に目を向ける人は少なく、ウォール街ですら海外投資を扱っている会社は2社しかありませんでした。そのうちの1社の副社長をしていたのが、ソロス氏です。ハンガリーで育ったソロス氏は、20代半ばまでイギリスにいて、ヨーロッパの金融市場でトレーダーをしていた経験がありました。

意気投合した2人は1973年、クォンタム・ファンドを設立。ソロス氏は、人々に先んじて掘り出し物を見つける能力に長けており、一方のロジャーズ氏は、持ち前の粘り強さでもって可能な限りの資料に当たり、分析を行いました。

2人は世界を視野に投資を行い、10年間に4000%を超えるリターンを叩き出します。しかし、富よりも自由を愛するロジャーズ氏は37歳にして引退。以後はバイクや車で世界を1周するなど、冒険投資家として知られています。

ロジャーズ氏のご紹介はこれくらいにして、以下より早速、氏の名言を解説することにしましょう。


実は暇な人ほど「時間がない」

<名言1>

「本当に忙しい人よりも、実は暇な人の方がいつも『時間がない』と言っているのです。要するに、忙しくない人というのは怠惰で時間管理能力が低いのです。私はリタイア直後にこのことを思い知りました。退職後の数ヶ月間、時間はたっぷりあったのですが、何も成し遂げることはできなかった。仕事で忙しい時のほうが、よほど効率的に動けたのです。そこで、オートバイで世界1周旅行に挑むことにしたのです」

これは「ロジャーズ流タイムマネジメント」ともいえる言葉です。氏の日常がどんなものかというと、毎日6時に起床し、2人の娘を自転車で学校に送り届けた後、午前中はエクササイズをしながらニュースやメールをチェック。合間にヘッドフォンを付けて電話インタビューを受けたり、電話会議をしたりして過ごします。午後には子供を迎えに行き、夕方から夜にかけては自宅で会議を開くこともあるようです。氏は2007年、アメリカからシンガポールに移住しています。

運動しながらニュースやメールのチェックをするというのは、一見すると集中力を欠くような行為にも見えますが、それは組み合わせ方にもよります。たとえば、2人の記者から同時に取材を受けることはできません。しかし取材と運動であれば、頭と体という別々の作業になりますから、並行して行うことは可能です。もちろんこれは、氏が同時並行でも重要な情報は漏れなく拾えるよう、投資家としての能力を研ぎ澄ませてきた、ということでもあります。

今の私たちがロジャーズ氏をマネようとしても、いきなりここまではできないかもしれません。とはいえ、忙しい時のほうがかえって時間を有効に活用できることは、誰しも経験しています。それは、忙しい時のほうが活発に頭や体を使っているために、その勢いで何をするにもテンポよく行動できるからでしょう。
時間があるはずの土日が無駄に流れていく

休みの日に、「今日は時間があるからいろいろなことができるな」と思ったのに、結局、1日ダラダラ無駄に過ごしてしまう、というのはよくある話です。

人は「自由にしていいですよ」と言われると、かえって管理をすることが難しくなります。特にそれまで時間を拘束されていたサラリーマンの方が、退職などでいきなり24時間フリーになってしまうと、急に「後でもいいや」となって、行動の質が薄まりがちです。

時間を無駄なく使えるようになるためには、ある程度の“型”が必要なのです。たとえば、私もビジネスオーナーですから時間はほぼ自由です。そこで私は他人と約束することで、行動に強制力を持たせています。


「忙しい人」には2種類ある

「忙しい人」というのは、大きく言うと2種類に分けられます。それは「人々に求められて仕事が殺到している人」か、「現在、修行中の人」かのどちらかです。

仕事が殺到している人は、自分で選べる立場にいます。それでもなお、忙しくしているのだとしたら、おそらくそのほうがご本人にとって楽しいからなのでしょう。けれど実際、「忙しさ」の多くの要因は、その人が“修行中の身”であることと関係しています。修行中というのは比喩であり、それを「自分で自分の顧客を獲得できるようになるまでの期間のこと」と定義しましょう。要は「独立の過程」という意味です。

このように考えると、会社に雇われているサラリーマンは、終始修行中の身である、と言えるのかもしれません。しかしそうではなくて、「本当はいつでも独立できるけれど、自ら選んでサラリーマンをしている」というのであれば、すでに修行は終わっている、と言えるでしょう。

とどのつまり、サラリーマンとはお金を得るために働いているのではなく、仕事をしながら学んでいる最中なのだとしたら、仕事量を自分で決めることができないのもやむを得ません。

ロジャーズ氏も、クォンタム・ファンドの共同設立者ではありましたが、会社はソロス氏のものでしたから、結局はサラリーマンに過ぎませんでした。けれど氏はそれをやり切ったからこそ、投資家として自立できたのです。

この名言は、逆を言うと「忙しい人ほどチャンスがある」ということを示唆してもいるのです。


2. 偉大な投資家の情報収集術とは

続いて、サラリーマンの方によく聞かれる「情報収集術」についての名言を取り上げます。

先ほどのタイムマネジメントと、この情報収集術は、私がよく聞かれる質問ベスト5の中に必ず入る話題です。まずは、ロジャーズ氏が何を語っているのかを見てみましょう。


無料の情報の中に「掘り出し物」はほとんどない

<名言2>

「テレビや雑誌、インターネットで得られる知識や情報に頼ってはいけません。賢明な投資家であるためには自分自身で経験し、自分の頭で考えること。だから私はテレビを見ません。若い人はインターネットに依存していますが、ネット上の情報で『世の中を理解した』と信じている人の視野は狭い。投資で成功したいなら、それを心に留めて、自分の眼力を磨いてください」

現在は、無料の情報が世の中に溢れています。たとえば、お店を探したい時や、ちょっとした調べものをしたい時などには重宝するでしょう。

とはいえ、もともと世の中に無料のものなど1つもありません。ですから、無料の情報を流している人は、「どこかで必ず資金の回収をしている」と考えるのが普通です。つまり無料の情報を流している、というのは「そうすることによって利益が得られるから意図的に無料の情報を流している」のです。

たとえば、テレビの情報は基本的に無料です。けれど、そのほとんどは意味のないものです。「何の苦労もなく、ただテレビを観ているだけで、自分の必要としている情報がすべて集まってくる」などということはあり得ません。

元来、テレビとは企業のマーケティングツールですから、視聴者に自社商品を覚えてもらい、買ってもらうのが本来の目的です。テレビを観て、お金が「減る」ことはあっても、「稼ぐ」とか「殖やす」という要素はありません。

選別眼がなければ、テレビ・ネットは時間を無駄にするだけ

確かに、テレビを観てビジネスのインスピレーションを得る、ということはあるでしょう。しかし、何にもせずに純粋にテレビで観た内容から、いきなりアイデアを思いつくことはありません。それができる人は、必ず何らかの前段階を経ているはずです。たとえば日頃から新しい企画ネタを探してたくさん本を読んでいる、とか、会社から重要なプロジェクトを任され、それについて日夜考え続けている、といったようにです。テレビは単なるきっかけにすぎません。

たとえると、インターネットサイトの中からとびきりの情報を得ようとするのは、海辺の砂浜の中から砂金を見つけようとするようなものでしょう。たとえ決死の覚悟で探したところで、無料の情報の中に大金星が混ざっている保証はありません。

もし、選別眼を持っている人であれば、その中からでも見分けることは可能でしょうが、選別眼を持っていない人は、情報の渦に呑まれるのが関の山です。そうしている間にも、貴重な時間はなす術もなく過ぎていきます。


本業と投資をどう両立する?

私でオススメしているのは、ハイブリッドクワドラントです。つまり投資家を本業にするのではなく、本業(サラリーマン、自営業など)を別に持ちつつ、投資家と掛け持ちをすることです。

こう考えた場合、どこにもっとも自分の時間を投じるべきなのかと言えば、それは「一番お金を稼げる本業」にです。いわば副業に相当する投資に、本業以上の時間をかけるべきではないのです。

それでは、副業に過ぎない投資で、なるべく時間をかけずに成果を出すにはどうしたらいいのかと言うと――

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c133

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
263. 中川隆[-13759] koaQ7Jey 2020年2月15日 19:57:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-363]

ジム・ロジャーズもかつて破産。天才投資家の「失敗」から学ぶ時間管理術=俣野成敏 2018年7月15日
https://www.mag2.com/p/money/491485

以前、名言シリーズとしてウォーレン・バフェット氏を特集したところ多くの反響が寄せられました。そこで今回は名言シリーズの第2弾として、ジム・ロジャーズ氏をお送りいたします。

ロジャーズ氏は日本びいきとしても有名ですが、反面、日本の未来に対しては懐疑的な意見を崩していません。私たちは氏の言葉から何を学び、どう自分の人生に活かしていけばいいのか? 今回の特集を通じて考えてみたいと思います。


「一所懸命にやるべきことをやるだけ」天才投資家の頭の中とは?

「失敗を恐れるな。できれば早いうちに、2回破産するといい」

世界3大投資家の1人と言われているジム・ロジャーズ氏は、かつて空売りに失敗して破産したことがあります。

それはまだ氏が駆け出しの投資家だった1970年のこと。「株価は暴落する」と予想した氏は、有り金をはたいて空売りを仕掛けました。当時は「自分の読みに絶対の自信を持っていた」と言うロジャーズ氏。ところが株価は上昇を続け、耐えられなくなった氏は、高くても株を買い戻さざるを得なくなります。ついにはすべてを失い、借金だけが残りました。

その後、氏が空売りを仕掛けていた6社は、3年以内にすべて倒産しました。予測自体は当たっていたのに、それに耐えられるだけの資金を残しておかなかったのが敗因でした。

この経験によって、自分がいかに市場のことを理解していなかったのかを思い知らされた氏は、後年、コロンビア大学で講義をした際に、学生にこう言いました。

「失敗を恐れるな。できれば早いうちに、2回破産するといい。失敗しても立ち直ることができれば、より大きな成功を収められる」と。

本特集では、ロジャーズ氏の名言を『世界的な大富豪が人生で大切にしてきたこと60』(プレジデント社)から採用しました。

同書は、氏の名言を並べただけの非常にシンプルなつくりとなっています。読みやすい反面、書籍を読むだけでは、氏がなぜこの名言を述べたのか?という前後関係がわかりにくくなっているのは否めないところです。

そこを俣野の解説で補えば、名言を理解する際の手助けになるのではないか?と考えたわけです。


幼少期から商才を発揮

まず、最初に「ロジャーズ氏のことをよく知らない」という方のために、簡単にロジャーズ氏の半生を振り返っておくことにしたいと思います。

ビジネスの上手な人の多くに共通してみられるのが、幼少の頃から商売の才能を発揮していた、ということです。

ロジャーズ氏は5歳にして最初の商売を始めていますが、これはバフェット氏も同様です。

「できた」と思っても、念のために「あともう少しやる」

ロジャーズ氏は1942年、アメリカのアラバマ州のデモポリスで生を受けました。氏の父親は第二次大戦でドイツへ従軍した後、デモポリスで工場を営んでいた伯父のところでマネジャーとして働くようになります。一家は働き者揃いで、氏は後に「実家では誰もがよく働き、『後でやる』とか『怠ける』といったことは聞いたことがありませんでした」と話しています。

一家の血を継いだロジャーズ氏は、5歳で野球場の空き缶拾いのアルバイトから始め、ソフトドリンクやピーナッツを売り歩くようになります。それ以降も様々なアルバイトをこなしました。

その基本姿勢は一貫して「一所懸命に、やるべきことをやる」というものでした。勉強に対しても一途な姿勢は変わらず、氏は「自分が十分な知識を得たと思えるまで、勉強の手を緩めない」と心に決めます。「念には念を入れて調べる」習慣は、この頃に築かれました。

終始、その姿勢を貫いた結果、氏は公立高校を首席で卒業。奨学金を受けて名門イェール大学へ進学、さらに奨学金を得てオックスフォード大学のベリオル・カレッジに進みました。


ジョージ・ソロス氏との運命的な出会い

ロジャーズ氏と投資との出会いは、大学時代に投資会社でアルバイトをしたことがきっかけでした。投資会社での仕事を通じて、「市場は世界で起こった出来事によって動いている」ことを知ります。氏は卒業後、1968年に兵役を終えるとウォール街で働き始めました。

そこで氏は、同じく世界3大投資家の1人であるジョージ・ソロス氏と出会います。当時、世界最強だったアメリカでは、海外投資に目を向ける人は少なく、ウォール街ですら海外投資を扱っている会社は2社しかありませんでした。そのうちの1社の副社長をしていたのが、ソロス氏です。ハンガリーで育ったソロス氏は、20代半ばまでイギリスにいて、ヨーロッパの金融市場でトレーダーをしていた経験がありました。

意気投合した2人は1973年、クォンタム・ファンドを設立。ソロス氏は、人々に先んじて掘り出し物を見つける能力に長けており、一方のロジャーズ氏は、持ち前の粘り強さでもって可能な限りの資料に当たり、分析を行いました。

2人は世界を視野に投資を行い、10年間に4000%を超えるリターンを叩き出します。しかし、富よりも自由を愛するロジャーズ氏は37歳にして引退。以後はバイクや車で世界を1周するなど、冒険投資家として知られています。

ロジャーズ氏のご紹介はこれくらいにして、以下より早速、氏の名言を解説することにしましょう。


実は暇な人ほど「時間がない」

<名言1>

「本当に忙しい人よりも、実は暇な人の方がいつも『時間がない』と言っているのです。要するに、忙しくない人というのは怠惰で時間管理能力が低いのです。私はリタイア直後にこのことを思い知りました。退職後の数ヶ月間、時間はたっぷりあったのですが、何も成し遂げることはできなかった。仕事で忙しい時のほうが、よほど効率的に動けたのです。そこで、オートバイで世界1周旅行に挑むことにしたのです」

これは「ロジャーズ流タイムマネジメント」ともいえる言葉です。氏の日常がどんなものかというと、毎日6時に起床し、2人の娘を自転車で学校に送り届けた後、午前中はエクササイズをしながらニュースやメールをチェック。合間にヘッドフォンを付けて電話インタビューを受けたり、電話会議をしたりして過ごします。午後には子供を迎えに行き、夕方から夜にかけては自宅で会議を開くこともあるようです。氏は2007年、アメリカからシンガポールに移住しています。

運動しながらニュースやメールのチェックをするというのは、一見すると集中力を欠くような行為にも見えますが、それは組み合わせ方にもよります。たとえば、2人の記者から同時に取材を受けることはできません。しかし取材と運動であれば、頭と体という別々の作業になりますから、並行して行うことは可能です。もちろんこれは、氏が同時並行でも重要な情報は漏れなく拾えるよう、投資家としての能力を研ぎ澄ませてきた、ということでもあります。

今の私たちがロジャーズ氏をマネようとしても、いきなりここまではできないかもしれません。とはいえ、忙しい時のほうがかえって時間を有効に活用できることは、誰しも経験しています。それは、忙しい時のほうが活発に頭や体を使っているために、その勢いで何をするにもテンポよく行動できるからでしょう。
時間があるはずの土日が無駄に流れていく

休みの日に、「今日は時間があるからいろいろなことができるな」と思ったのに、結局、1日ダラダラ無駄に過ごしてしまう、というのはよくある話です。

人は「自由にしていいですよ」と言われると、かえって管理をすることが難しくなります。特にそれまで時間を拘束されていたサラリーマンの方が、退職などでいきなり24時間フリーになってしまうと、急に「後でもいいや」となって、行動の質が薄まりがちです。

時間を無駄なく使えるようになるためには、ある程度の“型”が必要なのです。たとえば、私もビジネスオーナーですから時間はほぼ自由です。そこで私は他人と約束することで、行動に強制力を持たせています。


「忙しい人」には2種類ある

「忙しい人」というのは、大きく言うと2種類に分けられます。それは「人々に求められて仕事が殺到している人」か、「現在、修行中の人」かのどちらかです。

仕事が殺到している人は、自分で選べる立場にいます。それでもなお、忙しくしているのだとしたら、おそらくそのほうがご本人にとって楽しいからなのでしょう。けれど実際、「忙しさ」の多くの要因は、その人が“修行中の身”であることと関係しています。修行中というのは比喩であり、それを「自分で自分の顧客を獲得できるようになるまでの期間のこと」と定義しましょう。要は「独立の過程」という意味です。

このように考えると、会社に雇われているサラリーマンは、終始修行中の身である、と言えるのかもしれません。しかしそうではなくて、「本当はいつでも独立できるけれど、自ら選んでサラリーマンをしている」というのであれば、すでに修行は終わっている、と言えるでしょう。

とどのつまり、サラリーマンとはお金を得るために働いているのではなく、仕事をしながら学んでいる最中なのだとしたら、仕事量を自分で決めることができないのもやむを得ません。

ロジャーズ氏も、クォンタム・ファンドの共同設立者ではありましたが、会社はソロス氏のものでしたから、結局はサラリーマンに過ぎませんでした。けれど氏はそれをやり切ったからこそ、投資家として自立できたのです。

この名言は、逆を言うと「忙しい人ほどチャンスがある」ということを示唆してもいるのです。


2. 偉大な投資家の情報収集術とは

続いて、サラリーマンの方によく聞かれる「情報収集術」についての名言を取り上げます。

先ほどのタイムマネジメントと、この情報収集術は、私がよく聞かれる質問ベスト5の中に必ず入る話題です。まずは、ロジャーズ氏が何を語っているのかを見てみましょう。


無料の情報の中に「掘り出し物」はほとんどない

<名言2>

「テレビや雑誌、インターネットで得られる知識や情報に頼ってはいけません。賢明な投資家であるためには自分自身で経験し、自分の頭で考えること。だから私はテレビを見ません。若い人はインターネットに依存していますが、ネット上の情報で『世の中を理解した』と信じている人の視野は狭い。投資で成功したいなら、それを心に留めて、自分の眼力を磨いてください」

現在は、無料の情報が世の中に溢れています。たとえば、お店を探したい時や、ちょっとした調べものをしたい時などには重宝するでしょう。

とはいえ、もともと世の中に無料のものなど1つもありません。ですから、無料の情報を流している人は、「どこかで必ず資金の回収をしている」と考えるのが普通です。つまり無料の情報を流している、というのは「そうすることによって利益が得られるから意図的に無料の情報を流している」のです。

たとえば、テレビの情報は基本的に無料です。けれど、そのほとんどは意味のないものです。「何の苦労もなく、ただテレビを観ているだけで、自分の必要としている情報がすべて集まってくる」などということはあり得ません。

元来、テレビとは企業のマーケティングツールですから、視聴者に自社商品を覚えてもらい、買ってもらうのが本来の目的です。テレビを観て、お金が「減る」ことはあっても、「稼ぐ」とか「殖やす」という要素はありません。

選別眼がなければ、テレビ・ネットは時間を無駄にするだけ

確かに、テレビを観てビジネスのインスピレーションを得る、ということはあるでしょう。しかし、何にもせずに純粋にテレビで観た内容から、いきなりアイデアを思いつくことはありません。それができる人は、必ず何らかの前段階を経ているはずです。たとえば日頃から新しい企画ネタを探してたくさん本を読んでいる、とか、会社から重要なプロジェクトを任され、それについて日夜考え続けている、といったようにです。テレビは単なるきっかけにすぎません。

たとえると、インターネットサイトの中からとびきりの情報を得ようとするのは、海辺の砂浜の中から砂金を見つけようとするようなものでしょう。たとえ決死の覚悟で探したところで、無料の情報の中に大金星が混ざっている保証はありません。

もし、選別眼を持っている人であれば、その中からでも見分けることは可能でしょうが、選別眼を持っていない人は、情報の渦に呑まれるのが関の山です。そうしている間にも、貴重な時間はなす術もなく過ぎていきます。


本業と投資をどう両立する?

私でオススメしているのは、ハイブリッドクワドラントです。つまり投資家を本業にするのではなく、本業(サラリーマン、自営業など)を別に持ちつつ、投資家と掛け持ちをすることです。

こう考えた場合、どこにもっとも自分の時間を投じるべきなのかと言えば、それは「一番お金を稼げる本業」にです。いわば副業に相当する投資に、本業以上の時間をかけるべきではないのです。

それでは、副業に過ぎない投資で、なるべく時間をかけずに成果を出すにはどうしたらいいのかと言うと――

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c263

[近代史3] リビアの戦乱を引き起こしたのはアメリカ政府を操ってきたネオコン(シオニストの一派) 中川隆
1. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2020年2月15日 20:28:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-362]
2020.02.15
大統領候補として売り出されているブータジャジはイスラエルとCIAが後ろ盾
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002150000/


 民主党の大統領候補としてピート・ブータジャジが売り出されている。今年の1月まで世論調査でトップだったジョー・バイデンは急速に支持率を落としているが、これはウクライナの汚職事件を封印し損なったことが大きいのだろう。

 しかし、2月に入って世論調査でトップに躍り出たのはバーニー・サンダース。草の根で人気のあるサンダースは2016年の大統領選挙でも少なからぬ人が支持、ヒラリー・クリントンを内定してた民主党幹部たちに足を引っ張られた。そうした工作の一端を明らかにしたのがウィキリークだ。

 人気の点ではトップのサンダースだが、「最有力候補」とは言えない。内政でも外交でも彼の政策が支配層に嫌われているだろうからだ。彼が候補者になり、大統領に選ばれるためには政策を支配層へ近づけねばならない。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、アメリカでは国内の収容所化と国外での侵略が推進されている。そうした流れは1991年12月のソ連が消滅した後に加速、2001年9月に再加速された。

 リチャード・ニクソンの辞任を受け、1974年に登場したジェラルド・フォード政権で親イスラエル派のネオコンが表舞台で影響力を強めはじめ、2001年9月からは圧倒的な力を持った。今では民主党も共和党も関係なく、大多数の議員がイスラエルを盲目的に支持している。

 しかし、世界的に見るとパレスチナ人を弾圧、殺戮と破壊を繰り返すイスラエルを批判する声は高まり、イスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動が広がっている。

 そうした運動が広がることを恐れ、アメリカでは反BDSが法律化されつつある。ジョージア州では2016年に州と1000ドル相当以上の契約をしている場合、イスラエル支持を誓うことが義務づけられた。そのジョージア州の大学で講演が予定されていたジャーナリストのアビー・マーチンはイスラエルに忠誠を誓うことを拒否、その結果、講演はキャンセルされた。

 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスにおいてもイスラエルを批判する声はある。大きな節目になったのは1982年のイスラエル軍によるベイルート侵攻。1万数千人の市民を虐殺、さらにファランジスト党の手を借りて無防備のサブラとシャティーラにあったパレスチナ難民のキャンプを攻めて数百人、あるいは3000人以上の難民を虐殺している。

 歴史的に親イスラエルだったイギリスの労働党もパレスチナ人支持へ転換、イスラエルの残虐行為を擁護するアメリカへの批判が高まった。

 そこでアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めるため、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議した。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。このプロジェクトには少なからぬメディアの記者や編集者が参加する。

 そうした中、目をつけられた政治家がトニー・ブレア。1994年1月に妻とイスラエルへ招待され、3月にブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく真の金主はイスラエルだ。

 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、労働党の党首だったジョン・スミスが1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利、党首になる。

 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになる。これが日本でも評判になったニュー・レイバーにほかならない。労働党をブレア以前に戻したのがジェレミー・コービン。彼を有力メディアが「反ユダヤ」だと攻撃したのはそのためだ。

 アメリカでは民主党の大統領候補選びでバイデンが失速した後、親イスラエル派に支持されているのはインディアナ州サウスベンド市長だったピート・ブータジャジである。

 この人物の有力スポンサーと言われているのがヘッジ・ファンドを経営するセス・クラーマン。この人物は熱烈なイスラエル支持者で、違法入植にも賛成している。今回の大統領選挙でこの人物はブータジャジのほか上院議員のアミー・クロウバシャーなどへ寄付しているようだ。

 また、昨年からデイビッド・コーエン元副長官やCIAの中東工作の責任者だったジョン・ブレアなど少なからぬCIAの元スタッフがブータジャジを支援していることが話題になっている。

 ブータジャジの支持者の中にはベネズエラの体制転覆を目論んでいる人もいる。そのひとりがドナルド・トランプ政権で国家安全保障会議の南アメリカ担当者だったフェルナンド・クッツ。CIAと関係が深くネオコンが拠点のひとつにしているCSISの秘密会議に出席したことでも知られている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002150000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/847.html#c1

[近代史3] トランプは反グローバリズムの旗手なのか? それとも自分の支持率や人気を上げる事しか考えていない無知蒙昧なアホなのか? 中川隆
13. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2020年2月15日 20:29:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-361]
2020.02.15
大統領候補として売り出されているブータジャジはイスラエルとCIAが後ろ盾
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002150000/


 民主党の大統領候補としてピート・ブータジャジが売り出されている。今年の1月まで世論調査でトップだったジョー・バイデンは急速に支持率を落としているが、これはウクライナの汚職事件を封印し損なったことが大きいのだろう。

 しかし、2月に入って世論調査でトップに躍り出たのはバーニー・サンダース。草の根で人気のあるサンダースは2016年の大統領選挙でも少なからぬ人が支持、ヒラリー・クリントンを内定してた民主党幹部たちに足を引っ張られた。そうした工作の一端を明らかにしたのがウィキリークだ。

 人気の点ではトップのサンダースだが、「最有力候補」とは言えない。内政でも外交でも彼の政策が支配層に嫌われているだろうからだ。彼が候補者になり、大統領に選ばれるためには政策を支配層へ近づけねばならない。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、アメリカでは国内の収容所化と国外での侵略が推進されている。そうした流れは1991年12月のソ連が消滅した後に加速、2001年9月に再加速された。

 リチャード・ニクソンの辞任を受け、1974年に登場したジェラルド・フォード政権で親イスラエル派のネオコンが表舞台で影響力を強めはじめ、2001年9月からは圧倒的な力を持った。今では民主党も共和党も関係なく、大多数の議員がイスラエルを盲目的に支持している。

 しかし、世界的に見るとパレスチナ人を弾圧、殺戮と破壊を繰り返すイスラエルを批判する声は高まり、イスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動が広がっている。

 そうした運動が広がることを恐れ、アメリカでは反BDSが法律化されつつある。ジョージア州では2016年に州と1000ドル相当以上の契約をしている場合、イスラエル支持を誓うことが義務づけられた。そのジョージア州の大学で講演が予定されていたジャーナリストのアビー・マーチンはイスラエルに忠誠を誓うことを拒否、その結果、講演はキャンセルされた。

 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスにおいてもイスラエルを批判する声はある。大きな節目になったのは1982年のイスラエル軍によるベイルート侵攻。1万数千人の市民を虐殺、さらにファランジスト党の手を借りて無防備のサブラとシャティーラにあったパレスチナ難民のキャンプを攻めて数百人、あるいは3000人以上の難民を虐殺している。

 歴史的に親イスラエルだったイギリスの労働党もパレスチナ人支持へ転換、イスラエルの残虐行為を擁護するアメリカへの批判が高まった。

 そこでアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めるため、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議した。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。このプロジェクトには少なからぬメディアの記者や編集者が参加する。

 そうした中、目をつけられた政治家がトニー・ブレア。1994年1月に妻とイスラエルへ招待され、3月にブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく真の金主はイスラエルだ。

 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、労働党の党首だったジョン・スミスが1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利、党首になる。

 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになる。これが日本でも評判になったニュー・レイバーにほかならない。労働党をブレア以前に戻したのがジェレミー・コービン。彼を有力メディアが「反ユダヤ」だと攻撃したのはそのためだ。

 アメリカでは民主党の大統領候補選びでバイデンが失速した後、親イスラエル派に支持されているのはインディアナ州サウスベンド市長だったピート・ブータジャジである。

 この人物の有力スポンサーと言われているのがヘッジ・ファンドを経営するセス・クラーマン。この人物は熱烈なイスラエル支持者で、違法入植にも賛成している。今回の大統領選挙でこの人物はブータジャジのほか上院議員のアミー・クロウバシャーなどへ寄付しているようだ。

 また、昨年からデイビッド・コーエン元副長官やCIAの中東工作の責任者だったジョン・ブレアなど少なからぬCIAの元スタッフがブータジャジを支援していることが話題になっている。

 ブータジャジの支持者の中にはベネズエラの体制転覆を目論んでいる人もいる。そのひとりがドナルド・トランプ政権で国家安全保障会議の南アメリカ担当者だったフェルナンド・クッツ。CIAと関係が深くネオコンが拠点のひとつにしているCSISの秘密会議に出席したことでも知られている。
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/493.html#c13

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
51. 中川隆[-13756] koaQ7Jey 2020年2月15日 20:29:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-360]
2020.02.15
大統領候補として売り出されているブータジャジはイスラエルとCIAが後ろ盾
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002150000/


 民主党の大統領候補としてピート・ブータジャジが売り出されている。今年の1月まで世論調査でトップだったジョー・バイデンは急速に支持率を落としているが、これはウクライナの汚職事件を封印し損なったことが大きいのだろう。

 しかし、2月に入って世論調査でトップに躍り出たのはバーニー・サンダース。草の根で人気のあるサンダースは2016年の大統領選挙でも少なからぬ人が支持、ヒラリー・クリントンを内定してた民主党幹部たちに足を引っ張られた。そうした工作の一端を明らかにしたのがウィキリークだ。

 人気の点ではトップのサンダースだが、「最有力候補」とは言えない。内政でも外交でも彼の政策が支配層に嫌われているだろうからだ。彼が候補者になり、大統領に選ばれるためには政策を支配層へ近づけねばならない。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、アメリカでは国内の収容所化と国外での侵略が推進されている。そうした流れは1991年12月のソ連が消滅した後に加速、2001年9月に再加速された。

 リチャード・ニクソンの辞任を受け、1974年に登場したジェラルド・フォード政権で親イスラエル派のネオコンが表舞台で影響力を強めはじめ、2001年9月からは圧倒的な力を持った。今では民主党も共和党も関係なく、大多数の議員がイスラエルを盲目的に支持している。

 しかし、世界的に見るとパレスチナ人を弾圧、殺戮と破壊を繰り返すイスラエルを批判する声は高まり、イスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動が広がっている。

 そうした運動が広がることを恐れ、アメリカでは反BDSが法律化されつつある。ジョージア州では2016年に州と1000ドル相当以上の契約をしている場合、イスラエル支持を誓うことが義務づけられた。そのジョージア州の大学で講演が予定されていたジャーナリストのアビー・マーチンはイスラエルに忠誠を誓うことを拒否、その結果、講演はキャンセルされた。

 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスにおいてもイスラエルを批判する声はある。大きな節目になったのは1982年のイスラエル軍によるベイルート侵攻。1万数千人の市民を虐殺、さらにファランジスト党の手を借りて無防備のサブラとシャティーラにあったパレスチナ難民のキャンプを攻めて数百人、あるいは3000人以上の難民を虐殺している。

 歴史的に親イスラエルだったイギリスの労働党もパレスチナ人支持へ転換、イスラエルの残虐行為を擁護するアメリカへの批判が高まった。

 そこでアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めるため、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議した。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。このプロジェクトには少なからぬメディアの記者や編集者が参加する。

 そうした中、目をつけられた政治家がトニー・ブレア。1994年1月に妻とイスラエルへ招待され、3月にブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく真の金主はイスラエルだ。

 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、労働党の党首だったジョン・スミスが1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利、党首になる。

 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになる。これが日本でも評判になったニュー・レイバーにほかならない。労働党をブレア以前に戻したのがジェレミー・コービン。彼を有力メディアが「反ユダヤ」だと攻撃したのはそのためだ。

 アメリカでは民主党の大統領候補選びでバイデンが失速した後、親イスラエル派に支持されているのはインディアナ州サウスベンド市長だったピート・ブータジャジである。

 この人物の有力スポンサーと言われているのがヘッジ・ファンドを経営するセス・クラーマン。この人物は熱烈なイスラエル支持者で、違法入植にも賛成している。今回の大統領選挙でこの人物はブータジャジのほか上院議員のアミー・クロウバシャーなどへ寄付しているようだ。

 また、昨年からデイビッド・コーエン元副長官やCIAの中東工作の責任者だったジョン・ブレアなど少なからぬCIAの元スタッフがブータジャジを支援していることが話題になっている。

 ブータジャジの支持者の中にはベネズエラの体制転覆を目論んでいる人もいる。そのひとりがドナルド・トランプ政権で国家安全保障会議の南アメリカ担当者だったフェルナンド・クッツ。CIAと関係が深くネオコンが拠点のひとつにしているCSISの秘密会議に出席したことでも知られている。
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c51

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
90. 中川隆[-13755] koaQ7Jey 2020年2月15日 20:31:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-359]
2020.02.15
大統領候補として売り出されているブータジャジはイスラエルとCIAが後ろ盾
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002150000/


 民主党の大統領候補としてピート・ブータジャジが売り出されている。今年の1月まで世論調査でトップだったジョー・バイデンは急速に支持率を落としているが、これはウクライナの汚職事件を封印し損なったことが大きいのだろう。

 しかし、2月に入って世論調査でトップに躍り出たのはバーニー・サンダース。草の根で人気のあるサンダースは2016年の大統領選挙でも少なからぬ人が支持、ヒラリー・クリントンを内定してた民主党幹部たちに足を引っ張られた。そうした工作の一端を明らかにしたのがウィキリークだ。

 人気の点ではトップのサンダースだが、「最有力候補」とは言えない。内政でも外交でも彼の政策が支配層に嫌われているだろうからだ。彼が候補者になり、大統領に選ばれるためには政策を支配層へ近づけねばならない。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、アメリカでは国内の収容所化と国外での侵略が推進されている。そうした流れは1991年12月のソ連が消滅した後に加速、2001年9月に再加速された。

 リチャード・ニクソンの辞任を受け、1974年に登場したジェラルド・フォード政権で親イスラエル派のネオコンが表舞台で影響力を強めはじめ、2001年9月からは圧倒的な力を持った。今では民主党も共和党も関係なく、大多数の議員がイスラエルを盲目的に支持している。

 しかし、世界的に見るとパレスチナ人を弾圧、殺戮と破壊を繰り返すイスラエルを批判する声は高まり、イスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動が広がっている。

 そうした運動が広がることを恐れ、アメリカでは反BDSが法律化されつつある。ジョージア州では2016年に州と1000ドル相当以上の契約をしている場合、イスラエル支持を誓うことが義務づけられた。そのジョージア州の大学で講演が予定されていたジャーナリストのアビー・マーチンはイスラエルに忠誠を誓うことを拒否、その結果、講演はキャンセルされた。

 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスにおいてもイスラエルを批判する声はある。大きな節目になったのは1982年のイスラエル軍によるベイルート侵攻。1万数千人の市民を虐殺、さらにファランジスト党の手を借りて無防備のサブラとシャティーラにあったパレスチナ難民のキャンプを攻めて数百人、あるいは3000人以上の難民を虐殺している。

 歴史的に親イスラエルだったイギリスの労働党もパレスチナ人支持へ転換、イスラエルの残虐行為を擁護するアメリカへの批判が高まった。

 そこでアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めるため、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議した。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。このプロジェクトには少なからぬメディアの記者や編集者が参加する。

 そうした中、目をつけられた政治家がトニー・ブレア。1994年1月に妻とイスラエルへ招待され、3月にブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく真の金主はイスラエルだ。

 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、労働党の党首だったジョン・スミスが1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利、党首になる。

 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになる。これが日本でも評判になったニュー・レイバーにほかならない。労働党をブレア以前に戻したのがジェレミー・コービン。彼を有力メディアが「反ユダヤ」だと攻撃したのはそのためだ。

 アメリカでは民主党の大統領候補選びでバイデンが失速した後、親イスラエル派に支持されているのはインディアナ州サウスベンド市長だったピート・ブータジャジである。

 この人物の有力スポンサーと言われているのがヘッジ・ファンドを経営するセス・クラーマン。この人物は熱烈なイスラエル支持者で、違法入植にも賛成している。今回の大統領選挙でこの人物はブータジャジのほか上院議員のアミー・クロウバシャーなどへ寄付しているようだ。

 また、昨年からデイビッド・コーエン元副長官やCIAの中東工作の責任者だったジョン・ブレアなど少なからぬCIAの元スタッフがブータジャジを支援していることが話題になっている。

 ブータジャジの支持者の中にはベネズエラの体制転覆を目論んでいる人もいる。そのひとりがドナルド・トランプ政権で国家安全保障会議の南アメリカ担当者だったフェルナンド・クッツ。CIAと関係が深くネオコンが拠点のひとつにしているCSISの秘密会議に出席したことでも知られている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002150000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c90

[近代史3] ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係… 中川隆
20. 中川隆[-13754] koaQ7Jey 2020年2月15日 20:31:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-358]
2020.02.15
大統領候補として売り出されているブータジャジはイスラエルとCIAが後ろ盾
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002150000/


 民主党の大統領候補としてピート・ブータジャジが売り出されている。今年の1月まで世論調査でトップだったジョー・バイデンは急速に支持率を落としているが、これはウクライナの汚職事件を封印し損なったことが大きいのだろう。

 しかし、2月に入って世論調査でトップに躍り出たのはバーニー・サンダース。草の根で人気のあるサンダースは2016年の大統領選挙でも少なからぬ人が支持、ヒラリー・クリントンを内定してた民主党幹部たちに足を引っ張られた。そうした工作の一端を明らかにしたのがウィキリークだ。

 人気の点ではトップのサンダースだが、「最有力候補」とは言えない。内政でも外交でも彼の政策が支配層に嫌われているだろうからだ。彼が候補者になり、大統領に選ばれるためには政策を支配層へ近づけねばならない。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、アメリカでは国内の収容所化と国外での侵略が推進されている。そうした流れは1991年12月のソ連が消滅した後に加速、2001年9月に再加速された。

 リチャード・ニクソンの辞任を受け、1974年に登場したジェラルド・フォード政権で親イスラエル派のネオコンが表舞台で影響力を強めはじめ、2001年9月からは圧倒的な力を持った。今では民主党も共和党も関係なく、大多数の議員がイスラエルを盲目的に支持している。

 しかし、世界的に見るとパレスチナ人を弾圧、殺戮と破壊を繰り返すイスラエルを批判する声は高まり、イスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動が広がっている。

 そうした運動が広がることを恐れ、アメリカでは反BDSが法律化されつつある。ジョージア州では2016年に州と1000ドル相当以上の契約をしている場合、イスラエル支持を誓うことが義務づけられた。そのジョージア州の大学で講演が予定されていたジャーナリストのアビー・マーチンはイスラエルに忠誠を誓うことを拒否、その結果、講演はキャンセルされた。

 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスにおいてもイスラエルを批判する声はある。大きな節目になったのは1982年のイスラエル軍によるベイルート侵攻。1万数千人の市民を虐殺、さらにファランジスト党の手を借りて無防備のサブラとシャティーラにあったパレスチナ難民のキャンプを攻めて数百人、あるいは3000人以上の難民を虐殺している。

 歴史的に親イスラエルだったイギリスの労働党もパレスチナ人支持へ転換、イスラエルの残虐行為を擁護するアメリカへの批判が高まった。

 そこでアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めるため、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議した。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。このプロジェクトには少なからぬメディアの記者や編集者が参加する。

 そうした中、目をつけられた政治家がトニー・ブレア。1994年1月に妻とイスラエルへ招待され、3月にブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく真の金主はイスラエルだ。

 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、労働党の党首だったジョン・スミスが1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利、党首になる。

 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになる。これが日本でも評判になったニュー・レイバーにほかならない。労働党をブレア以前に戻したのがジェレミー・コービン。彼を有力メディアが「反ユダヤ」だと攻撃したのはそのためだ。

 アメリカでは民主党の大統領候補選びでバイデンが失速した後、親イスラエル派に支持されているのはインディアナ州サウスベンド市長だったピート・ブータジャジである。

 この人物の有力スポンサーと言われているのがヘッジ・ファンドを経営するセス・クラーマン。この人物は熱烈なイスラエル支持者で、違法入植にも賛成している。今回の大統領選挙でこの人物はブータジャジのほか上院議員のアミー・クロウバシャーなどへ寄付しているようだ。

 また、昨年からデイビッド・コーエン元副長官やCIAの中東工作の責任者だったジョン・ブレアなど少なからぬCIAの元スタッフがブータジャジを支援していることが話題になっている。

 ブータジャジの支持者の中にはベネズエラの体制転覆を目論んでいる人もいる。そのひとりがドナルド・トランプ政権で国家安全保障会議の南アメリカ担当者だったフェルナンド・クッツ。CIAと関係が深くネオコンが拠点のひとつにしているCSISの秘密会議に出席したことでも知られている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002150000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html#c20

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
224. 中川隆[-13762] koaQ7Jey 2020年2月15日 21:31:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-360]
55名無しさん@ゲレンデいっぱい。2020/02/15(土) 20:55:23.01

幼稚園にかかる学費(授業料/給食費/園外活動費)
公立幼稚園…年22万2264円/3年間666万6792円
私立幼稚園…年49万80008円/3年間149万4024円

小学校にかかる学費(授業料/学校給食費/学校外活動費/修学旅行/学校納付金/学用品/通学費)
公立小学校…年32万1708円/6年間…193万248円
私立小学校…年153万5789円/6年間…921万4734円

中学校にかかる学費(授業料/学校教育費/学校給食費/学校外活動費)
公立中学校…年48万1841円/3年間…144万5523円
私立中学校…年133万8623円/3年間…401万5869円

高校にかかる学費(授業料/学校教育費/学校外活動費)
公立高校…年40万9979円/3年間122万9937円
私立高校…年99万5295円/3年間298万5885円

大学にかかる学費(入学費用/在学費)
国公立…4年間484万9000円
私立文系…4年間695万1000円
私立理系…4年間879万7000円

小中高の無償化は「授業料だけ」
制服、教材、給食費、設備、旅行、社会学習はすべて自腹…有料だよ
部活動、塾、習い事…贅沢させるともっとお金かかる!!!
東京下宿させると年220万円(月額18万3416円)が必要
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c224

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
27. 中川隆[-13764] koaQ7Jey 2020年2月15日 21:32:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-362]

55名無しさん@ゲレンデいっぱい。2020/02/15(土) 20:55:23.01

幼稚園にかかる学費(授業料/給食費/園外活動費)
公立幼稚園…年22万2264円/3年間666万6792円
私立幼稚園…年49万80008円/3年間149万4024円

小学校にかかる学費(授業料/学校給食費/学校外活動費/修学旅行/学校納付金/学用品/通学費)
公立小学校…年32万1708円/6年間…193万248円
私立小学校…年153万5789円/6年間…921万4734円

中学校にかかる学費(授業料/学校教育費/学校給食費/学校外活動費)
公立中学校…年48万1841円/3年間…144万5523円
私立中学校…年133万8623円/3年間…401万5869円

高校にかかる学費(授業料/学校教育費/学校外活動費)
公立高校…年40万9979円/3年間122万9937円
私立高校…年99万5295円/3年間298万5885円

大学にかかる学費(入学費用/在学費)
国公立…4年間484万9000円
私立文系…4年間695万1000円
私立理系…4年間879万7000円

小中高の無償化は「授業料だけ」
制服、教材、給食費、設備、旅行、社会学習はすべて自腹…有料だよ
部活動、塾、習い事…贅沢させるともっとお金かかる!!!
東京下宿させると年220万円(月額18万3416円)が必要
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c27

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
56. 中川隆[-13763] koaQ7Jey 2020年2月15日 21:33:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-361]
55名無しさん@ゲレンデいっぱい。2020/02/15(土) 20:55:23.01
幼稚園にかかる学費(授業料/給食費/園外活動費)
公立幼稚園…年22万2264円/3年間666万6792円
私立幼稚園…年49万80008円/3年間149万4024円

小学校にかかる学費(授業料/学校給食費/学校外活動費/修学旅行/学校納付金/学用品/通学費)
公立小学校…年32万1708円/6年間…193万248円
私立小学校…年153万5789円/6年間…921万4734円

中学校にかかる学費(授業料/学校教育費/学校給食費/学校外活動費)
公立中学校…年48万1841円/3年間…144万5523円
私立中学校…年133万8623円/3年間…401万5869円

高校にかかる学費(授業料/学校教育費/学校外活動費)
公立高校…年40万9979円/3年間122万9937円
私立高校…年99万5295円/3年間298万5885円

大学にかかる学費(入学費用/在学費)
国公立…4年間484万9000円
私立文系…4年間695万1000円
私立理系…4年間879万7000円

小中高の無償化は「授業料だけ」
制服、教材、給食費、設備、旅行、社会学習はすべて自腹…有料だよ
部活動、塾、習い事…贅沢させるともっとお金かかる!!!
東京下宿させると年220万円(月額18万3416円)が必要
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c56

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
57. 中川隆[-13762] koaQ7Jey 2020年2月15日 21:36:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-360]
2020年02月15日
アメリカの学生ローン地獄 破産認められず貧困に陥る人多数

米有名大学は学費だけで4年間1200万円、生活費込みで2000万円必要

画像引用:https://s10851.pcdn.co/wp-content/uploads/2015/01/Between-2014-Aug-Sep-Chart1.png


サブプライムローンと類似する学生ローン

アメリカではリーマンショック以降学生ローン残高が増加し続け、第二のサブプライムローンと言われています。

サブプライムローンとはクリントン大統領時代に始めたホームレスや浮浪者向け住宅ローンでした。

キューバや中南米諸国からの亡命者や不法難民、路上生活のホームレスにまで幅広く融資しました。

これは2000年代に日本でも「債務の証券化」などと言われて脚光を浴び、日本でも真似しようという人が多かった。

手法は路上のホームレスに声をかけて借用書にサインさせ、数千万円の新築住宅に住まわせます。

彼の借金は証券として売り出されるが、全部ごちゃ混ぜにするので元の借金主がホームレスとばれないようにしてあります。


こうして売り出されたのが金融デリバティブ商品で、高金利なので大人気で金持ちや庶民まで競って投資しました。

だが当然ながらホームレスや難民は住宅ローンを滞納するようになり、2007年7月頃サブプライムショックが起きた。

住宅ローン会社から銀行まで幅広く連鎖倒産し、翌2008年に起きたのがリーマンショックでした。


今振り返るとそうなって当たり前ですが、当時はデリバティブ商品がホームレス住宅という事実は隠されていた。

現在起きている学生ローン危機も同じようなことで、借り手は無収入の学生で、最大数千万円を融資しています。

アメリカは大学進学率が高いので、キャリアを積むには有名大学でなくてはならず、有名大学には数千万円かかるのです。


こまった事にアメリカでは日本で違法な「裏口入学」が合法で、教授に賄賂を贈って推薦して猿の子供でも有名大学に入れる。

この手口で娘をハーバードに入学させたのがオバマ大統領で、彼の娘は取材記者の間で成績が悪いので知られていた。

こうした人が居るので有名大学に入る費用は高騰し、入学してからも際限なくお金を毟られます。


アメリカには世界中から学生が集まるが、その理由の一つは「賄賂を渡せば学歴を買える」から金持ちに人気なのです。


自己破産も免責もない永久債務

2019年末のアメリカの学生ローン残高は1兆5080億ドル(約165兆円)で過去最高を更新しつづけている。

リーマンショック前は学生だった若者もとしを取り、債務者の42%が40歳以上になっています。

これは20歳前後で借りて50歳以上になっても学生ローンを払い続けている人が居るのを意味しています。


日本ではリボルビング払いが「終わらない借金」と批判されているが、アメリカでは学生ローンの方が悪質です。

アメリカには「公的債務に自己破産の免責はできない」というルールがあり、学生ローンは公的機関が貸し付けています。


つまり18歳で2000万円借りた人はどんな事があっても返済する必要があり、途中で辞めることができない。


これが住宅ローンなら住宅という資産があるので、売却すればチャラにはならなくともかなり減額される。

学生ローンは学歴を金で買うものだが、大学を卒業した人全員が高収入になるわけではない。

ここで登場するのがアメリカの住居費の高さで、ニューヨークの月平均35万円など、ほとんどの主要都市の平均家賃はワンルーム30万円以上です。


アメリカのワンルームはベッドを2つ置けるので2人で住めるが、これを1人の労働者の収入で払うのは大変な事です。

家賃だけで年400万円かかったら年収600万円でも残りは200万円、日本で例えたら実質300万円以下の収入にしかなりません。

そのうえ学生ローンで月10万円支払う必要があったら、年収700万円でもギリギリの生活になる。


年収600万円のホームレスが居る国

しかも大学を卒業しても年収300万円とかの人も居る訳で、この人たちは収入の多くを学生ローンで差し引かれます。

こんな状況なので有名大学を卒業して年収600万円程度なのに、シリコンバレーで働き路上生活や車上生活を送る人が居ます。


アメリカの主要都市の平均家賃が30万円以上で日本は10万円以下という事は、アメリカ人の年収は250万から300万円差し引いて考える必要がある。


有名企業は都市にあるのでそこで働く人は家賃30万払っていて、さらに学生ローンがのしかかるのです。

1人あたりの借金は平均約3万ドルで、大学卒業時点で300万円の借金を抱えてスタートする。

学生ローン残高は10年前の2倍に拡大し、自動車ローン(1.33兆ドル)やクレジットカードローン(0.93兆ドル)より多い。


学生ローンが自動車や住宅と違うのは、車や家は収入や貯蓄ができた後で買うのに対し、無収入の学生に数百万から1000万以上貸し付けている点です。

学生は将来高収入になる「可能性」があるものの、貸し付けた時点ではホームレスと同じ無職で無収入にすぎない。

日本でも奨学金を返せない人が問題になっているが、日本では奨学金理由の自己破産免責は可能です。


アメリカの学生ローンがいかに悪質か想像できる。
http://www.thutmosev.com/archives/82199157.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c57

[近代史3] 長い旅に出て、過去を消して人生をリセットしよう 中川隆
3. 中川隆[-13767] koaQ7Jey 2020年2月15日 23:39:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-359]

ポツンと一軒家 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%B3%E3%81%A8%E4%B8%80%E8%BB%92%E5%AE%B6









この社会から逃げたい! 誰も来ない山奥で、自給自足の生活に憧れる人々 2020年02月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1031.html

 

 「ポツンと一軒家」というテレ朝の番組が、多極化分散した現代にあって、指折りの高視聴率をたたき出している。
 20%という数字は、たぶんテレビ番組の少なかった半世紀前の視聴率だろう。

 
「ポツンと一軒家」が視聴者を釘付けにし続ける理由
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64461

  『ポツンと一軒家』、視聴率20%超え!“圧倒的” な支持を集める理由
 https://www.jprime.jp/articles/-/15372

  ポツンと一軒家 なぜ人気?
  https://totibaikyaku.com/2018/11/ikkenya.html

 上のリンクに紹介したように、さまざまな分析アプローチが出回っているのだが、私の視点は誰とも異なる。

 私が、「ポツン……」が、高い視聴率を獲得している理由と考えるのは

 @ 嘘のないドギュメンタリー番組であるということ。多くの視聴者は、テレビ局の、計算尽くの仕掛け、仕込みの嘘に飽き飽きしているのだ。
 どこのチャンネルを回しても、作られた嘘の番組ばかり……。もう見たくもない。
 もちろん、「ポツン……」にも、事前のリサーチや、仕掛けがあるに決まっているが、番組の性質上、計算された準備は、かえって邪魔でしかなく、番組構成を貶めるものにしかならないから、基本的に、「嘘のない番組」と認識させるだけのリアリティを持っている。

 A 実は、視聴者の多くが、自民党政権による増税に次ぐ増税、安倍政権による不正に満ちた、縁故主義や我田引水など、生活の圧迫から逃れたいと願っていて、山奥で、誰の世話にもならない自給自足の生活に憧れていると私は考える。
 ポツンと一軒家のなかでは、ありふれた人物が、公共交通機関などのインフラからはじき出された過疎の山奥で、創意工夫を凝らしながら、自給自足に近い生活を行っていて、誰にも邪魔されない自由な生活を満喫しているように見える。
 このことは、「ポツンと……」に魅入られた人々にとって、自分のかなえられる夢を実現している住人に対する、畏敬と羨望を与えているのだと私は思う。

 B 誰もが、静かな荒らされない自然のなかで、密かに生きてみたいと願っている。
 しかし、都会に住んでいれば、食べるものも、住む場所も、病気になったときも、葬式も、社会的常識という重荷に押しつぶされて、自由な自分の意思は「世間体」の前に通すことができない。
 だけど、医療機関などなくとも、どうせ死を免れないのだし、世間体に左右されない、自分の人生のなかで生きて、手厚い看護なんかいらないから、静かに死んでゆきたいと、実は多くの人々が心の底で願っているのではないか?
 「本当に自然な人生」がテレビ番組のなかに見えるのだ。100歳に近い老人が、誰の助けも借りずに、自然のなかで自然の一部であるかのように生きている姿は実に魅力的なのだ。

 少し、重複した内容になってしまったが、私は、人々が心の底で憧れ続けてきた人生を実現している人の姿に、強い畏敬心を抱き、もっと、その姿を見てみたい……と思う気持ちが、この番組の異常なほどの人気を作っているのだと思う。

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-298.html

  我々は、本当に必要な数百倍もの浪費生活を強いられていること
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-739.html

 何よりも、安倍晋三自民党政権の大増税が、どれほど底辺に生きる人々の生活を圧迫しているか? こんな苦しい生活から逃げたいと思っているか?
 自民党と竹中平蔵の進めてきた新自由主義が、ポツンと一軒家の視聴率を生み出していると思えないだろうか?

 逆にいえば、消費税のない、自由で解放された、豊かな生活に満足している人が大部分だったなら、たぶん、この番組が生まれることさえなかっただろう。
 自民党政権=安倍晋三と竹中平蔵がいる限り、ポツンと一軒家の人気は、どんどん高まってゆくのだ。

 私は、「集合無意識」について、何回か書いた。
 人は決して一人で生きているのではない。幸島と高崎山の猿だって、集合無意識を共有していることが知られた。
 https://www.nazotoki.com/hundredth_monkey.html

 人間が、集合無意識に支配されていることは、さまざまな証拠がある。
 上にリンクした「百匹目のサル現象」と、まったく同じことが人間界でも、野生動物界でも頻繁に見られるのだ。

 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/100sarugen.pdf

 だから、私は「安倍晋三と竹中平蔵は嫌だ!」という共通認識が、人間社会でも百を超えたとき、全国に伝播して、一斉に「安倍と竹中を追放しろ!」という具体的行動が、「星火燎原」のように、一斉に燃え上がるだろうと予想している。
 それまで芋を洗わなかった猿たちが、地域の壁を越えて、全国で一斉に芋を洗う習慣を持ったのと同じことが起きると信じているのだ。

 私は、「ポツンと一軒家」が示した、過疎地における自給自足、自律生活への憧れが、このまま「百匹目の猿現象」のように、大勢の人々に伝播してゆくものと予想している。

 時、奇しくも、新型コロナインフルエンザの劇的なパンデミックが始まろうとしていて、その致死率が5%を超えると報道されるようになり、糖尿病などの基礎疾患を抱えた人や妊婦、私のように間質性肺炎やCOPDを患っている者が、感染すると、致死率が50%を超える可能性もあって、そうなると、過疎の田舎に引っ込んで、人との接触を避けながら静かにパンデミックの嵐をやり過ごすことしか手がないので、そんな過疎の安い中古家屋の需要が増すだろうと思っている。

 今年は、絶望的な災厄の年になるという予言もたくさん出ていて、南海トラフの巨大地震や、世界経済大崩壊も避けられない事態となっていて、いずれも、大都市での生活が危機にさらされることになり、やはり安全な過疎の田舎での生活が重要性を増しているように思える。

 私の予測では、これから大都会の学校は、過疎地での廃校を利用した疎開生活をカリキュラムとして体験するようになるような気がしている。
 時代は、いずれも「大都会を離れよ!」と語りかけているように感じるのだ。 

  https://www.gifu-np.co.jp/news/20200212/20200212-214506.html

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1031.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/357.html#c3
[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
568. 中川隆[-13766] koaQ7Jey 2020年2月15日 23:53:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-358]
ポツンと一軒家 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%B3%E3%81%A8%E4%B8%80%E8%BB%92%E5%AE%B6





この社会から逃げたい! 誰も来ない山奥で、自給自足の生活に憧れる人々 2020年02月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1031.html

 

 「ポツンと一軒家」というテレ朝の番組が、多極化分散した現代にあって、指折りの高視聴率をたたき出している。
 20%という数字は、たぶんテレビ番組の少なかった半世紀前の視聴率だろう。

 
「ポツンと一軒家」が視聴者を釘付けにし続ける理由
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64461

  『ポツンと一軒家』、視聴率20%超え!“圧倒的” な支持を集める理由
 https://www.jprime.jp/articles/-/15372

  ポツンと一軒家 なぜ人気?
  https://totibaikyaku.com/2018/11/ikkenya.html

 上のリンクに紹介したように、さまざまな分析アプローチが出回っているのだが、私の視点は誰とも異なる。

 私が、「ポツン……」が、高い視聴率を獲得している理由と考えるのは

 @ 嘘のないドギュメンタリー番組であるということ。多くの視聴者は、テレビ局の、計算尽くの仕掛け、仕込みの嘘に飽き飽きしているのだ。
 どこのチャンネルを回しても、作られた嘘の番組ばかり……。もう見たくもない。
 もちろん、「ポツン……」にも、事前のリサーチや、仕掛けがあるに決まっているが、番組の性質上、計算された準備は、かえって邪魔でしかなく、番組構成を貶めるものにしかならないから、基本的に、「嘘のない番組」と認識させるだけのリアリティを持っている。

 A 実は、視聴者の多くが、自民党政権による増税に次ぐ増税、安倍政権による不正に満ちた、縁故主義や我田引水など、生活の圧迫から逃れたいと願っていて、山奥で、誰の世話にもならない自給自足の生活に憧れていると私は考える。
 ポツンと一軒家のなかでは、ありふれた人物が、公共交通機関などのインフラからはじき出された過疎の山奥で、創意工夫を凝らしながら、自給自足に近い生活を行っていて、誰にも邪魔されない自由な生活を満喫しているように見える。
 このことは、「ポツンと……」に魅入られた人々にとって、自分のかなえられる夢を実現している住人に対する、畏敬と羨望を与えているのだと私は思う。

 B 誰もが、静かな荒らされない自然のなかで、密かに生きてみたいと願っている。
 しかし、都会に住んでいれば、食べるものも、住む場所も、病気になったときも、葬式も、社会的常識という重荷に押しつぶされて、自由な自分の意思は「世間体」の前に通すことができない。
 だけど、医療機関などなくとも、どうせ死を免れないのだし、世間体に左右されない、自分の人生のなかで生きて、手厚い看護なんかいらないから、静かに死んでゆきたいと、実は多くの人々が心の底で願っているのではないか?
 「本当に自然な人生」がテレビ番組のなかに見えるのだ。100歳に近い老人が、誰の助けも借りずに、自然のなかで自然の一部であるかのように生きている姿は実に魅力的なのだ。

 少し、重複した内容になってしまったが、私は、人々が心の底で憧れ続けてきた人生を実現している人の姿に、強い畏敬心を抱き、もっと、その姿を見てみたい……と思う気持ちが、この番組の異常なほどの人気を作っているのだと思う。

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-298.html

  我々は、本当に必要な数百倍もの浪費生活を強いられていること
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-739.html

 何よりも、安倍晋三自民党政権の大増税が、どれほど底辺に生きる人々の生活を圧迫しているか? こんな苦しい生活から逃げたいと思っているか?
 自民党と竹中平蔵の進めてきた新自由主義が、ポツンと一軒家の視聴率を生み出していると思えないだろうか?

 逆にいえば、消費税のない、自由で解放された、豊かな生活に満足している人が大部分だったなら、たぶん、この番組が生まれることさえなかっただろう。
 自民党政権=安倍晋三と竹中平蔵がいる限り、ポツンと一軒家の人気は、どんどん高まってゆくのだ。

 私は、「集合無意識」について、何回か書いた。
 人は決して一人で生きているのではない。幸島と高崎山の猿だって、集合無意識を共有していることが知られた。
 https://www.nazotoki.com/hundredth_monkey.html

 人間が、集合無意識に支配されていることは、さまざまな証拠がある。
 上にリンクした「百匹目のサル現象」と、まったく同じことが人間界でも、野生動物界でも頻繁に見られるのだ。

 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/100sarugen.pdf

 だから、私は「安倍晋三と竹中平蔵は嫌だ!」という共通認識が、人間社会でも百を超えたとき、全国に伝播して、一斉に「安倍と竹中を追放しろ!」という具体的行動が、「星火燎原」のように、一斉に燃え上がるだろうと予想している。
 それまで芋を洗わなかった猿たちが、地域の壁を越えて、全国で一斉に芋を洗う習慣を持ったのと同じことが起きると信じているのだ。

 私は、「ポツンと一軒家」が示した、過疎地における自給自足、自律生活への憧れが、このまま「百匹目の猿現象」のように、大勢の人々に伝播してゆくものと予想している。

 時、奇しくも、新型コロナインフルエンザの劇的なパンデミックが始まろうとしていて、その致死率が5%を超えると報道されるようになり、糖尿病などの基礎疾患を抱えた人や妊婦、私のように間質性肺炎やCOPDを患っている者が、感染すると、致死率が50%を超える可能性もあって、そうなると、過疎の田舎に引っ込んで、人との接触を避けながら静かにパンデミックの嵐をやり過ごすことしか手がないので、そんな過疎の安い中古家屋の需要が増すだろうと思っている。

 今年は、絶望的な災厄の年になるという予言もたくさん出ていて、南海トラフの巨大地震や、世界経済大崩壊も避けられない事態となっていて、いずれも、大都市での生活が危機にさらされることになり、やはり安全な過疎の田舎での生活が重要性を増しているように思える。

 私の予測では、これから大都会の学校は、過疎地での廃校を利用した疎開生活をカリキュラムとして体験するようになるような気がしている。
 時代は、いずれも「大都会を離れよ!」と語りかけているように感じるのだ。 

  https://www.gifu-np.co.jp/news/20200212/20200212-214506.html

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1031.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c568
[近代史3] 精神科病院の深い闇
精神科病院の深い闇

2020年2月15日号
ルポ|精神科病院の深い闇
理由なき4年間の強制入院、42歳女性が味わった地獄
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/22876?_ga=2.196398508.1008613384.1581612861-1416090749.1580827698


「緊急の帝王切開で手術室に入り、出てきたときには卵管結紮(けっさつ)されていました。自分のまったく知らないところで不妊手術をされていたと聞いたときはショックでした」。1月30日、日本弁護士連合会に人権救済の申立書を提出した米田恵子さん(42)は、その心中を吐露した。

申し立ては旧優生保護法下での強制不妊手術の救済策が議論される一方、条項の削除後も、精神障害者などに不妊手術が行われている実態を告発するものだ。

米田さんはごく最近まで、精神科病院に長期入院していた。最後の子どもを分娩(ぶんべん)し不妊手術が実施されてから1年後の2016年2月に入院し、その後院内での生活はおよそ4年間にわたった。

日本では精神疾患により医療機関にかかっている患者数は400万人を超えている。そして精神病床への入院患者数は下図のとおり約28万人と高止まりを続けている。精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は17年時点)。だが、一般病床とは異なり、閉鎖病棟が多い精神病床の内実が表に出ることはまれだ。彼女はなぜ長期入院を余儀なくされ、そしてどのような生活を送っていたのだろうか。

入院しているときは二度と出られないかと

世間では正月休みが明けたばかりの、1月6日午前10時。米田さんは東京都八王子市にある精神科病院「多摩病院」から退院した。

「日常のささいなことがすごく幸せです」。退院から10日ほど経った1月半ば。取材に応じた米田さんは、そう笑顔で話した。病院では週に1度しか食べられなかった好物の麺類を好きなときに食べたり、少し夜更かしをしてテレビを見たりすることに、幸せを覚える日々だという。「何よりの幸せは、家族や友人と自由に連絡が取れることです」。

「今のほうが本当は夢で、目が覚めたらやっぱり現実は閉鎖病棟内のままだった、と想像すると、怖くなって泣き出しそうになります。入院しているときは二度とここから出られないと思ったこともありましたから」

米田さんはそう振り返った後、語気を強める。「この4年間、家族とは面会はおろか、声を聞くことすらかないませんでした。入院当時、中学1年生だった次男は今では高校生。すっかり声変わりしていて成長がうれしい反面、一緒にいられなかった悲しみもあります。人生の貴重な時間を奪った病院のことは、決して許せません」。

入院前年の15年、彼女にとってショッキングな出来事が相次いだ。1月には卵管結紮に加え、生まれたばかりの五女が、続いて9月には三女が、八王子児童相談所に保護されていった。米田さんがうつ傾向にあり、一時パニック障害を生じ通院していたことから養育が難しいと判断されたとみられる。以来、精神的に追い詰められ、精神安定剤などをオーバードーズ(大量服薬)したことで、多摩病院へ入院することになった。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/22876?_ga=2.196398508.1008613384.1581612861-1416090749.1580827698
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/905.html

[近代史3] 表に出始めた明治維新の真実 中川隆
3. 中川隆[-13765] koaQ7Jey 2020年2月16日 06:28:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-356]
大河ドラマが嘘だらけな理由 西鋭夫
http://www.prideandhistory.jp/lp/nikoumj/lp2/ydn11.html?yclid=YJAD.1581801748.uiLiEp.dcq2Vdl5qC94CegKfwJVkbdEgGoGkSKAQPb3ykwOFkswBquytenexSnzGkU_VaRB8pm.J8WAiqjFTxCBc7B7.sVeEH8W0McT9Y2R1LRw-


ここ10年ほどの大河ドラマを眺めると、ほぼ半分の主人公が幕末維新の人物。

天璋院篤姫 → (直江兼続) → 坂本龍馬 → (徳川秀忠の正室) → (平清盛)→ 新島八重 → (黒田官兵衛) → 吉田松蔭の妹 → (真田丸) → (井伊直虎) → 西郷隆盛


これほど大河で幕末のヒーローが取り上げられるのは、日本人がこの時代、人物に憧れを持つからではないでしょうか。実際、私たちはこのヒーローたちが好きですし、「彼らが日本を駆け回り、人に影響を与え、大きな決断をし、行動していった。だからこそ、強大な力を持つ幕府が倒されて、明治維新を成しとげた」と信じている人がほとんどです。

ですが、このストーリーがまったくの「嘘」の上に作られていることをご存知でしたか? この時代を動かしていたのは、私たちが知る英雄たちではなく、誰かが書いたシナリオ通りに彼らが動いていただけだったとしたら?

その証拠となるのが、幕末に膨大にある都合の良い謎の数々です。その謎を追っていくと、あなたが知っている幕末のストーリーの至るところに矛盾が見えてきます。そして、ドラマには決して出てこない、この時代を操っていた「ある存在」の姿が浮かび上がってくるでしょう。「ただ楽しく何も考えないで歴史ドラマを観たい」というなら、これから先は読まないほうがいいかもしれません・・・
例えば・・・

維新のヒーロー坂本龍馬に誰がカネを出したのか?

海援隊という5〜60人の働いてない男たち を養うカネはどこからでてきたのか?
大量の武器(今の価値で50億円とも言われます)を買うカネはどこからでてきたのか?
軍艦を買う金は?
全国各地に出張しまくるカネは?
一体、誰が何の目的でそのカネをだしたのか?

日本中の刺客から狙われていた坂本龍馬、一体だれが殺したのか?
なぜ犯人が分からなかったのか?

「攘夷!攘夷!」と叫び、外国人の追い出し活動に走り回った伊藤博文などの長州藩の志士。それがなぜ、明治維新前に突然、手のひらを返して敵国であるイギリスに留学したのか?

中国にアヘンをばらまき中毒者だらけにすることで、巨大な中国を骨抜きにし、侵略したイギリス。なぜ、同じ手を次の標的の日本に使わなかったのか?

現在も世界最大手のイギリス系金融グループの銀行が、明治維新前に既に横浜に支店を開設していたのはなぜか?

100万人の幕府軍は簡単に圧勝できたのに、なぜ突然、戦闘を放棄したのか?

新政府軍が旧幕府軍と戦った戊辰戦争。降参したらそこまで追い詰めなかったサムライ文化のはずが、会津・函館と最後まで徹底的に皆殺しにしたのはなぜか?

これはまだほんの一部ですが、ここまで見ても、私たちが知っている美しい、憧れの明治維新とは全く違った、現実の姿を教えてくれます。この講演録を読み終わった後には、きっとあなたの「幕末維新のイメージ」は完全に変わっているでしょう。


さらに、歴史ドラマや小説はもちろんのこと、その後の歴史の見方そのものが変わるかもしれません。

明治維新以降の日本は、なぜ終戦で焼け野原になるまで、戦争をしまくっていたのか・・・。

そんな秘密まで明治維新に隠されていたなんて、考えたことはありましたか? 
その後の歴史も全く違った視点から見ることができるようになるでしょう。


西鋭夫教授曰く、

われわれが知っている明治維新はその時の御用学者が書いた歴史で、真実とは違うようです。

ぜひ、この講演録からあなた自身で何が真実なのかを判断してください。


忍山様 「歴史は金の流れを追いかけろ」との言葉は新鮮な驚きでした。事実その通りであると納得しました。そして坂本龍馬は武器商人、それ故に薩摩でもあんなに大事にもてなされたのかと納得がいきました。北朝鮮が武器輸出を大事な柱としているのも当然です。西先生の話が教科書に一部でも載っていれば、明治以降の近代史も面白く学べると思います。私は昭和20年の生まれなので歴史の勉強と言えば明治維新で終わってしまっています。日本が何故あの無謀な太平洋戦争に突入したのか、その理由を勉強すれば子供たちにとって素晴らしい生きた勉強になるはずと思います。


山田様 もう何十回聴いただろう。とにかく引き込まれる。
現代日本人が常識と思っていた、学校やメディアから習った明治維新から今までの近代史が、上っ面だけの知識だった事にショックを受ける。ずっとコントロールされて近代を作って来た日本。日本が再生して、世界に出て行く手伝いを、微力ながらしていきたいと思わせてくれる。乱暴な話し方をされるときもありますが、それも含めて魅力あるすばらしい先生です。


岡田様 ずっと昔からイギリスやアメリカにより、財産を搾取され裏で操られ、何でも言うことを聞かせれてきた日本。今後も沖縄の基地問題やTPPに関しても、日本は良い様に操られてしまうのだろうか。なぜ日本の教育では真実を教えてくれないのか?なぜ、麻薬で大きくなった会社の片棒を担いでいた男を、英雄に仕立て上げる必要があったのか?今まで見てきたことや聞いたことを一度クリアにして、真実は何かを見極め、日本人としてやるべきことは何か考えていかねばならない、と痛切に感じた。


長谷川様 実に明快な新説を拝聴させて頂いた。明治維新で動き回った維新の志士たちの活動費をどこから調達していたかについての疑問が、講演を拝聴してすっきりした。それぞれの国がすべて、国益を第一に考えてあの手この手を打っているのに、この日本だけが戦後まったくの、野放し状態が71年も続いている。大東亜戦争に出兵した亡き父が話していた戦後の在り方についての話は、改めて正しい認識に立っていたと思った。大正時代に生まれ、昭和初期の不況を経験し、大東亜戦争を生き抜いて来た人たちの話は事実だったと、西先生の講演から強く感じた。子供たちに伝えて行かなければならない、日本史だと受け止めました。

http://www.prideandhistory.jp/lp/nikoumj/lp2/ydn11.html?yclid=YJAD.1581801748.uiLiEp.dcq2Vdl5qC94CegKfwJVkbdEgGoGkSKAQPb3ykwOFkswBquytenexSnzGkU_VaRB8pm.J8WAiqjFTxCBc7B7.sVeEH8W0McT9Y2R1LRw-
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/742.html#c3

[番外地7] 道州制による地方政府の自治は中国が日本を乗っ取る為に必要
道州制による地方政府の自治は中国が日本を乗っ取る為に必要


佐々木信夫は中国のエージェント、道州制による地方政府の自治は中国が日本を乗っ取る為に必要な制度:

まず日本の農業を壊滅させ、地方の日本人が居なくなったら、中国人移民が地方の過半数を占める様になる。 そして、住民投票でその地方を独立させ中国の属国にする。 日本政府が独立を妨害したら、中国人移民を守る為に中国軍が乗り込んで来る。

ある国に住む他民族は、独立を目指す

•コソボ
•南オセチア
•アプハジア
•クリミア
•クルド
•カタルーニャ

このリストは、何でしょうか? これは、(ゆっくり、何度も読んでください)

「ある国の特定の地域に、他民族が多数住んでいたので、分離、独立した、あるいは分離、独立を目指している例」

です。例を一つ一つ見てみましょう。

・コソボ
コソボは、セルビアの一部でした。しかし、アルバニア系住民が、圧倒的に多い。それでコソボは08年2月、セルビアからの独立を宣言しました。

・南オセチア
南オセチアは、ジョージア(旧グルジア)の一部。しかし、オセット人が約9割を占めている。1992年に住民投票が行われ、圧倒的多数で「独立派」が支持を得ました。しかし、「事実上の独立」を達成したのは08年8月のロシア―グルジア戦争後です。南オセチアを国家承認しているのは、ロシアを含む4か国だけ。それでも、「事実上の独立国家」である。

・アブハジア
アブハジアもジョージアの一部です。ここは、アブハジア人が、5割強を占めている。1994年に主権宣言しています。しかし、南オセチアを同じく、事実上の独立を達成したのは、08年8月のロシアーグルジア戦争後でした。アブハジアを承認している国は、ロシアを含む4か国だけ。
・クリミア
クリミアは、ウクライナの一部だった。ここは、ロシア系住民が6割を占めている。2014年3月に、住民投票が実施されます。97%がロシアへの帰属を望んだとされ、ロシアに併合されることになりました。

・クルド(イラク)
イラク北部のクルド自治区は、当然クルド人が大半を占めています。ここでは9月25日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。9割が「独立を支持」ということで、緊張が高まっています。

・カタルーニャ
スペインのカタルーニャ州では10月1日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。結果は、92%が独立支持。カタルーニャ州の人は、「俺たちはカタルーニャ人。スペイン人ではない!」と考えているのですね。スペインも、大混乱が予想されます。


外国人参政権付与で、沖縄は中国に吸収される

というわけで、「ある国のある地域に、他民族が密集して住んでいると、独立の機運が高まる」ことをご理解いただけるでしょう。例えば、外国人参政権が与えられたとしましょう。その後、どんな動きが懸念されるのでしょうか?

たとえば、中国が沖縄南部の〇〇市に狙いをつけます。そこに中国人労働者を集中して住まわせる。市の過半数は、「参政権を持つ中国人」になってしまいました。彼らは、「独立の是非」を問う住民投票を実施。圧倒的多数で独立が承認されました。日本政府は自衛隊を投入して、実力で独立を阻止しようとします。

すると中国政府は、「わが国の同胞が、日本軍国主義に大量虐殺されようとしている。これを座視することはできない! そもそも、日本には沖縄の領有権はない! 日本は、中国固有の領土である沖縄を長年不法占拠してきた。いまこそ、歴史の正義を取り戻す時だ!」と大軍を沖縄に送り込みます。かくして、沖縄は中国に編入されることになりました。

このシナリオ、「米軍は何やってたんだ!」と思いますね。確かに。ただ、長期的に見ると、米軍だっていつまでいるかわかりません。


「ある国のある地域に、他民族がたくさん住んでいると、独立を主張し始める」


これは、世界のあちこちで起こっている事実です。中国人が、ある地域に密集して住み、過半数を超えた。将来彼らが「独立」を主張することは十分ありえます。そこまでいかなくても、住民投票で次々と反日的政策を進めていくことでしょう。
私は、どの国の人も差別しません。しかし、「外国人参政権を与えるかどうか」は差別とは関係ありません。「外国人」は参政権がなくて当然なのです。そして、日本国内に住む外国人も、参政権がなくて当然なのです。


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/484.html

[近代史3] 国家を亡ぼす「狂った税制」 中川隆
8. 中川隆[-13773] koaQ7Jey 2020年2月16日 07:29:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-357]
2020年02月16日
日本の税率は何%なのか 全員の平均は50%納税


国家予算が100兆円くらいというのはフィクションで、全て合計すると500兆円近い

引用:http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/resource/af5a5000860f2b9eddeefa4f27dc115e.jpg


消費税など税金を巡る議論が活発ですが、そもそも日本人は何%の税金を払っているのでしょうか。

人によって違うとして片付けられるが、全ての国民(居住者)所得合計の約50%を支払っています。


税金は分かりにくく作られている

消費税を10%にしたばかりなのに、財務省とIMF(実際は財務省から出向した財務官僚)、消費税を15%に上げるべきだと言っています。

税金は多くの項目に分かれているので、簡単には合計出来ないが、実は小学生の算数で割り出せる。

GDPは国民総生産ですが、国民総所得でもあり、日本人全員と企業の収入を合計するとGDPになります。


税金のほうは奇奇怪怪で不明だが、政府の支出は毎年発表されています。

中央政府の予算と地方予算、それに社会保険などを合計すると出せるような気がします。

実際はNHKの受信料も国民全員から取るから税金だし、国保や年金も義務なので税金です。


日本のGDPは2019年9月に名目558兆円だったので、区切り良く550兆円という事にします。

地方財政白書というサイトでは、2009年にGDPの24.5%を政府部門が支出していたと書かれています。

内訳は社会保障7.9%(37兆円)、中央4.6%(37%兆円)、地方12%(57兆円)と書かれています。


日本政府(中央)の予算規模はこの頃90兆円を超えていたので、予算と支出はまったく違うものだと分かります。

原因は「政府支出」は人を雇うために使われた金額を表している為、例えば政府の補助金を地方や企業に配ったら、地方や企業の支出にカウントされるからです。

「支出」を計算しても税率に辿り着けないので、「予算」から確認してみます。

全ての日本人の平均は50%

日本政府の予算は約100兆円規模ですが、実はそれは全ての予算のごく一部しか表していません。

国会で議論する「予算」は100兆円ですが、これとは別に日本には特別会計という予算が350兆円以上存在します。

地方予算とか社会保障費とか、諸々を丸ごとひっくるめたのが特別会計で、一般会計と合計すると500兆円に迫る金額です。


ところが各省庁がバラバラに計算しているので、重複する予算を何度も繰り返し計算し、実際より多く書かれています。

個別に計算しても答えは出ないので、ここは専門家の分析結果を信じる事にします。

2013年の例ではGDP482兆円だったのに、全ての予算の総額は481.8兆円も使っていました。


このうち重複分の256.6兆円を除くと225.2兆円に過ぎない、と元財務官僚の小黒一正という人が説明しています。

2016年の国家予算総額も、ここから少し増えたとして230兆か240兆円だろうと推測できます。

すると日本のGDP500兆円に占める予算の割合は、国家総予算240兆円として48%だと分かります。


この中には国保や社保や年金も含まれているが、NHK受信料は含まれていません。

他にも免許更新の「手数料」とか、役所の印紙代とか必ず取られるお金は税金に含めて良いと思います。

すると日本人全員が納めている税金の税率は、ちょうど50%くらいになります。


消費税を15%や20%に上げるという事は、現在の50%を、55%程度に上げるのを意味しています。

税率を上げれば消費など他の支出がその分減るので、GDP成長率が低下して、結局増税しなかったより税収が減ります。
http://www.thutmosev.com/archives/60785358.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/730.html#c8

[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
7. 中川隆[-13772] koaQ7Jey 2020年2月16日 08:24:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-356]
2020年 02月 15日
ユニコーン カスタム 製造と到着まで
https://tannoy.exblog.jp/31054087/

記憶を確かめる為に、あの頃のメールをあたってみました。すると、リクエストから受注までの10日間の間に、45通ものメールを交わしていました。そのほとんどが、形状と細部の仕上げのやりとりです。最終的には、UNICORNさんの仕様と同じになったのですが、ネットワークだけは、Troubadourシリーズのように外部に出すことになりました。キャビネット内部におおきなコンデンサーを入れ込む作業は大変だし、外にあった方が振動の影響も少ないと言うことでした。それにチタンとカーボンのユニットを交換するときには、外部のネットワーク(イコライザー)の方が、簡単に交換できます。

最終的な合意に達し、発注を掛けたのは6月の末でした。いずれにしても、実際の製造は夏休み明けの8月末からになるでしょう。夏休み前に、製造の図面を探し出し用意しておくと言うことでした。怒濤のような打ち合わせを重ねましたが、キャビネットの製造工程は順番もあり、また時間も掛かる製造方法です。賽は投げられましたから、後はゆっくり結果を待つだけです。


その間に、Troubadourの40と80はチタンとカーボンバージョンも頼んでみました。カーボンのDDDはチタンの欠点であった、丈夫さが桁違いで、チタンはアルミ箔ほどの薄さしかありませんので、触ることは厳禁です。一方カーボンは強度や復元力が桁違いで、押しても元に戻ります。厚みも一桁違います。私自身は、その時点でカーボン製のDDDユニットを聞いたことはありませんでした。Troubadourシリーズは、200Hz以下には、別のウーファーが必要です。GermanではめずらしいDIYの製品なのです。


興味を持った我々は、シングルの40と二つユニットを使って上下にスタックした形の80のチタンとカーボンを発注してみました。実験ですね。ウーファー部分は、大山さんに作っていただくつもりでした。そのTroubadour40と80は八月には空輸されてきました。そのチタンの80は、横浜のMさんのところに運ばれたのです。

ユニコーン カスタム 製造と到着まで_f0108399_18441697.jpg

パラゴンの上にのせられたTroubadourは200Hzぐらいまでしっかり出ますから、パラゴンの筐体に相当響きます。そこでフローティングボードを入れて、その振動をとってみました。そして、G1のウーファーと組み合わされて、今まで聞いたこと無い迫力のある音が、80から聞こえてきたのです。ダブルにスタックされたDDDドライバーは、シングルの40と比べて、倍では無く4倍の迫力有ることを聞かせてくれたのです。80の将来性を感じた実験でした。


夏が過ぎ、九月に入った頃、ユニコーンの木工部分の製作が始まったと言って来ました。しかし、時間が掛かるのは、塗装の部分です。光沢仕上げの塗装は、何度も塗っては磨く工程を繰り返します。六台もありますから、仕上がるのはまだまだでしょう。同時に、特注のMK2の仕上げも聞いてきました。こちらは、UNICORNさんと同じのAmerican Cherryにしました。ユニットの回りのグレーの飾りや、下のプレートのグレーもやめて、同じ材質にして貰いました。特注ですから費用は掛かるのですが、見栄えは随分変わります。


10月の中旬には、順調にいけば11月中にはとの返事が来ました。塗装工程は、やはり時間が掛かります。気持ちを長くして待ちましょう。でも、待てば待つだけ、期待が高まりますね。


11月中にはといわれていたので、航空便だけどもしかしたらクリスマス時期になり、そうなると大きな荷物の場合、空港で順番待ちになり少し時間が掛かることもあります。最終的に出荷の案内が来たのは、12月の中旬になっていました。この分だと、到着はクリスマスのあとになりますね。案の定、到着の案内が来たのは、年末でした。正月は通関業務も急ぎで無ければ、正月明けになるので、保税倉庫で年を越しました。日本に到着しているのに、引き取れないというのも半年待った身には切ないですね。

ユニコーン カスタム 製造と到着まで_f0108399_01155238.jpg


仕事用に借りている倉庫に入荷したのは、一月の第三週になる頃でした。ペアーの大きさは、German が大きくなるよと言われたようにこの大きさです。ペアーでパレットに乗りその上にネットワークの箱が乗っています。大きいです。その理由は、私がこだわった裾の部分のホーンですね。裾が広がり大きな空間が生まれています。

ユニコーン カスタム 製造と到着まで_f0108399_17074082.jpg

でも、一緒に来たMK2の大きさもほとんど変わりません(笑)。ほんの少しですね。こちらのAmerican CherryはユニコーンさんのMk1.5と同じ仕上げできれいです。ユニットの周りのグレーの首輪?が無くすっきりしています。

ユニコーン カスタム 製造と到着まで_f0108399_01290295.png


半年間待ってようやく到着したユニコーンたちは、6 +1で全部で七つがいもいました。パレットが七つもあると壮観です。半年前にユニット交換をしただけだったのに、倉庫一杯に並んだパレットを見て、感慨深いモノがありました。これだけの大きさになると、倉庫からの運送も、トラックをチャーターしなければ運べません。倉庫が空になるには一週間もかかりました。

ユニコーン カスタム 製造と到着まで_f0108399_01495933.png


他の箱も空けてみました。本当に美しいですね。しばらく見惚れていました。

Commentedby パグ太郎 at 2020-02-15 12:14
こうやって拝見するとやはり、ユニコーンのオリジナルは「貴婦人と一角獣」の様な気品に溢れた工芸品ですね。そして、どこか秘密を隠し持っている佇まいも似ています。これは家人には見せられません。

Commentedby TANNOY-GRF at 2020-02-15 17:11
パグ太郎さん そうです。怪しいでしょう〜!ダースベーダー卿は受け入れても、この貴婦人は家庭内争議をもたらすかもしれませんね。秘密の個室に閉じ込めておかないと・・・


https://tannoy.exblog.jp/31054087/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c7

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 世界の料理 中川隆
2. 中川隆[-13771] koaQ7Jey 2020年2月16日 11:28:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-355]

アメリカの大富豪は毎日何を食べているのか? _ アメリカ人には料理の味も文学も芸術も全く理解できなかった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/436.html

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/727.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/139.html#c2

[近代史4] 犯罪者の心理
犯罪者の心理

まともな人間は少ない、まともな人間でも一時的に異常になって異常行動をする

言う事を聞かない生意気な女はアシッド・アタックで懲らしめてやろう
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/831.html

セックスと暴力。このふたつが密接に結びついている理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/709.html

「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html

パーキンソン病患者の幻覚体験 _ 伝説の遭難者 yucon氏の体験について
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/700.html

ヒステリー・神経症の実態
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/755.html

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html

阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html

他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ _ フロイトが妄想だと信じた近親相姦の話はすべて事実だった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/669.html

日本のフツーの男はみんなロリコンだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/108.html

ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html

天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html

「転落した」のではなく、最初から努力することも向上心を持つこともないまま社会の底辺に堕ちる人も存在する
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/939.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/146.html

[近代史4] 犯罪者の心理 中川隆
1. 中川隆[-13770] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:00:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-354]

「認知の歪み」が酷い人が日常的に体験している恐怖体験とは


【ホラー】 コワイ女 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%80%91%E3%80%80%E3%82%B3%E3%83%AF%E3%82%A4%E5%A5%B3





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/146.html#c1
[近代史4] 犯罪者の心理 中川隆
2. 中川隆[-13769] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:01:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-353]

凶悪な性犯罪

女子高生コンクリート詰め殺人事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html

中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html

北九州一家監禁殺人事件
http://amezor-iv.net/shisou/150920200912.html

殺人容疑で捜査継続検討 島根の女子大生遺棄事件
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/541.html

島根の女子大生遺棄事件 _ ロリータ・デートクラブ プチエンジェルの背後にいたのは?
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/541.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/146.html#c2

[近代史4] 犯罪者の心理 中川隆
3. 中川隆[-13768] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:01:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-352]

外国人犯罪

日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html

外国人犯罪は増えていた 警察庁が偽グラフで減少に見せかけた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/806.html

多文化共生とは移民がレイプしまくるのを放任する事
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/886.html

多文化共生は大量殺人を引き起こす
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/373.html

ロマ(ジプシー)が嫌われる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html

平和よりも、もっと大切なものがある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/339.html

移民を入れると日本女性はみんな移民の男に取られ大和民族は消滅する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/233.html

黒人は劣等民族だった _ 言ってはいけない残酷すぎる真実
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/227.html

セックスドールに中国男性は夢中
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/284.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/146.html#c3

[近代史4] 犯罪者の心理 中川隆
4. 中川隆[-13767] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:02:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-351]

女性の犯罪


筧千佐子被告 資産家の高齢男性を次々と籠絡していった手口
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/877.html

「紀州のドンファン」こと野崎幸助さん 急性覚醒剤中毒死 _ 55歳下の新婚妻は AV女優だった?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/198.html

柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/146.html#c4

[近代史4] 犯罪者の心理 中川隆
5. 中川隆[-13766] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:02:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-350]

精神異常者の犯罪


淡路島5人殺害事件
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/750.html

津久井やまゆり園 障害者19人殺害事件
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/752.html

陰謀論大好き _ 京都アニメーション集団放火殺戮事件でささやかれるCIA黒幕説
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/563.html

反社会的人格障害者が何故か女性に好かれる理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/900.html

これ読めば、自分のどこが逝かれてるか良くわかるよ : ダメダメ家庭の目次録
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/927.html

親子間の虐めや家庭内暴力の原因
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/290.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/146.html#c5

[近代史4] 犯罪者の心理 中川隆
6. 中川隆[-13765] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:03:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-349]
革命家の犯罪

リベラル派と保守派、脳構造に違いがあった 英研究
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/295.html

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

欧米人が植民地経営の方法として洗練させていった分割統治政策とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/297.html

重信房子、北朝鮮、オウム真理教の深い関係
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/300.html

不破哲三の正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/650.html

中国・韓国・北朝鮮の工作員がマスコミを押さえてしまった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/280.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/146.html#c6

[近代史4] 犯罪者の心理 中川隆
7. 中川隆[-13764] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:03:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-348]

弱い者苛め


人間社会は常に「弱者」を作り出す
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/237.html

精神科病院の深い闇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/905.html

狂気の裁判員裁判
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/418.html

加害者家族を追い詰めるメディアとネットユーザー _ 「引っ越し先にも報道陣」「自殺するしかないという気に」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/431.html

すべてを捨てて逃げる _ 身分証明書も現金も携帯電話も何もかも捨てて家出して生きられるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/467.html

大矢誠が猫グロ虐待で逮捕! 2ちゃん生き物苦手板のカールおじさん
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/751.html

苛めは愉しい _ 大矢誠が猫 13匹 を拷問して逮捕される!
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/836.html

犬猫をたくさん飼った末に起きた「惨状」の数々
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/692.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/146.html#c7

[近代史4] CIA の犯罪
CIA の犯罪


小沢一郎先生を襲った恐怖とは
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/296.html

安倍政権下で自殺・不審死した人物
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/542.html

Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/696.html

世界を支配しているCIA3派とは・・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html

キッシンジャーがやった事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/141.html

世界を反米にした殺人鬼ヒラリー・クリントン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/548.html

日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html

日本の中のCIAエージェント
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/306.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/436.html

アメリカ → 官邸 → マスコミによる支配
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/433.html

CIA が主催しているビルダーバーグ会議
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/753.html

大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ事件 _ 日本の国益を考える官僚は全員追放される
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/149.html

支配層は被支配者を教育で洗脳し、メディアを使って支配層が望む方向へ誘導していく
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/279.html

マスコミの偽情報 _ CIA は有力メディアを情報操作のために使っている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/330.html

Google は CIA や NSA のIT部門 _ シリコンバレーが人々に知られたくない本当の姿
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/560.html

ジャニー喜多川は、CIA工作員だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/521.html

GHQによって抹殺された歴史
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/176.html

日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html

アメリカはソ連崩壊後に NO.2 になった日本をどうやって叩き潰したのか
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/326.html

アメリカが No.2 になった国を潰した方法
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html

伊藤貫氏に聞く _ 日本人は何故アメリカの犬になりたがるのか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/125.html

中国・韓国・北朝鮮の工作員がマスコミを押さえてしまった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/280.html

日本を二等国にした反日売国奴の平成天皇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/580.html

宮中『魔女追放事件』 _ 入江侍従長の祭祀簡略化工作と戦い敗れた女官
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/618.html

昭和天皇を震え上がらせた共産主義の恐怖とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/754.html

ミラーマンの世界_ 植草教授を嵌めた女子高生は創価学会? 統一教会?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/299.html

ミラーマン 植草教授にお尻を撫でられた女子高生のパンティにもウンスジが付いていたのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/317.html

裁判官がミラーマンを無罪にできなかった理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/300.html

松下忠洋金融・郵政民営化担当相が殺された理由
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/417.html

松下金融相が愛人を怒らせた理由は?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/421.html

▲△▽▼


麻薬取引の黒幕は CIA
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/293.html

イリーナ・スルツカヤ _ Let it be _ ジョン・レノンを始末した組織は?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/551.html

ジュリアン・アサンジはレイプをでっちあげられた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/904.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/147.html

[近代史4] CIA の犯罪 中川隆
1. 中川隆[-13763] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:21:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-347]

CIA系売春組織の犯罪


プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html

高円宮が 47歳の若さで腹上死(?)しなければならなかった理由とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/370.html

プチエンジェル事件の深すぎる闇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html

中国美女も日本男性が大好き _ 皇族・政治家を中国のハニートラップにかけたプチエンジェル事件の黒幕は小沢一郎だった?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html

ルーシー・ブラックマンさん殺害事件まとめ
http://www.asyura2.com/0601/nihon19/msg/394.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/147.html#c1

[近代史4] CIA の犯罪 中川隆
2. 中川隆[-13762] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:23:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-346]

CIA のエージェント 小沢一郎の犯罪

中国美女も日本男性が大好き _ 小沢先生と行く中国ハニートラップの旅
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html

日本を売った小沢一郎 _ 小沢の嫁は創価の幹部
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/232.html

衝撃!! 小沢一郎民主党代表の美人秘書(韓国籍)の真実
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/723.html

「小沢一郎」研究。料亭の女将から隠し子疑惑の元秘書、リポーターまで
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/316.html

小沢一郎先生の嫁が鬼になった理由
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/317.html

飼い主を裏切ったポチ君の運命 _ 小沢一郎先生は何故落ちぶれたのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/232.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/233.html

こういう風に恫喝、脅迫や賄賂で言論弾圧しようとするのが小沢一郎・小沢信者の手口
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/863.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/147.html#c2

[近代史4] CIA の犯罪 中川隆
3. 中川隆[-13761] koaQ7Jey 2020年2月16日 12:23:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-345]

CIA系カルト宗教の犯罪

闇の組織とは? _ 創価学会は鳥人コンテストが好き?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/270.html

カルトの世界 _ 創価学会とオウム真理教を背後から操っている組織とは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/215.html

オウムを操った統一教会とは、どんな団体なのか?
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/401.html

統一協会は何故危険なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/299.html

お金とアレにしか興味が無い大川隆法先生を背後から操っている組織とは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/218.html

景山民夫を殺した“組織”とは?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/263.html

景山民夫を殺したのは? _ 景山民夫の人生を狂わせた幸福の科学と夫人との出合い
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/228.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/229.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/147.html#c3

[近代史4] ヤクザの犯罪
ヤクザの犯罪


尼崎ドラム缶事件 現在までに判明した事実
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/454.html

『冷たい熱帯魚』 Cold Fish 2010年 日活 _ 埼玉愛犬家連続殺人事件
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/640.html

女子高生コンクリート詰め殺人事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html


▲△▽▼


ヤクザは女性に言う事をなんでも聞かせる為に刺青をしている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/194.html

ヤクザの女はピアス大好き
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/304.html

相場に失敗すると奥さんとお嬢さんはこういう運命が待っている _ シャブ漬けにすればセックスマシーンの出来上がり
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/818.html

何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html

野菜=大麻? 1グラム6500円 拡大するネットの闇世界、犯罪の温床「ダークウェブ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/705.html

「覚醒剤」
http://www.asyura.com/0310/dispute13/msg/126.html

経験者としての意見です。_ 覚醒剤
http://www.asyura.com/0310/dispute13/msg/131.html

女性受刑者の40%は「覚醒剤」で刑務所に。女たちは知らずして堕とされる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/307.html

沢尻エリカ薬物騒動の目的は沢尻エリカの弱みを握り、脱がせてカネにすることだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/726.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html


▲△▽▼


ヤクザの 6割は同和、4割は在日
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/195.html

被差別部落出身の有名人は?_ 創価学会員は部落民か在日
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html

血族結婚部落の優生学的調査概報
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/418.html

アンダーグラウンド世界で生きていくには
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/739.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/148.html

[近代史4] 田舎の権力者の犯罪

田舎の権力者の犯罪


山口県周南市連続放火殺人現場へ行ってみた _ ぬえのなく夜は怖い
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/862.html

ドッグヴィルの世界 _ 奈良県 月ヶ瀬村
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/269.html

日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html

名張ぶどう酒毒殺事件 _ 分かっていても公表できないこともある
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/289.html

名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html

再審を認めた裁判官は出世コースから外れてしまう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/288.html

こんな女に誰がした _ 津山30人殺し
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html

他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/149.html

[近代史4] 田舎の権力者の犯罪 中川隆
1. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2020年2月16日 13:00:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-342]

横溝正史 八つ墓村(松竹 1977年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/220.html

横溝正史 犬神家の一族(東宝 1976年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/221.html

横溝正史 女王蜂(東宝 1978年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/222.html

横溝正史 霧の山荘(TBS 1985年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/227.html

横溝正史 悪霊島(TBS 1999年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/523.html

横溝正史 湖泥(TBS 1996年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/524.html

横溝正史 幽霊座(TBS 1997年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/526.html

横溝正史 仮面舞踏会(テレビ朝日 1986年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/531.html

横溝正史 黒蘭姫(NHK 2016年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/534.html

横溝正史 殺人鬼(NHK 2016年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/535.html

横溝正史 百日紅の下にて(NHK 2016年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/536.html

横溝正史 真珠郎(テレビ朝日 1983年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/540.html

横溝正史 迷路荘の惨劇(テレビ東京 2002年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/545.html

横溝正史 悪魔の手毬唄(フジテレビ 2009年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/555.html

横溝正史 ミイラの花嫁(TBS 1983年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/219.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/149.html#c1

[近代史4] 田舎の権力者の犯罪 中川隆
2. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2020年2月16日 13:05:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-341]

柳田国男 山の人生
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/420.html

柳田国男 遠野物語
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/421.html

折口信夫 國文學の發生(第三稿)まれびと の意義
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/424.html

折口信夫 鬼の話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/422.html

折口信夫 河童の話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/423.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/149.html#c2

[近代史4] 田舎の権力者の犯罪 中川隆
3. 中川隆[-13756] koaQ7Jey 2020年2月16日 13:08:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-340]

ヤマトンチュには絶対に話してはいけない パナリ(新城)島の秘密
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/706.html

沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/149.html#c3

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
14. 中川隆[-13755] koaQ7Jey 2020年2月16日 13:32:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-339]
2020年02月16日
中国ウイルスショックで世界経済吹き飛び、日本でも600万人感染のおそれ
http://www.thutmosev.com/archives/82215849.html


中国で爆発的増加が止まらず、日本でも市中感染が起きている

画像引用:https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/a/8/-/img_a8b6e6ee808012f1f153e848cc2eabe1184577.jpg



中国ウイルスショック

中国コロナウイルスに関して現在、いくつかの事が世界で同時に起きています。

ひとつは中国国内で爆発的感染が止まらず、政府が否定していた感染者数を順次認めてきている。

2月15日現在中国全土で約6.6万人、なくなった人は1500人だがもはや信じる人は誰もいなくなった。




発表している中国政府や湖北省のの役人自身ですら「これは検査した人数だけです」と言っているほどです。

後に中国政府は臨床診断で感染と判断した人も感染者に含めたが、これも「CTスキャンした人だけ」だそうです。

武漢ではほとんどの感染者は高熱を発しているのに病院をたらいまわしにされ、外出禁止なので外に出たら拘束されている。


こうした状況なので本当の感染者は少なく見ても中国政府発表の10倍、多ければ100倍以上に達している。

2つめの出来事は中国政府による言論統制で、武漢や湖北省から情報発信していたユーチューバーは2月初めに全員拘束され交信が途絶えました。

日本のマスコミや世界のメディアは中国が発表した数字を連呼するだけで、世界中が人民日報になったかのようです。


中国による統制は日本にも及んでいて、厚労省と日本政府は中国に配慮して入国禁止措置を取らなかった。

日本以外の主要国は全て中国からの入国を規制したのに、2月16日現在も日本だけが規制していない。

その結果日本国内で爆発的な感染者増加が起きようとしていて、日本人から日本人への感染が連日数人発表されている。



習近平に忖度する安倍首相

日本政府と厚労省は、「厚労省が許可した者以外検査するな」と保健所に命令しているので、実際の感染者数は発表の10倍以上でしょう。

安倍首相は「全力で防止する」と言ったが、実際には武漢ウイルスが発覚した1月20日から何もしていません。

その理由はおそらく中国から情報統制の要請があったからで、河野防衛大臣は「訪中時に日本国内の情報統制を要請された」と証言している。


河野大臣によると中国側は4月の習近平訪日の条件として「日本国内の情報統制」を要求し、日本が応じなければ訪日中止を示唆した。

安倍首相は新型ウイルス防止より習近平訪日を優先し、いかなる入国防止策もとってはならないと指示した。

このパターンは実は2度目であり、2014年に中国のサンゴ漁船1000隻以上が日本列島を包囲する事件があった。


そのうち数百隻は小笠原近海で密漁していたが、この「サンゴ漁船」を中国海軍が指揮していたのは公然の秘密でした。

漁船の中には一定割合で北朝鮮工作船のように、長いアンテナを伸ばした不審船が含まれていました。

不審船は一切漁をせず、軍人と思しき人間が乗っており、船団に指示し本国と連絡を取っていると推測されました。


この時安倍首相は「漁船を絶対に拘束するな」「漁港に入れて保護しろ」と驚くべき指示を出した。

11月10日に北京で、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の会場で安倍首相と習近平の日中首脳会談が実現しました。

この数日前から中国側は「首脳会談をしたいのなら中国漁船を、取り締まってはならない」と広報官などが日本に警告していました。


安倍首相が習近平に事実上の謝罪を表明すると、その週のうちに中国船団は姿を消しました。

明らかに安倍首相は習近平の要請によって中国漁船を保護し、逮捕を禁止しました。

安倍首相は首脳会談の後、大きな成果だとして自画自賛した。



中国が丸ごと消える

3つ目のできごとは武漢ウイルスが中国経済をマヒさせ、世界経済に深刻なダメージを与え始めている点です。

日産、ソフトバンク、楽天、東芝、DENA、電通、ソフトバンクら名だたる日本企業が赤字転落しました。

世界でもボーイングとエアバス、ついでに三菱重工も赤字で、しかもこれらは「去年の不振」で赤字なのです。


まだ武漢ウイルスをほとんどの企業は業績発表に織り込んでいないので、悪影響はこれからです。

最終的にどの程度の影響があるかですが、最悪の場合「中国が丸ごと消える」ほどの影響があります。

欧米大学や研究チームの予測では武漢ウイルスの感染者数は中国で1億人が視野に入ってきました。


アメリカでは「旧型ウイルス」がすでに2000万人に感染していますが、中国で同じ程度の感染率を予想すると9000万人から1億人になります。

またクルーズ船ダイヤモンドプリンセスでは約3700人中285人が感染したので感染率は7.7%です。

乗船客は高齢者が多かったのを割り引いても、中国全土で5%以上を覚悟する必要があります。


すると中国から無制限に入国させている日本でも、1億2600万人の5%にあたる600万人以上が感染する可能性があります。

「日本は医療が優れているから広がらない」という意見には「それではアメリカで2000万人感染したのはなぜか?」と質問してみたい。



アメリカで起きた事は日本でも起きると想定するべきで、日本だけ広まらないというのは「日本では地震が起きない」と言うのと同じです。


最後に武漢から投稿していて中国政府に拘束されたユーチューバーの動画を貼ります

投稿者が生きている可能性は低く、この動画もすぐ消されるのかも知れません


公安に拘束され、今も生きている可能性は限りなくゼロ




方斌もこの後公安に拘束された


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c14
[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
61. 中川隆[-13754] koaQ7Jey 2020年2月16日 14:59:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-338]

「AXIOM80」2発同時鳴らしへの挑戦 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月14日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/08a9e1d216aaf0487c31b15fa673957e


前々回 >>54 の「美空ひばりが此処にいるじゃない!」からの続きです。


さあ、いよいよ「AXIOM80」2発同時鳴らしへの挑戦である。これまで、ずっと長いこと1発で鳴らしてきたが少々限界を感じていたので丁度いい機会だ。

組み合わせは左右両チャンネルともに「最初期版+復刻版」となる。

何も命まで取られるわけではなし、ダメなときには元に戻せばいいだけの話だから気楽にいける(笑)。

現用のボックス(板厚1.5cm)はちょうど3年前のこの時期に仲間に加勢してもらって作ったものだが、予備のバッフルが残っていればしめたものだがと、倉庫の中を探すと辛うじて”まっさら”が「1ペア」ありました。助かった!

こうなると話は早い。じっくりと作業手順を考え、ペンキの有無やSPケーブル、取り付けネジの在庫などの小物類の確認をすること小1時間ほどで、作業に取り掛かった。

まず「1枚のバッフルに2個の穴を開ける」のが先決。

慎重に寸法を測ったうえで「ジグソー」を使い玄関先で「バリバリ」と大きな音をたてながら穴を開けた。計4個の穴だからたいへんだが、丁度真冬の時期とあってご近所さんはすべて「冬ごもり」なのでまだ救われる。

ずっと以前のこと、夏に作業をやっていたら隣の奥様が何ごとですかと出てこられたのでひたすら恐縮したことがある(笑)。

30分ほどで無事終了。それからバッフルのペンキ塗り(ブラック)。乾くのを待ってからAXIOM 80を4発取り付けた。

1個で4か所、計16か所をドリルで穴を開けてネジ止めするのだからこれに一番時間がかかった。

とても好きじゃないとやってられません!(笑)

完成後がこれ。

素人工作なので「見てくれ」なんてどうだってよろし(笑)。

AXIOM80は上が「最初期版」で、下が「復刻版」です。コーン紙の色が違うので一目瞭然ですね。

第1案

「最初期版」をフルレンジで鳴らし、「復刻版」はムンドルフ(ドイツ)のコイル「8.2mh(ミリヘンリー)」を使って「650ヘルツ」(−6db/oct)あたりでハイカットして聴いてみた。

アドバイスをいただいたSさん(関東地方)の仰っていたやり方である。

この時の心境たるやもうハラハラドキドキワクワクで「いい歳」をして胸の高まりを抑えきれないほどだった(笑)。

だがしかし、「アレっ、1本で鳴らしたときとあまり変わらんなあ」とガックリ。ヒノオーディオさん製作のボックスとは違うし、いろいろと条件が違うせいだろう。

しばらくアンプを代えたりしてあれこれ試してみた結果、少しは良くなったものの劇的に変わるほどではなかったのでやむなく方向転換を図った。

第2案

チャンデバを使ってみようと思い立った。ウェストミンスター(改)でうまくいったものだから、ちゃっかり予備のチャンデバの同じものを手に入れたばかりだった。

こうなるとクロスオーバーは自由自在である。「復刻版」を「〜250ヘルツ」、「最初期版」を「250〜8000ヘルツ」、ツィーター「8000ヘルツ〜」にはJBLの「075」をあてがって「3ウェイの構成」にしてみた。

あてがうアンプは順次「6098シングル」、「300Bシングル」(銅板シャーシ)、「71A(レイセオン)シングル」となった。

「6098シングル」は我が家のアンプの中では「低音域の伸びが一番」なのでもってこいだし、「250〜8000ヘルツ」の一番美味しい帯域は何といっても「300Bシングル」の出番でしょうよ。

そして、これで聴いてみると「う〜ん!」と思わず唸った!

「苦節50年にしてようやく求めていたサウンドに出会えたか」と、胸がキュンと切なくなるほどだった。

だが、好事魔多しでクラシックはいいにしてもジャズの一部の荒々しいソースとなると低音域にやや不安が残るかなあ。贅沢を言うとキリがないんだけど・・・。

そこで、いよいよ第3案へ。

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/08a9e1d216aaf0487c31b15fa673957e


「振るいつきたくなるような美音」とは 2020年02月16日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f09f81ce4f7d2b5a08c11a469e498cbb

それでは前回からの続きです。

自分にとっては今回の「2発騒動」は50年近いオーディオ歴の中でも一時代を画すほどの意義のある出来事だった。


「AXIOM80」の2発同時鳴らしも「第1案」はイマイチだったし、「第2案」はほぼ満足したものの、もっと欲が出ていよいよ「第3案」へ突入。


第3案

「AXIOM80」の「復刻版」に代えて倉庫に仕舞い込んでいたJBL「D123」を試してみた。

ほかの候補としては同じ口径30センチの「スーパー12」(ワーフェデール)、グッドマンの「AXIOM150マークU」「トライアクショム」などがあるが、JBLの「コーン型ユニット」独特の浅いカーブを持った形状がいかにもAXIOM80のスピードと合っていそうなのだ。

もちろん市販のサブ・ウーファーを使う手もあるが、ああいうのは単なる量感が増えるだけで分解能に乏しいのがネックで「AXIOM80」には合わない。実際にこれまでいろいろ試してきたがすべてアウトだった。

ただ、この「D123」はコーン紙が重たそうなので駆動するアンプもそれなりに力が要るが「6098シングル」なら不足はないだろう。

木製の植木鉢の底を取っ払ったものに収める方法で、「250ヘルツ以下」を対象に、ユニットの裏側から出る逆相の音をウェストミンスターの隙間から奥の方の空間に流し込もうという算段である。

この方式は以前にもやったことがあるが、その時はネットワーク方式で専用アンプを使っていなかったため音量のコントロールができず程なくお蔵入りした経緯がある。

はたして今回はどうかなと固唾を呑んで聴いてみたところ、予想がピタリと当たった。聴いてる音に違和感が無く、十分いけそうなのだ(笑)。

「最初期版」と「D123」との置き場所の違い(距離にしておよそ60センチ)による位相の差も問題なし。

というのも、「音速=周波数×波長」という公式がある。

音速は1秒間に約「330m」だし、クロスオーバーの周波数は「250ヘルツ」だからこのときの波長は「1.32m」となり、「60センチ」はこの範囲に十分収まっていることになる。

ちなみに、クロスオーヴァー1万ヘルツの場合は波長が3.3センチとなるからスコーカーとツィーターの振動板のシビアな位置調整が必要になる。

と、まあ勝手に思っているのだが「知ったかぶり」かもしれない。はたして真相はどうなんでしょう?(笑)

いずれにしても、「D123」と「復刻版」の切り替えはバナナプラグで簡単に出来るようにしているので、ごく一部のジャズや大編成のクラシックは前者で聴けばいいし、小編成やボーカルは後者で楽しめばよい。

まあ、前者の出番といえばめったに無さそうで本命は当然後者となる。そうじゃないとわざわざ2発で鳴らすように改造した意味がない(笑)。

結局、作業開始から完成形まで丸2日かかったことになるが、自画自賛で恐縮だが「自分で自分を褒めてやりたい」ほどスムーズに事が運んだ。

今回の改造により「AXIOM80」の新たな魅力を引き出せたような気がしているし、この素晴らしいサウンドを前にしていったいどう形容したらいいのだろうかとしばらく自問自答してみた。

すると、「振るいつきたくなるような美音!」、「ずっといつまでも聴き続けたい音」など、観念的な言葉しか思いつかないのが残念。少なくとも低音とか高音とかがどうのこうのという物理的に表現できる音ではないのは断言できる。

「振るいつきたくなる → 惚れ込む → 色気がある」は同義語だと思っているが、経験を積めば積むほど「サウンドに色気があるかないか」が大切な要素になってくるのは自分だけかな〜(笑)。

ただし、これでスンナリ終わったわけではなかった。

後日、近所にお住いの「Y」さんともども試聴したときに実に興味深い波乱があったのだが、それはまた続編として稿を改めよう。

とにかく、これで我が家の真空管アンプは「ウェストミンスター」用で3台使い、「AXIOM80×2発」用で3台と、9台のうち計6台がフル稼働になったのはまことに喜ばしい限り。

けっして無駄な投資じゃなかった証しになる!(笑)

最後に、全国の「AXIOM80」のファンの皆様、この空前絶後のユニットについて、これを機会に使い方のノウハウなど(このブログが)ぜひ意見を寄せ合う場になるといいですね。

これよりももっと巧い使い方をして、「魅力的なサウンド」を出している方がきっといらっしゃるはずだし、「雄大なスケール感」は無い物ねだりにしても「リアリティ、透明感、色気」においては「世界有数の音」と言っても過言ではないでしょうからさらに極めていく価値が大いにありです。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f09f81ce4f7d2b5a08c11a469e498cbb
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c61

[近代史4] 中川隆投稿集 _ アイヌ人は先住民ではない?
中川隆投稿集 _ アイヌ人は先住民ではない?


アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html

アイヌ民族は12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/538.html

北方領土はアイヌ人の領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html

▲△▽▼

日本人によるアイヌ人の民族浄化

日本人はこうやって千島アイヌを民族浄化した _ とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/231.html

迫害された民族同士の朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/679.html

▲△▽▼


アイヌ文化とは

月刊シロ アイヌと自然
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/230.html

擦文・アイヌの鉄文化
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/900.html

オホーツク「クマ祀り」の世界
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/901.html

アイヌの食文化
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/182.html

アイヌは何故文字を持たなかったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/294.html

アイヌのシャーマニズム
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/181.html

イエスのヒーリングは本物のシャーマンには敵わない _ アイヌのシャーマン、イタコ、ユタの予知能力
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/609.html

西洋の達人が悟れない理由 _ アイヌの巫女(みこ/シャーマン)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html#c6

「宗教」とは根源的な世界畏怖、怖れ畏む気持ちこそが原点ではないかと思う _ アイヌとカムイ
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/614.html#c1


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/150.html

[近代史3] ドキュメント沖縄戦 中川隆
1. 中川隆[-13753] koaQ7Jey 2020年2月16日 15:53:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-337]
nhkスペシャル 沖縄戦 全記録まとめ


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/763.html#c1
[近代史4] 沖縄は日本なのか?
沖縄は日本なのか?

琉球人は沖縄の先住民なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/704.html

尖閣は中国人の言う通り中国の領土かもしれない _ 琉球民族は純然たる日本人
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/327.html

ヤマトンチュには絶対に話してはいけない パナリ(新城)島の秘密
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/706.html

沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

イエスのヒーリングは本物のシャーマンには敵わない _ 沖縄のユタの予知能力
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/609.html

家族を守るため、女がみんな、神女になる島〜沖縄の根“久高島”〜
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/441.html


▲△▽▼


沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html

沖縄が中国に「復帰」するとこうなる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/784.html

沖縄県民が知らない米軍の撤退後に待ち受けている恐ろしい現実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/349.html


▲△▽▼


やる必要が無かった沖縄戦


ドキュメント沖縄戦
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/763.html

詐渡嘉敷島の集団自決と住民虐殺 _ 詐欺師 曽野綾子と池田信夫に騙されるな
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/491.html

ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html

鬼塚英昭 日本の真相 天皇のための戦争・天皇は内通していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/761.html

神風特攻は太平洋戦争が八百長だと見破られない為に昭和天皇が命令してやらせた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/564.html

▲△▽▼


戦後の沖縄


1972年5月15日に沖縄は「返還」されて「琉球処分」後の状態になるが、米軍基地は居座ったまま (櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/809.html

日本人を馬鹿にしきったアメリカ人 _ 基地に入れば、日本とアメリカの関係がよくわかる
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/566.html

米軍は何故日本に駐留しているのか? 日本は何故軍隊が持てないのか?
_ 昭和天皇がすすんで沖縄を米国に差し出した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/575.html

昭和天皇を震え上がらせた共産主義の恐怖とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/754.html

ぶざまな民主党の辺野古回帰 _ 沖縄県・米軍普天間問題
http://www.asyura2.com/10/senkyo87/msg/749.html

▲△▽▼


風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html

一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/151.html

[近代史4] 尖閣は本当に日本の領土なのか?
尖閣は本当に日本の領土なのか?


武田邦彦 尖閣、竹島、四島・領土と国
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/466.html

釣魚島の一草一木たりとも取引は許さない[人民網日本語版]
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/302.html

尖閣は中国人の言う通り中国の領土かもしれない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/327.html

琉球人は沖縄の先住民なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/704.html

尖閣問題で牙をむき始めた中国
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/508.html

宮脇淳子 _ 中国は何故かくもずうずうしいのか?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/439.html

有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/152.html

[近代史02] 命を賭して悪の帝国と闘ったサダム・フセイン (小沢先生もこれ位カッコ良ければなあ) 中川隆
91. 中川隆[-13752] koaQ7Jey 2020年2月16日 20:28:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-335]
『イラク 米軍脱走兵、真実の告発』 著 ジョシュア・キー
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4772604235/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i0


書評・テレビ評2020年2月16日

 アメリカが2003年にイラク侵攻を開始したときの大義名分は「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」「今こそサダム・フセインを倒してイラクに民主主義をもたらす」であった。ところがそれらはすべてでっちあげであり、アメリカの侵略であったことが明白な事実となっている。本書はあの時、ブッシュ大統領が掲げたイラク戦争開戦の大義を信じ「イラクの自由作戦」に参加した米軍兵士による告発本である。

 1978年生まれのジョシュア・キーは幼少期、義父が母親に暴力を振るうような家庭環境で育った。救いは優しい祖母、そして朝鮮戦争に兵士として派遣された経験を持つ祖父から、「無防備な人を攻撃することは悪いことだ」と教えられて育ったことだ。

 彼は20歳前後で結婚し2人の子どもに恵まれるが、経済的な困難に直面し家族を養うために新兵募集センターのドアを叩くことになった。新兵募集センターでは、リクルーターが「軍事基地での生活は安全で、どんなアメリカ人労働者も満足できる清潔できちんとした住宅に住むことができる。基地では家賃は無料だ。そして家族全員が総合的な健康保険に入れるし、大学の授業料は援助が受けられる」「遠方に送られることはない。戦闘などはさせない」といった。

 だが2003年3月、彼が最初に送られたのはイラクだった。彼は本書のなかでこう記している。「戦場には行きたくなかったが、つまるところ、テロをぶちのめしてアメリカを守る仕事を子どもたちの世代にやらせてはいけない、これは今自分がやるべき仕事だと考えた」と。

 イラクに行く前の訓練中、米兵らはイラク人のことを「砂漠のニガー」と呼び、イスラム教徒はみなテロリストで、唯一の解決法はできる限り多くのイラク人を殺すことだと思い込まされた。米兵が連日イラクでやったことは、テロリストを捕まえ、テロ活動の証拠を見つけると称した「家宅捜索」だった。家族の寝込みを襲い恐怖に陥れるために一晩に1軒、多いときで4軒の家を急襲する。米兵は徐々に盗み、殺し、レイプなど好き放題におこなうようになっていく。

 そして来る日も来る日もイラク人の家からは何一つ出てこないのに米兵は何もしていない男たちを拘束し、家の中を荒らし回る。その様子を怒りのこもった目で見つめる無抵抗な女子どもたち。彼は「一体われわれ米兵は何をしているのだろうか」と疑問を抱き始める。

 ある日、アメリカ軍に対する印象を激変させる出来事が起きる。錯乱状態の米兵たちが、イラク人の切断された頭部を笑いながら蹴飛ばしていた。明らかにおもしろがってやっている。この時の状況をこう記す。「狂気のサッカーゲームだ。ぼくは凍りついた。自分の目が信じられなかった。しかし確かに見たのだ」「ぼくがかろうじて保っていた国家に対する信頼の糸を断ち切り、戦場で持つべき信念を打ち砕いた。ずっとぼくたちアメリカ人は世界の正義を守る立場にいると信じてきた。しかし、このとき、イラクでわれわれがしていることのいかがわしさを思い知ったのだ」と。正常な感覚を喪失して殺人マシーンへと変貌していく仲間たち、そして自分。さらにイラク人による暴動も頻発し、常に緊張状態が続き見えない敵に狙われているような恐怖感を抱いていく。

目の前で殺された少女

 彼は警護のなかでわが子と同じくらいのイラク人の少女と出会う。食事もろくにできない貧しい少女にフェンス越しに食べ物をあげるようになる。それは殺伐とした戦場での心安まるひとときになっていた。

 その日もフェンス越しに食料を渡したとたん、自分の目の前で少女の頭が銃で吹き飛ばされる。罪のないイラク少女がまた米兵仲間によって銃殺されたのだ。そのような経験をくり返すなかで、イラクの人たちの平穏な日々を踏みにじり何の罪もない人々の生活や命を破壊しているのが自分たち米軍であり、「アメリカこそテロリスト」であることを思い知っていく。

 6カ月余りのイラク滞在ののち、2週間ほど本国へ帰還したとき彼はイラクには戻らないことを決断する。脱走は銃殺に値することを覚悟しつつ、家族を守るためにカナダに逃亡する。「ぼくはアメリカ軍から脱走したことについて、絶対に謝罪しようとは思わない。ぼくは不正義から脱走したのであり、それは進むべき正しい道だった。謝罪すべきことがあるとすれば、ただひとつ、それはイラクの人々に謝罪するしかない」と。

 アメリカで貧しい家庭で育った若者たちが、経済的援助などをチラつかされて軍隊に誘導されて戦場に送り込まれ、殺人マシーンへと変貌させられていった事実が実体験としてなまなましく記されている。そしてイラク帰還米兵は2014年段階で1日に22人、1年に約8000人がみずから命を絶っている。

 イラク戦争に賛成を表明し自衛隊を派遣したのが日本であり、その後もアメリカの侵略戦争に積極的に加担してきた。

 今年に入り、安倍政府は中東地域に自衛隊をあいついで派遣した。アラブ諸国側から見ればアメリカ戦略下のもとでの明白な軍事行動に他ならず、アメリカへの盲従がいかに日本と世界の平和を脅かすものであるか、それを改めて考えさせられる一冊である。
https://www.chosyu-journal.jp/review/15903
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/298.html#c91

[近代史4] 尖閣は本当に日本の領土なのか? 中川隆
1. 中川隆[-13751] koaQ7Jey 2020年2月16日 20:36:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-334]
有史以来ずっと台湾先住民の漁場だった尖閣諸島はどこの国の領土になるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/214.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/152.html#c1
[近代史4] 沖縄は日本なのか? 中川隆
2. 中川隆[-13750] koaQ7Jey 2020年2月16日 20:37:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-333]

日本、米軍の特権見直しを要望 米側はほとんど拒否 60年前の地位協定締結時 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/810.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/151.html#c2
[近代史4] CIA の犯罪 中川隆
4. 中川隆[-13749] koaQ7Jey 2020年2月16日 20:40:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-332]
飯島愛が殺された理由 _ ジャニーズ・プチエンジェル事件との関係
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/720.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/147.html#c4
[近代史4] 動物たちが持つ信じられないような能力 中川隆
1. 中川隆[-13748] koaQ7Jey 2020年2月16日 20:42:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-331]
死ぬまで拘束…日本人が知らない「乳牛の残酷生涯」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/719.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/138.html#c1
[近代史4] ヤクザの犯罪 中川隆
2. 中川隆[-13747] koaQ7Jey 2020年2月16日 20:47:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-330]
貧困に堕ちた移民が最も効率良く稼げる非合法ビジネスが「ドラッグ売買」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/621.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/148.html#c2
[番外地7] ネトウヨは、野党が国会で新型コロナウイルス対策についての質問をしているのを見なかったことにして、「桜を見る会」問題などの追及をバッシングしている

安倍応援団やネトウヨたちは、野党が国会で新型コロナウイルス対策についての質問をしているのを見なかったことにして、「桜を見る会」問題などの追及をあげつらい「いま、そんなことしてる場合か」とバッシングしているが


新型コロナで安倍政権の対応の遅さに非難殺到!
14 日まで感染症専門家会議すら設置せず、安倍首相は感染拡大でも会食の日々
https://lite-ra.com/2020/02/post-5259.html

2020.02.16 安倍政権のコロナ対応の遅さに非難殺到! 14 日まで感染症専門家会議設置せず リテラ

   


 新型コロナウイルスをめぐる安倍政権の対応の酷さに非難が集まっているが、またまた唖然とする事実が判明した。

 14日、安倍首相は新型コロナウイルスの対策本部の席で「第一線で活躍する感染症の専門家の方々を構成員とする専門家会議を設置し、対策を更に一層強化していきます」と述べたのだ。

 安倍首相はアピールする気満々だった、これって逆に、いままで感染症の専門家の会議すら設置していなかったということではないか。

 案の定、Twitter上では〈あり得ない対応の遅さだよ。ホントに国民の為には動かない政府だ〉〈どれぐらい遅いのだ? 国民の命を守る気は全くなし〉〈逆に聞きたいんだけど今まで感染症の専門家を呼ばずにどう対策しようとしてたんだ?〉〈もしかしてやっぱり「やってるふり」だったわけ?〉などの批判の声が殺到している。

 事実、今回の「専門家会議」の設置は、過去の事例と比較して明らかに遅い。たとえば2009年の新型インフルエンザの世界的流行の際、WHOが同年4月24日に緊急事態を宣言すると、政府は同28日に対策本部を設置。3日後の5月1日には、尾身茂・自治医科大学教授を委員長とする「専門家諮問委員会」を対策本部の元に置き、初会合を開いている。これは、国内で初の感染者が確認された同年5月9日の8日前にあたる。なお、国内で初めて感染者が死亡したのは、同年8月15日のことだ。

 一方、新型コロナウイルスをめぐる安倍政権の対応はどうか。国内で初めて新型コロナウイルスによる肝炎患者が確認されたのは1月16日のこと。1月29日の参院予算委員会では、国民民主党の徳永エリ議員が「中国への渡航歴がない日本人の新型コロナウイルス感染が確認されたが、政府対策本部は設置されているのか」と問い質し、安倍政権は翌30日に対策本部を設置。1月31日にはWHOが緊急事態宣言を出したが、そこから「専門家会議」を立ち上げるまでに、実に半月もかかっているのだ。

 周知のように、今月13日には国内で初めて新型コロナウイルス感染者の死亡が確認されており、安倍首相が対策本部に「専門家会議」を置いたのはこれを受けてのもの。後手後手の対応とはまさにこのことだ。

 安倍政権はこの間、「専門家会議」も開かず、意味のない水際作戦で「やってます感」をアピールし(いたずらに差別感情やパニックを扇動し)てきただけだった。それどころか、感染経路不明の国内感染者の発覚が相次いでいるなかで、多くの専門家が「国内感染本格化の兆し」などと指摘しているにもかかわらず、加藤勝信厚労相は「国内で流行、まん延している状態ではないという従来の見解を変更する根拠はない」などと国内のコロナ流行を否定し続け、きのう夕方になってようやく「以前とは状況が異なっている」とした。

■「そんなことしてる場合か」は野党でなく安倍首相、国内初の死亡者が出ても会食の日々

 こうした遅々とした政府対応については、国会でも野党が早い段階から批判してきたことだ。安倍応援団やネトウヨたちは、野党が国会で新型コロナウイルス対策についての質問をしているのを見なかったことにして、「桜を見る会」問題などの追及をあげつらい「いま、そんなことしてる場合か」とバッシングしているが、いったい、何をほざいているのだろう。

 むしろ、国民から「いま、そんなことしてる場合か」と言われなければならないのは、安倍首相のほうだ。

 実際、あらためてこの間の安倍首相の行動を振り返ると、本来ならば新型コロナウイルス対策に全力をあげなければならないこのタイミングで、あろうことか、支援者や身内の子飼い議員、メディア関係者らと会食を繰り返していた。

 たとえば、2月13日には国内初の感染者の死亡と、中国と接点のない国内感染者が新たに発表され、さらに「ダイヤモンド・プリンセス号」で新たに44人の感染者が確認されたが、この日、安倍首相は午後6時台に対策本部での会合(約15分間)などをさっさと済ますと、午後7時には東京・丸の内のパレスホテル東京で行われた精神科医らでつくる安倍首相の後援会「晋精会」の会合で挨拶。首相動静によれば、安倍首相は対策会議より長い約30分間もホテルに滞在した。

 さらに安倍首相は、その足で平河町の中国料理店「赤坂四川飯店」へ向かい、7時40分からは細田博之元幹事長、麻生副総理兼財務相とともに細田派・麻生派の衆院当選3回生議員らとの懇親会に出席している。この自民党若手議員らは政権奪還選挙の2012年初当選組であり、いわゆる「魔の3回生」と呼ばれる安倍チルドレンだ。しかも、この“安倍チル懇親会”に1時間弱参加した安倍首相は、ようやく官邸に戻って感染症対策の指揮をとるのかと思いきや、そのまま富ヶ谷の私邸に帰宅してしまった。

 14日も相当なものだ。新たに東京や北海道、沖縄など全国で日本人8人の感染が確認された14日の首相動静によれば、午後5時26分から同34分まで官邸での対策本部に出席。使った時間はわずか8分間だが、安倍首相はやはり、対策本部の会合が終わるとすぐに官邸を出て、午後6時40分ごろから内幸町の帝国ホテル内の宴会場「桃の間」で日本経済新聞社の喜多恒雄会長、岡田直敏社長らと会食。この宴は午後9時半ごろまで、じつに3時間弱も行われた。安倍首相はやっぱり、そのまま公邸で事態に備えるでもなく、富ヶ谷の私邸に帰っている。

 そして、昨日15日。午前中は来客もなく自宅におり、午後13時半をすぎてようやく官邸へ行ったと思いきや、15時すぎにはそそくさと官邸を後にして帰宅。その後1、とくに来客もなく、安倍首相は私邸でくつろいでいたと思われる。きょう16日も、午前10時現在、富ヶ谷の私邸でくつろいでおり、14時時点でその後の新しい動きの情報はない。

■“新型コロナ対応で地元後援会「新春のつどい」出席中止”の嘘

 明らかに、国民の生命を危険にさらしている新型コロナウイルスの対策よりも、特定の自分の支持層や身内議員を優先させているとしか思えない行動だ。

 ちなみに、安倍首相は今月8、9日に地元・山口県で予定していた自身の後援会主催の新年会「新春の集い」への参加を取りやめているが、これは「桜を見る会」やその前夜祭で大問題になった“特別扱い”の追及から逃れるためだろう。安倍首相の後援会は今月4日に「新型コロナウイルス対応のため、安倍首相が帰京できなくなった」などと説明したというが、実際、8日の首相動静を見ると、安倍首相は午後3時半ごろまで来客もなく自宅で過ごし、午後16時前に官邸へ顔を出すと、閣僚や官僚らと面会後の報道陣のぶら下がり取材に1分間だけ応じただけで、1時間も経たずして帰宅。ゆっくりと休養にあてている。

「専門家会議」の設置が遅すぎることといい、対策を指示せねばならないときに支持者やマスコミ幹部と会食していることといい、はっきり言って異常である。SNSで続々と声があがっているように、もはや「国民の命を守る気がないのか」と批判されて当然だ。冗談ではなく、このまま安倍政権にまかせていては、差別やパニックだけがいたずらに広がる一方、本来は防げる感染も見過ごされてしまうかもしれない。まさに目の前で“人災”が起きそうになっている様を、国民は黙って見ているだけでいいのか。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/485.html

[リバイバル3] 孫正義の詐欺の手口 中川隆
17. 中川隆[-13746] koaQ7Jey 2020年2月16日 20:58:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-329]
ソフトバンク、投資事業で巨額赤字、成果出ず戦略狂う…甘いリスク管理、市場で警戒広がる
https://biz-journal.jp/2020/02/post_142097.html
2020.02.15 文=真壁昭夫/法政大学大学院教授 Business Journal


ソフトバンクG、19年10-12月期決算を発表(写真:つのだよしお/アフロ)


 市場参加者の間で、ソフトバンクグループの事業戦略に対する懸念が高まりつつある。株主のなかには、ソフトバンクに自社株買いによる株主価値の向上や、投資の意思決定を監督する委員会の設置などを求める者もいる。

 その背景の一つとして、ソフトバンクが出資した米国のシェアオフィス大手、ウィーワークを運営するウィーカンパニー(ウィー社)が上場を断念し、損失が発生した影響は大きい。昨年7〜9月期、この損失が響きソフトバンクの連結決算は約7000億円の最終赤字となった。

 示唆されることは、ソフトバンクに成長を急ぎすぎた部分があることだろう。同時に、長期的に考えると、先端分野に投資し成長を目指す同社会長兼社長の孫正義氏の発想には、重要かつ有効と考えられる部分もある。孫氏のように成長を目指して大胆かつ迅速に意思決定を下すことのできる企業家も多くはない。

 現在、新型コロナウイルスによる新型肺炎の感染拡大など、世界経済のリスクは増えつつある。同社には、強力なリーダーシップを発揮すると同時にリスク管理の体制を整え、さらなる成果を実現することが求められる。

■先端分野への投資を重視するソフトバンク

 近年、ソフトバンクは投資会社としての性格を強めてきた。具体的に同社は、10兆円規模のソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)を設定し、先端テクノロジーの開発や、それを用いたエコシステムの拡大を目指す企業への出資や買収を行っている。背景には、人工知能(AI)などの実用化によって、新しい人々の生き方を創出し、付加価値を生み出すことができるとの期待がある。その考えに基づき、世界各国でAIやブロックチェーン、量子コンピューターなどの開発が急速に進んでいる。これは企業だけでなく、国家をも巻き込む競争だ。2018年以降、米中の貿易摩擦が熾烈化した要因の一つには、IT先端分野における大国同士の覇権争いがある。

 私たちの日常生活を振り返ると、先端テクノロジーを実用化する企業の影響力がよくわかるだろう。端的に、新しいIT機器、関連サービスの登場は、常識を覆す。たとえば、アマゾンなどのEC(電子商取引)のプラットフォーマーの登場により、好きな時に、好きなところで、必要なモノを買うことができる。それは、IoT(モノのインターネット化)などの技術を用いた物流革命といえる。

 また、SNSのテクノロジーを活かすことでシェアリングエコノミー(特定のモノを複数人で共有すること)も普及した。カーシェアやライドシェアなどはその例だ。シェアリングエコノミーは、特定のモノに対する所有権を独占するよりも、そのときどきのニーズに応じて幅広いモノやサービスを利用する権利にアクセスすることを重視する人々の価値観を反映した、新しい経済活動といえる。

 ECやシェアリングエコノミー等に共通するのは、最先端のテクノロジーを用いて新しい発想を実用化できる企業が、需要を生み出すということだ。ソフトバンクは創業者である孫氏の企業家の資質を見抜く力(眼力)に頼りつつ、スタートアップ企業などに他社に先駆けて資金を提供し、競争を有利に進めようとしてきた。

■ウィーカンパニーからの損失発生の影響

 その発想に基づき、ソフトバンクとSVFは、ウィーカンパニーに出資した。ソフトバンクには、シェアオフィス事業の成長を背景にウィー社が上場を実現し、大きな利得を手にできるとの期待があった。

 しかし、昨年の秋口ころから、一部の市場参加者はそうした期待よりも、ウィー社のビジネスモデルやコーポレートガバナンスの体制などに懸念を持ち始めた。それを受けて、ウィー社は上場を断念し、企業価値が毀損した。その結果、ソフトバンクは昨年7〜9月期決算にてウィー社への投資から総額9000億円程度の損失を計上した。

 ウィー社からの損失発生から示唆されることは、先端分野のスタートアップ企業などに資金を提供して成長を取り込むというソフトバンクの戦略に、見直されるべき部分があることだろう。突き詰めていえば、ソフトバンクはリスクを客観的かつ冷静に評価したうえで投資の意思決定を行う体制を整備できていなかった恐れがある。

 見方を変えれば、ソフトバンクには、成長を急ぎすぎた部分があっただろう。同社は、リスクの評価よりも、ライバルに先駆けてスタートアップ企業などに出資し、将来的な成長の取り込みに、過度に執着してしまったとの印象を持つ。

 上場を断念した後、ウィー社はリストラを進めて資金繰りをつながなければならなくなっている。ソフトバンクが重視してきたシェアオフィス事業の成長を見込むには、あまりに不確定要素が多い。他の出資先に関しても、インドのスタートアップ企業であるオヨ・ホテルズ・アンド・ホームズなど想定通りに成果が出ていない案件もあるようだ。

 さらに、孫氏が注力する第2号のSVFの資金調達は難航していると報じられている。これまでの投資体制とスタンスを維持したままでソフトバンクがさらなる成長を実現できるか否か、先行きを慎重に考える市場参加者は増えつつあるとみられる。

■不可欠なリスク管理の徹底

 今後、ソフトバンクに求められる取り組みは、リスク管理を徹底することだろう。投資に不確実性はつきものだ。どれだけ優秀な人材を確保できた企業であっても、100%の確率で長期の成長を実現できるとは限らない。

 今後、ソフトバンクに求められる取り組みは、リスク管理を徹底することだろう。投資に不確実性はつきものだ。どれだけ優秀な人材を確保できた企業であっても、100%の確率で長期の成長を実現できるとは限らない。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html#c17

[近代史3] ソフトバンク 孫正義は日本人の敵 中川隆
17. 中川隆[-13745] koaQ7Jey 2020年2月16日 20:58:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-328]
ソフトバンク、投資事業で巨額赤字、成果出ず戦略狂う…甘いリスク管理、市場で警戒広がる
https://biz-journal.jp/2020/02/post_142097.html
2020.02.15 文=真壁昭夫/法政大学大学院教授 Business Journal


ソフトバンクG、19年10-12月期決算を発表(写真:つのだよしお/アフロ)


 市場参加者の間で、ソフトバンクグループの事業戦略に対する懸念が高まりつつある。株主のなかには、ソフトバンクに自社株買いによる株主価値の向上や、投資の意思決定を監督する委員会の設置などを求める者もいる。

 その背景の一つとして、ソフトバンクが出資した米国のシェアオフィス大手、ウィーワークを運営するウィーカンパニー(ウィー社)が上場を断念し、損失が発生した影響は大きい。昨年7〜9月期、この損失が響きソフトバンクの連結決算は約7000億円の最終赤字となった。

 示唆されることは、ソフトバンクに成長を急ぎすぎた部分があることだろう。同時に、長期的に考えると、先端分野に投資し成長を目指す同社会長兼社長の孫正義氏の発想には、重要かつ有効と考えられる部分もある。孫氏のように成長を目指して大胆かつ迅速に意思決定を下すことのできる企業家も多くはない。

 現在、新型コロナウイルスによる新型肺炎の感染拡大など、世界経済のリスクは増えつつある。同社には、強力なリーダーシップを発揮すると同時にリスク管理の体制を整え、さらなる成果を実現することが求められる。

■先端分野への投資を重視するソフトバンク

 近年、ソフトバンクは投資会社としての性格を強めてきた。具体的に同社は、10兆円規模のソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)を設定し、先端テクノロジーの開発や、それを用いたエコシステムの拡大を目指す企業への出資や買収を行っている。背景には、人工知能(AI)などの実用化によって、新しい人々の生き方を創出し、付加価値を生み出すことができるとの期待がある。その考えに基づき、世界各国でAIやブロックチェーン、量子コンピューターなどの開発が急速に進んでいる。これは企業だけでなく、国家をも巻き込む競争だ。2018年以降、米中の貿易摩擦が熾烈化した要因の一つには、IT先端分野における大国同士の覇権争いがある。

 私たちの日常生活を振り返ると、先端テクノロジーを実用化する企業の影響力がよくわかるだろう。端的に、新しいIT機器、関連サービスの登場は、常識を覆す。たとえば、アマゾンなどのEC(電子商取引)のプラットフォーマーの登場により、好きな時に、好きなところで、必要なモノを買うことができる。それは、IoT(モノのインターネット化)などの技術を用いた物流革命といえる。

 また、SNSのテクノロジーを活かすことでシェアリングエコノミー(特定のモノを複数人で共有すること)も普及した。カーシェアやライドシェアなどはその例だ。シェアリングエコノミーは、特定のモノに対する所有権を独占するよりも、そのときどきのニーズに応じて幅広いモノやサービスを利用する権利にアクセスすることを重視する人々の価値観を反映した、新しい経済活動といえる。

 ECやシェアリングエコノミー等に共通するのは、最先端のテクノロジーを用いて新しい発想を実用化できる企業が、需要を生み出すということだ。ソフトバンクは創業者である孫氏の企業家の資質を見抜く力(眼力)に頼りつつ、スタートアップ企業などに他社に先駆けて資金を提供し、競争を有利に進めようとしてきた。

■ウィーカンパニーからの損失発生の影響

 その発想に基づき、ソフトバンクとSVFは、ウィーカンパニーに出資した。ソフトバンクには、シェアオフィス事業の成長を背景にウィー社が上場を実現し、大きな利得を手にできるとの期待があった。

 しかし、昨年の秋口ころから、一部の市場参加者はそうした期待よりも、ウィー社のビジネスモデルやコーポレートガバナンスの体制などに懸念を持ち始めた。それを受けて、ウィー社は上場を断念し、企業価値が毀損した。その結果、ソフトバンクは昨年7〜9月期決算にてウィー社への投資から総額9000億円程度の損失を計上した。

 ウィー社からの損失発生から示唆されることは、先端分野のスタートアップ企業などに資金を提供して成長を取り込むというソフトバンクの戦略に、見直されるべき部分があることだろう。突き詰めていえば、ソフトバンクはリスクを客観的かつ冷静に評価したうえで投資の意思決定を行う体制を整備できていなかった恐れがある。

 見方を変えれば、ソフトバンクには、成長を急ぎすぎた部分があっただろう。同社は、リスクの評価よりも、ライバルに先駆けてスタートアップ企業などに出資し、将来的な成長の取り込みに、過度に執着してしまったとの印象を持つ。

 上場を断念した後、ウィー社はリストラを進めて資金繰りをつながなければならなくなっている。ソフトバンクが重視してきたシェアオフィス事業の成長を見込むには、あまりに不確定要素が多い。他の出資先に関しても、インドのスタートアップ企業であるオヨ・ホテルズ・アンド・ホームズなど想定通りに成果が出ていない案件もあるようだ。

 さらに、孫氏が注力する第2号のSVFの資金調達は難航していると報じられている。これまでの投資体制とスタンスを維持したままでソフトバンクがさらなる成長を実現できるか否か、先行きを慎重に考える市場参加者は増えつつあるとみられる。

■不可欠なリスク管理の徹底

 今後、ソフトバンクに求められる取り組みは、リスク管理を徹底することだろう。投資に不確実性はつきものだ。どれだけ優秀な人材を確保できた企業であっても、100%の確率で長期の成長を実現できるとは限らない。

 今後、ソフトバンクに求められる取り組みは、リスク管理を徹底することだろう。投資に不確実性はつきものだ。どれだけ優秀な人材を確保できた企業であっても、100%の確率で長期の成長を実現できるとは限らない。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/549.html#c17

[番外地7] あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019 モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿) 中川隆
1. 中川隆[-13744] koaQ7Jey 2020年2月16日 23:30:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-327]
モルデカイ・モーゼは日本人。
マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。
その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。

本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。


1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。


2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)


3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)


4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/483.html#c1

[番外地7] アラブ人とユダヤ人は犬猿の仲
アラブ人とユダヤ人は犬猿の仲

イスラム教を作ったのはユダヤ人とか、無知蒙昧なアホの妄想ですね。
そもそもアラブ人もユダヤ人も出が同じ遊牧民です。 パレスチナに定住したのがユダヤ人で、その恵まれた定住生活をアラブ人から妬まれて、昔から現在まで一貫して犬猿の仲だったのです。 そういう関係のユダヤ人がアラブ人の為に宗教をつくる筈もないです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/486.html

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
164. 中川隆[-13743] koaQ7Jey 2020年2月17日 09:26:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-325]
世界中から客が集う岩手のジャズ喫茶のドキュメンタリー
『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』公開決定 2020/02/10
http://amass.jp/131146/


岩手県一関市、世界中から客が集うジャズ喫茶「ベイシー」。

マスター・菅原正二が50年にわたってこだわり抜いた唯一無二の音と

“ジャズな生き様”を炙り出すドキュメンタリー映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』

が2020年5月29日(金)より アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開されます。Swiftyは、カウント・ベイシー命名による菅原正二のニックネーム。

以下インフォメーションより


その男は、レコードを演奏する。

「確かに便利な世の中になっているようだ 音楽も持ち歩ける時代だ
しかし便利を優先して感動を置き忘れてはいないか?」

岩手県一関市、世界中から客が集うジャズ喫茶「ベイシー」
マスター・菅原正二が50年にわたってこだわり抜いた唯一無二の音と
“ジャズな生き様”を炙り出すドキュメンタリー

日本独自の文化であり、世界が注目する“ジャズ喫茶”。岩手県一関市で50年営業を続ける「ベイシー」には、連日マスターの菅原正二が生み出す“音”を求め、日本のみならず世界中からジャズファン・オーディオファンが訪れる。
より良い音を再現するため、菅原は、開店以来使い続けるJBLのオーディオシステムに日々調整を重ねる。故に、菅原が不在で営業したことは1日たりとも、ない。

そうして生み出された音は、聴く者に、演奏者がその場に現れたかのような錯覚を起こさせる。本作では、菅原がかける名だたるプレイヤーのレコードを、アナログ録音の伝説的名器「ナグラ」で生収録。菅原が再生する極上の音が、「ベイシー」の空気感も含めて収められている。

本作は菅原のインタビューを中心に、渡辺貞夫、坂田明、村上“ポンタ”秀一、ペーター・ブロッツマンなど世界的なミュージシャンによる「ベイシー」での生演奏や、阿部薫、エルヴィン・ジョーンズの貴重な生前のライブ映像、さらに各界著名人らのインタビューで綴られる。本作のために、5年にわたりのべ150時間もの映像を撮り続けたのは、本作が初監督となる星野哲也。バーのオーナーであり、クリエイターでもある。親交の深い彼だからこそ捉えられる菅原の素顔が収められている。

菅原正二の考える「ジャズ」、そして「ジャズな人」とは? ジャズファンはもちろん、ジャズを知らずとも、菅原自身の魅力を通して、ジャズ・オーディオの世界に引き込まれていく。

■『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』
2020年5月29日(金)より アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

監督:星野哲也 
編集:田口拓也
菅原正二、島地勝彦、厚木繁伸、村上“ポンタ”秀一、坂田明、ペーター・ブロッツマン、阿部薫、中平穂積、安藤吉英、磯貝建文、小澤征爾、豊嶋泰嗣、中村誠一、安藤忠雄、鈴木京香、エルヴィン・ジョーンズ、渡辺貞夫 (登場順) ほか ジャズな人々

2019/日本/104分/1.85 : 1/DCP 
配給・宣伝:アップリンク

■公式HP: https://www.uplink.co.jp/Basie

http://amass.jp/131146/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c164

[リバイバル3] トヨタ株の株価の上げ下げのほとんどは円相場で説明できる

トヨタ自動車(トヨタ)【7203】の株価チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7203

7203 - トヨタ自動車(株) 2019-11-08〜 - 株式掲示板 - Yahoo!ファイナンス掲示板
https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1007203/a5ha5ha5bfbcabf0bcv

トヨタ自動車 (7203) 目標株価まとめ
https://www.kabuka.jp.net/rating/7203.html


トヨタ株の株価の上げ下げのほとんどは円相場で説明できる

代表的な輸出株であるトヨタ株とドル円の動きは互いに強く影響し合っている。
過去 10 年でみたときの相関係数は0.95 と高く、株価の上げ下げのほとんどは円相場で説明できるよう にみえる。


2019 年 12 月 11 日 宮田直彦 エリオット波動マーケット分析

2015年、トヨタ株はドル 円に先んじてピークアウトした

かつて、レポート「トヨタ株が教える日経平均の転換点」(2015 年 4 月 15 日付 で、トヨタ株が重要な高値を付けた可能性があり、相関の強い日経平均とドル 円の調整入りが近いだろう、と予想したことがある。

結果的にこの見方は正しかった。トヨタ株が上場来高値 (8,783 円 を付けたのは
15 年 3 月 24 日、ドル 円高値 (125.86 円は同年 6 月 5 日だった。トヨタ株はドル円に先行してピークアウトし、その後は共に大型トライアングルを形成していくことになる。

なおトヨタ株の高値から3 ヵ月後、 15 年6 月 24 日に日経平均は当時の天井 (20,952円 を付け、その後の 1 年間で 30% 近く下落した。

トヨタ株は大型トライアングルから上放れ

最近になって注目すべきは、トヨタ株が大型トライアングルから明確に上放れた
ことだ。
代表的な輸出株であるトヨタ株とドル円の動きは互いに強く影響し合っている。
過去 10 年でみたときの相関係数は0.95 と高く、株価の上げ下げのほとんどは円相場で説明できるよう にみえる。

トヨタ株はドル高・円安を先取りか

2015年のトヨタ株がドル 円のピークを暗示していたように、現在のトヨタ株の
動きはドル 円の動きを先取りしているのではないか。

そうであれば、ドル円も 2015 年以来の大型トライアングルからの上放れが近い
だろう。そして 2020 年には、ドル高・円安トレンドが鮮明になっていくと思われ
る。


▲△▽▼

平野憲一の株のお話 2020.02.17 本日より実質的春節明け。
http://kasset.blog.fc2.com/

 2020年の春節休日は1月24日(金)〜1月30日(木)の7日間ですが、31日(金)を休み人が多いので、実質的春節明けは3日(月)からでした。今回の新型コロナウイルスの影響で10日(月)からと1週間延ばされましたが、工場等の再開は更に1週間待つと言う事になりました。つまり、いよいよ本日から止まっていた中国の工場が動き出すとともに、人の大移動も始まります。

 サプライチェーン問題は今日が正念場となります。もう1週間位、正常化に時間がかかるかもしれませんが、時間的ずれは上述の様に週単位の事となります。

 日経平均は2008年のリーマンショックの時6994円まで下がりましたが、2011年の東日本大震災の時の安値は8135円と、リーマンショックの安値を下回りませんでした。

しかし、トヨタは大震災安値が2330円で、リーマンショック安値2585円を下回りました。

この違いは、サプライチェーン崩壊の影響度の違いです。

日経平均採用銘柄には非製造業も含まれていますので、製造業のサプライチェーン崩壊のダメージが希釈されていますが、トヨタは製造業そのものですので、100年に1度と言われたリーマンショックより、1000年に1度の東日本大震災による東北地方の部品工場のダメージが大きかったことを表しています。

サプライチューンの正常化には月単位の時間を要しましたが、今回の時間は週単位です。であれば、企業業績に及ぼす影響はそれなりの影響度となるはずです。

 そのトヨタですが、中国での生産を本日から段階的に再開すると明らかにしました。このまま生産水準が回復に向かうかどうかは、株価が示してくれるでしょう。7203トヨタの直近の安値は2/3の7534円です。先週末引け値は7729円ですが、7534円を切る事になると回復は困難を極めると株価が示すことになります。

 同じように代表的ウイルス関連銘柄の2/3安値は、4911資生堂6765円、9201 JAL3025円です。収益については、およそ半数の企業が10%を超える減益を見込んでいて、20%を超える減益を見込んでいる企業も2割近くに上り、多くの企業が深刻な影響が出るという見通しを示しています(NHK)。これをどれくらい株価が織り込んでいるか、とりあえずこの方法で判断して見たいと思います。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1042.html

[近代史4] ほったらかし投資法の勧め 中川隆
1. 中川隆[-13742] koaQ7Jey 2020年2月17日 09:38:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-324]
トヨタ株の株価の上げ下げのほとんどは円相場で説明できる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1042.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/132.html#c1
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
264. 中川隆[-13741] koaQ7Jey 2020年2月17日 09:43:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-323]

中川隆 相場関係投稿リンク


相場のチャート分析の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/127.html

ほったらかし投資法の勧め
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/132.html

絶対にやってはいけない丁半バクチ投資
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/131.html

伝説の相場師・詐欺師
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/130.html

マスコミと経済評論家の相場情報の 99% は嘘
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/129.html

バブル崩壊の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/128.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c264

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
571. 中川隆[-13740] koaQ7Jey 2020年2月17日 09:45:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-322]
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[近代史02] 株で損した理由教えてあげる 中川隆
567. 中川隆[-13739] koaQ7Jey 2020年2月17日 09:46:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-321]
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[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
71. 中川隆[-13738] koaQ7Jey 2020年2月17日 09:48:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-320]
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[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
238. 中川隆[-13737] koaQ7Jey 2020年2月17日 09:48:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-319]
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[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
134. 中川隆[-13736] koaQ7Jey 2020年2月17日 09:49:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-318]

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ほったらかし投資法の勧め
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絶対にやってはいけない丁半バクチ投資
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伝説の相場師・詐欺師
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マスコミと経済評論家の相場情報の 99% は嘘
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バブル崩壊の歴史
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[リバイバル3] ドイツの音楽はドイツの真空管アンプで聴こうよ 中川隆
50. 中川隆[-13735] koaQ7Jey 2020年2月17日 10:11:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-317]
エアーモーション トランスデューサー ヘッドフォンの私的インプレッション:ドイツから来た男
# by pansakuu | 2020-02-09 23:51 | オーディオ機器
https://pansaku.exblog.jp/28839243/

Was nicht ist, kann noch werden.
ないものも、あるようにできる。
(ドイツの諺)


Introduction:

ずっと前から聞きたかったヘッドホンを、またひとつ聞けたので簡単に書き残しておこうと思う。

ADAMというモニタースピーカーのメーカーがドイツにあるのをご存知だろうか。
20年ほど前にベルリンで設立されたプロ用のモニタースピーカーを作る会社である。

ARTと呼ばれる広帯域をカバーし、レスポンスに優れたツィーターを自社で開発、これを搭載したモニタースピーカーを販売している。

メーカーのキーテクノロジーであるARTとはAccelerating Ribbon Technologyの略であり、加速するリボンツィータ技術とでも訳すのだろうか。

これはオスカー ハイルというドイツ人が1960年代に発明したAir Motion Transformerという動作原理を基にしたテクノロジーで、前後にピストン運動するダイアフラムによって音を出すのではなく、プリーツ状に折りたたまれたダイアフラムがアコーディオンのように収縮を繰り返して発音する仕組みである。

従来のピストン運動するスピーカーの動作と比べて4倍の速さで空気を動かすことが可能だという。

実際にADAM製のモニタースピーカーを聴くと、カバーする帯域の広さはもちろん、過渡特性の良さ、定位の良さ、音全体のバランスの良さや実在感の強さに感心する。

次にその価格を見て、コストパフォーマンスの良さにも少し驚く。
リボンツィーターというのはPIEGAなどを見ても分かるように、ハイエンドオーディオ界では一般に安くないのだが、ADAMのスピーカーはそれほど高価ではない。

今回取り上げるヘッドホンを製造するHEDDという会社は、このADAM社を創業したエンジニアが新たに立ち上げた会社と聞いており、やはりスタジオモニタースピーカーを主力製品としている。

そして事情はよく分からないが、このメーカーもADAMで使っているものとよく似たツィーターを、エアーモーショントランスフォーマーと称してスピーカーに使っている。

ここまでだとADAMの後追いというか分家(実はこちらが本家?)というイメージしかない。だが、HEDDはこのツィーター用のエアーモーショントランスフォーマーを元に、10Hz〜40KHzにわたるフルレンジをカバーする新たなドライバーを新規に開発、全く新たなヘッドホンを作り出した。

つまり本家ADAMの造らなかったものを作ったことになる。私は幸か不幸か、分家のHEDDのモニタースピーカーの音を聞いたことはない。ADAMでいいじゃないかと思っている。だがヘッドホンとなると話は別である。


実はHEDDphoneについては、二年くらい前から噂では聞いていた。
当初の噂はADAMがヘッドホンを作るらしいという話であったが、
だんだん、内容が変わってADAMから派生した会社が3Dプリンターを駆使してプロトタイプを製作して、プロオーディオのショウに出しているらしいという話になっていった。こうして噂は進んでゆくのだが、日本で私が製品を聞ける機会はなかなか巡ってこなかった。

Exterior:

実物と対峙すると、これは随分と武骨な男の道具である。

まず重たいヘッドホンなのだ。700gくらいある。ここ一年ほど、ジムで首の筋肉を鍛えているのだが、それでもこの重量では一時間くらいが連続的なリスニングの限界だろう。こいつは強靭な男性向けのヘッドホンという意味で既に武骨である。
そしてマットブラック仕上げ、叩くとカンカン鳴る金属製のハウジングは正方形に近い四角いもので、まるで黒いサイコロのようである。さらに分厚いイヤーパッド、これまた分厚くて弾力のあるヘッドバンドもますます男らしく見えてくる。確かにこのざっくりと作られたようなハウジングは、ともすると盛大に鳴きそうに見えるので、なにが音は良くないのではないかと聞く前に勘繰ってみたが、いざ聞いてみると、それはまるで杞憂であった。やはりオーディオは難しい。定石は通用しない場合もある。
さらに、ハウジングのパンチングメタルの奥に見える黄色いリボンツィーター、それはADAMのシンボルであるリボンツィーターをただちに想起させる。だが、これはHEDD製のフルレンジドライバーであり、ADAMのものとは似て非なるものなのだろう。

ヘッドホンケーブルの末端はミニXLRで始末されていて、Audezeなどのものと同一らしい。なおハウジングとヘッドホンケーブルの端子の接続部はシンプルだが頑丈にできているように見えて好ましい。Audezeの製品などではハウジングが木で出来ているため、この接続部の周囲が割れてきたこともあったが、ここではそういう脆弱性は感じられない。ただ、造りがしっかりし過ぎのせいで、逆に道具としての美しさは感じにくい。特別なドライバーを搭載するという意味では類似したEmpyreanと並べると、デザインのコンセプトが全く異なるのが一目瞭然である。またMysphereのような計測器じみた精密さもない。あれほどのつくりの良さのあるヘッドホンは、この先もなかなかない出てこないだろうと思うほどだが、HEDDは作りや仕上げの良さに殊更に注意を払うつもりはなさそうだ。HEDDphoneについては技術力のほぼ全てがドライバーに集中しているという感じである。とにかく、これはオーディオマニアのリスニング用のハイエンドヘッドホンではなく、あくまでサウンドエンジニア用のモニターヘッドホンなのである。
機材の壊れにくさや音の正確さが重要なのであって、見た目や造りの精巧さなどは二の次だと言わんばかりである。なんだか男らしい。ドイツの男とはこんな感じなのだろうか。


この重たいヘッドホンを実際に頭に装着すると、重さ以外にも困難があることに気づく。ヘッドバンドのスライダーを目いっぱい伸ばしても長さが足りない場合がありそうなのだ。つまり、スライダーをMAXまで伸ばしたうえで、かなりヘッドホンを深くかぶらないと耳を覆う位置までドライバーが下りてこない。日本人の耳は、貴方が考えるよりもっと下についているのだと、HEDDの中の人に教えてあげたい。
私の場合はかろうじて、耳介をイヤパッドの中に収めることができたが、頭頂部はややきつい。その分しっかりと頭に食いついているので、頭を多少振ってもヘッドホンがずれることはなさそうなのは良いが・・・・。確かにヘッドホンの自重がかなりあるから、こうでもしないとすぐずり落ちてしまうのか。でもこれでいいのか?
この問題は外国でも指摘されているらしく、そのうちメーカー側で改良するという話もあるが、果たしていつのことになるやら。
また、イヤーパッドについては耳の周囲をピッタリと密閉するようにして覆い、接触面積が広い。ここから音は漏れないが、完全な開放型なので、ハウジングの片面を覆うパンチングメタルからの音漏れは盛大である。

なお、HEDDphoneを実際に開梱すると箱の中には本体以外には簡単なマニュアルとシングルエンドの6.35mmの標準フォーンプラグのついた2mほどの長さのヘッドホンケーブルが一本ついているだけである。純正のバランスケーブルや専用トランク、スペアのイヤーパッドなどはついていない。パッケージの中身としてはかなりシンプルであり、リケーブルなどは自前で用意しなくてはならない。

今回の試聴はSPLのPhoniter2をヘッドホンアンプとして使った。
SPLのアンプの音はど真ん中のモニターサウンドであり、定位がすこぶる良いが音がやや硬く、音場よりも音像をしっかりと描く傾向にある。ここではあらかじめアンプの音調も踏まえたうえでHEDDphoneのサウンドについて述べていこうと思う。


The Sound:

HEDDphoneの外観や装着感などは、総合的にはまずまずというか、
私にしてみれば可もなく不可もないというレベルであり、殊更にほめるべきところはない。だが、このヘッドホンのサウンドに関してだけはかなり素晴らしく感じられた。今まで得られなかった新しいヘッドホンサウンドでありながら、音の各要素のバランスが良く、全体を通じて破綻がほとんどないのである。新しいのにオーソドックスで安心感のある音なのだ。
私はSR1aやMysphreなど、オーソドックスなヘッドホンとは趣きを異にする、特殊な技術的側面を強くもつ革新系の製品を続けざまに使ってきた。そこで多かれ少なかれ感じる、微妙だが明らかに特殊な音の出方、微かだがはっきりとした違和感のようなものがない。私は最初の試聴、20分ほど経過した時点で購入を宣言していた。こんな衝動買いはFinal D8000を聴いて以来のことだった。

では、他のヘッドホンの出音と比べてどこが違うのか。
まず一つは音像の強さである。この芯のある音の実体感は今までなかったレベルにまで高められている。音像に躊躇なき迫真性があり、そこが他のヘッドホンの出音とは一味違うのだ。あらゆる音に確固たる実在感が宿り、そこから来る浸透力の高さは半端ないものがある。また音場よりは音像の描写を中心とするヘッドホンやスピーカーにありがちな音の痩せがないのもポイントが高い。HEDDの音像は常に豊かで複雑なニュアンスを伴う。聞きなれた音楽を聴いても、音がいつもより鮮度を高めて、こちらに強くせり出してくる。ここでは音像の彫りの深い立体感、エネルギッシュな押し出しの良さ、そしてなにより音のテンションの高さが印象的である。さらに音像の大小や定位もよく分かるし、細かな音の質感も音像の張り出しに比べて控え目ではあるが、ひしひしと伝わってくる。


ヘッドホンアンプの音の傾向を差し引いても、これはモニター的な傾向の強い音だ。このような音像の描写はHD650やHD600などの従来のプロフェッショナルモニターヘッドホンでも聞かれる特徴だが、それらよりももっと主張しているように聞こえるし、キレもいい。これほどしっかりとした辛口の音を最新のヘッドホンから聞けるとは思わなんだ。

音色の濃さもかなりはっきりと感じられる。巨匠が入念に仕上げた一枚の油絵を眺めるような濃厚ではっきりとした色あいが脳裏に浮かび、スムーズに変化してゆく。次々に展開するビビッドな音の色彩の移り変わりはあまりにも美しく、私は心の眼を閉じることはできなかった。このような音像や音色の見事さは音楽の主題を背景から見事に際立たせ、演奏される楽器の主役と脇役の主従関係がはっきりとしてくるのが面白い。また、これほど克明な音でありながら、トランジェントの良さは特筆できる。音の立ち上がりや立下りが非常に早く、濃いばかりではなくスッキリとして透明感がある音のニュアンスも十分に伝える。


音の温度感としてはややホットであり、若干乾いたトーンだろうか。
まとわりつくような深い情けを感じるようなウェットなサウンドでないことは確かであり、クールでよそよそしい傍観者の態度を取ることもなく、静かで正確さを失わないが、常に思いを熱く語る男のようなサウンドである。これもドイツの男の在り方なのだろうか。

音場の広がりについては音像に気を取られていると多少の控え目に感じられるかもしれないが、集中して聞けば、その描写は的確であることもすぐに感得できる。HD800のような左右、そして奥行きのある音の遠近法こそ持たないものの、音楽に与えられた音場の広がりを過不足なく表現してくれる。HEDDphoneは密閉型ヘッドホンのような音の濃さに開放型の音の解放感や広がりを併せ持つ稀有なるものだ。
このヘッドホンの低域は重心はヘッドホンとしてはかなり低く、程よい量感も伴うにも関わらずスピードがある。高域の自然な伸び、中域の厚みと解像度の高さの両立とども褒めちぎりたいポイントである。

そして、なによりこれらの音の各要素がバランスよく配合されて一つの音として収束しているのが素晴らしく、心底安心できるのだ。こういう先進的な試みは常にピーキーな挙動の不確かさと隣り合わせであり、音楽のジャンルや再生される音楽の音作りによって、合う合わないが出て来るケースもあるのだが、このヘッドホンに関しては、音のバランスがオーソドックスなので得手不得手は少ないのではないかと思う。

昨今は強力なヘッドホンが出そろっており、その一角に加わって競争するのは容易ではない。優秀な機材がこの界隈にはすでに多く存在しているのである。だがHEDDの音は現代を代表するハイエンドヘッドホンたち、例えばD8000、HD800s, Empyrean、Utopia、Stellia、MDR-Z1R、ADX5000、SUSVARA、GS300E、TH900、それらどれとも異なる。
このヘッドホンにはおそらくライバルはいない。普通の音と言って、言えなくはないのだが、ブラインドでもはっきりと他と区別できるほどの音でもある。これはやはり音像の描写の確かさがこのヘッドホンの存在を決定づけているのだと思う。こんなにしっかりした強い音が出せるヘッドホンは昨今はほぼない。

このような傾向はモノに関するドイツ的な実直さの表れとも取れる。
例えばドイツ製の時計だ。
ランゲやNomos、GOやドンブリュートやヘンチェル、ダマスコなどのドイツの時計を見ていると、まずは今何時かがはっきりと読めることを前提とした文字盤や針のデザインが多い。
(私はヘンチェルを普段使いにしているが、実際に日々そう感じる。)
一番大事なことはなんなのか、常に強く意識しているのがドイツ人であるように思う。音についても、その一番大切な部分と思われる音像をまずはリスナーに示すのだ。HEDDphoneを聴いていると、子音を鮮明に聞かせるあたりからして、既にジャーマンサウンドらしい香りもあるのだが、もっと深い態度のようなところでも「ドイツらしさ」が明快に出ているヘッドホンだと思う。

HEDDphoneには音響空間に漂う、憶測でしか至ることのできないような微かなニュアンスを丁寧に拾い上げるような繊細な態度は備わっていない。こいつのサウンドは、まずは核心をズバリと突いてくる音である。幽玄な音をあえて先にとらえるような繊細さがここにはない。まず眼前に明白な主題を提示して音楽の骨格・あらすじをしっかりと伝える。細部や音場はその次にじっくりと表現してゆく。それがこの男の流儀だ。
思えば昔のヘッドホンの音楽の表現の仕方がこうだったのかもしれない。
しかし単純なリバイバルでは到底片付けられない、豊かで機動力のあるサウンドがここにはある。この装着感の煮え切らなさや重さは問題であるが、そこを差し引いても自分の部屋で、自分の機材でじっくりと使ってみたいと思わせるものがある。


Summary:

まあ、そんなこんなで、これは買うことになった。

このヘッドホンはMysphereと同じく一度は自分のものとして使ってみなくてはならないだろう。音以外では、このヘッドホンのデザインが黒を基調としていることも私にはうれしいポイントである。自分の機材はなるべく黒で統一したいからだ。Model406もBartokも黒である。ChordのCodaも黒を選んでいる。黒という色は引き締まっていて機材を男っぽく精悍に見せてくれることに気づいて最近好きになった色だ。


HEDDphoneをつらつらと聞いていると、音だけで他と勝負しようという気概を強烈に感じる。
このAMTドライバーにエンジニアがゾッコンと惚れ込んでいるのが目に見えるようだ。確かにヘッドホンで一番大事なところはそこだろう。そこは動かしがたい事実である。しかし、現代のヘッドホンの世界を見回しても、優れたドライバーの新開発は困難を極めているように見える。ことにAMTドライバのような新たな動作原理を用いたドライバーとなると、スピーカーと同じくほとんど世に出てきていない。
ハイエンドオーディオ界の停滞の原因のひとつがここにあると私は思うのだが、HEDDphoneの登場でヘッドホンの世界については、また一つ新たな多様性が加わったことになる。


また見逃せないのは、この手の革新的なヘッドホンにありがちな高価格性がないことである。少量生産が見込まれる特殊な機材は高くなりやすい。最近のハイエンドヘッドホンにおいて新型機は30万円オーバーは珍しくない。しかしHEDDphoneはほぼ20万円で売られている。ADAMのモニタースピーカー同様にコストパフォーマンスに優れると言えよう。
ただ、日本の正規代理店のようなものができた場合にHEDDphoneがいくらになるかは私には分からない。
だから正規のアナウンスが出る前に買っておこうという魂胆である。

なにしろ、こうやって次々に新しいモノを、比較的気楽に買って楽しめるところがハイエンドヘッドホンのよいところである。ハイエンドスピーカーではこうはいかない。
財力も手間も時間も、スピーカーでは数倍いや数十倍かかり、負担が大きすぎて楽しめない。良い音で音楽を聴きたいだけでは終わらないのがオーディオではないか。
まずは色々と試して、実際に使ってみてオーディオの多様性を愉しみたいのである。


それにしてもこれほどの多様性がヘッドホンの世界に生まれることを10年前に誰が予測しえたであろうか。
試行錯誤を重ね、紆余曲折を経て、栄枯盛衰はありながら、まだハイエンドヘッドホンは前進していると、ドイツの英知が創り出した男っぽいヘッドホンを聴きつつ、私は確信したのである。
https://pansaku.exblog.jp/28839243/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/698.html#c50

[昼休み53] 風俗嬢「涙の極貧物語」 中川隆
41. 中川隆[-13734] koaQ7Jey 2020年2月17日 10:36:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-316]

◆セックス産業で稼ぐ女たちの金銭事情。稼げる女性と困窮する女性のこと
2019.04.24
https://blackasia.net/?p=12677

野良犬の女たち

先日会った場末のデリヘル嬢は、異様なまでに太った40代の女性だった。彼女は二度離婚して精神的に変調を来して睡眠薬や精神安定剤を多用していた。朝、起きれないので普通のパートに出ることすらもできず、激安デリヘルに勤めているのだが客が付かずに家賃の支払いすらも滞っていた。

「とにかく、おカネがない。家賃が払えない」と彼女はつぶやいていた。

私は一ヶ月に一度か二度は必ず「どん底の中のどん底」に生きているセックス産業の女性と会って、いろんな話を聞くようにしている。

(ブラックアジア:野良犬の女たち(ストリート売春、そして流れ者の女))
https://blackasia.net/?p=10257


セックス産業で要領よく生きている女たちも多いが、私の目の前に現れる場末の女たちはまったくの逆で、セックスを売って稼いでいるにも関わらず、明日の食事すらも困るような生活をしていることが多い。

なぜそんなことになっているのかというと、彼女たちは性風俗で稼げる容姿や年齢ではなくなっているのに、そこにいるからだ。彼女たちはセックス産業にいても、1日6000円も持って帰れない日もある。

仮に彼女たちが頑張って月20日出勤できたとしても、6000円では12万円にしかならない。実際には彼女たちは20日も真面目に出勤しないので、手取りはもっと少ない。10万円いかない月もあるはずだ。セックス産業にいて月10万円いかないのであれば、どん底だと思わないだろうか?
https://blackasia.net/?p=12677
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/286.html#c41

[リバイバル3] youtube で聴く世界の名曲 中川隆
10. 中川隆[-13733] koaQ7Jey 2020年2月17日 10:49:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-315]
2018年09月03日
YouTubeの音楽を違法にぶっこ抜く「ストリームリッピングサイト」がレコード業界の訴訟に屈して次々と閉鎖
https://gigazine.net/news/20180903-stream-ripping-site-down/

YouTubeのムービーをダウンロードしてMP3ファイルを違法に抽出する「ストリームリッピングサイト」に対して、アメリカとイギリスのレコード業界が大規模な訴訟を起こし、大手ストリームリッピングサイトが次々と閉鎖する事態となっています。

YouTube Download Sites Throw in the Towel Under Legal Pressure - TorrentFreak
https://torrentfreak.com/youtube-download-sites-throw-in-the-towel-under-legal-pressure-180614/

YouTube download sites are biggest piracy threat to music industry | The Independent
https://www.independent.co.uk/life-style/gadgets-and-tech/news/youtube-mp3-converter-download-piracy-a8505131.html

2018年6月、1日に何百万ものPVを抱えていた大手ストリーミングリッピングサイト「YouTube-MP3」が無期限のシャットダウンを宣言しました。YouTube-MP3は2017年にアメリカレコード協会(RIAA)から訴えを起こされていて、和解金を支払ってドメインをRIAAに引き渡す条件に合意したとみられています。

さらに、RIAAやイギリスレコード産業協会(BPI)は「Pickvideo.net」や「Video-download.co」など他の大手ストリーミングリッピングサイトを次々と訴え、そのどれもが和解に応じ、サイトを閉鎖しています。



しかし、同様のストリームリッピングサイトは依然として数十サイトも存在する上に、「YouTubeのムービーからMP3をリッピングする方法を解説するムービー」がYouTubeにアップされて何万もの再生回数を稼いでいるという始末です。The Independentの調査によると、16〜24歳のイギリス人のおよそ3分の1が、違法なストリーミングリッピングサイトを利用しているとのことです。

また、違法なストリームリッピングサイトはオンライン広告による収入を得ていて、The Pirate Bayのような違法トレントサイトよりもはるかに大きな経済規模となっています。BPIのCEOであるジェフ・テイラー氏は、違法なストリーミングリッピングサイトがはびこることで、SpotifyやApple Musicなど、合法なストリーミングサービスが縮小してしまう可能性があると述べています。



テイラー氏は「ストリーミングリッピングサイトは音楽業界の協力によって閉鎖に追い込まれつつあります。アーティストやレーベルに還元せず、広告収入で大金を稼ぐ違法なサイトへの対策は今後も続けていかなければなりません」と語り、今後もストリームリッピングサイトに対して厳しい対応を続けていく意志を示しました。

一方で、ストリーミングリッピングそのものは正当なサービスであると主張する声もあります。例えば、電子フロンティア財団はアメリカ合衆国通商代表部に対して、「インターネット上に存在する、無料でダウンロードや改ざんを許諾されたムービーには、著作権の対象にならない楽曲が含まれています。ほとんどの音声抽出はフェアユースの対象となります。たとえ一部のユーザーが著作権を侵害していたとしても、合法的な目的のために音声を抽出できるサービスを提供すること自体は正当です」と主張しています。

YouTubeの広報担当者はThe Independentの取材に対して、「YouTubeの利用規約では、著作権者の明示的な同意なしにYouTubeにアップされているムービーのダウンロードやコピーを行うことを禁じています。コンテンツの所有者の許可なくYouTubeのムービーをダウンロードできるサービスが通知されたら、適切な措置を講じます」と述べています。

https://gigazine.net/news/20180903-stream-ripping-site-down/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/742.html#c10

[番外地7] YouTube音源 は mp3, AACに続く後発の音声圧縮形式 Opus形式で再生できる 中川隆
1. 中川隆[-13732] koaQ7Jey 2020年2月17日 10:51:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-314]
2018年09月03日
YouTubeの音楽を違法にぶっこ抜く「ストリームリッピングサイト」がレコード業界の訴訟に屈して次々と閉鎖
https://gigazine.net/news/20180903-stream-ripping-site-down/

YouTubeのムービーをダウンロードしてMP3ファイルを違法に抽出する「ストリームリッピングサイト」に対して、アメリカとイギリスのレコード業界が大規模な訴訟を起こし、大手ストリームリッピングサイトが次々と閉鎖する事態となっています。

YouTube Download Sites Throw in the Towel Under Legal Pressure - TorrentFreak
https://torrentfreak.com/youtube-download-sites-throw-in-the-towel-under-legal-pressure-180614/

YouTube download sites are biggest piracy threat to music industry | The Independent
https://www.independent.co.uk/life-style/gadgets-and-tech/news/youtube-mp3-converter-download-piracy-a8505131.html

2018年6月、1日に何百万ものPVを抱えていた大手ストリーミングリッピングサイト「YouTube-MP3」が無期限のシャットダウンを宣言しました。YouTube-MP3は2017年にアメリカレコード協会(RIAA)から訴えを起こされていて、和解金を支払ってドメインをRIAAに引き渡す条件に合意したとみられています。

さらに、RIAAやイギリスレコード産業協会(BPI)は「Pickvideo.net」や「Video-download.co」など他の大手ストリーミングリッピングサイトを次々と訴え、そのどれもが和解に応じ、サイトを閉鎖しています。



しかし、同様のストリームリッピングサイトは依然として数十サイトも存在する上に、「YouTubeのムービーからMP3をリッピングする方法を解説するムービー」がYouTubeにアップされて何万もの再生回数を稼いでいるという始末です。The Independentの調査によると、16〜24歳のイギリス人のおよそ3分の1が、違法なストリーミングリッピングサイトを利用しているとのことです。

また、違法なストリームリッピングサイトはオンライン広告による収入を得ていて、The Pirate Bayのような違法トレントサイトよりもはるかに大きな経済規模となっています。BPIのCEOであるジェフ・テイラー氏は、違法なストリーミングリッピングサイトがはびこることで、SpotifyやApple Musicなど、合法なストリーミングサービスが縮小してしまう可能性があると述べています。



テイラー氏は「ストリーミングリッピングサイトは音楽業界の協力によって閉鎖に追い込まれつつあります。アーティストやレーベルに還元せず、広告収入で大金を稼ぐ違法なサイトへの対策は今後も続けていかなければなりません」と語り、今後もストリームリッピングサイトに対して厳しい対応を続けていく意志を示しました。

一方で、ストリーミングリッピングそのものは正当なサービスであると主張する声もあります。例えば、電子フロンティア財団はアメリカ合衆国通商代表部に対して、「インターネット上に存在する、無料でダウンロードや改ざんを許諾されたムービーには、著作権の対象にならない楽曲が含まれています。ほとんどの音声抽出はフェアユースの対象となります。たとえ一部のユーザーが著作権を侵害していたとしても、合法的な目的のために音声を抽出できるサービスを提供すること自体は正当です」と主張しています。

YouTubeの広報担当者はThe Independentの取材に対して、「YouTubeの利用規約では、著作権者の明示的な同意なしにYouTubeにアップされているムービーのダウンロードやコピーを行うことを禁じています。コンテンツの所有者の許可なくYouTubeのムービーをダウンロードできるサービスが通知されたら、適切な措置を講じます」と述べています。

https://gigazine.net/news/20180903-stream-ripping-site-down/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/481.html#c1

[近代史4] CDプレーヤー・DAC・パソコンオーディオ 中川隆
1. 中川隆[-13731] koaQ7Jey 2020年2月17日 10:53:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-313]

YouTube音源 は mp3, AACに続く後発の音声圧縮形式 Opus形式
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/481.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/119.html#c1
[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
99. 中川隆[-13730] koaQ7Jey 2020年2月17日 10:54:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-312]

YouTube音源 は mp3, AACに続く後発の音声圧縮形式 Opus形式
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/481.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html#c99
[リバイバル3] CD/SACDプレーヤーからPC・ネットワークオーディオへ 中川隆
51. 中川隆[-13729] koaQ7Jey 2020年2月17日 10:55:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-311]

YouTube音源 は mp3, AACに続く後発の音声圧縮形式 Opus形式
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/481.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c51
[番外地7] チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない、民族ですらない

チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない、民族ですらない


なんでも、自称アイヌ人は


13世紀にシベリアから移住してきた新参で

自称アイヌ語は 8つの完全に違う言葉の総称

自称アイヌ人は 8つの完全に違う民族の総称

なんだそうです:


【渡邉哲也show】渡邉×小野寺 ア〇ヌの真実とは
https://www.youtube.com/watch?v=pkyqfF_3a3Y

【ch桜北海道】[特別番組]討論会 アイヌ新法がなぜ問題か?in北海道[R1/12/8]
https://www.youtube.com/watch?v=hoE2Z2p7fT4

【ch桜北海道】[アイヌ問題集中講座]第1回アイヌ先住民族国会決議[R2/1/8]
https://www.youtube.com/watch?v=pNv9QboRiDU

【ch桜北海道】[アイヌ問題集中講座]第2回アイヌ先住民族国会決議[R2/1/23]
https://www.youtube.com/watch?v=d7sN6EXnuZM
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/487.html

[近代史4] 中川隆投稿集 _ アイヌ人は先住民ではない? 中川隆
1. 中川隆[-13728] koaQ7Jey 2020年2月17日 11:22:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-310]
チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない、民族ですらない
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/487.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/150.html#c1
[番外地7] チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない、民族ですらない 中川隆
1. 中川隆[-13727] koaQ7Jey 2020年2月17日 11:28:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-309]

しかし、チャンネル桜の関係者は何故、

遺伝学や人類学、考古学、民族学、歴史学の知識が完全にゼロのフツーのお医者さんの
的場 光昭(医療法人健光会理事長)

が言った事をそんなに簡単に信じられるのかな?
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/487.html#c1

[近代史3] 韓国ではエリートが役所や財閥企業に就職し、そこから落ちこぼれた人たちは中小企業に入って、いくら努力をしても財閥に土足で踏みにじられる

韓国ではエリートが役所や財閥企業に就職し、そこから落ちこぼれた人たちは中小企業に入って、いくら努力をしても財閥に土足で踏みにじられる


韓国産業界「日本頼み」からの脱却が絶対にできない理由 2020/02/17
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/韓国産業界「日本頼み」からの脱却が絶対にできない理由/ar-BB1044Ah?ocid=ientp



© NEWSポストセブン 提供 「日本頼み」は実現するか(イラスト/井川泰年)

 コロナウイルス騒動ですっかり過去のことのように思われているかも知れないが、韓国への輸出規制を強化したことによる日韓関係の悪化は改善されていない。韓国の産業界で“脱「日本頼み」”が進んでいるという報道もあるが、そんなことが可能なのか。経営コンサルタントの大前研一氏が考察する


 * * *

 韓国大法院(最高裁)が日本企業に賠償を命じた「元徴用工」訴訟に対抗し、日本が半導体やディスプレイの製造に必要な化学材料3品目(フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素)の韓国への輸出規制を強化したことで過去最悪の状況になった日韓関係は、今なお凍てついたままである。

『朝日新聞』(1月21日付朝刊)によると、日本の対抗措置で輸出総額の2割を占める半導体産業が深刻なダメージを受けた韓国は、素材や部品、製造装置の脱「日本頼み」対策(ジャパンフリー)を官民挙げて猛スピードで推し進め、成果を出し始めているという。
 では、これから韓国は「日本頼み」から脱却することができるのか? 経営コンサルタントの仕事や講演などで韓国を200回以上訪れ、韓国の全財閥と付き合ってきた私に言わせれば、絶対にできないと思う。

 なぜなら、日本の素材の力は3年や4年で追いつけるような底の浅いものではないからだ。化学メーカーだけでなく、半導体の基板メーカーや電子線描画装置メーカー、ガラスメーカーなどが信頼関係に基づいて連携しながら、何十年もコツコツと研究開発を続けなければならないのである。

 しかし、韓国の産業界にそういうカルチャーはない。今回の輸出規制で「寝た子を起こした」と見る向きもあるようだが、象徴的な言い方をすれば、3人くらいは起きたとしても、300人は寝ているだろう。なぜか? その理由は韓国産業界のメンタリティにある。

 もともと韓国人の多くは、自分たちのほうが“先輩”であり、あらゆる面で日本よりも進んでいたと考えている。たしかに、それも一理ある。明仁天皇(現・上皇)も「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と述べている。

 ところが、日本による植民地化と圧政で抑えつけられ、さらに戦後は南北に分断された。その結果、日本の後塵を拝することになった。だから韓国の悲哀は「すべて日本のせいだ」──。韓国の政治家や年配者は、自分たちのだらしなさを棚に上げ、伝統的にそう説明してきたのである。

 そもそも韓国で戦後に財閥が誕生して繁栄したのは、役人の許認可権限が強いからである。政治家と癒着して役人とつるんだ財閥が、儲かる産業や不動産などの利権を独占してしまうのだ。このため役人と財閥企業の正社員以外は「ヘルコリア」(※地獄の朝鮮。韓国人が就職率・就労率の低さや労働環境の劣悪さなどを念頭に置いて自国を自虐的に呼ぶ言い方)で、夢も希望もない状況になっている。

 そして財閥は、日本や欧米に追いつき追い越すためにかなり無理をしている。韓国の中小企業によれば、彼らが品質改善や生産性向上、コストダウンなどで良いアイデアを出したり新しい技術や製品を開発したりしても、財閥に全部吸い上げられてしまい、自分たちは割を食って細るだけなので無駄な努力はしないという。だから韓国では中小企業が育たず、産業の裾野が広がらないのだ。

 前出の『朝日新聞』の記事によると、今回の局面では、財閥の大企業が率先して脱「日本頼み」に動き出し、素材や部品の開発を目指す中堅・中小企業に多くの大企業が生産ラインを開放しているという。

 だが、前述したように、素材などの開発には多業種の企業が連携して何十年もかかる。韓国の産業界にそれができるメンタリティと研究基盤はなく、財閥のトップが号令をかけたらその間は進むかもしれないが、長続きはしないだろう。

 しかも、限られたエリートが役所や財閥企業に就職し、そこから落ちこぼれた人たちは中小企業に入って、いくら努力をしても財閥に土足で踏みにじられるという歪んだ構造がある限り、脱「日本頼み」を達成するのは無理だと思う。

 また、韓国ではエンジニアが冷遇されている。象徴的なのは社屋や工場だ。財閥企業の文系ホワイトカラーは高層ビルの本社オフィスにいるが、エンジニアは工場の天井から吊り下げた中二階のような環境が悪い一画に押し込められていることが多い。韓国でエンジニアになるということは、文系ホワイトカラーの“しもべ”になるのと同義と言っても過言ではない。

 インドや台湾などの場合は文系ホワイトカラーよりエンジニアのほうが優遇されているし、日本では文系も理系も現場勤務からスタートするケースが多いが、韓国では稀だろう。エンジニアを下に見る韓国のメンタリティの“伝統”は、今後も変わらないと思う。

 輸出規制強化の対象になった3品目をはじめとする日本製の素材や部品の中には、韓国が日本に頼らずに製造できるものもある。ホワイト国(※輸出管理制度上の優遇措置の対象国。現在は「グループA」。以下、グループB、C、Dと呼ばれる)や台湾経由で迂回輸入するという方法もすでに使われている。実際、サムスン電子は輸出規制が強化された直後に副会長が来日し、迂回輸入で調達できるように奔走していた。韓国に工場を建設する日本企業もあるかもしれない。だから、もちろん油断は禁物だが、本質的な意味で韓国に脱「日本頼み」はできない、と私は見ている。

※週刊ポスト2020年2月28日・3月6日号
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/韓国産業界「日本頼み」からの脱却が絶対にできない理由/ar-BB1044Ah?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/906.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 朝鮮関係投稿リンク 中川隆
32. 中川隆[-13726] koaQ7Jey 2020年2月17日 12:21:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-306]
韓国ではエリートが役所や財閥企業に就職し、そこから落ちこぼれた人たちは中小企業に入って、いくら努力をしても財閥に土足で踏みにじられる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/906.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/973.html#c32
[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
7. 中川隆[-13725] koaQ7Jey 2020年2月17日 13:12:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-305]
725名無しの笛の踊り2020/02/15(土) 22:35:36.36ID:1lgnZsuD
中学生は第九のアダージョの崇高さとか全然わからないから、トスカニーニの方がワルターよりいいんだよ

726名無しの笛の踊り2020/02/16(日) 22:34:28.98ID:dpe8M2je
>>719
20世紀の名匠・巨匠たちの遺した運命、英雄、新世界、ジュピター等には、人類の至宝というべき録音が沢山ある。
ところが、それらをそれほどいい物と思わない連中が多いおかげで、現代の若造どもが何とか音楽家面できている。

727名無しの笛の踊り2020/02/17(月) 13:05:30.82ID:+i5vItxX
演奏がいくら凄くても中高生向けの曲は聴きたくないだけだよ

728名無しの笛の踊り2020/02/17(月) 13:09:04.66ID:+i5vItxX
ホロヴィッツとかコルトーはハンマークラヴィーア・ソナタとかブラームスの晩年の作品は絶対に弾かなかった
一般大衆のレベルに合わせてるんだ

トスカニーニやフルトヴェングラーも同じだ

729名無しの笛の踊り2020/02/17(月) 13:11:13.01ID:+i5vItxX
トスカニーニはシベリウスの第二は演奏したけど、第四や第六は絶対に演奏しなかった
レパートリーを一般大衆向けに限っているんだよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c7

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
16. 中川隆[-13724] koaQ7Jey 2020年2月17日 14:06:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-304]
世界第二位の経済大国なのに、人民の8割が保険適用されない国。
誰得なんだ?それは…|ゲスト:篠原常一郎(@polyanochika)|山岡鉄秀


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c16
[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
27. 中川隆[-13723] koaQ7Jey 2020年2月17日 14:08:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-303]
世界第二位の経済大国なのに、人民の8割が保険適用されない国。
誰得なんだ?それは…|ゲスト:篠原常一郎(@polyanochika)|山岡鉄秀


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c27
[番外地7] 安倍総理「器」論 中川隆
1. 中川隆[-13722] koaQ7Jey 2020年2月17日 16:19:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-302]
2020年2月17日
【三橋貴明】緊縮財政という扇の要


【今週のNewsピックアップ】
緊縮財政という「扇の要」(前編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12574773141.html

緊縮財政という「扇の要」(中編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12575009553.html

緊縮財政という「扇の要」(後編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12575237311.html


日本国民を苦しめ、食い物とし、我が国の「経世済民」を妨害している「グループ」は、複数あります。
(政治的なパワーが大きそうな順番に 書いてみます)

1.アメリカ合衆国
2.中国共産党
3.財務省
4.レントシーカー(グローバリスト)
5.経済界
6.マスコミ
7.経済学者(主流派)


日本では、政権が上記の「グループ」に逆らわなければ「長期政権」になります。
緊縮財政を始めた橋本内閣、構造改革を本格化させた小泉内閣、そして構造改革を
「完成」させようとしている安倍内閣。全てがそうです。
(橋本政権は選挙で負け、崩壊したため、 残りの二つほど長くはなりませんでしたが)

アメリカと中国が「覇権戦争」を繰り広げている状況で、日本は「アメリカ様」が望む構造改革を進めつつ、同時に経済界の要望もあり「媚中路線」を歩んでいます。

新型コロナウイルスの脅威がここまで高まったにも関わらず、未だに中国全土に
対する入国規制をかけない。

茂木敏充外相は、2月10日の記者会見で、習近平の国賓来日について、
「現時点では予定通り。 準備を粛々と進めていきたい」と答えています。

我が国の場合、元首級である国賓が来日した際には、天皇陛下がもてなす
最上級の歓迎となります。
この状況で、習近平を国賓で招く・・・。

もっとも、安倍政権が政権を維持したいならば、アメリカや中国に媚びへつらい、
財務省やレントシーカー(竹中平蔵氏など)、経団連の要望を訊き、マスコミを活用して支持率を維持しなければなりません。

まさに、その通りのことをした結果、安倍政権は長期政権になったのです。

そして、特に影響力が強烈な上位四つの内、実は最も「手ごわくない」のが
財務省なのです。

何しろ、現在は財務省をはじめ高級官僚の人事権を内閣官房が握っています。
政権が本気になれば、緊縮財政の転換は可能です。

(代わりに、政権にスキャンダルが 頻発することになると思いますが)

そもそも、現在の緊縮財政(プライマリーバランス黒字化目標)は閣議決定により決められています。
ということは、閣議決定で廃することも可能です。
財政法四条や五条、財務省設置法三条は、国会での議決が必要です。ところが、
PB目標の破棄は閣議決定のみなのです。
そして、財務省の緊縮財政を潰し、
デフレ脱却を果たせれば、
4のレントシーカーが望む規制緩和、
自由貿易といった構造改革は正当性を
失います。
さらには、防衛力を強化し、
「アメリカとの対等なパートナーシップ」
の下で、中国共産党に対抗。
アジアの軍事バランス維持が実現できます。
(アメリカの属国の立場の解消は、
 短期的には著しく困難です)
財務省は経済界、マスコミ、経済学者を活用し、
財政破綻論を展開してきます。
とはいえ、最悪の毒針たるPB目標の破棄は、
世論の後押しがなかったとしても可能なのです。
何しろ、必要なのは閣議決定のみです。
というわけで、短期的に日本国民は
「扇の要」の役割を果たしている
緊縮財政の打破、具体的には
PB目標破棄の閣議決定を目指すべきです。
無論、容易い目標ではないのですが、
「他」はPB目標破棄以上に難しいのです。
残念ながら、「これ」が現在の我々が
置かれている状況ということです。

https://38news.jp/default/15381
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/479.html#c1

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
15. 中川隆[-13721] koaQ7Jey 2020年2月17日 16:21:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-301]
2020年2月17日
【三橋貴明】緊縮財政という扇の要


【今週のNewsピックアップ】
緊縮財政という「扇の要」(前編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12574773141.html

緊縮財政という「扇の要」(中編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12575009553.html

緊縮財政という「扇の要」(後編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12575237311.html


日本国民を苦しめ、食い物とし、我が国の「経世済民」を妨害している「グループ」は、複数あります。
(政治的なパワーが大きそうな順番に 書いてみます)

1.アメリカ合衆国
2.中国共産党
3.財務省
4.レントシーカー(グローバリスト)
5.経済界
6.マスコミ
7.経済学者(主流派)


日本では、政権が上記の「グループ」に逆らわなければ「長期政権」になります。
緊縮財政を始めた橋本内閣、構造改革を本格化させた小泉内閣、そして構造改革を
「完成」させようとしている安倍内閣。全てがそうです。
(橋本政権は選挙で負け、崩壊したため、 残りの二つほど長くはなりませんでしたが)

アメリカと中国が「覇権戦争」を繰り広げている状況で、日本は「アメリカ様」が望む構造改革を進めつつ、同時に経済界の要望もあり「媚中路線」を歩んでいます。

新型コロナウイルスの脅威がここまで高まったにも関わらず、未だに中国全土に
対する入国規制をかけない。

茂木敏充外相は、2月10日の記者会見で、習近平の国賓来日について、
「現時点では予定通り。 準備を粛々と進めていきたい」と答えています。

我が国の場合、元首級である国賓が来日した際には、天皇陛下がもてなす
最上級の歓迎となります。
この状況で、習近平を国賓で招く・・・。

もっとも、安倍政権が政権を維持したいならば、アメリカや中国に媚びへつらい、
財務省やレントシーカー(竹中平蔵氏など)、経団連の要望を訊き、マスコミを活用して支持率を維持しなければなりません。

まさに、その通りのことをした結果、安倍政権は長期政権になったのです。

そして、特に影響力が強烈な上位四つの内、実は最も「手ごわくない」のが
財務省なのです。

何しろ、現在は財務省をはじめ高級官僚の人事権を内閣官房が握っています。
政権が本気になれば、緊縮財政の転換は可能です。

(代わりに、政権にスキャンダルが 頻発することになると思いますが)

そもそも、現在の緊縮財政(プライマリーバランス黒字化目標)は閣議決定により決められています。
ということは、閣議決定で廃することも可能です。
財政法四条や五条、財務省設置法三条は、国会での議決が必要です。ところが、
PB目標の破棄は閣議決定のみなのです。
そして、財務省の緊縮財政を潰し、
デフレ脱却を果たせれば、
4のレントシーカーが望む規制緩和、
自由貿易といった構造改革は正当性を
失います。
さらには、防衛力を強化し、
「アメリカとの対等なパートナーシップ」
の下で、中国共産党に対抗。
アジアの軍事バランス維持が実現できます。
(アメリカの属国の立場の解消は、
 短期的には著しく困難です)
財務省は経済界、マスコミ、経済学者を活用し、
財政破綻論を展開してきます。
とはいえ、最悪の毒針たるPB目標の破棄は、
世論の後押しがなかったとしても可能なのです。
何しろ、必要なのは閣議決定のみです。
というわけで、短期的に日本国民は
「扇の要」の役割を果たしている
緊縮財政の打破、具体的には
PB目標破棄の閣議決定を目指すべきです。
無論、容易い目標ではないのですが、
「他」はPB目標破棄以上に難しいのです。
残念ながら、「これ」が現在の我々が
置かれている状況ということです。

https://38news.jp/default/15381
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c15

[近代史3] 人類進化史 中川隆
39. 中川隆[-13720] koaQ7Jey 2020年2月17日 16:42:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-300]
2020年02月17日
門脇誠二「現生人類の出アフリカと西アジアでの出来事」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_38.html


 朝日選書の一冊として朝日新聞出版より2020年2月に刊行された

西秋良宏『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』
https://www.amazon.co.jp/アフリカからアジアへ-現生人類はどう拡散したか-朝日選書-西秋良宏/dp/4022630949/ref=sr_1_1?qid=1581925286&s=books&sr=1-1&text=%E8%A5%BF%E7%A7%8B%E8%89%AF%E5%AE%8F


所収の論文です。本論文は、現生人類(Homo sapiens)がアフリカからアジア西部へと拡散した頃の考古記録を取り上げています。アジア西部は、アフリカ起源の現生人類がアフリカ外へと最初に拡散した地域で、現生人類とは異なる系統のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の遺骸も発見されているため、遺伝的・文化的な両者の相互作用という観点からも大いに注目されています。

 アジア西部で最古となる現生人類候補の化石はレヴァントで発見されており、年代は19万〜18万年前頃ですが(関連記事)、現時点で発見されているネアンデルタール人遺骸はこれよりも後となります。ネアンデルタール人遺骸はレヴァントで7万〜5万年前頃にも確認されており、現生人類が一度拡散した地域に後からネアンデルタール人が再度拡散してきた事例は、現時点で化石記録ではアジア西部、とくにレヴァントだけです。本論文は、アジア西部にネアンデルタール人が拡散してきた時、現生人類がレヴァントにいなかった(アフリカへ撤退もしくは絶滅)可能性と、共存していた可能性を提示しています。レヴァントではイスラエルのマノット洞窟(Manot Cave)55000年前頃の現生人類遺骸が発見されており(関連記事)、この頃にネアンデルタール人と現生人類が交雑したと推測されているだけに、注目されます。5万年前頃以降になると、アジア西部で明確なネアンデルタール人遺骸は発見されておらず、現生人類遺骸のみが確認されていることから、アジア西部のネアンデルタール人は絶滅し、現生人類のみが人口を増加させ、アジア西部に定着した、と考えられます。

 現生人類のアフリカからアジア西部への拡散については、気候変動との関連が指摘されています。13万〜7万年前頃となる洋酸素同位体ステージ(MIS)5には何度か、アフリカ北部からアラビア半島にかけての広大な砂漠地帯も「緑化」したと明らかになっており、サハラ砂漠以南のアフリカと類似した気候になったことから、現生人類がアフリカから拡散したのではないか、と考えられます。類似した環境では行動や技術が大きく変わる必要なく、じっさい、この時期のアラビア半島のジェベルフアヤ(Jebel Faya)遺跡C層やドファール地域の石器は、同時代のアフリカ東部から北東部の石器と形態や製作技術が似ている、と指摘されています(関連記事)。具体的には、両面加工の木葉形の石器やヌビア型ルヴァロワ(Levallois)方式と分類される剥片石器です。

 一方レヴァントではタブン(Tabun)C型というレヴァント独自の石器技術が見られるものの、同時代のアフリカ北東部で流行していたヌビア型との類似性を指摘する見解もあります。当時のレヴァントは、湿潤化したアラビア半島とは気候変動パターンが異なり比較的乾燥しており、石器技術はその違いを反映しているかもしれない、と本論文は指摘します。本論文は、アラビア半島からレヴァントにかけて拡散した初期現生人類集団は、ずっと安定した好適環境にいたわけではなく、しばしば生じた気候変動に応じて再移動したり技術を変えたりする必要があり、また集団構造による文化伝達の相違も技術変化の要因だったかもしれない、と指摘します。

 このように中部旧石器時代前期〜中期にかけて現生人類がアジア西部へと初めて拡散しますが、中部旧石器時代後期にはネアンデルタール人が増加し、現生人類は減少したと考えられています。ネアンデルタール人はヨーロッパで進化史、アジア西部へと南下してきたようです。MIS4に地球規模の寒冷化があり、アフリカやアジア西部よりも高緯度のヨーロッパではその影響が強かったでしょうから、ネアンデルタール人は南下してきたのではないか、というわけです。そのため、アジア西部における現生人類の分布は縮小したと考えられるものの、アフリカではネアンデルタール人遺骸は発見されていないので、ネアンデルタール人の南下はアジア西部のどこかで止まったはずです。本論文は、当時アラビア半島からアフリカ北部にかけては寒冷化の影響で乾燥帯が広がっていた一方で、レヴァントは死海堆積物の分析から比較的湿潤だったと明らかになっているので、乾燥帯がネアンデルタール人の南下の障壁になった、と推測しています。一方、アジア西部における現生人類の分布が縮小したのは、気候変動とネアンデルタール人の侵入の両方が関わっており、現生人類はナイル川流域やアラビア半島南西部やレヴァントといった退避地にのみ分布していた可能性がある、と本論文は指摘します。当時レヴァントでは、ネアンデルタール人と現生人類が遭遇した可能性も充分あった、というわけです。

 当時、ネアンデルタール人も現生人類もルヴァロワ方式を用いて石器を製作していました。ルヴァロワ方式では大きく定形的な剥片を製作できますが、レヴァント地方のルヴァロワ方式の特徴は、三角形のポイントが多いことです。食性についても、ネアンデルタール人と現生人類の間で大きな違いはなかったようで、ともに主要な狩猟対象は、オーロクスやアカシカといった大型有蹄類の他は、ノロジカやダマジカやロバやガゼルなどの小型有蹄類でした。また、捕まえやすいカメやトカゲなどの小動物も利用され、海岸部の遺跡では貝を食べていた痕跡も確認されています。有蹄類の狩猟では、身体の大きい成獣が主要な標的とされていました。植物では、マメ類が利用されています。埋葬もレヴァントのネアンデルタール人と現生人類の両方で見られ、またともに動物の角や骨といった副葬品を伴う場合もあります。

 このように、中部旧石器時代のレヴァントにおけるネアンデルタール人と現生人類の行動様式には共通点が多く見られますが、違いの一つは貝製ビーズの利用で、現時点ではスフール(Skhul)およびカフゼー(Qafzeh)という現生人類の洞窟遺跡でしか見つかっていません。これをネアンデルタール人と現生人類の象徴能力の差と考える見解もありますが、同時代のヨーロッパのネアンデルタール人が装飾品を残した事例も確認されており(関連記事)、本論文は、中部旧石器時代の現生人類とネアンデルタール人の行動様式は、違いよりも共通点の方が多かった、と推測しています。

 このように、アジア西部では10万年以上にわたってネアンデルタール人と現生人類とが共存していた可能性もありますが、最終的にはネアンデルタール人は消滅しました。レヴァントにおける最後のネアンデルタール人遺骸の年代は、現時点では5万年前頃です。上述のようにイスラエルのマノット洞窟では55000年前頃の現生人類遺骸が発見されているので、アジア西部においてネアンデルタール人が消滅した頃、現生人類が存在していたとしても不思議ではありません。ネアンデルタール人の消滅と現生人類の運命を分けた要因は、高い関心を集めています。本論文はまず、ネアンデルタール人および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の共通祖先系統が現生人類系統と50万年以上前に分岐して以降、ネアンデルタール人とデニソワ人の系統は人口が減少し続けたと推定されている(関連記事)、という長期的な人口動向を指摘します。アジア西部でのネアンデルタール人の消滅も長期的な人口減少の結末だった、というわけです。ただ、この長期的な人口史については、異論も提示されています(関連記事)。

 また本論文は、現生人類の方も20万年前頃から5万〜4万年前頃にかけて個体数が減少しており、それは非アフリカ系集団において強く認められる一方で、この時期に世界中に現生人類が拡散していったことに注目しています。そのため本論文は、当時のユーラシアでは現生人類にとってもデニソワ人やネアンデルタール人のような古代型ホモ属にとっても個体数の維持は難しく、それは、気候変動による資源環境の変化や、拡散先での新たな環境への対応や、拡散のために集団が細分化したことなどが背景にあるのではないか、と推測しています。長期的な人口減少が現生人類にも古代型ホモ属にも見られ、そのピークが5万〜4万年前頃だったとすると、古代型ホモ属は「絶滅」に至り、現生人類は「ボトルネック(瓶首効果)」ですんだおかげで現代も存続している、と本論文は指摘します。

 本論文は5万〜4万年前頃に現生人類と古代型ホモ属で運命が分かれた理由を、考古学的に検証しています。ネアンデルタール人が消滅した5万年前頃のアジア西部では、ハインリッヒイベント(HE)5による大規模な寒冷化が明らかになっています。これをネアンデルタール人消滅の要因とする見解もありますが、実際にどの程度生物相に影響を与えたかについては、論争が続いています。たとえば、アジア西部における最後のネアンデルタール人遺骸が発見されているイスラエル北部のアムッド洞窟(Amud Cave)では、5万年前頃になっても小動物骨の構成に大きな変化はなく、シリアのデデリエ(Dederiyeh)洞窟では、乾燥化したのではなく、逆に湿潤化したと解釈されるような証拠も見つかっています。ただ、イスラエル北部のケバラ(Kebara)洞窟では、ネアンデルタール人と関連している層で新しくなるほど、大型有蹄類の比率が減少し、小型有蹄類でも若齢個体の比率が増加しており、頭蓋比率の減少から狩猟場が遠くなったと推測されていることから、気候変動による動物資源の変化が指摘されています。ただ、長年の狩猟により動物資源が枯渇した可能性も提示されています。現時点では、ネアンデルタール人が絶滅した頃のレヴァントの気候や資源環境について、まだ合意は形成されていないようです。

 アジア西部でネアンデルタール人が消滅した頃、上部旧石器時代が始まります。この大きな考古記録の変化に伴い、ネアンデルタール人の遺骸は発見されなくなり、現生人類遺骸のみが発見されるので、上部旧石器文化の担い手は現生人類のみと考えられています。ヨーロッパやアジア北部では、中部旧石器が古代型ホモ属、上部旧石器が現生人類と考えられてきましたが、アジア西部では中部旧石器文化の担い手がネアンデルタール人と現生人類の両方だったので、この図式は当てはまりません。

 この大きな文化変化は、石器に関しては石刃の増加により示されます。レヴァントでは、中部旧石器時代には20%程度だった石刃が、上部旧石器時代初期には40%、それに続く4万年前頃以降の上部旧石器時代前期には60%程度まで増加します。また、上部旧石器時代初期から前期にかけて、石刃のサイズが減少していく傾向にあります。小型の石刃は小石刃と呼ばれています。石刃はそのままでナイフとして用いられますが、さらに加工して定形的な道具が作られることもあります。上部旧石器時代で特徴的なのは、動物の皮をなめす掻器(エンドスクレーパー)や骨などに溝を掘る彫刻刀型石器(ビュラン)です。また、石刃の先端部を尖らせて作られる尖頭器も増加し、小石刃から作られる小型尖頭器も顕著に増えます。

 中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけてのこうした石器形態や製作技術の変化の意義は、まだ明らかになっていません。皮をなめす道具(サイドスクレーパー)もビュランも中部旧石器時代にありました。小型尖頭器に関しては、投槍などの射的武器の先端に装着して新たな狩猟法をもたらし、現生人類の人口増加の一因になった、との見解も提示されています。ただ本論文は、小型尖頭器の出現は上部旧石器時代前期になってからなので、ネアンデルタール人の消滅とは関係ないだろう、と指摘します。また、石刃生産への集約は石材をより効率的に消費できる、と以前は指摘されていましたが、最近の研究では、石刃技術でも刃部の獲得効率が上昇するとは限らないと明らかになっており、石刃技術が現生人類の生存とその後の繁栄に役立ったのか、まだ確証は得られていないようです。

 中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけての行動変化のもう一つの指標は動物資源の利用です。中部旧石器時代と比較して上部旧石器時代には、より広範な種類の小型動物が利用されるようになります。たとえば、ウサギやリスや鳥や魚です。これらの小型動物は、カメなどと比較して捕獲に工夫が必要で、1個体あたりの可食部も限られているので、捕獲コストに対する収率という観点から「低ランク資源」と呼ばれています。低ランク資源の利用は、上述のケバラ洞窟の事例で示されるように、すでに中部旧石器時代後期には進行していた、とも指摘されています。

 上部旧石器時代には、貝殻製ビーズのような装飾品も増加しました。ただ、アジア西部でネアンデルタール人遺骸の発見されている中部旧石器時代後期の遺跡では、貝製ビーズの発見がまだ報告されていません。上述のようにこの頃には現生人類も共存していた可能性があるわけですが、貝製ビーズが見つからない理由はよく分かりません。上部旧石器時代には、レヴァントだけではなくヨーロッパなど広範な地域でビーズの利用が見られ、ビーズの形やサイズは類似していた、と指摘されています。ビーズは複数をつないで組み合わせ、多様なシグナルを創出するので、その形は均質であることが求められたのだろう、と本論文は推測しています。また、イベリア半島からレヴァントまでという広範な地域でのビーズの共通性は、ビーズ交換などを通じて築かれた社会ネットワークが、広範囲に連結した結果と解釈されています。狩猟採集民社会の互恵的な関係では、ネットワークへの参加により環境・社会的なリスクが軽減されたかもしれない、というわけです。

 上部旧石器時代における行動の変化に関しては、これらに加えて資源の収集範囲や居住移動パターンや居住空間構造などが指摘されてきましたが、それらが現生人類の存続とネアンデルタール人の消滅という結果の要因だったのか明らかではない、と本論文は指摘します。かつて、ユーラシア西部の上部旧石器時代やアフリカの後期石器時代に特徴的な考古記録は「現代人的行動」という概念でまとめられ、古代型ホモ属との違いが指摘されていました。しかし、現生人類の拡散・定着という観点から研究が進展すると、「現代人的行動」は地域により多様であることが明らかになってきました。たとえば、ユーラシア西部から北部の上部旧石器時代に特徴的な石刃小石刃は、アジア南東部やオセアニアではほとんど見られません。さらに、石刃や装飾品などの「現代人的行動」がネアンデルタール人でも確認されるようになってきました。

 一方、現生人類の起源地であるアフリカでさえも、「現代人的行動」の記録が一様に発達してきたわけではなく、地域によってはなかったり、一度生じても後で消えてしまったりするようなモザイク的な消長パターンである、と明らかになってきました(関連記事)。本論文は、5万〜4万年前頃に現生人類とネアンデルタール人は広範に分布しており、各集団が経験したボトルネックや絶滅の背景となる環境は多様だったと考えられる、と指摘します。じっさい、ネアンデルタール人と現生人類それぞれの内部での多様性と、両者の間の共通説も明らかになってきており、両者の運命を分けた要因について、特定の行動要素に一般化することは難しくなっている、と指摘します。

 現在では、現生人類が多様な環境に拡散して定着できた要因として、「変動する状況や環境に応じて革新を生み出す才能や柔軟性」や「技術の根底にある創意工夫の才や柔軟性」が挙げられています。本論文は、この抽象的な説明を具体化できるのが考古学である、と指摘します。まず、現生人類が拡散していった時期の考古記録の地理的変異を整理することで、その文化地理的パターンは自然環境に対応して説明できるかもしれませんし、そうでない場合は文化伝達プロセスなどが要因として考えられます。次に、現生人類の特徴的行動の発生プロセスを明らかにすることが挙げられています。本論文は、これらの研究を進めるには、まず考古記録の年代決定が重要になる、と指摘します。

 本論文は、その具体的事例として、レヴァントのヨルダン南部を取り上げています。ヨルダン南部は、旧石器時代には現在よりも湿潤だった時期もあるものの、それでも同時代のレヴァント北部と比較するとより乾燥していたようで、シカやイノシシなど森林性の動物遺骸は発見されていません。このように資源には制約のあったヨルダン南部ですが、旧石器時代の多くの遺跡が残っています。ヨルダン南部における中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけての石器の形態や製作技術の変化の大きな傾向として、ルヴァロワ方式から石刃の増加と、その後の石刃の小型化が指摘されています。石刃の増加と小型化は、現生人類が拡散・定着していった時期のユーラシア西部・中央部・北部で広範に見られる現象です。また、鳥などの小型動物の利用が増加し、装飾品が出現するのも特徴です。ヨルダン南部では上部旧石器時代に185km離れた地中海や55km離れた紅海の貝殻が見つかるようになりますが、そのほとんどは小型で食用とは考えられず、次第にビーズに加工されたものが増加していきます。これに関しては、ヨルダン南部の住民が海岸まで移動して集めてきた可能性と、社会的ネットワークを通じて海岸に近い集団から入手した可能性が指摘されています。


参考文献:
門脇誠二(2020)「現生人類の出アフリカと西アジアでの出来事」西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』(朝日新聞出版)第1章P7-52

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_38.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c39

[番外地7] アイヌ人の起源 中川隆
9. 中川隆[-13719] koaQ7Jey 2020年2月17日 17:03:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-299]

縄文人はアイヌ語を話していた、日本に1万年以上前に渡来した民族です。
日本人は紀元2世紀に chousen から渡来した民族です。

東北北部では古墳時代に縄文人の子孫と日本人が混血して蝦夷になりました。。
北海道では鎌倉時代に縄文人の子孫とオホーツク人と混血してアイヌ人になりました。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/416.html#c9

[番外地7] アイヌ人の起源 中川隆
10. 中川隆[-13718] koaQ7Jey 2020年2月17日 17:08:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-298]
縄文人はアイヌ語を話していた、日本に1万年以上前に渡来した民族です。
日本人は紀元2世紀に chousen から渡来した民族です。
東北北部では古墳時代に縄文人の子孫と日本人が混血して蝦夷になりました。。
北海道では鎌倉時代に縄文人の子孫とオホーツク人と混血してアイヌ人になりました。

蝦夷というのは古墳時代にオホーツク人が北海道まで南下して来た時に、押し出されて北海道の続縄文人が東北まで南下して来た時の東北原住民の名前です。現在、東北北部に沢山有るアイヌ語地名は蝦夷が残した地名です。 マタギの言葉もアイヌ語だし、恐山のイタコもアイヌのシャーマンですね。
現在の津軽半島の住民の遺伝子はアイヌ人と同じだとわかっています。


アイヌの祖先は擦文時代には鉄製農具を使って大規模農耕をしていましたが、和人から鉄製農具の輸出を禁じられて狩猟民に戻ったのです。 その時点で寒冷地に適したニヴフの狩猟文化を取り込んだので縄文時代からの文化伝統と乖離してニヴフに近い文化に変わっています。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/416.html#c10

[リバイバル3] 輸入肉を食べると癌になる 中川隆
16. 中川隆[-13717] koaQ7Jey 2020年2月17日 17:59:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-297]
約40年で消費量半分に 「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が 2020/02/17
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/約40年で消費量半分に-「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が/ar-BB104208?ocid=ientp



アメリカの精肉売り場では、「HRMONES FREE(肥育ホルモン剤不使用)」と表示された牛肉が人気(Getty Images)

 関税率の引き下げに伴い、米国産牛肉の輸入が増加している。消費者にとっては価格が安くなって有難いかもしれないが、その一方で米国産牛肉の多くは「肥育ホルモン剤」としてエストロゲンなどの女性ホルモンを投与されて育てられているという現実がある。

 家畜における合成肥育ホルモンの継続的な使用が安全であるかどうかについて、因果関係の立証は難しいが、EU諸国では肥育ホルモンを使用して育てた牛肉の輸入を一切認めていない。ボストン在住の内科医・大西睦子さんはこう語る。

「1970年代半ばから1980年代初めにかけて、プエルトリコなどで幼い女の子の乳房がふくらんだり、月経が起きるなど、性的に異常な発育が続出しました。その原因がアメリカ産の牛肉に残留した合成肥育ホルモン剤『ジエチルスチルペストロール』だとされたのです。そこで、アメリカでは1979年に、EC(現在のEUの前身)では1981年に使用が禁止されました。

 ただし、同種の合成女性ホルモンは使用され続けてきました。そこでヨーロッパでは家畜へのホルモン投与反対運動が起こった。1988年に使用の全面禁止、1989年には合成女性ホルモン剤を使用したアメリカ産の牛肉などが輸入禁止になりました。最近では、女性ホルモンを多く利用・服用すると乳がんが増えるという研究データもあり、ホルモン剤の使用はさらに疑問視されています」

 一方で、「アメリカ人も食べているわけだから大丈夫でしょう?」という素朴な疑問も浮かぶ。米国メディア日本特派員が話す。

「実は、アメリカ人も肥育ホルモン剤を使った牛肉を食べることを嫌って、どんどん“牛肉離れ”が進んでいるんです」

 アメリカの食事といえば、ワイルドなステーキなど牛肉なくして成り立たないイメージがあるが、それは古い感覚のようだ。

「たしかに、かつては牛肉はアメリカで最も多く消費されていた肉類でしたが、それは過去の話。1976年に牛肉が肉全体の年間消費量のおよそ半分を占め、1人あたり年間40kgほど食べていた。しかし、2018年になるとそれが肉全体に占める割合は2割を切り、1人あたり20kgほどしか食べなくなっているんです」(前出・特派員)
 たとえ牛肉を食べるにしても、選別が進んでいるようだ。

「アメリカでは牛肉に『オーガニック』とか『ホルモンフリー』と表示したものが売られていて、経済的に余裕のある人たちはそれを選んで買うのがもはや常識になっています。自分や家族が病気になっては大変ですからね。健康志向の人の中には、大豆など植物由来の『ダミービーフ』を使う人もいます」(ニューヨークで暮らす日本人商社マン)

 ホルモンフリーの商品は通常の牛肉より4割ほど高価になるのだが、これを扱う高級スーパーや飲食店が5年前くらいから急増しているそうだ。健康志向を持つ人や富裕層といわれるハイクラスのアメリカ人は、とっくに肥育ホルモンの使われた牛肉など口にしないのだ。

 ホルモンフリーの牛肉は高いが、体にいい肉を食べたいのは中産階級も同じ。昨年夏、日本にもある人気ファストフード店のバーガーキングが「インポッシブル・ワッパー」というメニューを発売し、全米で話題になったという。

「100%大豆由来の“ダミー肉”を使ったハンバーガーですが、値段は通常の牛肉のハンバーガーより1ドル高いだけ。味もよくて、知らずに食べたら気づかないレベルです。しかも、かじるとまるで血がしたたるようにジューシー。それでいて脂肪15%減、コレステロール90%減、というのがアメリカ人の胸に響いたようで、人気を集めています」(在米留学生)

 このような「植物由来のダミー肉」はアメリカ国内の3万店舗以上のスーパーマーケットで売られている。バーガーキングのように通常の肉と比べて値段は少ししか変わらないとあって、若者や中産階級にも充分手が届く価格なのが魅力だ。市場規模は急速に拡大を続け、今年中に52億ドルに達するといわれている。

「大学のクラスメートと話していても、オーガニックミートの話はよく出ます。私はベジタリアンではないし、乳製品も摂らないヴィーガンとも違うけれど、やっぱりこちらの生活では意識しないと肉食が多くなる。がんも怖いし、積極的に取り入れています。“安い牛肉を食べるのはダサい”みたいな風潮すらあります」(別の在米留学生)

 では、アメリカで大量に育てられているはずの肥育ホルモン入り牛肉はどこへ行くのだろうか――そう、ホルモン剤入り牛肉を食べさせられているのは日本人だ。耳を澄ませば、トランプ大統領の高笑いが聞こえてこないだろうか。まさに何も知らないのは、日本人だけなのだ。

「安くなった」と小躍りして子供たちにアメリカ産牛肉のステーキを食べさせている場合ではない。

※女性セブン2020年2月20日号

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/約40年で消費量半分に-「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が/ar-BB104208?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/733.html#c16

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
338. 中川隆[-13716] koaQ7Jey 2020年2月17日 18:00:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-296]
約40年で消費量半分に 「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が 2020/02/17
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/約40年で消費量半分に-「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が/ar-BB104208?ocid=ientp



アメリカの精肉売り場では、「HRMONES FREE(肥育ホルモン剤不使用)」と表示された牛肉が人気(Getty Images)

 関税率の引き下げに伴い、米国産牛肉の輸入が増加している。消費者にとっては価格が安くなって有難いかもしれないが、その一方で米国産牛肉の多くは「肥育ホルモン剤」としてエストロゲンなどの女性ホルモンを投与されて育てられているという現実がある。

 家畜における合成肥育ホルモンの継続的な使用が安全であるかどうかについて、因果関係の立証は難しいが、EU諸国では肥育ホルモンを使用して育てた牛肉の輸入を一切認めていない。ボストン在住の内科医・大西睦子さんはこう語る。

「1970年代半ばから1980年代初めにかけて、プエルトリコなどで幼い女の子の乳房がふくらんだり、月経が起きるなど、性的に異常な発育が続出しました。その原因がアメリカ産の牛肉に残留した合成肥育ホルモン剤『ジエチルスチルペストロール』だとされたのです。そこで、アメリカでは1979年に、EC(現在のEUの前身)では1981年に使用が禁止されました。

 ただし、同種の合成女性ホルモンは使用され続けてきました。そこでヨーロッパでは家畜へのホルモン投与反対運動が起こった。1988年に使用の全面禁止、1989年には合成女性ホルモン剤を使用したアメリカ産の牛肉などが輸入禁止になりました。最近では、女性ホルモンを多く利用・服用すると乳がんが増えるという研究データもあり、ホルモン剤の使用はさらに疑問視されています」

 一方で、「アメリカ人も食べているわけだから大丈夫でしょう?」という素朴な疑問も浮かぶ。米国メディア日本特派員が話す。

「実は、アメリカ人も肥育ホルモン剤を使った牛肉を食べることを嫌って、どんどん“牛肉離れ”が進んでいるんです」

 アメリカの食事といえば、ワイルドなステーキなど牛肉なくして成り立たないイメージがあるが、それは古い感覚のようだ。

「たしかに、かつては牛肉はアメリカで最も多く消費されていた肉類でしたが、それは過去の話。1976年に牛肉が肉全体の年間消費量のおよそ半分を占め、1人あたり年間40kgほど食べていた。しかし、2018年になるとそれが肉全体に占める割合は2割を切り、1人あたり20kgほどしか食べなくなっているんです」(前出・特派員)
 たとえ牛肉を食べるにしても、選別が進んでいるようだ。

「アメリカでは牛肉に『オーガニック』とか『ホルモンフリー』と表示したものが売られていて、経済的に余裕のある人たちはそれを選んで買うのがもはや常識になっています。自分や家族が病気になっては大変ですからね。健康志向の人の中には、大豆など植物由来の『ダミービーフ』を使う人もいます」(ニューヨークで暮らす日本人商社マン)

 ホルモンフリーの商品は通常の牛肉より4割ほど高価になるのだが、これを扱う高級スーパーや飲食店が5年前くらいから急増しているそうだ。健康志向を持つ人や富裕層といわれるハイクラスのアメリカ人は、とっくに肥育ホルモンの使われた牛肉など口にしないのだ。

 ホルモンフリーの牛肉は高いが、体にいい肉を食べたいのは中産階級も同じ。昨年夏、日本にもある人気ファストフード店のバーガーキングが「インポッシブル・ワッパー」というメニューを発売し、全米で話題になったという。

「100%大豆由来の“ダミー肉”を使ったハンバーガーですが、値段は通常の牛肉のハンバーガーより1ドル高いだけ。味もよくて、知らずに食べたら気づかないレベルです。しかも、かじるとまるで血がしたたるようにジューシー。それでいて脂肪15%減、コレステロール90%減、というのがアメリカ人の胸に響いたようで、人気を集めています」(在米留学生)

 このような「植物由来のダミー肉」はアメリカ国内の3万店舗以上のスーパーマーケットで売られている。バーガーキングのように通常の肉と比べて値段は少ししか変わらないとあって、若者や中産階級にも充分手が届く価格なのが魅力だ。市場規模は急速に拡大を続け、今年中に52億ドルに達するといわれている。

「大学のクラスメートと話していても、オーガニックミートの話はよく出ます。私はベジタリアンではないし、乳製品も摂らないヴィーガンとも違うけれど、やっぱりこちらの生活では意識しないと肉食が多くなる。がんも怖いし、積極的に取り入れています。“安い牛肉を食べるのはダサい”みたいな風潮すらあります」(別の在米留学生)

 では、アメリカで大量に育てられているはずの肥育ホルモン入り牛肉はどこへ行くのだろうか――そう、ホルモン剤入り牛肉を食べさせられているのは日本人だ。耳を澄ませば、トランプ大統領の高笑いが聞こえてこないだろうか。まさに何も知らないのは、日本人だけなのだ。

「安くなった」と小躍りして子供たちにアメリカ産牛肉のステーキを食べさせている場合ではない。

※女性セブン2020年2月20日号

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/約40年で消費量半分に-「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が/ar-BB104208?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c338

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
159. 中川隆[-13715] koaQ7Jey 2020年2月17日 18:01:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-295]
約40年で消費量半分に 「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が 2020/02/17
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/約40年で消費量半分に-「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が/ar-BB104208?ocid=ientp



アメリカの精肉売り場では、「HRMONES FREE(肥育ホルモン剤不使用)」と表示された牛肉が人気(Getty Images)

 関税率の引き下げに伴い、米国産牛肉の輸入が増加している。消費者にとっては価格が安くなって有難いかもしれないが、その一方で米国産牛肉の多くは「肥育ホルモン剤」としてエストロゲンなどの女性ホルモンを投与されて育てられているという現実がある。

 家畜における合成肥育ホルモンの継続的な使用が安全であるかどうかについて、因果関係の立証は難しいが、EU諸国では肥育ホルモンを使用して育てた牛肉の輸入を一切認めていない。ボストン在住の内科医・大西睦子さんはこう語る。

「1970年代半ばから1980年代初めにかけて、プエルトリコなどで幼い女の子の乳房がふくらんだり、月経が起きるなど、性的に異常な発育が続出しました。その原因がアメリカ産の牛肉に残留した合成肥育ホルモン剤『ジエチルスチルペストロール』だとされたのです。そこで、アメリカでは1979年に、EC(現在のEUの前身)では1981年に使用が禁止されました。

 ただし、同種の合成女性ホルモンは使用され続けてきました。そこでヨーロッパでは家畜へのホルモン投与反対運動が起こった。1988年に使用の全面禁止、1989年には合成女性ホルモン剤を使用したアメリカ産の牛肉などが輸入禁止になりました。最近では、女性ホルモンを多く利用・服用すると乳がんが増えるという研究データもあり、ホルモン剤の使用はさらに疑問視されています」

 一方で、「アメリカ人も食べているわけだから大丈夫でしょう?」という素朴な疑問も浮かぶ。米国メディア日本特派員が話す。

「実は、アメリカ人も肥育ホルモン剤を使った牛肉を食べることを嫌って、どんどん“牛肉離れ”が進んでいるんです」

 アメリカの食事といえば、ワイルドなステーキなど牛肉なくして成り立たないイメージがあるが、それは古い感覚のようだ。

「たしかに、かつては牛肉はアメリカで最も多く消費されていた肉類でしたが、それは過去の話。1976年に牛肉が肉全体の年間消費量のおよそ半分を占め、1人あたり年間40kgほど食べていた。しかし、2018年になるとそれが肉全体に占める割合は2割を切り、1人あたり20kgほどしか食べなくなっているんです」(前出・特派員)
 たとえ牛肉を食べるにしても、選別が進んでいるようだ。

「アメリカでは牛肉に『オーガニック』とか『ホルモンフリー』と表示したものが売られていて、経済的に余裕のある人たちはそれを選んで買うのがもはや常識になっています。自分や家族が病気になっては大変ですからね。健康志向の人の中には、大豆など植物由来の『ダミービーフ』を使う人もいます」(ニューヨークで暮らす日本人商社マン)

 ホルモンフリーの商品は通常の牛肉より4割ほど高価になるのだが、これを扱う高級スーパーや飲食店が5年前くらいから急増しているそうだ。健康志向を持つ人や富裕層といわれるハイクラスのアメリカ人は、とっくに肥育ホルモンの使われた牛肉など口にしないのだ。

 ホルモンフリーの牛肉は高いが、体にいい肉を食べたいのは中産階級も同じ。昨年夏、日本にもある人気ファストフード店のバーガーキングが「インポッシブル・ワッパー」というメニューを発売し、全米で話題になったという。

「100%大豆由来の“ダミー肉”を使ったハンバーガーですが、値段は通常の牛肉のハンバーガーより1ドル高いだけ。味もよくて、知らずに食べたら気づかないレベルです。しかも、かじるとまるで血がしたたるようにジューシー。それでいて脂肪15%減、コレステロール90%減、というのがアメリカ人の胸に響いたようで、人気を集めています」(在米留学生)

 このような「植物由来のダミー肉」はアメリカ国内の3万店舗以上のスーパーマーケットで売られている。バーガーキングのように通常の肉と比べて値段は少ししか変わらないとあって、若者や中産階級にも充分手が届く価格なのが魅力だ。市場規模は急速に拡大を続け、今年中に52億ドルに達するといわれている。

「大学のクラスメートと話していても、オーガニックミートの話はよく出ます。私はベジタリアンではないし、乳製品も摂らないヴィーガンとも違うけれど、やっぱりこちらの生活では意識しないと肉食が多くなる。がんも怖いし、積極的に取り入れています。“安い牛肉を食べるのはダサい”みたいな風潮すらあります」(別の在米留学生)

 では、アメリカで大量に育てられているはずの肥育ホルモン入り牛肉はどこへ行くのだろうか――そう、ホルモン剤入り牛肉を食べさせられているのは日本人だ。耳を澄ませば、トランプ大統領の高笑いが聞こえてこないだろうか。まさに何も知らないのは、日本人だけなのだ。

「安くなった」と小躍りして子供たちにアメリカ産牛肉のステーキを食べさせている場合ではない。

※女性セブン2020年2月20日号

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/約40年で消費量半分に-「アメリカ人の牛肉離れ」の背景に何が/ar-BB104208?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c159

[昼休み54] 原子力発電は本当に危険なのか? 中川隆
10. 中川隆[-13717] koaQ7Jey 2020年2月17日 20:05:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-296]
2020年02月17日
菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった


「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と言った枝野幸男

引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b5-6d/level4level4/folder/172944/49/29051549/img_0


福島原発の事故では菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していました。

菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました


あの日責任者達は何をしていたのか

2011年の福島原発事故ではメルトダウン(炉心溶融)の公表が発生から2ヶ月遅れ、政府が意図的に隠していたのが分かっている

東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が調査していました。

福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。


翌3月12日には建屋が次々に充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。

燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。

燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。


福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。

この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。

事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。


後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。

枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。

「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。

「炉心溶融」を禁止したのは菅直人

調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。

メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。

清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。


東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。

事故後の報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めた。

自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。


また地震直後には偵察機やヘリを離陸させ上空からの映像を撮影したが、これが大問題になった。

菅・枝野・北沢の3人は「自衛隊が命令なしに出動したのはクーデターだ!」と激怒して自衛隊の出動を禁じた。

そのせいで自衛隊は津波が襲ってくるのを知りながら活動できず、救助活動を始めたのはずっと後でした。


なお新潟地震や九州地震など他のすべての地震では、自衛隊は命令なしに出動するのが慣例になっていました。

なぜなら法律では県知事の出動要請を受けないと人命救助もできないが、それでは遅すぎるからです。

防衛大臣や総理大臣の命令を待っていても手遅れになるので、自衛隊は先回りをして出動後に許可を得ています。


3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。

だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。

清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。


枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は福島原発に関わるなと命令しました。

自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。

燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。


菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした

引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg

「なんだ、馬鹿野郎」

ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。

菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。

首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。


結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。

所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。

しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。


自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。

自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。

アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。


吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。

海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。

嘘だらけの閣僚達

その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。

菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。

だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。


だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。

要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。

こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。


空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。

だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。

果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。


だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。

最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。

その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。

なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。

http://www.thutmosev.com/archives/62021694.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html#c10

[番外地7] 中国は共産国家ではない
中国は共産国家ではない


ここの人は歴史認識が滅茶苦茶だね。
そもそも階級社会の中国が共産国家の訳ないんだけどね。
それから台湾は18世紀以降に中国人が侵略して乗っ取った国だから、蔡 英文自体が侵略者だよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/488.html

[近代史4] トランジスターアンプの世界 中川隆
2. 中川隆[-13716] koaQ7Jey 2020年2月17日 22:54:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-295]

オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/115.html#c2
[近代史4] 中川隆 _ アンティーク・オーディオ関係投稿リンク 中川隆
4. 中川隆[-13715] koaQ7Jey 2020年2月17日 22:56:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-294]
サブウーファー考
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/431.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/109.html#c4
[番外地7] 新型コロナウィルスの細菌兵器説

新型コロナウィルスの細菌兵器説

 2002年から03年にかけて流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)と同じように、今回の新型コロナウィルスによる肺炎でも東アジア系の人びと、特に漢民族が感染しやすく、重症化する傾向があると噂されている。

そこで、病気を引き起こしているコロナウィルスはアメリカが中国向けに開発した細菌兵器ではないかとささやかれてきた。こうした疑惑に中国政府は触れたがらないようだが、ロシア軍の専門家はそうした疑惑を指摘している。 2002年より前、問題のコロナウィルスが動物から人間へ感染することはなかったという。

2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ジョージ・W・ブッシュ政権が国内の収容所化と国外での侵略戦争を本格させた後、こうしたコロナウィルスは動物から人間へ移るようになったわけだ。 

9月11日の攻撃(9/11)はネオコンがホワイトハウスの主導権を握る切っ掛けにもなっようにも見える。国内の収容所化と国外での軍事侵略はネオコンの政策だが、軍事面の政策に関する青写真的な報告書が存在する。ネオコン系シンクタンクのPNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)が2000年に発表した「アメリカ国防の再構築」だ。 そのベースは1992年2月にDPG草案として国防総省で作成された世界制覇プラン。

当時国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心とするネオコンのグループが書き上げたことから、このプランはウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれる。 

DPG草案が作成されていた1991年12月にソ連が消滅しているが、このプランはアメリカが唯一の超大国になり、ロシアを含む旧ソ連圏がアメリカの属国になったという前提で立てられている。

ブッシュ政権が国連を軽視、単独行動に出るのはそのためだ。

SARSが流行している最中、2003年3月にアメリカ軍は属国軍を引き連れてイラクを先制攻撃した。 新型コロナウィルスの件ではアメリカ国防省の​DARPA​(国防高等研究計画局)やDTRA(国防脅威削減局)が注目されている。両機関は2018年からコロナウィルスのコウモリからヒトへの感染に関する研究を進めてきたからだ。


DARPAと関係の深いアメリカのデューク大学が中国の武漢大学と提携、2018年にデューク崑山大学を開設していることも注目されている。 ロシアはアメリカがロシアの周辺、つまりウクライナ、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアで細菌兵器の研究施設を建設していると批判してきた。 カザフスタンやキルギスタンは中国の周辺国でもあるが、それだけでなく、アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、そして日本にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在しているというが、​アメリカの関与を疑わせる事実はそれにとどまらない​という指摘がある。 

例えば、​「弱毒化されたコロナウィルス」に関するアメリカの特許​が2018年に認められている。特許を申請した​ピルブライト研究所の主要出資者​はWHO(世界保健機関)、EC(欧州委員会)、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金など。 

また、2019年3月にはカナダのNML(ナショナル細菌研究所)から中国へ非常に毒性の強いウィルスが秘密裏に運ばれ、中国当局から抗議され、7月にはそのNMLから中国人研究者が追い出される。 

10月にはジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターが世界経済フォーラムやビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金と共同でコロナウィルスの世界的流行のシミュレーションをするために集める。この会合にコロナウィルスによる病気と関係の深い中国人は招かれなかったが、アメリカ軍の幹部やネオコンが参加した。 

会合の翌日、軍事演習に参加するために300名のアメリカ軍将兵が武漢に到着、その2週間後にコロナウィルスの最初の感染が見つかる。新型コロナウィルスの潜伏期間は14日だ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/489.html

[番外地7] 新型コロナウィルスの細菌兵器説 中川隆
1. 中川隆[-13714] koaQ7Jey 2020年2月17日 23:23:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-293]

2020.02.14
米軍は細菌兵器の研究開発を進め、ロシアや中国の周辺に配備してきた


 細菌兵器を開発する一環として​アメリカ軍がロシア人や中国人のDNAを集めている​とロシア軍のイゴール・キリロフ少将は批判、同じ事が中国でも言われていた。キリロフ少将は​アメリカがロシアや中国の周辺に生物兵器を配備している​とも主張している。

 2013年夏頃、アメリカ軍がウクライナ東部にあるハルキーフやメレファで危険な病原体を研究する施設を建設しようとしていると問題になったことがあるが、その段階でウクライナには似た9つの施設が存在していた。キエフにおけるクーデター後に住民がロシアを選択したクリミアにあった施設は閉鎖されたと思われるが、11施設になっているようだ。

 すでに本ブログでも書いたことだが、​そうした施設はウクライナだけでなくアゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアにあった​。

 ​ウクライナの東部では2016年にキエフ軍が送り込んだ兵士が薬の効かないウィルス性の病気になり、20名以上が死亡した​と報道されたが、ハルキーフやメレファの施設から近いことから細菌兵器が漏れたのではないかという推測もある。

 アフリカ西部のギニアでは2013年12月からエボラ出血熱が広がりはじめ、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染、1万1323名が死亡(致死率:70から71%)、大きな騒動になった。

 その際、生物兵器を研究している学者が数年にわたってギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで活動していたと話題になっている。その学者が所属していたのは生物化学兵器を研究開発しているアメリカ軍のフォート・デトリック、そしてテュレーン大学だ。

 感染が問題になり始めた2014年7月、シエラレオネの健康公衆衛生省はテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出す。その研究が予防や治療が目的でないと判断したのだろう。

 このときは突如、有効な治療法が出現したことも話題になった。2014年8月に現地で治療していたふたりのアメリカ人、ナンシー・ライトボールとケント・ブラントリーが感染したのだが、アメリカへ運ばれて治療を受け、ふたりは回復している。ふたりはリーフバイオ社とデフィルス社が開発したZMappが投与されたほか、現地で回復した少女の血が輸血されたとされている。ZMappにしろ輸血にしろ、それが病気に対して有効だということをアメリカの関係者が知っていたなら、なぜアフリカ人に対しては使われなかったのかという疑問も出た。なお、後にZMappの効果には否定的な評価がなされている。

 9月になるとアメリカのバラク・オバマ大統領はナイジェリア、リベリア、シエラレオネへ3000名程度の部隊を派遣すると言い始める。「エボラとの戦争」ということなのだろうが、実際は資源絡みだと見られている。

 エボラ出血熱がスーダンやザイールで見つかったのは1978年のことだが、80年代の前半からこの病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘の研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで始まる。その中心にいた研究者がウーター・ベイソン。

 ベイソンは1985年にイギリスを訪問、デイビッド・ケリーという研究者に会うが、このケリーは2003年7月、つまりアメリカ軍が従属国の軍隊を引き連れてイラクを先制攻撃した4カ月後に死亡している。

 アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権はイラク侵略を正当化するためにフェイク・ニュースを広めていたが、その際にイギリスのトニー・ブレア政権はフェイク・ニュースを本当らしく見せるために改竄文書を作成している。その事実をBBCのアンドリュー・ギリガン記者に知らせたのがケリーだった可能性が高い。

 手首を切っての「自殺」だとされているが、それにしては出血が少なく、心臓の活動が停止した後に切ったと疑いが強い。死の直前、イギリスの治安機関MI5がケリーからベイソンの件で話を聞いたともいう。なお、事実を国民に伝えたBBCはブレア政権から激しく攻撃された。執行役員会会長とBBC会長は辞任に追い込まれ、ギリガンもBBCを離れることになる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002130000/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/489.html#c1

[番外地7] アイヌ人の起源 中川隆
11. 中川隆[-13713] koaQ7Jey 2020年2月18日 05:54:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-292]
『有名人のハプログループ』というのは、東山天皇のY-DNAが縄文人と同じだというソースが存在しないデマを拡散している、ネトウヨのやっている悪名高いデマサイトです。 アイヌ人のY-DNAの D1 は縄文人と同じタイプですが、日本人の D1a2a(旧D1b1) は縄文人の タイプ D1a2b とは違います、つまり日本人は縄文人の子孫ではありません:

2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/416.html#c11

[番外地7] チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない、民族ですらない 中川隆
2. 中川隆[-13712] koaQ7Jey 2020年2月18日 05:55:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-291]
『有名人のハプログループ』というのは、東山天皇のY-DNAが縄文人と同じだというソースが存在しないデマを拡散している、ネトウヨのやっている悪名高いデマサイトです。 アイヌ人のY-DNAの D1 は縄文人と同じタイプですが、日本人の D1a2a(旧D1b1) は縄文人の タイプ D1a2b とは違います、つまり日本人は縄文人の子孫ではありません:

2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/487.html#c2

[番外地7] 日本人は北海道の侵略者 中川隆
2. 中川隆[-13711] koaQ7Jey 2020年2月18日 05:56:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-290]
『有名人のハプログループ』というのは、東山天皇のY-DNAが縄文人と同じだというソースが存在しないデマを拡散している、ネトウヨのやっている悪名高いデマサイトです。 アイヌ人のY-DNAの D1 は縄文人と同じタイプですが、日本人の D1a2a(旧D1b1) は縄文人の タイプ D1a2b とは違います、つまり日本人は縄文人の子孫ではありません:

2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/450.html#c2

[番外地7] 蝦夷の起源 中川隆
1. 中川隆[-13710] koaQ7Jey 2020年2月18日 05:57:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-289]
『有名人のハプログループ』というのは、東山天皇のY-DNAが縄文人と同じだというソースが存在しないデマを拡散している、ネトウヨのやっている悪名高いデマサイトです。 アイヌ人のY-DNAの D1 は縄文人と同じタイプですが、日本人の D1a2a(旧D1b1) は縄文人の タイプ D1a2b とは違います、つまり日本人は縄文人の子孫ではありません:

2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/482.html#c1

[番外地7] 縄文人は日本人の先祖ではない 中川隆
1. 中川隆[-13709] koaQ7Jey 2020年2月18日 05:58:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-288]
『有名人のハプログループ』というのは、東山天皇のY-DNAが縄文人と同じだというソースが存在しないデマを拡散している、ネトウヨのやっている悪名高いデマサイトです。 アイヌ人のY-DNAの D1 は縄文人と同じタイプですが、日本人の D1a2a(旧D1b1) は縄文人の タイプ D1a2b とは違います、つまり日本人は縄文人の子孫ではありません:

2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/428.html#c1

[番外地7] アイヌ人の起源 中川隆
12. 中川隆[-13708] koaQ7Jey 2020年2月18日 06:13:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-287]
2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html

そもそも、アイヌ人の核DNA は縄文人の核DNAと70%が同じだとわかっているので、アイヌ人が縄文人の直系の子孫だというのは間違いありません。
日本人の核DNA は縄文人の核DNAと12%しか共通しないので、日本人は縄文人の子孫ではありません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/416.html#c12

[番外地7] チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない、民族ですらない 中川隆
3. 中川隆[-13707] koaQ7Jey 2020年2月18日 06:14:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-286]
2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html

そもそも、アイヌ人の核DNA は縄文人の核DNAと70%が同じだとわかっているので、アイヌ人が縄文人の直系の子孫だというのは間違いありません。
日本人の核DNA は縄文人の核DNAと12%しか共通しないので、日本人は縄文人の子孫ではありません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/487.html#c3

[番外地7] 蝦夷の起源 中川隆
2. 中川隆[-13706] koaQ7Jey 2020年2月18日 06:14:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-285]
2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html

そもそも、アイヌ人の核DNA は縄文人の核DNAと70%が同じだとわかっているので、アイヌ人が縄文人の直系の子孫だというのは間違いありません。
日本人の核DNA は縄文人の核DNAと12%しか共通しないので、日本人は縄文人の子孫ではありません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/482.html#c2

[番外地7] 縄文人は日本人の先祖ではない 中川隆
2. 中川隆[-13705] koaQ7Jey 2020年2月18日 06:15:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-284]
2019年09月09日
Y染色体ハプログループDの改訂

2019年6月19日に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂しました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派の YHg- D1b1 が D1a2a に変更されています。「縄文人」で確認されている D1b2 は D1a2b に変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派の D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。

これは、現代日本人の D1a2a が弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。

現時点では、現代日本人の D1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html

そもそも、アイヌ人の核DNA は縄文人の核DNAと70%が同じだとわかっているので、アイヌ人が縄文人の直系の子孫だというのは間違いありません。
日本人の核DNA は縄文人の核DNAと12%しか共通しないので、日本人は縄文人の子孫ではありません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/428.html#c2

[リバイバル3] 高配当銘柄を買うとこういう目に遭う _ JT 日本たばこ産業 (2914) 中川隆
13. 中川隆[-13704] koaQ7Jey 2020年2月18日 06:49:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-283]

無煙たばこの発売相次ぐ 4月からの屋内禁煙で脚光と期待
2020年2月17日
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020021701002375.html


 日本たばこ産業(JT)と英ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)・ジャパンが、口に含んでニコチンを摂取するタイプの無煙たばこを相次いで発売した。4月の改正健康増進法の全面施行で屋内が原則禁煙となるため、各社は紙巻きたばこや加熱式たばこの代替製品として脚光を浴びると期待し、販売に力を入れている。

 こうした商品は「かぎたばこ」と呼ばれ、タバコの葉を包んだ袋を唇の裏に挟んで使用する。スウェーデンなどで愛好されており、灰や煙が出ないことから、改正健康増進法の全面施行後も屋内で使用できる。

(共同)


 無煙たばこの新商品。左二つが日本たばこ産業の「ゼロスタイル・スヌース」。右は英ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンの「VELO」


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/976.html#c13

[近代史3] プッチーニ オペラ 『ラ・ボエーム』
ジャコモ・プッチーニ オペラ『ラ・ボエーム』


カラヤン指揮 『プッチーニ ラ・ボエーム』


Puccini - La Boheme - Karajan Live - Pavarotti Freni - Salzburg 22-3-1975


Luciano Pavarotti, Rodolfo
Gianni Maffeo, Schaunard
Rolando Panerai, Marcello
Paolo Washington, Colline
Claudio Giombi, Benoit
Mirella Freni, Mimì
Renate Holm, Musetta
Saverio Porzano, Parpignol
Franco Calabrese, Alcindoro
Karl Caslavsky, Un Sergente
Gerhard Eder, Zollwächter
Johann Pipal, Obstverkäufer


Berliner Philharmoniker
Chordirektor - Walter Hagen - Groll
Dir: Herbert von Karajan
Salzburg - Großes Festspielhaus - 22-3-1975


▲△▽▼


Luciano Pavarotti - La Bohème Karajan Berliner Philharmoniker 1972




Mimí: Mirella Freni
Rodolfo: Luciano Pavarotti
Musetta: Elizabeth Harwood
Marcello: Rolando Panerai
Colline: Nicolai Ghiaurov
Schaunard: Gianni Maffeo


Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
ルチアーノ・パヴァロッティ、ミレッラ・フレーニ、ローランド・パネライ
DECCA。Blu-ray-Audio。1972年10月、ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。


この録音はDECCAがカラヤン指揮の“ベルリン・フィル”と録音した(しかもDGの録音会場たるイエス・キリスト教会での)唯一の録音である。歌手陣もこれ以上ないメンバーである。
http://classic.music.coocan.jp/opera/puccini/boheme.htm


▲△▽▼


プッチーニ:ラ・ボエーム (カラヤン, 1965年)【全曲・日本語字幕】



1965年4&5月 ミラノ・スカラ座


指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ミラノ・スカラ座管弦楽団


演出:フランコ・ゼッフィレッリ


ミミ:ミレッラ・フレーニ
ムゼッタ:アドリアーナ・マルティーノ
ロドルフォ:ジャンニ・ライモンディ
マルチェルロ:ローランド・パネライ
ショナール:ジャンニ・マッフェオ
コルリーネ:イヴォ・ヴィンコ
ブノア:カルロ・バディオリ


ミラノ・スカラ座合唱団


▲△▽▼
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ソプラノ歌手「ミレッラ・フレーニ」の訃報 2020年02月18日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af7bf3f5e1d77f3540001f3e47d5f3c5


つい先日の日経新聞に載っていたソプラノ歌手「ミレッラ・フレーニ」の訃報記事が目に留(と)まった。オペラファンとして残念なことだが84歳なら天寿を全うしたと言えるかもしれない。


ヴェルディ、プッチーニなど主にイタリア歌劇で活躍し「フレーニ抜きではスカラ座は成り立たない」と、専門誌に書かれていたのを見たことがあるほどの一時代を画した名歌手である。


彼女の十八番(おはこ)といえば、オペラ「ラ・ボエーム」(プッチーニ)の中で最も有名な曲として知られる「わたしの名はミミ」。


たしか収録されていたCDを持っていたはずだがと探してみたら、ありました。


第3トラックに収録されていたので、久しぶりにじっくり耳を澄まして聴いてみた。いかにも声量豊かで、大きな歌劇場向きの遠くまで届くような張りのある歌唱力というのが第一印象だった。


オーディオでいけばウェスタンの「555+ホーン」のような音ですかな(笑)。


彼女の声質はやはりドラマティックな場面でここぞとばかり朗々と謳いあげてくる「イタリア歌劇」に合っている気がした。


ちなみに、人生を狂わされてしまったほど大好きな「テバルディ」にも同じ曲があって、この際とばかり聴き比べてみた。


スピーカーは「AXIOM80」の2発入り!


溢れる涙を流さずに聴いてはいられない人生最高の至福の時間である(笑)。
その結果、「力強さ」では前者、「抒情性」では後者に軍配が上がった。


さて、フレーニの歌唱力は分かったが、ときに可憐さが求められるモーツァルトのオペラではどうなんだろう?


彼女がオペラ「魔笛」の王女役(パミーナ姫:ソプラノ)となって録音したCD盤があってもついぞ不思議はないが、これまで一度もお目にかかったことがない。


ほかのCD盤に「フィガロの結婚」第3幕から「スザンナは遠いのね・・・」が収録されていた。



やっぱり、モーツァルトにはちょっと声質が強すぎるかなあ・・・。


「困ったときは、とにかくその対象物を細分化せよ」ということわざがある。


そこで「ソプラノ」(女性の歌う高い方の声域)を細分化してみると、次のとおり。


✰ コロラトゥーラ・ソプラノ → 最も高いソプラノ(夜の女王役)


✰ スーブレット → 最も軽いソプラノ


✰ リリック(抒情的)・ソプラノ → その次に軽いソプラノ(パミーナ役)


✰ リリコ・スピント → その次に軽いソプラノ


✰ ドラマティック・ソプラノ → 最も重量級のソプラノ


(スーブレット以下の区分は、音色と音質の差であり、音域はあまり関係ない)


ひとくちにソプラノといっても、ご覧のとおりいろんな種類があるが結局、フレーニは「ドラマティック・ソプラノ」ということに尽きるようだ。


やはり、家庭のオーディオ・システムでひっそりと聴くにはもったいない、大きな舞台で実演で聴けば聴くほど光り輝く歌手だと思う。


長年、花形役をこなし、沢山の人たちに音楽を聴く喜びを与えたのだから声楽家冥利に尽きるのではあるまいか。


どうか安らかにお眠りください。合掌
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af7bf3f5e1d77f3540001f3e47d5f3c5


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『ラ・ボエーム』(La Bohème)は、ジャコモ・プッチーニの作曲した4幕オペラで、最もよく演奏されるイタリアオペラのひとつである。


作品の成立まで


物語はアンリ・ミュルジェールの小説・戯曲『ボヘミアン生活の情景』(1849年)からとられた。台本はジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカのコンビによる。プッチーニ自身の台本に対する注文が多く完成が難航したものの、短編の集積である原作の雰囲気をよく伝え、オペラ的な見せ場に富む出来映えとなった。
また登場人物、特にヒロインのミミはプッチーニ好みの役柄となった。


『道化師』の作曲家レオンカヴァッロも同時期に作曲を進めており、以後ふたりの仲は険悪となった。


初演は1896年2月1日、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮によりトリノ・レージョ劇場で行われた。初演はまずまずの成功をおさめ、批評家の不評はあったものの各地での再演の度に聴衆からの人気は次第に高まっていった。


配役と楽器編成


配役


ミミ、お針子(ソプラノ)
ムゼッタ、歌手(ソプラノ)
ロドルフォ、詩人(テノール)
マルチェッロ、画家(バリトン)
ショナール、音楽家(バリトン)
コッリーネ、哲学者(バス)
ブノア、家主(バス)
パルピニョール、行商人(テノール)
アルチンドロ、参議員(バス)
軍曹(バス)
税関吏(バス)
合唱:学生、仕立屋見習い、市民、店主、行商人、兵士、給仕、子ども、等々



楽器編成


木管楽器:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コーラングレ、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット2
金管楽器:ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、バス・トロンボーン(チンバッソ)
打楽器など:ティンパニ、グラス、トライアングル、小太鼓、大太鼓、シンバル、シロフォン、カリヨン(グロッケンシュピール)、鐘、ハープ
弦五部
舞台上でファイフ(ピッコロ)2(4人)、トランペット2(6人)、小太鼓(6人)


あらすじ


場所:パリ
時代: 1830年代


第1幕
パリにある、ボヘミアン仲間が暮らす屋根裏部屋。クリスマス・イヴ。


画家・マルチェッロと詩人・ロドルフォが火の気の無い部屋で仕事をしている。寒さに耐えかねてロドルフォが売れ残りの原稿を暖炉にくべる。「世界の損失だ」などと軽口をたたいていると哲学者コッリーネが帰ってきて、何も金になることがなかったとぼやく。そこへ音楽家ショナールが食料・薪・煙草などを運ぶ従者たちとともに意気揚々と入ってくる。ショナールはこれらをどうやって稼いだかを得意げに語るが、誰も耳を貸さず貪るように食料に飛び付く。しかし、ショナールはワイン以外は取り置いて、「今夜はクリスマス・イヴなのだから、皆でカフェ・モミュスに繰り出そう」と提案し、一同大賛成する。


そこへ家主のブノアが未払い家賃の催促にやってくる。ボヘミアンたちは家主にショナールの金を見せて安心させ、ワインをすすめておだてる。家主が酔った勢いで、妻があるにもかかわらず浮気をしていたことを語ると、一同憤慨したふりをして家主を部屋から追い出してしまう。


彼らは家賃になるはずの金をカフェ・モミュスでの飲食費として分けあう。皆出かけるが、ロドルフォは書きかけの原稿があるといって1人残って書きつづける。

そこに誰かがドアをノックする。お針子のミミがカンテラの火を借りに来たのだが、めまいを起こして床に倒れ込む。ロドルフォに介抱されて落ち着いたミミは火を借りて礼を言い、立ち去る。しかし、彼女は鍵を落としたといって戻ってくるが、戸口で風が火を吹き消してしまう。再度火を点けようと、近寄ったロドルフォの持つ火もまた風で消えてしまう。しかたなくふたりは暗闇で鍵を探す。


ロドルフォが先に見つけるが、彼はそれを隠しミミに近寄る。そして彼女の手を取り、はっとするミミに自分のことを詩人らしく語って聞かせる(「冷たい手を」)。


続いてミミも自己紹介をする(「私の名はミミ」)。


一向に降りてこないロドルフォを待ちかねた仲間が「まだか」と声をかける。ロドルフォは「今ふたりでいる、直ぐに追いつくから席を2人分取っておいてくれ」と言う。仲間たちは気を利かせて先に行くことにする。まだ愛を確認したいロドルフォだが、ミミが仲間と一緒に行きたいと言うので後を追ってパリの街に出かけることにする。ふたりの愛情のこもった二重唱で幕がおりる。


第2幕
カフェ・モミュス


クリスマスを祝う群衆で賑わう通りで、物売りが口々に声を張り上げている。ボヘミアン仲間はカフェに集まり食事を始める。ロドルフォはミミに帽子を贈る。そこにマルチェッロの元の恋人ムゼッタが金持ちのパトロンのアルチンドロとともにやってくる。


彼女は頻りにマルチェッロの気を引こうとする(「私が街をあるけば」)。


マルチェッロはそれを意地でも無視しようとするのでムゼッタはさらに誘惑を続け、アルチンドロはうろたえる。ついにムゼッタは靴がきつくて足が痛いと騒ぎ出し、アルチンドロを靴屋へ修理に行かせる。さきほどからムゼッタへの想いを絶ちきれずにいたマルチェッロと邪魔者がいなくなったムゼッタは互いに抱きあう。彼らは勘定を済ませようとするが、手持ちの資金が底をついている。ムゼッタは自分と彼らの支払いをアルチンドロに払わせることにする。そこへ帰営する軍隊の列が通りかかり、その見物の喧騒に紛れて逃げることにする。マルチェッロとコルリーネは片足はだしで歩けないムゼッタを抱え列の後を追い、周りで見ていた人々はその意気揚々とした姿を見て喝采を送る。その他の人々も列の後を追う。全員が立ち去った後アルチンドロが靴を持って戻りムゼッタを探す。ギャルソンが彼に勘定書きを手渡すと、アルチンドロはその額に驚き、そしてその場に誰もいないのを知って、その場で椅子に座り込み第2幕を閉じる。


第3幕
ダンフェール門の市外との関税所前。翌年2月。


明け方。衣服行商人が市内にやってくる。他にも様々な商人の行き来がある。居酒屋でムゼッタの歌声が聞こえる。ミミが登場し激しく咳き込み、居酒屋にマルチェッロを訪ねる。彼はここで看板を描いているという。


ミミはマルチェッロに、ロドルフォとの生活がうまくいかない悩みを打ち明ける。彼は嫉妬深く、自分に冷たいというのだ。ついにロドルフォは昨夜ミミを置いて家を出たという(「助けてマルチェッロ」)。


マルチェッロは、ロドルフォは宿屋で眠っていると答える。そこへロドルフォが目を覚まし、マルチェッロを探しに出てくるのでミミは隠れる。ロドルフォはミミのことを問うマルチェッロに、彼女の病気が重く、自分と暮らしていては助からないので別れなくてはならないと打ち開ける。


マルチェッロは陰で聞いているミミのことを案じ、彼を黙らせようとするが彼女はすでにロドルフォの話をすっかり聞いてしまう。彼女が泣きながら咳き込むのでロドルフォも彼女に気付き、心配しておおげさに言っただけだから心配ないと彼女を慰める。


居酒屋のムゼッタの嬌声を聞いてマルチェッロが店に駆け込む。彼は彼でムゼッタの奔放な性格に手こずっていたのだ。


ふたりきりになると、彼の配慮を感じたミミはロドルフォに別れを告げる。


以前住んでいた屋根裏部屋に戻ること、身の周りの細々したものを誰かに取りに行ってもらうことなどを淡々と語るが、「以前買ってもらったあの帽子だけは、良かったら私の思い出にとって置いて欲しい」と別れを言う(「あなたの愛の声に呼ばれて出た家に」)と、ロドルフォも彼女をいたわりつつ別れの言葉をかわす(「さらば甘い目覚めよ」)。


ふたりの歌に並行して、居酒屋から出てきたムゼッタとマルチェッロが激しく言い争って喧嘩別れして行く。ロドルフォとミミが第1幕最後の愛の言葉を交わす二重唱の一節を繰り返して幕が下りる。


第4幕
再び屋根裏部屋。数ヶ月後。


ロドルフォとマルチェッロが仕事をしているが、ふたりとも別れた恋人の事が思い出されて仕事にならない(「ああミミ、君はもう戻ってこない」)。


ショナールとコッリーネが食料を持って帰り、4人はいかにも豪勢な食事であるかのように芝居をしながら食べる。演技に興じて決闘のまねごとをしているところに、ムゼッタが血相を変えて賭け込んでくる。


ミミと戸口までいっしょに来たが彼女は今そこで倒れた、というのでロドルフォは急いで助けに行く。ムゼッタは金持ちの所で世話になっていたミミが、死ぬ前にひと目ロドルフォに会いたいというので連れて来たことを3人の仲間に語る。ミミはロドルフォ、仲間たちとの再会を喜ぶ。彼女をベッドに寝かせると、ムゼッタはミミの手を温めるためのマフを取りに、マルチェッロはムゼッタのアクセサリを売って薬を買うために揃って出て行く。


コッリーネは瀕死のミミのために自分の古着を質に入れようと、ショナールを誘って部屋を去る(「古い外套よ」)。


ふたりきりになると、ミミはロドルフォに話しかける(「みんな行ってしまったのね」)。


ロドルフォが例の帽子を見せるとミミは喜び、2人の出会いと幸せな暮らしのことを語りあう(「ああ、僕のミミ」)。


しかしミミは再び気を失い、ロドルフォが声を出すと外で様子をうかがっていたショナールたちが駆込んで来る。ミミは再び目覚め、ムゼッタが持ってきたマフで手が温まると喜ぶ。


そのまま眠りにつくミミの傍らでムゼッタは聖母マリアに祈る(ムゼッタの祈り)。


ショナールがふとミミを見ると彼女はすでに息絶えていた。そっと皆に知らせると、ロドルフォは周りのただならぬ様子に事態を察し、ミミの亡骸にすがりついて泣き臥す。さきほどのミミが歌ったモティーフをオーケストラが強奏で繰り返して幕となる。


ききどころ


プッチーニはワーグナーのライトモティーフの手法を取り入れ、各登場人物の性格を表す動機を活用している。以下に取り上げる曲でもこの手法が有効に用いられるものがある。


ロドルフォのアリア「冷たい手を」"Che gelida manina"


テノーレ・リリコの定番アリア。詩人ロドルフォの自己紹介である。「貧しいながらも詩作を通じて夢を求めている」と歌い、ミミに早くも心を奪われたと恋心を打ち明ける。


ミミのアリア「私の名はミミ」"Sì, mi chiamano Mimì"


これもソプラノ・リリコの代表的なアリア。「皆は私のことをミミと呼ぶけれど、本名はルチア。お針子をしていて、教会には余り行かないがいつも神様に祈っています。私の部屋は(屋根裏部屋なので)春の太陽を最初に見られるの」と語る。


ロドルフォとミミの二重唱「愛らしい乙女よ」"O soave fanciulla"



ムゼッタのワルツ「私が街をあるけば」 "Quando me'n vo soletta per la via"


ソプラノのコケティッシュな唄で、『カルメン』の歌う「ハバネラ」と同趣向の性格である。


ミミとマルチェッロの二重唱「助けてマルチェッロ」 "O buon Marcello, aiuto!"


ミミのアリア「あなたの愛の声に呼ばれて出た家に」 "Donde lieta uscì al tuo grido d'amore"


プッチーニのアリアは、しばしば語るような平坦な調子で始まる。この曲も最初の事務連絡的な部分から、「思い出の品を持っていて欲しい」と願って歌うミミの本心が現れた部分に掛けて、徐々に高まる感情を音楽が忠実に描く。そして最後に、本当は別れたくない思いを振りきるようにして、再び別れの言葉を歌って曲を終わる。非常に効果的な構成であり、この曲もしばしば単独でリサイタルの曲目にあがる。


ロドルフォとミミ、マルチェッロとムゼッタ「さらば甘い目覚めよ」 "Addio, dolce svegliare alla mattina!"


互いをいたわり合い、心ならずも別れる2人と、ものの弾みで言い争った挙句喧嘩別れしてしまう2人の、2組の恋人達の対比が印象的な曲である。原曲は1888年に自作の詩に作曲した歌曲「太陽と愛(朝の歌)」"Sole e amore(Mattinata)”である


ロドルフォとマルチェッロ「ああミミ、君はもう戻ってこない」 "O Mimì, tu più non torni"


コッリーネ「古い外套よ」 "Vecchia zimarra"


深刻なこの場面で、いくら貧乏でも外套に別れを告げるというのは一見場違いな印象も受ける。しかし、悲しみに満ちたこの歌は、詩人や画家ならぬ思索家としてのコッリーネが心からの思いやりを不器用かつ真面目に表明したと解すべきであろう。この歌の後奏は最後に再び登場してこのオペラ全体を締めくくる。


ミミ「みんな行ってしまったのね」 "Sono andati?" 〜ロドルフォ「ああ、僕のミミ」 "Ah, Mimì, mia bella Mimì!"


ミミは、2人きりになれるように眠った振りをしていたと言い、とても大事な事を伝えたい、それは大海より大きく深いもの:心からあなたを愛している!」と歌う。ロドルフォは感激してミミの美しさを称えると、ミミは「私の名はミミ」と初めて出会ったときのことを口にし、ふたりは幸福だったそのころを懐かしんで言葉を交わす。


ムゼッタの祈り


前2幕で享楽的な性格として描かれているムゼッタは、ここでは死を目前にしたミミを前に「たとえ私が許されなくとも、どうか彼女は天に召してください」と献身的に祈る。


このあと、ミミがひそかに息を引き取る場面ではホルンが低く吹き鳴らされるが、プッチーニは楽譜のこの場面にミミの死を象徴する髑髏の絵を書きつつ、かわいそうなミミと語ったという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラ・ボエーム_(プッチーニ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/907.html

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
26. 中川隆[-13703] koaQ7Jey 2020年2月18日 07:40:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-282]

プッチーニ オペラ 『ラ・ボエーム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/907.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c26
[番外地7] チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない、民族ですらない 中川隆
4. 中川隆[-13702] koaQ7Jey 2020年2月18日 09:01:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-281]
>船泊遺跡の人骨はD1a2b1。アイヌ人はD1a2*

D1a2* の * というのは詳細を書かないが、D1a2系統だという意味です。
D1a2b1 も D1a2* に含まれます。

わざわざ D1a2*=81.25、D1a2a1=6.25 と書いてあるという事は、
D1a2b1 =81.25、D1a2a1=6.25 という意味ですね。

即ち、現代アイヌ人の遺伝子の 81.25%は縄文系、6.25%が和人系、それ以外はオホーツク人系という事になります。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/487.html#c4

[番外地7] アイヌ人の起源 中川隆
13. 中川隆[-13701] koaQ7Jey 2020年2月18日 09:01:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-280]
>船泊遺跡の人骨はD1a2b1。アイヌ人はD1a2*

D1a2* の * というのは詳細を書かないが、D1a2系統だという意味です。
D1a2b1 も D1a2* に含まれます。

わざわざ D1a2*=81.25、D1a2a1=6.25 と書いてあるという事は、
D1a2b1 =81.25、D1a2a1=6.25 という意味ですね。

即ち、現代アイヌ人の遺伝子の 81.25%は縄文系、6.25%が和人系、それ以外はオホーツク人系という事になります。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/416.html#c13

[近代史3] プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』
ジャコモ・プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』



カラヤン指揮 『プッチーニ 蝶々夫人』




『蝶々夫人』(オペラ映画) ポネル演出
カラヤン&ウィーン・フィル、フレーニ、ドミンゴ




 蝶々さん(蝶々夫人)/ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
 ピンカートン(アメリカ合衆国海軍士官)/プラシド・ドミンゴ(テノール)
 スズキ(蝶々さんの召使)/クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
 シャープレス(長崎のアメリカ合衆国領事)/ロバート・カーンズ(バリトン)
 ゴロー(結婚周旋人)/ミシェル・セネシャル(テノール)
 僧侶(蝶々さんの叔父)/マリウス・リンツラー(バリトン)
 ケイト・ピンカートン/エルケ・シャリー(メッゾ・ソプラノ)
 ヤマドリ/ジョルジョ・ステンドロ(バリトン)
 ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)


 制作時期:1974年1月,9月ウィーン(音声)、1974年11月,12月ベルリン(映像)
 演出:ジャン=ピエール・ポネル
 装置:オットー・ピッシンガー
 映像監督:ヴォルフガング・トレウ


このオペラ映画は、1974年1月にカラヤンがデッカにおこなったセッション録音のピンカートン役を、ドミンゴが1974年9月に録音したテイクに差し替えた音源を使用して映像部分の制作がおこなわれたもので、奇抜なアイデアが盛り込まれたその映像内容は賛否両論でした。
 演出家のジャン=ピエール・ポネルは、生き生きとしたドラマ進行とシルエットやポーズの象徴的な表現で人気のあった人物で、ここでも奇抜な視覚要素を散りばめながらも、悲劇に向けての進行を鮮やかに描き出しています。
 冒頭、障子を突き破ってあらわれるTシャツ姿のドミンゴにはじまり、異様な様式化を施された日本家屋や、文字通り仰天せざるを得ない神官の登場シーンなど、日本人から見れば奇想天外もはなはだしい描写が連続する演出ではありますが、プッチーニ自身、別に民俗考証万全の台本に取り組んだ訳ではなく、これはこれでメルヘンとして、美しい音楽を活かす演出と言えるのかもしれません。
 実際、プッチーニ自身は『蝶々夫人』の音楽を、数ある自作の中でも特に気に入っていたと言いますが、カラヤン指揮する演奏の、ときに陶然とするばかりの耽美的なドラマ構築はそうした話を十分に裏付ける見事なものと言えると思います。(HMV)
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/1407270003/


カラヤン指揮ウィーン・フィル、ミレッラ・... 投稿日:2014/09/14
カラヤン指揮ウィーン・フィル、ミレッラ・フレーニ主演の『蝶々夫人』のアルバムは万人に薦めうる名盤なのだが、同時期に撮影された映画版のほうは、なんとも評価に困る、不思議な作品になってしまっている。


演奏はとにかく 素晴らしい。フレーニの可憐で叙情的な蝶々さん、パヴァロッティから交代したプラシド・ドミンゴの明朗で華やかなピンカートン、ルートヴィヒのいぶし銀のようなスズキ、そしてカラヤンによる流麗豪華な伴奏。


ただ、ジャン=ピエール・ポネルの演出がどうにも・・・・・ 時代設定は原作では幕末維新期だがこのポネル版では第一次大戦後ということになっている。
ピンカートンがTシャツでうろうろしているのもそのためなのだが、やや滑稽に写る。そして蝶々さんの顔だけを真っ白に丸く塗ったメイクとか、蝶々さんの住んでる家が日本のような中国のような朝鮮のような(そしてそのどれでもない)、なんちゃって東洋風みたいな意匠になってるのも脱力もの。


そして冒頭でいきなり登場するドミンゴ(ピンカートン)の障子破り脱出!!
これは衝撃的なラストシーンとつながっているのだが、まるでドリフのコントのようだ(笑)。


よくこれでカラヤンはOKしたなぁと思うが、イギリスの批評家リチャード・オズボーンはこのポネル版のことを「すべての感情が納得できる」「フレーニの演技はLP版より深く激しいように思われる」と絶賛していたりするので、日本人と西洋人とでは感じ方が違うのかなぁ。
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衝撃的な演出なので賛否の分かれるところで... 投稿日:2010/10/12 (火)


衝撃的な演出なので賛否の分かれるところでしょうが、この演出を見て、初めてピンカートン側の心情が理解できました。
彼には日本も蝶々さんも龍宮城のように現実感がなく夢のように素敵に思えていたのでしょう。そして、子供の存在によって現実を突き付けられ、逃げ出してしまうのです。
最後蝶々さんがピンカートンの目の前で自刃するという演出も初めてみましたが、これも正解だと思います。そうでなければ、わざわざ交換条件であんなことを言う必要はないのですから。
ポネルはやっぱりすごいです。いつでもそのオペラの本質を伝えてくれます。
https://www.hmv.co.jp/en/artist_プッチーニ-1858-1924_000000000019573/item_『蝶々夫人』全曲%EF%BC%88オペラ映画%EF%BC%89-ポネル演出、カラヤン%EF%BC%86ウィーン・フィル、フレーニ、ドミンゴ、他%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%97%EF%BC%94-ステレオ%EF%BC%89_1501210


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歌劇『蝶々夫人』 カラヤン&ウィーン・フィル フレーニ、パヴァロッティ





Cio-Cio San: Mirella Freni
Pinkerton: Luciano Pavarotti
Sharpless: Robert Kerns
Suzuki: Christa Ludwig
Goro: Michel Senechal
Il Commissario Imperiale :Hans Helm
Il Principe Yamadori: Giorgio Stendoro
Kate Pinkerton: Elke Schary
L'ufficale Del Registro: Siegfried Rudolf Frese
La Cugina: Martha Heigl
La Madre: Evamaria Hurdes
La Zia: Erna Maria Muhlberger
Lo Zio Bonzo: Marius Rintzler
Yakuside: Wolfgang Scheider


Herbert von Karajan: Wiener Philharmoniker 1974



ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル
ミレッラ・フレーニ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ロバート・カーンズ、クリスタ・ルートヴィヒ
DECCA。1974年1月、ゾフィエンザールでの録音。


2014年、パヴァロッティのデッカ50周年を記念しての2CD+Bluray Audio。
24bit-96kHzのリマスターの音をそのまま聴くと、ウィーン・フィルのものすごい音色に驚かされる。カラス盤のモノラルとは大違いのオケの雄弁さである。
それにしてもジャケットが十二単とは笑ってしまう。日本的なら時代考証無しでもOKなのか。
http://classic.music.coocan.jp/opera/puccini/butterfly.htm


パルパティーン皇帝 5つ星のうち5.0
決定的名盤 2014年3月11日
カラヤンは『蝶々夫人』を2度録音している(映像収録が1度)。
1度目は1955年のEMI録音で、主役はかのマリア・カラス。
全盛期のカラスの炎のような歌唱と、壮年期のカラヤンのシャープな指揮とが火花を散らすスリリングな内容だった。ただ、残念ながらモノーラル録音であったため、録音にこだわりを持つカラヤンは再録音を考えた。


1974年1月、ウィーンのゾフィエンザールで行われた2度目の録音は主役にカラヤンお気に入りのミレッラ・フレーニ、オケはウィーン・フィル、録音はデッカという万全の体制であった。そしてこの2度目の録音は『蝶々夫人』の決定的名盤として40年後の現在でも不動の地位を保っている。


とにかく歌手陣が豪華。蝶々さんの相手役ピンカートンにルチアーノ・パヴァロッティ、乳母スズキにクリスタ・ルートヴィヒというのだから。フレーニの可憐な蝶々さん、パヴァロッティの能天気だがチャーミングなピンカートン、ルートヴィヒの包容力あるスズキがそれぞれ非常に魅力的。プッチーニに絶対の自信を持つカラヤン指揮ウィーン・フィルの流麗で甘美な伴奏が興趣を盛り上げてゆく。


音質も抜群で、さすが録音自慢で知られたデッカだけのことはある。
大のカラヤン嫌いで知られる評論家の宇野功芳氏ですら絶賛した、名盤中の名盤である。
https://www.amazon.co.jp/プッチーニ-歌劇「蝶々夫人」全曲-カラヤン-ヘルベルト・フォン/product-reviews/B004Q84Y2C/ref=cm_cr_dp_d_show_all_btm?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews


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Puccini - Madama Butterfly / New Mastering + Presentation (Maria Callas - Century’s rec. : Karajan)




Butterfly : Maria Callas
Suzuki : Lucia Danieli
B.F. Pinkerton : Nicolai Gedda
Kate Pinkerton : Luisa Villa
Sharpless : Mario Borriello
Goro : Renato Ercolani
Yamadori : Mario Carlin
Bonzo : Plinio Clabassi
Commissario : Enrico Campi


Orchestra E Coro Del Teatro Alla Scala Di Milano
Chorus Master : Noberto Mola
Herbert Von Karajan
Recorded in 1955


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ミラノ・スカラ座
マリア・カラス、ニコライ・ゲッダ、マリオ・ボリエッロ
EMI。1955年モノラル録音。
カラスの演技力に期待して買ったが、ちょっとあてが外れた感じ。
カラヤンのステレオ録音はパヴァロッティ、LDはドミンゴなので買う気がしない。
http://classic.music.coocan.jp/opera/puccini/butterfly.htm



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ソプラノ歌手「ミレッラ・フレーニ」の訃報 2020年02月18日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af7bf3f5e1d77f3540001f3e47d5f3c5


つい先日の日経新聞に載っていたソプラノ歌手「ミレッラ・フレーニ」の訃報記事が目に留(と)まった。オペラファンとして残念なことだが84歳なら天寿を全うしたと言えるかもしれない。


ヴェルディ、プッチーニなど主にイタリア歌劇で活躍し「フレーニ抜きではスカラ座は成り立たない」と、専門誌に書かれていたのを見たことがあるほどの一時代を画した名歌手である。


彼女の十八番(おはこ)といえば、オペラ「ラ・ボエーム」(プッチーニ)の中で最も有名な曲として知られる「わたしの名はミミ」。


たしか収録されていたCDを持っていたはずだがと探してみたら、ありました。


第3トラックに収録されていたので、久しぶりにじっくり耳を澄まして聴いてみた。いかにも声量豊かで、大きな歌劇場向きの遠くまで届くような張りのある歌唱力というのが第一印象だった。


オーディオでいけばウェスタンの「555+ホーン」のような音ですかな(笑)。


彼女の声質はやはりドラマティックな場面でここぞとばかり朗々と謳いあげてくる「イタリア歌劇」に合っている気がした。


ちなみに、人生を狂わされてしまったほど大好きな「テバルディ」にも同じ曲があって、この際とばかり聴き比べてみた。


スピーカーは「AXIOM80」の2発入り!


溢れる涙を流さずに聴いてはいられない人生最高の至福の時間である(笑)。
その結果、「力強さ」では前者、「抒情性」では後者に軍配が上がった。


さて、フレーニの歌唱力は分かったが、ときに可憐さが求められるモーツァルトのオペラではどうなんだろう?


彼女がオペラ「魔笛」の王女役(パミーナ姫:ソプラノ)となって録音したCD盤があってもついぞ不思議はないが、これまで一度もお目にかかったことがない。


ほかのCD盤に「フィガロの結婚」第3幕から「スザンナは遠いのね・・・」が収録されていた。


やっぱり、モーツァルトにはちょっと声質が強すぎるかなあ・・・。


「困ったときは、とにかくその対象物を細分化せよ」ということわざがある。


そこで「ソプラノ」(女性の歌う高い方の声域)を細分化してみると、次のとおり。


✰ コロラトゥーラ・ソプラノ → 最も高いソプラノ(夜の女王役)


✰ スーブレット → 最も軽いソプラノ


✰ リリック(抒情的)・ソプラノ → その次に軽いソプラノ(パミーナ役)


✰ リリコ・スピント → その次に軽いソプラノ


✰ ドラマティック・ソプラノ → 最も重量級のソプラノ


(スーブレット以下の区分は、音色と音質の差であり、音域はあまり関係ない)


ひとくちにソプラノといっても、ご覧のとおりいろんな種類があるが結局、フレーニは「ドラマティック・ソプラノ」ということに尽きるようだ。


やはり、家庭のオーディオ・システムでひっそりと聴くにはもったいない、大きな舞台で実演で聴けば聴くほど光り輝く歌手だと思う。


長年、花形役をこなし、沢山の人たちに音楽を聴く喜びを与えたのだから声楽家冥利に尽きるのではあるまいか。


どうか安らかにお眠りください。合掌
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af7bf3f5e1d77f3540001f3e47d5f3c5



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プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」


 私は、はっきり言ってこの曲は駄作だと思う。
ところどころ出てくる日本の陳腐なメロディとアメリカ国歌の安っぽさは、どうにも我慢がならない。よって、「ある晴れた日に」と「さらば愛の家」とフィナーレだけ聴けば、あとはどうでもよい。
http://classic.music.coocan.jp/opera/puccini/butterfly.htm



『蝶々夫人』(Madama Butterfly)とは、プッチーニによって作曲された2幕もののオペラである。いわゆるプッチーニの「ご当地三部作」(あとの2作は「西部の娘」、「トゥーランドット」)の最初の作品である。


長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描く。物語は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアの弁護士ジョン・ルーサー・ロングが1898年にアメリカのセンチュリー・マガジン1月号に発表した短編小説(Madame Butterfly)」を原作にアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコが制作した戯曲を歌劇台本化したものである。1904年2月17日、ミラノのスカラ座で初演されたそれは大失敗だったが、同年5月28日ブレシアで上演された改訂版の成功以来、標準的なレパートリー作品となっている。


色彩的な管弦楽と旋律豊かな声楽部が調和した名作で、日本が舞台ということもあり、プッチーニの作品の中では特に日本人になじみ易い作品である。


特に第2幕のアリア「ある晴れた日に」は非常に有名である。
反面蝶々役の歌手にとっては終始出ずっぱり・歌のパートも長く多い(第二主役であるピンカートンの数倍に及ぶ)ため、また若く愛らしい娘の役であるにも拘らず、プッチーニのソプラノ諸役の中でも特にテッシトゥーラが低く、中低音域に重点を置いた歌唱が求められるため「ソプラノ殺し」の作品とも言われる。


原作 - ジョン・ルーサー・ロングの短編小説「蝶々夫人」とこれを戯曲化したデーヴィッド・ベラスコの「蝶々夫人」
台本 - ジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカ
作曲 - ジャコモ・プッチーニ
初演 - 1904年2月17日、イタリア、ミラノのスカラ座


作曲の経緯


蝶々夫人との出会い


プッチーニは24歳の若さで最初のオペラを書き上げてから、35歳の時書き上げた3作目の「マノン・レスコー」で一躍脚光を浴びた。 その後「ラ・ボエーム」(1896年)、「トスカ」(1900年)と次々と傑作を生み出した。彼が「蝶々夫人」を書くのは、そんな音楽家として、正に脂の乗り切った時期であった。


「トスカ」を発表してから、次のオペラの題材をプッチーニは探していた。1900年「トスカ」が英国で初演されるときプッチーニはロンドンに招かれた。その時、デーヴィッド・ベラスコの戯曲「蝶々夫人」を観劇した。英語で上演されていたため、詳しい内容はわからなかったが、プッチーニは感動し、次の作品の題材に「蝶々夫人」を選んだ。


制作の開始


同年にプッチーニはミラノに戻ると、『トスカ』の台本の執筆を手がけたイルリカとジャコーザに頼んで、最初から3人の協力で蝶々さんのオペラの制作が開始された。翌年には難航していた作曲権の問題も片付き、本格的に制作に着手した。プッチーニは日本音楽の楽譜を調べたり、レコードを聞いたり、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を集め、日本の雰囲気をもつ異色作の完成を目指して熱心に制作に励んだ。当時の日本大使大山綱介の妻・久子に再三会って日本の事情を聞き、民謡など日本の音楽を集めた。1902年にはプッチーニはパリ万国博覧会で渡欧していた川上貞奴に会ったとも云われている。オペラ歌手の小嶋健二がイタリアの指揮者セルジオ・ファイローニ(Sergio Failoni)の未亡人から聞いた話では、ファイローニがプッチーニに蝶々夫人をなぜ作ったか聞いたところ「日本女性を愛してみればよくわかる」と答えたという[1]。


自動車事故と結婚


1903年2月にプッチーニは自動車事故に遭って大腿部を骨折し、一時は身動きも出来ない重傷を負った。春になると車椅子生活での作曲を余儀なくされた。しかしプッチーニは制作を精力的に進め、その年の12月27日に脱稿した。その年の内に楽譜は小説「蝶々夫人」も初版と同じセンチュリー出版社からヤーネル・アボットの挿絵入りの単行本として出版された。原作者ロングはこの小説の戯曲化とオペラ化を大いに喜んで序文に「あの子が美しくかつ哀しい歌を歌って帰ってくる」と記している。また翌1904年1月3日にはプッチーニはトッレ・デル・ラーゴで夫人エルヴィラと正式に結婚の儀式を行っている。


初演の失敗と後世の評価
初演で蝶々夫人を演じたロジーナ・ストルキオ。拍手ひとつなく、舞台裏で泣き崩れた[2]。プッチーニは同作の成功を誓い、自らの生存中はスカラ座での再演を禁じた[2]


現在ではイタリアオペラの主要なレパートリーとなっている「蝶々夫人」だが、1904年2月17日ミラノ、スカラ座での初演はプッチーニの熱意にもかかわらず振るわなかった(彼の作品は本作に限らず、初演で不評を買うのが常であった[3])。失敗の理由はいくつか指摘される。初演版では、第2幕に1時間半を要すなど上演時間が長すぎたことや、文化の異なる日本を題材にした作品であったため観客が違和感を覚えたという原因が挙げられている。
ひどく落胆したプッチーニだったが、すぐさま改稿に取りかかった。改訂版の上演は3か月後の同年5月28日、イタリアのブレシアで行われ、大成功を収めた。その後、ロンドン、パリ公演とプッチーニは何度も改訂を重ね、1906年のパリ公演のために用意された第6版が、21世紀の今日まで上演され続けている決定版となっている。
本作は抒情的なテーマを盛り上げる美しいメロディや複雑な和声効果の使用などプッチーニの音楽の特色が現れた作品であり、イタリアオペラを代表する演目の一つとなっている。
プッチーニにとっては、ジュゼッペ・ヴェルディによって完成されたロマン派オペラの後継者としての地位、イタリアオペラのマエストロの地位を確立させることになった代表的作品である。


編成
配役


主な登場人物
蝶々さん(蝶々夫人)(ソプラノ)
ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン(テノール)
シャープレス領事(バリトン)


脇役とされる登場人物
ヤマドリ公爵(テノール)
勅使
ゴロー(テノール)
ボンゾ(蝶々さんのおじ。「坊主」か?)(バス)
スズキ(メゾソプラノ)
ケイト・ピンカートン(ピンカートンのアメリカ本国での妻)(メゾソプラノ)


その他の登場人物
登記係
蝶々さんの母
蝶々さんのおば
蝶々さんのいとこ
薬師手(バリトン)
蝶々さんの子
蝶々さんの知り合いと船乗りたち


楽器編成
ピッコロ(第3フルート持ち替え)・フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、バスーン2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、コントラバストロンボーン(多くはチンバッソで代用)、ティンパニ、バスドラム、スネアドラム、シンバル、トライアングル、グロッケンシュピール、銅鑼、鉦、ハープ、弦五部(14型)
舞台裏でヴィオラ・ダモーレ(通常ヴァイオリンで代用される)・銅鑼・梵鐘類・鐘・鳥笛・大砲


あらすじ
時と場所:1904年の長崎。


第1幕


アメリカ海軍の戦艦エイブラハム・リンカーン所属の海軍士官ピンカートン(Pinkerton)は日本人の少女と結婚することになった。
結婚斡旋屋のゴロー(Goro)が、長崎にきたピンカートンに、結婚後に暮らす丘の麓の家や、下女のスズキ(Suzuki)や下男を紹介して機嫌を取っている。
そこへ駐長崎領事のシャープレス(Sharpless)がやってくる。ピンカートンはここでアリア「ヤンキーは世界のどこへ行っても」を歌う。シャープレスは優しい心の男であり、ゴローが紹介した少女がこの結婚が永久の縁と堅く信じていることを思い出し、戸惑う。だがピンカートンは、この結婚も一時の愛だとシャープレスの危惧を一笑に付すのであった。


そこへ蝶々さん(Cio-Cio-San)が芸者仲間とともに現れる。このとき「さあ一足よ」を歌う。シャープレスが可憐なこの15歳の少女に身の上を問うと、実家は大村の没落士族の家であると答え、父から頂いた切腹のための刀の入った箱を披露する。それにより、座は一時しらけてしまうが、ゴローによって結婚式の準備が進められる。蝶々さんは前日にキリスト教に改宗したことを告げる。 三々九度など一連の結婚の儀式が済んだ頃、蝶々さんの叔父のボンゾ(Bonze)が現れる。彼は蝶々さんの改宗を怒って詰問するが、ピンカートンに追い払われる。うろたえる蝶々さんを慰めるピンカートン。2人はここで愛の二重唱「可愛がってくださいね」を歌う。


第2幕


結婚式から3年が過ぎた。ピンカートンは任務が終わり、アメリカ合衆国に帰ってしまっていた。彼は蝶々さんに「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」と約束していた。蝶々さんの忠実な下女スズキは彼は既にそれらを反故にしたのではと疑うが、ピンカートンを信頼する蝶々さんにとがめられる。


きっと夫は帰ってくると信じてやまぬ蝶々さんは、ここでアリア「ある晴れた日に」を歌う。


その頃、シャープレスはピンカートンがアメリカ本国でアメリカ人女性と結婚したことを本人の代わりに蝶々さんに告げることになっていた。しかし蝶々さんの夫への信頼を見た彼は、それを壊すようなことはできなかった。蝶々さんはピンカートンの手紙を見て喜ぶ。そこへゴローが裕福な紳士ヤマドリ公(Prince Yamadori)を連れてやってくる。ヤマドリ公は蝶々さんに結婚を申し出るが、夫からの手紙に喜んでいる蝶々さんはそれを拒否する。ゴローは蝶々さんは離婚された妻であると説明しようとしたが、蝶々さんは激しく断る。「それは日本の習慣に過ぎない。今の私はアメリカ人である」と。ゴローとヤマドリ公がすごすごと帰ってしまうと、シャープレスと蝶々さんは「友よ、見つけて」を歌う。


そして、シャープレスがピンカートンが帰ってこなければどうするのか、と蝶々さんに問うと、芸者に戻るか、自刃するしかないと答え、困惑したシャープレスが「ヤマドリ公の申し出を受けてはどうか」と勧めると、「あなたまでがそんなことを言うのか」と怒り、シャープレスに彼女とピンカートンとの子供を見せ、「わが夫がこの子を忘れようか」と言い放ち、「子供のために芸者に戻って恥を晒すよりは死を選ぶわ」と泣き叫ぶ。シャープレスはいたたまれずに去っていく。


スズキは蝶々さんの悪評を拡げようとするゴローを捕まえる。蝶々さんにとって悪い話が次々と届く中、遠くにピンカートンの所属艦エイブラハム・リンカーンが兵員の到来を礼砲で告げた。それを望遠鏡で見つけた蝶々さんとスズキは喜び、家を花で飾り、二重唱「桜の枝を揺さぶって」を歌う。そして自分達と子供を盛装させ、障子を通して、ピンカートンの帰りを凝視する。夜が過ぎ、長いオーケストラとのハミングコーラスのパッセージが演奏される中、スズキと子供は眠ってしまう。蝶々さんは決して後悔していなかった。



第3幕


夜が明けた蝶々さんの家。蝶々さんは寝ずの番をしていた。スズキは目覚め、子供を蝶々さんのもとへ連れて行く。スズキは憔悴した蝶々さんを休むよう説き伏せる。ピンカートンとシャープレスが登場し、スズキに恐るべき真実を告げる。しかし、ピンカートンは罪悪感によって深く打ちひしがれ、自身を恥じていた。余りに卑劣なことで自分の口から蝶々さんに告げることはできず、彼は義務を放り出して去ってしまう。このときピンカートンはアリア「さらば愛の巣」を歌う。スズキは、はじめは猛烈に怒っていたが、シャープレスから、蝶々さんが子供を渡してくれれば、ピンカートンのアメリカ人妻がその子を養育するということを聞き、説き伏せられてしまう。


蝶々さんはピンカートンと会えると思い、目を輝かせて登場する。しかしピンカートンの代わりに彼のアメリカでの妻ケイト(Kate Pinkerton)と対面させられる。蝶々さんは感傷的な穏やかさをたたえつつ真実を受け止め、礼儀正しくケイトを祝福した。これで平穏が見いだされるであろうと。それから、ケイトやシャープレスにお辞儀をし、子供を渡すことを約束する。そしてスズキに家の障子を全部閉めさせ一人きりになる。障子越しに侍るスズキに対しては、「子供を外で遊ばせるように」と命じて下がらせる。


蝶々さんは仏壇の前に座り、父の遺品の刀を取り出し、「名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん(Con onor muore chi non puo serbar vita con onore.)」の銘を読み自刃しようとするが、そこへ子供が走ってくる。蝶々さんは子供を抱きしめアリア「さよなら坊や」を歌い、子供に目隠しをし、日米の国旗を持たせる。そして、刀を喉に突き立てる。今際の際でも子供に手を伸ばす蝶々さん。そこへ異変を聞きつけたピンカートンとシャープレスが戻ってくるが、とき既に遅く、蝶々さんは息絶える。幕。



著名なアリア


「ある晴れた日に」
「蝶々夫人」の中でも特に代表されるアリアであり、単独で歌われることの多いものである。伝説のソプラノ歌手、マリア・カラスもこのアリアを十八番としており、現在出回っている彼女のベスト盤の多くにこのアリアが収められている。
サミー・フェインは、この曲を参考に映画「慕情」の主題曲を作曲した。


「可愛がってくださいね」
第一幕で蝶々さんとピンカートンが歌う二重唱。旋律とハーモニーの美しさで有名。


「さらば愛の巣」
ピンカートンのアリアの中で最も有名。


「さよなら坊や」(かわいい坊や)
最後のアリア。


引用された曲
当時のジャポニスムの流行も反映してかプッチーニは日本の音楽を収集し、使用している。そのため、同時期に作られた「ミカド」などよりは、はるかに日本的情緒のある作品に高めており、今日、日本人に好まれるオペラの一つにしている要因となっている。 この「引用、転用」は後に「トゥーランドット」でも行われる。

「宮さん宮さん」
「さくらさくら」
「お江戸日本橋」
「君が代」
「越後獅子」
「かっぽれ(豊年節)」
「推量節」
「星条旗」



蝶々夫人を演じた日本人


三浦環。1916年
大正から昭和初期にかけて活躍したソプラノ歌手の三浦環は、この蝶々夫人役を得意とし、その生涯において世界各地で数多く蝶々夫人役を演じた。1915年に初の日本人による蝶々夫人役としてロンドンのオペラハウスで演じたのを皮切りに、約20年間暮らした海外だけでも2000回以上公演した[2]。現在でも長崎のグラバー園にはその功績を称える三浦の像がある。


他に、蝶々夫人を得意とした日本人ソプラノ歌手には、戦前のヨーロッパで活躍した原信子・喜波貞子(きわ ていこ)・田中路子(1932年にオーストリア・グラーツでデビュー)、同じくヨーロッパで戦中戦後に渡り活躍した伊藤敦子・長谷川敏子(1944年、イタリアミラノ・スカラ座で日本人初の出演)、20世紀後半以降は東敦子(1972年、蝶々役でメトロポリタン歌劇場デビュー)、林康子(1972年、蝶々役でスカラ座デビュー)、片野坂栄子(1977年、ミュンヘン国立ゲルトナー歌劇場のプレミエで歌った「蝶々夫人」は絶賛を博し“黄金のばら賞”を受賞。この他、ヨーロッパの各歌劇場にて200回以上もこのオペラを主演) らがいる。


映画では、1954年(昭和29年)にカルミネ・ガローネが監督として、東宝とリッツオーリ・フィルム=ガローネ・プロの日伊合作が製作された。『蝶々夫人』のタイトルロールを当時宝塚歌劇団在団中でタカラジェンヌだった八千草薫が演じ(吹き替えはオリエッタ・モスクッチが担当。)、日本だけでなくイタリアでも大評判をとった。


「蝶々さん」は誰か?


揚羽蝶
「蝶々夫人」の舞台となった日本では長らく「『蝶々夫人』のモデルは誰か?」ということが議論されてきた。ロングの実姉サラ・ジェニー・コレルは、1890年代初頭から鎮西学院五代目校長で宣教師でもあった夫とともに長崎の東山手に住んでいた。ロングは、姉のコレル夫人から聞いた話から着想を得て、小説を執筆したとされている。


長年、有力視されていたのは、幕末に活躍したイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーの妻、ツルである。これは彼女が長崎の武士の出身であることや、「蝶」の紋付をこのんで着用し「蝶々さん」と呼ばれたことに由来する。長崎の旧グラバー邸が長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあることも、物語の設定と一致する。しかし、ロングの小説で具体的に記述されている蝶々夫人の経歴に、ツルの生涯と似ている部分があるが、重要部分で異なる点も多いため、モデルと考えるのは不自然との意見もある。一方、グラバーとツルの間に生まれた長男の倉場富三郎がペンシルベニア大学に留学していたこと、ロング本人が、「姉は倉場富三郎に会ったことがある」と語ったと言われることなどは、「蝶々夫人=グラバー・ツル」説を裏付ける要素とされている。ただし、ロングは小説が実話に基づくとは明言しておらず、また、彼自身がアメリカ士官を貶めているともとれる小説の人物設定について多くの批判を受けていたこともあり、真相は曖昧にされたまま現在に至る。


ツルが最初の結婚でもうけた娘・センの子孫の調査によると、ロングの小説『マダム・バタフライ』に登場する家がグラバー邸内と酷似していることと、ロングがのちに書いた戯曲『マダム・バタフライ その20年後』の原稿に「Dam. Too-ri」とメモがあり、ツルと読めることから、ロングはツルを下敷きにしていたと思われるが、内容自体はツルの経歴とは異なり、創作である[4]。


当時の長崎では、洋妾(ラシャメン)として、日本に駐在する外国人の軍人や商人と婚姻し、現地妻となった女性が多く存在していた。また19世紀初めに出島に駐在したドイツ人医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトにも、日本人妻がいた。下級の軍人が揚屋などの売春宿などに通って欲望を発散する一方、金銭的に余裕がある高級将校などは居宅に女性と暮らしていた。この際の婚姻届は、鎖国から開国にいたる混乱期の日本で、長崎居留の外国人と日本人女性との同居による問題発生を管理したい長崎奉行が公認しており、飽くまでも一時的なものだった。相手の女性も農家から長崎の外国人居留地に出稼ぎに来ていた娘であり、生活のために洋妾になったのである。互いに割り切った関係であり、この物語のように外国人男性との関係が真実の恋愛であった例は稀である。現に、シーボルトの日本人妻だった楠本滝は、シーボルトの帰国後に婚姻・離婚を繰り返している。まして、夫に裏切られて自殺をした女性の記録は皆無であり、蝶々夫人に特別なモデルはいない創作上の人物であると考える説も有力である。


批判
植民地主義時代の偏見に基づいたストーリーを未だに演じることへの批判や反論は国内外問わず根強くあり、2007年には、イギリスの音楽教授でプッチーニの専門家、ロジャー・パーカーが人種差別的であるとして批判した[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/蝶々夫人

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/908.html

[近代史3] プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』 中川隆
1. 中川隆[-13700] koaQ7Jey 2020年2月18日 10:39:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-279]

オペラに描かれたダメダメ家庭 配信日 05年2月11日  (10年4月8日に大幅に改訂)
タイトル 蝶々夫人(原題:Madama Butterfly)
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-02/05-02-11.htm
https://medium.com/dysfunciton/オペラ-蝶々夫人-作曲者はプッチーニ-8c18eefbcbd9


作曲 ジャコモ・プッチーニ
初演 1904年 ミラノ スカラ座


先日のインド洋の津波で、救援のため、アメリカ海軍の空母「リンカーン号」が出動しました。

アメリカ軍の船のリンカーン号は、オペラにも出てきます。勿論のこと、かなり前の代のものでしょうが。

リンカーン号が出て来るオペラは、あの有名な作品、プッチーニ作曲の「蝶々夫人」です。

長崎を舞台に、アメリカ軍人のピンカートンに捨てられたチョーチョーさんが自決する話です。

ピンカートンはリンカーン号に乗って長崎にやってくるんですね。
どうやらアメリカ軍においては、リンカーン号は、太平洋周辺で活動するのが慣わしとなっているんでしょうね。

今まで、このカテゴリー「作品の中で描かれたダメダメ家庭」では、多くの映画を取り上げて来ました。今回は趣を変えてオペラにしてみます。

オペラ「蝶々夫人」って、名前くらいは聞いたことあるでしょ?

「ピンカートンとチョーチョーさんの家庭がダメダメ家庭なの?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、そう言うことではありません。むしろチョーチョーさんの発想のスタイルが、ダメダメ家庭出身者の発想スタイルの典型と言えるわけ。
最近はオペラのCDは図書館で借りることもできます。図書館によってはヴィデオやDVDを借りることができるところもあります。

ご興味が出てきましたら、対訳を読みながらCDを聞いたり、字幕つきのDVDやヴィデオで見たりしてみては?

では、チョーチョーさんのどんなところがダメダメ家庭的なのでしょうか?具体的に検証してみましょう。

1. 家柄自慢・・・ダメダメ家庭出身者は意外にも、自分の出身家庭の家柄を自慢したりするわけ。そもそもダメダメ家庭では地縁,血縁に拘ることが多いことは、このメールマガジンで何回も書いています。このチョーチョーさんも「私の家はお侍で、本当はこんな芸者稼業をする人ではないのよ!」と言っています。自分の出身家庭に誇りをもつことは結構。しかし、そんな感情が「自分の本当の姿はこんなモンじゃないんだ!」という現在の自分への否定的な感情なり、被害者意識につながって行きやすいわけ。

2. 母とは疎遠・・・非業の死を遂げた父のことは語れても、まだ存命中の母親のことについては語れない。どうも折り合いが悪そう。ピンカートンから捨てられた後で、母親と相談してもいいのに、どうしてそうしないの?あるいは、結婚式において、チョーチョーさんが叔父さんにいじめられている時に、間に割って入って、娘をかばうのが本来の母親の役目でしょ?それにアメリカ軍人との「結婚」がどういう意味を持つのか?大人である母親がもっと娘に説明する必要があるでしょ?どうもチョーチョーさんの母親は、母親の役割を果たしていないわけ。

だからこそチョーチョーさんは、家柄自慢はしても、家族自慢はしない。亡き父親を語っても、母親は語れないわけ。

3. 親戚の問題・・・チョーチョーさんの親族は、それこそ自決した父親、影の薄い母親、アルコール中毒の叔父、宗教に入れ込んでいる叔父・・・と、こんなメンツ。いかにもダメダメ家庭の親戚ですよね?

4. 近隣から孤立・・・チョーチョーさんの結婚式の際に出て来るご近所さんの対応をみるにつけ、このチョーチョーさんはご近所から「浮いて」いたことがよくわかります。まあ、ダメダメ家庭の人間は会話ができないので、どうしても地域から「浮いて」しまいがち。その上、最初の家柄自慢が加わるので、ますます疎遠になってしまう。それに、ちょっとのことでスグに逆上したりする傾向があるので、ご近所さんも警戒したりする。だからどうしても孤立しやすい。

5. 発想が極端・・・ピンカートンと結婚する段になって、チョーチョーさんは従来の宗教を捨てて、キリスト教に改宗する。それはそれでいいのですが、ピンカートンはそんなことは求めていません。チョーチョーさんの宗教が何だろうと関係ないと思っているわけ。まあ、サスガにお歯黒はイヤがりますが、宗教なんてどうでもいいわけです。

実際にピンカートンは仏像を「大切にしようね!」って、言っているくらいです。ピンカートンにしてみれば、チョーチョーさんは、どうせ現地妻なんですからね。宗教よりも容姿ですよ。ただダメダメ家庭の人間は往々にして発想が極端。そして相手に入れ込んでしまうことになる。退路を断つというよりも、もともと大切なものを持っていないわけ。

だからこそ、宗教だって、簡単に乗り換えることができてしまう。それに、仏像を捨てられるということは、従来のお寺とのやり取りも、うまく行っていなかったということでしょ?

6. 玉の輿狙い・・・「いつも上手く行かない!」と思っている女性は、いい男をゲットして一発大逆転の玉の輿を狙おうとする。おまけにダメダメ家庭の人間は「恋に恋する」妄想癖がある。現実離れした男を「すばらしい!」と思ったりするわけ。

あるいは自分の家柄自慢に引っ張られて、「家柄がよければOK!」という無謀な玉の輿を狙ったりするんですね。チョーチョーさんもそのタイプ。そして結婚後は、周囲に対して「これからは私をピンカートン夫人とお呼び!」と言い放ったりするわけ。

しかし、会話のできないダメダメ家庭出身の女性と結婚するような男性は、何か問題があるもの。マトモな男性なら、会話の楽しい女性と結婚するものでしょ?
結局は、とんでもない事態になってしまうんですね。

7. 会話が無い・・・日本女性とアメリカ男性の国際結婚なのだから、いたしかたがない面もありますが、この夫婦には会話がない。まあ、イタリアオペラなんだからイタリア語で会話がちょっとありますが。会話がないから、捨てられたチョーチョーさんがピンカートンの思い出を語ることも出来ないわけ。せめて「あの時の会話は楽しかったわ!」くらいなら、まだいいのですが・・・会話が無いから思い出もないわけ。「あの時には、一緒にこんなことをした。」そんな思い出話もない。そもそも、この「蝶々夫人」というオペラは、結婚前の情景と、夫が立ち去った後の情景の2幕でできています。逆に言うと、結婚生活は描かれていないわけ。つまり、愛情あふれる結婚生活を描いているわけではなく、それが「失われた」と言っても、それが本当に存在していたとはいえないわけ。

有名なオペラであるヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」では、ヴィオレッタとアルフレードの楽しい新婚生活が描かれています。だから、それが失われるがゆえに、喪失感なり悲痛な心情を持つわけ。。

その「椿姫」も、結婚生活を描いた第2幕がないと、印象が変わるでしょ?
オペラ「蝶々夫人」は、意識的に、その結婚生活の描写がないわけです。

8. 現実を見ない・・・ダメダメ家庭は現実を受け入れることをしない。結局は妄想の中で生きているわけ。チョーチョーさんはピンカートンに捨てられたのを受け入れない。ただ「帰ってくるわ!」「帰ってくるわ!」の一点張り。そしてドンドンと妄想の深みにはまって行く。しかし、現実を受け入れないことで、次善策をとらなくてもいい。「帰ってこないのなら、じゃあ、どうしよう?」そんな発想から逃避している。結局は、精神的にラクしているだけなんですね。逆に言うと、そのような現実逃避的な傾向を持っているがゆえに、外国人との結婚という現実離れした夢に親和性を持つわけ。

9. チャリティーおたく・・・ピンカートンに捨てられたチョーチョーさんはお金がなくなって来たのに、有り金を恵まれない人に寄付してしまう。そんなことやっている場合ではないのに・・・子供の食費はどうなるの?しかし、現実を見たくない人間は、そんな善行をすることで、現実から目をそらすわけです。そして、「ああ、恵まれない人に恵んでやっているワタシって、なんていい人なの?」と自画自賛。そして「こんないい人のワタシなのに、うまく行かないのは、全部○○のせいだ!」と誰かに責任を押し付けることになる。

10. 味方を作ろうとしない・・・このオペラで出てくる男性で、実にマトモなのはアメリカの長崎領事のシャープレスさん。結婚前のピンカートンに「女性を悲しませてはダメだ!」「彼女は入れ込むタイプだぞ!」と忠告したり、捨てられたチョーチョーさんに、「別の生き方を見つけては?」とアドヴァイスしている。本当にいい人。

ヘンな話、チョーチョーさんも、このシャープレスさんの長崎の現地妻にでもなればいいじゃないの?確かに年齢はいっているでしょうが、常識は持っているわけだし、何より品性がある。シャープレスさんなら、チョーチョーさん本人にも、チョーチョーさんの子供にも十分な配慮をしてくれることは確実です。あるいは「人を見る目」があるシャープレスさんを後見人にして、新たな男性の2号さん?になればいいじゃないの?

しかし、そんなシャープレスの現実的な解決案を受け入れないチョーチョーさんは、折角の現実的なアドヴァイスも「アンタなんか、ワタシのことは何もわかっていないわ!」と逆上したりするわけ。これでは味方もいなくなってしまいますよね?ちなみに「逆切れ」はダメダメ家庭出身者のオハコであることは言うまでもないことでしょ?

11. 子供だけが頼り・・・ダメダメ家庭では味方を作ろうとしない。それにもともと会話の能力も低い。だから話し相手は自分の子供だけ。だから子供を取り上げられると何も残っていない。だから死なないといけないわけ。

12.約束の地・・・チョーチョーさんは「夫が帰ってくれば、今の困難な状況もすべて解決!」そんな極端な解決策しか持っていない。逆に言うと、そのように自分に言い聞かせることで、現状認識から逃避し、将来展望も封印してしまう。だから地道に対処する発想もない。常に一発大逆転を狙うばかり。

確かにお涙頂戴のオペラなんですが、色々とチェックしてみるとダメダメ家庭出身者の要素がテンコ盛状態。

ちなみに、このオペラは全2幕のオペラです。第1幕にも第2幕にも「花を撒き散らす」シーンがあります。第1幕ではチョーチョーさんの結婚を祝う、純粋に「喜ばしい」シーン。第2幕はピンカートンが長崎に帰ってくることがわかっての喜びのシーン。ただこの後でチョーチョーさんがピンカートンに捨てられたことがはっきりわかって自決することになってしまう。つまり第2幕でのシーンは「喜びの中に悲劇を内包」しているシーンと言えるわけ。

ということで、ちょっとニュアンスが違っています。

作曲者のプッチーニはバックのオーケストラによって、撒き散らされた「花の匂い」を表現し分けています。第1幕の花の匂いと、第2幕の花の匂いの違いを音で描き分けているわけ。

単なるお涙頂戴ではなく、緻密に計算されているオペラなんですね。だから何回も泣けるわけ。単なるお涙頂戴の劇なら、1回しか泣けないでしょ?

このように「花の匂い」をオーケストラによって表現するのは、20世紀の音楽ならではのオーケストラの扱いと言えます。音楽表現の進歩が必要とされているわけです。

音楽表現は時代によって進歩していますが、人間そのものは、いつの時代にも変わらないでしょ?

このような現実逃避で自己逃避の女性というのは、このチョーチョーさんばかりではないもの。

それこそ・ジャン・ジャック・ベネックス監督の映画「ベティ・ブルー」のベティさんもその典型ですし、あるいはトルストイの「アンナ・カレーニナ」のアンナさんも、まさにその典型。

彼女たちは、都合が悪くなると「そんなものは、ワタシに見せないでよ!」とスグに逆切れして、常に問題を先送り。そして、「うまく行けばいいなぁ・・・」「誰かワタシを助けてくれないかなぁ・・・」と周囲の人に期待しても、自分では何も努力しない。

結局は、はじめの頃にはあった出口も自分でふさいでしまって、すべての出口がなくなり、ドッカーンとなってしまう。そんなパターンは、ダメダメ家庭出身者には、実にポピュラーなパターン。

チョーチョーさんのような人は、いつの時代にも、どこの場所でもいらっしゃいますからね。

それに長崎はこの当時から、ダメダメ家庭のメッカだったこともわかります。進歩がないわけ。

オペラというと、「舞台の上で、太った女性と男性が大きな声でオーバーな演技。」と思っていらっしゃる方も多いでしょうが、後々まで「残る」ような作品は、それなりのリアリティがあるわけです。

そのリアリティに観客が共感するわけですね。

ちなみに、このオペラ「蝶々夫人」のタイトルは「Madama Butterfly」。ちょっと考えれば、ヘンなタイトルですよね?

「Madama」はイタリア語で「夫人」と言う意味。「Butterfly」は英語で「蝶々」。だから合わせて「蝶々夫人」となる。しかし、オペラ「蝶々夫人」はイタリアオペラなんだから「蝶々夫人」をそのままイタリア語にすると「Madama Farfalla」(ファルファーレって、パスタにあるでしょ?蝶々の形をしたヤツ)となる。あるいはアメリカ軍人ピンカートンに合わせて「蝶々夫人」を英語にすると「Mrs.Butterfly」になる。

結局は、チョーチョーさんは、アメリカ軍人ピンカートンの「ミセス」にはなれなかった。「Madama」という、あいまいな・・・リアリティのない立場だった・・・ということなんですね。

ちなみに、この文章をお読みになられた方で「オマエはチョーチョーさんを、かわいそうとは思わないのか?この人でなしめ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は別にチョーチョーさんを冷笑的に見ているわけではありませんよ。やっぱりかわいそうですよね?

ただ、私はシャープレスさんの方に共感してしまいます。そのシャープな(なんと名前はSHARP・LESS ・・・シャレなんでしょうが)洞察力で、当事者たちに十分に警告していても、結局は当事者たちはカタストロフに突進してしまう。それをわかっていて散々忠告しながらも、結果的にカタストロフを見守る役目は辛いもの。
酔っ払いよりも、酔っ払いを介抱する方がシンドイものです。

このようにオペラ「蝶々夫人」という作品を、現実逃避的で「恋に恋する」妄想癖のあるダメダメ家庭出身者の女性が、自分自身で出口を塞いで行き、ついに唯一の出口に到達する・・・そのような心理劇と見る発想は、世界広しと言えども私だけかな?と思っていましたが、同じことを言っている人がいました。

イタリアの指揮者のジュゼッペ・シノポリという人。彼が指揮した「蝶々夫人」のCDに彼のインタビューが載っていますが、私と同じことを言っています。たまたま調べていたら私と同じことを言っているのに、私もビックリしました。

彼は「『蝶々夫人』は日本のオペラとは言えない。彼女のような女性はヨーロッパに多くいる。」と、おっしゃっています。ダメダメ家庭はヨーロッパにも多くあるわけですから、「蝶々夫人」の問題は日本固有の問題ではなく、世界的な問題なんですね。

このシノポリさんは、精神分析で博士号を取った方、作曲もなさって、売れっ子指揮者としての激務の傍ら、考古学の博士号も取られた方です。
そんな生き急いでいたので、50歳代で心臓麻痺で死んでしまうことになるのでしょうが。

オペラ「蝶々夫人」を心理劇と見ることは、彼の精神分析者としての立場から来る面もあるのでしょうが、私はむしろオペラを作曲した経験から来る面もあるのでは?と考えています。

オペラとか芝居とか映画などの舞台劇には、鉄則があります。

「ドラマの進行には役に立たない人間は登場させない。」ということ。

小説のような本を読む場合には、ページを読み返して、ちょっとわからなくなった登場人物をチェックすることができる。しかし、舞台劇ではそうは行かない。あまり多くの登場人物が出てくると観客は困ってしまうわけ。

舞台劇の場合には、登場人物の数そのものを絞る必要があるわけ。原作において役割の薄い人物は2,3人を1人にまとめたりして、観客にわかりやすくするようなことが必要なんですね。

少ない登場人物で、濃密なやり取り・・・それが舞台劇のスタイル。
しかし、オペラ「蝶々夫人」において、チョーチョーさんの母親は役割が薄い。ちょっと出てきて挨拶をするだけ。オペラ作品の登場人物なのに、歌を歌うわけでもない。

娘の結婚を祝う歌くらいは、シチュエーション的に設定できるでしょ?
もし、私が一般的なオペラ作家なら、チョーチョーさんの母親は、夫が自決したあとで後追い自決をしたことにして、娘の結婚の際には死んでいたことにしますよ。
それだったら、チョーチョーさんの孤独な境遇を強調できるし、最後のカタストロフを暗喩することもできる。いずれにせよ、本来ならチョーチョーさんの母親は、あえてオペラに登場させる意味はないわけ。

オペラ「蝶々夫人」において、チョーチョーさんの母親は、ドラマの進行において実に中途半端で、役割を果たしていません。

しかし、「母親の役割を果たしていない母親」という「役割」を果たしている・・・そう言えるのでしょう。そこがまさにダメダメ家庭のドラマなんですね。
(終了)
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発信後記

またまた怒涛の長さになってしまって・・・

しかし、こうやって考えてみると「蝶々夫人」というオペラは実に現代的でしょ?
本文中で言及した指揮者のジュゼッペ・シノポリさんは、医学部で精神医学を学ぶ傍ら、音楽院で勉強した人。精神分析で博士号を取って、指揮者としても引っ張りだこで、その傍ら考古学で博士号をとって・・・まあ、そりゃ死んじゃうよね。
精神分析やったり、指揮者をやったり、考古学をやったり・・・とマルチな才能とも言えるのでしょうが、多分、本人はそうとは思ってはいなかったはず。
楽譜を見て、「この音楽をどのように演奏しようか・・・」と考える演奏家が大多数でしょうが、「この音楽を作曲した作曲家は、どのようなことを考えて作曲したのだろうか?」と考えるタイプの演奏家もいるわけ。

そのようなタイプは当然のこととして、「この患者はどうして、このようなことを言ったりするのだろうか?」という精神分析にも興味を持つ。

それに「この古文書や遺跡を作った昔の人は、どのようなことを考えて遺跡を作ったのだろうか?」とも考えることになる。
結局、皆同じ発想なんですね。

学問をジャンル分けした人は、それほど頭のいい人ではないので、既存のジャンル分けを前提にモノを考えるとかえってわかりにくくなる。
知性というものはシンプルなもの。

ただ、シノポリさんのように、狂気のように、自分の生命を削るように、思考に突進して行ったのは、それなりのわけがあるのでしょう。彼も色々とモノが見えた人なんでしょうね。

他人の思考を読まずにはいられない、そのシノポリさんの精神を、私が読もうとしていたりする。

似たもの同士はタチが悪い。
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-02/05-02-11.htm
https://medium.com/dysfunciton/オペラ-蝶々夫人-作曲者はプッチーニ-8c18eefbcbd9

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/908.html#c1

[近代史3] プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』 中川隆
2. 中川隆[-13699] koaQ7Jey 2020年2月18日 10:40:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-278]
『蝶々夫人』の謎
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プッチーニ作曲の歌劇 『蝶々夫人』、これほど日本人に良く知られたオペラもないだろう。
明治時代初めの頃の長崎が舞台。芸者に身を落とした蝶々さんが、アメリカ海軍士官ピンカートンに落籍され、やがてピンカートンは母国に帰るものの、蝶々さんは産まれた息子と女中スズキと一緒に丘の上の家に住み、彼を待ち続けて3年。やっと帰ってきたピンカートンは故国で結婚して妻ケイトと一緒の赴任。蝶々さんは息子を引き取ると言われ、絶望の果てに一人死を選ぶ・・・というお話。
日本では、このオペラを見たことがない人でも大体の筋は知ってるし、「ある晴れた日に」というアリアは、まるでオペラの代名詞のように流通している。
でも、日本ではよく上演されるのに、最愛のオペラだと言う人が意外に少ないようだ。ご当地物って、点が辛くなってしまうのかも。
私も『蝶々夫人』というオペラが好きだとは言えない。だいたい、日本人にとっては映像でも舞台でも違和感ありすぎの舞台設定や演出が多すぎるからかもしれない。その最たる物のひとつが、ポネル演出、カラヤン指揮、ウィーンでのフレーニ、ドミンゴのDVD。これはもう、目が点になってしまう。
違和感は演出だけでなく、筋立てにもあるようだ。非常にシンプルな筋なのに感情移入しにくいのは、ピンカートンに対する蝶々さんの愛に共感できないからかも。
それなのに、このオペラ、良い演奏に当たると本当に泣ける。特に後半、ケイトとのやり取りから終幕にかけて。これはもう、音楽が泣かせているとしか思えない。
しかし、聴けば聴くほど謎が多くて、解明しないことにはどうにも落ち着かない。

 プッチーニの執着の謎

プッチーニはもちろん、原作の「蝶々夫人」の作者、ジョン・ルーサー・ロングも来日したことはない。しかし、ロング氏の妹のコレル夫人は宣教師の夫と一緒に中国に赴任するはずだったのだが、途中で病気になって着任先を日本に変えたそうだ。それが1886年(明治19年)。夫のアーヴィン・コレルは最初横浜に赴任後、長崎の鎮西学館の5代目の校長に就任して、長崎に暮らしたとか。
ロングにいろいろな長崎の話をしたのは、コレル夫人が一時期国でアメリカに帰った時で、蝶々さんのモデルになった芸者の話もその時に伝えられたようだ。夫人が話したものは知り合いの商人から聞いた実話だったそうだが、アメリカの海軍士官ではなく、ロシアの海軍士官に捨てられた女の話で、なぜアメリカの士官に変わったのかも興味をひく。一応、二枚目役だから、自国の士官としたかっただけかも知れないけれど・・・ 。
プッチーニはダヴィッド・ベラスコによって戯曲化された「蝶々夫人」の舞台を見てオペラ化を思い立ったそうだ。
しかし、プッチーニが見た舞台はロンドンでの公演で、英語による物だったはずなので、英語がわからない彼が本当にどこまで内容がわかっていたのか疑問。でもプッチーニは楽屋に押しかけてその場でオペラ化の許可を求めたのだ。かなりの感激症体質だったのかもしれない。
初演は一幕が長すぎて退屈だったせいか、また異国情緒ありすぎで違和感を持たれたせいか不評だったが、プッチーニは改訂を重ねる。2幕も2場に分け、ピンカートンも後悔させたりして和らげた。
プッチーニは、よほどこのオペラに愛着を持っていたようだ。蝶々さんは『ラ・ボエーム』のミミと双璧の、プッチーニ好みの可憐で一途なヒロインと捉えられていたのだろう。

 ピンカートンという男の謎

オペラ史上、最も憎まれる役ではないだろうか。METでの『蝶々夫人』では、観客にはさんざん「悪いヤツだ」と言われ、テノール歌手の出来は悪くないのにブーが飛んでたというような目撃談もあった。
『カヴァレリア・ルスティカーナ』のトゥリドゥもピンカートンに匹敵するくらい酷い男だと思うが、彼は心を病んだ戦争帰還兵だとも考えられるし、最後死んでしまうのでまだマシなような気になってしまう。
それに比べるとピンカートンは最初っからだます気で、おまけに能天気に明るく、最後になってどんなに後悔しても許しがたい気がするのだ。蝶々さんが3年も待ち続け、しかも子供がいるとスズキが告げると、彼はいたたまれずに逃げ出す。妻のケイトを領事と共にその場に残して。自分のしでかしたことから逃げるだけ。
はい、ここで私は、ピンカートンはマザコンの子供だと言いたい。
代わりにケイトが子供を引き取る交渉もして、後始末に追われるのである。この夫婦、妻がしっかり夫の世話を焼いてるじゃないの。

どう見ても良いところのないピンカートンだが、ちょっと視点を変えてピンカートンの目から見てみよう。
まず、アメリカという国はピューリタンの国。現在よりずっとピューリタニズムは強かっただろう。謹厳実直、清廉潔白を重んじる傾向があるが、ピンカートンもそういう風土、そういう家庭で育ったものと思われる。そして、アメリカ海軍も同様の気風を持っていたようだ。厳格な家庭、風土の中で育ったお坊ちゃまが、海のかなたの非キリスト教国にやってきたわけである。
よくあることだが、それまでの抑圧から解き放たれて、自由を謳歌したくなるのも無理はないかもしれない。理解しがたい風習の日本という国で、強い米ドルに支えられて、女を囲ってままごとのような息抜きの場を求めたというところではないか。
彼のピューリタンとしてのモラルは、あくまでキリスト教徒の白人女性に対してのもので、貧しい未開国の黄色人種の女性に対してのものではなかったという見方もある。人種差別だと怒ってもしようがない。当時は帝国主義全盛の時代、欧米列強国にとって弱小国など、殖民支配を狙う対象でしかなかったのだから。
女衒のゴローの仲介ということもあり、蝶々さんは所詮娼婦と見られていたと言ってもいいだろう。ピンカートンにとっては、契約で買った異国の妾に過ぎないのだが、蝶々さんが本気になってしまったのが悲劇のもとだった。彼にしてみたら、何でこんなことになるんだという思いがあるのではないだろうか。

う〜ん、それでもやっぱり、ピンカートンを許せない気になるのは、私が日本人の女だから?

 蝶々さんという女の謎

さて一方、蝶々さんはどういう女なんだろう。
歳は15歳。長崎の色町で芸者をしていた。オペラの中の記述から、父親は大村藩の裕福な士族でしたが、西南の役で薩摩方に加担して、切腹させられたらしい。当然、家は没落し、食うにも事欠いて蝶々さんは芸者に出されたのだろうと思われる。
士族の娘が芸者になってうまくいったという話はあまり聞かないけれど、蝶々さんも周りの芸者衆と折り合いよくいっていたとは思えない。ピンカートンに落籍されて結婚式風の宴席に集まった芸者衆は、陰でけっこう辛らつな言を放っているのだから。
仲間にも恵まれず辛いお座敷勤めの中で、ピンカートンの明るさや口先のうまさにすっかりその気になってしまったというのが本当のところではないだろうか。日本の男にはない臆面もない愛情表現(どこまで本気かは実は別だけど)、レディファーストの習慣によって培われた優しげな行動様式、そういうものにころっと参っちゃったとしても不思議はないかも。なんせ、まだまだ15歳の若さなのだ。もっと歳のいった日本の女たちがラテン系の国へ行って男の口先の優しさにだまされて身の破滅ってなこと、現代でもあるらしいから。
いえ、何よりもピンカートンの「自由闊達」な雰囲気に、蝶々さんは惹かれたのかもしれない。
自分の境遇が金で売り買いされる物であるとはわかっていても、蝶々さんは愛を信じてしまったのだ。いや、その愛を信じないでは生きていけなかったと言うべきか・・・。
しかし、一途な彼女はどんどん自分を追い込んでいってしまうのだ。改宗ということの重大さをわかっていたのか、いなかったのか。そう、蝶々さんはピンカートンと同棲する前日にキリスト教に改宗してしまうのだ。ピンカートンが信じる神を自分も信じると言って。
確かに女は嫁いだ先の宗派に自動的に変わるのが普通だったが、相手は仏教の宗派ではなくキリスト教なのだ。それでも、彼女の中でちゃんと割り切りができていたものと思いたいのだけど・・・。結局、その改宗の事実がばれて親類縁者からさえも勘当されてしまうのだ。
とはいえ、陰で悪口ややっかみを言う人たちと縁が切れて、私ならかえってすっきりすると思うのだけどね。

そうして、ピンカートンが去った後も、3年もの間、彼女は待ち続ける。彼が去る時にはまだ生まれていなかった息子も、既に2歳半くらいにはなっていたはず。(オペラでは、この子供役が大きすぎるのが不満ですが、2歳半の子供を舞台に乗せるのは難しいのでだろう。)
周りがいくらいさめても、蝶々さんはまだピンカートンが自分の元へ帰ってくると信じている。ヤマドリという公爵が求愛しに来てもすげなく追い払ってしまう。(ま、これも女衒のゴローの仲介ですから、求婚ではなく妾にという話だろう。)
諸般の事情から見て、蝶々さんは働いているわけではないので生活費をどうしているのか気になるのだが、ピンカートンが別れ際にある程度まとまったお金を渡していたものと思われる。とはいえ、ピンカートンが帰ってくるのが3年後ではなく5年後、10年後だったらどうなってたかしらね・・・。
実は、蝶々さんはそのあたりでもうかなりおかしくなってたんじゃないかという説もある。確かに、あの「ある晴れた日に」のアリアは、狂乱のアリアと言ってもいいのではないかしら。期待と想像と現実がめちゃくちゃに入り混じっているんだもの。
自分で選んだ道とはいえ、蝶々さんは追い詰められているのだ。
だからこそ、ピンカートンの船が入港してきた時の蝶々さんの喜びようがあまりにも印象的なのよね。桜の花を敷き詰めて彼を迎えるなんていじらしい・・・。きっともう、贅沢な宴を張るお金もなかったから? でも、その桜の花を末期の褥として、蝶々さんは死を選ばざるを得なくなるというのも、哀しい。桜が武士の娘の死を彩るというのは、とても意味深に思える。

 結婚式の謎

第一幕で行われる蝶々さんとピンカートンの結婚式も、大きな謎だ。
掲示板では、「蝶々さんと結婚式を挙げたピンカートンがケイトと結婚しているのは重婚罪ではないか?」という意見が出た。
第1幕で領事が、信じきっているのに騙すのはむごいと意見していますから、結婚式をやってもちゃんと結婚届を出したとは思えない。
そもそも、未成年だから、家長または後見人の承諾が必要だったはずだが、父も亡くなり、親戚一同から勘当された蝶々さんの婚姻届に署名する人はいなかったのではないか。
おまけに、結婚式は教会でではなく神式で執り行われていたから、教会記録から結婚証明書を取ることもできない。そのため重婚罪で訴えるのは勝ち目がないという意見もあった。
当時の長崎では、洋妾(ラシャメン)として、日本に駐在する外国人の軍人や商人の現地妻となった女性が多く存在していた。その女性達がどういう風に同棲生活に入っていったのかと、ちょっと調べてみた。開国前後の混乱期に長崎居留の外国人と日本人女性との同居による問題発生を管理したい長崎奉行が公認して届けを出させていたらしい。もしかすると、蝶々さんの結婚式でサインされた書類は、その届出用紙だったかもしれない。あるいは、単にピンカートンとの契約書だったかもしれないが。


 宗教と子供の謎

私、蝶々さんはあまりにも救いのない悲劇なので、見ていてとても辛い。
キリスト教に改宗しても結局救われずに終わった蝶々さんは、最後には神の禁じる自殺と言う手段しか残っていなかったのだもの。
改宗ということの意味がポイントになってくると思う。
すべてを捨てて愛したのに、すべてを(魂の救済まで)失った蝶々さん、哀れすぎる。
私が蝶々夫人で一番胸をつかれる思いを味わうのは、最後に子供に向かって「小さな神様」と呼び、「天高き楽園より降りて来た私の坊や」と言うところ。
自分が天の高みから見守っていてあげるとは、彼女には言えないのよね。
子供が金髪で碧眼だというのも、遺伝的には稀なはずだが、そのために蝶々さんは子供の未来には明るい希望が持てるのだろう。
だからこそ、彼女は息子をピンカートン夫妻に託すことを承認したのだと思う。
改宗したはずのキリスト教は蝶々さんを見捨てるのだけど、子供は神の恩寵を受けられると信じているから、終幕のあの言葉が出てくるのだろう。
私には、男に捨てられたことよりも、神に救われなかったことのほうが哀れに思える。

 演出と音楽的伏線

『蝶々夫人』の劇としての初演は、確か当時最新鋭の電気照明による物だったはず。舞台効果は画期的な飛躍を遂げたのではないかと思う。
プッチーニはそういう照明効果も大いに考慮して、エキゾチックな東洋趣味を前面に出してきたのだと考えられる。初演の不評は、やりすぎたからというのも原因のひとつだったかも。ま、1幕が長すぎて冗長だったからという説が有力だけど。

『蝶々夫人』の第1幕で道具類をピンカートンに見せる場面があるのだが、その時なぜか「さくら、さくら」のメロディーが流れている。
以前は日本の物品が出てくるからかと思っていたのだが、どうもそれだけではなさそうだ。

そこで父親の短刀も取り出すので、「武士=さくら」 の図式か、もしくは 蝶々さん自身の死も暗示していたのだろうか。
音楽的にも伏線が多いオペラだ。
最初は気づかずにいたものが、何度か聞くうちにひとつづつ謎が解けていくような面白さがある。気がつかなくても無意識のうちに影響されているのではないかと思う。
「さくら」ひとつとっても、いろいろな読みが出来る。
http://earth7157.emwpartners.com/~bs0222/nazo/butterfly.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/908.html#c2

[近代史3] プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』 中川隆
3. 中川隆[-13698] koaQ7Jey 2020年2月18日 10:41:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-277]

日本人女性を描いた傑作オペラ『蝶々夫人』これのどこがエエ話?
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/07/13/114978

日本人女性を描いた傑作オペラとして名高い『蝶々夫人』をご存知ですか?

プッチーニ 《蝶々夫人》 「ある晴れた日に」三浦環



女子フィギュア界で長いこと最前線にいた浅田真央選手が好んだ曲として聞いたことがある方は少なくないでしょう。

浅田真央(mao asada) 「蝶々夫人」和訳字幕入り 〜 お帰り!



あるいは宮原知子選手も同曲で華麗な舞を演じられておりました。

2017/12/23 全日本選手権 FS 宮原知子 蝶々夫人



もはや日本人女子選手の定番演目とすら思えてきますが、ここでちょっと立ち止まりたい。
この蝶々夫人って、本当にいい話なのでしょうか?
皆さんおそらく中身までは把握されてないと思われますので、あらすじをざっと書き出してみますね。


【あらすじ】
舞台は1890年代(明治20年代)の日本。
父が没落した武家の娘・蝶々さん(15)は、アメリカの海軍士官ピンカートンと結婚します。
新婚、しかも身重の蝶々さんを残し、ピンカートンは帰国。
三年後、三歳の子と共に蝶々さんは夫の帰りを待っておりました。
彼女は知らなかったのです。ピンカートンはアメリカに正妻がいたことを……。
やっとピンカートンの軍艦が来ると知った蝶々さんは、喜んで夫を出迎えます。
しかし、そこにいたのは、正妻のケイト。
ショックを受けた蝶々さんは、父の形見の短刀で自害を選ぶのでした。
いやいや、いやいや。これ、いい話ちゃうやろ。
正妻いるのを伏せて15歳と結婚して子供を産ませるとか、ピンカートンはガチクズでしかない。
確かにオペラなんてそんなものかもしれません。
『ドン・ジョバンニ』の元ネタだってしょうもありませんし、歌舞伎だって「クズが遊ぶ金欲しさに親戚を殺した」だけの話(『女殺油地獄』)とかありますしね。

本物のドン・ファンってどんな人?紀州ではないリアルな「プレイボーイ伝説」に迫る
https://bushoojapan.com/world/spaport/2018/06/09/113466


しかし、何もここでピンカートンやプッチーニを罵倒したいわけではありません。
なぜこんなお話が作られたのか?
それを掘り下げてみたいと思います。



幕末から明治、それは国際ロマンスが目覚めた時代

黒船来航を機に、日本の地を踏みしめた外国人たち。
お歯黒や眉を剃った女性の姿にさぞやビックリしたと思いきゃ、実はそうでもなかったようです。
「切れ長の目、黒い髪、クールビューティだ!」
日本人女性の東洋的な美貌にぞっこんになり、ペンダントをちぎって渡したり、写真を撮ったり、そんな外国人男性が数多くおりました。
例えば、日本が好きでたまらなかった青年ヒュースケンには、複数の日本人妻がいたようです。

幕末のヒュースケン殺害事件とは?日本を愛したオランダ人好青年の哀しい予感
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2019/08/29/111357


「えっ、唐人お吉みたいな例もあるよね?」
その通りです。
彼女の場合は運が悪かった。
お相手と誤解されたハリスは敬虔なプロテスタントであり、生涯純潔を誓った人物でした。世間で噂されるような関係では一切なかったにも関わらず、悲痛な最期を迎えます。

斎藤きち(唐人お吉)の悲しすぎる最期 人々の勘違い偏見に追い込まれ……
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/03/27/97402


むろんそこまでお堅くない外国人は、お座敷で芸者にデレデレと鼻の下を伸ばしたり、恋人をちゃっかり作ったりしておりました。
相手となった女性たちも、お吉ほどメンタルが繊細でなく、楽しいアバンチュールと割り切って、それなりに楽しんでいたようです。
ヒュースケンの日本人妻はにこやかにポーズをとって写真におさまっており、屈託はまるでありません。
明治時代に来日したフランス海軍士官ピエール・ロティは、日本人女性とのロマンスを『お菊さん』という小説にしました。
そこで彼は、ギャラを払った彼女が本物かどうか確認する場面を見て、
「なんかガッカリだなあ」
と失望しております。
いや、あんたこそ斡旋業者を使って彼女と知り合っておいて、何を期待しているのでしょう。

『お菊さん』を著したピエール・ロティ/wikipediaより引用

それでも当時の外国人男性からすると、
「異国で可愛い日本人女性とつきあうとか、最高かよ」
と、あこがれの眼差しで見られていたようです。
当時、ヨーロッパでは川上貞奴が大人気で、ジャパニーズビューティへの憧れがありました。

日本初の女優・川上貞奴 ピカソやロダン、さらには伊藤博文をも魅了す
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/12/07/10635


そんなわけで、外国人男性はうっとりとしながら東洋美人とのロマンスを夢見ていたわけですが、まだそこに、「蝶々夫人」のような弱々しさはありません。

一方で、外国人との結婚に嫌悪感を抱く女性もおりました。
フランス系アメリカ人のチャールズ・ウィリアム・ジョセフ・エミール・ルジャンドルに嫁いだ池田絲
いと
が、その典型例です。

チャールズ・ルジャンドル/wikipediaより引用


絲の父は、あの松平春嶽です。
母は松平家の腰元であり、娘を産んだあと自害しておりました。
絲は家臣の池田家に預けられ、維新後の困窮で彼女を芸者とするほかありませんでした。
維新後の春嶽は世捨て人のような暮らしを送っており、娘のことに構っていられなかったのでしょう。

松平春嶽(松平慶永)63年の生涯をスッキリ解説!調停、調停、また調停!
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2019/06/19/111115


幕末お姫様8名 それぞれの意外な行く末〜鹿鳴館の華、籠城戦の指揮……etc
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2019/03/01/121200


芸者として落ちぶれたものの、著名な大名の落胤となれば、使い道があります。
ルジャンドルは、南北戦争で活躍した英雄。
何としても、日本に引き留めたい。それにはどうすべきか?
こういうときは、女の黒髪で引き留めろ、という発想が出てくるわけですな。
高貴なお姫様を妻にすれば、日本に留まるだろうと……。ちなみにルジャンドルは、母国にクララという正妻と子がおりました。
大隈重信、伊藤博文といった大物から説得され、16歳の絲は泣く泣く、43歳、親子ほど歳の離れたルジャンドルに嫁ぐこととなったのです。
このような状況で結婚した夫婦は、心がなかなか通いません。
しかもルジャンドルは、こうつぶやいてしまったのです。
「この国で西洋人の血を引いた子は、きっと苦労するだろう。女の子ならまだしも、男の子だったら大変だろう」
絲は男児を出産し、そのまますぐに養子に出してしまいました。
この男児はのちに、父親譲りのしなやかなスタイルと、母親譲りの上品な顔立ちを持つ歌舞伎役者・十五代目市村羽左衛門となりました。
その出生の秘密は長いこと伏せられていたと伝わります。

十五代目市村羽左衛門/wikipediaより引用

ルジャンドル夫妻の間に生まれた女子・愛子の娘は、声楽家として活躍した関屋敏子です。

関屋敏子/wikipediaより引用

自害こそしませんでしたが、メンタル的にはこの池田絲は、蝶々夫人に近いものがあるかもしれません。
ただ、この性格だと夫とラブラブとはならないでしょうね。


「蝶々夫人」は誰でしょう?

さて、そんな蝶々夫人のモデル探しはなかなか難しいものです。

・海軍士官の妻
・自害した
・幸薄い少女

そんな条件を絞るとかえってみつかりにくくなるのです。
それもそうでしょう、そういう人は実在しなかった可能性があります。
ただ、モチーフの「蝶々」で探すと、モデルが見つかります。
グラバー夫人のツルです。

蝶々夫人のモデルの一人とされるグラバーの妻・ツル/wikipediaより引用
ツルは夫との結婚後も生涯和服で過ごし、家紋とは異なるしゃれたモンシロチョウの紋を身につけていたことで知られます。

グラバー(右)と岩崎弥之助/wikipediaより引用
『蝶々夫人』の原作は、ジョン・ルーサー・ロングの『マダム・バタフライ』。
ロングの姉は宣教師の妻として来日しており、そこから発想を得たと思われます。

ジョン・ルーサー・ロング/wikipediaより引用
実はこの原作で、蝶々夫人は自殺していません。
確かに原作でも姿は消すのですが、生存の可能性が強く示されています。
20年後を舞台とした続編もあります。
18歳で勝手に殺したのは、戯曲化したデーヴィッド・ベラスコの発案。
ゆえに18歳で自害する現地妻というのは、彼の妄想の産物とみるほうが妥当かと思われます。

デーヴィッド・ベラスコ、あんたのせいか!/wikipediaより引用

1900年、『蝶々夫人』舞台版のニューヨーク公演とロンドン公演は、連日満員御礼の大ヒット。
その観客に、一人のイタリア人がおりました。
自作『トスカ』のロンドン公演を見に来たプッチーニです。
「これこそ、我が自作のよい題材になる」
ピンと来たプッチーニは、楽屋でベラスコに是非ともオペラにさせてくださいと頼みこんだのです。

初演はリンチ状態だった『蝶々夫人』
プッチーニは、ありとあらゆる神話や演劇を貪欲に吸収する作家でした。

ジャコモ・プッチーニ/wikipediaより引用

これまたフィギュアスケートの定番『トゥーランドット』は中国を題材にしておりますね。



※荒川静香選手、トリノ五輪での『トゥーランドット』



※宇野昌磨選手、平昌五輪での『トゥーランドット』



※紫禁城での『トゥーランドット』



プッチーニはこのとき、
『コレはデカイ当たりが来る!』
と、手応えを感じていたことでしょう。
当時は川上貞奴の妖艶な美貌がヨーロッパ中を虜にしておりました。
オペレッタ『ミカド』も大ヒット。




シャーロック・ホームズシリーズでも、ホームズは日本の武術「バリツ」を修得している設定ですし。

だからシャーロック・ホームズは19世紀の英国に生まれた! 名探偵、渇望の時代
https://bushoojapan.com/world/england/2019/02/25/100705


ゴッホも、浮世絵に夢中でした。

ゴッホが自殺を図った理由はなに? 狂気の天才画家、その生涯
https://bushoojapan.com/world/painter/2019/07/27/26107


日本風というだけで、興味関心を惹きつけヒットするーーそんな時代だったのです。
といっても、これを単純に「日本スゴイ!」と言うことはできません。
『ミカド』はハチャメチャな内容で、現在、上演されると「差別的」とブーイングされるコンテンツですし、女性の見方にしたって一方的で妄想まじり、実態からは乖離したものであったことは否めません。
プッチーニは、駐在イタリア公使・大山綱介の妻・久子(野村素介の娘)の助言を得て、日本音楽に関する資料を取り寄せました。
異国情緒をたっぷりちりばめて、悲恋のストーリーを組み立てて、こりゃヒット間違いなし!
自動車事故で重傷を負う等苦労はありましたが、1904年、ついにオペラ『蝶々夫人』はついにイタリア公演にこぎつけます。
初演は散々な評判でした。
終演後までブーイングと口笛の嵐に見舞われ、プッチーニはこう漏らします。
「まるでリンチされているみたいだ」
さしもの東洋ブームも、イタリアにはまだ及んでいなかったとか?
プッチーニは改稿を重ね続け、やっと好評を得ることに成功しました。
1906年のパリ公演のために用意された第6版が、現在に至るまで定番とされております。


『蝶々夫人』の呪いを吹っ飛ばせ
このようにたどってきますと、『蝶々夫人』というのは当時蔓延していた妄想の塊であり、21世紀現在から見ますと「それはどうなんや」と突っ込みどころが満載の作品ではあります。
ただ、名作であることは確かです。
1970年代のベトナム戦争に舞台を置き換え、米兵と現地女性のロマンスに翻案した『ミス・サイゴン』。




『蝶々夫人』以来の東洋人感に酔いしれた西洋人が、思わぬしっぺ返しをくらう、『Mバタフライ』という作品もあります。



『蝶々夫人』の描いた「従順で性的に魅力的なアジア系女性」という像は、21世紀現在では「人種ステレオタイプ」として批判の対象となります(所謂「イエローフェイス」)。

ガキ使「ブラックフェイス」問題は歴史アプローチでコトの本質が見えてくる
https://bushoojapan.com/world/2018/01/12/108866


そしてこのアジア女性にかけられた呪いは、21世紀現在においても効力を持っています。

◆#MeToo は誰でも言えるわけじゃない。アジア系女性たちの悩み
https://www.buzzfeed.com/jp/susancheng/metoo-for-asian-american-women-in-hollywood?utm_term=.jmvnNnl7K

「アジア系米国人やアジアの女性には、小さくて内気でソフトだという固定観念があります。そのため、男性たちは過度に女性として意識し、性差別的な言葉をかけやすいと感じるのです。そして、私たちはそれを受け流すべきことだととらえるようになりました」とタンチャローエンは話す。
「私は今日、アジア系女性のために行進します。アジア系女性は無視され、決めつけられ、フェティシズムの対象にされ、かわいい女の子はこうあってほしいという欲望を満たすよう期待されてきました」とウーは宣言し、聴衆から拍手喝采を受けた。
小さくて、内気で、ソフト。
決めつけられ、フェティシズムの対象にされ、かわいい女の子はこうあってほしいという欲望を満たすよう期待されてきた。
これぞまさに『蝶々夫人』です。
繰り返しますが、『蝶々夫人』は実在した日本人、あるいはアジア人女性からはほど遠い存在です。
蝶々の紋章を好んだグラバー夫人ツルは、たくましく長く生き延びました。
ルジャンドル夫人は武家の娘として気丈に堪えましたが、自殺はしていません。
ロティの愛人は、金勘定をして愛人になるほど、したたかな女性でした。
西洋人男性が「こういうかわいい愛人いたら最高だよね」と妄想しながら作り上げた像、それが蝶々夫人であり、「ハイクを詠むニンジャスレイヤー」と同じくらい、事実からほど遠いものです。
そんな像に未だに縛られ、これぞ日本人女性の理想像と言われたところで、だから何だ、現実を見ろ、知らねーし、という反応でよいのではないでしょうか。
アジア人女性も、映画作品等ではソフトでかわいらしい印象から抜けだし、強い像となりつつあります。
いくら名作だろうと『蝶々夫人』は時代遅れ。
次の日本人女性、アジア人女性の像が求められるところです。

『デッドプール2』に登場した日本人ミュータント・ユキオ。
めちゃんこ強いので続編に期待しよう!!


https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/07/13/114978

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/908.html#c3
[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
27. 中川隆[-13697] koaQ7Jey 2020年2月18日 10:42:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-276]
プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/908.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c27
[近代史3] ビゼー 『カルメン』


ジョルジュ・ビゼー 『カルメン』


ビゼー 歌劇「カルメン」(Bizet: Carmen) 2013 OCT 14 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/10/14/ビゼー%E3%80%80オペラ-「カルメン」/



地中海音楽めぐり、スペイン編その3は泣く子も黙る名作「カルメン」でいきましょう。
                            
「カルメン」は1875年にフランス人のジョルジュ・ビゼーが書いたスペインを舞台とするオペラです。


モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、プッチーニ、ロッシーニは多くのヒット作を書いた強豪オペラ作曲家5人組です。そこにたった1本しかヒット作がなかったベートーベンを加えるのに異を唱えるクラシック音楽愛好家はいても、同じく1本だったビゼーの名を加えるのに反対の方は少ないのではないでしょうか。


なぜならその1本はヒットでなく、逆転満塁サヨナラホームランなみに記憶に残るものだったからです。


ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)は1838年にパリで生まれました。
モーツァルトは「魔笛」を初演した3か月後に36歳で急逝しましたが、ビゼーも「カルメン」初演の3か月後に37歳で急逝しています。


どちらの作品もあまりスタンダードでない「セリフ入り」(ジングシュピールとオペラ・コミック)であったのも数奇なものです。


カルメンは主役がメゾ・ソプラノであり、王女や姫でなく女工という下層階級の女であるのも当時の型破りでした。ヴェリズモ・オペラの先駆と言っても過言ではないでしょう。


ビゼーとモーツァルトを比べる人はあまり見かけませんが、その2曲の運命の符合はともかく、彼らは才能においても双璧であったと僕は信じております。


ビゼーの他の作品といえばオペラが「真珠とり」、それから劇付随音楽「アルルの女」と交響曲ハ長調の3曲が多くの愛好家の知る所でしょう。


僕が2−3歳ごろ聴かされていた(はずの)親父のSPレコードに「真珠とりのタンゴ」なるものがありました。三つ子の記憶に今も残るほどの名旋律であって、それなのにどうして海女さんがタンゴを踊るんだろうと「真珠とり( Les Pêcheurs de perles)」のアリアを聴くまで思っておりました。しかしそのオペラもレアものの部類です。


カルメン以外は現代ではどうしても軽めのレパートリーとなってしまい、カルメン一発屋というイメージになっているのです。


しかし、彼が17歳(高校2年ですね)で書いた交響曲ハ長調は、私見ではモーツァルトがその年齢で書いたどの曲より魅力的です。「高校生作曲オリンピック」があったとしてビゼーは僕の中では金メダリストかつ世界記録保持者であり、人類史上彼の金を脅かしたのはモーツァルトとメンデルスゾーンだけと思っております。根拠は以下の通り。


まず9歳でパリ音楽院に入学。ピアノ、オルガン、ソルフェージュ、フーガで一等賞を取っている。


これは小学校3年生の少年がウルトラ飛び級でジュリアード音楽院に入り4科目で首席になったようなもの。


19歳でローマ大賞を獲得。


フランツ・リストが新作として書いて「これを弾けるのは私とハンス・フォン・ビューローしかいない」と豪語したピアノ曲を23歳のビゼーは一度聴いただけで演奏し、楽譜を渡されると完璧に演奏。リストに「私は間違っていた」と言わしめた。


リスト自身がグリーグのピアノ協奏曲を初見で弾いた男。その彼の初見能力を上回っていたということになると、歴史上浮かぶ名はモーツァルトしかないでしょう。


「カルメン」はドビッシー、サンサーンス、チャイコフスキーに絶賛され、ニーチェは20回も見たそうです。


20回!わかりますね。
一度憑りつかれるともう離れられない麻薬のような音楽です。



あらすじ
                            


第1幕
時は1820年頃、舞台はスペインのセヴィリャ。煙草工場の女工カルメンは喧嘩騒ぎを起こし牢に送られることになった。しかし護送を命じられた伍長ドン・ホセは、カルメンに誘惑されて彼女を逃がす。パスティアの酒場で落ち合おうといい残してカルメンは去る。


第2幕
カルメンの色香に狂ったドン・ホセは、婚約者ミカエラを振り切ってカルメンと会うが、上司とのいさかいのためジプシーの密輸団に身を投じる。しかし、そのときすでにカルメンの心は闘牛士エスカミーリョに移っていた。


第3幕
ジプシー女たちがカードで占いをする。カルメンがやると不吉な暗示が出る。
密輸の見張りをするドン・ホセをミカエラが説得に来る。やってきた闘牛士エスカミーリとドン・ホセが決闘になる。


カルメンの心を繋ぎとめようとするドン・ホセだが、ミカエラから母の危篤を聞きカルメンに心を残しつつ密輸団を去る。


第4幕
闘牛場の前にエスカミーリョとその恋人になっているカルメンが現れる。
エスカミーリョが闘牛場に入った後、1人でいるカルメンの前にドン・ホセが現れ、復縁を迫る。復縁しなければ殺すと脅すドン・ホセに対して、カルメンはそれならば殺すがいいと言い放ち、逆上したドン・ホセがカルメンを刺し殺す。


まずは前奏曲です。これを知らない人は少ないのではないでしょうか。


Bizet - Carmen - Overture



次にエスカミーリオの「闘牛士の歌」。これも人類史に残る名曲中の名曲であります。


Simon Estes. Votre toast, Carmen, G. Bizet.
Choeurs et Maîtrise de Radio France
Orchestre National de France
Seiji Ozawa, 1988




エスカミーリオ役はカルメンが惚れるぐらいの男でなくてはいけません。この映像はいい感じです。そしていよいよカルメンの「ハバネラ」。真打ちマリア・カラスです。





この人、そのままカルメンであってもいい感じですね。


そしてアンサンブルを一つ。第3幕の「カルタの3重唱」(カルメン、メルセデス、フラスキータ)です。


Carmen Trio des cartes Scala de Milan 7 12 2009 live Google Chrome


女性のトリオというと魔笛の3人の侍女を思い出します。こうして名場面をご紹介していると結局は全曲になってしまうぐらいこのオペラはすばらしい。もうひとつだけ、僕が大好きな場面をあげさせていただきましょう。


「お母さんのいる故郷へ一緒に帰りましょう」と必死にドン・ホセを説得する純情なミカエラは、メリメの原作には出てきません。原作はあまりに血なまぐさく、カルメンを含めたワルたちが凄惨にワルであり、劇場にそぐわないということで改作したそうです。


そうしなければ第1幕、僕が大好きな「手紙のデュエット」(ミカエラ、ドン・ホセ)はなかった。僕はカルメンにあまり関心はないがミカエラは大好きなのです。ビゼーがこの役に書いた音楽の素晴らしいこと!お聴きください。


P.Domingo and I.Buchanan/Duet from CARMEN
Vienna State Opera. 1978. Placido Domingo and Isobel Buchanan sing duet from CARMEN (Bizet).




高松宮殿下記念 世界文化賞の音楽部門受賞で来日したプラシド・ドミンゴはもうすっかりお爺さんだったが、このドン・ホセは全盛期の姿で凛々しい。しかし、ブキャナンのミカエラはかわいいですね。僕だったら迷うことなく故郷に帰ってますが・・・。


この曲は初めの音符から最後の音符まで、奇跡の連続です。
ビゼーの天才の宝石箱からこぼれ出た音符についてどんなに言葉を尽くしてもむなしいものがある。


ひとたびあの前奏曲が始まってしまえば、アリアを立ち止まって味わうどころか次々に眼前をよぎる絶美妖艶を極める音楽の奔流に飲みこまれるしかなく、はっと気がつくとオペラは終わっている。そんな曲です。


G.Bizet "Carmen" [ M.Callas & G.Pretre Pariss-NOp ] (1964)



ジョルジュ・プレートル / パリ・オペラ座管弦楽団 
カルメン:マリア・カラス
ドン・ホセ:ニコライ・ゲッダ
ミカエラ:アンドレア・ギオー
エスカミーリョ:ロベール・マサール
フラスキータ:ナディーヌ・ソートロー
メルセデス:ジャーヌ・ベルビエ
ダンカイロ:ジャン=ポール・ヴォーケラン
レメンダード:ジャック・プリュヴォス/モーリス・メヴスキ
モラレス:クロード・カル
スニガ:ジャック・マル
ルネ・デュクロ合唱団(コーラス・マスター:ジャン・ラフォルジュ)
ジャン・ぺノー児童合唱団


僕にとってのカルメンは実演ではアグネス・バルツァ、録音ではこのマリア・カラスです。


カラスはこれを舞台で一度も歌っていません。
フランコ・ゼッフィレッリ監督の映画「永遠のマリア・カラス」はフィクションですが、それをカルメンに設定したのはわかる気がします。それほどこの役はカラスに合っており、このCDを聴くにつけなぜ歌わなかったのか不思議です。


彼女の声質からしてメゾのこれは物足りなかったのでしょうか。


もうひとつこのCDの魅力は、フランス人ソプラノであるアンドレア・ギオー(右・写真)のミカエラです。決して有名な歌手ではなく録音も多くないのですが、僕は彼女の声質が大好きです。それがこれまた大好きなミカエラにぴったりでありたまりません。


ニコライ・ゲッタの人のよさそうなドン・ホセもいいですね。
ロベール・マサールのエスカミーリョはやや軽い。いかにも性悪そうで存在感が抜群のカラスのカルメンが惚れこむほどの男には聞こえないですね。


第3幕「カルタの三重唱」で不吉な運命を知ったカラスが歌う暗い情念は歌手というより役者の迫力です。こんなカルメンは聴いたことがない。


にもかかわらず他の歌手はみんな軽めの声というのは対照的であり、この録音はオペラ「カルメン」を聴かせるよりマリア・カラスを浮き彫りにする意図があったと思わざるを得ません。

もうひとつ挙げておきましょう。


Bizet. CARMEN. Simionato, Gedda, Gueden, Roux, Sciutti, Sordello. Viena. Octubre 8, 1954



ヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン交響楽団

カルメン:ジュリエッタ・シミオナート
ドン・ホセ:ニコライ・ゲッダ
エスカミーリオ:ミシェル・ルー
ミカエラ:ヒルデ・ギューデン
フラスキータ:グラツィエッラ・シュティ
他                     ウィーン国立歌劇場合唱団
(1954年10月8日、ウィーン、ムジーク・フェラインでのライブ)



カラヤンは RCA(63年、ウィーン・フィル)とDG(82年、ベルリン・フィル)の2種のスタジオ録音を残していますが、何といってもこのライブが最高です。


カラスを聴いてしまうとシミオナートのカルメンは奔放、蓮っ葉という感じが薄く聴こえますが、こういう色気のほうがまともでしょうか。


ゲッタはここでも健闘しています。
ギューデンのミカエラはまあまあというところ。
エスカミーリオのルーはちょっとスマートなフランス男という感じもするが音楽的には聴かせます。


この演奏の白眉は歌手よりもカラヤンの指揮でしょう。
脂の乗り切った46歳。若々しいテンポでぐいぐいとオーケストラをドライブし、歌手も含めた大きな一つのアンサンブルとしてまとめ上げる手腕は素晴らしいの一言です。


それはトスカニーニのオペラ指揮にしか感じられないほどの求心力で、カラヤンがそのスタイルを目指していた頃の傑作といえるでしょう。


オケも非常に気合が入っており、カラヤンとは信じられないアッチェレランドがかかったりしますが鋭敏に反応しています。


録音はモノラルですが良好で、オーケストラピットがのぞけるぐらい舞台に近い席で聴いているようなライブ感にあふれています。カルメンが好きな方には一聴をお薦めいたします。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/10/14/ビゼー%E3%80%80オペラ-「カルメン」/


▲△▽▼


Bizet Carmen Bumbry,Vickers,Diaz,Freni;Herbert von Karajan, Chor der Wiener Staatsoper, Wiener Ph


▲△▽▼



Carmen. Georges Bizet. Karajan.


Salzburg, Grosses Festspielhaus, 26 July 1985
Carmen Agnes Baltsa
Micaëla Janet Perry
Don José José Carreras
Escamillo José Van Dam
Frasquita Graciela De Glyndenfeldt
Mercédès Jane Berbié
Le Dancaïre Michel Sénéchal
Le Remendado Heinz Zednik
Zuniga Alexander Malta
Moralès Armand Arapian
Lillas Pastia Albert Medina
Andrés David Clair


Orchestra Wiener Philarmoniker
Coro Wiener Staatsoper
Direttore Herbert von Karajan


▲△▽▼


Georges Bizet "Carmen" Baltsa, Carreras, Van Dam, Ricciarelli; Karajan







Carmen: Agnes Baltsa
Don José: José Carreras
Escamillo: José van Dam
Micaela: Katia Ricciarelli


Berliner Philharmoniker; Choeur del´Opera de Paris
Herbert von Karajan 1983

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/909.html

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
28. 中川隆[-13696] koaQ7Jey 2020年2月18日 13:19:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-275]

ビゼー 『カルメン』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/909.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c28
[近代史3] ビゼー 『アルルの女』
ジョルジュ・ビゼー 『アルルの女』


ビゼー「アルルの女」(Bizet: L’Arlésienne)2013 OCT 20 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/10/20/ビゼー%e3%80%80「アルルの女」-%ef%bc%88larlesienne%ef%bc%89/



音楽による地中海めぐり、フランス編の第2は有名なアルルの女です。


「アルルの女」(L’Arlésienne)はカルメンを書く前年にビゼー34歳で書いたドーデの「風車小屋便り」から取った戯曲への劇付随音楽です。


後にオーケストラのための2つの組曲が編まれ、第1番はビゼー自身、第2番は友人のエルネスト・ギローによるもの。現在演奏されるのはほとんどこの組曲版の方です。


アルルは下の地図の矢印の先、マルセイユの西、モンペリエの東に位置します。


1983年、米国留学の夏休みにこの地図の西から東へドライブしましたがそれが初の南仏(プロヴァンス、コート・ダ・ジュール)体験で、アヴィニョン、アルル、エクサン・プロヴァンス、マルセイユと南下して地中海沿いをカンヌ、アンティーヴ、ニース、サン・ポール、モンテカルロ・・・と行きました。


外国といえば米国しか知らなかった僕の眼にここの絶景、文化、気候、食事は衝撃であり、美意識の土台にどっしりと組込まれることとなり、地中海地方への変わらぬ愛着となってここに何度も足を運ぶこととなりました。



「アルルの女」のあらすじはwikiからお借りしましょう。


「南フランス豪農の息子フレデリは、アルルの闘牛場で見かけた女性に心を奪われてしまった。フレデリにはヴィヴェットという許嫁がいるが、彼女の献身的な愛もフレデリを正気に戻すことはできない。


日に日に衰えていく息子を見て、フレデリの母はアルルの女との結婚を許そうとする。
それを伝え聞いたヴィヴェットがフレデリの幸せのためならと、身を退くことをフレデリの母に伝える。


ヴィヴェットの真心を知ったフレデリは、アルルの女を忘れてヴィヴェットと結婚することを決意する。


2人の結婚式の夜、牧童頭のミティフィオが現れて、今夜アルルの女と駆け落ちすることを伝える。物陰からそれを聞いたフレデリは嫉妬に狂い、祝いの踊りファランドールがにぎやかに踊られる中、機織り小屋の階上から身をおどらせて自ら命を絶つ。」


イタリアの作曲家フランチェスコ・チレアにも同名のオペラがあり、そこではアルルの女は牧童頭の元恋人の尻軽女とされていますが、いずれのリブレットでも彼女は名前が不明なのです(まったく関係ないのですが、つい僕はこっちも名前は最後まで不明だったウイリアム・アイリッシュの名作「幻の女」を思い出してしまいます)。


ともあれ男が嫉妬に狂って自殺するというのは「若きウエルテルの悩み」のフランス版本歌取りかもしれませんね。そういうえばカルメンも男の嫉妬が主題でしたが、嫉妬の結末はやっぱり決闘が王道なんじゃないでしょうか。


どうも女を殺したり自殺したりというのは女々しいような気がするんですが、そういう迷える男に共感する美学が18−19世紀のヨーロッパにはあったんでしょうか。何といっても、あのナポレオン・ボナパルトがウエルテルを戦地で7回も読んだというのが驚きです。写真はアルルの円形闘技場です。


ところでアルルにはフィンセント・ファン・ゴッホが住んでいましたね。


Fields of St. Etienne - Mary Hopkin


ゴッホはプロヴァンス地方の景色と色彩に魅かれてここに移り1888年2月〜1889年5月の期間をゴーギャンと過ごしたのですが、徐々に精神を病んで例の「耳きり事件」を起こしたのです。


右はアルルの「アングロワのはね橋」(1888年)です。


ゴッホに色覚異常があったという説は真偽不明ですが、以前書きましたように、色弱である僕の眼に彼の絵はひときわ鮮烈な色彩の像を結ぶのはまぎれもない事実です。


その強烈なインパクトはうまく表現できませんが、普通にミレーが好き、ルノワールが好きというのとはたぶん違っていて、昆虫の眼が蜜のある花を選び出すように僕の眼はゴッホの色彩をあらゆる絵画で最も美しいものとして感知するのです。


僕にとってこんな画家は2人とおりません。


右の「夜のカフェテラス」(1888年)は「アルルのフォラン広場」でこのカフェは現存します。おそらく僕の眼は彼の濃いブルーに強く反応していて、それと黄色系(と僕には見える) の強い対比の心地よさなど何時間見ていても飽きません。


ゴッホの色彩だけは一瞥にして僕の脳髄の奥の奥に達し、心の中の暗い風景を根底から吹き飛ばしてしまうぐらいの破壊力をもっているのです。


右の「収穫」(1888年)のような青黄の対比は僕がラヴェルやファリャやレスピーギの管弦楽法、和声に聴き取っているものに非常に近いと思います。


ゴッホを知る前からたぶんこういう感覚が好きであり、ヨーロッパに11年半住んでますます好きになり、50年クラシック音楽を聴いてやはりますます好きになったというのが自分史だったのだと思います。


そして僕がビゼーのカルメン、アルルの女の特に和声に聴いているものも、それに極めて近いものです。それはいつ聴いても新鮮であり、音楽の秘宝に満ちている。


この「糸杉のある麦畑」(1889年)のように謎めいた均衡と流動があって、見る者の心もざわつくようなもの。静止している風景画ではない「時間価」を内包した4次元時空絵画なのです。


音楽は時間が加わっていますが、ビゼーの音楽は同じメロディーに付けられた和声や対旋律が時々刻々と微妙な色彩変化を遂げていくという形で他の音楽にない「時間価」を内包しています。変奏ではなく同じメロディーのリピートですが、この糸杉の後ろの雲のように色調だけはどんどん変わる。オーケストレーションもそうです。あのジョージ・セルがビゼーの楽器法を高く評価しています。僕にはこの4次元時空性に耳をそばだてずにビゼーを聴くことも演奏することも評価することも考えられません。


ひとつその代表例をお示ししましょう。下の楽譜(ピアノ譜)をご覧ください。第2組曲の第4曲「ファランドール」で、冒頭のメロディーに付随する和声が刻々と変容を遂げ、ついにオレンジ色の部分の驚くべき色彩に行き着くのです。


何に驚くかというと、ここはロ短調のドミナント(嬰へ長調)で来ていて13小節目でアルトのc#がc♮になる。つまりF#の曲にいきなり最も遠隔調であるC(ハ長調)を突き付けられるからです。ところが11−12小節目でバスがc#、h、a#、a♮と順次下降して13小節でdにドスンと落っこち、これがCを支えるので和音はそれを土台にDを経てあっという間に元へ戻る。ここは四分音符=130~140ぐらいの高速で通り過ぎるので、そんなすごい転調が行われていることに気づく人はまずいないでしょう。「驚くべき色彩」と書きましたが、せいぜい色彩の変化と思うぐらいです。ビゼーの天才はなめられません。


それでは、「アルルの女」を全曲お聴きください。両組曲は以下のように4つの曲から成り立っています。


< 第1組曲>  前奏曲、メヌエット、アダージェット、カリヨン


< 第2組曲>  パストラール、間奏曲、メヌエット、ファランドール


Bizet: L'Arlesienne Suites 1 & 2 - Von Karajan, 1958



第2の方の「メヌエット」だけはギローがビゼーの他の作品(美しきパースの娘)転用したものですが。僕は中学時代にいっときこの8曲が毎日頭の中で鳴るほど夢中になりましたが、今聴きかえしてみると「アダージェット」の美しさは壮絶なものであります。マーラー5番のアダージョにまで血脈を感じます。


CDです。

イーゴリ・マルケヴィッチ / コンセール・ラムルー管弦楽団




Igor Borisovitch Markevitch (1912-1983), Conductor
Orchestre Lamoureux (Concerts Lamoureux)
Rec. December 1959, in Paris



マルケヴィッチ(1912−83)はバレエ・リュスのディアギレフに見いだされたロシア生まれの作曲家でストラヴィンスキー、プロコフィエフの同輩ということになり、バルトークは彼を「現代音楽では最も驚異的な人物」と評しています。


ラムルーは決して一流のオケではありませんがマルケヴィッチが振ると黄金の輝きに変わる観があります。この演奏、録音は古いのですが昔のフランスオケの気品と色香が散りばめられて無類の説得力があり、例えばカルメン前奏曲は掃いて捨てるほどCDがありますがもうこれでなくてはというテンポ、間、音の張り、押し出しetcで文句なし。


アルルの女も全部が名演です。うまいというよりも下衆な例えですが、カラオケにその曲の本物の歌手が現れて歌った感じで、ほかの人は霞んでしまう。オーセンティシティを感じされるオーラがあるとしか表現ができません。



アンドレ・クリュイタンス / パリ音楽院管弦楽団


G.Bizet Orchestral-Suites [ A.Cluytens OSC-Conservatoire ] (1964)


1. Carmen-Suite (0:00)
2. L'Arlesienne-Suite#1 (8:43)
3. L'Arlesienne-Suite#2 (26:39)



最も定評あるものでしょう。カルメンの組曲もスタンダードの名演といってよく、まずはこれを聴いておくのが王道。


管楽器の独特の色香はラヴェルのコンチェルトでも絶対の魅力でしたが、ここでも前奏曲のクラリネット、バスーン、間奏曲のアルト・サクソフォーン、第2のメヌエットやのフルート、カリヨンの中間部の木管合奏、などふるいつきたくなるようなフランスの音色です。


ただ残念なのは(このオケの弱点なのですが)弦がいまひとつ美しくなく、木管もピッチが時々怪しい。クリュイタンスという人は精緻な指揮をする人ではないということです。そういう減点はあるが、トータルに見れば魅力あるアルルの女といえるでしょう。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/10/20/ビゼー%e3%80%80「アルルの女」-%ef%bc%88larlesienne%ef%bc%89/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/910.html

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
29. 中川隆[-13695] koaQ7Jey 2020年2月18日 13:43:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-274]
ビゼー 『アルルの女』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/910.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c29
[近代史3] ビゼー 『カルメン』 中川隆
1. 中川隆[-13694] koaQ7Jey 2020年2月18日 13:47:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-273]

カルメンはビゼー最晩年35才の作品だが、そうはいっても36才で亡くなった人だ、還暦まで生きていればずいぶん若書きの作品であって、やはり35才でモーツァルトが書いた魔笛に匹敵する。僕の中ではカルメン、魔笛、ボエームが三大オペラで隅々まで全部覚えるほど聴いて血肉となっているが、それでいながら何度でも聴きたいし、聴くたびに感動するというのだから強烈なオーラを放つ究極の名曲としか書きようがない。

そのビゼーの真の意味での若書きが交響曲ハ長調である。これを書いたのがなんと17才、今なら高校2年というのは、メンデルスゾーンの「弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20」が16才、『夏の夜の夢』序曲がやはり17才の作であると知った驚きにいささかも劣らない。天与の才があることを gifted というが、神様からギフトをもらって生まれてきた3羽ガラスというなら並みいる歴史的天才の中でもモーツァルト、メンデルスゾーン、ビゼーということになると思う。

なにせ3人とも苦学臭が皆無である。勉強でも東大には何の苦労もなく物凄くできる人がいて、何倍も時間をかけて刻苦勉励するガリ勉くんより点が良かったりするが、あれと同じだ。日本ハムの4番打者中田が大谷の打撃を見て「練習するのがあほらしくなる」と言ったがそういうことで、勉強でもそういう輩と競争するのは何の生産性もない。gift とはそういうものだ。

この3人に比べるとベートーベンやブラームスもガリ勉に見えてしまうので困る。神様の gift にも品目が各種あるということであって、苦しんでもあそこまでの高みに登れば100年や200年たっても余人の及ぶところではないのだが、彼らの17才は演奏家という人間の仕事では図抜けていたものの、作曲という創造主の仕事では3人に比してたいした成果がない。

ついでにもうひと種目挙げれば、美しい旋律を創るメロディーメーカーの才の3羽ガラスはモーツァルト、ヨハン・シュトラウス2世、ドヴォルザークだろう。あとの2人はブラームスが羨望の言葉を吐いたほどだが、またモーツァルトなの?といわれるとこれはもうどうしようもない、彼はあらゆる角度から本当の天才なのだから。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2016/12/09/ビゼー-交響曲ハ長調/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/909.html#c1

[近代史3] プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』 中川隆
4. 中川隆[-13693] koaQ7Jey 2020年2月18日 13:53:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-272]
イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ

ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini, 1858 - 1924)

甘く流麗なメロディーが魅力の20世紀を代表するオペラ作曲家。

蝶々婦人以外は断片しか知らないのだが、蝶々婦人の1幕最後の二重唱に関しては甘く切なくとろけそうな時間が延々と続いて最高に楽しくて大好きである。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/イタリア

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/908.html#c4

[近代史3] プッチーニ オペラ 『ラ・ボエーム』 中川隆
1. 中川隆[-13692] koaQ7Jey 2020年2月18日 13:54:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-271]

イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ

ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini, 1858 - 1924)

甘く流麗なメロディーが魅力の20世紀を代表するオペラ作曲家。

蝶々婦人以外は断片しか知らないのだが、蝶々婦人の1幕最後の二重唱に関しては甘く切なくとろけそうな時間が延々と続いて最高に楽しくて大好きである。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/イタリア
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/907.html#c1

[近代史3] 人類進化史 中川隆
40. 中川隆[-13691] koaQ7Jey 2020年2月18日 14:27:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-270]
2020年02月18日
西秋良宏「東アジアへ向かった現生人類、二つの適応」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_39.html


 朝日選書の一冊として朝日新聞出版より2020年2月に刊行された

西秋良宏『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』
https://www.amazon.co.jp/アフリカからアジアへ-現生人類はどう拡散したか-朝日選書-西秋良宏/dp/4022630949


所収の論文です。


本論文はまず、現生人類がアフリカからアジアへ拡散前に存在したアジアの先住人類を取り上げています。その代表格というか最もよく知られているのはネアンデルタール人で、東方ではアルタイ地域まで拡散したことが確認されています。これは北方でのことで、南方では、現在のパキスタンとインドあたりまでネアンデルタール人の用いたムステリアン(Mousterian)石器が確認されています。ただ、パキスタンとインドでは明確なネアンデルタール人遺骸は確認されていません。また本論文は、ムステリアン石器が中華人民共和国内モンゴル自治区で発見されていることから(関連記事)、ユーラシア北方ではアジア東部までネアンデルタール人が拡散した可能性も指摘しています。

 本論文は、ヨーロッパで進化したネアンデルタール人がアジアにまで拡散した一因として、7万〜5万年前頃となる海洋酸素同位体ステージ(MIS)4の寒冷乾燥化を挙げています。ただ、本論文が指摘するように、アルタイ地域ではMIS4よりも前のネアンデルタール人の存在が確認されています。そこで本論文は、ネアンデルタール人の東方への拡散は少なくとも2回あった、と指摘します。本論文はその考古学的証拠として、MIS5にさかのぼるネアンデルタール人の存在が確認されているアルタイ地域のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の石器群と、近隣のチャグルスカヤ(Chagyrskaya)洞窟やオクラドニコフ(Okladnikov)洞窟の石器群とが異なることを挙げています。どちらもルヴァロワ技術を用いていたものの、チャグルスカヤ洞窟やオクラドニコフ洞窟では表裏非対称な両面加工の削器が頻用されていたのに対して、デニソワ洞窟ではそれが見られません。両面加工削器は、ヨーロッパでは中部旧石器時代後半のヨーロッパ中部および東部で流行したカイルメッサーグループ(Keilmessergruppen)に固有です。チャグルスカヤ洞窟やオクラドニコフ洞窟のネアンデルタール人は、ヨーロッパ中部および東部のカイルメッサーグループ集団がアルタイ地域にまで拡散してきたのに対して、デニソワ洞窟のネアンデルタール人はカイルメッサーグループが流行する前のヨーロッパ、もしくは流行していなかったヨーロッパから到来したのだろう、というわけです。ヨーロッパからアルタイ地域への移動で障壁になりそうなのはウラル川ですが、ウラル川が縮小した乾燥期にネアンデルタール人は渡河したのだろう、と本論文は推測します。本論文のこうした見解は、今年(2020年)公表された研究でも支持されており、ユーラシア草原地帯をネアンデルタール人は東進したのだろう、と推測されています(関連記事)。

 アジアの非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)としてはネアンデルタール人が有名ですが、2010年に初めて存在の確認された古代型ホモ属が、種区分未定のデニソワ人(Denisovan)です。デニソワ人はまずデニソワ洞窟でその存在が確認され、ネアンデルタール人と近縁な系統で、現生人類やネアンデルタール人との交雑が確認されています(関連記事)。アジア東部には種区分の曖昧な中期〜後期更新世のホモ属遺骸が少なからずあるので、それらの中にデニソワ人に分類できるものがある可能性は低くなさそうです。

 現生人類がアフリカからアジアへと拡散していった時期には、ホモ・エレクトス(Homo erectus)がまだ存在していた可能性もあります。アジア南部の十数万年前頃のホモ属遺骸の分類に関してはまだ議論が続いていますが、エレクトスも用いた握斧がアジア南部では13万年前頃まで使われており、中部旧石器の出現がその頃以降なので、現代人の主要な祖先集団ではないとしても、最初期の現生人類がアジア南部でエレクトスと遭遇した可能性も考えられます。

 アジア南東部では、エレクトス系統と考えられる(異論は根強いというか、むしろやや優勢かもしれませんが)人類が後期更新世まで存続していました。フローレス島においては5万年前頃までホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)が存続し、ルソン島では67000〜50000年以上前と推定されているホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)が存在していました(関連記事)。これらのホモ属は、現生人類と遭遇した可能性があります。フロレシエンシスの場合は、アジア南東部やオセアニアの現代人の主要な祖先集団が拡散してきた頃まで存在が確認されているので、あるいは現生人類との遭遇が絶滅の主因だった可能性もじゅうぶん考えられます。本論文は、アジア南部および南東部はアジア西部やヨーロッパや日本列島と比較して考古学の調査密度が格段に低いことから、今後も驚異的な発見がなされる可能性は高い、と指摘します。

 人類遺骸・考古学・遺伝学の証拠から、6万〜5万年前頃以降に現生人類がアジア各地に本格的に拡散していったことはほぼ確実とされています。一方、その前の20万年前頃にも現生人類はアジア西部まで拡散していました。本論文は、6万年前頃よりも前の現生人類のアフリカからの拡散を第一次出アフリカ、それ以後の拡散を第二次出アフリカと呼んでいます。第一次出アフリカで現生人類は現在のギリシアまで拡散していたようですが(関連記事)、それよりも西方のヨーロッパ地域にまで拡散していた証拠はまだありません。東方への拡散に関しては、ヒマラヤ山脈の北方を通りアジア中央部から北東部へと拡散する経路と、南方を通りアジア南部から南東部へと拡散する経路が考えられます。

 北方経路に関しては、第一次出アフリカの確実な証拠はまだありません。近年、これに関して注目されているのは、ウズベキスタンのオビラハマート(Obi-Rakhmat)洞窟の人類遺骸です。じゅうらい、その年代は中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行期となる5万年前頃と推定されていましたが、2018年に11万〜10万年前頃と報告されています。以前から、オビラハマート洞窟の少年の歯はネアンデルタール人的である一方で、頭蓋断片はネアンデルタール人的特徴と現生人類的特徴とが混在している、と指摘されていました(関連記事)。本論文は、この少年遺骸と共伴する石器群が、アジア西部で最古となる19万〜18万年前頃の現生人類的遺骸が発見されているミスリヤ洞窟(Misliya Cave)の石器群(関連記事)と類似していることに注目しています。

 類似した石器群は、ウズベキスタンのホジョケント(Khodjakent)遺跡でも発見されています。中部旧石器時代前期となるこれらの石器群は、イスラエルのタブン(Tabun)洞窟の層位的証拠に基づいてタブンD型と呼ばれています。タブンD型石器群はアジア西部および中央部だけではなく、ジョージア(グルジア)のデジュルジュラ(Djruchula)洞窟でも発見されており、年代は20万年以上前と推定されています。デジュルジュラ洞窟ではホモ属の歯が1点発見されており、ネアンデルタール人と推定されています。アジア西部のタブンD型石器群は25万〜10万年前頃と推定されています。本論文は、オビラハマート洞窟とデジュルジュラ洞窟のホモ属遺骸がともにネアンデルタール人だとすると、アジア西部の現生人類とは独立して類似したタブンD型技術を発展させたか、アジア西部の初期現生人類集団と交雑も含めた交流があったかもしれない、と指摘します。さらに東方となると、中国北東部ではタブンD型もその後のルヴァロワ技術で幅広剥片を多産するタブンC型も発見されていません。そのため本論文は、第一次出アフリカの北方経路に関しては、仮にあったとしても、アジア東部にまでは到達しなかっただろう、と指摘します。

 南方経路に関しては、アフリカの初期現生人類の石器と類似した石器がアラビア半島やアジア南部で発見されていることと、アジア南東部やオセアニアで5万年前以前の現生人類の痕跡が報告されていることから、以前より可能性が高いと主張されていました。12万〜10万年前頃と推定されているアラビア半島南部のジェベルフアヤ(Jebel Faya)遺跡C層では、アフリカ東部の初期現生人類に好まれていた両面加工石器(下部旧石器時代の握斧とは異なり、細長い形態も含まれます)が発見されました。同時代のアフリカ北東部で流行していたヌビア型との類似性を指摘するアラビア半島南部の石器群も報告されています。本論文は、この両面加工石器の存在から、現在のイラン南部やパキスタンあたりまで初期現生人類が拡散していた可能性を指摘します。また、パキスタンのタール渓谷では、ヌビア型石核剥離技術の石器が報告されています。

 インド東部中央のジュワラプラム(Jwalapuram)遺跡では、タブンC型に類似したルヴァロワ技術が確認されており、これもアジア南部への現生人類拡散の根拠とされています。昨年(2019年)、インドのサンダヴ(Sandhav)遺跡の11万年前頃のルヴァロワ石器群が報告されており(関連記事)、南方経路での第一次出アフリカのさらなる証拠と言えるかもしれません。ただ本論文は、アジア南部のこれら中部旧石器時代の石器群について、どれも確実とは言えない、と指摘します。アジア南部の両面加工石器群はどれも表面採集で年代が確定的ではなく、ジュワラプラム遺跡の74000年前頃よりも古い層では、両面加工石器やヌビア型石器は発見されていない、というわけです。南方経路に関しては、アジア南部で確定的な証拠が発見されていなくとも、さらに東方のアジア南東部やオセアニアで発見されていれば確証される、とも言えそうです。これに関しては、オーストラリアやスマトラ島などで6万年以上前の現生人類の痕跡が主張されていますが、それらの年代には疑問も呈されています(関連記事)。

 第二次出アフリカの証拠は一気に増え、考古学的な時代区分では上部旧石器時代初頭となります。その特徴は、中部旧石器時代のルヴァロワ方式の伝統を残しながら石刃を生産する石核剥離技術です。そうした石器群がアルタイ地域のカラボム(Kara-Bom)遺跡で発見されており、年代は47000〜45000年前頃と推定されています。当初、この石器群は在地における中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行と解釈されていましたが、現在では、西方からの集団の拡散とする見解の方が有力なようです。類似した石器群はモンゴルのトルボル(Tolbor)遺跡で発見されており、年代は45000年前頃と推定されています。類似した石器群は、東方では中華人民共和国寧夏回族自治区の水洞溝遺跡まで広がっており、年代は4万年以上前と推定されています。上部旧石器時代初頭の石器群は50000〜47000年前頃にレヴァントで出現したと推測されており、数千年で中国西部まで拡散したことになります。ただ、レヴァントとアルタイ地域の間のイラン北部やアジア中央部西方では、まだ発見されていません。チェコでは類似した石器群が発見されているので、ユーラシア北方草原地帯経由だったかもしれません。

 以上は北方経路でしたが、南方経路では、イラン南部での最古の上部旧石器こそ4万年前頃までしかさかのぼりませんが、そのずっと東方のアジア南東部やオセアニアでは、同じ頃かややさかのぼる頃の現生人類の痕跡が確認されています。たとえば、オーストラリアのウィランドラ湖群(Willandra Lakes)地域のマンゴー湖(Lake Mungo)やボルネオ島のニア洞窟群(Niah Caves)では4万年前頃の現生人類遺骸が発見されています。現生人類がどのようにアフリカやアジア西部からユーラシア南東部やオセアニアにまで到達したのかという問題で、本論文はインドのパトネ地方の遺跡群で発見されている半月形の幾何学石器群に注目しています。類似した6万数千〜5万年前頃の石器群が、タンザニアのムンバ(Mumba)岩陰遺跡や南アフリカ共和国のクラシーズ(Klasies)河口遺跡群などで発見されていることから、アフリカからアジア南部への直接的な拡散の可能性も指摘されています。また、ダチョウの卵殻で造られたビーズや線刻製品なども、アフリカとインドで発見されています。ただ本論文はこの仮説の難点として、両地域の中間地帯となるアラビア半島南部で類似した石器群が発見されていないことを挙げています。アラビア半島南部のジェベルフアヤ遺跡では、上述のように12万〜10万年前頃の石器群が発見されていますが、4万年前頃の層では、幾何学石器とは大きく異なる剥片主体の石器群が発見されています。アフリカとインドの幾何学石器については、現在では水没した地域に痕跡が残っている、との見解もありますが、収束進化との見解の方が有力なようです。

 考古学と人類化石の証拠からは、アフリカからアジアへの拡散は20万年前頃よりしばしばあったものの、最も成功したのは6万〜5万年前頃以降の拡散と考えられ、それはゲノム分析とも整合的です。その理由として、現生人類の認知能力が変異により飛躍的に進化史、象徴能力や短期記憶や学習能力が格段に高度になったから、との見解が提示されています。これは主に、現生人類と古代型ホモ属との考古学的記録の比較に基づいています。両者の間で最も目立つのは社会活動に関する遺構や遺物で、アジア西部に当てはまるとされていますが、北回り・南回りを問わず、他のアジア地域でも同様です。たとえば、集団内もしくは集団間の絆を示すような装身具や、洞窟壁画や、遠隔地素材を用いた道具などです。一方、ネアンデルタール人が装飾品を用いた事例もありますが、限定的です。ただ本論文は、こうした行動に関する証拠は、生得的な認知能力だけではなく、生まれ育った社会の歴史や文化、また選好や自然環境などにより変わることから、認知能力の飛躍的な進化を考古学的証拠のみで検証することに慎重です。

 本論文はこの問題との関連で、現生人類の拡散において、北回りではアジア西部、中でもレヴァントの石器製作技術が中国北部にまで及んでいた一方で、南回りではそうした明瞭な広域的類似が考古学的記録に見られない、と指摘します。これは研究進展度の違いに起因しているかもしれないものの、北と南の生態環境の違いを反映しているのではないか、と本論文は指摘します。生態環境によりヒトの生存戦略は違ってくるだろう、というわけです。北回りでも南回りでも温帯が中心ですが、北回りは寒帯と亜寒帯、南回りは熱帯と亜熱帯にも広がっています。

 北回りで現生人類遺跡の密集域は天山・ヒマラヤ山脈とその北縁の草原地帯と山麓地帯で、「シルクロード」ともほぼ重なり、更新世においても移動しやすい経路だったと考えられます。東西方向の移動は、類似した自然環境である場合が多く、一般的に南北方向の移動よりも容易です。北回りの現生人類集団の技術的特徴は石刃製作で、これは細長く規格的なので携帯性が優れていたからではないか、と本論文は推測しています。北回りでは資源密度が低く、単位集団あたりの領域は広かったと考えられるので、長距離移動を強いられる条件下では、携帯性に優れた道具が有利だった、というわけです。また、石刃は原石を有効に活用できることも利点だった、と本論文は指摘します。こうした石刃は槍に利用されていたと考えられ、さらに投槍器が用いられていた可能性もあります。

 一方南回りでは、アジア南部において、第二次出アフリカの痕跡を示す石刃石器群の分布が途絶えます。さらに、第一次出アフリカの痕跡も、ネアンデルタール人の痕跡も、アジア南部で途絶えます。本論文はその理由として、生態環境の違いによる適応技術の変更を挙げています。南回りでは、東西方向の移動とはいえ、モンスーン地域への適応を必要としました。アジア西部が地中海からの湿気による冬雨地域であるのに対して、アジア南部以東は日本列島と同じく大洋性の夏雨地帯で、夏は高温多湿で森林も発達しています。狩猟対象となるのも、ガゼルやロバなど草原性の動物から、スイギュウやサルや昆虫など大小さまざまな森林性動物へと変わります。また南回りでは、海洋や島嶼環境への適応も求められました。南回りでは、多様な技術を反映して、北回りよりもずっと現生人類拡散の考古学的証拠を見つけにくくなっています。また、アジア南東部以東で目立つのは特徴をとらえにくい剥片製の不定形石器で、中国南部では鋸歯縁をつけた不定形石化が目立つとされますが、中部旧石器時代の石器群と明瞭な違いを示すわけではないため、現生人類到達の指標とはしにくい、と本論文は指摘します。アジアのモンスーン地帯での現生人類の適応に関しては、民族誌から有機質の材料、とくに竹が石器の代替品とされていた可能性が指摘されています。ただ本論文は、竹を利用できたから現生人類がアジアのモンスーン地帯で成功した、というような見解には慎重で、古代型ホモ属も竹を利用できたはずと指摘します。また本論文は、南回りでの特徴として、島々へ渡海する技術や貝製釣り針を活用した釣魚技術などの開発を挙げています。現生人類の第二次出アフリカにおいて、南回りは斉一的な技術展開の北回りとは異なり、地域によりきわめて多様な適応が進みました。

 こうした石器技術の地理的差異は、すでに現生人類出現前の下部旧石器時代(サハラ砂漠以南のアフリカでは前期石器時代)に見られました。両面加工石器である握斧(ハンドアックス)は、アフリカやヨーロッパでは多数発見されていますが、アジア南東部以東ではめったに見られません。アジア南東部以東では、握斧以前の石器技術が長く用いられ続けました。この違いについては、開けた草原地帯と植生豊かな森林地帯とでは、社会の在り様、さらには文化の創造と伝達過程が異なったのではないか、との見解も提示されています。西方の草原地帯では、資源がオアシスなど特定地域に偏在する傾向にあり、ライオンなどからの捕食圧もあるので、比較的大きな集団での生活が有利だったのに対して、アジア南東部などの温暖森林では、どこでも一定の資源が得られ、捕食圧も低いため、集団が分散して少人数での生活が可能だった、というわけです。さらに、集団規模が大きいと社会学習が有効に機能するため複雑な技術も継承されやすく、確固たる石器製作技術伝統が発展する一方で、単位社会あたりの人口が少ないと、伝統を維持するよりは個体学習により地域的な文化を生み出す可能性が高くなる、との見解も提示されています。これは現生人類拡散前の地域的な石器技術の違いに関する説明ですが、現生人類についても示唆を与えるものと本論文は評価しています。


参考文献:
西秋良宏(2020)「東アジアへ向かった現生人類、二つの適応」西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』(朝日新聞出版)第2章P53-94


https://sicambre.at.webry.info/202002/article_39.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c40

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
8. 中川隆[-13690] koaQ7Jey 2020年2月18日 15:11:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-269]
iPodやパソコン のヘッドフォン・ジャックからアンプに接続するのが一番いい音だった

何百万円のCDプレーヤーとて、iPod の前には惨敗で
私が行きつけのヴァイオリン店でも
 私が上述の方法でiPodの音を店内スピーカで再生すると
 そのお店の社長さん以下全店員さん方が驚き
 その場で購入が決まり
私が行きつけのヴァイオリン工房の職工の方も
 私が上述の方法でiPodを再生すると
 驚きのあまり「それを買います」と仰られ
 翌日には買いに出かけられたほどです。

などと書きますと
「あんなオモチャみたいな装置の再生音に驚くほど
 ヴァイオリン弾きや
 ヴァイオリン店の社長や店員や
 ヴァイオリンの職工は、耳が悪いのか?」と思われる方も居るかもしれませんが
 それは大きな誤りです。
そもそも
 長年に渡り海外から楽器を買い付け販売して信用を築いて来た店の
 社長や従業員が、良い音が判らないはずがなく
さらには
 日本を代表する名奏者が集う名工であるとともに
 自ら大変なオーディオマニアとして
 オーディオマニアならば誰もが知る垂涎の的である一流機器を取り揃えている
 ヴァイオリンの職工が、耳が悪いはずがありません。

パソコンのスピーカー端子からアナログ信号をアンプに流した方が名曲喫茶のオーディオよりいい音になるんだよ
だからパソコンの 800円のスピーカーで聴く youtube はいい音なんだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c8

[リバイバル3] 小型車を制した物が覇者になる歴史 _ 高級大型車メーカーはやがて淘汰される 中川隆
1. 中川隆[-13689] koaQ7Jey 2020年2月18日 15:43:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-267]
2020年02月18日
自動車メーカーの地殻変動 テスラが急上昇しルノーと日産は消滅危機


テスラはトラックEVも好調

画像引用:https://api.time.com/wp-content/uploads/2019/11/gettyimages-1183832931.jpg?quality=85&w=1012&h=569&crop=1

ルノーと日産は経営危機

2019年から自動車業界に変化が見えていたが、2020年は中国ウイルス騒動で勝ち負けがはっきりしている。

まず負け組筆頭はルノーと日産でどちらも2019年の販売台数は大幅減で、通年で営業赤字を計上した。

ゴーン時代にルノーと日産は車体やエンジンを共同開発していたが、最近は行われていないという話も聞きます。


ルノーは仏マクロン大統領と組んで日産乗っ取りを企み、反発した日産側が東京地検にゴーン逮捕を仕掛けたと言われている。

日産はルノーから離脱をもくろんだがあまりの業績低迷で難しくなり、ルノーも苦しんでいる。

ルノーは資金繰りが苦しくなり保有する日産株売却を検討していると報じられ、買い手候補に上がっているのがホンダです。


ホンダと日産の年間販売台数はほぼ同じで、ホンダも日産ほどではないが業績が低迷している。

ホンダは他社とグループを形成していないが、EVなど新技術では多額のコストが必要になり、他社と協力せざるを得ない。

ホンダが組む相手は小さすぎては助けにならず、大きすぎれば他社に支配されてしまう。


ホンダの同じ規模の日産はもっともふさわしい同盟相手なので、ホンダが既に日産株取得に動いているという噂がある。

2019年の自動車販売台数1位はVW、2位はトヨタだったがVWは数字以上に苦戦している。

VWは全車EV転換を発表したが、今のところヒット車種はなくテスラや中国メーカーの後塵を拝している。

絶好調テスラ

VWグループ、メルセデス、BMWのドイツ車は転換期を迎えてどこも苦戦している。

これはドイツ自動車産業の問題があり、今まで10年ほど高級車ブームで大儲けしてきました。

ドイツが得意とするのは鉄板をプレスするような重厚長大産業で、ドイツのIT企業は活発ではない。


排ガス不正騒動の結果ドイツ車は全車EV転換を打ち出したが、ドイツで生産するものは殆どない。

EVのモーターは日本製、バッテリーは日中韓、センサーやカメラは日本製という具合です。

高級車ブームによってレクサスなど外国勢がドイツ車の牙城に食い込み、もはや高級車=ドイツ車ではなくなった。


象徴的な出来事は新興EVメーカーのテスラがVWの時価総額を上回った事で、トヨタに次ぐ自動車メーカー2位になった。

ほとんどのメーカーが2019年に販売台数を減らしたが、唯一テスラだけが大幅販売増を続けている。

と言っても19年のテスラの販売台数は36万7500台に過ぎず、トヨタやVWら1000万台勢の背中から1キロは離されている。

トヨタは高コスト体質になった

テスラは19年に過去最高の生産台数を記録したほか、新型車モデルYやトラックを発表し、20年に中国での生産も開始した。

株価については過大評価という声があるが、株価が上がると資金調達が楽になり、設備や技術や新型車開発に投資できる。

テスラは今までメルセデス以上に高級車に偏っていて、高い車が売れる事が強みだった。


年間100万台を超えても成長を続けられるか、高級車に慣れたメーカーが低価格車を販売できるのかが注目される。

歴史を振り返ると小型車を作るメーカーが大型高級車メーカーを倒しており、高級車から始めて大メーカーになった例が少ない。

トヨタは一見盤石に見えるが弱みを抱えており、リードしているといわれる技術そのものが負担になっている。


ハイブリッドにEVにガソリンに水素とすべての技術にまんべんなく投資しているが、将来主流になるのは一つなので3つは無駄になる。

トヨタが成功したレクサスの高級路線はバブル期には利益を最大化するが、経済危機では足を引っ張るでしょう。

一度高級車にあぐらをかいたメーカーは、もう2度と格安小型車に戻れず、衰退するのが自動車の歴史です。
http://www.thutmosev.com/archives/82219619.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1039.html#c1

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
17. 中川隆[-13688] koaQ7Jey 2020年2月18日 15:47:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-266]
2020年02月18日1
武漢YouTuberの多くが失踪 ウイルス鎮静宣言して工場再開


2月の武漢市内、工場停止し車も走っていないのに濃いスモッグが立ち込めている

画像引用:https://i1.wp.com/anonymous-post.mobi/wp-content/uploads/2020/02/45E5F244-6F5F-4E08-949B-D1B0AD1FD9D4.jpeg?fit=1024%2C574&ssl=1

武漢で数万人火葬か

武漢ウイルスについて中国外務省は2月17日、沈静化し克服されつつあると記者会見で説明しました。

だがこの前の1週間ほどで中国国内では情報統制が行われ、ネット上で政府批判した全員が「行方不明」になった。

公民記者(市民ジャーナリスト)でYouTuberの弁護士、陳秋実は2月4日の投稿を最後に行方不明になった。


衣類販売業の公民記者でYouTuberの方斌も2月7日、公安に拘束されたが釈放され、さらに政府批判の投稿をしたところ行方不明になった。

2月6日または7日には、最初に武漢ウイルスを告発した医師の李文亮がなくなっている。

李文亮は病気でなくなった事になっているが、中国政府は6日夜李文亮が亡くなったのをデマと否定し、翌7日朝になくなったと発表した。


なぜ亡くなった時間を数時間遅らせ隠そうとしたのか、他の活動家の拘束と同じ日だったのかを考えると興味深い。

中国の東大にあたる清華大教授の許章潤はウイルス対策で習近平を否定し停職になり、2月12日後一切の消息が途絶えた。

これらは有名な人だけなので、実際には1週間ほどの間にネットで政府批判をした無数の市民が拘束された。


中国政府が言うように「ウイルスは沈静化しつつある」なら、YouTuberらを病院に連れていきそのまま報道させればいい。

事実は「ウイルスは拡大を続けている」のに政府はそれを隠したい、だから真実を伝えるYouTuberの存在が不都合になった。

中国ではユーチューブを見る事すら違法で配信すれば重罪、だがユーチューブしか活動場所がない。

中国のYouTuber

中国にも多くの動画サイトが存在し、最初陳秋実と方斌も中国サイトに投稿したがすぐアカウント抹消された。

中国内のどんなサイトであれ政府批判をしたら良くてアカウント抹消、悪ければ部屋に公安が突入してくる。

中国のインターネットには匿名はなく、すべてのサイトは実名登録で公安や警察がリアルタイムで監視している。


こういう事なので中国でまともな事を言うには、ユーチューブやツイッターなど米国サイトでやるしかない。

中国政府は米国サイトを中国から接続できなくしているが、方斌によるとプロキシを使えば簡単にできるという。

実際ユーチューブには中国国内から投稿していると思われる配信者も多いが、ほとんどは匿名のうえ政府批判を避けている。


もし実名や顔を晒して政府批判したり「真実」を言ってしまうと、陳秋実や方斌と同じ目に遭う。

あるいは李文亮のように感染した事にして隔離され、病気でなくなった事にされてしまう。

許章潤は超エリート大学の教授で一生を約束されていたが、政府批判をしたため失職し行方不明になった。


こんな事をする中国が「ウイルスは沈静化している」と言っても、逆の意味にしか聞こえない。

最近武漢では異常な量の光化学スモッグが衛星で観測され、市内では濃いガスが立ち込めている。

武漢をはじめとする湖北省はすべての工場が停止し、自動車も政府と緊急車両しか走行していない。

なのになぜ武漢市内ではスモッグが発生したのだろうか?


4時間6万3000円で武漢火葬場の労働者を募集している


沈静化した事にして工場再開

武漢に立ち込める濃いガスの発生源は一つしか考えられず、それは武漢各地にある火葬場です。

市内には救急車やトラックが走り回り、患者ではなくなくなった人を火葬場に直送している。

病院に運んだりどこかに安置するとそこから感染するからで、基本的になくなったその日に火葬する。


武漢の火葬場が労働者を募集していて、深夜の4時間で日給4000元(約6万3000円)で現金手渡しという考えられない条件です。

中国各地から武漢の火葬場に応援チームが急派され、すべての火葬場がフル稼働している。

武漢には約50か所の火葬場があり、湖北省全体では数百か所あるのだが、中でも最大なのが漢口葬祭場です。


1台をフル操業だと一日24体、漢口葬祭場では14台の焼却炉があり一日最大288の処理能力がある。

武漢全体では優に一日千人の処理能力があり、それだけ燃やすと市中に焼却したスモッグが立ち込める。

中国政府発表の感染者数は7万人でなくなった人は約1800人だが、絵空事とはこの事でしょう。


中国政府は明らかに2月17日を目安にしていたようで、この日日本企業など多くの企業が操業を再開した。

経済活動を止めないためには「ウイルスは沈静化した」と言う必要があったのだが、実際には沈静化していない。

中国は国民のごく一部しか感染検査しておらず、工場の労働者にも感染者が紛れ込んでいる。


この状態で工場を再開したので工業地帯に感染が広がる恐れがあり、今後の動向に注意したい。

http://www.thutmosev.com/archives/82232585.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c17

[近代史3] サン=サーンス 『動物の謝肉祭 白鳥』
カミーユ・サン=サーンス 『動物の謝肉祭 白鳥』



マイスキー の『サン=サーンス 白鳥』



サン=サーンス:《白鳥》マイスキー, ギリロフ 1987




Mischa Maisky, Violoncello
Pavel Gililov, Piano
1987年10月8-10日


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Mischa Maisky Carnival of the Animals - The Swan (Original Music Video)


«Julian Rachlin & friends» CHAMBER MUSIC FESTIVAL
directed by Jasmina Hajdany
©2005


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Mischa Maisky - The Swan (Carnaval des Animaux) - Saint-Saëns


Mischa Maisky, cello
with
the Verbier Festival Chamber Orchestra
conducted by Gábor Takács-Nagy.
Recorded at the Verbier Festival (Verbier, Switzerland), on July 27 2015.


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Camille Saint-Saëns: Le cygne (The Swan) / Mischa Maisky, Boian Videnoff - Mannheimer Philharmoniker


Mannheimer Philharmoniker
Mischa Maisky, cello
Boian Videnoff, conductor


Live from the Rosengarten Mannheim, 10. October 2019


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動物の謝肉祭


『動物の謝肉祭』(Le carnaval des animaux)は、フランスの作曲家カミーユ・サン=サーンスの作曲した組曲である。『動物学的大幻想曲』(Grande fantaisie zoologique)の副題を持つ。


全部で14曲からなり、元来は室内楽編成用として作曲されたものである。
1886年にチェリスト、シャルル・ルブーク(英語版)の催すプライヴェートな夜会のために作曲された。
初演は同年3月9日、オーストリアのクルディムにて、サン=サーンス、ルイ・ディエメのピアノ、ルブークのチェロ、ポール・タファネルのフルートなどにより非公開で行われた。


その後、同年内に2度非公開で演奏されたが、他の作曲家の楽曲をパロディにして風刺的に用いていること、プライヴェートな演奏目的で作曲されたいきさつなどの理由により、以降サン=サーンスは自身が死去するまで本作の出版・演奏を禁じた。


ただし純然としたオリジナルである「白鳥」だけは生前に出版している。

公開初演は作曲者死後の1922年2月25日、ガブリエル・ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団によって行われた。その際オーケストラによって演奏されて以降、本作は管弦楽曲として世に知られるようになった。


現在では、プロコフィエフの『ピーターと狼』やブリテンの『青少年のための管弦楽入門』と並ぶ、子供向け管弦楽曲の代表的作品としても人気がある。時に自由な物語を添え、語り付きで演奏することがある。


楽器編成
オーケストラで演奏する場合と、オリジナルの室内楽として演奏する場合がある。前者では弦楽器は各パートに複数置かれる(ただし「白鳥」のみオーケストラ版の場合でもチェロはソロである)。


フルート(終曲でピッコロ持ち替え)
C管クラリネット(指定通りC管が使われることはめったにない)
グラスハーモニカ(稀少楽器であるためチェレスタやグロッケンシュピールで代用することが多い)
シロフォン
ピアノ 2
ヴァイオリン 2
ヴィオラ
チェロ
コントラバス


各曲


第1曲「序奏と獅子王の行進曲」 (Introduction et marche royale du lion)
Andante maestoso - Allegro non troppo - piu allegro 4/4拍子 ハ長調 - イ短調
ピアノの耳をつんざくような反復奏に始まる。ついで、勇壮な「行進」が弦楽器のユニゾンで奏される。全71小節。
ピアノ2, ヴァイオリン2, ヴィオラ、チェロ、コントラバス


第2曲「雌鶏と雄鶏」 (Poules et coqs)
Allegro moderato 4/4拍子 ハ長調
ピアノと弦楽器が鶏の鳴き声を模倣しあう。全35小節。
クラリネット、ピアノ2, ヴァイオリン2, ヴィオラ


第3曲「騾馬」 (Hémiones)
presto furioso 4/4拍子 ハ短調
アジアロバであろうと言われる。ピアノの上り下りする強奏の音階。全28小節。
ピアノ2


第4曲「亀」 (Tortues)
Andante maestoso 4/4拍子 変ロ長調
弦楽器がのそのそとユニゾンでオッフェンバックの『天国と地獄』の旋律をわざとゆっくり奏する。全22小節。
ピアノ、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス


第5曲「象」 (L'éléphant)
Allegretto pomposo 3/8拍子 変ホ長調
コントラバスがもそもそと軽やかにワルツを奏する。ベルリオーズの『ファウストの劫罰』から「妖精のワルツ」、メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』から「スケルツォ」が重低音で組み入れられている。全52小節。
コントラバス、ピアノ


第6曲「カンガルー」 (Kangourous)
Moderato 4/4拍子、3/4拍子 ハ短調
装飾の付いた和音が上下して、飛び回るカンガルーを描写する。全20小節。
ピアノ2


第7曲「水族館」 (Aquarium)
Andantino 4/4拍子 イ短調
グラスハーモニカの入った幻想的なメロディーに、分散和音のピアノ伴奏が添えられている。全39小節。
フルート、グラスハーモニカ、ピアノ2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ


第8曲「耳の長い登場人物」 (Personnages à longues oreilles)
Tempo ad lib 3/4拍子 ハ長調
おそらくは驢馬、アジアロバでない驢馬。のどかな驢馬の鳴き声をヴァイオリンが模倣する。サン=サーンスの音楽に嫌味な評価を下していた音楽評論家への皮肉と言われている。全26小節。
ヴァイオリン2


第9曲「森の奥のカッコウ」 (Le coucou au fond des bois)
Andante 3/4拍子 ホ長調
クラリネットがカッコウの鳴き声を模倣する。全43小節。ピアノ協奏曲第2番の第3楽章の一部から和声進行がそのまま引用される。
クラリネット、ピアノ2


第10曲「大きな鳥籠」 (Volière)
Moderato grazioso 3/4拍子 ヘ長調
弦楽器が反復奏する伴奏の上を、フルートが軽やかに飛び回る。全31小節。
フルート、ピアノ2, ヴァイオリン2, ヴィオラ、チェロ、コントラバス


第11曲「ピアニスト」 (Pianistes)
Allegro moderato 4/4拍子 ハ長調 - 変ニ長調 - ニ長調 - 変ホ長調 - ハ長調
わざとへたくそに、ピアノの練習曲を弾く。最後は明確な区切りもなく、そのまま次の曲へ入る。全30小節。
ピアノ2, ヴァイオリン2, ヴィオラ、チェロ、コントラバス


第12曲「化石」 (Fossiles)
Allegro ridicolo 2/2拍子 ト短調
自作『死の舞踏』の「骸骨の踊り」の旋律、ロッシーニの『セビリアの理髪師』から「ロジーナのアリア」(Una voce poco fa)、その他「大事なタバコ」(J'ai du bon tabac)、「きらきら星」(Ah vous dirais-je maman)、「月の光に」(Au clair de la lune)、「シリアへ行く」(En partant pour la Syrie)などのフランス民謡が組み合わされる。全74小節。
ピアノ2, クラリネット、シロフォン、ヴァイオリン2, ヴィオラ、チェロ、コントラバス


第13曲「白鳥」 (Le cygne)
Andantino grazioso 6/4拍子 ト長調
全14曲中最も有名な曲で、チェロ独奏曲として有名な曲。生前の公開演奏と楽譜出版が許された唯一の曲でもある。全28小節。


バレエ『瀕死の白鳥』は、ミハイル・フォーキンがこの曲に振付を施した作品である。


チェロ、ピアノ2
本来はピアノ2台の編成であるが、1台のみで演奏されることも多い。


第14曲「終曲」 (Final)
Molto allegro 4/4拍子 ハ長調
カーテンコール。再度オッフェンバックの『天国と地獄』のフィナーレの旋律(ただし、今度は大幅に変奏されているので事実上ほぼオリジナルの旋律になっている)に乗せて、それまでの各曲の中の旋律が登場する。全91小節。
ピッコロ、クラリネット、グラスハーモニカ、シロフォン、ピアノ2, ヴァイオリン2, ヴィオラ、チェロ、コントラバス
https://ja.wikipedia.org/wiki/動物の謝肉祭



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/911.html

[近代史3] サン=サーンス 『動物の謝肉祭 白鳥』 中川隆
1. 中川隆[-13687] koaQ7Jey 2020年2月18日 17:31:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-265]
バレエ 『瀕死の白鳥』 (Умирающий лебедь)


アンナ・パブロワのバレエ『瀕死の白鳥』


Anna Pavlova as The Swan


The Dying Swan Anna Pavlova 1907 and Vera Karalli 1914



Anna Pavlovna Pavlova 1881-1931



Анна Павлова








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『瀕死の白鳥』 (Умирающий лебедь) は、ミハイル・フォーキン振り付けによるバレエ作品である。

カミーユ・サン=サーンスによる組曲「動物の謝肉祭」の「白鳥」を用いて、 湖に浮かぶ一羽の傷ついた白鳥が、生きるために必死にもがき、やがて息絶えるまで描いた小作品。 ミハイル・フォーキンが1907年にアンナ・パブロワのために振り付けたとされる。

アンナ・パブロワの代表的な作品であり、至高の出来と評価される踊りであったために、アンナ・パブロワの死後、彼女の名を汚さぬよう、またパヴロワと比較されてしまうのを恐れて、『瀕死の白鳥』 は以後同じロシアの偉大なバレエダンサーマイヤ・プリセツカヤが違う振り付けで踊るまで20年間誰も踊ることがなかった。

アンナ・パブロワは欧米だけでなく、飛行機での旅行のない時代に中南米をはじめ、インド、エジプト、オーストラリアなど繰り返し世界ツアーを行い、世界各地で瀕死の白鳥を踊っている。アンナ・パブロワは1922年に日本でも瀕死の白鳥を踊り、芥川龍之介もこのアンナ・パブロワの瀕死の白鳥を見て絶賛したという。

アンナ・パブロワの踊る瀕死の白鳥の映画フィルムは、劣化しかすれた非常に低品質なモノクロ画像ではあるが現代に残っていて、ビデオで市販もされている。

現代ではフォーキンの原振付けあるいは改定した振付けで瀕死の白鳥を踊るバレエダンサーは少なくない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/瀕死の白鳥


▲△▽▼


アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ (露: А́нна Па́вловна Па́влова, Anna Pavlovna Pavlova, 1881年2月12日 - 1931年1月26日)は、20世紀初頭のロシアのバレリーナ。

サンクトペテルブルクの貧しい家庭に生まれる。戸籍上は退役兵マトヴェイ・パヴロフと洗濯婦リュボーフィ・フョードロヴナ・パヴロワの娘となっており、本名はアンナ・マトヴェーヴナ・パヴロワ (А́нна Матве́евна Па́влова)。しかしパヴロワ本人によれば、実父はマトヴェイとは別人で2歳のときに亡くなったといい、1913年の新聞報道ではユダヤ系銀行家ラザル・ポリャコフの私生児とも報じられ、真相は謎に包まれている。

9歳の頃、母親とともに 『眠れる森の美女』 の初演を観てバレエダンサーを志す[2]。帝室バレエ学校に学び、1899年に卒業する。卒業時の試験が優秀であったため群舞を経ずにコリフェとしてマリインスキー・バレエに入団した。色白・細長の顔に狭い肩幅、美しい足という理想的な体型を持っており、最晩年のM・プティパに才能を認められたため、貧しい家の出であったにもかかわらず順調な昇進を果たした。1903年、プティパによる改訂版『ジゼル』 で成功を収めたほか、バレリーナ昇進後の1907年には慈善公演でM・フォーキン振付の小品 『白鳥』[3]を踊って話題となった。後者はのちに 『瀕死の白鳥』 と呼ばれるようになり、パヴロワの代名詞のようになった。マリインスキーの若きソリスト、V・ニジンスキーと初めて踊ったのもこの頃である。

1908年、パヴロワはマリインスキーの舞踏手20名を率いて墺、独、瑞などを巡演した。同じ頃バレエ・リュスの旗揚げを企てていたS・ディアギレフは、看板ダンサーとしてニジンスキーとパヴロワの組み合わせを考え、こちらは1909年6月にパリにおいて 『レ・シルフィード』 公演として実現した。

パヴロワは徐々に海外巡演に興味を示すようになり、マリインスキー劇場に籍をおきながら別の団体とともに英国、米国で踊っていたが、1910年、さらなる海外公演のため2年間の休業を申し出たところ認められず、マリインスキーとの契約は破棄された。


訪日時のパヴロワ

1911年、自前のバレエ団パヴロワ・カンパニー (Pavlova Company) を作る。翌年ロンドンに移住し、イギリスを中心に世界を巡演した。1922年 (大正11年) に全国8都市で行われた訪日公演では西洋舞踏を初めて日本に広く知らしめ、のちに日本においてバレエが定着・普及するきっかけを作った。このため、エリアナ・パヴロワ、オリガ・パヴロワ (オリガ・サファイア) とともに日本バレエ界の恩人「三人のパヴロワ」の一人に数えられている。


死去

パヴロワは1931年1月、風邪をこじらせたまま巡演に出発し肺炎となった[2]。症状はさらに悪化し、オランダのハーグ到着後に胸膜炎と診断された。外科手術を勧められたが、手術をすれば舞踏手としては再起不能になると告げられたためにこれを拒否し、闘病の末に亡くなった。50歳の生涯だった。パヴロワが出演を予定されていた公演は通常通り行われ、『瀕死の白鳥』 の曲が流れると共にパヴロワがいつも踊っていた軌跡をたどるようにスポットライトが無人の舞台を照らし、観客はパヴロワの早い死を悼んだという。パヴロワの名を汚さぬよう、またパヴロワと比較されてしまうのを恐れて、『瀕死の白鳥』 は以後同じロシアの偉大なバレエダンサー、マイヤ・プリセツカヤが違う振り付けで踊るまで20年間誰も踊ることがなかった。

パヴロワの遺体はロンドンで火葬されたが、遺族によって2001年に、1944年に亡くなった夫のビクター・ダンドレの遺灰と共にモスクワのノヴォデヴィチ墓地に改葬された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アンナ・パヴロワ



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/911.html#c1
[近代史3] サン=サーンス 『動物の謝肉祭 白鳥』 中川隆
2. 中川隆[-13686] koaQ7Jey 2020年2月18日 17:33:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-264]


バレエ『瀕死の白鳥』


настасия Волочкова - Умирающий лебедь


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Майя Плисецкая. Умирающий лебедь.



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Ульяна Лопаткина. К. Сен-Санс. "Умирающий лебедь"



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The Dying Swan


Svetlana Zakharova's gala performance in 2010.


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Uliana Lopatkina - Dying swan


X International Ballet Festival Mariinsky - Gala in Mariinsky Concert hall


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Svetlana Zakharova The Dying Swan Ballet Gala a La Scalla 30 10 20151 xvid


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/911.html#c2
[近代史3] サン=サーンス 『動物の謝肉祭 白鳥』 中川隆
3. 中川隆[-13685] koaQ7Jey 2020年2月18日 17:39:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-263]

サンサーンスは3歳で作曲してモーツァルトの再来といわれ、ケンブリッジ大学から音楽博士の称号を贈られ、音楽以外も博識で詩、天文学、数学、絵画にも秀でたレオナルド・ダヴィンチのような人です。

フランス人の強固なプライドがあり目線の先には先人アブネックがいて、パリで紹介されたベートーベンがあった。

だから彼とセザール・フランクは交響曲を書き「国民音楽協会」をつくった。
それほど器楽の世界にベートーベンは君臨したし、彼はその脈絡の中でのエリート中のエリートであり、そういう人が「保守派」になるのは世の常です。

そこにベートーベンを崇拝しない、だから交響曲にこだわらないドビッシーとラヴェルが出現してフランス音楽の歴史を根底から変えてしまう。

僕は極めて良くできた交響曲3番を聴くとエリートの悲哀と不毛を感じてしまうようになりました。音楽というよりむしろ歴史観ですね、それで3番から遠ざかるようになってしまったと思います。そのことは彼の桁外れの才能を前にしては、いつも申し訳なく思います。

この3番という交響曲、そんなに愛してたのに、どういうわけか僕の心はすきま風だ。

好きな方は多いだろうし申し訳ないが、書いたように細部は非常に優れたところがあるものの、全体として聴後の印象はフランス3大交響曲の幻想、フランクのニ短調と比べると格落ち感がある。

立派に知的に書けた曲なんだけど、感情の表層を心地良く撫でてくれるが、あれこれ小道具が満載な割に体の芯があったまらずポップスみたいに通り過ぎてしまう。

無責任なようだが新世界と同じく僕にとってはもう特に聴くことはない思い出のなかの音楽だ。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2018/04/10/サンサーンス-交響曲第%ef%bc%93番ハ短調-作品%ef%bc%97%ef%bc%98/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/911.html#c3

[近代史3] サン=サーンス 『動物の謝肉祭 白鳥』 中川隆
4. 中川隆[-13684] koaQ7Jey 2020年2月18日 17:43:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-262]

クラシック音楽 一口感想メモ
カミーユ・サン=サーンス(Camille Saint-Saëns,1835 - 1921)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/サン・サーンス

ドイツ的ながっちりとした作風で聴きやすい。ユーモアのある作品もあるが、作風が保守的で品格を重んじていることが、成功作では素晴らしい造型につながり、失敗作では心が躍らない地味なつまらなさになっている。

交響曲

第1番変ホ長調 作品2(1851年)
3.5点
シューマンの影響が濃いように聴こえる。とても爽やかで心地よく、気持ちいい曲だ。期待をいい意味で裏切られる。まだ素朴で未熟感も無くはないが、ほぼ気にならない。曲の魅力度合いや密度など、シューマンの交響曲と同レベルに聴こえる。スッキリとしたブルックナー的な開放感やスケール感があり、むしろ厚ぼったい後年の作品より魅力的なくらいだ。名旋律はないが、十分に旋律に魅力がある。これは掘り出し物である。

第2番イ短調 作品55(1858年)
2.5点
1楽章も2楽章も3楽章も地味さが気になる。悪くはないが、煮え切らず、盛り上がらない。耳を捉えるよい旋律もない。内容も厚ぼったい聞きにくさが出てしまっている。なんともいえないつまらなさ、心が踊らない後味の悪さがつらい。

第3番ハ短調 作品78「オルガン付き」(1886年)
4.5点
後期ロマン派のような肥大化したロマンチシズムに覆われているが、サンサーンスらしいまとまりの良さが歯止めとなっている、ロマン派の交響曲の傑作。凄みのある内容は「全てを注ぎ込んだ」という作曲者の言葉が伊達じゃないと感じさせる。スケールが大きくて壮麗で雰囲気に気持ちよく音楽に浸る事が出来るし、オルガンが格好いい。

ヴァイオリンと管弦楽のための作品

ヴァイオリン協奏曲第1番イ長調 作品20(1859年)
3.3点
1つの楽章の中に3つの楽章の要素を持っている曲であり、幻想曲のようなタイトルの方がしっくりくる。全般にメロディーにも甘さと強く情感に訴える艶めかしさがある。音に酔える感じで言えば、ヴァイオリン協奏曲のなかでかなり上位である。かなり華があり表情豊かであり、楽しめる。これは掘り出し物。

ヴァイオリン協奏曲第2番ハ長調 作品58(1858年)
2.8点
初めての協奏曲。1楽章はなんという垢抜けなさであろう。華やかなソロは派手だが、なんというか自分の中から出てきたものというより、雰囲気に流されて書かれたものに聴こえる。2楽章は憂いを帯びた曲だが、これまた初々しさがよい。表情は多くつけられており悪い曲ではないし意欲的だが、個性が足りない。3楽章は連続して続く。これも華があるが個性が足りない。1流作曲家と呼ぶに足レベルにはまだ達していない感じがする。

ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調 作品61(1880年)
3.8点
2楽章のメロディーの美しさが印象的で非常に素晴らしい。管弦楽が厚くて充実感のある交響的な響きでありながらヴァイオリンが全面に出て活躍する楽しさ、メロディーの豊富さや力強さが素晴らしい。サンサーンスの良さが出ている曲。

序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28(1863年)
3.8点
序奏もロンド主題も耳から離れない印象的なもの。エキゾチックな雰囲気の中でヴァイオリン独奏が大活躍するのが楽しい。


ピアノと管弦楽のための作品

ピアノ協奏曲第1番ニ長調 作品17(1858年)
3.0点
1楽章はピアノは派手だが、曲としてはこれという目立つ良さが無い、二流感のある曲。2楽章も派手であり、チャイコフスキーの協奏曲のような管弦楽と対比されたピアノの活躍がある。一流ではないにしても侮れない良さがある。3楽章は深みに欠けるものの、やはりピアノの活躍を楽しめる。

ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品22(1868年)
3.8点
どの楽章も華やかであり、ピアノが前面に出て活躍し、ピアノ協奏曲の醍醐味を十分に味わえる。ロマンチックな情緒や激しさなど、手堅い感じは残りながらも素敵なメロディーや表現に富んでいて楽しい。

ピアノ協奏曲第3番変ホ長調 作品29(1869年)
3.0点
1楽章は独奏が派手だがあまり内容が無い。2楽章はまあまあ。3楽章は派手なピアノで、やや通俗的な感があるが、エネルギッシュさを楽しめて割と良い。

ピアノ協奏曲第4番ハ短調 作品44(1875年)
3.8点
全体的にはシューマンの影響を感じる。1楽章は地味だが、柔らかくて控え目ながらもピアノもいい活躍の良作。2楽章はシューマンのよう。キャッチーで華がある。3楽章は名人芸を披露されて楽しい。

ピアノ協奏曲第5番ヘ長調 作品103「エジプト風」(1896年)
3.5点
爽やかで田園的なところもある絵画的な1楽章。2楽章のエキゾチックな主題を初めとした豊富なメロディー。3楽章のノリの良さ。どの楽章も華やかで楽しい気分で聴ける。

幻想曲「アフリカ」作品89(1891年)
2.8点
アフリカ的なエキゾチックなメロディーの動機を使いながら、華やかなピアノが大活躍する曲。サンサーンスの中でもピアノの活躍度は高い。たいした曲ではないが、聴き映えはする。


チェロと管弦楽のための作品

チェロ協奏曲第1番イ短調 作品33(1873年)
2.8点
壮年期の力作として情熱的にきっちり書かれているし、渋くて格好いいし充実感がある。さらに短くて聴きやすいかもしれない。しかしながら、響きもメロディーも堅すぎて、案外表情に乏しい感じがしてしまい、あまり楽しめない。

ロマンス ヘ長調 作品36(1874年)

アレグロ・アパショナート 作品43(1875年)
3.0点
情熱的なチェロ独奏を伴う協奏曲の小品。艶のあるチェロの渋くてかっこいい音色を楽しめる。何か凄さのある曲という印象ではないが。

チェロ協奏曲第2番ニ短調 作品119(1902年)
2.8点
1番と違いほとんど演奏されないそうだ。古典的な完成度では劣るのかもしれないが、自由自在なチェロ独奏の楽しさなどの刺激的な楽しさがあり、自分のようなライトなファンには1番以上に楽しめると思った。


その他の協奏的作品

「ミューズと詩人」(La Muse et le poete)作品132(1910年)
3.3点
ヴァイオリンとチェロの二重協奏曲の構成。耽美的で豊穣な音楽的充実感、自然な筆致、ヴァイオリンやチェロの扱いや2本の絡ませ方の巧さ、イメージの豊さなど、なかなか優秀な曲である。「ミューズと詩人」は出版社が名付けた題名だそうだが、2本の楽器の織りなす詩的なイメージの豊富さから受ける印象を的確に表しているのでまさにピッタリだと思う。

管弦楽作品

交響詩「ファエトン」(Phaeton)作品39(1873年)
3.3点
運動会の音楽のようなダイナミックなノリの良さで親しみやすく楽しめる。ギリシャ神話を題材にしているのにふさわしい雰囲気もある。凄さはないにしても、十分に品質の高い佳作。

交響詩「死の舞踏」(Danse macabre)作品40(1874年)
3.5点
小品の名作。舞踏性と怪奇的な描写的な音が面白い世界を作り上げている。アイデアがたくさん投入される。リストによりピアノ独奏用に編曲されたが、この曲のアイデアを果敢に音にする姿勢や派手な音の動きはかなりリストっぽいと思う。

交響詩「ヘラクレスの青年時代」作品50(1877年)
2.5点
随分と力の入っており、沢山の素材をつぎ込んで書かれているように聞こえた。しかし、音楽が堅くて、頭で書いた印象が拭えない。

アルジェリア組曲(Suite algerienne)作品60(1879年 - 1880年)(4曲)

『スパルタクス』序曲 (1863年)
2.0点
所々で後の展開に期待を持たせるが何も起きず。あまり面白くない。

室内楽作品

組曲「動物の謝肉祭」(Le carnaval des animaux)(1886年)
4.5点
パロディをうまく使いながらのユーモラスな動物の描写と楽器の使い方、ピアノのユニークな大活躍ぶりがとても愉しい曲である。有名な「白鳥」は豊かな詩情をたたえた美しく完璧な旋律の名作。水上の優雅な白鳥の泳ぎを見事に連想させる。


ピアノ四重奏曲変ホ長調 (1853年)
3.0点
作品番号なし。1楽章はメランコリックな感情を全面に出した曲であり、少なからず地味なサンサーンスの室内楽では異色である。2楽章も感傷的であり、傷ついた心を表しているかのよう。3楽章は少し前向きな感情になり、室内楽らしいアンサンブルの楽しみを感じられ、所々に感傷的な感動もある。作品番号なしの若書きではあるが、積極的な若さも出ていて、むしろ作品番号ありの変ロ長調より魅力的。

ピアノ四重奏曲ロ長調 作品41(1875年)
3.3点
全般的にわたり念入りに作り込まれてしっかりと書かれた曲という印象がとにかく強い。心を奪われるかと言われるとそうではないが、4楽章は奪われるものがある。やはりモチーフの積み重ねだけでなく、よい旋律があることは重要であると感じる。ただ、内容の密度の濃さは巨匠だなあと感心してしまう。無骨で分厚いピアノとつくり込みぶりはブラームスを彷彿とさせる。4楽章が良いため聴後の印象がよい。

ピアノ三重奏曲第1番ヘ長調 作品18(1869年)
3.0点
1楽章がつまらなくて先行き不安になる。しかし2楽章はドイツものにはない独特の流麗さを深みのある緩徐楽章に活かしおり、雰囲気がよいので楽しめる。3楽章はユーモラスで新鮮。なかなか面白い。4楽章の快活さもフランスらしい洗練があって悪くない。全体にピアノ三重奏曲のバランスの取り方は割と良い。

ピアノ三重奏曲第2番ホ短調 作品92(1892年)
3.5点
1楽章が憂愁をたたえていて感動的であり特に秀逸。他の楽章もなかなか優れている。どこかこなれていない感のある1番よりもアンサンブルも音楽の緊密さも音楽的な深みずっと上であり、巨匠的と言えるレベルの作品に仕上がっている。

七重奏曲変ホ長調 作品65(1881年) (トランペット、弦五部、ピアノ)
3.5点
トランペット、ピアノ、弦楽の構成。ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲1番を連想する構成である。ドイツ的な堅さのあるがっちりとしたまとまりが主体だが、トランペットが中心となって開放感や軽いエスプリを演出している。こじんまりとしていながら華があり聴きやすい。どの楽章もそれなりによく出来ている。

弦楽四重奏曲第1番ホ短調 作品112(1899年)
3.0点
マイナー曲であるが、案外渋くてしっかりした曲であり、けっして悪く無い。地味ではあるが、後期ロマン派らしい耽美的な情緒と、ドイツ的なガッチリとした骨格の太い構築感を感じる。華はあまり無いが、地味すぎることはない。ブラームスが時にみせる根暗なジメジメした感じはある。また、とりとめのない方向感の掴みにくさが大きな欠点となっており、短くないこの曲を聴くのに苦痛を感じるのが不人気の原因か。

弦楽四重奏曲第2番ト長調 作品153(1919年)
3.5点
全3楽章。83歳の作品。音楽が崩れていく一方の時代に、この曲は特に1楽章は非常に古風で端正な形式と和声を持っている。しかし、単なる古臭い古典の模倣ではなく、耽美的なロマンチックさを内包しており、長い時の流れと時代の移り変わりと自身の老いを想うような気分を持っている。その晩年らしい純化された精神世界がなかなか感動する。結構地味ではあるが、隠れた名曲だと思うし、サン・サーンスの音楽は何気に弦楽四重奏に向いていると思う。

ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調 作品75(1885年)
2.0点
1楽章はピアノの練習曲かと思うほどピアニスティックで驚く。2楽章はメランコリーの表現が個性的。3楽章は長くて音が多いのだが、ちっともいい曲でない。全体的に珍曲に近い曲という印象である。

ヴァイオリン・ソナタ第2番変ホ長調 作品102(1896年)
2.3点
音がふわふわとしていて優雅であり、フランス的である。しかしメロディーは冴えないし、音に重みが無さすぎるし、あまりいい所がなく、いまいちである。3楽章がメロディーに多少の説得力があり、伴奏がタイス瞑想曲に似た夢みる感じで少し評価できる程度。

チェロ・ソナタ第1番ハ短調 作品32(1871年 - 1872年)
2.8点
チェロの機能の活用に関してはかなりのレベルに感じる。低音域が多い。雰囲気が次々と移り変わる。表情豊かともいえるしまとまりがないとも言える。いずれにせよ、いろいろな事をやっていて優秀だが、芸術性が高いという印象でない。

チェロ・ソナタ第2番ヘ長調 作品123(1905年)
3.0点
30分の大作でありかなりの力作。ピアノが大活躍であり、チェロも渋めではあるが機能を生かしたスケールの大きさを見せている。メロディーは印象には残らないものの全体に漲る迫力と作曲者の力の入りように驚く。渋くて男臭い雰囲気が支配的。

オーボエ・ソナタ ニ長調 作品166(1921年)
3.5点
お洒落で都会的だったり、メランコリーな気分になったりと、表情豊かな曲。六人組の音楽に近い所があり、老人とは思えない創造力である。

クラリネット・ソナタ変ホ長調 作品167(1921年)
5.0点
1楽章は今までの長い人生を回想するような無邪気な童心に帰ったような透明な音楽で、大変強く心に響いて泣きそうになる。2、3、4楽章も優秀な素晴らしい曲。最後にまた1楽章の冒頭のメロディーをそのまま回想する部分が人生の締めくくりを感じさせてまた泣ける。86歳のおじいちゃんが書いた大傑作。

バスーン・ソナタ ト長調 作品168(1921年)
3.0点
夢の中に入っていくような1楽章の最初が印象的。回想的な3楽章もなかなか良い。しかし同時期のクラリネットソナタと比較すると普通の曲。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/サン・サーンス
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/911.html#c4

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
30. 中川隆[-13683] koaQ7Jey 2020年2月18日 17:44:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-261]
サン=サーンス 『動物の謝肉祭 白鳥』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/911.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c30
[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
66. 中川隆[-13682] koaQ7Jey 2020年2月18日 17:52:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-260]

ようやく3ウェイチャンデバ TA-4300Fを入手 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2020年02月17日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/3e842785b30eec98daa3b05844b054c8


昨日の15時半頃、やっとTA-4300Fが入荷しました。早速3ウェイで接続して鳴らしだしています。

プリアンプはC3をそのまま使っています。スピーカーは低域に#4425、中域にD208、高域にPYRAMID TW47を組み合わせ、アンプは低域用にM4、中域用にディネッセン、高域用にGE6550Sアンプを使っています。

取り敢えずは「音出し確認」をして異常が無いかを確認しています。今の処問題無い様です。6連のボリュームを分解して酸化膜を取ってある整備品だけあって、初めから問題なく使えています。「ボー・・・」とした音は出ません。

TA-4300Fの接続ケーブルは、長さの関係や負荷の問題から「一般のケーブル」にしています。正直言って従来の#4425のサウンドからはかなり「音質」が下がりました。まだ鳴らし始めたばかりですので馴染むまでは「音痩せ」が続くでしょう。それでも3台のパワーアンプを使った効果は出て来そうです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/3e842785b30eec98daa3b05844b054c8

サブシステムを3ウェイマルチアンプ化 2020年02月18日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d056f33596b16118ffa92b40799207d4


サブシステム2セット+ツィーターを使って、TA-4300Fチャンデバで3ウェイマルチアンプシステムを作りました。TA-4300Fは自宅システム様に購入したのですが、前準備としてサブシステムでドライブをして見ました。

50年前の機種ですし、多分に眠っていた時間が多かったと思われるので、初めは「ノイズまみれのふん詰まった音」がすると予想していましたが、6連ボリュームの分解清掃をしてある整備品を購入したおかげでその予想は的外れでした。古い機種の場合、チョッと割高でも整備済のブツを手に入れて使うのが利口だと感じます。

C3やM4は一応正常品を購入しましたが、使うにつけトラブルが出て来て、結局は「修理代」を考えると高く付きました。今回のTA-4300Fは初めからキレのあるサウンドが出て、直ぐに使える様な状況です。この分なら自宅システムに使う日が近いと思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d056f33596b16118ffa92b40799207d4
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c66

[近代史3] ガブリエル・フォーレ 『夢の中に』
ガブリエル・フォーレ 『夢の中に』



マイスキー の『フォ−レ 夢の中に』


Fauré: Après un Rêve op.7, no.1 - Arr. for Cello and Piano by Mischa Maisky




Mischa Maisky
Pavel Gililov


▲△▽▼


フォーレ: 夢のあとで 作品7-1 フレデリカ・フォン・シュターデ


フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾ・ソプラノ)16-18 Dec.1981 & June.1982
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)


▲△▽▼


Renée Fleming; "Après un rêve"; Gabriel Fauré


Renée Fleming--soprano
Jean=Yves Thibaudet--piano
2000


▲△▽▼


Kiri Te Kanawa; "Après un rêve"; Gabriel Fauré


Kiri Te Kanawa--Soprano
Richard Amner--Piano
1979


▲△▽▼


Elly Ameling; "Après un rêve"; Gabriel Fauré


Elly Ameling--soprano
Dalton Baldwin--piano
1972


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Regine Crespin, “Après un Rêve” Fauré


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Gérard Souzay - Après un rêve - Gabriel Fauré


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Nicolai Gedda; "Après un rêve"; Gabriel Fauré


Nicolai Gedda--Tenor
Aldo Ciccolini--Piano
1967


▲△▽▼
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夢のあとに Après un rêve
ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré/1845-1924)


『夢のあとに(夢のあとで)』は、フォーレ作曲の歌曲集『3つの歌』の第1曲(作品7-1)。
ヴァイオリンやチェロ向けの編曲が有名。


歌詞は、イタリアのトスカーナ地方に古くから伝わる詩を、フランスの詩人ロマン・ビュッシーヌ(Romain Bussine/1830-1899)がフランス語に翻訳したもの。
詩の中では、夢で出会った美しい女性と幻想的な世界が描かれ、夢から覚め現実に残された主人公の哀しい叫びが無情にも響き渡る。
http://www.worldfolksong.com/classical/faure/apres-un-reve.html


歌詞


夢のあとで(ロマン・ビュシーヌ詩)或るトスカナの詩による


君の姿にうっとりとした眠りのなかで、
私は幸福を夢みていた、燃えあがる蜃気楼のように、
君の眼はさらにやさしく、君の声は澄み切ってよく響いた、
君は輝いていた、あけぼのに照らし出された空のように。


君は私を呼び、私は地上を離れて、君といっしょに逃げて行った、光の方へ、
空はわたしたちのためにわずかに雲間を開いてくれた、
そのときかいま見た未知の輝き、神の閃光よ。


だが何ということだ、このみすぼらしい夢の目覚めよ!
私はおまえを呼ぶ、おお夜よ、返してくれ、
おまえが織りあげたあのいつわりを、
戻って来い、戻って来てくれ、輝かしい人よ、
戻って来てくれ、おお、神秘なる夜よ!


歌詞対訳:粟津則雄
https://www.youtube.com/watch?v=nIito3Te4aY


夢のあとに   
詩: ビュシーヌ (Romain Bussine,1830-1899) フランス    
曲: フォーレ (Gabriel Fauré,1845-1924) フランス   


Dans un sommeil que charmait ton image
Je révais le bonheur,ardent mirage,
Tes yeux étaient plus doux,ta voix pure et sonore,
Tu rayonnais comme un ciel éclairé par l'aurore;


Tu m'appelais et je quittais la terre
Pour m'enfuir avec toi vers la lumière,
Les cieux pour nous entr'ouvraient leurs nues,
Splendeurs inconnues,lueurs divines entrevues.


Hélas! Hélas! triste réveil des songes,
Je t'appelle,ô nuit,rends-mois tes mensonges,
Reviens,reviens radieuse,
Reviens,ô nuit mystérieuse!


君の姿が魅了するまどろみの中
ぼくは夢見てた 幸せを、燃え上がる幻影を
君の瞳は優しく、君の声は澄んで響き
君は光り輝いてた、朝焼けに照らされる空のように


君はぼくを呼び、そしてぼくはこの地上を離れて
君と一緒に飛び立ったのだ 光に向かって
空はぼくたちのために雲の扉を開き
未知なる栄光が、神々しい閃光がほのかに見えた


ああ!ああ!悲しい夢からの目覚め
ぼくはお前を呼ぶ、おお夜よ、ぼくに返してくれ お前の偽りの幻を
戻れ、戻ってくれ、輝きよ
戻れ、おお 神秘の夜よ!


フォーレの歌曲に限らずとも、彼の作品の中でも最も知られたものと言えましょう。パブロ・カザルスがチェロ独奏に編曲してからチェロの小品としても親しまれていますし、それに限らずフルートやヴァイオリンなど、さまざまな独奏楽器のためのピースとして愛好されていますので、これがもともと歌曲であることをご存知ない方の方がもしかしなくても多いかも知れません。


おなじみのメロディは夢うつつの中でふと見えた恋しい人の姿、彼女(彼)と一緒に宇宙へ飛び立っていく幻を描いています。それが目覚めと共に消え去ってしまい、激しい嘆きとともに歌は終わります。


内容的にはあまり大したこともないように思えるのですが(ただの夢オチですし)、それはこれがトスカナ地方(イタリア中部・フィレンツェのあたり)の古い詩を、音楽院でフォーレの同僚だったロマン・ビュシーヌが自由に翻案して書いた、ということもあるのかも知れません。ちなみに同じビュシーヌの詩に付けたフォーレの歌曲「トスカナのセレナード」Op.3-2というのもありますので機会があれば耳にしてみてください


さてこの曲私はあんまり好みじゃないんですが、フォーレの歌曲を歌うような人ならば大体録音していますのでいろいろ聴き比べができます。


その中で演奏の美しさに私がとても感動したのがフレデリカ・フォン・シュターデ(MS)が歌ったもの(正統派フランス歌曲ファンには怒られそうですが)。


彼女のフォーレ歌曲集、この曲を含め初期作品をたくさん取り上げていますがそのどれもがしっとりと美しく、耳に優しいアルバムになっています。多分現在国内盤が非常に廉価で手に入るはずなので、フォーレの歌曲を初めて聴いてみよう、という方にはけっこう良いアルバムかも知れません。


円熟期の作品をあまり取り上げていませんので「これがフォーレの歌曲」と思われると誤解を生むかも知れませんが、小理屈はともかく美しいうたを楽しみたい方はぜひ耳にしてみてください。
(2006.03.30)
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S1088.htm


▲△▽▼


FREDERICA VON STADE. G. FAURÉ. Jean-Philippe Collard, piano


1. Les Berceaux Op.23 N°1 (Sully Prudhomme)
2. Le Papillon Et La Fleur Op.1 N°1 (Victor Hugo)
3. Lydia Op.4 N°2 (Leconte De Lisle)
4. Rêve D'amour Op.5 N°2 (Victor Hugo)
5. La Fée Aux Chansons Op.27 N°2 (Armand Silvestre)
6. Au Bord De L'eau Op.8 N°1 (Sully Prudhomme)
7. Notre Amour Op.23 N°2 (Armand Silvestre)
8. Les Roses D'Ispahan Op.39 N°4 (Leconte De Lisle)
9. Dans Les Ruines D'une Abbaye Op.2 N°1 (Victor Hugo)
10. Après Un Rêve Op.7 N°1 (Romain Bussine)
11. Clair De Lune Op.46 N°2 (Paul Verlaine)
12. Mandoline Op.58 N°1 (Paul Verlaine)
13. En Sourdine Op.58 N°2 (Paul Verlaine)
14. L'Aurore (Victor Hugo)
15. Arpège Op.76 N°2 (Albert Samain)
16. Prison Op.83 N°1 (Paul Verlaine)
17. Dans La Forêt De Septembre Op.85 N°1 (Catulle Mendès)
18. Au Cimetière Op.51 N°2 (Jean Richepin)
19. IV. Mélisande's song


フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾ・ソプラノ)16-18 Dec.1981 & June.1982
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/912.html

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
31. 中川隆[-13681] koaQ7Jey 2020年2月18日 21:16:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-259]

ガブリエル・フォーレ 『夢の中に』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/912.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c31
[近代史3] ガブリエル・フォーレ 『夢の中に』 中川隆
1. 中川隆[-13680] koaQ7Jey 2020年2月18日 21:24:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-258]

クラシック音楽 一口感想メモ
ガブリエル・フォーレ(Gabriel Fauré, 1845 - 1924)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/フォーレ


半音階的にじわじわ変化するニュアンスの妙が特徴。
それが弦楽を主体とする室内楽にマッチしているため、重要作を沢山書いてる。
ピアノ曲もフランス人作曲家の中では重要である。

昔は、はっきりしない音楽性がピアノの打楽器的要素を活かさない点でイマイチだと思っていたが、慣れてくると案外いろいろな曲があることも分かり、楽しめるようになった。

管弦楽曲

ペレアスとメリザンド Op.80(Pelléas et Mélisande, 1898年)
3.0点
4曲目「シシリエンヌ」5.0点

劇付随音楽からの抜粋の組曲。悪くはないし、フォーレらしさはそれなりに発揮されていて、場面描写音楽として素直に楽しめる。しかし、3曲目までは素晴らしいという程ではなく、よくありがちな音楽だと思ってしまう。4曲目のシシリエンヌは有名な曲であり、これだけは別格に美しい名曲である。メロディーの美しさ、声部の重ね方、和声の妙が非常に素晴らしい。ケクランによる編曲も見事。

室内楽曲

ピアノ五重奏曲第1番 ニ短調 Op.89(1903年 - 1906年)
3.8点
1楽章の弦の持続音とピアノの分散和音による渋い世界はなかなか。2楽章は名曲。冬の寒さ、透き通った空気と夜の暗さと、その静寂の中を生きる孤独な魂を感じる。3楽章はあえて音の動きを制限しているかのように始まり、中間はじわじわと奔流のように渋く盛り上げていく。フォーレの魅力に溢れた名作だが、3楽章後半が惜しい。じわじわと調性感を薄めて盛り上げたにも関わらず、最後だけ急に平凡な古典的音楽のように終了するのは、意図的にそういう面白さを狙ったのかもしれないが個人的には残念に感じた。

ピアノ五重奏曲第2番 ハ短調 Op.115(1919年 - 1921年)
3.8点
晩年に入り、音の輪郭がぼんやりしている。半音階的な和声の変化が美しい1楽章はなかなか。3楽章の緩徐楽章は、クリスマスのように肌を突き刺す厳冬と心のほかほかとした温かさを両立させた、感動的な名曲。これは泣ける。この楽章だけでも曲の価値の半分以上がある。4楽章の地味なじわじわとした渋い終楽章の盛り上げ方は味がある。

弦楽四重奏曲 ホ短調 Op.121(1924年)
3.5点
最後の曲。渋いが、ピアノが無いことが良いほうに作用し、非常に純度が高く深みがあって、自分としては聞きやすい。フォーレの晩年の音楽にこの形式は合っていると思う。豊潤な音の泉のようなフォーレの室内楽であるが、この曲はその中でも特に身を浸すように聴ける。

ピアノ四重奏曲第1番 ハ短調 Op.15(1879年)
3.5点
典型的な初期から中期のフォーレの室内楽という印象。玄妙な1楽章もよいが、一番素晴らしいのは力強いエネルギーに溢れている4楽章だろう。かなり聞き応えがある。ピアノ四重奏のバランスと弦楽器の音の重ねかたの妙など、室内楽の醍醐味を満喫できるかなりの力作である。

ピアノ四重奏曲第2番 ト短調 Op.45(1886年)
4.0点
1楽章は渋くてかっこいい。2楽章はそれに輪をかけね濃厚で重たくて、ピアノのトレモロやユニゾン醸し出す重厚さに痺れる。3楽章のしっとりしたピアノは心を揺さぶるものがある。悲しげな呟くような弦も素敵。4楽章のじわじわとした盛り上げ方も素晴らしい。

ピアノ三重奏曲 ニ短調 Op.120(1922年 - 1923年)
3.5点
弦楽器はシンプルな書法だがつまらなくはなく、後期らしい世界にどっぷり浸かれる。たっぷり楽しんで20分弱という短さなのは驚きで、密度が濃いためもっと長く感じる。ピアノの中音が強いため、ヴィオラが無いのはむしろバランス的に良い。明快さは無く曇った音楽だし、割り切れない印象なのは他と変わらないのだが、割と聴きやすい。

ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 Op.13(1876年)
3.3点
フォーレの独特の弦楽器の積み重ねの醍醐味がない代わりに、すっきりした端正さがある。内容的に、フランクを頂点とする後のフランスの一連のヴァイオリンソナタの嚆矢となった作品だとどうしても思ってしまう。特段に優れている楽章はないと思うが、独特のフォーレらしい諸特徴に追加して、割合と優雅さであり、憂いを含みながらも心地よい印象があり、楽しんで聴ける。

ヴァイオリン・ソナタ第2番 ホ短調 Op.108(1916年 - 1917年)
2.5点
1楽章も2楽章も3楽章も転調が多すぎて、よく解らない変な謎の音楽という印象。後期らしい深みや謎めいた美しさを多少感じるところはあるが、ヴァイオリンソナタはシンプルな編成であるだけに欠点が目立つ。

チェロ・ソナタ第1番 ニ短調 Op.109(1917年)
3.0点
チェロソナタはただでさえ渋いフォーレの音楽がさらに渋くなり、特殊な世界の感が強まる。とはいえ2楽章や3楽章はどことない新鮮な目新しさがあり、おっと思わせるものがある。ただ、最初から最後までやはり不明瞭な突き抜けない音楽のままであり、良作とは思えない。

チェロ・ソナタ第2番 ト短調 Op.117(1921年)
2.8点
調性を不明確になるように半音階的な音を繋げる1楽章。連綿と悲しく渋い独白をする2楽章。3楽章は明るくならず玄妙だがすっきりせず、あまり出来が良くないと思う。全体に晦渋で分かりにくい。フォーレがよく見せるチェロの魅力の一面を引き出してたっぷり堪能させるものの、十分な成功作とは思えずマニア向けのレベルに留まっている。

シシリエンヌ ト短調 Op.78(1898年)

即興曲 変ニ長調 Op.86(1904年)
2.8点
ハープ独奏。フォーレらしさを上手く生かした内容充実の名作のようにも聞こえるし、ピアノ曲の書き方をそのままハープに使っていていまいちのようにも聞こえる。ピアノ曲の即興曲よりも大作。展開が自由で、本当に即興的なようにも聞こえる。ハープ独奏曲をほとんど聴いた事がない自分には評価の基準がなくて聴き方もよく分からない。所々なかなか良いと思う箇所がある程度で、それほど良い曲という印象がないのが率直な感想である。


ピアノ曲

ヴァルス・カプリス

1. イ長調 Op.30
3.5点
他のピアノ曲と全く違う外面的な華麗な華やかさと優雅さに満ちたワルツで驚く。ショパンのワルツをいやでも想起する。規模が大きくて多くのメロディーが入っていて愉しい。もちろん、フォーレらしい渋い音の動きも多くの箇所で見られる。カプリスの名称が付いているだけあって、曲の変化が多い。

2. 変ニ長調 Op.38
3.5点
1番と同じにならないように、様々な工夫をしているように感じる。1番よりやや渋いが、基本的に外面的な華やかさの楽しさは1番と同じである。

3. 変ト長調 Op.59
3.5点
中期に入ってからの曲であり、凝った構成を作る熟練度の高さが聴いただけでも伝わってくる。外面的な分かりやすさは減っているが、やはり愛すべき優雅なサロン風の作品であるし、多様な楽想が入った力作と感じる。

4. 変イ長調 Op.62
3.5点
3番よりさらに分かりにくくなり、リズムの軽やかさが幾分失われて平板な音の連なりになり、他のピアノ曲に近付いている。とはいえ、ワルツカプリスらしい外面的な華麗さや音自体の活力を完全に失ったわけではなく、舟唄や夜想曲とは違う聴いていて愉しい気分にさせてくれる所は十分にある。内容的にも密度の濃さを感じる力作である。

即興曲

1. 変ホ長調 Op.25
3.5点
サロン風の曲。ショパンの即興曲の影響も感じられるが、曲の雰囲気は前奏曲や練習曲にもっと似ているものがあると思う。外面的な華やかさと霊感に満ちた各部分は、軽やかさもあり聞きやすく愉しい。

2. ヘ短調 Op.31
3.8点
1番に通じる華やかさと軽やかさに加えて、優雅で高貴でしなやかな抒情性があり、名曲と呼べるレベルの完成度と魅力を持った曲になっている。

3. 変イ長調 Op.34
4.0点
これは名曲。旋律の優美さと品の良さ、内容的豊富さ、和声やパッセージの絶妙な移りゆく流れの良さなど、際立って完成度が高い。

4. 変ニ長調 Op.91
3.0点
あまりにも複雑にメロディーがスパゲティのように絡み合っていて、よく理解できない。複雑さが産む謎めいた感じや、フォーレらしい奥ゆかしさは悪くない。

5. 嬰ヘ短調 Op.102
3.5点
これは面白い曲。無窮動で激しく動き回る右手と左手の音の転がりは、とても刺激的であり様々な様相を呈する。印象派的であるが、もっと強靭な力強さがある狂詩曲の方が近い。フォーレ作曲であることが驚きの作品。


夜想曲

1. 変ホ短調 Op.33-1
3.8点
静謐で漆黒の闇の夜を描いたような曲。ずっと静かな雰囲気であり、ショパンどころかフィールドまで思い出す。ある意味で直球勝負の曲であり、メロディーが魅力的であるため成功している。初期らしい純粋さが魅力。

2. ロ長調 Op.33-2
3.5点
1曲目と比較すれば、激しさがあったり、明るさを含んだ憧憬を見せたりと変化がある。変化の付け方はショパンの影響が明白。この曲もメロディーが魅力的で成功している曲。

3. 変イ長調 Op.33-3
3.0
儚く非常に繊細で静かな曲。雰囲気は悪くないが、メロディーの魅力が足りないので、凡庸な曲という印象を拭えない。

4. 変ホ長調 Op.36
3.8点
色とりどりの繊細なニュアンスに満ちている美しい曲。ノクターンらしい曲である。メロディーが特に優れているわけではないが、自由に変化し続ける雰囲気の精妙さや叙情性はかなり良い。

5. 変ロ長調 Op.37
3.3点
美しい箇所は所々にある。特に中間の大きな感情のうねりと高まりは感動的な演出である。しかしながら、曲が長すぎであり、飽きてきてしまう。冗長な作品だと思う。

6. 変ニ長調 Op.63
4.0点
大いなる感情に揺り動かされる感じが非常に感動を与える曲。高貴さ、深遠さを持ち、神秘的ともいえる儀式のような出来事が展開されるさまに圧倒される。この曲独自の世界を作り上げていて、メロディーの印象深さとともに忘れがたいものを残す。とにかく「特別な音楽である」感が凄い。それを楽しむ曲である気がする。

7. 嬰ハ短調 Op.74
3.3点
力強さやゴツゴツとした印象など、それまでとは違う世界を感じる。規模の大きな作品。メロディーにさほど魅力を感じないし、展開も感動するほどではないが、野心的に新しい世界に踏み出しているのは分かる。ただ、曲が長すぎると思う。

8. 変ニ長調 Op.84-8
3.5点
短い2分半の曲。夢を見るような雰囲気は、この短さでまとめてしまうのはもったいないほど魅力的だと思う。左手の分散和音は常套手段だが、この曲では特に成功しているように聞こえる。

9. ロ短調 Op.97
2.8点
分散和音でないゴツゴツとしたぎこちない伴奏の上で、曖昧なメロディーが半音階的に謎めいた進行をするのを最後まで続ける曲。その雰囲気自体は慣れれば悪くないと感じるが、変化があまりに乏しい。

10. ホ短調 Op.99
3.0点
夜想曲9番と同様の半音階的で曖昧な雰囲気でメロディーに魅力を感じないが、途中からドラマチックになる場面があり盛り上がれるなど、変化があるのがよい。

11. 嬰ヘ短調 Op.104-1
3.3点
憂いやロマンティックな感情を含んだメロディーに魅力がある。9番や10番より普通の曲。

12. ホ短調 Op.107
3.3点
ピアニステイックに劇的な盛り上がりを作る曲。それと晩年らしいくすんだ音色の取り合わせが独特の効果を産んでいる。

13. ロ短調 Op.119
3.5点
バラード的な物語性がある曲。規模が大きくて、それに見合うメロディーの魅力や構成の複雑さがあり、聞き応えのある魅力的な力作。古い物語がその場で語られているかのようなワクワクする感じがある。


舟歌

1. イ短調 Op.26
3.0点
柔らかくて舟歌らしい美しいメロディーで最初は良い感じなのだが、リズムや和声が平板なまま曲が続くので後半は飽きてしまう。

2. ト長調 Op.41
2.5点
メロディーが少なくてメロディーの部分もはっきりしないために、曲が頭に入ってこない。アルペジオを主体とした華やかな美しさは所々に見せるのだが、やはりメロディーが無いと楽しみが少なくなる。

3. 変ト長調 Op.42
3.3点
陰影に富み、ショパンのような洗練された美しい発想を随所で聴かせる曲。テクニカルな部分もあり、7分を飽きずに聴かせる。

4. 変イ長調 Op.44
3.0点
3番のようなテクニカルさはあるが、3番ほど陰影は深くなく、どちらかというと単純な美しくて分かりやすいメロディーの繰り返しにより曲が構成される印象が強い。そのメロディーは柔らかくてキラキラとした水面のようで美しい。

5. 嬰ヘ短調 Op.66
3.3点
力強さや明るい運動的な華やかさがある曲。とはいえ、コルトーの言うように舟歌の最高傑作かと考えると、はっきりした明快な良さが無い謎な曲しか自分には思えないため、ピンと来ない。

6. 変ホ長調 Op.70
3.8点
明るくキラキラとしていて、風光明媚な観光地を連想するような曲。分かりやすいし素敵な曲。中間は精密で玄妙。

7. ニ短調 Op.90
3.5点
3分の短い曲。キラキラとした印象的な分散和音が素敵。華やかな前向きの推進力があり、なかなか良い。

8. 変ニ長調 Op.96
3.0点
頻出する音階が演出する前向きの力強さは良いのだが、メロディーにあまり魅力がないのが残念。

9. イ短調 Op.101
3.5点
室内楽的なダイナミックでピアニスティックな盛り上がりや力強さがあり、メロディーも魅力的。分かりやすくて、聞き応えがある作品。

10. イ短調 Op.104-2
3.0点
短い曲。しかし、くすんだ色の、はっきりしない雰囲気が続き、なんとなく終わる曲。

11. ト短調 Op.105-1
3.0点
ピアニスティックな力強さがあるのは良い。しかし、メロディーはくすんでいて、はっきりしないした色がないのは10番と同じ。

12. 変ホ長調 Op.105-2
3.5点
6番と同様の風光明媚な観光地のような明るい雰囲気と、キラキラした水の描写が素敵な曲。

13. ハ長調 Op.116
3.5点
12番ほど明快なメロディーの魅力があるわけではないにしろ、この曲も素敵なメロディーと雰囲気があるとともに、内容の充実感を感じる。満足感を感じながら聞き終われる。

前奏曲集 Op.103(1910年)

【1. 変ニ長調 / 2. 嬰ハ短調 / 3. ト短調 / 4. ヘ長調 / 5. ニ短調 / 6. 変ホ短調 / 7. イ長調 / 8. ハ短調 / 9. ホ短調】
3.3点

全9曲。曲が3分程度と短くて、かなりバラエティーに富んでおり聴きやすい。舟歌や夜想曲と違い、テクニカルな曲、アンニュイな曲、厳格なカノンまであり、フォーレがこのように様々な曲を書けたのかと驚くほどである。全体の曲の配列は順番に通して楽しめるようにある程度のストーリーがある。書いた年代も同じであるため、ひとまとまりの曲集として聞ける。

その他ピアノ曲

3つの無言歌 Op.17 (1863年?)
1曲目はあまり大した曲ではないが、2曲目は割と良いメロディーで印象に残る。素晴らしいのは3曲目でメンデルスゾーン的な軽快さとフォーレらしい音の使い方という異質なものが驚くべき適切な融合をみせて、耳に残る楽しい作品になっている。

バラード 嬰ヘ長調 Op.19 (1879年)
3.5点
フォーレとしては長い曲。明るく華やかでバラードらしい物語性もある。移りゆく雰囲気の変遷と、フォーレらしい半音階的な和声の玄妙さも味わえるという、かなり素晴らしい曲。

マズルカ 変ロ長調 Op.32 (1878年頃)
2.0点
これは駄作だろう。そもそもマズルカっぽさが主題の一瞬だけである。メロディーに魅力がなくてマズルカを書こうとしてしとした感が強い。6分というマズルカにしては長い曲だが展開も主題の魅力のなさを引きずっていて、いろいろやっているのだがどうも楽しくない。

ピアノ組曲『ドリー』(Dolly)Op.56(1893年 - 1896年)
【1. 子守歌 / 2. ミ-ア-ウ / 3. ドリーの庭 / 4. キティー・ヴァルス / 5. 優しさ / 6. スペインの踊り】
4.0点

チャイコフスキーのくるみ割人形を思い起こすような、メルヘンチックでバラエティーに富んだ、分かりやすくて天才的なメロディーの曲ばかり。晦渋で難解な作品の多いフォーレだが、本気で親しみやすい曲を書けばこれほどの才能があったのかと驚く名作。

『主題と変奏』(Thème et Variations)嬰ハ短調 Op.73(1895年)
4.0点
気高く美しい主題。変奏もずっと緊張の糸を切らさず、ベートーヴェンに匹敵する厳しく深い精神性を保った真剣で真摯な音楽が続く。フォーレにしては明確な和声と主題であり分かりやすい。後半になってフォーレらしい曖昧さが効果的に使われる所もうまい。ロマン派を代表するピアノ用の変奏曲の一つ。フォーレのピアノ曲が苦手な人にも自信をもって薦められる。

8つの小品 Op.84 (1896-1902年)
3.3点
1分から3分の小品。なかなかの音楽的華やかさがあり、精神的深みと両立していて聞きやすく楽しい小品修正。対位法的作品の2作は若いときの作品だそうだが、聴いた印象は違和感がないし優れている。


宗教曲・合唱曲

レクイエム Op.48(1887年)
4.5点
柔らかいメロディー、優しく包み込むような静かで包容力のある管弦楽。静謐な祈りと哀惜感の強さが心を激しく揺さぶり、強く感動させられる。3曲目と4曲目が特に好き。少年合唱の生み出す透明感と純真は最高である。分かりやすくないフォーレの大作の中にあって、この曲は誰でもすぐに魅力が分かる。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/フォーレ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/912.html#c1

[番外地7] 習近平に忖度する安倍首相
誤解しているみたいだけど、習近平が日本に来たい訳じゃないよ:

習近平に忖度する安倍首相

日本政府と厚労省は、「厚労省が許可した者以外新型ウイルス検査するな」と保健所に命令している。安倍首相は「全力で防止する」と言ったが、実際には武漢ウイルスが発覚した1月20日から何もしていません。
その理由はおそらく中国から情報統制の要請があったからで、河野防衛大臣は「訪中時に日本国内の情報統制を要請された」と証言している。

河野大臣によると中国側は4月の習近平訪日の条件として「日本国内の情報統制」を要求し、日本が応じなければ訪日中止を示唆した。

安倍首相は新型ウイルス防止より習近平訪日を優先し、いかなる入国防止策もとってはならないと指示した。

このパターンは実は2度目であり、2014年に中国のサンゴ漁船1000隻以上が日本列島を包囲する事件があった。

そのうち数百隻は小笠原近海で密漁していたが、この「サンゴ漁船」を中国海軍が指揮していたのは公然の秘密でした。

漁船の中には一定割合で北朝鮮工作船のように、長いアンテナを伸ばした不審船が含まれていました。

不審船は一切漁をせず、軍人と思しき人間が乗っており、船団に指示し本国と連絡を取っていると推測されました。

この時安倍首相は「漁船を絶対に拘束するな」「漁港に入れて保護しろ」と驚くべき指示を出した。

11月10日に北京で、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の会場で安倍首相と習近平の日中首脳会談が実現しました。

この数日前から中国側は「首脳会談をしたいのなら中国漁船を、取り締まってはならない」と広報官などが日本に警告していました。

安倍首相が習近平に事実上の謝罪を表明すると、その週のうちに中国船団は姿を消しました。

明らかに安倍首相は習近平の要請によって中国漁船を保護し、逮捕を禁止しました。
安倍首相は首脳会談の後、大きな成果だとして自画自賛した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/490.html

[近代史3] アフター・ヒトラー 中川隆
3. 中川隆[-13679] koaQ7Jey 2020年2月18日 22:21:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-257]
2020.02.18
ドレスデン空爆で米英軍が市民を虐殺して75年


 今から75年前の2月13日から15日にかけて、イギリスとアメリカの空軍はドイツのドレスデンを空爆した。市街は廃墟と化し、約2万5000名の市民が殺されたと言われている。当時は文化都市として有名で世界的に知られた芸術作品がそこにはあったのだが、爆撃によってその多くが失われた。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツがソ連へ向かって進撃を始めたのは1941年6月のことだった。バルバロッサ作戦だ。アドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ渡った翌月のことである。その時にヘスはイギリス政府の首脳と会談したはずだが、その内容は未だに明かされていない。

 ソ連を侵略するためにアドルフ・ヒトラーは約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 軍の幹部が東と西で半々にしようと提案したのは西側からの攻撃にも備えなければならないという判断からだが、ヒトラーはそうした攻撃に備える必要がないと考えていたとしか思えない。そこで、西側からイギリスなどが攻撃してこないことをヒトラーは知っていたのではないかと推測する人もいるが、ありえないとは言えないだろう。

 ドイツ軍が東へ向かっている様子をイギリスやアメリカは傍観している。両国が動き始めるのはスターリングラードでドイツ軍が降伏した後。

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するのだが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。

 それを見たイギリスやアメリカは5月にワシントンDCで会談し、ドイツに対する軍事作戦を作成、7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸した。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。この上陸作戦に対する防衛を巡り、ドイツ軍の内部でヒトラーへの不審が強まり、暗殺計画につながったとする見方もある。

 その1944年当時、OSSの幹部でウォール街の弁護士でもあるアレン・ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領には無断で1944年にドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触していた。その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナーだ。大戦後、ウィズナーは極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる。

 ウォール街の要人たちはナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。

 こうした作戦を推進したグループとは違って反ファシズムの立場だったルーズベルト大統領は1945年4月に急死、5月上旬にドイツは降伏する。その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われ、成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下され、世界は核兵器の時代へ移行していく。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行う。その翌年には​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ドレスデンへの空爆は広島や長崎への原爆投下と同じように第2次世界大戦の終結との関係性は薄い。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002180000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/405.html#c3

[近代史3] ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった!  中川隆
15. 中川隆[-13678] koaQ7Jey 2020年2月18日 22:22:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-256]
2020.02.18
ドレスデン空爆で米英軍が市民を虐殺して75年


 今から75年前の2月13日から15日にかけて、イギリスとアメリカの空軍はドイツのドレスデンを空爆した。市街は廃墟と化し、約2万5000名の市民が殺されたと言われている。当時は文化都市として有名で世界的に知られた芸術作品がそこにはあったのだが、爆撃によってその多くが失われた。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツがソ連へ向かって進撃を始めたのは1941年6月のことだった。バルバロッサ作戦だ。アドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ渡った翌月のことである。その時にヘスはイギリス政府の首脳と会談したはずだが、その内容は未だに明かされていない。

 ソ連を侵略するためにアドルフ・ヒトラーは約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 軍の幹部が東と西で半々にしようと提案したのは西側からの攻撃にも備えなければならないという判断からだが、ヒトラーはそうした攻撃に備える必要がないと考えていたとしか思えない。そこで、西側からイギリスなどが攻撃してこないことをヒトラーは知っていたのではないかと推測する人もいるが、ありえないとは言えないだろう。

 ドイツ軍が東へ向かっている様子をイギリスやアメリカは傍観している。両国が動き始めるのはスターリングラードでドイツ軍が降伏した後。

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するのだが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。

 それを見たイギリスやアメリカは5月にワシントンDCで会談し、ドイツに対する軍事作戦を作成、7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸した。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。この上陸作戦に対する防衛を巡り、ドイツ軍の内部でヒトラーへの不審が強まり、暗殺計画につながったとする見方もある。

 その1944年当時、OSSの幹部でウォール街の弁護士でもあるアレン・ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領には無断で1944年にドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触していた。その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナーだ。大戦後、ウィズナーは極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる。

 ウォール街の要人たちはナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。

 こうした作戦を推進したグループとは違って反ファシズムの立場だったルーズベルト大統領は1945年4月に急死、5月上旬にドイツは降伏する。その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われ、成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下され、世界は核兵器の時代へ移行していく。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行う。その翌年には​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ドレスデンへの空爆は広島や長崎への原爆投下と同じように第2次世界大戦の終結との関係性は薄い。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002180000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html#c15

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
58. 中川隆[-13677] koaQ7Jey 2020年2月18日 22:23:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-255]
2020.02.18
ドレスデン空爆で米英軍が市民を虐殺して75年


 今から75年前の2月13日から15日にかけて、イギリスとアメリカの空軍はドイツのドレスデンを空爆した。市街は廃墟と化し、約2万5000名の市民が殺されたと言われている。当時は文化都市として有名で世界的に知られた芸術作品がそこにはあったのだが、爆撃によってその多くが失われた。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツがソ連へ向かって進撃を始めたのは1941年6月のことだった。バルバロッサ作戦だ。アドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ渡った翌月のことである。その時にヘスはイギリス政府の首脳と会談したはずだが、その内容は未だに明かされていない。

 ソ連を侵略するためにアドルフ・ヒトラーは約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 軍の幹部が東と西で半々にしようと提案したのは西側からの攻撃にも備えなければならないという判断からだが、ヒトラーはそうした攻撃に備える必要がないと考えていたとしか思えない。そこで、西側からイギリスなどが攻撃してこないことをヒトラーは知っていたのではないかと推測する人もいるが、ありえないとは言えないだろう。

 ドイツ軍が東へ向かっている様子をイギリスやアメリカは傍観している。両国が動き始めるのはスターリングラードでドイツ軍が降伏した後。

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するのだが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。

 それを見たイギリスやアメリカは5月にワシントンDCで会談し、ドイツに対する軍事作戦を作成、7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸した。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。この上陸作戦に対する防衛を巡り、ドイツ軍の内部でヒトラーへの不審が強まり、暗殺計画につながったとする見方もある。

 その1944年当時、OSSの幹部でウォール街の弁護士でもあるアレン・ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領には無断で1944年にドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触していた。その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナーだ。大戦後、ウィズナーは極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる。

 ウォール街の要人たちはナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。

 こうした作戦を推進したグループとは違って反ファシズムの立場だったルーズベルト大統領は1945年4月に急死、5月上旬にドイツは降伏する。その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われ、成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下され、世界は核兵器の時代へ移行していく。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行う。その翌年には​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ドレスデンへの空爆は広島や長崎への原爆投下と同じように第2次世界大戦の終結との関係性は薄い。
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c58

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
46. 中川隆[-13676] koaQ7Jey 2020年2月18日 22:25:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-254]
2020.02.18
ドレスデン空爆で米英軍が市民を虐殺して75年


 今から75年前の2月13日から15日にかけて、イギリスとアメリカの空軍はドイツのドレスデンを空爆した。市街は廃墟と化し、約2万5000名の市民が殺されたと言われている。当時は文化都市として有名で世界的に知られた芸術作品がそこにはあったのだが、爆撃によってその多くが失われた。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツがソ連へ向かって進撃を始めたのは1941年6月のことだった。バルバロッサ作戦だ。アドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ渡った翌月のことである。その時にヘスはイギリス政府の首脳と会談したはずだが、その内容は未だに明かされていない。

 ソ連を侵略するためにアドルフ・ヒトラーは約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 軍の幹部が東と西で半々にしようと提案したのは西側からの攻撃にも備えなければならないという判断からだが、ヒトラーはそうした攻撃に備える必要がないと考えていたとしか思えない。そこで、西側からイギリスなどが攻撃してこないことをヒトラーは知っていたのではないかと推測する人もいるが、ありえないとは言えないだろう。

 ドイツ軍が東へ向かっている様子をイギリスやアメリカは傍観している。両国が動き始めるのはスターリングラードでドイツ軍が降伏した後。

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するのだが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。

 それを見たイギリスやアメリカは5月にワシントンDCで会談し、ドイツに対する軍事作戦を作成、7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸した。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。この上陸作戦に対する防衛を巡り、ドイツ軍の内部でヒトラーへの不審が強まり、暗殺計画につながったとする見方もある。

 その1944年当時、OSSの幹部でウォール街の弁護士でもあるアレン・ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領には無断で1944年にドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触していた。その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナーだ。大戦後、ウィズナーは極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる。

 ウォール街の要人たちはナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。

 こうした作戦を推進したグループとは違って反ファシズムの立場だったルーズベルト大統領は1945年4月に急死、5月上旬にドイツは降伏する。その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われ、成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下され、世界は核兵器の時代へ移行していく。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行う。その翌年には​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ドレスデンへの空爆は広島や長崎への原爆投下と同じように第2次世界大戦の終結との関係性は薄い。
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[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
63. 中川隆[-13675] koaQ7Jey 2020年2月18日 22:26:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-253]
2020.02.18
ドレスデン空爆で米英軍が市民を虐殺して75年


 今から75年前の2月13日から15日にかけて、イギリスとアメリカの空軍はドイツのドレスデンを空爆した。市街は廃墟と化し、約2万5000名の市民が殺されたと言われている。当時は文化都市として有名で世界的に知られた芸術作品がそこにはあったのだが、爆撃によってその多くが失われた。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツがソ連へ向かって進撃を始めたのは1941年6月のことだった。バルバロッサ作戦だ。アドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ渡った翌月のことである。その時にヘスはイギリス政府の首脳と会談したはずだが、その内容は未だに明かされていない。

 ソ連を侵略するためにアドルフ・ヒトラーは約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 軍の幹部が東と西で半々にしようと提案したのは西側からの攻撃にも備えなければならないという判断からだが、ヒトラーはそうした攻撃に備える必要がないと考えていたとしか思えない。そこで、西側からイギリスなどが攻撃してこないことをヒトラーは知っていたのではないかと推測する人もいるが、ありえないとは言えないだろう。

 ドイツ軍が東へ向かっている様子をイギリスやアメリカは傍観している。両国が動き始めるのはスターリングラードでドイツ軍が降伏した後。

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するのだが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。

 それを見たイギリスやアメリカは5月にワシントンDCで会談し、ドイツに対する軍事作戦を作成、7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸した。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。この上陸作戦に対する防衛を巡り、ドイツ軍の内部でヒトラーへの不審が強まり、暗殺計画につながったとする見方もある。

 その1944年当時、OSSの幹部でウォール街の弁護士でもあるアレン・ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領には無断で1944年にドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触していた。その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナーだ。大戦後、ウィズナーは極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる。

 ウォール街の要人たちはナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。

 こうした作戦を推進したグループとは違って反ファシズムの立場だったルーズベルト大統領は1945年4月に急死、5月上旬にドイツは降伏する。その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われ、成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下され、世界は核兵器の時代へ移行していく。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行う。その翌年には​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ドレスデンへの空爆は広島や長崎への原爆投下と同じように第2次世界大戦の終結との関係性は薄い。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002180000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c63

[近代史3] アジア東部集団の形成過程 中川隆
3. 中川隆[-13674] koaQ7Jey 2020年2月19日 10:52:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-250]
2020年02月19日
Robin Dennell「現生人類はいつ東アジアへやってきたのか」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_40.html


 朝日選書の一冊として朝日新聞出版より2020年2月に刊行された

西秋良宏『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』
https://www.amazon.co.jp/アフリカからアジアへ-現生人類はどう拡散したか-朝日選書-西秋良宏/dp/4022630949


所収の論文です。本論文は、中国を中心としたアジア東部における現生人類(Homo sapiens)の起源、つまり現生人類がいつアジア東部に到来したのか、という問題を取り上げています。これに関しては、現生人類の拡散は1回だけで、6万年前頃にアフリカから拡散し始め、アジアやオーストラリアへ一気に拡散した、という見解と、主要な拡散は2回あり、最初は10万年前頃、2回目は6万年前頃だった、という見解が提示されています。

 本論文はまず、アジア東部の環境を取り上げます。中国の自然環境は南北に二分されます。北部は旧北区の亜乾燥地域で、南部は降水量が多く、典型的な亜熱帯・熱帯の植生が広がっています。もちろん、これは現代の気候ですが、中国は過去250万年の古気候記録も豊富で、人類拡散の研究に役立っています。本論文では、現生人類のアジア東部への拡散と関わってくる、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5および4の植生復元図が掲載されており、温暖なMIS5では現在とさほど変わらない地形ですが、寒冷なMIS4(MISは奇数が温暖期、偶数が寒冷期)では、砂漠が拡大するとともに、海水面の低下により陸地が増大し、現在とは大きく異なる地形であることが改めて了解されます。温暖で湿潤な時期には中国北部では砂漠が縮小し、西方や北方からの移住が容易となった一方で、中国南部では密集した森林の発達により移住はやや困難となります。逆に寒冷期には、南部への移住は容易になるものの、北部では北方や西方からの移住は拡大した砂漠により困難となります。中国への南方からの移住は、難易度の違いはあれどもどの時期にも可能だったのに対して、北方への移住は温暖な時期にのみ可能だったことになります。こうした人類の移住パターンは過去50万年以上にわたって繰り返されていただろう、と本論文は指摘します。

 黄土高原の気候復元データからは、過去50万年に温暖湿潤な時期は4回あった、と明らかになっています。この時期の中国北部の人類遺骸としては、MIS7における遼寧省営口市の金牛山(Jinniushan)遺跡や陝西省渭南市の大茘(Dali)遺跡の頭蓋骨があります。年代は、大茘人の方がやや新しい20万年前頃と推定されています。本論文は両者をハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)と分類していますが、ハイデルベルゲンシスという分類群には大きな問題があると思うので(関連記事)、とりあえず非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)と考えておきます。

 本論文は、中国北部で確認されているホモ・エレクトス(Homo erectus)は金牛山遺跡や大茘遺跡の古代型ホモ属の祖先ではない、という見解を採用しています。中国北部の河北省張家口市陽原県の許家窯(Xujiayao)遺跡のホモ属遺骸(関連記事)については、33万年前頃、20万〜16万年前頃、16万年前頃よりもずっと新しいなど、年代が確定していませんが、分類も難しい、と本論文は指摘します。エレクトスでもハイデルベルク人でもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)でもなく、交雑系統かもしれない、と本論文は推測しています。河南省許昌市(Xuchang)霊井(Lingjing)遺跡で発見された、MIS 5となる125000〜105000年前頃の頭蓋骨(関連記事)について本論文は、在地の古い集団から連続する特徴とネアンデルタール人的特徴とが混在していることから、交雑の可能性を指摘しています。このように、現生人類が中国に拡散してきた時、すでに異なる系統のホモ属が存在しており、交雑が起きた可能性も考えられます。

 早期現生人類の証拠としてアジア南東部で挙げられているのは、ラオスのフアパン(Huà Pan)県にあるタンパリン(Tam Pa Ling)洞窟遺跡(関連記事)、ボルネオ島のニア洞窟群(Niah Caves)遺跡、スマトラ島中部のリダアジャー(Lida Ajer)洞窟遺跡(関連記事)です。このうち、現生人類の痕跡として最古となりそうなのは、73000〜63000年前頃の現生人類の歯が発見されているリダアジャー遺跡ですが、疑問も呈されています(関連記事)。タンパリンの現生人類遺骸の推定年代は63000〜44000年前頃です。ニア洞窟では45000年前頃の現生人類頭蓋骨が発見されており、熱帯雨林における適応の最古級の事例という点で注目されます。なお、ニア洞窟では10万年以上前の人類の痕跡も報告されています(関連記事)。

 中国南部では、広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)で10万年以上前とされる現生人類の下顎骨と歯が発見されています(関連記事)。これは在地の人類集団と外来の現生人類との交雑集団である可能性も指摘されています。また本論文は、これが単に新しいホモ・エレクトス(Homo erectus)である可能性も提示しています。さらに、この智人洞窟の人類遺骸については、年代に疑問が呈されています。年代は洞窟の床面の一部に堆積したフローストーン(流華石)に基づいていますが、数cmの幅に密集して堆積した流華石の最上部が55000年前頃、最下部が10万年前頃と推定されており、どの部分が下顎骨と関連しているのか決定するのは不可能だろう、というわけです。湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)では、10万〜8万年前頃の現生人類の歯が48本発見されています(関連記事)。福岩洞窟では床面全体が8万年前頃の流華石に覆われており、中国南部には8万年前頃に現生人類が到来していたことになります。しかし本論文は、現生人類の歯が出土した層の形成過程について、さらに詳細に調査されるべきである、と慎重な姿勢を示します。

 このように、中国南部には10万〜8万年前頃に現生人類が到来していた可能性もあるものの、その年代についてはまだ議論の余地があるようです。雲南省の馬鹿洞(Maludong)遺跡では、14310±340〜13590±160年前のホモ属遺骸が発見されています(関連記事)。馬鹿洞人には祖先的特徴も見られ、未知のホモ属系統である可能性も指摘されていますが、山間盆地の点在する環境なので、非現生人類種とは言えないまでも孤立した集団ではないか、と本論文は指摘しています。モンゴル国東部に位置するヘンティー(Khentii)県ノロヴリン(Norovlin)郡のサルキット渓谷(Salkhit Valley)で発見された34950〜33900年前頃の頭蓋に関しては、祖先的特徴が指摘されていますが、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では現生人類の変異内に収まる、と明らかになっています(関連記事)。本論文は、形態から種を決定するのは難しくなってきており、また現生人類とネアンデルタール人との交雑集団をどう区分すべきなのか、といった問題が生じてきている、と指摘します。

 中国北部は、現生人類の到来を検証するうえで重要となる8万〜3万年前頃には、砂漠と草原との間の変化が何回も起きていたように、ひじょうに不安定な気候だった、と明らかになっています。中国北部では、さらに北方からの人類移住の証拠も見られ、防寒性の高い服がすでに使用されていたことを示唆します。チベット北部のチャンタン(Changthang)地域にある、海抜約4600mに位置する尼阿底(Nwya Devu)遺跡では4万〜3万年前頃の現生人類のものと思われる石器群が発見されており(関連記事)、これも当時の人類の寒冷適応を示しています。内モンゴル自治区の金斯太(Jinsitai)洞窟遺跡では47000〜37000年前頃のムステリアン(Mousterian)石器群が発見されており(関連記事)、本論文はその製作者を、ネアンデルタール人もしくはネアンデルタール人と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑集団と推測しています。

 中国北部において確実な現生人類の痕跡として最古のものは、北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類の下顎と足の骨で、石器の共伴はありませんが、形態学でも遺伝学でも現生人類に分類されています(関連記事)。田园洞窟の現生人類男性は日常的に履物を使用していた、と推測されています(関連記事)。北京市房山区の周口店(Zhoukoudian)遺跡では現生人類の頭蓋骨と、ヨーロッパの上部旧石器時代初頭のものとよく似たビーズが発見されており、年代は36000年前頃と推定されています。

 寧夏回族自治区の水洞溝1遺跡では、4万年前頃の上部旧石器時代初頭の石器群が発見されており、少なくとも2種類の石刃剥離工程を示すものも含まれ、モンゴルやシベリアの同時代石器群と対比されていますが、中国南部の石器群とは大きく異なります。水洞溝2遺跡では、36000〜28000年前頃にかけて断続的にヒトが居住した、と推測されています。水洞溝2遺跡の石器群や装身具はシベリアで発見されたものとよく似ています。中国北部の早期現生人類と関連していると推測される考古学的記録はモンゴルやシベリアのそれとの共通性が高く、中国南部と異なっていますが、これは上述の自然環境の違いを反映しているようです。25000年前頃以降には、中国北部に細石刃石器群が出現し、シベリアやモンゴルや朝鮮半島や日本列島北部でも発見されていることから、北方からの移住は繰り返されていた、と示唆されます。中国北部への現生人類の拡散は、水洞溝1遺跡のような大型石刃石器群を有する集団、次に水洞溝2遺跡のような小型石刃石器群を有する集団、その次に細石刃石刃石器群を有する集団の3回ほどあっただろう、と推測しています。

 本論文は、以上のように中国における人類史は複雑で、それは広大な面積と多様な自然環境に起因する、と指摘します。中国には、現生人類の到来前に他の人類がすでに存在していました。本論文は、上述の金斯太洞窟遺跡の事例から、現生人類が中国北部の環境に適応できた一因として、ネアンデルタール人もしくはネアンデルタール人とデニソワ人の交雑集団から技術を学んだ可能性すら考慮すべきである、と指摘します。中国を含めてアジア東部への現生人類の拡散は、以前の想定よりもずっと複雑だったようで、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Dennell R. 、西秋良宏翻訳(2020)「現生人類はいつ東アジアへやってきたのか」西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』(朝日新聞出版)第3章P95-126

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_40.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/739.html#c3

[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
10. 中川隆[-13673] koaQ7Jey 2020年2月19日 11:45:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-248]
シューマンの楽譜と病気の関係 2020 FEB 18 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/18/シューマンの楽譜と病気の関係/


シューマンの楽譜を見ていると、大学で初めて憲法や民法を読んだ時のことを思い出すことがある。法文は読み手の呼吸と合わないから意味がすんなり入ってこず、へたくそな文章だと思った。しかし慣れてくるとわかる。『書かれるべきこと』を必要最小限の文字に落とし込み、読み手が勝手に解釈する余地も最小限にするとそうなるのだ。

後に仕事で契約書に遭遇する。契約は訴訟になったらという前提だから書きかたは確立していて、回りくどくて解りにくい箇所は往々にしてその契約の個性ある守りの難所なのだ。法学部という所はいわばそういうややこしい文章の訓練所であり、拙ブログもそうだが、くどいけど念押しまでして正確に伝えることがもはや僕の抜きさし難い習性となってしまっている。そのことは「精読」して下さる読者の方だけがわかる。内容が『書かれるに値すること』だったかどうか?それは、ぜんぜん別なことだ。

シューマンの譜面に一抹のぎこちなさを感じるのは、例えば、トロイメライの旋律と拍節の見かけの不一致とか、第3交響曲の冒頭について書いたこのブログのような箇所だ(シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第1楽章))。どうしてこうなるかというと、彼は心に浮かんだ楽想を『書かれるべきこと』として「採譜」したのだと思われる。立法者が必要なコンテンツを法律にするのと同じで、そのどちらの作業も英語はコンポーズ(compose)だ。そこだけ切り出せばエンジニアの如くメカニックな作業である。

シューマンは自著

「音楽と音楽家」
https://www.amazon.co.jp/音楽と音楽家-岩波文庫-青-502-1-シューマン/dp/4003350219


の「音楽の座右銘」の章にこう書いている(吉田秀和訳、岩波文庫、230ページ):

作曲をするようになったら、まず頭の中ですっかり作ってしまうこと。そうして、その曲がすっかりできるまで、楽器で弾かないように。心の中から湧いてきた音楽なら、他の人がきいても、やはり同じようにうたれるだろう。もし、君が幸いにも活発な幻想力を天から恵まれていたら、さぞ君もただ一人でピアノの前に釘づけになったように何時間も座り込んで、和声の中に心の内を表現しようとするだろう。
以上は「子供のための小品集」の出版に際して子供に向けて書いた文章だが、彼の作曲法(過程)をうかがうことができる。「心の中から湧いてきた音楽」を和声まですっかり作ってからピアノで弾きなさい(つまり、譜面に書きなさい)と言っている。まさにこうして、ラインの冒頭はあの譜面になったのだろう。

シューマンの音楽はファンタスティックなものであるが、それは心の中から湧いてきた音楽という原石がそうだという話であり、それを採譜する作業にファンタジーがまぎれこむなんてことはあり得ない。そしてその作業の精度と速度は最晩年に精神の変調してをきたしてからもいささかも衰えを知らないということは、

「チェロ協奏曲は1850年10月10日から24日にかけて、交響曲第3番は1850年11月2日から12月9日にかけて、ヴァイオリンソナタ第1番は4日間、同第2番は6日間、ピアノ三重奏曲第3番が7日間と、驚くべき速筆で書かれている。『ヘルマンとドロテア』序曲はわずか数時間で作曲された」(wikipedia)

という事実で実証されている。つまり、それがロジカルに意味するところは、採譜された楽譜を深く研究しそのままを弾けば原石のファンタジーは現れるし、現れるように弾くことが良いシューマンの演奏ということになる。

シューマンは子供のころから晩年に至るまで日記を書き続けている。僕もそうなので想像してしまうが、何かの目的のためというよりは日々の出来事を書き残しておきたいからだ。シューマンは性生活まで書きこんでいるが、べつに何のためでもなくそういう性格なのだ。昨今だとそれって変質狂ですよなんて平気で病気にされかねないが、そんな風潮自体が成熟社会の病気だ。僕は数を数えるくせがあって、階段は縁起が悪い4、13回のステップにならないようにしたりするが、今どきはニュメロマニア(計算狂)なんて病気にされてしまう。高所恐怖症も閉所恐怖症も心療内科に行けばきっと病気だろう。

シューマンにはいろんな普通ではない個性があって、誘因となり得る病名は学者によると躁鬱病、梅毒、統合失調症、結核性髄膜炎、脳腫瘍と多彩である。どれであれたしかに病気だ。しかし、ひとつのことに異常にこだわり執拗に気に入ったリズムくりかえすなどは、そういう症状を生む病気があるかどうかは知らないが、常識的には「性格」であり遺伝的形質と考えるのが自然だろう。ライン川に投身するのは尋常でないが、姉のエミーリエも29歳で入水自殺しておりそれも遺伝かもしれない。彼の「心の中から湧いてきた音楽」は持って生まれたものの投影であり、遺伝的性格の産物であったという考え方は自然に成り立つと思う。

逆に、日本では狂おしい病気が往々にして彼の楽想のファンタジーに関係づけられてしまう傾向を見る。それを言う人はほとんど「心の中から湧いてきた音楽」と「採譜するメカニックな工程」の区別に気づいていない。候補とされたどの病気の罹患者もファンタジーを好む性向になるという科学的論拠は聞かないし、僕の知るドイツ人、英国人のシューマン好きでそんなことを言う人は一人もいなかった。戦前の私小説で「肺をやる(病む)」「吐血する」が一種のマゾヒスティックな美学風に取り扱われたのを思い起こさないでもない(僕はその風情がおぞましくて読まなくなった)。日本病の一環かもしれない。

また、彼の管弦楽法を未熟と見て改定するのは完璧な誤り(error perfectus)である。見た通り、シューマンの「心の中から湧いてきた音楽」を「採譜」する能力は年齢でも病気でも微塵も衰えなかった。ということは、彼のスコアは忠実にその「音楽」を書き取ったものの具現であるはずで、地味に響こうが金管の書法が20世紀の進化した楽器にとって無用にぎこちなかろうが、マーラーやシューリヒトが違う風に書き直すことにソフィスティケイトされたいかなる意義、インテリジェンスも見出すことは僕には不可能だ。同じ意味で、「シューマンの音楽はファンタスティックなものである」と、楽譜に指示のない自己流を “ファンタスティック風に” 演奏する人にも、かけらも関心を持ちようがない。なぜかは彼に代弁してもらおう。

いわゆる華麗なひき方が、達者にこなせるようになろうと心がけないように。ある曲をひく時には、作曲家の考えていた印象をよび起こすよう努めなければいけない。それ以上をねらってはいけない。作家の意図を超えたものは、漫画と同じだ。
(ロベルト・シューマン、上掲書232〜3ページ)


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/18/シューマンの楽譜と病気の関係/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c10

[リバイバル3] 音楽はこういう部屋で聴きたい 中川隆
82. 中川隆[-13672] koaQ7Jey 2020年2月19日 12:02:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-247]

音楽カフェ Blossom :ブロッサム

埼玉県越谷市東大沢5丁目15番3

営業時間:午後2時30分〜8時30分(ラストオーダー) 午後9時30分閉店

定休日:火曜日・水曜日
https://www.cafe-blossom.jp/about/index.html


音楽カフェブロッサム(Blossom): 音楽を楽しめるレストラン・レンタルスペース。グランドピアノ, タンノイオートグラフミレニアム、真空管アンプ、-埼玉県越谷市
https://www.cafe-blossom.jp/owner/index.html#audio


建物

(1) 建物はカナダより輸入。 イギリス風外観

(2) 音楽を楽しむために、遮音、内装材、床構造に配慮しました。 コンクリートベース+構造用合板+遮音マットの上に、直接ブラックウォルナットの無垢床材を貼っております。

(3) 建物は2x6工法を採用し、外部との遮音を行うため壁の厚みは20cm程度と十分確保しました。壁材はスピーカ背面はオーク他の面は吸音壁と腰板の組み合わせ、音響を配慮した天井材を使用しています。

(4) 室内面積は、約30畳(50m2)。天井高さは 5.5m と充分確保しました。

オーディオ装置


(1) 使用スピーカは英国製大型スピーカ、タンノイオートグラフミレニアム(右欄写真)。

レコードプレーヤはトーレンス TD520 に、SME3012トーンアームを取り付け、カートリッジはオルトフォン MC20Wを使用。


(2) プリアンプは、真空管式CRイコライザ+超低歪率フラットアンプを使用。

写真でのアンプ右側にあるのは、FET式MCカートリッジ用ヘッドアンプ。
(上田順筰氏 特製)


(3) ボリューム、フラットアンプ インピーダンス変換機能付 入出力切り替え装置。

スピーカ 2系統、メインアンプ 3系統、ライン入力 3系統を 瞬時に比較試聴可能。

ディジタルコントロール 高信頼性クロスバーリレー使用。
(上田順筰氏 特製)

(4)メインアンプは大型直熱真空管 845 を使用した三段直結アンプ。 モノラルアンプ 2台
(上田順筰氏 特製)

https://www.cafe-blossom.jp/owner/index.html#audio
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/655.html#c82

[近代史3] パチンコを根絶したらGDPが減り失業者が増えるだけ
2020年02月19日
パチンコを根絶したらGDPが減り失業者が増えるだけ
http://www.thutmosev.com/archives/82210762.html


パチンコを禁止したら単純に失業者が増えるだけです

画像引用:https://hog-recruit.jp/rhp_root/static_contents/images/001/001322_123354.jpg

カジノ議員の如何わしい「愛国心」

カジノ解禁と関連してパチンコを禁止するべきだという主張があり、一定の支持を得ているようです。

だが一連のカジノ疑惑で明らかになったのは、カジノを推進している政治家と団体は金儲けが目的だという事でした。

カジノ推進派はカジノで日本経済が活発になるとか外国人が金を落とすとか言っていたが、本心は自分の金儲けでした。


その筆頭は自民党の二階俊博幹事長率いる二階グループで、中国や韓国と親しい親中韓派でもある。

そういう連中が「愛国心」を振りかざしてパチンコ禁止やカジノ推進を言っても真に受けることが出来ない。

パチンコを禁止してカジノを増やしても看板の文字が変わるだけで中身は同じです。


実際カジノ企業として名乗りを上げているのは外国のカジノ企業と組んだパチンコグループと言われています。

カジノ推進している政治家は以前からパチンコ献金を受けたり韓国北朝鮮と黒いつながりを指摘されていた人が多い。

彼らはネット上の保守派を巧みに煽って「パチンコ資金が在日や北朝鮮に流れている」ともっともな事を言います。


だがこの「○○資金が外国に流出」は経済を知らない人の思い込みで、ある国の資金が外国に流れる事はありません。

日本人がパチンコで負けた金を北朝鮮に送金するには、おそらくドルに替えてタックスヘイブンに送金するでしょう。

すると同じ金額のドルと円が交換されるだけで、「日本の資金が流出する」などあり得ません。

パチンコ禁止したら不況になるだけ

この「○○資金が外国に流出」は受けが良いので色々な疑惑で使われるが、これが出てきたらそいつは嘘をついて煽っています。

例えば日本の郵貯預金がアメリカに流出したとか、日本人の年金が欧米投機機関に流出したという主張を見たことがあると思います。

聞いてみたいのはいったいどうやって160兆円以上の年金や200兆円の郵便資産を外国に流出できるのかです。


それだけの円をドルに換金したのが流出だとしたら、今頃は1ドル360円に戻っているかも知れません。

事実は年金や郵貯の資産運用を日本国内のみだったのを、外国株や外国債券を少し増やしただけです。

日本国内だけで運用するより、世界で分散したほうが経済危機で安全だからそうしています。


パチンコで日本人の資産が外国に流出するなど不可能だし、第二の問題としてパチンコを禁止するとその分GDPが減り失業者が増えます。

パチンコ、競馬、競輪、宝くじ、なんでも良いのだがこういったものも経済活動なので日本のGDPの一部です。

単純にパチンコを禁止したら、パチンコ売上2兆円分のGDPが消え、パチンコ関連の失業者が増加します。


パチンコで分かりにくかったら、「ディズニーランドは日本人の金を奪いアメリカに流出している」と話を変えると分かりやすい。

もし千葉のディズニーランドを廃止したらその分のGDPが減り失業者が増え、日本は貧しくなるだけです。

「パチンコで負ける人から金を奪っている」という議論については、そういう人はパチンコが無くなったら他の何かをやります。


男から見てディズニーランドに通う女性は金を騙し取られているが、本人たちはそう思っていません。

パチンコを禁止したらディズニーランドを禁止するのと同じく、日本が貧しくなるだけです。

http://www.thutmosev.com/archives/82210762.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/913.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
154. 中川隆[-13671] koaQ7Jey 2020年2月19日 12:18:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-246]
パチンコを根絶したらGDPが減り失業者が増えるだけ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/913.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c154
[リバイバル3] 輸入肉を食べると癌になる 中川隆
17. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2020年2月19日 12:38:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-245]
発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ 2020/02/19


© マネーポストWEB 提供 将来、アメリカ産牛肉の輸入量は国産牛の倍以上に
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ/ar-BB108osL?ocid=ientp&fullscreen=true#image=1


 発がんリスクのある「肥育ホルモン」が含まれたアメリカ産牛肉が激増──。2月7日の財務省の速報で、アメリカ産牛肉の輸入量が前年の122%に増加したことがわかった。ますます増える“恐怖の牛肉”は、そこかしこに潜んでいる。

 都内にある全国チェーンのファミリーレストラン。パート主婦の坂田さん(仮名)は家族で来ることが多いという。

「ここなら、家族みんなの食べたいものがあります。夫はサーロインステーキ、中学生の息子はチーズハンバーグ、小学生の娘はビーフシチューがお気に入り。食材を買って自炊するより安いメニューもあるんですよ! 月に何回かは利用しています」

 カラフルなメニュー表を見ると、ステーキには「アンガス牛」の表示。ただ、ハンバーグにもビーフシチューにも、表示はなかった。実はそれ、すべてアメリカからの輸入牛である。

 今年1月から関税率が下がり、輸入量が激増しているアメリカ産牛肉には恐るべき問題点がある。

 多くのアメリカ産牛肉には、牛の生育を早め、飼育コストを下げることを目的に天然や合成の性ホルモンから作った「肥育ホルモン剤」として女性ホルモン(エストロゲン、プロゲステロン)が投与されている。1970〜1980年代にかけて、そうした肉を食べた幼い女の子の乳房がふくらんだり、月経が起きるなどの異常な性発育が続出した騒動以来、EUでは1988年に肥育ホルモンの使用が、1989年には肥育ホルモンを使った肉の輸入が全面禁止となった。その後、EU諸国では乳がん死亡率が20%以上減ったという。

 一方、国産牛肉と比較した研究では、アメリカ産牛肉からは赤身で600倍、脂身で140倍もの女性ホルモン(エストロゲン)が検出されたという報告がある。
 倫理上“人体実験”ができないため、人体への影響は完全には証明できない。しかし、肥育ホルモン使用牛のリスクは見逃せるものではない。当の米国でも「ホルモンフリー」の肉が人気を博すなど、世界中で問題視され、避けられている。無邪気に食べているのは日本人だけなのだ──。

「スーパーで原産地表示を確認して、アメリカ産牛肉を買わなければいいのでは?」と思う人もいるだろう。

 たしかにスーパーの生鮮食品は、原産国名表示が必須。しかし、果たしてその「アメリカ産」だけを避ければ、口にしなくて済むのだろうか。

「加工食品は、重量が最も多い食材が肉でない限り、産地を明記する義務はありません。レトルトカレーから冷凍コロッケまで、さまざまな商品に牛肉は入っています。また、お総菜など、作ったその場で販売される食品は、『お店の人に確認することができるから』という理由で、原料原産地表示は不要。肉じゃがや牛肉の炒め物、最近ブームの牛カツだって、安いアメリカ産である可能性は充分あります」(食品ジャーナリスト)


 産地を尋ねられて即座に答えられる店員が、果たしてどれくらいいるのだろう。

※女性セブン2020年2月27日号

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ/ar-BB108osL?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/733.html#c17

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
339. 中川隆[-13669] koaQ7Jey 2020年2月19日 12:38:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-244]
発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ 2020/02/19


© マネーポストWEB 提供 将来、アメリカ産牛肉の輸入量は国産牛の倍以上に
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ/ar-BB108osL?ocid=ientp&fullscreen=true#image=1


 発がんリスクのある「肥育ホルモン」が含まれたアメリカ産牛肉が激増──。2月7日の財務省の速報で、アメリカ産牛肉の輸入量が前年の122%に増加したことがわかった。ますます増える“恐怖の牛肉”は、そこかしこに潜んでいる。

 都内にある全国チェーンのファミリーレストラン。パート主婦の坂田さん(仮名)は家族で来ることが多いという。

「ここなら、家族みんなの食べたいものがあります。夫はサーロインステーキ、中学生の息子はチーズハンバーグ、小学生の娘はビーフシチューがお気に入り。食材を買って自炊するより安いメニューもあるんですよ! 月に何回かは利用しています」

 カラフルなメニュー表を見ると、ステーキには「アンガス牛」の表示。ただ、ハンバーグにもビーフシチューにも、表示はなかった。実はそれ、すべてアメリカからの輸入牛である。

 今年1月から関税率が下がり、輸入量が激増しているアメリカ産牛肉には恐るべき問題点がある。

 多くのアメリカ産牛肉には、牛の生育を早め、飼育コストを下げることを目的に天然や合成の性ホルモンから作った「肥育ホルモン剤」として女性ホルモン(エストロゲン、プロゲステロン)が投与されている。1970〜1980年代にかけて、そうした肉を食べた幼い女の子の乳房がふくらんだり、月経が起きるなどの異常な性発育が続出した騒動以来、EUでは1988年に肥育ホルモンの使用が、1989年には肥育ホルモンを使った肉の輸入が全面禁止となった。その後、EU諸国では乳がん死亡率が20%以上減ったという。

 一方、国産牛肉と比較した研究では、アメリカ産牛肉からは赤身で600倍、脂身で140倍もの女性ホルモン(エストロゲン)が検出されたという報告がある。
 倫理上“人体実験”ができないため、人体への影響は完全には証明できない。しかし、肥育ホルモン使用牛のリスクは見逃せるものではない。当の米国でも「ホルモンフリー」の肉が人気を博すなど、世界中で問題視され、避けられている。無邪気に食べているのは日本人だけなのだ──。

「スーパーで原産地表示を確認して、アメリカ産牛肉を買わなければいいのでは?」と思う人もいるだろう。

 たしかにスーパーの生鮮食品は、原産国名表示が必須。しかし、果たしてその「アメリカ産」だけを避ければ、口にしなくて済むのだろうか。

「加工食品は、重量が最も多い食材が肉でない限り、産地を明記する義務はありません。レトルトカレーから冷凍コロッケまで、さまざまな商品に牛肉は入っています。また、お総菜など、作ったその場で販売される食品は、『お店の人に確認することができるから』という理由で、原料原産地表示は不要。肉じゃがや牛肉の炒め物、最近ブームの牛カツだって、安いアメリカ産である可能性は充分あります」(食品ジャーナリスト)


 産地を尋ねられて即座に答えられる店員が、果たしてどれくらいいるのだろう。

※女性セブン2020年2月27日号

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ/ar-BB108osL?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c339

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
160. 中川隆[-13668] koaQ7Jey 2020年2月19日 12:39:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-243]
発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ 2020/02/19


© マネーポストWEB 提供 将来、アメリカ産牛肉の輸入量は国産牛の倍以上に
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ/ar-BB108osL?ocid=ientp&fullscreen=true#image=1


 発がんリスクのある「肥育ホルモン」が含まれたアメリカ産牛肉が激増──。2月7日の財務省の速報で、アメリカ産牛肉の輸入量が前年の122%に増加したことがわかった。ますます増える“恐怖の牛肉”は、そこかしこに潜んでいる。

 都内にある全国チェーンのファミリーレストラン。パート主婦の坂田さん(仮名)は家族で来ることが多いという。

「ここなら、家族みんなの食べたいものがあります。夫はサーロインステーキ、中学生の息子はチーズハンバーグ、小学生の娘はビーフシチューがお気に入り。食材を買って自炊するより安いメニューもあるんですよ! 月に何回かは利用しています」

 カラフルなメニュー表を見ると、ステーキには「アンガス牛」の表示。ただ、ハンバーグにもビーフシチューにも、表示はなかった。実はそれ、すべてアメリカからの輸入牛である。

 今年1月から関税率が下がり、輸入量が激増しているアメリカ産牛肉には恐るべき問題点がある。

 多くのアメリカ産牛肉には、牛の生育を早め、飼育コストを下げることを目的に天然や合成の性ホルモンから作った「肥育ホルモン剤」として女性ホルモン(エストロゲン、プロゲステロン)が投与されている。1970〜1980年代にかけて、そうした肉を食べた幼い女の子の乳房がふくらんだり、月経が起きるなどの異常な性発育が続出した騒動以来、EUでは1988年に肥育ホルモンの使用が、1989年には肥育ホルモンを使った肉の輸入が全面禁止となった。その後、EU諸国では乳がん死亡率が20%以上減ったという。

 一方、国産牛肉と比較した研究では、アメリカ産牛肉からは赤身で600倍、脂身で140倍もの女性ホルモン(エストロゲン)が検出されたという報告がある。
 倫理上“人体実験”ができないため、人体への影響は完全には証明できない。しかし、肥育ホルモン使用牛のリスクは見逃せるものではない。当の米国でも「ホルモンフリー」の肉が人気を博すなど、世界中で問題視され、避けられている。無邪気に食べているのは日本人だけなのだ──。

「スーパーで原産地表示を確認して、アメリカ産牛肉を買わなければいいのでは?」と思う人もいるだろう。

 たしかにスーパーの生鮮食品は、原産国名表示が必須。しかし、果たしてその「アメリカ産」だけを避ければ、口にしなくて済むのだろうか。

「加工食品は、重量が最も多い食材が肉でない限り、産地を明記する義務はありません。レトルトカレーから冷凍コロッケまで、さまざまな商品に牛肉は入っています。また、お総菜など、作ったその場で販売される食品は、『お店の人に確認することができるから』という理由で、原料原産地表示は不要。肉じゃがや牛肉の炒め物、最近ブームの牛カツだって、安いアメリカ産である可能性は充分あります」(食品ジャーナリスト)


 産地を尋ねられて即座に答えられる店員が、果たしてどれくらいいるのだろう。

※女性セブン2020年2月27日号

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/発がんリスク指摘の米国産牛肉、無邪気に食べるのは日本人だけ/ar-BB108osL?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c160

[番外地7] 習近平に忖度する安倍首相 中川隆
1. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2020年2月19日 12:50:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-244]
誤解しているみたいだけど、習近平が日本に来たい訳じゃないよ:
習近平に忖度する安倍首相
日本政府と厚労省は、「厚労省が許可した者以外新型ウイルス検査するな」と保健所に命令している。安倍首相は「全力で防止する」と言ったが、実際には武漢ウイルスが発覚した1月20日から何もしていません。

その理由はおそらく中国から情報統制の要請があったからで、河野防衛大臣は「訪中時に日本国内の情報統制を要請された」と証言している。
河野大臣によると中国側は4月の習近平訪日の条件として「日本国内の情報統制」を要求し、日本が応じなければ訪日中止を示唆した。
安倍首相は新型ウイルス防止より習近平訪日を優先し、いかなる入国防止策もとってはならないと指示した。
このパターンは実は2度目であり、2014年に中国のサンゴ漁船1000隻以上が日本列島を包囲する事件があった。
そのうち数百隻は小笠原近海で密漁していたが、この「サンゴ漁船」を中国海軍が指揮していたのは公然の秘密でした。
漁船の中には一定割合で北朝鮮工作船のように、長いアンテナを伸ばした不審船が含まれていました。
不審船は一切漁をせず、軍人と思しき人間が乗っており、船団に指示し本国と連絡を取っていると推測されました。
この時安倍首相は「漁船を絶対に拘束するな」「漁港に入れて保護しろ」と驚くべき指示を出した。
11月10日に北京で、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の会場で安倍首相と習近平の日中首脳会談が実現しました。
この数日前から中国側は「首脳会談をしたいのなら中国漁船を、取り締まってはならない」と広報官などが日本に警告していました。
安倍首相が習近平に事実上の謝罪を表明すると、その週のうちに中国船団は姿を消しました。
明らかに安倍首相は習近平の要請によって中国漁船を保護し、逮捕を禁止しました。

安倍首相は首脳会談の後、大きな成果だとして自画自賛した。
___

2月13日には千葉県のITエンジニアも感染が確認され、発熱後も都内の満員電車などを利用していた。本人を名乗る人物がネットに投稿していて、40度の熱が一週間続き、なんども新型ウイルス検査を申し込んだが保健所に断られたと書かれている。特に治療も隔離も受けず放っておかれたが新型コロナ感染が分かったので、これから隔離されると書かれていた。

千葉の空港職員の場合もほとんど同じで、受診した病院が何度もウイルス検査を依頼したが、保健所は最初「武漢渡航者との接触を証明しろ」と犯罪者扱いし検査を拒否した。
厚生労働省から保健所にウイルス検査禁止の命令が出ていたようで、こんな指示が出せるのは本省か厚労大臣か首相だけです。

厚労省と保健所は新型ウイルスの当初から「人から人には感染しない」「日本人には感染しない」「国内感染はしない」と言い続けた。

国内で感染者が見つかった後も「潜伏期間はない」「発熱していなければ感染していない」「湖北省渡航者と接触なければ感染しない」と言っていました。
これらすべてがウソだったのが分かっているが、現在も「過剰な警戒はしないよう」呼びかけ、中国からの入国禁止に反対している。

習近平の訪日が4月に迫っていて、河野大臣によると中国側は「訪日してほしければ情報統制しなさい」と日本に要求している。

安倍首相周辺は習訪日に前のめりで、中国が強く反発している「中国からの入国禁止」に反対している。

もし日本政府が中国からの入国禁止を決めたら、4月の習近平訪日は中止になり、安倍首相の外交成果が潰され親中派の二階幹事長が反安倍に転じるかも知れない。厚労省はクルーズ船の船内で検査する時、規則だからと医師や職員に防護服着用を禁止し、マスクは使い回ししていた。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/490.html#c1

[近代史3] 中国人の命は安い

中国人の命は安い 2020年02月18日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1034.html


 映画「再会」 アナスタシア・リン主演
  https://www.youtube.com/watch?list=PLxejGDsVviQgOwFurnG95V1mFfchQ2chr&time_continue=345&v=OckMK0JX2X0&feature=emb_logo

 病院に勤務する女性が、人体標本の闇を知り、それをネットに暴露しようとした。
 すると彼女は、突然、行方不明になって消える。
 1年半後、「人体の標本展」に行くと、見覚えのある手術跡のある妊婦の標本が展示されていた。
*************************************************************************
 
人体標本になった23歳の女性
 https://secret-china.com/%E6%9C%80%E6%96%B0%E8%A8%98%E4%BA%8B/23/2/

 中国人民大学の女子学生、李寧は、2012年3月5日に、北京全人代会場で裸になって母親が当局によって暴行殺人に遭ったことを訴えたが、連行されて行方不明なった。
 https://www.epochtimes.jp/jp/2012/03/print/prt_d49596.html

 その後、大連の人体標本工場で、李寧にそっくりな女性が標本にされていることが分かった。
**************************************************************************

中国での臓器狩りを題材とする韓国映画『共謀者たち(原題)』が8月30日から、韓国各地の映画館で一斉に上映されている。この映画は、(2009年)中国で誘拐された韓国人女性が生きたまま臓器を摘出(臓器狩り)され、死亡したという実話に基づいており、闇組織と税関、病院、公安当局が組織ぐるみで、生きた人間の臓器を摘出し、密売する犯罪の裏を描いている。  

https://www.youtube.com/watch?time_continue=6&v=qI3ltkHS2FU&feature=emb_logo

*********************************************************************

 中国の人口は、2009年現在14億人といわれるが、そのうち3億8000万人が、中国共産党を支持しないキリスト教やイスラム教などの宗教に加盟しているとされる。
 中国共産党の政治体制を、真正面から批判したのは、法輪功と呼ばれる、気功宗教団体で、李洪志が1992年に公開した気功修練のグループである。
 江沢民政権は、1999年の法輪功集団による北京中南海陳情事件で、法輪功にメンツを潰されたと感じ、以来、「法輪功を皆殺しにする」との方針で、吐き気を催すような残酷な弾圧を開始した。
https://www.epochtimes.jp/p/2018/04/32796.html
 
 今世紀に入ってからも、中国共産党による法輪功加盟者への筆舌に尽くしがたい残酷な弾圧はやむことがなく、数十万人が令状もないまま拘束され、数万人が、生きたまま臓器を抜き取られて殺されている。
 この事態が国際的に明らかになっても、中国政府は公然と否定する背後で、臓器抜き取り殺人を続けているといわれる。

 日本など世界中の臓器移植を求める人たちのニーズに答えて、一件につき数百万円の手数料が中国共産党幹部に手渡されるとされる。
 刑訴法の手続きも無視して獄舎に拘束された法輪功加盟者は、臓器依頼者の適合型に合わせて生きたまま臓器を摘出されて殺される。
 これが極めて高利率の共産党ビジネスに組み込まれていて、もはや中断することもできないのだともいわれる。

https://news.nicovideo.jp/watch/nw5342314

 https://matome.naver.jp/odai/2134941656198909901

 https://www.youtube.com/watch?v=TVe5RBUjw2c

 中国では、こうした臓器ビジネスの暗躍の噂が絶えない。
 中国では、年間20万人以上の子供たちが、突然行方不明になる。この多くも、法輪功加盟者と同じように臓器ビジネスに売られるのだという。
 https://bunshun.jp/articles/-/6214

 ブルースリーの「ドラゴン危機一髪」でも、氷工場のなかの氷に殺された子供たちが漬けられているシーンがあったが、これは、臓器売買の前の時代で、おそらく食材ではないかと、私は考えた。中国では、こうした人命軽視の風潮が、日本では信じられないほど一般的に存在している。

 中国共産党が、世界中の人々から、人間性崩壊を指摘されながら臓器ビジネスをやめず、今また、ウイグルで、同じことを繰り返している理由は、元々、数千年前から、中国では人の命が軽く、安いという事情がある。
 以下に、中国で誘拐された子供たちの値段が紹介されている。
 https://ameblo.jp/cjgarf/entry-11141053589.html

 中国では、パールバックの大地の蝗害描写に見られるように、ときどき、想像を絶するような巨大飢饉が勃発し、もの凄い数の人が死んでゆく。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%97%E5%AE%B3
 死ぬことを思えば、奴隷として売られることも合理性があった。日本でも、「おしん」のなかに、少女が売られてゆくシーンがちりばめられている。こんなことは、明治大正昭和の飢饉でも、ありふれた出来事だった。

 中国の場合は、飢饉になると人間に食材としての価値が生まれるのである。
 古代には、国どうしの戦争で、敗北した国は、国民全部が一つの大きな穴に入れられて生きたまま殺される「坑刑」が存在した。
 呉越戦争で敗北した呉国民も、坑刑を恐れて船で脱出して、九州や南朝鮮にたどり着いて弥生人になった可能性が強い。

 戦争の場合、ほとんどの場合、兵士となる可能性のある男子は、復讐を恐れて皆殺しにされたが、女子は子を産むための奴隷として連行されることが多かった。
 殺された者たちは、多くが塩漬けにされて食料となった。中国では、人間は食文化の大切な柱で、文革で殺された者たちも多くが大躍進の飢饉のなかで食べられたと伝えられる。
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28460.html

 https://www.afpbb.com/articles/-/3086883

 古代史では、もっと顕著で、孔子の大好物は、人醤=人肉の塩漬けだったと伝えられる。
 https://matome.naver.jp/odai/2136279998400250601?page=2

 また、劉備にも、人を食べた有名な故事が伝えられている。
 https://3kingdoms.info/shu-han/liu-bei/72/

 このように、中国では食べ物がなくなれば人を食べることは常識であった。
 これは現在に至るまで残っている風習で、まずは、地上に棲む四つ足を食べて、食べ尽くせば残った二つ足を食べるのである。
 https://amor1028.exblog.jp/16663172/

 このような人間生命軽視の習慣が続いた中国にあっては、同じ、人肉利用の延長として「臓器売買」が成立していても何の不思議もない。
 問題は、中国では、人間に対する尊厳が薄く、しかも人の命が安いということである。

 日本のような人の命に対する敬意の大きな国では、このような人肉食の伝統はできにくいが、しかし、江戸時代の天明大飢饉では、津軽で人を食べたとの伝承が残っている。
 https://ameblo.jp/aqgel/entry-10037063218.html

 世界で命が安いのは中国だけではない。人が多い場所(人口密度が高い地域)では、必ず大飢饉が起きて、人の命が極端に安くなるのである。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-233.html

 このような国では、極めて高い利益率である臓器売買が成立する必然性が大きくなる。マフィアの主要資金源は麻薬だが、これからは、臓器売買が主力になるかもしれない。
 今では、日本でも、子供が行方不明になると、疑われるのは性的嗜好対象とともに臓器殺人なのである。子供なら、生きたまま手術室まで移動させやすいからだ。
 https://gooddo.jp/magazine/peace-justice/human_trafficking/1038/


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1034.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/914.html

[近代史3] 中国人の命は安い 中川隆
1. 中川隆[-13668] koaQ7Jey 2020年2月19日 13:22:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-242]
人体標本になった23歳の女性
https://secret-china.com/最新記事/23/2/

人体標本になった女性

陳情に行った女の子
似ているように見えますが、同じ人なんでしょうか。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/914.html#c1

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
59. 中川隆[-13673] koaQ7Jey 2020年2月19日 17:10:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-244]
2020年2月19日
「名目」GDPの落ち込みが、半端なくヤバイ 〜安倍増税ショックの真実〜
From 藤井聡@京都大学大学院教授
https://38news.jp/economy/15392

令和2年2月17日、消費増税直後の四半期である令和元年10−12月期のGDP統計が公表されました。その結果、激しい経済の冷え込みが明らかにされました。

(前期比)年率で6・3%も下落するという値が示されたのです。
年率6・3%と言えば、一年で35兆円もGDPが縮小するという勢い。それは国民一人あたり、おおよそ30万円ものオカネを失っていくという、途轍もない冷え込みを示しています。

では、過去二回の増税時と比べて、今回の6・3%の下落というのは、どれくらいのものなのかを見みましょう。


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2310086432425620&set=a.236228089811475&type=3&theater

ご覧の様に、今回の増税直後に、実質GDPが大きく下落している様子が見て取れます。その下落は、97年増税時よりも激しいもの。

ただし、14年増税時と比べると、同程度の下落水準。

ですが、今回「2%」であった増税幅が14年増税時は「3%」ですから、実質GDPの凹み方は、14年の方が「3/2倍」(1・5倍)であっても良いはず・・・なので、それを差し引くと、今回の方が激しく下落していると言えそうです。

ただし・・・今回の増税のヤバさは、こっちの「名目値」の方がクッキリ表れています。
こちらをご覧下さい。


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2310098469091083&set=a.236228089811475&type=3&theater

ご覧の様に、過去二回の増税時、「名目」GDPは実は、消費増税後に全く凹んで無かったのですが・・・今回は激しく凹んでしまっているのです!

過去二回の増税時には、名目GDPは、0%〜2%弱という「プラス」の水準だったわけです。にも関わらず、その時、先にも示したように、「実質」GDPは凹んでいました。これはつまり、「実質」GDPの凹みの原因は、「消費増税がもたらした強制的な物価上昇」だけだったわけで、「国民が払ったカネの総額」は、実は全く減っていなかったわけです。

ところが今回は、この図に示されたように「国民が払ったカネの総額」も実に5%近くも縮小してしまったわけです。

つまり前回までは、「国民のカネの支払い総額(名目GDP)は減らなかったが、モノの値段が上がったが故に、買うモノの総量(実質GDP)が減った」という話だったのが、今回は、「モノの値段が上がったが上に、国民のカネの支払い総額も減って、買うモノの総量が(ダブルの効果で)激しく減った」という事になったのです!
これはもう、異常事態。

これからコロナショックがデータに反映されていく事を考えれば、日本経済が奈落の底に沈んでいく事は、もう確実と言えるでしょう。
・・・では、なぜこんな事になったのでしょうか・・・?
ついてはまず、名目GDPの各項目に注目してみましょう。

————————–
消費    -9.0 %
住宅投資  -3.6 %
民間投資  -13.7 %
政府支出  -1.5 %
輸出    -2.3 %
輸入    -13.2 %
————————–
GDP   -4.9 %
————————–

(いずれも名目値、対前期年率変化率)

まず目立つのが、「投資」と「消費」の縮小。
その縮小率は13・7%と9・0%。
両者とも実に1割前後縮小したわけです。

それと同程度の下落を見せたのが「輸入」。実に13・2%も縮小しています。これはもちろん、国内の「購買力」の減退を反映したものですが、統計上は、これは激しく「プラス」に作用する変化です。

つまり、(購買力の減退故に)輸入が1割以上も「減る」事を通して名目GDPに対して大きくプラスの影響があったにも関わらず、(同じく購買力の減退故に)消費と投資がそれを上回る水準で下落したため、トータルとして5%も名目GDPが縮小してしまったのです。

以上を踏まえると、今までの二度の増税では見られなかった「支払総額=名目GDPの下落」が、今回、起こってしまったのは、今回の消費増税では過去二回に比べてより激しく「購買力を減退」したからだという背景が見えて参ります。
ではなぜ、今回、「購買力の減退」が激しく起こったのかと言えば・・・一つの有力な仮説が、「10%という税率が、超絶に分かり易く、誰でもスグに税率を計算できるから」というもの。

これまで、 https://www.mag2.com/p/money/339998 などで詳しく解説して参りましたが、消費税というものは、「計算しやすければしやすいほど、購買力を減退させる効果」が大きくなることは、心理学研究から明らかにされてきていたのです。そして、「10%」=「1割」という数字は途轍もなく計算しやすくなるため、購買力減退が激しく生ずることになるのです。

・・・この仮説の真偽の程は引きつづき、確認していくことが必要ではありますが、いずれにしても、今回、今まで見られなかった「購買力の異様な減退」が生じているのは事実。

これに加えて、今は、外需が下落しているという背景もあるわけですから、日本経済はまさにこれから「地獄」になることは必至・・・。
にも関わらず、我が国のリーダーは、以上のデータが公表された直後に、こんな事を公衆の面前で臆面も無く嘯いています。

「経済対策の効果もあり基調として緩やかな回復が続く」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200217-00000043-reut-bus_all&

・・・・絶句する他ありません。
つまり、現下の大不況の最大の根本的原因は、「10%への消費増税」というよりもむしろ、我が国の政治リーダーの「無見識」と「無責任さ」なのです。
誠に遺憾です。

追伸1:
こうした国家を滅亡に導きかねない政治リーダー達の「ウソ」について、徹底的に批判しました。是非、ご一読ください。
『ウソ』で自滅する国家 安倍・トランプ・文在寅
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B084B14TY6/

追伸2:
感染症対策と同様、「安全保障」問題においても日本は不十分な対応しか出来ていません・・・是非、ご一読ください。
政府は「プライマリーバランス」より「日本」を守ることを優先せよ! 〜奄美大島の基地視察が教えてくれた西南諸島“防衛”物語〜
https://foomii.com/00178/2020021411000063573

追伸3:
コチラの動画も是非、ご覧下さい!
https://www.youtube.com/watch?v=jglMLZLEE9U

https://38news.jp/economy/15392

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c59

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
48. 中川隆[-13672] koaQ7Jey 2020年2月19日 17:15:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-243]
2020年02月19日
コロナショックも各国は株高、中国が消えても世界は困らない
http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html


各国株価の反応は「中国が消えても困らない」だった(NY証券取引所)

画像引用:https://sa.kapamilya.com/absnews/abscbnnews/media/2019/reuters/07/31/nyse.jpg

中国危機なのに各国は株高の謎

武漢で新型コロナウイルスが”発見”されたのが1月20日で、それから約1か月が経ったが株価は高いままです。

米ダウは最高値を何度も更新し2月12日に2万9551ドルをつけ、日経平均は高値圏である2万3000円台を維持している。

震源地の上海総合は1月13日に3115だったのが2月3日に2746まで落ち込んだが、今週は約3000まで回復している。


各国は株式市場などの暴落を予想し公的資金を投入して買い支え、政府系ファンドと呼ばれる公的ファンドが活躍した。

中国人民銀行は2月2日、1兆2000億元(約18兆7000億円)を金融市場に供給すると発表し連日大規模オペを実施していた。

日本政府も年金や日銀など公的資金を活用して買い支えたのは想像に難くなく、ネットでは日銀砲や年金砲などの言葉が飛び交っている。


アメリカはトランプ大統領の弾劾裁判が行われたが、早々に却下され大統領選でもトランプ有利が伝わり株高になっている。

2002年から2003年の中国発SARSウイルスの時にも、実は各国株価は短期間少し下げただけで、むしろ値上がりしていました。

もっとも悪化した時でも株価は10%下げただけで、収束に向かうと下落率を超える上昇を見せました。


2015年には人民元や中国株が暴落するチャイナショックがあったが、これも永次機はせず世界は資産バブルを強めていった。

こうした過去の出来事を見ると少なくとも中国国内の危機で、世界各国が深刻な危機に陥ることは無いでしょう。

2007年にアメリカで住宅ローンが破綻したのがきっかけでリーマンショックに至ったが、それはアメリカの影響力が世界的なものだったからです。


1990年頃日本の経済力は世界2位で現在の中国に匹敵する経済規模だったが、日本のバブル崩壊で困ったのは日本だけでした。

中国の経済規模が大きいといっても1990年の日本程度にすぎず、アメリカとは比較できません。

従って例え中国がウイルスで崩壊したとしても、それで困るのは中国人だけだと予言できる。

中国崩壊で困るのは中国だけ

例えば1940年にドイツは世界2位の大国だったが4年後にあっけなく倒れ、世界2位の大国だったソ連も1991年に崩壊した。

それで困ったのは当事者のドイツ人やロシア人だけで、世界的な影響はありませんでした。

世界2位の大国の影響力はこんなものでしかないので、中国がなくなっても誰も困りません。


SARSの時は1.7兆ドルだった中国のGDPは19年に15兆ドル、世界GDPの15%以上を占めている(と中国は主張している)

中国GDPは過大に発表されている疑いが強く、例えば2割多いと中国経済の世界シェアは約14%になる。

1994年に日本のGDPは全世界の17.9%も占めていたが、その後数年で半減してしまった。


GDPはその国の株価あるいは地価と相関関係があり、日本は1990年末の土地資産約2456兆円だったのが、2006年末には約1228兆円に減少した。

バブル崩壊後10年で土地資産と株式資産が半減になり、日本の国が半分になるほどのダメージを負った。

ソ連崩壊やドイツ崩壊、日本の敗戦や戦前の中華民国崩壊を見ても、もし中国が崩壊したら国の資産の半分が吹き飛ぶと予想できます。


資産が吹き飛ぶのはバブルだったからで、バブル期の日本は山を崩してゴルフ場にして数千億円の会員権を売るような商売をしていました。

2000年代からの中国は開発そのもので経済成長し、鬼城と呼ぶ無人都市を建設して、建設することで資産価値を増やしました。

それはゴルフ会員権を数千億円で売り出すのと同じ愚かな行為で、もともと価値が無いのだからいつかは無に帰るものです。

http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c48

[近代史3] アメリカが No.2 になった国を潰した方法 中川隆
6. 中川隆[-13671] koaQ7Jey 2020年2月19日 17:16:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-242]
2020年02月19日
コロナショックも各国は株高、中国が消えても世界は困らない
http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html


各国株価の反応は「中国が消えても困らない」だった(NY証券取引所)

画像引用:https://sa.kapamilya.com/absnews/abscbnnews/media/2019/reuters/07/31/nyse.jpg

中国危機なのに各国は株高の謎

武漢で新型コロナウイルスが”発見”されたのが1月20日で、それから約1か月が経ったが株価は高いままです。

米ダウは最高値を何度も更新し2月12日に2万9551ドルをつけ、日経平均は高値圏である2万3000円台を維持している。

震源地の上海総合は1月13日に3115だったのが2月3日に2746まで落ち込んだが、今週は約3000まで回復している。


各国は株式市場などの暴落を予想し公的資金を投入して買い支え、政府系ファンドと呼ばれる公的ファンドが活躍した。

中国人民銀行は2月2日、1兆2000億元(約18兆7000億円)を金融市場に供給すると発表し連日大規模オペを実施していた。

日本政府も年金や日銀など公的資金を活用して買い支えたのは想像に難くなく、ネットでは日銀砲や年金砲などの言葉が飛び交っている。


アメリカはトランプ大統領の弾劾裁判が行われたが、早々に却下され大統領選でもトランプ有利が伝わり株高になっている。

2002年から2003年の中国発SARSウイルスの時にも、実は各国株価は短期間少し下げただけで、むしろ値上がりしていました。

もっとも悪化した時でも株価は10%下げただけで、収束に向かうと下落率を超える上昇を見せました。


2015年には人民元や中国株が暴落するチャイナショックがあったが、これも永次機はせず世界は資産バブルを強めていった。

こうした過去の出来事を見ると少なくとも中国国内の危機で、世界各国が深刻な危機に陥ることは無いでしょう。

2007年にアメリカで住宅ローンが破綻したのがきっかけでリーマンショックに至ったが、それはアメリカの影響力が世界的なものだったからです。


1990年頃日本の経済力は世界2位で現在の中国に匹敵する経済規模だったが、日本のバブル崩壊で困ったのは日本だけでした。

中国の経済規模が大きいといっても1990年の日本程度にすぎず、アメリカとは比較できません。

従って例え中国がウイルスで崩壊したとしても、それで困るのは中国人だけだと予言できる。

中国崩壊で困るのは中国だけ

例えば1940年にドイツは世界2位の大国だったが4年後にあっけなく倒れ、世界2位の大国だったソ連も1991年に崩壊した。

それで困ったのは当事者のドイツ人やロシア人だけで、世界的な影響はありませんでした。

世界2位の大国の影響力はこんなものでしかないので、中国がなくなっても誰も困りません。


SARSの時は1.7兆ドルだった中国のGDPは19年に15兆ドル、世界GDPの15%以上を占めている(と中国は主張している)

中国GDPは過大に発表されている疑いが強く、例えば2割多いと中国経済の世界シェアは約14%になる。

1994年に日本のGDPは全世界の17.9%も占めていたが、その後数年で半減してしまった。


GDPはその国の株価あるいは地価と相関関係があり、日本は1990年末の土地資産約2456兆円だったのが、2006年末には約1228兆円に減少した。

バブル崩壊後10年で土地資産と株式資産が半減になり、日本の国が半分になるほどのダメージを負った。

ソ連崩壊やドイツ崩壊、日本の敗戦や戦前の中華民国崩壊を見ても、もし中国が崩壊したら国の資産の半分が吹き飛ぶと予想できます。


資産が吹き飛ぶのはバブルだったからで、バブル期の日本は山を崩してゴルフ場にして数千億円の会員権を売るような商売をしていました。

2000年代からの中国は開発そのもので経済成長し、鬼城と呼ぶ無人都市を建設して、建設することで資産価値を増やしました。

それはゴルフ会員権を数千億円で売り出すのと同じ愚かな行為で、もともと価値が無いのだからいつかは無に帰るものです。

http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html#c6

[近代史02] 株で損した理由教えてあげる 中川隆
568. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2020年2月19日 17:17:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-241]
2020年02月19日
コロナショックも各国は株高、中国が消えても世界は困らない
http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html


各国株価の反応は「中国が消えても困らない」だった(NY証券取引所)

画像引用:https://sa.kapamilya.com/absnews/abscbnnews/media/2019/reuters/07/31/nyse.jpg

中国危機なのに各国は株高の謎

武漢で新型コロナウイルスが”発見”されたのが1月20日で、それから約1か月が経ったが株価は高いままです。

米ダウは最高値を何度も更新し2月12日に2万9551ドルをつけ、日経平均は高値圏である2万3000円台を維持している。

震源地の上海総合は1月13日に3115だったのが2月3日に2746まで落ち込んだが、今週は約3000まで回復している。


各国は株式市場などの暴落を予想し公的資金を投入して買い支え、政府系ファンドと呼ばれる公的ファンドが活躍した。

中国人民銀行は2月2日、1兆2000億元(約18兆7000億円)を金融市場に供給すると発表し連日大規模オペを実施していた。

日本政府も年金や日銀など公的資金を活用して買い支えたのは想像に難くなく、ネットでは日銀砲や年金砲などの言葉が飛び交っている。


アメリカはトランプ大統領の弾劾裁判が行われたが、早々に却下され大統領選でもトランプ有利が伝わり株高になっている。

2002年から2003年の中国発SARSウイルスの時にも、実は各国株価は短期間少し下げただけで、むしろ値上がりしていました。

もっとも悪化した時でも株価は10%下げただけで、収束に向かうと下落率を超える上昇を見せました。


2015年には人民元や中国株が暴落するチャイナショックがあったが、これも永次機はせず世界は資産バブルを強めていった。

こうした過去の出来事を見ると少なくとも中国国内の危機で、世界各国が深刻な危機に陥ることは無いでしょう。

2007年にアメリカで住宅ローンが破綻したのがきっかけでリーマンショックに至ったが、それはアメリカの影響力が世界的なものだったからです。


1990年頃日本の経済力は世界2位で現在の中国に匹敵する経済規模だったが、日本のバブル崩壊で困ったのは日本だけでした。

中国の経済規模が大きいといっても1990年の日本程度にすぎず、アメリカとは比較できません。

従って例え中国がウイルスで崩壊したとしても、それで困るのは中国人だけだと予言できる。

中国崩壊で困るのは中国だけ

例えば1940年にドイツは世界2位の大国だったが4年後にあっけなく倒れ、世界2位の大国だったソ連も1991年に崩壊した。

それで困ったのは当事者のドイツ人やロシア人だけで、世界的な影響はありませんでした。

世界2位の大国の影響力はこんなものでしかないので、中国がなくなっても誰も困りません。


SARSの時は1.7兆ドルだった中国のGDPは19年に15兆ドル、世界GDPの15%以上を占めている(と中国は主張している)

中国GDPは過大に発表されている疑いが強く、例えば2割多いと中国経済の世界シェアは約14%になる。

1994年に日本のGDPは全世界の17.9%も占めていたが、その後数年で半減してしまった。


GDPはその国の株価あるいは地価と相関関係があり、日本は1990年末の土地資産約2456兆円だったのが、2006年末には約1228兆円に減少した。

バブル崩壊後10年で土地資産と株式資産が半減になり、日本の国が半分になるほどのダメージを負った。

ソ連崩壊やドイツ崩壊、日本の敗戦や戦前の中華民国崩壊を見ても、もし中国が崩壊したら国の資産の半分が吹き飛ぶと予想できます。


資産が吹き飛ぶのはバブルだったからで、バブル期の日本は山を崩してゴルフ場にして数千億円の会員権を売るような商売をしていました。

2000年代からの中国は開発そのもので経済成長し、鬼城と呼ぶ無人都市を建設して、建設することで資産価値を増やしました。

それはゴルフ会員権を数千億円で売り出すのと同じ愚かな行為で、もともと価値が無いのだからいつかは無に帰るものです。

http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/428.html#c568

[近代史02] 平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3 スットン教
41. 中川隆[-13668] koaQ7Jey 2020年2月19日 17:17:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-239]
59. 中川隆[-13669] koaQ7Jey 2020年2月19日 17:17:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-240]
2020年02月19日
コロナショックも各国は株高、中国が消えても世界は困らない
http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html


各国株価の反応は「中国が消えても困らない」だった(NY証券取引所)

画像引用:https://sa.kapamilya.com/absnews/abscbnnews/media/2019/reuters/07/31/nyse.jpg

中国危機なのに各国は株高の謎

武漢で新型コロナウイルスが”発見”されたのが1月20日で、それから約1か月が経ったが株価は高いままです。

米ダウは最高値を何度も更新し2月12日に2万9551ドルをつけ、日経平均は高値圏である2万3000円台を維持している。

震源地の上海総合は1月13日に3115だったのが2月3日に2746まで落ち込んだが、今週は約3000まで回復している。


各国は株式市場などの暴落を予想し公的資金を投入して買い支え、政府系ファンドと呼ばれる公的ファンドが活躍した。

中国人民銀行は2月2日、1兆2000億元(約18兆7000億円)を金融市場に供給すると発表し連日大規模オペを実施していた。

日本政府も年金や日銀など公的資金を活用して買い支えたのは想像に難くなく、ネットでは日銀砲や年金砲などの言葉が飛び交っている。


アメリカはトランプ大統領の弾劾裁判が行われたが、早々に却下され大統領選でもトランプ有利が伝わり株高になっている。

2002年から2003年の中国発SARSウイルスの時にも、実は各国株価は短期間少し下げただけで、むしろ値上がりしていました。

もっとも悪化した時でも株価は10%下げただけで、収束に向かうと下落率を超える上昇を見せました。


2015年には人民元や中国株が暴落するチャイナショックがあったが、これも永次機はせず世界は資産バブルを強めていった。

こうした過去の出来事を見ると少なくとも中国国内の危機で、世界各国が深刻な危機に陥ることは無いでしょう。

2007年にアメリカで住宅ローンが破綻したのがきっかけでリーマンショックに至ったが、それはアメリカの影響力が世界的なものだったからです。


1990年頃日本の経済力は世界2位で現在の中国に匹敵する経済規模だったが、日本のバブル崩壊で困ったのは日本だけでした。

中国の経済規模が大きいといっても1990年の日本程度にすぎず、アメリカとは比較できません。

従って例え中国がウイルスで崩壊したとしても、それで困るのは中国人だけだと予言できる。

中国崩壊で困るのは中国だけ

例えば1940年にドイツは世界2位の大国だったが4年後にあっけなく倒れ、世界2位の大国だったソ連も1991年に崩壊した。

それで困ったのは当事者のドイツ人やロシア人だけで、世界的な影響はありませんでした。

世界2位の大国の影響力はこんなものでしかないので、中国がなくなっても誰も困りません。


SARSの時は1.7兆ドルだった中国のGDPは19年に15兆ドル、世界GDPの15%以上を占めている(と中国は主張している)

中国GDPは過大に発表されている疑いが強く、例えば2割多いと中国経済の世界シェアは約14%になる。

1994年に日本のGDPは全世界の17.9%も占めていたが、その後数年で半減してしまった。


GDPはその国の株価あるいは地価と相関関係があり、日本は1990年末の土地資産約2456兆円だったのが、2006年末には約1228兆円に減少した。

バブル崩壊後10年で土地資産と株式資産が半減になり、日本の国が半分になるほどのダメージを負った。

ソ連崩壊やドイツ崩壊、日本の敗戦や戦前の中華民国崩壊を見ても、もし中国が崩壊したら国の資産の半分が吹き飛ぶと予想できます。


資産が吹き飛ぶのはバブルだったからで、バブル期の日本は山を崩してゴルフ場にして数千億円の会員権を売るような商売をしていました。

2000年代からの中国は開発そのもので経済成長し、鬼城と呼ぶ無人都市を建設して、建設することで資産価値を増やしました。

それはゴルフ会員権を数千億円で売り出すのと同じ愚かな行為で、もともと価値が無いのだからいつかは無に帰るものです。

http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html#c41

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
72. 中川隆[-13667] koaQ7Jey 2020年2月19日 17:18:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-238]
2020年02月19日
コロナショックも各国は株高、中国が消えても世界は困らない
http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html


各国株価の反応は「中国が消えても困らない」だった(NY証券取引所)

画像引用:https://sa.kapamilya.com/absnews/abscbnnews/media/2019/reuters/07/31/nyse.jpg

中国危機なのに各国は株高の謎

武漢で新型コロナウイルスが”発見”されたのが1月20日で、それから約1か月が経ったが株価は高いままです。

米ダウは最高値を何度も更新し2月12日に2万9551ドルをつけ、日経平均は高値圏である2万3000円台を維持している。

震源地の上海総合は1月13日に3115だったのが2月3日に2746まで落ち込んだが、今週は約3000まで回復している。


各国は株式市場などの暴落を予想し公的資金を投入して買い支え、政府系ファンドと呼ばれる公的ファンドが活躍した。

中国人民銀行は2月2日、1兆2000億元(約18兆7000億円)を金融市場に供給すると発表し連日大規模オペを実施していた。

日本政府も年金や日銀など公的資金を活用して買い支えたのは想像に難くなく、ネットでは日銀砲や年金砲などの言葉が飛び交っている。


アメリカはトランプ大統領の弾劾裁判が行われたが、早々に却下され大統領選でもトランプ有利が伝わり株高になっている。

2002年から2003年の中国発SARSウイルスの時にも、実は各国株価は短期間少し下げただけで、むしろ値上がりしていました。

もっとも悪化した時でも株価は10%下げただけで、収束に向かうと下落率を超える上昇を見せました。


2015年には人民元や中国株が暴落するチャイナショックがあったが、これも永次機はせず世界は資産バブルを強めていった。

こうした過去の出来事を見ると少なくとも中国国内の危機で、世界各国が深刻な危機に陥ることは無いでしょう。

2007年にアメリカで住宅ローンが破綻したのがきっかけでリーマンショックに至ったが、それはアメリカの影響力が世界的なものだったからです。


1990年頃日本の経済力は世界2位で現在の中国に匹敵する経済規模だったが、日本のバブル崩壊で困ったのは日本だけでした。

中国の経済規模が大きいといっても1990年の日本程度にすぎず、アメリカとは比較できません。

従って例え中国がウイルスで崩壊したとしても、それで困るのは中国人だけだと予言できる。

中国崩壊で困るのは中国だけ

例えば1940年にドイツは世界2位の大国だったが4年後にあっけなく倒れ、世界2位の大国だったソ連も1991年に崩壊した。

それで困ったのは当事者のドイツ人やロシア人だけで、世界的な影響はありませんでした。

世界2位の大国の影響力はこんなものでしかないので、中国がなくなっても誰も困りません。


SARSの時は1.7兆ドルだった中国のGDPは19年に15兆ドル、世界GDPの15%以上を占めている(と中国は主張している)

中国GDPは過大に発表されている疑いが強く、例えば2割多いと中国経済の世界シェアは約14%になる。

1994年に日本のGDPは全世界の17.9%も占めていたが、その後数年で半減してしまった。


GDPはその国の株価あるいは地価と相関関係があり、日本は1990年末の土地資産約2456兆円だったのが、2006年末には約1228兆円に減少した。

バブル崩壊後10年で土地資産と株式資産が半減になり、日本の国が半分になるほどのダメージを負った。

ソ連崩壊やドイツ崩壊、日本の敗戦や戦前の中華民国崩壊を見ても、もし中国が崩壊したら国の資産の半分が吹き飛ぶと予想できます。


資産が吹き飛ぶのはバブルだったからで、バブル期の日本は山を崩してゴルフ場にして数千億円の会員権を売るような商売をしていました。

2000年代からの中国は開発そのもので経済成長し、鬼城と呼ぶ無人都市を建設して、建設することで資産価値を増やしました。

それはゴルフ会員権を数千億円で売り出すのと同じ愚かな行為で、もともと価値が無いのだからいつかは無に帰るものです。

http://www.thutmosev.com/archives/82242873.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c72

[近代史3] セザール・フランク 『前奏曲・コラールとフーガ 』
セザール・フランク 『前奏曲・コラールとフーガ 』


コルトーの 『フランク 前奏曲・コラールとフーガ 』


Cortot plays Franck Prelude, Chorale and Fugue (1929)





French 78 rpm records.
His Master's Voice (6 and 19 March 1929, Small Queen's Hall, London)
Alfred Cortot, piano
Prelude, Chorale and Fugue (Franck)
DB-1299/1300


▲△▽▼
▲△▽▼


奏曲、コラールとフーガ ロ短調(仏:Prélude, Choral et Fugue)は、セザール・フランクが作曲したピアノ独奏曲である。『プレリュード、コラールとフーガ』とも呼ばれる。


1884年作曲。1885年1月24日に国民音楽協会において、マリー・ポアトヴァン(Marie Poitevin)の演奏で初演され[1]、同年にエノック(Enoch)社より出版されポアトヴァンに献呈されている。ガブリエル・ピエルネによるオーケストラ編曲版も存在する。


1845年以降ほとんどピアノ曲を作曲していなかった[3]フランクにとって約40年ぶりの本格的なピアノ独奏曲で、ヴァンサン・ダンディによると、国民音楽協会への出品作にピアノのための大曲が少ないことが作曲の背景にあったという[4]。


フランクのピアノ曲のうちもっとも知られている作品であり[5]、矢代秋雄は、数年後に作曲された「前奏曲、アリアと終曲」とこの作品を、どちらもピアノ音楽における第一級の作品であるとともに「姉と妹のような関係」と述べたうえで、純音楽的な完成度では譲るもののピアニスティックな効果ではこの作品が勝っているとする。


コルトーは


「天才の表現力が本来は峻厳なものである形式を人間的なものにし、柔軟にし(...)これによって、フランクの作品はわれわれにたいし、悲壮でかつ抵抗しがたい支配力をふるうのである」


と評しており、またダンディはこの作品が「前奏曲とフーガ」の形式の刷新に大きな役割を果たしたと述べる。


対して、カミーユ・サン=サーンスはダンディの著書『作曲法講義』を扱った文章[7]の中でこの作品に触れ、「不体裁で弾きにくい曲だ。この曲では、『コラール』はコラールではなく、『フーガ』はフーガではない。なぜなら、『フーガ』は主題の提示が終わるや否や元気を失い(...)際限のない脱線によって続けられるのだから」[6]と評している。


構成
前奏曲、コラール、フーガの3曲からなるが、主題は連関しておりそれぞれは切れ目なく演奏される。


ダンディの証言によれば、はじめフランクはヨハン・ゼバスティアン・バッハに倣った「前奏曲とフーガ」の形式で作品を構想していたが、のちにコラールを挿入することを思いついたという。


フランクは多くの作品で三部分(楽章)構成を採用しており、自分にいちばん向いていると感じている形式だった[8]。


前奏曲
Moderato、ロ短調、4分の4拍子。
二つの主題が交互に現れるA-B-A'-B'-A"の形式。


バロック時代の組曲の「前奏曲」を下敷きに、アルペジオに乗ってBACH主題と類似した主題(譜例1)が現れる。続いて、フーガの主題(譜例4)を想起させる旋律(譜例2)が提示され、冒頭の主題が二度目は嬰ヘ短調、三度目はロ短調で現れて、静かにコラール部へと続く。
譜例1
譜例2

コラール
Poco più lentoに速度を落とし、これもフーガ主題を暗示する変ホ長調の穏やかな導入句が始まる。続いてハ短調で静かに提示されるコラール旋律(譜例3)は、その後ヘ短調、変ホ短調で現れ、音量を増してゆく。コラールの前後に導入句や挿入句を持っているため、矢代秋雄はこの部分を「コラールそのものではなく(...)コラール変奏曲、またはコラール幻想曲」と形容している。


コラール旋律は十字型の音型により[2]、ダンディはリヒャルト・ワーグナーの「パルジファル」に現れる「鐘の動機」との類似を、アルフレード・カゼッラは平均律クラヴィーア曲集第1巻第13番前奏曲(嬰ヘ長調)の一部との類似を指摘している。
譜例3

フーガ
Poco Allegroに速度を速める移行部がおかれ、フーガの主題を予示しながら変ホ短調からロ短調への転調が行なわれる。ロ短調に戻るとフーガが開始される。半音階的に下降する主題(譜例4)は、バッハのカンタータ第12番「泣き、嘆き、悲しみ、おののき(英語版)」、あるいはロ短調ミサの「十字架につけられ(Crucifixus)」の低音[9](ラメントバス)との類似が指摘されている。


まずはテノールに主唱が現れ、アルト、ソプラノ、バスの順で主題が提示される。推移を経て、ニ長調でもう一度主題が提示される。ここまではほぼフーガの定型通りであるが、これ以降はフーガの定型を大きく外れ、自由に変奏を行なう。クライマックスに達するとカデンツァ風のアルペジオが現れ、ロ短調でコラール主題(譜例3)が復帰、やがてフーガ主題と対位法的に組み合わされる。コーダはロ長調となったコラール主題で高らかに曲を締めくくる。
譜例4


https://ja.wikipedia.org/wiki/前奏曲、コラールとフーガ

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/915.html

[近代史3] セザール・フランク 『前奏曲・コラールとフーガ 』 中川隆
1. 中川隆[-13684] koaQ7Jey 2020年2月19日 20:50:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-240]

ヴィスコンティ 熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell'orsa








制作 65年 イタリア

キャスト クライディア・カルディナーレ,ジャン・ソレル,マリー・ベル 等々

使われた音楽 セザール・フランク作曲「前奏曲・コラールとフーガ」

使われた意図 ヨーロッパの精神世界の迷宮


かなり昔・・・もう10年以上前になるかな?それとも5年くらい前かな?
あのギリシャで大きな地震がありました。それを伝えた民放のニュース番組でこのように言っていました。

「あの有名な観光地のパルテノン神殿も被害を受けました!!」
私もその番組の正確な言葉は忘れてしまいましたが・・・
実際のところはパルテノン神殿の被害はそれほどなかったはずだし・・・
ダテに大昔から建っているわけではありませんよね?

しかし、地震そのものよりも私の心を揺さぶったのは、「観光地のパルテノン神殿」という言葉です。
これは驚きでしょ?
本来ならギリシャ政府からクレームが来てもおかしくないくらいですよ!
あの「パルテノン神殿」を「東京ディズニーランド」と同じ観光地扱いとは?!

ただ遊ぶだけだったら、「ディズニーランド」の方が楽しいでしょう。
パルテノン神殿は遊ぶというより、過去と対話する場所ですよね?
より的確な言葉だと、文化遺産という言葉になるでしょう。

しかし、パルテノン神殿だって、残された遺物から、その当時の人間の営みを連想できないような人には、単なるオブジェであり、まさに観光地なんですね。

過去を持たない人間や過去を考えることのない人間はつまらない。
しかし、過去を振り返らない姿勢は、別の言い方をすると、未来志向とも言えるのかも?
そのように肯定的に捉えることもできるでしょう。

しかし、すべての人間がそんなに簡単に過去を捨て去ってしまっていいの?
ウィーンの作家のフーゴ・フォン・ホフマンスタールは手紙の中で書いています。

「人間は生きるためには、過去を忘れ、過去を捨てないといけない。
しかし、人間の尊厳は、過去を忘れないこと、過去を捨てないことにかかっている。」

前向きに生きるというと、印象はいいのですが、人間の尊厳から外れることにもなりかねないわけ。
だから、過去にこだわる人間は、過去を簡単に捨ててしまうような人間を軽蔑し、敵意を持ったりする。

この「過去にこだわるもの」と「過去を捨て去ってしまうもの」・・・その間に横たわる無理解と対立が、描かれている作品、それがヴィスコンティ監督の「熊座の淡き星影」という作品です。

映画のあらすじは以下のようなもの。

イタリア人女性とアメリカ人男性の夫婦がアメリカに住んでいる。ちなみに、イタリア人女性には弟がいて、ロンドンに住んでいる。その姉弟の父親はユダヤ人。第2次大戦中に非業の死を遂げた父親の記念のための記念碑の除幕式のために、夫婦は妻のイタリアの故郷に戻ってくる。

実家に戻った妻は弟に再会し、かつての日々の思い出に囚われ、そこから逃れられなくなってくる。
そんな妻の姿をアメリカ人の夫は理解できない。
やがて・・・

さてさて、ここで「映画の中のクラシック音楽」を考えてみましょう。
使われている音楽はセザール・フランク作曲の「前奏曲・コラールとフーガ」というもったいぶったタイトルのピアノ曲です。その曲が最初に演奏されるのはジュネーヴでのサロンでのこと。女性ピアニストが演奏いたします。

しかし、これはヘンな選曲だ!
お酒が伴うようなサロンでピアニストが弾く曲が何故にセザール・フランクなの?
これをヘンと思わない人は、あの作品を理解したことにはならないでしょう。
だって、サロンでピアニストが弾く曲だったら、常識的にはショパンでしょ?
次に考えられるのはリストとか・・

この映画は第2次大戦が終わってかなり経った時代を舞台としています。いわば、当時の現代ものといえるでしょう。つまり舞台は1960年頃のこと。だから当時のサロンで弾かれる曲としては、ドビュッシーでもラヴェルでもいい。またモーツァルトでもいいわけです。エスプリがある人だったらフォーレの初期作品とか、すごく「粋」な人だったらクープランをもってくるとか・・・

あるいは、ヴィスコンティの最後の作品「イノセント」では、ショパンとモーツァルトとリストという選曲でした。まあ、これがサロンにおける「普通」の選曲。

いずれにせよ、フランクの曲をサロンで演奏するのは場違いなんですね。
だからサロンに集まっている人は、ピアノの演奏を聞いていないわけ。

大体、フランクの曲は華やかな響きもないし、甘いメロディーもない・・・いわば晦渋な音楽です。それにその曲のタイトルや、音楽のオルガン的な響きでわかるように宗教的な音楽。

私は、「山猫」という作品でのヴィスコンティの音楽の使い方・・・つまり、あえてミスマッチな「椿姫」の音楽を使用することによって、演奏者の知性の欠落を表現した例・・・について書いていますが、ここでも、敢えて映像の流れとは「合わない」音楽を演奏させていることになるんです。

そう!
ヴィスコンティはショパンの音楽が鳴らされるのにふさわしい場所で、晦渋で迷宮に満ちたセザール・フランクの音楽を演奏させることによって、これから展開されるストーリーの「前奏曲」としているわけですね。

「さあ!これから、晦渋で、精神的なお話が始まりますよ!!」というわけです。
映像から簡単に推測されるショパンと、実際に演奏されているフランクの対比・・・これはこの作品を理解するのに重要になるわけです。

大体、フランクのピアノ・ソロの曲なんて、生演奏で聴いたことがある人は何人いるでしょうか?

いや!プロのピアニストだって一生フランクのソロ・ピアノ曲なんて演奏せずにキャリアを終わる人の方が多いんじゃないですか?

フランクの曲は、例の「交響曲」と「ヴァイオリン・ソナタ」くらいしか、一般的には演奏されませんし・・・

演奏する側にとってもあまり面白くない・・・演奏家としての技量が発揮させにくい音楽といえるわけです。そのくせ音楽性の欠落は聞き手にわかってしまう。損な音楽なんですね。

聞き手にとっても、そう。
聞いていて面白くはない。目立つフレーズが出てくるわけではない。
聞きながら色々と考えなくてはならない音楽と言えるわけです。気軽に聞くことができない。

ショパンを演奏しておけば、ピアニストの音楽性が多少欠落していても、目立つフレーズでごまかすこともできるし、聞き手も楽しい。

フランクを演奏することは、芸術的に難しいことであると同時に、興行的にみてもリスクを伴うものと言えるわけです。

ですからサロンでショパンが演奏されていたら、「ごく一般的」のサロンであると言えますし、その場所がヨーロッパなくても成立いたしますが、フランクが演奏されるサロンはヨーロッパ以外にありえない。ヨーロッパ世界の晦渋さと迷宮が、このフランクの曲で象徴されているわけです。

ちなみに、このフランクの曲は、ジュネーヴのサロンで演奏されるだけではありません。一種の映画音楽としてピアノの演奏シーンのないところでも流されています。

例えば、妻の実家に向けてヨーロッパをドライブしているシーンで、このフランクの曲が流されるわけ。

オイオイ?!
これはムチャクチャですよ!

太陽の光を浴びながらオープンカーでドライブしているシーンに、どうしてフランクの重苦しい晦渋な曲が流れるの?

もっと「軽い」音楽の方がいいに決まっていますよね?
別にクラシック音楽でなくてもいいわけだし。だって、たかがドライブの時の伴奏音楽でしょ?

フランクの曲なんて、一番「場違い」の曲ですよ!
まだ、ストラヴィンスキーの「春の祭典」の方が景気いいというもの。

しかし、このような「場違い」によって、これから起こり行く「重苦しく」「晦渋」なドラマを予感させているわけ。
ヨーロッパの精神世界の迷宮に向かって、「堕ちていく」メタファーといえるわけです。

ここで、ちょっとクラシック音楽から離れてみましょう。

この作品を理解するためのチェックポイントのひとつとして、アメリカ人の男性はいつも「8mmカメラ」を持っているというのがあります。まあ、この作品は、65年の古い作品(モノクロ)なので、今のように「8mmヴィデオ」というわけにはいかない。またこの夫婦はたいそうブルジョワなので、写真を撮るだけの「ただのカメラ」でもないわけ。「65年当時の8mmカメラ」なんですね。

ご主人はイタリアの珍しい「観光地」を、その「8mmカメラ」で一生懸命撮っている。

おお!まさに一時代前の典型的アメリカ人観光客ですね。今日の映画制作において、このカメラを手放さない観光客の役回りが、アメリカ人から別の国の人に変更されているのは、皆さんもご存知のとおり。

しかし、さすがに、妻のイタリア人はそんなことはしない。もともと自分の故郷なんだし・・・名家の育ちだし、今更ね。

エトルリア時代の遺跡を見ても、それを「観光地」と捉えて、「フィルムに収めて満足する」アメリカ人と、「過去の世界」に思いをはせるイタリア人。

アメリカ人の必須アイテムの「8mmカメラ」によって、この対比が明確に表現されているわけです。

また別のチェックポイントとして、そのイタリア人の妻が部屋のドアを開けるシーンがあります。そのシチュエーションが実に多いわけ。そんなことを書くと、
「今更、人間が『部屋のドアを開けるシーン』が映画的に見て意味があるのか?」
と疑問を持たれる方も多いでしょう?

ヴィスコンティ監督の「熊座の淡き星影」では、「部屋のドアを開ける」という行為は、過去を解き明かす・・・あるいは、「心の迷宮に分け入る」・・ということのメタファーになっているわけです。

だから、「部屋のドア」を開けるのは、常にイタリア人の妻の方で、アメリカ人の夫ではないわけ。アメリカ人は「積み重なる過去の問題」や「心の迷宮」などに分け入る気持ちはさらさらないというわけです。

イタリア人は・・・いやヨーロッパ人は、「過去の迷宮」に入らざるを得ない。まさに妄執に執りつかれたように、部屋へ部屋へと入り込んでいきます。さながら「青ひげ公」におけるユーディットのように・・・

ドアを開け、部屋に入っていくとそこから立ち上る毒に「魅了され」次々と、他の部屋に入っていくことになる。いわば「毒が毒を呼ぶ」状態。

こうして、イタリア人の妻は多くの部屋のドアを次々開けていき、その迷宮から逃れられなくなっていくわけです。

このようにヨーロッパ人は過去にとらわれている。しかし、ヨーロッパ人すべてが過去にとらわれているわけではありません。
やっぱり過去などにこだわらない人も多くいる。

この作品で、ジラルディーノというオヤジが登場しています。この姉弟は、そのオヤジさんをやたら嫌っている。映画の中では、自分たちの父親の非業の死に関係があると思っていることになっています。

しかし、本当かな?

このジラルディーノはそんなに悪い人なの?
そうでもないんですね。このジラルディーノのキャラクターについては、実に上手に描かれています。

アメリカ人の夫が主催した晩餐の席でのこと。

ジラルディーノは料理に手をつけ、その後で料理に粉チーズをかけ、ソースのような調味料もかけている。

今の日本では、このような食べ方を的確に表現する言葉があります。
「汁だく」という言葉。

そんな食べ方は、お世辞にも上品な食べ方とはいえないでしょ?

しかし、「汁だく」愛好家が権謀術数をめぐらす悪人である例はないでしょう。
このあたりのキャラクター描写は、それこそ「山猫」において、わざわざ「場違い」な、「椿姫」の音楽を演奏した農民出身のオルガン奏者と、描写の雰囲気が共通しています。

そんな人たちは、つまらない人かもしれませんが、決して「悪い人」ではないでしょ?

そんなこと、その姉弟くらいの知性があれば、スグにわかることです。
つまりこの姉弟が抱いているジラルディーノへの反感は、「過去を軽んじる」ものへの反感なんですね。

ジラルディーノは良くも悪くも「前向きに生きる人」。だからアメリカ人の夫とも話があう。

しかし、「過去にこだわる」キャラクターを持つ人間、たとえば、この映画における姉弟にしてみれば、軽蔑すべき存在に写る。

いわば、ソフォクレスの「エレクトラ」におけるクリテムネストラの役回りは、このジラルディーノが担っているといえるでしょう。「本来は自分たちの過去にこだわり、その遺産を受け継ぐべきイタリア人のクセに、どうしてそんなに過去を捨ててしまっているのか?」そのような近親憎悪的な反感があるわけ。

ご存知のように、ソフォクレスの「エレクトラ」を、ホフマンスタールが翻案した戯曲もあります。ホフマンスタール版の方は、エレクトラが過去にこだわる女性で、クリテムネストラが過去を忘れる女性というキャラクターの対比の作品でした。「本来は、あの人も、自分と同じように過去に拘るべきなのに・・・」そう思うからこそ、エレクトラがクリテムネストラへ寄せる憎悪は深まるわけです。

姉弟は過去にこだわるがゆえに、結びつく。過去を忘れないという尊厳ゆえに結びつくわけ。その姉弟をイタリア人女優と、フランス人俳優が演じているのは、全くの偶然とはいえないでしょう。

フランスという国もイタリアという国も、同じ祖先を持つものですからね。

ヴィスコンティのような「迷宮に満ちたヨーロッパ」という考えは、今現存している映画作家ですと、ラース・フォン・トリアーが一番です。ラース・「フォン」・トリアーとルキノ・「ヴィスコンティ」。まさに迷宮に満ちた宮廷政治の後継者というわけですね。

彼らは、アメリカのすがすがしい清潔さの価値を認めながら、毒に満ち満ちたヨーロッパを愛しているわけです。フォン・トリアーもヴィスコンティもアメリカ人の単純さを軽蔑している・・・ヴィスコンティが見つめる「過去を持たぬもの」と「芳醇な過去」を持つものの対比の構図は、63年の「山猫」や、この「熊座の淡き星影」以降に顕著に現れてきます。

ちなみに、この「熊座の淡き星影」はヴィスコンティ唯一のミステリーなんだそうな・・・

この作品で、この「姉弟の過去に何があったか?」とか「姉弟の父親の殺害したものは誰か?」ということについて真実は最後まで明らかにされません。だってそんなことはどうでもいいことなんですからね。
過去に何か事件があって、謎が謎を呼ぶ、それで十分なんです。事件の内容が重要なのではない・・・解決されていない謎が存在する・・・そのことが重要なんですね。

つまり最大のミステリーはヨーロッパの精神世界そのものと言えるわけです。
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-09/03-9-23.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/915.html#c1
[近代史3] セザール・フランク 『前奏曲・コラールとフーガ 』 中川隆
2. 中川隆[-13683] koaQ7Jey 2020年2月19日 20:58:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-239]

クラシック音楽 一口感想メモ
セザール・フランク(Césart Franck, 1822 - 1890)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/フランク


ドイツ的な構築性を持ち、フランス的な美的な感覚や感性もあるいい作曲家。
音楽に温かみと繊細さと深さがある。


管弦楽作品

交響曲 ニ短調(1888年)
3.0点
この曲はフランスを代表する交響曲と評価が高い。しかし正直いって、音色が鈍くて展開もはっきりせず、耳につくメロディーも無いし雰囲気は陰鬱で、はっとさせられる場面もなく、フランクの室内楽の明快な素晴らしさと比べて非常に分かりにくい。1楽章が特に分かりにくく2、3楽章はまだそれなりに理解しやすい。ブルックナーと同様に聴く側に修行が必要で、名演奏であることが必要な曲なのだろう。私はまだ修行が足りない。


交響的間奏曲「贖罪(改訂版)」(1874年)
3.3点
ワーグナーに似すぎだろう。豊かさのあるネチネチとした耽美に威勢のよいファンファーレを合わせる中間など、そのままである。たっぷりとした弦の歌わせ方もそのままだ。そのコピーぶりはオリジナリティ重視の観点ではあまり評価できないが、曲としてはなかなか良い。それなりに感動できる。

交響詩「アイオリスの人々」(1876年)
3.0点
かなりワーグナー色が強い。しかしながら地味だし、それこそワーグナーの楽劇の中のとある一場面程度の重さしかないような、軽くて一つの作品としての独立した価値に欠ける。つまらなくはないが、あまり良い作品と思わない。

交響詩「呪われた狩人」(1883年)
3.5点
驚いたことに、ワーグナー的な描写性と音の躍動感がかなり優れている、活発で劇的な曲である。偏見と知識不足だったのかもしれないが、これほど活発な音楽を書く人とは思っていなかったためかなり驚いた。ワクワクさせられる楽しい曲で、渋さの要素はほとんどない。音のセンスは充分で、軽薄すぎない大作曲家らしい曲になっていると思う。ドイツ風であり、フランス風味が少ないからそう感じるのかもしれない。

交響詩「プシュケ」(1888年)

管弦楽とピアノのための作品

ピアノ協奏曲第2番ロ短調作品11
2.0点
ショパンの協奏曲を強く連想する。単純素朴で十分に機能していないオケの伴奏が特に似ている。ピアノ独奏がこなれていないところも似ている。どちらも書法の質はショパン以下だと思うし、ショパンと違い曲としての聞き所や魅力も特にない。若き日の作品だが、これだけ聴くと後年の大成を予想するのは難しいだろう。そのような歴史的価値しかない曲だと思う。

交響的変奏曲(ピアノと管弦楽のための)(1885年)
3.3点
晦渋な主題を少しずつ変奏していく前半は地味であり、出来はよい曲だが繊細な微妙なニュアンスを感じとるのは大変である。後半はピアノ協奏曲らしい華やかな曲になって終わる。

交響詩「鬼神(ジン)」(1884年)
3.0点
独特のピアノ独奏付きの交響詩。ピアノは華やかに活躍するが、しかしそれが主目的の曲という感じでもない。フランスとドイツの混ざった独特の中立的な音楽とは思う。しかし、聴き方が良く分からないのも確か。

ピアノ曲

前奏曲、フーガと変奏曲(1873年)
3.0点
3つの部分の雰囲気があまり大きく変わらない。悲劇性を帯びた渋い曲想は分かりやすくかっこいい。しかし、オリジナルがオルガン曲であるためピアノ曲にしては鈍重すぎるきらいがある。

前奏曲、コラールとフーガ(1884年)
2.8点
ベートーヴェン的な精神的な深みはあるが、鈍く音を重ねて雰囲気が作られており、ピアノ的でないので聞きやすくない。最後にフーガが入る事で曲の見通しが良くなる点が次作より聞きやすいところ。しかしまとまっな完成度では一歩劣るか。

前奏曲、アリアと終曲(1887年)
2.8点
3楽章のソナタのような規模である。前半の2つの曲はコラールのような静かな曲で、最後の楽章は活発になる。オルガニストだからか、ピアノ曲らしい軽やかさが無い。メロディーや雰囲気はフランクらしい精神的な深みと高みがあるのだが、書法の問題か印象に残りにくいので分かりにくい。

室内楽曲

ピアノ五重奏曲 ヘ短調(1879年)
4.0点
1楽章や2楽章は夜の雨の中を歩くような雰囲気での、情熱や憂鬱や高潔さが混じった雰囲気が素晴らしい。3楽章の内面的な情熱と感動も良い。ピアノが全般に静かで、ピアノ五重奏ではこれがバランスとしていいのかもしれない。分かりやすい曲ではないが、ピアノ五重奏の代表作の一つ。


ヴァイオリンソナタ イ長調(1886年)
5.0点
曲の人気からも明白なように、ロマン派以降のヴァイオリンソナタの中でずば抜けた魅力がある。美しいメロディー、精妙な和声、透明感、堅固な構築性、艶めかしい美しさと胸の内から湧き出す情熱など、魅力が一杯である。全ての楽章の全ての場面が傑作で緩みがなく、しかも全体のバランスが良い。空想的な3つの楽章の後に奏される、4楽章のカノン風に掛け合いされる純粋な美しさの主題が特に印象的で、一度聴くと頭から離れなくなる。

弦楽四重奏曲 ニ長調(1890年)
3.3点
フランクの奥ゆかしい繊細な音楽性は弦楽四重奏の響きと相性がよいと予想して聴いた。聴いてみてその予想はある程度は当たった。残念ながら1楽章は響きが重くて厚ぼったく心地よさが足りず、15分もあるので嫌になってくる。2楽章は響きが軽くなりいい感じ。3楽章は繊細な織物のような曲で奥ゆかしくて、期待通りの素晴らしさ。ただし冗長。4楽章は活発な曲でシューマン的な高揚感を出しながらも奥ゆかしさがあり良い感じ。

オルガン曲

6つの作品(幻想曲ハ長調、交響的大曲、前奏曲、フーガと変奏曲、パストラール、祈り、終曲)(1862年)

幻想曲ハ長調
3.0点
瞑想的似た薄い音を動かす場面が多い。和声がシンプルで、少し古い時代の曲のようだ。次々と新しい場面に移り変わっていく幻想性は好きなのだが、やはり単純すぎて凡庸な曲に聞こえてしまうので、残念な気分で聞いてしまう。

交響的大曲
3.5点
基本的に大曲好きな自分だからかもしれないが、この曲はなかなか気に入った。交響曲ほどではないにしても、かなりの内容ボリュームであり、がっつり聴かせる。感動あり、怖れあり、反省あり、いろいろな感情が渦巻いている。それを、ある意味でオーケストラよりも大きなオルガンでひと続きに聴かせるのは圧巻だ。曲の長さでいえばリストのピアノソナタと同程度。さすがに密度や完成度は差があるにしても、スケール感などは似たものを感じる。

前奏曲、フーガと変奏曲
3.0点
とても物悲しい雰囲気で悪くはないのだが、分かりやすいすぎて、まるでロールプレイングゲームの悲しい場面の音楽のようだ。オルガンの使い方があまりに陳腐である。嫌いではないが、これを人に勧めるのははばかられる。

パストラール
3.0点
最初と最後は穏やかで柔らかい曲であり、パストラールの標題も分からなくはない。しかし、中間は瞑想的であまりそぐわない。パイプオルガンの音が少し軽く聞こえてしまうし、全体にやや平凡な感があり、曲集の一つとしてはよいが全体としてはいまいち物足りない。

祈り
3.0点
孤独の中で祈りを捧げる精神と身体をうまく表現されている曲であると思う。名作とは思わないが、独特な表現に成功している面白い曲としては評価できる。

終曲
3.0点
壮大な終局をみせる終曲である。予想できる範囲内の出来ではあるが、それなりのスケールで締めくくってくれる。

3つの作品(幻想曲イ長調、カンタービレ、英雄的作品)(1878年)

幻想曲イ長調
3.3点
モーツァルトの幻想曲のような瞑想的な雰囲気であり、展開のされ方にもどことなく似たものを感じる曲。雰囲気も展開もなかなか楽しめるものであり聞き入ってしまう。

カンタービレ
3.3点
まさに歌うようなしみじみとしたメロディーを聞かせる曲。ベタなようでもけっこう心にぐっとくるものがある。オルガンの素敵さの一端を感じさせてくれる。

英雄的作品
3.0点
がっつりと英雄的な強靭さを聞かせる曲。しかし、フランクらしい半音階的な中で聞かせるので、単純ではない。生で聴いたらさぞかっこいいことだろう。

3つのコラール(1890年)

コラール1番
3.5点
最晩年の3つの大作コラールの1曲目。半音階的な複雑な和声進行が印象に強く残り、ブルックナーの交響曲9番の3楽章のような神に捧げる祈りの音楽になっている。最初ずっと同じ雰囲気で十分に満足できるだけの時間を祈りに使ったあと、中間からは強烈な和音に始まり不安をかきたてる。これも平凡さがない独創性があり、非常に効果的。最後は感動的にしめくくる。作曲技術の高さとたどり着いた境地の高さに驚く曲。

コラール2番
3.8点
短調でドロドロとした暗黒の世界が最初は続く。オルガンしか出来ない不思議な世界観であり、かなり前衛的にも感じる。突然の悲劇的な悲鳴に続いて、かなり焦燥的ともいえるような不思議な切迫感のある部分に移る。ここはかなり聞き入った。秀逸だと思う。オルガンならではの独特な表現と半音階的なフランクの音楽が非常に独創的な世界を築いていて、未来的ともいえるほど。オルガンはすごい楽器だ。かなり驚いた。

コラール3番
3.0点
感傷的な甘さのある前半部分。前の2曲ほど超越的でなく人間的なのが分かりやすい。しかし、圧倒感のある魅力がない。後半部分がかなり平凡なのはもっと残念で、聴き終わったあとに残念感がかなりある。前の2曲が凄かっただけに残念である。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/フランク
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/915.html#c2

[番外地7] 倭人と北九州の伊都国の王は違う民族
>少なくともB.C.1C.の真番郡・臨屯郡廃止以降には確実に倭人が
前漢の首都・長安にいる皇帝に毎年会いに行ってたと分かるよね

倭人と北九州の伊都国の王は違う民族だよ

倭人というのは長江の稲作漁労民の事、日本・朝鮮・台湾にも居た
伊都国の王は漢文を書き中国鏡を何百枚も持って居た漢民族
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/491.html

[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』
エクトル・ベルリオーズ 『幻想交響曲』


ブルーノ・ワルターの『ベルリオーズ 幻想交響曲』


Bruno Walter: Symphonie fantastique by H. Berlioz 1939


____


Symphonique Fantastique - 4, 5 Mvt. (Berlioz) cond. Bruno Walter 1939


Paris Conservatory Orchestra
Dir: Bruno Walter
Recorded in 1939
Transferred from an original 78s set of the 1st HMV issue (DB 3852/7) pressed in UK.


ブルーノ・ワルター指揮パリ音楽院管弦楽団
GRAMMOFONO。戦前SPの復刻。1939年5月19日録音。
上のNBCへの客演のあと、まだワルターはヨーロッパに戻ってフランスあたりに腰を落ち着けていた。しかし、これが戦前のヨーロッパでの最後の録音となった。
意外にも、ワルターはこの曲が好きだったらしく、晩年になってもこの録音を愛聴していたらしい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm


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Berlioz: Symphonie Fantastique (Walter) (1948)







Philharmonic Symphony Orchestra
Walter
1948


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Berlioz Fantastica Bruno Walter


Hector Berlioz : Sinfonia Fantastica
New York Philarmonic Orchestra
Bruno Walter
(live rec. 21.11.1954)


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「幻想交響曲」作品14aは、1830年作曲。
同年12月5日、パリ音楽院ホールにて自らの指揮で初演。
その楽章構成は次の通り。


第1楽章:夢想と情熱
第2楽章:舞踏会
第3楽章:田園の風景
第4楽章:断頭台への行進
第5楽章:サバトの夜の夢


 5楽章構成と標題付きというのはベートーヴェン「田園」しか前例がなかった。
また曲の由来を説明する長々とした文を曲頭と各楽章に付けた。
しかも、その内容というのが


「病的な芸術家が苦しい恋に絶望してアヘン自殺を図る。しかし致死量でなかったために死にきれず、奇怪な夢を見る。
恋人は1つのメロディ(イデー・フィクス=固定観念)となって何度も現れ、彼は夢の中で恋人を殺し悪魔の饗宴に参加する」


というものである。


 この話は作曲家自身にまつわる実話であり、恋人はハリエット・スミッソンというイギリスの舞台女優であった。
人気絶大な女優としがない作曲家との恋は結局、失恋というより作曲家の片思いで終わった。しかし、この曲で最初の成功を収めたベルリオーズは、3年後にはスミッソンと結婚することになる。


 なお、この曲には続編として叙情的独白劇「レリオ、生への復帰」作品14bというものがある。
(初演は1832年12月9日、パリ音楽院で「幻想」と「レリオ」のセットで演奏された。この演奏会を上記スミッソンが聴きに来ている。)
全体50分以上のうち半分以上がテキストの朗読に費やされる。
ベルリオーズはスミッソンへの恋が破れ「幻想」を作曲したのと同じ1830年に、マリー・モークという女流ピアニストに恋して婚約するが、結局それも破談になってしまう。
その体験をもとに書いたのがこの曲である。構成が構成なだけにほとんどレコードがない。
ブーレーズの「幻想」の旧録音(SONY)がかろうじて「レリオ」もセットになっているぐらいである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm


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幻想交響曲(Symphonie fantastique)作品14(H.48)は、フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズが1830年に作曲した最初の交響曲。


原題は『ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲』(Épisode de la vie d'un artiste, symphonie fantastique en cinq parties )。


「恋に深く絶望しアヘンを吸った、豊かな想像力を備えたある芸術家」の物語を音楽で表現したもので、ベルリオーズの代表作であるのみならず、初期ロマン派音楽を代表する楽曲である。現在でもオーケストラの演奏会で頻繁に取り上げられる。


続編として、音楽付きの独白劇という側面の強い“叙情的モノドラマ”『レリオ、あるいは生への復帰』作品14bが書かれており、1832年に『幻想交響曲』の再演と併せて初演されている。


ベルリオーズ自身の失恋体験を告白することを意図した標題音楽である。
各楽章に標題が付けられるとともに、1845年版のスコアでは演奏の際には作曲家自身によって解説されたプログラム・ノートを必ず配るようにと要請している(1855年版では、コンサートでの演奏であれば、各楽章の標題が示されていればプログラムは省略可能としている)。


幻想交響曲では、作曲者の恋愛対象(ベルリオーズが恋に落ち、後に結婚したアイルランドの女優ハリエット・スミスソン)を表す旋律が、楽曲のさまざまな場面において登場する。


ベルリオーズはこの繰り返される旋律を「イデー・フィクス」(idée fixe、固定観念、固定楽想などと訳す場合もある)と呼んだ。
これはワーグナーが後に用いたライトモティーフと根本的に同じ発想といえる[2]。


イデー・フィクスは、曲中で変奏され変化していく。例えば第1楽章では、主人公が彼女を想っている場面で現れ、牧歌的であるのに対して、終楽章では魔女たちの饗宴の場面で現われ、「醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏」になり、E♭管クラリネットで甲高く演奏される。


レナード・バーンスタインはこの曲を、「史上初のサイケデリックな交響曲」だと述べた[3]。これは、この交響曲に幻覚的、幻想的な性質があり、またベルリオーズがアヘンを吸った状態で作曲した(と本人が匂わせている)ことなどによる。


作曲の経緯と初演


1827年、ベルリオーズはパリで、イギリスのシェイクスピア劇団による『ハムレット』を観た。その中でオフィーリアを演じたハリエット・スミスソンに熱烈な恋心を抱き、手紙を出す、面会を頼むなどの行動に出る。しかしながら、彼女への思いは通じず、やがて劇団はパリを離れてしまう。ベルリオーズはスミスソンを引きつけるために、大規模な作品を発表しようという思いを抱いていたが、激しい孤独感のなかで彼女に対する憎しみの念が募っていく。彼は間もなく、ピアニストのマリー・モークと知り合い、恋愛関係に発展する。この曲はそのさなかに作曲された。なお、1829年には作曲者によって、交響曲についての文章が発表されている。


初演は1830年12月5日にパリ音楽院で、ベルリオーズの友人であった指揮者フランソワ・アブネックの指揮により行われた。多くの自作曲が演奏されたが、「幻想交響曲」は最も注目を集め、第4楽章はアンコールに応えてもう一度演奏されたという。


出版は15年後の1845年であった。その後、1855年までの間に幾度か改訂が重ねられ、特に1855年の版ではプログラム・ノートも含めて大きな変更が加えられている。


婚約関係まで進んだベルリオーズとモークは、彼女の母によって1831年に破局させられ、モークはプレイエルの息子カミーユと結婚した。モーク母娘とカミーユを殺害しようとするほどの怒りに駆られたベルリオーズであったが、翌1832年にスミスソンと再会することになる。彼女は「幻想交響曲」の再演を聴きに来ていたのである。


それをきっかけに、ベルリオーズの心に再び火がつき、今度はスミスソンも彼の愛を受け入れた。ベルリオーズの当初の目的は叶い、2人は1833年に結婚する。


曲の構成
以下の引用は、1855年版の作曲家自身のプログラムに基づく翻訳である[5]。


病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。
麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。
愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞えてくる[注 2]。


第1楽章「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)
彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。
そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み[注 3]。
形式的には伝統的なソナタ形式をとっている。
ハ短調→ハ長調


第2楽章「舞踏会」 (Un bal)
とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う[注 4]。
「固定観念」の旋律が随所に現れ、最後はテンポの速い流麗なワルツと共に華やかに終わる。複数のハープが華やかな色彩を添える。
イ長調


第3楽章「野の風景」 (Scène aux champs)
ある夏の夕べ、田園地帯で、彼は2人の羊飼いが「ランツ・デ・ヴァッシュ」(Ranz des vaches)を吹き交わしているのを聞く。
牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由[主題]がすべて合わさり、彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。
しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。
もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。
もう1人は、もはや答えない。日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……[注 5]


羊飼いの吹く Ranz des vaches はアルプス地方の牧歌(牛追い歌。ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲の第3部参照)。コーラングレと舞台裏のオーボエによって演奏される。
この楽章の主要旋律(20小節目からフルートと第1ヴァイオリンとで奏される)は、破棄するつもりだった自作『荘厳ミサ』のGratias agimus tibiでも使用されている。
ヘ長調


第4楽章「断頭台への行進」 (Marche au supplice)
彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。
行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。
ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる[注 6]。
1845年版のプログラムでは、ここでアヘンを飲んで夢を見ることになっている。
ト短調


第5楽章「魔女の夜宴の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)
彼はサバト(魔女の饗宴)に自分を見出す。
彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。
奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。
愛する旋律が再び現われる。しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。
もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。
彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声…… 彼女が悪魔の大饗宴に加わる…… 弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。
サバトのロンド。サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに[注 7]。


「ワルプルギスの夜の夢」と訳される事もある。
グレゴリオ聖歌『怒りの日』(Dies Irae)が主題に用いられ、全管弦楽の咆哮のうちに圧倒的なクライマックスを築いて曲が閉じられる。
また曲の終結部近くでは弓の木部で弦を叩くコル・レーニョ奏法が用いられている(弓を傷める可能性があるので高価な弓を使う奏者はそれを嫌い、スペアの安い弓をこの演奏で使うこともある)。
ハ長調→ハ短調→ハ長調


楽器編成


1844年の演奏では、第2楽章でコルネットのオブリガートが追加された。
当時のコルネットの名手であるジャン=バティスト・アルバンのために書かれたと考えられており[8]、現在でもこのパートが演奏されることがある[注 8]。
1855年に全面改訂された際には採用されていない。


幻想交響曲は管弦楽法の面でも、コーラングレ、E♭管クラリネット、コルネット、オフィクレイド[注 9]、複数のハープ、鐘の交響曲への導入、コル・レーニョ奏法の使用、コーラングレと舞台裏のオーボエの対話、4台のティンパニによる雷鳴の表現など、先進的な点が多く、後世に影響を与えた。
これは楽器が改良され、音量面や機構などで大きな向上がなされた結果である。
例えば、ベートーヴェンの最晩年にようやく開発されたバルブ・システムによって、金管楽器でも半音階が容易に演奏可能となった。この進取性こそが、ベルリオーズを「近代管弦楽法の父」たらしめている所以でもある。


奏法についても楽譜に細かい指示が書き込まれている。例えば、ティンパニに関してはマレットについて「木」、「皮張り」、「スポンジ(海綿または綿球)」と固さの指示があり、「拍頭の音だけばち2本で、あとは右手だけで」(第4楽章)など叩き方も指定されている。シンバルでも打ち合わせる通常の奏法の他、頭部をスポンジで覆ったマレットで叩くよう指定された箇所もある(指定が脱落している楽譜もある)。


準備が難しい楽器は演奏の際に他の楽器で代用されたり、省略されたりする場合がある。オフィクレイドは現在は多くチューバで演奏される。2つの鐘はしばしばチューブラーベルのC5音とG4音(国際式階名表記、以下同じ)で代用される[7][注 10]が、ベルリオーズは低く深い音(C4とG3、またはC3とG2、またはC2とG1[6][9]、右図の譜例と試聴用サウンドファイル参照)を要求しており、充分に低い音の鐘が用意できない場合はピアノで演奏するようにと指示している[9][注 11]。スコア上では鐘のパートが2段のピアノ譜で書かれている[6]ことや、求められている音が低いことなどから、むしろ鐘でなくピアノを使うべきだとする見解もある[注 12]。4台以上のハープの指定についても現在では2台で演奏されることが圧倒的に多いが、オリジナル楽器による演奏ではベルリオーズの指示に従うことが多く、なかには6台も使用した演奏もある。


初演の際の楽器の調達について、コーラングレや鐘はオペラ座から、E♭管クラリネットやオフィクレイドは軍楽隊から用意した事実が明らかとなっている。


幻想交響曲で先進的に用いられている楽器とその後世での使用法をみると、コーラングレはドヴォルザークの管弦楽曲など、ワーグナー以降の3管編成によくみられる。また、ワーグナー以降の3管編成は主にバスクラリネットが使われ、E♭管の小クラリネットが本格的に使われるのは、四管編成が用いられるマーラーの交響曲以降、ラヴェルやショスタコーヴィチなどからである。4本のファゴットはヴェルディの「ドン・カルロ」や「オテロ」に見ることができる(フランスでは当時(今日でも一部で)ドイツ式のファゴットではなく、フランス式のバッソンが使用されているが、これは音量が大きくないため、本数が多めに指定されることがしばしばあった)。


2本のコルネットはフランクの管弦楽曲、ドビュッシーの管弦楽曲などで用いられている。ビゼーの「カルメン」でも2本のトランペットかコルネットのどちらかが用いられる。フランス以外でも チャイコフスキーなどのロシア系の作曲家や、ヴェルディの「ドン・カルロ」や「オテロ」などに用例が見られる。オフィクレイドはチューバが発明されるまで使用された金管の低音楽器であるが、2本以上のチューバはリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲に、3本以上はメシアンの管弦楽曲に用例がある。


ティンパニを複数奏者に演奏させるのは、リストのダンテ交響曲やワーグナーの「タンホイザー」、「ローエングリン」、「ニーベルングの指環」、「パルジファル」にみられる。またマーラーやストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、ベルント・アロイス・ツィンマーマン、ノーノまでのティンパニもこの作品の強い影響下にある。また鐘の使用は、イタリアやロシアのオペラにおける教会などの場面や、マーラーやショスタコーヴィチの交響曲にみられる。


さらに、弦楽器の数の指定は、ワーグナーを経てリヒャルト・シュトラウス、メシアンなどに見られる。複数のハープの指定は、ワーグナーの「ニーベルングの指環」で6台の指定がある他、マーラーやリヒャルト・シュトラウスは2声部で書くことが多いが出来るだけ倍にするようにと指定されていることもある。ブルックナー、メシアンやブーレーズの管弦楽曲でも3台のハープが指定されているものがある。


https://ja.wikipedia.org/wiki/幻想交響曲

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html

[近代史4] 中川隆 _ 音楽史関係投稿リンク 中川隆
32. 中川隆[-13703] koaQ7Jey 2020年2月19日 22:27:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-238]

ベルリオーズ 『幻想交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html

セザール・フランク 『前奏曲・コラールとフーガ 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/915.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/102.html#c32

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
19. 中川隆[-13702] koaQ7Jey 2020年2月19日 23:00:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-237]
クルーズ船を「第二の感染源」に変えた安倍政権の科学軽視
木村 正人 2020/02/19
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/クルーズ船を%ef%bd%a2第二の感染源%ef%bd%a3に変えた安倍政権の科学軽視/ar-BB109tiT?ocid=ientp



© PRESIDENT Online クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」前で報道する海外メディア=2020年2月18日、横浜市の大黒ふ頭


日本政府の新型コロナウイルス対応は、なぜ間違ったのか。ロンドン在住ジャーナリストの木村正人氏は「日本政府の対応は海外メディアから厳しく非難されている。科学者が先頭に立ち、官僚が支えるシステムを大至急、整えるべきだ」という——。

感染拡大を防げなかった日本政府のお粗末

こんなことが許されるのだろうか。森友学園、加計学園、「桜を見る会」問題で繰り返されてきた安倍政権の隠蔽(いんぺい)体質がクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で新型コロナウイルスの感染を拡大させてしまったようだ。

世界の感染症を分析している英インペリアル・カレッジ・ロンドンMRCセンターによると、新型コロナウイルスは患者1人から2.6人に感染、致死率の推定値は約1%とみられている。感染対策を施さなければ罹患率は60〜80%に達する恐れがある。
英国船籍のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」(乗員乗客3711人)について安倍政権は2月3日から検疫法に基づき横浜港で検疫を実施している。にもかかわらず船内の感染者は増え続け、18日にも88人の感染が確認され感染者はついに計542人となった。

「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客の最年長は90歳代で70歳代は約1000人、60歳代は約900人(橋本岳厚生労働副大臣のブログより)。致死率の約1%を単純に掛けただけでも5人以上の犠牲者が出てもおかしくない。
十分な感染対策を施さずに検疫を実施したら隔離されている人に感染を広げることになり、それはもはや犯罪に等しい。


感染症のプロ、岩田教授の衝撃告発

SARS(重症急性呼吸器症候群)やエボラ出血熱を現地で経験した感染症のプロ、岩田健太郎神戸大学教授が18日「ダイヤモンド・プリンセス」の船内に入り、ユーチューブで信じられないような内部告発を行っている。これが安倍政権の体質だと言われても仕方あるまい。

告発のポイントは次の通りだ。

「ダイヤモンド・プリンセスは感染者がどんどん増えていくので感染対策はうまくいっていないのではという懸念があった」

「日本環境感染学会が入り、実地疫学専門家養成コース(FETP-J)が入ったが、あっという間に出て行ってしまって中がどうなっているかよく分からない状態だった」

「中の方から恐い、感染が広がっていくのではということで私に助けを求めてきた」

「船内に入ると、それはもうひどいものだった。この仕事を20年以上やっていてアフリカのエボラ出血熱とか中国のSARSとかいろんな感染症と立ち向かってきたので身の危険を感じることも多々あった」

「しかし自分が感染症にかかる恐怖というのはそんなに感じたことはない。僕はプロなので自分が感染しない方法、他の人を感染させない方法、施設の中でどういうふうにすれば感染がさらに広がらないかということも熟知している」


危険ゾーンと安全ゾーンの区別はなかった

岩田教授はダイヤモンド・プリンセスの船内の様子をこう表現した。

「悲惨な状態で心の底から恐いと思った」

「これは自分が新型コロナウイルスに感染しても仕方ないと本気で思いました」

続けて動画では、感染のリスクについてこう説明する。

「ウイルスが全くない安全なグリーンゾーンとウイルスがいるかもしれない危ないレッドゾーンを分けて、レッドゾーンでは完全に防護服をつけ、グリーンゾーンでは何もしなくていいと区別するのが鉄則」

「しかしダイヤモンド・プリンセスの中はグリーンもレッドもぐちゃぐちゃになっていて、どこが危なくてどこが危なくないのか全く区別がつかない。どこの手すり、どこの絨毯(じゅうたん)にウイルスがいるのかさっぱり分からない状態だった」

船内で日常的に感染者とすれ違う

「熱のある方が自分の部屋から歩いて医務室に行ったり、感染者とすれ違ったりするのが日常的に行われている。災害派遣医療チーム(DMAT)や検疫官の方が感染したと聞いていたが、それもむべなるかなと思った」

「中の方に聞いたら、われわれも自分たちも感染するなと思っていると言われてびっくりした。感染症のミッションに出る時は必ず自分たち医療従事者の身を守るのが大前提」

「自分たちの感染リスクを放ったらかしにして患者や一般の方に向かったらルール違反だ。自らの安全が保証できない時に他の方の安全は守れない。いつ感染が起きたのか分かるようなデータも全然取っていない」

「そもそも常駐しているプロの感染対策の専門家が一人もいない。やばいなと思って箴言しても何も聞いてもらえない。やっているのは厚労省の官僚たちで、聞く耳を持たない」

「DMATの方が医療現場に戻ると今度はそこからまた院内感染が広がってしまいかねない。アフリカや中国に比べてもひどい感染対策をしている」


「検疫は機能している」と言い続ける安倍政権

「日本にはCDC(疾病予防管理センター)がないとはいえ、まさかここまでひどいとは思ってもいなかった。学術界とか国際的な団体は日本に変わるように促していただきたい」

「中国のSARSでは隠蔽が問題になったが、ダイヤモンド・プリンセスのカオスの状態に比べるとはるかに楽だった。日本はダイヤモンド・プリンセスの中で起きている情報を全然出していない」

「マズイ対応であることがバレるのは恥ずかしいことかもしれないが、これを隠蔽するともっと恥ずかしい」

最大の問題はやはり安倍晋三首相→加藤勝信厚労相→厚労省官僚・医系技官という指揮命令系統の中に感染症のプロが全く入っていないことだろう。日本最大の問題は組織から岩田教授のような職人気質の専門家を排除してしまうことだ。

そのためグリーンゾーンとレッドゾーンの区別、感染者や疑い例の患者と接触する際の手順、感染症対策の基本となるデータの収集が全く行われていない。にもかかわらず安倍政権は世界に対して検疫は完全に機能していると言い続けてきた。

安倍政権がこれまでと同じように頬かむりするつもりだとしてもそうはいかない。「ダイヤモンド・プリンセス」の集団感染は日本人だけでなく56カ国・地域の乗客の命を危険にさらしてしまった。隠蔽は許されない。全てのデータを即刻、開示すべきだ。


安倍政権の対応に海外の厳しい目が向けられている

海外メディアも日本の検疫が失敗した理由について厳しい目を向けている。特に44人が感染、約330人をチャーター機2機で帰国させた米国のメディアは日本のやり方を徹底的に批判している。

米ABCテレビは「第二の感染中心地が日本の港につくられつつあり、憂慮すべき事態」と警鐘を鳴らし、米紙ニューヨーク・タイムズは「日本政府の対応は公衆衛生危機の際に行ってはいけない対応の見本」と批判する専門家の意見を紹介した。

もともとクルーズ船ではノロウイルスの感染が頻繁に起きており「海に浮かぶ培養皿」と呼ばれるほど感染症には脆弱(ぜいじゃく)だ。しかし船内では世界保健機関(WHO)が1月30日に緊急事態宣言を出してからもパーティーが開かれていた。

米国立アレルギー・感染症研究所のアンソニー・フォウチ所長は米USAトゥデーに「クルーズ船上で人々を安全に検疫しようという最初の考えは無理ではなかった」としながらも「検疫のプロセスが破綻した」と指摘し「あまり厳しいことは言いたくないが、これは失敗だ。検疫が失敗し、多くの感染者を出してしまった」と話している。

英キングス・カレッジ・ロンドンの感染症の専門家ナタリー・マクダーモット博士は「明らかに検疫は機能していない。この船は現在、感染源になっている」と手厳しい。

「船内での検疫の実施方法、空気浄化、客室へのアクセス、廃棄物の処理方法を理解する必要がある」

「私たちが馴染(なじ)みのない別の感染経路が存在する可能性はあるものの、乗員や乗客がウイルスで汚染された表面を触るのを防ぐディープクリーニングが適切に行われていれば、検疫が機能しなかったはずがない」

感染させるために培養皿の中に閉じ込めた

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは「ダイヤモンド・プリンセス」に乗客として乗船していた米テネシー州の総合医アーノルド・ホプランド氏(75)から取材。ホプランド氏は「1日10回も乗員が食事やトイレットペーパー、チョコレートを持ってきた」と証言している。

乗客はマスクもせずにバルコニーに洗濯物を干し、バルコニー越しに乗客同士が話し合っていた。これでは検疫にはならないと注意したホプランド氏の妻は感染し、部屋の世話係だった乗員は重症化していることが分かったという。

ホプランド氏は「私が感染していなかったことが驚きだ。ウイルスは野火のようにこの船に広がった。彼ら(日本政府)はわれわれを感染させるために培養皿の中に閉じ込めたというのが私の推論だ」と語っている。

AP通信に対して英イースト・アングリア大学のポール・ハンター医学部教授は「私たちが考えていたほど人々は他の人々から隔離されていなかったと思われる。ウイルスの継続的な拡散は手順を守っていなかった可能性がある」と指摘している。
「船舶環境で検疫を実施することは困難だ。3700人以上を船内で検疫しようとすることはロジスティクスとして無理があった」


肘と肘が当たる距離で働いていた乗員

乗員1000人は肘と肘とが当たる距離での仕事を強いられ、食堂のビュッフェで一同に介して食事をとっていた。検疫は乗客向けだったわけだが、乗員は客室に食べ物を提供し続けていた。これが「ダイヤモンド・プリンセス」で行われたずさん過ぎる検疫の実態だった。

「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客には届かなかった差し入れの崎陽軒シウマイ弁当4000食の写真を撮影してソーシャルメディアにアップして日本でも一躍有名になった英国人乗客デービッド・アベルさん夫妻は検疫官に英語が全く通じず「陽性」か「陰性」か振り回された。

結局、3人目の医師がしっかりとした英語を話せて、陽性であることが確定、病院の空きが出るまでホステルで待機することが分かったという。アベルさんの息子は英BBC放送に出演し、両親の状態を心配していた。アベルさんがショックのあまり吐いていたからだ。アベルさんは「完全なミスコミュニケーションだ」と怒りを通り越してあきれ果てている。

かつて7つの海を支配した英国ではコレラが大流行した19世紀に首席医務官を設け、公衆衛生の土台とワクチンの予防接種システムを構築した。これに対して日本では「科学」が「政治」と「官僚」に埋もれてしまっている。

英国は科学を重視して先の大戦に勝利し、日本は科学無視の精神論を振りかざして焼け野原と化した。新型コロナウイルスとの闘いはこれからが本番だ。今からでも遅くはない。科学者が先頭に立ち、官僚が支えるシステムを大至急、整えるべきだ。


「ダイヤモンド・プリンセス」集団感染の経過

1月20日、横浜を出発
1月22日、鹿児島に寄港
1月25日、香港に到着。問題の男性が下船。その後、ベトナムや台湾を巡る
1月30日、WHOが緊急事態宣言
2月1日、横浜から乗船し、香港で下船した男性の感染が判明。この男性が使ったサウナやレストランは通常通り営業
2月3日、日本の検疫官が横浜港で臨船検疫
2月5日、乗客の客室待機など感染拡大を予防する措置を徹底。10人の感染が判明
2月6日、新たに10人の感染が判明(計20人に)
2月7日、新たに41人の感染が判明(計61人に)
2月10日、感染者計161人に。菅義偉官房長官が「全員に対する検査は難しい」と説明
2月12日、感染者計174人に。検疫官も感染
2月13日、感染者計218人に。厚労省が高齢者や持病のある人から優先的に検査を実施し、陰性が確認された希望者を下船させる方針を発表
2月16日、感染者計355人に
2月17日、陰性が確認された米国人乗客約330人が帰国の途に
2月18日、感染者計542人
2月19日、検疫終了。順次下船(21日まで)。WHOは「世界中に乗客が散らばってしまうより好ましかった。しかし船内で感染者が増え続けたのは残念だった」と言及

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/クルーズ船を%ef%bd%a2第二の感染源%ef%bd%a3に変えた安倍政権の科学軽視/ar-BB109tiT?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c19

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
13. 中川隆[-13701] koaQ7Jey 2020年2月19日 23:07:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-236]
758名無しの笛の踊り2020/02/19(水) 22:47:16.55ID:H9dinePe
>>757
「カンタベリー」(356万円)を買う程金が有り余ってるにに、そんな僅かな金を惜しむ訳ないだろ
ガレージメーカーの真空管アンプなら30万円で買えるヨ

759名無しの笛の踊り2020/02/19(水) 22:49:03.99ID:H9dinePe
「Cafe 新空間」と同じレベルの音は せいぜい 100万円だよ

760名無しの笛の踊り2020/02/19(水) 23:06:22.78ID:H9dinePe
Super Tweeter 付けるとか、レンジを広げると音が薄味になるんだよ

マークレビンソンなんか態々レンジを狭くしてるだろ
それが音がわかるかどうかの違い
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c13

[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』 中川隆
1. 中川隆[-13703] koaQ7Jey 2020年2月19日 23:50:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-235]
ベルリオーズ 「幻想交響曲」 作品14 2014 JUL 28 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/07/28/ベルリオーズ-「幻想交響曲」-作品%ef%bc%91%ef%bc%94/

ほれた女にふられるならまだいいが、無視されるのは堪え難いというのは男性諸氏は共感できるのではないか。

まだ無名だった24歳のベルリオーズは、パリのオデオン座でイギリスから来たシェイクスピア劇団の舞台に接し、ハムレットのオフィーリアを演じたアイルランド人の女優、ハリエット・スミッソン(左)に夢中になってしまった。熱烈なラブレターを出すがしかし彼女は意に介さず、面会すらもできない。激しい嫉妬にさいなまれた彼はやがて彼女に憎しみを抱いてゆくことになる。

間もなく劇団はパリを去ってしまい、ハリエットをあきらめた彼はマリー・モークというピアニストと婚約した。ところが、踏んだりけったりとはこのことで、ローマ賞の栄冠に輝いてイタリア留学に行くとすぐに、モークの母から娘を別な男に嫁がせることにしたという手紙が届く。怒ったベルリオーズはパリに引き返し女中に変装してモーク母子を殺害して自殺しようと企んだ。婦人服一式、ピストル、自殺用の毒薬を買い馬車にまで乗ったのだから本気だった。幸いにして途中(ニース)で思いとどまったが彼は危ないところだった。

しかし、この事件の前に、彼はすでに殺人を犯し、自殺していた。
それは1830年にできたこの曲の中でのことである(幻想交響曲)。
恋に深く絶望し阿片を吸った芸術家の物語だが、その芸術家は彼自身である。

彼はおそらくハリエットを殺しており死刑になる。ギロチンで切られた彼の首がころがる。化け物になったハリエットが彼の葬儀に現れ奇っ怪な踊りをくりひろげる。
これと同じことがモークの件で現実になる所だったわけだ。

ベルリオーズが本当に阿片を吸ったかどうかはわからない。阿片は17世紀は医薬品とされ、19世紀にはイギリス、フランスなどで医薬用外で大流行し、詩人キーツのように常用した文化人がいた。ピストルと毒薬を買って殺人を企図したベルリオーズが服用したとしてもおかしくない。

そう思ってしまうほど幻想交響曲はぶっ飛んだ曲であり、「幻想」(fantastique、空想、夢幻)とはよく名づけたものだ。これが交響曲という古典的な入れ物に収まっていることが、かろうじてベートーベンの死後2年目にできた曲なのだと信じさせてくれる唯一の手掛かりだ。

逆にその2年間にベルリオーズは入れ物以外をすべて粉々にぶち壊し、それでいてただ新奇なだけでなくスタンダードとして長く聴かれる曲に仕立て上げた。
そういう音楽を探せと言われて、僕は幻想と春の祭典以外に思い浮かぶものはない。高校時代、この2つの音楽は寝ても覚めても頭の中で鳴りまくっていて受験会場で困った。

この曲のスコアを眺めることは喜びの宝庫である。これと春の祭典の相似は多い。
第5楽章の冒頭の怪しげなムードは第2部の冒頭であり、お化けになったハリエットのEsクラリネットは第1部序奏で叫び声をあげる。練習番号68の後打ちの大太鼓のドスンドスンなどそのものだ。

第4楽章のティンパニ・アンサンブル(最高音のファは祭典ではシに上がる)なくして祭典が書かれようか。
第4楽章のファゴットソロ(同50)の最高音はラであり、これが祭典の冒頭ソロではレに上がる。
第3楽章のコールアングレがそれに続くソロを思わせる。「賢者の行進」は「怒りの日と魔女のロンド」(同81)だ。
第5楽章のスコアは一見して春の祭典と見まがうほどで僕にはわくわくの連続だ。

この交響曲の第1楽章と第3楽章は、まことにサイケデリックな音楽である。
第1楽章「夢、情熱」の序奏部ハ短調の第1ヴァイオリンのパートをご覧いただきたい。弱音器をつけpからffへの大きな振幅のある、しかし4回もフェルマータで分断される主題は悩める若者の不安な声である。交響曲の開始としては異例であり、さらにベートーベンの第九のような自問自答が行われる。

感情が赤の部分へ向けてふくらんでfに登りつめると、チェロが5度で心臓の高鳴りのような音を入れる。そこで若者は同じ問いかけを2回する。
青の部分、コントラバスがピッチカートでそれに答える。1度目はppでやさしく、2度目はfで決然と。
まるでオペラであり、ワーグナーにこだまするものの萌芽を見る思いだ。

若者は納得し(弱音器を外す)、音楽は変イの音ただひとつになる。それがト音に自信こめたようにfで半音下がると、ハ長調でPiu mosso.となり若者は束の間の元気を取り戻す。

この、まるで夢から覚めていきなり雑踏ではしゃいでいるような唐突で非現実的な場面転換、そこに至る2小節の混沌とした感じは、まったく筆者の主観であるが、レノン・マッカートニーがドラッグをやって書いた後期アルバムみたいだ。

両者にそういう共通の遠因があったかどうかはともかく、常人の思いつく範疇をはるかに超え去ったぶっ飛んだ楽想である。

この後、弦による冒頭の不安な楽想と木管によるPiu mossoの楽想が混ざり、心臓高鳴りの動機で中断すると、再び第1ヴァイオリンと低弦の問答になる。ここでの木管の後打ちリズムはこの曲全体にわたって出現し、ざわざわした不安定な感情をあおる。やがて弦5部がそのリズムに引っぱられてシンコペートする。これが第2のサイケデリックな混沌だ。ここから長い長い低弦の変イ音にのっかって変ニ長調(4度上、明るい未来)になり、しばし夢の中に遊ぶ。
フルート、クラリネットの和音にpppの第1ヴァイオリンとpのホルン・ソロがからむデリケートなこの部分の管弦楽法の斬新さはものすごい!
これはリムスキー・コルサコフを経てストラヴィンスキーに遺伝し、火の鳥の、そして春の祭典のいくつかのページを強く連想させるものである。

この変イ音のバスが半音上がり、a、f、g、cというモーツァルトが偏愛した古典的進行を経てハ長調が用意される。ここからハリエットのイデー・フィックス(固定楽想)である第1主題がやっと出てきて提示部となる。つまりそこまでの色々は序奏部なのだ。この第1主題、フルートと第1ヴァイオリンが奏でるソードソーミミファーミミレードドーシである。山型をしている。ファが頂上だが、ミミファーと半音ずり上がる情熱と狂気の盛り上げは随所に出てくる。第2主題はフルートとクラリネットで出るがどこか影が薄い。しかしこの気分が第3楽章で支配的になる大事な主題だ。これはすぐに激した弦の上昇で断ち切られffのトゥッティを経て今度は深い谷型のパッセージが現れる。すべてが目まぐるしく、落ち着くという瞬間もない。ここからの数ページは、やはり感情が激して落ち着く間もないチャイコフスキーの悲愴の第1楽章展開部を想起させる。

展開部ではさらに凄いことが起こる。練習番号16からオーボエが主導する数ページの面妖な和声はまったく驚嘆すべきものだ。第381小節から記してみると、

A、B♭m、B♭、Bm、B、Cm、C、C#m、C#、Csus4、C、Bsus4、B、B♭sus4、B♭、Bm、B、Cm、C、C#m、C#、Dm、D、D#m・・・・

なんだこれは?何かが狂っている。和声の三半規管がふらふらになり、熱病みたいにうなされる。古典派ではまったくもってありえないコードプログレッションである。

ベルリオーズは正式にピアノを習っておらず、彼の楽器はギターとフルートだった。
この和声連結はピアノよりギター的だ。それが不自然でなく熱病になってしまう。
チャイコフスキーは同じようなものを4番の第1楽章で「ピアノ的」に書いた。
それをバーンスタインがyoung peoples’でピアノを弾いてやっている。

ところで、ハリエットは第4楽章でギロチンに首を乗せると幻影が脳裏に現れてあの世である終楽章でお化けになることになっているが、僕は異説を唱えたい。最初から殺されていて、全部がお化けだ。

第1楽章の熱病部分に続くffのハリエット主題はG7が呼び覚ますが、そこでイヒヒヒヒと魔女の笑いが聞こえ終楽章の空飛ぶ妖怪の姿になっている。そこからもう一度ややしおらしくなって出てくるが、それに興奮して騒いだ彼の首がギロチンで落ちるピッチカートの予告だってもうここに聞こえているではないか。しかしそれはコーダの、この曲で初めてかつ唯一の讃美歌のような宗教的安らぎでいったん浄化される。だからとても印象に残るのだ。本当に天才的な曲だ!

このC→Fm(Fではなく)→Cはワーグナーが長大な楽劇を閉じて聴衆の心に平安をもたらす常套手段となるが、ここにお手本があった。この第1楽章に勝るとも劣らないぶっ飛んだ第3楽章について書き出すとさすがに長くなる。別稿にしよう。

第2楽章「舞踏会」。ここの和声Am、F、D7、F#7、F#、Bm、G・・・も聞き手に胸騒ぎを引き起こす。スコアはハープ4台を要求しているが、この楽器が交響曲に登場してくるのがベートーベンをぶっ壊している。第3楽章のコールアングレ、終楽章の鐘、コルネット、オフィクレイドもそうだ。ティンパニ奏者は2人で4つを叩きコーダで2人のソロで合奏!になる。ラ♭、シ♭、ド、ファという不思議な和音を叩くがこのピッチがちゃんと聴こえた経験はない。同様に第4楽章の冒頭でコントラバスのピッチカートが4パートの分奏(!)でト短調の主和音を弾くが、これもピッチはわからない。これは春の祭典の最後のコントラバス(選ばれた乙女の死を示す暗号?)のレ・ミ・ラ・レ(dead!)の和音を思い出す。

この交響曲の初演指揮を委ねられたのはベルリオーズの友人であったフランソワ・アブネックであった。彼についてはこのブログに書いた。

ベートーベン第9初演の謎を解く
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/09/17/ベートーベン交響曲第%ef%bc%99番に寄せて/

幻想交響曲はハリエットという女性への狂おしい思いが誘因となり、シュークスピアに触発されたものだが、音楽的には彼がパリで聴いたアブネック指揮のベートーベンの交響曲演奏に触発されたものである。

ベートーベンの音楽が絶対音楽としてドイツロマン派の始祖となったことは言うまでもないが、もう一方で、ベルリオーズ、リスト、ワーグナーを経て標題音楽にも子孫を脈々と残し、20世紀に至って春の祭典やトゥーランガリラ交響曲を産んだことは特筆したい。そのビッグバンの起点が交響曲第3番エロイカであり、そこから生まれたアダムとイヴ、5番と6番である。このことは僕の西洋音楽史観の基本であり、ご関心があれば3,5,6番それぞれのブログをお読み下さい
(カテゴリー⇒クラシック音楽⇒ベートーベンと入れば出てきます)。

最後に一言。男にこういう奇跡をおこさせてしまう女性の力というものはすごい。
我がことを考えても男は女に支配されているとつくづく思う。
そういえばモーツァルトもアロイジア・ウェーバーにふられた。彼が本当にブレークするのはそれを乗り越えてからだ。彼はアロイジアの妹コンスタンツェを選んだ。姉の名はマニアしか知らないだろうが天才の妻になった妹は歴史の表舞台に名を残した。

しかしベルリオーズの方は後日談がある。幻想の作曲から2年して再度パリを訪れたハリエットはローマ留学から帰ったベルリオーズ主催の演奏会に行く。そこで幻想交響曲を聞き、そのヒロインが自分であることに気づく。感動した彼女は結局ベルリオーズと結ばれた。彼女の方は大作曲家の妻という名声ばかりか、天下の名曲の主題として永遠に残った。

シャルル・ミュンシュ / パリ管弦楽団
Berlioz Symphonie Fantastique Charles Munch 1967
Orchestre de Paris


僕はEMIのスタジオ録音でこの曲を知ったしそれは嫌いではない。ただし彼の演奏はかなりデフォルメがあり細部はアバウト、良くいえば一筆書きの勢いを魅力とする。それが好きない人にはたまらないだろうということで、どうせならその最たるものでこれを挙げる。

鐘の音がスタジオ盤と同じでどこか安心する。幻想のスコアを眺めていると、書かれた記号にどこまで真実があるのかどうもわからない。そのまま音化して非常につまらなくなったブーレーズ盤がそれを物語る。

これがベストとは思わないが、面白く鳴らすしかないならこれもありということ。
フルトヴェングラーの運命の幻想版という感じだ。EMI盤と両方そろえて悔いはないだろう。


ジェームズ・コンロン/ フランス国立管弦楽団

この曲はフランスのオケで聴きたいという気持ちがいつもある。
マルティノンもいいが、これがなかなか美しい。
LP(右、フランスErato盤)の音のみずみずしさは絶品で愛聴している。
演奏もややソフトフォーカスでどぎつさがないのは好みである(音楽が充分にどぎついのだから)。パリのコンサートで普通にやっている演奏という日常感がたまらなくいい。料亭メシに飽きたらこのお茶漬けさらさらが恋しい。終楽章のハリエットですら妖怪ではなく人間の女性という感じだからこんなの幻想ではないという声もありそうだが。

オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団
Hector Berlioz: Symphonie fantastique / Otto Klemperer
Philharmonia Orchestra
Otto Klemperer
London, 1963



ロンドン時代にLPで聴き、まず第一に音が良いと思った。音質ではない。音の鳴らし具合である。この曲のハーモニーが尖ることなく「ちゃんと」鳴っている。だからモーツァルトやベートーベンみたいに音楽的に聞こえる。簡単なようだがこんな演奏はざらにはない。第2楽章にコルネットが入る改訂版をなぜ選んだかは不明だが、彼なりに彼の眼力でスコアを見据えていておざなりにスコアをなぞった演奏ではない。ご自身かなりぶっ飛んだ方であられたクレンペラーの波長が音楽と共振している。第4楽章の細部から入念に組み立ててリズムが浮わつかない凄味。終楽章もスコアのからくりを全部見通したうえで音自体に最大の効果をあげさせるアプローチである。こういうプロフェッショナルな指揮は心から敬意を覚える。


(補遺、2月29日)
ダニエル・バレンボイム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン・イエス・キリスト教会の広大な空間を感じる音場で、オーケストラが残響と音のブレンドを自ら楽しむように気持ちよく弾き、良く鳴っていることに関して屈指の録音である。音を聞くだけでも最高の快感が得られる。第1楽章は提示部をくり返し、コーダは加速する。第2楽章はワルツらしくない。第3楽章の雷鳴は超弩級で、どうせ聴こえない音程より音量を採ったのか。第4楽章のティンパニの高いf がきれいに聞こえるのが心地よい。終楽章コーダは最も凄まじい演奏のひとつである。たしかBPOのCBSデビュー録音で、僕は89年にロンドンで中古で安いので買っただけだが、バレンボイムの振幅の大きい表現にBPOが自発性をもって乗っていて感銘を受けたのを昨日のように覚えている。ライブだったら打ちのめされたろう。彼はつまらない演奏も多いが、時にこういうことをやるから面白い。

Berlioz: Symphonie Fantastique conducted by Barenboim (HD)
Daniel Barenboim
Orchestre De Paris



(補遺、2018年8月25日)
ポール・パレー / デトロイト交響楽団
Detroit Symphony Orchestra - Paul Paray


第2楽章の快速で乾燥したアンサンブルはパレーの面目躍如。これだけ内声部が浮き彫りに聞こえるのも珍しい。第3楽章も室内楽で、田園交響曲の末裔の音を感知させる面白さだ。ティンパニの音程が最もよくわかる録音かもしれない。指揮台にマイクを置いたかのようなMercuryのアメリカンなHiFi概念は鑑賞の一形態を作った。終楽章の細密な音響は刺激的でさえある。パレーは木管による妖怪のグリッサンドをせず常時楷書的だが、それをせずともスコアは十分に妖怪的なのであり、僕は彼のザッハリッヒ(sachlich)な解釈の支持者だ。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/07/28/ベルリオーズ-「幻想交響曲」-作品%ef%bc%91%ef%bc%94/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html#c1
[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』 中川隆
2. 中川隆[-13702] koaQ7Jey 2020年2月20日 00:03:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-234]

クリュイタンス


Berlioz :Symphonie fantastique 1964



Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire
André Cluytens
( Japan, live recording.1964)


アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団
Altus。1964年5月10日、東京文化会館ライヴ、NHKによる録音。

3日前のラヴェル・プログラムの演奏会はモノラルで出ているが、この幻想はうれしいことにステレオである。

私は学生時代にキングからCD化されたのを聴いたことがあった。その後長く廃盤だったが、2000年秋になってようやくAltusから復活した(写真左)。

スタジオ録音とはだいぶ違う、圧倒的な盛り上がりである。(終楽章の鐘の音程が音痴なのが気になるが。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm

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Berlioz: Symphonie fantastique, Cluytens & The Phil (1958)



André Cluytens (1905-1967), Conductor
Philharmonia Orchestra

Rec. 4-5 November 1958, at Kingsway Hall, in London


アンドレ・クリュイタンス指揮フィルハーモニア管弦楽団
EMI。1958年録音。セラフィム輸入盤。

フランス国立放送管との録音がモノラルなのにホンワカしているのに対して、こちらは相当締まりのある音である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm


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Berlioz: Symphonie fantastique, Cluytens & ONRTF (1955)



André Cluytens (1905-1967), Conductor
Orchestre national de la RTF (French National Radio Orchestra; Orchestre National de France)

Rec. October 1955, at Salle de la Mutualité, in Paris


アンドレ・クリュイタンス指揮フランス国立放送管弦楽団
EMI原盤。1955年録音。
いかにもフランスのエスプリといった感じの名演だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm



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Berlioz - Symphonie fantastique - Czech Ph / Cluytens



Česká filharmonie
André Cluytens
Live recording, Prague, 30.V.1955

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html#c2
[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』 中川隆
3. 中川隆[-13701] koaQ7Jey 2020年2月20日 00:36:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-233]

ピエール・モントゥー


Berlioz: Symphonie fantastique, Monteux (1930)






Pierre Monteux (1875-1964), Conductor
Orchestre symphonique de Paris

Rec. January 1930, in Paris


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Berlioz “Symphonie Fantastique” (Pierre Monteux ・ Concertgebouw, 20 May 1948)



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Berlioz: Symphonie fantastique, Monteux & SFS (1950)







Pierre Monteux (1875-1964), Conductor
San Francisco Symphony

Rec. 27 February 1950, at War Memorial Opera House, in San Francisco


ピエール・モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団

RCA。1950年2月27日、サンフランシスコのWar Memorial Opera Hauseでの録音。

モントゥーが自分のオケというものを持っていた、といえるのは、17年に及ぶサンフランシスコ時代だけであり、その意味で彼が残した5種類のこの曲の録音の中で最高のもの、という評価がなされている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm


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Berlioz “Symphonie fantastique” (Pierre Monteux ・San Francisco Symphony, 1952





ベルリオーズ 幻想交響曲 Op 14 ピエール・モントゥー






ピエール・モントゥー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1958年 録音

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Berlioz “Symphonie Fantastique” (Pierre Monteux ・ NDR, 1964)



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Audiofile:Monteux/Berlioz/Symphonie Fantastique/Hamburg



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Berlioz: Symphonie Fantastique | Pierre Monteux | RAI Milano (10.4.1964)



Orchestra Sinfonica di Milano della Rai diretta da Pierre Monteux
Registrazione del 10 aprile 1964



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html#c3
[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』 中川隆
4. 中川隆[-13700] koaQ7Jey 2020年2月20日 00:40:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-232]
>>3 に追記

ピエール・モントゥー指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団

コンサートホール原盤。1964年2月、モントゥーの死の4ヵ月前の録音である。
1965年度のACCディスク大賞及びADFディスク大賞を受賞している。

第1・第2ヴァイオリンを左右に分けているため、かけあいになっているのが良くわかる。また、金管のあまり大きくないつぶれた音が古楽器のような雰囲気がある。しかしこれは単に音質が悪いだけかもしれない。リマスター版ももとの音の悪さをカバーできてはいないようだ。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html#c4

[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』 中川隆
5. 中川隆[-13699] koaQ7Jey 2020年2月20日 01:11:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-231]

シャルル・ミュンシュ


BERLIOZ: Symphonie Fantastique op. 14 / Munch · Orchestre de Paris









Charles Munch (conductor)
Orchestre de Paris
1967/10/23, 26 (ⓟ 1967) Stereo, Salle Wagram, Paris



シャルル・ミュンシュ指揮
パリ管弦楽団
EMI。1967年10月23-26日、サル・ワグラムでの録音。

パリ音楽院管弦楽団を発展的に解消し、フランスの国威をかけて創設されたパリ管が、フランス最高の指揮者を迎えての伝説的デビュー録音である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm


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BERLIOZ: Symphonie Fantastique op. 14 / Munch · Budapest Symphony Orchestra



Charles Munch (conductor)
Budapest Symphony Orchestra
1966 (ⓟ 1975) Stereo, Hungarian Radio Studio, Budapest

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Berlioz - Symphonie fantastique - ONF / Munch


Orchestre National de France
Charles Munch
Live recording, Lisbon, 23.VI.1963

___________


BERLIOZ: Symphonie Fantastique op. 14 / Munch · Boston Symphony Orchestra


Charles Munch (conductor)
Boston Symphony Orchestra
1962/04/17 Mono, Sanders Theatre, Harvard University


ボストン交響楽団
RCA。1962年録音。
パリ管のはやや踏み外し的であるが、こちらは、古典的名盤、とも言える。

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Berlioz, Symphonie fantastique Charles Münch, Orchestre Symphonique de Radio Canada



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BERLIOZ: Symphonie Fantastique op. 14 / Munch · Boston Symphony Orchestra





Charles Munch (conductor)
Boston Symphony Orchestra
1954/11/14, 15 Stereo, Symphony Hall, Boston


ボストン交響楽団
RCA。SACD Hybrid。1954年11月14-15日、ステレオ録音。


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Berlioz - Symphonie fantastique - New York / Munch


New York Philharmonic
Charles Munch
Live recording, New York, 1.II.1948

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html#c5
[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』 中川隆
6. 中川隆[-13698] koaQ7Jey 2020年2月20日 01:17:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-230]

ストコフスキー


Leopold Stokowski, Berlioz - Symphonie fantastique, Op.54






New Philharmonia Orchestra
Leopold Stokowski

London, June 1968

_________


Berlioz: Symphonie fantastique - American Symphony Orchestra/Stokowski (1970)



American Symphony Orchestra
LEOPOLD STOKOWSKI, cond.
Recording: Carnegie Hall, New York City, 26-27 April 1970

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html#c6
[番外地7] 日本人ではないアイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
日本人ではないアイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない

中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を日本政府は100年前にアイヌに対して行った
日本人ではないアイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
明治以降、アイヌ人がどれ位迫害されてきたかを思い出せ:
千島アイヌは日本政府の民族浄化政策で絶滅した

日本政府は千島アイヌを集めてシコタン島に強制移住させて、強制労働させてほぼ絶滅させた
更に沖縄戦の最前線に残った千島アイヌを送り込んで玉砕させた

それで千島アイヌは絶滅して、民族浄化は完了した
中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を100年前にやっていたんだ
千島アイヌの強制移住による民族浄化
 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。

 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、
「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない

明治以降、アイヌ人がどれ位日本人に迫害されてきたかを思い出せ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/492.html

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
20. 中川隆[-13697] koaQ7Jey 2020年2月20日 01:46:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-229]
「エアロゾル感染」認める 中国政府 新型肺炎 「飛沫」より感染力
2020/02/19

 【北京=西見由章】中国国家衛生健康委員会は19日、新型コロナウイルスの感染ルートについて、従来の飛沫(ひまつ)感染と接触感染に加えて、霧状に浮遊する粒子に混じったウイルスを吸引する「エアロゾル感染」の可能性があるとの見方を示した。中国政府が公式見解で認めたのは初めて。

 同委が発表した文書は「比較的密閉された環境で長時間、高濃度のエアロゾルにさらされた場合に感染の可能性がある」と指摘した。エアロゾル感染は、感染力が非常に大きい空気感染とは異なるとされるが、患者のせきやくしゃみによる飛沫感染と比べると感染範囲は拡大する。

 エアロゾル感染については上海市当局が2月8日、専門家の意見として主な感染ルートと認められると発表。一方、中国疾病予防コントロールセンターは翌9日の記者会見で「エアロゾルを介して感染することを示す証拠はない」と否定するなど、中国国内でも見方が割れていた。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/「エアロゾル感染」認める-中国政府-新型肺炎-「飛沫」より感染力/ar-BB109hZw?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c20

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
21. 中川隆[-13696] koaQ7Jey 2020年2月20日 01:50:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-228]

2020年02月19日
隠蔽工作に利用された科学者/ 危機意識の薄い日本
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


想像力が欠乏しした自衛官

   既に予想されたことではあるが、武漢肺炎がジワジワと我が国で拡散してきた。今さら嘆いてもしょうがないが、本当に我が国の対応は情けない。だいたい、支那大陸で感染者が続出し、武漢のみならず、周辺の省や上海、北京までもが封鎖されたのに、安倍政権は“どこ吹く風”といった調子で、支那人の入国を許していたんだから、脳天気を通り越して脳震盪でも起こしているんじゃないかと思えてくる。現在、新型コロナウイルスは日本各地に拡大しているが、このウイルス騒動は日本政府の鈍感さだけではなく、有事に対する認識の欠如も露わにしていた。多少なりとも教養のある日本人なら、厚労省が拡散防止の音頭を取っているのはおかしい、と気づくはずだ。それなのに、「武漢以外の支那人ならまだ歓迎します」という有様なんだから、「事態を解っているのか?」と言いたくなる。(今は全面禁止になったけど。) もしこれが米国や英国なら、政府直属のウイルス研究者とか、細菌戦を担当する陸軍の将校が任務に当たり、大統領や首相が主導権を執って陣頭に立つはずだ。ところが、日本じゃ大蔵省上がりの加藤勝信が担当なんだから、天を仰ぎたくなるじゃないか。加藤六月の娘婿なんか、せいぜい“神輿の飾り”程度だろう。

(左 / 渡部悦和 )

  もっと驚くのは、チャンネル桜の討論会に参加していた渡部悦和(わたなべ・よしかず)陸将だ。渡部氏は退官前、陸上自衛隊で東部方面総監を務めており、『中国人民解放軍の全貌』や『米中戦争』、『日本の有事』といった著作もある。最近ではインターネット放送の「チャンネルくらら」や「文化人放送局」に出演し、軍事問題について語っているから、一般人でも馴染みがあるんじゃないか。たぶん、こうした経歴からチャンネル桜への登場となったのだろう。しかし、彼の判断力や認識力には疑問がある。というのも、討論の中で武漢肺炎が話題となった時、渡部氏は新型コロナウイルスを“自然発生的”であると考えていたのだ。渡部氏によれば、武漢にある病毒研究所は「レベル4」の施設で、もし、生物兵器を開発しているのであれば、非常に毒性の強いウイルス兵器を研究しているはず。ところが、今回の新型コロナウイルスは、あまりにも“お粗末”で、レベルが低すぎるというのだ。渡部氏は自信ありげに言う。もし、研究所から流出したものであれば、たいへんな“失敗作”だ、と。

  この意見を受け、同席していた河添恵子は反論した。彼女は北京政府の発表に疑問を呈し、武漢にある病毒研究所から“何らかの形”で漏れ出したんじゃないか、と疑問を呈する。しかし、渡部氏はイスラエルの専門家に取材した「ワシントン・タイムズ」紙の記事を怪しみ、これを否定する「ワシントン・ポスト」紙の記事を取り上げた。さらに、BBCも「ワシントン・タイムズ」の主張を疑っているぞと紹介し、河添氏の反論を斥けた。実際、渡部氏も海外のニュース記事を読んでみたが、かなり多くのフェイク・ニュースが混ざっていることが判り、「流出説」には信憑性が無いと斬り捨てていた。彼は「陰謀説」に加担することを恐れていたのか、それとも自己保全に努めていたのか、野生動物からの自然発生的な感染を力説する。もし、「BSL-4(Biosafty Level 4)」の研究所で製造されたウイルス兵器なら、もっと強力な毒性と高い致死性を有するはずで、あの程度の毒性ではおかしい、と考えていた。そして、もし、外国に対して使用するならば、ちゃんとした完成品でないと駄目だ、と付け加えていた。

  でも、渡部氏の論点はおかしい。どうして彼は人民解放軍による“意図的な使用”にばかりこだわるのか? なるほど、ウイルス兵器は扱いにくく、使用するにしても危険で、ターゲットだけを攻撃するには不向きな代物だ。確かに、エボラウイルスと比べたら、新型コロナウイルスの毒性は低いけど、どうして武漢の研究所が低レベルの生物兵器を開発しちゃダメなんだ? 三越百貨店とか松坂屋にある洋菓子店には、1個2000円の高級スウィーツがある一方で、隣の棚には1個500円とか200円のショートケーキがあるじゃないか。商品の全部が高値のケーキである必要は無い。北京政府がレベル4の研究所に対し、「毒性の低いウイルスも用意しろ」と命令したっていいじゃないか。毒性が低くても感染力の強いウイルスをターゲット国にばら撒けば、患者が爆発的に増え、医療施設がパンクするから、敵国政府は大慌てになるだろう。ところが、もしウイルスの毒性が強烈で、即死の患者ばかりになれば、面倒な介護と対策が必要なくなるから、却ってホッとするかも知れないぞ。

「うっかりミス」によるバイオハザード

  渡部陸将の見解を論ずる上で、ソ連時代に起こった「炭疽菌の流出事件」は参考になる。渡部氏はロシアが謳う生物兵器開発の放棄を信じているようだが、筆者は非常に懐疑的だ。あのロシア人が戦争に負けたわけじゃないのに、強力兵器を放棄したとは考えにくい。筆者は単なる平民だから確実な証拠は持っていないけど、ロシアは研究施設の看板を変えただけで、密かに作っていると思っている。

  今回の話は共産党時代に遡る。ボルシェヴィキにより建国されたソ連は、昔から生物・化学兵器に多大な関心を示していた。地上最強の軍隊を目指す共産主義者らは、この新しい兵器に将来的な価値を見出していた。というのも、チフスの大流行を覚えているソ連の軍事指導者にとって、細菌兵器というのは恐ろしい響きをもつからだ。何しろ、当時はまだワクチンとか抗生物質は無いから、その病原菌が強力な戦術兵器になることは誰でも理解できた。赤軍にとって「勝利」は鉄則だ。倫理道徳など無視して構わない。だから、1928年、ボルシェヴィキ政権はチフス菌を兵器として開発する法令を密かに命じたという。1930年代半ばになると、レニングラード士官学校に生物戦研究施設が建設され、白海に浮かぶソロヴェツキー島が実験場となったそうだ。そこではチフスやQ熱、馬鼻疽の研究が行われていたというから、冷たい汗が背筋に流れてくるじゃないか。しかし、第二次大戦が勃発すると、ドイツ軍の進撃を懸念したソ連は、この秘密施設をウィヤトカ川沿のキーロフに移し、「微生物学研究所」と名付けて最高機密の研究を続けたらしい。(トム・マンゴールド / ジェフ・ゴールドバーグ共著 『細菌戦争の世紀』 上野元美 訳、原書房、2000年、p.58.)

( 左 / ラヴレンティ・ベリヤ )
  戦後、NKVD(ソ連の秘密警察)を率いたラヴレンティ・ベリヤ(Lavrentiy Beria)が、スターリンの命令を受け、生物戦計画の総責任者となったそうだ。しかし、ベリアヤが失脚すると、ソ連軍参謀本部第七局がこの任務を引き継ぎ、エフィム・スミルノフ将軍が指揮を執って生物兵器の開発を続けたという。ソ連はキーロフに加え、モスクワから70kmにあるザゴルスクにも生物戦研究所を設立し、「軍事微生物研究所」という看板を掲げたそうだ。しかし、そこで行われたのは、炭疽や野兎病、ブルセラ属、ペスト、ボツリヌス、ヴェネズエラ馬脳炎、チフス、Q熱の研究と実験。この研究所はアラル海に浮かぶヴォズロデニエ島にも実験場を持っており、「生物戦における防護手段の開発」という名目で、攻撃用兵器の開発を行っていたという。

  地獄の島と化したヴォズロズデニエでは、何トンもの炭疽菌やペスト菌、あるいは様々なウィルスが実験材料として使われ、スプレーで噴霧されたり、砲弾に詰められ爆破されたりしたそうだ。使用後は危険を伴うが、適当に廃棄された。生物兵器の研究と言えば、動物実験が付き物だ。実験用動物として好まれたのは、最も人間に近いとされるマントヒヒ。当時、ソ連軍は1頭500ドルから700ドルという法外な値段で年間数百頭も購入したそうだ。想像しただけでも可哀想に思えるが、ロシア人は1回の実験で100頭ほどのヒヒを柱に鎖で縛りつけ、病原体を噴射することで、その効果を試したらしい。このおぞましい実験が終わると、防護服を着た兵卒が瀕死のヒヒや死んだヒヒを集め、保管場所へ運んで検死を行ったそうだ。その後、廃棄係の兵卒は動物の死体を焼却し、島にある集団墓地に遺灰を埋めたという。(上掲書 pp.61-61)

  ソ連は各実験が終わる度に島の内部を消毒したが、うまく遂行できなかったので、しばしば本土に汚染が広がってしまい、近くの住民が犠牲者となったらしい。1972年、カザフ人が乗る漁船が港を出航した後、行方不明となる事件が起きた。しばらくしてから湖を漂流する船が見つかったというが、乗っていた漁師は全員ペストで死亡していた。しかし、ソ連政府はこの事故を正式に認めず、死亡者の数ですら明らかにしなかったという。それゆえ、遺族はビタ一文も賠償金を貰えず、いつも通りの泣き寝入り。一方、軍部は生物戦研究において、ソ連が西側を大きくリードしていると喜んでいた。そして、この新しい大量破壊兵器を正式に軍事計画に組み込み、生物製剤を「特別指定の兵器」と名付けていた。まさしく、ロシア人には悪魔の仮面が似合っている。

  1979年、最高機密とされた軍事施設のスヴェルドロフスク(Sverdlovsk)で、生物兵器史上最悪の事件が起こった。モスクワの東から約1,500kmの距離にある、この百万人都市には、1947年に建設された「微生物・ウィルス学研究所」という軍事施設があった。有刺鉄線のフェンスで囲まれた内部には、最高機密の製造工場と研究室の他に、特殊な換気装置や煙突、動物用の檻、冷蔵設備、コンクリート製の貯蔵壕、特別線路などがあったそうだ。さらに、施設の周辺には陸軍の基地や一戸建ての住宅、集合団地、工場、商店、学校などもあったというから、本当に共産主義国というのは恐ろしい。

  1979年4月2日の朝、第十九施設の作業員が炭疽菌製造機を稼働させたことで悲劇の幕開けとなる。この事故が発生した原因は、先週の金曜日にあった。製造機には直径60cmの丸いフィルターがあり、金属の枠には特殊合成の繊維が貼られていた。通常は、製造機の定期点検を行う作業員が、乾燥粉砕機のシステムにある排気フィルターを外し、新しいフィルターに取り換えるはずなのだが、当日、交換を行った作業員は、古いフィルターを外したものの、新しいフィルターを嵌めず、“うっかり”忘れていたのだ。こうした交換は、1週間に1度行われていたという。人為的なミスというのは何処でも起こりがちで、高度な研究所であっても例外ではない。金曜日に作業がなされた機械は、誰にも再確認されず、フィルターが無いまま翌週の月曜日に稼働した。(上掲書 p. 90.)

  このヒューマン・エラーで猛毒の粉末が大量に換気口から排出された。炭疽菌の芽胞は空中を漂い、第十九施設の南にある第十三施設や附近の住宅、500mほど先にある陶器パイプ工場にまで達したそうだ。さらに、菌は風に乗って分散し、人の目に触れぬまま、南の村へと飛散したというから、まるでホラー映画の現実化みたいだ。炭疽菌の感染経路は三つある。

 @ 肌や傷口に接触することでの皮膚感染
 A 汚染された肉を食べることによる胃腸からの感染
 B 空気を吸って肺から感染する場合

  特に、息をして炭疽菌を吸入すると、1日か2日後に最初の症状が現れる。体がふらつき、頭痛、咳、微熱、寒気がするそうだ。体内に取り込まれた芽胞が活性化すると、急速に増加するから、免疫系を圧倒する程の毒素が分泌される。一次死傷者の大半は、炭疽菌工場の風下数百メートルに居て、たまたま部屋の窓を開けていたり、屋外に立っていた、あるいは道を歩いていた人であるという。最も甚大な被害を受けたのは、工場で作業をしていた軍の職員や、隣接する第三十二施設に駐屯する兵卒、通勤途中の人々、陶器工場で働いていた従業員であった。体に変調をきたした者は、最初、風邪かインフルエンザに罹ったのか、と思ったらしい。だが、次第に呼吸困難に陥り、高熱や嘔吐に苦しみ、唇が紫に変色する人まで出てきたから、得体の知れない戦慄が走ったという。

  案の定、重症の患者が病院に搬送されたが、担当した医師は困惑の色を隠せない。それもそのはず。政府や軍から何も知らされていなかったのだから。未知の恐怖は更なる恐怖を招く。いくら病院のスタッフがプロとはいえ、致命的な伝染病かも知れない思えば、パニック症状くらい起こすだろう。事態を理解できない医者もパニック状態に陥り、ペニシリン、抗生物質、ステロイドなど、あらゆる治療薬を使ってみたそうだ。しかし、医療チームは患者の死を食い止めることは出来なかった。情報の隠蔽は恐怖と混乱を招くだけ。細菌兵器の流失は目に見えないだけに、実に恐ろしい。第二十病院だけでも42名の遺体があったし、病院に行かず家で亡くなった人もいたそうだ。中には、意識不明で道路に倒れている人もいたという。現地の医療スタッフや医師達は、炭疽菌を吸引した患者を診たことがなかったし、街に軍の秘密工場があるも知らなかったから、適切な処置を取れなくても当然だ。しかし、数日後、経験豊富な病理学者が検死を行った事で、患者の出現が炭疽菌によるものであると判った。

  混乱と恐怖の一週間が過ぎた頃、全病院の医師達は、残りの患者と新しく運び込まれた患者を伝染病棟へ移すよう、政府からの命令を受けた。隔離された人々は集中治療室に収容されたというが、最終的にどうなったのかは分からない。ただ、漏洩事故の深刻さを理解していた政府が動き出した。ソ連の保健省と軍の高官も顔を出してきたというから、本腰を入れたのだろう。ところが、彼らは危険地域に足を踏み込まない。現場の上空をヘリコプターで視察しただけ。なんか、今の習近平みたい。一方、民衆は政府筋や国営の報道機関からの公式発表が無いので疑心暗鬼のまま。一部の人々は途方もないデマを流していたそうだ。驚くのは、現地のKGB支局長さえ、第十九施設で何が行われていたのか知らなかったという、ソ連の秘密主義的体質だ。これじゃあ、一般大衆が出鱈目な噂を信じても無理はない。聾桟敷(つんぼさじき)に置かれていた局長は、相当頭にきたのか、部下に秘密研究所の電話を盗聴させ、ようやく事件の真実を掴んだという。まるで、現在の支那みたい。

ソ連の十八番、隠蔽作戦


  支那人と同じくロシア人も隠蔽の常習犯である。モスクワのKGB本部は、この失態についての情報を固く封印した。ソ連は国家安全保障の観点からだけではなく、政治的・外政的理由から、決して事件を認める訳には行かなかったという。KGBはソ連の医療文書の中で炭疽を意味する「コード202」とその関連事項、病院の記録、検死報告書、流行病の調査報告書を全て押収すると共に、肺炭疽に関する部分を次々と削除し、“偽の報告書”を作成した。しかし、隠蔽工作には死因の説明が必要だ。そこで、何となく“うなづける”ような理由を作り出した。先ず、保健省は地元住民に5万枚のパンフレットを配布し、汚染肉を食べたり、迷い出た家畜に触らぬよう警告したそうだ。そして、大ぼら話を信用させるため、野生動物と野良犬が捕獲され処分されたという。さらに、未検査の肉までが没収され、焼却処分にされたというから実に念が入っている。

  生物兵器の流出事故は誠に厄介だ。炭疽菌を除去しようと危険な作業に取りかかっても、却って埃が宙に舞ってしまい、更なる死亡者が出る始末。最終的な死亡者数は分からないが、推定では64名から600名ほどなんじゃないか、と考えられている。だが、こんなモノはソ連が勝手にはじき出した数字だ。とても信じることはできない。この点は、現在の北京政府も一緒。実際、スヴェルドロフスクの医師達は、モスクワの最終報告書を読んで、「あまりにも少なすぎる」と言っていたくらいだから、桁が二つ三つ違っているんじゃないか。とにかく、炭疽菌で死んだ人の多くは、街の東墓地にある第十五区画に埋葬され、立入禁止区域になったという。

  1979年になる頃には、大規模な隠蔽工作が成功していたそうで、真相を知るのは、現地駐屯軍の高官とKGB、そしてモスクワの政府高官くらいだった。問題は、ソ連が生物兵器禁止条約に違反していることを“どうやって”隠し通すのかだ。すなわち、国連やカーター政権、その次のレーガン政権、ブッシュ政権を如何に欺くかという点である。何しろ、スヴェルドロフスクの事故が起きると、直ちに歐米諸国が噂を聞きつけ、不都合な事実を詮索し始めたから、ソ連としては有効な対策を練らなければならなかった。英国のMI6(対外諜報機関)は、ソ連から東ドイツを旅行したドイツ系イギリス人の話を聞き、どうやら生物兵器工場から病原菌が流出したのではないか、との情報を得た。しかし、この報告は確証に乏しく、当時の英国外務省は生物兵器禁止条約の効力を証明することで頭がいっぱいだったから、確固たる証拠も無いのにソ連が条約に違反していると騒ぎたくなかったそうである。英国の統合情報委員会に対し、穏健路線を取るよう働きかけたのは、このグループであったという。

  ところが、事故から半年が経つと、西側のマスコミにちらほらと真実の断片が届き始めた。当時、フランクフルトで発行されていたロシア語新聞の『ポセフ』には、ソ連の噂やゴシップが定期的に掲載されており、スヴェドロフスクの「怪奇事件」も報道されていた。しかし、日付や場所の情報が間違っており、死亡者数も数千人と曖昧で、炭疽菌についても触れられていなかったから、ほとんど信用されていなかった。しかも、思想的に偏った新聞と見なされていたから、その記事は黙殺されていたのだ。三週間後、ロンドンのニューズ雑誌『ナウ』にも例の事件に関する記事が掲載されたが、その内容は『ポセフ』と旅行者の話をネタにして書かれているだけだった。それでも、『ポセフ』は第二弾の記事を掲載し、スヴェルドロフスクの近くで爆発が起こり、村に炭疽菌が放出されたことや、死亡者が千人くらい出たこと、軍が鎮静化に乗り出し、市民がワクチンの摂取を受けた、という情報を書いた。(上掲書 p. 69.)

  この記事が切っ掛けとなって、ドイツの大衆紙である『ビルト・ツァイトゥング』やロンドンの『デイリー・テレグラフ』紙が動き出し、恐ろしい細菌が軍事施設から漏洩したのでは、との報道を流し始めた。『ビルト・ツァイトゥング』の記事は、西側のマスコミをたいそう刺戟したらしく、一般人が大きな関心を示した。これが引き金となったのか、ソ連政府は対応を迫られた。しかし、こんな騒動くらいでロシア人は正直にならないし、動揺することもない。2月19日、プロパガンダ機関の一つである国営のタス通信社は、炭疽菌に関する西側の報道を「悪意に満ちた作り話」と呼んで斥けていた。ところが1980年、米国のCIAは1979年に撮影された衛星写真の“価値”に気づいたそうだ。CIAの分析官が事件の前と後に撮影された写真を見比べたところ、除染作業車や隔離用の検問所が目に付いた。ここで素朴な疑問が浮かんできた。「なぜソ連は汚染肉の事件くらいで軍事施設を封鎖したのか?」、と。

(左 / ディミートリ・ユスチノフ )
  CIAは重要人物の行動から更に疑念を深めることになった。何と、ディミートリ・ユスチノフ国防相が事件後にスヴェルドロフスクを訪ねたのだ。汚染肉が出回ったくらいでトップ・クラスの軍人が来訪なんておかしい。二日後、今度は著名な伝染病学者でもある保健相がモスクワから駆けつけ、「事件は解決した」との会見を行ったのである。こんな急場しのぎの茶番劇を見れば、CIAが怪しんだのも当然じゃないか。さらに、CIAはロシア人の科学ライターであるマーク・ポポフスキーから貴重な情報を得た。ポポフスキーは地下チャンネルでこっそり持ち出された手紙によって、スヴェルドロフスクの事を知ったという。また、イスラエルへ移住したソ連のユダヤ人から、第十九施設で炭疽菌放出が起こったという話や、それを裏付ける情報が入ったのだ。最も役立ったのは、スヴェルドロフスクで患者を治療した医師の詳しい話だった。被害者の症状は高熱と呼吸困難で、この医者が人づてに聞いた検死結果によると、患者の肺には体液が溜まっていたそうだ。CIAは数百名くらいが亡くなったんじゃないか、と推測したらしい。

  1980年三月、CIAからの報告を受けたカーター大統領は、「病気発生」に関する説明をソ連側に求めた。当時、ソ連はアフガニスタンを侵掠していたから、米国が生ぬるい対応をせず、厳しく追及しようと気構えても不思議じゃない。アメリカ国務省のスポークスマンは、“極めて危険な生物製剤”がスヴェルドロフスクから放出された可能性があると正式に認めた。つまり、生物兵器禁止条約の違反という“疑惑”が浮上した訳だ。これを受けて、ソ連の外務省はアメリカの非難を“あからさまな中傷”とか、アメリカを宣伝するための“でっち上げ”、反ソ連の機運を高めようとする“捏造”であると糾弾した。一方、ロシア人の報道官は、ふてぶてしく、「ソ連は常に生物兵器禁止条約の全規定を厳重に遵守してきた」と豪語した。しかも、この高官は驚愕の声明を発表する。曰わく、「ソ連は“良心に照らして”その義務を守ってきた。それなのに、米国はソ連に疑問を投げかけるとは ! 我々はこんな仕打ちに耐えられない ! 断固拒否する !」、と。(上掲書 p.99)

  もし、アカデミー賞に「陰謀部門」があった、ロシア人が毎年必ず獲得するだろう。ソ連はアメリカの戦術に対する怒りを露わにし、急速に拡大する宣伝合戦の形勢逆転を狙ったそうだ。ソ連側は質問状に対して正式な回答を発表する前、つまり公正な機会が与えられないうちに、正式な非難を受けたと憤慨してみせた。そして、返す刀で、逆にアメリカ側の条約違反を訴えかけたというから、呆れてモノが言えないじゃないか。1975年の条約では、条約違反の申し立てがあった場合には、当事者が相互に“協議”し、協力する事を容認していた。だから、ソ連側は条約内容を楯に取り、アメリカが「その精神を蔑ろにして公然とソ連を非難している !」と抗議し、協力の拒否を正当化したのである。

  続いて3月20日、ソ連外務省は報復攻撃を開始した。ロシア人は“もっともらしい”説明を披露して、猜疑心を抱く人々を安心させようと謀る。ソ連側の見解は次の通り。スヴェルドロフスクで起こった騒動は、ちっとも珍しくない。“ちょっとした”公衆衛生上の問題である。すなわち、「杜撰な食品管理により、炭疽菌に汚染された食肉が闇市場で販売され、その結果、病気が発生した」というのだ。この説明だと、被害者は汚染された肉を食べたことで病気となり、腸炭疽で死亡したとこになる。ソ連の報道官は、「家畜の炭疽感染や闇市での食肉販売などは、この地域ではよくあることだ」と述べていた。

  さすが、ロシア人はプロパガンダの達人だ。ラスヴェガスの手品師だって騙されるんじゃないか。ソ連の嘘は瞬く間に広がり、効果覿面(てきめん)。プリンセス天功も三舎を避ける。このペテン話を以てソ連は生物兵器条約違反の容疑を一挙に解決した。でも、ロシア人は「念には念を入れる」老獪な詐欺師。5月になると、ソ連はモスクワで発行される医学雑誌に、事故を科学的に解説する論文を掲載した。伝染病を専門とする二人の医者が政府公認の論文を執筆し、今回流行った炭疽事件の原因は、青空市場で汚染肉を購入した二家族であると称したのだ。また、この論文の中では、別の家族が病気に罹った羊の肉を食べたせいだ、とも語られていた。(上掲書 p.100) ソ連は自身の信憑性を高めるためなら何でもする。この共産国は、家畜の炭疽感染が珍しくないことを印象づけるため、スヴェルドロフスクの地域では1936年から1968年にかけて、土壌汚染による炭疽が159回も発生したと述べていたのだ。今では白々しい「嘘」と分かるが、当時は権威ある雑誌に発表された論文なので、多くの人々が信用してしまったという。

(左 / レス・アスピン )
  しかし、米国にはこのヨタ話を信じない“強硬派”がいた。下院の情報監視小委員会は、極秘の調査会を開き、CIAと国務省および軍備管理局の証人から話を聞いたという。当時、連邦下院議員だったレス・アスピン(Les Aspin, Jr.)は小委員会の議長を務めており、委員会の結論を鑑みて、ソ連が西側を欺いて生物兵器の研究開発を行っていたと判断したそうだ。(アスピン議員は後にクリントン政権で国防長官になった人物。) 一方、ソ連はあらゆる努力を怠らなかった。ロシア人は名女優さながらの演技を披露する。ソ連は公衆衛生上の悲劇を経験し、その惨劇だけでも充分苦しんでいるのに、アメリカはさらに“この傷口”を広げるような嫌がらせをするんだから、と。ソ連の茶番劇はまだ続く。「これはソ連のアフガニスタン侵攻に対する“報復”であり、モスクワ・オリンピックのボイコットを奨励する脅しかも知れぬ」、とのセリフを述べていた。ロシア人は掩護射撃も忘れない。国営のタス通信は、アメリカが“心理戦争”を行っていると非難。だが、こうした中傷合戦は、重要な国際問題の中に埋もれて行き、次第に米ソの引き分けで終わりそうな雰囲気だった。

利用されただけの馬鹿

(左 / マシュー・メセルソン )
  ところが、ソ連には思いがけぬ幸運が飛び込んできた。ハーヴァード大学で微生物学を教えるマシュー・メセルソン(Matthew Meselson)が助け船を出したのだ。ロシア人は西側に棲息する「便利な馬鹿(useful idiot)」を操るのが殊のほか上手である。将棋界で言えば、名人と竜王のタイトルを連続20期も保持した天才に等しい。藤井聡太も真っ青だ。話を戻す。かいつまんで言えば、メセルソンはソ連の欺瞞と情報攪乱作戦に加担した米国の「間抜け」ということだ。彼は1960年代、合衆国の軍備管理・軍縮局でコンサンタントを務めた人物で、政治活動にも熱心だった。メセルソンは相当な自惚れ屋だったのか、積極的にロビー活動を展開し、生物兵器の禁止条約締結に多大な貢献をしたと自負していたそうだ。ところが、実際のメセルソンは自発的なソ連の操り人形に過ぎなかった。彼は合衆国政府の見解と対立し、ソ連の主張である「汚染肉理論」を支持していたそうだ。この有名教授は、心からソ連の主張を信じ、レーガン政権の反対意見を退けていたというから、紛れもなく筋金入りの左翼と言えよう。彼は事故の原因を汚染肉と確信し、生物兵器の秘密工場とは無関係、という立場を全く変えなかった。

  一般人は「権威」に弱い。特に理系の知識人、とりわけ高名な科学者となれば、理性を忘れて盲目的に信じてしまう。米国のマスコミはこぞってメセルソンの意見を求め、彼の意見は真面目な論調の新聞や書物、そして権威ある科学雑誌にも大きく取り上げられた。事故から7年近く経った1986年、メセルソンはスヴェドロフスク事件の証拠を探すことにした。彼はソ連の高官らと協議するため、モスクワ訪問の許可をソ連側に求め、ようやくその許可が下りたという。ソ連保健省の高官らは、「アホがノコノコやって来た」と思ったんじゃないか。彼らはメセルソンを歓迎し、病気の発生について詳細な事情を語ったそうだ。ロシア人曰わく、「牛の餌が原因」であるという。つまり、死んだ牛と羊から取った骨粉を殺菌しないまま飼料に混ぜてしまい、それを誤って家畜に与えてしまったから、病気が蔓延したというのである。

( 左 / ピョートル・ブルガソフ )
  この「嘘」を作り出したのは、保健省の副大臣を務める科学者で、メセルソンを接待したピョートル・ブルガソフ(Piotr Nikolaevich Burgasov)博士。この科学者はソ連陸軍の少将でもあり、1958年から63年まで、第十九施設で行われた生物戦争計画の責任者であった。さらに驚くのは、1979年にスヴェルドロフスクで例の“事件”が起発生すると、急遽モスクワから派遣され、隠蔽工作の手伝いをするよう命じられたそうだ。1986年の時点でも、彼はまだ軍の攪乱作戦を率いていた。ソ連は何も知らないメセルソンを利用することで、アメリカの面子を潰さず、ひっそりと幕引きを行おうと考えていたそうだ。一方、マセルソンはスヴェルドロフスクへの訪問を要求したが、それは叶わず、モスクワで高官四人と話しただけであった。彼は帰国しても結果を発表せず、その代わり、ブルガソフとソ連の高官に訪米の提案を持ちかけ、新たに発見した医学的証拠を講演会で披露してはどうか、と勧めたそうだ。

  それから1年半後の1988年、ブルガソンとソ連保健省の高官が米国にやって来た。彼らは講演会で堂々と嘘を垂れ流すべく、ワシントンにある米国科学アカデミーと名門のジョンズ・ホプキンス大学にある公衆衛生学部、およびアメリカ人文科学学会で喋りまくった。すると、どの講演も大盛況。聴衆の中には、事件に高い関心を持つ科学者や医療関係者、軍縮管理に携わる官僚、ジャーナリストが混じっていたというが、ブルガソフは以前メセルソンに吹き込んだ「作り話」を繰り返したにすぎない。彼は汚染された飼料の逸話を吹聴し、時折、悲しい表情を浮かべながら、アメリカ人の猜疑心を全く理解できない、と嘆いたそうだ。これに加勢すべく、協力者のメセルソンも登場し、ソ連の説明は誠に“ごもっとも”と演説をぶった。彼はブルガソフの話が医学論文や過去の記録とも一致すると太鼓判を押したそうだから、「どこまでお人好しなんだ?」と言いたくなる。

  でも、一般のアメリカ人もソ連の巧みな目くらましに引っかかっていた。というのも、ソ連からやって来た三人の博士は、よく事情に通じ、“誠意”ある態度で講演を行ったから、アメリカ側としても無碍に否定することは出来なかったのだ。さらに困った事は、CIAやDIAがロシア人科学者の主張を反駁するための根拠を公開せず、真相の暴露を頑なに拒否していた点だ。これだと、米国の強硬派は黙って屈辱に耐えるしかない。「メセルソンは?」と言えば、ソ連側の声明に矛盾や疑問点があっても無視。逆に、アメリカ政府の分析は偏っていると仄めかしたそうだ。これって、日本の進歩的知識人とよく似ているぞ。

( 左 / ピーター・ガンベル)
  しかし、ソ連崩壊で真実が明るみに出た。1991年10月、『ウォール・ストリート・ジャーナル』でモスクワ支局長を務めていたピーター・ガンベル(Peter Gumbel)が、スヴェルドロフスクを三度訪れ、現地の市民や医者から話を聞き、それまで隠されていた医療記録を発見したそうだ。そのうえ、彼はメセルソンの学説を大きく揺るがす事実を発見した。1988年、メセルソンはブルガソフから提供されたデータを基にして論文を書いていた。それによると、スヴェルドロフスク近郊にある飼料製造工場では、殺菌作業がかなり杜撰で、汚染された骨粉が混ざっていたという。ところが、信じられないことに、この工場自体が存在していなかったのだ。さらに唖然とするのは、メセルソンが情報を確認せず、ソ連側の偽情報を鵜呑みにし、しゃあしゃあと論文を書いていた、という裏話である。

(左 / ボリス・エリツィン )
  こうして、真実の水門はさらに開かれた。ガンベルの記事が掲載された約一ヶ月後、ウラル軍管区で対スパイ活動部長代理を務めていたアンドレイ・ミロニュク将軍が、スヴェルドロフスクでの事故が作業ミスによるものであった、との情報を認めてしまったのだ。次に、元KGBのスヴェルドロフスク支局長を務めていたユウ・コルニロフ将軍が重い口を開いた。彼はKGB長官のユーリ・アンドロポフから指令を受けて、第十九施設内の清掃作業を監督していたというのだ。将軍によると、除染作業は徹底しており、研究所の床を張り替え、壁の漆喰をも剝がしていたという。これに加えて、衝撃の事実が浮かび上がってきた。事件が起きた1997年、スヴェルドロフスクの行政区で共産党局長をしていたのは、他ならぬボリス・エリツィンであったのだ。1992年、新生ロシアの大統領になったエリツィンは、病気の原因が自然発生的なものではなく、生物兵器施設での事故によるものであった、と認めたのである。この発表がロシア政府の公式見解となっており、今でも変わっていない。

  ところが、不思議なことに、作り話を流布したメセルソンが狼狽していなかったのだ。ロシア政府のトップに立つエリツィンが公式に認めたのに、彼は専門家チームを結成し、1992年6月、スヴェドロフスクへと赴く。彼らは第四十病院で検死を行った二人の医者、ファイナ・アブラモーワとシヴ・グリンベルグから話を聞いたという。このロシア人医師二名は、炭疽菌による死亡を証明する医学的な証拠を保管し、14年間もKGBの目から隠し通していたのだ。後に、図々しいメセルソンは、この二人から重要な新証拠を引き出したのは自分だ、と主張したが、肝心の医者二名は既に“この特ダネ”をソ連の記者やウォール・ストリート・ジャーナル紙に伝えており、メセルソンは発表済みの古い情報を掴んだだけである。しかし、メセルソンはこうした証拠が有効であると最終的に判断したのは自分達だ、と言い張った。二度目のスヴェルドロフスク訪問となった1994年、メセルソンは有名な『サイエンス』誌に結論を発表し、ようやく汚染肉の話が“まやかし”であったことを認めたそうだ。ただし、15年間に亙って合衆国政府が正しかったこと、そして彼が間違っていたことだけは、意地でも認めなかったらしい。

  後に、メセルソンは自分が関わった事件をまるで他人事のように扱い、これで伝染病の発生源に関する論争は終結するだろう、と語っていた。メセルソンは“まんまと”ソ連の策略に引っかかったのに、自己弁護だけは一貫して続けていたらしい。もう、彼の釈明は呆れるほかない。一般的に学者というのは頑固なものだが、こうも意固地だと頭にくる。なぜなら、事故を起こしたのは炭疽菌の解毒剤を研究する施設であって、生物兵器の製造施設ではない、と論点をすり替えていたからだ。しかも、彼はソ連の条約違反を咎めず、むしろ擁護するように、ソ連の科学者は条約の許容範囲内で研究を行っていたのだ、と語っていた。日本人なら分かると思うが、こういった馬鹿には附ける薬が無い。

( 左 / フランシス・ボイル )
  長々とソ連時代の不祥事を述べてしまったが、こうした過去の事例を思い出すと、支那で発生したウイルス騒動の説明を疑いたくなる。渡部陸将は野生動物からの感染だと考えていたが、本当にそうだろうか? 米国では1月31日に、イリノイ大学教授のフランシス・ボイル博士(Dr. Francis Boyle)が「Geopolitics & Empire」という番組に登場し、新型コロナウイルスが人工的に作られた生物兵器であると、述べていた。彼は国際法の専門家であるが、ジョージ・H・W・ブッシュ政権時代、生物兵器条約の草案に携わった学者であるから、まんざら嘘とは思えない。もしかしたら、軍か政府の高官から内輪話を聞いていたのかも知れない。ボンクラな日本政府と違い、合衆国政府はウイルス騒動に敏感だから、おそらくCDC(米国疾病対策センター)からの分析を受け取っているはずだ。さらに、CIAから詳しい報告書を得ているはずだから、極秘ファイルの情報を計算尽くで公表する場合もある。トランプ大統領は交渉や脅迫が得意だから、国益を考えてわざと真相を隠すかも知れないし、気前よく公開して支那に揺さぶりをかける可能性だったある。冷徹な国際政治の世界では、「日本政府だけが蚊帳の外」という状況だってあるんだぞ。

  新型コロナウイルスの科学的分析がまだ公表されていないから、何とも断定できないが、渡部陸将の推測が誤っているという確率はかなり高い。支那大陸では行方不明となった科学者の黄燕珍が何をしていたのか、という噂話や、武漢ウイルス研究所で主任を務めている石正麗の話題が盛り上がっている。さらに、武漢市内での壮絶な光景が色々な情報筋で流されているのだ。僅か10日で建設された「火神山医院」は、実質的な“絶滅収容所”である。ここに運ばれた患者は治療を受けることはない。ただ苦しみながら死ぬだけだ。窓に鉄格子が設置されているのは、逃亡を防止する為である。ゴースタウン化した武漢で活発なのは、死体を処分する焼却炉だけ。武漢には人民解放軍のロケット部隊とサイバー部隊が派遣され、人民の監視と弾圧が行われているという。

  こうした惨劇が起こっていたのに、渡部陸将は頑なに「人工兵器説」と「偶発的流出説」を否定していた。これって、おかしくないか。自衛隊の上級将校や中堅士官は、チャンネル桜での討論をじっくり観てみるべきだ。何度も繰り返して渡部氏の発言を聞けば、何となく「妙だ !」と気づくはず。でも、複雑な人間関係と役職や義理人情で雁字搦めにされた自衛官は、退官した高級将校の正体を吟味することはできない。嫌なモノには蓋をするのが、巨大組織で働く日本人の性(サガ)だ。渡部氏が単なる断固者なのか、支那に忖度をする自衛官なのか、それとも他に理由を抱えた謎の人物なのか、筆者には判らない。ただ、筆者は百名の愛国的自衛官を集めて、各人の意見を聞きたいと望んでいる。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c21

[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』 中川隆
7. 中川隆[-13695] koaQ7Jey 2020年2月20日 09:27:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-227]

Berlioz Symphonie Fantastique (Davis / Royal Concertgebouw)

コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
PHILIPS。1974年録音。96kHz-24bitリマスター輸入盤。

コンセルトヘボウの音色が素晴らしく、魅力的な演奏になっている。
特に前半3つの楽章のヴェールを隔てたような感じが良い。
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html#c7

[近代史3] ベルリオーズ 『幻想交響曲』 中川隆
8. 中川隆[-13694] koaQ7Jey 2020年2月20日 09:28:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-226]
コリン・デイヴィス

Berlioz Symphonie Fantastique (Davis / Royal Concertgebouw)


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html#c8
[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 2 _ 誰が私をこんな女にした 中川隆
6. 中川隆[-13693] koaQ7Jey 2020年2月20日 10:35:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-225]
差別されるセックスワーカーの悲哀を見てきた

タイは寛容な国として知られているのだが、この国には差別がないのか。
タイ人はとても柔軟で、誰でも受け入れる包容力があって、流れ者にはとても居心地が良い。あまりの優しさと包容力の深さに、抜け出せなくなるような安心感が社会にある。

しかし、このタイでも差別意識はある。私は売春に従事する膨大な女性に出会ってきたが、彼女たちはそのビジネス故に、そして貧しさ故にあまり良く思われていないのは、部外者である私も徐々に知るようになった。

タイは階層社会だ。上流階級と貧困階級はまったく違う世界に生きている。その中で夜の女というのは、最底辺のそのまた下のクラスに見られているというのは、一緒にいる私でさえも肌感覚で分かるようになった。

そしてタイは学歴社会でもある。学歴のある人間とない人間の差はあまりにも明確に線引きされており、学歴のない人間はどれだけ有能でも出世できないという社会でもある。

現在のシンガポールは多民族国家だが、それでは差別がなかったのだろうか。私はあるスリランカ女性が好きになって、彼女としばらく一緒にいたことがある。

(ブラックアジア:リーパ。ゲイランの街に立つ女の凶悪な目付きに惹かれた)
https://blackasia.net/?p=3262


ところが、私の泊まっていたホテルの中国系シンガポール人は、彼女のことを「ダーティー・ブラック・スキン」の女だと言って侮蔑した。「薄汚い黒い肌の女」だというのである。

そして、「そんな女をこのホテルに連れ込むな」と私に言い放った。客の私にそのようなことを言い放つのだから、その差別感情に私はショックを受けるしかなかった。

カンボジアではどうだったか。カンボジア人は昔から激しい差別感情をベトナム人に持っているのは有名な話だ。

そのカンボジアの売春地帯では、貧しいベトナム女性が大量に売られて売春していたのだが、それがまたベトナム人差別を増長させていた。

私が売春で生きているベトナム女性と一緒にプノンペンの街を歩いていたら、あるカンボジア人の老人が彼女にツバを吐きかけた。街を歩いているだけの女性に向かって、ツバを吐くという行為にその拒絶感の強さが窺い知れた。

理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった

貧しいというのは差別につながる。売春ビジネスもまた差別につながる。だから貧しいセックスワーカーが置かれている立場というのは、どこの国でも激しい差別の渦の中にある。

バングラデシュでも貧しいセックスワーカーは激しい差別の中にあって、彼女たちが病気になっても医者は診察を拒絶し、彼女たちが死んでも葬儀屋は葬儀を拒み、共同墓地での埋葬すらも断られる。

スリランカで私が売春する貧しい女性と一緒に店に入ったら、私たちの目の前にいたテーブルのスリランカ人は彼女を見て途中で席を立って消えていった。

普通のスリランカ人が彼女を見る侮蔑の表情、そして一緒にいる私に対する嫌悪の表情はとても深い断絶に思えた。スリランカ社会が彼女を見る「冷たい目」はすべて真実である。恐ろしほどの冷たさであった。

彼女たちは、そういった拒絶感を朝から晩まで受けている。どこの国に行っても、私が好きになった夜の女たちの99%は社会から嫌われ差別されていた。
理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった。ある時は陰湿に、ある時は露骨に、差別感情がそこに見出された。それが現実だ。

アジアの底辺で、社会から拒絶されながら生きている女性たちの姿を見て感じたのは、人間は「違い」に対する拒絶感をどうしても克服できないという冷徹な現実だったのである。

人は多様であり、人種も、人生も、考え方も、非常に大きな違いが存在する。その「違い」の中に対立や拒否感が生まれると、それが差別という感情になって育っていく。どうあがいても、人間はそこから逃れられない。

この「違いを排除する」という人間社会にある感情は、やがては深い対立を生み出すことになる。現代社会はこの感情を消す処方箋を持っていない。
https://blackasia.net/?p=17236
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/378.html#c6

[近代史3] 今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった 中川隆
11. 中川隆[-13692] koaQ7Jey 2020年2月20日 10:35:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-224]
差別されるセックスワーカーの悲哀を見てきた

タイは寛容な国として知られているのだが、この国には差別がないのか。
タイ人はとても柔軟で、誰でも受け入れる包容力があって、流れ者にはとても居心地が良い。あまりの優しさと包容力の深さに、抜け出せなくなるような安心感が社会にある。

しかし、このタイでも差別意識はある。私は売春に従事する膨大な女性に出会ってきたが、彼女たちはそのビジネス故に、そして貧しさ故にあまり良く思われていないのは、部外者である私も徐々に知るようになった。

タイは階層社会だ。上流階級と貧困階級はまったく違う世界に生きている。その中で夜の女というのは、最底辺のそのまた下のクラスに見られているというのは、一緒にいる私でさえも肌感覚で分かるようになった。

そしてタイは学歴社会でもある。学歴のある人間とない人間の差はあまりにも明確に線引きされており、学歴のない人間はどれだけ有能でも出世できないという社会でもある。

現在のシンガポールは多民族国家だが、それでは差別がなかったのだろうか。私はあるスリランカ女性が好きになって、彼女としばらく一緒にいたことがある。

(ブラックアジア:リーパ。ゲイランの街に立つ女の凶悪な目付きに惹かれた)
https://blackasia.net/?p=3262


ところが、私の泊まっていたホテルの中国系シンガポール人は、彼女のことを「ダーティー・ブラック・スキン」の女だと言って侮蔑した。「薄汚い黒い肌の女」だというのである。

そして、「そんな女をこのホテルに連れ込むな」と私に言い放った。客の私にそのようなことを言い放つのだから、その差別感情に私はショックを受けるしかなかった。

カンボジアではどうだったか。カンボジア人は昔から激しい差別感情をベトナム人に持っているのは有名な話だ。

そのカンボジアの売春地帯では、貧しいベトナム女性が大量に売られて売春していたのだが、それがまたベトナム人差別を増長させていた。

私が売春で生きているベトナム女性と一緒にプノンペンの街を歩いていたら、あるカンボジア人の老人が彼女にツバを吐きかけた。街を歩いているだけの女性に向かって、ツバを吐くという行為にその拒絶感の強さが窺い知れた。

理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった

貧しいというのは差別につながる。売春ビジネスもまた差別につながる。だから貧しいセックスワーカーが置かれている立場というのは、どこの国でも激しい差別の渦の中にある。

バングラデシュでも貧しいセックスワーカーは激しい差別の中にあって、彼女たちが病気になっても医者は診察を拒絶し、彼女たちが死んでも葬儀屋は葬儀を拒み、共同墓地での埋葬すらも断られる。

スリランカで私が売春する貧しい女性と一緒に店に入ったら、私たちの目の前にいたテーブルのスリランカ人は彼女を見て途中で席を立って消えていった。

普通のスリランカ人が彼女を見る侮蔑の表情、そして一緒にいる私に対する嫌悪の表情はとても深い断絶に思えた。スリランカ社会が彼女を見る「冷たい目」はすべて真実である。恐ろしほどの冷たさであった。

彼女たちは、そういった拒絶感を朝から晩まで受けている。どこの国に行っても、私が好きになった夜の女たちの99%は社会から嫌われ差別されていた。
理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった。ある時は陰湿に、ある時は露骨に、差別感情がそこに見出された。それが現実だ。

アジアの底辺で、社会から拒絶されながら生きている女性たちの姿を見て感じたのは、人間は「違い」に対する拒絶感をどうしても克服できないという冷徹な現実だったのである。

人は多様であり、人種も、人生も、考え方も、非常に大きな違いが存在する。その「違い」の中に対立や拒否感が生まれると、それが差別という感情になって育っていく。どうあがいても、人間はそこから逃れられない。

この「違いを排除する」という人間社会にある感情は、やがては深い対立を生み出すことになる。現代社会はこの感情を消す処方箋を持っていない。
https://blackasia.net/?p=17236
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